2023年09月
2023年09月16日
在外インド系アーティストによるルーツへの愛があふれるミュージックビデオ (カリフォルニア編)
「インド人による音楽」について書くときに、ひとつ悩ましい問題があって、それは「在外インド人」をどう扱うかということである。
インド人は移民や仕事や留学や親の都合で海外に渡る人が多く、そのまま海外の国籍を取得したり、その2世、3世として生まれる人も多い。
インドでは、海外で暮らしているインド国籍の人のことをNRI(Non-Resident Indian)と呼び、インドにルーツを持つ外国籍の人をPIO(People of Indian Origin)と呼ぶ。
世界中には、じつに1300万人を超えるNRIと1900万人近いPIOがいる。
彼らからの母国への仕送り総額は、じつに1000億ドルを越えており(GDPの約3%)、NRI, PIOは国の経済にも大きな影響を与える存在なのだ。
これだけの数の在外インド人の中には、当然ながらミュージシャンとして活動している人もいる。
それで何が悩ましいのかというと、彼らのうち、いったいどこまでを「インドの音楽」として扱うべきか、という問題である。
インド国内の音楽シーンと在外インド人のミュージシャンはほぼシームレスに繋がっていて、たとえば前回の記事で書いたように、インドで生まれて国内で活動しているけど英語でポップスを歌っている人もいれば、海外生まれで外国籍でもインドの言語で伝統音楽の影響の強い歌を歌っている人もいる。
さらには、外国生まれだけど今はインドで活動しているとか、インドで生まれたけど今では海外を拠点にしているとか、海外生まれで海外在住だけどインドを主なマーケットにしているとか、インド系ミュージシャンの出身地、国籍、言語、マーケットの組み合わせは何通りもある。
音楽的にも、ルーツと欧米的ポピュラーミュージックのジャンルをどう融合するのか(あるいはしないのか)という多様性が無限に存在していて、「インドの音楽シーン」という言葉を明確に定義づけることは極めて困難だ。結論から言うと、このブログでは、インドに活動の軸足を置いていたり、インド国内のシーンとの関わりの深いアーティストを中心に紹介することにしている。
在外シーンの面白さも分かってはいるのだが、ただでさえ広いインド、とてもそこまで手が回らないからだ。
そんなわけで、外国籍で英語で歌っているようなアーティストは、どうしても優先順位が低くなってしまう。
ところが、そんな在外インド系アーティストのなかには、インド本国のミュージシャン以上に自身のルーツへの愛にあふれた作品を作っている人たちもいる。
そして、それがインド人でも移民でもない日本のリスナーを、大いに感動させたりすることがある。
今回は、そんな作品をいくつか紹介する。
Sid Sriram "Do the Dance"
この曲は、先月リリースされたSid Sriramのアルバム"Sidharth"からの1曲。
Sid Sriramは南インドのタミルナードゥ州チェンナイ生まれのシンガーソングライターで、1歳のときに両親と共にカリフォルニアに移住。
今ではサンフランシスコを拠点に活動している。
ソウルフルさのなかに独特の切なさが内包された歌声にまず心を奪われるが、その歌声と同じくらい素晴らしいのがミュージックビデオだ。
このチルな感じのR&Bにインドの伝統舞踊を合わせるセンスは在外インド系シンガーならでは。
撮影地はL.A.郊外のビーチで名高いマリブのヒンドゥー寺院で、90万人を超えるインド系アメリカ人が暮らしているカリフォルニアには、こんな立派な寺院が建てられているのだ。
踊っているのはUCLAのRaas Batakaというインド舞踊チーム。
彼女たちはインド西部に位置するグジャラート州の「ラース」(Raas. または「ダンディヤ・ラース」Dandhiya Raas)や「ガルバ」(Garba)と呼ばれる伝統舞踊を踊るグループだ。
インドの伝統/古典舞踊の種類はいくつか知っていたが、このラースとガルバというのは聞いたことがなかった。
名門大学にインドのローカルな舞踊を踊るチームが存在しているとは、さすがカリフォルニア。
