Raftaar

2022年08月09日

Emiway Bantaiと振り返るインドのヒップホップシーンの歴史!

先日、悪童のイメージが強かったムンバイの人気ラッパーEmiway Bantaiが、唐突にインドのヒップホップシーンに名を残した(っていうか今なお活躍中の)ラッパーたちへのリスペクトを表明するツイートを連投していたのを見つけてびっくりした。
彼はもともと、並外れたラップスキルを武器にいろんなラッパーにビーフを仕掛けて名を上げてきた武闘派だった。
そのスキルの高さは、数多くのラッパーがカメオ出演した映画『ガリーボーイ』でも「Emiway Bantai見たか?あいつはやばいぜ」と名指しで称賛されるほど。

荒っぽいビーフで悪名を轟かせていたEmiwayは、注目が高まったところで、いきなり超ポップな"Macheyenge"と題するシリーズの楽曲をリリースして、一気にスターダムに登りつめた。
この"Firse Machayenge"はなんとYouTubeで4.8億再生。



全方位的に失礼な物言いをさせてもらうなら、それまでインドのヒップホップシーンには、センスの悪いド派手なパーティーラッパーか、泥臭いストリート・ラッパーの二通りしかいなかったのだが、このEmiwayの垢抜けたチャラさとポップさは非常に新鮮で、大いに受けたのだった。
Emiwayはその後も、バトルモードとポップモードを自在に行き来しながら、シーンでの名声を確実なものにしていった。

自分の才能とセンスで独自の地位を確立したEmiwayは、他のラッパーとの共演も少なく、さらに上述の通り、毒舌というかビーフ上等なキャラだったので、急に「シーンの人格者」みたいなリスペクトを全面に出したツイートを連発したことに、大いに驚いたというわけである。

というわけで、今回はEmiwayの一連のツイートを見ながら、インドのヒップホップシーンの歴史を振り返ってみたい。
つい先日軽刈田によるインドのヒップホップシーンの概要を書いたばかりではあるけれど、今回はEmiwayによるシーンの内側からの視点ということで、何か新しい発見があるかもしれない。
ではさっそく、7月18日から始まったツイートを時系列順に見てみよう。


「NaezyとEmiwayがAAFATとAUR BANTAIでムンバイ・スタイルを紹介し、インドのヒップホップシーンに脚光をもたらした」

ここに書かれた、"Aafat!"は先日の記事でも紹介したNaezyのデビュー曲で、後にボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』制作のきっかけにもなった歴史に残る楽曲だ。

Emiwayの"Aur Bantai"も同じ時期にリリースされた曲なのだが、はっきり言ってNaezyの"Aafat!"と比べると、相当ダサくて野暮ったい。



ムンバイ・スタイルを決定づけた曲をNaezyの"Aafat!"の他にもう1曲挙げるとしたら、それは間違いなくDIVINEの"Yeh Mera Bombay"だと思うのだが、路地裏が舞台とはいえウェルメイドなミュージックビデオになっているYeh Mera Bombayじゃなくて、"Aur Bantai"のインディペンデント魂こそがムンバイの流儀だぜ、ってことなのかもしれない。
まあとにかく、売れっ子になってもこのミュージックビデオをYouTubeに残したままにして、こういうタイミングでちゃんと取り上げるEmiwayの真摯さは、きちんと評価したいところだ。
ちなみにEmiwayのラッパーネームにも使われているBantaiとはムンバイのスラングで「ブラザー」のような親しい仲間への呼びかけに使われる言葉。
さらに言うと、EmiwayというのはEminemとLil Wayneを組み合わせてつけたという超テキトーな名前だ。



「そしてDIVINEとNaezyの"Mere Gully Mein"(「俺の路地で」の意味)がインドのヒップホップシーンに大きな注目を集め、ボリウッドにまで結びつけた」

映画『ガリーボーイ』でもフィーチャーされたこの曲が果たした役割については、今更言うまでもないだろう。
ヒンディー語で路地を意味する'gully'を「ストリート」の意味で使い、インドの都市生活に根ざしたヒップホップのあり方を広く知らしめた曲である。





「DIVINEはメジャーレーベルと契約し、インドのラッパーたちに『成り上がり』の方法を示した」

これはまさにその通り。
DIVINEこそがインドでストリート発の成功を成し遂げた最初のラッパーだった。
個人的にグッと来たのは次のツイートだ。



「EmiwayとRaftaarのディスはインドのヒップホップを次のレベルへと引き上げた。
このビーフによって誰もがインドのヒップホップについてもっと知ることになった」

ここでEmiwayは、かつての敵に、過去を水に流して称賛を送っているのである。
Raftaarはデリーのラッパーで、ボリウッドなどのコマーシャルな仕事もするビッグな存在だったのだが、その彼がEmiwayに対して「彼みたいなラッパーが大金を稼ぐのは無理だろう」と発言したのがことの発端だった。
インドで最初の、そして最も注目を集めたビーフが幕を開けたのだ。
(その経緯については、この記事に詳しく書いている)
当時EmiwayがRaftaarをディスって作った曲がこちら。




ちなみにこの曲、2番目のヴァースではDIVINEを、3番目のヴァースではモノマネまで披露してMC STANを痛烈にディスっている。
今となっては抗争は終わって、リスペクトの気持ちだけが残ったということなのだろう。
Emiwayは、DIVINEやMC STANに対しても、今回の一連のツイートでリスペクトを表明しており、彼らとのビーフはいずれも手打ちになったようだ。



「映画『ガリーボーイ』がインドのヒップホップシーンをメインストリームに引き上げるために大きな役割を果たした。NaezyとDIVINE、この映画に関わった全てのアーティストにbig upを」

NaezyとDIVINEをモデルにした『ガリーボーイ』については、今読み返すとちょっと恥ずかしくなるくらい熱く紹介してきたので今回は割愛。



この映画によってヒップホップがインドの大衆に一般に広く知られるようになったことを否定する人はいないはずだ。



「MC STANが新世代の音楽をインドのヒップホップシーンにもたらした」

これは遠く日本からシーンをチェックしている私にも明白だった。
それまでマッチョというかワイルド一辺倒だったインドのヒップホップシーンに、細くてエモでメロディアスなラップを導入したMC STANは、シーンの様相を一気に変えたゲームチェンジャーだった。





KR$NAもデリーのラッパー。
2006年にデビュー(といってもMySpaceで最初の楽曲を発表したという意味だが)したかなり古参のラッパーで、かつてはRaftaarと共闘してEmiwayと対立関係にあった。
ここでいう「リリカル・ゲーム」が何を指しているのかちょっと分からないが、ビーフのことか、ライム(韻)以上の面白さを歌詞に取り入れたという意味だろうか。
KR$NAは、最近ではEmiwayの'Machayenge'シリーズを引き継いだ(?)楽曲をリリースしているので、今となっては良好な関係を築いているのかもしれない。


Emiwayの一連の楽曲と比べるとずいぶんとダークでヘヴィだが、この曲が"Macheyenge", "Firse Macheyenge", "Macheyenge 3"と続いたシリーズの正式な続編なのかどうか、ちょっと気になるところではある。

かつての敵たちにリスペクトを表明した後のこの一言がまたナイスだ。


「Emiway Bantaiはインディペンデントなシーンをインドのヒップホップに知らしめ、自分自身の力だけでビッグになれることを万人に示した」

どうでしょう。
「お前じゃ無理とかなんとか言われたけどさ、ま、言ってた奴らもリスペクトに値するアーティストたちだし、根に持っちゃいないよ。でも俺は、大手のレーベルにも所属しないで、自分自身の力だけでここまで成し遂げたんだけどね」ってとこだろうか。
このプライドはヒップホップアーティストとしてぜひ持ち続けていてほしいところ。




かと思えば、今度はインドのヒップホップシーンで古くから活躍していたアーティストたちにまとめてリスペクトを表明している。
Baba Sehgalは1992年に、国内でのヒップホップブームに大きく先駆けて、「インド初のラップ」とされる"Thanda Thanda Pani"をヒットさせたラッパー。


