K-pop meets 'I-Pop'! インドと韓国のコラボレーションは新しい扉を開くのか?バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その2)

2021年06月13日

バングラー・ギャングスタ・ヒップホップの現在形 Sidhu Moose Wala(その1)



これまでも何度か書いてきた通り、インドの「ヒップホップ」には大きく分けて2つの成り立ちがある。


インドにおけるヒップホップ第一波は、1990年代に欧米(おもにイギリス)経由で流入してきた「バングラー・ビート」だった。
このムーブメントの主役は、インド系移民、そのなかでもとくに、シク教徒などのパンジャーブ人(パンジャービー)たちだ。
彼らは、もともとパンジャーブ(インド北西部からパキスタン東部にわたる地域)の民謡/ダンス音楽だった「バングラー」をヒップホップやクラブミュージックと融合させ、「バングラー・ビート」 という独自の音楽を作り上げた。
バングラー・ビートはインド国内に逆輸入され、またたく間に大人気となった。

(そのあたりの詳細は、この記事から続く全3回のシリーズで)

インドだけではない。
この時代、バングラーは世界を席巻していた。
2003年には、Jay-ZがリミックスしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"(Beware of the Boys)が、UKのR&Bチャートで1位、USのダンスチャートで3位になるという快挙を達成する。
世界的に見れば、バングラーはこの時代に一瞬だけ注目を浴びた「一発屋ジャンル」ということになるだろう。

だが、インド国内ではその後もモダン・バングラーの勢いは止まらなかった。
パンジャーブ系のメンバーを中心にデリーで結成されたMafia Mundeer (インドの音楽シーンを牽引するYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaarなどが在籍していたユニット)らが人気を博し、バングラー・ラップは今日に至るまで人気ジャンルであり続けている。
こうした「バングラー系ヒップホップ」に「物言い」をつけるとしたら、「ヒップホップと言われているけど、音楽的には全然ヒップホップじゃない」ということ、そして「コマーシャルな音楽で、ストリートの精神がない」ということになるだろう。 

「音楽的には全然ヒップホップでない」とは、どういうことか。
これは説明するよりも、聴いてもらったほうが早いだろう。
例えば、さきほど話題に出たPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"はこんな感じ。


バングラー・ビートは、間違いなくヒップホップの影響を受けたジャンルであり、それまでにインドに存在していたどんなジャンルよりもヒップホップ的ではあるが、お聴きいただいて分かる通り、決して「ヒップホップ」ではない。
(正確に言うと、Panjabi MCはこれよりも早い時期にはよりヒップホップ的なサウンドを志していたが、ある時期からよりバングラ―的なスタイルへと大きく舵を切った。また、同じ時期にイギリスで活躍していたRDBのように、よりヒップホップに近い音楽性のグループも存在している。)

その後もバングラー系「ヒップホップ」は独自の進化を遂げるが、音楽的にはむしろEDMやラテン的なリズムに接近しており、やはりヒップホップと呼んでいいものかどうか、微妙な状態が続いている。(最近になってRaftaarやBadshahがヒップホップ回帰的な音楽性を打ち出しているのは面白い現象)
例えば、インド国内のバングラー・ラップの代表格、Yo Yo Honey Singhが昨年リリースした"Loka"はこんな感じである。

この曲をヒップホップとカテゴライズするのは無理があると思うかもしれないが、インド人に「インドのヒップホップに興味がある」と言ったら「Honey Singhとか?」と聞かれたことが実際にある。
インドでは、彼の音楽はヒップホップの範疇に入っていると考えて間違いないだろう。

もうひとつの批判である「バングラーは売れ線の音楽で、ストリートの精神がない」とはどういうことか。
1990年代〜2000年頃、まだインターネットが一般的ではなく、海外が今よりはるかに遠かった時代に、バングラー・ビートは、映画音楽などの商業音楽のプロデューサーたちによってインドに導入された。
つまり、インドでは、バングラー・ラップは日本で言うところの「歌謡曲」的なメインカルチャーの一部であり、ストリートから自発的に発生したムーブメントではなかったのだ。
インドでは、こうしてコマーシャルな形で入ってきたバングラー・ラップが、ヒップホップとして受け入れられていた。 
だが、インドにもヒップホップ・グローバリゼーションの波がやってくる。