グジャラートにルーツを持つ学生たちが多く所属しているのだろう。
前述の通り、Sid Sriramは南インドのタミルナードゥ州出身だ。
タミルナードゥとグジャラートは1,400キロ離れていて、同じインド国内といっても、言語や文化の違いを考えると、ほぼ外国と言えるほどに遠い地域である。
まったく異なるルーツを持ったインド系の人々が、移住先のアメリカで、ホスト社会の文化の影響を受けたR&Bのミュージックビデオで共演しているというのがなんともぐっとくる。
Sid Sriramは基本的にはR&Bスタイルのシンガーだが、そのルーツには南インドの古典であるカルナーティック音楽がある。
先ほどの"Do the Dance"と同じく"Sidharth"に収録されている"Dear Sahana"は、そんな彼のカルナーティックのルーツが伺える曲だ。
Sid Sriram "Dear Sahana"
カルナーティック音楽とR&Bの融合は、まるでゴスペルのような聖性を湛えている。
"Sahana"は女性の名前だが、ミュージックビデオはすべての南アジア系女性に対する賛歌のように捉えることもできる美しい作品だ。
アルバムタイトルの"Sidarth"は彼の本名で、自らのルーツとアメリカ音楽を最高の形で融合した傑作である。
ちなみにSid Sriramはタミル語、テルグ語、カンナダ語などの南インドの言語の作品を中心とした映画のプレイバックシンガーとしても活動している。
というか、むしろプレイバックシンガーとして録音した楽曲のほうが圧倒的に多くて、10年ほどのキャリアの間に200本近い作品でその歌声を披露している。
映画音楽分野での評価も高く、さまざまな映画賞でベストプレイバックシンガー賞を8回も受賞(ノミネートを含めると20回以上)。
日本でも上映された作品では"Mersal"(日本公開時のタイトルは『マジック』)の"Maacho"という曲を歌っているので、読者の中には映画館で彼の歌声を聴いたことがある人もいることだろう。
フィルミ・ソングとR&Bスタイルのソロ作品、さらには古典音楽のカルナーティックを歌っている時のスタイルの違いを味わってみるのも面白い。
Sandhya Chari "My Roots"
Sandhya Chariが2021年の12月にリリースした"My Roots"も、とても美しいミュージックビデオが印象的な曲だ。
彼女もSid Sriramと同じサンフランシスコ在住のタミル系アメリカ人。
華麗な衣装を身にまとった女性たちは、インド、パキスタン、ネパールの14の異なる地域の出身で、彼女たちのさまざまなスタイルは、それぞれのルーツをレペゼンしているとのこと。
歌詞は英語とタミル語(南インドの一言語)とヒンディー語(北インドで広く話されている言語)で書かれており、この曲が多様なルーツを持った南アジア系の人々に向けて作られているということが分かる。
国境を越えなくても地域ごとに言語が違う南アジアの女性たちが、言語や出身地を超えて自らのルーツを誇るこの作品は、祖国を遠く離れたカリフォルニアだからこそ生まれたものだろう。
もう一人カリフォルニア出身の女性シンガー/ラッパーを紹介する。
L.A.郊外のクレアモント出身で、南インドのアーンドラ・プラデーシュにルーツを持つRaja Kumariは、幼い頃から習っていた古典舞踊で使われるリズムに言葉を乗せたところラップになることを発見した(!)というユニークすぎる音楽的ルーツを持つアーティストだ。
その詳細は過去の記事(とくに、ここに貼ったリンクの1つめの記事)を読んでもらうとして、彼女はラップだけでなくファッションの面でもインドの伝統とヒップホップの融合を試みていて、それがまた非常にかっこいい。
Raja Kumari "I Did It"
間奏部分で披露される古典音楽由来のリズムと、インドのアクセサリーをブリンブリン的に身につけるセンス、そして伝統舞踊とヒップホップがごく自然に繋がったダンスは、インド人が表現しうるヒップホップのひとつの理想形と言えるだろう。
Raja Kumari "N.R.I."
