2018年01月06日
インド少数民族アート・ミーツ・ブルース!!「Brer Rabbit Retold」
「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」@板橋区立美術館に行ってきた。
この企画展は、チェンナイにあるタラブックスという出版社による、インド先住民族(アーディヴァーシーと呼ばれる)の絵画を用いた絵本の原画を中心に展示したもの。
はて、ユーラシア大陸のど真ん中のインドで先住民族とはなんぞ?と思う向きも多いと思うのですが、彼らはインドにアーリア系民族、ドラヴィダ系民族が来る前から暮らしていた人々で、今でもインド各地に独自の文化を保って暮らしている。
つまり、数千年〜数万年前から自分たちの独自性を維持して暮らしている人たちというわけだ。
その中でも、とくに独自の伝統絵画で有名なゴンド、ミティラー、ワールリーなどの部族の絵描きたちに、インドや世界の民話や伝承をモチーフにイラストを描いてもらったものが展示の中心になっている。
こう言ってはなんですが、はて、こんなニッチというかマイナーな企画に人が集まるのかいな、と思って行ってみたら、どうも複数のメディアに取り上げられたみたいで、会場は大盛況、チケット買うにも大行列!
こんな自虐的なノボリがあったけど、いやいやどうして大混雑。
都営三田線の終点、西高島平から徒歩15分という、23区内で最果ての地みたいなところなのに。
これはどうでもいいけど会場の近くの公園にて。
犬を連れこんで良いのか、ダメなのか、字が消えちゃっててわからない。
会場内は撮影ほぼ全面OKだったのだけど、あっしは写真センスゼロかつ骨董品レベルの携帯では綺麗に撮れるはずもなく、作品の様子はタラブックスのサイトなどでご覧ください。「tarabooks」で画像検索などしてみるのもオススメです。
(日本語サイトはこちら)
インドの少数民族とかインドの文化とかそういう予備知識を抜きにして、とにかく単純に美しくて力強い絵がたくさん楽しめました!
会場の盛況も、インド好きとか美術好きが集まってるってことじゃなくて、作品の普遍的な魅力によるものなんでしょう。
他にも、インドの手書きの映画ポスターとかマッチ箱とか、そういう今までアートと見なされていなかったものを取り上げたりもしている。
最近 政界に進出すると話題のスーパースター、ラジニもこの泥臭さ。
描かれている人が見切れてる人質っぽい人以外、みんな斧とか鞭とかナイフとか持ってるのも凄い。
展示されている作品は、アーディヴァーシーの伝統的な作品をそのまま持ってきたわけではなくて、現代的なセンスを持ったタラブックスの人たちとのワークショップによって、より西洋的にアーティスティックなスタイルで作られたもの。
いわば伝統ミーツ現代。
このブログのテーマの一つは、「面白いものは境界線上で起きている!」ということなんだけど、どこか共通するものを感じる、とても面白い美術展でした。
さて、ここはインドの今の音楽を紹介するブログなので、関連する音楽ネタをひとつ。
西インドに伝わる礼拝用の布「マタニパチェディ」の作家と、アフリカ系アメリカ人の吟遊詩人アーサー・フラワーズによる共作の絵本「新釈ブレア・ラビット」という作品も展示されていたのですが、その絵本にあわせて、フラワーズがインド人ミュージシャンたちの演奏をバックに朗読した映像がこちら!
これがまた凄くいい!
このアーサー・フラワーズさん、吟遊詩人と紹介されているけれども、もうほとんどブルースマンで、その語りからして完全にブルース!
ジャズとインド音楽の融合ってのはいくつか見たことがあるけど、ブルース・ミーツ・インドというのは新しい!
そしてこんなにはまるとは思わなかった!
アニメーション化されたイラストもすごく美しい。
このブレア・ラビットのブレアというのは「brother」の変形で、悩みを抱えるウサギが「笑いの国」を求めて旅に出かけるストーリー。
じつはディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンもこの話がもとになっている。
https://ameblo.jp/love-light-godbreath/entry-10661877559.html
今回はフラワーズさんも自分なりにアレンジして語っているみたいですね。
アフリカン・アメリカンの伝承である民話やブルースと、同じように苦難の歴史を重ねてきたであろうアーディヴァーシー(アーディヴァーシーたちは被差別的な立場に置かれ、貧しい暮らしをしているものがほとんど。行政上はScheduled Tribe=指定部族と呼ばれ、カースト外の指定カースト=Scheduled Casteと合わせてSC/STとして保護の対象になっている。)の美しい融合の紹介でした。
この板橋区立美術館の企画展は2018年1月8日まで!
