2018年08月31日
インドのインディーズシーンの歴史その4 バングラ・ビートの時代!Apache Indian!
インドのインディーズミュージック史を紐解くこの企画、第4回目にして、おそらく初めて多くの人が知っている名前が出てきたのではないだろうか。
そう、今回取り上げるのはApache Indian.
とくにアラフォー世代のみなさんにとっては懐かしい名前のはずだ。
この例のリストで取り上げられているのは、「Boom 釈迦-楽!」というワケの分からない邦題で有名なあの曲ではなく、"Chok There"という曲。
それではどうぞお聴きください。
うわあ、懐かしい!
このバングラ・レゲエのリズムを聞くと90年代の空気が一気に蘇ってくる。
最初に断っておくと、自分はバングラには全く詳しくない。
90年代に一斉を風靡したバングラを網羅的に紹介できる人は他に適切な人がいるはずなので(サラーム海上さんとか)、今回はごく簡単な紹介に止めさせてもらいます。
Apache Indianはバーミンガム出身のパンジャーブ系のインド系イギリス人。
在外インド人と言っても、当然ながらその出身地域によって言語も文化も異なるわけだが、彼の場合、このパンジャーブ系であるということがとくに大きな意味を持っている(後ほど詳述)。
工業都市バーミンガムのアジア系と黒人が混住する地域で育った彼は、80年代から髪をドレッドにして地元のサウンドシステムでの活動を始めた。
やがて90年代に入ると、バングラとレゲエをミックスしたスタイルで名門Island Recordsと契約。
93年には世界的なヒットとなった"Boom shack-a-lak"をリリースした。
やっぱりこっちも懐かしい。バングラ・ラガ・ロックンロール。
ここで、「バングラ」の説明を改めて。
90年代、「バングラ・ビート」というジャンルがまずイギリスで人気になり、やがて世界的な盛り上がりを見せた。
カタカナで書くと同じなので、バングラという言葉からバングラデシュ(Bangladesh)を連想する人もいるかもしれないが、「バングラ(Bhangra)」は方角的には反対側のインド北西部、パキスタンとの国境に接したパンジャーブ州の伝統的なリズムだ。
パンジャーブ州は、ターバンとヒゲで有名なシク教の本拠地としても有名な土地で、印パ分離独立時に、両国に分割されてしまった経緯のある土地だ。地図上の赤いところ。
(画像出典:Wikipedia)
パンジャーブ州やシク教について詳しく書いていると、それだけで永遠に終わらなくなってしまうので割愛するとして、インドでは、パンジャーブ人は特に陽気で賑やか、率直な性格の人々という印象を持たれているようだ。
例えば、人気作家Chetan Bhagatの"2 states"という小説では、物静かで教養を重んじるタミル人の家庭に育った彼女と、やかましくて歯に衣着せぬ典型的パンジャーブ人の家庭に育った彼氏との結婚に至るまでの両家の葛藤が面白おかしく描かれている。ちなみに著者の自伝的な小説だそうだ。
インド各地に様々なリズムがあるのに、インド系移民の多いイギリスで、どうして90年代にブレイクしたのがこのバングラだったのか。
例えば南インドのカルナーティックのリズムでも良かったのではないかと思っていたのだが、その理由はおそらくはとてもシンプルなことだった。
イギリスに住んでいるインド系の人口150万人のうち、パンジャーブ系は70万人。じつに4割にものぼる。
本国インドでは、インド全体の人口約13億にたいして、パンジャーブ系の人口は約3,300万人、たったの2.5%にすぎないが、歴史的にイギリスには多くのパンジャビ(パンジャーブ人)たちが移住してきているのだ。
(インド国内でのパンジャーブ人の人口は、統計の取り方によって変わってきそうだが、それはひとまず置いておく)
そんなわけで、イギリスのインド系社会ではマジョリティーであるパンジャビのリズム、バングラはさまざまな音楽と結びついて独自の発展を遂げることとなった。
そもそものルーツである伝統的なバングラのリズムはこんな感じ。
より大衆的な音楽だからということもあるだろうが、他のインド古典音楽のように変拍子や複雑なリズムなどはなく、直線的な打楽器のビートはいわゆるアゲアゲ感がある。
