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2020年04月15日

コルカタのドリームフォークバンド Whale In The Pondが紡ぐ美しき終末の叙事詩


ここのところ、コルカタやベンガルのミュージシャンを立て続けに紹介してきたので、そろそろ別の地方のミュージシャンを取り上げようと思っていたのだけど、またまたコルカタ出身の素晴らしいバンドを見つけてしまった。
インドの音楽シーンをチェックしていて、一年に一組出会えるかどうかの「本物」に出会ってしまったのだ。
あらかじめ断っておくが、まだまだ発展途上のインドのインディー音楽シーンにも、センスの良いアーティストはそこそこいる。
ただ、欧米の模倣や類型的なミュージシャンも多く、彼らがその音を鳴らすべき必然性と、個性的で独自の世界観を兼ね備えたアーティストとなると、本当に数少ないのが現状なのだ。
そうした魅力をあわせ持ったアーティストを紹介できる喜びは、何にも増して大きい。

さっそく紹介しよう。
彼らの名前はWhale In The Pond.
とある音楽メディアで「ドリーム・フォーク」紹介されていた彼らの音楽を聴いて以来、すっかり夢中になってしまっている。

まずは、2017年にリリースされた彼らのデビューEP"Marbles"から、"Autumun Winds"をお聴きいただこう。

「アコースティック版Pink Floyd」とでも呼べるような深みのあるサウンドとハーモニーは、まさにドリーム・フォークの名にふさわしい。

これだけでも非凡な才能をうかがわせるに十分だが、つい先日彼らがリリースしたセカンドアルバム"Dofon"は、これに輪をかけてすばらしかった。
彼らの新作は、前作のようなメロウなフォークサウンドだけでなく、地元の伝統音楽やラテンのリズムまで取り入れた、よりアコースティックかつ多様性にあふれた素晴らしいコンセプト・アルバムなのだ。

アルバムの冒頭を飾る"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、地元の音楽を導入した、どこか別の世界からやってきたような不思議な魅力を持った一曲だ。


インドの古典音楽として有名な北インドのヒンドゥスターニーや南インドのカルナーティックと比べるとぐっと素朴な印象のあるベンガル地方の伝統音楽に、これまた素朴な欧米風のアコースティックなフォークロックを融合したサウンドは、とても個性的であるだけでなく、この上なく美しく、やさしい。

やわらかい音作りが印象的なこのアルバムだが、アルバムタイトルの"Dofon"は、じつはベンガル語で「埋葬」という意味だそうで、このアルバムにはこんな不吉な言葉も添えられている。

'You'd be forgiven for mistaking this sunset as a thing of beauty; It's anything but. Our kind doesn't really deserve an ending like this, not after all we've done. Two suns will rage together in the evening sky, one brighter than the other: the light dispersing through the scattered clouds into a sinister maloon. You couldn't pick a more beautiful day for harbinger of the apocalypse.'

意味が取りにくい文章だが、強いて訳せばこんな趣旨になるだろうか。
「あなたがこの落日を単に美しいものだと誤解したとしてもしかたない。だが、これはそのようなものでは全くないのだ。夕暮れの空に、二つの太陽が猛り狂い、片方はより明るく輝く。その光は雲を散らし、不気味な色を放つ。黙示録の前兆として、こんなに美しい日はどこにもないのだ」

破滅的な響きをもつこれらの言葉は、いったい何を意味するのだろうか。
そして、彼らのユニークで心地よいサウンドはいったいどこから生まれてきたのか。
数々の疑問について、さっそく彼らにインタビューを申し込んで聞いてみた。


−いつ頃バンドを結成したんですか?全員コルカタ出身なのでしょうか?

「Sourjyoはアッサム州のSilcharという街の出身なんだ。彼は2013年にコルカタのJadavpur Universityに英文学を学びにやってきて、そこでShireenと出会った。二人は大学でいくつかの曲を共作して、そこから一緒に演奏するというアイデアが浮かんだんだ。それから、Sofar Kolkataでの最初のライヴのあとにDeepが加わった。1年後にファーストアルバムを出した後にSagnikが仲間に加わったんだ。
だから、Sourjyo以外はコルカタ出身だよ」

彼らから送られてきた資料によると、Whale In The Pondのメンバーは以下の4名。

Sourjyo Sinha: メインヴォーカル、ギター、作詞、作曲
Shireen Ghosh: プロダクション、ミキシング、バッキングヴォーカル、フルート、メロディカ
Sagnik Samaddar: キーボード、マンドリン、バッキングヴォーカル
Deep Phoenix: ギター、ベース、パーカッション、マンドリン、バッキングヴォーカル

メインヴォーカルとソングライターを務めるSourjyoを中心に、多彩なアコースティック楽器を演奏するマルチプレイヤーたちが集まったバンドのようだ。

−なるほど、だから"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"はSilcharで起きたことが歌われているんですね。この曲はベンガル語?それともシレット語(シレット語〔Sylheti〕は、 Sourjyoの故郷Silcharを含むインド北東部、バングラデシュ北部で話されているベンガル語の方言)ですか?