終わる直前に紹介するなって話ですが、行く価値ありすぎ!
ちなみにアーディヴァーシーの美術については、バックパッカー界の大御所、蔵前仁一の「わけいっても、わけいっても、インド」で紀行もかねて詳しく楽しく知ることができます。
それでは今日はこの辺で!
2018年01月03日
インドと落語!インドの下町は江戸の長屋か
新年ってことでなんかめでたい感じの話題で書きたいな、と思ったので、今回のテーマは「インドと落語」!
唐突で申し訳ない。
あたくし、実は落語も好きなんですが、インドへの旅の経験とインドの小説をいくつか読んでみた結果、インドの生活ってどうやら相当落語っぽいところがあるぞ、と気がついた次第なのです。
というわけで、お年玉代わりにみなさんにこの発見を勝手にお裾分けさせてもらいます。
いらねえよ、とか言わないでおつきあいくださいませ。
まずは、インドの社会そのものが相当落語っぽいぞ、という話から。
インドの場合、そもそも貧しい庶民は長屋暮らしなわけで、そこに落語に欠かせない大家と店子の関係ってのがある。
インドの小説なんかを読むってえと、インドの大家はたいがい落語の「大工調べ」みたいな、義理も人情もない容赦ない悪役タイプと決まってるみたいなんですが。
それから貧富の差から奉公人制度(召使い、サーバントといったほうが良いのかな。最近じゃサーバントという言葉も前近代的ということであまりインドでも使わないようでもあるが)というのも今に至るまで残っていて、これまた落語的な社会制度が今日でも生きていると言える。
さらに、歴史的に生活の基盤となってきた「ジャーティ」(世襲的な生業による共同体。共同体ごとに貴賎の差もあり、いわゆる実質的な「カースト」)ってえのに基づいた「家業」があって、子が親のあとを継いで、徒弟制があって…というのも、今となってはだいぶ変わってきているけど、落語の世界(江戸〜明治)を思わせるところがあるってわけです。
あとはインドというのが一つの国でありながら、地理的、文化的に非常に広大だというのも、古い時代を彷彿とさせるところがある。
デリーとムンバイじゃ言葉も文化もだいぶ違って、江戸と上方みたいなものなのかもしれないし、いまでも大都会を離れると田舎はとことん田舎ってのも落語っぽい。
日本だと、違う街から出てきたら全然勝手がわからないとか、絵に描いたような「いなか者」ってもうフィクションに近いような気がするけど、インドだとまだまだリアリティーがある。
役人がいばってるのも封建社会の江戸時代っぽいような気もするし、道端のチャイ屋さんに若い衆がたむろしてたり、おかみさんたちが井戸端会議してたり、なんかあるとすぐ大勢寄ってたかって議論が始まったりするところとかも、いちいち落語っぽいよなあーと思うわけであります。
神頼みもみんな好きだしね。
あとインドって、街中の店だと定価制度じゃなくて、交渉して値段決めるでしょ。あのへんもすごく落語っぽいと思う。
落語でいうと例えば「壺算」。
水甕を買いに行くのに、高く売りつけられないように買い物上手の仲間を連れて行って甕屋と価格交渉するって筋なんだけど「大勢並ぶ甕屋の中でうちを選んでくれたんですから、勉強して3円50銭でいかがでしょう」ってところから始まるやり取りなんか、ものすごくインド的。
交渉して値切るのもそうだし、インドも、古い街だと生地屋なら生地屋、金物屋なら金物屋、って、同じ商売の店がまとまって並んでる。
ああ、あれって江戸と同じなんだなあって思う。
モノが水瓶ってのも、インドの田舎だとまだまだ現役だしね。
他の噺でも、例えば「猫の皿」のなんとかして値打ち物の皿を手に入れようっていうやり取りとか、「時そば」のしょうもないペテンとか、「インドっぽいなあ〜」って感じてしまう。
こんなふうに、インドは現代日本と比べて、ずいぶんと落語的っていうか、江戸的な世界だなあって思うんです。
古典落語って、今の日本だと、ある程度時代背景とか当時の社会のことを知らないと理解が難しい部分があったりするけど、インドだったらほとんど説明不要で通じるんじゃないかしら。
それだけ古い時代が残ってるとも言えるわけだけど。
英語で落語ができる噺家さんは何人かいるんだけど、インドでやるんだったら「進歩・教養・上流」の象徴である英語よりも、地元の言葉のヒンディー語とかベンガル語とかでやったらすごくはまりそう。
