2020年08月14日
『カセットテープ・ダイアリーズ』(原題"Blinded by The Light")は今見るべき作品
グリンダ・チャーダ(Gurinder Chadha)監督、ヴィヴェイク・カルラ(Viveik Kalra)主演の映画、『カセットテープ・ダイアリーズ(原題"Blinded by The Light")』を見に行った。(以下、人名・役名の表記は劇中とパンフレットのものを使う)
この映画は、1980年代のイギリス、ルートンの街を舞台に、パキスタン系移民2世の若者ジャベド(Javed)が、郊外の労働者階級の疎外感、親子の対立、移民への差別などに向き合いながら、ブルース・スプリングスティーンの音楽との出会いにより大きく成長してゆく姿を描いたもの。
英ガーディアン紙のジャーナリスト、サルフラズ・マンスール(Sarfraz Manzoor)の自伝がもとになっており、昨年のサンダンス映画祭で絶賛された作品という触れ込みだ。
7月3日の公開からすでに1ヶ月以上が経ち、映画の内容も、こう言ってはなんだがあまり日本で受けそうなものではないため、案の定というか劇場はかなり空いていた。
7月3日の公開からすでに1ヶ月以上が経ち、映画の内容も、こう言ってはなんだがあまり日本で受けそうなものではないため、案の定というか劇場はかなり空いていた。
コロナウイルスが気になる人も是非見に行ってみてはいかがでしょう。
原題の"Blinded By The Light"はスプリングスティーンのファースト・アルバムの1曲目のタイトル。
不思議な邦題は、ジャベドが10歳からずっと日記に詩を書いていたということと、大学で出会った同郷の友人(インドとパキスタンにまたがるパンジャーブにルーツを持つシク教徒)ループスに借りたカセットテープでスプリングスティーンを知ったということから付けられたものだろう。
劇中にはスプリングスティーン以外にも当時の音楽がふんだんに登場するから、「カセットテープ」という言葉にノスタルジーを感じる80年代の洋楽ファンが見れば、ファッションなども含めてかなり楽しめるはずだ。
とはいっても、これは単なる懐古趣味の作品ではない。
劇中にはスプリングスティーン以外にも当時の音楽がふんだんに登場するから、「カセットテープ」という言葉にノスタルジーを感じる80年代の洋楽ファンが見れば、ファッションなども含めてかなり楽しめるはずだ。
とはいっても、これは単なる懐古趣味の作品ではない。
この映画が扱っているテーマは、極めて現代的かつ普遍的で、娯楽作品としてもよくできているので、スプリングスティーンにもイギリスの南アジア系移民にも80年代カルチャーにも興味がない人でも、全く問題なく楽しめる。
私もスプリングスティーンの音楽は代表曲くらいしか知らなかったのだが、この映画を通して、彼が一貫して労働者階級や焦燥感を抱える郊外の人間を代表してきたということがよく理解できた(映画で見た限りの印象なので、違ったらごめんなさい)。
映画前半のテーマは、郊外の保守的な社会に生まれた主人公の焦燥感だ。
この「保守的」にはふたつの意味がある。
私もスプリングスティーンの音楽は代表曲くらいしか知らなかったのだが、この映画を通して、彼が一貫して労働者階級や焦燥感を抱える郊外の人間を代表してきたということがよく理解できた(映画で見た限りの印象なので、違ったらごめんなさい)。
映画前半のテーマは、郊外の保守的な社会に生まれた主人公の焦燥感だ。
この「保守的」にはふたつの意味がある。
ひとつめはパキスタンからの移民であるジャベドの父親が、家父長制度に基づいた伝統的な価値観を強く持っており、自由に夢を見ることすらできないということ(つまり、移民家庭のなかの保守性)。
そしてふたつめは、彼らの周辺に、移民排斥の動きが描かれているということだ(英国社会の保守性)。
後者については、サッチャー首相の新自由主義政策によって階級間の分断が強まり、労働者層の不満が移民たちに向けられたことが背景となっている。
面白みのない郊外の街で、将来に希望を持てずに暮らす無力感や焦燥感が強く描かれるこの映画の前半を見ながら、最近読んだこの記事のことがずっと頭に浮かんでいた。
この文章は長崎県の高校生の山辺鈴さんが書いたもの。