「うん。その通り。これはシレット語だよ。"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"と"Dofon"はシレット語で歌われている」

"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"のYouTube動画に添えられていた文章によると、この曲は、かつてSilcharでシレット語を話す人々の権利が蔑ろにされていたこと、命がけの抗議運動の甲斐あってやがてアッサムでもベンガル語(シレット語はベンガル語の一方言)が公用語に認められたこと、その後この地に広軌の鉄道が引かれ人々が歓迎したこと、その鉄道を引いた政府は他の人々に対して抑圧的な傾向があったが、Silcharの人々は自分たちが弾圧されるわけではないので気にかけなかったことなどが、皮肉を込めて歌われている。

−基本的にアコースティック楽器で演奏するというのがこのバンドのコンセプトなのでしょうか?ドリーム・フォークと呼ばれることもあるみたいだけど、自分たちの音楽をどんなふうにカテゴライズしますか?

「ドリームフォークって言葉は、僕らが思いついたんだ。最初のアルバムはドリームポップ的な美しさをアコースティック楽器で表現したものだったからね。ただ、さまざまなジャンルを試しているから、僕らの音楽をカテゴライズするのは難しいな。'インディーフォーク'で十分だと思うけど。
うん、僕たちはライブではアコースティック楽器をプレイしている。でも僕らが音楽を作るときは、どんなことでもやってみるよ。サウンドに関しては主にShileenが指揮しているんだ。自分たちの可能性を限定したりはしないよ」

−どんなふうに曲を作っているんですか?特定のメンバーが書いているのか、それとも共作しているんですか?

「Sourjyoが曲を書いて、基本的な構成を考えている。残りのメンバーは、それをリアレンジしたり、さらに別の要素を付け加えたりしているんだ。今ではもっと共作っぽくなっているよ。新作ではバンドメンバー全員がプレイしながら作ったからね」

ニューアルバムのタイトルトラック"Dofon"は7分を超える大曲で、メンバー全員が作曲に関わっているそうだ。

−なるほど、だからニューアルバムはさらに多彩な内容になっているんですね。ところで、このアルバムは「この世の終わり」をテーマにしたものだそうですね。このコンセプトについて、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

「ずいぶん長い話になるから、アルバムのビジュアルに取り掛かる前に書き留めた'Dofon'の基本的なコンセプトを送るよ。ビジュアルも合わせて送るね」

事前に読んでいたTelegraph Indiaによるインタビューで、Sourjyoは「"Dofon"は世界の終末をリアルに表現したコンセプトアルバム」と語っていた。
そのコンセプトについて彼らから送られてきた資料は、なんと12ページにも及ぶ詳細なもので、そこには「滅亡の叙事詩」とでも呼べるような、驚くべき内容が書かれていた。
あわせて送られてきた歌詞を読む限り、歌われている内容はむしろ抽象的であり、様々な解釈の余地を残している。
ところが、その背景にはかなり精緻かつ具体的な「破局の物語」が込められているのである。
もし、彼らの音楽を「やさしく、美しいもの」にとどめておきたい人は、このあとに続く文章を読まない方がいいかもしれない。


このアルバムの中の6曲は、すべて一つの大きな物語として繋がっており、端的に言うと、核によるホロコーストによって引き起こされる人類全体の終焉を描いているのだ。
「核による世界の終末」というコンセプトは、東西冷戦終結以降、あまり見なくなったものだが、隣国パキスタンと核保有国同士での緊張状態にあるインドでは、今なお核戦争が最もリアルな「破滅への道」なのだろう。
以下、それぞれの楽曲の趣旨を簡単に紹介する。

2曲めの"The Night's End"と1曲めの"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、対になっている曲だという。
"The Night's End"は、戦いが続く荒れ果てた土地で、シェルターを求めて逃げている母親が幼い子どものために歌っている歌である。
母親は死にゆく運命に絶望しながらも、「遠くないうちに夜が明ける」と歌い聞かせているのだ。
"Aaij Bhagle..."は、前述のように、もともとはSilcharでの出来事をテーマにした歌だったが、このアルバムの中では、戦争を起こした最高指導者に追従し、自分のまわり生活だけを考えて暮らしている人々を表現したものになっている。
つまり、この2曲は、同じ状況を二つの異なる側面から描いたものというわけだ。

