2020年06月

2020年06月26日

強烈な社会派無神論ブラックメタル/グラインドコア! Heathen Beastで学ぶ現代インドの政治と社会



コルカタ出身のブラックメタル/グラインドコアバンド、Heathen Beastが新しいアルバムをリリースした。
このニューアルバム"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"がすさまじい。
彼らはギター/ヴォーカルのCarvaka、ベースのSamkhya、ドラムスのMimamsaの3人からなるバンドなのだが、あまりにも激しすぎるその主張のために、本名やメンバー写真を公開せずに活動しているという穏やかでないバンドなのだ。
heathen_beast
(3人組のはずなのにアーティスト写真には4人の男のシルエットが写っているが、あまり気にしないようにしよう)

彼らの音楽について説明するには、まず彼らが演奏しているブラックメタルとグラインドコアというジャンルの説明が必要だろう。
ブラック・メタルというのは、ヘヴィメタルが元来持っていた、悪魔崇拝(サタニズム)的な要素をマジで取り入れた音楽のことだ。
もともとは、キリスト教的な道徳観への反抗の象徴だったサタニズムを純化させ、ヘヴィメタルの持つ地下宗教的な雰囲気を、過剰なまでに先鋭化させたジャンルがブラックメタルである。
一方のグラインドコアは、社会への不満がモチベーションになっているパンクロックをルーツに持つ。
グラインドコアは、パンクのサウンド面の激しさを強調した「ハードコア・パンク」の破壊衝動的な要素を、極限まで突き詰めたジャンルと言っていい。

どちらも極端にノイジーなサウンドに超高速なビート、そして絶叫するヴォーカルという点では共通しているが、そのルーツは、構築主義的なメタルとニヒリズム的なパンクという、全く異なるものなのだ。
今回紹介するHeathen Beastのサウンドは、その両方を標榜しているバンドで、彼らの音楽性は、ブラックメタルとグラインドコアを合わせた'Blackend Glind'と表現されることもあるようだ。

Heathen Beastのメンバーは、それぞれが無神論者であることを明言している。
「無宗教」(特定の信仰を選ばない)ではなく、神の存在そのものを明確に否定するという姿勢は、ヒンドゥーにしろイスラームにしろ、(シク教にしろ、ジャイナ教にしろ、キリスト教にしろ…以下続く)信仰が文化やコミュニティーの基盤となっているインド社会では、非常にラディカルなことである。
インドでは、「信仰」は、コミュニティーを結びつけ救いを与えてくれる反面、強すぎる絆や保守的な規範意識が、個人の意思の否定したり、差別的・排他的な感情を駆り立てたりするという負の側面も持っている。
インドで無神論を選ぶということは、単なる内面の問題ではなく、「信仰」に基づくコミュニティーで成り立っているインド社会を否定するという、非常に社会的(かつパンクロック的)な行為でもあるのだ。

彼らが宗教を否定するブラックメタルであると同時に、パンクロックを突き詰めたグラインドコアでもあるという所以である。

"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"には全部で12曲が収録されているが、このトラックリストがまたすさまじい。

1. Fuck C.A.A
2. Fuck N.P.R & N.R.C
3. Fuck Modi-Shah
4. Fuck The B.J.P
5. Fuck Your Self Proclaimed Godmen
6. Fuck Your Police Brutality
7. Fuck The R.S.S
8. Fuck You Godi Media
9. Fuck Your Whatsapp University
10. Fuck Your Hindu Rashtra
11. Fuck The Economy (Modi Already Has)
12. Fuck The Congress

と、すがすがしいほどにFワードが並んでいる。
彼らがfuckと叫んでいる対象をひとつひとつ見てゆくと、現代インドの政治や社会が抱えている課題を、とてもよく理解することができる。
というわけで、今回は、彼らのニューアルバムのタイトルを1曲ずつ紹介しながら、インドの政治と社会についてお勉強してみたい。

1曲めは、Fuck CAA.

シュプレヒ・コールのようなイントロと、ひたすら街頭デモの様子を映した映像から、彼らの社会派っぷりが分かるミュージックビデオだ。
CAA(Citizenship Amendment Act)すなわち「修正市民権法」とは、昨年12月11日に可決された法案のこと。
この法令は、インドに近隣諸国から移住してきたマイノリティーの人々に対して、適切に市民権をあたえるためのものとされているが、その対象からムスリムを除外していることから、インドの国是である政教分離に違反した差別的な法案だとして、大きな反対運動が巻き起こった。
いつもこのブログで紹介しているインディーミュージシャンたちも、そのほとんどがソーシャルメディア上でこの法案に反対する声明を出していたことは記憶に新しい。

2曲めは、Fuck NPR&NRC.

NPRとはNational Population Register(全国国民登録)、NRCとはNational Register of Citizen(国民登録制度)のことだ。
いずれも不法移民の取り締まりなどを目的として、インドの居住者全員を登録するという制度だが、これまで戸籍制度が整備されていなかったインドでは、国籍を証明する書類の不備などを理由にマイノリティーの人々が意図的に社会から排除されてしまうのではないか、という懸念が広がっている。
Heathen Beastはこれらの制度に強烈に異議を唱えているというわけだ。

3曲めは、Fuck Modi-Shah.

Modiはもちろんモディ首相のこと、Shahはモディ内閣で内務大臣を務めるアミット・シャーのことだ。
シャーは、モディ同様にヒンドゥー至上主義団体RSSの出身で、上記のCAA(修正市民権法)導入を主導した中心人物。
これは、Heathen Beastからの現政権の中枢に対する強烈な糾弾なのである。

さて、律儀に1曲ずつ聴いてくれた方はそろそろお気付きのことと思うが、彼らの音楽は全曲「こんな感じ」だ。
その硬派な姿勢はともかく、曲を聴くのはしんどい、という人は、ひとまず解説だけ読んでいただいて、曲を聴くのは体力があるときにしてもらっても、もちろん構わないです。


4曲めは、"Fuck The B.J.P."

BJPとは日本語で「インド人民党」と訳されるBharatiya Janata Partyのこと。
BJPは一般的にヒンドゥー至上主義政党と言われている。
インドは人口の8割がヒンドゥー教を信仰しているが、政教分離を国是としており、政治と宗教との間には一線を画してきた。
ところが、後述のRSSなどのヒンドゥー至上主義団体を支持母体とするBJPは、これまでに述べてきたようなヒンドゥー至上主義的・イスラーム嫌悪的な傾向が強いと指摘されている。
リベラルな思想を持つミュージシャンの中にも、その政策を激しく批判している者は多い。
例えば、以前特集したレゲエ・アーティストのDelhi Sultanateもその一人で、彼はサウンドシステムを用いて自由のためのメッセージを広めるという活動を繰り広げている。
その(ある意味ドン・キホーテ的でもある)活動の様子はこちらの記事からどうぞ。



5曲めの"Fuck Your Self Proclaimed Godmen"は、インドに多くいる「自称、神の化身」「自称、聖人」を糾弾するもの。

彼らが、本来の宗教者の役割として人々を精神的に導くだけでなく、宗教間の嫌悪や対立を煽ったり、高額な献金を募ったり、現世での不幸の原因をカルマ(前世からの因縁)によるものとしていることに対する批判だと理解して良いだろう。

6曲めの"Fuck Your Police Brutality"は文字通り、警察による理不尽な暴力行為を糾弾するもの。

歌詞を読めば、警察の暴力がマイノリティーであるムスリムや、抗議運動を繰り広げている人々に向けられているということがよく分かるはずだ。
昨今話題になっているBlack Lives Matter同様に、インドでもマイノリティーは偏見に基づく公権力の暴力の犠牲になりがちなのだ。


7曲めは"Fuck The R.S.S."

RSSとは民族義勇団と訳されるRashtriya Swayamsevak Sanghの略称だ。
1925年に医師のヘードゲワール(Keshav Baliram Hedgewar)によって設立されたRSSは、当初からヒンドゥー至上主義(インドはヒンドゥー教徒の国であるという主張)を掲げており、ヒンドゥーとムスリムの融和を掲げるガーンディーの暗殺を首謀したことで、一時期活動を禁止されていた歴史を持つ。
政権与党BJPの支持母体のひとつであり、その反イスラーム的な傾向が強いことが問題視されている。
(一方で、RSSは教育、就労支援、医療などの慈善活動も多く手掛けており、彼らが単なる排外主義団体ではないことは、中島岳志氏の『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』に詳しい)

8曲めは"Fuck Your Godi Media".

Godi mediaというのは聞きなれない言葉だが、ヒンドゥー至上主義的、反イスラーム的(とくに反パキスタン)的な言説を流す傾向が高いメディアのことのようだ。

9曲めは"Fuck Your Whatsapp University".