次に、インドの小説の中に出てくるエピソードで、「落語っぽいなあ」と感じたところをいくつかご紹介。(ちょっと長くなりますがご勘弁を)
例えばロヒントン・ミストリーの「A Fine Balance」(超名作なのに残念ながら未邦訳)は、仕立屋として暮らす未亡人のところに、彼女の友人の息子である学生(彼らはパールシーと呼ばれるゾロアスター教徒)と、故あって故郷から逃げてきたヒンドゥーの叔父・甥の二人組が住み込みの職人として働くっていう話。
この学生と甥っ子が、同世代同士、打ち解けて仲良くなってゆくところなんか、落語の若旦那と奉公人(出入りの商人も可)のやりとりみたいな面白みがある。
女主人(未亡人)の不在中に、2人で端切れでできた生理用品を「何だろこれ?」って投げあって大騒ぎして遊んでたら、気づかないうちに女主人が帰って大目玉を食らう、なんてシーンは、すごく落語的。
他にも、
「それを固くするために手でこする。それを中に入れるためになめる。何をしようとしてるか分かるかい」
「何って、そりゃセックスだろ」
「針に糸を入れるとこだよ」 なんていう小咄も出てくる。
スラムドッグ$ミリオネアの原作、ヴィカス・スワループの「ぼくと1ルピーの神様」(原題:Q&A)の中の武勲をたてた法螺吹き話をする元軍人のシーク教徒のじいさんの話なんかも落語っぽい。
悲劇的なエピソードではあるのだけど、長屋の仲間に「戦争の英雄だった」って話してたのが全部ホラだった、っていうしょうもない感じも非常に落語を感じる。
そもそも「ぼくと1ルピーの神様」自体が人情噺みたいなストーリーだし。
アラヴィンド・アディガの「グローバリズム出づる処の殺人者より」(原題:A White Tiger)っていう小説でも、主人公の貧しい運転手が、奉公先の奥さんが酒に酔って起こしたひき逃げ事故の身代わりに出頭することになって、
「刑務所に入ったらきっと他の受刑者にオカマを掘られるよなあ。そうだ、俺HIV持ちです、って言えばオカマ掘られないで済むかもしれない。でもそんなこと言ったらそういうのに慣れてると思われて余計オカマ掘られちゃうかもしれないなあ」
なんて悩むシーンが出てくるんだけど、この救いようの無さの中にどうしようもなく可笑しみが出てきてしまうあたりも、すごく落語っぽさを感じた。
面白いのが、ここで挙げた落語を感じる小説って、全部、貧しい層が主人公の話だったり、昔の話だったりすること。
イギリス出身でアメリカ国籍のインド系作家で、世界的に高い評価を得ているジュンパ・ラヒリとか、インド国内で大人気の、都会の中の上くらいの階級のトレンディドラマ的小説を書いているChetan Bhagatの小説なんかだと、いくら舞台がインドでも落語っぽい部分って見当たらないんだよなあ。
って、こんな発見を面白いって思ってるのは自分一人のような気もしないでも無いのですが、まあいいや、これにて新年の挨拶に代えさせて頂きたく候。
なんの画像もリンクもないのもさみしいので、写真はずいぶん若いころにインドのジャマー・マスジッドで撮った1枚。
今年もよろしくおねげえしやす。
2017年12月31日
オルタナ・ミーツ・インド Anand Bhaskar Collective
年の瀬の大晦日にいったい誰が読んでいるのか分からないブログの更新をしている俺はいったい何をしているんだ、と思わなくもないが、気にせず進めよう。
そもそもインドといえばロック不毛の地。
今更な話をするとロックとインドの関係はかなり深くて、インドの音楽や思想は60年代の昔にはビートルズやヒッピームーブメント、90年代にはクーラシェイカーからサイケデリックトランスまで、西洋音楽に多大な影響を与えてきた。
にもかかわらず、インドのロックバンドが世界的に大きく活躍するってことはこれまでになかった。
その理由はと考えると、
・インドのヒット曲といえば、とにかく映画の挿入曲。インド古典にダンスミュージックが融合された独特の様式のものが主流で、ロックのマーケットがなかった。
