2019年09月02日
ゾーヤー・アクタル監督来日!ジャパンプレミア直前、映画『ガリーボーイ』3つのキーワード
インド初の本格ヒップホップ映画『ガリーボーイ』のジャパンプレミア上映が、9月5日に新宿ピカデリーでゾーヤー・アクタル監督を迎えて行われる。
『ガリーボーイ』については、たびたびこのブログでも血圧高めの紹介とオススメをしてきたけど、いよいよ公開も近づいて来た今回は、見る前に、知っておくと良い3つのキーワードを説明します。
他の優れた映画と同様に、『ガリーボーイ』も、何も事前知識がなくても楽しめるのだけど、『8mile』を見る前に当時のデトロイトの社会状況を知っておいたほうが深く理解できるのと同じように、『バジュランギおじさんと小さな迷子』を見る前にインドとパキスタン、ヒンドゥーとムスリムの関係を知っておいたほうがより感動できるのと同じように、『ガリーボーイ』もまた、インドのヒップホップシーンや物語の舞台となるムンバイ最大のスラム、ダラヴィのことを知っていたほうがより深く楽しめる!
というわけで、さっそく始めたいと思います。
キーワードその1 "GULLY"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルを聞いて、そもそも「ガリー(Gully)」って何ぞや?(ゾーヤー監督だけに)と思った方も多いはず。
この「ガリー」はヒンディー語で、細い路地のような通りを意味する言葉。
予告編に映るムンバイのスラム街の様子を見れば、その雰囲気がわかってもらえるはずだ。
主人公のムラドが暮らしているのは、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
ムラドがカレッジからダラヴィの家に帰るシーンでは、スラム街に入ると急に道幅が狭くなり、まさに「路地」としか呼びようのない狭小住宅の密集地区になっているのが分かる。
インドじゅうからやってきた貧しい移民たちによって形成されたダラヴィは、きちんとした都市計画がされているはずもなく、入り組んだ「ガリー」に並ぶ住居は極めて狭くて、衛生環境も悪い。
「ガリー」は、インドの都市の抑圧された者たちが暮らす場所であり、つまり「ガリーボーイ」は、そうした本来であれば決して誇れない出自であることをレペゼン(代表する、とひとまず訳してよいかな) する名前というわけだ。
アメリカや日本のヒップホップで近いニュアンスの言葉を探すなら、「ストリート」ということになるんだろうけど、幅の広い道を表すストリートに比べて、「ガリー」はごく狭い路地。
ムラドがカレッジからダラヴィの家に帰るシーンでは、スラム街に入ると急に道幅が狭くなり、まさに「路地」としか呼びようのない狭小住宅の密集地区になっているのが分かる。
インドじゅうからやってきた貧しい移民たちによって形成されたダラヴィは、きちんとした都市計画がされているはずもなく、入り組んだ「ガリー」に並ぶ住居は極めて狭くて、衛生環境も悪い。
「ガリー」は、インドの都市の抑圧された者たちが暮らす場所であり、つまり「ガリーボーイ」は、そうした本来であれば決して誇れない出自であることをレペゼン(代表する、とひとまず訳してよいかな) する名前というわけだ。
アメリカや日本のヒップホップで近いニュアンスの言葉を探すなら、「ストリート」ということになるんだろうけど、幅の広い道を表すストリートに比べて、「ガリー」はごく狭い路地。
街角の道端(ストリート)にたむろしているのではなく、区画すらされていない路地裏に暮らしているのが「ガリーボーイ」ということになる。
つまり『ガリーボーイ』は発展途上国インドの大都市ムンバイの、「ストリート」よりもさらに過酷な環境に暮らす若者が、ラップでのし上がるストーリーというわけである。
つまり『ガリーボーイ』は発展途上国インドの大都市ムンバイの、「ストリート」よりもさらに過酷な環境に暮らす若者が、ラップでのし上がるストーリーというわけである。
この映画は、始まりから終わりまで全てムンバイが舞台になっており、薄暗い「ガリー」から、大富豪のパーティーやお洒落なクラブまで、大都市ムンバイの様々な顔が楽しめるのも魅力のひとつである。
ちなみにインドのヒップホップ界において、「ガリー」という言葉は、ムラドの兄貴分として登場するMC シェールのモデルとなったラッパーのDIVINEが多用したことで普及した言葉だ。
(彼が率いるクルーの名前も'Gully Gang'という)
DIVINEと、ムラドのモデルとなったNaezyが共演したこの"Mere Gully Mein"(「俺の路地で」)は、Naezyのパートを主演のランヴィール・シンが吹き替えて、「ガリーボーイ」のなかでも使われている。
こちらはオリジナルバージョン。
こちらが映画版。
こちらはオリジナルバージョン。
こちらが映画版。
通常、インド映画のミュージカルシーンは専門のプレイバックシンガーによって歌われ、俳優は口パクなのが一般的だが、主演のランヴィールは、インドのヒップホップシーンへの強い共感から、ムラドのラップのパートを全て自分で吹き込んでいる。
相棒のMCシェール役のシッダーント・チャドルヴェーディのラップの吹き替えを行なっているのは、モデルとなったDIVINE本人だ。
キーワードその2 "ASLI"
劇中のサイファー(即興ラップ)のシーンでも効果的に使われているこの曲のタイトルは、"Asli Hip Hop".
