2018年02月06日

インドの州別ヘヴィーメタル事情

20年くらい前にインドに行った時のこと。
当時、ロック好きの若者だった私は、インドにはどんなロックバンドがいるのか、少しだけ楽しみにしていた。
ひょっとしたらクーラシェイカーなんかよりかっこいい、まだ見ぬインド風のロックバンドがいるかもしれない。

ところが、当時のインドには全然ロックなんてなかった。
街で流れているのはボリウッドの映画音楽かヒンドゥーの讃歌のみ。
デリーのカセットテープ屋(当時、インドで最も流通していた音楽記録媒体はカセットだった。CDではなくて)で「インドのロックをくれ」と言って買ったテープは、日本に帰って聴いてみるとジュリアナ東京とボリウッド音楽が混ざったようなやつだった。

先日からヴェーディック・メタルとか、インド北東部のデスメタルとか、やたらとインドのヘヴィーメタル事情について書いているが、なんでそんなにこだわっているかというと、そんなインドに、ロックのなかでも非常にエクストリームな音楽である、ヘヴィーメタルのバンドがたくさんいるっていうのが気になってしょうがないからなんである。
なにしろ、当時は首都のカセット屋(日本で言えば東京のCD屋)からしてロックがなんだか分かっていなかったのだ。
「ロック」が若者っぽい激しめの音楽っていうことまではかろうじて理解しているようではあったけど、バングラ的ダンスビートみたいな、まったくもって非ロック的なものまで、ロックの範疇にいれてしまうくらいだ。
もし「ヘヴィーメタルのカセットをくれ」なんて言った日には、「なんだそれは?聞いたこともないぞ」と返されたに違いない。
ジャンル自体が全く知られていないという意味では、「演歌のカセットをくれ」というのと同じようなものだったろう。

大幅に話がそれちゃった。
ここから本題に入ります。
こないだ、インドのメタルバンドをいろいろ調べていた時に、Enciclopedia Metallumというサイトを見つけた。 
その中で、各国のメタルバンド一覧が見られるページがあって、インドのページを見ると、2018年1月現在で196ものバンドが登録されていた。
まずびっくりしたのは、そのうちのほとんどがデスメタルかブラックメタルだったっていうこと。
メタルはメタルでも、古典的なJudas PriestとかIron MaidenとかMetallicaみたいなバンドっていうのはほとんどいなくて、とことんヘヴィーなサウンドで死とか反宗教といった不吉なテーマを絶叫しているバンドばかりっていうのに驚いた。
こういう音楽に、インドの一部の若者達を引きつけるものが 何かあるんだろうか。

このEnciclopedia Metallum、ありがたいことに、それぞれの バンドがどこの州のどこの街の出身なのかが全部書いてくれている。
Alien Godsのタナは「北東部のメタルシーンはまだまだアンダーグラウンドだよ」と言っていた。
これまで見てきた印象では、インド北東部はかなりメタルが盛んなようだが、実際のところはどうなのか。

気になってしょうがなかったので、州ごとにどれくらいメタルのバンドがいるのかをエクセルでまとめてみた。
若干、俺、いったい何やってるんだろう、って思わないでもなかったけど。
次に、当然州によって人口が多かったり少なかったりするので、州の人口も付け加えてみた。
さらに、人々が裕福かどうかによっても、楽器買ってバンドできるかどうかってのが変わってくるわけだから、各州の一人当たり GDPなんてのも調べてみた。
インターネットって便利だなあ。
最後に、各州で、1,000万人あたり、いくつのメタルバンドがあるのか、というのを割り出してみた。 
なんでキリの悪い1,000万人あたりなのかっていうと、インドには独特の数の数え方があって、10万をlakh(ラック)、1,000万をcrore(クロール)っていうんだけど、よくインドの役所の統計なんかにも使われているのでそれをマネしてみたって次第。

その表がコチラ。
「人口当たりのメタルバンド数」が多い順に並べてある。
19
インドの地図も載っけときます。
インド地図

   


表の中で色のついた州が、インド北東部のいわゆる「セブン・シスターズ」といわれる諸州だ。
これを見れば一目瞭然、なーんだ、やっぱりインド北東部、インドの中ではメタルが盛んじゃん!
ミゾラム、メガラヤ、ナガランド、アルナーチャル・プラデーシュ、アッサム、マニプルといった北東部諸州が、見事にトップ10圏内にランクインしている。

