WhaleInThePond

2020年12月29日

2020年度版 軽刈田 凡平's インドのインディー音楽top10


2017年末に始めたこのブログも、おかげさまで丸3年。
これまでは、毎年年始めにRolling Stone India誌が選んだインドの音楽年間トップ10を紹介してきましたが(それもやるつもりですが)、今年は、軽刈田が選ぶインドのインディーミュージック年間トップ10を選んでみたので、発表してみたいと思います。


いつも偉そうに音楽を紹介してるけど、広大なインドのインディーミュージックを全て聴き込んでいるわけでもなく、言語も分からず、しばらくインドの地を踏めていない自分の興味や好みによるセレクトではありますが、映画音楽や古典音楽以外のシーンで何が起きているのかを知るきっかけにはなるはず。

ノミネートの条件は、今年インドでリリースされた楽曲、アルバム、ミュージックビデオであること。
選考基準はセールスでも再生回数でもなく、完全に主観!
とはいえ、一応いまのインドのシーンを象徴する楽曲を選んだつもりです。
全10選ですが、とくに順位はありません。


DIVINE "Punya Paap"

今のインドのインディー音楽について書くなら、どうしたってヒップホップから始めることになる。
DIVINEについては何度も書いているのでごく簡単に紹介すると、彼はムンバイ出身のラッパーで、ストリートラップ(いわゆるガリーラップ)シーンの初期から活動していた大御所(インドはシーンの歴史が浅いので、キャリアはまだ10年程度だが)。
2019年に公開された映画『ガリーボーイ』の「MCシェール」のモデルになったことをきっかけに知名度を上げ、今では米ラッパーNasのレーベルのインド部門である'Mass Appeal India'の所属アーティストとして活動している。
かつてストリートの日常をテーマにした「ガリーラップ」で人気を博していた彼は、最近では内面的なリリックやコマーシャルなパーティーラップなど、新しいスタイルに取り組んでいる。
この曲は彼のクリスチャンとしての宗教的な部分を全面に出した作品となっており、ガリーラップ時代とはまた別の気迫を感じさせる意欲作。
同じく今年リリースした"Chal Bombay"や"Mirchi"はかなりコマーシャル寄りな楽曲で、セルアウトと言われようと変わり続けるシーンになんとか食らいついてゆこうというベテランの意地を感じる。
最新アルバム"Punya Paap"では多彩な音楽性に挑戦しているが、どんなビートでも変わらないアクの強い独特のフロウを、彼のシグネチャースタイルと見るか不器用と見るかで評価が分かれそうだ。

DIVINEが音楽性を多様化させる一方で、最近ではBadshahやYo Yo Honey Singhといったコマーシャルラッパーたちは、従来アンダーグラウンドラッパーが使っていたような抑えたビートを選ぶことが多くなっている(これはムンバイ在住のHiroko Sarahさんの鋭い指摘)。
インドのヒップホップ界のメジャーシーンとインディーシーンの垣根はますます低くなってきているようだ。



MC STΔN  "Ek Din Pyaar"

DIVINEがインドのストリートラップの第一世代だとしたら、ヒップホップの新世代を象徴しているのがこのMC STANだろう。
マハーラーシュトラ州プネー出身の21歳。
メディアへの目立った露出もないまま、卓越したスキルとセンスを武器にYouTubeから人気に火がついた(と思われる)。
人気ラッパーEmiway Bantaiにビーフを仕掛けるなど、悪童的なキャラクターが先行していた彼は、2019年末にリリースした"Astaghfirullah"で、イスラームの信仰を全面に出したことでそのイメージを刷新。
内面的なテーマも扱う本格ラッパーという評価を決定的なものにした。
その後、再びこの"Ek Din Pyaar"(自身の悪評もネタにしている)のような不道徳路線に戻って数曲をリリースした後、つい先日また宗教色の強い"Amin"を発表したばかり。
こうした聖と俗の振れ幅、確かなラップスキルとセンス(トラックメイキングも自身で手掛けている)、ビジュアル、そして人気や知名度から見ても、彼こそがインドのヒップホップ新世代を象徴する存在と考えて間違いない。

今年のインドのヒップホップシーンは、他にもMass Appeal IndiaからリリースされたIkkaの"I"(これはコマーシャルラッパーのアンダーグラウンド回帰の好例)や、売れ線を完全に無視してエクスペリメンタルに振り切ったTienasの"A Song To Die"など、佳作ぞろいだった。
インドのヒップホップシーンの変化の激しさと面白さは今後もしばらく続くだろう。


Prateek Kuhad "Kasoor"
今年は世界中の音楽シーンが新型コロナウイルスの影響を受けた1年だったが、かなり早い段階からロックダウン政策が取られていたインドでは、この逆境を逆手にとって優れた作品をリリースするアーティストが目立った。
このPrateek Kuhadの"Kasoor"のミュージックビデオは、オンラインで集めた映像(恋愛にまつわるテーマへのリアクション)を編集して、非常にエモーショナルな作品に仕上げている。
ミュージックビデオの好みで言うなら、個人的にはこの曲が今年のNo.1。
この曲は他のアーティストたちにも響いたようで、インドを代表するEDMプロデューサー/シンガーソングライターのZaedenは、さっそくこの曲のカバーバージョンを発表していた。
Prateek Kuhadはインドのシンガーソングライターを代表する存在で、音楽ファンの支持も厚く、つい先ごろアメリカの名門レーベルElektraと契約したことを発表したばかり。
今後の活躍がもっとも期待されるアーティストの一人だ。



Tejas他 "Conference Call: The Musicall!"


