2018年03月13日
チェンナイが舞台の芥川賞小説「百年泥」!
こないだの芥川賞受賞作のひとつ、石井遊佳の「百年泥」。
現地在住の作家によるチェンナイが舞台の小説と聞いて以来、ずっと気になっていたんだけど、やっと読むことができたので、今日もまた音楽から離れてこの「百年泥」について書いてみます。

読んでみた感想を一言で言うと「強烈にインド!」
これに尽きる。
いろんなところで紹介されている通り、100年ぶりの大洪水による川の氾濫後のチェンナイが舞台の作品で、現在と過去、現実と超現実が入り混じる不思議な小説、と言ってしまえばそれまでなんだけど、なんだか意味がよくわからないし、それじゃあ大して読みたくもならないよね。
なので、アタクシなりに「インド眼」から読んでみた「百年泥」を紹介させていただきます。
この小説、確かに訳のわからない要素は多いんだけど、インドに接したときに日本人が驚き、拒否反応を示したり強く惹かれたりする、インド特有の「わけの分からなさ」を文学の形に昇華したもの、として捉えると、すごくすんなりと読める。
過剰にフレンドリーで、目ヂカラが強く、話好きで理屈っぽく、小ずるいところもあるかと思えばピュアでびっくりするほど優しいインド人。
知的で理性的で現実的かと思えば、ものすごく稚拙な言い訳もするし、異性に興味津々だけど奥手なインド人。
カーストや迷信といった因習に囚われ、そこからの自由を希求しつつも、でもコミュニティーや伝統や家族を大事にするインド人。
こういう要素が複雑にこんがらがっていて、またそのこんがらがり方が地域や階層や個人によって全く違ったりするインド人。
こんなふうに書いても掬いきれない、何と書いて良いかの見当もつかないような、インド人の思考と行動の根源にある、わけの分からない部分。
その「わけの分からなさ」は、歴史や伝統を理由に説明できるほどに単純ではなくて、考えれば考えるほど分からず、しまいに考えることがバカバカしくなったりもするのだけれども、そのわけの分からなさ自体は確かに気のせいでなく存在していて、そしてそれがインドの強烈な魅力だったりもする。
このわけの分からなさを表現しようとしたら、そのわけの分からなさを言語化して整然と説明するだけではだめだ。
あるいは、「わけが分からないですよね」と書いてしまってもだめで、説明してしまったらわけの分からなさはわけの分からなさではなくなってしまうし、「わけが分からない」の一言で済ませてしまっては、こう、なんというか独特のもやもやしたものが永遠に問いかけられ続けているような感じが断絶されてしまう。
このわけの分からなさを描くためには、作家自身も渾身の力でわけの分からないものを作り出し、それをえいやっとインドにぶち込む必要がある。
多少のネタバレになってしまうけれども、何の説明もなく、ストーリーの本筋に関係のなく出てくる、権力を持つものは翼を身につけて空を飛ぶことができるとか、大阪の招き猫とチェンナイのガネーシャ像が全て交換されているといった設定。
インドを表すために、よくこんなに絶妙の「わけの分からなさ」を思いついたなあ、と心から感心してしまいました。
このわけの分からない設定があることによって、インドはよりインドに、チェンナイはよりチェンナイに、そのリアリティーを増している。
そんなわけの分からないインドで否応なしに向き合わざるを得ない自己、文化や言語を超えて理解し合えたと思ったらやっぱり理解を超えていたりもするインド人との関係、でも自分もその社会の中で生きていかざるを得ないことの諦めと喜びのようなもの、そういう主観による部分が、はっきりとは書かれていないけど、確かに感じられるということもこの小説の魅力だ。
物語の終盤、登場人物の一人の意外な過去が明らかになり、物語は予想外に感動的な方向に進みそうになるが、単純に感動で塗りつぶすことを良しとしないのは文学も(現実の)インドも同じこと。
そして、洪水によって橋の上に堆積した「百年泥」の意味するところが示唆される。
自分や近しい人やそうでない人の過去、あるいは選ばれなかった選択。
こうした時間や人間の関係性の結果として自分がいて今の世界がある。
洪水で川底から打ち上げられた、異臭を放つ大量の泥。
そこから掘り出される、わけの分からない、あるはずのないものたち。
アタクシは、それこそが、インドを「わけの分からない国」たらしめている原因なのだと読みました。
そしてそれが、インドが強烈に「生きる」ということを実感させる国である理由でもある。
ついでに、アタクシとしては、そのチェンナイの大洪水が先日インタビューしたThird Sovereignのインドツアーが延期になった原因でもあるということに、薄いけれどもしかし不思議な縁を感じもしましたよ。
はい、…何を書いているかよく分からないですよね。
力不足ですみません。
アタクシのような凡人がこういう作品について書くとこうなる。
とにかく石井遊佳さんのこの「百年泥」、インドを過剰に美化もせず、笑いものにもせず、思索ごっこにも陥らず、でも文学として描き切った素晴らしい小説!
インド云々を抜きにしても素晴らしい作品で、インドと言われても何のことやらという人は、別にどこでもない場所の話として読んだって構わない。
立派な賞を取るくらいの作品だから、もちろん普遍的な魅力がある。
小説を読みながら自分や誰かの過去にも思いを馳せてみるなんて、なかなか素敵な時間の過ごし方じゃありませんか。チャイか珈琲でも飲みながらなんて、いかがでございやしょうか。
ぜひ読んでみておくんなまし。
現地在住の作家によるチェンナイが舞台の小説と聞いて以来、ずっと気になっていたんだけど、やっと読むことができたので、今日もまた音楽から離れてこの「百年泥」について書いてみます。

