2024年03月05日
どこにでもラッパーがいるインド 地方都市のヒップホップシーン(北インド編)
このブログでは「2019年の映画『ガリーボーイ』以降、インドのヒップホップシーンは急速に成長している」 なんてことをしょっちゅう書いているのだけれど、自分でも気になっているのが、取り上げているラッパーが大都市に偏っているということ。
いつも紹介しているのはムンバイとデリーのラッパーがほとんどで、他にはベンガルール、コルカタと、あとチェンナイが少々。
いわゆるインド5大都市というやつだ。
確かに大都市のラッパーは洗練されているし、またムンバイやデリーあたりだとメディアの注目度も高いので、インドのシーンをチェックしていて目につきやすい。
上記の5大都市はそれぞれ公用語も違うので、このへんを押さえておけば多様性の観点からもオッケー!と思ってしまいがちなのだが、当然ながら5大都市だけがインドではない。
現在のインドでは、こうした大都市でなくても、どこにでもラッパーがいる。
YouTubeで、英語で「インドの都市名(スペース)rapper」で検索すると、人口規模100位くらいまでの街であれば確実にラッパーを見つけることができるし、もっと下位の都市でも、下手だろうがダサかろうが、ほとんどの街でラッパーがアップしたローカル感満載のミュージックビデオを見つけることができる。
というわけで、今回はインド国内でも地元以外ではほとんど注目されていない、地方都市のラッパーを特集してみたい。
調べてみる前は、あか抜けない曲をたくさん紹介することになるのだろうなあと思っていたのだが、意外にもかなりかっこいいラッパーがたくさんいて、インドのヒップホップの全国的な発展を思い知らされることになった。
(「いや全然あか抜けてないじゃん」と思う人もいるかもしれないが、インドの田舎町のラッパーをチェックしまくった後だと、今回紹介するラッパーは十分にかっこいい部類に入る。念の為)
今回は、アーティスト名と曲名に加えて、都市名と州の名前も書いておくので、興味がある人は地図でチェックしてみてください。
Hukeykaran "Slangs feat. JAACKYA" (Surat, Gujarat)
まずはインド西部グジャラート州第二の都市、スーラトから。
グジャラート州はインドの国父とされるマハトマ・ガンディーのルーツでもあり、土地柄なのか宗教的な理由なのか、飲酒が禁止されているという保守的な州だ。
最近は州都アーメダーバードからはDhanjiという突然変異的な才能が登場したものの、あまりヒップホップがさかんな印象はない。
(Dhanjiについてはいずれ個別に記事を書くつもり)
そんなグジャラートの第二の都市スーラトにも、ちゃんとかっこいいラッパーがいた。
このHukeykaran(読み方分からない)というラッパー、いかにもインドっぽいタブラの音を使ったビートに乗せて、21世紀の世界標準とも言える3連のラップから始まって、なかなか小粋で多彩なフロウを披露している。
フィーチャリングされているJaackya(彼もまた読み方分からない)も雰囲気のあるラッパーで、2:09あたりで、画面にルピーの記号が出るタイミングでGhandi Ji(ガンディーさん)と言っているのは、紙幣に印刷されたガンディーの肖像から転じてカネという意味だろう。
日本語ラップでユキチと言うのと同様だ。
ミッキーマウスのスウェットにゴールドのチェーンというセンスもなかなかに最高だと思うが、いかがだろうか。
かっこいいかどうかということではなくて、このなんとも言えないリアルさがたまらない。
次の街は、スーラトから南東に200キロに位置するマハーラーシュートラ州のナーシク。
ナーシクは、同州の州都であるインド最大の都市ムンバイや、MC STANを輩出しセンスの良いロックバンドも多い学園都市プネーと比べると目立たない街だが、地味な街にも結構いい感じのラッパーがいるというのが今のインドのリアルである。
Tezzz Music "MH 15 Firse (Nashik City)"
最近あまり見なくなった『ガリーボーイ』っぽい雰囲気のミュージックビデオで、伝統楽器の大太鼓ドールや子どもたちがたくさん出てくるところが微笑ましい。
このTezzz Music、ラップは結構上手いし、彼もまた伝統楽器のリズムをビートに導入しているところが良い。
インドのラッパーやビートメーカーは、ルーツやコミュニティをレペゼンするときに自分たちの伝統を引用しているところが素敵だなあといつも思う。
仲間たちと踊るシーンは結果的にインドの田舎版『チーム友達』みたいに見えなくもない。
タイトルの'MH15は'ナーシクの郵便番号。
USや日本のラップでも市外局番で街を表すことがあるが(Ozrosaurusの'045'とか)、それと同じノリだろう。
インドではムンバイのNaezyやMC Altafが自分が暮らすエリアのピンコード(郵便番号)を曲名に使っており、またラージャスターン州ジョードプルには街のコードをユニット名に冠したJ19 Squadというグループもいる。
今度はナーシクからさらに東北東に600キロ、インドのほぼど真ん中に位置する街ナーグプルにもこんなに今っぽいラッパーがいた。
SLUG "BADSHA"
ナーグプルはマハーラーシュトラ州東部に位置し、被差別階級からインドの初代法務大臣にまで登りつめたアンベードカル博士が、同胞のダリット(いわゆる「不可触民」とされる人々)たちとともにヒンドゥーから仏教徒へと集団改修したことでも知られる街だ。
ご覧の通り、このSLUGというラッパーはマンブルラッパー的な痩せ型の短めのドレッドロックス。
世界的な視点で見れば彼のスタイルはとくに目新しくないが、マッチョ風なラッパーが多いインドのヒップホップシーンではまだまだ新鮮だ。
あまり華やかなイメージのないナーグプルに彼のようなスタイルのラッパーがいるとは思わなかった。
彼は間違いなくプネーのMC STANの影響下にありそうだ。
この曲もビートにタブラの音が使われているところがポイント高い。
タイトルの"BADSHA"は、おそらくデリーの人気ラッパーBadshahとは関係なく、ペルシア語由来の「皇帝」を表す言葉だろう。
今度はナーグプルからぐーっと北に1200キロほど上ったところにある、ウッタラカンド州の州都デラドゥン(でヘラードゥン)のラッパーを紹介したい。
MOB D "Motorcycle"
デラドゥンはヒマラヤ山脈の麓に位置する標高約450mの街で、全寮制の名門男子校ドゥーン・スクールがあることでも知られている。
60年代には、近郊のリシケーシュに滞在していたビートルズのメンバーがこの街の楽器店を訪れたこともあったという。
そういったエピソードはともかく、実際のデラドゥンは山あいの鄙びた街といった印象である。
その鄙びた街でオートチューンを効かせまくったラップをやっているのがこのMOB D.
