ViveickRajagopalan
2022年10月19日
『響け!情熱のムリダンガム』トークの補足! インド・フュージョン音楽特集

というわけで、シアター・イメージフォーラムにて『響け!情熱のムリダンガム』上映後のトークセッションをしてきました。
お相手を務めていただいた、この映画の配給をされている荒川区尾久の南インド料理店「なんどり」の稲垣紀子さん、ありがとうございました。
インドのなかでもかなりニッチな分野しか詳しくいない私は何を話そうかと迷ったのですが、今回のテーマは「フュージョン音楽」!
このブログでは何度も書いていることですが、インドでは、古典音楽/伝統音楽と、ロックやジャズのような西洋音楽を融合した音楽のことを「フュージョン」と呼んでいます。
『響け!情熱のムリダンガム』のなかでも、生演奏にこだわるヴェンブ・アイヤル師匠が「テレビ番組の審査員をやってくれませんか?」と言われるシーンで、よく聞くとインタビュアーが「カルナーティック・フュージョン」と言っているのが分かります。
伝統的なスタイルの生演奏にこだわる師匠が、テレビ番組、ましてや純粋な形式から離れたフュージョンの番組に出演するなんてことは当然ありえず、もちろんきっぱりと断る、というわけです。
そんなわけで、映画ではちょっとまがい物扱いされているフュージョンですが、じつはかっこいい音楽がめちゃくちゃ沢山あって、ふだん古典音楽を聴き慣れていないリスナーでも、フュージョンを通して分かりやすくそのすごさを感じることができます。
トークの打ち合わせでまず稲垣さんから名前が上がったのが、Shakti.
イギリス人ジャズギタリストのジョン・マクラフリンを中心にインド人の凄腕古典ミュージシャンが揃ったフュージョン・ジャズの伝説的バンドです。
タブラにザキール・フセイン、バイオリンにL.シャンカル(ジョージ・ハリスンのシタールの師匠としても有名なラヴィ・シャンカルとは別人です。念の為)、ガタム(ほぼ壺の打楽器)にT.H.ヴィナヤクラムという凄まじいメンバーが、インド古典音楽の強烈なリズムをジャズと融合して聴かせてくれます。
1997年にはRemember Shaktiという名前で再結成し、ヴィナヤクラムの代わりに、ガタムだけでなくムリダンガムやカンジーラ(トカゲ革のタンバリン)も叩くセルヴァガネーシュが加入。
Shaktiは、「いきなりガチの古典音楽を聴くのはしんどいけど、インド古典音楽がどんなすごい音楽なのか手っ取り早く知りたい」っていう人にはぴったりのバンドです。
(まずは上の映像を6分くらい見てもらえれば、その凄さが伝わるはず)
インド国内では、カルナーティック音楽はジャズよりもプログレッシブ・ロックと融合されることが多い印象で、例えばこのAgamはギター、ベース、ドラムスのロックバンドに、ストリングスやコーラス隊も交えた編成で、古典音楽のダイナミズムを余すことなく表現しています。
変拍子的なキメの多いカルナーティック音楽は、確かにプログレッシブ・ロックと融合するのにぴったりなジャンルと言えそうです。
ちなみにこの歌の原曲は200年ほど前の楽聖ティヤーガラージャなる人物が作った"Manavyalakincharadate"(長っ)という曲だそうで、Nalinakaantiというラーガ(簡単に言うと音階)でDeshadiというターラ(簡単に言うとリズム)に乗せて演奏されているとのこと。
なんだかよくわからないと思いますが、私もよくわかっていないので、ひとまずは「なんか凄そう…」ということだけ感じてもらえれば現時点ではオッケーです。
ムムッと思ったあなたは、ラーガやターラの深い部分まで学べば、インド古典音楽から、一生かけても味わい尽くせないほどの喜びを感じることができるようになるでしょう。(そういうものだと聞いています)
ちなみにこの映画のエンディングで流れる曲もティヤーガラージャの手によるものです。
最近のバンドでは、ベンガルールのプログレッシブ・メタルバンドPineapple Expressが強烈!
古典音楽だけではなく、曲によってはEDMやラップ、ジャズまで取り入れた超雑食性のスタイルは、まさにフュージョンの極地!
強烈です。
映画のテーマであるムリダンガム奏者では、Viveick Rajagopalanという人がTa Dhom Projectと称してラップとの融合を試みています。
古典音楽とラップの融合についてはこの記事で詳しく書いているので、興味のある方はどうぞ。
ところで、私は『響け!情熱のムリダンガム』の冒頭のクラブミュージック的な曲(超カッコいいのにサントラにも入っていない!)がものすごく好きなのですが、こんなサウンドの曲、他にないかなあ、と呟いていたら、南インドパーカッション奏者の竹原幸一さんが教えてくださったのが、Praveen Sparsh.
ローカルな空気感満載の映像を、ドラムンベースというかスラッシュメタルというか、切れ味抜群のムリダンガムが疾走!