トップ10の他の州では、やはりというか、大都市を擁する州が食い込んできている。
カルナータカ州はバンガロール、マハーラーシュトラ州はムンバイとプネー(大学が多い若者の街)、ウエストベンガル州はコルカタといった都市があり、欧米的なカルチャーが育まれているのだろう。
北東部諸州がすごいのは、アルナーチャル以外、一人当たりGDPは決して高くない(むしろ低い)のに、それでもみんなメタルバンドをやってるっていうこと。
何度も言ってきたように、それだけ西洋の文化への親和性が高い地域なのだろう。

いっぽうで、首都デリーを別として、北インドの文化の中心である、いわゆるヒンディー・ベルトと呼ばれる地域(ウッタル・プラデーシュとかビハールとか、ラージャスタンとか)には、人口が多い割に全然メタルバンドがいないっていうことも分かった。
保守的というか、あまりにもインド的な文化が強すぎるのだろう。
GDPを見れば分かる通り、ウッタル・プラデーシュやビハールなんかだと貧困という面も無視できない。

この地域には、タージマハールのあるアグラ、ガンジス河のヴァラナシ、カジュラホにブッダガヤといった街があり、多くの日本人旅行者が訪れる地域と重なる。
何を隠そう、私が最初のインド旅で訪れたルートもほぼ同じである。
今でもこんななんだから、当時インドのこの地域でロックを感じられなかったとしても当然だったというわけだ。
また、大都市チェンナイを擁するとはいえ、文化的には保守的とされるタミル・ナードゥ州のランクが相対的に低いのも、なるほどいった感じがする。

ちなみに同様に日本について調べてみると、人口1,000万人あたりのメタルバンド数は146バンド!
北東部がインドの中じゃメタル銀座だっていっても、やはりシーンがアングラだというのはその通りなのだろう。

同じような統計でラッパーがどの州に何人くらいいるか、とか調べられるとまた面白いかもしれない。
それでは、今回はこのへんで! 

2018年02月02日

トリプラ州の"コンシャス"ラッパー Borkung Hrankhawl その2

前回EDM/ロック的なトラックにポジティブ言葉を乗せてラップするBorkung Hrankhawlの音楽と彼の故郷トリプラ州について書いたので、今回はBorkungその人に迫ってみたいと思います。

そう、わざわざ2回に分けて書くってことは、これは相当面白い(とアタクシが勝手に思ってる)ってことでございます。

 

さて、Borkung Hrankhawl.

彼はトリプラ民族主義を掲げる政党”Indigenous Nationalist Party of Twipra”(トリプラ先住民民族主義党)の党首、Bijoy Kumar Hrangkhawlの一人息子として生まれた。父はトリプラ人の権利のための武力闘争を経て政治家になった人物で、Borkungにも大きな影響を与えた。


2つのサイト(HindusthanTimes, FirstPost)のインタビューから、Borukungの半生と音楽観、人生観を見てみよう。 

彼のラップ同様、インタビューで語る言葉も熱くストレートだ。

「クラブや酒や女性についてラップするのは好みじゃない。ラップは神様からの贈り物なんだ。僕はラップを使って世の中をより良くしたい」

トリプラ先住民のために尽力する父を見て育った彼は、ラップを通してトリプラ人のことや彼らをとりまく環境を伝えたいという意識を持っている。

「トリプラの人々は人口が少ないせいで無視されてきた。僕たちはトリプラ人としての権利が得たいんだ。暴力や、人間性を脅かすようなことを煽るんじゃなく、僕はただ、平等と平和を広めたいんだ」

 

ここでは「トリプラの人々」と訳したけど、彼はTribal people in Tripuraという言葉を使っている。
インドでTribalという言葉は、一般的にはインドの主な宗教や文化とは別の伝統のもとに暮らす先住民族や少数民族のことを表している。
そして、彼らの多くは今なお被差別的・後進的な生活を強いられている。

 

前回も触れたように、都市部で差別的な扱いを受け、ときに命を落とす北東部出身者も後を絶たない。
Borkungもまた、学生時代にデリーでネパール人と間違えられて強盗にあった経験があると語る。
北東部出身の人間がデリーで暮らすうえで、このような危険は常にあるという。

多くの北東部の州で、ときにテロリズムにまで及ぶ独立運動が行われているのには、こうした背景がある。

だが、暴力ではなく平和を訴える彼は、こうした差別や無理解に対してこう語る。

「僕たちはみんな同じインド人だ。僕はこのギャップを埋める架け橋が必要だと感じたんだ。彼ら(大多数のインド人)は僕たちの文化を知らないだけで、他の点では彼らはいい人たちなんだよ」

