MeghaWadhwa

2021年05月22日

翻訳熱望! "Indian Migrants in Tokyo" インド人は日本でどう暮らしているのか?


英語の本を読むのが遅いので、紹介するのがすっかり遅くなってしまったが、Megha Wadhwa著の"Indian Migrants in Tokyo: A Study of Socio-Cultural, Religious, and Working Worlds"がめっぽう面白かった!
IndianMigrantsInTokyo
 
この本はイギリスの学術系出版社Routledgeの'Studies on Asia in the World'シリーズの一冊として刊行された、在日インド人に関する研究書である。
なんて書くと生真面目で小難しい本を想像してしまうかもしれないが、この本はとにかく読みやすくて面白い。
自分はアカデミックな立場の人間ではないので、学術的な本というと「本来は心躍る面白いテーマでも、平板かつ無味乾燥に書かなきゃいけないもの」という偏見を持っていたのだが(一般書とは違うお作法があることは存じ上げております…)、それはこの本にはまったくあてはまらない。

"Indian Migrants in Tokyo"の内容を簡単に説明すると、「日本に5年以上暮らしているインド人たちへの聞き取り調査をまとめたもの」ということになる。
だが、その内容はインタビュー記録や考察の羅列にとどまらない。
本書は、回答に協力してくれた人々や、著者本人(彼女も5年以上日本で暮らしている「当事者」の一人だ)の人生観と悲喜こもごもが込めらた、読みものとしても非常に面白いものなのだ。
ところが、洋書の研究書/専門書であるこの本はバカ高く、ハードカバーの書籍で16,510円、Kindle版でも6,510円もする(2021年5月時点)。
いくら面白いとはいえ、さすがに個人で買うのはちょっと厳しい代物である。
(幸運なことに、私はたまたま某大学の図書館で借りることができた)

率直に言って、この興味深い本を研究者だけに独占させてしまうのはもったいない。
日本語への翻訳と、もっと安価に読めるようになることを強く期待したいのだが、今回はその時の楽しみをうばわない程度に、この本の内容を紹介したい。


著者のMegha Wadhwaはデリー出身。
世界一周旅行を経験したという祖母の影響で日本に興味を持ち、日本企業での勤務を経て、上智大学のPDとして在日インド人の研究を始めた。(現在はベルリン自由大学に研究者としての籍を置いているようだ)
"Indian Migrants in Tokyo"はその7年以上におよぶ研究の集大成で、この本は、我々にとって遠いようで近く、近いようで遠い東京のインド人コミュニティを、同胞の目から覗き見るという、稀有な体験ができるものになっている。

以下、私が面白いと思った部分をいくつかのトピックとして紹介するが、これはこの本の章立てに沿っているわけではなく、独断で興味深いと感じたところをかいつまんだものだということをお断りしておく。



在日インド人は、宗教や言語や階層といったサブ・コミュニティではなく、「インド人」というアイデンティティの大きいコミュニティとしてまとまりがち!

ご存知の方も多い思うが、インドはひとつの国家でありながら、言語、民族、文化、宗教など、多様すぎるほどの多様性に溢れている。
こうした多様性は我々日本人には想像しづらいものだが、インドをひとつの国ではなく「ヨーロッパ」や「東南アジア」と同じような「地域」だと捉えると分かりやすい。
つまり、インドに28ある州が、国家と同じくらいの独自性を持ち、他と区別できる固有の文化や言語を持っているのだ。
さらに、地域や言語によって「ヨコ方向」に分けられるだけではなく、インドには、カーストや経済状況による「タテ方向」に分けられる階層も存在している。

こうした特性から、英米やドバイのようなインド系住民が多く暮らす国では、インド人たちは母国で属していた集団ごとに、別々のコミュニティを形成する傾向があるという。
(2015年の集計では、アメリカには450万人、イギリスには180万人、UAEには200万人のインド人が暮らしている)
ところが、日本で暮らすインド人は、増え続けているとはいえ35,000人程度で、そのうち東京とその近郊に暮らしているのは20,000人ほどに過ぎない。(いずれも2018年のデータ。地域的にはとくに江戸川区、江東区に多い)
こうした事情から、日本で暮らすインド人たちは、母国での地域、言語、信仰、階層といった壁を超えて、「インド人」としてひとつのコミュニティを作る傾向があるそうだ。
在日インド人たちのこんな言葉がそれを象徴している。