そもそもVanilla Iceの"Ice Ice Baby"をパクッたしょうもない曲なわけだが、それでもここでシーンの元祖の名前を切り捨てずにちゃんと出すところには好感が持てる。
Apache Indianは90年代に一瞬ヒットしたインド系イギリス人のダンスホールレゲエシンガー、Bohemiaはパキスタン系アメリカ人のラッパーで、2000年代初頭から活動しているDesi HipHop(南アジア系ヒップホップ)シーンの大御所だ。
Mumbai's Finest, Outlaws, Dopeadeliczは、いずれも2010年代の前半から活動しているムンバイの老舗クルー。
他にムンバイでは、Swadesi Movement(社会派なリリックと伝統音楽との融合が特徴のグループ)、フィメール・ラッパーのDee MCの名前が挙げられている。
BlaazeやYogi Bはタミルのラッパー、MWAはBrodha VSmokey the Ghostがベンガルールで結成していたユニットで、サウスにも目配りが効いている。

あと、正直に言うとこれまで聞いたことがなかったラッパーの名前も挙げていて、Pardhaan(インド北部ハリヤーナー), KKG(パンジャービーラッパーのSikander Kahlonを輩出したチャンディーガルのグループらしい)、Muhfaad, Raga(どちらもデリーのラッパー)というのは初耳だった。



「Honey Singhこそがインドでコマーシャルラップに脚光を浴びせた張本人だ」


個人的にもう1か所グッと来たのは、Emiwayのようなストリート上がりのラッパーたちが無視・軽蔑しがちなコマーシャルなラッパーたちにもきちんとリスペクトを示しているところ。
Honey Singhはその代表格で、人気曲ともなればYouTubeで数千万〜数億回は再生されているメインストリームの大スターだ。
ただ、あまりにもコマーシャルなパーティーソングばかりのスタイルであるがために反感を買いがちで、5年くらい前、インドのストリート系ラッパーのYouTubeのコメント欄には「Honey Singhなんかよりこの曲のほうがずっとクール」みたいなコメントが溢れていたものだった。
まあでも、彼のような存在がいたからこそ、その後のストリート系ラッパーたちのスタイルが際立ったのも事実で、ド派手なダンスチューンとともにラップという歌唱法をインドに知らしめたその功績はもちろん称賛に値する。






BadshahもHoney Singhと同様のコマーシャル・ラッパーで、Ikkaは彼らと同じグループから出てきたもうちょっとストリート寄りのスタイルのラッパー(ちなみにRaftaarも同じMafia Mundeerというクルーの出身)、Seedhe Mautはこのブログでも何度も取り上げてきた二人組だ(ここまでデリー勢)。
Enkoreはムンバイ、Madhurai Souljourはタミル、Khasi Bloodzは北東部メガラヤ州のラッパー。
ジャンルや地域に関わらずリスペクトするべき相手はちゃんとリスペクトするぜ、ということだろう。
さっきから見ていると、Emiway、デリーのシーンはずいぶんチェックしているようである。



「俺のブラザー、MINTAにもbig upを。彼はインドのヒップホップシーンの一端を担っていたが、俺の成功のために全ての力を注ぎ込んでくれていたから、これまで自分の楽曲をリリースしてこなかった。ようやく彼は自分自身の音楽のフォーカスしているところだ。彼がインドのヒップホップシーンで果たしてきた大きな役割に対してbig upを」

MINTAはEmiwayのレーベルBantai Recordsのラッパーで、このツイートを見る限り、これまでは裏方として彼を支えてきてくれたようだ。
ここで言うブラザーが本当の血縁関係なのか、仲間の意味なのかは分からないが、共演した楽曲をリリースしたばかりなので、いずれにしても彼をフックアップしたいという意図があるのだろう。




パンジャーブ系イギリス人のラッパー/バングラー・シンガーのManj MusikとRaftaarが共演した"Swag Mera Desi"は、自分のルーツを誇ることがテーマの2014年にリリースされた楽曲。





そして先日亡くなったSidhu Moose Walaへの追悼も。
Sidhuが属していたパンジャービー系バングラー・ラップのシーンは、ムンバイのEmiwayとはあまり接点がなさそうだが、それだけ大きな存在だったのだろう。



「そしてシーンにいる全てのアンダーグラウンド・アーティストたちにリスペクトを。君たちはもっと評価されるべきだ。俺もかつては君たちみたいだった。君たちが俺よりもビッグな存在になれることを神に祈っているよ」

Emiway, これをさらりと言えるポジションまで腕ひとつで成り上がってきたところが本当にカッコイイ。
あの垢抜けない"Aur Bantai"を見た後だと、非常に説得力がある。



「俺はみんなに感謝しながらも、自分だけの力でここまでやってきた。だからお前にもできるはずだ。他人に感謝しているからって、萎縮する必要はない。ポジティブさを広めれば、お前にもポジティブなものが返ってくる」

さんざん他のラッパーをディスっていたEmiwayが言うからこその深みのある言葉だ。



そして改めてDesi HipHopのパイオニアであるBohemiaへのリスペクトを表明して、一連のツイートを終えている。
この言動は、彼がシーンの悪童から人格者の大物ラッパーへと脱皮したことを示しているのだろうか。
頼もしさとともに一抹の寂しさも感じてしまうが、きっとEmiwayは、何ヶ月かしたら、何事もなかったかのように他のラッパーをディスりまくる曲をリリースしたりすることだろう。
Emiway Bantaiはそういう男だと思うし、またそれがたまらない魅力だと思う。


最後に、ちょっと意地悪だが、彼が名前を挙げなかったラッパーやシーンについて書いてみたい。
Emiway自身も「誰か忘れていたらゴメン」と書いているし、ビーフの相手にもリスペクトを表明しているくらいだから、単に忘れたか、交流がないというだけだとは思うのだけど、ここから彼の交流関係やシーンの繋がりの有無を見ることができるはずだ。


私が思う「彼が名前を挙げてもよかったラッパー」としては、2000年代前半にバングラー・ラップを世界中に知らしめたパンジャービー系イギリス人Panjabi MCと、シク教徒ながらバングラーらしさ皆無のハードコアなヒップホップスタイルでデリーから彗星のように登場したPrabh Deepだ。
シーンを概観したときに、Panjabi MCはインド系ヒップホップのオリジネイターの一人として、Prabh Deepは新世代のラッパーとして、必ず名前を挙げるべき存在だと思うのだが、Emiwayはやはりパンジャーブ系ラッパーとはあまり接点がないのだろう。

地域でいえば、ベンガル地方のラッパー(Cizzyとか)の名前も挙がっていないし、テルグー語圏(ハイデラーバードあたりとか)やケーララのラッパーにも触れずじまいだったが、これもやはり、地理的・言語的な問題で交流がないからではないかと思う。
「インドのヒップホップ」と一言で言っても、地理的にも言語的にも、距離による隔たりは大きいのだ。
自分自身も、南のほうはあんまり馴染みがないこともあって、ヒンディー語圏中心の話題になりがちなので、ちょっと気をつけないといけないなと思った次第。


いずれにしても、唐突に一皮剥けて大人になった感じのツイートを連投したEmiwayが、このあとどんな楽曲やパフォーマンスを披露してくれるのか、ますます楽しみである。



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goshimasayama18 at 21:31|PermalinkComments(0)

2022年03月04日

インドのラッパー第三世代 MC STANはヒップホップの地図を塗り替えるか



プネー出身のラッパーMC STANがニューアルバム"Insaan"をリリースした。
…と書いている今は2022年。
彼についてはもっと早く書くべきだった!
もたもたしているうちに、MC STANはインドのヒップホップ地図を塗り替えつつある。
彼はインドのヒップホップに、同時代の世界と共通する新しい空気感を持ち込み、ほとんどたった一人でシーンの雰囲気を刷新してしまった。