コロナによる活動の制限を逆手にとって発表された作品のなかで、もっとも見事だったのが、この"Conference Call: The Musicall!"
インドには、Jugaad(ジュガール)という「今あるものを使って工夫してやりくりする」文化があるが、この曲はコロナ禍で急速に一般化したオンライン会議をミュージカルに仕立て上げ、さらには兼業ミュージシャンが多いインドの音楽シーンを皮肉をこめてテーマにした、まさに音楽的ジュガール。
シンガーソングライターTejas Menonが中心になって制作されたこのミュージックビデオは、ストーリーも面白いし楽曲も良くできていて、ミュージカルとしても純粋に楽しめる作品になっている。
全世界の音楽関係者が絶望したり、大真面目に「逆境に立ち向かおう」と訴えているときに、こういう面白い作品をしれっとリリースしてしまうのがインド人の素晴らしいところだ。



Aswekeepsearching "Sleep"

グジャラート州アーメダーバード出身で、現在はベンガルールを拠点に活動しているポストロックバンドが今年4月に発表したアンビエント・アルバム。
この作品に関しては、楽曲単位ではなくアルバムとしての選出。
ロック色の強かった前作"Rooh"とはうってかわって静謐でスピリチュアルな作風となったが、これがコロナウイルス禍でステイホームを余儀なくされた時代の雰囲気にばっちりはまった。
アンビエントとはいえ、トラックごとに個性豊かで美しい楽曲は飽きさせることがなく、個人的な感想を言うと、夜人気のない道をランニングしながら聴くと不思議な高揚感が感じられて大変心地よく、一時期愛聴していた。
インドには、ポストロックやアンビエント/エレクトロニカのような音の響きを重視したジャンルの優れた才能アーティストが多く、これからも注目してゆきたい。



Whale in the Pond "Dofon"

コルカタの「ドリームフォーク」バンドWhale in the Pondがリリースした"Dofon"は、核戦争による世界の終末を迎えた人類を描いたコンセプトアルバム。
この作品もアルバムとしての選出としたい。
"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"はアルバムの冒頭を飾る楽曲で、ベンガル語の方言であるシレッティ語(Sylheti)で歌われているが、アルバムには"Kite/Loon"のように英語で歌われている曲も多く収録されている。
サブスク全盛の現代に、世紀末的なテーマのコンセプトアルバムとはなんとも前時代的だが、この作品はソングライティング、構成、伝統文化との融合など、あらゆる面から見て大傑作。
昨今のインドのアーティストには珍しく、ウェブサイトを通じてフィジカルリリースをしていると思ったら、なんと「CDは時代遅れなのでついていません」との注釈が書かれていて、アルバムがダウンロードできるリンクのついたブックレット(コンセプトやビジュアルアート、歌詞が掲載されている)のみを販売しているとのこと。
こうしたセンスを含めて、伝統的な部分と革新性を併せ持った、才能あふれるバンドだ。



Heathen Beast "The Revolution Will Not Be Televised But It Will Be Heard"

インドのインディーミュージックの激しい面、政治的・社会的な面を煮詰めたような作品。
Heathen Beastはコルカタの無神論ブラックメタル/グラインドコアバンド。
このアルバムでは、ヒンドゥー・ナショナリズム的な政権や排外主義政策、腐敗した宗教界、警察権力、メディアを激しく糾弾している。
社会性/政治性を抽象化せずに、ここまでストレートにメッセージを打ち出しているアーティストは、いまどき世界的にも貴重な存在。
メンバーは過激すぎる作風から、正体を明かさずに音楽活動を続けている(インドでは反体制的なジャーナリストの殺害事件なども多い)。
正直、この音楽性なのでアルバムを通して聴くのは結構しんどいが、強烈なアティテュードにある種の清々しさを感じる作品だ。




Sayantika Ghosh "Samurai"

もう1枚、コルカタ出身のアーティストから。
シンセポップ・アーティストSayantika Ghoshの"Samurai"は、80年代レトロフューチャー的なサウンド/ビジュアルや、内面的な歌詞、日本のアニメの影響など、昨今のインドのインディーシーンの鍵となるテーマが散りばめられた作品。
ブログでも取り上げた通り、近年インドでは、"Ikigai"とか"Natsukashii"のように日本語のタイトルを冠した曲が散見されており、日本人としては気になる傾向だ。
Sayantika Ghosh現在は活動拠点をムンバイに移しているとのこと。
ソングライターとしての能力も高く、今後もっと評価されて良いアーティストだ。

今年は彼女の他にもNidaの"Butterfly"Maliの"Absolute", ラップに挑戦したSanjeeta Bhattacharyaの"Red"など、女性シンガーソングライターの自然体の魅力あふれる秀作が多い一年だった。




