YoYoHoneySingh

2021年12月15日

2021年度版 インドのクリスマスソング特集!

もう12月も半ば。
この時期、2018年にはインド北東部ナガランド州のクリスマスソングを、昨年は同じく北東部メガラヤ州のクワイアが歌うクリスマスソングを紹介したので、今年は他の地域の曲を紹介したい。




…と思って調べてみたのだけど、正直に言うと、今のところ、そこまで素敵なクリスマスソングをインドで見つけることはできなかった。
これはどうしてかっていうと、キリスト教徒が多いインド北東部と比べて、メインランド(北東部の人たちは、アーリア系やドラヴィダ系の人々がマジョリティを占め、ヒンドゥー教やイスラーム教やシク教などが信仰されているインドの大部分をこう呼ぶ)にはそこまでクリスマスを祝う習慣が根付いていないからだろう。

なんて言うと、インドに詳しい人から「メインランドにもゴアやケーララ州にはクリスチャンがたくさんいるじゃないか」と言われてしまいそうだが、今回調べた限りでは、いわゆる西洋スタイルのポップミュージックとして聴けるいい感じのクリスマスソングは、ゴアやケーララでも見つけることができなかった。
(代わりに、宗教的なものや、インドの歌謡曲っぽいクリスマスソングはたくさん見つかったが…)
20世期に大々的にキリスト教への改宗が進められた北東部に対して、ゴアにキリスト教が伝えられたのは大航海時代だし、ケーララにいたっては1世紀に聖トマスがキリスト教を伝道したとも言われている。
つまり、ゴアやケーララのキリスト教(主にカトリック)は、長い歴史を持つがゆえに、欧米とは異なるインド独自の伝統を持っていて、それがウエスタン(西洋)・ポップス的なクリスマスソングを生まれにくくしているんじゃないだろうか。

インド北東部でクリスチャンが多いのは、もともとヒンドゥー教やイスラーム教よりもアニミズム(精霊信仰)が盛んだった地域だ。
こうした場所では、19世期から欧米の宣教師たちが入って改宗が進められ、ナガランド州やミゾラム州では、今では9割を超える人々がキリスト教を信仰するようになった。
ナガランド特集の記事でも紹介した、チャケサン・ナガ族の民謡と欧米的ポップスを融合した音楽性で知られるTetseo Sistersは、昨年のクリスマスに"Joy to the World"をリリースした。



顔立ちや伝統的なアクセサリーを見ないで音だけ聴けば、インドのシンガーだと思う人はほとんどいないだろう。

こちらはチャケサン・ナガの伝統的歌唱スタイルのクリスマスソング。


いつの間にかメンバーが一人脱退しているっぽいのが気になるが、ドキュメンタリー映画『あまねき旋律』でも紹介された伝統唱歌'Li'を思わせる素朴な歌声が心地良い。


北東部以外に、欧米ポップス的なクリスマスソングが皆無なわけではない。
ムンバイ出身のGwen Fernandesは、昨年クリスマスアルバム"The Best Christmas Ever"をリリースした。


名前を見る限り、彼女もクリスチャンのようだが、大都市ムンバイのクリスチャン・コミュニティで育った彼女にとって、こうした欧米のスタンダードなクリスマスソングは、慣れ親しんだものなのだろう。

こちらもクリスチャンっぽい名前のデリーのシンガー、Kimberley Rodriguesがリリースしたオリジナル曲。



インドでは、クリスチャン・コミュニティ以外にも、非宗教的なオシャレイベントとしての(いわば、日本的な)クリスマスが都市部を中心に広まりつつあるようで、例えば昨年も紹介したこの曲は、元EDMアーティストで、近年はアコースティックシンガーとしての活躍が目立つZaedenによるもの。



デリーからは、ラッパーのHommie Dilliwalaがインドの売れ線系ラッパーの筆頭格Yo Yo Honey Singhをフィーチャーした"Jingle Bell"という曲を発見。


おそらく宗教的な意味でのクリスマスとは全く関係のない内容だが、都会のパーティーカルチャーの雰囲気がよく伝わってくる。

インドでは、ディワーリーやホーリーといったヒンドゥー教の伝統的なお祭りに合わせてリリースされるポピュラーソングも多く、またなぜか毎年独立記念日に合わせてリリースされる楽曲もある。
そう考えると、インドでは、そこまで季節の風物詩としてのクリスマス・ソングが必要とされていないのかもしれない。
いつかインドからワム!や山下達郎みたいな感じの、ポップなクリスマスソングの名曲が出てくることがあるのだろうか。




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goshimasayama18 at 18:57|PermalinkComments(0)

2021年09月01日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)



DelhiRappersラージュ

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。

とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!

ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)
DelhiMap
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi

ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。

パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。




キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。

彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。


Yo Yo Honey Singh "Loka"


Badshah "DJ Waley Babu"

オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。

この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想的として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)

Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。


Raftaar "Sheikh Chilli"

この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。



IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。

もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。

KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。


パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。

Prabh Deep "Suno"


彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。


Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN


この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。

Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。


Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.

Sikander Kahlon "100 Bars 2"


その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。

Sidhu Moose Wala "295"



Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"



Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)



最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。

Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"

Karma "Beat Do"

パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。

とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。


(ムンバイ編はこちら)




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goshimasayama18 at 20:27|PermalinkComments(0)

2021年02月09日

インド・ヒップホップ夜明け前(その3)Mafia Mundeerの物語・後編

(シリーズ第1回)


(シリーズ第2回)


デリーの地でヒップホップ・ユニットMafia Mundeerとして活動を始めたYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka, Lil Goluの5人。
彼らの活動形態は、Mafia Mundeerの名義でユニットとして活動するのではなく、メンバー同士がときに共演しながら、ソロとして個々の名義で楽曲をリリースするというものだった。

当時のMafia Mundeerで中心的な役割を担っていたのは、イギリスへの音楽留学経験を持ち、野心にあふれていたYo Yo Honey Singhだったと考えて間違いないだろう。

2010年を過ぎた頃から、Honey Singhがまずスターダムへの階段を登り始める。
流行に目ざといボリウッドが、最新の映画音楽として国産のヒップホップに目をつけたのだ。
時代の空気と彼の強烈な上昇志向が見事に噛み合い、彼は立て続けに人気映画の楽曲を手掛けて急速に知名度を上げてゆく。

2012年、ディーピカー・パードゥコーン主演の映画"Cocktail"に"Angreji Beat"を提供。
2013年には、アクシャイ・クマール主演の"Boss"に"Party All Night"を、そして日本でも公開されたシャー・ルク・カーン主演の"Chennai Express"に、タミルのスーパースター、ラジニカーント(映画には出演していない)に捧げた"Lungi Dance"を提供した。
アメリカや日本のヒップホップを基準に聴くと、どの曲も絶妙にダサく感じられるかもしれないが、インドの一般大衆が考える都会の退廃的なナイトライフのイメージに、Honey Singhがぴったりハマったのだろう。
アメリカ的なヒップホップを追求するのではなく、在外パンジャーブ人のバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを国内向けに翻案した彼の音楽は、インド的ラップの大衆化に大きな役割を果たした。