MC STANを発見したのは2020年11月に実施したオンライン・イベント'STRAIGHT OUTTA INDIA'のためのネタ探しをしていたときのこと。
このイベントでパキスタンのラッパーを紹介してくれたちゃいろさんが、「なんかすごいラッパーがいる!」と教えてくれたのが、今にして思えばMC STANらしからぬ、宗教的なテーマのこの曲だった。

"Astaghfirullah" (2020)


このジャジーなビートと内省的なラップ!
タイトルの"Astaghfirullah"とは、イスラーム教徒が己の過ちを認め、神に許しを乞うときに使う言葉だそう。
あまりにイスラーム色の強い内容に、最初はパキスタンのラッパーかと思っていたのだが、よくよく調べてみると、ムンバイと同じインドのマハーラーシュトラ州の街、プネー出身のムスリムの若手ラッパーだということが分かった。
ここまで宗教的な内容ながらも、隠しきれないワルっぽさがまた魅力的だ。

すぐに他の曲もチェックしてみたのだが、じつはこの"Astaghfirullah"は極めて例外的な曲で、ふだんのMC STANは、どうしようもない悪童だということが分かった。

2018年にリリースしたデビュー曲はこんな曲。

"Wata" (2018)

当時、MC STANは18歳。
タイトルの'Wata'というのはおそらくプネーのスラング(ヒンディー?マラーティー?はたまたムスリムだからウルドゥー?)で、'fxxk off'という意味らしい。

同時期にリリースした"Samaj Meri Baat Ko"では、人気ラッパーのEmiway Bantaiをディスっていたようで、それに対してEmiwayは"Samajh Mein Aaya Kya?"でSTANのモノマネを交えて痛烈にアンサー。
(余談だが、Emiwayはこの曲でムンバイの大御所DIVINEとデリーのRaftaarにもビーフを仕掛けている。その詳細はこちらの記事でどうぞ)


そのEmiwayに対するSTANからのさらなるアンサーがこの"Khuja Mat"という曲らしい。

"Khuja Mat"(2019)

さっきの"Wata"もこの曲も字幕をオンにするとリリックの英訳が読めるのだが、その言葉づかいの汚ねえこと!

まあとにかく、これだけの実力とインパクトのあるラッパーが、知らないところで登場していたということに驚いた。
自分はインドの音楽メディアはそれなりにチェックしているつもりだが、"STRAIGHT OUTTA INDIA"を開催した2020年11月の時点で、MC STANについて書かれた記事を見た記憶はなかった。
あとになって分かったことだが、どうやらMC STANは、メディア先行型ではなく、YouTubeやソーシャルメディアを通して名声と人気を獲得した、新しいタイプのラッパーだったのだ。


"Wata"や"Khuja Mat"のような曲でラッパーとしての「悪名」を高めた彼は、そこで方向転換して信仰をテーマとした"Astaghfirullah"をリリースし、一気にファンの支持を集めたようだ。
ネット上で見る限り、初期の楽曲に対する反応は、「生意気なガキ」といったものが目立っていたが、"Astaghfirullah"へのリアクションはほとんどが好意的なものだった。
STANはインドではマイノリティであるムスリムだが、この国では信心深いことは宗教を問わず美徳とされている。
信仰をテーマにした曲は、端的に言ってディスりづらいし、共感も得やすい。
どこまで狙ってやったのかはわからないが、インドで名を売る手段としては、非常によく考えられている。
もちろん、彼が非常に高いスキルとセンスを兼ね備えたラッパーであるということが前提である。


"Astaghfirullah"で神に向かって悔い改めたSTANは、その後悪事から足を洗って改心したのかというと、そんなことは一切なく、再び不道徳路線に回帰。

この"Ek Din Pyaar"(2020)では「俺のことが嫌いなんだろう?」と挑発的なリリックを披露している。


"Hosh Mai Aa"(2020)


この曲の3:10くらいからのシーン、今のインド社会ではギリギリの表現(というか、YouTubeというメディア以外ではアウト?)。
"Ek Din Pyaar"冒頭の女性たちの同性愛的なシーンも、彼がムスリムであることを考えるとかなり挑発的な描写だ。
いずれも2020年にリリースされたアルバム"Tadipaar"に収録されている曲。

内容の過激さばかりが目についてしまうが、ここに来て、ミュージックビデオもかなり洗練されてきていることにも注目。
当初は典型的なガリーラップ(インド版ストリートラップ)的だった映像が、どんどんスタイリッシュになってきている。

スタイリッシュといえば、STANのもうひとつの特徴といえるのが、彼のヨレヨレした独特のフロウ、そしてスキニーなシルエットを取り入れたファッションだ。
このスタイルは、もちろん世界的なヒップホップシーンの潮流に沿ったものなのだが、男らしさを前面に押し出すことが多かったインドのシーンのなかで、彼はひときわ新しく、異物感を感じさせるほどに目立っている。
彼のことを「インドのヒップホップ第三世代」と名付けた所以である。


あくまで私見だが、インドのヒップホップの第一世代を定義づけるとするならば、それは2010年代前半からデリーを中心に勃興したパンジャービー系のラッパーたちということになるだろう。
彼らはパンジャーブ州の伝統音楽バングラーの流れをくむド派手で成金趣味なパーティーラップ的スタイルを特徴とし、ヒップホップの成り上がり的側面を模して人気をあつめた。
その中心となったのは、Yo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikkaら、Mafia Mundeerというユニットのメンバーたちで、彼らについてはこの記事で詳述している。



第二世代にあたるのが、2015年以降に登場したムンバイのガリーラッパーたちだ。
(「ガリー」はヒンディー語で、「路地」を意味する言葉)
より等身大な「ストリートの音楽」としてのヒップホップに焦点をあてた彼らは、もともとメジャーとは無関係なアンダーグラウンドな存在だったが、ムンバイのシーンをテーマにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』(2019)によって、一気に注目を集めるようになった。
その代表を挙げるとすれば、やはり同作のモデルとなったDIVINEとNaezyということになるだろう。


この頃から、インドでは多くの都市で同時多発的にストリートラップのシーンが形成され、各地域・各言語で活躍するラッパーたちが誕生した。

だが、いずれの世代にしても、インドのラッパーたちは、アディダスのジャージやオーバーサイズのTシャツ、ゴールドのチェーンで男らしさやワイルドさを誇る、90年代的なセンスとスタイルを特徴としていた。
これは、インド社会が持つ保守性や、男性のマッチョ的な魅力を賛美する傾向とも無関係ではないだろう。
(たとえばボリウッドの男性スターたちは、そのほとんどが現実離れしているほどの筋肉質の肉体美を誇っている)

まあとにかく、MC STANは、同時代のグローバルなヒップホップシーンが持つ、ただワルっぽいだけでなく、ちょっとナードというか病みっぽいというか反マッチョ的というか、そういうひねくれた雰囲気をインドに持ち込んだパイオニアなのだ。
GQ Indiaの記事では、彼のことを評した記事に、第三世代ならぬ'Indian Hip Hop 2.0'というタイトルが付けられていた。

じつは、MC STANがフェイバリットとして挙げているのは2Pac, Eminem, Lil wayne, Rakim, 50Cent, LL Cool Jといった90年代を中心としたヒップホップアーティストたちであり、そのあたりはインドの第2世代ラッパーたちとほとんど変わらないのだが、彼はインタビューで「俺はニュースクールなことををやり続けたいね。スキニージーンズにマンブルラップみたいなヴァイブで、メロディーもあるやつだよ」と語っている通り、かなり意図的に新しいスタイルを取り入れているようだ。
それが自然にできているのは、1999年生まれという世代的な理由もあるだろう。