「私はアムリトサル(インド北西部パンジャーブ州)出身のシク教徒ですが、日本で最初にできたインド人の友達はオリッサ(インド東部)から来た女性でした。しかも私はいまだに彼女の宗教を知りません。結婚して東京に引っ越してきたとき、最優先だったのはインド人(の友達)を見つけることでした。(…中略…)夫には男友達が何人かいましたが、私は女友達を探していたんです。(…)その後、交友関係が広がって、今ではシク教徒も、そうでない人も、インド人の友達がたくさんいます」


アムリトサルとオリッサ州(現オディシャ州)はまったく別の言語や文化を持つ地域で、オリッサ出身の友人はおそらくシク教徒ではないはずである。
インド国内やインド人の多い都市に暮らしていたら、この二人は知り合うことすらなかったかもしれない。
また別の在日インド人はこう語る。

「ドバイに住んでいたときは、インド人がたくさんいたので、私は付き合う友だちを選ぶことができました。でも日本ではそんなに選択肢はありません。率直に言うと、(東京では)ドバイやインドにいたら絶対に付き合わなかったような友人も何人かいます。でもここでは、選んでなんかいられないんです。幸いなことに彼らのことを好きになることができましたが、最初のうちは、必要だったから付き合っただけでした。とても孤独だったので、誰もいないよりはましだったんです」

日本にいくつもある言語・地域によるインド人グループ(ベンガル人とか、タミル人とか)は、別のコミュニティ出身のインド人も歓迎して活動しているという。
はからずも、日本での暮らしが、彼らに「インド人」というより大きな帰属意識を感じさせているのだ。



インド人が日本の暮らしで困ること

インド人が日本で暮らすうえで困ることのトップ3は、「言語」「住居」「食生活」。

とくに言語に関しては、古い時代に移住してきた人ほど苦労が大きかったようだ。
彼らのほとんどが流暢な英語を話すが、日本人には英語すら通じないことが多かったからだ。
今では日常生活での言葉の問題は比較的少なくなってはきたものの、こと仕事の場面では、今でも言語面で苦労することが多いという。
そりゃそうだ。
ビジネスで使う日本語は、日本人でも難しい。
言語も文化も全く違うインド人が、話し言葉とは全く違う「平素は格別のご高配を賜り〜」なんて文章を読んだり書いたりするのは苦痛以外の何ものでもないだろう。
(というか、この手のビジネス文はほとんどの日本人にとっても苦痛でしかないと思う)
そのため、海外でのキャリアを追求するインド人の多くは、せっかく日本に好印象を持っていても、日本に見切りをつけて、英語が通じる欧米やシンガポールなどに渡ってしまうという。
(ちなみに日本特有の職場カルチャーについては、合う人も合わない人もいるようだ)
今では世界中に広く知られている通り、インドはITなどの分野で多くの優秀な人材を輩出している国である。
彼らが日本に定着しないということは、日本がそのまま世界市場から遅れをとってゆくことを意味する。
こうした理由で日本を離れる才能ある外国人はきっとインド人以外にも多いはずだ。
日本人としてなんとも耳が痛い話である。


「住居探し」については想像の通り。
ここでも日本の排外主義的な側面(もう少しマイルドに言うなら、外国人を苦手に感じる側面)が彼らの壁となっていて、読んでいてなんだか申し訳ない気持ちを覚える。

興味深いのは(と言っては申し訳ないが)、食に関する問題だ。
インドにはベジタリアンが多く、またノンベジタリアンであっても、日本で一般的な牛肉や豚肉を食べる習慣はほとんどない。
魚を食べることも沿岸部など一部の地域を除いては一般的ではないし、味付けも、出汁や醤油がベースの日本と、マサラの国インドでは全く異なる。
インド人が日本で食べ物に苦労していることは想像にかたくないが、その解決方法はなんともユニークだ。
ベジタリアンの間では、食べられるものが見つからないときに、マクドナルドでパティ抜きのハンバーガーとポテトフライを頼んで、バンズにポテトフライを挟んで食べるというライフハックが浸透しているという。
それが美味しいかどうかは別にして、彼らのたくましさと工夫(いわゆるジュガール〔Jugaad〕の精神)には、いつもながら驚かされる。



