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2019年08月25日

インドのお受験事情を描いた映画『ヒンディー・ミディアム』は、あなたの物語であり、私の物語でもある


今年はインド映画の公開が相次いでいるが、今回は9月6日から全国で公開される映画『ヒンディー・ミディアム』を紹介したい。
主演は『アメージング・スパイダーマン』などのハリウッド映画でも活躍するイルファン・カーン(Irrfan Khan)、主人公の妻役にパキスタンのトップ女優でインド映画初出演のサバー・カマル(Saba Qamal)、監督はサケート・チョードリー(Saket Chaudhary)。

『ヒンディー・ミディアム』と言われても、どんな意味だかピンと来ない人も多いと思うが、ここで言う「ミディアム」は、肉の焼き方ではなく、「伝達手段」という意味。
「ヒンディー語を伝達の手段とする」という映画のタイトルは、デリーなど北インドの公用語である「ヒンディー語で教育を行う学校」を表している。
ヒンディー・ミディアムの対義語にあたる言葉は「イングリッシュ・ミディアム」。
「英語を教える学校」ではなく、「英語で教える学校」ということだ。
ほぼ全ての高等教育が英語で行われるインドでは、良い大学に進んで、高収入な仕事(いわゆるグローバル企業など)に就くには、小学校から英語で授業を行う「イングリッシュ・ミディアム」の学校に通うことが非常に大事なのである。

各地域のローカル言語(物語の舞台となったデリーではヒンディー語)で教育が行われる公立学校は、イングリッシュ・ミディアムの学校に比べると総じてレベルが低く、英語での高等教育に適応するにも言語の面でかなり不利になってしまう。
(そう考えると、大学院まで母国語で学ぶことができる日本は、かなり恵まれているとも言えるし、また英語中心のグローバリゼーションが進む今日の状況からすると、特殊だとも言えるだろう)
 
この物語は、ごく簡単に言うと、ヒンディー・ミディアムの教育しか受けていない夫婦が、なんとかして娘をイングリッシュ・ミディアムの名門小学校に通わせようとするコメディ映画なのだ。


あらすじと見どころ

物語の主人公は、デリーで衣料品店を営む夫婦、ラージとミータ。
ラージは、持ち前のセンスと接客技術で、一代でオールドデリーの老舗テーラーを大型店舗にまで成長させた敏腕経営者だ。
教育熱心なミータは、娘のピアをなんとかしてイングリッシュ・ミディアムの名門学校に入れたいと思っている。
「インドでは英語は階級そのもの」
裕福な暮らしをしているものの、自分もラージも誇れるような学歴を持っておらず、英語が苦手であることに、彼女は劣等感を持っていた。
ミータの希望で一家は人情に厚い下町を離れ、志望する小学校の学区にあたる富裕層が暮らすエリアに引越すが、下町育ちのラージ一家は、個人主義で冷たく、外見や話す言語を気にする土地になかなかなじめない。
二人は宗教の見境なく神頼みに励み、ピアをお受験のための塾に通わせるが、なかなか志望校の合格は得られない。
ミータはとうとう、自分たちの身分を偽り、定員の25%に割り当てられた低所得者層のための特別枠を狙って、貧しい人々が暮らす地域に引っ越すことを決意する。
だが、志望校の校長は潔癖で、賄賂や不正は絶対に許さない堅物だ。
彼らは、自分たちが本当に貧しいエリアに暮らす住民だと信じてもらえるよう、必死にふるまうことを迫られる…。


映画の見どころは、下町育ちの成金夫婦が、娘の教育のために慣れない上流階級暮らしや貧乏生活に挑戦する、可笑しくも涙ぐましい奮闘っぷりだ。
こう書くと、まるでこの映画が、インド固有の社会事情に根ざした別世界の物語のように感じるかもしれないが、じつはこれが日本に暮らす我々の心にも、がんがん刺さってくるのである。

この映画のテーマはもちろん「教育」だが、本当の主題は、「本当に良い生き方とは何なのか」という、普遍的かつ根源的な問いかけだ。
この映画のクライマックスは、志望校への合格/不合格ではなく、じつはその後にある。
富裕層を中心とした一部の人しか通うことができないイングリッシュ・ミディアム・スクールに、あらゆる手段を尽くして(不正な手段を使ってまで)入学することが、本当に立派なことなのか?
自分の家族のみの豊かさや社会的評価を得るためだけに生きることが本当に良いことのか?
この作品のメッセージは、子どもがいる人には「自分の子どもを育てるべきか」という問いかけとして、子どもがいない人には、「自分はどのように生きるべきなのか」という問いかけとして突き刺さる。
とはいえ、これは小難しい作品ではなくインドの大衆映画。
社会派映画であると同時に徹底したエンターテインメント作品でもあるから、難しいことは考えずに、ストーリーに没頭して楽しむことができるのも魅力だ。