「俺はバイクに乗るぜ、車はいらない」というどうでもいいリリックは、「こういう曲はこういう歌詞でいいんだろ」みたいな適当な雰囲気だが、彼の場合それがけっこうサマになっているんじゃないでしょうか。
こういうタイプのヒップホップがナーグプルやデラドゥンでも受け入れられていると思うとなかなか感慨深い。
だいぶ北のほうに来てしまったので、そこから南東に600キロほど下ってみよう。
もはや地図なしで読んでいる人は自分がインドのどのへんにいるのか分からないと思うが、ここは北インド内陸部の真ん中あたり、ウッタルプラデーシュ州のカーンプルという工業都市である。
ちょうどさっきのナーグプルから700キロほど北に位置する街だ。
Aryan & Iniko "Ain't Nobody Here"
ウッタルプラデーシュ州は前回の記事で書いたヒンドゥー右派テクノ「バクティ・ヴァイブレーション」発祥の地で、人口こそ多いエリアではあるものの、比較的貧しい農村地帯が広がっているというイメージが強い地域である。
カーンプルはいちおうインドのスマートシティランキングなるもので11位にランクインしているそうなのだが、ミュージックビデオを見る限り、典型的な地方都市といった感じで、日本でいう田舎の県庁所在地みたいな街のようだ。
このAryan & Inikoという長髪のラッパー2人組の、いかにも地方都市の不良という雰囲気がたまらない。
盗んだ金を持ち込んでパーティーしている郊外の空き家っぽい場所なんて、すごくリアリティがある。
今っぽい雰囲気のラップも上手いし、カーンプルではめちゃくちゃイケてる兄ちゃんたちなのだろう。
彼らがスプレーで壁に書いているUP78というのはカーンプルのピンコード(郵便番号)。
インドのラッパー、みんな郵便番号大好きだな。
なにも自分の街に自分の街の郵便番号を書かなくてもいいと思うんだけど。
何のためのタギングなんだ。
今度は広大なウッタルプラデーシュ州の東側、ジャールカンド州のジャムシェドプルという街のラッパーを紹介したい。
Abhishek Roy "Bojh Bada"
ジャールカンド州は北インドにアーリア人が来る前(つまり紀元前1000年頃?より前)から住んでいた先住民族が多い地域で、近隣のビハール州と並んで、インドのなかでもとくに貧しい田舎の地域という印象を持たれがちなエリアだ。
州都ラーンチーにはTre Essという突然変異的な才能のラッパーがいるものの、正直ヒップホップが盛んな印象はない。
ところが、同州南東部のジャムシェドプルという街は、どうやらヒップホップシーンがかなり発展しているようなのである。
調べてみると、この街の近くには炭田と鉄鉱山があり、街の中にはインド最大ともされる鉄工所があるそうで、人口では州都のラーンチーを上回っているという。
炭鉱と製鉄の街と聞いて、なんとなく荒っぽいイメージを抱いていたのだが、ジャムシェドプルは2019年にインドで最も清潔な都市に選ばれたことがあるそうで、意外と、と言っては失礼だが、けっこう洗練された文化があるのかもしれない。
ちなみにジャムシェドプルという街の名前は、製鉄所を経営しているターター財閥の創始者に由来しているという。
この街のラッパーAbhishek Royは、ラップに自信が満ち溢れていて、余裕綽々って感じなのがかっこいい。
それにしても、クリケットの国インドで、なぜ野球のバットを持っているのか謎である。
ジャムシェドプルを中心にしたラッパーたちによるサイファーがこちら。
Rapper Blaze, Abhishek Roy, Shinigxmi, Arun Ydv, Dzire, Mr.Tribe, Gravity, Rapture, Raajmusic "Johar Cypher" Prod. By Fuzoren Beats
続けて聴くとさすがにちょっと飽きるが、この伝統音楽っぽいビートが非常にかっこいい。
コルカタやムンバイのラッパーも参加しており、この街のシーンは北インドの他の地域のラッパーたちとも交流があるようだ。
最後に、「インドのロックの首都」とも言われるメガラヤ州の州都シロンのフィメールラッパーを紹介したい。
クリスチャンが多いインド北東部は、辺境地帯ではあるものの、そのためかロックをはじめとする西洋のポピュラー音楽の受容が早かった地域である。
先日シロンでパフォーマンスを行ったムンバイのHirokoさんから教えてもらったこのRebleというラッパーが、めちゃくちゃかっこよかった。
Reble "Opening Act"
まだ20歳そこそこらしいが、8歳頃からラップしていたという筋金入り。
インド北東部は少数民族が数多く暮らしており、そのためか英語で楽曲をリリースするアーティストが多く、その英語のラップや歌唱がまた非常にこなれている。
彼女は本国・ディアスポラを問わずインド系の才能あるアーティストを紹介しているロンドンのKamani Recordsというレーベルと契約しているようで、今後の活躍が期待されるアーティストの一人だ。
この"Opening Act"はジャールカンド州ラーンチーのTre Essによるプロデュースで、地方都市同士のコラボレーションに胸が熱くなる。
同郷のシロン出身の男性ラッパーDappestとのコラボレーションもなかなかかっこいい。
Reble x Dappest "Manifest"
もうずいぶん長い記事になってしまったので、今回はこのへんにして、次回は南インド編を紹介したい。
それにしても、日本とかアメリカでもそうだけど、地方出身のラッパーってなぜかそれだけで3割増しくらいにかっこよく見えてしまうのはなぜだろうね。
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2024年02月26日
インドの田舎の謎ジャンル ヒンドゥーナショナリズム的エレクトロニック音楽 Bhakti Vibrationとは何か? (そしてムスリムたちによるMiya Bhai Electronica)
前回、農業を主な産業とする北インドの後進地域で、謎のハードコア・テクノ的音楽が流行していることを取り上げた。
まるでインドの田舎のルサンチマンを煮詰めてぶちまけたような、ノイジーでヘヴィで速くて激しいビートに、しばしばヒンドゥー教のモチーフが引用された超ユニークな音楽が、クラブすらもほとんどなさそうな地方で人気を得ているらしい。
と、ここまではめちゃくちゃ面白い話なのだが、じつはこの田舎ハードコアテクノ、かなりデリケートな要素を含んでいる可能性があり、あまり手放しで礼賛できない部分がある。
このジャンルには、どうやらヒンドゥー・ナショナリズム的な、つまり、ムスリムやクリスチャンといったインドの外で生まれた宗教を排斥しようという思想と結びついている部分があるかもしれないのだ。
「あるかもしれない」という曖昧な書き方をしたのは、CNNでそういった報道がされているものの、実際、どれくらい排外主義がこの地域のシーンに蔓延しているのかは、正直、ちょっと分からないからだ。
記事によると、ヒンドゥーナショナリズム的なクラブミュージックは、バクティ・ヴァイブレーション(Bhakti Viberation)と呼ばれているらしい。
「バクティ」とは、ヒンドゥー教で神への絶対的な帰依を表す言葉だが、バクティ・ヴァイブレーションの曲では、この「バクティ」をテーマにした宗教歌や、モディ首相らヒンドゥー・ナショナリズム的とされる政治家の演説、ムスリムへの排外主義的な主張などがミックスされているという。
そういえば、以前ブログで取り上げたドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』にも、ウッタル・プラデーシュ州の田舎町で、ヒンドゥー至上主義者の貧しい若者たちが、宗教パレードでDJに合わせて踊りまくるシーンが出てきた。
あれもバクティ・ヴァイブレーションだったのだろうか?
とはいえ、このCNNの記事以外、バクティ・ヴァイブレーションに関する記述は見られず、結局のところ実態はよく分からない。
記事に挙げられているDJの音源を聴く限り、確かにヒンドゥーモチーフの曲が多いようである。
まず記事に書かれていたDJ Sandeepについて調べてみたのだが、Sandeepという名前は珍しくないので、同名のYouTubeチャンネルが多数存在していて、結局どれが記事で触れられている人なのかは分からなかった。
驚いたのは、かなりの数のSandeepという名前のDJが、ヒンドゥーの神々をモチーフにしたミックスをアップロードしていたということ。これは宗教歌にシンプルに低音を足しているタイプのSandeep.
こちらはまた別のDJ SandeepであるSandeep Kumar.