読んでみた感想を一言で言うと「強烈にインド!」
これに尽きる。
いろんなところで紹介されている通り、100年ぶりの大洪水による川の氾濫後のチェンナイが舞台の作品で、現在と過去、現実と超現実が入り混じる不思議な小説、と言ってしまえばそれまでなんだけど、なんだか意味がよくわからないし、それじゃあ大して読みたくもならないよね。
なので、アタクシなりに「インド眼」から読んでみた「百年泥」を紹介させていただきます。
この小説、確かに訳のわからない要素は多いんだけど、インドに接したときに日本人が驚き、拒否反応を示したり強く惹かれたりする、インド特有の「わけの分からなさ」を文学の形に昇華したもの、として捉えると、すごくすんなりと読める。
過剰にフレンドリーで、目ヂカラが強く、話好きで理屈っぽく、小ずるいところもあるかと思えばピュアでびっくりするほど優しいインド人。
知的で理性的で現実的かと思えば、ものすごく稚拙な言い訳もするし、異性に興味津々だけど奥手なインド人。
カーストや迷信といった因習に囚われ、そこからの自由を希求しつつも、でもコミュニティーや伝統や家族を大事にするインド人。
こういう要素が複雑にこんがらがっていて、またそのこんがらがり方が地域や階層や個人によって全く違ったりするインド人。
こんなふうに書いても掬いきれない、何と書いて良いかの見当もつかないような、インド人の思考と行動の根源にある、わけの分からない部分。
その「わけの分からなさ」は、歴史や伝統を理由に説明できるほどに単純ではなくて、考えれば考えるほど分からず、しまいに考えることがバカバカしくなったりもするのだけれども、そのわけの分からなさ自体は確かに気のせいでなく存在していて、そしてそれがインドの強烈な魅力だったりもする。
このわけの分からなさを表現しようとしたら、そのわけの分からなさを言語化して整然と説明するだけではだめだ。
あるいは、「わけが分からないですよね」と書いてしまってもだめで、説明してしまったらわけの分からなさはわけの分からなさではなくなってしまうし、「わけが分からない」の一言で済ませてしまっては、こう、なんというか独特のもやもやしたものが永遠に問いかけられ続けているような感じが断絶されてしまう。
このわけの分からなさを描くためには、作家自身も渾身の力でわけの分からないものを作り出し、それをえいやっとインドにぶち込む必要がある。
多少のネタバレになってしまうけれども、何の説明もなく、ストーリーの本筋に関係のなく出てくる、権力を持つものは翼を身につけて空を飛ぶことができるとか、大阪の招き猫とチェンナイのガネーシャ像が全て交換されているといった設定。
インドを表すために、よくこんなに絶妙の「わけの分からなさ」を思いついたなあ、と心から感心してしまいました。
このわけの分からない設定があることによって、インドはよりインドに、チェンナイはよりチェンナイに、そのリアリティーを増している。
そんなわけの分からないインドで否応なしに向き合わざるを得ない自己、文化や言語を超えて理解し合えたと思ったらやっぱり理解を超えていたりもするインド人との関係、でも自分もその社会の中で生きていかざるを得ないことの諦めと喜びのようなもの、そういう主観による部分が、はっきりとは書かれていないけど、確かに感じられるということもこの小説の魅力だ。
物語の終盤、登場人物の一人の意外な過去が明らかになり、物語は予想外に感動的な方向に進みそうになるが、単純に感動で塗りつぶすことを良しとしないのは文学も(現実の)インドも同じこと。
そして、洪水によって橋の上に堆積した「百年泥」の意味するところが示唆される。
自分や近しい人やそうでない人の過去、あるいは選ばれなかった選択。
こうした時間や人間の関係性の結果として自分がいて今の世界がある。
洪水で川底から打ち上げられた、異臭を放つ大量の泥。
そこから掘り出される、わけの分からない、あるはずのないものたち。
アタクシは、それこそが、インドを「わけの分からない国」たらしめている原因なのだと読みました。
そしてそれが、インドが強烈に「生きる」ということを実感させる国である理由でもある。
ついでに、アタクシとしては、そのチェンナイの大洪水が先日インタビューしたThird Sovereignのインドツアーが延期になった原因でもあるということに、薄いけれどもしかし不思議な縁を感じもしましたよ。
はい、…何を書いているかよく分からないですよね。
力不足ですみません。
アタクシのような凡人がこういう作品について書くとこうなる。
とにかく石井遊佳さんのこの「百年泥」、インドを過剰に美化もせず、笑いものにもせず、思索ごっこにも陥らず、でも文学として描き切った素晴らしい小説!
インド云々を抜きにしても素晴らしい作品で、インドと言われても何のことやらという人は、別にどこでもない場所の話として読んだって構わない。
立派な賞を取るくらいの作品だから、もちろん普遍的な魅力がある。
小説を読みながら自分や誰かの過去にも思いを馳せてみるなんて、なかなか素敵な時間の過ごし方じゃありませんか。チャイか珈琲でも飲みながらなんて、いかがでございやしょうか。
ぜひ読んでみておくんなまし。
2018年03月07日
インドのコメディアン事情をほんのすこし紹介!
今回は音楽からちょっと離れて、インドのお笑い事情を少しだけ紹介。
先日、都内で行われた国連関連のUN Womenという組織が主催したイベントに、インドのコメディアンが出演するというので見に行ってきた。

このチラシには記載が無いが、参加していたのは、ムンバイで活躍している南インド出身のコメディアンKunal Rao氏ら。
どうやらPriyank Mathurという人(インド系アメリカ人?)が主催するMythos Labsの監修のもと、笑いが平和構築や女性の地位向上のために役立つという趣旨で動画を作成しているということでの参加だったようだ。
その動画はいわゆる風刺というか皮肉というかが効いているタイプのやつで、毒気はないがナルホドといった出来なので、興味がある人はMythos Labsのページからどうぞ。
で、そのKunalさん、普段はどんなことやっているのかいな、と思ってYoutubeで探してみたら、これがとても面白かったので紹介します。
彼曰く、最近インドではコメディアンの人気が著しく、映画俳優よりも人気があるほど、とのこと。ほんまかいな。
いろいろやってるみたいだけど、今日はいわゆるスタンダップ・コメディスタイルのやつを紹介したいと思います。落語のマクラみたいな感じのやつです。
ではさっそく見てみましょう。
字幕も出るので、インド人の英語が苦手な方も安心。
まずは、海外旅行先でのインド人と、インド人のおもてなし精神をネタにしたこの動画から。
「海外旅行に行って問題なのは、インドに帰ってこなきゃいけないってことだよね」という自虐ネタから始り、海外旅行先でのインド人の意地の張り合いやクレイジーな行動をインドなまりのきっつい英語でまくし立てる。
エッフェル塔のくだりで出てくる「エッフェル塔はすばらしい!まるでライトのつくクトゥブ・ミーナールみたいだよ!」のクトゥブ・ミーナールというのは、1200年ごろに建築されたデリーにある世界最高のミナレット(モスクの尖塔)。