超かっこいいです。
映画の冒頭のあの曲は、ピーターが5年後くらいに作った曲だと思って聴くとまた一興ですよ。
さて、チェンナイには、カルナーティックみたいな(ヒンドゥーの)信仰と結びついた古典音楽もあれば、もっと大衆的な伝統音楽もあります。
映画の中では、ピーターのお父さんの故郷で歌い踊られていた"Dingu Dongu"がその系統の音楽です。
映画監督のパー・ランジットの呼びかけで結成されたCasteless Collectiveは、ピーター同様にカーストの最下層に位置付けられた「ダリット」のメンバーによるバンド。
大衆音楽「ガーナ」の強烈なリズムに乗せて、自らの誇りとアイデンティティ、平等を勝ち得るためのアジテーションを叫んでいます。
ファンクやヒップホップなど、アメリカの黒人たちを鼓舞してきた音楽とのフュージョンになっているのも熱いポイント。
まだまだキリがないのですが、映画の中でヴェンブ・アイヤル師匠が言うように、古典音楽は純粋な形式で演奏しないと本質が味わえない厳格な伝統芸術であるのと同時に、さまざまな音楽と組み合わせて楽しむこともできる、まさに「今を生きる音楽」でもある、とも言えるでしょう。
それでは今回はこのへんで。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 18:00|Permalink│Comments(0)
2019年10月19日
Gully Boy -Indian HipHop Night- でこんな話をしてきました!
10月15日に、ディスクユニオン新宿のスペースduesにて、"Gully Boy -Indian HipHop Night"に出演してきました。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。
不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。
会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!
いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
このイベントは、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(18日から公開中!)の楽曲や、映画の舞台となったムンバイのヒップホップシーンを紹介するというもの。
不肖軽刈田、今回は日本におけるワールドミュージックの批評/紹介の第一人者で、クラブDJ、ラジオDJとしても活躍されているサラーム海上さん(昨今は中東料理研究もすごい!)、ムンバイで古典舞踊カタックのダンサーとしてする活動かたわらシンガーとして現地のラッパーと楽曲をリリースした経験を持つSarah Hirokoさんという超強力なお二人とともに、思う存分語らせてもらいました。
会場はなんと満員札止め!
ほとんどの方に立ち見でご覧いただき、なんだか申し訳なかったですが、大勢の方にお越しいただけて本当に感謝です。
今回は、お越しいただけなかった方のために、ここで改めて当日プレイした曲を紹介しつつ、お話しした内容や、準備していたけど時間の都合で話せなかった内容を紹介したいと思います!
いちばん初めに紹介したのは『ガリーボーイ』を象徴するこの曲、"Apna Time Aayega"
まずHirokoさんから、曲のタイトル"Apna Time Aayega"の意味「俺の時代が来る」について説明。
映画の舞台となったのはムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
貧困や抑圧のなかで暮らしていた若者たちは、ヒップホップに出会ったことで、自分たちの気持ちをリリックに乗せて、音楽として発信できるようになった。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
まだまだ音楽だけで生きてゆくのは難しい。
それでも、差別され、見下されてきた彼らが、ラップを通してリアルな感情を世の中に発表できるようになったことは大きな変化だ。
ラップのスキルとセンスさえあれば、賞賛され、憧れられることすらあるようになったこの現在こそ、彼らが「俺の時代が来ている!」と胸を張って言える状況なのだ。
ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。
ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。
こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。
続いて紹介したのは"Asli HipHop".
タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。
ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。




ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。
現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)
ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。
というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"
印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。
続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。
2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!
ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。
『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。
ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)
ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。
プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
--------------------------------------
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
ジャンル別記事一覧!
ヒップホップは、スラムの若者たちにとってただの音楽以上の大きな意味を持っている。
ダラヴィでヒップホップの人気が高まってきたのは2010年頃から。
スマホの普及により、スラムの若者たちもインターネット経由で気軽に海外の音楽が聴けるようになった。
アメリカのヒップホップに出会った彼らは、自分たちと同じように差別や貧困のもとで生きるラッパーたちのクールな表現に憧れと親近感を感じ、そして自らもラップやブレイクダンスを始めた。
こうしたストリートから生まれた、インドではまだ新しいカルチャーを扱った映画が、この『ガリーボーイ』というわけだ。
ヒップホップというと、アメリカの黒人文化(もしくは不良文化)という印象が強いかもしれないが、その本質は抑圧された若者たちが自分自身やコミュニティの誇りを取り戻し、自分のコトバを発信するという、とても普遍的なものだ。
『ガリーボーイ』が公開されると、それまでアンダーグラウンドな存在だったインドのストリートラッパーたちは、爆発的な注目を集めるようになった。
"Apna Time Aayega"「俺の時代が来ている」という言葉は、映画の主人公ムラドだけでなく、インドのストリートラッパー一人一人の言葉にもなったのだ。
続いて紹介したのは"Asli HipHop".
