ヨギ・シンとの対決(その2)ヨギ・シンとの対話(後編)

2023年10月29日

ついに実現! 若きヨギ・シンとの対話


前々回の記事:



前回の記事:


これまでのヨギ・シン関連記事:



若きヨギ・シンことプラディープ君(仮名)とのアポイントは結局日曜日では都合がつかず、月曜の午後3時半に、前回と同じ東京駅前で再会することになった。
午後10時羽田発の飛行機に乗るという彼がその前に時間を作ってくれたのだ。
東京駅にしたのは、きっと今日も丸の内〜大手町エリアで「占い」をしている彼が来やすいようにと気遣ってのことである。
ほぼ詐欺師の占い師に気を遣うのもバカバカしいが、「めんどくさいからやっぱり会うのやめた」と思われてはかなわない。
自分はこの機会を10年待っていた。
とはいえ、夢にまで見たヨギ・シンとの再会の約束を喜んでいたのは前日までの話だ。

東京駅に向かう私は、すっかり憂鬱な気持ちになっていた。
会えば必ずまたお金の要求をされるだろう。
前回は不意打ちのような形でいろいろ聞き出すことができたが、今回は向こうも十分に心の準備をしてくるはずだ。
彼が私に会う理由はひとつしかなく、それは私を金ヅルだと思っているからだ。

whatsappで約束の日時を調整している間も、彼は「会ったら私の寺を助けてくれるか?」とか「会ったら贈り物をくれるよね」というメッセージを送ってきていた。
ノーと答えれば来ないだろうし、イエスといえばしつこく要求してくるだろう。
「考えておくよ」とか「会えるのを楽しみにしてるよ」とか適当にはぐらかしたものの、この曖昧な返答が彼の中でイエスと解釈されている可能性もある。
さらには「どうして僕に会いたいんだ?」という至極もっともな質問もしてきた。
「こないだも言ったけど、私はインドもインド人も好きなんだ。君が生まれる前のインドで撮った写真も見てもらいたい。つまり友情のためだよ」
と送ると、彼は初めて笑顔とグッドサインの絵文字を返してきた。

このやりとりの過程で、彼がまだ21歳であることも分かった。
「私はその歳の頃にインドに行ったんだ」
と伝えたのは、インチキ占い師である彼に、自分が運命論的なものを信じているように見せて、関心を持ってもらう(要は、インチキ占いを信じる可能性があると思ってもらう)ためだ。
いろいろ聞かせてもらう代償に、まったくお金を払わないというわけにもいかないだろう。
今回は財布の中に千円札を3枚だけ残して、残りをかばんの奥にしまっておいた。


日本人らしく定刻前に東京駅に着いた私は、プラディープに駅前で待っているというメッセージを送った。
しかし10分待っても20分待っても返信はなく、返信がないどころか既読にすらならならない。
相手はインド人だし、待たされるのは覚悟していたが、ここまで無視されるとさすがに不安になる。
「今どこ?」と送っても、通話機能で連絡をしても、なんの返事もない。

「東京駅前」というかなりざっくりした場所を指定した自分が悪かったのだろうか?
Wi-Fiが繋がらなくて連絡がつかないとか?
駅前広場をくまなく探してみたが、やはり姿はない。
30分を過ぎた頃、ようやくスマホが振動した。
「今どこにいる?」
プラディープからのメッセージだ!
周囲の画像を撮って「ここにいるよ」と送ってからさらに数分が経った頃、先日と同じ人懐っこい笑顔でプラディープがやってきた。
今日も片手に革の手帳(例の占いの時に使ってたやつだ)だけを持ったほぼ手ぶらスタイルだ。

通り一遍の挨拶のあと、さっそく気になった点を尋ねてみた。

「今日、日本を発つんだよね? ところで荷物は?」

「部屋に置いてある」

「近くのホテルに滞在してるの?」

「ここから2、3駅のところ。巣鴨のホステルに泊まってる。今4時半だから、5時には行かないと」

「それなら宿に近い巣鴨で話そうか?」

「5時にこの近くで別の人に会わないといけないんだ。だからこのへんで話そう」


東京駅から羽田空港に行かなきゃいけないのに、巣鴨に戻るのは逆方向だ。
この日に日本を発つという話や、5時に別の約束があるというのが本当なのか、ちょっと怪しい。
でも「ホテルに泊まっているのか?」という問いにわざわざ「ホステル(安宿)」と答えている点には若干のリアリティがある。