騒がしいインド英語で自慢しまくるのはパンジャーブ人という設定。やかましいパンジャーブ人というのはよくインドの定番ネタだ。
モロッコで食べた本場のハムス(フムス)、というのは、本当はトルコや中東が本場のゆでたヒヨコ豆をつぶしてペースト状にした料理。
「インドでもよくカレーに入れるチャナ(ヒヨコ豆)から作るんだぜー」と興奮してるけど、中東料理のハムスの本場をモロッコだと言っているのが、ネタなのか芸人さんの勘違いなのかはよく分からない。
そのあとの「インド人のホスピタリティーは最高だよな!」(実際その通り)っていうところからの、イギリスの植民地時代や1961年までポルトガル領だったゴアのネタもまた面白い!
最初に出てきたEast India Comedyというのは、Kunalが所属するコメディ・グループの名前で、これはEast India Company、いわゆる東インド会社からとったグループ名だと思われるが、インドの植民地時代〜独立運動を扱ったネタも彼らの鉄板みたいだ。
ところで、最初の「この中で海外旅行行ったことある人」との問いかけにかなりの声が上がるが、これがインド人の平均なのではなくて、いわゆるアッパーミドル以上の階層だということに留意されたい。(学者気取り)
彼らは、貧富の差や教育、英語力、あらゆる面で、毎日の労働に追われる地方の小作農や職人さん、リクシャー引きたちとは全く別の世界に暮らしていて、そのどちらもがインドだっていうことを忘れちゃいけないな、って思う。
またインドほどあらゆる意味で階層が分かれている社会だと、「平均」がさして意味を持たないということもつくづく感じる。
次のネタは、"Indian parents vs Indian kids"
前半の「最近の若い奴は」的な話は国籍を問わずありがちな話だけど、それをちゃんと笑えるネタにしているところはKunalの力量かな。
「Bro、さあパーティーしようぜえ!夕べのパーティーはマジ最高だったなあ!さあ飲もうぜー!」っていうアホな若者の演技が真に迫ってて笑える。
もちろん誇張してるんだろうけど、このネタを見るとインドの若者がアメリカあたりに影響されまくってるんだろうなあ、っていうのがよく分かる。
二つ目の「人んちの赤ん坊になんか興味ねえよ」って話も、国籍関係なく共感できて笑えるんじゃないでしょうか。
三つ目のインドの親の不器用な愛情の話もとてもよくできていて、これがいちばん笑えるかもしれない。
最近のインドの小説でも、親子の間のギャップや断絶というのはよく出てくるテーマで、それだけ現代とその親が育った時代とで、社会背景が大きく変化してきているということなんでしょう。
最後の"Simon go back"というのは、インド独立時に、イギリスがインド人を含まずに設置した「サイモン委員会」に対する非暴力の反発運動のこと。(こちらによくまとまっています)
Youtubeには上がってなかったけど、いちばん笑ったのはコレ。
ほとんど落語の名人のマクラ!
イベントのあとに、Kunal Rao氏とお話をする機会があり、インドの音楽シーンの話を振ってみたところ、「オレは本当はミュージシャンになりたかったんだ。でも才能がなかったからお笑いをやっているんだよ」とのこと。
ムンバイ出身ということでDIVINEの話題を出してみると「今度彼の半生が映画になるんだよ。今年公開でGully Gangっていうタイトルなんだ」とのことで、最近DIVINEがSNSでやたらと#GULLYGANGと書いていたのを不思議に思っていたのだが、思いがけず謎が解けたのだった。
イベントの趣旨が「笑いが様々な差異を乗り越え、平和に貢献する」みたいな内容だったのだがKunal氏、「音楽こそがそういった価値を持っているよ。イギリスにいたとき、マドンナやU2のライブに行ったんだけど、客席を振り返ってみると、あらゆる人種の観客が音楽でひとつになっているのが分かるんだ。本当に音楽の力を感じたよ」とも語っていた。
ちなみにイベント中、もっとも笑いをかっさらっていたのは、日本代表ピコ太郎!
打ち上げの席に現れるとあらゆる国籍の人が彼と写真を撮るために整然と列を作り、その姿はまるで救世主のようだった。本当に人気者なんだなあ、と少し感動しちゃいましたよ。
メッセージや風刺を含んだ笑いよりも、無意味かつ感覚的な笑いのほうがボーダーレスだということが、図らずも明らかになったのでした。
他にもインドには面白いコメディアンの人がたくさんいるようなので、また改めて紹介しますね。
そんでは。
先日、都内で行われた国連関連のUN Womenという組織が主催したイベントに、インドのコメディアンが出演するというので見に行ってきた。

このチラシには記載が無いが、参加していたのは、ムンバイで活躍している南インド出身のコメディアンKunal Rao氏ら。
どうやらPriyank Mathurという人(インド系アメリカ人?)が主催するMythos Labsの監修のもと、笑いが平和構築や女性の地位向上のために役立つという趣旨で動画を作成しているということでの参加だったようだ。
その動画はいわゆる風刺というか皮肉というかが効いているタイプのやつで、毒気はないがナルホドといった出来なので、興味がある人はMythos Labsのページからどうぞ。
で、そのKunalさん、普段はどんなことやっているのかいな、と思ってYoutubeで探してみたら、これがとても面白かったので紹介します。
彼曰く、最近インドではコメディアンの人気が著しく、映画俳優よりも人気があるほど、とのこと。ほんまかいな。
いろいろやってるみたいだけど、今日はいわゆるスタンダップ・コメディスタイルのやつを紹介したいと思います。落語のマクラみたいな感じのやつです。
ではさっそく見てみましょう。
字幕も出るので、インド人の英語が苦手な方も安心。
まずは、海外旅行先でのインド人と、インド人のおもてなし精神をネタにしたこの動画から。
「海外旅行に行って問題なのは、インドに帰ってこなきゃいけないってことだよね」という自虐ネタから始り、海外旅行先でのインド人の意地の張り合いやクレイジーな行動をインドなまりのきっつい英語でまくし立てる。
エッフェル塔のくだりで出てくる「エッフェル塔はすばらしい!まるでライトのつくクトゥブ・ミーナールみたいだよ!」のクトゥブ・ミーナールというのは、1200年ごろに建築されたデリーにある世界最高のミナレット(モスクの尖塔)。

