2023年11月

2023年11月28日

二人目のヨギ・シンとの対話


(前回の記事)



ターバン姿の初老のヨギ・シンからの「You have a lucky face.」というお決まりの問いかけに、私はとぼけてこう尋ねた。

「何のことを言っているんだ?」

「あなたの額から良いオーラが出ている」

予想通りの答えだ。
私は「意味が分からないがあなたの話を聞くつもりはある」という表情を作って足を止めた。
彼にとって望ましい、ごく自然なリアクションだろう。

「自分はメディテーションをやっているのでそれが分かった。来年良いことがある。あなたにとって『良い花』をひとつ挙げてほしい」

小さな紙を出す前に質問してくるのが意外だったが、私はプラディープに聞かれたとき同様に「チェリーブロッサム」と答えることにした。
ところで、この問いに対する最も多い答えは「ローズ」だそうで、もしそう答えたら何か別の展開があったのだろうか。
(この謎はそう遠くないうちに明らかになるのだが、このときはまだそれを知らない)

ターバンの男は、プラディープのように「あなたの心を読んでみせよう」とは言わず、無言で手帳を取り出した。
そこにはおなじみの5センチ四方くらいの白い紙がたくさん挟まれている。
そのうちの一枚を丸めて私に握らせると、例によって脈絡のない質問を投げかけてきた。

「1から9で好きな数字は?」

「8」

「名前は?」

本名を答える。もちろんアルファベットの綴りも伝えなければならなかった。

「年齢は?」

「45歳」

「子どもは何人いる?」

「2人」

「望みは?」

「健康」


彼は手帳を下敷きがわりに、手元の紙に私の答えを書き込んでいるようだ。
この間、最初に渡された紙はずっと私が握ったままだ。

この後の展開は分かっている。
隙をついて私が握っている紙をすり替えるつもりなのだろう。
それなら、意表をついてこの紙をすぐに開いてやろうかと手を広げた瞬間、彼は、
「紙を握った手を額に押し当てて、その手に息を吹きかけろ」と言いながら、私の手にある紙をつまんで私に見せた。
やられた!
ほんの一瞬だったが、彼が「この紙をそうするんだ」と言わんばかりにごく自然に紙をつまんだときに、手の中にあったもう一枚の紙とすり替えたのだ。

言われた通りにまた紙を握り額にあて、息を吹きかけると、彼はようやくそれを開くように言った。

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「好きな数字は8、あなたの名前はこれ、年齢は43歳、好きな花はチェリーブロッサム、子どもは2人、望みはグッドヘルス。あなたの答えが全てここに書かれているだろう」

思った通りのトリックだ。
急いだせいか、彼の手元の紙の文字は乱れており、自分で書いた5を3と読み間違えて「43歳」と言ってしまっている。
それにプラディープのときと同様に最後の「健康(good health)」は判読できない。
あえて指摘はしなかったが、この男の「占い」はちょっと雑だなと思った。

「二人の子ども」を示すところにC-2とあるのは、Childrenの略と思われる。
わざわざCと書いた理由は、この数字が何を意味しているのか自分で忘れないようにするためだろう。

「答え合わせ」が終わると、彼は再び手帳を開いた。
ここまでの手順は、先月会ったプラディープとほとんど同じだが、次に彼が見せたのは、オレンジの装束に長髪を垂らしたグルの写真ではなく、シルディ・サイババの肖像画だった。
1838年に現在のマハーラーシュトラ州のシルディという街に生まれたこの「初代」サイババは、今でも精神的指導者としてインドじゅうで崇拝されている。

ShirdiSaiBaba
(この画像は彼が見せたものと全く同じではないが、このようなシルディ・サイババの肖像画は、今でもインドでたくさん売られている)

サイババといえば、1990年代に一世を風靡したアフロヘアーの男が有名だが、あの「プッタパルティのサイババ」は、このシルディ・サイババの生まれ変わりを自称していた人物である。
20世紀初めに亡くなった人物を「師匠」として挙げるのは日本人の感覚からすると違和感があると思うが、インドの感覚ではそんなに不思議なことではない。
(ちなみに文脈から「師匠」という日本語をあてているが、彼もプラディープ同様にteacherという単語を使っていた)

男は次に、早口の英語でごく短い祈りの言葉のようなものを唱えた。
内容は忘れてしまったが、私の名前と、グッドヘルスという言葉、あと家族がどうとか言っていたように思う。

さっきの肖像画に対して「シルディ・サイババだね」と伝えたが、彼は「そうだ」と生返事をして、手帳から10才くらいの子どもたちが並んだ写真を取り出して見せた。
日本でシルディ・サイババを知っていて反応する人は珍しいだろうから「知っているのか?」とか「君も彼を信じているのか?」とか聞いてくれても良さそうな気がするが、余計なことを言わないのは段取り通りに早く進めたいからだろう。
子どもたちの写真はプラディープが見せたものとは別のもので、子どもたちが並んだ後ろには'○○ foundation'と何かの団体名が書かれているのが見える。

「これは私の寺だ。父母のいない子どもたちを助けるためにお金をくれないか」

予想通りの言葉だ。
私が1,000円札を差し出すと、彼はそれを手帳に挟んでしまい込んだ。
その時、彼の手帳に英語のフレーズと日本語の対訳が書かれた紙が挟まれているのがちらっと見えた。
どうやら自己紹介のときに見せて使うためのものらしい。
日本語が達者な協力者がいるのだろうか。

1,000円しか渡さなかった私に対して、彼は「子どもが二人いるなら、二人分で2枚の紙幣を出してくれ」と要求してきた。
たった2,000円しか要求しないとは、ずいぶんと謙虚なヨギ・シンである。
手練のヨギ・シンなら、間違いなく「1,000円なんて馬鹿にするな。最低でも10,000円だ。他の人は貧乏人でも10,000円は払ってくれているぞ」とか言うところだ。
彼にはインド人特有の押しの強さがなく、「2枚くらい貰えないかな」と言うのをはっきりと断ると、思いのほかあっさりと引き下がってくれた。
しつこくないのはありがたいのだが、率直に言って、今回の彼からはあまりやる気が感じられない。
占いも祈りも雑だったし、がめつくもない。
彼はヨギ・シン界の窓際族なのだろうか?
ともあれ、ここからは私が質問する番だ。

「インドには何度も行ったことがある。あなたはパンジャーブから来たのか?」

「そうだ。インドのどこに行った?」

「デリー、アーグラー、ヴァーラーナシー、ムンバイ、他にも色々あるけど、残念ながらパンジャーブには行ったことがない。あなたはパンジャーブのどこから来たの?」

「アムリトサル」

「シク教の聖地だね。あなたの寺の名前は?」

「ゴールデン・テンプルだ。そこではたくさんの料理を調理して、みんなに振る舞っている。今度インドに来るときは、ぜひ私の寺にも来てほしい。」

ゴールデン・テンプルとは大きく出たものだ。
黄金寺院はシク教の最大の聖地である。
グルドワラと呼ばれるシク教寺院では、参拝者に料理をふるまい、一同に会して食事する儀礼的習慣がある。
これは異なるカースト間で食事をともにしないヒンドゥー教徒に対して、シク教が平等を重んじることを意味していて、黄金寺院では毎日10万食ものカレーが調理されているという。