ヒップホップにありがちな、リリックが女性への暴力を肯定的に描いているという批判もあったが(とくに、デリーの女子大生がフリースタイルラップでHoney Singhを痛烈に批判した"Open Letter To Honey Singh"は大きな話題となった)、彼の快進撃は止まらなかった。

前述の3作品はいずれもヒンディー語映画(いわゆるボリウッド作品)だが、よりローカルなパンジャービー語映画では、2012年に"Mizra"への出演を果たし、2013年の"Tu Mera 22 Main Tera 22"では主役の一人に抜擢されるなど、Honey Singhは銀幕にも進出する。
 

映画音楽のみならず、ソロ作品やプロデュースでもHoney Singhはヒットを連発した。
2011年にソロ作"Brown Rang"をヒットさせると、2012年にはパンジャービー系イギリス人シンガーJaz Dhamiやパンジャービー系カナダ人のJazzy Bとのコラボレーションをリリースして成功を収めた。
だが、良いことばかりは続かない。

急速な成功による他のメンバーとの格差が、彼と仲間との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
Honey SinghがMafia Mundeerの中心的存在であり、最も早く、最も大きな成功を手にしたことは疑うべくも無いのだが、彼の成功は、実際は彼の力だけによるものではなかった。

実は、この時期のHoney Singhのヒット曲"Brown Rang"はBadshahによって、"Dope Shope"は、Raftaarによって書かれたものだったのだ。
しかし、Honey Singhは、これらの楽曲の本来のソングライターに適切なクレジットを与えなかった。
"Brown Rang"を書いたBadshahは、どうせ大して売れないだろうと考えていたが、予想に反して曲は大ヒット。
クレジットを要求したBadshahをHoney Singhがはねつけたことで、彼らの関係は修復できないほどに悪化してしまった。
また、Raftaarに対しては、彼がレコーディングした曲にHoney Singhがヴォーカルをオーバーダビングして自分の曲にしてしまったという。

こうしたトラブルから、まずRaftaarが、次にBadshahがMafia Mundeerを脱退する。
Honey SinghはMafia Mundeerの新しいメンバーとして、AlfaazとJ-Starを加入させるが、以降、Mafia Mundeerというユニット名を聞くことはめっきり少なくなった。
それでも傍若無人にポピュラー音楽シーンの最前線を突っ走っていたHoney Singhは、2014年に突然シーンから姿を消してしまう。 
後に分かったことだが、彼はこのとき、重度のアルコール依存症と双極性障害に悩まされていたのだ。
リハビリのためのシーンからの離脱は18カ月にも及んだ。

Honey Singhが不在の間に、今度はBadshahがソロアーティストとしての成功をつかむ。
2015年の"DJ Waley Babu"が人気を博し、さらにボリウッドにも進出を果たす。
映画"Humpty Sharma Ki Dulhan"で使用された"Saturday Saturday"や、大ヒットした"Kapoor & Sons"でフィーチャーされた"Kar Gayi Chull"が高く評価され、新しいスターとしての地位を不動のものにしたのだ。
Honey Singhは、自分が不在の間に成功を収めたかつての仲間を素直に祝福することができなかった。
リハビリからの復帰作となる主演映画"Zorawar"の記者会見で、彼は「ロールスロイスを運転したことはあるか?ロールスロイスはタタの'ナノ'とは違う」と、自身を超高級車のロールスロイスに、Badshahを「世界一安い車」と言われたインド製の車に例えてこき下ろしてしまう。
ソーシャルメディア上でもお互いに激しい批判を繰り広げた彼らは、2012年以降、いまだに口も聞いていないと言われている。

そのHoney Singhの復帰第一作の映画"Zorawar"の挿入歌"Superman".
この時期、BadshahもHoney SinghもEDMバングラーとでも呼べるようなスタイルを標榜していた。

Honey SinghとBadshahに少し遅れて、Raftaarも人気を獲得してゆく。
彼は2013年にリリースした"WTF Mixtape"でよりヒップホップ的な方法論を提示し、コアなファンの支持を集めることに成功。
さらには、90年代から活躍するイギリスのバングラーユニットRDBのManj Musikとの共演など、独自路線を歩んでゆく。

"WTF Mixtape"からの"FU - (For You)".Manj Musikをフィーチャーして2014年に発表された"Swag Mera Desi"のリリックには、Honey Singhを批判したラインが含まれているとも言われている。
だが、Honey Singhは、Raftaarの成功も快く思わなかったようだ。
かつて自らがMafia Mundeerに誘ったRaftaarのことを「そんなやつは知らない」「一度しか会ったことがない」と切り捨ててしまう。
しかしRaftaarは抗争の加熱を望んでいなかったようで、多少の皮肉を込めつつも、Honey Singhを憎んでいるわけでは無いことを表明している。

「おそらく彼は急な成功でエゴが強くなりすぎて、自分がどこから来たのか、誰も彼を信じていなかった時に誰がそばにいたのかを忘れてしまったのだろう」
「俺に取ってMafia Mundeerはすごく思い出深いし、今でも彼をブラザーだと思っているよ」 
「俺は他人の成功で不安になったりはしないね。音楽は愛やブラザーフッドやポジティヴィティの普遍的な源なんだ。憎しみや嫉妬の余地なんて無いんだよ」

RaftaarとHoney Singhの再共演はいまだに実現していないが、今ではお互いに激しく罵り合う状況ではなくなったようだ。


時期は不明だが、IkkaもおそらくはRaftaarやBadshahの脱退と近い時期に、Mafia Mundeerを離脱したようだ。
その後のIkkaは、いくつかの映画音楽などにも参加し、高いスキルを示していたものの、Honey SinghやBadshah、Raftaarほどにはセールス面での高い評価を得てはいなかった。
ところが、2019年にアメリカのラッパーNasのレーベル'Mass Appeal'のインド版として立ち上げられたMass Appeal Indiaの所属アーティストとして起用されると、レーベルメイトとなったムンバイのストリートラップの帝王DIVINEとの共演(前回の記事で紹介)や、旧友Raftaarとの久しぶりのコラボレーションなどで、本格派ラッパーとしての実力を見せつけた。
2020年にはMass Appeal Indiaからファーストアルバム"I"をリリースし、その評価を確実なものにしつつある。

その後の彼らの活躍についても触れておこう。
Honey Singhはバングラーラップとラテンポップを融合したような音楽性で大衆的な人気を維持し、今では「インドの音楽シーンで最も稼ぐ男」とまで言われている。
現時点での最新曲"Saiyaan Ji"は最近Honey Singhとの共演の多い女性シンガーNeha Kakkarをフィーチャーした現代的バングラーポップ。
この曲のリリックにもLil Goluの名前がクレジットされている。

BadshahもHoney Singh同様に、EDM/ラテン的なバングラーラップのスタイルで活動していたが、最近ではより本格的(つまり、アメリカ的)なヒップホップが徐々にインドにも根付いてきたことを意識してか、本来のヒップホップ的なビートの曲に取り組んだり、逆によりインド的な要素の強い曲をリリースしたりしている。