このSandeepは伝統的な宗教歌っぽい曲に、エレクトロニックポップ的なコード進行をミックスしている。
スペル違いのDJ Sandipは、やはりシンプルだが、いちばんハードコア的というか、激しいスタイルだ。
こちらも記事に名前のあったウッタルプラデーシュ州のイラーハーバード(改名され現在の名前はプラヤグラージ)のDJ Deepuによるハヌマーン神をテーマにしたバクティ・ヴァイブレーション・ミックス。
ハヌマーンは叙事詩ラーマーヤナに出てくる猿の姿をした神で、ヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子への献身で知られ、ヒンドゥー教の守護や、信仰への絶対的な帰依の象徴としての意味も持つ(そのため、ヒンドゥーナショナリズム的な文脈で扱われることも多い)。
聴いてもらって分かる通り、バクティ・ヴァイブレーションの曲の多くは、音楽的なクオリティとしては、インドでも耳の肥えた(そしてあまり信心深くない)都市部のリスナーを踊らせるにはちょっと厳しいかな、というものが多い。
じっさい、DJ SandeepやDJ DeepuのYouTube再生回数は1万回に満たない。
率直に言って、これで盛り上がるには信仰心でよほど気持ちをブーストする必要があるのではないだろうか。
それだけに、CNNの記者はよく彼らを見つけてきたな、と思うし、逆に、もし無名なDJたちが作る音楽を深刻な社会問題のように報じているのだとしたら、少々過剰反応なような気がしなくもない。
(とはいえ、現象として報道に値するものだとは思うが)
今ひとつ実態の分からないバクティ・ヴァイブレーションだが、なかにはそれなりに人気のあるDJもいるようで、やはりCNNの記事に名前のあったDJ Luckyのガネーシャ神を讃えるこのミックスは27万回再生。
比較的人気なだけあって、たたみかけるパーカッシブなビートは他のDJよりも完成度が高いが、再生回数を見る限り、最近ではYouTubeで数百万回、数千万回再生されることも多いインドのインディーミュージック(メインストリームである映画音楽にくらべてオルタナティブなジャンル)と比べても、その人気はかなり限定的だと言えそうだ。
ヒンドゥー教モチーフの曲をプレイしているという共通点はあるものの、前回紹介したTapas MTのようなDJが、CNNが報道したバクティ・ヴァイブレーションと同じシーンに属しているのかという点もよく分からない。
言うまでもなく、排他的ではない純粋なヒンドゥーの信仰心は守られるべきだし、彼らが宗教的な音楽と現代的なダンスミュージックと融合したとしても、誰にも責められるべきものではない。
ヒンドゥー教の神さまやお祭りをモチーフにしたダンスミュージックが、他宗教を排撃するニュアンスを持っているのか、純粋な信仰心を表現したものなのか、それとも単なるパーティーミュージックなのかは我々には知りようがないし、もしかしたらそれはDJ側ではなく、聴く側の立場や信条に委ねられているのかもしれない。
CNNの記事によると、バクティ・ヴァイブレーションのDJたちは、自身がナショナリズム的な思想を持っているというわけではなく、単にオーディエンスが喜ぶ曲を作っているだけで、憎悪を助長する意図はないのだという。
おそらくだが、バクティ・ヴァイブレーションと排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの関係は、ヒップホップとミソジニーやホモフォビアとか、Oiパンクとナショナリズムみたいな関係なのだろう。
マイノリティの音楽として生まれたヒップホップには、女性や男性同性愛者を蔑視してきたという負の側面もあったし、労働者階級の反抗の音楽だったOiパンクには、白人至上主義やナチズムとの関わりを指摘されるバンドもいた。
驚いたのは、かなりの数のSandeepという名前のDJが、ヒンドゥーの神々をモチーフにしたミックスをアップロードしていたということ。これは宗教歌にシンプルに低音を足しているタイプのSandeep.
こちらはまた別のDJ SandeepであるSandeep Kumar.
このSandeepは伝統的な宗教歌っぽい曲に、エレクトロニックポップ的なコード進行をミックスしている。
スペル違いのDJ Sandipは、やはりシンプルだが、いちばんハードコア的というか、激しいスタイルだ。
こちらも記事に名前のあったウッタルプラデーシュ州のイラーハーバード(改名され現在の名前はプラヤグラージ)のDJ Deepuによるハヌマーン神をテーマにしたバクティ・ヴァイブレーション・ミックス。
ハヌマーンは叙事詩ラーマーヤナに出てくる猿の姿をした神で、ヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子への献身で知られ、ヒンドゥー教の守護や、信仰への絶対的な帰依の象徴としての意味も持つ(そのため、ヒンドゥーナショナリズム的な文脈で扱われることも多い)。
聴いてもらって分かる通り、バクティ・ヴァイブレーションの曲の多くは、音楽的なクオリティとしては、インドでも耳の肥えた(そしてあまり信心深くない)都市部のリスナーを踊らせるにはちょっと厳しいかな、というものが多い。
じっさい、DJ SandeepやDJ DeepuのYouTube再生回数は1万回に満たない。
率直に言って、これで盛り上がるには信仰心でよほど気持ちをブーストする必要があるのではないだろうか。
それだけに、CNNの記者はよく彼らを見つけてきたな、と思うし、逆に、もし無名なDJたちが作る音楽を深刻な社会問題のように報じているのだとしたら、少々過剰反応なような気がしなくもない。
(とはいえ、現象として報道に値するものだとは思うが)
今ひとつ実態の分からないバクティ・ヴァイブレーションだが、なかにはそれなりに人気のあるDJもいるようで、やはりCNNの記事に名前のあったDJ Luckyのガネーシャ神を讃えるこのミックスは27万回再生。
比較的人気なだけあって、たたみかけるパーカッシブなビートは他のDJよりも完成度が高いが、再生回数を見る限り、最近ではYouTubeで数百万回、数千万回再生されることも多いインドのインディーミュージック(メインストリームである映画音楽にくらべてオルタナティブなジャンル)と比べても、その人気はかなり限定的だと言えそうだ。
ヒンドゥー教モチーフの曲をプレイしているという共通点はあるものの、前回紹介したTapas MTのようなDJが、CNNが報道したバクティ・ヴァイブレーションと同じシーンに属しているのかという点もよく分からない。
言うまでもなく、排他的ではない純粋なヒンドゥーの信仰心は守られるべきだし、彼らが宗教的な音楽と現代的なダンスミュージックと融合したとしても、誰にも責められるべきものではない。
ヒンドゥー教の神さまやお祭りをモチーフにしたダンスミュージックが、他宗教を排撃するニュアンスを持っているのか、純粋な信仰心を表現したものなのか、それとも単なるパーティーミュージックなのかは我々には知りようがないし、もしかしたらそれはDJ側ではなく、聴く側の立場や信条に委ねられているのかもしれない。
CNNの記事によると、バクティ・ヴァイブレーションのDJたちは、自身がナショナリズム的な思想を持っているというわけではなく、単にオーディエンスが喜ぶ曲を作っているだけで、憎悪を助長する意図はないのだという。
おそらくだが、バクティ・ヴァイブレーションと排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの関係は、ヒップホップとミソジニーやホモフォビアとか、Oiパンクとナショナリズムみたいな関係なのだろう。
マイノリティの音楽として生まれたヒップホップには、女性や男性同性愛者を蔑視してきたという負の側面もあったし、労働者階級の反抗の音楽だったOiパンクには、白人至上主義やナチズムとの関わりを指摘されるバンドもいた。
もちろんシーンにはそういう姿勢と距離を置いたり、明確に批判するアーティストもいたわけだが、なんとなく「このジャンルならそういうアティテュードも仕方ない」という空気感があったのもまた事実。
バクティ・ヴァイブレーションの場合も、表現者にもリスナーにも、マジの差別主義者もいれば、たいして考えずに、スタイルとして、あるいはイキがって、なかば無自覚に差別主義的な表現をしている連中もいるんじゃないか、というのが私の見立てだ。
バクティ・ヴァイブレーションの思想には全く賛同できないが、ムーブメントとして見たときに、必然性のあるものなのだろうなあと思う。
「持たざるものたち」がインテリの理想主義や洗練されたセンスでは掬いきれない感情や衝動を抱えるのは当然だし、前述のヒップホップやOiパンクの例のように、その矛先がさらに弱いものに向いたり、属性への陳腐なプライドに転化することだって珍しくはない。
それでも、音楽が差別の道具に使われているのを見るのはいやなものだ。
音楽は、信仰や出自に関係なく抑圧に立ちうかうための手段になってこそ、その存在意義があると思うのだが、きっとこういう理想論とは違うリアリティが現地には存在しているのだろう。
ご存じの通り、ヒップホップシーンは、その後フィメール・ラッパーたちや「コンシャス」なラッパーたちによって内側から改善されていった。
パンクロックも一部のバカ以外は基本的にはリベラルな考えに基づいている。
この北インドの田舎のエレクトロニック音楽シーンも、より穏当な形に変わってゆくことができるのだろうか。
CNNの記事で面白かったのが、ヒンドゥー・ナショナリズム的なバクティ・ヴァイブレーションだけでなく、イスラーム至上主義的なミヤ・バイ・エレクトロニカ(Miya Bhai Electronica)というジャンルもあるということ。
専門家が言うには「どちらも非常に危険」なものの、ミヤ・バイ・エレクトロニカのシーンは、ヒンドゥー教徒に比べてムスリムがマイノリティであるため、さらに小さいものになるらしい。
ちなみに'Miya Bhai'は南アジアのムスリムたちに幅広く使われているウルドゥー語(ヒンディー語と非常に近い言語だが、文字や語彙が異なる)で「ムスリムのブラザーたち」といった意味の言葉だ。
試しにミヤ・バイ・エレクトロニカの代表例とされる音楽を聴いてみたが、何だよ、バクティ・ヴァイブレーションとほとんど変わらないじゃないか。
だったらお前ら仲良くやったらどうなんだ、というのは、やっぱり距離的にも文化的にも遠い日本にいるから思えることなんだろうなあ。
今回紹介したような音楽は、都市部のリベラルなミュージシャンたちにとっては「こんなのをインドの音楽として記事にするのはやめてくれ」と言いたくなるようなものかもしれない。
だが、これはこれでやっぱりインドのリアルなのであって、超傍流かもしれないが、確かに存在している音楽なのだ。
最後に、いくつか収集したバクティ・ヴァイブレーションとミヤ・バイ・エレクトロニカと思われる音源を貼っておきます。
どっちがどっちか、分かるかな?
こうしてヒンドゥーあるいはイスラームに関連したインドの田舎ハードコアテクノを掘ってみて思ったのは、やはりほとんどのDJたちは、宗教感情はあくまでもリスナーを盛り上げるためのスパイスとして使っているに過ぎなくて、あくまでも彼らの目的は、ノリのいい音楽を作るということなんじゃないか、ということ。
彼らがYouTubeチャンネルで公開している曲をみる限り、そこまで思想の一貫性がなさそうだったり、宗教感情とはかけ離れたナンパな感じの曲をやっていたりもするからだ。
まあでも、そういう日常的な感情と排他的な宗教感情というのは容易に両立するものだから、実際のところはどうなのか、本当によく分からない。
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2024年02月20日
インド農村部で突如発生したヒンドゥー・ハードコア・テクノとDJ Competitionという謎カルチャー
インドでは都市部の若者を中心にEDMなどのダンスミュージックの人気が高く、ゴアでは毎年、アジア最大とも世界で3番目の規模とも言われるSunburn Festivalというフェスが行われている。
かつてはヒッピー系の外国人ツーリストたちによるレイヴパーティーのメッカだったゴアは、今ではインドの若者が集まる大規模フェスの街になった。
日本ではあまり知られていないインドの一面だが、インド人たちは総じて踊ることが大好きなので、ここ数十年の経済成長やグローバリゼーションを考えれば、この変化は当然と言えるだろう。
Sunburn Festivalの原型は、もちろん欧米発祥のUltraやTomorrowlandのようなフェスなわけで、結局インドの音楽シーンはミドルクラス趣味の欧米の模倣に収斂していくのかと思うとつまらない気もするのだが、インドはそんなに単純ではない。
楽園ゴアを離れて、農業を主産業とする北インドの後進地域に目を向けると、そこでは伝統音楽とハードコアテクノを悪魔合体させたような音楽が生まれ、流行しているようなのである。
以前『燃えあがる女性記者たち』について書いたときの繰り返しになってしまうのだが、こうしたジャンルに気づいたのはじつは結構前で、2021年11月28日に行われたSOI48のパーティーにオンライン出演したDJ Tapas MTを見た時だった。
DJ Tapas MTは西ベンガル州の小さな街プルリア(Purulia)出身の超ローカルなDJだ。(どうやって探してきたのか本当に謎)
この頃はまだコロナ禍の真っ最中で、パーティーはネットで同時配信されていた。
その日は進行がかなり押していたのだが、そのことを知らないインドのファンたちが「Tapas MTを早く出せ」というコメントを大量に書き込んでいて、途中から配信のコメント欄は異様な雰囲気になっていた。
それも、「早く出演させろ」というセンテンスを投稿するのではなく、ひたすら「DJ Tapas MT」と名前だけが打ち込まれていくのが不気味で、しまいには「このイベントはDJ Tapas MTの名前を騙った詐欺イベントだ」と書きこむ人まで出てくる始末。
インドの片田舎のローカルDJが、日本でそんな集客力あるわけがないのに、彼らは「オラが村のTapas MTは日本でも人気者に決まってる」と思っていたのだろう。
インドの田舎には、面白いシーンがあるのだなあと思ったものだが、ネット上で調べても、こうしたジャンルを扱った記事はまったくヒットしない。
ただ、YouTube上にはそれなりの数の動画が上げられていて、またパーティー(というか祭)の様子を見る限り、相当盛り上がっているようである。
インドの田舎で、いったい何が起きているのだろうか。
Tapas MTがYouTubeに挙げている動画の一例を紹介してみる。
Jai Bholenath Competition Dj Sarzen 2024
DJ SarzenというのはTapas MTが所属しているDJクルーの名前らしい。
Jai Bolenathというのはシヴァ神を讃える言葉だが、その後にCompetitionとあるのは、この地域では、レゲエのサウンドクラッシュみたいにDJ同士がプレイで対決するというカルチャーがあるようで、そのための音源ということのようだ。
調べた限りでは、このDJコンペティションは、ウッタル・プラデーシュ州からジャールカンド、ビハール、オディシャ、西ベンガル州西部あたり(つまりインド北部から東側にかけて)で盛んなようで、インド中部にも若干見られ、南インドにはさほど存在していないようだ。
(インドの地図はこちらからどうぞ)
こちらはDJ Tapas MTが在籍するDJ SarzenとHappy DJなるグループ(個人?)のコンペティションの様子。
B2Bみたいな形式なのか、どうやって対決しているのかまったく分からないが、北インドの田舎は90年代のロッテルダムなのか?と思わせる、重くて激しくて品のないハードコアテクノ風の音像がすごい。
こちらはオディシャ州のDJコンペティションの様子。
激しいのは音だけじゃなくて、照明もとにかく下世話な派手さを追求、さらにサウンドシステムはデコトラとも融合している!(紙吹雪も舞う)
センスの良さなんかいっさい追求せず、アドレナリンを喚起する要素だけをひたすら増しまくったスタイルには感動すら覚える。
こっちは西のほう、マハーラーシュートラ州プネーで行われたコンペティションの様子(音楽が本格的に始まるのは2:40過ぎから)。
今度はド派手な照明だけじゃなくて花火も登場!
そして音はもうほとんどノイズ!
プネーはEasy Wanderlingsとかセンスのいいバンドも多いし、もっと垢抜けた街だと思っていたけど、この動画で私のプネー観が崩れました。
インドで最も貧しい州とされるビハール州でのDJ Competitionの様子。
ラッパ型のスピーカー(ただの飾り?)が大量についたサウンドシステムがイカす。
NH7 WeekenderとかVH1 Supersonicみたいな大規模フェスとは縁がない土地だが、それでもこの盛り上がりっぷり。
この動画は直接リンクができなくなっているが、東インドのベンガル語圏のどこからしい。
こちらはまったく盛り上がっていないが、これはこれで逆にリアルでまた良い。
再びDJ Tapas MTに戻って、こちらは女神サラスヴァティのお祭りでのDJの様子。
女神のお祭りだから女性が前の方に集まって踊っているが、画面のいちばん右手、スピーカーの目の前で、歪んだベースに合わせてばあさんも踊っているのが最高!