「知ってる。映画で見たよ(『聖者たちの食卓』)」
と答えると、彼は「あ、そう」とあまり興味のなさそうな反応を返してきた。
最初に会ったときのプラディープもこんな感じだったが、彼らの間では、「会話に夢中になって自制心を失うな」というような教えがあるのだろうか。
そういえばプラディープも「次にインドに来る時は自分の寺に来てほしい」と言っていた。
これはどうせ来ないと見越して、自分の発言に真実味を持たせるためのレトリックなのだろう。
人は信心深い人を信用しやすい。
私が調べた限りでは、黄金寺院には児童養護施設のような場所は併設されていないようだった。

「グルドワラ(シク教寺院)は礼拝に来た人に料理をふるまうんでしょう。東京にもグルドワラがあるんだよ」

「本当か? どこにあるんだ?」

「茗荷谷っていうところ」

茗荷谷という街の名前は日本語になじみのない彼には難しかったらしく、何度か確認されたがうまく伝わらなかったので「『東京 グルドワラ』で検索したら出てくるよ」と教えた。
彼らは東京で暮らす同じコミュニティの仲間と繋がっているのではないかと考えていたのだが、このリアクションを見る限り、都内の敬虔なシク教徒と強い繋がりがあるわけではなさそうだ。

「じつは先月もあなたのような占い師にこのあたりで会ったんだ」

ポーカーフェイスを貫いていた彼の顔に、少し驚きの色が現れたように見えた。

「この人なんだけど、知ってる?名前はプラディープ」

スマホの写真を覗き込み、「知らない」と答えた彼の反応は、嘘をついているようには見えなかった。
彼とプラディープは、別々のグループのヨギ・シンなのか。


「あなたみたいな占い師が世界中にたくさん出没しているらしいけど、みんな同じコミュニティなの?」

「コミュニティじゃない。ネイションだ」

「ネイション?同じ地域から来たということ?」

「そうではない。私たちはネイションなんだ」

「それはジャーティー(同じ職能の一族や集団。いわゆるカースト。シク教では表向き、カーストによる序列は否定されている)ということ?」

「ジャーティーではない。私たちはネイション。私はメディテーション・スチューデントだ」

彼が繰り返す「ネイション」という言葉の意味がいまひとつつかみきれないが、シク教の同じ信仰を持つ仲間という意味だろうか。
中年から初老の域に差し掛かっている彼は、studentという言葉のイメージからは程遠く、これは「修行者」程度の意味なのだろう。

「シク教徒の全員がこういう占いをするわけではないでしょう?」

「全員ではない」

「こういう占いができる人は世界中に何人くらいいるのか?」

「世界中に200人から300人くらいいる。たくさんの寺があるから正確な数は分からないが、それくらいだろう」

プラディープも言っていたように、彼らは「寺」に所属しているという建前になっているらしい。
判で押したような同じ「占い」の技術を全員が持っているということは、寺かどうかは別にして、体系化された技術を教えるシステムがあるのは事実なのだろう。

「はっきり言うと、あなたがさっき紙をすり替えるのを見た。先月会った男も同じことをやっていた。これはマジックの一種でしょう」

「違う。これはメディテーションだ」

プラディープ同様、彼は自分の行う術をマジックと呼ばれることを否定し、占い(フォーチュンテリング)とも言わずに、メディテーションと定義しているらしい。
日本人が考える瞑想とはずいぶんイメージが違うが、ここにもなにかこだわりがあるようだ。

「ヨギ・トリック(例によってこれは仮名だが、実際には本当の名称を言っている)というマジックの技を知っているか?」

私がこう聞いた時、彼はあからさまに不快そうな顔をして、「知らない」と回答した。

「ヨギ・トリックはあなたのような占い師が使うトリックで、19世紀にイギリスで書かれたマジックの本にも書かれていると聞いている。どっちにしろ私は気にしないが、本当に知らないのか?」

「何も知らない」

彼の反応を見る限り、やはりトリックに関する話題には答えないようだ。
すこし聞き方を変えてみる。

「あなた方はどれくらい前から存在しているんだ? つまり、19世紀から同じようなことをしているのか?」

「19世紀なんかじゃない。200年前からだ」

こう答えたときの彼は、これまでの感情が読めない話し方とは異なり、誇らしげな様子に見えた。
インチキとはいえ、やはり自分たちの伝統にはプライドがあるのだろうか。
今から200年前でも19世紀じゃないか、と思ったが、それは言わなかった。

「それじゃあ。良い1日を」

話を切り上げて立ち去ろうとするのを引き止めて「まだ聞きたいことがある」と言うと、彼は少し迷惑そうな表情を見せたが、一応、質問に答えてはくれるようだった。

「このあとどこに行くつもり?」

「マロチ」

「丸の内のこと?」

「そうだ。マルノウチ」

並んで歩きながら、歩きながら、質問を続ける。

「今どこに滞在しているの?」

「カロヤシ」(そう言っているように聞こえた)

何度か聞いたが、彼は日本語の地名を覚えるのが苦手らしく、結局どこのことか分からなかった。
東京駅から45分くらいかかる場所とのことである。

「あなたのような占い師は東京に来ると必ずこのエリア(丸の内・大手町)に来るけど、どうして?」

「英語を話せる人が多いからだ。東京は英語が話せる人が10%くらいしかいない。どこに行ったらもっと英語が話せる人がいるんだ?」

「それなら六本木に行ってみたらいいと思う。外国人ツーリストとか英語を話せる人もたくさんいるし、リッチな人も多い街だから」

彼は六本木という地名も覚えることができず、彼が差し出した紙にローマ字で綴りを書いて、そこにサブウェイの日比谷ラインと大江戸ラインで行けると付け加えた。
まさか自分がヨギ・シンの商売道具の「小さな紙」に何か書くことになるとは思わなかった。
だが、この後彼が六本木に出没したと言う情報はない。
よく分からない日本人のアドバイスよりも、彼らのコミュニティで伝わっている「占いするなら丸の内」というルールのほうが信用に値すると思っているのだろう。

「東京にはどれくらい滞在しているの?」

「3週間。1週間前に着いて、あと2週間いる」

「日本のあとはどこか別の国に行くのか? 他に国にも行ったことがある?」

「インドに帰る。他にはドイツと香港に行ったことがある」

世界中を旅して占いをしているヨギ・シンにもかかわらず、彼の年齢で日本以外2カ国しか行ったことがないというのは、ちょっと少ない気がする。
21歳のプラディープですら、すでに台湾とスイスとドイツとフランスに行ったと話していた。
このターバンの男は、たまにしか占いをやらないパートタイム・ヨギ・シンなのかもしれない。

