あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その2)

2019年11月12日

ヨギ・シンを探して インド謎の占い師捜索記(その1)

これまでの「ヨギ・シン」シリーズの記事:
その1「(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい」
その2「(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体」
その3「あのヨギ・シン(Yogi Singh)がついに来日!接近遭遇なるか?」

あの謎のインド人占い師集団、「ヨギ・シン」が東京に来ている。
水、木、金と3日続けてヨギ・シン遭遇の報告を受けた私は、11月のある土曜日、「彼」との遭遇情報があった丸の内〜有楽町エリアに捜索に行くことにした。

休日だったが、「彼」に上客だと思われるために、カジュアルな服装は避け、丸の内のビジネスマンっぽく見えるようジャケットを着て出かけた。
小脇には洋書のペーパーバックを抱え、英語ができる人間だと思わせる演出もしてみた。
今回来日している「彼」は、「君はラッキーな顔をしている」ではなく「君の顔からエネルギーが出ている」と話しかけてくるようなので、鏡の前で、通行人に怪しまれない程度の「エネルギーが出ていそうな表情」を練習し、心がけることにした。

ここまで準備をして言うのもなんだが、もし「彼」を見つけたら、声をかけてもらうまで待っているつもりはない。
自分から近寄って行って話しかけるつもりだ。
「彼」にどう話しかけるか、何を聞くかについてはすでに考えていた。

まず、最初に「あなたは高名な占い師のヨギ・シンではないか。ぜひあなたの話が聞きたい」と声をかける。
百戦錬磨のインド人占い師相手にどこまでできるか分からないが、先制攻撃をしかけて、できれば話の主導権を握りたい。
彼が占いをしてくれるのであれば、その技術をじっくり拝見させてもらおう。
手の中に渡された紙をすぐに開いて見るようなことはしない。
日本でも多くのマジシャンが行っている、心の中を的中させるマジックのタネが知りたいわけではないのだ。
彼が占いをしてくれたとしても、話が全て終わるまで、お金は払わない。
一度お金を払ってしまえば、「続きを聞きたいならもっと払え」という無限ループに陥ってしまうだろう。
そうなってしまっては、なんとしても話を聞きたい自分に勝ち目はない。
逆に、相手を焦らし、「もう少し話せばお金がもらえるかもしれない」という状況を作り出すのがこちらの作戦だ。
そのためには、焦らずに、羽振りの良い鷹揚な感じを演出しなければならない。

まず知りたいのは、「彼」のコミュニティについてだ。
「カースト」や「ジャーティ」(カーストに基づく職業集団)という言葉はデリケートだから使わない方が良いだろう。

彼のコミュニティはもともとこういう占いを生業にしているのか。
そのコミュニティには何人くらいいるのか。
同じコミュニティの占い師は海外には何人くらいいるのか。そして、どこにいるのか。
インド国内にはこの手の占い師は何人くらいいるのか。
この占いやコミュニティは何という名前なのか。
誰がこの占い(トリック)を考えたのか。

家族についても聞いてみたい。
父も、その父も同じように占いを仕事をしていたのか。
子どもや兄弟は何人いて、そのうち何人が占いをしているのか。
家族は海外にも暮らしているのか。
女も占いをするのか。

そして、彼個人についても聞きたいことがたくさんある。
占いは誰に習ったのか。
この占いを誰かに教えたのか。
これまでどんな国に行ったことがあるのか。
日本にはなぜ来たのか。
日本に知り合いは住んでいるのか。
どこに滞在しているのか。

順調に話を聞くことができたとして、「彼」にいったいいくら支払ったら良いだろうか。
何しろ相手は百戦錬磨。
うっかり口車に乗らないように、財布の中身はあらかじめ少なめにしておこう。
観光客相手のインドの商売人の常で、いくら支払っても、必ず「それでは少ない」と言ってくるのは分かっている。
最初に渡すのは、こちらの気持ちよりも少なめの金額にする必要がある。

と、そんなことを考えながら、東京駅についたのはちょうどお昼時だった。
丸の内中央改札を出て、行幸通りを二重橋のほうに向かう。
イチさんからの報告では、ターバン姿の「ヨギ・シン2」にはお昼の時間帯に二重橋に行けば会えるとあった。
企業が休みである土曜日に「彼」が「出勤」しているのかどうか分からないが、私にできるのは彼に会えることを祈ることだけだ。

