ヨギ・シンふたたび東京に出現!ヨギ・シンとの対決(その2)

2023年10月18日

ヨギ・シンとの対決(その1)


これまでのヨギ・シンに関する記事:



前回の記事:



謎のインド人占い師、ヨギ・シンが再び東京に出没している!
10月12日(木)にその情報を得た私は、翌13日(金)の仕事帰りに、さっそく同エリアを捜索した。
前回同様、遭遇報告は丸の内〜大手町のごく狭いエリアに限られている。
しかし、1時間ほどくまなく歩いても、怪しげな占い師の姿は見あたらない。
これまでの報告では、暗くなってからの遭遇事例はなかった。
時間帯が悪かったのかもしれない。


翌14日、土曜日。
この日は昼過ぎに捜索を開始した。
東京駅の丸の内北口を出た私は、大手町から丸の内エリアを歩き回ったのち、念のため4月に目撃情報があった銀座にも足を伸ばした。
しかし歩行者天国となっている銀座通りはかなりの人出で、また裏道は歩道が狭くて、いずれにしても彼の「占い」が満足にできる環境ではない。

再び丸の内エリアに戻ったが、ここも空振り。
そうこうしているうちに時刻は午後5時半を過ぎ、かなり暗くなってきた。
あきらめて家路に着こうと、東京駅のレンガ駅舎前の広場に続く横断歩道を渡ろうとした、ちょうどその時だった。

視線の先で、インド系の男性がベンチに座っている日本人の若者に声をかけている。
その男は、ターバンは巻いておらず、少し長い髪を後ろで留めていた。
細身で、身長は170センチ程度。
とても若く、歳の頃は二十代前半くらいだろうか、まだ学生のように見え、その手にはヨギ・シンの商売道具でもある手帳を持っている。

その姿は、ブログに情報を寄せてくれたSIさんの報告にあった「身長170〜175センチほどで、ヒゲなし、ターバンなしの清潔感のある好青年」とほとんど一致している。
怪しげな占い師の雰囲気はまったくなく、ハンサムで人の良い若者といった印象で、もしヨギ・シンを探していなければ、彼はフレンドリーな旅行者のように見えたことだろう。
しかし、よく見ると、ポケットには収まらない大きさの革製の手帳を手にしているのにカバンを持っていないのが不自然で、銀座で何人も見かけた南アジア系の観光客とは明らかに異なる雰囲気を醸し出していた。

声をかけられた若者は、困惑しながらも「悪い人ではなさそうだ」と感じたようで、若干こわばった笑顔で応じている。

そっと近づいて、数メートル離れたところに腰掛け、様子を見る。
気づかれないように視線を向けると、このヨギ・シンらしき若い男は、もみあげからあごや鼻の下まで、短く整えられた髭を生やしている。
このヒゲがSIさんの報告と一致しない唯一の点だが、華奢で物腰が柔らかい彼からは「ヒゲ面のインド人」として連想されるような押しが強い印象はまったくない。
彼の短いヒゲがSIさんの記憶に残らなかったとしても、不思議ではない。

座った場所からは二人の会話はかすかにしか聞こえないが、どうやら手帳を手にした男は「メディテーション」とか「カルマ」とか言っているようだ。
さらに彼は革製の手帳を開いて、写真を見せたり、何かを書いたりしている。
ヨギ・シンに間違いなさそうだ。
気づかれないようにするため、直視することも近づくこともできないのがもどかしい。

しばらくすると、日本人の青年が驚いたように「マジックみたいだ」と言うのが聞こえた。
彼がヨギ・シンであることはもう疑いの余地がない。
自分の鼓動が急速に早くなるのが分かった。
何年も探し求めていた光景が目の前で展開されていることが、あまりにも非現実的で、信じられなかった。

前回の遭遇では、こちらから声をかけて詮索したせいで、ヨギ・シンに怪しまれて逃げられてしまった。
今回は絶対に気づかれないようにしなくてはならない。
だが、この若いインド系の男は、目の前の青年と話すのに夢中で、周囲にまで注意が及んでいないようだった。
そっと立ち上がり、東京駅の駅舎と周囲の景色を撮影するふりをして、彼の姿を撮影することに成功。
短い動画も撮影することができた。
できるだけ落ち着いて行動していても、脈拍は階段をダッシュで駆け上がった後のようになっている。