このリズムがディスコやヒップホップ、ダンスホールレゲエなどと融合し、「バングラ・ビート」と呼ばれるスタイルが形成された。
バングラ・ビートは、はじめはインド系移民の間でのみ親しまれていたが、90年代に入ると徐々にその存在感を増し、Boom shack-a-lakがヒットした93年頃には世界的な注目を集めるに至ったというわけだ。
最終的には、パンジャーブ系のインド人が演奏していれば、もはやバングラの要素をほとんど残していなくてもバングラというジャンルとして扱われていたように記憶している。
いずれにしても、この「パンジャーブ系」であるということがバングラというジャンルの共通項であったわけだ。
もう一人、90年代のバングラの国際的スターを挙げるとしたら、Punjabi MCということになるだろう。
彼もまたパンジャービ系イギリス人で、よりプリミティブなバングラ・ビートの"Mundian To Bach Ke"は、1998年にUKのシングルチャートで5位、米ビルボードのダンスチャートで3位の大ヒットとなった。
当時、他のヒット曲に混じってこの曲がプレイされると、すごい違和感があったものだけど、理由はともかく世紀末の空気とこのインドのリズムが呼応した時代だったのだろう。
このバングラ、ぎゃくに言うとそれ以前もそれ以降も世界的には見向きもされないジャンルとも言えるかもしれないけど、とにかく90年代はバングラビートの時代だったというわけだ。
話を"Chok There"に戻します。
この曲がリリースされたのは、大ヒット曲"Boom shack-a-lak"に先立つ1991年。
世界的にはバングラ・ブームの創世記を担ったより重要な曲であるはずなのに、このVH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズシーンを作った100曲リストでは、前回紹介したドイツローカルの一発屋であるNoble Savegesが1997年にリリースした曲よりも後にリストアップされている。
深読みかもしれないが、これはNoble Savegesが"I am a Indian"をインドで製作したことがより重要視されているのだろう。
Apache Indianもインド系社会特有のテーマについて、インドの言葉を交えて歌っているが、彼がブレイクした90年代前半は、インドにはまだ彼がレゲエビートを引っさげて凱旋帰国できるだけの音楽市場がおそらく整っていなかった。
それに、マーケット的に未開の地であるインドに行くには彼はあまりにも世界で売れすぎた。
Apache Indianも大ヒットから一段落した1996年に、遅ればせながらインドに一時帰国し、タミル語映画"Love Birds"に出演し楽曲も提供している。
楽曲的には当時のインドの映画音楽のアベレージから考えるととても垢抜けた曲なのだが、さすがにインドのメジャーシーンのど真ん中の映画音楽では、インディーズミュージックのリストに入れるわけにもいかないのだろう。
これがその曲で、タイトルは、インド人の口ぐせ"No Problem"
世界的なバングラブームは90年代に過ぎ去ってしまったが、バングラはもちろん今でもパンジャビ系の人々にとって身近なリズム。
最近ではEDMなどと融合し、独自の発展を遂げている。
ところで、Apache Indianというアーティスト名は、お気づきの通り、ネイティブ・アメリカンのほうのインディアンのアパッチ族を意識してつけられたものだが、前回紹介したNoble Savegesというユニット名も、アメリカ先住民を表す言葉だ。
どちらも意図的に「インディアン」という言葉の混同をしているわけだが、そこに単なる言葉遊び以上の意味があるのだろうか。少し気になるところではある。
90年代、インドの音楽シーンはまだ眠っていたけれど、国外では徐々にインド系ミュージシャンの活躍が目立ち始めてくる。
タブラ・エレクトロのTalvin Singh、インディー・ポップのCorner Shop、ミクスチャー的ダブ・バンドのAsian Dub Foundation等々、イギリスのインド系移民たちがシーンで評価され始めたのも90年代だ。
今回は、そんな時代に最も世界で受け入れられたインド系音楽、バングラを感じてもらえたらうれしいです。
次回は再びインドに舞台を移して、インドロック界の大御所バンドを紹介します。
では!
