RishiRich

2019年11月02日

帰ってきた『ガリーボーイ』歌詞翻訳!"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)by 麻田豊、餡子、Natsume


先日まで集中連載していた、インド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』のラップのリリック翻訳シリーズ。

大好評にお応えして、このプロジェクトを進めている餡子さん、麻田先生、Natsumeさんによるチームから新たに届いた翻訳を紹介します!
今回紹介する楽曲は、"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)。

ところで、今回は記事のタイトルが「ラップ翻訳」ではなく、「歌詞翻訳」となっていることに注目。
そう、今回紹介する曲はラップではない。
この"Ek Hee Raasta"(たった一本の道)は、イギリス生まれのインド系プロデューサー、Rishi Richが作ったトラックに乗せて、主演のランヴィール・シンが、ゾーヤー・アフタル監督の父でもあるジャーヴェード・アフタルによる詩を朗読したもので、そういう意味では「歌詞」と呼ぶのも厳密には違うかもしれない。
(あえて言えば、ポエトリー・リーディングやSlamと呼ばれるジャンルに近いか。なお、監督らのAkhtarという苗字については、映画のパンフレットをはじめ「アクタル」と記載されているものが多いが、今回は翻訳に携わった麻田先生にならって「アフタル」に統一する)


EkHeeRaasta



餡子さんによるコメント:
このリリックのシーンは、ムラドが電車に揺られている中周りにぼんやりと死んだ目をしたサラリーマンたちが映されて、「レールの上に載せられた人生」で「たった一本の道」を歩むしかない…という状況があらわされてますね。

この曲の作詞をしたジャーヴェード・アフタルは、ウルドゥー語詩人であると同時にヒンディー語映画の作詞家・脚本家としても長く活躍し、インド政府からパドマー・シュリー、パドマー・ブーシャンという2つの称号を受勲している伝説的な人物だ。
(北インドで広く話されるヒンディー語と、パキスタンの公用語で北インドのムスリムにも話者が多いウルドゥー語は、文字が異なり、語彙にも違いがあるが、言語的には非常に近く、会話においては相互の意思疎通が可能なことが多い)
無理やり日本に例えれば、倉本聰と谷川俊太郎と阿久悠を、足して割らずに数倍にしたくらいの人物ということになるかもしれない。
ちなみにジャーヴェードの父も映画音楽の作詞でも活躍した詩人で、さらに祖父も詩人である。

ゾーヤー監督は、母が女優/脚本家のハニー・イラーニー(ただしゾーヤーが6歳のときに両親は別居し、やがて離婚。ジャーヴェードは女優のシャバーナー・アーズミーと再婚した)、弟がこの映画でも共同製作を努めたファルハーン・アフタルという生粋のボリウッド一家の出身で、映画製作を「ファミリー・ビジネス」と呼んではばからない。
これまで紹介してきたように、『ガリーボーイ』は、インド社会の中で抑圧されてきたスラムの若者が、アメリカの黒人文化であるヒップホップに影響を受け、ストリートラップ(ガリーラップ)によって成長・成功してゆく作品であるが、アフタル・ファミリーそして監督の父ジャーヴェード・アフタルという補助線を引くとまた違う背景が見えてくる。
すなわち、伝統的なヒンディー/ウルドゥーの詩からヒップホップという新しいポエトリー文化への連続性である。
(ウルドゥー語学文学の研究者である麻田先生は早くからこの指摘をしていたが、さすがの視点!)
 
ゾーヤー・アフタル監督は、主人公ムラードのモデルとなったNaezyのラップを初めて聴いたときの印象として、「これまでインドでこんなふうにリアルな表現をする音楽を聴いたことがなかった」という趣旨の発言をしていたが、これは映像作家としてだけではなく、詩に造詣が深いアフタル・ファミリーの一員としての感想でもあったはずだ。
この『ガリーボーイ』では、"Doori Poem"(へだたり/詩)でもジャーヴェード・アフタルが作詞を担当し、"Doori"ではなんとラッパーのDivineとリリックの共作までしている。

さらに言えば、Naezyはラッパーであることを、父に「非イスラーム的である」と咎められ、一時期活動を休止していたが、今では「ラップはイスラーム文化の伝統的な"詩"と同じようなものである」という理解が得られ、活動を再開している。
インドは今でも若者が恋人に詩を送るような、ポエトリー文化の盛んな国。
インドのヒップホップカルチャーには、おそらくだがこうした詩作文化の伝統も、大きく影響しているのではないだろうか。

それにしても、国家から叙勲されるような大詩人がヒップホップ映画に参加し、ラッパーと共作すらしてしまうボリウッドの懐の深さには恐れ入るしかない。
そういえば、映画のテーマとなっている親子の確執や身分違いの恋、現実と夢との相克といった題材も、決して目新しいものではなく、インド映画の伝統とも言えるものである。
『ガリーボーイ』はヒップホップというインドにおける新しい文化を扱った映画でありながら、アフタル・ファミリーというボリウッドの伝統を担ってきた一家の、正統な系譜に連なる作品でもあるのだ。