このミュージックビデオはデリーの近郊都市グルグラム(旧称グルガオン)出身のラッパーFotty Sevenが2020年にリリースした"Boht Tej"にゲスト参加したときのもの。
ビートにはなんと日本の『荒城の月』のメロディーが取り入れられている。

女性シンガーPayal Devと共演したこの"Genda Phool"はベンガル語の民謡を大胆にアレンジしたもので、スリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデスを起用したミュージックビデオは2020年3月にリリースされて以来、すでに7億回以上YouTubeで再生されている(2020年に世界で4番目に視聴されたミュージックビデオでもある)。
これまでの「酒・パーティー・女」的な世界観から離れて、ヒンドゥーの祭礼ドゥルガー・プージャー(とくにインド東部ベンガル地方で祝われる)をモチーフにしているのも興味深い。

「かつて両親に楽をさせるために、魂を売ってコマーシャルな曲をラップしたこともある。でも今ではそういう曲とは関連づけられたくないんだ」
こう語るRaftaarは、商業的な路線からは距離を置いて活動しているようだ。
コマーシャルなシーンの出身であることから、Emiway Bantaiらストリート系のラッパーからのディスも受けたが、デリーのベテランラッパーKR$NAと共演したり、自身のマラヤーリーとしてのルーツを扱ったアルバム"Mr. Nair"(Nairは彼の本名)をリリースしたりするなど、堅実な活動を続けている。
現時点での最新の楽曲"Black Sheep".
最近では仲間のラッパーたちと運営するKalamkaarレーベルがフランスの大手ディストリビューターと契約を結んだというニュースもあり、さらなる活躍が期待できそうだ。

Ikkaの現時点での最新のリリースは、フィーメイル・ラッパーRashmeet Kaurの楽曲にDeep Kalsiとともにゲスト参加したこの楽曲(全員パンジャービーのシンガー/ラッパー)
レゲエっぽいビートに乗せたバングラーポップのR&B風の解釈は、インドのポピュラー音楽のまた新しい可能性を期待させてくれる。


正直にいうと、Mafia Mundeerの元メンバーたち、とくにHoney SinghやBadshahに対しては、その商業的すぎる音楽性から、私もあまりいい印象を持ってなかった。
バングラー・ラップは垢抜けない音楽だと感じていたのだ。
だが、インドの音楽シーンを知ってゆくうちに、パンジャービーにとってのバングラーは、アメリカの黒人にとってのソウル・ミュージックのようなものであり、その現代的解釈は、商業主義の追求というよりも、ごく自然なものであると考えるようになった。
自らのルーツを意識しつつも、新しい音楽をためらわずに導入し、露悪的なまでに自由でワイルドに活動したという点で、彼らはまさしくパーティーミュージックとしてのヒップホップのインド的解釈を成し遂げたと言ってよいだろう。

本格的な成功とほぼ同時に解散してしまったことで、今ではMafia Mundeerという名前を聞くことも少なくなってしまったが、4人の個性的な人気ラッパーの母体となったこのユニットは、インドの現代ポピュラーミュージックを語るうえで、決して無視できない存在なのだ。

ちなみにMafia Mundeerのもう一人のオリジナルメンバーであるLil Goluは、Honey Singhと楽曲を共作したりしている一方、IkkaをまじえてRaftaarとの再会を果たした様子。
Ikkaの"I"にも参加しており、元メンバー同士の抗争からは距離を置いて、全員と良好な関係を築きつつ活動を継続しているようだ。

いつの日か、彼らが再び何者でもなかったころの絆を取り戻して、その成功に至るストーリーをボリウッド映画にでもしてくれたらよいのに、と思っている。
その夢が実現するのはまだまだ先になりそうだが、それまでに彼らがどんな音楽を聴かせてくれるのか、激変するインドのヒップホップシーンでのパイオニアたちの活動に、これからも注目したい。




(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer

http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958

https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html

https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms

https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html



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goshimasayama18 at 19:26|PermalinkComments(0)

2021年01月31日

インド・ヒップホップ夜明け前(その2)Mafia Mundeerの物語・前編


(前回の記事)



今日のインドのメジャーヒップホップシーンを築いた立役者であるYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka.
インド以外での知名度は高いとは言えない彼らだが、その人気は我々の想像を大きく上回っている。

Yo Yo Honey SinghとBadshahは、パンジャーブの伝統のリズムであるバングラーとヒップホップを融合し、さらにラテンやEDMの要素を取り入れたド派手な音楽性が大いに受け、YouTubeでの動画再生回数はともに20億回をゆうに超えている。

Raftaarは、よりヒップホップ的な表現を追求してシーンの支持を集め、やはり億単位の動画再生回数を誇っている。
Ikkaは、知名度こそ他の3人には劣るが、確かなスキルを評価されて、アメリカの超有名ラッパーNasのレーベルのインド部門であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、さらなる活躍が期待されている。
この曲で、IkkaはMass Appeal Indiaのレーベルメイトでもあるムンバイのヒップホップシーンの帝王DIVINEとの共演を果たした。

このインドのメジャーヒップホップ界の大スターたちは、いずれもかつてMafia Mundeerというユニットに所属していた。
しかし、この「インドのメジャーヒップホップ梁山泊」的なグループについて、今我々が得られる情報は、決して多くはない。
その理由が、Mafia Mundeerが本格的にスターダムにのし上がる前に解散してしまったからなのか、それとも彼らにとってあまり振り返りたくない過去だからなのかは分からないが…。
いずれにしても、彼らこそが現在までつながるインドのメインストリーム・ヒップホップのスタイルを定着させた最大の功労者であることに、疑いの余地はない。

このMafia Mundeerの中心人物は、やはり彼らの中で最年長のこの男だったようだ。
Hirdesh Singh - 1983年3月15日、パンジャーブ州、ホシアルプル(Hoshiarpur)生まれ。
ステージネーム、Yo Yo Honey Singh.
彼はラッパーとしてのキャリアをスタートさせる前にロンドンの音楽学校Trinity Schoolに留学していたというから、かなり裕福な家庭の出身だったのだろう。
時代的に考えて、留学先のイギリスでは、2000年台前半の最も勢いがあったころのバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを体験したはずだ。
前回の記事で書いたとおり、イギリスに渡ったパンジャーブ系移民は、90年代以降、彼らの伝統音楽バングラー(Bhangra)を最新のダンスミュージックと融合させ、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
デシ・ヒップホップ(Desi HipHop)とは、インド系(南アジア系)移民によるヒップホップを指す言葉で、移民にパンジャーブ系の人々が多かったこともあり、デシ・ヒップホップにはバングラーの要素が頻繁に取り入れられていた。(現在では、デシ・ヒップホップという言葉は、インド、パキスタン、バングラデシュなどの国内も含めた、南アジア系ヒップホップ全般を指して使われることもある)
デリーに戻ってきたHirdeshは、同じような音楽を愛する友人と、Mafia Mundeerを結成する。

