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2018年04月21日

本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編

これまで、Brodha VDIVINEBig DealJ19 Squadといったインドのヒップホップアーティストを紹介してきた。
インドのヒップホップシーンはここ数年爆発的に拡大・多様化していて、ストリート寄りのスタイルの彼らとは別に、Yo Yo Honey SinghやBadshahのように、ボリウッド的メインストリームで活躍するラッパーもいるし(Youtubeの再生回数は彼らの方がずっと多い)、BK(Borkung Hrangkhawl)UNBのようなインド北東部における差別問題を訴える社会派のラッパーもいる。
インドの古典のリズムとの融合も行われていて、各地に各言語のシーンがある

以前も書いたように、インドのヒップホップって、アメリカの黒人文化に憧れて寄せていくのではなく、自分たちの側にヒップホップをぐいっと引き寄せて、完全に自分たちのものしてしまっているような雰囲気がある。
いわゆる「ストリート」の描き方も、アメリカのゲットーを模したフィクショナルな場所としてではなく、オバチャンがローカルフードを売り、好奇心旺盛な子ども達が駆け回り、洗濯物が干してあるインドの「路地」。
インドのラッパーたちは、スタイルやファッションとしてのヒップホップではなく、自分たちが本当に語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて発信するという、ヒップホップカルチャーの本質を直感的に理解しているかのようだ。
なぜそれができているのかというと、ひとつには彼らが英語を解することが挙げられるだろう。
インドは、英語を公用語とする国では世界で最大の人口を誇る(実際に流暢に英語を話すのは1億〜3億人くらいと言われている)。
英語を解する彼らが米国のヒップホップに接したときに、ファッションやサウンドよりも、まずそこで語られている内容に耳が向けられたとしても不思議ではない。
そしてもうひとつ、インドには彼らが声を上げるべき社会的問題が山積しているということ。
貧富の差、差別、コミュニティーの対立、暴力、汚職。挙げていけばきりがない。
インドの若者たちがヒップホップに触れたとき、アメリカのゲットーの黒人たちのように、自分たちが語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて、ラップという形で表現しようと思うのは至極当然のことと言えるだろう。

でも、インドにヒップホップが急速に根付いた理由はきっとそれだけではない、というのが今回の内容。

さて、ここまで、「ヒップホップ」という言葉を、音楽ジャンルの「ラップ」とほぼ同義のものとしてこの文章を書いてきた。
でも「ヒップホップ」という言葉の本来の定義では、ヒップホップはMC(ラップ)、ブレイクダンス、DJ、グラフィティーの4つの要素を合わせた概念だという。
今回はその中のダンスのお話。
インドに行ったことがある人ならご存知の通り、インド人はみんなダンスが大好き。
各地方の古典舞踊をやっている人たちもたくさんいるけど、あのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオにも影響を与えたと言われるインド映画のダンスのような、モダンなスタイルのダンスも大人気で、道ばたの子ども達がラジカセから流れる映画音楽に合わせて上手に踊っているのを見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
(ちなみに、いやいや逆にインドの映画がマイケル・ジャクソンのミュージックビデオに影響を受けたんだよ、という説もある)

今回は、イギリスの大手メディア「ガーディアン」が、あの「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなったムンバイ最大のスラム街、ダラヴィで撮影したヒップホップのドキュメンタリー映像を紹介します。
タイトルは、Slumdogならぬ"Slumgods of Mumbai".
これがもうホンモノで、実に見応えがある。
まるでヒップホップ黎明期のニューヨークのゲットーのようだ(よく知らないけど)。



スラム街の中で誰に見せるともなくダンスする少年達。
束の間の楽しみなのか、やるせない境遇を踊ることで忘れたいのか。
ダラヴィに暮らす少年ヴィクラムに、母親はしっかり勉強して立派な職に就くよう語りかける。
教育こそが立派な未来を切り拓くのだと。
自分たちはきちんとした教育を受けることができなかったから、両親は息子の教育に全てを捧げて暮らしている。

だがヴィクラムには母親に内緒で出かける場所があった。
B BOY AKKUことAKASHの教える無料のダンス教室だ。
彼はここで同世代の少年たちとブレイクダンスを習うことが喜びだった。
でもヴィクラムは教育熱心な母親にダンス教室に通っていることを伝えることができない。
両親が必死に働いたお金を自分の教育のためにつぎ込んでくれていることを知っているからだ。

で、このダンス教室の様子が素晴らしいんだよ。
子ども達が自分の内側から湧き上がってくる衝動が、そのままダンスという形で吹き出しているかのようだ。
人生/生活、即ダンス。
踊る子どもたちの顔は喜びにあふれている。
でも、ヴィクラムは親に怒られないように、レッスンの途中で家路につかなければならない。
それを残念そうに見つめるAKKU.