初めに書いておくと、私の質問に対する彼の回答は、どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか、いまひとつ分からない。
明確に嘘だと分かる発言もあれば、もしかしたら本当かもと思わせる部分もあったし、これは真実だろうと確信できる部分もあった。
今回のインタビュー(というか会話)は、まずは彼の言葉を否定せず、私の質問に対してどう答えるのかを探るという趣旨で行った。
できれば彼とは今後も関係を維持して、ヨギ・シンのさらなる真実が知りたい。
明らかな嘘であっても、今回はそこを追求するのではなく、彼が何を隠そうとしているのか、どうはぐらかすのかをまずは知りたかった。
ともあれ、2日前と同じように、東京駅前広場のベンチに腰を下ろして、会話が始まった。


「これはすごく小さな贈り物だけど、このペンはすごくスムースに書ける。
君は占いのときに心を読んで紙に書くでしょ。だからこれ使って」

「ありがとう」

彼からの「贈り物をくれるよね」という要望に、若干の皮肉を込めてジェットストリームの4色ボールペンを渡したところ、思いのほか素直な反応が返ってきた。
「これだけか? 他にはないのか?」とか言われると思っていたので、これは肩透かしだった。
このプレゼントは今日の対面が物やお金の要求に終始するのか、それともまともな会話ができるのかを探る試金石のつもりだったのだが、これはいい兆しだ。
続いてもう一つ、反応を探るための質問をしてみた。

「もう一度君の寺の写真を見せてもらって良い? 寺の名前を教えてもらえる? 情報をみんなにシェアしたいんだ。お寺のウェブサイトはあるの?」

「(田舎にある)村の寺だからウェブサイトなんてないよ。でもFategarh Sahibで検索してくれたらいい。その近くにある寺だよ」

彼はおととい見せてくれた子どもたちとターバンの男たちが写った写真を見せてくれた。
聞いたことがない地名が出てきたので、手元のノートに綴りを書いてもらう。
ヨギテンプル

「ファテガル・サーヒブね。これはアムリトサルにあるの?」

「そうだ。アムリトサルの近くだよ」

「この写真、撮影させてもらっていい?」

「なんで僕の寺の写真を撮りたいんだ?」

「ツイッターとかインスタでシェアしたいんだよ」

「そうか。この写真はシェアしてもOKだけど…他の情報はインターネットでシェアしないでくれ」

申し訳ないが、そう言われたけどいろいろ書いてしまっている(本名や彼の写真を載せるつもりはないけれど)。
もし彼が本当にまっとうな寺や孤児院のための寄付を募っているのなら、訝しんだりしないで、寺の名前や情報、寄付の方法などを喜んで教えてくれるはずだ。
もともと寺への寄付というのは作り話だろうと思っていたが、やはり嘘なのだろう。
あとで調べたところ、ファテガル・サーヒブという街は実際に存在していて、シク教の巡礼地になっている同名の大きな寺院がある。
しかし実際はその街はアムリトサルからは200キロも離れていて、とても「アムリトサルの近く」と言える場所ではない。
前回彼はアムリトサル出身だと言っていたので、これは明らかに矛盾している。
出身地については毎回その場しのぎの適当なことを言っているのだろう。
そして、「他の情報をインターネットに書き込まないでくれ」と言っているということは、彼は自分たちの行動を「知られては困ること」だと自覚しているのだ。

あまり突っ込みすぎても警戒されるだけだろうから、事前のやりとりで伝えていたように、学生時代にインドで撮影した写真を見てもらいながらしばし雑談に興じてから、また質問を続けてみた。

「日本の次はどこに行くの?」

「インドに帰る」

「パンジャーブに帰るの? 君の村に?」

「そうだ。寺に帰る。アムリトサルの近くの」
(前述の通り、彼の寺はファテガル・サーヒブはアムリトサルからは遠い)

「君は寺に住んでいるの?」

「そうだ。寺に住んでいる」

「そこで瞑想をしてるの?」

「そうだよ」


この部分もかなり怪しいと思っているのだが、彼にとって「寺で暮らし、瞑想に生きる男」という設定は譲れない部分らしい。
ここで以前から聞きたかった質問をぶつけてみた。


「世界には君みたいな占いができる人は何人ぐらいいるの?」

「世界中で? わからないなあ。僕らの寺はひとつだけじゃないからね。
ある人は別の寺に所属しているし、またある人は別の寺に所属している。
僕らの寺には瞑想や他の術ができる人が5人いる」

前回同様、私は彼の「占い」のことを英語でフォーチュンテリングと呼んでいるが、彼はずっとメディテーションという言葉を使っている。
ここにも彼のこだわりがあるようだ。

「君の家族には何人くらい占いができる人がいるの?」

「僕の家族? できる人はだれもいないよ。
僕は寺に住んでいる。僕らは寺で生まれた。別のところに住んでいる先生や友達がいるんだ」

「お父さんは占いをしないの?」

「僕は父を知らない。僕は寺で暮らしている」

「他の瞑想を学んでいる生徒たちは占いができるの?」
(彼が使っていたメディテーション・スチューデントという言葉を使ってみた)