「この後また別の人に声をかけるのか?」

「メディテーションでオーラを見て、幸運な人に声をかけているんだ」

一応返事はしてくれているが、彼の態度からは、はやく話を切り上げたいという気持ちがありありと伝わってきた。
こうなったら会話が途切れないように手当たり次第に質問をしてやろう。

「あなたは何歳?」

「59歳」

「東京だとこの占いで1日にいくらくらい稼げるの?」

「稼いでいるのではない。寺のためにお金を集めているんだ」

「ソーリー。で、いくらくらいのお金が集められるの」

「5,000円から8,000円くらいだ」

これは思ったより少ない。
1日5時間から8時間占いをやるとして、1時間に1人、1,000円払ってくれる人にようやく出会えるかどうかという計算だ。
東京に現れたヨギ・シンが「poor 10,000 middle 20,000 rich 30,000」と書いた紙を見せこともあるようだが、やはりそんなに払う人は滅多にいないのだ。
往復の航空運賃と滞在費を考えたら赤字だろう。

「あなた方の占いを詐欺だと呼ぶ人もいる。それについてはどう思う?」

この質問には、彼はあからさまに不快そうな表情を見せ、「これはメディテーションだ」と繰り返した。

彼らが使うメディテーションという言葉には、「タネも仕掛けもない」といった気持ちが込められているようだ。

「もしトリックがあったとしても、私は気にしない。あなた方の伝統をリスペクトしている」

と言うと、彼はほっとしたような表情を見せた。
そうこうしているうちに、気がつけば東京駅のすぐ近くまで来ていた。

前回書いた通り、私はこの日は仕事帰りで疲れていて、こんなに簡単にヨギ・シンに会えると思わなかったので、質問もほとんど用意していなかった。
今にして思えば、もっと聞きたいことはたくさんあったのだが、彼の「あまり深入りしてくれるな」と言う態度もあり、私はこのへんで会話を終えることにした。

ヨギ・シンは駅前の雑踏に姿を消し、私は東京駅に向かい、大急ぎでいまのやりとりの一部始終をメモした。
二人目のヨギ・シンとの遭遇はこうして終わった。

その後について少し触れておく。
2019年に遭遇したヨギ・シンは、こちらから話しかけて正体を探ろうとしたら態度を硬化させて、その後二度と現れなくなってしまったが、このターバンの男は、その後も大手町〜丸の内〜日比谷エリアで占いを続けているようである。
その後もXでは目撃情報が寄せられている。

彼が言ったことが本当ならば、12月初め頃まで東京にいるはずだ。

そういえば、彼にWhatsappの番号を聞こうとしたら「やってない」と断られてしまったのだが、後日彼に遭遇したという人の話では、別れ際に「何かあったら連絡してくれ」とWhatsappの番号を渡されたという。
よほど私と関わり合いたくなかったのだろう。
怪しい占い師に怪しいやつだと思われた私の立場がないが、改めて読み返してみたら、そう思いたくなる気持ちも分かる。
ちょっとぐいぐい行きすぎたのかもしれない。

(続く)




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goshimasayama18 at 23:03|PermalinkComments(2)ヨギ・シン | インタビュー

2023年11月24日

新たなるヨギ・シンの襲来!


(これまでのヨギ・シンに関する記事)



一応書いておくと、この「アッチャー・インディア」は、本来インドのインディー音楽を紹介するブログである。
ここ1ヶ月以上、謎のインド人占い師のことばかり書いているが、こうしている間にもインド本国では紹介すべき新曲やアルバムがどんどんリリースされていて、ネタが大量に溜まってきている。
12月には今年1年のシーンを振り返る記事も書きたい。

「謎のインド人占い師、ヨギ・シン」は生涯をかけて付き合っていきたいテーマだが、自分はもともと音楽について書きたい人間なのだ。
プラディープも帰国したし、また本腰を入れて音楽の記事を書こう。

そう思った私のもとに、あろうことか、また新たなヨギ・シンが出没したという情報が寄せられた。
ブログへのコメントを転載すると、こんな感じである。

先程会いました
2023/10/27 20:26
丸の内スタバ前!
お話をして、赤い木の実をもらいました。調べたところ菩提樹の実のようです。
特徴を検索したらここに至りました。ありがとうございます。
お布施もしましたが、よい時間でした。ナマステ
2023/11/13 19:41
今日の午後2時ごろに神田小川町交差点付近で声を掛けてきたおじさんが「ラッキーな顔だ。オーラが出ている」と近づいてきました。無視しましたが、これだったのですね。

Xにもこんな目撃情報が投稿されているのを見つけてしまった。





目撃した何人かとやりとりをしたところ、今度のヨギ・シンはターバンを巻いた中年男性であるという。
あきらかにプラディープとは別の人物だ。
これまでヨギ・シンの出没情報は神田や大手町ばかりだったが、今度は神田方面にも出没しているらしい。
徒歩圏内とはいえ、どうやら活動範囲を北に拡大しているようだ。


本来であれば、新しいヨギ・シンの出現は、その謎を追求している自分にとって願ってもいないチャンスのはずである。
彼らと実際に遭遇し、話をすることができる機会は滅多に得られないからだ。

とはいうものの、正直に言って、私は相手のペースに合わせて動かなきゃならないヨギ・シンの捜索に、ちょっと疲れてきていた。
いい加減そろそろ音楽について書きたいし、東京に来てくれるのはありがたいんだけど、できたら半年後くらいにしてもらえないかな。


ヨギ・シンに対して、こんなふうに思う日が来るなんて思ってもいなかった。
恋と同じで、相手のことをよく分からないまま追いかけているときが、いちばん楽しかったのかもしれない。
かつてのヨギ・シンはツチノコやネッシー級のミステリアスな存在だったが、今ではもう地域猫くらいの扱いである。
どこらへんに行けば会えるかだいたい分かっているけど、会えないときもある。
エサ(金)を渡せば一応相手はしてくれるが、完全に懐いて信頼してくれる訳ではない(エサ=金を渡し続ければ別かもしれないが)、という感じだ。

実際、しばらく新しい地域猫、じゃなかったヨギ・シンを放置していたのだが、SNSやブログへの情報は途絶えず、どうやらいっこうにインドに帰る気配がないようなので、11月18日の土曜日、休日出勤の仕事を終えた私は、若干めんどくさいなと思いながらも東京駅へと足を向けた。
別に行かなくても良いのだが、気にならないといえば嘘になる。
こんな気持ちは初恋以来かもしれない。


丸の内改札を出て、プラディープと遭遇したレンガ駅舎前の広場を見渡したが、それらしき姿はない。
これまでになかった神田方面への出没情報が気になるので、ひとまず丸の内から大手町を経由して、神田まで歩きながら捜索してみることにした。

この日はやたらと風が強く、薄手のコートではかなり肌寒かった。
こんなに風が強かったら、ヨギ・シンの商売道具の小さな紙はすぐ飛ばされてしまうだろう。
それにこの寒さは、歩いている人々の足を止めて屋外で占いをするには決してよい天気とはいえない。
時刻は16時半過ぎ。
彼はもういないんじゃないだろうか。
仕事で疲れていた私は、神田駅まで歩いてさっさと帰ろうと思いながら、ひとまず出没情報のあった将門の首塚に向かうことにした。