サラスヴァティは日本に伝わってきて七福神の弁財天になった女神だが、日本で弁天様のお祭りでこういう音を鳴らそうっていう発想はまず出ないし、やったらたぶんめちゃくちゃ怒られる。
伝統的な行事の祝祭的狂騒が、時代に合わせてちゃんとアップデートされているのが素晴らしいではないか。
この手のインディアン田舎ハードコアテクノは、ヒンドゥー教の神様やお祭りと結びつくことも多いようで、こちらはガネーシャ神のお祭りにあわせたコンペティション用音源らしい。
途中でガネーシャ(別名のGanapatiで呼ばれている)を讃える子どもの声が入ったり、伝統楽器をノイズ風に使ったり、謎の長いブレイクが入ったりするところが、よく分からないが味わい深い。
スタジオ録音を聴くと、ライブで音が歪みまくっているのはディストーションをかけているわけじゃなくて単にスピーカーの音が割れていただけということが分かる。
むしろ、ライブでは音が割れてナンボ、みたいな美学があるのだろう(単に許容量を超えたでかい音を出そうとしているだけの可能性もあるが)。
こう言ってはなんだが、めちゃくちゃ下世話で頭が悪そうな音なのに、結果的にそれがエクスペリメンタルでパンクで超オリジナルになっているのが最高に面白い。
欧米の模倣ではない、インドの大地から生まれた、スノッブさ皆無のリアルでタフな生活に密着した狂乱のリズムとノイズ。
しかし、そこには、もしかしたらインドならではの暗い影の部分があるのではないか、という話はまた次回。
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2024年02月11日
やっぱりバングラーラップ! Diljit Dosanjh, Karan Aujla他人気アーティスト特集
Sidhu Moose Walaの死からもうすぐ2年が経つ。
すでに何度も書いているのでここでは繰り返さないが、Sidhuはバングラーラップにリアルなギャングスタのアティテュードと本格的なヒップホップのビートを持ち込み、そして最期は対立するギャングの凶弾に倒れるという、まるで2Pacを地で行く生き様(そして死に様)を残した。
念のためあらためて触れておくと、バングラーはインド北西部の穀倉地帯パンジャーブ地方の音楽であり、コブシの効いた独特の歌い回しを特徴とする音楽だ。
パンジャーブは海外への移住者が多い地域であるという歴史的経緯もあり、バングラーは早くからラップと融合し、海外のディアスポラを含めた北インド系ポピュラー音楽シーンで高い人気を誇ってきた。
シーンに革命をもたらしたSidhuの死後も、バングラーラップシーンはさまざまな才能あふれるアーティストによって発展が続いている。
ここ日本では全く注目されることのないバングラーラップだが、パンジャーブ系移民の多いイギリスやカナダやオーストラリアではかなり高い人気を持っている。
例えば現在のシーンの第一人者Diljit Dosanjhは海外でアリーナクラスの会場をソールドアウトにして、コーチェラ・フェスティバルにも呼ばれるほどの集客と知名度を誇る。
まあ観客のほとんどは南アジア系だろうが、それにしてもこれだけ人気のあるジャンルが日本で全く知られていないのはもったいない。
Diljitが昨年リリースしたアルバム"Ghost"は現代バングラーの魅力がたっぷりつまっている。
同郷パンジャーブ出身のラッパー(バングタースタイルでない)Sultaanを起用した"Lalkaara"は、ビートのセンスやバングラー部分のコード/ベースの解釈など、随所に新世代のセンスを感じることができる。
Diljit Dosanjh "Lalkaara"
"Chandelier"や"Alive"などのヒット曲で知られるオーストラリアのシンガーSiaを起用した"Hass Hass"はぐっとポップな曲調。単調になりがちなバングラーだが、このスタイルの多様性こそが彼の魅力のひとつだ。
Diljit Dosanjh "Hass Hass" (Diljit X Sia)
かなりトラディショナルなビートを使っている曲もある。
ドール(両面太鼓)とトゥンビ(シンプルな高音フレーズを奏でる弦楽器)による典型的なバングラーのリズムだが、ヘヴィーなベースの入れ方に今っぽさを感じる"Case".
Diljith Dosanjh "Case"
パンジャービー・シクの美学が炸裂したミュージックビデオも最高。
近年バングラーラップに見られる特徴のひとつが、バングラー部分のフロウというかリズムの取り方に、かなりヒップホップ的なタメが効いたものになってきたということ。
以前紹介したShubh同様にヒップホップ的なフロウを聴かせてくれるのが、Karan Aujlaのこの曲。
Karan Aujla "Softly"
スーパーカーを前に踊る美女たちが、露出の多い格好でなくパンジャービー・ドレス姿なのが逆に小粋だ。
もちろんパンジャーブ生まれ(1997年生)のKaran Aujlaは、カナダに移住したのち、ソングライターとしてキャリアをスタートさせ、2018年の"Don't Worry"で注目を集めた。
数多くのシングルをリリースしたのち、2021年にリリースしたアルバム"Bacthafucup"はカナダやニュージーランドでもチャートに入っている。
彼は生前のSidhu Moose Walaとはビーフ関係にあって、お互いに曲を通じて攻撃し合っていたが(Sidhuの死には無関係)、Sidhuの死後に追悼曲"Maa"をリリースし、リスペクトの気持ちを表明した。
面白いのは、彼自身ソングライターでありながらも、ソロ作品には他のソングライターを起用していることで、この"Softly"はIkkyというアーティストの作品。
オランダの超有名DJ、Tiëstoによるリミックスも人気を集めている。
IkkyプロデュースによるKaran Aujlaの曲をもう少し紹介してみよう。
Karan Aujla "Try Me"
「車好き」はパンジャービー音楽のミュージックビデオの大きな特徴の一つで、ヒップホップとの親和性を感じさせる部分だが、街中で高級車を乗り回すのではなくサーキットが舞台というのは珍しい。
ていうかアルファロメオのF1チームが協力してるのってすごくない?
Karan Aujka "52 Bars"
Karan Aujlaのうしろでピアノを弾いているのがIkky.