Ritviz "Chalo Chalein feat. Seedhe Maut"

RitvizはSpotifyでも高い人気を誇っているインド風EDM(いわゆる「印DM」)アーティスト。
インド的な要素と現代的なダンスミュージックを融合するだけでなく、ポップな歌モノとしても上質な作品を発表し続けている。
ポップかつノスタルジックな色彩のミュージックビデオは、彼の音楽にも今の気分にもぴったりはまっている。
共演のSeedhe Mautはデリー出身のストリートラップデュオで、この一見ミスマッチなコラボレーションにもインドのヒップホップの多様化・一般化を見ることができる。
Ritvizは"Raahi"のミュージックビデオでは同性カップルを取り上げており、こちらもLGBTQの権利向上に意識が向いてきた昨今のインドのインディー音楽シーンを象徴する作品だった。
ローカルな要素を多分に含んだ彼の音楽が、今後インド国外でも人気を得ることができるのか、注目して見守りたい。

「印DM」には、他にもNucleya, Su Real, Lost Storiesなど、期待できるアーティストが盛りだくさんだ。



Diljit Dosanjh "Born To Shine"

個人的な話になるが、2020年は私にとってバングラー/パンジャービー・ポップの面白さとかっこよさを再発見した年でもあった。
これまで、「バングラーは北インドのコマーシャルなポピュラー音楽」という認識でいたので、インディーミュージックをテーマにしたこのブログでは、ほとんど取り上げてこなかった。
なぜか演歌っぽく聴こえる歌い回しが野暮ったく感じられるというのも敬遠していた理由のひとつだ。
ところが、バングラーをパンジャーブ地方のローカルミュージック、あるいは世界中にいるパンジャーブ系移民のソウル・ミュージックとして捉えつつ、新しい音楽との融合に着目すると、これが非常に面白いのだ。
例えばこのDiljit Dosanjh.
ターバン姿でグローバルに豪遊するミュージックビデオは、2020年のバングラー作品として100点満点を付けてあげたい。
派手好き、パーティー好きで、物質的な豊かさを見せびらかしがちなパンジャービーたちのカルチャーが、カリフォルニアあたりのヒップホップのノリと親和性が高いということも再認識。
初期のインド系ヒップホップシーンを牽引したのがパンジャービーのラッパーだったのは、必然だったのかもしれない。



ここに選べなかったアーティストについても、いくつか触れておきたい。
10選の中に南部出身のアーティストが選べなかったのが痛恨だが、あえて選ぶなら、ケーララのフォークロックバンドWhen Chai Met Toastが今年リリースした楽曲は良いものが多かった。
インドのシンガーソングライターは近年本当に豊作で、非常に悩んだのだが、ここに入れられなかったアーティストから一曲選ぶなら、Raghav Meattleの"City Life".
この曲は物質主義的な都市生活への違和感をテーマにしているが、コロナウイルス禍以降にリリースされたことで、ビンテージ調の映像とあいまって、失われた活気ある生活への追憶のようにも感じられるものになった。
また、過去の作品の再編集なので対象外としたが、ベテランシンガーSusmit Boseのキャリアを網羅した"Then & Now"は、史料的な価値が高いだけでなく、初期ディラン・スタイルのウエスタン・フォークとしても上質な作品だった。
テクノアーティストOAFFの"Perpetuate"のミュージックビデオは、音楽的に新しい要素があるわけではなかったが、日常とサイケデリアをシンプルな映像エフェクトで繋いだ手腕に唸らされた。
コロナに翻弄された1年ではあったが、総じて優れた作品の多い1年だったと思う。

私の座右の銘は「好きなときに好きなことを好きなようにやる。飽きたらやめる」なので、このブログも飽きたら躊躇うことなくやめてしまおうと常々思っているのだけど、インドのインディーミュジックシーンますます面白くなってきており、いつまでたってもやめられそうにない。
というわけで、2021年もご愛読よろしくお願いします!




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2020年12月26日

2020年を振り返る コルカタの音楽シーン特集

先日に続いて、2020年を振り返る記事。
昨年(2019年)は、映画『ガリーボーイ』 の公開もあって、ムンバイのホップシーンに注目した1年だったが、今年(2020年)は佐々木美佳監督の『タゴール・ソングス』や、川内有緒さんの『バウルを探して 完全版』の影響で、ベンガルの文化に惹きつけられた1年だった。

もうすでに耳にタコの人もいるかもしれないが、ベンガルとはインドの西ベンガル州とバングラデシュを合わせた、ベンガル語が話されている地域のこと。
ベンガルmap
(この地図は『タゴール・ソングス』のウェブサイトからお借りしました)

イギリスによる分割統治政策によって多くのムスリムが暮らしていたベンガル地方の東半分は、1947年のインド・パキスタン分離独立時に、イスラームを国教とするパキスタンに帰属する「東パキスタン」となった。
しかし、言語も異なる東西のパキスタンを、大国インドを挟んだ一つの国として統治することにはそもそも無理があった。
西パキスタンとの格差などを原因として、東パキスタンは1971年にバングラデシュとして再び独立を果たすことになるのだが、それはまた別のお話。
(バングラデシュの音楽シーンについても、最近かなりいろいろと分かってきたので、また改めて紹介する機会を持ちたい)
私にとっての2020年は、分離独立前からこの地方の中心都市だった、インドの西ベンガル州の州都コルカタの音楽シーンが、とにかく特徴的で面白いということに気付づいてしまった1年だった。