その友人の名は、Aditya Prateek Singh Sisodia.
1985年、11月19日生まれ。
ハリヤーナー系の父と、パンジャーブ系の母の間にデリーで生まれた彼のステージネームは、Badshah.
'Badshah'とはペルシア語由来の「皇帝」を意味する言葉だが、おそらく英語の'Bad'が入っていることからラッパーらしい名前として選んだのだろう。
彼もまた、名門バナーラス・ヒンドゥー大学とパンジャーブ工科大学を卒業したエリートである。

数年後、Honey Singhは、同じくヒップホップを愛する"Black Wall Street Desis"という3人組のクルーに出会い、彼らにMafia Mundeer加入を呼びかけた。
彼らのリーダー格は、RaftaarことDilin Nair.
1998年11月17日生まれ。
バングラーなどのパンジャービー音楽との関わりが深いインドのメインストリーム・ヒップホップ界において、彼はパンジャーブのルーツをいっさい持たないケーララ出身のマラヤーリー(ヒンディー語やパンジャーブ語とはまったく異なる言語形態のケーララの言語マラヤーラム語を母語とする人々)だ。
とはいえ、学生時代をハリヤーナー州の寮でデリーやパンジャーブ州から来た仲間と過ごしていたそうで、インタビューで「自分にとってマラヤーリーなのは名字だけ」と語るほど北インド文化に馴染んでいるようだ。
もともとダンサーとしてコンテストに入賞するなど活躍していたが、やがてラッパーに転向したという経歴の持ち主でもある。

Raftaarの仲間の一人は、IkkaことAnkit Singh Patyal.
1986年11月16日生。
彼はパンジャーブの北に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州の出身で、当時はYoung Amilというステージネームを名乗っていた。

もう一人の仲間は、Lil Golu.
彼は、自身が表に出るよりも、プロデューサー的な役割を担うことが多かったようで、Yo Yo Honey Singhの"Blue Eyes", "Stardom", "One Thousand Miles"といった曲を共作している。
マハーラーシュトラ州ムンバイ出身のラージプート(ラージャスターンにルーツを持つコミュニティ)一家の出身とされており、彼のみ1990年代生まれのようだ。
Black Wall Street Desisは、自分たちでリリックを書き、曲を作ってポケットマネーでレコーディングをしたりしていたという。

多くの地名が出てきたので、ここでインドの地図を貼り付けておく。
1280px-India_-_administrative_map
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Tourism_in_India_by_state

Ikkaの故郷ヒマーチャル・プラデーシュや、Badshahの父の故郷でRaftaarが学生時代を過ごしたハリヤーナーがパンジャーブ州に隣接しているのに対し、Lil Goluが生まれたムンバイや、Raftaarのルーツであるケーララが地理的にもかなり離れた場所であることが見て取れる。
多様なバックグラウンドを持つMafia Mundeerのメンバーを結びつけたのは、ヒップホップと、そしてやはりもう一つのルーツとしてのバングラー/パンジャーブ音楽だったのだろう。

さまざまな情報を総合すると、Yo Yo Honey SinghとBadshahが出会ったのが2006年、Raftaar, Ikka, Lil Goluが加入したのが2008年のことだったようだ。
インドではまだヒップホップのリスナーもパフォーマーも少ないこの時代、デリーの街角で、5人の若者が、彼らなりのヒップホップを追求し始めた。
もちろん、まだ彼らは誰も、将来「インドのミュージックビジネスで最も稼ぐ男」と呼ばれることも、憧れのNasのレーベルと契約するようになることも想像すらしていなかったはずだ。
彼らのごく初期の楽曲を改めて聴いてみたい。

この曲ではHoney Singhはミュージックビデオには参加しているもののラップはしておらず、Bill Singhというアーティストの作品にプロデューサーとして関わったもののようだ。
もしかしたらHoney Singhがイギリス留学中に関わったものかもしれない。
音楽性はオールドスクールなバングラーとラップのフュージョン。
後ろでDJをしながら踊っているのが若き日のHoney Singhだ。

Honey SinghとBadshahが共演した"Begani Naar"は、Wikipediaによると2006年の楽曲らしい。
この時代の彼らの活動については謎が多く、楽曲のリリース年すら情報が錯綜していてウェブサイトによって異なる記述が見られる。

BadshahがCool Equal名義でRishi Singhと共演した"Soda Whiskey"は2010年の楽曲。
この頃からボリウッドのパーティーソング的な世界観に近づいてきているのが分かる。

Honey Singhが作ったトラックにBadshahのラップを乗せた"Main Aagaya"は2013年にリリースされた曲。

RaftaarとHoney Singhが共演したこの曲は、正確なタイトルすら定かではないが2010年ごろのリリースのようだ。
オールドスクールなフロウにバングラー独特のトゥンビの音色が重なってくるいかにも初期バングラー・ラップらしい楽曲。

面白いのは、彼らはつるんではいても決してMafia Mundeer名義での楽曲は発表せず、仲間同士でのコラボレーションでも名前を併記してのリリースとしていることだ。
少し後の時代にインド版ストリートラップである「ガリーラップ」のブームを巻き起こしたムンバイのDIVINEのGully Gangも同様の活動形態を取っている。

2012年にIkkaがパンジャーブ系シンガーのJSL Singhと共演した"Main Hoon Ikka".

いずれの曲もまだ拙さが目立つが、この先、彼らは加速度的に成功への道を歩んでゆく。
そして、ヒップホップへの情熱で結ばれた彼らの友情にも綻びが生まれてゆくのだが、今日はここまで!

(つづき)



(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer

http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958

https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html

https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms

https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html



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goshimasayama18 at 17:52|PermalinkComments(0)

2020年11月13日

DIVINEはどこに行く? 方向性を模索するインド・ヒップホップシーンの兄貴


このブログのごく初期に特集した、ムンバイの、いやインドのヒップホップシーンを代表するラッパー、DIVINE.
 

彼は、インド発のストリートヒップホップである「ガリーラップ」を代表するアーティストであり(そもそも「路地」を表すヒンディー語の'Gully'を最初にヒップホップの文脈で使い始めたのが彼だ)、ボリウッド初のヒップホップ映画として大ヒットした『ガリーボーイ』に登場するMC Sherのモデルにもなったラッパーだ。




映画『ガリーボーイ』の成功や、ヒップホップ市場の急拡大によって、彼はインドの音楽シーンでは珍しい、非映画音楽出身のスターとなった。
アンダーグラウンド出身の彼が、映画音楽中心のインドの音楽シーンでスターになったきっかけが、結局のところボリウッド映画だったというのは皮肉なことだが。

さらに、DIVINEは昨年立ち上げられた、'Mass Appeal India'(あのNasが手掛けるMass Appealレーベルのインド部門)の看板アーティストとして、Universal Musicを通じて世界に向けて発信されることになるという。
まあ、実際にはヒンディー語のラップを聴くのは、自分のような一部の好事家を除けば、海外在住のインド人リスナーくらいだろうから、さすがにこれはインド国内向けの宣伝文句だと思うが、少し前まではインドでも知る人ぞ知るアンダーグラウンドラッパーだった彼の評価と名声は、これまでになく高まっているのだ。

