2023年09月03日
ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』について長々と語る
ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』の試写を見た。
インドの片田舎でダリト(被差別階級)の女性たちが運営する新聞社「カバル・ラハリヤ」(Khabar Lahariya)。
その記者たちが、過酷すぎる社会をジャーナリズムの力で変えてゆく様子を記録したこの映画は、2021年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門観客賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞など、世界各地で30以上もの映画賞を受賞した。
監督はスシュミト・ゴーシュとリントゥ・トーマスの二人が共同して手がけている。
テーマやタイトルを見て、インドや社会問題に関心がある向けの作品だと思われる方もいるかもしれないが、この映画は、インド的であると同時に、普遍的で深い「問い」を持つ、素晴らしい作品である。
(以下、いつもながらすごく長くなってしまったので、映画鑑賞後に読んだ方がよいかもしれません)
映画の舞台はインド北部のウッタル・プラデーシュ州。
インド最大の人口を誇るこの州には、タージマハルやガンジス川の聖地ヴァーラーナシーなどの著名な観光地があり、日本人旅行者にも馴染み深い場所だ。
しかし同州にはもうひとつの顔がある。
ウッタル・プラデーシュはインド有数の貧困地帯であり、さらに頑迷なヒンドゥー至上主義が強い土地でもあるのだ。
ジャーナリストのほとんどを高位カーストの男性が占めるこの地で、インドで唯一のダリト女性たちによる新聞社「カバル・ラハリヤ」は、2002年に産声を上げた。
ダリトとは、カースト制度の枠外に位置づけられた最下層の被差別民のことである。
記者たちが取材する現実は、ものすごく辛くてやりきれない。
ダリトの女性が男たちに繰り返しレイプされても、警察はまったく捜査に応じてくれない。
閉鎖された炭鉱でマフィアによる違法採掘が行われ、そこで働いていた家族が落盤事故の犠牲になる。
インドの貧困や差別について多少なりとも知っている人にとっては、どこかで聞いたことがあるような話かもしれない。
しかしスクリーンに映される現実は、これまで見聞きした以上に救いがなく感じる。
その理由は、このドキュメンタリーが貧困地域の被差別階級のなかでも、さらに抑圧された立場である女性の目線で描かれているからだろう。
世界最大の民主主義国インドには、2020年代になっても法も正義もない世界があたり前に存在しているのだ。
地方で悲劇が繰り返されても、大都市を拠点とするメディアはいちいち取材に来たりなんかしない。
だから問題は知られることなく放置され、強者と弱者の関係は永遠に変わることがない。
こうした過酷すぎる地方の現実を広く発信するため「カバル・ラハリヤ」の主任記者ミーラは、紙媒体としての新聞発行だけではなく、ウェブでの動画ニュースの配信を決意した。
だが、記者たちの中には、録画や配信に使うスマホに触れるのが初めてだという者も、スマホ操作に必要な英語が不得意な者もいる。
彼女たちは、「英語がわからないから銀行でお金がおろせなかった」とか「最初は村の外に出るのも不安だった」なんて吐露したりもする。
本当に大丈夫なのかと心配になってしまうが、使命感に燃える彼女たちの眼差しは力強い。
ドン・キホーテ的とも言える彼女たちの挑戦は、救いの存在しなかった社会に、ほんの少しずつ、希望と正義をもたらしてゆく。
…というのが、この映画の(ドキュメンタリーではあるけれど)一応のあらすじだ。
彼女たちは決してスーパーヒーローではない。
取材先では唯一の救いとして頼りにされても、家では夫や家族の無理解に苦しんでいる。
権力の闇を報道した報復として、いつか殺されてしまうかもしれないと怯えたりもする。
それでも、彼女たちが志を持って報道を続けているのは、何世代にもわたって続いてきた因習を打ち破る希望をジャーナリズムに見出しているからだろう。
政治家に高級そうなカメラを向ける男性記者たちのなかで、ただ一人スマホを掲げる女性記者の、なんと誇らしげなことか。
日本ではほとんどの人が持つスマホという武器を手に、人生を、社会を変えようと勇敢に行動する彼女たちを通して「じゃあお前はどうするんだ」という問いが私たちに突きつけられる。
私たちはどう生きるか。
彼女たちの前途が必ずしも希望に満ちているわけではない。
本来は苦しむ人々を救うべき政治の世界では、宗教が前景化して、極めて保守的な価値観を肯定するヒンドゥー至上主義が台頭してきている。