こういうヒップホップっぽいビートのバングラーのフロウは、ダンスホールレゲエのフロウみたいに味わうと楽しめる。
もっと普通にいろんな音楽にフィーチャーされてもいいのになあと思うのだが、ネックになるのはやはり言語がパンジャービー語だということ(英語じゃない)だろうか。
カナダ出身のIkkyはパンジャービー音楽を刷新し続けている才能の一人で、SidhuやDiljit Dosanjh, Shubhなど、パンジャービーの大物の楽曲はプロデュース軒並みプロデュースした経験を持つ。
作風はルーツの要素を取り入れながらもヒップホップからポップまで幅広く、例えばエレクトロなビートにタブラのサウンドを導入したこの曲なんて相当かっこいいと思うのだけど。
Ikky "Ishk Hua(Love happened)"
前述のShubhはあいかわらずビートもミュージックビデオもタイトルも見事にヒップホップマナー。
逆にここまでヒップホップに寄せても歌い方とターバンはかたくなにパンジャービー・シクというところにルーツへの誇りを感じさせられる。
Shubh "Hood Anthem"
気になるのは、彼の現在の活動拠点はカナダのはずだが、フッド(地元)アンセムと言っているのにロケ地がカリフォルニア(LA?)っぽいこと。
彼のヒップホップ部分のスタイルがウェストコーストに影響を受けているからだろうか。
バングラー的ヒップホップという観点からはDef Jam IndiaからリリースされたラッパーFotty Sevenの曲も要注目だ。
この曲はビートがバングラー風でラップがヒップホップ風という、Shubhとは逆の方法論が面白い。
Fotty Seven "OK Report"
デリー郊外の新興都市グルガオン出身の彼は、KR$NAやBadshahらデリーのラッパーとの共演も多く、なぜか「荒城の月」をサンプリングしたこの曲も印象に残っている。
Fotty Seven Feat. Badshah "Boht Tej"
こちらの曲は、デリーのパンジャービーラップらしいエンタメ路線の演出も面白い。
Fotty Seven "Banjo"
ところで、インドでは大正琴がバンジョーとかブルブル・タラング(Bulbul Tarang)という名前で古典音楽にも使われているが、この曲のタイトルの"Banjo"も大正琴のことっぽい。
途中Fotty Sevenの後ろに大正琴を持った2人の男が出てくるが、おそらく海外のラップのミュージックビデオに大正琴が取り入れられた最初の例だろう。
曲のテーマは「人生で実質的な成果を何も達成していないにもかかわらず、自分が誰よりも優れていると考える高飛車な男」とのこと。
そういえば、さっきの曲でサンプリングされていた「荒城の月」も大正琴だったのかもしれない。
冒頭で触れたSidhu Moose Walaは、今でも未発表の音源がリリースされ続けている。
Sidhu Moose Wala, Mxrci, AR Paisley "Drippy"
あらためて聴くと、彼の天まで突き抜けてゆくようなヴォーカルはやはりバングラーシンガー/ラッパーの中でも唯一無二だったなあと感じさせられる。
最後に銃声の演出が入っているが、死すらもエンタメにするギャングスタラップ的な感覚はこの手のバングラーラップならではだ。
ちょっと驚いたのは、Sidhuの曲は、以前は英語のコメント(もしくは、ヒンディー語でもアルファベット表記)が多かったのが、久しぶりに見たらデーヴァナーガリー文字のヒンディー語やグルムキー文字のパンジャービー語ばかりになっていたということ。
さすがに死後2年近く経っても聴いているのはガチなローカル勢ばかりになってきたのだろうか。
トップコメントのヒンディー語をグーグル翻訳で英訳してみたところ、
Brother, after you left we forgot to be happy, but whenever your song comes, it becomes a festival for us. May God continue your progress.
「ブラザー、あなたがいなくなってから幸せになることを忘れてたけど、いつでもあなたの曲がリリースされると俺たちはフェスティバルみたいに感じるんだ。神があなたの進歩を続けてくれますように」
とのこと。
ファンの愛の深さにちょっと感動してしまった。
バングラーラップがヒップホップやエレクトロニックと融合してからずいぶん経つが、それでもこのジャンルはいまだに進化し続けている。
今後、どんな刺激的なサウンドが生まれてくるのか非常に楽しみだ。
日本でももうちょっと聴かれるようになるといいんだけどなあ。
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goshimasayama18 at 13:07|Permalink│Comments(0)
2024年02月06日
Indi-Popの時代! 90年代インドの音楽シーン
今さら言うのもなんだが、このブログでは主にインドのインディペンデント音楽を紹介している。
この「インディペンデント(インディーズ)」という言葉、じつはインドでは、日本や他の国とは違う意味を持っている。
日本や欧米では、インディーズという言葉は、大手のレコード会社ではなくて、より小規模なコアなジャンルを扱うレーベルや、そこに所属しているアーティスト、そして彼らの非商業主義的な姿勢のことを指す。
今では個人でも音楽を流通させることができる時代なので、レーベルや事務所に所属せず、完全に「インディペンデント」で制作・発信・プロモーションを行っているアーティストも珍しくない(これは今ではインドも同じ)。
では、インドにおける「インディペンデント」とは、他にどんな意味があるのか。
それはずばり、「ポピュラー音楽の主流である映画音楽から独立している」という意味である。
長い間ヒット曲といえば映画音楽(ミュージカルシーンのための挿入歌)が独占していたインドの音楽シーンを中世ヨーロッパ風に言うならば「音楽は映画の婢女(はしため)」。
音楽は、映画を効果的に盛り上げるため、そして映画をプロモーションするためだけに作られ、使われてきた。
だから、こうした構図の外側で、映画のためではなく純粋に音楽そのものとして作られた楽曲は、インドでは十分に「インディペンデント」と呼ぶに値するし、実際にそう呼ばれてきたのである。
そんなの誰が決めたんだと聞かれたら困るが、私がチェックしているインドの音楽メディアでは、インディペンデントという用語はこのように使われていることが多いように思う。
最近ではこうした構造は変わりつつあり、2022年4月にインドのビジネスメディアMintに掲載された記事によると、その前の3年間でインドのレーベルがリリースした曲のうち、非映画音楽が占める割合は、5〜10%から30%にまで拡大したという。
その話はまた別の機会にするとして、今回は30年ほど遡って、インドでインディペンデントな音楽が注目され始めた時代に注目してみたい。
映画音楽以外のポピュラー音楽が少しずつ目立つようになってきたのは1990年代のこと。
この時代、映画から独立した音楽は、インディポップ(Indi-Pop)と呼ばれていた。
お気づきの通り、この呼称は、Indian popとIndipendent popのダブルミーニングになっている。
Indi-Popという言葉が最初に使われたのは1981年で、最初にそう呼ばれたのはインド系シンガーSheila Chandraを中心としたイギリスのバンドMonsoonだった。
(今回の記事の趣旨から外れるので詳述はしないが、彼らはワールドミュージック的なアレンジでビートルズの"Tomorrow Never Knows"をカバーするなど結構面白い音楽をやっているので、興味がある人はチェックしてみてほしい)
しかしこのIndi-Popという言葉が広く使われるようになるには、90年代の到来を待たなければならなかった。
「Indi-Pop」と検索すると、90年代の音楽を扱った記事やプレイリストばかり出てきて、ほかの時代の音楽はほとんど見当たらない。
Indi-Popと呼ばれるのは、90年代から00年代前半という限られた時代のポップミュージックだけなのである。
例えば、インディポップの女王(Queen of Indipop)と呼ばれていたAlisha Chinaiの"Made In India"という曲は、1995年の作品。
Alisha Chinai "Made In India"
日本人にとっては「インディペンデント」ではなく「インディアン」のほうが強く感じられるのがIndi-Popである。
発売元は大手のグラモフォン(現Saregama)で、つまり映画音楽からは独立しているものの、Indi-Popは本来の意味のインディーズというわけではなかった。
それでも、当時のインドでは映画と関係のないところでこういうキャッチーなポップスが作られること自体が斬新でクールだったのだろう。
この曲の人気は根強く、カリフォルニアのインド系ラッパー/シンガーRaja Kumariが2022年にリリースした同名曲でコーラス部分を引用している。
Raja Kumari "Made in India"
Raja Kumari版のミュージックビデオは、80年代から活躍している大女優Madhuri Dixitが出演したことでも話題を集めた。
Alisha Chinaiが歌ったオリジナルバージョンを作曲・プロデュースしたのはBidduという人物だ。