ところが、その彼がここ最近立て続けにリリースした新曲を聴くと、どうやら彼はここに来て、新たな方向性を模索しているようなのである。
(というか、率直に言うと、とっ散らかってるっていうか、迷走している…とも思える)

 
9月23日にリリースされたのが、この"Punya Paap".
タイトルはヒンディー語で『善行と罪』といった意味である。
このミュージックビデオを見た時の衝撃は大きかった。
インドではマイノリティーであるクリスチャンの彼が、その信仰を前面に出し(つまり、大衆受けよりも真摯な表現を選んだということだ)、自身の内面を鬼気迫るラップで吐き出す姿からは、インドのヒップホップ界の帝王にふさわしい貫禄と気迫がびんびん伝わってきた。
リリックの中身はというと、これまでの生き方を振り返り、自分の失敗を望む人々(英訳で'Your song are cheap-sounding'というリリックもあるから、誰かラッパーだろう)に対して、自分は死ぬまでナンバーワンであり続ける、神以外に恐れるものはない、と宣言するというもの。
内省的なリリックと誰だか分からない相手へのdisが少々ミスマッチだが、それでもこの凄まじい緊張感は並大抵のラッパーに出せるものではない。
ビートを手掛けたのはジャマイカのプロデューサーiLL Wayno.
さすがDIVINE、本気で世界規模の作品を作る気なんだな、と感心したものだった。


ところが、続いて10月16日にリリースされた彼の次の曲"Mirchi"を聴いて、思いっきりずっこけた。
"Mirchi"は唐辛子という意味だが、それはさておき、このパーティーラップ、いったいどうしてしまったのか。
DIVINEはYo Yo Honey Singhみたいなコマーシャルラッパーになりたいのだろうか。
コワモテな見た目と無骨なフロウが曲の世界観にあまり合っていないし、タイトルの連呼から始まるフックもどこか野暮ったい。
ガリー(ストリート)ではかっこよく見えていたハードコアな要素が、このラテンっぽい陽気なサウンドと全くマッチしていないのである。
カラフルな衣装も似合っていないし。


…とはいっても、評価やコメント欄を見る限り、インドのファンたちにはかなり好評なようだから、日本からケチをつけるのは野暮ってものなのだが、それにしたって、一応「世界を目指す」ことになっているラッパーが、これはないだろう、というのが正直な感想だ。

まあ、ストリート上がりのハードコアラッパーが、成り上がりの夢を叶えた瞬間に、成金丸出しの曲をリリースして微妙な感じになってしまうというのはインドに限らず、たまにあることだけど。
(ところで、YouTubeのコメント欄、"Punya Paap"はヒンディー語のコメントが多く、Mirchiは英語のコメントが多いのはなぜだろう…)

続いて11月6日にリリースされたのが、この"Mirchi".
 
タイトルの"Mera Bhai"はマイブラザーといった意味。
今度はミュージックビデオがアニメになった。
コロナウイルスの影響だと思うが、最近はインドでもアニメのミュージックビデオが増えている。
前作の"Mirchi"とはうってかわって、"Punya Paap"同様に自分の半生を振り返るという路線の曲である。
迫力あるラップはあいかわらず素晴らしいが、ここ数年のヒップホップのトレンドを追うかのようなオートチューンを使ったフックや3連のフロウが、ちょっと若作りしているように聴こえなくもない。

リリックは、兄弟同様に苦楽を分かち合い、ヒップホップシーンで成り上がってきた仲間(Naezyのことか?)との絆と裏切りについてラップしているように受け取れる。
"Punya Paap"同様に、結局のところ、自分のブラザーとして信用できるのは自分だけ、という結末のようだ。
これも、「ナイーヴさの肯定」というヒップホップの世界的なトレンドを意識しているのかもしれない、と言ったらうがった見方だろうか。

この曲も内面的な要素とdisっぽい要素が共存しているわけだが、"Punya Paap"からあまり間を置かずに似たテーマの曲をリリースしたことで、女々しさが目立ってしまったような印象だ。
しかも間に妙なパーティーラップを挟んでいるので、なんというか、分裂気味の人のような感じになってしまった。
迷走するDIVINE、どこへ行く。

DIVINEが"Yeh Mera Bombay"や"Voice of Street"でデビューしたのが2013年。
Naezyとの"Mere Gully Mein"が2015年だ。 
この2015年頃から、アンダーグラウンドのシーンは急速に活性化し、2019年の『ガリーボーイ』 で一気に注目を浴びるようになった。
2015年当時は、90年代のアメリカのサウンドの模倣やインド独自のガリーラップが多かったインドのヒップホップシーンは、ここ5年ほどの間に、ヒップホップの30年の歴史を凝縮したかのような急激な進化を遂げた。
先日のオンラインイベント"STRAIGHT OUTTA INDIA"でも紹介した通り、プネーのMC STANのような新世代も台頭してきている。


こうしたシーンの大変動に対して、ガリーラップのオリジネイターにしてシーンのベテランであるDIVINEが焦りを感じていることは、想像に難くない。
インドに限らず、シーンで新しいサウンドが主流となったときに、ベテランアーティストが「俺だってそれくらいできるんだぜ」と言わんばかりに挑戦して、ちょっと微妙な感じ(似合わなかったり、必死すぎたり)になってしまうというのは、ジャンルや洋の東西を問わずよくあることだ。
DIVINEも今、その苦悩の真っ只中にいるのだろう。
これまでの「タフでワイルドなガリーの兄貴」のイメージから脱却し、コマーシャルなパーティーラップや内省的な世界観など、新しい方向性を模索しているというわけだ。

よほどのことがない限り、DIVINEがシーンの中でリスペクトを失うことは無いはずだが、できればシーンの趨勢に一喜一憂する姿はあんまり見たくない。
果たして今後の彼のサウンドはいったいどうなってゆくのだろうか。
今聴いてもオールドスクールなヒップホップがかっこいいのと同じように、彼のガリーラップは時代の変化で簡単に色あせてしまうものではないと思っているのだが。


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goshimasayama18 at 22:49|PermalinkComments(0)

2019年02月24日

Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史

今回は、ボリウッドの大スターであるRanveer Singh主演の映画"Gully Boy"を生み出すまでに至ったインドのヒップホップシーンの歴史を振り返ってみます。
(ムンバイのラッパー、DivineとNaezyをモデルにした映画"Gully Boy"についての記事はこちらから:
「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」
「映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)」
「映画"Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア」

在外インド人によるDesi hip hopの誕生から、インド都市部でのストリートラップの誕生まで、インドのヒップホップの歴史を、3つに区切って紹介!
(アーティスト名など、文字の色が変わっているところは、そのアーティストを紹介している記事へのリンクになっているのでよろしく)

【Desi Hip Hopのはじまり】(20世紀末〜2005年頃)

「インド系」のヒップホップは、総称して'desi hip hop'と呼ばれる。
'Desi'という接頭辞は、本来は南アジア系ディアスポラ(在外コミュニティー)を意味する言葉。
'Desi hip hop'という言葉は、もともとはイギリスやカナダなどで暮らす南アジア系(インドのみならず、パキスタン、バングラデシュなども含む)移民によるラップミュージックを指していたが、現在ではインド国内のヒップホップを含めた総称として使われることもある。
とにかく、この呼び名からも分かる通り、インドのヒップホップは、海外に暮らす移民たちによる、「在外南アジア系コミュニティーの音楽」として始まった。