この'Asli'は「リアルな、本物の」という意味のヒンディー語だ。
つまり、このAsli Hip Hopは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という意気込みを歌った曲ということになる。
キーワードその2 "ASLI"
劇中のサイファー(即興ラップ)のシーンでも効果的に使われているこの曲のタイトルは、"Asli Hip Hop".
この'Asli'は「リアルな、本物の」という意味のヒンディー語だ。
つまり、このAsli Hip Hopは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という意気込みを歌った曲ということになる。
インドで最初のヒップホップ映画なのに、なぜわざわざ「リアルな」と言う必要があるのか。
それは、インドには「リアルでない」ヒップホップがすでにたくさんあるからである。
映画の冒頭で、ムラドの悪友モインが、車のなかで流れる曲を聞きながら「これがお前の好きなヒップホップってやつだろ?」と尋ねる場面がある。
ムラドは「こんなの本物のヒップホップじゃない」と答えるのだが、実はインドでは数年前から、映画音楽などで、商業的なラップミュージックが流行している。
モインは、ラップ・イコール・ヒップホップだと思って尋ねたわけだが、ムラドにとってはラッパーのリアルな自己表現こそがヒップホップと呼べるのであって、商業ベースで作られた音楽は、ラップではあっても決してヒップホップとは呼べない代物なのだ。
ちなみにそのシーンで流れるのがこの曲。
"Goriye" by Kaka Bhaniawala, Arjun Blitz & Desi Ma.
"Goriye" by Kaka Bhaniawala, Arjun Blitz & Desi Ma.
2009年に若くして亡くなったKaka Bhaniawalaのリミックスで、典型的なインドのパーティーラップだ。
この"Goriye"はホーンやパーカッションも小粋に、シーンの意図に反して、かなりかっこよく仕上がっているので、若干こうした意図が伝わりづらくなってしまっているのだが…。
派手なラブソングであるこの曲と、ムラドたちのリアルな生活を綴ったラップとを、ぜひ聴きくらべてみてほしい。
ちなみに実際のインドの音楽シーンで、ガリー系のラッパーからよくディスられている商業的なラップミュージックはこんな感じ。
"Goriye"を歌っていたKaka Bhaniawala同様、インド北西部パンジャーブ系のシンガー/ラッパーであるYo Yo Honey SinghやBadshahは、パンジャーブ州の伝統的リズムのバングラーにヒップホップやEDMを融合して人気を得ているのだが、その派手なスタイルは、なにかとリアルさを売りにしているラッパーの目の敵にされている。
ヒップホップとして「'Asli'(リアル)であること」は、『ガリーボーイ』のなかでも終始重要なテーマとして位置づけられている。
映画を見終われば、ラッパーに憧れる青年だったムラドが初めて本物のラッパーのMCシェールに出会うシーンから、クライマックスのラップバトルまで、「リアル」というキーワードがこの作品を貫いているということが分かるはずだ。
まだ本物のヒップホップが一般レベルで(つまり、商業的ボリウッド娯楽映画の観客には)根付いていないインドにおいて、『ガリーボーイ』がヒップホップを単なるパーティーミュージックや経済的成功の手段として描くのではなく、「リアル」なものとして描いたことは特筆に値する。
まだ本物のヒップホップが一般レベルで(つまり、商業的ボリウッド娯楽映画の観客には)根付いていないインドにおいて、『ガリーボーイ』がヒップホップを単なるパーティーミュージックや経済的成功の手段として描くのではなく、「リアル」なものとして描いたことは特筆に値する。
キーワードその3 "AZADI"
3つめのキーワードは、"Azadi".
