2022年01月27日
インディアン・ナード・カルチャーを考えてみる
少し前に読んだ「ブラック・ナード・カルチャー:それは現実逃避(escape)ではない」という記事がめっぽう面白かったので、インドにおけるナード・カルチャー(nerd culture≒オタク文化)について考えてみた。
詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
--------------------------------------
詳細は(本当に面白いので)各自読んでもらうとして、この「ブラック・ナード論」を自分なりの観点で要約すると、「マジョリティである白人からも、黒人コミュニティの内部からも、マッチョあるいはセクシーな存在であることを強いられていた黒人にとって、ナード(≒オタク)であることは、逃避的な性格を持つものではなく、むしろクリエイティブな姿勢である」ということになる。
記事では、ブラック・ナード・カルチャーの代表者として、ドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)、タイラー・ザ・クリエイター、フランク・オーシャンらを挙げている。(記事にも触れられているが、最近では女性ラッパーのミーガン・ジー・スタリオンもアニメ好きで有名だ)
20年前だったら、ナードな黒人セレブリティーがここまで大勢活躍している状況はまったく想像できなかった。
確かにナード・カルチャーは、アメリカの黒人文化を変えつつあるのだろう。
さて、それではいつもこのブログで紹介しているインドの音楽シーンの場合はどうだろう。
インドのインディーミュージックシーンにも「オタク趣味」を持つアーティストは多い。
例えば、デリーを中心に活動するマスロック/プログレッシヴ・メタルバンドのKrakenは、曲名やビジュアルイメージにも日本の要素を取り入れており、さらにインタビューでは驚くほど日本文化(音楽・映画)に詳しい一面を見せてくれた。
同じくデリーのエレクトロニカ・アーティストのTarana Marwahは、宮崎アニメなどの日本の作品からの影響を公言しており、日本語のKomorebiというアーティスト名で活動している。
ベンガルールのラッパーHanumankindは、最近はシリアス路線に転向しているものの、かつてはゲームやアニメなどのオタクカルチャーをテーマにしたラップを数多く発表していた。
そこまで前面にナード的なルーツを出していないアーティストでも、例えばプネーのドリームポップバンドEasy Wanderlingsは、宮崎駿や久石譲のファンだと語っており、ミュージックビデオにさりげなくトトロのぬいぐるみを登場させている。
日本文化からの影響という意味で言えば、「インドで日本語で歌うインド人シンガー」Drish Tはその究極系とも言える存在だろう。
ムンバイを拠点にインドをマーケットとして活動しながら、彼女は行ったことがない日本のコンビニをイメージした曲を日本語でリリースしている。
ムンバイで活躍する日本人シンガーHiroko Sarahと共演しているラッパーのIbexやKushmirも、インタビューで日本のカルチャーに親しんできたことを語っている。
インドでも、ナード/オタク的カルチャーをインスピレーションの源として、オリジナルな表現に昇華しているアーティストがたくさんいることに間違いはなさそうだ。
その背景を考える前提としてまず理解しなければならないのは、インド社会では、インディーミュージシャンがマッチョさやセクシーさを求められる風潮は、おそらくそこまで強くはないということだ。(一部ヒップホップ勢を除く)
欧米社会では「労働者階級の音楽」「被抑圧者の音楽」であるロックやヒップホップは、インドにおいては、むしろ「欧米の先進国からやってきたハイカルチャー的な音楽」だ。
アニメやゲーム、あるいはマーベルやDCのようなアメリカのコミックを原作とした作品のようなナード/オタクカルチャーも、外来の(ときにクールな)文化という意味では同様である。
インドのインディーミュージシャンは、こうした外来文化に敏感な、インテリ的なアッパーミドル層が中心であり(一部ヒップホップ勢を除く)、その点でアメリカのストリート発祥のブラック・カルチャーとは分けて考えるべきだろう。(もちろんアメリカの黒人アーティストにも富裕層出身者やインテリは多いが…)
じゃあ、インドのナード・カルチャーは、ただの金持ちのオタク趣味なのか。
というと、そうとも言い切れない部分があるはずだ。
インドの大都市に暮らす進歩的な人々が、日本人の平均よりもはるかに欧米的な感覚を持っていることは間違いないが、それでもインド社会の保守性はまだまだ根強い。
親世代と若者の価値観のギャップはインドの映画や文学の永遠のテーマだし、インディー音楽シーンでも、社会の保守性の生きづらさや世代間のすれ違いを扱った曲は多い。
(前回の記事↓で紹介した1位、2位の曲とかね)
ほかにも過剰な格差社会、競争社会であるとか、政治や行政の腐敗や機能不全、コミュニティの対立など、インド社会にはさまざまな問題が山積している。
そうした社会に疲れた若者たちにとって、物語の中に憂き世とはまったく別の小宇宙を見せてくれるオタク/ナードカルチャーは、ある種の避難所的な役割を果たしているのも確かだろう。
それを言ったら、オタク/ナードカルチャーの元になった作品を生み出した日本やアメリカだって、それぞれ固有の社会問題には事欠かないわけで、結局のところ、どこの文化でもオタク/ナード的な異世界が人々を惹きつけることに変わりはないのだけど。
いずれにしても、インド+ナードの組み合わせが、なんだか面白いものを生み出しているってことは間違いない。
例えばこのインドのアニメファンによるYouTubeチャンネル'Anime Mirchi'の強烈な二次創作は、他の国ではありえないオリジナルっぷりを見せてくれている。
「ガンジャ(大麻)がキマってるみたいなアニメのシーンのコンピレーション」とか、「もしアニメがボリウッドで作られていたら」とか、アニメとインドのインディーミュージックの融合とか、我々の想像を超えたセンスを見せつけてくれる。
例えば、その豪腕を評価されながらもヒンドゥー・ナショナリズム的な姿勢を非難されてもいるモディ首相をネタにしたエヴァンゲリオンのオープニングのパロディなんて、批判的風刺なのだろうけどもう訳がわからない。
とにかく言えるのは、このブログでは「インド+欧米由来のコンテンポラリー音楽」の面白さを追求しているけれど、「インド+オタク/ナードカルチャー」もものすごく面白いってこと。
この混沌のなかから、世界をあっと言わせるようなものすごい作品が生まれてくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり