MCAltaf

2021年08月29日

あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)



mumbairappers



6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。


正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
SKY-HIさんに収録外のときに「結局いちばんラップが上手いのってJay-Zですよね」とか言われても、「Jay-ZってLinkin Parkと一緒にやってた人だよな…。Jay-Zの代表曲って"NY State of Mind"?それはNasだっけ?」なんて考えてしまい、気の利いた返しもできない。(ちなみにあとで調べたら"NY〜"はやっぱりNasの曲で、Jay-Zの代表曲は"Empire State of Mind"だった)

こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。

文系ロックリスナー出身ゆえ、本場のラッパーとの比較とか、ヒップホップ的クールネスの解説とかはできなくて、話が社会的背景とかアーティストのウンチクに偏りがちなのはご容赦願いたい。
とにかく、このタイミングでインドのヒップホップが日本でも少しずつ注目を集めてきているようなので、ここでいっぺん全体像を書いておきたい、と思った次第。

というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。


番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。


時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で、今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。


今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。

Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。

iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)

そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。

"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。


同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。

DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。

Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。

DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。

ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。

とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。

MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。

ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。



この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。

Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。





6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。

Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。

海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。

MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。


ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".

Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。




フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。


インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。



さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。

じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。

Naezy, Rakhis "Kasa Kai"


一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。

その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。


今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。

DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"


インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。


まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。 





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goshimasayama18 at 15:49|PermalinkComments(0)

2021年07月30日

Karan Kanchanインタビュー J-Trapの発明者から人気ビートメーカーへの道のりを語る



KaranKanchan

Karan Kanchanはムンバイ出身のビートメーカー。
日本にも存在しない和風トラップミュージックJ-Trapを発明し、またたく間にヒップホップシーンを代表するプロデューサーへと成長した、今インドでもっとも勢いのあるアーティストの一人だ。
彼は人気ラッパーDIVINEのレーベル'Gully Gang'の一員となったことを皮切りに、ムンバイだけではなく、インドじゅうのアーティストにビートを提供し、興味深いコラボレーションを連発している。



つい先日も、インドを代表するInDMアーティスト(インド風EDMなので、InDMと呼んでいる)であるRitvizとの共作曲を発表し、続いてストリートラッパーのMC Altafをプロデュースしたトラックをリリースしたばかり。

"Khamoshi"は、Ritvizならではのポップなメロディーに絡むファンキーなギターと太いベースが心地よいInDMだ。
MC Altafの"Likha Maine"では、アコースティックギターを使ったトラックがロック的な緊張感を生んでおり、Kanchanの新しい一面を感じることができる。

ますます活躍中の彼に、メッセンジャーでのインタビューを申し込んでみたところ、この2曲のリリースを控えた多忙な時期だったにもかかわらず、とても丁寧に質問に答えてくれた。

J-Trapというユニークなスタイルでシーンに登場した彼は、今では手掛けた楽曲がYouTubeで何千万回も再生される人気ビートメーカーとなった。
その経緯は、とても興味深くてエキサイティング。

ここでしか読めないインドを代表するビートメーカーのライフストーリーを、存分にお楽しみください。




ーお久しぶりです。インドのパンデミックも少しずつ良くなっているようですが、どんな感じで過ごしていますか?
以前の記事から2年が経ちましたが、またあなたのことを特集させてください。


「Hello! 元気にやっているよ。こっちの状況は少しずつよくなって来ている。喜んで応えるよ。2年前の記事は今でもたまに読むことがあるよ。日本のブログに特集してもらったのは、僕にとってすごく特別なことだったから。
それに、ちょうど日本語の勉強を始めたところなんだ。誕生日に、自分へのプレゼントとして日本語のコースを始めたんだよ」

2年前の記事はこちらから。


日本語を学び始めたという彼から、さっそく日本語での返信が届いた。

スクリーンショット 2021-07-19 18.58.43



ーあたらしい音楽、たのしみにまっています。(と、私も日本語で返信)
前回の記事では、あなたのことをDIVINEやNaezyのトラックを何曲かプロデュースしたJ-Trapのビートメーカーとして紹介しました。その後、大きく状況が変わりましたよね。
DIVINEとNaezyは映画(『ガリーボーイ』)によってとても有名になりましたし、今ではあなたはインドのヒップホップシーンで最もすばらしいプロデューサーの一人です。
そのことについて、どんなふうに感じていますか?



「どうもありがとう。自分では最もすばらしいなんて思っていなくて、まだまだ修行中だし、発展中だよ。インドのすばらしいアーティストの何人かといっしょに仕事ができたのは幸運だった。

僕はずっと、単なるEDMアーティストじゃなくて、音楽プロデューサーやソングライターとしての自分を確立したかった。
僕はそういった方面にも取り組むことができたんだ。ヒップホップだけじゃなくて、ポップ、ボリウッド、チル、ファンク、メタル、それから80年代にインスパイアされた曲なんかも追求してきたからね。そのうちのほとんどはまだリリースされていないけど、一つずつ世に出していくよ。

例えば、 Seedhe Mautと共作した"Dum Pishaach"は、ジェント・メタル(Djent Metal.ヘヴィなプログレッシブ・メタル)とトラップのヴァイブの融合だ。MohitとXplicitと共作した"Marzi"はチル・ヴァイブだね。
あたらしいスタイルを試すのは大好きだし、自分のプロダクション・スキルを証明したいんだ。
J-Trapを作るのも大好きだけど、最近はいろんなアーティストと共作することに夢中になっていて、さまざまなスタイルの音楽を披露することができているよ」


ーRamya Pothuriと共演したR&Bスタイルの"Wonder"も気に入っています。あなたがいろんなタイプのビートを作っていることに驚いているのですが、そもそもどういう経緯でビートメーカーになったのでしょうか?やはりトラップから始めたのですか?