タイトルの意味は「リアルなヒップホップ」。
ラップにおいて重要なのは、スキル、言葉のセンス、そして自分自身に正直であること。
楽器もお金も必要のないヒップホップは、スラムの若者たちにぴったりの表現方法だった。
サビでは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という言葉が繰り返される。
ここで、Hirokoさんにムンバイから持って来てもらったムンバイのラッパーたちの写真、そして、ラッパーやトラックメーカーたちからのビデオメッセージが披露された。




ラッパーたちの背後に、いかにもヒップホップらしいグラフィティも見ることができる。
ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJというヒップホップを構成する4つのアートフォームのうち、唯一インドのシーンで広く普及しなかったのがDJだ。
高価なターンテーブルや、インドでは一般的に普及していないレコード盤を必要とするDJの代わりに、インドのシーンで発展したのが、この"Asli Hip Hop"でも聴くことができるヒューマンビートボックスだ。
ダラヴィには、なんと放課後に無料でビートボクシングを教えるスクールもあるという。
現地のアーティストからのビデオメッセージでは、『ガリーボーイ』を通してインドのヒップホップが日本に広まることを喜ぶ声だけでなく、ヒンディー語のラップや、トラックメーカーのKaran Kanchanによる日本文化への愛などが披露された。(彼は吉田兄弟、和楽器バンド、Daoko、Babymetalらの日本のアーティストのファンだとのことで、彼は自身の名義ではJ-Trapなる日本風のトラップミュージックを作っている)
ところで、この"Asli Hip Hop"が「リアルな」ヒップホップであることを強調していることには理由がある。
ストリート発のヒップホップがインドに生まれる前から、流行に目ざとい映画音楽にはラップが導入されていた。
パンジャーブ州の伝統音楽「バングラー」に現代的なダンスビートを融合させた「バングラー・ビート」は、21世紀のインドの音楽シーンのメインストリームとなり、ラップ風ヴォーカルと融合して量産された。
というわけで、続いて紹介したのは、ストリートの「リアルなヒップホップ」ではないインドのエンターテインメント・ラップミュージック。
今回サラームさんに選曲していただいたのは、2016年に公開された映画"Baar Baar Dekho"から"Kala Chashma"
印象的な高音部のフレーズはバングラーで使われるトゥンビという伝統楽器によるもの。
歌っているのは、ボリウッド系パンジャービーラッパーの代表格のBadshahだ。
彼やYo Yo Honey Singhらのボリウッド・ラッパーたちは、ストリート系ラッパーたちから、無内容で享楽的な姿勢を批判されることも多く、最近は『ガリーボーイ』にも出演しているストリート・ラッパーEmiway BantaiとボリウッドラッパーRaftaarの間の「ビーフ」(ラップを通じてのお互いへの批判合戦)も話題となった。
ここでサラームさんから、「インドには様々なリズムがあるが、現代的なダンスミュージックの四つ打ちと合うのはバングラーだけ」というコメント。
DJでもあるサラームさんならではのこの指摘には大いに唸らされた。
とにかく、これがインドのストリートラップ誕生以前のラップミュージックというわけ。
続いて、典型的ボリウッドラップをもう1曲。
2005年の映画"Bluffmaster"から、"Right Here, Right Now".
サラームさんから、90年代のアメリカのヒップホップのビデオのインド風翻案であると紹介があったが、確かにそんな感じ!
ラップしているのはボリウッドの伝説的名優アミターブ・バッチャンの息子で同じく俳優のアビシェーク・バッチャン。
『ガリーボーイ』のランヴィール・シン同様に俳優自身がラップしている珍しいパターンで、ラップはヘタウマだがさすがに良い声をしている。
本来、こうしたヒップホップ特有の「金・女・パーティー!」といった世界観は、貧しい出自のラッパーたちが、音楽を通して成り上がったことを誇って始まったものだが、ラップしているアビシェークは二世俳優。
「お前は生まれた時から金持ちだろうが!」とつっこみたくなるが、 これも民衆の憧れとしてのボリウッド的な表現のひとつではある。
インドのストリート出身のラッパーたちは、リリックやビデオでもリアルさにこだわっており、こうした享楽的なボリウッドラップとは対照的な姿勢を見せている。
『ガリーボーイ』のなかにも、ムラドがボリウッド風の派手なラップはヒップホップではないと否定する場面が出てくるが、その背景にはこうした対照的な2つのラップシーンの存在があるのだ。
『ガリーボーイ』には、主人公たちのモデルとなったラッパーが存在する。
主人公ムラドのモデルとなったのはNaezy, ムラドの兄貴分MCシェールのモデルとなったのがDivineだ。
NaezyとDivineが共演した楽曲で、ガリーラップのクラシック"Mere Gully Mein"は、ガリーボーイでもリメイクされ大々的にフィーチャーされている。
ランヴィールはNaezyのパートをほぼ完コピ。
シッダーント・チャトゥルヴェーディ演じるMCシェールのラップはDivine本人が吹き替えている。
ここでHirokoさんから、ラップで使われるヒンディー語には、スラングやマラーティー語(ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の言語)などの別の言語も使われており、さらにはフロウを心地よくするための文法破格も頻繁に行われているという説明。
映画に使われた楽曲のリリックについては、このブログで次号から麻田豊さん、餡子さん、ナツメさんの3人が手がけた邦訳を掲載する予定なのでお楽しみに!