土曜日の大手町は人通りも落ち着いていた。
天気はともかく、ヨギ・シンのタネも仕掛けもある占いをするには、人の多い丸の内よりもやりやすそうではある。
将門塚の清掃員がヨギ・シンを目撃しているようだから、話を聞いてみようか。
でも土曜のこの時間じゃ、いないだろうな。
そんなことを考えながら、紀伊国屋書店と読売新聞本社の交差点を左に曲がり、高層ビルの合間にそこだけぽっかりと空いた将門塚のほうを見ると、所在無げに立っているジャンパー姿の男がいた。
清掃員か警備員かなと思ってよく見てみると、なんと男は臙脂色ターバンを巻いている!
ターバン姿の男は、中年から初老といった年齢で、白髪混じりの長い髭を蓄えた、どう見てもかなりヨギ・シンっぽい風貌である。

まさかの、いきなりの遭遇。
私は将門塚の道を隔てた向かい側で、さっきまで面倒臭いと思っていたのも忘れて、高鳴る鼓動を抑えつつ、気づかれないように男を目で追った。
そのターバン男は、人気のない将門塚から西側に歩くと、赤信号の横断歩道の前で立ち止まった。
どうやらこちらに道を渡って来ようとしているようだ。
ターバンに長い髭のシク教徒は、インドでは珍しくもなんともないが、東京のオフィス街ではかなり目を惹く格好だ。
首から上が特徴的なのに対して、服装はこれといって特徴のないグレーのジャンパーにスラックス。
場外馬券売り場にでもいそうな、地味でこだわりのなさそうな格好である。


信号が青になり、男が歩き始めた。
横断歩道で何人かとすれ違うとき、男は見定めるように視線を走らせたが、さすがに道の真ん中で声をかけるのをためらったのか、誰にも声をかけず、そのまままっすぐ進んでゆく。
気づかれないよう、彼の数メートル後ろから尾行する。
決して人通りの多い通りではないが、声をかけるのに困らないくらいの人は歩いている。
ヨギ・シンにとってはやりやすい環境だろう。

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彼はターゲットを物色するようにゆっくりと歩いてゆき、10メートルほど進んだところですれ違った男性に声をかけた。
ターバン姿の男は、自分の額を指さしながら何か話している。
おそらく「あなたの額からオーラが出ていた」とでも言っているのだろう。
間違いなくヨギ・シンだ。
声をかけられた男性は、胡散くさいと思ったのか、拒否のジェスチャーを示すと、足早に立ち去って行った。

彼は次のターゲットを探している。
今がチャンスだ。
私は歩くスピードを上げ、さりげなく彼と並んで歩く。
すると、予想通り彼は声をかけてきた。
「You have a lucky face.」


つづき




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goshimasayama18 at 19:06|PermalinkComments(7)ヨギ・シン 

2023年11月18日

ヨギ・シンとの遭遇を終えて


前回の記事:


若きヨギ・シン(そうは名乗らなかったが)ことプラディープとの遭遇を終えて改めて思ったのは、「結局よく分からなかった」ということである。
いろいろなことが聞けたものの、彼が言ったことが真実だったのかどうかは、分かりようがなかった。

最大の収穫は、彼の「トリック」が分かったことだ。
知ってしまえばなんてことのないトリックだが、その手法はじつに洗練されていた。
とくに、ずっと握っていた紙をすり替えたあとに、その紙をまた握らせて額にあてたり、息を吹きかけたりさせるところは秀逸だ。
いかにも不思議な力を発揮しているような印象を与えて、すり替えた時の動きを忘れさせる効果を生み出しているからだ。
ヨギ・シンが「この紙をずっと握っていたね」と一瞬紙を摘み上げたことを記憶していた人は、私の知る限りでは一人もいなかった。
プラディープ以外のヨギ・シンが別のトリックか本物の超能力を使っている可能性も否定できないが、いずれにしても非常によくできた心理学的手法である。


驚いたのは、プラディープが、かつて私が「ヨギ・トリック」(仮名)として紹介したマジックの手法を使わなかったことだ。
このトリックは19世紀のイギリスのマジックの本にも記録されており、その技の名前から、ヨギ・シンと関連がある技術であることはほぼ間違いない。
(誰もが見られるネット上でマジックの種明かしをするのは本意ではないので、テクニックの名前は仮名にしている)
もしこのトリックを使えば、彼はもっと簡単に相手の心を読む(ように見せかける)ことができるのだが、彼はまだ未熟でこの技を使うことが許されていないのだろうか。
それとも、ヨギ・シンは今ではもうこの技は使っていないのだろうか。

もうひとつ驚いたのは、かつてmixiに書かれていたヨギ・シンのテクニックに対する推察がほとんど正しかったということだ。
その内容を改めて抜粋しよう。

占い師は客の答えを、いちいち紙にメモしていきます。答え合わせの時に必要だからというのが建前ですが、目的は別にあります。答えを2回書いて、2枚のメモを作るのです。そのうち一枚を丸めて、客の手の中の紙と、こっそりすりかえます。

これはまさにプラディープが行っていたテクニックだ。
手で握っている紙をこっそりすりかえるなんてできるのか、とその時は思ったものだが、それを可能にするのが、前述の仕掛けである。

この時私は「答え合わせのときに必要だからと言ってヨギ・シンが答えをあからさまにメモするという話は聞いたことがない」と書いているのだが、間違っていたのは私の方だった。
実際、ヨギ・シンが答えを聞きながら紙にメモを取っていたという証言は、私の知る限りではない。
おそらくだが、「占い」が的中した驚きで、紙にメモを取るというあたりまえの行動の記憶はかき消されてしまうのだろう。
ここにも、彼らの巧みな心理的トリックがある。

ちなみにこのmixiに書き込んだ人物は、ヨギ・シンが性格判断として「あなたは考えすぎる」と言うとも書いていた。
これはまさに今回私がプラディープに言われた言葉だ。
2012年にヨギ・シンの秘密に相当迫っていた人物がいたのだ。
どこの誰かは存じ上げないが、ぜひ一度ゆっくり話してみたいものである。




話をプラディープに戻そう。
その後、彼の出身地だという「ファテガル・サーヒブ」を調べてみたところ、そこはシク教の巡礼地となっている有名な寺院だった。

「君が住んでいるのはここ?」とその寺院のページのリンクをつけて送ってみたところ、彼の返事は「No」。
別の街の名前が送られてきた。
鉄工業が盛んな以外これといって特徴のない郊外の街である。
彼は適当な街の名前を言っていたのだろうか。