誰もが金のために必死で働くダラヴィで、AKKUは、ダンスを通して子ども達に、生きてゆくうえで何よりも大切な、人としての「誇り」を教えようとしていた。
大勢の人たちの前で踊り、喝采を浴びることで、スラムの子ども達が自分に誇りを持つことができる。

だが、周囲の大人たちは適齢期のAKKUに結婚することを勧めていた。
結婚して夫婦の分の稼ぎを得てこそ、責任感のある人間になれると。
しかし二人分の稼ぎを得るには、ダンス教室を続けることは難しい。
AKKUは自分のダンス教室を通して、子ども達に誇りを感じてもらうこと、ヒップホップカルチャーの一翼を担うことこそが自分の役割だと感じていた。
自分がダンス教室をやめてしまえば、誰が子どもたちに誇りを教えるのか。
ヒップホップは彼自身の誇りでもあり、彼もまた葛藤の中にいる…。

AKKUは、ヴィクラムの両親の理解を得るべく、彼が内緒でダンス教室に来ていることを伝えに行くのだった。
だが、両親の理解はなかなか得られない。
ダンスよりも勉強こそがヴィクラムをよりよい未来に導くはずだと。
自分のダンス教室は無料だ、金のためにやっているわけではないと反論するAKKU.
さまざまな葛藤をかかえたまま、AKKUのヴィクラムへのダンスレッスンが続いていく。

そして迎えたある夜、薄暗い照明のダンス教室の中、ヴィクラムの両親も招待されたスラムのB BOYたちのダンス大会が始まった。
次々にダンスを披露する少年たち。
家では見せたことがないほど活き活きと踊るヴィクラムの姿に、両親もやがて満面の笑顔を見せる。
そう、我が子が一生懸命に打ち込む姿を喜ばない親はいない。
そして、コンテストの結果は…。

この物語のラストで、AKKUはヴィクラムに、あるプレゼントを渡す…。
いつも両親に「ミルクを買いに行く」と嘘をついてダンス教室に来ていたヴィクラムに、勉強して成功を収めるということとはまた別の、希望と誇りが託される場面だ。

このドキュメンタリーを見れば、音楽やダンスが抑圧された人々にとってどんな意味を持つことができるかを改めて感じることができる。
世界中の多くの場所と同様に、ここダラヴィでも、音楽やダンスが、日々の辛さを忘れ、喜びを感じさせてくれるという以上のものになっていることが分かる。
そして音楽やダンスがもたらす希望は、言葉や文化を異にする我々にも、普遍的な魅力を持って迫ってくる。

人はパンのみにて生きるにあらず。
貧しくとも、人はお金のためだけに生きているわけではない。
これはダンスやスラムについてではなく、人間の尊厳についてのドキュメンタリーだ。
ヒップホップは、ただの音楽やダンスではなく、本来はそうした人間の尊厳を取り戻すための営為なのだということに改めて気付かされる。
もちろんヒップホップを発明したのはアメリカの黒人たちだけど、ヒップホップというフォーマットは国籍や文化に関係なく、あらゆる抑圧された人たちが(抑圧されていない人でさえも!)共有できる文化遺産であるということを改めて感じた。

ダラヴィの生活は夢が簡単に叶う環境ではないだろう。
AKKUが今もダンス教室に通っているのか、彼らのうち何人が今もダンスを続けているのか、煌びやかなムンバイのクラブシーンで活躍できるようになったB BOYはいるのか、それは分からない。
でもこのドキュメンタリーからは、きっと何か感じるものがあるはず。

たったの13分で英語字幕もあるので是非みんな見てみて! 