 

彼のデビュー曲の名は”The Roots”

より直接的に差別反対とトリプラ人の権利を主張し、自身のルーツを誇る楽曲だ。
 

いくつかの印象的なリリックを書き出してみる。
(しかも調子に乗って途中まで訳でも韻を踏んでみた)
 

I ain’t no politician though I’m vicious 俺は凶暴だけど政治家じゃない

Never worshipped on a path of a wrath 怒りへの道を崇めたりしない

I’m from Tripura you fakers  俺はトリプラ生まれだ イカサマ師たち

That’s the first thing you ought know これは最初に覚えとけお前たち

I did grow from Dhalai district and I need no passport インドに来るのにパスポートはいらない ダライ地区育ち

TNV and INPT could be the last soul TNVINPTが最期の魂

TNV,INPTは彼の父が率いていた武装組織と政党の名前)

How can you feed the poor when you bribe what has been reissued?  与えられたものを賄賂にしてしまうならどうやって貧しい人たちを食わせる?

All the rights given to us were misused  俺たちに与えられた権利はすべて悪用されてる

'Cause we the indigenous people have been spoofed out of our own land 俺たち先住民は自分たちの土地を追い出されてる

Though we minority, we hold hands  マイノリティーでも手を携える

You ain't a component to extinct our clan 我々一族を絶やすことはできない

We fight till accomplishment 俺たちは成し遂げるまで戦う

I gotta give it, a salute to my roots yo. I gotta lift it up and never loose my roots yo.

さあ、俺は自分のルーツを讃える、絶対にルーツを失ったりしない

 

さらにメッセージ色の強いこのフリースタイルも非常に印象的だ。
 

ライムになっているだけでなく、全体が起承転結のある素晴らしいメッセージになっている全文はYoutubeの「もっと見る」から読むことができるので、ぜひチェックしてほしい。

 

ちなみに最後に出てくるRichard LoitamDanna SangmaReingamphi AwungshiNido Tania4人は、いずれもデリーやバンガロールといった大都市で死に追いやられ、満足な捜査さえも行われなかった北東部出身の学生の名前だ。

リアルでストレートな表現と主張。あまり軽薄な言葉は使いたくないが、ものすごくかっこいい。

本物の表現者だなって感じる。

 

小さい頃からラップに夢中だった彼は、ライムしながらメッセージを伝えることが何よりも好きだったようだ。
ラッパーとしては、EminemFat JoeFort Minorに大きな影響を受けたという。

極めてシリアスな表現者でありながら、ポップな曲への参加にも抵抗がないようで、意外なところではデリーの城みちるみたいなポップシンガーの曲にゲスト参加していたりもする。


 

インタビューで今後の目標を聴かれた彼は、グラミー賞を取ることだと答えた。

「僕は仲間を代表して、インドを代表してグラミーを勝ち取ってこう言いたいんだ。僕はトリプラ人だ。僕はインド人だと。自分がどこから来たのかを、自分のストーリーを伝えたいんだ」

こう言ってはなんだけど、ポップミュージックの辺境インドの中のさらに辺境の北東部のインディーズアーティストが、こんな大きな夢とメッセージを持っているということに、なんというか、またしてもぐっと来てしまった。

こないだのデスメタルバンドのTanaもそうだけど、インド北東部の人、ちょっとぐっと来させすぎじゃないか。

「インドのメインランド(主流文化地域)の友達もたくさんいるよ。彼らはみんないい人たちで親切だ。そうじゃないごく一部の人は、北東部のことを知らないだけなんだと思う。一度人間として受け入れられれば、優しい心の人たちがたくさんいる。僕が言いたいのは、必要なのは親密さを増すことだってこと。北東部とメインランドの親密さを育んでいく責任が僕らにはあるんだ」

人間性への揺るぎない信頼。それこそが彼のポジティブさの根底にある信念なのだろう。

 

彼はトリプラの人々だけでなく、インド全体の人々にメッセージが届けられるように、英語やヒンディーでラップすることを選んでいるというが、彼の表現の普遍性は、インド北東部や国境を越えて心に響くものがあるように感じる。大げさに言えば、ボブ・マーリーのように。

過酷な環境にも折れないポジティブさは、いつだって音楽を音楽以上のものにしてくれる。



2018年02月01日

トリプラ州の“コンシャス”ラッパー Borkung Hrangkhawl その1

バックパッカーの言葉で、旅の途中でひとつの場所についつい長逗留してしまうことを「沈没」というが、どうやらこのブログもインド北東部に沈没してしまったみたいだ。

正直、インドの中でもあんまり知らないエリアではあったのだけど、面白い音楽が出てくる出てくる。

ってなわけで、今回はデスメタルから離れて、インド北東部トリプラ州のラッパーを紹介します。

それではまず聴いてみてちょうだい。
"Never Give Up"


 

彼の名はBorkung Hrangkhawl.