彼の才能はラップやファッションにとどまらない。
じつは、ここまで紹介してきた曲を含めて、彼の楽曲のトラックは全て彼自身の手によるものなのだ。
ビートメイクとラップの両方にここまで才能を発揮しているアーティストは、インドでは他にデリーのPrabh Deepくらいしか思い当たらない。
また、ヨレヨレしたフロウが特徴的な彼だが、ラップスキルの高さは相当で、例えばデリーの新世代ラップデュオSeedhe Mautと共演したこの"Nanchaku"では、3番目のヴァースで登場した瞬間に楽曲の空気を一変させ、気怠さと鋭さをあわせ持つその個性を存分に見せつけている。


Seedhe Maut "Nanchaku ft MC STAN"(2021)




今回も前置きが長くなってしまったが、MC STANのニューアルバム"Insaan"は、彼の持つメランコリックかつ危うげな魅力がより強く打ち出された作品となっている。

"Insaan"(2022)


芯が細く頼りなさすら感じさせるラップやオートチューンを使った歌メロ、叙情的なストリングスに不安定さを感じさせる不規則なビート。
マッチョな世界観とは完全に決別したエモでメロウなサウンドは、世界的なヒップホップのトレンドともシンクロしたものだ。

驚くべきはゲスト陣で、なんとこのアルバムには、「インドのヒップホップ第一世代」であるデリーのRaftaarとIkkaが参加している。

"How to Hate Ft. Raftaar"(2022)


"Maa Baap ft. IKKA"(2022)


RaftaarもIkkaも、すでにパーティーラップ的な路線から硬派なスタイルに転向して久しいが、ここでは完全にSTANのスタイルに合わせたフロウを披露している。
彼らの新しいスタイルへの適応力にも驚かされるが、インドのヒップホップシーンの重鎮をここまで自分の色に染めてしまうSTANも凄い。

それにしても、STANはデリーのラッパーとの共演が目立つ。
今ではプネーからムンバイに活動の拠点を移しているようだが、スタイルの違いやかつてのビーフから、ムンバイのラッパーたちとは関係がよくないのだろうか。
地元のラッパーとはつるまない孤独感も彼らしいといえば彼らしい。

彼はこれまで、レコード会社やレーベルに頼らず、完全にインディペンデントな立場で楽曲をリリースしてきたが、このアルバムからSTAN本人が設立したHindi Recordsというレーベルからのリリースという体裁を取っている。
このレーベルが彼のためだけのものなのか、他のアーティストのリリースも行うのか、現時点では不明だが、いずれにしても楽しみな動きではある。

ちなみにMC STANの表記は、Aの代わりにデルタの記号を使ってMC STΔNと書くのが正式なようだが、サブスクなどでは検索のしやすさを考えてか、アルファベットのSTANという表記を採用しており、この記事でもアルファベット表記とした。


というわけで、今回はインドのヒップホップ新世代を象徴するラッパー、MC STANをたっぷりと紹介してみた。
彼に続く世代がどんなサウンドを作ってゆくのか、インドのヒップホップシーンはますます面白くなってきた。




参考記事:
https://www.gqindia.com/entertainment/content/indian-hip-hop-20-mc-stans-tadipaar-from-pune-to-mumbai

https://rollingstoneindia.com/mc-stan-talks-debut-album-tadipaar-new-direction/




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goshimasayama18 at 22:06|PermalinkComments(0)

2021年09月01日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)



DelhiRappersラージュ

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。

とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!

ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)
DelhiMap
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi

ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。

パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。




キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。

彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。


Yo Yo Honey Singh "Loka"


Badshah "DJ Waley Babu"

オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。

この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想敵として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)

Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。


Raftaar "Sheikh Chilli"

この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。



IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。

もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。

KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。


パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。

Prabh Deep "Suno"


彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。


Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN


この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。

Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。


Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.

Sikander Kahlon "100 Bars 2"


その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。

Sidhu Moose Wala "295"



Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"



Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)



最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。

Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"

Karma "Beat Do"

パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。

とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。


(ムンバイ編はこちら)




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2021年03月07日

人気ラッパーEmiway Bantaiとインドのヒップホップの'beef'の話

今回は、インドのヒップホップ界の「ビーフ」の話。
インドのラッパーのビーフに関する記事を最初に見つけた時、私はてっきり、神聖視されている牛の肉を食べたラッパーがヒンドゥー・ナショナリストに襲撃されたとか、そういうニュースかと思ってしまった。
(インドのラッパーにはムスリムやクリスチャンも多いし、そういうことが起きそうな状況が今のインドにはある)
よく読んだら、そうではなくて、あのラッパー同士のディスりあいのほうのビーフだった。
そう、ヒップホップが急速に一般化したインドでも、ビーフは起こっている。
口が達者で議論好きなインド人がラッパーになれば、ビーフが起こらないわけがないのだ。

今回の主役は、インドのヒップホップ界にビーフを定着させた第一人者にして人気ラッパーのEmiway Bantai.
ボリウッドのヒップホップ映画『ガリーボーイ』にカメオ出演していたのを覚えている人もいるだろう。
ビーフで名を挙げたガリー(ストリート)・ラッパーというイメージからは想像しづらいかもしれないが、最近のEmiwayはかなりコマーシャルな路線に転換していて、昨年リリースされた"Firse Machayenge"はYouTubeで3億5000回以上も再生されている。
 
Emiwayはかなり器用なラッパーで、この曲のようなコマーシャル(チャラい)路線からアグレッシブなストリート・ラップまで、曲ごとに巧みにスタイルを使い分けているのだが、まずは彼のこれまでの人生、そしてビーフの戦歴を振り返ってみよう。

Emiway BantaiことBilal Shaikhは1995年、ベンガルールのムスリムのミドルクラス家庭に生まれた。
やがて家族とムンバイに移り住んだBilal少年は、10年生(高校1年)までは成績優秀で医者を目指していたという。
ところが、Eminemの音楽と出会ったことで運命が変わってしまう。
ヒップホップにはまって11年生では見事に落ちこぼれ、趣味で撮影していたたラップビデオの反応良かったという理由で、本気でラッパーを目指すようになったという。
ここまで、なんだか両親を心配させてしまいそうな経歴である。
彼のラッパー ネームの'Emiway'は敬愛するEminemとLil Wayneの名前を組み合わせたもので、Bantaiは'brother'のような意味で使われるムンバイのストリートのスラングだ。

だが、彼は真剣だった。
2013年に英語でラップした"Glint Lock" (feat. Minta)でデビューし(といっても、個人で撮った動画をYouTubeにアップしただけのようだが)、家族のサポートは受けずにHard Rock Cafeで働きながらラッパーとしての活動を続けた。
彼もまた、この時代のインドの多くのインディー・ラッパー同様に英語でラップを始め、やがて北インドのメジャー言語であるヒンディー語へと転向する。
彼の初のヒンディー語ラップは2014年リリースの"Aur Bantai".
この時期の彼の曲やスキルはまだ拙く、改めて紹介するほどのレベルでないものが多いが、逆にいうとそれだけ彼が成長したということ。
今でもYouTubeで手作り感満載の初期のミュージックビデオが見られるので、興味のある人は見てみてください。
公式チャンネルにあえてこの頃の作品を残しているEmiwayも潔くてイイ。

その後、持ち前のセンスを開花させた彼は徐々に人気を獲得し、2016年には、この"Aisa Kuch Shot Nahi Hai"でRadio City Freedom Awardを受賞。
受賞式の会場は、彼がかつて働いていたHard Rock Cafeだった。
ここからEmiwayの快進撃が始まる。
2017年にはデリーの人気ラッパーRaftaarとのコラボレーション"#Sadak"をリリース。
(Raftaarとその仲間たちの紆余曲折については、この記事で紹介しています)

二人の自在なフロウと高いスキルが充分に味わえるこの曲でEmiwayはさらに名声を高め、冒頭部分で聴かれる「まるめなー」('Maloom hai na'=「分かってるな」といった意味)というフレーズは、その後の彼の決め台詞となってゆく。