しばらくすると二人は立ち上がり、簡単な別れの挨拶をして、別々の方向に歩いて行った。
日本人の若者が彼にお金を払ったかどうかは分からないが、少なくともしつこい要求に声を荒げたり、機嫌を悪くしたりはしていないようだ。
日本人青年は私の目の前を通り過ぎて信号を渡り日比谷方面へ、そしてインド系の男は反対に駅前広場のほうへ歩いてゆく。

日本人青年に声をかけて、今起きたことを詳しく聞くべきか、それともヨギ・シンらしき若者を追うべきか。
一瞬迷ったが、「本物」と会える千載一遇のチャンス。ここはヨギ・シンを追うしかない。
すっかり暗くなった広場で、気づかれないように、しかし見失わないようにインド系の男を目で追うことにした。

彼は広場の真ん中らへんまで歩くと立ち止まって周囲を見渡し、次に声をかける相手を探しているようだった。
私はさっきの日本人青年が座っていた場所に腰を下ろし、彼の様子を見ながら、退屈そうにスマホをいじるふりをしていた。

やはりこの場所が声をかけやすいスポットだったのだろうか。
他のベンチの近くをひと通り歩き回った彼は、なんとこちらに向かって近づいて来た!
どうやら次のターゲットを私に決めたようだ。
絶対に怪しまれないように、手元のスマホを凝視するふりをする。

ほんの2、3メートルのところまで彼が来た時、まるで今気づいたかのように顔を上げると、彼は人懐っこい笑顔で声をかけてきた。
その第一声は、もちろんあの言葉だ。

「You have a lucky face.」

この唐突な言葉にどう答えるのが正解なのかいまだに分からないが、私は「よく分からないけど、あなたの言葉をポジティブに受け取っているよ」といった感じで

「Thank you.」

と答えた。

彼は、笑顔で自分の額のあたりを指しながら「あなたの額からオーラが出ている」と言うと、「自分はmeditation studentだからそれが分かった。あなたはいい人だが、ときに考えすぎるところがある」
と続けた。

どれも過去の遭遇報告やネット上の投稿で読んだヨギ・シンのフレーズだ。
これは現実なのだろうか。
私は興奮とも緊張ともつかない精神状態だが、当然ながら彼はそのことを知らない。

笑顔だがテンポよく話を進めている彼は、こちらに言葉を挟む余地を与えないようにしているのだろう。
彼の英語にはインド人特有の訛りがあり、慣れていない人にはかなり聞き取りにくいだろうが、幸い私はインド人の英語には慣れているほうだし、何より彼がこれから何を話し、何をするのかを知っている。
次に発した言葉は、これまでの報告で読んだことがないものだったが、彼がしようとしていることはすぐに分かった。

「あなたの目を見せてくれ。あなたのことを読んでみる(caliculate youという表現を使っていた)」

ハンサムで人の良さそうな彼の目に胡散臭さはまったく感じられないが、彼はこれから私を騙そうとしているのだ。
いや、私がそう気づいていることを彼は知らないのだから、私が彼を騙そうとしているのだろうか。
彼は、私の目を見ながら、手帳を下敷きにして何かを書きつけている。
私の心を読んで分かったことを書いているという演出なのだろう。
彼はその紙を丸めて私に渡すと、それを手で握りしめるように言った。

いよいよ彼の「占い」が始まる。

「あなたの名前を教えてくれ(Can I have your good name?)」

この「グッドネーム」という言い方はインド人特有の言い回しで、ヒンディー語のフレーズを直訳したものだと聞いたことがある。

本名を答えると、日本人の名前に馴染みのない彼は、
「K...?」
と尋ねてきた。
「心が読めるなら、綴りも分かるはずだろう」とは言わない。
アルファベットを1文字ずつ発音して伝えると、彼は手帳を下敷きに、それを手元の別の紙に書き留めた。
最初に渡された紙はずっと握ったままで、彼がすり替えそうな兆候はない、。

次に彼は、
「何月生まれだ?」
と尋ねた。 

「1月(ジャニュアリー)」と答えると、彼は「ジャニュアリーだな」と確認してまたメモをする。

続いての質問は「好きな花は?」

何と答えようか迷ったが、バラ(rose)とかよりも文字数の多い花のほうがボロが出るかもしれないと思って「チェリー・ブロッサム」と回答。
彼はまた私の答えを復唱してメモを取る。
最初に渡された紙は、まだ私が握りしめている。