"N.R.I."という率直なタイトルのこの曲では、アメリカではインド人として偏見に晒され、インドではアメリカ人として扱われるフラストレーションを歌っている。
この曲は主に同様の境遇のNRI/PIOの人々に向けた曲だろうが、それでもこのミュージックビデオは500万再生を超えていて、在外インド人マーケットの大きさをあらためて感じさせられる。
彼らにとってこの曲のメッセージは大いに共感できるものなのだろう。
このミュージックビデオでも、ヘッドドレスやサリー風の衣装、鼻ピアスなどのインドモチーフの衣装があいかわらずキマっている。
Raja Kumari "I Believe In You"
彼女が2016年にリリースされた"Believe in You"のミュージックビデオを久しぶりにチェックしてみたら、なんと最初に紹介したSid Sriramの"Do the Dance"に登場したマリブのヒンドゥー寺院に対する感謝のメッセージが冒頭に出てくることに気がついた。
どうやら彼女がさまざまなスタイルの古典舞踊を習っていたのもこの同じ寺院だったようだ。
なんという偶然。
(この記事を書き始めたとき、じつはカリフォルニア限定にするつもりはなかったのだが、たまたまこのテーマで書きたかったアーティストが全員カリフォルニア在住だということに気がついたのだ)
この寺院がたくさんの才能あるインド系アメリカ人に影響を与えていると思うと、遠く離れたマリブの方角に手を合わせたくなった次第である。
さて、ここからは音楽の話を離れた余談だが、NRI(インド国籍の海外在住者)とPIO(外国籍のインド系住民)が多い国のランキングを調べてみたところ、以下のような統計を見つけた。

インド国籍を保持したまま海外で暮らしているNRIには、おそらく出稼ぎ目的の人の割合が多いものと思うが、UAEやサウジアラビアといったペルシア湾岸諸国が上位を占めている。
UAEのドバイは人口の90%が外国人労働者で、その半数近くをインド系が占めているという。
インド映画でやっかみ混じりに描かれがちなアメリカやイギリスの在住者は、NRIには意外と少ないのだなという印象だ。

いっぽう、「外国籍のインド系住民」であるPIOが多い国を見てみると、NRIとはまったく違う国名が並んでいる。
とくに、3位にランクインしたミャンマーに、こんなにも多くのインド系住民が暮らしているとは知らなかった。
調べてみると、どうやら200万人のインド系ミャンマー人のほとんどがタミルにルーツを持つようで、他には地理的に近いインド北東部マニプル州のメイテイ人、テルグ人、ベンガル人などが暮らしているという。
海外に暮らすインド系の人々は、国や地域によってそのルーツに特徴があり、UKやカナダにはパンジャーブ系が多く、マレーシアやスリランカはほとんどがタミル系だ。
マレーシアではインドでヒップホップが流行する前からタミル語ラップが作られていて、インド国内のタミル語映画でもマレーシアのタミル系ラッパーが起用されることがある。
PIOの9位にランクインしているカリブ海の島国トリニダード・トバゴと8位の太平洋の島国モーリシャスには、北インドのビハール州あたりにルーツを持つボージュプリー系の人々が数多く住んでいて、トリニダードには、ボージュプリーの人々がカリブの音楽に影響を受けて作ったチャトニーというジャンルも存在している(チャトニーとは、カレーに合わせて食べたりするあの「チャツネ」のこと)。
ちなみに湾岸諸国での出稼ぎ者にはケーララ人が多い。
彼らの文化を探ってゆけば、さらなる面白い音楽を見つけられるのかもしれないが、インド国内だけで手いっぱいで、とてもそこまで手が回らない!