5拍子のリズムにフルートの音色が美しい"Where Is Your Heart"は、"Aaij Bhagle..."の続編とも言える楽曲だ。
国を率いる最高指導者は、裕福で特権階級の影響力のある人々のことしか気にかけていなかった。
そして、そこではあなた自身も、多かれ少なかれ、富と権力を追求して生きている。
やがて人々はそのことに気がつくのだが、もはや未来を変えるには遅過ぎた…というのがこの曲の内容だ。


"Kite/Loon"は「絶望のバラード」。
この世界に間もなく終末が訪れることを受け入れ、途方に暮れつつも、空想にふけったり、違うことを考えたり、愛する人とともに過ごしている人々について歌われている。

アルバムの最後の2曲、"Nova"と"Dofon"も、同じテーマ、すなわち、核爆弾が落とされ人類が破滅する瞬間を、2つの側面から描いたものだという。
ラストを飾る"Dofon"の内容は、破滅の瞬間が近づいたとき、特権を持たない平民がシェルターを見つけ、「入れてくれ」とドアを叩くが、誰もその扉を開ける者はおらず、彼はその目で核爆弾が落とされるのを見届ける…というもの。

ラストから2曲目の"Nova"では、視点がシェルターの中に移る。
これは特権階級の人々の、この世の終わりのパーティーソングだ。
もしかしたら生き残れるかもしれないという希望を抱いている彼らもまた、滅亡することになる。
外側からドアを叩く音は、音楽のビートにまぎれて聞こえない。
助けを求める声もまた、音楽にかき消されて誰にも届かない。
ついに爆弾が落ちるのを見たとき、その声は激しい叫びへと変わってゆくが、誰もその叫びを聞く者はいない…。

初めて彼らの音楽を聴いた時、優しさの中にも文学的な深みを感じさせる音像にPink Floydを想起したのだが、このアルバムは、まさに70年代のプログレッシブ・ロックを思わせる詩的かつ壮大なコンセプト・アルバムだったのだ。
この"Dofon"を、まるでデビルマンのような、全く救いようのない「破滅と終末の叙事詩」と呼んでも差し支えないだろう。

Dofon

夕日の前で踊る男を描いたこの印象的なビジュアルは、ベーシストのSagnikの家に飾られていた60年前の絵がもとになっているという。
もともとは月夜の海辺で踊る男を描いていたこの絵は、恍惚の表情を浮かべ、踊りながら海に入り溺死してゆく男の狂気を描いたものだったそうで、彼らが考えていた作品のイメージにぴったりだったことから、背景にアレンジを加えてこのアルバムのカバーに採用されたそうだ。
インタビューに戻ろう。

−思ったよりもずっとディープな内容なんですね…。でも、世界中が厳しい現状にある今、Whale In The Pondの音楽は、ポジティブなだけのポップミュージックよりも、ずっと心を慰めてくれるような気がします。
ところで、かなり色々な音楽の影響を感じさせるサウンドですが、どんな人たちの影響を受けているか教えてもらえますか?

「かなりたくさんのアーティストやサウンドに影響を受けているよ。僕らはみんな好みが違うんだ。"Aaij Bhagle..."と"Dofon"は明確に地元の民謡の影響を受けているし、西洋音楽の影響も入っている。"Where Is Your Heart"はフラメンコから、"Nova"はボサノヴァとEDMの要素がある。
もしアーティストの名前を挙げるんだとしたら…時間がかかるな(笑)。とにかくたくさんのスタイルやサウンドを借りてきているから、僕らの好きな音楽やアーティストを寄せ集めたみたいな感じだよ」

−なるほど。では、好きなアーティストの名前を挙げるとしたら?

「The Beatles, Radiohead, Gorillas, Queen, Tame Impala, 少し名前を挙げるとしたらそんなところだね」

1960年代のビートルズから2010年代のTame Impalaまで、それぞれまったく異なる音楽性のバンドの名前が挙がったが、そのなかに彼らのようなフォークサウンドを特徴とするバンドはひとつも含まれていないというのが面白い。

−ところで、地元の民謡(フォークミュージック)から影響を受けているというお話が興味深かったのですが、それはベンガルの民謡ですか?それともシレットの民謡?

「ベンガル民謡も、シレット民謡も、アッサム民謡もだよ。そういった音楽が、僕らがいたところにはどこにでもあって、聴きながら育ったんだ。ひとつ例を挙げるとしたら'Ganja Khaiya Moghno Hoiya Nase Bhulanath'かな。誰が書いた曲かは知らないし、YouTubeにもいい音源が上がっていないんだけど。もしSilcharに来たなら、どこでも流れている曲だよ。日常文化の一部って感じさ」

いいバージョンが無いということなので、あえてリンクは貼らないが、'Ganja〜'という曲名からも分かる通り、どうやら大麻に関連した内容らしく、こうしたテーマゆえか、DJミックス(かなり民謡っぽいものだが)もたくさん作られている曲のようだ。

−すごく興味深いですね。日本では、これからタゴールに関するドキュメンタリー映画が公開されるところで、ベンガル文化への注目が少しずつ高まってきています。タゴールの詩やバウル・ソングのようなベンガルの文化からの影響はありますか?