また耳慣れない言葉が出てきたが、Whatsappは、インドで非常に普及しているメッセージ送受信や無料通話のできるスマートフォンアプリのこと(日本で言えばさしずめLINEだろう)で、4億人ものユーザーがいるという。
Whatsapp Universityというのは、Whatsappから流されてくる誤った情報やフェイクニュースのことを指す言葉のようだ。
こうした情報操作は、おもに現政権与党(つまりBJP)を賞賛するもの、与党に対立する組織や国家を非難するものが多いとされており、BJPは実際に900万人もの人員をWhatsappキャンペーンに動員していると報じられている。
一方で、野党も同じようなインターネットによる情報拡散要員を抱えているという指摘もあり、政権批判だけではなく、このような状況全体に対する問題視もされているという。
Whatsappが(誤った)知識や情報の伝達の場となっていることから'Whatsapp University'と呼ばれているようだが、ひょっとしたら客観的・批判的思考力を持たない卒業生を送り出し続けているインドの大学を揶揄しているという意味も含んでいるのかもしれない。

Godi MediaやWhatsapp UniversityはどちらもジャーナリストのRavish Kumarが提唱した用語である。
インドでは、政治的な主張をするジャーナリストの殺害がこれまでに何件も起こっており、彼もまた2015年から殺害をほのめかす脅迫を受けていることを明らかにしている。
暴力で言論や表現が弾圧されかねないこうした背景こそが、Heathen Beastが匿名でアルバムをリリースせざるを得ない事情なのである。

10曲めは"Fuck Your Hindu Rashtra".
'Hindu Rashtra'はヒンドゥー至上主義国家という意味のようだ。

11曲目は"Fuck The Economy (Modi Already Has)"
これはタイトルどおり、為政者と一部の人々にのみ富をもたらす資本主義経済を糾弾する曲。



そしてラストの12曲めは"Fuck the Congress".
ここで名指しされている"Congress"とは、なんと現最大野党である「国民会議派」のこと。

つまり、彼らは現政権与党BJPや、その背景にあるヒンドゥー至上主義的な傾向だけを糾弾しているわけではなく、インドの政治全般に対してことごとくNoを突きつけているのだ。
国民会議派は、インド独立運動で大きな役割を果たし、初代首相のネルーを輩出し、その後も長く政権を握った政党だが、独立以降、ネルーの娘であるインディラ・ガーンディーをはじめとする一族の人間がトップを取ることが多く、その血統主義は「ネルー・ガーンディー王朝」と呼ばれている。
政権与党時代から、インディラ時代の強権的な政治手法や大企業との結びつきを批判されることも多く、今日においても、ヒンドゥー至上主義的な与党のカウンターとして全面的に支持することができないという人は多いようだ。
昨今の国民会議派は、BJPの支持層を取り込むために、対外的にBJP以上にタカ派の方針を表明することもあり、そうした傾向に対する不満を訴えている可能性もあるのだが、何しろ歌詞が聞き取れないのでよく分からない。

…というわけで、Heathen Beastがその激しすぎるサウンドで、何に対して怒りをぶちまけているのかを、ざっと解説してみた。
彼らはコルカタ出身のバンドである。
彼らのこの真摯なまでの社会性は、独立運動の拠点のひとつであり、その後も(暴力的・非合法的なものを含めて)さまざまな社会運動の舞台となってきたコルカタの文化的風土と無縁ではないだろう。
独立闘争の英雄チャンドラ・ボースを生み、ナクサライトのような革命運動の発祥の地である西ベンガルでは、人々(とくに若者たち)はデモやフォークソングを通して、常に社会や政治に対して強烈な意義申し立てを行ってきた。

Heathen Beastは、単に現政権やヒンドゥー教を糾弾するだけのバンドではない。
今回のアルバムでは、ヒンドゥー・ナショナリズム的な政治を批判する傾向が強いが、彼らが2012年にリリースした"Bakras To The Slaughter"では、イスラーム教がヤギを犠牲とすることを激しく批判している。
何しろ彼らは、"Fuck All Religions Equally"という曲すら演奏しているほどなのだ。

彼らには珍しく、サウンド的にもタブラの音色などインドの要素が入った面白い曲だ。
こうした曲を聴けば、彼らの怒りが、迷信に基づいたものや、人間や生命の尊厳を脅かしたりするものであれば、あらゆる方向に向いているということが分かるだろう。

Heathen Beastの激しすぎる主張を批判することは簡単だろう。
批判ばかりで代案がないとか、彼らが糾弾している対象にも(差別や排外主義は論外としても)それなりの理由や言い分があるとか、そもそもこの音楽と歌い方じゃあ立派な主張もほとんど伝わらない、とか、ツッコミどころはいくらでもある。

それでも、彼らがこういう音楽を通して怒りを率直に表明しているということや、匿名とはいえこうしたことを表明できる社会であるということは、ものすごく真っ当で、正しいことだと思うのだ。
そもそも、ここまで政治や社会に対して直球で怒りをぶつけているパンクロックバンドなんて、いまどき世界中を探してもほとんどいないんじゃないだろうか?
こうした怒りの表明は、ヒップホップのようなより現代的な音楽ジャンルでも、もっとジャーナリスティックなやり方でも、より文学的な表現でもできるかもしれないが、やはりヘヴィメタルやパンクロックでしか表せない感覚というものは、確実に存在する。
ブラックメタルやハードコアのサブジャンルが細分化し、伝統芸能化、スポーツ化(単に暴れるためだけの激しい音楽となっている)してしまって久しいが、彼らのこの大真面目な姿勢に、私はちょっと感動してしまった。

Heathen Beastがテーマにしているのは、彼らがまさに今直面しているインド国内の問題だが、インド人のみならず、ミュージシャンが政治性を持つことを頑なに排除しようとする国の人(あと、そもそも政治性のある音楽を認めていない国の偉い人)も、彼らの音楽を聴いて姿勢を正してほしいと心から思う。

いや、彼らの音楽で姿勢を正すのは変だな。
モッシュするなりダイブするなり好きなように暴れて、それからじっくり考えてみてほしい。


Spirit of Punk Rock is STILL ALIVE in India!
Azadi! (Freedom!)


参考サイト:
https://thoseonceloyal.wordpress.com/2020/05/27/review-heathen-beast-the-revolution-will-not-be-televised-but-it-will-be-heard/ 

https://en.wikipedia.org/wiki/Citizenship_(Amendment)_Act,_2019

https://www.news18.com/news/india/what-is-npr-is-it-linked-to-nrc-all-you-need-to-know-about-the-exercise-2461799.html 

https://cyberblogindia.in/the-great-indian-whatsapp-university/



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2020年06月22日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その2)


タゴールソングNight6.20


前回に続いて、先日の「タゴールソングNIGHT」で紹介した楽曲を紹介します。
タゴールソングの現代的アレンジや、ベンガルのヒップホップを紹介した前回に続いて、今回は、バウルに関する曲からスタート!

いろいろなアレンジのバウルソングを紹介する前に、まずは伝統的なバウルソングを聴いてみましょう。
映画にも登場したLakhan Das Baulが歌う"Hridmajhre Rakhbo".

バウルとは、ベンガル地方に何百年も前から存在している放浪の行者であり、歌い人のこと。

タゴールの詩は、バウルの影響を強く受けていると言われており(一説には、タゴールは19世紀の伝説的なバウルであるラロン・シャーと会ったことがあるとも)、かつては賎民のような扱いだったバウルは、今ではUNESCOの世界無形遺産に指定され、ベンガル文化を代表する存在になっている。

欧米のロックミュージシャンがブルースマンに憧れたように、現代ベンガルのミュージシャンがアウトサイダーであるバウルに憧れを持つことは必然だったようで、多くのバンドがバウルをフィーチャーした曲を発表している。

これはコルカタのロックバンドFossilsが、Purna Das Baulをゲストヴォーカルに迎えた曲。

Purna Das Baulはあのボブ・ディランにも影響を与え(後述)、ボブ・マーリーともステージを共にしたことがあるバウル界の大スター。
佐々木監督によると、この"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"は「愛というものを知らない人は、誰かに与えたり受け取ったりすることがない 本物の黄金を手放す人は黄金そのものを知らない」という内容の歌詞だそう。

タゴールが作った学園都市シャンティニケトンがある地区の名前をバンド名に関したBolpur Bluesは、バウルをゲストに迎えるのではなく、もとからバウルのヴォーカリストがいるという異色のバンド。

いったいどういう経緯でバウルがロックバンドに加入したのかはわからないが、どことなく他のメンバーがバウルのヴォーカリストに気を遣っているように見えなくもない…。
これはラロン・フォキルによる『かごの中の見知らぬ鳥』という歌。

そして、前回紹介したように、タゴールソングのDJミックスを作ってしまうほどにダンスが好きなインドやバングラデシュの人々は、当然のようにバウルソングもダンスミュージックにリミックスしてしまいます。
この曲は"Baul Trap Beat"とのこと。