いつかまた彼らの音楽についても書いてみたいのだけど。
(イギリスのインド系音楽については、栗田知宏著「ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学: 交渉するエスニシティと文化実践」という日本語で読める貴重な文献がある。このテーマに興味を持っている人であれば、絶対に面白い一冊だ)
参考サイト:
https://www.findeasy.in/population-of-overseas-indians/
https://mea.gov.in/images/attach/NRIs-and-PIOs_1.pdf
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goshimasayama18 at 17:06|Permalink│Comments(0)
2023年09月06日
意外なコラボレーション!Komorebi, Easy Wanderlings, Dhruv Visvanath, Blackstratbluesが共作したドリームポップ
インドの音楽シーンは、基本的には都市や言語ごとに形成されているのだが、地域や言語の垣根を越えた共演もたびたび行われている。
それがまたお気に入りのアーティストの共演だったりすると、意外な繋がりにうれしくなってしまう。
今回はそんな曲を紹介したい。
今回のお話の主役となるのは、デリーを拠点に活動するエレクトロポップアーティストKomorebi.
彼女の新作に、プネーのドリームポップバンドEasy Wanderlings、デリーのシンガーソングライター/ギタリストのDhruv Visvanath、さらにはムンバイのギタリストBlackstratbluesが参加していて、これがかなり良かった。
Komorebi "Watch Out"
Komorebiは日本語のアーティスト名からも分かる通り、アニメなどの日本のカルチャーに影響を受けている。
ビジュアルイメージにも日本的な要素がしばしば取り入れられていて、このミュージックビデオの冒頭には、パワーパフガールズみたいなアニメっぽいポップ&カワイイテイストのイラストが採用されている。
(パワーパフガールズはアメリカの作品だけど、日本のアニメや特撮のオマージュ的な要素が強い作品ということで。そういえばNewJeansのEP "GetUp" でもパワーパフガールズっぽいイメージが採用されていたが、そろそろああいうテイストが懐かしい感じになっていてきるのか)
Komorebiが2020年にリリースしたEPのタイトルは、日本語で"Ninshiki".
収録曲のミュージックビデオにもやっぱり日本っぽい要素がたくさん出てくる。
最後の方になると、中国とか他の東アジア的要素も出てくるが、まあ日本人もインドとアラビアあたりを誤解したりしがちなので、そこはお互いさまかな。
要は、リアルな日本というわけではなく、アニメの舞台のようなエキゾチックでフィクション的な日本のイメージを借用したいのだろう。
どうぞどうぞ。
Komorebi "Rebirth"
サウンド的にはノルウェーのエレクトロポップアーティストAURORAっぽいようにも感じるが、KomorebiもAURORAもスタジオジブリ作品のファンという点で共通している。
二人とも、電子音楽だけどどこか自然や神秘を感じさせる音作りにジブリ好きっぽさが出ているような気がするが、どうだろうか。
そういえばKomorebiの"Watch Out"に参加しているプネー(ムンバイにほど近い学園都市)のドリームポップバンドEasy Wanderlingsの中心メンバーSanyanth Narothも、以前インタビューでスタジオジブリのファンであると語っていた。
"Watch Out"の美しいメロディーとハーモニーを聴いた時、てっきり楽曲提供もSanyanthだと思ってしまったのだが、作詞作曲はKomorebiことTaranah Marwahで、Easy Wanderlingsの担当はコーラスとフルートとのこと。
ハーモニーのアレンジひとつでここまで曲の雰囲気が変わるのかと驚いた。
Easy Wanderlingsについてはこのブログで何度も紹介しているので、耳にタコの人もいるかもしれないが、念のためあらためて2曲ほど紹介しておく。
Easy Wanderlings "Beneath the Fireworks"
Easy Wanderlings "Enemy"