映画には、荒唐無稽とも言えるヒンドゥー至上主義者の若者が登場するのだが、記者は、彼をただの愚か者として取り上げたりはしない。
不寛容な彼もまた、貧しさと希望のない社会構造に苦しむ弱者でもあるのだ。
女性たちを抑圧する存在でもあるはずの彼に真摯に取材を重ねてゆくシーンは、この映画のハイライトのひとつだろう。
あんまり褒めすぎるのもなんなので、ネガティブな点も挙げておく。
ドキュメンタリー映画としての「演出」的な部分で、ちょっと不自然なところが散見されるのが、若干気になった。
例えば、記者が被差別カーストの女性に「どうしてこんなに村外れに暮らしているの?」と尋ねて、女性が「私たちは不浄だと考えられているからだ」と答えるシーン。
これは村社会に暮らすインド人だったら、聞くまでもなく分かっているはずのこと。
わざわざ尋ねたりしないだろう。
インドの田舎の保守性を、なじみのない人たちにも分かりやすく伝えるためのシーンなのだろうが、あえて説明的な発言をさせるのではなく、ナレーションや字幕で補うこともできたんじゃないだろうか。
そう感じた分部がいくつかあった。
また、インドでは、この映画の「主人公」である「カバル・ラハリヤ」の女性記者たちが、映画の内容について不満に感じているという、見逃せない報道もあった。
いくつかのウェブサイト(文末参照)によると、その内容は以下のようなものだそうだ。
- 「カバル・ラハリヤ」は政治や社会問題などの深刻なテーマだけでなく、もっと日常的な話題も扱っている。
- 「カバル・ラハリヤ」は、特定の政治的スタンスを取っているわけではない。与党だけではなく、全ての政党に対して厳しく責任を追及している。
- 「カバル・ラハリヤ」は、ダリトの女性のみによって運営されているのではない。構成メンバーには、OBC(Other Backward Classes「その他後進階級」。ダリトのようにカーストの外に位置付けられているわけではないが、支援が必要なため優遇措置の対象となっているコミュニティ)や高位カーストやムスリムの女性たちもいる。
ひとつめの点については、「カバル・ラハリヤ」のYouTubeチャンネルを確認してみたところ、確かに硬派なニュースだけでなく、健康やスマホアプリの使い方など、多様なテーマを扱っているようだ。
記者たちが、自分たちの媒体がある種の「誤解」をされてしまうことを素直に快く思えないという気持ちは分かる。
だが、監督たちの目線で考えれば、限られた時間でテーマを伝えるための編集が必要だということも理解できる。
これは、ノンフィクション映画では避けられないジレンマだろう。
ふたつめの点については、おそらくはリベラルな(というか、反与党よりの)政治姿勢を持つ監督と、特定の主義ではなく「抑圧されるもの」の側に立つというスタンスで活動する記者たちとの考え方の違いによるものだろう。
「カバル・ラハリヤ」にとっては、保守的・ヒンドゥー至上主義的傾向を強める政治状況のなかで、必要以上に悪目立ちしたくないという意図もあるのかもしれない。
みっつめの相違も、分かりやすさを重視する監督たちと、正確さを尊重したい記者たちの立ち位置の違いによるものとみて良いだろう。
映画では「カバル・ラハリヤ」を、「ダリト女性によって運営されている」ではなく「ダリト女性によって立ち上げられた」と紹介しているので、もしかしたら立ち上げ時のメンバーは全てダリト女性で、その後で他のコミュニティの女性たちが加わったということなのかもしれない。
記者たちには、女性であることにはこだわりつつも、地域の問題を「カースト間闘争」という図式でのみ捉えてほしくないという意図があるのだろう。
いずれにしても、映画で紹介されているのは、かなり単純化された構図であり、現実はさらに複雑で、彼女たちは特定の政党やコミュニティに肩入れせずに活動している、ということに留意する必要があるようだ。
(9/5追記:なお、この記事を読んだ映画関係者の方から、上記の見解の相違があってもなお「監督と記者たちの関係は良好」という情報を伺った。草の根に根差した報道に携わる記者たちと、世界に向けて映画という手段で問題を提起する監督との方法論の違いはあっても、本質的に大事にしたいものは共通しているのだろう。それは映画からも大いに伝わってきた)
すでに十分すぎるほど長くなってしまったが、ふだんインドのインディペンデント音楽を扱っているブログとして注目した点をさらに2点ほど。
1点目は、映画のなかで、保守的なヒンドゥーの若者たちが、宗教パレードのシーンで、ヒンドゥーっぽくて、かつハードコアテクノ的なダンスミュージックに合わせて踊り狂っていたこと。
以前から北インドの後進地域に往年のロッテルダムテクノ的な音像の殺伐としたダンスミュージックが存在していることは気になっていた。