騒がしいインド英語で自慢しまくるのはパンジャーブ人という設定。やかましいパンジャーブ人というのはよくインドの定番ネタだ。
モロッコで食べた本場のハムス(フムス)、というのは、本当はトルコや中東が本場のゆでたヒヨコ豆をつぶしてペースト状にした料理。
「インドでもよくカレーに入れるチャナ(ヒヨコ豆)から作るんだぜー」と興奮してるけど、中東料理のハムスの本場をモロッコだと言っているのが、ネタなのか芸人さんの勘違いなのかはよく分からない。
そのあとの「インド人のホスピタリティーは最高だよな!」(実際その通り)っていうところからの、イギリスの植民地時代や1961年までポルトガル領だったゴアのネタもまた面白い!
最初に出てきたEast India Comedyというのは、Kunalが所属するコメディ・グループの名前で、これはEast India Company、いわゆる東インド会社からとったグループ名だと思われるが、インドの植民地時代〜独立運動を扱ったネタも彼らの鉄板みたいだ。
ところで、最初の「この中で海外旅行行ったことある人」との問いかけにかなりの声が上がるが、これがインド人の平均なのではなくて、いわゆるアッパーミドル以上の階層だということに留意されたい。(学者気取り)
彼らは、貧富の差や教育、英語力、あらゆる面で、毎日の労働に追われる地方の小作農や職人さん、リクシャー引きたちとは全く別の世界に暮らしていて、そのどちらもがインドだっていうことを忘れちゃいけないな、って思う。
またインドほどあらゆる意味で階層が分かれている社会だと、「平均」がさして意味を持たないということもつくづく感じる。
次のネタは、"Indian parents vs Indian kids"
前半の「最近の若い奴は」的な話は国籍を問わずありがちな話だけど、それをちゃんと笑えるネタにしているところはKunalの力量かな。
「Bro、さあパーティーしようぜえ!夕べのパーティーはマジ最高だったなあ!さあ飲もうぜー!」っていうアホな若者の演技が真に迫ってて笑える。
もちろん誇張してるんだろうけど、このネタを見るとインドの若者がアメリカあたりに影響されまくってるんだろうなあ、っていうのがよく分かる。
二つ目の「人んちの赤ん坊になんか興味ねえよ」って話も、国籍関係なく共感できて笑えるんじゃないでしょうか。
三つ目のインドの親の不器用な愛情の話もとてもよくできていて、これがいちばん笑えるかもしれない。
最近のインドの小説でも、親子の間のギャップや断絶というのはよく出てくるテーマで、それだけ現代とその親が育った時代とで、社会背景が大きく変化してきているということなんでしょう。
最後の"Simon go back"というのは、インド独立時に、イギリスがインド人を含まずに設置した「サイモン委員会」に対する非暴力の反発運動のこと。(こちらによくまとまっています)
Youtubeには上がってなかったけど、いちばん笑ったのはコレ。
ほとんど落語の名人のマクラ!
イベントのあとに、Kunal Rao氏とお話をする機会があり、インドの音楽シーンの話を振ってみたところ、「オレは本当はミュージシャンになりたかったんだ。でも才能がなかったからお笑いをやっているんだよ」とのこと。
ムンバイ出身ということでDIVINEの話題を出してみると「今度彼の半生が映画になるんだよ。今年公開でGully Gangっていうタイトルなんだ」とのことで、最近DIVINEがSNSでやたらと#GULLYGANGと書いていたのを不思議に思っていたのだが、思いがけず謎が解けたのだった。
イベントの趣旨が「笑いが様々な差異を乗り越え、平和に貢献する」みたいな内容だったのだがKunal氏、「音楽こそがそういった価値を持っているよ。イギリスにいたとき、マドンナやU2のライブに行ったんだけど、客席を振り返ってみると、あらゆる人種の観客が音楽でひとつになっているのが分かるんだ。本当に音楽の力を感じたよ」とも語っていた。
ちなみにイベント中、もっとも笑いをかっさらっていたのは、日本代表ピコ太郎!
打ち上げの席に現れるとあらゆる国籍の人が彼と写真を撮るために整然と列を作り、その姿はまるで救世主のようだった。本当に人気者なんだなあ、と少し感動しちゃいましたよ。
メッセージや風刺を含んだ笑いよりも、無意味かつ感覚的な笑いのほうがボーダーレスだということが、図らずも明らかになったのでした。
他にもインドには面白いコメディアンの人がたくさんいるようなので、また改めて紹介しますね。
そんでは。
2018年03月04日
逆輸入フィーメイル・ラッパーその1 Raja Kumari
これまでに何度かインドのラッパーを記事にしてきたが、ここ数年のインドのヒップホップシーンの成長は著しいものがあり、メインストリームのボリウッドのラップだけでなく、ストリート色の強い各地のローカルなラップシーンがどんどん形成されてきている。(というのは以前書いた通り)
ところが、活躍しているのはまだまだ男性が中心で、女性ラッパーの数は非常に少なく、その数少ない女性ラッパーも、インド育ちというわけではなくて、イギリスやアメリカで生まれたり育ったりしたアーティストだ。
(インド国内でもこの現状を気にしている人がいるみたいで、こんな記事も見つけた)
今回紹介するRaja Kumariもその中の一人で、彼女はカリフォルニア生まれのテルグ系(つまりアーンドラ・プラデーシュ州あたり)インド人。
インド人といっても国籍はアメリカ合衆国なのでインド人というよりもインド系アメリカ人と呼ぶべきか。
いわゆる「在外インド人」のことをインドではNRI(Non-Resicent Indians)と呼ぶが、彼女のように外国籍の場合はPIO(Persons of Indian Origen)と呼ばれたりもする。
Raja Kumariという名前は、本名のSvetha Yellapragada Raoが発音しにくいことからつけられた名前で、サンスクリット語で"Princess"を意味する言葉だ。
Fugeesでヒップホップに出会った彼女はアメリカでラッパーとしての活動を始め、Gwen StefaniやFall Out Boy、Iggy Azaleaといった有名アーティストとのコラボレーションを経た後、活動の中心をインドに移して活躍している。
アメリカ仕込みの本場のラップやR&Bが歌える彼女はインドで引く手数多で、このブログでも紹介してきたDIVINEやBadalとの共演で注目を集めている。
確かに、都市部の若者の価値観が変わってきているとはいえ、インド生まれでここまでタフな女性像が表現できる人材はなかなかいないだろうから、重宝されるのも納得。
一方で、やはりというか、Youtubeのコメント欄を見ると「彼女はインドの文化を破壊している」みたいなコメントもあったりする。
ソロで出している曲はこんな感じ。
格好はインドっぽいけど、曲や歌は極めてアメリカの女性ラッパー/R&Bシンガー的だ
続いての「Believe in you」では子供時代の映像も入って、インド色が大幅に増加。
アメリカのR&B側から見ると、リズムとかトラックにインドを感じるのかもしれないけど、インドの音楽ばっかり聴いている側から言わせてもらうと、やっぱり歌は完全にアメリカのR&Bのものだと感じる。
さらに曲調でもインド色をぐっと出してきた「Meera」
R&B的な歌い回しとインドっぽい歌い回しが交互に出てくる面白い曲で、最大の聴きどころは2:40頃から始まるインドのリズムとラップの融合!
欧米のアーティストとの共演はこんな感じだ。
デトロイトの女性シンガー、Janine the Machineとの共演。High Placesという曲。
カリフォルニアの女性シンガーソングライター、Eden XOとの共演。
多少ださいが気にしないで聴いていただくと、途中で1:30頃から、ここでもインドっぽい節回しの英語ラップが始まる。このラップについては後で詳述。
踊りながら演奏するフュージョンバイオリニストとして一部で有名らしい、Lindsey Stirlingという人との共演。
ビデオには出てこないが後ろのスキャットがRaja Kumariと思われ、一瞬バイオリンとの掛け合いもある。これもこういう音楽の常で曲がださいのはご愛嬌。
ソングライティングでのコラボはWikipediaから曲目のリストが見られるので、興味のある方はYoutubeなどで聴いてみてください。
ちなみにIggy AzaleaとかFall Out Boyとの共作曲は1億ビュー越えとなっている。
ところで、こうして続けて見てみると、彼女はインドでの作品ではアメリカの本場のR&B的要素を、欧米のミュージシャンとの共演ではインド的な要素を求められていて、それぞれのケースでそれが彼女の強みになっていることが分かる
さらに、彼女が「本場色」の強いラップ/R&Bを歌ってきているにも関わらず、ビジュアル的なイメージでは常に非常にインドの要素を強く打ち出していることもとても印象に残る。
ストリートっぽい格好をしているときもアクセサリーやなんかでインド色を加えていて、インドのラッパー達が、服装の面では完全に欧米化しているのとは非常に対照的だ。
DIVINEと共演している"City Slums"の歌詞では、こんなフレーズも出てくる。
I go harder than anybody 私は誰よりも強烈
Daughter of the king American dream キング・アメリカン・ドリームの娘
Phir bhi dil mein hindustani でも心はインド人のまま(※ここのみヒンディー語)
So don't misunderstand me だから誤解しないで
I do it for the people 私はみんなのために歌ってる
Yes I do it for my family, mainly そう、主に私のファミリーたちのために
"king American dream"っていうのは、自分の芸名(王の娘)とかけて、アメリカでミュージシャンとしてのキャリアをスタートしたことを表現しているんだろう。