「自由」を意味するヒンディー語だ。
この"Azadi"という言葉はデリーを拠点にしているインドの新進ヒップホップレーベルの名前にもなっており、 『ガリーボーイ』のなかでも同名の楽曲が使用されている。
「自由」を意味するヒンディー語だ。
この"Azadi"という言葉はデリーを拠点にしているインドの新進ヒップホップレーベルの名前にもなっており、 『ガリーボーイ』のなかでも同名の楽曲が使用されている。
「自由」はロックやヒップホップといった現代音楽の核心的なテーマであり、さらに言えばあらゆる音楽や芸術の根源となるものだ。
カーストや出自による差別がいまだに存在するインドの、さらにスラム街という、自由から程遠い場所に暮らすムラドが、いったいどうやって「自由」を獲得するのか。
もちろん、それはこの映画の主題である「ヒップホップ」によるわけだが、そのために大きな役割を果たすのが「インターネット」である。
1990年代以降の経済自由化、2000年以降のインターネットの普及にともなって、インドの社会は大きく転換した。
ヒップホップをはじめとするインディーミュージックがインドで本格的に発展するのは2010年以降だが、これはインターネットを通じて世界中の音楽をリアルタイムで聴くことができるようになり、また自分の作った音楽を世界中の発信できるようになったことの影響が非常に大きい。
映画の中でも、ムラドは恋人のサフィーナからプレゼントされたiPadを使ってラップをインターネットにアップロードし、成功のきっかけをつかむのだが、このエピソードはモデルとなったラッパー、Naezyの実話がもとになっている。
Naezyもまた、スラムと呼んでもいいような下町Kurla地区の出身の不良少年だったが、プレゼントされたiPadを使ってビートをダウンロードし、ラップを乗せ、ミュージックビデオまで撮影してインターネット上に公開したことで高い評価を得て、一躍人気ラッパーとなった。
予告編でも言われているように「使用人の子は使用人」として生きざるを得ないインド社会において、インターネットは自身のラップを発表するための手段として機能しており、高く評価されれば出自や階級のくびきから逃れられるという、希望の象徴になっている。
そういう意味では、この『ガリーボーイ』は、伝統社会と現代性を同時に描いた、極めて今日的な物語なのである。
スラムの若者や子どもたちが、ダンスやラップによって得る自尊心は、まさに精神の自由=Azadiそのものであり、これは映画の中だけの絵空事ではなく、実際のムンバイのスラムの状況がもとになっている。
カーストや出自による差別がいまだに存在するインドの、さらにスラム街という、自由から程遠い場所に暮らすムラドが、いったいどうやって「自由」を獲得するのか。
もちろん、それはこの映画の主題である「ヒップホップ」によるわけだが、そのために大きな役割を果たすのが「インターネット」である。
1990年代以降の経済自由化、2000年以降のインターネットの普及にともなって、インドの社会は大きく転換した。
ヒップホップをはじめとするインディーミュージックがインドで本格的に発展するのは2010年以降だが、これはインターネットを通じて世界中の音楽をリアルタイムで聴くことができるようになり、また自分の作った音楽を世界中の発信できるようになったことの影響が非常に大きい。
映画の中でも、ムラドは恋人のサフィーナからプレゼントされたiPadを使ってラップをインターネットにアップロードし、成功のきっかけをつかむのだが、このエピソードはモデルとなったラッパー、Naezyの実話がもとになっている。
Naezyもまた、スラムと呼んでもいいような下町Kurla地区の出身の不良少年だったが、プレゼントされたiPadを使ってビートをダウンロードし、ラップを乗せ、ミュージックビデオまで撮影してインターネット上に公開したことで高い評価を得て、一躍人気ラッパーとなった。
予告編でも言われているように「使用人の子は使用人」として生きざるを得ないインド社会において、インターネットは自身のラップを発表するための手段として機能しており、高く評価されれば出自や階級のくびきから逃れられるという、希望の象徴になっている。
