Miranda

2018年12月01日

サイケデリック・リゾート ゴアの表と裏(その2 2000年代以降のゴア)

前回の記事では、1960年代のアメリカで発生したヒッピームーヴメントが本国で下火になった後も、ゴアがヒッピーの楽園であり続け、90年代にはゴアトランスという独自のダンスミュージックを生み出した過程を書いた。
あまり曲の紹介ができなかったので、今回はまずゴアトランスの代表的なトラックをいくつか紹介してみます。

イギリス人アーティストSimon Posfordによるプロジェクト、Hallucinogenの名盤'Twisted'.
意味ありげなナレーションと効果音で始まって、エフェクトのかかった電子音が重なってゆく典型的なゴアトランスのサウンドだ。
 
ある時期までのゴアトランスはだいたいどれもこんな感じ。

こんなふうにヘヴィーなギターが入っている曲もあった。スウェーデンの女性アーティスト、Mirandaの'Real Rush'.
ギターのリフは1:55頃から。

今聴くとダサいって?ほっとけ…。

ゴアトランスの進化系。
よりダークでハードなロシアのParasense.
 
このころにはもうゴアとは呼ばずにサイトランス(Psy-Trance)とか呼ばれてた。
彼らは実はロシアのマフィアだという噂があったが、ゴアトランスにもっとピースフルなイメージを持っていた私は、マフィアって何だよ、って思ったものだ。

Simon Posfordとオーストラリア人のRaja Ram(本名Ronald Rothfield)によるプロジェクト、Shpongleはダンス/パーティーミュージックというよりもリスニングミュージックとしてのトランスを追求したサウンド。
 
生楽器やヴォーカル、ダンサーも交えたパフォーマンスにも定評がある、また別の方面に進化したトランスミュージックだ。

と、ご覧のように、いろんな国のアーティストたちがいる。
60年代のヒッピームーヴメントのロックアーティストはアメリカ中心だったが、90年代のゴアトランスの時代にはほんとうに多様な国籍のアーティストが活躍していた。
そもそも、この頃トランス系のパーティーに集っていた人たちは、もはやヒッピーとは自称せず、「レイヴァー(Raver)」と名乗っていた。
ゴアトランスの音楽的なルーツの一つはジャーマン・トランスだし、アーティストやファンで目立っていたのはイスラエル人トラベラーたちだった(イスラエル系のアーティストにはAstral Projection, Miko, Oforiaらがいる)。
他にもフランスのTotal Eclipse、イタリアのEtnica、デンマークのKoxboxがいたし、日本人でもTSUYOSHIやUbar Tmarが活躍していた。
まだインターネットもようやく産声をあげたばかりの1990年代前半だったが、この時期のトランスミュージックは本当にグローバルなムーヴメントだったのだ。

グローバルとはいっても、いままで紹介してきたアーティストに地元のゴアやインドの出身者は一人もいない。
ゴアの名を名乗りながらも、グローバルではあってもローカルではなかったのが、ゴアトランスだった。
果たして、ゴアの地元の人々は、彼らにしてみたら得体のしれない音楽に踊り狂うレイヴァーたちに対して、どのような印象を持っていたのだろうか。

「小さい頃、親からはヒッピーには絶対に近づくなって言われてたよ。彼らのことは大嫌いだ。臭いし、汚いし、ドラッグをやってめちゃくちゃなことをするし」
ゴア出身者にヒッピー系のトラベラーの印象を訪ねたところ、この答えが返ってきた。
彼は生粋のゴア人で、祖父母とはポルトガル語、両親とは英語、地元の友達とはコンカニ語(ゴアの地元言語)で話していたというエリートだ。
彼の意見は、ある程度の階層のゴア人の一般的な感覚と言って良いだろう。

レイヴァーにとってみれば、宿のおじちゃんは優しいし、パーティー会場に行けば地元のおばちゃんや子どもたちがチャイやドリンクを売っている。
ビーチの近くでヒッピー好みのシヴァ神やサンスクリット文字がプリントされたタイダイのTシャツを売っているのもインド人だし、ゴアトランスに興味を持ってDJの真似事を始める地元の若者もいる。
自分たちは歓迎されている、少なくとも許容されていると感じていたヒッピーやレイヴァーも多かっただろう。

だがしかし、ヒッピーの流入につれ、ゴアではドラッグの売買が盛んになり、良からぬ連中が幅を利かすようになった。
外国人ツーリストがたちが、かつては穏やかだった地元の浜辺で、法律もモラルも無視した乱痴気騒ぎを繰り広げるようになった。
そう、ヒッピーもレイヴァーも、まっとうな地元の人々にはひどく嫌われていたのだ。
今まで、ローカルの視点からこれらのムーブメントが語られることは極端に少なかったが、今後歴史を振り返るときに、このことは覚えておいたほうが良い。