・ロックに必要な楽器がインドでは非常に高価なものだった。 エレキギター、エレキベース、アンプ、ドラムセットいった楽器は、そもそもインド国内にはほとんど流通していなくて、仮にロック好きがいたとしても演奏のための楽器を購入することは難しかった。 とくに、貧富の差がそのまま階級や教養の差に直結していた時代には、裕福な層が志向する音楽はロックではなく、インドや西洋の古典(クラシック)が主だった。
・ロックの主なリスナー層になりうる「社会に漠然とした不満や不安を持った中産階級のモラトリアム期の若者」みたいな存在があまり存在していなかった。いわゆるカーストによる世襲制のもとでは、「自分は何者になるのか」みたいなことを感じながら過ごす時期なんてないだろうし。
と、あくまで私の予想ではあるんですが、こんなところじゃないかと思う。 ところが、
・経済成長により、きちんとした教育を受けて大企業に就職すれば誰もが裕福になれる社会になってきたこと
・その結果として、ロックのマーケットとなりうる「モラトリアム」を過ごす若者が増えてきたこと
・インターネットの普及で欧米の音楽や情報へのアクセスや用意になったこと
・いわゆる中産階級の拡大によって、楽器などが購入できる層が増えてきたこと
なんていう要因で、ロックはインドでも少しずつポピュラーになってきた。
そんなわけで、インドでも人気を得つつあるロックだけれども、まだまだロックはインフラが揃った都市部のある程度裕福で教養もある層の音楽であって、それ以上にポピュラーな存在にはなっていない、というのが今のインドの状況なようだ。
前置きが長くなった。
本日紹介するのは、Anand Bhaskar Collective.
通称ABCもしくはThe Collectiveと呼ばれてるらしい。
英語詞で英米寄りのサウンドを出しているバンドも多いなかで、ヒンディー語詞のインド風味あふれる独特のロックを奏でているバンドだ。
まずはこの曲を聴いてください。
素晴らしいでしょう。
欧米人がインド音楽の影響のもとに演奏したロックというのはたくさんあるけど、それとも違う独特のサウンド。
ヴォーカルのAnandさんの、古典声楽で培ったのであろう深いヴォーカルと、サウンドガーデンを思わせる90年代風のオルタナサウンドがとても印象的。
この曲のタイトルのHey Ramっていうのは、「おお!神よ!」と訳したら良いのかな。
Ramは先日紹介したBrodha Vの'Aatma Raama'と同じラーマヤーナの主人公の王子、ラーマ神のことで、「Hey Ram」というフレーズは凶弾に倒れたマハートマー・ガーンディーの最後の言葉としても知られている。
ヒンディー語は分からないけれど、どうやらインドのコミュナル紛争(簡単にいうと宗教に基づくコミュニティー同士の紛争。ヒンドゥーとイスラムの対立とか)について歌っているようで、「おお神よ、なぜ人は傷つけ合うのか」みたいなことを歌っているものと思われます。
この曲は2014年にリリースされたアルバム「Samsara」からの曲で、Samsaraは「輪廻」という意味。
ロックのアルバムタイトルが「輪廻」っていうのも凄い。
バンドのメンバーは。
Anand Bhaskar (vocals)
Chandan Raina (guitar)
Ajay Jayanthi (violin)
Neelkanth Patel (bass)
Shishir Thakur (a.k.a. Tao) (drums),
もともと、ヴォーカルのAnand Bhaskarのソロプロジェクトとして始まったところに、志を同じくするメンバーが加入してこの体制になったとのこと。
ロックバンドとしてはバイオリンがメンバーにいるのが珍しいけど、このAjayのバイオリンがAnandのヴォーカルと並んでサウンドにインド風味を出すのに大きく貢献している。
フレットがなくて音程が自由に変化できるバイオリンは、じつは南インド音楽ではよく使われる、インドでも非常にポピュラーな楽器だ。
彼らは影響を受けたミュージシャンとしてAlter Bridge, Creed,
Audioslave, Pearl Jam, Soundgardenといったオルタナティブ、グランジのバンドを挙げている。
続いてお届けするのはよりインド古典色の強いこの曲。
インド声楽特有のビブラートがこんなにオルタナロックサウンドにはまるとは思わなかった!