だが、ボリウッドなどのメインストリームでも活躍しているRaftaarが「彼みたいなラッパーが大金を稼ぐのは無理だろう」という発言したことにEmiwayが反応し、二人の間のビーフが勃発。
Emiwayは2018年10月に、Raftaarに向けたdiss-song "Samajh Mein Aaya Kya"をリリースする。
 
彼のステージネームのルーツであるEminemを思わせる、怒りと苛立ちのこもったフロウが圧巻だ。
Emiwayは、最初のヴァースでRaftaarの発言を痛烈に批判。
ここにインドで最初の、そして最も注目を集めたdiss-warが幕を開けた。

特筆すべきなのは、この曲でEmiwayは、Raftaarだけでなく、ムンバイのストリート・ヒップホップシーンの兄貴分的存在のDIVINEと、プネー出身の新進ラッパー MC STANをも強烈にディスっているということ。
DIVINEに関しては、Emiwayに対して「YouTubeの再生回数を稼ぐのは、SpotifyやGaanaのストリーミング再生されるより簡単なことだ」と発言したことが気に入らなかった様子。
EmiwayはDIVINEに「インドのすべてのラッパーはYouTubeからキャリアをスタートさせている。YouTubeが必要ないっていうなら自分の動画をYouTubeから削除したらどうだ」と反論し、この曲の2番のヴァースでは、ストリート育ちを自認するDIVINEがメジャーレーベルであるソニーミュージックのバックアップを受けていることをバカにして、自分は完全にインディペンデントであることを誇示している。

3番目のヴァースで標的にしているMC STANに対しては、小バカにしたような物真似まで披露していて完全におちょくっている。
MC STANはUSでいうとマンブルラップ以下の世代のような、インドでは新しいタイプのラッパー。
ここ数年で、Emiway同様に敵を作りながらもめきめきと評価を上げている大注目のアーティストで、近いうちに詳しく紹介しようと思っている。

(MC STANについてはこの記事でも紹介しています)

MC STANとの間に何があったのかは分からないが、とにかくEmiwayは、共演したメインストリームラッパー(Raftaar)からストリートシーンの大御所(DIVINE)、そして若手(MC STAN)まで、全方位的にディスを撃ちまくっているわけだ。

話をRaftaarとのビーフに戻すと、この曲を受けてRaftaarはレスポンスとして"Sheikh Chilli"を発表。
「俺は真実を語っただけ/お前は注目を集めたいだけのただのガキ/俺がデリーでホテルから食事からスタジオまで、全て世話してやったことを忘れたのか?/それが今度はdiss-songか/ムスリムなら嘘はつくな/お前がやってることはDIVINEとNaezyがしたことをなぞっているだけ」
と手厳しくEmiwayをこきおろした。

それに対してEmiwayは"Giraftaar"をリリース。
「メインストリームにセルアウトしたRaftaarはアンダーグラウンドじゃ何の存在感もない」とレスポンス。
これに対するRaftaarのレスポンスはなく(通常の楽曲リリースに戻った模様)、またEmiwayも『ガリーボーイ』への出演や、久しぶりに英語でラップした"Freeverse Feast(Daawat)"がMTV Europe Music AwardsでBest India Actを獲得するなど大きく評価を上げ、二人のビーフはどうやら小康状態となっている模様。

MTV EMAを受賞した"Freeverse Feast(Daawat)"は、いつの間にか英語ラップのスキルも上げていたEmiwayのマシンガンラップが圧巻。

いずれにしても、EmiwayはRaftaarとのビーフで知名度を上げ、話題性だけではなく高いスキルをも示して人気アーティストの仲間入りを遂げたというわけだ。
(もちろんそこには彼のスキルだけではなく、コマーシャルな楽曲のセンスもあったことは言うまでもない)
ビーフ当時は生意気な若造のEmiwayよりもRaftaarやDIVINEを支持する声のほうが多かったようだが、今ではすっかり彼らと肩を並べる人気ラッパーとなった。

ところで、"Samajh Mein Aaya Kya"のセカンドヴァースで攻撃されたDIVINEも黙ってはいなかった。
Emiwayが"Hard"で再びYouTubeの再生回数をテーマにした攻撃的なリリックを披露すると、これをさらなる自分へのdissと捉えたDIVINEは、反撃を開始する。

長くなるので詳細は省くが、これに対してDIVINEは"Chabi Wala Bandar"と"Such Bol Patta"の2曲のdiss-trackで応酬。
Emiwayも"Gully Ka Kutta"でリアクションする。

Diss-songのときのEmiwayは本当にアグレッシブでかっこいい。
この曲でもEmiwayは高いラップスキルを存分に発揮していて、一本調子なフロウの多いDIVINEを徹底的にやりこめようとしているかのようだ。

その後、二人は直接話し合って誤解が解け、このビーフは終了。
じつはEmiwayの"Hard"はDIVINEではなくデリーのベテランストリートラッパーKR$NAに向けられたものだったのだが、DIVINEが自分のことだと勘違いして応戦してしまったというのが真相だったらしい。
これはDIVINEがちょっとかっこわるかった。

ちなみにEmiwayがKR$NAを"Hard"でディスったのは、どうやらこの曲で喧嘩を売られたことに対するリアクションだったようだ。

この曲でKR$NA はのっけからEmiwayを名指しすると、彼の決め台詞の「まるめなー」もパクって(1:02くらいのところ)挑発している。
どうやらKR$NAは、Emiwayがリリックの中で「俺こそがmotherclutching(聞いたことがない単語だがmotherfxxkingのインド的言い換え?)ビーフラッパー/インドをレペゼンする唯一の男」とか「俺は小さく見えても超ハード、止められる奴がいるならかかってきな」と表明しているのに対して挑戦したということのようだ。
KR$NAはRaftaarとの交友もあるようなので、Emiwayとのビーフは望むところだったのだろう。


いずれにしても、ビーフによってインドのヒップホップ界がいっそう盛り上がっていることは間違い無いだろう。
Raftaarは、Hindustan Timesのインタビューでビーフについて端的にこう語っている。
(Emiwayとの確執について聞かれて)
「これはヒップホップのdiss-warというもので、お互いを批判するラップを出しあうのさ。ラッパーならよくあることで、俺たちは詩人(poet)なんだ。考えてみなよ。彼と俺との間に問題があるからって、ストリートで殴り合ってたら野蛮人と同じだろ。俺たちは詩人だから代わりに言葉を使う。(中略)(このビーフで)彼の人気が出たんじゃないかな。もししなかったら、彼のことなんて誰も知らなかったと思う。才能がある人なら誰だって、俺との戦いを通して有名になってもいい。これはフェアなんだ。神様がそういうふうに取り計らっているのさ」

EmiwayがRaftaarにビーフを仕掛けて知名度を獲得したように、今度はKR$NAが盟友Raftaarの敵役でもあり、勢いに乗っているEmiwayに挑んで存在感を高めようとしているのかもしれない。
(実際、KR$NAはずっとデリーを拠点に活動しているようなので、ムンバイのEmiwayに喧嘩を売って話題作りをするはプロモーション的にも理にかなっているように思う。)

つまり、人気スターも続々登場しているとはいえ、まだまだメインストリームにはほど遠いインドのヒップホップ界のアーティストたちにとって、ビーフは手軽に注目を集め、スキルとセンスを示すことができる手段になっているのだ。
幸いというか、Raftaarが語ったようなフェアな精神がインドのヒップホップ界には生きていて、ラッパー同士のビーフが暴力的な抗争に発展するようなことは知る限りでは起きていない。


今回の記事の主人公であるEmiwayは、いろんなラッパーとのビーフに励む一方、楽曲のリリースも多作で、ますます評価と知名度を上げているようだ。
1月末にリリースされた英語とヒンディーのバイリンガルの"What Can I Do"は英語字幕もついていて、自身が得意とするビーフ関するリリックも入っている。
冒頭から「まるめなー」も健在。

現時点での最新の楽曲は2月28日にリリースされた"No Love".
共演しているLokaはラッパー以外にモデルや俳優もこなす人物のようだ。
お聴きの通りこちらはかなりコマーシャルな路線。
この曲のプロデュースはNRI(在外インド人)のAAKASHが手掛けている。


硬派路線のDIVINEや、メインストリーム路線だった頃からの反動で急速にストリート路線に振り戻しつつあるRaftaarと違い、Emiwayは天性の「センスの良いチャラ」さみたいなものがあって、それがボリウッド系の売れ線ラップとも違う、彼の独特の魅力になっている。
多くのラッパーが、有名になるにつれて、リアルなストリート路線と派手なエンターテインメント路線の間で右往左往しているのに対して、Emiwayはどんなときも自然体でいるように見える。

彼はいまだに大手のレーベルやプロダクションには所属しておらず、完全にインディペンデントなチームで活動しているようで、そのせいか大手メディアにもほとんど掲載されないし、情報発信はもっぱらSNSやYouTubeなどで自ら行なっているようだ。
(再生回数億超えのラッパーなのに、2021年3月7日現在、いまだにWikipediaの項目すら作られていない!)