Desi hip hop誕生前夜の90年代後半には、イギリスを中心に「バングラー・ブーム」が巻き起こっていた。
このパンジャーブ州発祥の強烈にシンプルでエスニックなリズムは、インド系移民からメインストリームにも飛び火し、そのブームはPanjabi MCが1998年にリリースした"Mundian To Bach Ke"が2003年には世界的なヒットとなるまでに拡大した。
同じく90年代には、タブラ奏者のTalvin SinghやAsian Dub Foundationのようなバンドによる「エイジアン・アンダーグラウンド」と呼ばれるムーブメントもイギリスで勃興。
南アジア系移民によるクラブミュージックとルーツ音楽の融合が本格的に始まり、インド系ヒップホップ誕生の期は十分に熟していたのだ。
こうした状況下で、同時代の欧米の音楽にも親しんだ移民の若者たちが、自分たちの言葉をラップに載せて吐き出すのは必然だった。

初期のdesi hip hopを代表するアーティストを一人挙げるとしたら、カリフォルニアのBohemiaということになるだろう。
Desi hip hopの創始者と言われるBohemiaは、1979年にパキスタンのカラチで生まれ、13歳のときに家族とともにカリフォルニアに移住してきた。
母の死をきっかけに高校をドロップアウトした彼は、南アジア系の仲間とバンドを組んで音楽を作り始める。
やがて彼は、故郷を持たずに放浪するボヘミアンの名を借りて、移民の青春や文化的衝突をリリックに乗せた世界最初のパンジャービー語ラッパーとなり、在外パンジャーブ系コミュニティーを中心に人気を博してゆく。
2002年に発表した彼のデビューアルバムは、地元カリフォルニアよりもインド系移民の多いイギリスで高く評価され、BBCラジオのトップ10にもランクインした。
彼は俳優Akshay Kumarとの親交でも知られ、'Chandni Chowk To China'や'Desi Boyz'といった彼の主演作品への楽曲提供も行なうなど、ボリウッドとヒップホップの橋渡しという意味でも大きな役割を果たした。
Desi hip hopのラッパーたちはアメリカやカナダからも登場したが、シーンの中心はインド系移民の多いイギリスで、マンチェスターのMetz and TrixやウエストヨークシャーのRDBら、多くのアーティストがこの時代から活躍している。

Desi hip hopは、その後も独自の進化を続け、Raxstar(ルートン〔英〕、2005年デビュー)、Shizzio(ロンドン。2006年デビュー)、Swami Baracus(ロンドン。2006年デビュー?)、J.Hind(カリフォルニア。2009年デビュー)ら、多彩なアーティストを輩出している。
2010年代に入ってからは、Desi hip hopという用語の古臭さを嫌い、Burban(Brown Urbanの略。Brownは南アジア系の意)というジャンル名を提唱するアーティストも出始め、Jay Sean(ロンドン。2014年デビュー)のように、音楽性からインドらしさを取り払って人種に関係なく受け入れられるアーティストが登場するなど、シーンは一層の多様化を見せている。


【インド製エンターテインメント・ラップの登場】
海外でのdesi hip hopの流行がインド本国にも伝わると、インドの一大エンターテインメント産業である映画音楽業界が放っておくはずがなかった。
Desi hip hopのアーティストは、イギリスのインド系移民の主流で、バングラーの故郷でもあるパンジャーブ系のラッパーが多かったが、その影響からか、この時期にインドで活躍しはじめたラッパーもパンジャーブ系が多かったのが特徴だ。

その代表格がYo Yo Honey Singhだ。
パンジャーブ州ホシアールプル出身の彼は、イギリス留学を経てデリーを拠点に音楽活動を開始。
Desi hip hopシーンの影響を受けた彼は、2006年にBadshah, Raftaarらとバングラー/ラップユニットMafia Mundeerを結成し、国産バングラー・ラップを作り始める(名義としては各メンバーの名前でリリースされている楽曲が多い)。
この新しいサウンドに流行に敏感なボリウッドが飛びつくと、当初はシンプルなものだった彼らの音楽性は、映画音楽に採用されるにしたがって、どんどん派手に、きらびやかになってゆく。Mafia Mundeer出身のアーティストでは、Honey Singh同様にゴージャスなサウンドが特徴のBadshah、よりヒップホップ色の強いサウンドのRaftaarらもヒット曲を量産し、インドのエンターテインメント・ラップの雛形を作り上げた。
インターネットの普及によりインド国内で多様な音楽が聴ける環境が整うと、ガラパゴス的だったインドの映画音楽は一気に発展し、派手なサウンドのバングラー・ラップはボリウッドでひんぱんに取り上げられるようになる。
また同じ時期には、おそらくはインド初のフィーメイルラッパーということになるであろうHard Kaur(彼女もイギリス育ち)も登場し、現在も映画音楽を中心に活躍している。

彼らのサウンドは、インドではヒップホップとして扱われることが多いが、その音楽性はむしろバングラー・ビートをEDM的に発展させた楽曲にラップを合わせたもの。
アーティストの名前を知らなくても、インド料理店などで流れているのを耳にしたことがある人も多いかもしれない。


【インドのストリートヒップホップ Gully Rapの台頭】(2010年頃〜)
インド社会にインターネットが完全に定着すると、それまで耳に入る音楽といえば国内の映画音楽ばかりだった状況が一変する。
エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップとは一線を画するラッパーたちが次々と登場してきたのだ。
高価な楽器がなくても始められるラップがインドの若者たちに広まるのは当然のことだった。
それまで、映画音楽などのようにエンターテインメント産業によって制作され、提供されるのが常識だった音楽を、若者が自分で作って発信できる時代が訪れたのだ。
こうして、インドじゅうの大都市に、アンダーグラウンドなヒップホップ・シーンが誕生した。

ムンバイからは、ケニア出身のラッパーBob Omulo率いるバンドスタイルのBombay Bassment, Mumbai's Finest、そしてストリート出身のDivineやNaezyが登場。
Divineはヒンディー語で「裏路地」を意味するGullyという言葉を多用し、インド産ストリートラップの誕生を印象付けた。
ムンバイは他にもEmiway Bantai, Swadesi, Tienas, Dharavi United, Ibexら、多くのラッパーを輩出し、インドのアンダーグラウンド・ヒップホップの一大中心地となった。
英語、ヒンディー、マラーティーと多様性のある言語が使用されているのもムンバイのシーンの特徴だ。

首都デリーでは名トラックメーカーSez on the Beatを擁するAzadi Recordsが人気を集め、パンジャービーながらバングラではなくアンダーグラウンド・スタイルで人気を博しているPrabh DeepやSeedhe Mautらが台頭してきている。

