日本や海外のアーティストも出演!Ziro Festival!インドのインディーズシーンの歴史その2 「黄金の声を持つ男」Gary Lawyer

2018年08月21日

インドのインディーズシーンの歴史その1 インドのVan Halen、Rock Machine!

つい先ごろ、アメリカ資本のインドのケーブルテレビVH1 Sound Nationが、インドの独立記念日(8月15日)に合わせて、独立72周年にちなんで72組のインドのインディーミュージックシーンを作ってきたアーティストのリストを発表した。
各アーティストごとに1曲ずつ代表曲がリストアップされている。
これがインドのインディーズシーンの歴史を辿るのに最適なので、どれくらい時間がかかるかわからないけれども、この72曲を1曲ずつレビューしてゆきたいと思います。

これがそのリスト。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲
このリストを見てもらうとわかる通り、それぞれのアーティストが活動を開始した年の順に各1曲ずつがピックアップされている。
紹介されている曲がリリースされた順番はまちまちなので、だから曲がリリースされた年次で並べると、また違った順番になるが、インドのインディーズシーンの進化と変遷を辿るには十分だろう。

このリストの前半には海外在住のインド系アーティストの名前も多く入っているが(外国籍のものも含む)、後半になるにつれて国内のアーティストの割合が増えてくる。
その意味では、インドの音楽シーンが海外のインド系アーティストの逆輸入に刺激を受け、それをどう消化して新しい音楽を作るようになったかという歴史として捉えることもできる。

2000年以降、それも'00年代後半からは、1年あたりの紹介されるアーティストの数がどんどん増えているのがわかると思うが、これはそのままシーンの拡大を表していると見て良いだろう。
まさに今、この瞬間にもインドのインディーミュージックシーンは爆発的に広がり続けているのだ。

さてさて、前置きはこのへんにして、今回、記念すべき第1回で紹介するのは、もちろんリストのトップバッター、その名もRock Machineというバンドの80年代ハードロックナンバー、"Top of the Rock"!

この曲は、1988年に発表された彼らのファーストアルバム"Rock’n'Roll Renegade"からの曲。
聴いてもらってわかる通り、キーボードを多用した曲調やタイトル、トリッキーなギターソロ、衣装やビデオの雰囲気など、サミー・ヘイガー在籍時のVan Halenを強く意識したと思われる曲だ。

このRock Machine、今では聞かない名前だなあと思って調べてみたら、彼らはその後Indus Creedと名前を変更しており、97年に一度解散したものの、2010年に再結成し、今も現役で活動を続けている。
Rock Machineは知らなかったがIndus Creedはインドのロックシーンを調べているとなんども見聞きするビッグネームで、シッキム州のロックバンド、Girish and the Chroniclesもこのサイトのインタビューでインドを代表するロックバンドとして名前を挙げていた。
1バンド1曲のこのリストでも、Indus Creedとしても7曲めにリストアップされているから、インドのロックシーンでの影響力の大きさが分かろうというものだ。

バンドの歴史を見てみよう。
Rock Machineは1984年にムンバイ(当時はボンベイ)で結成された。
当初はThin Lizzy、UFO、The Who、Deep Purple、Van Halenといった欧米のバンドのカバーをしていたというから、これは同時代に活動していた世界中のハードロック/ヘヴィーメタルのバンドと同じような影響を受けているということができるだろう。
この時代のインドでは、国外からの干渉を厳しく制限する社会主義的な経済政策が取られていたが、その中でこうした欧米の音楽に触れ、高価な楽器を買って練習に励むことができたということは、メンバーはいずれもかなり裕福な家庭の出身だったことが想像できる。
詳しくは書かないが、クリスチャンやパールスィー(ゾロアスター教徒、ムンバイに多く裕福な家も多い)と思われる名前のメンバーもいるので、裕福かつ、ヒンドゥーやイスラムの保守的な考えから比較的自由な環境にいた若者たちによって結成されたと見て間違いないだろう。
インドでは、歴史あるかつての王室の家系などは別にして、学業をおさめ仕事で財をなした家庭の場合は家族でも英語で会話をするなど、欧米風の開明的な生活こそを良しとする風潮が強く、彼らもそうした階層から出てきた「新しいインド」を象徴する若者たちだったというわけだ。

この"Top of the Rock"が発表された1988年というと、まだインドの大部分の人々は役者たちが(口パクで)歌い、サリーを着たダンサーが舞い踊る映画音楽を聴いていたはずだ。
そんな時代に、蛍光色のタンクトップを着て、当時の欧米のロックのメインストリームに沿ったビデオを作っているバンドがいたと思うとなんとも感慨深い。

それにしても謎なのは、この時代、まだインドにはMTVは無かったわけで、ミュージックビデオのようなものがあるとすれば、それは映画のミュージカルシーンを切り取った映画音楽のもののみのはず。
このビデオ、それなりにお金がかかっているものと思うが、いったいいつ、どこで流すために作られたものなんだろう。
それとも、メンバーはそもそも裕福な家庭の出身だろうから、発表するあてなんかなくても、「いっちょアメリカで流行ってるようなビデオを俺たちも撮ってみようぜ!」と勢いだけで作ってしまったということなのだろうか。

このRock Machine、演奏も歌もうまいし、曲もこの時代のトレンドに見事なまでに乗っかっているので、うまく海外でプロモーションされれば、日本のLoudnessくらいには海外での成功と名誉を収めることもできたのかもしれない。
どうやら彼らはインド全国をツアーできるくらいの人気は得ていたようで、とくに西洋文化に対して早くから開かれていたインド北東部では高い人気を博していたという。

とはいえ、以前書いた話だが、1998年になっても首都デリーのカセットテープ屋のオヤジからしてそもそもロックが何だか分かっていなかったというエピソードからもわかる通り、彼らの活躍をもってしてもロックが一般的な知名度を得るには至らなかったというのが、当時のインドの音楽シーンの限界だったのだろう。

今日のインドのロックシーンといえば、知的かつ音楽的に複雑なポストロックや、センス良さげなインディーロック(このブログであんまり紹介してないけど)、テクニカルなメタルの印象が強いが、 ロック黎明期の最初の1曲として挙げられていたのがこのシンプル極まりないハードロックのパーティーチューンだというのがちょっと意外で、とても面白い。
ムンバイのお金持ちのちょっと不良っぽい坊ちゃんたちが、「俺たちもあのアメリカの連中がやってるかようなロックをやってみようぜ!」って始めたのかなあ、なんて想像も膨らむ。

何はともあれ、彼らのファースト・アルバム"Rock'n'Roll Renegade" は、インド初の全曲オリジナルのロックアルバムとして、インドの音楽史に永遠に名を残すことになる1枚なのでした!

タイトル曲はちょっと欧州的な叙情性も感じるポップなハードロックだ。
それでは今回は、これまで! 


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