2018年08月14日
インド独立記念日にラップを聴きながら考える
8月15日といえば、日本では終戦記念日だけど、インドでは独立記念日。
といっても、インドは第二次世界大戦の終戦と同時に独立したわけではなく、インドはかの有名なマハトマ・ガンディーらの活躍によって、1947年の8月15日にイギリスからの独立を果たした。
ガンディーの悲願であったヒンドゥーとムスリムとの統一国家としての独立はついに果たせず、世俗国家であるインドとイスラム国家であるパキスタン(当時はバングラデシュも東パキスタン)との分離独立という形をとることになった。
(ちなみにパキスタンの独立記念日はインドより1日早い8月14日とされている)
イギリスが植民地支配への抵抗運動を弱体化させるために、ヒンドゥーとイスラムを「分割統治」していたことが、分離独立の一因となったのだった。
なぜこんな歴史の話を持ち出したかというと、この独立記念日にあたって、何人かのラッパーがインド国民に向けたラップソングを発表していて、それがまた現代インドを考える上で非常に面白い内容だから。
というわけで、今回は、他の国にはなかなか無さそうな、「インド独立記念日ラップ」を紹介します。
まずは、Big DealとGubbiの二人のラッパーとシンガーのRinosh Georgeによって、2014年の独立記念日に合わせて発表された曲、"Be the Change"を聴いてみましょう。
1番のヴァースでラップしているBig Dealは日本人の母とインド人の父との間に生まれた日印ハーフのラッパーで、逆境に負けないポジティブなメッセージをラップした"One Kid"や、地元オディシャ州への誇りをテーマにした"Mu Heli Odia"が代表曲。
彼は、リリックの中で、大国となりながらもいまだに宗教や言語や地域やカーストといった多様性のもとでの平等を達成できずにいることを憂い、差異を理由に批判しあうのではなく、自らこそが変わるべきだとラップしている。
2番のヴァースを歌っているGubbiはカンナダ語のラッパー。
カンナダ語はITシティのバンガロールを擁するカルナータカ州の公用語だ。
彼もまた、独立を成し遂げイギリスが去ってから68年も経つのに、未だに「自由」が達成できていないことをラップしながらも、安易に政府のみを批判するのではなく、自分自信が政治や社会に責任を持つべきだ、と人々を戒めている。
コーラスのメッセージはこうだ。
10億を超える人口を擁し、経済大国にもなったインド。
だが同じ国の中で生まれても、多様性が豊かな国であるがゆえに、コミュニティー間の対立は枚挙にいとまがない。貧富の差も無くなるどころか拡がるばかりだ。
宗教や文化や民族に基づく、見た目による差別も今日までずっと残っている。
(実際、日印ハーフのBig Dealは、そのインド人らしからぬ見た目から、少年時代いじめを受けていた)
こうした問題から目を背けて無批判にインドの独立を祝うのではなく、自らが主体的にこうした状況を変えてゆこう(be the change)、という現実を見据えたメッセージを乗せた曲というわけだ。
社会に対するメッセージを発信するラッパーらしい視点の曲と言えるだろう。
さて、続いて紹介しますのは、Adhbhut ft. Mansi n Shanuという人たちによる"Mera India"(ヒンディー語で「私のインド」という意味)。お聴きください。
さっきの曲の寛容のもとに団結を訴える内容とはうって変わって、いきなり軍隊や兵器がガンガンに出てきて驚いたと思う。
独立記念日にはインド軍のパレードもあるので、まあ軍が出てくるくらいまでは良しとしても、ご丁寧に効果音までつけてミサイルをぶっ放したりしているのを見ると、さすがにちょっと物騒だなっていう印象を受けるね。
ヒンディー語のリリックの内容はというと、どうやら、
「みんなが金を持ってるわけではないが、母なるインドが食わせてくれる。反逆者から身を守れ、敵から土地を取り返せ!ヤツらを撃ち殺せ!インドは世界の王となる」
みたいな、勇ましいっていうか超タカ派右寄りな内容がラップされているようで、さっきの曲とのあまりの違いに驚くしかない。
