またインドのアーティストが知らないうちに来日していた!女性ドリーミー・ポップデュオ Gouri and Aksha知られざる魔術大国インド ヨギ・シンの秘術にせまる(その1)

2019年12月16日

ゴアに帰って来たSunburn Festivalと「悪魔の音楽」批判


以前、インド西岸の街ゴアが、西洋人ヒッピーたちの楽園となり、90年代にはゴアトランス発祥の地となったのち、いまではインド人による音楽フェスティバルの一大拠点になるに至った経緯を書いた。

かつての記事はこちらから:




1960年代以降、欧米社会をドロップアウトしたヒッピーと呼ばれる若者たちは、こぞってゴアを目指した。
物価が安く温暖で、かつてポルトガル領だったことから欧米人ツーリストが過ごしやすい文化を持つゴアは、自由とドラッグと音楽を愛するヒッピーたちの理想郷だった。
1990年代に入ると、彼らがビーチサイドで行うパーティーのための音楽として、サイケデリックなテクノに民族音楽を融合した「ゴアトランス」が生まれた。
そのパーティーを目指して集まる者たちは、ヒッピーではなくレイヴァーと自称するようになった。


2000年代以降、無秩序なパーティーに対する規制が強化されるようになると、レイヴァーたちはこの街を去っていった。
そこにやってきたのが経済発展著しいインドの若者たちだ。
レイヴァーの文化的遺産であるパーティー文化はインドの若者たちに引き継がれ、ゴアはインド人たちがもっともクールな音楽フェスを楽しむリゾート地へと変貌した。

その象徴が、2007年に始まったSunburn Festivalだ。
インド人によるEDM/テクノ/ハウス系フェスのさきがけであるSunburn Festivalは、第1回の開催で5,000人の観客を集めると、回を追うごとに動員数を増やし、今では35万人が集う、アジア最大の、そして世界で3番目の規模のEDM系フェスティバルとなった。
世界で3番目ということは、フロリダのUltra Festival、ベルギーのTomorrowlandに次ぐ規模ということだから、その人気ぶりが分かるだろう。

Sunburn Festivalは、2016年以降は、のどかな港町のゴアからマハーラーシュトラ州の学園都市プネーに開催地を移して行われていたが、今年は久しぶりにゴアに戻って来て開催されることとなった。
2月にはSunburn Klassiqueと称して、このフェスティバルがインドの野外パーティーカルチャーの故郷であるゴアへ帰還したことを祝うイベントが行われた。

海外からは、インド系アメリカ人のEDMプロデューサーとして世界的な人気を誇るKSHMR, ベルリンの覆面ハウスDJとして知られるClaptoneらの世界的なアーティストが出演。
インドからも、国内テクノシーンの第一人者であるArjun Vagale、1990年代から活動するインド系クラブミュージックのMidival Punditzなどがラインナップに名を連ねた。

そして、年末の12月27〜29日には、いよいよ本番のSunburn Festival Goa 2019が行われる。
出演者として、マイアミ出身のハウス/テクノDJであるMaceo Plex, ベルギーのハウスDJ/プロデューサーのLost Frequencies、サマソニへの出演も記憶に新しいThe Chainsmokersらの豪華なアーティストたちがラインナップされている。


旅行やビジネスでインドを訪れただけの人には想像しづらいかもしれないが、この映像を見れば、インドにも欧米と同じようなパーティーカルチャーが確実に根付いていることが分かるだろう(とはいえ、こうしたイベントに集う若者たちは、12億人を超えるインドの人口のごく一部でしかないのだが)。
ところが、ゴアに里帰りを果たすSunburn Festivalに対して、宗教的な側面から、かなりトンデモな言いがかりがつけられているのだ。
インド大手紙Times Of Indiaの12月8日付の記事によると、保守的なヒンドゥーの政治家から、フェスの中止を求める声が上がっているという。