"Watch Out"にアコースティックギターで参加しているDhruv Visvanath(名前の発音は、たぶんドゥルーヴ・ヴィスワナートでいいはず)は、Komorebiと同じくデリー出身のシンガーソングライター。
ギタリストとしても評価が高く、2014年にアメリカの'Acoustic Guitar'誌で「30歳以下の最も偉大なギタリスト30人」に選出されている。
彼の新曲は、ジャック・ジョンソンみたいに始まって、重厚なコーラスが印象的なダンサブルなポップスに展開する曲で、中年男性の追憶を描いたミュージックビデオもいい感じだ。
Dhruv Visvanath "Gimme Love"
インドには彼のように上質な英語ポップスを作るアーティストが結構いるのだが、国内のリスナーは英語よりも母語(ヒンディー語とかタミル語とか)の曲を好み、海外のリスナーはインド人が歌う英語の曲にほとんど注目していない。
英語で歌うインドのアーティストは、適切なマーケットがないというジレンマを抱えている。
「インターネットで世界中の音楽が聴けるようになった」とか言われているが、情報の流通や受容、そしてリスナーの心の中には、まだまだたくさんの壁があるのだ。
Dhruv Visvanath "Write"
個人的にはDhruv Visvanathに関しては、ギターも曲作りも良いのだけど、スムースすぎて心に引っかかる部分がないのがネックなのかもしれないな、とちょっと思う。
彼の曲をもう一曲だけ紹介。
珍しくエレキギターをフィーチャーした"Fly"は、卵を主人公にしたコマ撮りアニメが面白い。
Dhruv Visvanath "Fly"
Dhruv Visvanathがアコースティックの名ギタリストなら、ギターソロを弾いているBlackstratbluesことWarren Mendonsaは、今どきジェフ・ベックとかデイヴ・ギルモアみたいな(例えが古くてすまん)スタイルのエレキギターの名ギタリストで、ムンバイを拠点に活動している。
Blackstratblues "North Star"
ちなみに彼はボリウッド映画の作曲トリオとして有名なShankar-Ehsaan-Loyの一人Loy Mendonsaの甥でもある。
それにしても、エレクトロポップのKomorebiの作品に、バンドサウンドを基調としたドリームポップのEasy Wanderlings, アコースティックなフォークポップのDhruv Visvanath, 70年代風ギターインストのBlackstratbluesというまったく異なる作風のアーティストが参加しているというのが面白い。
強いて共通点を挙げるとすれば、彼らが全員、洋楽的な、無国籍なサウンドを追求しているということだろうか。
デリー、ムンバイ、プネーというまったく別の土地(ムンバイとプネーは同じ州だけど)のアーティストの共演というのがまた意外性があって良かった。
こういうコラボレーションにはぜひ今後も期待したいところだ。
話をKomorebiの"Watch Out"に戻すと、この作品はニューアルバム"Fall"からの2曲目のシングルで、1曲目はこの"I Grew Up"という曲。
Komorebi "I Grew Up"
冒頭の字幕に出てくるCandylandというのは5年前の彼女の楽曲のタイトルだ(ストーリー的なつながりはなさそうだが)。
この一連のミュージックビデオで、彼女はKianeというキャラクターを演じている。
9月8日リリースのアルバムで、さらにストーリーが展開されてゆくのかもしれない。
Komorebiの新作はかなり良いものになりそうなので、大いに期待している。
もちろん、共演しているアーティストたちの今後の活躍にも期待大だ。
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2023年09月03日
ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』について長々と語る
ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』の試写を見た。
インドの片田舎でダリト(被差別階級)の女性たちが運営する新聞社「カバル・ラハリヤ」(Khabar Lahariya)。
その記者たちが、過酷すぎる社会をジャーナリズムの力で変えてゆく様子を記録したこの映画は、2021年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門観客賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞など、世界各地で30以上もの映画賞を受賞した。