コルカタのシーンの特徴を2つ挙げるとしたら、「ベンガル地方独特の伝統文化(漂泊の歌い人にして修行者でもあるバウルや、タゴールに代表される詩の文化)の影響」と「イギリス統治時代に首都として栄えた歴史から来る欧米的洗練」ということになる。
さらには、独立運動の中心地であり、また独立後も社会運動が盛んだったこの街の政治性も、アーティストたちに影響を与えているようだ。


まずは、近年インドでの発展が著しいヒップホップから紹介したい。
地元言語のベンガル語でラップされるコルカタのヒップホップの特徴は、落ち着いたセンスの良いトラックと強い郷土愛だ。
コルカタを代表するラッパー、Cizzyの"Middle Class Panchali"聴けば、ムンバイのストリート・ラップ(例えばDivine)とも、デリーのパンジャーブ系エンターテインメント・ラップ(例えばYo Yo Honey Singh)とも違う、コルカタ独自の雰囲気を感じていただけるだろう。

ジャジーなビートにモノクロのスタイリッシュな映像は、まさにコルカタならでは。
タイトルのPanchaliは「民話」のような意味のベンガル語らしい。

CizzyがビートメーカーのSkipster a.k.a. DJ Skipと共演したこの曲"Change Hobe Puro Scene"('The scene will change'という意味)では、インド最古のレコードレーベル"Hindusthani Records"の音源をサンプリングしたビートを使った「温故知新」な一曲。

コルカタのランドマークであるハウラー・ブリッジから始まり、繁華街パークストリート、タゴール、リクシャー(人力車)といったこの街の名物が次から次へと出てくる。

MC Avikの"Shobe Cholche Boss"もコルカタらしい1曲。

コルカタのアーティストのミュージックビデオには、かなりの割合でハウラー・ブリッジが登場するが、サムネイル画像のワイヤーで吊られている橋は、コルカタのもうひとつのランドマーク、ヴィディヤサガル・セトゥ。
ハウラー・ブリッジと同じく、この街を縦断するフーグリー河にかかっている橋だ。
コルカタにはまだまだ優れたヒップホップアーティストがたくさんいるので、チェックしたければ、彼らが所属しているJingata Musicというレーベルをチェックしてみるとよいだろう。



コルカタといえば、歴史のあるセンスの良いロックシーンがあることでも知られている。
その代表的な存在が、ドリームポップ・デュオのParekh & Singh.
イギリスの名門インディーレーベルPeacefrog Recordsと契約している彼らは、インドらしさのまったくない、欧米的洗練を極めたポップな楽曲と映像を特徴としている。

ウェス・アンダーソン的な映像センスと、アメリカのバークリー音楽大学で培われた趣味の良い音楽性は、世界的にも高い評価を得ており、日本では高橋幸宏も彼らを絶賛している。

「ドリームフォーク・バンド」を自称するWhale in the Pondも、インドらしからぬ美しいメロディーとハーモニーを聴かせてくれる。

今年リリースされたコンセプト・アルバム"Dofon"では、地元の伝統音楽(民謡)なども取り入れた、ユニークな世界観を提示している。

過去に目を向けると、コルカタは1960年代から良質なロックバンドを輩出し続けていた。
なかでも70年代に結成されたHighは、インドのロック黎明期の名バンドとして知られている。

この曲はカバー曲だが、彼らはインドで最初のオリジナル・ロック曲"Love is a Mango"を発表したバンドでもある。

同じく70年代に結成された伝説的バンドがこのMohiner Ghoraguli.
ベンガルの詩やバウルなどの伝統とピンク・フロイドのような欧米のロックを融合した音楽性は、インド独自のロックのさきがけとなった。

彼らの活動期間中は知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、共産主義革命運動ナクサライト(のちにインド各地でのテロを引き起こした)の活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。

こうした政治運動・社会運動との関連は、今日のコルカタの音楽シーンにも引き継がれている。
例えばインドで最初のラップメタルバンドと言われるUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRは、ソロアーティストとしてリリースしたこの曲で、農民たちがグローバリゼーションが進む社会の中で貧しい暮らしを強いられ、多くが死を選んでいるという現実を告発している。
タイトルの"Ekla Cholo Re"は「ひとりで進め」という意味のタゴールの代表的な詩から取られている。 


ブラックメタル/グラインドコアバンドのHeathen Beastは、無神論の立場から、宗教が対立し、人々を傷つけあう社会を痛烈に糾弾している。

この曲では、ヒンドゥー教徒たちからラーマ神の出生の地と信じられているアヨーディヤーで、イスラームのモスクがヒンドゥー至上主義者たちによって破壊された事件をテーマとしたもの。
あまりにも過激な表現を行うことから、保守派の襲撃を避けるために覆面バンドとして活動する彼らは、今年リリースされた"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"でもヒンドゥー・ナショナリズムや腐敗した政治に対する激しい批判を繰り広げた。