と紹介してはみたものの、……読めない…。

ボルクン・ランコウルって感じで良いのかな?

彼の名前はインドの人たちにとってもやっぱり読みにくいようで、BKというシンプルなステージネームも使っている。

まず切れ味のよい英語のラップのスキルにびっくり。

それからヒップホップというよりもロックやEDM色の強いミクスチャー的なトラックも印象的で、ちょっとLinkin Parkにも似た感じがする。

北東部ゆえかインド臭がまったくしないサウンドだ。

 

Borkungはビデオにも出ているトラックメーカーのDJ InaとギタリストのMoses Raiとのトリオで活動しており、リリックにもRap with EDMとかTrying to blend hip hop with a new musicなんて言葉が出てくるので、かなり意図的にこの音楽性を作り上げているのだろう。

そんでサビだ。
 

I am not giving up

My dreams, my life, my struggle no, not anymore.

I am not giving in

my dreams, my life not anything it’s never too late I know, 

Never give up.

 

夢も人生も戦いもあきらめないぜ!遅すぎるなんてことはないんだ!絶対にあきらめるな!となんだかやたらにポジティブで力強い言葉が並ぶ。
Borkung、熱い男のようだ。 

 

続いての曲をどうぞ。"Fighter"

 

それにしても、ムンバイのDIVINEのビデオクリップは地元下町を練り歩くやつばかりだったけど、自然豊かなトリプラで育った彼になると、大自然の中を練り歩くのばかりになるってのは、やはりヒップホップの「レペゼン地元」って感覚によるものなんだろうか。

 

次はもう少し古い2013年の曲。"Journey"

なんか曲名のセンスがどれもちょっとハウンドドッグみたいではあるけれど、気にせず聴いてみてください。


この曲のサビも「The journey goes on till I make it」とあくまでもポジティブ全開。最後のヴァースはヒンディーで歌われているんだが、その前のヴァースの英語のリリックも印象深い。

 

Hitting hip hop scene of North East city, No retreat, No surrender, in this life of treachery

Misery is a part of it, to admit that my life was ruined

But look at me now haters! I'm smooth like a fluid

Blessed out beat so thick, with blip music, being Aesthetic

Blinked out the whole crowd and Rap Critics

That's why I opted, I opted

 

「俺は後退も降伏もしない」「憎しむものたちよ(Haters) 俺を見ろ!音楽でぶちかますぜ なぜなら俺は決めたんだから」と、またしても逆境に負けないポジティブな言葉が続く。

ところで、ここで出てくる”Haters”とは誰を指すのだろうか。

そして、このポジティブ野郎ことBorkung Hrankhawlとはどんなバックグラウンドを持った人物なのか。

 

彼の出身地であるトリプラ州は、古来からトリプラ王国が栄えた土地で、現在では360万人程度が暮らしている(インド全体の人口の0.3%)。

地図を見てみると、インド北東部の「セブン・シスターズ」の中でもバングラデシュに突き出すような場所に位置しているのが分かるだろう。(ミゾラムから東側はミャンマー)

 インド北東部

言語的には、周辺地域で使われるベンガル語とは全く異なるコクバラ語を話し、独自の文化を保ってきた地域である。

ちょっとどんなところか見てみよう。

 

今では博物館になっているかつての王宮。

Tripura_State_Museum_29122015

自然が豊かな地域もあり、野生の象も見られる。

gumti-wildlife-sanctuary-tripura-tourism-places1

人々はこんな感じ。顔はいわゆるインドの人たちよりも、ぐっと東アジア。

Culture-tripura

こんな遺跡も。
tripura遺跡

それでいて、州都のアガルタラはそれなりに栄えているようでもある。

hgb-road-agartala

なかなかいいところそうじゃないの。

 