でも心までアメリカに染まってしまったわけではないよ、心はインド人だし、インドのみんなのために歌ってるんだよ、ってことを言っている。
こうしたリリックや彼女のビジュアルイメージは、アメリカではアイデンティティの表明として、インドでは「私はアメリカ人になってしまったのではなく、あなたたちの仲間」というメッセージとして機能していると見ることもできるだろう。
というのも、アメリカに移住するインド人は、時として成功の象徴としてインドでのやっかみの対象になったり、頭脳流出として社会問題として捉えられることもあるからだ。
もっとも、彼女の「インドアピール」はマーケットのために作られたものというわけではなく、実際にアメリカ生まれながらインドの伝統を大事にする家庭に育てられたようで、このドキュメンタリーを見ると彼女のバックグラウンドがよく分かる。
とくに面白いのは1:30あたりからの部分。
彼女が幼い頃に習ったインドの伝統舞踊のリズムに英語を乗せるとラップになる!というところ。
彼女が言う通り、我々日本のリスナーにとってもSo exciting!な発見だ。
バンガロールでBrodha Vがヒンドゥーの讃歌のラップ性を見つけたのと同じことを地球の反対側から発見したとも言えるかもしれなくて、インドのヒップホップの固有性を考える上でもとても重要な視点ではないだろうか。
インドのリズムとラップのミクスチャーというのは非常に面白いテーマなので、いずれもっと掘り下げて書いてみることにします。
このRaja Kumariさん、今後インドではますます活躍することと思うけど、アメリカ生まれである彼女がアメリカに再逆輸入されて、国籍上の母国でもこの個性が評価されてほしいな、と切に願っています。
さて、今回のタイトルで「その1」と書いたけど、じつは思い当たる人は他にもう1人しかいなくて、それはイギリス育ちのHard Kaurさんという人。
それはまた別のお話、ということで、今日はこのへんで!
ところが、活躍しているのはまだまだ男性が中心で、女性ラッパーの数は非常に少なく、その数少ない女性ラッパーも、インド育ちというわけではなくて、イギリスやアメリカで生まれたり育ったりしたアーティストだ。
(インド国内でもこの現状を気にしている人がいるみたいで、こんな記事も見つけた)
今回紹介するRaja Kumariもその中の一人で、彼女はカリフォルニア生まれのテルグ系(つまりアーンドラ・プラデーシュ州あたり)インド人。
インド人といっても国籍はアメリカ合衆国なのでインド人というよりもインド系アメリカ人と呼ぶべきか。
いわゆる「在外インド人」のことをインドではNRI(Non-Resicent Indians)と呼ぶが、彼女のように外国籍の場合はPIO(Persons of Indian Origen)と呼ばれたりもする。
Raja Kumariという名前は、本名のSvetha Yellapragada Raoが発音しにくいことからつけられた名前で、サンスクリット語で"Princess"を意味する言葉だ。
Fugeesでヒップホップに出会った彼女はアメリカでラッパーとしての活動を始め、Gwen StefaniやFall Out Boy、Iggy Azaleaといった有名アーティストとのコラボレーションを経た後、活動の中心をインドに移して活躍している。
アメリカ仕込みの本場のラップやR&Bが歌える彼女はインドで引く手数多で、このブログでも紹介してきたDIVINEやBadalとの共演で注目を集めている。
確かに、都市部の若者の価値観が変わってきているとはいえ、インド生まれでここまでタフな女性像が表現できる人材はなかなかいないだろうから、重宝されるのも納得。
一方で、やはりというか、Youtubeのコメント欄を見ると「彼女はインドの文化を破壊している」みたいなコメントもあったりする。
ソロで出している曲はこんな感じ。
格好はインドっぽいけど、曲や歌は極めてアメリカの女性ラッパー/R&Bシンガー的だ
続いての「Believe in you」では子供時代の映像も入って、インド色が大幅に増加。
アメリカのR&B側から見ると、リズムとかトラックにインドを感じるのかもしれないけど、インドの音楽ばっかり聴いている側から言わせてもらうと、やっぱり歌は完全にアメリカのR&Bのものだと感じる。
さらに曲調でもインド色をぐっと出してきた「Meera」
R&B的な歌い回しとインドっぽい歌い回しが交互に出てくる面白い曲で、最大の聴きどころは2:40頃から始まるインドのリズムとラップの融合!
欧米のアーティストとの共演はこんな感じだ。
デトロイトの女性シンガー、Janine the Machineとの共演。High Placesという曲。
カリフォルニアの女性シンガーソングライター、Eden XOとの共演。
多少ださいが気にしないで聴いていただくと、途中で1:30頃から、ここでもインドっぽい節回しの英語ラップが始まる。このラップについては後で詳述。
踊りながら演奏するフュージョンバイオリニストとして一部で有名らしい、Lindsey Stirlingという人との共演。
ビデオには出てこないが後ろのスキャットがRaja Kumariと思われ、一瞬バイオリンとの掛け合いもある。これもこういう音楽の常で曲がださいのはご愛嬌。
ソングライティングでのコラボはWikipediaから曲目のリストが見られるので、興味のある方はYoutubeなどで聴いてみてください。
ちなみにIggy AzaleaとかFall Out Boyとの共作曲は1億ビュー越えとなっている。
ところで、こうして続けて見てみると、彼女はインドでの作品ではアメリカの本場のR&B的要素を、欧米のミュージシャンとの共演ではインド的な要素を求められていて、それぞれのケースでそれが彼女の強みになっていることが分かる
さらに、彼女が「本場色」の強いラップ/R&Bを歌ってきているにも関わらず、ビジュアル的なイメージでは常に非常にインドの要素を強く打ち出していることもとても印象に残る。
ストリートっぽい格好をしているときもアクセサリーやなんかでインド色を加えていて、インドのラッパー達が、服装の面では完全に欧米化しているのとは非常に対照的だ。
DIVINEと共演している"City Slums"の歌詞では、こんなフレーズも出てくる。
I go harder than anybody 私は誰よりも強烈
Daughter of the king American dream キング・アメリカン・ドリームの娘
Phir bhi dil mein hindustani でも心はインド人のまま(※ここのみヒンディー語)
So don't misunderstand me だから誤解しないで
I do it for the people 私はみんなのために歌ってる
Yes I do it for my family, mainly そう、主に私のファミリーたちのために
"king American dream"っていうのは、自分の芸名(王の娘)とかけて、アメリカでミュージシャンとしてのキャリアをスタートしたことを表現しているんだろう。
でも心までアメリカに染まってしまったわけではないよ、心はインド人だし、インドのみんなのために歌ってるんだよ、ってことを言っている。
こうしたリリックや彼女のビジュアルイメージは、アメリカではアイデンティティの表明として、インドでは「私はアメリカ人になってしまったのではなく、あなたたちの仲間」というメッセージとして機能していると見ることもできるだろう。
というのも、アメリカに移住するインド人は、時として成功の象徴としてインドでのやっかみの対象になったり、頭脳流出として社会問題として捉えられることもあるからだ。
もっとも、彼女の「インドアピール」はマーケットのために作られたものというわけではなく、実際にアメリカ生まれながらインドの伝統を大事にする家庭に育てられたようで、このドキュメンタリーを見ると彼女のバックグラウンドがよく分かる。
とくに面白いのは1:30あたりからの部分。
彼女が幼い頃に習ったインドの伝統舞踊のリズムに英語を乗せるとラップになる!というところ。
彼女が言う通り、我々日本のリスナーにとってもSo exciting!な発見だ。
バンガロールでBrodha Vがヒンドゥーの讃歌のラップ性を見つけたのと同じことを地球の反対側から発見したとも言えるかもしれなくて、インドのヒップホップの固有性を考える上でもとても重要な視点ではないだろうか。
インドのリズムとラップのミクスチャーというのは非常に面白いテーマなので、いずれもっと掘り下げて書いてみることにします。
このRaja Kumariさん、今後インドではますます活躍することと思うけど、アメリカ生まれである彼女がアメリカに再逆輸入されて、国籍上の母国でもこの個性が評価されてほしいな、と切に願っています。
さて、今回のタイトルで「その1」と書いたけど、じつは思い当たる人は他にもう1人しかいなくて、それはイギリス育ちのHard Kaurさんという人。
それはまた別のお話、ということで、今日はこのへんで!
2018年03月03日
音楽フェス化するホーリー
日本でもちょくちょく面白ニュース扱いで報道されているが、この時期、インド全土でホーリーっていう祭が行われている。
これがまたふざけた祭りで、どんなお祭りか っていうと、色のついた粉や水をひたすらぶっかけ合うっていうシロモノで、昔から観光ガイドやなんかには、この時期は外国人は出歩かないほうがいいよ(珍しがられて標的にされるから)なんてことが書かれていたもんである。
インドを旅していたのはずいぶん昔のことなので、このホーリー、なんとなく下町とか田舎のほうで盛んに行われているようなイメージでいたのだけれども、今ではすっかり様変わりし、DJやバンドが出演する、いわゆるパリピ的な人が集まる大規模なパーティーが大都市でいくつも開催されるようになった。
その模様はこんな感じ。