よくよく調べて見ると、どうやらファテガル・サーヒブというのは寺院の名前であると同時に、その寺院がある街の名前でもあり、さらにその街がある県(district)の名前でもあるようだ。
彼が住んで街はファテガル・サーヒブ県の別の街で、その意味で「ファテガル・サーヒブ在住」と言ったのだろう。
とはいえ、その郊外の街に住んでいるというのが真実だという根拠もない。
結局は何も分からないままなのだ。

そういえば、彼とwhatsappの連絡先を交換した後、それまでほとんどなかった迷惑メッセージが続けて送られてきた。
インドとアメリカから、英語での求人を装ったメッセージと知り合いを装ったメッセージが3件来たのだだが、全てブロックしたところもう届かなくなった。
これが偶然だったのか、プラディープを通じて詐欺師に情報が漏れたのかは分からない。
分からないことだらけだ。

彼が住んでいる街についてのやりとりを終えた後も、プラディープに何度かメッセージを送ったのだが、今の所返事はない。
確かに、金ヅルでもなく、「占い」を信じているわけでもない私と連絡を取り合うメリットは彼にはない。
私が一瞬信じかけた「友情」は気のせいだったのだろうか。
それでも、ダメモトでたまに連絡をするようにしている。
そのうちまた気が変わって、返事が来ることがあるかもしれない。


ところで、最初に情報をくれたSIさんが仲の良いインド人に聞いたところによると、ヨギ・シンは「インド人コミュニティ界隈でも詐欺師として有名で、東京の警察には何度も通報されている」らしい。
東京在住のインド人にヨギ・シンのことを何度か尋ねたことがあるのだが、私のまわりでは誰も知らなかったので、この情報にもびっくりした。
まともに仕事をして海外で暮らしているインド人にとっては、やはり同胞の評判を下げるヨギ・シンは迷惑な存在なのだろう。
こうした評価を彼らがどう受け止めているのか、気になるところではある。



最後に、休日に「ちょっと謎の占い師探してくるわ」と言って外出する私を快く送り出してくれた家族と、プラディープとのアポイントのために早退させてくれた職場(さすがに理由は言ってないけど)のみなさんに感謝します。
直接言えっつう話ですが。


…と、ここで終わるはずが、事態は衝撃の展開を迎えた。
私のブログに、またしてもヨギ・シンらしき占い師と東京で遭遇したという報告が寄せられたのだ。

プラディープがインドに帰国したはずの10月16日から10日以上過ぎた10月27日、そして11月13日、さらにこれを書いている11月16日に、丸の内エリア、そしてこれまでに出没情報のなかった神田でヨギ・シンと思われるインド系の占い師に声をかけられたコメントやメッセージが相次いで届いている。
今度のヨギ・シンはターバンを巻いた中年だそうで、プラディープとは明らかに別人だ。

プラディープはかたくなに「一人で来日した」と言い張っていたが、もしかして彼は嘘をついていたのではなく、たまたま同時期にもう一人(あるいはもうひとグループ)のヨギ・シンが来日していたのだろうか。
それとも、プラディープが帰国してもなお日本で活動している同じグループのヨギ・シンがいるのだろうか。
もしかして、彼らは日本に住んでいる?

ますます謎は深まり、調査は続く。
だんだん音楽ブログであることを忘れてしまいそうになるが、いずれにしても乞うご期待!



(続き)



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goshimasayama18 at 00:34|PermalinkComments(0)ヨギ・シン 

2023年11月06日

ヨギ・シンとの対話(後編)


前回の記事



ヨギ・シンたちは世界中を渡り歩いて、路上で人の心を読む「技」を披露する。
魔法のように見えるその技にはもちろんトリックがあるのだが、彼らは、それは瞑想による特殊能力で、マジックではなく本当に心を読んでいるのだという。
その主張を100%信じるならば、彼らはパンジャーブの寺で貧しい子ども達を養っていて、世界中で占いをしながら寄付を募っているのだ。

…冷静に考えると、かなり無理のある話だが、プラディープとの会話を通して、彼らはたとえそのトリックを見破られても「そういうことをする愚か者もいるが、俺は違う」と、その設定を絶対に崩さないことがわかった。
彼らの技は、あくまでもリアルだというのだ。

この感覚、どこかで覚えがあると頭をひねっていたら、思いあたるものがあった。
それはプロレスだ。
プロレスは、選手同士がお互いの協力のもと技を掛け合って見せるという極めてエンターテイメント性の強い「格闘技」(というか、格闘技の形を借りたエンターテイメント)だが、あくまで「真剣勝負」としてリング上で演じられる。
プロレスラーたちは、ときにスーダン生まれの「黒い呪術師」とか「シカゴのスラム街の用心棒」とか、現実とは異なる荒唐無稽なキャラクターを演じて、ファンを沸かせる。(ちなみに前者はアブドーラ・ザ・ブッチャー、後者は名タッグのロード・ウォリアーズ。彼らの出身地も肩書きも完全なフィクションだ)

現実にはありえない離れ業をリアルとして見せ、現実とは異なるキャラクターを演じ切るという意味で、ヨギ・シンはプロレスと全く同じなのである。

プロレスに関して言えば、総合格闘技ブームとミスター高橋による暴露本(プロレスには勝敗や筋書きの取り決めがあり、それがどのように決められるかを詳述した)によって、いわゆる「リアルファイト」ではないことがファンに知れ渡ることになった。
だが、それでプロレスというジャンルが滅びることはなく、ファンは今では「お約束」を分かった上で楽しむものとして受け入れている。

ヨギ・シンをプロレスに例えるなら、彼らが行っているのは、そうした裏を知られることなく、ファンに「最強の格闘技」だと信じられていた昭和の時代のプロレスということになるだろう。
当時からプロレスを八百長だと批判する人がいたように、ヨギ・シンもまた、彼らの世界観を共有しない世界中の人たちから、「詐欺」として非難されている。
確かに、頼んでもいない占いをいきなりしてきて、法外な金を請求されたら気分が悪いのも分からなくもない。
とはいえ、こうしたグレーゾーンの不思議さを味わう余裕なく詐欺師呼ばわりするのはなんだかちょっと悲しい気がする。
私がプロレスファンだからだろうか。

私はヨギ・シンの正体を暴き、そのトリックをネット上で晒してしまったわけだが、決して暴露本を書いたミスター高橋になりたいわけではない。
まだプロレスがうさんくさくていかがわしいものと思われていた(しかしファンは最強の格闘技だと信じて疑わなかった)1980年代に『私、プロレスの味方です』という本を出版した、作家の村松友視になりたいのだ。
いくらその謎を解いても、プロレスにもヨギ・シンにもなお到達できない永遠の謎がある。
夢が覚めても、夢が終わるわけではない。
だんだん何を書いているのかわからなくなってきたが、プラディープとの会話はまだまだ続く。



「それじゃあ君はメディテーションをして、カレッジで学んで、ときに海外に出かけて占いをして、お寺のためにお金を稼いでいるってわけ?」

「うん。コロナのときは大変だった。世界中でコロナが流行していたからね」

パンデミックの時期には海外に行くことができず、占いで稼ぐことができなかったと言っているのだろう。
まだ若い彼は、コロナ禍の頃は占い師ではなかったと思うが、コロナは彼の「デビュー」の時期にも影響を与えたのだろうか。