(この記事には出てこないが、彼女はインドのマハーラーシュトラ州のナーシクという中規模都市に1年間留学しており、その間にスラムの子ども達が主役になるファッションショーを企画・実行するなど、とても意欲的な活動をしている。なんて書くと、冷笑的に「意識高い系」と呼ばれるような人をイメージするかもしれないが、身の回りから世界まで、ここまで相対化して考えられる/書ける人は世代を問わず本当に希有だと思う。ぜひ読んでみてください。)
主人公は、この記事にあるような「見えない分断」の疎外された側にいる。
何が言いたいのかというと、この映画のテーマは、場所も時代も問わず、とても普遍的なものだということだ。
面白みのない郊外の街で、将来に希望を持てずに暮らす無力感や焦燥感が強く描かれるこの映画の前半を見ながら、最近読んだこの記事のことがずっと頭に浮かんでいた。
この文章は長崎県の高校生の山辺鈴さんが書いたもの。
(この記事には出てこないが、彼女はインドのマハーラーシュトラ州のナーシクという中規模都市に1年間留学しており、その間にスラムの子ども達が主役になるファッションショーを企画・実行するなど、とても意欲的な活動をしている。なんて書くと、冷笑的に「意識高い系」と呼ばれるような人をイメージするかもしれないが、身の回りから世界まで、ここまで相対化して考えられる/書ける人は世代を問わず本当に希有だと思う。ぜひ読んでみてください。)
主人公は、この記事にあるような「見えない分断」の疎外された側にいる。
何が言いたいのかというと、この映画のテーマは、場所も時代も問わず、とても普遍的なものだということだ。
現代イギリスのブレグジットと関連付けて見ることもできる作品だが、都市と地方の格差、疎外される移民たち、新自由主義的な価値観のもとで暴力的に右傾化する社会など、今日の日本とも共通したテーマが描かれている。
考えてみれば、「80年代イギリスのパキスタン系移民が、当時ですらすでに時代遅れだったブルース・スプリングスティーンの音楽で自己を確立する」という、あまりにも特殊なストーリーが高く評価されているという時点で、そこに普遍的な意味が無いわけがないのだ。
考えてみれば、「80年代イギリスのパキスタン系移民が、当時ですらすでに時代遅れだったブルース・スプリングスティーンの音楽で自己を確立する」という、あまりにも特殊なストーリーが高く評価されているという時点で、そこに普遍的な意味が無いわけがないのだ。
ところで、ルートンという街は、長崎のような首都から遠く離れた土地だと思って見ていたのだが、実際はロンドンから50kmほどの「郊外」だという。
個人的な話になるが、これは自分が生まれた千葉の街と同じような首都との距離感で、都会ではないが田舎というほどでもない、これといった希望も刺激もないがm若者はとりあえず薄っぺらい流行を追っている、みたいな雰囲気は、そういえば思い当たるところがかなりあった。
後半は、古い価値観に生きる父親と、自分の夢に生きたいジャベドの確執と断絶という、インド映画の定番とも言えるテーマに焦点が当てられる。
この映画はイギリスで制作されたものだが、原作、監督はいずれも南アジア系だ。
このテーマは海外の南アジア系コミュニティーでも同様に大きな意味を持っているのだ。(グリンダ・チャーダ監督による『ベッカムに恋して(原題"Bend It Like Beckham")』でも同じテーマが扱われていた)
この映画にツッコミを入れるとしたら、恋愛、差別、夢、親子の確執などのあらゆる課題が全てスプリングスティーンで解決されてしまうということ。
いくらなんでもそれは無茶な話だと思ったが、原作者のマンズールはスプリングスティーンの熱狂的なファンで、実際に150回もライブを見に行って「最前列で盛り上がっている南アジア系のファン」として本人にも認識されるほどだというから、これは事実に基づいた描写なのだろう。
ちなみにチャーダ監督もディランやスプリングスティーンのファンだという。
イギリスやアメリカの音楽が南アジアの若者たちの希望になるというストーリーは、最近では映画『ガリーボーイ』でも描かれていたし、古くは60年代のインドの一部の若者たちにも起きていたことだ。
それだけ普遍的なテーマであり、またポピュラーミュージックの本質的な部分を描いているということなのだろう。