最後に彼は、
「あなたの望みは?」
と尋ねてきた。

「自分は十分幸せに暮らしているので、これ以上の望みはない」

と答えると、
「そうかもしれないが、健康とか、そういった望みが何かあるだろう(他にもいくつか例を挙げていたが、覚えていない)」と食い下がる。

適当に「じゃあ、健康(グッドヘルス)」と答えると、彼はまた確認して、メモを取る。

全ての質問を終えた彼は、わざとらしく、

「あなたは私が質問する前から、ずっとその紙を握っているね」

と聞いてきた。
こんなことを言うのは、彼がまだ若くて技術に自信がないからだろうか。

次の展開がわかっている私は、「イエス」と答えて紙を握っていた手を開いた。
その瞬間だ。
彼は、
「確かにあなたはこの紙をずっと握っていた」
と言って私の手のひらから一瞬紙をつまみ上げ、すぐに私の手に戻した。

このとき、注意深く観察していた私には、彼が手の中にもう一つ小さく丸めた紙を隠しているのが見えた。
そして、握った手の中指の内側のあたりに隠していたその紙を、素早く私が持っていた紙とすり替えたように見えた。

気づかれたことを知らない彼は、ペースを崩さずに「占い」を続けてゆく。
次に彼は、再びまるめた紙を握り、その拳をしばらく額にあてるよう指示した。
言われた通りにすると、今度は紙を握った手に息を吹きかけろと言う。

私が従うと、彼はようやく彼は握った紙を開くよう告げた。

予想通り、そこには1月(January)を意味すると思われるJanという文字、私の本名、そしてCherryという殴り書きと判別不能な3文字?が書かれている。

ヨギシンメモ


彼は自分の手元のメモを見せて、私の手のひらのメモと照らし合わせながら言った。

「ここに書かれているのはあなたの名前。生まれたのは1月。好きな花はCherry。(blossomまでは書かれていなかった)この一番下に書いてあるのは健康という意味だ。あなたが答える前からずっとこの紙を握っていたのに、答えが書かれているだろう」

最後の判読不能な文字について話した時、ちょっと気まずそうにも見えたのは気のせいだろうか。
反応しないのも不自然なので、適当にさっきの青年をまねて「マジックみたいだ」と言うと、彼は、
「マジックじゃない。メディテーションであなたの心を読んだんだ」
と答えた。


もうお気づきだろうが、彼のトリックはこういうことだ。
まず、私の目を覗き込んで、私の心を読んでいるふりをしながら、手元の紙に何かを書く。
当然ながら本当に私の心が読めているわけではないので、この時に書くのは何でもいい。というか、書いているふりだけすれば良い。

その紙を丸めて私に握らせてから、名前、誕生月、好きな花と望みを尋ねる。
彼は私の答えをメモしていたのだが、このときに大急ぎで2枚の紙に答えを書いていたのだろう。
(彼は手帳を下敷きのように使って、手元が見えないようにしていた)
1枚のメモを取るスピードで2枚分のメモを取るには、かなり素早く書かなければならない。
私が握っていた紙の文字が殴り書きで、最後の「健康」に至ってはまったく読めないほどだったのはそのためだ。
メモのひとつを気づかれないように丸めると、彼は私が手を開いた瞬間に「あなたはこの紙をずっと握っていたね」と確認するふりをして、私が握っていた紙とすり替えたのだ。

よくできているのはその後だ。
彼は私にもう一度紙を握らせると、ジェスチャーを交えてその拳を額にあてさせたり、息を吹きかけさせたりした。
この動きは、まるで特別な願いをこめるかのような印象的なものだ。
この一手間には、その前に紙をすり替えるためにした動きの記憶を消す効果がある。
紙を握った手を額に当て、さらにその手に息を吹きかけるという非日常的な動作に比べると、その前の「確かにこの紙を握っていたね」と一瞬手でつまむ動きは、道理にかなっていると言うか、ごく自然なものだから、その印象はすぐに薄れてしまう。

これまでヨギ・シンに会ったと報告した人たちは、みんな「自分はずっと紙を握っていた。すり替えるタイミングはなかった」と言っていた。
私が気づくことができたのは、何が起きるかを知っていたからだ。
彼らが二人以上でいる人に声をかけないのも、このトリックが他の一人に見破られてしまうリスクが高いからだろう。
全てのヨギ・シンがこの技を使うのかは分からないが、私が会ったヨギ・シンは間違いなくこのテクニックを使っていた。
ヨギ・シン、破れたり。

だが、私に見破られたことを知らない彼は、いつもと同じように、手帳に挟んだ写真を私に見せてきた。


(つづきはこちらから)




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goshimasayama18 at 21:28│Comments(0)ヨギ・シン 

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