「じつはコロナの前、2019年にもこのあたりで君のような占い師に会ったことがあるんだ」

「日本でってこと? それはどんな人だった?」
と聞く彼に、当時遭遇報告をくれた人から送ってもらったターバン姿の男の画像を見せた。

「この右側に写っているターバンの人、知ってる?」

プラディープはしばらく私のスマホを凝視した後、

「知らないな。でも僕の先生なら知っているかもしれないから、聞いてみるよ。もし知ってたらあなたに伝える。この画面の写真撮ってもいい?」と彼は私のスマホの画像を撮影した。
撮影した目的は「自分たちが怪しまれて詮索されている」もしくは「自分たちとは別のグループが東京で活動していた」という事実をリーダー的な人物に報告するためだろう。
この写真を入手した経緯を伝えると、誰が撮影したのかと尋ねてきた。

「2019年のことだし、直接交流がある人じゃないから誰なのかは分からない。その人が君たちについてネガティブなことを言っていたわけじゃないよ。
でも、君のような占い師についてインターネットで調べると…そうだな、例えばグーグルで『シク 占い師』と検索すると、詐欺だと言っている人がたくさんいる。私はこういう状況が悲しいんだ」

「それ、見せてもらえる?」と身を乗り出した彼に、私は適当に検索して、ロンドンで、ターバン姿の占い師たちを詐欺として告発しているtiktokの映像を見せた。

「これは誰が言っているの?」

「分からないけど、ロンドンにいる人みたい。シクの占い師の詐欺だと言っている」

「これはシク教徒じゃないと思う。別の人たちだよ」

「とにかく、こういうのをシク教徒の占い師の詐欺だと言っている人もいるんだよ。
悲しいことだよ。あなたのことを詐欺師だといいたいわけじゃないけど」

「うん。こういう詐欺をする人もいるってことは知っている。寺もなければ先生もいないような人たちが、こういうことをしてお金を騙し取るんだ。明日国に帰ったら、寺の写真を撮って送るよ」

結論から言うと、彼からその写真は送られてこなかった。
論理的に考えれば、仮に彼から寺の写真が送られてきたとしても、それで彼のやっていることが詐欺ではないという証明にはならない。
彼の主張は「プロレスは八百長なんですよね?」と聞かれたときに、デスマッチでできた体じゅうの傷を見せて「この傷を見ろ!これでも八百長だって言うのか!」と答えた大仁田厚と同じ論法である。
大仁田の傷が本物だからといって、試合の勝敗が事前に決められていなかったことにはならないし、彼が寺の写真を送ってきたからといって、彼が本当のことを言っているかどうかは分かりようがない。

ここで注目したいのは、少し前に彼が「詐欺師たち」を「別の寺の人たち」だと言っていたのにもかかわらず、今度は「詐欺師たちはシク教徒ではなく、寺も師匠もない人々だ」と言っていることだ。
彼は、自身も(そう呼びたくはないが)詐欺師であるにもかかわらず、詐欺師の悪評をできるだけ自分のコミュニティから遠ざけようとしているのだ。
ナイーブすぎるかもしれないが、この言葉には少し胸が痛んだ。
プロレスに例えれば「なかには八百長をする選手もいる。うちの団体にはいないけどね」と言わざるを得ないプロレスラーの心境といったところだろうか。
別に悪いことをしているわけではないのだが、思わず彼をフォローする言葉を発してしまった。

「あなたを詐欺師だって言いたいわけじゃない。あなたは誠実な人でしょう」

「オーケー」

「あなたはまだ若い。上の世代の占い師は変われないかもしれないけど、あなたはこれから他のものになることだってできる」

率直に言うと君はいい奴だし、君みたいな人が詐欺師呼ばわりされるのは私も辛い、と続けようとしたのだが、彼は遮って、

「上の世代にはすごく力のある人たちもいる。何も必要としないで、ただ見るだけで相手のことが分かる人もいるんだ」

と自信を持って返してきた。
私にトリックを見破られているのに、彼は「自分たちの占いはリアルだ。俺はしくじったかもしれないが、先輩たちは本当にすごいんだ」と答えたのである。
総合格闘技の試合に負けたときのプロレスラーのような発言である。
それとも、もしかしたら本当に超能力が使える占い師がいるのだろうか?

「本物の占い師もいるのは分かるよ」

「うん」

「でも、他に詐欺師もいるでしょ」

「いろんな人がいる」

「ところで、どうして占いをする場所としてここを選んだの?」

「日本ってこと?」

「いや、このエリア(丸の内・大手町)のこと。はっきり言って、ここはベストな選択だよ。このあたりには大きい会社も多いし、お金持ちの人も多い。誰かがアドバイスしたの?」

2019年にこのエリアにヨギ・シンが出没した時から、私は日本に彼らをサポートし、助言している存在がいるのではないかとにらんでいた。
おそらくそれは、彼らと同じコミュニティ出身の、別の仕事をしている(例えばIT系のエンジニアとか)仲間なのではないかと考えている。
パンジャーブにルーツを持つシク系移民は世界中に散らばっている。
この説には自信があるのだが、プラディープは尻尾を掴ませるようなことは言わない。

「このあたりは英語を話せる人が多いからね。他の地域にも行ったけど、他の地域では英語を話せる人はほとんどいないから」

彼はこう答えたが、私が知る限り、これまで日本で丸の内、大手町、銀座以外の場所でヨギ・シンの出没報告が寄せられたことはない。
彼らは試行錯誤せず、最初から丸の内を選んでいた。
ここがベストだと彼らに助言した、東京に詳しい人間が背後にいるはずなのである。
彼らの「仲間」について、もう少しつっこんで聞いてみる。

「今回、日本には一人で来たの?」

「そうだ」

前回会った時と同じ回答だが、これは明確に嘘である。
彼の出没とほとんど時を同じくして、このエリアで中年のターバンを巻いた占い師との遭遇報告も寄せられている。

「この近くで、もっと年配のターバンを巻いた別の占い師を見たって言う人もいるよ。君の家族か友達じゃないの?」

「知らないな。さっきの写真の人のこと?」

「違うよ。あれは2019年に撮られた写真だ。写真は持ってないけど、最近そういう占い師に会ったって言っている人がいる。
50歳か60歳くらいのターバンを巻いた人に会って、貧しい人は5,000円、ミドルクラスは10,000円とか書いた紙を見せられたって。それで1万円払ってルドラクシャ(菩提樹の実)をもらったっていう人がいるんだよ。あなたの知り合いじゃないの?」