いったい誰がどういう意図で作ったものなのかは不明だけど、なんでもとりあえずダンスミュージックにしてしまおう、という心意気は素晴らしい。


さて、バウルについて紹介するときに、必ずと言っていいほど書かれているのが「バウルはあのボブ・ディランにも影響を与えている」というフレーズ。
その真偽に関してはこの記事を参考にしてもらうとして、ベンガル文化とディランとの関係は決して一方向のものではなく、ベンガル(とくにコルカタ)の人々もディランから大きな影響を受けている。

「ディランに影響を与えたバウル」であるPurna Das Baulは、ディランの代表曲『ミスター・タンブリンマン』("Mr. Tambourine Man")と『風に吹かれて』("Blowin' in the Wind")をバウル・スタイルでカバーしている。


言われなければディランの曲だと分からないほど、すっかりバウルソングになっている。
佐々木監督曰く、『風に吹かれて』は元の歌詞を見事にベンガル語に翻訳してメロディーに乗せているそう。

ディランからの影響は、彼と交流のあったPurna Das Baulだけではなく、多くのミュージシャンに及んでいる。
往年のコルカタのミュージシャンたちが、ディランからの影響を口々に語るこんなドキュメンタリー映画も作られている。Vineet Arora監督によるこのドキュメンタリー"If Not For You - A Bob Dylan Film"はVimeoで全編が無料公開されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

さらには、コルカタの詩人Subodh Sarkarによるディランを讃える詩の朗読なんてものもある(情感たっぷりに朗読しているのは、詩人本人ではなくて女優さん)。

佐々木監督によると、この詩のタイトル"Paraye Paraye Bob Dylan"は「あらゆるところにボブ・ディラン」という意味だそうで、コルカタの文人から見たディランの影響の大きさや彼の功績を称える内容とのこと。
まるでタゴールに匹敵するような扱いだけど、佐々木監督がベンガルの人に聞いたところ「ディラン?ミュージシャンには人気あるんじゃないかなあ」という回答だったそうで、その人気はあくまでも音楽シーンに限定されるよう。

とはいえ、コルカタのシーンにおけるディランの影響は絶大で、こんなディランへのトリビュートソングも歌われている。
「インドのボブ・ディラン」(こんなふうに呼ばれている人が他にも何人かいるのだけど)ことSusmeet Boseの、その名も"Hey Bob Dylan".

コルカタのフォークシンガーKabir Sumonは、『風に吹かれて』をベンガル語でカバーしている。


ベンガル地方は、イギリスからの独立運動の中心地となった社会意識が非常に高い土地柄だ。
コルカタのシンガーたちは、インドの音楽シーンが、格差やカーストなどの社会問題をいっこうに取り上げないことに疑問を感じ、ディランをお手本に自らも社会的なテーマを扱いうようになった。
コルカタに根付いている社会運動の伝統と、イギリス統治時代に首都だった歴史から来る欧米文化への親和性の高さ、そしてタゴール以来の文学的素養を考えれば、この街ののミュージシャンたちが、プロテストフォークの旗手であり、フォークソングを文学の域にまで高めたディランに惹かれるのは必然だったと言えるだろう。


さて、ここからは、タゴールやバウルから離れて、現代ベンガルの音楽シーンの発展を見てゆきます。

イギリス統治時代の首都だったコルカタは、古くから在留イギリス人や上流階級に西洋音楽が親しまれていた土地で、繁華街パークストリートには、ジャズの生演奏を聴かせるレストランがたくさんあったという(今でもパークストリートにはクラブやライブ演奏のある飲食店が多くあります)。
こうしたシーンの中心的な存在だったのは、イギリス人の血を引くアングロ−インディアンと呼ばれるコミュニティのミュージシャンたち。
独立まもない時期から活躍したアングロ−インディアンのジャズシンガーのPam Crainは、「パークストリートの女王」と呼ばれ、長くコルカタのジャズシーンで活躍した。


1960年代に入ると、ビートルズなどの影響で、インドにも「ビートグループ」と言われるバンドが登場する。
彼らはギターを手作りしたり、政治演説用のスピーカーをアンプの代わりにしたり、警察のマーチングバンド用のドラムを使ったりという涙ぐましい努力をして、ロックの演奏に取り組んだ。
コルカタはそうしたシーンの中心地のひとつで、このThe Cavaliersの"Love is a Mango"はインドで最初のオリジナルのロック曲。

シタールの入ったインドらしい響きが印象に残るサウンドだ。

The Cavaliersの中心人物Dilip Balakrishnanは、1970年代に入ってHighを結成し、より洗練されたロックを演奏した。

音だけ聴いてインドのバンドだと気づく人はいないだろう。
高い音楽的才能を持っていたDilipだが、当時のインドではロックのマーケットは小さく、仕事をしながら音楽活動を続けていたものの、1990年にその後のインディーミュージックシーンの隆盛を見ることなく、若くして亡くなっている。

1971年、東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが独立。
これはバングラデシュ独立後最初のロックバンドと言われるUnderground Peace Loversのドキュメンタリーだ。


バングラデシュでは、インド領の西ベンガルと比べてバウル文化の影響がより大きく、「街のバウル」を意味するNagar Baulや、ラロン・フォキルから名前を取ったLalon Bandといったバンドたちが活躍した。

シンガーのJamesがNagar Baul(街のバウル )とともに演奏しているのは、彼らの代表曲"Feelings".
Nagar Baulには2018年に亡くなった名ギタリスト/シンガーのAyub Bachchuも在籍していた。

こちらはLalon Band.



1970年代に入ると、インド領西ベンガル州では、毛沢東主義を掲げ、階級闘争ためには暴力行為もいとわないナクサライトなどの社会運動が活発化する。
こうした風潮に応じて、コルカタのミュージシャンたちも、欧米のバンドの模倣をするだけでなく、よりローカルで社会的なテーマを扱うようになる。
ディランからの影響も、こうした社会的背景のもとで育まれたものだ。
Mohiner Ghoraguliは、Pink Floydのような欧米のバンドのサウンドに、バウル音楽などのベンガル的な要素を取り入れたバンド。

Mohiner Ghoraguliというバンド名はベンガルの詩人ジボナノンド・ダースの作品から取られている。
ちょっと狩人の『あずさ2号』にも似ているこの曲は、「テレビの普及によって世界との距離が近くなる代わりに疎外感が生まれる」という現代文明への批判をテーマにしたもの。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、ナクサライトの活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。
彼が99年に亡くなるまで、Mohiner Ghoraguliは知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。


さて、ここから一気に現代へと飛びます。
コルカタのロックシーンの社会批判精神は今日でも健在!
つい先日リリースになったばかりのコルカタのブラックメタル/グラインドコアバンドHeathen Beastの"Fuck Your Police Brutality"は、激しすぎるサウンドに乗せて警察権力の横暴と、マイノリティーへの暴力を鋭く告発した曲。

彼らのニューアルバムは、一枚まるまる現代インド社会への批判になっていて、近々ブログで特集したいと思います。

最後に紹介したのは、コルカタ音楽シーンの洗練の極みとも言えるドリームポップデュオ、Parekh & Singh.

イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約し、日本でも高橋幸宏にレコメンドされるなど、国際的にも高い評価を得ている彼らは、アメリカのバークリー音楽院出身のエリートミュージシャンだ。
毎回かなりお金のかかっていそうなミュージックビデオを作っている彼らのお金はどこから出てきているのかと思っていたが、事情を知る人の話では「家がとんでもないお金持ち」という真相だそう。

大金持ちといえば、タゴールも大地主の家の息子。
経済的な豊かさを基盤に、安穏と暮らすのではなく、さまざまな文化を消化して詩情豊かな作品を作り上げることもベンガルの伝統なのかもしれない、なんて言ったら、さすがにこじつけかな。

と、こんな感じで当日は3時間にわたってタゴールソングからバウルソング、現代ベンガルに至る音楽とトークの旅をお届けしました。

映画『タゴール・ソング』はポレポレ東中野、仮設の映画館ではまだまだ上映中!
6月27日(土)からは名古屋シネマテークでの上映も始まります。

映画未見の方はぜひご覧ください!


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2020年06月21日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その1)

というわけで、6月20日(土)に東中野の「CAFE & SPACE ポレポレ坐」にて、長ーいタイトルの『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』をやってまいりました。

お客さんから、「当日のセットリストを教えて欲しい」という声をたくさんいただき、また遠方だったりでお越しいただけなかった方もいらっしゃるようなので、今回は当日紹介した曲の動画をあらためて紹介します。

まずは映画にも登場したRezwana Chowdhuryの"Majhe Majhe"を聴いて、伝統的なスタイルのタゴールソングを復習。

ちなみにこれはバングラデシュの朝の番組のなかの一幕。
「今日の占いカウントダウン」みたいなノリで、「今日のタゴールソング」のコーナーがあるそうです。

ここからはいよいよ、現代風にアレンジされたさまざまなタゴールソングを紹介してゆきます。
パンフレットでも紹介しているムンバイのYouTuberバンドSanamの"Tumi Robe Nirobe"(『あなたが居る』)

タゴールの詩をラブソングとして解釈して、このインドのお菓子のような甘すぎるアレンジにしたのだろうけれども、これはこれでアリ。
メンバーはいろんなタイプのイケメン。あなたの好みは誰?