そもそも、これまでこのブログで紹介してきたアーティストは、自由に愛し合うことすら許されない保守的な価値観を批判するSu Real、レゲエを武器に社会の不正義を糾弾するTaru Dalmia、北東部のマイノリティーとして被差別的な立場に置かれながらも相互理解を訴えるBorkung HrankhawlやUNBなど、リベラル寄りの立場で表現を行っている人が多かった。
別に意識してそういう人たちを選んだわけではなく、本来カウンターカルチャーであるロックやレゲエやヒップホップには、本質的に抑圧への抵抗というテーマが内在しているから、インドのアーティストの表現が社会の現状を踏まえてそのようなものになるのは当然なのだ。
改めて言うまでもなく、ロックの誕生以降、60年代のヒッピームーヴメント、70年代のパンクロック、80年代のヒップホップ、90年代のレイヴカルチャーと、スタイルや思想を変えながらも、音楽はカウンターカルチャーとして体制からの自由を表明する役割を担ってきた。
もちろん、ヒット曲のなかにはそうした思想性とは関係のないラブソングだって多いし、今日ナショナリズム的な傾向が国を問わず広がってきていることは周知の通りだ。
それにしたって、ポップカルチャーの形式を取ったここまでの直接的なタカ派的愛国表現っていうのは、ちょっとお目にかかったことがない。
この曲の背景には、歌詞でははっきりと名指しされていないものの、独立以来の対立が続いている反パキスタン感情があると見て間違いないだろう。
イギリスからの分離独立は、最終的には武力闘争によらない形での決着となったが、悲劇はむしろ独立後に起きた。
パキスタンを目指すインド領内のムスリムと、インドを目指すパキスタン領内のヒンドゥー教徒やシク教徒の大移動は大混乱となり、その中で宗教対立による多くの虐殺や暴行が行われた。
また、カシミール地方では、独立時に人口の8割を占めるムスリムをヒンドゥーの藩王が統治する体制だったが、分離独立のなかで双方が領有権を主張し、今日まで領土問題での緊張と対立が続いている。
ときに両軍による戦闘も起こっているのは国際ニュースで報じられる通りで、このような極端な愛国ラップソングが作られる背景には、いまも核保有国同士の緊張が続く印パ関係があるというわけだ。
ところで、この曲でちょっと謎なのは、コーラス前の最後のライン。
Desh ke kone kone me kranti ki aag laga de という歌詞なのだが、これは英訳すると
Set fire to revolution in the corner of the country という意味になるそうで(Google先生による)ここだけ急にすんごく左寄りな表現になっている。
おそらく1曲めの"Be the Change"同様に、「傍観者になるな、一人一人が意識を変えて、行動を起こすんだ」といった意味だと思うが、似たような表現でもその指している内容がここまで対極だということが、こう言っちゃあなんだが面白い。
それと、こういう曲が発表されるということは、ラップという表現のフォーマットが、リベラルなサブカルチャー好きではなく、愛国タカ派寄りの人々にも訴えうるからなわけで、インドにおけるヒップホップの浸透をまたひとつ感じたのでした。
ちなみにこの曲を発表したAdhbhutさん、いつもこういった軍国的な曲をやっている訳ではなく、例えばこの曲では、貧富の差が拡大し農家が自死を選ばざるを得ない状況や、暴力が蔓延る社会を憂う内容(多分)をラップしている。
この曲に関して言えば、むしろそのまなざしは最初に紹介した"Be the Change"に近い。
それでは、インド人のみなさん、それぞれの立場の違いはあれど、 独立記念日、おめでとうございます。
次回はちょっと夏っぽい内容で書こうかなと思います。
といっても、インドは第二次世界大戦の終戦と同時に独立したわけではなく、インドはかの有名なマハトマ・ガンディーらの活躍によって、1947年の8月15日にイギリスからの独立を果たした。
ガンディーの悲願であったヒンドゥーとムスリムとの統一国家としての独立はついに果たせず、世俗国家であるインドとイスラム国家であるパキスタン(当時はバングラデシュも東パキスタン)との分離独立という形をとることになった。
