バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)3.11 あれから8年、忘れたくない遠い国からの支援

2019年03月09日

"Gully Boy"と『あまねき旋律』をつなぐヒップホップ・アーティストたち 

ムンバイのストリート・ヒップホップシーンを描いたRanveer Singh主演の"Gully Boy"がインドで大ヒットを続けている。
ここ日本での自主上映でもかなり評判が良いようで、今までになくインドのヒップホップが注目を集めている。
残念ながらSpace Boxさんによる英語字幕の自主上映は本日がラストとのことだが、これまでに日本でヒットしてきたインド映画とはまた違う毛色の本作、改めて正式な劇場公開が待たれる。
(Gully Boyについては不肖、軽刈田も大絶賛しております。「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」

この映画はムンバイのラッパーNaezyとDivineをモデルにしているが、インドではここ数年、大都市ムンバイのみならず、様々な都市や地域でアンダーグラウンドなヒップホップシーンが形成されている。

それはインドのなかでも独自の文化を持つインド北東部も例外ではない。
インド北東部のナガランド州を舞台にしたドキュメンタリー映画『あまねき旋律』をご覧になった方は、ナガの地に駐留するインド軍が映し出された、重苦しい無音のシーンを覚えていることだろう。
かつて村が焼き払われ、この土地の独立運動が徹底的に弾圧された歴史が、字幕で伝えられる場面だ。
山あいの農村に暮らすチャケサン・ナガ族のみずみずしい歌声にあふれたこの映画の中で、そこだけ生気が失せたような沈黙がとても印象的なシーンだった。
(ナガランドについては何度も書いているが、『あまねき旋律』についてはこちらから:「特集ナガランドその1 辺境の山岳地帯に響く歌声 映画『あまねき旋律』」
インド北東部地図NEとシッキムインド北東部地図拡大
(地図出展:Wikipedia)

インド北東部は、ヒンドゥー/イスラームの二大宗教や、アーリア/ドラヴィダの二大民族に代表される典型的なインド文化とは全く異なるルーツを持つため、周縁的な存在であることを余儀なくされ、差別や偏見の対象となってきた。
そのため、北東部ではナガランド以外でも多くの州で、独立運動や権利を求める闘争が行われてきた。
そうした運動を牽制するため、インド北東部の多くの地域が、前回紹介したカシミール同様にAFSPA(Armed Force Special Power Act. 軍事特別法と訳されることがある)の対象地域とされ、軍や警察による令状なしの捜査・逮捕・資産の収奪が認められている。
そして残念なことにその特権は必ずしも正義のために行使されているわけではなく、これまでに多くの一般市民が権力を持つ側の犠牲になっており、それゆえに権利や自由を求める意識はさらに高まってきたという歴史がある。
このブログでも紹介してきたとおり、インド北東部は典型的なインド文化の影響が少なく、クリスチャンが多いこともあって相対的に欧米文化の影響が大きいため、インドのなかでもかなり洗練されたポピュラー音楽文化を持っている地域だ。
当然ながらアンダーグラウンドヒップホップシーンにも数多くの素晴らしいアーティストがいる。

インド北東部では多くのラッパーが差別や偏見に抵抗し、民族の誇りを掲げたラップをリリースしているが、その代表格がトリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)だ。

"Fighter ft. Meyi"

"Roots (Chini Haa)"
ヒップホップというよりはEDMに近いビートに乗せてポジティブなリリックを吐き出す姿勢がとても印象的なBorkung Hrankhawlについては、以前も詳しく紹介した。(「トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl」

メガラヤ州からは、この地に暮らすカシ族の名を取ったKhasi Bloodzが、「インドのロックの首都」とも言われるほどインディーミュージックが盛んな州都シロン(Shillong)を拠点に活動している。
この曲はその名も"Hip Hop"

メンバーのBig-Riは同郷の女性R&BシンガーMeba Ofiliaとコラボレーションしたこの楽曲でMTV Europeの2018年Best India Actに選ばれた(こちらの記事でも特集)。
"Done Talking"  