そう、今回取り上げるのはApache Indian.
とくにアラフォー世代のみなさんにとっては懐かしい名前のはずだ。
この例のリストで取り上げられているのは、「Boom 釈迦-楽!」というワケの分からない邦題で有名なあの曲ではなく、"Chok There"という曲。
それではどうぞお聴きください。
うわあ、懐かしい!
このバングラ・レゲエのリズムを聞くと90年代の空気が一気に蘇ってくる。
最初に断っておくと、自分はバングラには全く詳しくない。
90年代に一斉を風靡したバングラを網羅的に紹介できる人は他に適切な人がいるはずなので(サラーム海上さんとか)、今回はごく簡単な紹介に止めさせてもらいます。
Apache Indianはバーミンガム出身のパンジャーブ系のインド系イギリス人。
在外インド人と言っても、当然ながらその出身地域によって言語も文化も異なるわけだが、彼の場合、このパンジャーブ系であるということがとくに大きな意味を持っている(後ほど詳述)。
工業都市バーミンガムのアジア系と黒人が混住する地域で育った彼は、80年代から髪をドレッドにして地元のサウンドシステムでの活動を始めた。
やがて90年代に入ると、バングラとレゲエをミックスしたスタイルで名門Island Recordsと契約。
93年には世界的なヒットとなった"Boom shack-a-lak"をリリースした。
やっぱりこっちも懐かしい。バングラ・ラガ・ロックンロール。
ここで、「バングラ」の説明を改めて。
90年代、「バングラ・ビート」というジャンルがまずイギリスで人気になり、やがて世界的な盛り上がりを見せた。
カタカナで書くと同じなので、バングラという言葉からバングラデシュ(Bangladesh)を連想する人もいるかもしれないが、「バングラ(Bhangra)」は方角的には反対側のインド北西部、パキスタンとの国境に接したパンジャーブ州の伝統的なリズムだ。
パンジャーブ州は、ターバンとヒゲで有名なシク教の本拠地としても有名な土地で、印パ分離独立時に、両国に分割されてしまった経緯のある土地だ。地図上の赤いところ。
(画像出典:Wikipedia)
パンジャーブ州やシク教について詳しく書いていると、それだけで永遠に終わらなくなってしまうので割愛するとして、インドでは、パンジャーブ人は特に陽気で賑やか、率直な性格の人々という印象を持たれているようだ。
例えば、人気作家Chetan Bhagatの"2 states"という小説では、物静かで教養を重んじるタミル人の家庭に育った彼女と、やかましくて歯に衣着せぬ典型的パンジャーブ人の家庭に育った彼氏との結婚に至るまでの両家の葛藤が面白おかしく描かれている。ちなみに著者の自伝的な小説だそうだ。
インド各地に様々なリズムがあるのに、インド系移民の多いイギリスで、どうして90年代にブレイクしたのがこのバングラだったのか。
例えば南インドのカルナーティックのリズムでも良かったのではないかと思っていたのだが、その理由はおそらくはとてもシンプルなことだった。
イギリスに住んでいるインド系の人口150万人のうち、パンジャーブ系は70万人。じつに4割にものぼる。
本国インドでは、インド全体の人口約13億にたいして、パンジャーブ系の人口は約3,300万人、たったの2.5%にすぎないが、歴史的にイギリスには多くのパンジャビ(パンジャーブ人)たちが移住してきているのだ。
(インド国内でのパンジャーブ人の人口は、統計の取り方によって変わってきそうだが、それはひとまず置いておく)
そんなわけで、イギリスのインド系社会ではマジョリティーであるパンジャビのリズム、バングラはさまざまな音楽と結びついて独自の発展を遂げることとなった。
そもそものルーツである伝統的なバングラのリズムはこんな感じ。
より大衆的な音楽だからということもあるだろうが、他のインド古典音楽のように変拍子や複雑なリズムなどはなく、直線的な打楽器のビートはいわゆるアゲアゲ感がある。
このリズムがディスコやヒップホップ、ダンスホールレゲエなどと融合し、「バングラ・ビート」と呼ばれるスタイルが形成された。