(ちなみにパキスタンの独立記念日はインドより1日早い8月14日とされている)
イギリスが植民地支配への抵抗運動を弱体化させるために、ヒンドゥーとイスラムを「分割統治」していたことが、分離独立の一因となったのだった。
なぜこんな歴史の話を持ち出したかというと、この独立記念日にあたって、何人かのラッパーがインド国民に向けたラップソングを発表していて、それがまた現代インドを考える上で非常に面白い内容だから。
というわけで、今回は、他の国にはなかなか無さそうな、「インド独立記念日ラップ」を紹介します。
まずは、Big DealとGubbiの二人のラッパーとシンガーのRinosh Georgeによって、2014年の独立記念日に合わせて発表された曲、"Be the Change"を聴いてみましょう。
1番のヴァースでラップしているBig Dealは日本人の母とインド人の父との間に生まれた日印ハーフのラッパーで、逆境に負けないポジティブなメッセージをラップした"One Kid"や、地元オディシャ州への誇りをテーマにした"Mu Heli Odia"が代表曲。
彼は、リリックの中で、大国となりながらもいまだに宗教や言語や地域やカーストといった多様性のもとでの平等を達成できずにいることを憂い、差異を理由に批判しあうのではなく、自らこそが変わるべきだとラップしている。
2番のヴァースを歌っているGubbiはカンナダ語のラッパー。
カンナダ語はITシティのバンガロールを擁するカルナータカ州の公用語だ。
彼もまた、独立を成し遂げイギリスが去ってから68年も経つのに、未だに「自由」が達成できていないことをラップしながらも、安易に政府のみを批判するのではなく、自分自信が政治や社会に責任を持つべきだ、と人々を戒めている。
コーラスのメッセージはこうだ。
Stand forever united cus we all come from this place
我々はみんなこの地で生まれたのだから、永遠に団結しよう
我々はみんなこの地で生まれたのだから、永遠に団結しよう
See the beauty inside it and lets work for better days
内面の美しさに目を向け、よりよい日々のために働こう
内面の美しさに目を向け、よりよい日々のために働こう
So be the change..
だから、あなたこそがその「変化」になろう10億を超える人口を擁し、経済大国にもなったインド。
だが同じ国の中で生まれても、多様性が豊かな国であるがゆえに、コミュニティー間の対立は枚挙にいとまがない。貧富の差も無くなるどころか拡がるばかりだ。
宗教や文化や民族に基づく、見た目による差別も今日までずっと残っている。
(実際、日印ハーフのBig Dealは、そのインド人らしからぬ見た目から、少年時代いじめを受けていた)
こうした問題から目を背けて無批判にインドの独立を祝うのではなく、自らが主体的にこうした状況を変えてゆこう(be the change)、という現実を見据えたメッセージを乗せた曲というわけだ。
社会に対するメッセージを発信するラッパーらしい視点の曲と言えるだろう。
さて、続いて紹介しますのは、Adhbhut ft. Mansi n Shanuという人たちによる"Mera India"(ヒンディー語で「私のインド」という意味)。お聴きください。
さっきの曲の寛容のもとに団結を訴える内容とはうって変わって、いきなり軍隊や兵器がガンガンに出てきて驚いたと思う。
独立記念日にはインド軍のパレードもあるので、まあ軍が出てくるくらいまでは良しとしても、ご丁寧に効果音までつけてミサイルをぶっ放したりしているのを見ると、さすがにちょっと物騒だなっていう印象を受けるね。
ヒンディー語のリリックの内容はというと、どうやら、
「みんなが金を持ってるわけではないが、母なるインドが食わせてくれる。反逆者から身を守れ、敵から土地を取り返せ!ヤツらを撃ち殺せ!インドは世界の王となる」