こうした彼のスタンスは、まさにインドの新世代を代表するアーティストにふさわしいと言ってよいだろう。
スキルとセンスと軽さを兼ね備えたEmiway Bantaiの快進撃は、まだまだ終わりそうもない。


(参考サイト)
https://wikibio.in/emiway-bantai-rapper/

https://genius.com/Emiway-bantai-samajh-mein-aaya-kya-lyrics

https://www.quora.com/Why-did-Divine-diss-Emiway-Bantai

https://www.hotfridaytalks.com/music/emiways-spits-fire-in-his-new-diss-track-samajh-mein-aaya-kya/ 

https://www.indilyrics.in/2018/10/sheikh-chilli-raftaar-song-lyrics-english-translation-real-meaning.html
 
https://www.hindustantimes.com/music/raftaar-on-diss-war-with-emiway-he-is-a-misguided-kid-i-am-the-mature-one/story-vu2MIDfWPCDCzZZ0GJWOGK.html

https://www.quora.com/Why-did-Krsna-diss-Emiway-Do-you-think-what-he-said-about-him-in-the-diss-is-correct 




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goshimasayama18 at 17:35|PermalinkComments(0)

2021年02月09日

インド・ヒップホップ夜明け前(その3)Mafia Mundeerの物語・後編

(シリーズ第1回)


(シリーズ第2回)


デリーの地でヒップホップ・ユニットMafia Mundeerとして活動を始めたYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka, Lil Goluの5人。
彼らの活動形態は、Mafia Mundeerの名義でユニットとして活動するのではなく、メンバー同士がときに共演しながら、ソロとして個々の名義で楽曲をリリースするというものだった。

当時のMafia Mundeerで中心的な役割を担っていたのは、イギリスへの音楽留学経験を持ち、野心にあふれていたYo Yo Honey Singhだったと考えて間違いないだろう。

2010年を過ぎた頃から、Honey Singhがまずスターダムへの階段を登り始める。
流行に目ざといボリウッドが、最新の映画音楽として国産のヒップホップに目をつけたのだ。
時代の空気と彼の強烈な上昇志向が見事に噛み合い、彼は立て続けに人気映画の楽曲を手掛けて急速に知名度を上げてゆく。

2012年、ディーピカー・パードゥコーン主演の映画"Cocktail"に"Angreji Beat"を提供。
2013年には、アクシャイ・クマール主演の"Boss"に"Party All Night"を、そして日本でも公開されたシャー・ルク・カーン主演の"Chennai Express"に、タミルのスーパースター、ラジニカーント(映画には出演していない)に捧げた"Lungi Dance"を提供した。
アメリカや日本のヒップホップを基準に聴くと、どの曲も絶妙にダサく感じられるかもしれないが、インドの一般大衆が考える都会の退廃的なナイトライフのイメージに、Honey Singhがぴったりハマったのだろう。
アメリカ的なヒップホップを追求するのではなく、在外パンジャーブ人のバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを国内向けに翻案した彼の音楽は、インド的ラップの大衆化に大きな役割を果たした。

ヒップホップにありがちな、リリックが女性への暴力を肯定的に描いているという批判もあったが(とくに、デリーの女子大生がフリースタイルラップでHoney Singhを痛烈に批判した"Open Letter To Honey Singh"は大きな話題となった)、彼の快進撃は止まらなかった。

前述の3作品はいずれもヒンディー語映画(いわゆるボリウッド作品)だが、よりローカルなパンジャービー語映画では、2012年に"Mizra"への出演を果たし、2013年の"Tu Mera 22 Main Tera 22"では主役の一人に抜擢されるなど、Honey Singhは銀幕にも進出する。
 

映画音楽のみならず、ソロ作品やプロデュースでもHoney Singhはヒットを連発した。
2011年にソロ作"Brown Rang"をヒットさせると、2012年にはパンジャービー系イギリス人シンガーJaz Dhamiやパンジャービー系カナダ人のJazzy Bとのコラボレーションをリリースして成功を収めた。
だが、良いことばかりは続かない。

急速な成功による他のメンバーとの格差が、彼と仲間との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
Honey SinghがMafia Mundeerの中心的存在であり、最も早く、最も大きな成功を手にしたことは疑うべくも無いのだが、彼の成功は、実際は彼の力だけによるものではなかった。

実は、この時期のHoney Singhのヒット曲"Brown Rang"はBadshahによって、"Dope Shope"は、Raftaarによって書かれたものだったのだ。
しかし、Honey Singhは、これらの楽曲の本来のソングライターに適切なクレジットを与えなかった。
"Brown Rang"を書いたBadshahは、どうせ大して売れないだろうと考えていたが、予想に反して曲は大ヒット。
クレジットを要求したBadshahをHoney Singhがはねつけたことで、彼らの関係は修復できないほどに悪化してしまった。
また、Raftaarに対しては、彼がレコーディングした曲にHoney Singhがヴォーカルをオーバーダビングして自分の曲にしてしまったという。

こうしたトラブルから、まずRaftaarが、次にBadshahがMafia Mundeerを脱退する。
Honey SinghはMafia Mundeerの新しいメンバーとして、AlfaazとJ-Starを加入させるが、以降、Mafia Mundeerというユニット名を聞くことはめっきり少なくなった。
それでも傍若無人にポピュラー音楽シーンの最前線を突っ走っていたHoney Singhは、2014年に突然シーンから姿を消してしまう。 
後に分かったことだが、彼はこのとき、重度のアルコール依存症と双極性障害に悩まされていたのだ。
リハビリのためのシーンからの離脱は18カ月にも及んだ。

Honey Singhが不在の間に、今度はBadshahがソロアーティストとしての成功をつかむ。
2015年の"DJ Waley Babu"が人気を博し、さらにボリウッドにも進出を果たす。
映画"Humpty Sharma Ki Dulhan"で使用された"Saturday Saturday"や、大ヒットした"Kapoor & Sons"でフィーチャーされた"Kar Gayi Chull"が高く評価され、新しいスターとしての地位を不動のものにしたのだ。
Honey Singhは、自分が不在の間に成功を収めたかつての仲間を素直に祝福することができなかった。
リハビリからの復帰作となる主演映画"Zorawar"の記者会見で、彼は「ロールスロイスを運転したことはあるか?ロールスロイスはタタの'ナノ'とは違う」と、自身を超高級車のロールスロイスに、Badshahを「世界一安い車」と言われたインド製の車に例えてこき下ろしてしまう。
ソーシャルメディア上でもお互いに激しい批判を繰り広げた彼らは、2012年以降、いまだに口も聞いていないと言われている。

そのHoney Singhの復帰第一作の映画"Zorawar"の挿入歌"Superman".
この時期、BadshahもHoney SinghもEDMバングラーとでも呼べるようなスタイルを標榜していた。