だが、二重橋に近づいてみると、いつもの土曜日とはまるで様子が違うことに気がついた。
翌日に天皇陛下即位パレードを控え、道路上には数十メートルおきに警備の警察官が立っていた。
皇居に近づけば近づくほど警察官の数は増え、地下鉄二重橋駅の近くはほとんど数メートル間隔で警察官の姿がある。
こんな場所で外国人が怪しげな占いをしていれば、間違いなく不審に思われてしまうだろう。
さらに、この日は即位記念の祭典が行われており、各地から集まったかなりの数の祭半纏姿の男女が、皇居方面を目指して歩いていた。
端的に言うと、丸の内のビジネスマン相手に英語で占いを行ってきた「彼」の顧客にはあまりなりそうもない人たちばかりだ。
二重橋駅近辺を何度か往復してみたが、「彼」と思われる姿はなかった。
ひょっとしたら今日も来たのかもしれないが、この状況を見て場所を変えたのかもしれない。

皇居のお堀に面した日比谷通りから1本離れ、歩行者天国になっている中通りも歩いてみたが、やはり「彼」の姿はない。
そしてここにも多くの警察官が配置されている。
ずっと同じ場所で警備をしている警察官に、このあたりで不思議な占いをしているインド人を見かけなかったか聞こうとしたが、やっぱりやめた。
国民的な大イベントを前に怪しいやつだと思われたらたまったものではないし、何より「彼」の情報を警察に伝えることで、「彼」の今後の商売を邪魔するようなことはしたくない。

買い物客や祝典に向かう人々でごった返す丸の内エリアの全ての通りを回っても、「彼」の気配を見つけることはできず、今度は喧騒を避けて、丸の内の北側から大手町のエリアに向かうことにした。

丸善が入っているOAZOを越えると、人通りは一気に少なくなる。
皇居から離れるせいか警察官の姿も減り、お祭りに来た人々もいない。
人が多すぎる今日の丸の内では、道端で声をかけて占いを行うことは難しい。
「彼」が人気の少ない大手町エリアに場所を移し、休日出勤してきた数少ないビジネスマンを今日のターゲットすると考えても不思議ではない。
ここでも各ブロックを歩き回ってみたが、やはり「彼」の気配はなかった。
土曜日の大手町は、秋の日差しに輝くガラス張りのビルが墓標のように並び、首都高速の日陰になったベンチでホームレスが昼寝をしているだけだった。

残る希望はイチさんとNさんが「ヨギ・シン1」と遭遇した有楽町エリアだが、その前にひとつ確かめておきたいことがあった。
もし、二重橋付近で占いをしていた「ヨギ・シン2」が警備と喧騒を逃れて別の場所に行くとしたら、それは東京駅の反対側、皇居から離れた八重洲側ではないだろうか。
念のため、八重洲も捜索してみたい。
そう考えた私は、丸ノ内駅北口の東西自由通路を通って、八重洲側に出た。
ぴかぴかのオフィスビルや高級ショップが並ぶ丸の内側と比べて、居酒屋やカラオケが立ち並ぶ雑然とした雰囲気の八重洲は、いかにも怪しげな辻占がいそうなエリアだ。
碁盤の目状になっている区画をくまなく回る。
だが、やはりここにもインド人の姿はない。

八重洲まで来たついでに、日本橋まで足を伸ばしてみることにした。
高島屋や三越といった高級百貨店があるこのエリアは、土曜ともなればヨギ・シンにとって良い客筋の人々が多く集まってくる。
高級百貨店の周辺を中心に、歩いている人々に目をこらす。
だが、ここも空振り。