しかしながら、周辺の諸地域同様に、トリプラの多くの人々も、インド社会の中で軽視され、差別的な扱いをされていると感じているようだ。

実際に、近年になっても、デリーやバンガロールといった都市部では、北東部出身の学生が不審な死を遂げたにも関わらず十分な捜査が行われなかったり、差別的な扱いに耐えかねて命を絶ったりという悲惨な事件が何件も発生している。

たまたまこないだ読んだウダイ・プラカーシの「黄色い日傘の女」という小説でも、地元のマフィアにリンチされて死を選ぶ北東部出身の学生の様子が生々しく描かれていた。今もなお、北東部の人々がインドの中心的地域への反発を抱くのには十分な理由と背景があるのだ。

そうした感情を持つ人々の一部は、以前から「トリプラ民族解放戦線(NLFT)」を組織してゲリラ的な活動を行っており、インド政府によりテロ組織にも指定されている。


そう、この地域が豊かな自然と文化にもかかわらず、ツーリストにあまり馴染みがなかった理由の一つとして、各州の独立派テロリストの活動が長く盛んだったことが挙げられる。

 

長くなってきたので今回はここまで!

今回は正直言って予告編。

次回はこのトリプラの地でポジティブな言葉を吐く男、Borkung Hrankhawlの人となりに迫ってみます!



2018年01月28日

デスメタルバンドから返事が来た!Alien Godsのギタリストが語るインド北東部の音楽シーン

こんばんは、軽刈田凡平です。


こないだのブログで、インド北東部7州「セブン・シスターズ」にどうやら多くのデスメタルバンドがいるらしい、ということを取り上げた。

インドの中でも辺境とされ、自然豊かなこの地域で、どうしてそんなに激しい音楽が流行っているのか。

探ってみるためにいくつかのバンドにメッセージを送ってみたところ、Top 10 Indian Death Metal Band9位の、アルナーチャル・プラデーシュ州イーターナガル出身のAlien Godsからさっそく返事が来た!


メッセージをくれたのはギタリストのTana Doni.

「俺たちに興味を持ってくれてありがとう。どんな方法でも喜んで協力するよ」

と、なんかいい奴っぽい。

ではさっそく、インタビューの様子をお届けします。

 

凡「まず最初に、Youtubeやなんかを見ていて、インド北東部にたくさんのメタルバンドがいることに驚いたんだけど」

Tana「アルナーチャルには他にもいいバンドがたくさんいるよ。よかったら紹介するよ」

と教えてくれたバンドは、

プログレッシブ・ブラックメタルとのふれこみのLunatic Fringe


マスロックバンドのSky Level. 
 

現代的なヘヴィーロックで、なかなか面白いギターを弾いている。


ロック系ギターインストのAttam. 彼は近々アルバムを出すという。

 

凡「イーターナガルとかアルナーチャル・プラデーシュ州のメタルシーンについて教えてくれる?」

Tana「正直言って、シーンはアンダーグラウンドなものだよ。北東部にはいろんなジャンルが好きな人がいるから。でもマニプル州は他の北東部の州よりシーンが発展しているかな」

凡「どんなところで演奏してるの?」

TanaGovermental hall(公民館のようなところか)とか、Community Ground(屋外の公共の場所か)とか」

なんと。田舎ながらもシーンがあって、愛好家が集うライブハウスみたいなものがあるのかと思ったら、本当に好きな人たちがなんとか場所を借りて続けている状況のようだ。

 

凡「Alien Godsはブルータルなサウンドが印象的だけど、どんなバンドに影響を受けたの?」

Tana「実は俺は3枚目のアルバムができてから加入したから、よく分からないんだよね。今のメンバーでオリジナルメンバーはボーカルだけなんだ」

またしてもびっくり。でもそれって代わりになるレベルのプレイヤーが身近にいるってことだよね。アングラとはいえそれなりにプレイヤー人口はいる様子。

凡「じゃあ、あなた自身はどう?いつ、どんなふうにこういう音楽と出会ったの?」

Tana「最初はパンクロッカーだった。2007年、高校生の頃のことさ。Blink182Sum41が好きだった。それからハードコア・パンクに興味を持つようになったんだ」

凡「へえー!でもインドってあんまりパンクが盛んじゃないように思うけど」

Tana「インドにもいい感じのアンダーグラウンドのパンクシーンがある。”The Lightyears Explode”はチェックすべきだよ。彼らとは地元のフェスで共演したんだ」