続いて、バンガロールのバンド、Swarathmaが、ベンガルの行者であり吟遊詩人でもあるバウルのLakhan Das Baulを加えて演奏した"Ekla Cholo Re"(『ひとりで進め』)。
バウルについてはのちほど詳しく紹介します。

映画の中ではベンガルの人々とタゴールソングの関係にフォーカスされていたけど、ムンバイ、バンガロールとベンガル以外の地域のみなさんも、タゴールソングには並々ならぬ思い入れがあるようです。


続いては、コルカタのロックバンドによる大げさなアレンジの"Ekla Cholo Re".
これは当日紹介しようとして、動画が見当たらなくて紹介できなかったものです。

素朴なタゴールソングのイメージを覆すド派手なアレンジは、大事な試験の前とか、「俺は一人でやるんだ!」と自分を奮い立たせるときなんかにいいんじゃないんでしょうか。

映画"Kahaani"(邦題『女神は二度微笑む』)で使われた、名優Amitabh Bhachchanが歌う"Ekla Cholo Re"は洋楽風のアレンジ。

同じ"Ekla Cholo Re"でもアレンジでさまざまな印象になることが分かります。

続いて、コルカタのメタルバンドThe Winter Shadeによる、さらに大げさなアレンジのタゴールソングを。

いかにもメタルっぽい黒いTシャツ、サングラス、バンダナ(でも髪は短い)、そして大自然の中でどこにも繋がっていないアンプ(しかもマーシャルとかじゃなくて練習用っぽい小さなやつ)、最後まで使われないアコースティックギター、草越しの謎のカット、とツッコミどころ満載だけど、こんなコテコテのメタルバンドからも愛されているタゴールソングってすごい!
ちなみにこの曲のメロディーは、あの『蛍の光』と同じく、スコットランド民謡の"Auld Lang Syne"から取られたもの。
イギリス統治時代に生きていたタゴール(イギリス留学経験もある)は、このメロディーに自らの詩を乗せてみたくなったのでしょう。
佐々木監督曰く、原曲同様に昔を懐かしむ詩が乗せられているとのこと。

続いては、個人的にとてもお気に入りの、素人っぽい大学生風の3人によるウクレレとビートボックスを使ったカバー。

「タゴールソングのカバーやろうよ。君、歌上手いから歌って。俺ウクレレ弾くから。そういえば、あいつビートボックスできたよな。YouTubeにアップしよう。」みたいな会話が聴こえて来そうな雰囲気がたまらない。
タゴールソングがカジュアルに親しまれているいることが分かる1曲。

続いては、タゴールによって作詞作曲されたバングラデシュとインドの国歌を紹介。
こちらは"We Are The World"形式でさまざまな歌手が歌うバングラデシュ国歌『黄金のベンガル』。


再び名優Amitabh Bachchanが登場。
タゴール生家でアカペラで歌われるインド国歌"Jana Gana Mana"は、思わず背筋を伸ばしたくなる。


さらに続くタゴールソングの世界。
ダンス好きなインド人ならではの、タゴールソングのDJ remixなんてものもある。

インドっぽい女性の'DJ〜'っていうかけ声から、DJと言いながらもヒップホップやエレクトロニック系のビートではなく完全にインドのリズムになっているところなど、こちらも愛すべきポイントが盛りだくさん。
佐々木監督からは、「タゴールソングにはダンス用の曲もあり、タゴールダンスというものもある」というお話を伺いました。
YouTubeのコメント欄にはベンガル語のコメントがいっぱい書かれているのだけど、「DJタゴールのアルバムがほしい」「タゴールが生きていたらこのDJにノーベル賞だな」というかなり好意的なものだけでなく、「犬にギーのご飯の味は分からない」(「豚に真珠」のような意味)といった批判的ものもあったとのこと。
いろんな現代的なアレンジで親しまれているタゴールソングですが、なかには「タゴールソングはやっぱり伝統的な歌い方に限る!現代風のアレンジは邪道」と考えている保守的な人もいる。
その一方で、若い人たちが、自分たちなりに親しめる様式にしているというのは、すごく間口が広くて素敵なことなのではないかと思う。



続いて紹介したのは、タゴールにインスパイアされた楽曲たち。
まずはコルカタのラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRが、タゴールソングの代表曲のタイトルを借用した"Ekla Choro Re".
貧困に喘ぎ、自ら死を選ばざるを得ないインドの農村の人々を描いた衝撃的なミュージックビデオは以前こちらの記事で紹介したので、今回はこの曲が話題になったきっかけのテレビ番組でのパフォーマンスをシェアします。


曲が進むにつれ真剣なまなざしになる審査員、最後に「失うものは何もない。団結しよう。束縛を打ち破ろう」とアジテーションするEPRに、独立闘争を戦ったベンガルの英雄たちの姿が重なって見えます。

これは当日紹介できなかった動画。
サイプレス上野みたいな見た目のラッパーによるタゴールへのトリビュートラップ。

自宅なのかな?
これもカジュアル感がたまらない仕上がり。
佐々木監督に聞いたところ、リリックは「タゴール誕生日おめでとう。いつもリスペクトしてるよ。いつもあなたがいる。」という、まるで先輩ラッパーに捧げるかのような内容だそう。


ここから話は現在のベンガルのヒップホップ事情に移ります。
まずはコルカタを代表するラッパー、Cizzyのこの曲"Middle Class Panchali"を紹介。

このジャジーなビートは、バングラーっぽいリズムになりがちなデリーや、パーカッシブなビートが特徴のムンバイのヒップホップとは全く違うコルカタらしい小粋な仕上がり。
ちなみに音楽ジャンルとしての「バングラー」は、カタカナで書くとバングラデシュ(Bangladesh)と同じだが、アルファベットで書くとBhangra.
インド北西部パンジャーブの伝統音楽でベンガルとは何の関係もないのでご注意を。

コルカタのヒップホップシーンのもうひとつの特徴は、とにかくみんな自分の街のことをラップすること!
ムンバイもちょっとそういう傾向あるけど、不思議とデリーのラップではそういうの聴いたことがない。
この曲は、コルカタにあるインド最古のレーベル、Hindusthan Recordsの音源をトラックに使った温故知新なビートがクールなこの曲もリリックはコルカタのカルチャーが満載。(これもイベントでは紹介できなかった)

1:35頃の映像に、タゴールもちょこっと出てくる。

こちらは映画にも出て来たバングラデシュの首都ダッカのラッパー、Nizam Rabby.

バングラデシュのラッパーたちも、バングラデシュのことをラップする傾向がある。
佐々木監督曰く、この曲は1971年の独立を勝ち取った戦士たちのことなども扱われているとのこと。


続いて、インド各地の歌がメドレー形式で歌われる曲の中でも、ベンガルを代表する曲として必ずタゴールソングが出てくるという話題。
米ペンシルバニア大学に通うインド系の学生たちによるアカペラ・グループPenn Masalaが歌うインド各地(各言語)を代表する曲のメドレーでは、他の言語の代表曲がほとんど映画音楽(インドなら当然なのだけど)なのに対して、ベンガルからは"Ekla Cholo Re"が選ばれている。


こちらはインド北東部ナガランド州に暮らすさまざまな部族や、インド主要部から移住して来た人々がメドレー形式で歌う曲"As One".
4:30頃に出てくるベンガル人は、やっぱりタゴールの"Ekla Cholo Re"を歌います。

ベンガルを代表する曲といえばタゴールソング、そのなかでもやっぱり"Ekla Cholo Re"ということになるのかも。

長くなりそうなので、今回はここまで!


「その2」はこちらから!↓



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2020年06月14日

6月20日(土)ポレポレ坐(ポレポレ東中野1階)にて『タゴール・ソングNIGHT』開催!!



タゴールソングNight6.20



というわけで、6月20日(土)ポレポレ東中野1階の「Space & Cafe ポレポレ坐」にて、『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』を開催します。

  • 『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』
  • 6月20日(土)17:30 オープン、18:00 スタート(終了は21:00の予定ですが途中入退場自由です)
  • 会場:ポレポレ東中野1階 「Space & Cafe ポレポレ坐」
  • 1ドリンク付き 2000円
  • ご予約はこちらから:
  • https://pole2za.com/event/2020-6-20.html
  • コロナウィルス感染拡大へ対策として、定員を通常の50%の50名とさせていただきます。ご来場時は必ずマスクをご着用くださいますよう、お願いいたします。咳や発熱、その他体調に不安のある方はご来場をお控え下さい。
  • お問い合わせ TEL:03-3227-1445 MAIL:polepoleza@co.email.ne.jp

分かりやすいイベント名にしようとしたら、めちゃくちゃ長い寿限無みたいなタイトルになってしまいました。
タゴールにつながるベンガルの精神が、現代にどのようにに生きているのか、ベンガルの歴史やポップカルチャーに触れながら、いろんな楽曲とともに紹介したいと思っています。
先日のトークでも紹介したようなタゴール・ソングの現代風カバーや、独立後のコルカタやバングラデシュのインディー音楽(映画のために作られた音楽ではなく、その時代の若者たちが自発的に作った音楽)などを流しながら、佐々木監督、大澤プロデューサーと楽しいトークをする予定です。

(先日のイベントの様子はこちら)
 

そして、映画にも出てきたベンガル地方の流浪の行者/吟遊詩人であるバウルとボブ・ディランの関係や、こちらも映画で注目を集めたベンガルのラッパーやクラブミュージックなども紹介する予定。
意外なほど洗練された現代コルカタのアーティストたちをお楽しみに!
もちろん、撮影の裏話や、映画の登場人物の話題なども佐々木監督に話してもらいたいと思っています。
ここでしか聞けないトーク、聴けない音楽は、映画を見てから来ても、見る前に来ても楽しめること間違いなし!
ぜひみなさんお越しください!!