インドと日本と男と女

インド人から見た日本の男性像・女性像は、奇妙に映ることもあるようだ。
かつて大阪のインド総領事を務めていたVikas Swarup(ヴィカス・スワループ。映画『スラムドッグ・ミリオネア』の原作の著者としても知られる)の"Accidental Apprentice"には、日本人である登場人物の亡き妻が夫に対して非常に献身的だったという記述が出てくるし、現代インドのベストセラー作家Chetan Bhagat(『きっと、うまくいく〔3 Idiots〕』や"2 States"といったボリウッド映画の原作者でもある)の小説には、日本企業の男性が女性社員を使用人のように扱う場面が出てくる。
インドも保守的な伝統の残る国だが、高い教育を受けてきたインド人にとっては、日本こそ今なお男性上位の保守的な文化の国という印象があるのかもしれない。(これは、この本には関係のない話)

"Indian Migrants in Japan"によると、インド人から見た日本人男性の印象は「会話が長く続かない」「ハードワーキング」「家族より仕事を優先」といったものだそうで、日本人女性には「いつも笑顔」「たくさん食べるのにスリム」「見た目にすごく気を遣ってる(目は私の方が大きいけど)」と感じているようだ。
日本人女性に対しては、インドの女性から「『カワイイ』に囚われることをやめて、もっとリーダーシップを発揮すべき」という指摘もあったが、男性からは「インドの女性より話しやすいし、お酒も一緒に飲めて良い」(インドでは大っぴらに飲酒する女性はまだまだ少ない)なんていう意見も。
ちなみにインド人女性から見ると、「職場ではインド人女性のほうが強いけど、家庭では日本人女性のほうが強い」とのこと。
これには全面的に同意!



日本に来たインド人はどう変わる?

男と女をめぐる話題は続く。
貧富の差の激しいインドでは、中流階級以上の家庭では使用人を雇うことが一般的だが、日本では家政婦は非常に高くつく。
そのため、ほとんどの家庭は夫婦だけでやりくりしなければならない。
このことは悪いことばかりではなく、「結果として、夫が家事や子育てに参加してくれるようになって良かった」という女性からの意見もある。
結婚早々に日本で暮らすことになったある主婦は、インドに帰ったら夫の家族と一緒に暮らさなければならないので、年長者に従わなければならないという恐怖感と、まわりにたくさんの人がいる環境で暮らせる期待の両方を感じているという。

様々な違いがあるとはいえ、インドの人たちにとっても、日本の社会が便利で安全であることや、時間に正確であることは、総じて高く評価されている。
日本で暮らした結果、インドに帰っても時間の正確さを求めるようになってしまう人もいるという。
面白かったのは、日本文化の影響を受けて、在日インド人社会では、インド的な部分と日本的な部分が奇妙に混ざってしまうこともあるという話。
例えば、日本で行われているインドのお祭りだと、スケジュール通りに進まないという時間にルーズな部分はインド的でありつつ、行列にきちんと並ぶところは日本的、なんてこともあるそうだ。

それにしても、この本に出てくるインド人たちの日本社会に対するコメントはいちいち面白い。
たとえば、「日本では社会性と協調性が尊重されているが、インドでは個人と一人一人の努力が重視されている」。
これには同意する人が多いだろう。
ビジネスについては、「日本人は6ヶ月で決めて1ヶ月で仕上げるが、インド人は1ヶ月で決めて、6ヶ月かけて仕上げる」だそうで、これも仕事文化の違いを見事に言い当てている。