こうなったら、残されているのは2件の「ヨギ・シン」遭遇情報が寄せられた有楽町側に向かうしかない。
重点的に捜索すべきエリアは、2回の遭遇報告がある国際フォーラム周辺だ。
私は東京駅と有楽町の間の高架をくぐり、情報が寄せられた地点へと向かった。
傾きかけた日差しの中、国際フォーラム、ビックカメラ周辺のエリアを徹底捜索する。
国際フォーラムの中庭は、話をするのに最適のベンチも多く、とくに念入りに調べた。
ビックカメラには外国人観光客も多い。
彼らも「彼」の顧客になり得るだろう。
だが、ここにもインド人占い師の影も形もない。
有楽町駅の改札を出たところでは、ネルシャツにサングラス姿の中年の男が地べたに座り、フォークギターをかき鳴らしながら浜田省吾を熱唱していた。
しだいにむなしさが募ってくる。
目撃情報のあった全ての地点を捜索したが、彼の姿はいっさい無かった。
だが、これで帰るわけにはいかなかった。
最後にもう1箇所、どうしても見ておきたいところがある。

それは、銀座だ。
土日には歩行者天国が設けられ、デパートや高級ショップが連なる銀座であれば、通行者に声をかけやすく、客筋も良い。
外国人観光客も多いから、日本語が苦手な日本人だけをターゲットにすることもない。
もし、私が「彼」で土曜日も「仕事」をするとしたら、この近辺なら間違いなく銀座を選ぶ。
私は三たび線路をくぐり、銀座へと向かった。
並木通り、レンガ通り、ガス燈通り、そして広々とした歩行者天国になっている中央通り。
高級ブランド店を横目に、南北に長い銀座エリアを探索する。
さらに中央通りの東側の名前を知らない通りまで、目を凝らして歩き回ったが、占いをしているインド人の姿はどこにも見当たらなかった。

さすがに日が落ちてきたので、本日の捜索はここで終了。
帰宅前に、有楽町駅から国際フォーラムのエリアを改めて一周したが、やはり彼の姿はなかった。
すっかり暗くなった国際フォーラムの中庭では、大ホールへの入場を待つ大勢の人たちが列を作って並んでいる。
自分より年上の男女が多いが、何かコンサートがあるのだろう。
するとその行列から少し離れたところから、並んでいる人たちに向かって、昼間見かけたネルシャツにサングラス姿の男がギターをかき鳴らし、ハマショーの歌を歌っているのが目に入った。
そうか、今夜は国際フォーラムで浜田省吾のコンサートがあるのだ。

男は「悲しみは雪のように」を熱唱しているが、列に並んだ人々は見向きもしない。
そりゃそうだ。
これから本物を見るというのに、どこの誰とも分からない男が歌うハマショーを聴いてどうする。
だが、私はとてもこの男を笑う気にはなれなかった。
ハマショーファンは、彼に気づいても、誰も彼の歌を聴いてはいなかった
しかし、私はここまで歩き回ってヨギ・シンを探しているのに、「彼」気づかれてすらいないのだから。

こうして土曜日の捜索が終わった。
スマホに入っている歩数計のアプリは、2万6千歩を超える数値を示していた。
さすがにくたびれた。

へとへとになって家に帰り、スマホを開くと、そこにはFacebookに新たな遭遇報告が寄せられていた。
「TKさん」からの報告は、またしてもすぐ近くのエリアからのものだった。
私も昨日遭遇しました。 
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夕方、日比谷駅から銀座に向かうところ、日生劇場の前でスーツの外国の方(おそらくインド?)と目が合う。 

道迷ったかな?と思ったら、 
「キミの顔から良いエネルギーがでてる」 
「来年の一月、キミは仕事で昇進するよ」 
と言われ、(そこで怪しいと思えばよかったのですが) 
突然彼はメモを書き、クシャクシャにして僕に手渡しました。 

「好きな色は?」 
「うーん、黒かな?赤かな?」 
「ひとつに決めて」 
「じゃ、赤」 

「好きな数字は?」 
「うーん、9かなぁ、、」 

彼はまたメモにサラサラと書き、 
「いまキミが望むことは?」 
「家族の幸せ」 
「キミの手元のクシャクシャのメモと、いま私が書いたメモが一緒だったら、その夢は叶うよ」 
と言われ開いてみると、、 
なんと「Red」「9」と書いてある!! 