追記: Youtubeで確認したところ、AKKUは今でもダンスを、ダンス教室を続けているようだ。
昨年行われたTEDxでのAKKUのプレゼンテーションを見たら、最後にダンス教室の生徒たちも出ていたけど、ヴィクラムの姿は確認できなかった。
成長して見分けがつかなくなってしまっただけなのか、ダンスをやめてしまったのか、たまたまここにいなかっただけなのか… 


goshimasayama18 at 00:15|PermalinkComments(0)

2018年01月08日

ムンバイのHip Hopシーンを代表するスラム出身のラッパー DIVINE

さてさて、本日紹介しますのは、ムンバイを代表するラッパー、DIVINEさん。

以前紹介した通り、インドはデリー、バンガロール、ムンバイと街ごとにカラーが違うシーンがあるのだけど、DIVINEさんはムンバイを代表するラッパー。
おさらいするとムンバイのシーンはエンタメ色、アート色よりもかなりストリート色が強いのが特色。

まずはレペゼンムンバイって感じのこの曲から!



かっこいい!

この曲は2014年にRolling Stone India誌でベストビデオに選ばれたとのこと。
Yeh mera Bombayっていうのは、「This is my Bombay」って意味。

ご存知の通りボンベイはアタクシの名前にもさせてもらっているインド最大の都市ムンバイの1995年までの名前。
この曲に出てくるムンバイは高層ビルが並ぶ超近代的なオフィス街やオシャレ都市ではなく、貧しい人々が暮らす下町エリアだ。
高級スーツを着たビジネスマンでもボリウッド俳優でもなく、チャイ屋のオヤジとか、通りに面した床屋の客とか、オートリクシャーの運転手なんかが「これが俺のボンベイだぜ!」と連呼する。

ヒンディー語、偉そうなこと言っているくせにに全然分からないんすけど、この曲に関しては英語に翻訳しているサイトがあった。

このサイトの通りだとすると、拙い訳ですが歌詞はこんな感じ。


 (ヴァース1)
 俺の真実は道端の塵に隠れている
 新しい1日 だが通りはいつもと同じ
 このあたりには花も咲かない イバラが繁るだけ
 自分のプライドを売り渡すよりもストリートで生きていたい
 俺はこの街と結婚したんだ この街角が俺の恋人

 (ヴァース2)
 俺を傷つけてみな どうせ届かないだろうけど
 お前が従業員なら雇ってるのは俺の友だち
 俺の言葉こそ この炎が燃え上がる理由
 最近じゃ俺はゴヴィンダのポット※みたいに爆発寸前
 俺の母さんを馬鹿にしたら張り倒すぜ

 (ヴァース3)
 このジャングルの陰の部分
 ここじゃ政治家はヤギの群れの中の畜殺者
 俺たちは自分たちのための戦士
 救い主とは名ばかり ここじゃ警官はチンピラと同じ
 これが俺のボンベイ 誰もがそう言う

 (ヴァース4 英語)
 ここがバッチャン※2の住む街 テンドゥルカール※3もプレイしてる
 アンバーニーの※4金もある 芝居じゃない本物のスラムドッグ
 テロリストの攻撃だってあるが
 俺たちは街を再建するだけ 競技場のジャマイカ人※5よりも速く
 ハトの群れ 道路の窪み ヤシの木陰
 俺は日曜日のチキンみたいにスラムに住んでる
 クリケットやってる奴らの代表
 とにかく金を手にするために必要なことをするだけ

 (ヴァース5)
 もし本を手にしていないなら 手には自分自身の気持ちを持ってるってこと
 この国の王様 この街にはタージ※6がある
 食えなくてもいいって奴もいる 友だちはみんな仕事を持ってる
 若いの、ここじゃ誰もが成功を望んでる
 線路、おばあちゃんの杖、オフィスの蜘蛛、スラム街、オートリクシャー
 この街みたいな場所は他にない
 信じないなら誰かに聞いてみな

 俺はこの街を愛している 名前を変えたって 昔と同じボンベイさ


※1どうやらムンバイのお祭りで行われる組体操みたいなものみたいです  
※2 名優アミターブ・バッチャン。
※3 クリケットの大スター選手
※4 ムケーシュ・アンバーニー。インドの実業家。フォーブス誌による世界長者番付の2008年度版で第5番目の長者になったインド最大の民間企業であるリライアンス・インダストリーズの会長。
※5 ウサイン・ボルトのことと思われる。
※6 ムンバイの歴史ある超高級ホテルのタージ・マハル・ホテルのこと。アグラの霊廟タージ・マハルの名を冠したこのホテルはイギリス統治下のボンベイで、インド人であることを理由にホテルへの宿泊を断られた大富豪ターターが、それならば自分でホテルを作ろうと建設した。