映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。
ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。
映画のタイトルにも使われている"Gully"という単語は、スラムにあるような細い路地を表す言葉で、"Mere Gully Mein"は「俺の路地で」という意味だ。
この"Gully"は、Divineが英語の「ストリート」と同じような意味合いで多用したことで、インドのヒップホップシーンでよく使われるようになった。
ムラドのモデルとなったNaezyが注目を集めるきっかけとなった曲が、この2014年にリリースされた"Aafat!"だ。
シンプルなビートだが、言葉がわからなくても確かなスキルとフロウのセンスが感じられる一曲。
彼はこの曲を、家族からプレゼントされたiPadだけで作り上げた。
iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらには近所でこのミュージックビデオを撮影してYouTubeにアップすると、「凄いラッパーがいる」とたちまち話題になった。
(『ガリーボーイ』にもこのエピソードから着想を得たと思われるシーンがある)
ゾーヤー・アクタル監督は、このビデオで彼のことを知り、会いにいったところ、少し話を聞くだけの予定がすっかり話し込んでしまい、この映画を作るインスピレーションを受けたというから、この"Aafat!"がなければ、『ガリーボーイ』という映画もなかったかもしれない。
Naezyが初めてラップに出会ったのはSean Paulのダンスホールレゲエだったそうだ。
真似してラップをしてみたところ、思いのほか上手くでき、友達や女の子たちにも注目を浴びることができて、ラップに興味を持ったという。
出身は、実際はダラヴィではなくKurla Eastという地区の、やはりスラムのような一角だった。("Aafat!"のミュージックビデオを見れば雰囲気が分かるだろう)
10代のころの彼は、悪友たちと盗みや破壊行為を繰り返す不良少年で、あるときとうとう留置所に入れられることになってしまった。
父親は海外に出稼ぎ中。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
取り乱した母親を見た彼は、こんな生活をしていてはいずれ取り返しのつかないことになってしまうと悟る。
それ以来、彼は部屋にこもって自分のリリックを書き始めるようになった。
ラッパーNaezyの誕生だ。
ミュージックビデオではいかにもラッパー然としたNaezyだが、サングラスをかけているのは目を見られるのが恥ずかしいからだそうで、素顔はシャイで内省的な青年なのだ。
『ガリーボーイ』でランヴィール・シンが演じたムラドは、ラッパーにしてはかなり内気なキャラクターだが、これはモデルとなったNaezyのこうした性格を反映したものと思われる。
(ヒップホップが一般的でないインドでギャングスタ的なラッパー像を演じても支持が得られないということもあると思うが)
続いて同じくNaezyか今年8月にリリースした"Rukta Nah".
プロデュースは、ビデオメッセージも寄せてくれたKaran Kanchan.
この曲では、世界的なトレンドを意識してトラップっぽいサウンドを聴かせてくれている。
じつはNaezyは、ちょうど『ガリーボーイ』製作中の2018年の一年間、音楽活動を休止していた。
彼はムスリムの家族のもとに生まれており、父親がラップは「非イスラーム的である」と判断したためだ。
映画のモデルになるほどの人気ラッパーでも、まだまだ家族や伝統やコミュニティの価値観との葛藤に悩む実態があるのだ。
今では、父親も「ラップはイスラームの伝統的な詩と通じるもの」という理解を示すようになり、無事音楽活動を続けることができるようになったという。
Naezy自身も、この曲ではサングラスを外した姿でラップを披露し、パフォーマーとしての成長を見せてくれている。
続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
続いてはMCシェールのモデルになったインドのヒップホップ界の兄貴的存在、Divineを紹介!
2013年にリリースされた楽曲"Yeh Mera Bombay".
初期ガリーラップのアンセムだ。
Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。
Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。
映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。
Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。
"91"はインドを表す国番号だ。
この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。
サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。
"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。
続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。
インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」)
北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。
続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。
インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」)
続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。
『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。
続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。
Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
初期ガリーラップのアンセムだ。
Divineも実際はダラヴィの出身ではないのだが、彼の地元Andheri East地区のJ.B. Nagarという地区も、スラムというかかなり下町っぽい場所のようだ。
「これが俺のボンベイ」という意味のこの曲のビデオに出てくるのは、高層ビルでも高級住宅街でもなく、リクシャーワーラー(三輪タクシーの運転手)や路上の床屋、荷車を引く労働者たちのようなガリーに生きる人々。
まさに、地元をレペゼンするヒップホップなのである。
Divineの本名はVivian Fernandes.