と、ここまではイントロダクション(いつも長くて申し訳ない)。
今回は奇しくも3人のラッパーが似たタイトルの楽曲を発表していることを紹介します。

まずは北東部でも最北の地、アルナーチャル・プラデーシュ州のラッパーK4 Kekhoが昨年リリースした"I am an Indian"から。

「北東部出身者が、インドの主要部で中国人やネパール人に間違えられて経験する真実に基づいている」というメッセージから始まるこのミュージックビデオは、インド国内でも十分に認識されず、高等教育を受けるために進んだ主要都市では外見や文化の違いから差別と偏見にさらされる過酷な現実を訴えている。
それでもなお「俺もまたインド人だ」と主張するラップは、ある意味独立を訴えるよりも悲しみを感じさせるものだ。
後半では主要都市の大学で差別や暴力によって北東部出身者が命を落とした事件に対する抗議の様子が出てくるが、これはBorkung Hrankhawlもフリースタイルのスポークンワードで訴えていた深刻な問題だ。

続いて紹介するのはインドに併合される1975年まで独立国だったシッキム州のラッパー、UNBが2014年に紹介した"Call Me Indian".

彼のことも以前ブログで取り上げたのを覚えている方もいるかもしれない(そのときの記事)。
ユーモラスなフロウでラップされているが、インド人としての誇りを持っていてもインド人して見られず、見た目を馬鹿にされ、声をあげれば暴力さえ振るわれるというリリックの中身は悲痛なものだ。

そして3曲めに取り上げるのは、オディシャ州出身のラッパー、Big Deal.
オディシャ州は地図を見ればわかる通りインド北東部ではないが、インド人の父と日本人の母のもとに生まれた彼は外見的に北東部出身者にうりふたつで、彼もまた幼少期に外見ゆえの差別を受けてきたという。
Odisha
(地図出展:Wikipedia)

彼が昨年リリースした楽曲のタイトルは"Are You Indian".

"I Am Indian", "Call Me Indian", "Are You Indian"と、奇しくも3曲が3曲とも「外見からインド人みなされず差別にさらされる北東部出身者が、自分も同じインド人だと抗議する」というテーマを掲げているのがお分かりいただけるだろう。
これらの曲は、北東部出身者は、インドの主要地域出身者に比べて、同等の尊厳が認められていないという状況を表している。

Big Dealのこの"Are You Indian"はアメリカのラッパーJoyner Lucasの"I'm Not Racist"という曲にインスパイアされて書かれたものだという(この曲もアメリカの黒人の心情が非常に分かるものになっているので、興味があればぜひビデオを見てほしい)。
前半では、ヒンドゥー、ムスリム、南部出身者ら、多様ではあるがインド主要部を構成する人々からの北東部への偏見が吐き出される。
それに対して後半は北東部出身者からの返答という構成になっている。

これがかなり面白いので、相当長くなるがリリックの訳を載せてみます。
まずは前半、インドのメインランドからの偏見はこんな内容だ。

お前は誰だ?ここで何をしている?
よくは知らんが最近インドじゃ移民が多すぎる
中国人に見えるが国境をくぐり抜けて来たのか?
差別するわけじゃないが、お前のマヌケな顔を見て言ってるんだ
小さい目に無いような眉毛
お前がインド人だって?疑わしいね
お前がインド人だって?何言ってんだ
インド人を探してるってんなら、あいつを見てみな

お前たちの女どもは挑発的な格好をして一晩中パーティーするんだろ
そりゃレイプされるのも仕方が無いね
全然違うんだよ 俺たちは最高で、お前たちは病気だ
お前らの学生どもはアル中か大麻中毒だろ
自分には関係無いって言うのは勝手だが、俺はお前らが大嫌いだ
お前らの近所に住んでるが、お前らがでかい音でかける音楽が大嫌いだ
大学に行ってる奴らも多いみたいだが
さぼってばかりで金を無駄にしているんだろう
どうして仕事につかないんだ?自分の価値も見つけられないのか?
いつまでも親のスネかじりか? 
ゲームばかりやって時間を無駄にしてるのか?
少数民族の優遇制度のおかげで仕事につくんだろ
政府のお情けにすがって生きてるのか?
 