イギリスやアメリカの音楽が南アジアの若者たちの希望になるというストーリーは、最近では映画『ガリーボーイ』でも描かれていたし、古くは60年代のインドの一部の若者たちにも起きていたことだ。
それだけ普遍的なテーマであり、またポピュラーミュージックの本質的な部分を描いているということなのだろう。
音楽に励まされるというテーマの南アジア系作品では、インド東部とバングラデシュにまたがるベンガル地方の大詩人タゴールが約100年前に作った歌を扱ったドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』も記憶に新しい。
『カセットテープ・ダイアリーズ』は、南アジアカルチャー好きとしての見どころも盛り沢山だ。
主人公の友人ループスが、黒いターバンの下から柄付きの赤いバンダナ風の下地をチラ見せしている80年代風UKシク教徒ファッションも素敵だし、とあるシーンで描かれる黎明期のバングラー・ビート/エイジアン・アンダーグラウンドのクラブイベント(夜出掛けられない保守的な南アジア系の若者たちのために、昼間に行われている!)の様子も興味深い。
この記事(↑)で取り上げたさらに以前にあたる、80年代のUKエイジアン・カルチャーの様子はかなり新鮮だった。
クラブイベントのシーンで流れるこの曲は、まさに映画の舞台となった88年のヒット曲らしい。
イギリスに渡った南アジア系移民たちが、自身のルーツを大切にしつつも、欧米の音楽を導入した新しいサウンドを作り出し、やがてそれが本国インドにも還元されていったというのは、いつもこのブログで書いている通りだ。
インド映画へのオマージュのようなミュージカル・シーンもさまざまな場面で楽しめる(もちろんスプリングスティーンの曲で踊る)。
音楽の面では、スプリングスティーンをはじめとする80年代の曲が主役ともいえる映画だが、それ以外のオリジナル・スコアを手掛けているのはあのA.R.ラフマーン。
とはいえ、今回は主役をスプリングスティーンに譲り、裏方的な役割に徹している。
個人的には、成功を求めて祖国を捨てて渡英したものの、差別や偏見を恐れて、伝統を守りつつも目立たないように生きる父親の姿に、謎のインド人占い師ヨギ・シンのコミュニティー(かなり早い時期にイギリスに渡った保守的なシク教徒のグループ)を思い出した。
ちなみにグリンダ・チャーダ監督も、ケニア出身のシク教徒なので、この記事(↑)のなかにある「南アジアからアフリカに渡り、さらにそこからイギリスに渡った移民」にあたる(かつてイギリス領だったアフリカ諸国には、労働者として多くの南アジア出身者が渡航していた)。
と、かなり微妙な時期ではありますが映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を紹介させていただきました。
さっきも書いたけど、映画館はかなり空いているはずなので、興味のある人は往復の感染対策を万全にしたうえで、見に行くべし。
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とはいえ、今回は主役をスプリングスティーンに譲り、裏方的な役割に徹している。
個人的には、成功を求めて祖国を捨てて渡英したものの、差別や偏見を恐れて、伝統を守りつつも目立たないように生きる父親の姿に、謎のインド人占い師ヨギ・シンのコミュニティー(かなり早い時期にイギリスに渡った保守的なシク教徒のグループ)を思い出した。
ちなみにグリンダ・チャーダ監督も、ケニア出身のシク教徒なので、この記事(↑)のなかにある「南アジアからアフリカに渡り、さらにそこからイギリスに渡った移民」にあたる(かつてイギリス領だったアフリカ諸国には、労働者として多くの南アジア出身者が渡航していた)。
と、かなり微妙な時期ではありますが映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を紹介させていただきました。
さっきも書いたけど、映画館はかなり空いているはずなので、興味のある人は往復の感染対策を万全にしたうえで、見に行くべし。
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goshimasayama18 at 13:58│Comments(0)│インド映画