在日インド人と信仰

インド人は総じて信仰に厚い。
また、祈りや瞑想といった精神的な活動を大切にしている人たちも多い。

著者もまた、日本での生活の中で祈りの場を求めて、まず仏教のお寺や神道の神社、キリスト教の教会を訪ねてみたという。
しかし、そこにインドの寺院のような祈りや心の平安を見出すことができず、当時中野にあったというヒンドゥー寺院を訪れることになった。
(しかしそこは彼女が思っていた「寺院」とは違って…と話はさらに続くのだが、今は割愛する)
こうした記述からは、日本に暮らすインド人たちが、精神文化を非常に大事にしていることが分かるし、寺院や教会が、宗教的な意味だけでなく、社会的、文化的な集会所としての意味も持っているという考察もとても興味深い。

彼らにとって、信仰とは、自身と神とを繋ぎ人生の指針を示すだけではなく、家族やコミュニティの絆であり、アイデンティティでもある。
とくに、異国の地で子どもを育てる人々にとっては、自身の文化を引きついてゆくためにも、信仰の伝統を守ることは大きな意味を持つのだ。

この本では、ヒンドゥー教、イスラム教、シク教、ジャイナ教、キリスト教を信仰するインド人たちが、ここ日本でどのように祈りの場を設け、信仰生活を守って来たかについて詳細に記されているが、とくに興味深いのは、やはりヒンドゥー、シク、ジャイナ教といったインドで生まれた宗教の話だ。

なかでも、ターバンを巻いた姿ゆえに、日本では良くも悪くも目立ってしまうシク教徒たちの日本社会での奮闘は印象的だ。
彼らは、ときに警察に怪しまれたりしながらも、はじめは仲間が経営するレストランを借りて祈りの場を確保し、やがて専用の寺院を設けるに至る。
しかし、日本でシク教徒が戒律を守って生きるのは大変だ。
髪の毛やヒゲを伸ばすという戒律は上司の理解が得られないし、男の子が女の子と間違われるのをいやがって、髪を切りたがることもあるという。
日本で育った子どもたちが野球やサッカーのチームに入るためにターバンを巻くのをやめたり、逆にチームをやめてターバンを巻き続けることを選ぶケースもある。
こうしたトラブルだけではなく、電気店に務めるシク教徒が、そのターバン姿ゆえに人気となって、おおいに売り上げに貢献しているという例もあるというから、在日インド人の人生もいろいろだ。

各宗教の説明も丁寧で、さまざまな宗教施設での祈りや祭礼の様子も詳しく書かれており、本書はインドの宗教入門としてもよくできている。


本当はまだまだ書きたいのだが、もうずいぶん長くなったし、この本がいつか翻訳されたときの楽しみを奪ってしまうのは本意ではないので、このあたりにしておく。

最後まで面白く読ませてもらったが、できればもっと詳しく書いてほしかった部分もなかったわけではない。
ぜいたくを言えば、在日インド人の暮らしや社会に、他の南アジア諸国(ネパール、パキスタン、バングラデシュなど)出身の人々がどのように関わっているのかも知りたかった。
北インドで広く話されているヒンディー語とパキスタンの公用語であるウルドゥー語は極めて近い言語だし、インドの西ベンガル州とバングラデシュはいずれもベンガル語を公用語としている。
ここ日本で、南アジア出身者たちの国境を超えた営みが、どの程度、どのような形で行われているのか、そのあたりも今後の研究に期待したいところだ。

それから、取り上げられている移民の人選が、ホワイトカラーに偏っているように思えたのも少々残念だった。
できれば、我々が多く接するインド料理店で働く人々などのライフヒストリーも取り上げてもらえたら、より興味深い内容になったのではないかと思う。

とはいえ、これらはこの本の充実度から考えれば、あくまで些細なこと。

もう一度くりかえすが、この"Indian Migrants in Tokyo"はとにかく面白く、興味の尽きない本だった。
小林真樹さんの『日本の中のインド亜大陸食紀行』とか、高野秀行さんの『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』、室橋裕和さんの『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』と同じように、異文化に興味のある人だったら誰でも面白く読めること間違いなし。
日本で暮らすインド人の目線から見た我々の社会の姿に、はっとさせられることも多かった。
この本が翻訳され、日本でも多くの人に読まれるようになることを、祈ってやまない。




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goshimasayama18 at 13:39|PermalinkComments(0)