デカン高原のITシティ、バンガロールでは、バッドボーイだった過去とヒンドゥーの信仰をテーマにしたBrodha Vや、出身地オディシャの誇りや日印ハーフであることで受けた差別の経験をラップするBig Dealらがこなれた英語のラップを聴かせる一方で、地元言語カンナダ語でラップするMC BijjuやGubbiら、よりローカル色の強いラッパーたちも活躍している。

南インドのタミル・ナードゥ州ではHip Hop TamizhaやMadurai Souljourが、ケーララ州ではStreet Academicsらがそれぞれの地元言語(タミル語、マラヤーラム語)で楽曲をリリースし、インド北東部でも、トリプラ州のBorkung Hrankhawl(BK)、メガラヤ州のKhasi Bloodz、アルナーチャル・プラデーシュ州のK4 Kekhoらがマイノリティーとしての民族の誇りや反差別をラップしている。

こうしたアーティストの特徴は、彼らの音楽的影響源がDesi Hiphopやいわゆるボリウッド・ラップではなく、EminemやKendrick Lamarらのアメリカのラッパーだということ。
よりシンプルなトラックにメッセージ性の強いリリックを乗せた彼らは、エンターテインメント色の強いボリウッド・ラップがすくいきれない若者たちの気持ちを代弁し、支持を集めてきた。

各地で同時多発的に勃興したムーブメントは少しずつ大波となってゆく。
ここにきて、アンダーグラウンドなものとされてきたGully Rapが"Gully Boy"としてボリウッドの大作映画に取り上げられるなど、インドのヒップホップシーンはよりボーダレス化、多様化が進み、ますます面白くなっている。
アンダーグラウンドシーン出身のラッパーがメジャーシーンである映画音楽の楽曲を手がけることも多くなってきた。
また、在外インド人系アーティストでは、カリフォルニア出身でソングライターとしてグラミー賞にもノミネートされたことがある米国籍のフィーメイル・ラッパーのRaja Kumariが、映画音楽からDivineとの共演まで、インド系ヒップホップシーンのあらゆる場面で活躍している。

当初、インドのストリート系ラップはアッパーな曲調が大半を占めていたが、昨今ではTre Ess, Tienas, Smokey The Ghost, Enkoreのようによりメロウでローファイ的なトラックの楽曲を発表するアーティストも増えてきた。
世界的なチルホップ、ローファイ・ヒップホップの流行に呼応した動きと見てよいだろう。
ムンバイのラッパーIbexが日本人アーティストのHiroko、トラックメーカーのKushmirとともに日本語のリリックを取り入れたチルホップ曲"Mystic Jounetsu"をリリースしたのも記憶に新しい。

"Gully Boy"のヒットで一気にメジャーシーンに躍り出て来たインドのヒップホップシーンは今後どのように発展し、変化してゆくのか、これからもますます注目してゆきたい。
(…といいつつ、あまりにもアーティストの数が増え続け、もはや追い続けることが不可能なレベルに入って来たとも思うのだけど)


今回の記事で紹介したラッパーたちの楽曲をいくつか紹介します。
かなりの量になるので、興味があるところだけでも聞いてみて。

Desi Hip Hop前夜に世界中でヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach He"(1998年)

今にして思うとあのバングラ・ブームは何だったんだろう。
世界的なブームは一瞬だったけど、その後もインド国内のみならず在外インド人の間でもバングラは愛され続けており、インド系ヒップホップにも多大な影響を与えてきた。

Bohemiaのファースト・アルバム"Vich Pardesa de"(2002年)。

改めて聴いてみて、このあとにインドで流行するヒップホップと比較すると、オリジナルの(アメリカの黒人の)ヒップホップのヴァイブを一番持っているようにも感じる。

そのBohemiaが映画音楽を手がけるとこうなる"Chandni Chowk To China"(2009年)

その後のボリウッド・ラップとも異なる、これはこれで面白い音楽性。
Chandni Chowkはデリーの要塞遺跡ラール・キラーにつながる歴史ある繁華街の通りの名前だ。

Sunit & Raxstar "Keep It Undercover"(2005年)

トラックにインド音楽をサンプリングするのはその後のインド本国でのヒップホップでもよく見られる手法。

Shizzio FT Tigerstyle "I Swear"(2009年)

Shizzioは2010年代以降、新しいDesiミュージックとしてBurbanを提唱するアーティストの一人。

Swami Baracusは音楽的にはまったくインドらしさを感じさせないラッパー。 "The Recipe"(2011年)


Jay Sean "Down ft. Lil Wayne"(2009年)

かつてはもっとインド色の強い音楽性だったJay Seanは、無国籍な作風となったこの曲でビルボードチャートNo.1を達成。
インド系のアーティストとしては初の快挙。

Yo Yo Honey Singh ft. Bill Singh "Peshi"(2005年)

Yo Yo Honey Singhのデビュー曲はのちの音楽性よりもシンプルでバングラ色が濃厚!

最新の楽曲は昨今流行りのバングラのラテン的解釈
Yo Yo Honey Singh "Makhna"(2018年)


Badshah "Saturday Saturday"(2012年) 

典型的なボリウッド・パーティー・ラップ。
歌い始めのところで「食べやすい」と聞こえる空耳にも注目。

Raftaar x Brodha V "Naachne Ka Shaunq"

ボリウッド・ラップとストリートシーン出身のラッパーの共演例のひとつ。

Hard Kaur "Sherni"(2016年)

イギリス育ちのフィーメイル・ラッパーの草分けHard Kaur.
Raja Kumariもそうだが、こういうラッパー然とした佇まいはなかなかインド出身の女性には出せないのかもしれない。

Bombay Bassment "Hip Hop (Never Be the Same)"(2011年)

レゲエ的な曲を演奏することも多いBombay Bassmentはムンバイのシーンの初期から活動しているグループだ。ベースやドラムがいるというのも珍しい。

Mumbai's Finest "Beast Mode"(2016年)

オールドスクールな雰囲気満載のこの曲はダンスやスケボーも含めたムンバイのヒップホップシーンの元気の良さが伝わる楽曲。

Divine ft. Naezy "Mere Gully Mein"(2015年)

映画"Gully Boy"でも効果的に使われていた楽曲のDivineとNaezyによるオリジナル・バージョン。
映画公開以来Youtubeの再生回数もうなぎのぼりで、ボリウッドの力を思い知らされた。

"Suede Gully"(2017年)はDivine, Prabh Deep, Khasi Bloodz, Madurai Souljourとインド各地のシーンで活躍するストリートラッパーの共演。

Gullyという言葉がインドのヒップホップシーンで多様されていることが分かる。
ご覧の通りPumaのプロモーション的な意味合いが強い楽曲で、この頃からアンダーグラウンド・シーンに大手企業が注目してきていたことが分かる。

Street Academics "Vandi Puncture"(2012年)

ケララ州を代表するラッパーデュオStreet Academics.