監督はスシュミト・ゴーシュとリントゥ・トーマスの二人が共同して手がけている。
テーマやタイトルを見て、インドや社会問題に関心がある向けの作品だと思われる方もいるかもしれないが、この映画は、インド的であると同時に、普遍的で深い「問い」を持つ、素晴らしい作品である。
(以下、いつもながらすごく長くなってしまったので、映画鑑賞後に読んだ方がよいかもしれません)
映画の舞台はインド北部のウッタル・プラデーシュ州。
インド最大の人口を誇るこの州には、タージマハルやガンジス川の聖地ヴァーラーナシーなどの著名な観光地があり、日本人旅行者にも馴染み深い場所だ。
しかし同州にはもうひとつの顔がある。
ウッタル・プラデーシュはインド有数の貧困地帯であり、さらに頑迷なヒンドゥー至上主義が強い土地でもあるのだ。
ジャーナリストのほとんどを高位カーストの男性が占めるこの地で、インドで唯一のダリト女性たちによる新聞社「カバル・ラハリヤ」は、2002年に産声を上げた。
ダリトとは、カースト制度の枠外に位置づけられた最下層の被差別民のことである。
記者たちが取材する現実は、ものすごく辛くてやりきれない。
ダリトの女性が男たちに繰り返しレイプされても、警察はまったく捜査に応じてくれない。
閉鎖された炭鉱でマフィアによる違法採掘が行われ、そこで働いていた家族が落盤事故の犠牲になる。
インドの貧困や差別について多少なりとも知っている人にとっては、どこかで聞いたことがあるような話かもしれない。
しかしスクリーンに映される現実は、これまで見聞きした以上に救いがなく感じる。
その理由は、このドキュメンタリーが貧困地域の被差別階級のなかでも、さらに抑圧された立場である女性の目線で描かれているからだろう。
世界最大の民主主義国インドには、2020年代になっても法も正義もない世界があたり前に存在しているのだ。
地方で悲劇が繰り返されても、大都市を拠点とするメディアはいちいち取材に来たりなんかしない。
だから問題は知られることなく放置され、強者と弱者の関係は永遠に変わることがない。
こうした過酷すぎる地方の現実を広く発信するため「カバル・ラハリヤ」の主任記者ミーラは、紙媒体としての新聞発行だけではなく、ウェブでの動画ニュースの配信を決意した。
だが、記者たちの中には、録画や配信に使うスマホに触れるのが初めてだという者も、スマホ操作に必要な英語が不得意な者もいる。
彼女たちは、「英語がわからないから銀行でお金がおろせなかった」とか「最初は村の外に出るのも不安だった」なんて吐露したりもする。
本当に大丈夫なのかと心配になってしまうが、使命感に燃える彼女たちの眼差しは力強い。
ドン・キホーテ的とも言える彼女たちの挑戦は、救いの存在しなかった社会に、ほんの少しずつ、希望と正義をもたらしてゆく。
…というのが、この映画の(ドキュメンタリーではあるけれど)一応のあらすじだ。
彼女たちは決してスーパーヒーローではない。
取材先では唯一の救いとして頼りにされても、家では夫や家族の無理解に苦しんでいる。
権力の闇を報道した報復として、いつか殺されてしまうかもしれないと怯えたりもする。
それでも、彼女たちが志を持って報道を続けているのは、何世代にもわたって続いてきた因習を打ち破る希望をジャーナリズムに見出しているからだろう。
政治家に高級そうなカメラを向ける男性記者たちのなかで、ただ一人スマホを掲げる女性記者の、なんと誇らしげなことか。
日本ではほとんどの人が持つスマホという武器を手に、人生を、社会を変えようと勇敢に行動する彼女たちを通して「じゃあお前はどうするんだ」という問いが私たちに突きつけられる。
私たちはどう生きるか。
彼女たちの前途が必ずしも希望に満ちているわけではない。
本来は苦しむ人々を救うべき政治の世界では、宗教が前景化して、極めて保守的な価値観を肯定するヒンドゥー至上主義が台頭してきている。
映画には、荒唐無稽とも言えるヒンドゥー至上主義者の若者が登場するのだが、記者は、彼をただの愚か者として取り上げたりはしない。
不寛容な彼もまた、貧しさと希望のない社会構造に苦しむ弱者でもあるのだ。
女性たちを抑圧する存在でもあるはずの彼に真摯に取材を重ねてゆくシーンは、この映画のハイライトのひとつだろう。
あんまり褒めすぎるのもなんなので、ネガティブな点も挙げておく。