映画のMCシェール(本名Srikanth)は名前からするとヒンドゥーという設定のようだが、モデルとなったDivineはクリスチャンだ。
彼は母子家庭で育った不良少年だったが、教会では敬虔に祈ることからDivineというラッパーネームを名乗ることになった。
友人がニューヨーク出身のラッパー50CentのTシャツを着ていたことからヒップホップに興味を持った彼は、インターネットで調べて、アメリカのラッパーたちが自分と同じような環境に生まれ育ったことを知り、自身もラッパーを志す。
映画を見れば、Divineの持つ兄貴っぽい雰囲気を、シッダーント・チャトゥルヴェーディがかなりリアルに再現していることが分かるだろう。
映画でのムラド(ムスリム)とシェール(ヒンドゥー)のコラボレーションのように、インドのヒップホップシーンでは様々なバックグラウンドのアーティストによる共演がごくふつうに行われている。
Divine曰く「Gullyは特別な場所。ヒンドゥーもムスリムもクリスチャンもいるが、Gullyこそがみんなが信じている宗教だ。国は豊かになっても俺たちの生活は変わらない。だからこそ俺たちの声を聞いてほしい」
ヒップホップこそがその声となったのだ。
Divineの"Yeh Mera Bombay"でもインドっぽいトラックが使われていたが、インドのヒップホップでは、古典音楽や古典のリズムとの融合が頻繁に行われている。
『ガリーボーイ』のサウンドトラックでは、この"India 91"がまさにそうした楽曲にあたる。
"91"はインドを表す国番号だ。
この曲のもとになったのは、南インドの伝統音楽カルナーティックのパーカッショニストであるViveick RajagopalanとラップユニットのSwadesiが共演した"Ta Dhom"というプロジェクトだ。
サラームさんからの紹介によると、ViveickがSwadesiのラッパーたちに古典のリズムを教えたところ、彼らもこの古くて(ヒップホップにとっては)新しいリズムに非常に興味を持ち、このプロジェクトに発展したとのこと。
"India 91"のミュージックビデオにはムンバイを中心とする実際のラッパーたちがカメオ出演しているが、餡子さんが登場する全ラッパーを調べ上げて紹介したこの記事「India 91 ラッパーを探せ!」は圧巻!
ヒンディー、マラーティー、グジャラーティー、パンジャービーという4つの言語でラップされるこの曲は、古典から現代までという縦軸と、地域や言語という横軸の二つの意味でインドの多様性を象徴する一曲だ。
続いて古典のリズムとラップの融合をもう1曲。
プネー出身だが現在はイギリスで活躍するパーカッショニストSarathy Korwarの"Mumbay".
この曲にもSwadesiのMC Mawaliが参加している。
インドの古典音楽には5拍子などの奇数拍のものもあり、この楽曲は7拍子の古典のリズムにジャズとラップを融合したもの。
冒頭に"Apna Time Aayega"のTシャツも登場する。
彼のように海外に拠点を移して活躍するアーティストが、インドのシーンの発展に刺激を受けて母国のラッパーたちと共演する機会も増えてきている。
(Sarathy Korwarについてはこちらの記事で詳しく紹介している。「Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない」)
北インドの古典音楽には、Bolという口でリズムを取るラップのような伝統があり(南インドにもよく似たKonnakkolというものがある)、ここでカタックダンサーでもあるHirokoさんがカタックのBolの実演を披露。
インド伝統文化の詩やリズムへのこだわり、そしてダンス好きで口が達者な国民性を考えると、インドにヒップホップが根づくのは必然のような気すらしてくる。
インドの古典のリズムとヒップホップの融合は、他にはインド系アメリカ人ラッパーのRaja Kumariなども取り組んでおり、インドのヒップホップの特徴のひとつになっている。
"India 91"がサウンドトラックに取り入れられたのは、そうした潮流への目配りを表していると言えるだろう。
続いては、Hirokoさんが地元ムンバイのラッパーたちと共演した『ミスティック情熱』を紹介。
インドのヒップホップシーンではまだ珍しいChill Hop/Jazzy HipHop的なビートに、ムンバイのラッパーIbexの日本語ラップ(!)とHirokoさんの歌をフィーチャーした唯一無二の楽曲。
アニメ『サムライチャンプルー』の音楽を手がけた故Nujabesを通してChill Hopのサウンドは世界中に広まり、このジャンルはアニメなどの日本のカルチャーとの親和性の高いものとして受け入れられている。
この曲でHirokoさんがコラボレーションしたラッパーのIbexやビートメーカーのKushmirも日本のアニメに大きく影響を受けているという。
Hirokoさんからはミュージックビデオ制作の苦労話など、インドでの音楽活動の興味深いエピソードを聞かせてもらうことができた。
(このコラボレーションについては、この記事で詳しく紹介している。「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」)
続いては、Hirokoさんがムンバイのスラムで子ども達への教育支援活動に協力しているという話題から、ダラヴィで無料のヒップホップダンス教室を開いているSlumgodsを紹介。
彼らはダラヴィが舞台となり世界的に大ヒットした映画"Slumdog Millionaire"のイメージに反発し、「俺たちは犬じゃない」とSlumgodsというクルーを結成、子ども達にダンスを通して自分たちへの誇りを持ってもらうための活動を続けている。
『ガリーボーイ』ではラップに焦点があてられているが、ダラヴィではヒップホップといえばダンスも広く受け入れられている。
ラップにしろダンスにしろ、体一つでクールな自己表現ができるヒップホップは、スラムで生きる人々にぴったりの表現手段なのだ。
続いてHirokoさんが支援活動を行うワダラ地区の子どもがラップするなんともかわいらしい映像が流された。
実際にこの街でHirokoさんたちが支援していた若者の一人は、つい先日ラップのミュージックビデオをリリース。この映像の1分20秒ぐらいからその楽曲が始まる。
Hirokoさんによると、ダラヴィはムンバイのスラムのなかでは、過酷な環境とはいえまだましなほうで(例えば識字率は7割ほどに達し、これはインドのスラムではもっとも高い)、他のスラムの人々はさらに厳しい生活を強いられている。
また、スラムにすら暮らせない路上生活者たちもおり、そうした暮らしを強いられた人たちが、ダラヴィのラッパーたちのように自分たちの誇りを取り戻せる日がいつか来るのだろうかと考えると、気が遠くなってくる。
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。
ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。
彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。
というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。
南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。
今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。
すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。
90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!
