2022年02月06日
現代インドで80年代UKロックを鳴らす男 Dohnraj
前回、インドのシューゲイズ・アーティスト特集という誰に向けているのか分からない記事を書いてしまったのだが(なぜか反響が大きかった)、今回もまた、時空が歪んでしまったかのようなアーティストを紹介したい。
今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
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今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
"Gimme Some Money! & Don't Ask for Anything in Return"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
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goshimasayama18 at 20:39│Comments(0)│インドのロック