お前らの女どもは早いって聞くが
処女を失ったみたいに尊厳も無くしちまったのか?ひどいもんだ
 
お前らもお前らの臭い食べ物も地獄に堕ちろ
お前らが料理すると黄色いクソみたいな匂いがして吐きそうになる
肉が入ったものしか食べないんだろ
鶏肉じゃ満足できなくて犬も食べるんだろ
 
調子を合わせてみたり、自分たちは違うって言ってみたり
西洋人になりたがってみたり、インド人になりたがってみたり
お前らは矛盾ばっかりだ
どうしてどっちかに決められないんだ?
お前らが思ってるなりたい人間になれよ
その方が楽だからって誰かの真似をするな、被害者ぶるな
それがお前らの地域のテロの理由だろ
自分たちの権利のために戦ってるって言うんだろ
人殺しはやめろ
 
お前らの人種は何か変なんだ
男らしいって言うがヒゲもないじゃないか
法律なんかクソくらえだ 裁判所なんか信じないね
正義なんて盲目だし、盲目ってのがキーワードなんだ
だから犯罪者どもが好き勝手したり無罪の人間が聴取されたりするんだ
俺たちが汚い言葉を使ったって言って5年も刑務所に入れるんだ
メアリー・コムは好きだぜ
彼女は自分の地元だけじゃなくてインドを代表してるんだ
俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
お前らはインド人か?
インド人になりたいのか?


まずはここでも中国人に似ていることや外見に対する差別から歌詞が始まり、ヒンドゥーやイスラーム的な価値観とは異なる彼らへの偏見が続く。
今回紹介した3曲全てに北東部の食文化に対する差別が入っているのも興味深い。
インドのマジョリティーであるヒンドゥー文化は菜食を清浄なものとし、肉食を忌避する傾向があるが、北東部出身者は伝統的に肉をよく食べることから、差別の対象となりやすい。
「犬肉を食べているんだろう」というのは、典型的な北東部出身者への偏見の一例だ。
指定部族(Scheduled Tribe=STという。ちなみに不可触民などの指定カーストはScheduled Caste=STと略される)優遇制度の恩恵を受けていることや、テロリズム的独立運動というのも北東部のステレオタイプへの批判と言ってよいだろう。
最後の方に出てくるメアリー・コムというのは北東部のマニプル州出身の女子ボクシング世界チャンピオンのこと。
彼女はモンゴロイドだが、彼女の半生が映画化された際には、典型的なインド美人の女優、プリヤンカ・チョープラーが彼女の役を演じた。

さて、前半の偏見に対する北東部からの反論はこんなふうに続く。

俺は俺だ インド人としてうまくやろうとしてる
お前の無知には我慢できないな 俺を移民だと思っていやがる
国境のそばに住んでるんだ もちろんその左側さ
(※国境の右側は中国ということだろう)
俺の顔で判断したってことはあんたはまぎれもない人種差別主義者だ
アルナーチャル、アッサム、マニプル、ミゾラム、
メガラヤ、トリプラ、シッキム、ナガランド
これが北東部、インドのセブン・シスターズだ
俺たちはまぎれもないインド人、中国でも日本でもない
 
俺たちがいい暮らしをしていて苦々しいんだろ
目は小さくても大きいビジョンで見渡せるんだ
いつの日かいっしょになれるかもな
調和のうちに共存できるかもな 俺たちもテロはこりごりだ

女性たちへの差別的な感性
あんた達の服だって思ってるほど立派じゃない
正義のための道に毎日集まるんだ
ムスリムへの差別も止めろ
(※この4行のヒンディー語部分は機械翻訳なのであやしいです)
 
俺たちは歴史的にひどく抑圧されてきた
不平等と混乱にさらされてきた
差別され、マイノリティーとして抑圧されてきた
だから俺たちには優遇制度が与えられているんだ
簡単に言おう 俺たちはあらゆる優遇制度に十分に価する
お情けにすがって生きているんじゃない お前がそう思わなかったとしてもだ
なんなら今すぐ役所に行って問題提起してみな
 
俺たちの中には同化しようとする奴も、違ったままでいたい奴もいる
俺たちの中には西洋人になりたがる奴もいるが、それはお前たちが俺たちもインド人だと感じさせないからだ
俺が言いたいのはお前らがこうさせたってことだ
どうして心を決めないんだ
俺たちに心の底から好きなようにさせてくれ
俺たちに好きなようにさせてくれ、俺たちは犠牲者だ
俺たちの地域のテロの理由は
政府がしてくれないから自分たちの権利のために戦っているんだ
体制なんてクソくらえだ