電子音楽/エレクトロ・ポップのジャンルでもコルカタ出身の才能あるアーティストたちがいる。
今年リリースした"Samurai"で日本のアニメへのオマージュを全面に出したSayantika Ghoshは、郷土愛を歌ったこの"Aami Banglar"では、伝統楽器の伴奏に乗せて、バウルやタゴール、地元の祝祭や、ベンガルのシンボルとも言える赤土の大地を取り上げている。

一見、歴史や伝統には何の興味もなさそうな現代的なアーティストが、地元文化への愛着をストレートに表現しているのもコルカタならではの特徴と言える。

コルカタ音楽シーンの極北とも言えるのが、ノイズ・アーティストのHaved Jabib.
これまで数多くのノイズ作品を発表してきた彼の存在は以前から気になっていたのだが、そのあまりにも前衛的すぎる音楽性から、このブログでの紹介をためらっていた。
今年彼がリリースした"Fuchsia Dreamers"は、ムンバイのノイズ/アンビエントユニットComets in Cardigansとコラボレーションで、混沌とした音像のなかに叙情的な美しさを湛えた、珍しく「音楽的」な作品となった。
これまでに彼がリリースした楽曲のタイトルやアートワークを見る限り、動物愛護や宗教紛争反対などの思想を持ったアーティストのようだが、彼はインターネット上でも自身のプロフィールや影響を受けたアーティストなどを一切公表しておらず、その正体は謎につつまれている。

と、気になったアーティストのほんのさわりだけを紹介してみたが、とにかくユニークで文化的豊穣さを感じさせるコルカタのシーン。
来年以降もどんな作品が登場するのか、ますます楽しみだ。

最後に、これまでに書いたベンガル関連の記事をまとめておきます。













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2020年04月15日

コルカタのドリームフォークバンド Whale In The Pondが紡ぐ美しき終末の叙事詩


ここのところ、コルカタやベンガルのミュージシャンを立て続けに紹介してきたので、そろそろ別の地方のミュージシャンを取り上げようと思っていたのだけど、またまたコルカタ出身の素晴らしいバンドを見つけてしまった。
インドの音楽シーンをチェックしていて、一年に一組出会えるかどうかの「本物」に出会ってしまったのだ。
あらかじめ断っておくが、まだまだ発展途上のインドのインディー音楽シーンにも、センスの良いアーティストはそこそこいる。
ただ、欧米の模倣や類型的なミュージシャンも多く、彼らがその音を鳴らすべき必然性と、個性的で独自の世界観を兼ね備えたアーティストとなると、本当に数少ないのが現状なのだ。
そうした魅力をあわせ持ったアーティストを紹介できる喜びは、何にも増して大きい。

さっそく紹介しよう。
彼らの名前はWhale In The Pond.
とある音楽メディアで「ドリーム・フォーク」紹介されていた彼らの音楽を聴いて以来、すっかり夢中になってしまっている。

まずは、2017年にリリースされた彼らのデビューEP"Marbles"から、"Autumun Winds"をお聴きいただこう。

「アコースティック版Pink Floyd」とでも呼べるような深みのあるサウンドとハーモニーは、まさにドリーム・フォークの名にふさわしい。

これだけでも非凡な才能をうかがわせるに十分だが、つい先日彼らがリリースしたセカンドアルバム"Dofon"は、これに輪をかけてすばらしかった。
彼らの新作は、前作のようなメロウなフォークサウンドだけでなく、地元の伝統音楽やラテンのリズムまで取り入れた、よりアコースティックかつ多様性にあふれた素晴らしいコンセプト・アルバムなのだ。

アルバムの冒頭を飾る"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、地元の音楽を導入した、どこか別の世界からやってきたような不思議な魅力を持った一曲だ。


インドの古典音楽として有名な北インドのヒンドゥスターニーや南インドのカルナーティックと比べるとぐっと素朴な印象のあるベンガル地方の伝統音楽に、これまた素朴な欧米風のアコースティックなフォークロックを融合したサウンドは、とても個性的であるだけでなく、この上なく美しく、やさしい。

やわらかい音作りが印象的なこのアルバムだが、アルバムタイトルの"Dofon"は、じつはベンガル語で「埋葬」という意味だそうで、このアルバムにはこんな不吉な言葉も添えられている。

'You'd be forgiven for mistaking this sunset as a thing of beauty; It's anything but. Our kind doesn't really deserve an ending like this, not after all we've done. Two suns will rage together in the evening sky, one brighter than the other: the light dispersing through the scattered clouds into a sinister maloon. You couldn't pick a more beautiful day for harbinger of the apocalypse.'

意味が取りにくい文章だが、強いて訳せばこんな趣旨になるだろうか。
「あなたがこの落日を単に美しいものだと誤解したとしてもしかたない。だが、これはそのようなものでは全くないのだ。夕暮れの空に、二つの太陽が猛り狂い、片方はより明るく輝く。その光は雲を散らし、不気味な色を放つ。黙示録の前兆として、こんなに美しい日はどこにもないのだ」

破滅的な響きをもつこれらの言葉は、いったい何を意味するのだろうか。
そして、彼らのユニークで心地よいサウンドはいったいどこから生まれてきたのか。
数々の疑問について、さっそく彼らにインタビューを申し込んで聞いてみた。


−いつ頃バンドを結成したんですか?全員コルカタ出身なのでしょうか?