「何人かの敬虔な(holy)魂を持っている人は、瞑想をすると祝福されて(blessed)、この技術が使えるようになる」


彼が本当に寺で暮らしているかどうかは不明だが、何人もこの「占い」の師匠(彼はティーチャーと呼んでいた)がいて、プラディープの寺(派閥)には5人のヨギ・シンがいるというのは、なんだかありそうな話に聞こえる。
一方で、彼の父親を知らないという発言は、前回の対面時に聞いた「この占いは代々の家業(puchtani)」という話と明らかに矛盾する。
前回の話が真実だったとすれば、彼に家族と占いとの関係を隠す意図があるということだ。

「君はとても若いよね。今21歳?」

「そう」

「これから君は何をするの? 君はカレッジにも通っている?」

「どんなカレッジのこと?」

「つまり、カレッジに通って瞑想以外のことも学んでいるの?」

「僕は薬学とか物理学も学んでいるよ」

正直に書くと、プラディープがここでPharmacy(薬学)あるいはPharma(製薬)と言っていたのを、私は農家(farmer)と聞き違えていたようだ。
そのため私は「農業はパンジャーブの文化だよね」とか「ファーマーになるんだね」とかトンチンカンな発言をしてしまい、彼もイエスと答えながらもちょっと困惑していたようだった。
間違いに気がついたのは後になってからのことだ。

ともかく、彼がカレッジで薬学や物理学を学んでいるというのは、リアリティがあるように思える。
もし彼が神秘的な占い師としての印象を強くしたいのなら、ずっと寺で瞑想をしているという回答をしたはずだ。
カレッジで学んでいる内容について詳しく聞かれるかもしれないのに、ここで嘘をつくメリットは彼にはない。
そして何より、彼のたたずまいは、流浪の占い師ではなく、ふつうのインドの大学生っぽかった。
ずっと路上で後ろ暗い生き方をしてきた者が持つ影が、彼には全くない。
ここで私はズバッと、彼の最大の秘密を知ってしまったことを伝え、そのリアクションを観察してみることにした。

「悪く思わないでほしいんだけど、私には君の占いのトリックが分かってしまった。
おとといの占いの時、君が私の手の上で紙をすり替えるのを見たんだ」

世界中で「占い」をしてきたヨギ・シンたちが、ずっと見破られなかった秘密を本人に突きつける。
さすがに逃げられてしまうかもしれない。
そうしたらどう引き止めて会話を続けようか。
だが彼は立ち去ることも沈黙することもなく、あまり表情を変えずに、すぐにこう答えた。

「Oh. いったいどうやってすり変えたっていうんだ?」

「私が紙を握ったあと、君に名前や誕生月や望みを教えたね。そのあと、私が手を開いたときに、君は『これがあなたが握っていた紙だね』と言って一度その紙を手に取った。そのときに君が紙をすり変えたのを見たんだ」

彼はあからさまにうろたえたりはしなかったが、どうにかして内心の動揺を隠しているように見えなくもない。

「いや、そんなことはしていない。
私たちには2種類の人間がいる。ある人たちはそういうことをするけど、他の人たちはしない。僕はしないんだ。さっき言った通り、たくさんの寺があって、いい寺もあるし、そうじゃない寺もある」

明らかに手の内がバレてしまっている状況でも、彼はあくまでも瞑想によって人の心を読むことができるというキャラを変えるつもりはないようだ。
こちらも、そういうリアクションをするのだということが分かれば、ひとまずは十分だ。
必要以上に警戒されることは望んでいない。

「悪く思わないでくれ。どっちにしろ私は別に気にしていないから」

「オーケー」

「私はただ、君みたいな占い師が世界中に出没していると知って、いったい何者なのか、何人くらいいるのかを知りたいだけなんだ」

「オーケー。アムリトサルに来て、僕の寺を見たらいいよ」

彼のオーケーという返事にあまり元気がないように感じたが、会話を打ち切って逃げられてしまうようなことはなさそうだ。
どうやら、彼は自分の占いのトリックが見破られているにも関わらず、「自分は良い占い師で、他に悪い奴もいる」というストーリーでこの状況を乗り切ろうとしているようだ。


つづき



--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay

Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり



軽刈田 凡平のプロフィールこちらから

2018年の自選おすすめ記事はこちらからどうぞ! 


goshimasayama18 at 20:08│Comments(0)ヨギ・シン | インタビュー

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
ヨギ・シンとの対決(その2)ヨギ・シンとの対話(後編)