Honey SinghとBadshahに少し遅れて、Raftaarも人気を獲得してゆく。
彼は2013年にリリースした"WTF Mixtape"でよりヒップホップ的な方法論を提示し、コアなファンの支持を集めることに成功。
さらには、90年代から活躍するイギリスのバングラーユニットRDBのManj Musikとの共演など、独自路線を歩んでゆく。

"WTF Mixtape"からの"FU - (For You)".Manj Musikをフィーチャーして2014年に発表された"Swag Mera Desi"のリリックには、Honey Singhを批判したラインが含まれているとも言われている。
だが、Honey Singhは、Raftaarの成功も快く思わなかったようだ。
かつて自らがMafia Mundeerに誘ったRaftaarのことを「そんなやつは知らない」「一度しか会ったことがない」と切り捨ててしまう。
しかしRaftaarは抗争の加熱を望んでいなかったようで、多少の皮肉を込めつつも、Honey Singhを憎んでいるわけでは無いことを表明している。

「おそらく彼は急な成功でエゴが強くなりすぎて、自分がどこから来たのか、誰も彼を信じていなかった時に誰がそばにいたのかを忘れてしまったのだろう」
「俺に取ってMafia Mundeerはすごく思い出深いし、今でも彼をブラザーだと思っているよ」 
「俺は他人の成功で不安になったりはしないね。音楽は愛やブラザーフッドやポジティヴィティの普遍的な源なんだ。憎しみや嫉妬の余地なんて無いんだよ」

RaftaarとHoney Singhの再共演はいまだに実現していないが、今ではお互いに激しく罵り合う状況ではなくなったようだ。


時期は不明だが、IkkaもおそらくはRaftaarやBadshahの脱退と近い時期に、Mafia Mundeerを離脱したようだ。
その後のIkkaは、いくつかの映画音楽などにも参加し、高いスキルを示していたものの、Honey SinghやBadshah、Raftaarほどにはセールス面での高い評価を得てはいなかった。
ところが、2019年にアメリカのラッパーNasのレーベル'Mass Appeal'のインド版として立ち上げられたMass Appeal Indiaの所属アーティストとして起用されると、レーベルメイトとなったムンバイのストリートラップの帝王DIVINEとの共演(前回の記事で紹介)や、旧友Raftaarとの久しぶりのコラボレーションなどで、本格派ラッパーとしての実力を見せつけた。
2020年にはMass Appeal Indiaからファーストアルバム"I"をリリースし、その評価を確実なものにしつつある。

その後の彼らの活躍についても触れておこう。
Honey Singhはバングラーラップとラテンポップを融合したような音楽性で大衆的な人気を維持し、今では「インドの音楽シーンで最も稼ぐ男」とまで言われている。
現時点での最新曲"Saiyaan Ji"は最近Honey Singhとの共演の多い女性シンガーNeha Kakkarをフィーチャーした現代的バングラーポップ。
この曲のリリックにもLil Goluの名前がクレジットされている。

BadshahもHoney Singh同様に、EDM/ラテン的なバングラーラップのスタイルで活動していたが、最近ではより本格的(つまり、アメリカ的)なヒップホップが徐々にインドにも根付いてきたことを意識してか、本来のヒップホップ的なビートの曲に取り組んだり、逆によりインド的な要素の強い曲をリリースしたりしている。

このミュージックビデオはデリーの近郊都市グルグラム(旧称グルガオン)出身のラッパーFotty Sevenが2020年にリリースした"Boht Tej"にゲスト参加したときのもの。
ビートにはなんと日本の『荒城の月』のメロディーが取り入れられている。

女性シンガーPayal Devと共演したこの"Genda Phool"はベンガル語の民謡を大胆にアレンジしたもので、スリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデスを起用したミュージックビデオは2020年3月にリリースされて以来、すでに7億回以上YouTubeで再生されている(2020年に世界で4番目に視聴されたミュージックビデオでもある)。
これまでの「酒・パーティー・女」的な世界観から離れて、ヒンドゥーの祭礼ドゥルガー・プージャー(とくにインド東部ベンガル地方で祝われる)をモチーフにしているのも興味深い。

「かつて両親に楽をさせるために、魂を売ってコマーシャルな曲をラップしたこともある。でも今ではそういう曲とは関連づけられたくないんだ」
こう語るRaftaarは、商業的な路線からは距離を置いて活動しているようだ。
コマーシャルなシーンの出身であることから、Emiway Bantaiらストリート系のラッパーからのディスも受けたが、デリーのベテランラッパーKR$NAと共演したり、自身のマラヤーリーとしてのルーツを扱ったアルバム"Mr. Nair"(Nairは彼の本名)をリリースしたりするなど、堅実な活動を続けている。
現時点での最新の楽曲"Black Sheep".
最近では仲間のラッパーたちと運営するKalamkaarレーベルがフランスの大手ディストリビューターと契約を結んだというニュースもあり、さらなる活躍が期待できそうだ。

Ikkaの現時点での最新のリリースは、フィーメイル・ラッパーRashmeet Kaurの楽曲にDeep Kalsiとともにゲスト参加したこの楽曲(全員パンジャービーのシンガー/ラッパー)
レゲエっぽいビートに乗せたバングラーポップのR&B風の解釈は、インドのポピュラー音楽のまた新しい可能性を期待させてくれる。


正直にいうと、Mafia Mundeerの元メンバーたち、とくにHoney SinghやBadshahに対しては、その商業的すぎる音楽性から、私もあまりいい印象を持ってなかった。
バングラー・ラップは垢抜けない音楽だと感じていたのだ。
だが、インドの音楽シーンを知ってゆくうちに、パンジャービーにとってのバングラーは、アメリカの黒人にとってのソウル・ミュージックのようなものであり、その現代的解釈は、商業主義の追求というよりも、ごく自然なものであると考えるようになった。
自らのルーツを意識しつつも、新しい音楽をためらわずに導入し、露悪的なまでに自由でワイルドに活動したという点で、彼らはまさしくパーティーミュージックとしてのヒップホップのインド的解釈を成し遂げたと言ってよいだろう。

本格的な成功とほぼ同時に解散してしまったことで、今ではMafia Mundeerという名前を聞くことも少なくなってしまったが、4人の個性的な人気ラッパーの母体となったこのユニットは、インドの現代ポピュラーミュージックを語るうえで、決して無視できない存在なのだ。

ちなみにMafia Mundeerのもう一人のオリジナルメンバーであるLil Goluは、Honey Singhと楽曲を共作したりしている一方、IkkaをまじえてRaftaarとの再会を果たした様子。
Ikkaの"I"にも参加しており、元メンバー同士の抗争からは距離を置いて、全員と良好な関係を築きつつ活動を継続しているようだ。

いつの日か、彼らが再び何者でもなかったころの絆を取り戻して、その成功に至るストーリーをボリウッド映画にでもしてくれたらよいのに、と思っている。
その夢が実現するのはまだまだ先になりそうだが、それまでに彼らがどんな音楽を聴かせてくれるのか、激変するインドのヒップホップシーンでのパイオニアたちの活動に、これからも注目したい。




(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer

http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958

https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html

https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms

https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html



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2021年01月31日

インド・ヒップホップ夜明け前(その2)Mafia Mundeerの物語・前編


(前回の記事)



今日のインドのメジャーヒップホップシーンを築いた立役者であるYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka.
インド以外での知名度は高いとは言えない彼らだが、その人気は我々の想像を大きく上回っている。

Yo Yo Honey SinghとBadshahは、パンジャーブの伝統のリズムであるバングラーとヒップホップを融合し、さらにラテンやEDMの要素を取り入れたド派手な音楽性が大いに受け、YouTubeでの動画再生回数はともに20億回をゆうに超えている。