ご予約はこちらから!



ちなみに、このイベントのポスターに使われているタゴールのイラストは、新井薬師前のベンガル料理店「大衆食堂シックダール」のピンキーさんに書いてもらったものです。
とても美味しいベンガル料理が楽しめるお店なので、こちらもぜひどうぞ!


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2020年06月11日

インドに共鳴する#BlackLivesMatter ダリットやカシミール、少数民族をめぐる運動


今さら言うまでもないことだが、米ミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが警察官の過剰な暴力によって命を落としたことに端を発する抗議運動が、世界中に広がっている。
この運動は、もはや個別の事件への抗議運動ではなく、社会構造に組み込まれた差別や格差全体に対する抗議であるとか、過激な反ファシスト活動家たちが暴力的な行動を引き起こしているとか、いや、じつは暴力行為の引き金を引いているのは彼らを装った白人至上主義団体だ、とか、さまざまな議論が行われているが、すでに詳しく報じている媒体も多いので、ここでは割愛する。

アフリカ系アメリカ人のみならず、多くの人種や国籍の人々が、SNS上で#BlackLivesMatterというハッシュタグを使い、軽視される黒人の命を大切にするよう訴えていることも周知の通りだ。
この 'Black Lives Matter'(BLM)は、2013年に黒人少年が白人自警団員に射殺された事件をきっかけに生まれスローガンで、その後も同様の事件が起こるたびに、'BLM'ムーブメントは大きなうねりを巻き起こしており、インドでも、多くの著名人がBLMへの共感を表明している。

それにともなってソーシャルメディア上で目につくようになってきたのが、#DalitLivesMatterというハッシュタグだ。
ダリット(Dalit. ダリトとも)とは、南アジアでカースト制度の最下層の抑圧された人々のこと。
動物の死体の処理や、皮革工芸、清掃、洗濯など「汚れ」を扱う仕事を生業としてきた彼らの存在は、カースト制度の枠外に位置付けられた「アウトカースト」と呼ばれたり、触れたり視界に入ったりするだけで汚れるとされて'Untouchable'(「不可触民」と訳される)と呼ばれるなど、激しい差別の対象となってきた。
インドの憲法はカースト制度もそれに基づく差別も禁じているが、今日に至るまで、苛烈なカースト差別に起因する殺人や暴力はあとを絶たない。
ソーシャルメディア上では、#DalitLivesMatterのハッシュタグとともに、実際に起きたダリット迫害事件のニュースがシェアされたり、「インドのセレブリティーはBLMに対する共感を表明するなら、自国内の差別問題にも真摯に取り組むべきだ」という痛烈な意見が述べられたり、さまざまな情報発信が行われている。

ダリットに対する差別反対と地位向上を訴えているオディシャ州出身のラッパーのSumeet Blueも、#DalitLivesMatterを使用している一人だ。
彼はソーシャルメディアを通じて、ネパールのダリットが石を投げられて殺されたことや、貧しさゆえにオンライン授業にアクセスできなかったケーララ州のダリットの少女が自ら命を絶ったことなど、厳しい現実を発信し続けている。

彼のリリックのテーマもまたダリットの地位向上であり、この"Blue Suit Man"では、「ダリット解放運動の父」アンベードカル博士をラップで讃えている。

アンベードカルはダリットとして様々な差別を受けながら、猛勉強をして大学に進み、ヴァドーダラー君主による奨学金を得てコロンビア大学に留学し、のちにインド憲法を起草して初代法務大臣も務めた人物である。
晩年、彼はヒンドゥー教こそがカースト制度の根源であるという考えから、50万人もの同朋とともに仏教に改宗し、ダリット解放とインドにおける仏教復興運動の両方で大きな役割を果たした。
彼は青いスーツを好んで着用していたことで知られ、今日では青はダリット解放運動を象徴する色となっている。(これとは別に、青は空や海のように境界がないことを表しているという説も聞いたことがある)

インド各地に目を向けると、ヒップホップとタミルの伝統音楽を融合したCasteless Collectiveや、自らの出自である皮革工芸カーストの名を冠したチャマール・ポップ(Chamar Pop)を歌う女性シンガーGinni Mahiなどが、音楽を通して反カーストやダリットの地位向上のためのメッセージを発信しつづけている。




ダリット以外のインドの人々にも、BLMムーブメントは影響を与えている。
#KashmiriLivesMatterは、長く独立運動や反政府運動が続き、それに対する苛烈な弾圧で罪のない人々の自由や命が奪われ続けているカシミールへの共感を表明するハッシュタグだ。

カシミール出身のラッパーAhmerは、自由を求める政治的/社会的な主張を発信しているレゲエアーティストのDelhi Sultanateとコラボレーションした新曲"Zor"を6月9日にリリースした。
(ただし、彼らが#KashmiriLivesMatterのハッシュタグを使用していることは確認できなかった。彼の曲を聴けば、同じテーマを扱っていることは分かるのだが)。

カシミール地方は、昨年、中央政府によって自治権を持った州から直轄領へと変更になったばかりであり、その反対運動を抑えるために、外出禁止やインターネットの遮断といった事実上の戒厳令下に置かれていた。
こうした状況のもとで、圧制に反発し、カシミール人を鼓舞する楽曲をリリースするということは、かなり勇気のいる行動だと思うが、なんとしても訴えたい現実があるのだろう。

カシミールのラッパーによる意見表明は今回が初めてではない。
同じくカシミール出身のラッパーMC Kashは、2010年に、抑圧され続けるカシミールの現状に抗議する"I Protest"をリリースしている。
この曲のタイトルは、大きな共感を呼び起こし、ハッシュタグ'#IProtest'として、インド社会を中心に広く拡散し、カシミールの住民への弾圧に反対する人々の合い言葉となった。


Delhi SultanateやMC Kashについては、以前こちらの記事で詳しく紹介している。



#DalitLivesMatterや#KashmiriLivesMatterは、BLMに比べれば、大きな盛り上がりになっているとは言えないかも知れないが、社会構造の中で抑圧された人々をめぐる運動が国境を超えてインスパイアされているということを示す象徴的な事例と言うことができるだろう。
マイノリティの権利獲得/地位向上のための運動としての歴史が長いアフリカ系アメリカ人のムーブメントは、訴求力の高い彼らの音楽とともに、様々なマイノリティ運動に活力を与えているのだ。


もうひとつ事例を紹介したい。
2017年に米ラッパーのJoyner Lucasが発表した"I'm not Racist"は、今回のBLMムーブメントとともに再び注目されている楽曲だが、白人による無理解に基づく偏見と、それに対する黒人からの言い分というこの曲の構成を、インドに置き換えて「リメイク」したラッパーがいる。
まずは、オリジナル版を見てみよう。


オディシャ州出身の日印ハーフのラッパー、Big Dealは、その東アジア人的な見た目を理由に幼少期に差別を受けた経験を持っており、そのことから、彼によく似た外見を持ち、マイノリティーとして差別の対象となっているインド北東部の人々の心情に寄り添った楽曲を発表している。
インドのメインランド(アーリア系やドラヴィダ系の人種がマジョリティであるインド主要部)の人々から「お前は本当にインド人なのか?」と蔑まれるインド北東部出身者の状況をラップした"Are You Indian"がその曲である。

さまざまな人々がリップシンクしているが、"I'm Not Racist"同様に、実際は全てのヴァースをBig Dealがラップしている。
この曲の前半では、メインランドの典型的インド人から、北東部出身者の見た目や習慣に関する偏見に基づいた差別的な非難が繰り広げられる。
後半のヴァースでは、それに対して、北東部出身者から、彼らも同じインド人であること、彼らの中にも多様性があるということ、マイノリティーとして抑圧されてきたこと、差別的な考えはインド独立前のイギリス人と同様で恥ずべきものであることなどという反論が行われる。

リリックの詳細はこちらの記事に詳しく訳してあるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。
Big Dealはつい先日も、コロナウイルスの発生源とされる中国人に似た見た目の北東部出身者がコロナ呼ばわりされることに抗議する曲をリリースしており、さながら北東部の人々の心情をラップで代弁するスポークスマンのような役割を果たしている。



#DalitLivesMatterや#KashmiriLivesMatter(インドに限ったものではないが、#MuslimLivesMatterというものもある)は、#BlackLivesMatterが黒人の命だけを特別扱いするものだとして起こった#AllLivesMatter(黒人の置かれた状況を無視した話題のすり替えであり、マジョリティである白人の特権性に無自覚な表現だと批判された)とは全く異なるものだ。
インドにおけるこうしたムーブメントは、BLMのスローガンである'None of us are free, until all of us are free'をローカライズしたものだと言うことができるろう。
オリジナルのBLMをリスペクト、サポートするだけではなく、インドの社会問題にも想いを寄せるとともに、日本を含めた世界中に様々な形で存在している差別や偏見についても、改めて考えるきっかけとしたい。



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2020年06月07日

6/7(日)『タゴール・ソングス』オンライントークご報告!