お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!
いずれにしても、ダラヴィ以外のスラムでも、ヒップホップは希望の光になりつつあるようだ。
ここまで話して、時間が少々余ったので、ムンバイ以外の地区のラッパーの紹介ということで、デリーのPrabh Deepのミュージックビデオを流した。
彼は今インドで最も勢いのあるアンダーグラウンド・ヒップホップレーベル、Azadi Recordsを代表するラッパーで、この曲のトラックをプロデュースしたのは、かつて"Mere Gully Mein"を手がけたSez on the Beat.
ご覧の通りPrabh Deepはパンジャービーのシク教徒なのだが、このビデオを見たサラームさんから、「他のラッパーとは違うパンジャービーの声の出し方」というコメントがあり、さすがの指摘に大いに感心した。
というわけで、90分に及んだトークイベント"Gully Boy -Indian HipHop Night"は、この"Train Song"で締めて終了。
南インド出身のシンガー、Raghu Dixitとイギリス在住のタブラプレイヤーKarsh Kaleのコラボレーションで、ヒンディー語ヴォーカルがDixit、英語がKaleだ。
今回のイベントの模様は、近々HirokoさんのYoutubeチャンネルでも公開する予定なので、ぜひそちらもご覧ください。
そして何よりも、『ガリーボーイ』を未見の方はぜひご覧いただきたい。
いとうせいこう氏監修による字幕もジャパンプレミア上映時から大幅にパワーアップしているという話。
すでにこのブログでも何度も書いてきたとおり、『ガリーボーイ』は普遍的な魅力を持つ音楽映画、青春映画であると同時に、格差や伝統的価値観のなかで、夢や自由を追い求める若者の苦闘と葛藤の物語でもある。
そしてインド社会の抑圧された人々に、ヒップホップという希望の灯がともされた瞬間の記録としても、まさに歴史に残る映画と言えるだろう。
『ガリーボーイ』の続編の構想を知らせる報道もあったが、この映画によって注目を集めるようになったインドじゅうのガリーラッパーたちの活躍や、彼らによってさらに若い世代がヒップホップに希望を見出してゆくインドのヒップホップシーンの現状そのものが、この映画の続編なのである。
90分のイベントで話した内容と、伝えきれなかった内容をお届けしたが、インドのヒップホップで紹介したい曲やエピソードはまだまだたくさんあり、映画がヒットしたらぜひ第2弾のイベントがやってみたい!
お越しいただいた方、YouTubeのストリーミングでご覧いただいた方、そしてこのブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
ジャンル別記事一覧!
goshimasayama18 at 19:44|Permalink│Comments(0)
2018年03月17日
インド古典音楽とラップ!インドのラップのもうひとつのルーツ
以前、Raja Kumariについて書いた記事の最後で、インドの伝統的なリズムに言葉を乗せることでラップになる!という彼女の大発見を紹介した。
ここ数年、ラップの人気が非常に高まってきているインドだが、インドとラップの関係というのは、米国由来のヒップホップ側からの一方的な影響だけではなく、彼女が発見したようにインドの伝統側からのアプローチというのもあって、そのぶつかったところで音楽的に面白いことになっている、というのが今日のお話でございます。
まずはそのRaja Kumariのインタビュー映像をもっかい見てみましょう。
注目は1:20頃から。
幼い頃から習ってきた伝統的なインドのリズムに英語を乗せることで、(他のどこにもない)ラップになる!というとてもエキサイティングな話。
インド系アメリカ人である彼女はカリフォルニアでインド古典のリズムとラップの共通性を発見したわけだけど、同じようなことをインド国内で発見した人たちもいる。
まずはパーカッショニストのViveick RajagopalanがヒップホップユニットのSwadesiと共演した"Ta Dhom"!
このViveik RajagopalanとSwadesiはインド伝統のリズムとラップを融合するプロジェクトをやっていて、この曲の、Viveickが口でリズムを刻むところにラッパーが言葉を重ねてくるというアプローチは、Raja Kumariと全く同じ。
期せずして同じ「発見」がインド国内でも起きていたということになる。
続いてお聴きいただくのは、古典パーカッショニストのMayur Narvekarと、Nucleya名義での活動で有名なトラックメイカーUdyan SagarによるユニットであるBandish Projektが、MC MawaliとMC Tod Fodという二人のラッパーをフィーチャーして発表したKar Natakという曲。
ビデオ自体はストリート&社会派色の強い非常にヒップホップ的なものだが、ラップのフロウそのものはヒップホップというよりも全体的にインドのリズムっぽくなっていて、2:40あたりから例の口リズムが始まる!