ほんとうにたくさん開催されていて、挙げていくときりがないのだが、いくつかのチラシを載せるとこんな感じで、すっかり音楽フェスといった雰囲気になっている。
ニューデリーのUnite Holi Music Festival.

こっちはジャイプルのHoli Music Festival.

ムンバイのHoli Bash.

ニューデリーのHoli Madness.

このHoli Mooフェスティバルは、ラッパーのPrabh Deepを怒らせてキャンセルされたっていういわくつき。


名前を間違えて印刷されたうえに、「2年間このフェスに出られたおかげでビッグになれたって言ってるけどタダで出てやったのに何言ってんの?失せろ、このマヌケクソ野郎。出演者のみんな、ギャラは前払いにしてもらったほうがいいぜ、まともに払ってもらえないからな」とのこと。
各フェスの模様は映像で見るとこんな感じ。
田舎っぽい伝統行事だったホーリーがこの様変わり。
調べてみたら、お前気づくの遅いよって言われそうだけど、アメリカ、イギリス、ニュージーランド、南アフリカとか世界中でホーリーにインスパイアされたこの手のイベントが行われていて、インド系のみならず相当盛り上がってるみたい。
日本でも横浜とかインド系の多い葛西ではホーリーが行われているようだが、この手の大規模なフェス的なやつもそのうち入ってくるんだろうか。
会場貸してくれるとこあんまりなさそうだけど、これくらいアホになれるお祭りがあっても良いようには思うけどね。
これがまたふざけた祭りで、どんなお祭りか っていうと、色のついた粉や水をひたすらぶっかけ合うっていうシロモノで、昔から観光ガイドやなんかには、この時期は外国人は出歩かないほうがいいよ(珍しがられて標的にされるから)なんてことが書かれていたもんである。
インドを旅していたのはずいぶん昔のことなので、このホーリー、なんとなく下町とか田舎のほうで盛んに行われているようなイメージでいたのだけれども、今ではすっかり様変わりし、DJやバンドが出演する、いわゆるパリピ的な人が集まる大規模なパーティーが大都市でいくつも開催されるようになった。
その模様はこんな感じ。

ほんとうにたくさん開催されていて、挙げていくときりがないのだが、いくつかのチラシを載せるとこんな感じで、すっかり音楽フェスといった雰囲気になっている。
ニューデリーのUnite Holi Music Festival.

こっちはジャイプルのHoli Music Festival.

ムンバイのHoli Bash.

ニューデリーのHoli Madness.

このHoli Mooフェスティバルは、ラッパーのPrabh Deepを怒らせてキャンセルされたっていういわくつき。


名前を間違えて印刷されたうえに、「2年間このフェスに出られたおかげでビッグになれたって言ってるけどタダで出てやったのに何言ってんの?失せろ、このマヌケクソ野郎。出演者のみんな、ギャラは前払いにしてもらったほうがいいぜ、まともに払ってもらえないからな」とのこと。
各フェスの模様は映像で見るとこんな感じ。
田舎っぽい伝統行事だったホーリーがこの様変わり。
調べてみたら、お前気づくの遅いよって言われそうだけど、アメリカ、イギリス、ニュージーランド、南アフリカとか世界中でホーリーにインスパイアされたこの手のイベントが行われていて、インド系のみならず相当盛り上がってるみたい。
日本でも横浜とかインド系の多い葛西ではホーリーが行われているようだが、この手の大規模なフェス的なやつもそのうち入ってくるんだろうか。
会場貸してくれるとこあんまりなさそうだけど、これくらいアホになれるお祭りがあっても良いようには思うけどね。
2018年02月28日
レペゼンオディシャ、レペゼン福井、日印ハーフのラッパー Big Deal
こんちわ、凡平です。
前回のミゾラム州のデスメタルバンド、Third Sovereignへのインタビューでは、このブログ始まって以来の「いいね」をいただきまして、ありがとうございやす。
インド北東部のデスメタルなんてこの日本で自分しか興味持ってないんじゃないかと思ってたんですけど、しがねえウィーバー、じゃなかった、それはエイリアンの主演の女優さんだった、しがねえブログ書きのアタクシですが、とても励みになりましたよ。
で、気づいたんですけど、どうもこのブログの傾向として、デスメタルのことを書くと非常にたくさんの「いいね」がついて、ヒップホップやなんかのことを書くとあんまり「いいね」がつかないみたいなんですよ。
この際、いっそのこと毎回インドのデスメタルバンドの紹介とインタビューにしちゃおうかとも思ったんだけど、「今のインドのいろんな音楽を紹介する」っていう初心を思い出して、デスメタル好きのみんな、ごめん。今日はヒップホップっす。
とはいえ、非常に面白いはず(とアタクシが勝手に思っている)なので、ぜひおつきあいを。
いつもこのブログでは、基本的に日本で紹介されていないミュージシャンについて書くことにしているのだけれども、今回紹介するラッパーは、なんと珍しいことに日本の新聞で紹介されたことがある。
彼の名はBig Deal.
え?知らない?
それも無理のない話。
日本の新聞といっても、彼が紹介されたのは福井新聞だしな…。
(福井の方、ごめんなさい)
じつは彼のことは、以前「各地のラッパーと巡るインドの旅」という記事でも触れたことがあるのだが、まあ覚えている人はいないでしょう。
長いこと温めて書いた記事だったのに、1つも「いいね」がつかなかったから(泣)。
自分で言うのもなんだけど、なかなか面白い記事だったと思うので、興味のある方はぜひご一読を。
彼は、福井新聞では「インドで5本の指に入るラッパー」として紹介され、このブログでも取り上げた人気ラッパーのBrodha Vに「インドのトップ3に入るラッパー」として名を挙げられるほどの(ちなみに他の2人はDIVINEとNaezy)実力派ラッパー。
Big Dealはインド東部のオディシャ州はプリーという街(コルカタから夜行列車で南に一晩くらいの場所)の出身で、インド人の父と日本人の母との間に生まれた。
(だから福井新聞に取り上げられてたんだね)
まず紹介したいのは、以前の記事でも取り上げた、オディア(オディシャ人)としての誇りをラップしたこの曲。"Mu Heli Odia"
オディシャ州はとりたてて大きな都市があるわけでもなく、どちらかというと鄙びたところではあるのだが、だからこそというか、「俺はオディアだ!」というプライドを全面に出した曲になっている。
ちなみにこの曲はインドで(っていうか世界で)最初のオディア語ラップでもあるという。
この曲は、全体を通してオディシャ州の文化への賛歌になっているんだが、冒頭で
「俺のことをコリアンだと思うかもしれないけど、親父はヒンドゥー、Odia Japさ。この2つをミックスして、今じゃ俺みたいな奴は誰もいないのさ」
というリリックが出てくる。
自分のルーツをラップしたよくあるリリックのようだけど、次の曲を聴けば、もっと深い意味があることが分かるだろう。
そして、彼の「俺はオディシャ人だ」という言葉の重みにも気がつくはずだ。
彼はプリーで生まれ育ったのち、13歳からはウエストベンガル州北部のダージリン(コルカタからプリーとは逆方向の北に列車で一晩)の寄宿舎学校(男子校)に通った。
その後、進学のために向かった南インド・カルナータカ州のバンガロールでラッパーになり、今もバンガロールを拠点に活躍している。
(地図、載っけときます)