というわけで、先ほどポレポレ東中野さんで『タゴール・ソングス』佐々木監督とのトークイベントを行ってきました。
このご時世なので私、軽刈田はオンラインで画面上に登場してお話させてもらいました。
(まさか自分の人生で、映画館のスクリーンに映されることがあるとは思わなかった…)

トークのなかで紹介した曲の動画をご案内します。
まずは、タゴール・ソングのさまざまなカバーバージョンから。

最初に紹介するのは、ムンバイの4人組ポップロックバンド、Sanamが演奏する"Tumi Robe Nirobe".
この曲は、『タゴール・ソングス』の中では『あなたが居る』という翻訳で歌われている曲ですが、インドの極甘イケメン風バンドが演奏するとこんなふうになります。

SanamはYouTubeにアップした動画がきっかけで人気を得たという現代的なバンドですが、オリジナル曲だけでなく、懐メロのカバーにも積極的に取り組んでいます。
インド人の懐メロといえば、それは当然、往年の名作映画を彩った劇中歌。
そうした名曲を現代風にアップデートした彼らのカバーバージョンは、YouTubeで大人気となり、中には1億回を超える再生回数のものもあります。
そんな彼らは、映画音楽だけでなく、こうしてタゴール・ソングもカバーしているのです。
このことからも、大文学者タゴールが作った曲が、インドのエンターテインメントの王道である映画の名曲と同じように親しまれているということがよく分かります。
この"Tumi Robe Nirobe"は4,000万回を超える再生回数を叩き出して、まるで現代のヒットソングのよう。
彼らは他にも"Boro Asha Kore Easechi"や"Noy Noy Modhur Khela"といったタゴール・ソングをカバーしています。
興味のある方はYouTubeで検索してみてください。


続いて紹介したのは、バンガロールのフュージョンロックバンドSwarathmaが、ベンガルの放浪詩人「バウル」と共演した"Ekla Cholo Re".

「バウル」とは、ベンガル地方(インドの西ベンガル州およびバングラデシュ)に何百年も前から存在している行者とも詩人とも言える人たちのことです。
ヒンドゥーやイスラームの信仰を超えた存在である彼らは、タゴールにも大きな影響を与えていると言われていますが、ここでは逆にそのバウルがタゴール作の歌"Ekla Chalo Re"(映画の中でも何度も登場している『ひとりで進め』)を歌っています。
歌っているのはLakhan Das Baul.
映画にも同名のバウルが登場しますが、このLakhanは映画に出てきたのとは別の人物です。

ここまで紹介した2組は、ベンガルではなく、それぞれインド西部のムンバイと南部のバンガロールのバンド(Lakhan Das Baulはベンガルのバウルですが)、つまり、ベンガル語を母語としない人たちです。
映画では、タゴールがベンガルの人々にいかに身近に愛されているかが綴られていましたが、ベンガル以外の人々にとっても、タゴールは深く敬愛されているのでしょう。
アカペラ・グループのPenn Masalaが、インドの各言語を代表する名曲をメドレーにした動画があるのですが、その動画でも、ほとんどの言語の曲が映画音楽だったのに対して、ベンガル語からはタゴール・ソング(この"Ekla Chalo Re")が選ばれていました。

(グジャラーティー、ヒンディーに続いてベンガル語で歌われる2曲めが"Ekla Chalo Re".一瞬ですが)


同じ"Ekla Cholo Re"をコルカタのロックバンドOporinotoが壮大なアレンジでカバーしているのがこちら。

同じ『ひとりで歩け』でもアレンジ次第でいろんな印象になるということが分かります。
タゴール・ソングは、このように様々な現代的なアレンジがされている一方で、正統派の歌い方というものがはっきりと確立されている音楽でもあります。
映画の中で、オミテーシュさんとプリタさんの師弟が歌っているのが正統派のタゴール・ソングです。
ベンガルには、新しいアレンジが施されたタゴール・ソングは邪道と考え、正統派の歌のみを愛してやまないリスナーもたくさんいます。
このへんは、歌舞伎や落語のような日本の古典芸能にも近い感覚かもしれません。

ところで、これを言ってはおしまいなんですが、ベンガル語が全くわからない我々にとって、ここまで紹介してきたカバーバージョンは、あまり魅力的に響かなかったのではないでしょうか。
それはなぜかと言うと、「歌詞がわからないから」ということに尽きると思います。
そもそもロックのアレンジと、4拍子ではなく、とらえどころのないタゴール・ソングのメロディーの相性があんまりよくないということもあるのですが、その最大の原因は、タゴール・ソングのなによりの魅力である歌詞が伝わってこない事でしょう。
何が歌われているか分からないと、タゴール・ソングの良さは、ほとんど伝わらないのではないでしょうか。
仮に、タゴール・ソングのCDを買ってきて、歌詞の対訳を読みながら聴いたとしても、歌われているのがどの部分の歌詞なのかが分からないと、やっぱり良さはあまり伝わらないはずです。
その点、歌にあわせて字幕を出すことのできる「映画」という表現方法は、我々のようにベンガル語が分からない人々にタゴール・ソングを紹介するのにはぴったりです。
歌を聴きながら歌詞を読むことで、たとえば「ひとりで歩け」という歌詞が、メロディーによって、寂しげに聞こえたり、奮い立たせるように聞こえたりすることが分かります。
そういう意味でも、映画という形でタゴール・ソングを紹介してくれた佐々木監督の発想は素晴らしかったと言えるでしょう。

これはタゴール・ソングではありませんが、"Ekla Cholo Re"というタイトルを借用したラップの曲。
映画の中にもバングラデシュのラッパーが出てきましたが、南アジアではここ最近ヒップホップの人気が非常に高まっており、どこの街にもラッパーがいて、その街のリアルな様子をラップしています。
これはUndergrount AuthorityというコルカタのラップメタルバンドのヴォーカリストであるEPRというラッパーのソロ作品で、厳しい生活を余儀なくされ、死を選ぶしか道のない農村の人々の辛さを訴えた曲です。


こちらもタゴールとは直接関係ありませんが、Purna Das Baulというバウルがボブ・ディランをカバーした楽曲で、"Mr. Tambourine Man".

 このPurna Das Baulはディランと親交があり、彼の音楽にも大きな影響を与えた人物です。
バウルはタゴールとボブ・ディランという二人のノーベル文学賞受賞者に影響を与えているということになるのです。



と、まあこんな感じでポップミュージックの視点から、タゴール・ソングとベンガルの音楽をほんの少し紹介させてもらいました。
本日は、30分という限られた時間のなかで、トークのみでのご案内でしたが、実際にみなさんを前に佐々木監督とトークしながらミュージックビデオをごらんいただくイベントの開催が決まりました!

6月20日(土)ポレポレ東中野1階の「space & cafe ポレポレ坐」にて、夕方〜夜にかけて開催予定です。
正式に決まり次第、改めてご案内します!

というわけで、本日はお越しいただいた方も、お読みいただいた方も、ありがとうございましたー!



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2020年06月06日

ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その3) 驚異の「オンライン会議ミュージカル」ほか





先日、「ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その1)」と「その2」という記事を書いたが、その後もいろんなミュージシャンが、この未曾有の状況に音楽を通してメッセージを発信したり、今だからこそできる表現に挑戦したりしている。
今回は、さらなるロックダウンソングス(そんな言葉はないけど)を紹介します!
(面白いものを見つけたら、今後も随時追加してゆくつもり)

まず紹介したいのは、政治的・社会的なトピックを取り上げてきたムンバイのラップグループSwadesiによる"Mahamaari".