MC MawaliとMC Tod Fodはその前のビデオで紹介したSwadesiの一員。
Swadesiという名前は、かのマハートマー・ガーンディーが独立運動の中で提唱した「英国製のものではなく国産品を愛用しよう」っていうスワデシ運動(Swadeshi)と、インド系の移民等を表すときに使われる言葉"desi"をかけたネーミングで、"desi"という言葉はヒップホップの世界ではインド系ヒップホップを表す"Desi Hip hop"という用語でよく使われる。
"Desi Hip Hop"はかつては英国や米国在住のインド系アーティストによるヒップホップを指していたが、最近ではインド国内のラッパーもこの言葉の範疇に含めることが多いようだ。
彼らの"Swadesi"って、こういう音楽をやるにはこれ以上ないほどぴったりのネーミングじゃないかと思う。
続いて、これもViveick Rajagopalanが関わっているライブ。
ドラムスと打ち込みとインドのパーカッションのムリガンダムによるリズムに、古典声楽のヴォーカルとラップが乗っかっている。
3分過ぎからは例のスキャット的な口リズムが、テクノ系の音楽のヴォコーダーがかかったサウンドのようなニュアンスで入ってきて、ここまで来ると、もうどこまでがインド音楽で、どこからが西洋音楽なのかが完全に分からなくなってくる。
さて、それじゃあ、こんなふうにいろんなアプローチがされている「インド風ラップ」のもとになったインド音楽の伝統的な部分っていうのはどんなものなんだろうか。
古典音楽の知識は全然無いのだけど、知る限りでいくつか紹介してみたいと思います。
まずフィラデルフィアのインド系アメリカ人Jomy Georgeさんという人がやっていることに注目。
この、口でリズムを表現したあとにタブラで同じリズムを叩くという方法。これはじつは伝統的なタブラの教え方でもある。
タブラの音は「タ」とか「ダ」とか「ナ」とか、全て音で表されるようになっていて、口で表現したリズムをそのまま叩くというのは、まさに伝統的なタブラのレッスン方法。
インド古典音楽のコンサートでも、タブラ奏者のソロパートで「口でリズムを言って、その通り叩く」というパフォーマンスがよく行われる。
これはタブラ界の大御所中の大御所、Zakir Hussainが若い頃に父のAlla Rakhaと共演したライブ映像で、1:05くらいから始まるリズム対決に注目!
父が自分の叩くリズムを口で表現した後に、息子が同じく自分のリズムを口で表現、次に一緒に叩くリズムを一緒に口で表して、実際にその通りに叩くというセッションが続く。
これはまるで意味から解放されたリズムとフロウのみのフリースタイルバトルのよう!
これとは別に、南インドには伝統的なスキャットのような歌唱法、Konnakolというのもあって、これがまた凄い。
もうスキャットマン・ジョンも裸足で逃げ出す驚愕のスキャット!
凄いのは分かるけど、他の楽器でも一般的な歌い方でもなく、彼らはなぜこれをひたすら練習して極めようと思ったのか、もう何が何だか分からない。
何が言いたいかというと、インドでは昔からこんなふうに、ポリリズムが入ったような複雑なリズムを口で表すという伝統があったということで、これがこの時代になって、ラップと融合するのはもう当然というか必然なんじゃないでしょうか、っていうこと。
さらにはインドの伝統の中には韻文形式の詩や経文、それに音楽をつけた宗教歌もあるわけで、インドで短期間のうちにラップがこれだけ受け入れられるようになっている深層には、こうした伝統文化の影響というものも少なからずあるのではないかな、というのがなかば妄想を交えたアタクシの考えってわけです。
そういえば、以前紹介したBrodha Vの"Aigiri Nandini"もヒンドゥーの賛歌とラップの融合だった。
この曲のYoutubeの動画のトップのコメントにはこんなことが書かれている。
"you all gotta accept one thing, all the ancient Slokas were like rap music. So technically we bharatiyas invented rap music :)."
「みんなが受け入れなきゃいけないことが一つある。古いシュローカ(8音節×4行で表される韻文詩)ってみんなラップミュージックみたいだ。だから、技術的には俺たちインド人がラップを発明したってことになるのさ。」
ちなみにインドの楽器、タブラとラップの融合を試みている人たちは日本にもいて、例えばこんな楽曲がある。
U-ZhaanとKAKATO(環ROY & 鎮座DOPENESS)のTabla'n'Rapという曲。
これはこれで、タブラを使いながらもインド風味ではなく日本のセンスでかっこよく仕上がっているんじゃないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!
ここ数年、ラップの人気が非常に高まってきているインドだが、インドとラップの関係というのは、米国由来のヒップホップ側からの一方的な影響だけではなく、彼女が発見したようにインドの伝統側からのアプローチというのもあって、そのぶつかったところで音楽的に面白いことになっている、というのが今日のお話でございます。
まずはそのRaja Kumariのインタビュー映像をもっかい見てみましょう。
注目は1:20頃から。
幼い頃から習ってきた伝統的なインドのリズムに英語を乗せることで、(他のどこにもない)ラップになる!というとてもエキサイティングな話。
インド系アメリカ人である彼女はカリフォルニアでインド古典のリズムとラップの共通性を発見したわけだけど、同じようなことをインド国内で発見した人たちもいる。
まずはパーカッショニストのViveick RajagopalanがヒップホップユニットのSwadesiと共演した"Ta Dhom"!