Anandの歌い回しは、結果的にだけどパール・ジャムのエディ・ヴェダーあたりの独特のよれる感じの歌い回しにも遠からずといった印象。
バイオリンのAjayも本領発揮してるね。
続いてこの曲。
イントロがもうちょっとメタル寄りっていうか、00年代以降のヘヴィーロックみたいなアレンジになってて、この曲はインド古典色よりロック色が強い感じ。
このAnand Bhaskar Collective、かなり大きな会場でもライブを行っているようで、曲も歌も演奏も素晴らしいということで紹介してみました。
そのうちインドのメタルなんかも紹介してみたいと思います。
今日はこのへんで!
2017年12月27日
インドのエミネム? Brodha V
さてさて、本日紹介しますのは、この人、Brodha Vさん。ラッパーです。
まずは1曲、Aatma Raama、聴いてください。
インドのヒップホップはムンバイとかデリーとか、街ごとにいろんなシーンがあるみたいなんだけど、この人はITシティ、バンガロールのシーンを代表するラッパー。
英語でラップしているので、インドのラップが初めてという方も聴きやすいんじゃないでしょうか。
ちょっとエミネムっぽい感じもあって、実際影響を受けているみたいで歌詞にも出てくる。
バンガロールのあるカルナータカ州はカンナダ語が公用語。こういうスマートな英語のラップとは別に、もっと不良っぽいカンナダ語のラップのシーンもあるみたいだ。
都市ごとにシーンの特徴も違って、例えばムンバイはもっとストリート色が濃いような印象。
この曲の聴きどころはなんといってもAメロ部分の欧米基準って感じの英語のラップと、サビのヒンドゥーの聖歌とのコントラスト。
こういう曲を聴くと、インドが単にアメリカの黒人文化をそのままコピーしているのではなく、自分たちの文化とヒップホップを(なかば強引にでも)接続して、血肉がかよった自分たちのものにしているんだってことが分かる。
歌詞では、若くてお金がなくてワルかった頃のこと、そこからラップに出会い希望を見出したことなんかが歌われていて、そんななかで道を踏み外しそうになったときや、ラップを自分のキャリアとして選んだときに、俺は目を閉じて神に祈るんだ…という部分からヒンドゥー聖歌のサビにつながる。
ワルかったころの体験があって、そこからヒップホップに救いを見出すっていうのは、アメリカでも日本でもラップではよくある歌詞のモチーフだけど、そこからラーマ神(ヴィシュヌの化身、ラーマヤーナの主人公)への感謝につながるっていうのがインドならでは。
サビ部分の聖歌の原曲はこんな感じ。
アメリカのラッパーでも、苦しい環境からキリスト教に救いを見出すなんていう話はあるし、フランスあたりの移民系のラッパーだとイスラム教に救いを見出すみたいなストーリーもあったりするけど、この曲はそのインド(ヒンドゥー教)版と言える。
もちろん、インドにはムスリムやシク教徒のラッパーもいる(いずれ紹介します)。
ちなみに3番のヴァースではエミネムや2pacのようなスターになりたかった、エマ・ワトソンみたいな彼女が欲しかったなんて歌詞も出てくる。
ヒンドゥーの神への祈りも欧米文化への憧れも、インドのラッパーにとっては自然な感情なんだろうね。
よく考えたら日本人のラッパーも神社に初詣とか行くだろうし。
インドのヒップホップ専門サイトDesi Hip Hopのインタビューによると、Brodha Vが初めて聴いたラップは、4、5歳のとき聴いたタミル語映画のこの曲だったとのこと。
オールドスクール調のかっこいい曲だなあって思ったら、作曲はA.R.Rahman.
この人本当に天才だなあ。
さらにBrodha Vさんの他の曲も聴いてみましょう。
これはボリウッド映画のための曲ということでよりハデなアレンジ。
これは女神ドゥルガー(シヴァ神の妻、パールヴァティの化身のひとつで、強大な力を持つ戦いの女神)を讃える賛歌とラップのミクスチャーで、どうも女性が活躍するアクション映画だからこういう選曲がされている模様。
この曲のヒンドゥー聖歌の原曲はリズミカルで現代音楽に映えるみたいで、ロックアレンジにしている人たちもいる。
こっちもタブラとか入っててかっこいい!
現時点で最新の曲はどうやらこれ。
ヒンドゥー聖歌は入っていないけど、トラックのパーカッシブな部分がインドっぽいかな。
サビの犬の声のところはアイデア賞ものじゃないでしょうか。
途中のリズムチェンジして速くなるところ、最後のヒンディーで見栄を切る(っていうのか)ところがイカす!
YouTubeのコメント欄には、インド人による「俺たちのエミネム!」みたいな意見にたくさん「いいね!」がついてたりして、Brodha Vさん、着実に自分が望むポジションに近づいているのではないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!