「"Dofon"はバウルからいくらか影響を受けているのは確かだね。この曲ではPratul Mukherjeeの影響も受けている。でもラビンドラナート(タゴール)の影響は無いなあ。この街や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

Pratul Mukherjee(Mukhopadhyayとも)は1942年生まれの詩人であり、また同時に歌手でもソングライターでもある人物で、ベンガルで親しまれている大衆歌を多く作った人物だ。
彼がベンガルの文壇(あるいは音楽界)でどのような存在なのかは分からないが、詩人であり、ソングライターでもある(そして自分でも歌う)というマルチな才人ぶりは、タゴールやバウルたちとも重なるところがある。
自分の作った詩にメロディーをつけて歌にするというのは、ベンガルの伝統とも言えるものなのだろうか。
インドのロックバンドの中では極めて詩的な世界観を持つWhale In The Pondは、こうしたベンガルの歌びとたちの系譜の最先端にいると言ってもいいのかもしれない。
ちなみに"Dofon"は、彼の"Dinga Bhashao"という詩曲の影響を受けているそうだ。

−それでは最後の質問。コルカタのミュージックシーンはどんな感じですか?Parekh & Singhや、かつてのHighみたいに、コルカタには素晴らしいバンドがいますよね。地元のバンドでお気に入りはいますか?

「コルカタの音楽シーンはまた盛り上がってきているところだよ。唯一の問題は、インドの音楽シーンはデリーとボンベイに支配されてしまっているってことだね。だからなかなか僕らの言葉を広めることができないんだ。
僕らが気に入っている地元のアーティストの中では、Rivuは素晴らしいプロデューサー/ギタリストだよ。じつのところ、彼の新作"Incident 2019"は"Dofon"と同じような世界観のアルバムなんだ。僕らもちょっと意識したよ。
Paroma & Adilも素晴らしいアーティストだ。
いろんなバンドに参加しているDolinmanは、もともとFiddler's Green(ドイツのアイリッシュパンクバンドではなく、コルカタのフォーク・ジャムバンド)のメンバーで、"Dofon"でマンドリンを演奏して魔法のようなタッチを加えてくれた。
もちろん、Parekh & Singhも素晴らしいね」

インドの音楽シーンはデリーとムンバイに支配されてしまっている、というのは常々私も感じていることだ。
インドの大手音楽系メディアはこの2都市に拠点を置いているところがほとんどで、彼らのように優れたバンドであっても、東部のベンガル語圏や南部で活動しているアーティストは、なかなか紹介される機会に恵まれないのが現状なのだ。
そうした状況のなかで、コルカタのアーティストたちは、商業性やトレンドの追求ではなく、文学的とも言える独自の表現を研ぎ澄ませてゆく傾向があるような印象を受ける。

彼らがイチオシだというRivuは、彼らとはうって変わってエレキギター主体のインストゥルメンタル。
だが、インストにも関わらず、グレタ・トゥンベリのスピーチを導入するなどして、巧みに世界観を表現している。


Paloma and Adilはトリップホップ的なサウンドのアーティストだ。
このディープなサウンドと雰囲気に、この街の他のアーティストとも共通したものを感じてしまうのは偶然ではないだろう。


Fiddler's Greenは、地元のフォークミュージックにカントリーなどの要素を加えたアコースティックなジャムバンドだ。

軽快でここちよいサウンドの素晴らしいフュージョン・フォークバンドである。

コルカタはインドのなかでも、個性的で独自の世界観を持ったアーティストを多く輩出している街なのだ。

今回紹介したWhale In The Pondの"Dofon"は、絶望的なテーマを扱ったアルバムであるが、コロナウイルスの蔓延に世界中がおののいている今だからこそ、聴かれるべき作品であるようにも感じる。
彼らのあたたかいサウンドは、希望のない世界を描きながらも、不思議と癒やしを与えてくれるように思うのだ。
また、彼らはこのアルバムの物語を演劇にすることも計画しているという。
これもまた、いかにもベンガルらしい文化的かつ芸術的な表現へのアプローチだと言えるだろう。

それにしても、イギリス統治時代の中心地であり、そして独自の詩と音楽の文化を持ったベンガルのシーンの奥深さは計り知れない。
まだまだ紹介すべきアーティストが出てきそうだが、ひとまず今回はこのへんで!


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