2010年代の中頃にインドに登場したのが「ガリー・ラップ」だ。
彼らは、インターネットの発展によって出会った本場アメリカのヒップホップの影響を直接的に受けていることを特徴としている。
(狭義の「ガリー・ラップ」とは、映画『ガリーボーイ』のモデルになったNaezyやDIVINEなどムンバイのストリート・ラッパーたちによるムーブメントを指すが、ここでは便宜的に2010年代以降の、おもにUSのヒップホップに影響を受けたインド国内のヒップホップ・ムーブメント全体を表す言葉として使う)
ガリー・ラッパーたちは、アメリカのラッパーたちが、貧困や差別、格差や不正義といったインドとも共通するテーマを表現していることに刺激を受け、自分たちの言葉でラップを始めた。

彼らの多くが、それまでインドにほとんど存在しなかった英語ラップ的なフロウでラップし、これまでのバングラー・ヒップホップとは一線を画す音楽性を提示した。
また、(ボリウッド・ダンス的でない)ブレイクダンスや、グラフィティ、ヒューマン・ビートボックスといったヒップホップ・カルチャー全般も、スラムを含めた都市部のストリートで人気を集めるようになった。

ミュージックビデオの世界観も含めて、ガリーラップの象徴的な楽曲を挙げるとしたら、(たびたび紹介しているが)DIVINEの"Yeh Mera Bombay"、そしてDIVINEとNaezyが共演した"Mere Gully Mein"となるだろう。

映画『ガリーボーイ』でも使われたこの曲のビートは、USのヒップホップとはまた異なる感触だが、この時代のガリーラップに特有のものだ。

商業主義的かつリアルさに欠けたバングラー系のヒップホップは、ガリー系ラッパーにとっては「フェイク」だった。
映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公が盗んだ車の中で流れたパンジャービー系の「ヒップホップ」に嫌悪を表すシーンには、こういう背景がある。
日本のストリート系ヒップホップの黎明期に、ハードコア寄りの姿勢を示していたラッパーが、一様に'J-Rap'としてカテゴライズされていたJ-Pop寄りのラッパーを叩いていた現象に近いとも言えるかもしれない。

さらに長くなるが、音楽性ではなく、スタイルというかアティテュードの話をするとまた面白い。

ガリー・ラップがヒップホップの社会的かつコンシャスな部分を踏襲しているとすれば、バングラー系ラップはヒップホップのパーティー的・ギャングスタ的な側面を踏襲していると言える。

二重にステレオタイプ的な表現をすることを許してもらえるならば、パンジャービー系ラッパーたちの価値観というのは、ヒップホップの露悪的な部分と親和性が高い。
すなわち、「金、オンナ、車(とくにランボルギーニが最高)、力、パーティー、バイオレンス」みたいな要素が、バングラー・ラップのミュージックビデオでは称揚されているのだ。

こうしたマチズモ的な価値観は、おそらく、ヒップホップの影響だけではなく、パンジャービー文化にもともと内包されていたものでもあるのだろう。
(念のためことわっておくと、パンジャーブ系ラッパーの多くが信仰しているシク教では、男女平等が教義とされており、「ギャングスタ」的な傾向は、宗教的な理由にもとづくものではない。また、ミュージックビデオなどで表される暴力性や物質主義的な要素を快く思わないパンジャービーたちも大勢いることは言うまでもない。ちなみに最近では、DIVINEやEmiway Bantaiといったガリー出身のラッパーたちも、スーパーカーや南国のリゾートが出てくる「成功者」のイメージのミュージックビデオを作るようになってきている)


まだ主役のSidhu Moose Walaが出てきていませんが、長くなりそうなので、2回に分けます!
(続き)


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goshimasayama18 at 23:20│Comments(0)インドのヒップホップ 

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