「いや、まったく知らないね」

「本当に?」

「本当だ。まったく知らない。このエリアで会ったのか?」

「そう。このエリアでターバンを巻いた占い師に会ったっていう人がいるんだ。SNSで見かけたんだよ」

「オーケー」

ここで私は、彼がオーケーと答えるとき、どこか自信のなさが漂っているということに気づいた。
「もしその人の写真があるなら、先生に聞いてみる。写真はあるの?」

「その人の写真はないんだけど、その人がくれたルドラクシャ(菩提樹の実)の写真はアップされているよ」

スクリーンショット 2023-11-01 1.35.28

その遭遇者の方は、数日前に丸の内で会ったターバンを巻いた占い師に1万円を払い、このルドラクシャを「寝室に置くように」と渡されたのだという。
プラディープはこの画像も自分のスマホで撮影していた。

これ以上この話題を突き詰めても得られるものがなさそうなので、先日彼が見せてくれた「先生」の写真について、気になっていたことを聞いてみた。

「こないだ見せてくれた君の先生の写真だけど、ターバンを巻いていなかったよね? シク教徒っぽくなかったけど彼はヒンドゥーなの?」

「彼らは宗教を持っていないと言っている。ヒンドゥーでもシクでもないんだ。だから僕も先生がヒンドゥーなのかシクなのかムスリムなのか知らない。
人間は、生まれた時はシクとかヒンドゥーとかムスリムとか関係なく、ただの人間だ。でも人々には寺があって、ある人はシクだとか、ある人はヒンドゥーだとか、ある人はムスリムだとかいう。まるでジャーティーみたいにね」

プラディープは最初に「彼ら(they)」と言ったが、確かにインドにはこうした特定の宗教に依拠しない精神的指導者がいる。
彼の師匠もそうした導師の一人だと言いたいのだろう。
「ジャーティー」というのはカーストに基づく職能集団のことで、インドには、これによって優越感を持ったり差別したりする因習(われわれがイメージするいわゆるカースト制度)がいまだに残っている。

「じゃあこの先生は、宗教の指導者ではなく、精神的な指導者ってことだね」

「そう。彼らは神はひとつだと言っている」

「そういう考え方は好きだな。特定の宗教は信じてないけど、神の存在は信じているから」

「うん、いい考え方だね」

彼の精神的な「師匠」が実在するのかどうかは分からないが(それっぽい適当な写真を使っている可能性も高い)、このあたりの考え方には彼の本音が見え隠れしているようにも聞こえる。
インドの伝統的な思想のひとつであり、また現代的に言えばかなりリベラルでもあるこうした考え方は、彼の雰囲気に合っているように感じた。
ここでもうひとつ、以前からずっと気になっていたことを聞いてみた。

「ところで、君たちみたいな占い師は、ほとんどの人がヨギ・シンと名乗っているよね」

「ヨギは『ヨガをする男』(ヨガ・マン)という意味だ。それは名前じゃなくて、ただのヨガという意味だよ」

「つまり本当の名前じゃないってことだね」

「そうだ」

「シンはシク教徒の男性がみんな名乗る名前だね」

「そう。つまりヨガ・マンという意味だ。名前じゃなくて、ヨガをやっている、メディテーションをやっているということだ」

「ヨギ・シンというのがこの占いをするシク教徒の名前だと思っている人はたくさんいるよ」

「あなたはスマホやインターネットでいろんなことを見て詐欺だと思っているようだね。僕も先生から詐欺をする人もたくさんいると聞いているよ」

ところで、今気づいたのだが、彼が使っている「瞑想(メディテーション)」という言葉は、「ヨガ」の訳語なのではないだろうか。
ヨガはもともと哲学であり瞑想法だが、日本や西洋ではエクササイズとしてのイメージが強い。
このあたりの誤解を招かないように、彼はメディテーションという言葉を選んでいるのかもしれない。
そのことに気づいている彼は、ヨギ・シンと名乗らなかったのではないか。
ヨギ・シンという名前についての会話から、話題はだんだんと彼の出自へと移っていった。

「君はずっと寺に滞在しているの?」

「うん。僕は寺で生まれた」

「それで君は今も寺のために働いているというわけだね」

「そう。そこは保護施設(シェルター)のようなところでもあるんだ」

「子ども達のための保護施設っていうこと?」

「そうだよ」

「デリケートな話題でごめん、君は両親なしで育ったの?」

「うん。両親ともいなかった。僕は両親を知らないんだ」

「それは大変だったね」

「今はそう感じていないけどね」

昨日は「占いは先祖代々の家業だ」と言っていたプラディープが、今日は自分は孤児だったと主張している。
どちらが真実かは分からないが、身寄りのない子どもたちが瞑想による超能力を身につけた導師がいる寺で育ち(じつはそれはトリックのある技術なのだが)、その技を身につけて世界中を旅して寺院の運営資金を集めているというのは、なんだかタイガーマスクみたいな話ではある。
しかし、この話を続けていると、そのうちお金を要求されそうなので、話題を変えてみる。

「そういえば、カナダでシク教のリーダーが殺されて、インドとカナダの間で国際問題になっているよね。インド政府が彼を殺したと言っている人もいるみたいだね」

今年6月にカナダで起きたシク教指導者ハルディープ・シン・ニジャールの暗殺事件について、彼に話を振ってみた。
この事件を受けて、カナダのトルドー首相は、ハルディープ師が「カリスタン運動」に関与していたためにインド政府によって暗殺されたとほのめかし、両国の関係は一気に険悪化した。
カリスタン運動とは、パンジャーブにシク教徒の独立国家建設を目指す動きのことだ。
この運動の支持者にはテロ行為も辞さない過激派もいて、彼らは1984年には弾圧への報復として時のインド首相インディラ・ガーンディーを暗殺し、1985年に329人が犠牲になったエア・インディア182便爆破事件を起こしている。

「そうだ。シク教徒を殺したと言ってカナダ政府がインドを批判したことで、問題になっている」

「このことについてどう思う?」

「カナダ人のこと? カナダの政府には好感を持っているよ。インドの政府は、シク教徒やムスリムを殺して、インドに住んでいいのはヒンドゥー教徒だけだと言っている。これは良いことじゃない」

インドの与党であり、モディ首相が所属するインド人民党(BJP)はヒンドゥー至上主義を基盤としており、とくにムスリムを排斥する傾向があるとして国内外からの批判を受けている。
しかしシク教とBJPの関係は決して険悪ではないと聞いていたので、この辛辣な批判には驚いた。

「BJPはかなりヒンドゥー至上主義的な政党だよね」

「うん。だから僕らはカリスタン(シク教徒による独立国家)が欲しいんだ。ヒンドゥスタン(インド)とパキスタンが分離したようにね。
パキスタンとヒンドゥスタンが分裂したとき、僕たちシク教徒は新しい国を作ることもできた。でも僕らは断ったんだ。インドと別々になりたくはないと言ってね。でも今になってインド政府はヒンドゥーこそが宗教だという。だから僕らはインドからカリスタンを分割したいと思っているんだ」

カナダのシク教徒ギャング団による資金が、カリスタン運動に流れているという話もある。
海外でグレーな活動に手を染めるヨギ・シンの一派も、こうした思想を持っているのだろうか。