10代の頃ベンガルールでTrojansというビートグループ(60年代のインドではロックバンドをこう呼んでいた)を組んでいた彼は、その後イギリスに渡って音楽プロデューサーとしての地位を確立。
渡英後の仕事では、ジャマイカ人シンガーCarl Douglasのヒット曲"Kung Fu Fighting"(1974年)が有名だ。
この曲は世界中で1,100万枚を売り上げたそうだが、インド人がジャマイカ人シンガーをプロデュースしてエセ中国風のディスコ曲をヒットさせたというのだからわけが分からない。
Bidduは日本の歌謡界とも縁があって、1969年にはザ・タイガースの"Smile For Me"をプロデュース、(作詞作曲はビージーズのメンバー)、1988年には中森明菜の"Blonde"(Winston Selaなる人物との共作)を手がけている。
1970年代末以降はボリウッド映画にも参入し、90年代にはIndi-Popの代表的な作曲家として活躍した。
のちにプレイバックシンガーとして人気を博すShaanがSagarikaなる女性シンガーと1996年にリリースしたアルバム"Naujawan"もBidduによるプロデュースで、Sagarikaが歌うこの曲は、Winkみたいな人工的なポップネスが時代を感じさせる。
Shaan & Sagarika "Disco Deewane"
今ではプレイバックシンガーの印象が強いShaanはもともとIndi-Popシーン出身で、デビュー曲はやはりIndi-Popのシンガーとして活躍したShweta Shettyらと共演したこの曲だった。
Shweta Shetty, Style Bhai, Sagarika, Shaan, Babul Supriyo "Q Funk"
マイケル・ジャクソンみたいなイントロで始まるこの曲、今聴くとかっこよさとダサさのブレンドが絶妙。
Q-Funkというタイトルの意味は不明だが、この曲がリリースされた時期(1995年)を考えると、ジョージ・クリントン率いるP-Funkではなく、西海岸のヒップホップG-Funkからの命名だろうか。
Shweta Shettyの代表曲はこの"Johnny Joker"。
Shweta Shetty "Johnny Joker"
まったく知らない曲なのに妙になつかしいこの感覚は何なんだろうか。
外国人が日本のシティポップを聴いたときに感じるのはこういう気持ちなのかもしれない。
ちなみにこの曲もBidduのプロデュース。
何度かこのブログで紹介しているが、インドで最初のラップとされる1992年のこの曲も、Indi-Pop期のヒット曲だ。
Baba Sehgal "Thanda Thanda Pani"
QueenとDavid Bowieが共作した"Under Pressure"をそのままサンプリングしたVanilla Iceの"Ice Ice Baby"をさらにそのままパクるという驚異の孫引きパクりで、著作権的にはかなりグレー(ていうか一発アウト?)かもしれないが、ビートルズの時代から西洋のポピュラー音楽がインドの音楽を引用してきたことを考えれば、個人的には笑って済ませたい。
インド系ラップだと、他にUsherの"Yeah!"をパクった曲もあったりするのだが、その話はまたいずれ。
Indi-Popの時代には海外から逆輸入されたグループも活躍していた。
この時代の在外インド人シンガーではApache IndianやPanjabi MCが有名だが、Indi-Popという文脈では、インド人シンガーNeeraj Shridharを中心にスウェーデンで結成されたBombay Vikingを推したい。
Bombay Vikings "Kya Surat Hai"
この曲は1999年にリリースされた彼らのファーストアルバムからのヒット曲。
このアルバムは、往年のボリウッドのヒット曲にエレクトロ・ディスコ風のアレンジを施して人気を集めたという。
"Very"(1993年)時代のPet Shop Boysみたいなキラキラしたサウンドが高揚感とノスタルジーを同時にかきたてる。
Indi-Pop時代後期に特徴的だったのは、スパイスガールズとかバックストリートボーイズみたいなアイドルっぽい佇まいのグループもデビューしていたということ。
私の知る限り、この手のグループは今のインドには(少なくとも今日インディペンデント音楽として扱われるシーンには)存在していない。
Viva "Hum Naye Geet Sunayein"
A Band of Boys "Meri Neend"
どちらもオフィシャルチャンネルなのに映像が粗いのが気になるが(マスターデータ残ってないのか)、それは置いておいて。
Vivaの活動時期は2002年から2005年、A Band of Boysは2001年から2006年で、どちらも決して長く活躍したグループではないが、活動期間の短さにもかかわらず、当時の音楽シーンを振り返る記事で言及されることが多く、インド人の記憶に深く刻まれているようである。
VivaのメンバーだったAnushka Manchandaは、今ではKiss Nukaという名前でクラブミュージックのアーティストとして活躍している。
A Band of Boysは2018年に再結成を果たしたようだ。
ここまで紹介した楽曲を聴いて分かる通り、Indi-Popは「Indi」と言っているものの、いわゆるインディーズ的な通好みだったり実験的だったりする作風なわけではなく、音楽的にはほとんど王道のポップスである。
今回の記事では、今聴いてぎりぎりカッコいいと思えなくもない曲を集めたつもりだが、他にはインド演歌みたいな曲も結構多くて、Indi-Popは当時のインドの西洋的ポピュラー音楽受容の限界を感じさせられるジャンルでもある。
正直に言うと、2024年に外国人が聴くには、「当時のインドではこれが斬新でクールだったはず」という想像力のスパイスを効かせる必要があるかもしれない。
90年代のインドは今日まで続く経済成長の初期段階で、都市部の中産階級がようやくケーブルテレビや衛星放送で多様な音楽に触れられるようになった時代だ。
どこか垢抜けなくて、しかし根拠のない希望に満ちあふれたサウンドは、ちょうど日本の70年代や80年代のように、インドでもこの時代にしか作ることができないものだったのだろう。
最近のインドでは、日本におけるシティポップリバイバルのように、この頃を懐古する動きが出始めている。
前述のRaja KumariによるAlisha Chinaiの"Made In India"の引用や、Karan Kanchanがプロデュースした曲(DIVINEの"Baazigar")に1992年の同名映画のタイトル曲をサンプリングされている例がそれにあたる。
過去の名曲をLo-Fi処理してノスタルジーをブーストしたリミックスも人気があるようだし、ミュージックビデオではアナログ風に加工された映像がトレンドになっている。
今ではインドでも、インディペンデントという言葉の使われ方はすっかり世界標準になってしまったが、Indi-Popが現代の音楽シーンでかっこよく生まれ変わる可能性はまだまだありそうだ。
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この「インディペンデント(インディーズ)」という言葉、じつはインドでは、日本や他の国とは違う意味を持っている。
日本や欧米では、インディーズという言葉は、大手のレコード会社ではなくて、より小規模なコアなジャンルを扱うレーベルや、そこに所属しているアーティスト、そして彼らの非商業主義的な姿勢のことを指す。
今では個人でも音楽を流通させることができる時代なので、レーベルや事務所に所属せず、完全に「インディペンデント」で制作・発信・プロモーションを行っているアーティストも珍しくない(これは今ではインドも同じ)。
では、インドにおける「インディペンデント」とは、他にどんな意味があるのか。
それはずばり、「ポピュラー音楽の主流である映画音楽から独立している」という意味である。
長い間ヒット曲といえば映画音楽(ミュージカルシーンのための挿入歌)が独占していたインドの音楽シーンを中世ヨーロッパ風に言うならば「音楽は映画の婢女(はしため)」。
音楽は、映画を効果的に盛り上げるため、そして映画をプロモーションするためだけに作られ、使われてきた。
だから、こうした構図の外側で、映画のためではなく純粋に音楽そのものとして作られた楽曲は、インドでは十分に「インディペンデント」と呼ぶに値するし、実際にそう呼ばれてきたのである。
そんなの誰が決めたんだと聞かれたら困るが、私がチェックしているインドの音楽メディアでは、インディペンデントという用語はこのように使われていることが多いように思う。
最近ではこうした構造は変わりつつあり、2022年4月にインドのビジネスメディアMintに掲載された記事によると、その前の3年間でインドのレーベルがリリースした曲のうち、非映画音楽が占める割合は、5〜10%から30%にまで拡大したという。
その話はまた別の機会にするとして、今回は30年ほど遡って、インドでインディペンデントな音楽が注目され始めた時代に注目してみたい。
映画音楽以外のポピュラー音楽が少しずつ目立つようになってきたのは1990年代のこと。
この時代、映画から独立した音楽は、インディポップ(Indi-Pop)と呼ばれていた。