ドキュメンタリー映画としての「演出」的な部分で、ちょっと不自然なところが散見されるのが、若干気になった。
例えば、記者が被差別カーストの女性に「どうしてこんなに村外れに暮らしているの?」と尋ねて、女性が「私たちは不浄だと考えられているからだ」と答えるシーン。
これは村社会に暮らすインド人だったら、聞くまでもなく分かっているはずのこと。
わざわざ尋ねたりしないだろう。
インドの田舎の保守性を、なじみのない人たちにも分かりやすく伝えるためのシーンなのだろうが、あえて説明的な発言をさせるのではなく、ナレーションや字幕で補うこともできたんじゃないだろうか。
そう感じた分部がいくつかあった。
また、インドでは、この映画の「主人公」である「カバル・ラハリヤ」の女性記者たちが、映画の内容について不満に感じているという、見逃せない報道もあった。
いくつかのウェブサイト(文末参照)によると、その内容は以下のようなものだそうだ。
- 「カバル・ラハリヤ」は政治や社会問題などの深刻なテーマだけでなく、もっと日常的な話題も扱っている。
- 「カバル・ラハリヤ」は、特定の政治的スタンスを取っているわけではない。与党だけではなく、全ての政党に対して厳しく責任を追及している。
- 「カバル・ラハリヤ」は、ダリトの女性のみによって運営されているのではない。構成メンバーには、OBC(Other Backward Classes「その他後進階級」。ダリトのようにカーストの外に位置付けられているわけではないが、支援が必要なため優遇措置の対象となっているコミュニティ)や高位カーストやムスリムの女性たちもいる。
ひとつめの点については、「カバル・ラハリヤ」のYouTubeチャンネルを確認してみたところ、確かに硬派なニュースだけでなく、健康やスマホアプリの使い方など、多様なテーマを扱っているようだ。
記者たちが、自分たちの媒体がある種の「誤解」をされてしまうことを素直に快く思えないという気持ちは分かる。
だが、監督たちの目線で考えれば、限られた時間でテーマを伝えるための編集が必要だということも理解できる。
これは、ノンフィクション映画では避けられないジレンマだろう。
ふたつめの点については、おそらくはリベラルな(というか、反与党よりの)政治姿勢を持つ監督と、特定の主義ではなく「抑圧されるもの」の側に立つというスタンスで活動する記者たちとの考え方の違いによるものだろう。
「カバル・ラハリヤ」にとっては、保守的・ヒンドゥー至上主義的傾向を強める政治状況のなかで、必要以上に悪目立ちしたくないという意図もあるのかもしれない。
みっつめの相違も、分かりやすさを重視する監督たちと、正確さを尊重したい記者たちの立ち位置の違いによるものとみて良いだろう。
映画では「カバル・ラハリヤ」を、「ダリト女性によって運営されている」ではなく「ダリト女性によって立ち上げられた」と紹介しているので、もしかしたら立ち上げ時のメンバーは全てダリト女性で、その後で他のコミュニティの女性たちが加わったということなのかもしれない。
記者たちには、女性であることにはこだわりつつも、地域の問題を「カースト間闘争」という図式でのみ捉えてほしくないという意図があるのだろう。
いずれにしても、映画で紹介されているのは、かなり単純化された構図であり、現実はさらに複雑で、彼女たちは特定の政党やコミュニティに肩入れせずに活動している、ということに留意する必要があるようだ。
(9/5追記:なお、この記事を読んだ映画関係者の方から、上記の見解の相違があってもなお「監督と記者たちの関係は良好」という情報を伺った。草の根に根差した報道に携わる記者たちと、世界に向けて映画という手段で問題を提起する監督との方法論の違いはあっても、本質的に大事にしたいものは共通しているのだろう。それは映画からも大いに伝わってきた)
すでに十分すぎるほど長くなってしまったが、ふだんインドのインディペンデント音楽を扱っているブログとして注目した点をさらに2点ほど。
1点目は、映画のなかで、保守的なヒンドゥーの若者たちが、宗教パレードのシーンで、ヒンドゥーっぽくて、かつハードコアテクノ的なダンスミュージックに合わせて踊り狂っていたこと。
以前から北インドの後進地域に往年のロッテルダムテクノ的な音像の殺伐としたダンスミュージックが存在していることは気になっていた。
最初にこの手の音楽の存在に気がついたのは、2021年のSoi48パーティーにオンライン出演したDJ Tapas MTを聴いた時だった。