「Sourjyoはアッサム州のSilcharという街の出身なんだ。彼は2013年にコルカタのJadavpur Universityに英文学を学びにやってきて、そこでShireenと出会った。二人は大学でいくつかの曲を共作して、そこから一緒に演奏するというアイデアが浮かんだんだ。それから、Sofar Kolkataでの最初のライヴのあとにDeepが加わった。1年後にファーストアルバムを出した後にSagnikが仲間に加わったんだ。
だから、Sourjyo以外はコルカタ出身だよ」

彼らから送られてきた資料によると、Whale In The Pondのメンバーは以下の4名。

Sourjyo Sinha: メインヴォーカル、ギター、作詞、作曲
Shireen Ghosh: プロダクション、ミキシング、バッキングヴォーカル、フルート、メロディカ
Sagnik Samaddar: キーボード、マンドリン、バッキングヴォーカル
Deep Phoenix: ギター、ベース、パーカッション、マンドリン、バッキングヴォーカル

メインヴォーカルとソングライターを務めるSourjyoを中心に、多彩なアコースティック楽器を演奏するマルチプレイヤーたちが集まったバンドのようだ。

−なるほど、だから"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"はSilcharで起きたことが歌われているんですね。この曲はベンガル語?それともシレット語(シレット語〔Sylheti〕は、 Sourjyoの故郷Silcharを含むインド北東部、バングラデシュ北部で話されているベンガル語の方言)ですか?

「うん。その通り。これはシレット語だよ。"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"と"Dofon"はシレット語で歌われている」

"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"のYouTube動画に添えられていた文章によると、この曲は、かつてSilcharでシレット語を話す人々の権利が蔑ろにされていたこと、命がけの抗議運動の甲斐あってやがてアッサムでもベンガル語(シレット語はベンガル語の一方言)が公用語に認められたこと、その後この地に広軌の鉄道が引かれ人々が歓迎したこと、その鉄道を引いた政府は他の人々に対して抑圧的な傾向があったが、Silcharの人々は自分たちが弾圧されるわけではないので気にかけなかったことなどが、皮肉を込めて歌われている。

−基本的にアコースティック楽器で演奏するというのがこのバンドのコンセプトなのでしょうか?ドリーム・フォークと呼ばれることもあるみたいだけど、自分たちの音楽をどんなふうにカテゴライズしますか?

「ドリームフォークって言葉は、僕らが思いついたんだ。最初のアルバムはドリームポップ的な美しさをアコースティック楽器で表現したものだったからね。ただ、さまざまなジャンルを試しているから、僕らの音楽をカテゴライズするのは難しいな。'インディーフォーク'で十分だと思うけど。
うん、僕たちはライブではアコースティック楽器をプレイしている。でも僕らが音楽を作るときは、どんなことでもやってみるよ。サウンドに関しては主にShileenが指揮しているんだ。自分たちの可能性を限定したりはしないよ」

−どんなふうに曲を作っているんですか?特定のメンバーが書いているのか、それとも共作しているんですか?

「Sourjyoが曲を書いて、基本的な構成を考えている。残りのメンバーは、それをリアレンジしたり、さらに別の要素を付け加えたりしているんだ。今ではもっと共作っぽくなっているよ。新作ではバンドメンバー全員がプレイしながら作ったからね」

ニューアルバムのタイトルトラック"Dofon"は7分を超える大曲で、メンバー全員が作曲に関わっているそうだ。

−なるほど、だからニューアルバムはさらに多彩な内容になっているんですね。ところで、このアルバムは「この世の終わり」をテーマにしたものだそうですね。このコンセプトについて、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

「ずいぶん長い話になるから、アルバムのビジュアルに取り掛かる前に書き留めた'Dofon'の基本的なコンセプトを送るよ。ビジュアルも合わせて送るね」

事前に読んでいたTelegraph Indiaによるインタビューで、Sourjyoは「"Dofon"は世界の終末をリアルに表現したコンセプトアルバム」と語っていた。
そのコンセプトについて彼らから送られてきた資料は、なんと12ページにも及ぶ詳細なもので、そこには「滅亡の叙事詩」とでも呼べるような、驚くべき内容が書かれていた。
あわせて送られてきた歌詞を読む限り、歌われている内容はむしろ抽象的であり、様々な解釈の余地を残している。
ところが、その背景にはかなり精緻かつ具体的な「破局の物語」が込められているのである。
もし、彼らの音楽を「やさしく、美しいもの」にとどめておきたい人は、このあとに続く文章を読まない方がいいかもしれない。


このアルバムの中の6曲は、すべて一つの大きな物語として繋がっており、端的に言うと、核によるホロコーストによって引き起こされる人類全体の終焉を描いているのだ。
「核による世界の終末」というコンセプトは、東西冷戦終結以降、あまり見なくなったものだが、隣国パキスタンと核保有国同士での緊張状態にあるインドでは、今なお核戦争が最もリアルな「破滅への道」なのだろう。
以下、それぞれの楽曲の趣旨を簡単に紹介する。