 

The Lightyears Explodeはこんなバンド。
 

ポップなサウンドに内向的な歌詞。なかなかいいじゃないですか。

インドだと、メタルバンドはだいたいがとことんヘヴィーなデスメタル系なのに、パンクになるとポップになる傾向があるのかな。

 

凡「じゃあ、ポップ・パンクからハードコア・パンク、そこからデスメタルって感じなんだね」

Tana「デスメタルの前はブラックメタルだったよ。これが俺の最初のバンドなんだ」


ギターがメロディアスで、日本のメタル好きにも人気が出そうなサウンドだ。

Tana「それからAlien Godsに加入して、今ではSacred Sacrecyっていうバンドもやっている」


Sacred Secrecyはよりブルータルかつテクニカルな感じのバンドのようだ。
 

凡「好きなバンドとか、好きなギタリストは?」

Tana「いくつか挙げるなら、Cradle of Filth, Dimmu Borgir, Cannibal Corpse, Cryptopsy, Cattle Description, Strapping Young Ladかな」

凡「どれもデスメタルとかブラックメタルの大御所だね。実は僕、Strapping Young Ladのデヴィン(ヴォーカル/ギター。Steve VaiSex & Religionというアルバムでヴォーカリストを務めた)はヴァイと一緒のツアーで見たことがあるよ」

Tana「へえ!それはすごくラッキーだね!俺、Strapping Young Ladのコンサートを見るためだったら何でもするよ。彼はまさにレジェンドだね。ところで、マキシマム・ザ・ホルモンってバンドは知ってる?」

凡「もちろん、日本のバンドだよね。日本じゃヘヴィーな音楽はアンダーグラウンドだけど、彼らはすごく人気があるよ」

Tana「だろうね。だからこそ俺が住む北東インドまで彼らの音楽が届いてるんだと思う。彼らのスタイルは好きなんだ。すごく興味をそそるよ。いくつか日本のバンドでお勧めを教えてくれたらうれしいんだけど」

さて、困った。最近のこの手のジャンルは全然知らない。

凡「日本じゃメタルだともっとメロディアスなやつが人気なんだよ。X Japanとか、知ってる?」

Tana「うん。ってか知らない奴いる?」

あ、そうなの。日本の皆さん、インド北東部でもXは有名です。

彼にいくつか日本のバンドを教えてあげる。タナはかなりコアなメタルファンのようで、たとえば日本の老舗ブラックメタルバンドのSighも聴いたことがあると言っていた。

凡「それじゃあ、最後の質問。ミュージシャンとしての夢を教えてくれる?」

Tana「ワールドツアーだよ。俺はステージプレイヤーなんだ。スタジオに座ってるより、ツアーをしていたい」

凡「ありがとう。いつか日本でライブが見られたらうれしいな。またニュースがあったらぜひ教えて」

 

と、かいつまんで書くとこんな感じのインタビューだった。

インタビューを終えて、いくつかのことについて分かったし、いくつかのことについて反省もした。

まず分かったのは、セブン・シスターズ諸州では、けっしてデスメタルが盛んなわけではなく、世界中の他のあらゆる地域と同じように、メタルはアングラな音楽で、でも根強いファンがいるということ。

それから、ポップなパンクからハードコア・パンクに進み、そこからだんだんよりヘヴィーでテクニカルな音楽が好きになっていったという彼の音楽キャリアは、日本でも欧米でも、世界中のどこにでもあり得るようなものだということ。 

反省したというのは、自分の中のどこかに、こんなに辺鄙なところで(失礼)デスメタルをやってるなんて、なにかすごく面白い秘密があるんじゃないだろうか、と無意識に思ってたということだ。

そもそもデスメタルのミュージシャンにインタビューすること自体初めてだったけど、彼とやり取りをしていて、アルナーチャル・プラデーシュという、自分が全く行ったことがない場所の人と話しているという気が全然しなかった。

っていうか、まるでこの手の音楽が好きな日本の後輩と話しているような気さえした。

インターネットで世界中が繋がったこのご時世、ネットがつながる環境さえあれば、世界中のどこにでも、同じようなものに惹かれる人たちがいる。

流行っているポップミュージックは国によって違っても、コアな音楽には国境はない。彼と話をしていて、改めてそう認識した。

また、以前書いたように、インド北東部の人々は、インドのマジョリティーと文化的なバックグラウンドを共有しないがゆえに、よりダイレクトに欧米のカルチャーの影響を受けるのだろう。おそらくはそれがこの地域でデスメタルが盛んなように見える理由だ。