彼がプレイするサウンドの歪みまくった暴力的な音像もさることながら、インドからオンラインで参加していたファンたちの傍若無人っぷりがまたすさまじかった。
イベントの進行が1時間くらい押していたのだが、ファンたちは他のDJたちのプレイにはいっさい触れずに「Tapas MTを早く出せ」「このイベントはTapas MTの名前を使って集客している詐欺だ」(日本で知名度ないっつうの)みたいなコメントを書き込みまくっていた。
実害があったわけではないし(その後DJ Tapas MTの強烈なDJセットが披露され、ことなきを得た)、文化の違いとしては面白かったのだが、「遠く離れた異国のイベントで俺たちの地元のDJが出るってよ」みたいな温かさのまったくない、ひたすら殺伐としたファンのノリに衝撃を受けたものだった。
インド的な要素を取り入れたダンスミュージックといえば、かつてのゴアトランスはぐねぐねと曲がったサイケデリックなサウンドを特徴とし、初期においてはヒッピームーブメント発祥のピースフルなノリを持っていた。
だが、この地方のローカルDJが作るひたすら直線的で破壊衝動を鼓舞するようなサウンドは、同じインド的なダンスミュージックとはいえ、かつてのトランスとは真逆の方向性を志向している。
初めてこのサウンドを聴いた時に、これはきっとこの地域のナショナリズム的感情(と、それに基づくムスリム排斥などの暴力的な運動)と何らかの関連があるに違いないと思ったものだが、『燃え上がる女性記者たち』を見て、その予感は確信へと変わった。
ちなみにこの地域に同様のスタイルで活動するDJは他にも数多く存在している。
PAシステムの限界を超えたような歪んだ低音と、ひたすら扇情的かつ攻撃的なビート。
鬱屈した地方在住者の感情を発散させるために自然発生的に生まれたサウンドなのだろうが、音としては非常に面白いだけに、排他的な思想と結びついていることがただただ残念である。
インド音楽ブロガー目線で気になった2点目は、音楽担当としてTajdar Junaidの名前があったこと。
Tajdar Junaidは西ベンガル出身のシンガーソングライターで、2013年にアルバム"What Colour is Your Raindrop"をリリース。
コマ撮りアニメを使用した"Ekta Golpo feat. Satyaki Banerjee, Anusheh Anadil, Diptanshu Roy"のミュージックビデオでは、独特な作風で強い印象を残した。
最近名前を聴かないからどうしているのかと思っていたら、東京外大で2022年12月に上映されたインド北東部からデリーへの移民をテーマにした映画『アクニ デリーの香るアパート』の音楽担当としてその名前を見つけてびっくりしたのだった。
それに続いて、今度はこのドキュメンタリー映画で名前を見かけたのでまた驚いたというわけだ。
完全に映画音楽に移ってしまったのではなく、まだまだインディーミュージシャンとしても活動しているようで、1ヶ月ほど前には、ちょっとジプシーとかミュゼットみたいなスタイルで、同郷の伝説的ロックバンドMohineer GhoraguliのカバーをYouTubeにアップしていた。
西ベンガル出身のミュージシャンは、言語や地域的な問題からか、なかなか全インド的な人気を得ることが難しいようだが、彼は硬派な映画音楽にも活動範囲を広げながらしぶとく活動を続けているようだ。
また映画のエンドロールで彼の名前を見ることがあるかもしれない。
いろいろととりとめなく書いてしまったけど、『燃えあがる女性記者たち』、心のどこかに火がつく素晴らしい映画なので、ぜひたくさんの人に見てもらいたい。
上映は9/16から!
https://www.npr.org/sections/goatsandsoda/2022/03/26/1088862907/writing-with-fire-is-up-for-an-oscar-but-its-subjects-say-theyre-misrepresented
https://scroll.in/reel/1020016/khabar-lahariya-says-oscar-nominated-documentary-misrepresents-its-journalistic-work
https://thewire.in/film/writing-with-fire-savarna-caste-khabar-lahariya
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