2曲めの"The Night's End"と1曲めの"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、対になっている曲だという。
"The Night's End"は、戦いが続く荒れ果てた土地で、シェルターを求めて逃げている母親が幼い子どものために歌っている歌である。
母親は死にゆく運命に絶望しながらも、「遠くないうちに夜が明ける」と歌い聞かせているのだ。
"Aaij Bhagle..."は、前述のように、もともとはSilcharでの出来事をテーマにした歌だったが、このアルバムの中では、戦争を起こした最高指導者に追従し、自分のまわり生活だけを考えて暮らしている人々を表現したものになっている。
つまり、この2曲は、同じ状況を二つの異なる側面から描いたものというわけだ。

5拍子のリズムにフルートの音色が美しい"Where Is Your Heart"は、"Aaij Bhagle..."の続編とも言える楽曲だ。
国を率いる最高指導者は、裕福で特権階級の影響力のある人々のことしか気にかけていなかった。
そして、そこではあなた自身も、多かれ少なかれ、富と権力を追求して生きている。
やがて人々はそのことに気がつくのだが、もはや未来を変えるには遅過ぎた…というのがこの曲の内容だ。


"Kite/Loon"は「絶望のバラード」。
この世界に間もなく終末が訪れることを受け入れ、途方に暮れつつも、空想にふけったり、違うことを考えたり、愛する人とともに過ごしている人々について歌われている。

アルバムの最後の2曲、"Nova"と"Dofon"も、同じテーマ、すなわち、核爆弾が落とされ人類が破滅する瞬間を、2つの側面から描いたものだという。
ラストを飾る"Dofon"の内容は、破滅の瞬間が近づいたとき、特権を持たない平民がシェルターを見つけ、「入れてくれ」とドアを叩くが、誰もその扉を開ける者はおらず、彼はその目で核爆弾が落とされるのを見届ける…というもの。

ラストから2曲目の"Nova"では、視点がシェルターの中に移る。
これは特権階級の人々の、この世の終わりのパーティーソングだ。
もしかしたら生き残れるかもしれないという希望を抱いている彼らもまた、滅亡することになる。
外側からドアを叩く音は、音楽のビートにまぎれて聞こえない。
助けを求める声もまた、音楽にかき消されて誰にも届かない。
ついに爆弾が落ちるのを見たとき、その声は激しい叫びへと変わってゆくが、誰もその叫びを聞く者はいない…。

初めて彼らの音楽を聴いた時、優しさの中にも文学的な深みを感じさせる音像にPink Floydを想起したのだが、このアルバムは、まさに70年代のプログレッシブ・ロックを思わせる詩的かつ壮大なコンセプト・アルバムだったのだ。
この"Dofon"を、まるでデビルマンのような、全く救いようのない「破滅と終末の叙事詩」と呼んでも差し支えないだろう。

Dofon

夕日の前で踊る男を描いたこの印象的なビジュアルは、ベーシストのSagnikの家に飾られていた60年前の絵がもとになっているという。
もともとは月夜の海辺で踊る男を描いていたこの絵は、恍惚の表情を浮かべ、踊りながら海に入り溺死してゆく男の狂気を描いたものだったそうで、彼らが考えていた作品のイメージにぴったりだったことから、背景にアレンジを加えてこのアルバムのカバーに採用されたそうだ。
インタビューに戻ろう。

−思ったよりもずっとディープな内容なんですね…。でも、世界中が厳しい現状にある今、Whale In The Pondの音楽は、ポジティブなだけのポップミュージックよりも、ずっと心を慰めてくれるような気がします。
ところで、かなり色々な音楽の影響を感じさせるサウンドですが、どんな人たちの影響を受けているか教えてもらえますか?

「かなりたくさんのアーティストやサウンドに影響を受けているよ。僕らはみんな好みが違うんだ。"Aaij Bhagle..."と"Dofon"は明確に地元の民謡の影響を受けているし、西洋音楽の影響も入っている。"Where Is Your Heart"はフラメンコから、"Nova"はボサノヴァとEDMの要素がある。
もしアーティストの名前を挙げるんだとしたら…時間がかかるな(笑)。とにかくたくさんのスタイルやサウンドを借りてきているから、僕らの好きな音楽やアーティストを寄せ集めたみたいな感じだよ」

−なるほど。では、好きなアーティストの名前を挙げるとしたら?

「The Beatles, Radiohead, Gorillas, Queen, Tame Impala, 少し名前を挙げるとしたらそんなところだね」

1960年代のビートルズから2010年代のTame Impalaまで、それぞれまったく異なる音楽性のバンドの名前が挙がったが、そのなかに彼らのようなフォークサウンドを特徴とするバンドはひとつも含まれていないというのが面白い。

−ところで、地元の民謡(フォークミュージック)から影響を受けているというお話が興味深かったのですが、それはベンガルの民謡ですか?それともシレットの民謡?