みたいな、勇ましいっていうか超タカ派右寄りな内容がラップされているようで、さっきの曲とのあまりの違いに驚くしかない。
そもそも、これまでこのブログで紹介してきたアーティストは、自由に愛し合うことすら許されない保守的な価値観を批判するSu Real、レゲエを武器に社会の不正義を糾弾するTaru Dalmia、北東部のマイノリティーとして被差別的な立場に置かれながらも相互理解を訴えるBorkung HrankhawlやUNBなど、リベラル寄りの立場で表現を行っている人が多かった。
別に意識してそういう人たちを選んだわけではなく、本来カウンターカルチャーであるロックやレゲエやヒップホップには、本質的に抑圧への抵抗というテーマが内在しているから、インドのアーティストの表現が社会の現状を踏まえてそのようなものになるのは当然なのだ。
改めて言うまでもなく、ロックの誕生以降、60年代のヒッピームーヴメント、70年代のパンクロック、80年代のヒップホップ、90年代のレイヴカルチャーと、スタイルや思想を変えながらも、音楽はカウンターカルチャーとして体制からの自由を表明する役割を担ってきた。
もちろん、ヒット曲のなかにはそうした思想性とは関係のないラブソングだって多いし、今日ナショナリズム的な傾向が国を問わず広がってきていることは周知の通りだ。
それにしたって、ポップカルチャーの形式を取ったここまでの直接的なタカ派的愛国表現っていうのは、ちょっとお目にかかったことがない。
この曲の背景には、歌詞でははっきりと名指しされていないものの、独立以来の対立が続いている反パキスタン感情があると見て間違いないだろう。
イギリスからの分離独立は、最終的には武力闘争によらない形での決着となったが、悲劇はむしろ独立後に起きた。
パキスタンを目指すインド領内のムスリムと、インドを目指すパキスタン領内のヒンドゥー教徒やシク教徒の大移動は大混乱となり、その中で宗教対立による多くの虐殺や暴行が行われた。
また、カシミール地方では、独立時に人口の8割を占めるムスリムをヒンドゥーの藩王が統治する体制だったが、分離独立のなかで双方が領有権を主張し、今日まで領土問題での緊張と対立が続いている。
ときに両軍による戦闘も起こっているのは国際ニュースで報じられる通りで、このような極端な愛国ラップソングが作られる背景には、いまも核保有国同士の緊張が続く印パ関係があるというわけだ。
ところで、この曲でちょっと謎なのは、コーラス前の最後のライン。
Desh ke kone kone me kranti ki aag laga de という歌詞なのだが、これは英訳すると
Set fire to revolution in the corner of the country という意味になるそうで(Google先生による)ここだけ急にすんごく左寄りな表現になっている。
おそらく1曲めの"Be the Change"同様に、「傍観者になるな、一人一人が意識を変えて、行動を起こすんだ」といった意味だと思うが、似たような表現でもその指している内容がここまで対極だということが、こう言っちゃあなんだが面白い。
それと、こういう曲が発表されるということは、ラップという表現のフォーマットが、リベラルなサブカルチャー好きではなく、愛国タカ派寄りの人々にも訴えうるからなわけで、インドにおけるヒップホップの浸透をまたひとつ感じたのでした。
ちなみにこの曲を発表したAdhbhutさん、いつもこういった軍国的な曲をやっている訳ではなく、例えばこの曲では、貧富の差が拡大し農家が自死を選ばざるを得ない状況や、暴力が蔓延る社会を憂う内容(多分)をラップしている。
この曲に関して言えば、むしろそのまなざしは最初に紹介した"Be the Change"に近い。
それでは、インド人のみなさん、それぞれの立場の違いはあれど、 独立記念日、おめでとうございます。
次回はちょっと夏っぽい内容で書こうかなと思います。
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
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