Smokey the Ghost "Only My Name ft. Prabh Deep"(2017年)

 Sezプロデュースのこの曲はチルでジャジーな新しいタイプのインディアン・ヒップホップサウンド。

Tienas "18th Dec"(2018年)

ムンバイのTienasのこの曲はインドのヒップホップ界を牽引するデリーの新進レーベルAzadi Recordsからのリリース。

Raja Kumari "Karma"(2019年)

Raja Kumariはこの曲や先日紹介した"Shook"を含む5曲入りのアルバム"Bloodline"を2月22日にリリースしたばかり。
やはり唯一無二の存在感。

2019.3.7追記:このあとに書いた印パ対立の犠牲となってきた悲劇の地カシミールで自由を求めてラップするストリートラッパーMC Kashについてはこちらから。「カシミール問題とラッパーMC Kash

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goshimasayama18 at 19:13|PermalinkComments(0)

2018年01月26日

インドのメインストリームヒップホップ1 Yo Yo Honey Singh

凡平です。
2
回にわたってむさ苦しい音楽を紹介してきたので、今回は「なんとかメタル」から離れて、ヒップホップのアーティストを紹介することにしたい。 

これまで、ヒップホップでは大衆音楽とは距離を置いた、ストリート寄りのBrodha VさんとかDIVINEさんを紹介してきたけど、今回は「これぞインドのメインストリーム!」ってなラッパーを紹介させていただきます。

というわけで、本日紹介するのはこの方、Yo Yo Honey Singhさんです。

 590694-honey-singh

ヨー・ヨー・ハニー・シン。

この名前を聞いて、まずみんな何を思うかってえと、芸名がださい…ってことだと思う。

Singhの部分が本名なわけだけれども、人間、自分の名前にヨー・ヨー・ハニーってのをつけたがるもんだろうか。

みなさんも自分の名前にちょっとヨー・ヨー・ハニーをつけてみてほしい。

自分がプロのミュージシャンになるとして、その名前で行こうってのはなかなか思わないんじゃないかなあ、って思うけど、まあそんなことはどうでもいいや。

まずはこの曲、2012年の曲でBrown Rang

   

再生回数は20181月の時点で4,400万回。

Brodha VDIVINEがせいぜい80万回くらいだから、文字通り桁が違う。それも二桁だ。

このビデオは2012年にYouTubeで最も見られたビデオってことになっている(たぶん当時はもっと再生回数の多い動画が上がっていたものと思われる)。

この曲はパンジャーブ語で歌われているんだけど、パンジャーブ語話者はインドとパキスタンに9,500万人程度。

じゃあパンジャーブ語話者だけがこの曲を聴いてるのかっていうと、そうとも限らなくて、ヒンディー語(話者26,000万人)を含めて似た構造を持っている北インド系の言語を母語とする人たちを中心に、歌詞を聴いて理解できる層というのはインドに相当数いるのではないかな。

で、そこまで人気のあるビデオってだけあって、内容も今まで見てきたインドのラッパーたちとは大違いで、下町をTシャツで練り歩いていたりはしない。

なんかゴージャスな感じのところでビシっとキメた格好で綺麗なおねえちゃんと絡んでいる。

まあこういう成金感覚も非常にヒップホップ的ではあるよな。

曲はヴォコーダー処理されたようなヴォーカルとか、同時代の欧米を意識しつつも歌い回しなんかはインドっぽいところを残しているのが印象的だ。

Brown Rangというのは、英語とおそらくはパンジャーブ語のミックスで、「茶色い肌」という意味だそうで、これは自分たちインド人のことを指していると考えて間違いないだろう。

「茶色い肌の彼女、みんな君に夢中で何も手につかないぜ、色白の女の子なんてもう誰も相手にしないのさ」という歌詞で、これを非常に現代的なサウンドに乗せて歌うところがニクい。

インドにはかなりいろいろな肌の色の人がいるが、昔から色白こそが美の条件とされている。
映画に出てくる女優も男優もかなり肌の色が薄い人ばかり。

そういうインドで、最先端のサウンドに乗せて「茶色い肌こそ魅力的なのさ」と歌うこの曲は、色白でない大多数の若者達にとって、とても魅力的に響くってことなのだろう。


続いてはこの曲。2013年のBlue Eyes.

 

なんかDA PUMPっぽい空気感を感じるビデオではあるが、この曲の再生回数もすでに14400万回!

1年前に「茶色い肌が魅力的さ」と歌ってたくせに、今度は「君の青い瞳が最高」みたいな曲。でも、白人の女の子を口説く内容の曲ということに、格別に都会的というか進歩的な雰囲気があるのかもしれない。

同じようにヴォコーダーを使ったコーラス部分が結構現代的なのに比べて、ラップのところがどうもちょっと野暮ったいんだけど、それもまた魅力といえば魅力、のような気もしないでもない。

 

もう少し最近の曲だとこんな感じになってる。

2016年のSuperman.

   

今度は曲調がヒップホップというよりEDMっぽい感じになってきた。 

「ベイビー、アイム・ア・スーパーマン!」とあいかわらず一定のダサさがある部分が、やっぱり幾ばくかの安心感になっていると思うのですが、いかがでしょう。
 

YoYo Honey SinghことHirdesh Singhはパンジャーブ州のシク教の一家に生まれ、イギリスの音楽学校で学んだ後、デリーを拠点に音楽活動をしている。

パンジャーブと言えば、90年代に世界的にもちょっと話題になったインド発祥の音楽、バングラの発祥の地だ。2011年にボリウッド映画「Shakal pe mat ja」の音楽を手がけた後、音楽活動のみならず俳優としても活躍している。パンジャーブ語だけでなく、ヒンディーで歌う事も多いようだ。

シク教は、インド北東部パンジャーブ州で16世紀に生まれた宗教。当時の(そして今も)インドの二大宗教であるヒンドゥーとイスラムの影響を受けつつ、他の宗教を排斥せず「いずれの信仰も本質は同じ」という考えを持ち、インドを中心に3,000万人の信者がいる。シク教徒の割合はインド全体では2%程度だが、ターバンと髭が目立つせいかもっといるように感じるし、パンジャーブ州では今でもじつに6割がシク教徒だ。

男性はひげを伸ばしてターバンを巻くことになっていて、ラッパーでも若手の社会派として人気のあるPrabh Deepなんかはターバンを巻いている。デスメタルバンドGutslitのベーシストも、そんな音楽やってるのに律儀にターバン(色は黒)は巻いているが、Yo Yo Honey Singhはターバン、全然巻いてないね。

若手シク教徒がターバンについてどう思っているのか、気になるところではある。
 

ここから先は完全に想像というか妄想だけど、彼の場合、おそらくイギリス留学が脱ターバンのきっかけになったのではないかな。

おそらく、シク教徒のターバンには、「自らすすんで戒律を守る」ということとは別に、コミュニティの中でかぶらないわけにはいかない、みたいな部分もあるのだと思う。

イギリスに留学したことで、初めてそうした因習から自由になり、ターバンを脱ぎ捨て、一人の若者として最新の音楽を学んでそれをインドに持ち帰る。
その無国籍なサウンドに、若干のインド的な要素をブレンドして、欧米コンプレックスを払拭するような歌詞を乗せて歌う。
Yo Yo Honey Singhの音楽はある意味非常に現代のインド的な音楽だと思うのだけど、いかがでしょうか。

今日はこのへんで!



goshimasayama18 at 22:14|PermalinkComments(0)