ところどころ訳が意味不明なのは、韻を踏むためか、俺の英語力不足のせいだと思う。
問題だらけの街だけど、ここが俺の故郷なんだぜ、っていう街への愛着を歌った曲。

あえてボンベイと昔の名前を使っているのはリズムに乗せやすいからかな。
途中でボンボボンボンボボンベーイ!(カタカナで書くと超間抜け)っていうキメが出てくるけど、ムンムムンムンムムンバーイ!じゃ締まらないもんね。
最後のヴァースは自身の生い立ちのことと思われる。


続いては2016年のこの曲!



こちらもヘヴィーなトラックでかっこいい!

ヒンディーの部分は分からないけど、I was raised in the gutter, I know what is hunger, I’m the voice of the streets ってところから、ストリートで育ってきたことを歌っているものなんじゃないかと思います。


続いて他のアーティストとコラボしている曲をいくつか紹介!



これは同じくムンバイのラッパーNaezyとやってる曲。
ビデオはYeh mera Bombayと同じムンバイの下町練り歩きパターンで、地元意識の強いひとなんだなと思う。

Naezyはいつかきちんと紹介したいムスリムのラッパーです。



こっちはアメリカ生まれのインド系シンガー、Raja Kumariとの共演。
彼女もとても面白い存在なので、いずれ紹介します!


DIVINEの本名はVivian Fernandes.

本名が西洋風の名前なのはクリスチャンの家系だからで、DIVINEという名前も敬虔なクリスチャンであることが理由で名乗っているそうだ。
ムンバイのアンデリー(Andheri)という地区のスラムで生まれ育ち、家庭環境はというと、小さい頃に父親が出て行ってしまい、母と兄は海外に出稼ぎに行っていたため、祖母に育てられたという。

学校の友達が50 centのTシャツを着ていたことがきっかけでラップに興味を持った彼は、祖母のCDプレイヤーで50centやEminemのCDを聴いてラップを覚えた。
やがてアメリカのクリスチャンラッパー、Lecraeが神についてラップをしているのを聴いて衝撃を受け、自分でも同様のラップを作り始めたのがキャリアのスタートとなったようだ。

最初は英語でラップしていたが、やがてヒンディー語に切り替えてスタイルを確立した。
ムンバイのあるマハーラーシュトラ州の公用語はヒンディー語ではなくてマラーティー語だけど、彼の育った地区ではヒンディーが話されていたようで、このへんは多言語国家インドの大都市ならではと言える。

友達が次々と安定した仕事につく中、ラップを続けていた彼はソニーと契約を結び、スターへの道を歩むこととなった。

これは大会場でのライヴシーンもある2017年のミュージックビデオ。
でもあいかわらず下町練り歩きもしているけど。



最近ではトラックメーカーNucleyaとコラボしてPaintraっていうボリウッド映画の曲もやっている。



インドでは、「メジャー」イコール「映画の曲」みたいなところがあるから、ムンバイのスラムからHip Hopドリームを叶えたってことなのかもしれない。


締めは、インドのウェブサイト、VERVEのインタビューから、DIVINEのこの言葉で。

“Hip-hop is a lifestyle and you can embody it through dance, by making music or through the console, using any language that comes naturally. Being a fan or a manager or writing about it makes you a part of the movement too. It doesn’t matter how you contribute to the culture as long as you do what feels right to you.”

−ヒップホップは生き方だ。ダンスでも歌や演奏やDJでも、自然と湧き上がってくるどんな言語を通してでも、誰もが具体化することができるんだ。ファンになることや、マネジメントに関わることや、ヒップホップについて書くことでもこのムーブメントの一部になることができる。自分にとって正しいと感じることをする限り、君がこのカルチャーにどんなふうに貢献してるかなんてことは関係ないのさ。
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goshimasayama18 at 01:17|PermalinkComments(0)