そういう意味では、この『ガリーボーイ』は、伝統社会と現代性を同時に描いた、極めて今日的な物語なのである。
スラムの若者や子どもたちが、ダンスやラップによって得る自尊心は、まさに精神の自由=Azadiそのものであり、これは映画の中だけの絵空事ではなく、実際のムンバイのスラムの状況がもとになっている。
この映画は、ヒップホップがスラムの希望となる瞬間を象徴的に描いた物語でもあるのだ。
(参考記事:「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」
(参考記事:「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」
「Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1」
ちなみに、映画のなかで使われた楽曲"Azadi"は、飢えや差別や不平等からの自由を訴える楽曲。
サウンドトラックではDub SharmaとDIVINEによる共演となっているが、もともとは2016年にDub Sharmaがソロで発表していた楽曲で、さらにその元となったのは、デリーの名門大学ジャワハルラール・ネルー大学の学生デモのシュプレヒコールである。
(この情報はGully Boyの楽曲の翻訳に取り組んでいる餡子さんに教えていただいた。詳細はこちらから。餡子さんは、現在インド/イスラーム研究者の麻田豊先生と現在さらなる的確な翻訳に取り掛かっている)
ストーリーに大きな関わりを持つ楽曲ではないが、ゾーヤー・アクタル監督はこうした社会性の強いラップをサウンドトラックに入れることで、ヒップホップという音楽の持つ社会的側面を伝えようとしているのだろう。
というわけで、Gully, Asli, Azadiという3つのキーワードで、映画『ガリーボーイ』を紹介してみた。
お気付きの方もいるかもしれないけど、ヒップホップ映画ということで、Gully, Asli, Azadiと韻を踏んでみました。
ちなみに、映画のなかで使われた楽曲"Azadi"は、飢えや差別や不平等からの自由を訴える楽曲。
サウンドトラックではDub SharmaとDIVINEによる共演となっているが、もともとは2016年にDub Sharmaがソロで発表していた楽曲で、さらにその元となったのは、デリーの名門大学ジャワハルラール・ネルー大学の学生デモのシュプレヒコールである。
(この情報はGully Boyの楽曲の翻訳に取り組んでいる餡子さんに教えていただいた。詳細はこちらから。餡子さんは、現在インド/イスラーム研究者の麻田豊先生と現在さらなる的確な翻訳に取り掛かっている)
ストーリーに大きな関わりを持つ楽曲ではないが、ゾーヤー・アクタル監督はこうした社会性の強いラップをサウンドトラックに入れることで、ヒップホップという音楽の持つ社会的側面を伝えようとしているのだろう。
というわけで、Gully, Asli, Azadiという3つのキーワードで、映画『ガリーボーイ』を紹介してみた。
お気付きの方もいるかもしれないけど、ヒップホップ映画ということで、Gully, Asli, Azadiと韻を踏んでみました。
この"Gully Boy"、今までのインド映画とは一味違う、音楽ファンやヒップホップファン、ハリウッド映画や欧米のミニシアター系作品好きにも確実に楽しんでもらえる映画だ。
私も非常に思い入れのある映画なので、一人でも多くのみなさんに見てもらえたらうれしいです。
そして!
映画公開に合わせて、あのサラーム海上さんと、ムンバイのラッパーと楽曲を発表したこともあるカタック・ダンサーのHiroko Sarahさんと、この私、軽刈田 凡平で、公開記念イベントを行います。
映画に使われた楽曲やいろんな曲をかけながら、映画の背景となったインドのヒップホップシーンを紹介する予定!
詳細はこちらから!
みなさんのご来場、お待ちしています!
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映画に使われた楽曲やいろんな曲をかけながら、映画の背景となったインドのヒップホップシーンを紹介する予定!
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