その半生をラップした曲がこの"One Kid"だ。
よりインド色の強いトラックではあるけれども、さっきのオディア語とはうって変わって、切れ味の良い英語のラップがとても印象的。
リリックの冒頭はこんな感じで始まる(リリック全体はこちらからどうぞ)
Growing up in Puri, I felt so confused プリーで育った小さい頃、俺はとても混乱していた
Why do I look like no one else in the school? どうして俺は学校の他のみんなと違うのか
I mean I got small eyes, also a flat nose 小さな目に低い鼻のことさ
Which is why all guys happened to crack jokes そのせいでみんなは俺をからかった
Even the teachers treated me like a foreigner 先生まで俺を外国人のように扱った
While all I ever wanted to be was an Oriya 俺はただただオディシャ人になりたかった
以前取り上げた北東部トリプラ州出身のBorkung Hrankhawlもラップしていたように、典型的なインド人の外見でないことに対する差別というのは結構根深いものがあるのだろう。
典型的なインド人であれば、マイノリティーであってもコミュニティーや居場所があるけれど、インドの外部や周縁部からやって来た人には所属すべき場がない。
だが、彼は家族や叔父、叔母の愛情を感じ、死ぬまで彼らをレペゼンしてラップし続けると宣言する。
というのがヴァース1の内容。
続くヴァース2は13歳から通っているダージリンでの男子校生活について。
ひょっとしたら、インド北東部のダージリンの学校に通ったのも、同じように東アジア系の見た目の生徒たちが多数いるということが関係しているのかもしれない。
だが、ここでも遠く離れたオディシャからきた彼は、からかいやいじめの対象になる。
辛い4年間の学園生活の中で、彼はエミネムのラップに出会い、ラッパーになるという夢を見つける。
「あのころファックユーって言ってきた同じ奴が今じゃ『Big Deal、尊敬してるよ』だってよ」というのがこのヴァースのクライマックスだ。
ヴァース3の舞台はインド南部カルナータカ州の大都市、バンガロール。
ITを学びにこの街に出て来て、学問を修めることができたが、彼は安定して稼げる道よりもラッパーになるという夢を選ぶ。
就職すれば金持ちになれる。だがラッパーになれる望みは皿の上のドーサより薄い。

(ドーサ)
それでも彼は自分の夢に忠実に生きることを選んだ。
最後のラインでBig Dealはこうラップする。
「君たちをエンターテインするためだけにラップしてるわけじゃない。君たちのマインドを鍛えて、道のりを変えたいんだ。さあ、キッズたち、俺たちには証明しなきゃならないことがある。父さん母さん、俺は夢を叶えたよ」
この曲が収録されたアルバムタイトルは「One Kid with a Dream」
BKに勝るとも劣らないポジティブなメッセージの1曲だ。
彼のことを取り上げた福井新聞の記事でも、彼は自らの半生を語っている。
その記事にも取り上げられているお母さんの故郷、福井への愛をラップした曲がこちら。
シリアスな曲のあとで、このまったり感。
すごい落差で申し訳ない。
トラックはちょっと「和」な感じを意識しているのだろうか。
この曲も、お母さんの故郷へのリスペクトって意味で、シリアスにやっているんだと思うが、田園地帯、恐竜(福井は化石が発掘されたことで有名)、和食、日本酒、親戚のおじさん達と英語のラップとのミスマッチがなんとも。
鄙びてるってことで言えば、インドの中のオディシャと日本の中の福井って、ちょうど同じくらいのような気がしないでもない
最後のパートで、おそらくはオディア語でラップしたのと同じような動機で、日本語で「福井 イイトコ イチドハオイデ(中略)福井ダイスキ」とラップしているのだが、それがまたいい感じの朴訥感だ。
(オディシャ・ラップのさらなる朴訥の世界というのがあるのだが、それはまたいずれ)
この福井新聞のインタビューだと、もう完全に地元の観光大使って感じで、もはやヒップホップのルードボーイっぽさはゼロなのだけど、この素朴な「真っ直ぐさ」が彼の大きな魅力の一つでもあるように思う。
ちなみに彼のお母さんは「モハンティ三千江」という名前で活躍している小説家でもある。
いつか彼女の小説もブログで取り上げてみたいと思っています。
最新の曲はオディア語でお母さんのことを取り上げた曲、"Bou".
こういう曲をやられちゃあ、お母さんうれしいだろうね。
彼は英語だけでなくヒンディーでラップすることもあるけど、やっぱりこの曲にはオディア語の素朴な響きが合っていて、とても素敵に感じられる。
エミネムみたいなアーティストに影響を受けつつも、結果的に家族愛みたいな普遍的な価値観に表現が落ち着くあたり、やっぱり育ちの良さなんだろうなあ。
彼のご両親はプリーで「Love&Life」という名前のホテルを経営していて、この宿はアタクシが20年以上前にプリーを訪れた時にもあったのをなんとなく覚えている。
結局その時は別の宿に宿泊したのだけど、もしLove&Lifeに泊まったら、小さいころのBig Dealに会うことが出来ていたかもしれない。
今回はこのへんで!
前回のミゾラム州のデスメタルバンド、Third Sovereignへのインタビューでは、このブログ始まって以来の「いいね」をいただきまして、ありがとうございやす。
インド北東部のデスメタルなんてこの日本で自分しか興味持ってないんじゃないかと思ってたんですけど、しがねえウィーバー、じゃなかった、それはエイリアンの主演の女優さんだった、しがねえブログ書きのアタクシですが、とても励みになりましたよ。
で、気づいたんですけど、どうもこのブログの傾向として、デスメタルのことを書くと非常にたくさんの「いいね」がついて、ヒップホップやなんかのことを書くとあんまり「いいね」がつかないみたいなんですよ。
この際、いっそのこと毎回インドのデスメタルバンドの紹介とインタビューにしちゃおうかとも思ったんだけど、「今のインドのいろんな音楽を紹介する」っていう初心を思い出して、デスメタル好きのみんな、ごめん。今日はヒップホップっす。
とはいえ、非常に面白いはず(とアタクシが勝手に思っている)なので、ぜひおつきあいを。
いつもこのブログでは、基本的に日本で紹介されていないミュージシャンについて書くことにしているのだけれども、今回紹介するラッパーは、なんと珍しいことに日本の新聞で紹介されたことがある。
彼の名はBig Deal.
え?知らない?
それも無理のない話。
日本の新聞といっても、彼が紹介されたのは福井新聞だしな…。
(福井の方、ごめんなさい)
じつは彼のことは、以前「各地のラッパーと巡るインドの旅」という記事でも触れたことがあるのだが、まあ覚えている人はいないでしょう。
長いこと温めて書いた記事だったのに、1つも「いいね」がつかなかったから(泣)。
自分で言うのもなんだけど、なかなか面白い記事だったと思うので、興味のある方はぜひご一読を。
彼は、福井新聞では「インドで5本の指に入るラッパー」として紹介され、このブログでも取り上げた人気ラッパーのBrodha Vに「インドのトップ3に入るラッパー」として名を挙げられるほどの(ちなみに他の2人はDIVINEとNaezy)実力派ラッパー。
Big Dealはインド東部のオディシャ州はプリーという街(コルカタから夜行列車で南に一晩くらいの場所)の出身で、インド人の父と日本人の母との間に生まれた。
(だから福井新聞に取り上げられてたんだね)
まず紹介したいのは、以前の記事でも取り上げた、オディア(オディシャ人)としての誇りをラップしたこの曲。"Mu Heli Odia"
オディシャ州はとりたてて大きな都市があるわけでもなく、どちらかというと鄙びたところではあるのだが、だからこそというか、「俺はオディアだ!」というプライドを全面に出した曲になっている。
ちなみにこの曲はインドで(っていうか世界で)最初のオディア語ラップでもあるという。
この曲は、全体を通してオディシャ州の文化への賛歌になっているんだが、冒頭で
「俺のことをコリアンだと思うかもしれないけど、親父はヒンドゥー、Odia Japさ。この2つをミックスして、今じゃ俺みたいな奴は誰もいないのさ」
というリリックが出てくる。
自分のルーツをラップしたよくあるリリックのようだけど、次の曲を聴けば、もっと深い意味があることが分かるだろう。
そして、彼の「俺はオディシャ人だ」という言葉の重みにも気がつくはずだ。
彼はプリーで生まれ育ったのち、13歳からはウエストベンガル州北部のダージリン(コルカタからプリーとは逆方向の北に列車で一晩)の寄宿舎学校(男子校)に通った。
その後、進学のために向かった南インド・カルナータカ州のバンガロールでラッパーになり、今もバンガロールを拠点に活躍している。
(地図、載っけときます)