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goshimasayama18 at 23:23|PermalinkComments(0)

2019年10月21日

『ガリーボーイ』ラップ翻訳"Doori Poem"(へだたり/詩)、"Doori"(へだたり)by麻田豊、餡子、Natsume


麻田豊先生、餡子さんの両名による『ガリーボーイ』劇中ラップの翻訳、今回は"Doori"(へだたり)と、サウンドトラックではそのイントロ的に使われていた楽曲"Doori Poem"(へだたり/詩)をお届けします。

"Doori Poem"は、ゾーヤー・アクタル監督の父で、詩人・作詞家・脚本家として70年代からヒンディー語映画界で活躍してきたジャーヴェード・アクタルによる詩を主演のランヴィールが朗読したもの。

"Doori"のリリックはなんとジャーヴェード・アクタルとラッパーのDivineの共作!
アクタル一家のファミリービジネスであるボリウッド、ジャーヴェードによる伝統的な詩の文化、そしてヒップホップという新しいカルチャーががっぷり四つで組み合った、この映画ならではの作品ということになる。
主人公ムラードが作った曲という設定のこの曲でラップしているのは、もちろんランヴィール本人。
ランヴィールはこの映画でラッパーとしての才能も披露も存分にしている。

トラックは2曲ともインド系イギリス人のRishi Richが手がけている。
Rishi Richはインド系ディアスポラで発展したダンスミュージック、いわゆるDesi Music(バングラー・ビート、エイジアン・アンダーグラウンドやインド系R&Bなど)で頭角を現し、その後数多くのインド映画の音楽を手がけているプロデューサーだ。

それではまず"Doori Poem"(へだたり/詩)、続いて"Doori"(へだたり)を紹介します!
 
DooriPoem



Doori1

Doori2

餡子さんのコメント
・Doori Poem
格差は格差のまま、決して溝が埋まらないインドの現実がよくわかるリリックです。

・Doori
Doori Poemからもう一歩進んで、格差社会を受け入れず足掻こうとする力強さがプラスされています。このリリックには母が登場し、インド人男性の母に対する愛情の大きさが感じられます。
この2曲は『ガリーボーイ』のなかでも特にヘヴィなテーマを扱った楽曲だ。
主人公のムラドは、怪我をした父に代わって裕福な家庭の運転手を務めることになり、圧倒的な貧富の差を目の当たりにする。
ピカピカの新車に乗り、英語で日常会話をして、海外留学の話題を話す一家。
"Doori Poem"では、ムラードとは全く異なる裕福な世界に暮らす勤務先の一家の娘との心の隔たりが、そして"Doori"では、不条理なまでの格差への絶望と苛立ちがテーマになっている。

これは餡子さんが今年の5月にムンバイで撮影した写真。
建設中の高層ビルから、海上にかかる橋シーリンクを挟んで、反対側にはスラム街が広がる。
Mumbai1

Mumbai2

Mumbai3
(写真提供:餡子さん)
まさに「右を見れば 今にも空に届きそうな高層ビル/左を見れば腹を空かして路上で寝ている子どもたち」というリリックどおりの現実がここにある。

この映画の深いところは、スラムに暮らす主人公と富裕層の人々を、単純な貧富=幸福・不幸という対立軸として描いてはいないことだ。
ムラードの家からは比べようもないくらい裕福な一家の、彼と同じくらいの年頃の娘も、決して手放しで幸福そうには見えない。
家族とは生き方を巡って口論をしているし、金持ちが集まるパーティーから泣きながら帰ってくることもある。
ここには豊かか貧しいかという対立に加えて、幸福か不幸か、自由か不自由かという対立軸が並行して描かれている。

貧しい家庭に生まれ、封建的な父のもとで暮らすムラードは、貧しく、不幸で、不自由だ。
だが、金持ち一家の娘も、裕福ではあるが、必ずしも幸福ではなく、それに不自由なようでもある。
彼の兄貴分的なラッパーのシェールは、裕福ではないものの、自由で充実した生き方をしているように見える。
トラックメーカーのスカイは、裕福で、そして自由な精神を持っている。

ないないづくしのムラードも、ガールフレンドのサフィーナといるときは、幸福を感じることができる。
医者の家庭に生まれたサフィーナは、そこそこに裕福だが、やはり不自由な暮らしを強いられている。
だが、彼女も恋人のムラードといるときだけは、自由と幸福を感じることかできるのだ。

"Doori"では、ムラードが抱える様々な苦悩が、ラップのリリックとして吐き出されることで昇華される。
この楽曲を通して、ヒップホップが越えようのない壁や格差を超えることができる、精神の自由の象徴であることが示唆されている。
二人でいる時間だけが、自由で幸福だったムラードとサフィーナだが、ムラードはラップという新しい自由の象徴を手に入れる。
そのことが、二人の関係に微妙な影響を及ぼしてゆく…。

続いては、ムラードがMCシェールと共演する"Mere Gully Mein"です!
しばしお待ちを! 



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