それから、「Strapping Young Ladのライブを見るためだったら何でもするよ」という彼の言葉と、ライブハウスが無いから公民館みたいな施設を借りてライブをやっているということにも、なんというかこう、ぐっと来た。

セブン・シスターズ出身の別のデスメタルバンドが、デリーでライブをやったときのインタビューでこんなふうに答えていた。

(地元でのライブとデリーでのライブの違いはどう?という質問に対して)「地元じゃ誰もヘッドバンギングなんかしないで、みんな座ってじっと見ているんだ。こっちだと音楽に合わせて体を動かしてくれて、デリーのほうがずっといいよ」

おそらく彼らは本当にこういう音楽が好きで、観客が盛り上がってくれなくても、演奏をすること自体の喜びを糧にして演奏を続けているのだろう。

もちろん自分だって、こういうブログをやるくらいだから、音楽は好きなつもりだ。でも「彼らのライブを見るためだったら何でもする」とまで言えるほど好きなミュージシャンがいるだろうか。

ミュージシャン目線で見ても、日本にはいくらでも演奏する場所がある。もし無かったら、自分たちでどこか場所を借りてまで演奏したい、自分たちでシーンを作りたい、自分たちのやっている音楽が理解されなくても、ずっと演奏を続けていたい、そこまで思っているバンドマンが日本にどれくらいいるだろう。

 

「ぼくが今生きてるのが世界の片隅なのか どこを探したってそんなところはない」と歌ったのはブルーハーツだったが、まさしくその通り。

音楽の世界に中心も片隅もなく、あるのは演奏する人、聴く人の心だけだ。セブン・シスターズのメタルバンドたちは、間違いなくヘヴィーミュージックのど真ん中で演奏を続けている。

Alien GodsのフロントマンSaidはこう語る。

「俺たちはただ音楽が好きなだけなんだ。俺たちは名誉や金のために音楽をやっているわけじゃない。すぐれた音楽を演奏する喜びを感じたくてやっているんだ…」

彼らの音楽が好みじゃないって人たちも、この言葉には感じるところがあるんじゃないかな。



2018年01月26日

インドのメインストリームヒップホップ1 Yo Yo Honey Singh

凡平です。
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回にわたってむさ苦しい音楽を紹介してきたので、今回は「なんとかメタル」から離れて、ヒップホップのアーティストを紹介することにしたい。 

これまで、ヒップホップでは大衆音楽とは距離を置いた、ストリート寄りのBrodha VさんとかDIVINEさんを紹介してきたけど、今回は「これぞインドのメインストリーム!」ってなラッパーを紹介させていただきます。

というわけで、本日紹介するのはこの方、Yo Yo Honey Singhさんです。

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ヨー・ヨー・ハニー・シン。

この名前を聞いて、まずみんな何を思うかってえと、芸名がださい…ってことだと思う。

Singhの部分が本名なわけだけれども、人間、自分の名前にヨー・ヨー・ハニーってのをつけたがるもんだろうか。

みなさんも自分の名前にちょっとヨー・ヨー・ハニーをつけてみてほしい。

自分がプロのミュージシャンになるとして、その名前で行こうってのはなかなか思わないんじゃないかなあ、って思うけど、まあそんなことはどうでもいいや。

まずはこの曲、2012年の曲でBrown Rang

   

再生回数は20181月の時点で4,400万回。

Brodha VDIVINEがせいぜい80万回くらいだから、文字通り桁が違う。それも二桁だ。

このビデオは2012年にYouTubeで最も見られたビデオってことになっている(たぶん当時はもっと再生回数の多い動画が上がっていたものと思われる)。

この曲はパンジャーブ語で歌われているんだけど、パンジャーブ語話者はインドとパキスタンに9,500万人程度。

じゃあパンジャーブ語話者だけがこの曲を聴いてるのかっていうと、そうとも限らなくて、ヒンディー語(話者26,000万人)を含めて似た構造を持っている北インド系の言語を母語とする人たちを中心に、歌詞を聴いて理解できる層というのはインドに相当数いるのではないかな。