その半生をラップした曲がこの"One Kid"だ。
よりインド色の強いトラックではあるけれども、さっきのオディア語とはうって変わって、切れ味の良い英語のラップがとても印象的。
リリックの冒頭はこんな感じで始まる(リリック全体はこちらからどうぞ)
Growing up in Puri, I felt so confused プリーで育った小さい頃、俺はとても混乱していた
Why do I look like no one else in the school? どうして俺は学校の他のみんなと違うのか
I mean I got small eyes, also a flat nose 小さな目に低い鼻のことさ
Which is why all guys happened to crack jokes そのせいでみんなは俺をからかった
Even the teachers treated me like a foreigner 先生まで俺を外国人のように扱った
While all I ever wanted to be was an Oriya 俺はただただオディシャ人になりたかった
以前取り上げた北東部トリプラ州出身のBorkung Hrankhawlもラップしていたように、典型的なインド人の外見でないことに対する差別というのは結構根深いものがあるのだろう。
典型的なインド人であれば、マイノリティーであってもコミュニティーや居場所があるけれど、インドの外部や周縁部からやって来た人には所属すべき場がない。
だが、彼は家族や叔父、叔母の愛情を感じ、死ぬまで彼らをレペゼンしてラップし続けると宣言する。
というのがヴァース1の内容。
続くヴァース2は13歳から通っているダージリンでの男子校生活について。
ひょっとしたら、インド北東部のダージリンの学校に通ったのも、同じように東アジア系の見た目の生徒たちが多数いるということが関係しているのかもしれない。
だが、ここでも遠く離れたオディシャからきた彼は、からかいやいじめの対象になる。
辛い4年間の学園生活の中で、彼はエミネムのラップに出会い、ラッパーになるという夢を見つける。
「あのころファックユーって言ってきた同じ奴が今じゃ『Big Deal、尊敬してるよ』だってよ」というのがこのヴァースのクライマックスだ。
ヴァース3の舞台はインド南部カルナータカ州の大都市、バンガロール。
ITを学びにこの街に出て来て、学問を修めることができたが、彼は安定して稼げる道よりもラッパーになるという夢を選ぶ。
就職すれば金持ちになれる。だがラッパーになれる望みは皿の上のドーサより薄い。

(ドーサ)
それでも彼は自分の夢に忠実に生きることを選んだ。
最後のラインでBig Dealはこうラップする。
「君たちをエンターテインするためだけにラップしてるわけじゃない。君たちのマインドを鍛えて、道のりを変えたいんだ。さあ、キッズたち、俺たちには証明しなきゃならないことがある。父さん母さん、俺は夢を叶えたよ」
この曲が収録されたアルバムタイトルは「One Kid with a Dream」
BKに勝るとも劣らないポジティブなメッセージの1曲だ。
彼のことを取り上げた福井新聞の記事でも、彼は自らの半生を語っている。
その記事にも取り上げられているお母さんの故郷、福井への愛をラップした曲がこちら。
シリアスな曲のあとで、このまったり感。
すごい落差で申し訳ない。
トラックはちょっと「和」な感じを意識しているのだろうか。
この曲も、お母さんの故郷へのリスペクトって意味で、シリアスにやっているんだと思うが、田園地帯、恐竜(福井は化石が発掘されたことで有名)、和食、日本酒、親戚のおじさん達と英語のラップとのミスマッチがなんとも。
鄙びてるってことで言えば、インドの中のオディシャと日本の中の福井って、ちょうど同じくらいのような気がしないでもない
最後のパートで、おそらくはオディア語でラップしたのと同じような動機で、日本語で「福井 イイトコ イチドハオイデ(中略)福井ダイスキ」とラップしているのだが、それがまたいい感じの朴訥感だ。
(オディシャ・ラップのさらなる朴訥の世界というのがあるのだが、それはまたいずれ)
この福井新聞のインタビューだと、もう完全に地元の観光大使って感じで、もはやヒップホップのルードボーイっぽさはゼロなのだけど、この素朴な「真っ直ぐさ」が彼の大きな魅力の一つでもあるように思う。
ちなみに彼のお母さんは「モハンティ三千江」という名前で活躍している小説家でもある。
いつか彼女の小説もブログで取り上げてみたいと思っています。
最新の曲はオディア語でお母さんのことを取り上げた曲、"Bou".
こういう曲をやられちゃあ、お母さんうれしいだろうね。
彼は英語だけでなくヒンディーでラップすることもあるけど、やっぱりこの曲にはオディア語の素朴な響きが合っていて、とても素敵に感じられる。
エミネムみたいなアーティストに影響を受けつつも、結果的に家族愛みたいな普遍的な価値観に表現が落ち着くあたり、やっぱり育ちの良さなんだろうなあ。
彼のご両親はプリーで「Love&Life」という名前のホテルを経営していて、この宿はアタクシが20年以上前にプリーを訪れた時にもあったのをなんとなく覚えている。
結局その時は別の宿に宿泊したのだけど、もしLove&Lifeに泊まったら、小さいころのBig Dealに会うことが出来ていたかもしれない。
今回はこのへんで!