「あなたはカリスタン運動を支持しているの?」

「いや、支持しているわけじゃないよ。僕がインドに住んでいること自体はとてもいいことだ。でももし政府がヒンドゥー教だけが宗教だと言ったら、それは良くないことだ。
僕らが政府に言っているのは、宗教はヒンドゥーだけじゃないということ。僕らは一つだ。シクもムスリムも平等だと言っている。宗教なんて意味はない。みんな人間だ」

今ひとつ彼の思想がわかりにくいが、前半の発言は、シク教徒の一般論としてのカリスタンに対する考え方で、後半が彼の個人的な意見ということだろうか。
それとも、思わず出てしまったカリスタン支持を隠そうとしているのかもしれない。

「1947年の分離独立のときにパンジャーブ地方も印パ両国に分割されたよね。分離独立の時、たくさんのシク教徒がパキスタン側からインドに移り住んだって聞いている」

「そうだ。僕もパキスタンから来た」

21歳の彼がパキスタンから移住してきたとは考えにくいから、彼の両親や祖父母がパキスタンから来たと言いたいのだろう。
だが、少し前に「両親を知らない」と言ったこととの矛盾に気がついたのか、彼はこう言い直した。

「僕の、僕の、えーと、僕の先生は、僕らはパキスタンから来たと言っている」

「僕ら」というのが、彼のコミュニティを指しているのかどうか定かではないが、これは興味深い情報だ。
なぜなら、ヨギ・シンの正体と目される'B'というコミュニティは、もともとその多くが現パキスタン領内にあるシアールコートという街に住んでいたと言われているからだ。

「パキスタンのどこから来たの?シアールコート?」

「いや、いや。分からない。ただ、僕の先生は僕らはパキスタンから来たと言った。
僕の両親もそんな感じだと言っていた。でも僕は両親は知らないから」

彼の回答はあいかわらず要領を得ないが、私が少し質問を急ぎすぎたのかもしれない。
昨日会ったときから、彼は明確に'B'のコミュニティの一員であることを否定していた。
私の質問の意図を感じ取って、うまくかわした可能性もある。

「じゃあ君は、自分のジャーティーを知らないんだね」

「そうだ。でも僕の先生は僕はシク教徒だと言った。だから僕は髪を切ってないんだ。髭は短くしているけどね」

彼の髪は肩くらいまでの長さで、髭は5ミリくらいに揃えられている。
シク教には、髪も髭も神から与えられたものであるから切ったり剃ったりしてはいけないという戒律がある。
今では全員が厳密にその教えを守っているわけではないが(髭や髪の手入れをしている人も多い)、彼が「髪を切っていないんだ」と言ったとき、その言葉は誇らしげに聞こえたし、「髭は短くしているけど」と言った時はすこしバツが悪そうに見えた。
「グッドルッキングだよ」というと、彼は照れくさそうにありがとうと言った。

ふと腕時計を見ると、彼がここを離れる時間だと言っていた17時を回っていた。
まだまだ聞きたいことはあったが、これから飛行機に乗って帰国するという話が本当なら、あまり引き止めるわけにはいかない。

「もうそろそろ行かなきゃいけないんじゃない?」

「あと5分くらいは大丈夫だよ」

この返事には正直驚いたし、ちょっと感動した。
私は彼に占いを見破ったと言い、彼が隠そうとしていることをあの手この手で暴こうとしている。
私が彼の立場だったら、一刻も早く立ち去ろうとするだろう。
プラディープは私に、少しは親しみや安心感を感じてくれているのだろうか。
残りの時間で、聞きたかったことをできるだけ聞いてみよう。

「女の人は君みたいな占いはしないの?」

「女の人?しないね。僕の寺では女の人はしない。他の寺は知らないけど。あなたは女性の占い師の写真を持っているの?」

「いや、持ってないし私も知らない。ニューヨークとかシンガポールとかロンドンであなたみたいな占い師に会ったという人は、みんな男性だったというから聞いたんだ」

「そう、男の占い師だけだ。ロンドンに行ったことある?」

「ないよ。インドには5回行ったことがあるけど、ヨーロッパには行ったことはない。インドのほうが好きだな」

「ナイス。いつインドに来るの?」

「次?たぶん来年かな。最後に行ったのは10年くらい前だから、もうずいぶん前になる。今度は家族も連れて行きたいよ」

「いいね」

「インドからいろんなことを学んだよ。日本にはインドの文化が好きな人がたくさんいるよ。ボリウッド映画のファンもね」

「日本人はインド人が好きなの?」

「うん。たくさんのインド料理屋さんもあるし、インド映画のファンもたくさんいる。最近『パターン』っていう映画を見たよ」

「シャー・ルク・カーンだね」

インド映画やK-Popについての本当に他愛のない話をしているうちに、いよいよ彼が立ち去らなければいけない時刻が来てしまった。
別れの挨拶の前に、リラックスして雑談できたのは、良かったと思う。

「ありがとう。会えてよかった。ペンもありがとう」

「これからも連絡を取り合おうね」

「ハバナイスデイ、グッバイ」

雑踏に消える彼を見て、私ははっと気づいた。
彼は今日、一度もお金の要求をしなかった。
お金のためでないなら、どうして私に会ってくれたのだろう。
彼の正体を探ろうとしている人物に会っても、彼にメリットはひとつもない。
途中で話を切り上げて去ることだってできたはずだ。
もしかして、プラディープは本当に友情のためだけに会ってくれたのだろうか。
そんなふうに考えるのはさすがにナイーブすぎると思うが、もしかしたら。

21歳の若さで、自分の腕とハッタリだけを頼りに異国な街でグレーな仕事をして生きる彼の心境を想像してみる。
警察沙汰になるリスクもあるし、うまくいっても詐欺師呼ばわりされる仕事は、決して誇らしいわけではないのだろう。
5年後、10年後も、彼はまだこの家業を続けているのだろうか。
ヨギ・シンという存在が世界中からいなくなってしまう未来を想像するとさみしい気持ちになるが、プラディープにずっとこの生き方をしてほしいとは思わない。
インドに帰った彼は、東京をどう思い出すのだろう。



ところで冒頭部分で、プロレスの本質はエンタメであると書いたが、ではプロレスには戦いがないのかというと、そんなことはなくて、それは間違いなく存在している。
(もうこの話題はいいよと思っている人がほとんどだろうが、もう少し続けさせてもらう)
プロレスの根底にはガチの格闘技がある。
華麗な空中殺法でファンを魅了した初代タイガーマスク(佐山サトル)はその後シューティング(リアルファイト)へと進み、日本にアメリカ的ショープロレスを持ち込んだ第一人者である武藤敬司は道場でのガチンコ勝負でもめっぽう強かったという。
世界各地に出没しているヨギ・シンのほとんどが、占い師としてはフェイクだったとしても、彼らの中には本物の超能力者もいるのかもしれない。
「上の世代にはもっとすごい人もいる」
と断言したプラディープの言葉には、もしかしたらと思わせる力強さがあった。
はたして、さらなる強力なヨギ・シンが来日することはあるのだろうか。

(つづく)


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