と思ったら、最後に 
「金くれ」 
「いやいや、小銭じゃなくてペパーマネーだよ」 
「1000円じゃなくて、3000円」 
と言われ、1000円だけ渡して去りました。。
昨日のことというから、前回の記事で書いた「Nさん」の報告と同じ金曜日のことだ。
日生劇場前というのは、これまでの目撃地点ではもっとも南側だが、やはりこれまで報告のある丸の内、有楽町からの徒歩圏内。
帝国ホテルにも近く、やはり「上客」が見込める場所だ。
やはり、「彼」は確実にこのエリアを徘徊しているのだ。
時間さえあれば、いつか必ず会える。


一夜明けて、日曜日。 
さすがに昨日の疲れが残っているので、今日は家でゆっくり休むことにする。
この土日は警察官も多いし、「彼」の顧客になりそうなビジネスマンは少ない。
きっと「彼」も休日にしているのだろう。
「会えなかった」というネタで1本書くのもしんどいな、と思っていると、ブログに新しいコメントが寄せられた。
「みょ」さんという方からのコメントは、またしても心拍数が高まるようなものだった。
 はじめまして。
一時間ほど前にその方に突然占われ?ました。
大手町のみずほビルのあたりです。
最後に黒い石を渡されたのが印象的でした。
たった1時間前の遭遇報告だ!
今日は休日。
私は慌てて身支度を整えると、再び大手町に向かった。

東京駅に到着した頃には、即位パレードは終了していたが、それでも多くの警察官が警備にあたっていた。
丸の内北口改札から、大手町へ。
ついさっきまで、ここに「彼」がいたのだと思うと、高揚感と緊張感で自然と背筋が伸びる。
たぶん顔からエネルギーも出ているはずだ。

ほどなくしてみずほ銀行本店が入る大手町タワーに到着。
まずは周囲に目をこらしながら、敷地周辺の歩道を一周する。
「彼」の姿はない。
ビルの警備員が外に立っていたので、怪しまれないように、待ち合わせを装って「このあたりで50歳くらいのインド人の姿を見かけなかったか」と聞いてみたが、記憶にないとのこと。
周囲の歩道をもう一周。
さらに、隣接する大手町ファーストスクエアとの間にある中庭のようなスペースも歩いて見たが、やはり「彼」はいない。

「みょ」さんの遭遇から報告まで1時間。
さらに、私の到着までにもう1時間くらい経過している。
さすがに「彼」もずっとここにとどまってはいないのだろう。
捜索する区画を1ブロックずつ広げてみるが、やはり彼の姿はない。
最後にもう一度、目撃情報頻発地帯である国際フォーラム周辺を捜索したが、手がかりなし。
TKさんからの報告のあった日生劇場前も確認してみたかったが、あいにくとっぷりと日が落ち、とても外で手品ができる明るさではなくなってきたので、本日も捜索終了。
またしても会えなかった。
国際フォーラムの近くに、なぜか今日も浜田省吾の弾き語りをしていた男がいて、仲間と談笑していた。
今日はハマショーのコンサートは無いだろうに、まだいたのか、と思ったが、自分のやっていることを考えると、やはり彼をバカにする気持ちにはなれなかった。
好きなアーティストの歌を気持ちよく歌っている彼と、得体の知れないインド人を探して土日を無駄にし、歩き疲れて疲労困憊の自分、どっちがバカかは考えるまでもなく明らかだからだ。

有楽町駅から電車に乗り、Spotifyで浜田省吾を聴きながら家路についた。
疲れ切った心と体に、ハマショーの歌声が沁みた。

(つづく)

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goshimasayama18 at 06:58│Comments(2)ヨギ・シン 

この記事へのコメント

1. Posted by みょ   2019年11月12日 10:40
こんにちは、記事拝見しました。
わたしのコメント後すぐに探索なさってたとは驚きです。

マジック?にしても今でも不思議なのは、
生まれた年を言ってね、と言われて、1990年生まれのところを1989と書いたのが当たっていたことです。

どんなにマジックをググっても同じようなものがなくて困惑しています。
2. Posted by 軽刈田 凡平   2019年11月12日 11:58
みょさん、ありがとうございます。
「彼」に会うのは数年来の悲願でしたし、まさか日本に来るとは思わなかったので、すかさず出かけてしまいました(笑)
マジックでいうと、おそらくは「マインドリーディング」という種類のものかと思います。
1930年代にはこの手のインド人がいたと思われる情報もあり、どういう経緯で彼らがこの技術を習得したのか、不思議ですよね。

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