メアリーを讃えろ
男どもは毛深くてクソみたいな匂いがする
俺たちの女が怖がるのも無理はない
ガンディーは肌の色のせいで電車から降ろされた
イギリス人はそんなふうに俺たちを人種差別して、そして出て行った
今日まで俺たちは同じようなことをしている

俺たちは俺たちのプライドの奴隷
罪のないものが代償を払わされてる
暴力的に命が奪われ、また母親が泣く
また娘がレイプされ、息子が死んでゆく
すべての犠牲は、誰が正しいか証明するために起きているんだ
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ


無知や見た目による差別への反論がこれでもかと畳みかけられる。
逆差別との批判も受けがちな優遇制度も、独立運動にも、彼ら自身さえうんざりしているテロ行為にさえ、それに値するだけの理由があるのだという主張には、犠牲者でありつづけてきた悲痛が込もっている。
リリックはさらに激しさを増し、かつてインド人を差別したイギリス人と同じことをしている差別主義者や、差別することで自尊心を満たす彼らの生き方を糾弾する。

ここまで聞くと、やはり差別される側である北東部出身者の声に一部の理があるように思える。
Youtubeのコメント欄には、この曲に対して北東部出身者からの共感の声と、メインランドの理解者からの賞賛の声が並んでいるが、その中にいくつか気になるものがあった。
「こういう音楽を作ることで、かえって分断を強調してしまうのではないか」とか「北東部にもメインランドから移住した者に対する差別がある」といったものだ。

正直にいうと、私も北東部の人々のおかれた状況に同情しつつも、この曲の後半のかなり過激な糾弾に対しては、差別主義者の心に届くのなあ、と疑問に感じていた。
北東部出身者でないBig Dealのリリックが、実際の当事者であるK4 KekhoやUNBの表現よりも赤裸々で激しいことも気になる。

Big Dealは、当事者が反発を招かないために、あえて越えないようにしていたラインを越えてしまったのではないか。
こうした表現方法では、共感者の理解は得られても、そうでない人(例えばST制度反対論者)の気持ちを変えることはできないのではないか。

その点に対して、Big Dealは、この曲について解説した動画の中で非常に興味深い話を語っている。

オディシャ州の小さな街プリーで育った彼は、幼少期に東アジア的な見た目ゆえの差別を経験した。
プリーの街にはそんな顔の人間は誰もいなかったからだ。
インド北東部にほど近いウエストベンガル州ダージリンの寄宿舎学校進むと、そこには彼によく似た見た目の同級生たちがいた。
ところが、今度こそよく似た仲間たちに溶け込めたのかというと、そうではなかった。
そこで会った北東部出身者は、見た目は似ていてもよその地域から彼をやはり差別したのだという。
(そこからラップに出会ったことで自信を得てゆく過程は彼の"One Kid"という曲に詳しく表現されている

こうした経験を通して、彼は偏見というものが決して一方向だけのものではないことを知る。
偏見とは双方向的なもので、それぞれが「正しい」と思っていることの中に含まれているのだ。
それがマジョリティーとマイノリティーに分断されたときに、差別という問題になって表出する。
これは「差別される側にも原因がある」というような意味ではなく、人間の本質についての話だ。

この曲は北東部への差別を扱った楽曲ではあるが、メインテーマは前半と後半、それぞれのヴァースの最後の部分なのだ。

俺たちは絆を分かち合う必要がある
自分たち自身みたいにお互いを気遣う必要がある
 
俺たちが戦い続けて、目をあわせようとしないなら
そんな人生なら、
生きる意味はいったいどこにある?
俺たちは人間でいよう 人間らしく共感しよう
変化をもたらす時だ 俺たちから始めるんだ

Big Dealは、自分と異なる容姿の人々と、よく似た人々の双方からの差別を経験したからこそ、この曲を作ったと語っている。
「差別する側の言い分」である前半のラストにも理解を求める言葉があるのは、無知や偏見ゆえに差別する人々も、心の底では相互理解の必要性を分かっているということを表しているのだろう。
この曲が扱っているのはインドだけの問題ではなく、世界中の誰にとっても普遍的なテーマなのだ。

本日はこのへんまで!
今回はずいぶん長い記事を読んでいただいてありがとうございました!



Big Dealのことも以前書いていたので興味のある方はこちらからどうぞ。
「レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal」2018.2.28
「律儀なBig Deal」(インタビュー)2018.3.24




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