パンデミックへの対応に失敗したモディ政権への批判と、それでも政権に従わざるを得ない一般大衆についてラップしたものだという。
MC Mawaliのヴァースには「資本主義こそ本当のパンデミック」というリリックが含まれているようだ。
これまでも積極的に伝統音楽の要素を導入してきた彼ららしく、このトラックでも非常にインド的なメロディーのサビが印象的。

ムンバイのシンガーソングライターTejas Menonは、仲間のミュージシャンたちとロックダウン中ならではのオンライン会議をテーマにした「ロック・オペラ」を発表した。

これはすごいアイデア!
オンライン会議アプリを利用したライブや演劇は聞いたことがあるが、ミュージカルというのは世界的に見ても極めて珍しいんじゃないだろうか。
アーティスト活動をしながら在宅でオフィスワークをしている登場人物たちが、会議中に突然心のうちを発散させるという内容は、定職につきながら音楽活動に励むミュージシャンが多いインドのインディーシーンならではのもの。
この状況ならではのトピックを、若干の批評性をともなうエンターテインメントに昇華させるセンスには唸らされる。
恋人役として出演している美しい女性シンガーは、「その1」でも紹介したMaliだ。

アメリカのペンシルバニア大学出身のインド系アカペラグループ、Penn MasalaはJohn Mayerの"Waiting on the World to Change"と映画『きっと、うまくいく』("3 Idiots")の挿入歌"Give Me Some Sunshine"のカバー曲をオンライン上のコラボレーションで披露。

しばらく見なかったうちになんかメンバーが増えているような気がする…。
(追記:詳しい方に伺ったところ、Penn Masalaはペンシルバニア大学に在籍している学生たちで結成されているため、卒業や入学にともなって、メンバーが脱退・加入する仕組みになっているとのこと。歌の上手い南アジア系の人って、たくさんいるんだなあ)


以前このブログでも取り上げたグジャラート州アーメダーバード出身のポストロックバンドAswekeepsearchingは、アンビエントアルバム"Sleep"を発表。

以前の記事で紹介したアルバム"Zia"に続く"Rooh"がロック色の強い作品だったが、今回はうって変わって静謐な音像の作品となっている。
制作自体はロックダウン以前に行われていたそうだが、家の中で穏やかに過ごすのにぴったりのアルバムとなっている。
音色ひとつひとつの美しさや存在感はあいかわらず素晴らしく、夜ランニングしながらイヤホンで聴いていたら、まったく激しさのない音楽にもかかわらず脳内麻薬が分泌されまくった。

ムンバイのヒップホップシーンの兄貴的存在であるDivineのレーベル'Gully Gang'からは、コロナウイルスの蔓延が報じられたインド最大のスラム、ダラヴィ出身のラッパーたち(MC Altaf, 7Bantaiz, Dopeadelicz)による"Stay Home Stay Safe"がリリースされた。
このタイトルは、奇しくも「その1」で紹介したやはりムンバイのベテランラッパーAceによる楽曲と同じものだが、いずれも同胞たちに向けて率直にメッセージを届けたいという気持ちがそのまま現れた結果なのだろう。
アクチュアルな社会問題に対して、即座に音楽を通したメッセージを発表するインドのラッパーたちの姿勢からは、学ぶべきところが多いように思う。
タミル系が多いダラヴィの住民に向けたメッセージだからか、最後のヴァースをラップするDopeadeliczのStony Psykoはタミル語でラップしており、ムンバイらしいマルチリンガル・ラップとなっている。


ムンバイのヒップホップシーンからもう1曲。
昨年リリースしたファーストアルバム"O"が高い評価を受けたムンバイのラッパーTienasは、早くもセカンドアルバムの"Season Pass"を発表。
彼が「ディストピア的悪夢」と呼ぶ社会的かつ内省的なリリックは、コロナウイルスによるロックダウン下の状況にふさわしい内容のものだ。

この"Fubu"は、歪んだトラックに、オールドスクールっぽいラップが乗るTienasの新しいスタイルを示したもの。
トラックはGhzi Purなる人物によるもので、リリックには、かつてAzadi Recordsに所属していた名トラックメーカーSez on the Beatへの訣別とも取れる'I made it without Sez Beat, Bitch'というラインも含まれている。
直後に'I don't do beef'(争うつもりはない)というリリックが来るが、その真意はいかに。
今作も非常に聞き応えがあり、インドの音楽情報サイトWild Cityでは「Kendrick LamarやVince Staples, Nujabesが好きなら、間違いなく気にいる作品」と評されている。


ムンバイのエレクトロニック系トラックメーカーMalfnktionは、地元民に捧げる曲として"Rani"を発表。

いかにもスマホで取り急ぎ撮影したような縦長画面の動画にDIY感覚を感じる。


世界的にも厳しい状況が続きそうですが、インドの音楽シーンからはまだまだこの時期ならではの面白い作品が出てきそうな予感。
引き続き、注目作を紹介してゆきたいと思います!



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2020年06月04日

祝『タゴール・ソングス』劇場公開! 6/7(日)ポレポレ東中野でトークイベントを行います



  • 軽刈田 凡平 × 佐々木 美佳 監督のトークセッション開催!(軽刈田はオンラインで参加)
  • 会場:ポレポレ東中野
  • 日時:6月7日(日)18:00〜の上映終了後(19:45頃から30分くらい)
  • 映画のチケットをご購入いただければ、そのままご参加いただけます。

パンフレットに拙文を寄稿させてもらっている、傑作ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』。
公開直前にコロナウイルス禍で映画館が閉鎖になり、 急遽、オンライン上映の「仮設の映画館」で公開されていたこの映画、6月1日から待ちに待った劇場での公開が始まりました。


『タゴール・ソングス』は、100年前からベンガル(バングラデシュとインド東部の西ベンガル州)の人々に愛されてきた、タゴール作の「うた」がたくさん出てくる作品で、またコルカタやダッカの喧騒や、心地よい風が吹くベンガルの自然に思いっきり浸ってもらうためにも、ぜひとも劇場で見ることをおすすめします。
(私自身、最初に見たのはオンライン試写で、それでも大いに感銘を受けたので、お近くに上映館がない方は、ぜひ「仮設の映画館」でご覧ください)


そして、この素晴らしい作品にまた関わらせてもらう機会をいただきました!
6月7日(日)にポレポレ東中野での18:00〜の上映会の終了後(19:45頃)に、私、軽刈田 凡平と佐々木監督とのトークセッションを行います。
トークだけでなく、タゴールやベンガルにゆかりのある最近の楽曲たち(タゴールのいろんなカバーバージョンやヒップホップなど) の紹介なんかもしてみたいと思っています。

※時間も短いので、基本的にトーク中心で音楽をかけたりはできなさそうなのですが、その分濃いトークをお届けします!

こういう状況なので、劇場での直接のトークはまだできなくて、私は離れた場所からオンラインでの登場になりますが、30分くらいかな、短い時間だけどみなさんの前で佐々木監督とお話できるのを楽しみにしています!

映画未見の方は、絶対に心に残る素晴らしい映画なので、ぜひこの機会にご覧ください。
パンフの文章とは別に、以前書いたレビューはこちらです。


それからパンフレットも超お得です。
監督やタゴール専門家のインタビューや寄稿だけでなく、映画を何度も反芻できる、登場人物たちの言葉(映画全編分!)も収録されているので、映画の背景をより詳しく知るためにも、映画の感動をより確かなものにするためにも最適です。
ぜひ劇場や公式サイトでお求めください。
私が書いたタゴール・ソングと現代インドのインディー音楽シーンに関する文章も、佐々木監督に「激アツ」認定をいただきました。


「もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め 

 もし 誰もが口を閉ざすのなら 
 もし 皆が顔を背けて 恐れるのなら
 それでも君は心開いて 
 本当の言葉を ひとり語れ

 もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め

 もし皆が引き返すのなら ああ 引き返すのなら
 もし君が険しい道を進む時 誰も振り返らないのなら
 いばらの道を 君は血にまみれた足で踏みしめて進め」
 (『タゴール・ソングス』パンフレットより)

映画に繰り返し登場するこの"Ekla Chalo Re"(『ひとりで進め』)をはじめ、劇中のタゴール・ソングの訳詞も、もちろん収録されています。

映画を見た誰もが感じるであろう、ベンガルの人々の心の豊かさ。
それは、ベンガルのひとたちが持つ、「言葉の豊かさ」でもあるんだな、と最近気がつきました。
もちろん、誰もが本を読んだり、歌を聴いたりして、自分の中の言葉の引き出しを豊かにすることはできる。
でも、タゴールの詩や歌詞をもとに、親子で議論したり、若い世代に伝えようと奮闘したりしているベンガル人たちの言葉の豊かさには到底かなわないな、とも感じてしまいます。
100年前の偉大な文学者の言葉を、ただ高尚でありがたいものとして扱うのではなく、今なお、愛し、口ずさみ、一人ひとりに寄り添ってくれる共有財産としているベンガルの人々が、なんだかうらやましいなあ、と強く感じる今日この頃です。

それではみなさん、6月7日(日)にポレポレ東中野で会いましょう!

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2020年06月01日

インドのEDM系アーティストがなにかと面白い! KSHMR, Lost Storiesらのインド風トラック!