トランスミュージックは悪魔の音楽、取り締まるべき:ゴアの前大臣

ゴア最大のEDMフェスティバルが数週間後に迫っている。Siolim地区の立法議会議員で前大臣のVinod Paliencarは、「トランスミュージックはヒンドゥー神話の『乳海攪拌』のときに、悪魔が神々に対して演奏していた音楽である」と主張した。
この立法議会議員は、4ヶ月前までBJP(訳注:インド人民党。ヒンドゥー至上主義的傾向が強いとされる中央政府の現政権与党)内閣の水産大臣を務めており、「ウパニシャッド(ヒンドゥー神話)によると、トランスミュージックがプレイされるときは、常に悪が善を打ち破ることになる」と述べて、トランスパーティーの取り締まりをしようとしていた。
Paliencarの選挙区には、ゴアのナイトライフとゴアトランスで有名なアンジュナとバガトール(訳注:ビーチの名前。前述のレイヴパーティーの動画や今年のSunburnの会場がバガトールであり、アンジュナにはヒッピー向けの宿や店が多い) が含まれている。
(筆者訳、後略) 
若者が熱狂する音楽を「悪魔の音楽」と呼ぶという、1950年代のロックンロールの時代から繰り返された、ずいぶんと古典的な言いがかりである。
「乳海攪拌」とは、ヒンドゥー教における天地創造神話の一部だ。
神と悪魔が激しい戦いの末に、アムリタという霊薬を得るために、ミルクでできた海を攪拌すると、そこから天地のあらゆる存在が湧き出でたきた、という壮大な物語で、インドのみならず東南アジアにも広く伝わっている。
まさかそんな神話が、現代のクラブミュージックに対する批判に使われるとは思わなかった。
さすがにこれはゴアの人口の66%を占めるヒンドゥー教徒の、とりわけ保守的な層に向けた人気取りのための発言だと思うが、もしかしたらこの政治家自身も本気でこのトンデモな理論を信じているのかもしれないと思わせるところが、インドの面白いところでもあり、恐ろしいところでもある。

そもそも、今回のSunburnは決してトランスに特化したイベントではない。
メインはEDMやテクノ/ハウス系の音楽で、いわゆるトランス系のアーティストはSpace CatやLaughing Buddhaなどごく一部だ。
おそらく彼は狭義のトランスというジャンルを批判しているのではなく、クラブミュージック全般を指してトランスと呼んでいるものと思われるが、それはそれでいかにもゴアらしい誤解と言えるだろう。

いずれにしても、以前の記事でも紹介したように、ヒッピー/レイヴァーたちやパーティーカルチャーは、必ずしもゴアの地元民からは歓迎されていなかった。
外国から来た無法者たちによる治安の悪化やドラッグの蔓延は(彼ら自身は「自由を愛する」というつもりだったとしても)、穏やかな暮らしを愛する地元の人々にとっては、むしろ忌むべきものだったのだ。
ポルトガル領時代から暮らすカトリックの住民にとっては、インド併合後のヒッピーやヒンドゥー教徒の流入は歓迎せざるものであり、ポルトガル時代のほうが良かったという声も多いと聞く。
以前の記事では、カトリック系住民からのヒッピー批判をお伝えしたが、今回は、ゴアでも圧倒的多数派となったヒンドゥーの側からの、同様の批判というわけである。
よそ者たちの乱痴気騒ぎを歓迎しないという点では同意見だとしても、あまりにもヒンドゥー・ナショナリズム的なその主張は、異なる信仰を持つ住民たちにはどのように響いているのか、少し気になるところではある。

このVinod Palincarという政治家は、すでに開催が承認されているSunburn Festivalの中止を要求するとともに、「若者たちを守るためには、悪魔の音楽ではなく神々の音楽こそ演奏されるべきだ」とも述べている。
10万人規模のビッグイベントを本気で潰そうとしているのか、それとも人気取りのためのハッタリなのかは不明だが、彼の発言が、あまりにも多くの宗教や主義、価値観が混在する現代インドを象徴したものであることは確かである。