バングラ・ビートは、はじめはインド系移民の間でのみ親しまれていたが、90年代に入ると徐々にその存在感を増し、Boom shack-a-lakがヒットした93年頃には世界的な注目を集めるに至ったというわけだ。
最終的には、パンジャーブ系のインド人が演奏していれば、もはやバングラの要素をほとんど残していなくてもバングラというジャンルとして扱われていたように記憶している。
いずれにしても、この「パンジャーブ系」であるということがバングラというジャンルの共通項であったわけだ。
もう一人、90年代のバングラの国際的スターを挙げるとしたら、Punjabi MCということになるだろう。
彼もまたパンジャービ系イギリス人で、よりプリミティブなバングラ・ビートの"Mundian To Bach Ke"は、1998年にUKのシングルチャートで5位、米ビルボードのダンスチャートで3位の大ヒットとなった。
当時、他のヒット曲に混じってこの曲がプレイされると、すごい違和感があったものだけど、理由はともかく世紀末の空気とこのインドのリズムが呼応した時代だったのだろう。
このバングラ、ぎゃくに言うとそれ以前もそれ以降も世界的には見向きもされないジャンルとも言えるかもしれないけど、とにかく90年代はバングラビートの時代だったというわけだ。
話を"Chok There"に戻します。
この曲がリリースされたのは、大ヒット曲"Boom shack-a-lak"に先立つ1991年。
世界的にはバングラ・ブームの創世記を担ったより重要な曲であるはずなのに、このVH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズシーンを作った100曲リストでは、前回紹介したドイツローカルの一発屋であるNoble Savegesが1997年にリリースした曲よりも後にリストアップされている。
深読みかもしれないが、これはNoble Savegesが"I am a Indian"をインドで製作したことがより重要視されているのだろう。
Apache Indianもインド系社会特有のテーマについて、インドの言葉を交えて歌っているが、彼がブレイクした90年代前半は、インドにはまだ彼がレゲエビートを引っさげて凱旋帰国できるだけの音楽市場がおそらく整っていなかった。
それに、マーケット的に未開の地であるインドに行くには彼はあまりにも世界で売れすぎた。
Apache Indianも大ヒットから一段落した1996年に、遅ればせながらインドに一時帰国し、タミル語映画"Love Birds"に出演し楽曲も提供している。
楽曲的には当時のインドの映画音楽のアベレージから考えるととても垢抜けた曲なのだが、さすがにインドのメジャーシーンのど真ん中の映画音楽では、インディーズミュージックのリストに入れるわけにもいかないのだろう。
これがその曲で、タイトルは、インド人の口ぐせ"No Problem"
世界的なバングラブームは90年代に過ぎ去ってしまったが、バングラはもちろん今でもパンジャビ系の人々にとって身近なリズム。
最近ではEDMなどと融合し、独自の発展を遂げている。
ところで、Apache Indianというアーティスト名は、お気づきの通り、ネイティブ・アメリカンのほうのインディアンのアパッチ族を意識してつけられたものだが、前回紹介したNoble Savegesというユニット名も、アメリカ先住民を表す言葉だ。
どちらも意図的に「インディアン」という言葉の混同をしているわけだが、そこに単なる言葉遊び以上の意味があるのだろうか。少し気になるところではある。
90年代、インドの音楽シーンはまだ眠っていたけれど、国外では徐々にインド系ミュージシャンの活躍が目立ち始めてくる。
タブラ・エレクトロのTalvin Singh、インディー・ポップのCorner Shop、ミクスチャー的ダブ・バンドのAsian Dub Foundation等々、イギリスのインド系移民たちがシーンで評価され始めたのも90年代だ。
今回は、そんな時代に最も世界で受け入れられたインド系音楽、バングラを感じてもらえたらうれしいです。
次回は再びインドに舞台を移して、インドロック界の大御所バンドを紹介します。
では!