お気づきの通り、この呼称は、Indian popとIndipendent popのダブルミーニングになっている。
Indi-Popという言葉が最初に使われたのは1981年で、最初にそう呼ばれたのはインド系シンガーSheila Chandraを中心としたイギリスのバンドMonsoonだった。
(今回の記事の趣旨から外れるので詳述はしないが、彼らはワールドミュージック的なアレンジでビートルズの"Tomorrow Never Knows"をカバーするなど結構面白い音楽をやっているので、興味がある人はチェックしてみてほしい)
しかしこのIndi-Popという言葉が広く使われるようになるには、90年代の到来を待たなければならなかった。
「Indi-Pop」と検索すると、90年代の音楽を扱った記事やプレイリストばかり出てきて、ほかの時代の音楽はほとんど見当たらない。
Indi-Popと呼ばれるのは、90年代から00年代前半という限られた時代のポップミュージックだけなのである。
例えば、インディポップの女王(Queen of Indipop)と呼ばれていたAlisha Chinaiの"Made In India"という曲は、1995年の作品。
Alisha Chinai "Made In India"
日本人にとっては「インディペンデント」ではなく「インディアン」のほうが強く感じられるのがIndi-Popである。
発売元は大手のグラモフォン(現Saregama)で、つまり映画音楽からは独立しているものの、Indi-Popは本来の意味のインディーズというわけではなかった。
それでも、当時のインドでは映画と関係のないところでこういうキャッチーなポップスが作られること自体が斬新でクールだったのだろう。
この曲の人気は根強く、カリフォルニアのインド系ラッパー/シンガーRaja Kumariが2022年にリリースした同名曲でコーラス部分を引用している。
Raja Kumari "Made in India"
Raja Kumari版のミュージックビデオは、80年代から活躍している大女優Madhuri Dixitが出演したことでも話題を集めた。
Alisha Chinaiが歌ったオリジナルバージョンを作曲・プロデュースしたのはBidduという人物だ。
10代の頃ベンガルールでTrojansというビートグループ(60年代のインドではロックバンドをこう呼んでいた)を組んでいた彼は、その後イギリスに渡って音楽プロデューサーとしての地位を確立。
渡英後の仕事では、ジャマイカ人シンガーCarl Douglasのヒット曲"Kung Fu Fighting"(1974年)が有名だ。
この曲は世界中で1,100万枚を売り上げたそうだが、インド人がジャマイカ人シンガーをプロデュースしてエセ中国風のディスコ曲をヒットさせたというのだからわけが分からない。
Bidduは日本の歌謡界とも縁があって、1969年にはザ・タイガースの"Smile For Me"をプロデュース、(作詞作曲はビージーズのメンバー)、1988年には中森明菜の"Blonde"(Winston Selaなる人物との共作)を手がけている。
1970年代末以降はボリウッド映画にも参入し、90年代にはIndi-Popの代表的な作曲家として活躍した。
のちにプレイバックシンガーとして人気を博すShaanがSagarikaなる女性シンガーと1996年にリリースしたアルバム"Naujawan"もBidduによるプロデュースで、Sagarikaが歌うこの曲は、Winkみたいな人工的なポップネスが時代を感じさせる。
Shaan & Sagarika "Disco Deewane"
今ではプレイバックシンガーの印象が強いShaanはもともとIndi-Popシーン出身で、デビュー曲はやはりIndi-Popのシンガーとして活躍したShweta Shettyらと共演したこの曲だった。
Shweta Shetty, Style Bhai, Sagarika, Shaan, Babul Supriyo "Q Funk"
マイケル・ジャクソンみたいなイントロで始まるこの曲、今聴くとかっこよさとダサさのブレンドが絶妙。
Q-Funkというタイトルの意味は不明だが、この曲がリリースされた時期(1995年)を考えると、ジョージ・クリントン率いるP-Funkではなく、西海岸のヒップホップG-Funkからの命名だろうか。
Shweta Shettyの代表曲はこの"Johnny Joker"。
Shweta Shetty "Johnny Joker"
まったく知らない曲なのに妙になつかしいこの感覚は何なんだろうか。
外国人が日本のシティポップを聴いたときに感じるのはこういう気持ちなのかもしれない。
ちなみにこの曲もBidduのプロデュース。
何度かこのブログで紹介しているが、インドで最初のラップとされる1992年のこの曲も、Indi-Pop期のヒット曲だ。
Baba Sehgal "Thanda Thanda Pani"
QueenとDavid Bowieが共作した"Under Pressure"をそのままサンプリングしたVanilla Iceの"Ice Ice Baby"をさらにそのままパクるという驚異の孫引きパクりで、著作権的にはかなりグレー(ていうか一発アウト?)かもしれないが、ビートルズの時代から西洋のポピュラー音楽がインドの音楽を引用してきたことを考えれば、個人的には笑って済ませたい。
インド系ラップだと、他にUsherの"Yeah!"をパクった曲もあったりするのだが、その話はまたいずれ。
Indi-Popの時代には海外から逆輸入されたグループも活躍していた。
この時代の在外インド人シンガーではApache IndianやPanjabi MCが有名だが、Indi-Popという文脈では、インド人シンガーNeeraj Shridharを中心にスウェーデンで結成されたBombay Vikingを推したい。
Bombay Vikings "Kya Surat Hai"
この曲は1999年にリリースされた彼らのファーストアルバムからのヒット曲。
このアルバムは、往年のボリウッドのヒット曲にエレクトロ・ディスコ風のアレンジを施して人気を集めたという。
"Very"(1993年)時代のPet Shop Boysみたいなキラキラしたサウンドが高揚感とノスタルジーを同時にかきたてる。
Indi-Pop時代後期に特徴的だったのは、スパイスガールズとかバックストリートボーイズみたいなアイドルっぽい佇まいのグループもデビューしていたということ。
私の知る限り、この手のグループは今のインドには(少なくとも今日インディペンデント音楽として扱われるシーンには)存在していない。
Viva "Hum Naye Geet Sunayein"
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Vivaの活動時期は2002年から2005年、A Band of Boysは2001年から2006年で、どちらも決して長く活躍したグループではないが、活動期間の短さにもかかわらず、当時の音楽シーンを振り返る記事で言及されることが多く、インド人の記憶に深く刻まれているようである。
VivaのメンバーだったAnushka Manchandaは、今ではKiss Nukaという名前でクラブミュージックのアーティストとして活躍している。
A Band of Boysは2018年に再結成を果たしたようだ。
ここまで紹介した楽曲を聴いて分かる通り、Indi-Popは「Indi」と言っているものの、いわゆるインディーズ的な通好みだったり実験的だったりする作風なわけではなく、音楽的にはほとんど王道のポップスである。
今回の記事では、今聴いてぎりぎりカッコいいと思えなくもない曲を集めたつもりだが、他にはインド演歌みたいな曲も結構多くて、Indi-Popは当時のインドの西洋的ポピュラー音楽受容の限界を感じさせられるジャンルでもある。
正直に言うと、2024年に外国人が聴くには、「当時のインドではこれが斬新でクールだったはず」という想像力のスパイスを効かせる必要があるかもしれない。
90年代のインドは今日まで続く経済成長の初期段階で、都市部の中産階級がようやくケーブルテレビや衛星放送で多様な音楽に触れられるようになった時代だ。
どこか垢抜けなくて、しかし根拠のない希望に満ちあふれたサウンドは、ちょうど日本の70年代や80年代のように、インドでもこの時代にしか作ることができないものだったのだろう。
最近のインドでは、日本におけるシティポップリバイバルのように、この頃を懐古する動きが出始めている。
前述のRaja KumariによるAlisha Chinaiの"Made In India"の引用や、Karan Kanchanがプロデュースした曲(DIVINEの"Baazigar")に1992年の同名映画のタイトル曲をサンプリングされている例がそれにあたる。
過去の名曲をLo-Fi処理してノスタルジーをブーストしたリミックスも人気があるようだし、ミュージックビデオではアナログ風に加工された映像がトレンドになっている。
今ではインドでも、インディペンデントという言葉の使われ方はすっかり世界標準になってしまったが、Indi-Popが現代の音楽シーンでかっこよく生まれ変わる可能性はまだまだありそうだ。
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