Raftaarは、よりヒップホップ的な表現を追求してシーンの支持を集め、やはり億単位の動画再生回数を誇っている。
Ikkaは、知名度こそ他の3人には劣るが、確かなスキルを評価されて、アメリカの超有名ラッパーNasのレーベルのインド部門であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、さらなる活躍が期待されている。
この曲で、IkkaはMass Appeal Indiaのレーベルメイトでもあるムンバイのヒップホップシーンの帝王DIVINEとの共演を果たした。

このインドのメジャーヒップホップ界の大スターたちは、いずれもかつてMafia Mundeerというユニットに所属していた。
しかし、この「インドのメジャーヒップホップ梁山泊」的なグループについて、今我々が得られる情報は、決して多くはない。
その理由が、Mafia Mundeerが本格的にスターダムにのし上がる前に解散してしまったからなのか、それとも彼らにとってあまり振り返りたくない過去だからなのかは分からないが…。
いずれにしても、彼らこそが現在までつながるインドのメインストリーム・ヒップホップのスタイルを定着させた最大の功労者であることに、疑いの余地はない。

このMafia Mundeerの中心人物は、彼らの中で最年長のこの男だった。
Hirdesh Singh - 1983年3月15日、パンジャーブ州、ホシアルプル(Hoshiarpur)生まれ。
ステージネーム、Yo Yo Honey Singh.
彼はラッパーとしてのキャリアをスタートさせる前にロンドンの音楽学校Trinity Schoolに留学していたというから、かなり裕福な家庭の出身だったのだろう。
時代的に考えて、留学先のイギリスでは、2000年台前半の最も勢いがあったころのバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを体験したはずだ。
前回の記事で書いたとおり、イギリスに渡ったパンジャーブ系移民は、90年代以降、彼らの伝統音楽バングラー(Bhangra)を最新のダンスミュージックと融合させ、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
デシ・ヒップホップ(Desi HipHop)とは、インド系(南アジア系)移民によるヒップホップを指す言葉で、移民にパンジャーブ系の人々が多かったこともあり、デシ・ヒップホップにはバングラーの要素が頻繁に取り入れられていた。(現在では、デシ・ヒップホップという言葉は、インド、パキスタン、バングラデシュなどの国内も含めた、南アジア系ヒップホップ全般を指して使われることもある)
デリーに戻ってきたHirdeshは、同じような音楽を愛する友人と、Mafia Mundeerを結成する。

その友人の名は、Aditya Prateek Singh Sisodia.
1985年、11月19日生まれ。
ハリヤーナー系の父と、パンジャーブ系の母の間にデリーで生まれた彼のステージネームは、Badshah.
'Badshah'とはペルシア語由来の「皇帝」を意味する言葉だが、おそらく英語の'Bad'が入っていることからラッパーらしい名前として選んだのだろう。
彼もまた、名門バナーラス・ヒンドゥー大学とパンジャーブ工科大学を卒業したエリートである。

数年後、Honey Singhは、同じくヒップホップを愛する"Black Wall Street Desis"という3人組のクルーに出会い、彼らにMafia Mundeer加入を呼びかけた。
彼らのリーダー格は、RaftaarことDilin Nair.
1988年11月17日生まれ。
バングラーなどのパンジャービー音楽との関わりが深いインドのメインストリーム・ヒップホップ界において、彼はパンジャーブのルーツをいっさい持たないケーララ出身のマラヤーリー(ヒンディー語やパンジャーブ語とはまったく異なる言語形態のケーララの言語マラヤーラム語を母語とする人)だ。
とはいえ、彼は学生時代を北インドのハリヤーナー州の寮でデリーやパンジャーブ州から来た仲間と過ごしていたそうで、インタビューで「自分にとってマラヤーリーなのは名字だけ」と語るほど北インド文化に馴染んでいるようだ。
もともとダンサーとしてコンテストに入賞するなど活躍していたが、やがてラッパーに転向したという経歴の持ち主でもある。

Raftaarの仲間の一人は、IkkaことAnkit Singh Patyal.
1986年11月16日生。
彼はパンジャーブの北に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州の出身で、当時はYoung Amilというステージネームを名乗っていた。

もう一人の仲間は、Lil Golu.
彼は、自身が表に出るよりも、プロデューサー的な役割を担うことが多かったようで、Yo Yo Honey Singhの"Blue Eyes", "Stardom", "One Thousand Miles"といった曲を共作している。
マハーラーシュトラ州ムンバイ出身のラージプート(ラージャスターンにルーツを持つコミュニティ)一家の出身とされており、彼のみ1990年代生まれのようだ。
Black Wall Street Desisは、自分たちでリリックを書き、曲を作ってポケットマネーでレコーディングをしたりしていたという。

多くの地名が出てきたので、ここでインドの地図を貼り付けておく。
1280px-India_-_administrative_map
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Tourism_in_India_by_state

Ikkaの故郷ヒマーチャル・プラデーシュや、Badshahの父の故郷でRaftaarが学生時代を過ごしたハリヤーナーがパンジャーブ州に隣接しているのに対し、Lil Goluが生まれたムンバイや、Raftaarのルーツであるケーララが地理的にもかなり離れた場所であることが見て取れる。
多様なバックグラウンドを持つMafia Mundeerのメンバーを結びつけたのは、ヒップホップと、そしてやはりもう一つのルーツとしてのバングラー/パンジャーブ音楽だったのだろう。

さまざまな情報を総合すると、Yo Yo Honey SinghとBadshahが出会ったのが2006年、Raftaar, Ikka, Lil Goluが加入したのが2008年のことだったようだ。
インドではまだヒップホップのリスナーもパフォーマーも少ないこの時代、デリーの街角で、5人の若者が、彼らなりのヒップホップを追求し始めた。
もちろん、まだ彼らは誰も、将来「インドのミュージックビジネスで最も稼ぐ男」と呼ばれることも、憧れのNasのレーベルと契約するようになることも想像すらしていなかったはずだ。
彼らのごく初期の楽曲を改めて聴いてみたい。

この曲ではHoney Singhはミュージックビデオには参加しているもののラップはしておらず、Bill Singhというアーティストの作品にプロデューサーとして関わったもののようだ。
もしかしたらHoney Singhがイギリス留学中に関わったものかもしれない。
音楽性はオールドスクールなバングラーとラップのフュージョン。
後ろでDJをしながら踊っているのが若き日のHoney Singhだ。

Honey SinghとBadshahが共演した"Begani Naar"は、Wikipediaによると2006年の楽曲らしい。
この時代の彼らの活動については謎が多く、楽曲のリリース年すら情報が錯綜していてウェブサイトによって異なる記述が見られる。

BadshahがCool Equal名義でRishi Singhと共演した"Soda Whiskey"は2010年の楽曲。
この頃からボリウッドのパーティーソング的な世界観に近づいてきているのが分かる。

Honey Singhが作ったトラックにBadshahのラップを乗せた"Main Aagaya"は2013年にリリースされた曲。

RaftaarとHoney Singhが共演したこの曲は、正確なタイトルすら定かではないが2010年ごろのリリースのようだ。
オールドスクールなフロウにバングラー独特のトゥンビの音色が重なってくるいかにも初期バングラー・ラップらしい楽曲。

面白いのは、彼らはつるんではいても決してMafia Mundeer名義での楽曲は発表せず、仲間同士でのコラボレーションでも名前を併記してのリリースとしていることだ。
少し後の時代にインド版ストリートラップである「ガリーラップ」のブームを巻き起こしたムンバイのDIVINEのGully Gangも同様の活動形態を取っている。

2012年にIkkaがパンジャーブ系シンガーのJSL Singhと共演した"Main Hoon Ikka".

いずれの曲もまだ拙さが目立つが、この先、彼らは加速度的に成功への道を歩んでゆく。
そして、ヒップホップへの情熱で結ばれた彼らの友情にも綻びが生まれてゆくのだが、今日はここまで!

(つづき)



(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer

http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958

https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html

https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html

https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms

https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html



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goshimasayama18 at 17:52|PermalinkComments(0)