最後に、Sunburn Festival Goa2019にも出演するムンバイ出身のトランスDJ/プロデューサーのDesigner Hippiesを紹介して今回の記事を終わりにしたい。
Designer HippiesはRomeoとDeepesh Sharmaの兄弟によるデュオで、結成は1999年。20年にもわたるキャリアを誇る。
この時期に活動を開始しているということは、おそらくは海外の先進的なカルチャーに触れることのできる富裕層の出身だったのだろう。
20世紀末〜'00年代初頭といえば、イギリスではインド系移民たちによる伝統音楽とクラブミュージックを融合させたエイジアン・アンダーグラウンド・ムーブメント(例えばTalvin Singh, Karsh Kaleら)が勃興し、またインドでもそれに呼応するようにMidival Punditzらが注目され始めた時代。
Designer Hippiesは、彼らのスタイルがいわゆる「インドらしさ」に欠けるものだったからか、こうしたムーブメントに乗ることなく、世界中でコアなファンを持つトランス・シーンを舞台に地道な活動を続けてきた。
彼らは2007年の第1回Sunburn Festivalにも出演しており、他にもオーストラリア、タイ、イスラエル、イビサ、ブラジル、南アフリカ、韓国、日本などでのプレイを経験している。


サウンドは紛うことなきゴア・サウンド直系のサイケデリック・トランス。
彼もまた、ゴアでヒッピー/レイヴァーたちが撒いた種から育ったアーティストの一人と言えるだろう。
今回のSunburn Goaは、このフェスだけではなく、彼らにとってもゴアへの里帰りなのだ。
トランス系のアーティストたちは、このDesigner Hippiesの名が冠されたステージに出演することになっているようで、ヘッドライナーはイスラエルの大御所トランスアーティストであるSpace Catが務めるそうだ。

それにしても、いよいよ目前に迫ったSunburn Goaは、はたして無事に開催されるのだろうか。
ゴアのパーティーカルチャーは、ひとつの文化としてポジティブな側面もあるものだと信じたいし、なんとかして伝統文化や地域文化との共存ができると良いのだが…。





(余談というか追記。本文から削った部分なのですが、一応載っけておきます)

Sunburn Festivalは以前もヒンドゥー至上主義者たちの脅迫を受けている。
こうしたダンス系のフェスティバルはなにかと宗教的保守層からの批判の的になりがちだ。
この手のフェスの主な客層は、近年のインドの著しい経済成長(それは富の偏在や貧富の差を助長するものであったが)の結果として誕生した、外国文化を取り入れることに積極的な新しい富裕層の若者たちである。
インドに急速に流入している新しい消費文化、物質文化は、敬虔で保守的な価値観を重視する人たちの批判の対象となっているのだ。

一方で、レイヴ/パーティーカルチャーは、単なる消費文化ではなく、欧米社会の中ではむしろ過度な物質主義への対抗文化として発展してきた一面もある。
野外で夜通しリズミカルな音楽を聴きながら、自然と生命を祝福するということは、おそらくは歴史が始まる前から行われていたであろう、人間の根源的な営みとも言える。
実際彼らは、ヒンドゥー教のみならず、南米の先住民文化のイメージなども積極的に作品に取り入れていた。
トランスミュージックの野外パーティーは、現代社会のなかに突如として現れた、プリミティブな祝祭の場だったのだ。

過度な物質主義からの脱却を目指したかつての欧米の若者たちと、急速な経済成長の発展にともない、新しい娯楽を見つけることに貪欲なインドの若者たち。
トランスミュージックは、ちょうどその二つが交わる位置に存在している。
レイヴ/パーティーカルチャーの本質とは、プリミティヴィスムと消費文化の奇妙な融合であったということもできるかもしれない。
 

その後、自由の名のもとに行われていた無秩序なパーティーは、ドラッグの蔓延や風紀の紊乱を理由に世界中で取り締まりが強化され、運営のしっかりした大規模な商業レイヴ(Sunburnのような)以外は開催できなくなってゆく。
インドの政治の世界では、BJPの躍進にともないヒンドゥー・ナショナリズムが力を増し、欧米の文化やイスラームに対する批判の声が大きくなってゆく。
今回のトンデモなSunburn Festival批判も、こうした大きな流れの中に位置付けることができるのだが、それはまた、別のお話。
どんどん話がややこしくなり、とても手に負えないのでこのへんでやめておく。


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