最初にこの手の音楽の存在に気がついたのは、2021年のSoi48パーティーにオンライン出演したDJ Tapas MTを聴いた時だった。
彼がプレイするサウンドの歪みまくった暴力的な音像もさることながら、インドからオンラインで参加していたファンたちの傍若無人っぷりがまたすさまじかった。
イベントの進行が1時間くらい押していたのだが、ファンたちは他のDJたちのプレイにはいっさい触れずに「Tapas MTを早く出せ」「このイベントはTapas MTの名前を使って集客している詐欺だ」(日本で知名度ないっつうの)みたいなコメントを書き込みまくっていた。
実害があったわけではないし(その後DJ Tapas MTの強烈なDJセットが披露され、ことなきを得た)、文化の違いとしては面白かったのだが、「遠く離れた異国のイベントで俺たちの地元のDJが出るってよ」みたいな温かさのまったくない、ひたすら殺伐としたファンのノリに衝撃を受けたものだった。
インド的な要素を取り入れたダンスミュージックといえば、かつてのゴアトランスはぐねぐねと曲がったサイケデリックなサウンドを特徴とし、初期においてはヒッピームーブメント発祥のピースフルなノリを持っていた。
だが、この地方のローカルDJが作るひたすら直線的で破壊衝動を鼓舞するようなサウンドは、同じインド的なダンスミュージックとはいえ、かつてのトランスとは真逆の方向性を志向している。
初めてこのサウンドを聴いた時に、これはきっとこの地域のナショナリズム的感情(と、それに基づくムスリム排斥などの暴力的な運動)と何らかの関連があるに違いないと思ったものだが、『燃え上がる女性記者たち』を見て、その予感は確信へと変わった。
ちなみにこの地域に同様のスタイルで活動するDJは他にも数多く存在している。
PAシステムの限界を超えたような歪んだ低音と、ひたすら扇情的かつ攻撃的なビート。
鬱屈した地方在住者の感情を発散させるために自然発生的に生まれたサウンドなのだろうが、音としては非常に面白いだけに、排他的な思想と結びついていることがただただ残念である。
インド音楽ブロガー目線で気になった2点目は、音楽担当としてTajdar Junaidの名前があったこと。
Tajdar Junaidは西ベンガル出身のシンガーソングライターで、2013年にアルバム"What Colour is Your Raindrop"をリリース。
コマ撮りアニメを使用した"Ekta Golpo feat. Satyaki Banerjee, Anusheh Anadil, Diptanshu Roy"のミュージックビデオでは、独特な作風で強い印象を残した。
最近名前を聴かないからどうしているのかと思っていたら、東京外大で2022年12月に上映されたインド北東部からデリーへの移民をテーマにした映画『アクニ デリーの香るアパート』の音楽担当としてその名前を見つけてびっくりしたのだった。
それに続いて、今度はこのドキュメンタリー映画で名前を見かけたのでまた驚いたというわけだ。
完全に映画音楽に移ってしまったのではなく、まだまだインディーミュージシャンとしても活動しているようで、1ヶ月ほど前には、ちょっとジプシーとかミュゼットみたいなスタイルで、同郷の伝説的ロックバンドMohineer GhoraguliのカバーをYouTubeにアップしていた。
西ベンガル出身のミュージシャンは、言語や地域的な問題からか、なかなか全インド的な人気を得ることが難しいようだが、彼は硬派な映画音楽にも活動範囲を広げながらしぶとく活動を続けているようだ。
また映画のエンドロールで彼の名前を見ることがあるかもしれない。
いろいろととりとめなく書いてしまったけど、『燃えあがる女性記者たち』、心のどこかに火がつく素晴らしい映画なので、ぜひたくさんの人に見てもらいたい。
上映は9/16から!
https://www.npr.org/sections/goatsandsoda/2022/03/26/1088862907/writing-with-fire-is-up-for-an-oscar-but-its-subjects-say-theyre-misrepresented
https://scroll.in/reel/1020016/khabar-lahariya-says-oscar-nominated-documentary-misrepresents-its-journalistic-work
https://thewire.in/film/writing-with-fire-savarna-caste-khabar-lahariya
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