で、そこまで人気のあるビデオってだけあって、内容も今まで見てきたインドのラッパーたちとは大違いで、下町をTシャツで練り歩いていたりはしない。

なんかゴージャスな感じのところでビシっとキメた格好で綺麗なおねえちゃんと絡んでいる。

まあこういう成金感覚も非常にヒップホップ的ではあるよな。

曲はオートチューン処理されたようなヴォーカルとか、同時代の欧米を意識しつつも歌い回しなんかはインドっぽいところを残しているのが印象的だ。

Brown Rangというのは、英語とおそらくはパンジャーブ語のミックスで、「茶色い肌」という意味だそうで、これは自分たちインド人のことを指していると考えて間違いないだろう。

「茶色い肌の彼女、みんな君に夢中で何も手につかないぜ、色白の女の子なんてもう誰も相手にしないのさ」という歌詞で、これを非常に現代的なサウンドに乗せて歌うところがニクい。

インドにはかなりいろいろな肌の色の人がいるが、昔から色白こそが美の条件とされている。
映画に出てくる女優も男優もかなり肌の色が薄い人ばかり。

そういうインドで、最先端のサウンドに乗せて「茶色い肌こそ魅力的なのさ」と歌うこの曲は、色白でない大多数の若者達にとって、とても魅力的に響くってことなのだろう。


続いてはこの曲。2013年のBlue Eyes.

 

なんかDA PUMPっぽい空気感を感じるビデオではあるが、この曲の再生回数もすでに14400万回!

1年前に「茶色い肌が魅力的さ」と歌ってたくせに、今度は「君の青い瞳が最高」みたいな曲。でも、白人の女の子を口説く内容の曲ということに、格別に都会的というか進歩的な雰囲気があるのかもしれない。

同じようにオートチューンを使ったコーラス部分が結構現代的なのに比べて、ラップのところがどうもちょっと野暮ったいんだけど、それもまた魅力といえば魅力、のような気もしないでもない。

 

もう少し最近の曲だとこんな感じになってる。

2016年のSuperman.

   

今度は曲調がヒップホップというよりEDMっぽい感じになってきた。 

「ベイビー、アイム・ア・スーパーマン!」とあいかわらず一定のダサさがある部分が、やっぱり幾ばくかの安心感になっていると思うのですが、いかがでしょう。
 

YoYo Honey SinghことHirdesh Singhはパンジャーブ州のシク教の一家に生まれ、イギリスの音楽学校で学んだ後、デリーを拠点に音楽活動をしている。

パンジャーブと言えば、90年代に世界的にもちょっと話題になったインド発祥の音楽、バングラの発祥の地だ。2011年にボリウッド映画「Shakal pe mat ja」の音楽を手がけた後、音楽活動のみならず俳優としても活躍している。パンジャーブ語だけでなく、ヒンディーで歌う事も多いようだ。

シク教は、インド北東部パンジャーブ州で16世紀に生まれた宗教。当時の(そして今も)インドの二大宗教であるヒンドゥーとイスラムの影響を受けつつ、他の宗教を排斥せず「いずれの信仰も本質は同じ」という考えを持ち、インドを中心に3,000万人の信者がいる。シク教徒の割合はインド全体では2%程度だが、ターバンと髭が目立つせいかもっといるように感じるし、パンジャーブ州では今でもじつに6割がシク教徒だ。

男性はひげを伸ばしてターバンを巻くことになっていて、ラッパーでも若手の社会派として人気のあるPrabh Deepなんかはターバンを巻いている。デスメタルバンドGutslitのベーシストも、そんな音楽やってるのに律儀にターバン(色は黒)は巻いているが、Yo Yo Honey Singhはターバン、全然巻いてないね。

若手シク教徒がターバンについてどう思っているのか、気になるところではある。
 

ここから先は完全に想像というか妄想だけど、彼の場合、おそらくイギリス留学が脱ターバンのきっかけになったのではないかな。

おそらく、シク教徒のターバンには、「自らすすんで戒律を守る」ということとは別に、コミュニティの中でかぶらないわけにはいかない、みたいな部分もあるのだと思う。

イギリスに留学したことで、初めてそうした因習から自由になり、ターバンを脱ぎ捨て、一人の若者として最新の音楽を学んでそれをインドに持ち帰る。
その無国籍なサウンドに、若干のインド的な要素をブレンドして、欧米コンプレックスを払拭するような歌詞を乗せて歌う。
Yo Yo Honey Singhの音楽はある意味非常に現代のインド的な音楽だと思うのだけど、いかがでしょうか。

今日はこのへんで!



goshimasayama18 at 22:14|PermalinkComments(0)インドのヒップホップ