意外に思われるかもしれないが、ダンスが大好きなインド人の間では、EDM系の音楽の人気がとても高い。
主要なリスナー層は、都市部の中産階級以上の音楽の流行に敏感な若者たちに限られるのだろうが、それでも13億の人口を誇るインドでは、相当数のファンがいるということになる。
インドではアジア最大の(そして世界で3番目の規模の)EDMフェス"Sunburn"が開かれているし、国際的に活躍しているインド人アーティストもいる。


EDMというジャンル自体、すでに人気のピークを過ぎた感もあるし、そもそもコロナウイルス禍でフェスティバルやパーティーが開けない状況が続くと、シーン自体がどうなってしまうのか心配ではあるが、インドにおけるEDM人気の根強さは、今のところ我々の想像をはるかに超えているのである。

今回は、そんな「ダンス大国」インドのEDMアーティストたちが、グローバル市場向けのゴリゴリのダンストラックとは別に、国内リスナー向けにかなりインドっぽい楽曲を製作しているというお話。

以前の記事でも取り上げたムンバイ出身のEDMデュオ、Lost Storiesが、プレイバックシンガーとして活躍するJonita Gandhiと共演したこの"Mai Ni Meriye"は、彼らがこれまでに発表してきたトランス系テクノやEDMとは大きく異なるボリウッドっぽい1曲。
(Lost Storiesがこれまでに発表してきたダンストラックについては、この記事を参照してほしい。"Tomorrowlandに出演するインド人EDMアーティスト! Lost StoriesとZaeden!"


原曲はヒマーチャル・プラデーシュ州の伝統音楽のようだ。
Jonita GandhiはYouTubeにアップした歌声がきっかけでA.R.Rahmanに見出されたカナダ在住のシンガーで、2013年以降様々な映画のサウンドトラックに参加している。(昨年11月にNHKホールで行われた「ABUソングフェスティバル」にも、インド代表としてラフマーンとともに来日していた。)
Lost Storiesの洗練されたトラックに彼女の古典音楽風の節回しの歌が乗ることで、あたかも最近のボリウッドの映画音楽のような仕上がりになっている。

Lost StoriesがKSHMR(カシミア)と共演した"Bombay Dreams"のミュージックビデオは、サウンドだけでなく映像も映画のような魅力を持っている。

エスニックなメロディーラインが印象的だが、エレクトロニック系の曲だとこの手の旋律は国籍に関係なくよく使われているので、もはやどこまでがインドでどこからがEDMなのかさっぱり分からなくなってくる。
それはともかく、このミュージックビデオで注目すべきは、音楽よりもマサラテイストかつ甘酸っぱいストーリーのほうだろう。
「イケてない太めの男子」と「古典舞踊を習う女子」というEDMのイメージとは距離のありすぎるキャラクターたちが繰り広げる淡い恋模様は、まるで青春映画の一場面のようだ。

この曲でLost Storiesと共演しているKSHMRはカリフォルニア州出身のインド系アメリカ人で、その名前の通りカシミール地方出身のヒンドゥー教徒の父を持つEDMミュージシャン/DJだ(母親はインド系ではないアメリカ人のようだ)。
彼はもともとCataracsというダンスミュージックグループに在籍しており、いくつかの曲をヒットさせていたが、Cataracs解散後の2014年にKSHMR名義での活動を開始すると、Coachella, Ultra Music Festival, Tommorowland等の主要なフェスに軒並み出演し、2016年にはDJ MagazineのTop 100 DJs of the yearの12位とHighest Live Actに輝くなど、名実ともにトップDJの座に躍り出た。

KSHMRがベルギー人DJのYves Vと共演したこの"No Regrets (feat. Krewella)では、音楽的にはインドの要素はほぼ無いものの、インドの伝統格闘技クシュティをテーマにしたミュージックビデオを製作している。

冒頭で歌われているのはハヌマーン神へを讃えるヒンドゥーの聖歌らしく、こちらもまるでインド映画のような仕上がりになっている。

インドのインディー系ミュージシャンには、インドのポップカルチャーの絶対的な主流であるボリウッドに対して「ドメスティックでダサいもの」という反感を持っている者が多いという印象を持っていたので(かつて日本のロックミュージシャンが歌謡曲に抱いていたような感情だ)、こうしたEDM系のアーティストたちが、ボリウッドっぽさ丸出しの楽曲をリリースしているということに、非常に驚いてしまった。
グローバルな成功を収めている彼らにとっては、ローカルなボリウッドは仮想敵とするようなものではなく、むしろ冷静にマーケットとして見ているということだろうか。
(日本でいうと、石野卓球あたりがJ-Popのプロデュースやリミックスを手がけているのと同じようなものかもしれない)

KSHMRは、2015年から2017年まで、「アジア最大のEDMフェス」Sunburnのオフィシャルミュージックを手がけており、EDMやトランスに開催地であるインドの要素を融合させた楽曲をリリースしたりもしている。




これらの曲を聴けば、彼が自身のルーツであるインドの要素をいかに巧みにダンスミュージックに取り入れているかが分かるだろう。
このどこまでも享楽的なサウンドは、かつて欧米や日本のトランスDJたちが、インド音楽をサイケデリックで呪術的な要素として使ってきたのとは対照的で、長らくインドの音楽をミステリアスなものとして借用してきた西洋のポップ・ミュージックに対するインド人からの回答として見ることもできそうだ。

パーティーミュージックのプロデュースにかけては一流の評価を得ているKSHMRが、そのサウンドに反して極めてシリアスなメッセージを伝えようとしているミュージックビデオがある。
彼の故郷の名を冠した"Jammu"という曲である。
Jammu(ジャンムー)とは、彼の名前の由来になったカシミールとともにジャンムー・カシミール連邦直轄領を構成する地域の名前だ。
この地域は、1947年のインド・パキスタンの分離独立以来、両国が領有権を主張し、たびたび武力衝突が起きている南アジアの火薬庫とも言える土地である。
カシミール地方では、「ヒンドゥー教徒がマジョリティーを占める世俗国家」であるインドにおいて、例外的にムスリムが多数派を占めるという人口構成から、インド建国間もない時期から独立運動も行われており、この地を巡る状況は非常に複雑になってしまっているのだ。
こうした歴史から、かつては「世界で最も美しい場所」とまでいわれていたカシミールでは、テロや紛争、独立闘争やその過酷な弾圧のために、数え切れないほどの血が流されてきた。


戦乱で母を失った少年がテロリストになるまでを描いたストーリーは、欧米やヒンドゥー側から見たムスリムのステレオタイプ的なイメージという印象も受けるが、現実に起こっていることでもあるのだろう。
(ちなみにKSHMRは"Kashmir"という楽曲もリリースしているが、この曲ではミュージックビデオは作られていない)

このミュージックビデオがリリースされたのは2015年。
その頃は州としての自治権を有していたジャンムー・カシミール地域は、2019年8月にインド政府によって自治権を剥奪され、大規模な反対運動にも関わらず、連邦政府直轄領となることが決定した。
これにともなって、ジャンムー・カシミール地域では、混乱や暴動を避けるという目的で、長期間にわたるインターネットの遮断や外出禁止が行われ、外部との連絡が絶たれた中で治安維持の名目での暴力行為もあったという。 
デリーのラッパーPrabh Deepは、コロナウイルスによる全土ロックダウン時にリリースされた楽曲で、外出禁止が続くカシミールに想いを馳せる内容のリリックを披露している。


KSHMRによるインド色の強いミュージックビデオは、インド国内のマーケット向けというだけではなく、自身のルーツとなっているカルチャーや歴史を広く世界に知ってもらいたいという意図も持って作られたのだろう。
インド国内のアーティストが、ミュージックビデオでインド文化をできるだけ洗練されたものとして描く傾向があるのに対して、ステレオタイプ的な描写が多いのは、彼が母国を遠く離れた欧米で生まれ育ったこととも関係がありそうだ。
いずれにしても、KSHMRのこうした映像作品は、YouTubeのコメント欄を見る限りでは、インドのリスナーに好意的にはかなり受け入れられているようである。
彼はDJセットにおいてもインドの楽曲をサンプリングすることが多く、それが彼のDJの文字通り巧みなスパイスになっている。

以前紹介したZaedenも、ヒンディー語楽曲をいくつか発表しているが、今回はインド系バルバドス人のRupeeが2004年にスマッシュヒットさせた'"Tempted to Touch"のリメイクを紹介したい。

ほぼ忘れられかけていた一発屋をこうしてリメイクするという取り組みも、世界で活躍するインド系アーティストへの絆を感じさせるものだ。

無国籍なサウンドとなることが多いダンスミュージックに、インド系のアーティストがこれだけ自身のルーツの要素を取り入れているということは、かなり面白いことだと感じる。
これは欧米が主流のシーンに対する自己主張であるだけでなく、全てを取り入れて混ぜ込んでしまうインド文化のなせる業なのだろうか。



エレクトロニックミュージックとインド的要素の融合については、非常に面白いテーマなので、まだまだ書いてゆきたいと思ってます。
それでは今回はこのへんで!




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