そもそも、90年代にゴアでトランスパーティーが隆盛した理由のひとつに、当時のヨーロッパの社会背景がある。
当時、レイヴはゴアなどのリゾート地(他にはタイのパンガン島、スペインのイビサ島など)のみならず、西ヨーロッパ全体に広まったムーヴメントだった。
若者たちはサウンドシステムを野外に持ち出し、音楽とドラッグで自由を謳歌した。
(60年代ヒッピーカルチャーを象徴的するドラッグはLSDとマリファナだったが、90年代のレイヴカルチャーを象徴するドラッグはエクスタシー(MDMA)だ)
こうした動きに対して、当然当局側は規制を強めていくことになる。
イギリス政府は、レイヴによる薬物の蔓延、秩序の紊乱、騒音などを憂慮し1994年に「クリミナル・ジャスティス・アクト」という法案を施行した。
これは「野外で『反復するビート』を持つ音楽を10人以上で聴いている集団を解散させる権限を警察に与える」という条文を持った、実質上の「レイヴ規制法」だ。
期を同じくして、他のヨーロッパ各国でも、野外パーティーの開催を制限する風潮が強まってくる。
そんな中で、若者たちが自国の法を逃れ、自由と無秩序を謳歌できる場所が、ヨーロッパを遠く離れたインドのゴアだった。

日常のモラルやルールを忘れ、祝祭の時間を過ごす。
パーカッシブな音楽に合わせて夜通し踊り、生を肯定する。
こうした有史以前から行われているような人間の根源的な行為を、国家が管理、制限して良いのか。
真剣に考えるべき課題ではあるが、これは欧米社会の中の問題で、遠く離れたゴアの人々には関係のない話だ。

レイヴァーたちはドラッグを持ち込み、我が物顔で振る舞い、浜辺で夜通し騒ぎ、ヒンドゥーのイメージをサイケデリックの文脈に盗用した。
ゴアのドラッグの取引を取り仕切っていたのはロシアのマフィアで、警察とも繋がっていたという話を読んだことがある(前述のParasenseと関係があるかどうかは、知らない)。
まっとうな地元民からしたら、得体の知れない連中が地元の文化も法律も無視した大騒ぎを繰り広げた挙句に、外国のマフィアが違法薬物を売りさばいているとしたら、とても許容できる話ではないだろう。

欧米のヒッピーやレイヴァーたちがゴアに求めたのは、無制限の自由と温暖な気候、物価の安さだけだった。
愛と平和を訴え、資本主義社会に対する抗議を表明していたヒッピーたちがゴアでしていたことは、自国でできない逸脱行為を発展途上国に求めるという、きわめて植民地主義的なものだった。
結局のところ、侵略戦争に反対し、物質主義社会に疑問を投げかけていた彼らは、先進国の経済力を背景に地域の治安を乱す侵略者だったのだ。

いよいよ本格的にゴアでもパーティーの取り締まりが始まると(2000年以降だったと記憶している)、レイヴァーたちは、「ゴアのシーンは終わった」とかいって、三々五々、別の街に旅立っていった。
彼らは、決してゴアという街そのものを愛していたわけではなかったのだ。
こうして、名実ともに、ゴアトランスは終わりを告げた。

2010年代に入り、かつてのようにゴアでゲリラ的にトランスパーティーが開かれることはなくなったが、今でもゴアにはオールドスクールなトランスをかけている店がある。
ゴアにおけるヒッピーカルチャーの中心地、アンジュナ・ビーチにあるShiva Valleyもそのひとつだ。

この映像のYoutubeのコメントのいくつかを見ると「こいつらは俺たちの国に来るべきじゃない。さっさと追放されるべきだ」とか、「まるでゾンビみたいな連中だ。こんな奴らを見たくはないね」といったものもちらほら。

欧米サブカルチャーの文脈では、平和や自由といった普遍的な価値観を愛する旅人といったイメージのあるヒッピーやレイヴァーだが、反面、彼らは地元の人々にとっては植民地主義者的な存在でもあったということは、覚えておくべきことだろう。

ヒッピーカルチャーやトランスのムーヴメントに触れられるとき、ゴアの「まっとうな」ローカルからの視点がこれまであまりにも欠けていると思ったので、この記事を書いてみました。
もちろん、ゴアトランス/レイヴカルチャーがインドに残したのはこうした負の側面だけでなく、とくに音楽文化については非常にポジティブな影響も与えている。
だが、それはまた別のお話。
次回じっくり紹介したいと思います。
それでは!

(つづき)
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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 21:59|PermalinkComments(0)