このViveik RajagopalanとSwadesiはインド伝統のリズムとラップを融合するプロジェクトをやっていて、この曲の、Viveickが口でリズムを刻むところにラッパーが言葉を重ねてくるというアプローチは、Raja Kumariと全く同じ。
期せずして同じ「発見」がインド国内でも起きていたということになる。
続いてお聴きいただくのは、古典パーカッショニストのMayur Narvekarと、Nucleya名義での活動で有名なトラックメイカーUdyan SagarによるユニットであるBandish Projektが、MC MawaliとMC Tod Fodという二人のラッパーをフィーチャーして発表したKar Natakという曲。
ビデオ自体はストリート&社会派色の強い非常にヒップホップ的なものだが、ラップのフロウそのものはヒップホップというよりも全体的にインドのリズムっぽくなっていて、2:40あたりから例の口リズムが始まる!
MC MawaliとMC Tod Fodはその前のビデオで紹介したSwadesiの一員。
Swadesiという名前は、かのマハートマー・ガーンディーが独立運動の中で提唱した「英国製のものではなく国産品を愛用しよう」っていうスワデシ運動(Swadeshi)と、インド系の移民等を表すときに使われる言葉"desi"をかけたネーミングで、"desi"という言葉はヒップホップの世界ではインド系ヒップホップを表す"Desi Hip hop"という用語でよく使われる。
"Desi Hip Hop"はかつては英国や米国在住のインド系アーティストによるヒップホップを指していたが、最近ではインド国内のラッパーもこの言葉の範疇に含めることが多いようだ。
彼らの"Swadesi"って、こういう音楽をやるにはこれ以上ないほどぴったりのネーミングじゃないかと思う。
続いて、これもViveick Rajagopalanが関わっているライブ。
ドラムスと打ち込みとインドのパーカッションのムリガンダムによるリズムに、古典声楽のヴォーカルとラップが乗っかっている。
3分過ぎからは例のスキャット的な口リズムが、テクノ系の音楽のヴォコーダーがかかったサウンドのようなニュアンスで入ってきて、ここまで来ると、もうどこまでがインド音楽で、どこからが西洋音楽なのかが完全に分からなくなってくる。
さて、それじゃあ、こんなふうにいろんなアプローチがされている「インド風ラップ」のもとになったインド音楽の伝統的な部分っていうのはどんなものなんだろうか。
古典音楽の知識は全然無いのだけど、知る限りでいくつか紹介してみたいと思います。
まずフィラデルフィアのインド系アメリカ人Jomy Georgeさんという人がやっていることに注目。
この、口でリズムを表現したあとにタブラで同じリズムを叩くという方法。これはじつは伝統的なタブラの教え方でもある。
タブラの音は「タ」とか「ダ」とか「ナ」とか、全て音で表されるようになっていて、口で表現したリズムをそのまま叩くというのは、まさに伝統的なタブラのレッスン方法。
インド古典音楽のコンサートでも、タブラ奏者のソロパートで「口でリズムを言って、その通り叩く」というパフォーマンスがよく行われる。
これはタブラ界の大御所中の大御所、Zakir Hussainが若い頃に父のAlla Rakhaと共演したライブ映像で、1:05くらいから始まるリズム対決に注目!
父が自分の叩くリズムを口で表現した後に、息子が同じく自分のリズムを口で表現、次に一緒に叩くリズムを一緒に口で表して、実際にその通りに叩くというセッションが続く。
これはまるで意味から解放されたリズムとフロウのみのフリースタイルバトルのよう!
これとは別に、南インドには伝統的なスキャットのような歌唱法、Konnakolというのもあって、これがまた凄い。
もうスキャットマン・ジョンも裸足で逃げ出す驚愕のスキャット!
凄いのは分かるけど、他の楽器でも一般的な歌い方でもなく、彼らはなぜこれをひたすら練習して極めようと思ったのか、もう何が何だか分からない。
何が言いたいかというと、インドでは昔からこんなふうに、ポリリズムが入ったような複雑なリズムを口で表すという伝統があったということで、これがこの時代になって、ラップと融合するのはもう当然というか必然なんじゃないでしょうか、っていうこと。
さらにはインドの伝統の中には韻文形式の詩や経文、それに音楽をつけた宗教歌もあるわけで、インドで短期間のうちにラップがこれだけ受け入れられるようになっている深層には、こうした伝統文化の影響というものも少なからずあるのではないかな、というのがなかば妄想を交えたアタクシの考えってわけです。
そういえば、以前紹介したBrodha Vの"Aigiri Nandini"もヒンドゥーの賛歌とラップの融合だった。
この曲のYoutubeの動画のトップのコメントにはこんなことが書かれている。
"you all gotta accept one thing, all the ancient Slokas were like rap music. So technically we bharatiyas invented rap music :)."
「みんなが受け入れなきゃいけないことが一つある。古いシュローカ(8音節×4行で表される韻文詩)ってみんなラップミュージックみたいだ。だから、技術的には俺たちインド人がラップを発明したってことになるのさ。」
ちなみにインドの楽器、タブラとラップの融合を試みている人たちは日本にもいて、例えばこんな楽曲がある。
U-ZhaanとKAKATO(環ROY & 鎮座DOPENESS)のTabla'n'Rapという曲。
これはこれで、タブラを使いながらもインド風味ではなく日本のセンスでかっこよく仕上がっているんじゃないでしょうか。
それでは今日はこのへんで!
goshimasayama18 at 15:24|Permalink│Comments(0)