「ベンガル民謡も、シレット民謡も、アッサム民謡もだよ。そういった音楽が、僕らがいたところにはどこにでもあって、聴きながら育ったんだ。ひとつ例を挙げるとしたら'Ganja Khaiya Moghno Hoiya Nase Bhulanath'かな。誰が書いた曲かは知らないし、YouTubeにもいい音源が上がっていないんだけど。もしSilcharに来たなら、どこでも流れている曲だよ。日常文化の一部って感じさ」

いいバージョンが無いということなので、あえてリンクは貼らないが、'Ganja〜'という曲名からも分かる通り、どうやら大麻に関連した内容らしく、こうしたテーマゆえか、DJミックス(かなり民謡っぽいものだが)もたくさん作られている曲のようだ。

−すごく興味深いですね。日本では、これからタゴールに関するドキュメンタリー映画が公開されるところで、ベンガル文化への注目が少しずつ高まってきています。タゴールの詩やバウル・ソングのようなベンガルの文化からの影響はありますか?

「"Dofon"はバウルからいくらか影響を受けているのは確かだね。この曲ではPratul Mukherjeeの影響も受けている。でもラビンドラナート(タゴール)の影響は無いなあ。この街や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

Pratul Mukherjee(Mukhopadhyayとも)は1942年生まれの詩人であり、また同時に歌手でもソングライターでもある人物で、ベンガルで親しまれている大衆歌を多く作った人物だ。
彼がベンガルの文壇(あるいは音楽界)でどのような存在なのかは分からないが、詩人であり、ソングライターでもある(そして自分でも歌う)というマルチな才人ぶりは、タゴールやバウルたちとも重なるところがある。
自分の作った詩にメロディーをつけて歌にするというのは、ベンガルの伝統とも言えるものなのだろうか。
インドのロックバンドの中では極めて詩的な世界観を持つWhale In The Pondは、こうしたベンガルの歌びとたちの系譜の最先端にいると言ってもいいのかもしれない。
ちなみに"Dofon"は、彼の"Dinga Bhashao"という詩曲の影響を受けているそうだ。

−それでは最後の質問。コルカタのミュージックシーンはどんな感じですか?Parekh & Singhや、かつてのHighみたいに、コルカタには素晴らしいバンドがいますよね。地元のバンドでお気に入りはいますか?

「コルカタの音楽シーンはまた盛り上がってきているところだよ。唯一の問題は、インドの音楽シーンはデリーとボンベイに支配されてしまっているってことだね。だからなかなか僕らの言葉を広めることができないんだ。
僕らが気に入っている地元のアーティストの中では、Rivuは素晴らしいプロデューサー/ギタリストだよ。じつのところ、彼の新作"Incident 2019"は"Dofon"と同じような世界観のアルバムなんだ。僕らもちょっと意識したよ。
Paroma & Adilも素晴らしいアーティストだ。
いろんなバンドに参加しているDolinmanは、もともとFiddler's Green(ドイツのアイリッシュパンクバンドではなく、コルカタのフォーク・ジャムバンド)のメンバーで、"Dofon"でマンドリンを演奏して魔法のようなタッチを加えてくれた。
もちろん、Parekh & Singhも素晴らしいね」

インドの音楽シーンはデリーとムンバイに支配されてしまっている、というのは常々私も感じていることだ。
インドの大手音楽系メディアはこの2都市に拠点を置いているところがほとんどで、彼らのように優れたバンドであっても、東部のベンガル語圏や南部で活動しているアーティストは、なかなか紹介される機会に恵まれないのが現状なのだ。
そうした状況のなかで、コルカタのアーティストたちは、商業性やトレンドの追求ではなく、文学的とも言える独自の表現を研ぎ澄ませてゆく傾向があるような印象を受ける。

彼らがイチオシだというRivuは、彼らとはうって変わってエレキギター主体のインストゥルメンタル。
だが、インストにも関わらず、グレタ・トゥンベリのスピーチを導入するなどして、巧みに世界観を表現している。


Paloma and Adilはトリップホップ的なサウンドのアーティストだ。
このディープなサウンドと雰囲気に、この街の他のアーティストとも共通したものを感じてしまうのは偶然ではないだろう。


Fiddler's Greenは、地元のフォークミュージックにカントリーなどの要素を加えたアコースティックなジャムバンドだ。

軽快でここちよいサウンドの素晴らしいフュージョン・フォークバンドである。

コルカタはインドのなかでも、個性的で独自の世界観を持ったアーティストを多く輩出している街なのだ。

今回紹介したWhale In The Pondの"Dofon"は、絶望的なテーマを扱ったアルバムであるが、コロナウイルスの蔓延に世界中がおののいている今だからこそ、聴かれるべき作品であるようにも感じる。
彼らのあたたかいサウンドは、希望のない世界を描きながらも、不思議と癒やしを与えてくれるように思うのだ。
また、彼らはこのアルバムの物語を演劇にすることも計画しているという。
これもまた、いかにもベンガルらしい文化的かつ芸術的な表現へのアプローチだと言えるだろう。

それにしても、イギリス統治時代の中心地であり、そして独自の詩と音楽の文化を持ったベンガルのシーンの奥深さは計り知れない。
まだまだ紹介すべきアーティストが出てきそうだが、ひとまず今回はこのへんで!


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goshimasayama18 at 01:41|PermalinkComments(0)