2017年12月25日
愛は心の抵抗です!Su Realのベースミュージック
デリーを拠点に活躍しているEDM/ベースミュージックのサウンドクリエイターでございます。
まずはこちらの曲を聴いてみておくんなまし。
Su Real "Soldiers"
曲もビデオもかっこいい!
日本じゃクリスマスってんで、ジングルベルジングルベルって老いも若きも大変な楽しみようなんでございますが、インドなんかだとヒンドゥー原理主義ってんですか?
西洋の文明がインドに入ってくるのを快く思わない人ってのがいるんですね。
クリスマスなんかお祝いしてると、原理主義が強い地域だと警察に捕まったりする。
毎年バレンタインデーが近くなると、バレンタインデー排斥運動というのが起こって、バレンタインのディスプレイをしているお店が襲撃されたりするってのが毎年のように報じられてます。
別にもてないからってわけじゃなくて、西洋的な価値観や自由な恋愛がインドを堕落させるっていう考え方なわけでございます。
外でキスをしたり抱き合ったりしているだけで「風紀を乱す」的なことで逮捕されることもあるってわけで、この曲はそういう状況に対して、よりモダンな価値観を持った者たちからのプロテストという内容になっているんでございます。
歌詞を訳してみるとこんな感じ。
-----------------------------
警告 警告 全ての愛の戦士たちよ準備せよ
愛の軍隊とともに、怒りを込めてぶっ放せ
この辺をパトロールしているが状況はひどくなるばかり
警察がやってくる音が聞こえる
通りで抱き合ったりキスをしたってだけで刑務所に入れられる
政治家や聖職者の皮をかぶった獣たちの声が聞こえる
過剰な抑圧が攻撃性を呼ぶ
過剰な弾圧が表現を呼び起こす
これは公共の場での愛の表現
ゴアからグワハティまで、愛こそが使命
私たちは愛の戦士 憎しみをもつ者たちは気をつけろ
私たちがキスするのを見ていても構わない
昼でも夜でも 私たちがすべきことをしているのをみていても構わない
私たちは楽しみに来ただけ 彼らが何を言おうと気にしないで盛り上がろう
戦士たちがダンスフロアにやって来た 場所を空けて
ブースのDJ ベースをぶちかまして
-----------------------------
糾弾の対象に「政治家や聖職者」とあるのは、古い価値観の象徴であるヒンドゥーの聖職者と、そうした価値観を持つ者に迎合的な政治家のこと。
現在の政権与党BJP(インド人民党)はヒンドゥー的な考え方を至上とする原理主義組織RSSと強いつながりを持っていることが知られています。
旧弊な価値観に対して愛をもって対抗しようというのがこの曲の趣旨ってえわけだ。
「ゴアからグワハティまで」のゴアは大航海時代から長くポルトガル領だった南インドの都市。グワハティはインドの中でも独特の文化を持つ北東部アッサム州(紅茶で有名なとこ)の州都。
インドの地理的、文化的な広がりを意識したフレーズなわけです。
ついでに言うと、この曲は、ケララ州で発生した「Kiss of Love運動」に触発されて書いた曲とのこと。
このへんでSu Realさんの紹介を。
本名はSuhrid Manchanda.
ニューデリー出身でUAEとマレーシアで育ち、大学はカナダのマギル大学に通ったという。その後、MBAの勉強をしに行ったニューヨークでレコードレーベルで働くようになったことから音楽制作を始め、今ではデリーを拠点に活動しています。
レゲエパートのヴォーカルを担当しているのはGeneral Zooz.
こちらもデリーを拠点に活動しているレゲエバンド「Reggae Rajahs」のヴォーカリストです。
Reggae Rajahsも素晴らしいグループなのでいずれ紹介したいと思います。
こういう音楽が単なるパーティーミュージックではなくて、真摯なメッセージを含んでるってことがとても素晴らしいと感じた次第でございます。
“Soldiers”は2016年に発表のアルバム「Twerkistan」の収録曲。
パキスタンとかの国名につく「-stan」と、ダンスの一種のTwerkをかけたアルバムタイトルで、インドの伝統音楽やカッワーリーとベースミュージックの融合が試みられている曲も多くて、それがまた素晴らしい。
Jay-Zとカニエ・ウエストの「Niggas in Paris」のパロディのこんな曲も入ってます。
それでは今日はこのへんで!