インドの教育事情

この映画でが全てにおいてリアルかというと、そんなことはなく、インドの娯楽映画にありがちな、大衆礼賛的な、理想化された部分も大きい。
映画のなかのヒンディー・ミディアム・スクールは、貧しくとも貧しいなりに教育熱心だが、実際はローカル言語の公立校では、待遇の悪さから教師のモチベーションが極めて低く、教師の質も悪い。
授業が極めていい加減だったり、受験対策の放課後の補習のために追加料金(要は教員の小遣い稼ぎ)を要求されたりすることも多いという。 
少しでも良い教育を受けさせたいという親の気持ちにつけこんだ、未認可の教育機関も多く、現実はもっとややこしくて複雑だ。
(インドのこうした未認可教育事情に関しては、『インドの無認可学校研究ー公教育を支える「影の制度」ー』(東信堂)などの著者のある小原優貴さんの研究に詳しい) 


インドの格差と教育

この映画では、2009年に施行されたRTE法(Right To Edication Act)に基づいて、私立学校の入学定員の25%に割り当てられた貧困層のための入学枠が重要なトピックとなっているが、こうした制度や、被差別階級である指定カースト・指定部族への入学優遇枠をもってしても、インドの格差は、なお解決には程遠い。(制度自体が悪用されたり、政治利用されたりすることも少なくない)

この映画に描かれているように、英語能力や教育程度による階級意識も根強く、中島岳志さんの『インド人のことはインド人に聞け!』(講談社、2009年)によると、地元言語で教育を受けた学生が、大学での英語の講義について行けずに自殺する例すらあるという。
この本で紹介されている現地報道では、インドのコラムニストは、英語のことを、端的に「下層・中流階級にとっては憧れの言語であり、上流階級にとっては流行りの言語である」と述べている。
英語が海外での仕事や、航空会社、ホテル、マスコミ、金融、ショッピングモールなどの高給で見栄えの良いキャリアに結びついているからだ。
(ただし、それはネイティブ・スピーカーが話す英語'English'ではなく、「インド英語」'Inglish'であることが多く、悪質な英語教育機関が乱立していることにも触れている)
インドの大ベストセラー作家Chetan Bhagatの"A Half Girlfriend"も、英語が苦手な学生がスポーツ推薦で名門大学に入学するという設定の、教育格差をテーマにした内容だった(映画化もされている)。

実際、英語ができる・できないという格差は、ビジネスや就職だけではなく、あらゆる場面で情報や機会の格差となりうる。
例えば、私が普段ブログに書いている音楽の情報は、ほぼすべて英語で書かれたウェブサイトや媒体で得ている。
ヒンディー語などの地域言語で楽曲を発表しているアーティストも、情報発信は基本的にすべて英語で行なっているのだ。
もし私が現地言語しかできないインド人だったら、そもそもロックやヒップホップの情報を得ることすら難しいだろう。
それがどんなものか正確に把握することすら難しいかもしれない。
私が知る限り、ローカル言語を中心に情報発信をしているのは、タミルのヒップホップグループCasteless Collectiveと、ケーララ州のブラックメタルバンドWilluwandiだけだ。
彼らはいずれも、カースト制度の外に位置付けられた被差別民の尊厳のための音楽を演奏しているアーティストであり、地域言語での情報発信は、英語にアクセスできない人々に情報を伝えるためだろう。

インドのいわゆる上流階級には、結構な割合で、「家でも英語で話している」という人たちがおり、彼らに会うたびに、「家庭内で、母語ではなく、英語を使って話すっていうのは、どんな感じがするものなのだろう」と思っていたのだが、この映画を見て、少しその感覚がつかめた気がした。


何やら話しが大幅に逸れた上に、あんまりタイトルと関係ない内容になってしまったような気がしないでもないが、『ヒンディー・ミディアム』、たいへん面白くて考えさせられる、非常にオススメの映画です。
かといって涙腺に電極を刺されたように号泣したり、ものすごく悩まされたりするほどに胃もたれする映画ではなく、爽やかな娯楽としてもとても良くできています。
公開は9月3日から!

(今回は「インドのことを知らなくても楽しめる!」とか言いながら、映画に関連するインド事情をひたすら語りまくるという、インド好きにありがちなことをやってしまった…。この病気治らないなー)

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