「ありがとう。最初はEDMから始まったんだ。きっかけは、2010年にYouTubeが偶然リコメンドしてきた動画だった。もしそのリコメンドをクリックしなかったら、僕はここにいて、君と音楽について話をすることもなかったよ(笑)

それは僕が初めて聴いたEDMのトラックだったんだ。僕はテクノロジーに関してはずっと好奇心旺盛な子どもだった。父がIT系で働いていて、早いうちからコンピューターやインターネットに触れることができていたからね。
好奇心を満たすために、質問ばかりしていたよ。

そのYouTubeのリコメンドっていうのは、TiestoとDiploが共演した"C'Mon"だった。
最初のうちは、ビッグ・ルームやエレクトロ・ハウスにすごく影響を受けた。
YouTubeから吸収し続けて、学校から帰ると、コンピューターの前に走って行って楽曲に新しいアイデアを加えていたよ。
音楽に興味のある友達は誰もいなかったから、みんな良い反応しかしてくれなくて、最初のうちはなかなか進歩しなかったよ。
でも、離れたところに住んでいるいとことFacebookで友達になっていたのはラッキーだった。彼は僕が作った音楽をたくさん批判してくれた。ひとつも褒めてくれなかったから、その時は腹が立ったよ。でも今では彼にすごく感謝している。彼のおかげでかなり進歩できたからね。

短大を卒業したあと、両親は僕が音楽にのめりこんでいるのを見て、サウンド・エンジニアリングの専攻ができる大学のジャーナリズム・コースに編入することを援助してくれた。学生時代に音楽を始めた頃はそんなに応援してくれてたわけじゃなかったけど(笑)、時が経って、僕が毎日音楽に取り組んでいるのを見て、音楽をさらに学ぶことをサポートしてくれたんだ。

最初のうちは、何年もの間、EDMを作ることにこだわっていた。2015年の終わり頃、僕が初めてDJのコンサートに行くまではね。
それは、ムンバイで行われたMAD DECENT BLOC PARTY(アメリカのダンスミュージックレーベルMad Decentが世界各地で主催しているイベント)だった。
ステージに登場するアーティストは、それぞれ違う種類のユニークなサウンドを持っていた。
僕は、もし自分がステージに出演したらどうだったろう?って想像してみた。みんなは僕のスタイルや個性を分かってくれるかな?って。

帰りの電車の中で、僕は、アーティストとして自分のサウンドとスタイルを見つけることをずっと考えていた。
それで、2016年は楽曲のリリースはしないで、できる限り新しいジャンルの音楽に挑戦してみることに決めたんだ。毎週、新しい音楽に取り組もうって。
もちろん、すごくいいものが作れたわけじゃないけど、僕はちょっとずつ、確実にスキルセットを身につけて、いろんなサウンドの引き出しも増えていった。
それとともに、さまざまなスタイルをミックスすることができるようになったんだ。でも2016年の半分が過ぎても、僕はまだ自分のサウンドを見つけることができなかった。
同じ頃に、いろんな音楽を知って、作るためのツールも手に入れたおかげで、自分で音楽を作れないようなアーティストやDJのゴーストライターも始めた。
その年の終わり頃、シンセサイザーやトラップやベースミュージックを学んでいた頃には、ようやく音楽が楽しめるようになっていたよ。その頃、日本の音楽をたくさん聴いていたんだ。吉田兄弟とか和楽器バンドがお気に入りだったよ。

ある日、僕は日本の三味線のサウンドを、トラップやベースミュージックに合わせるというアイデアを思いついた。
その時に、僕は"No Serious"っていうタイトルの最初のJ-Trapミュージックを作った。遊びみたいなプロジェクトだったし、すごく楽しめたからこのタイトルにしたんだ。
それから、こういうジャンルの音楽についてちょっと調べてみた。J-PopとK-Popが存在することは知っていたけど、J-Trapというのは聞いたことがなかった。
考えてみた結果、2017年に、'J-Trapアーティスト'として"No Serious"をリリースして再出発することにしたんだ。
インドではすごく新しいことだったし、いろんな反応があって驚いたよ。それで、リリースを続けてみた。
これが、僕がいろんなジャンルの音楽を作るようになった経緯さ。今でもいつも新しいスタイルを試している。でも、僕がインドのインディペデント音楽シーンでちょっとした波風を立てることができたきっかけは、J-Trapだった。それで、いろんなジャンルの能力をラッパーやシンガーに提供することができたんだ」


ー日本人として、日本のカルチャーがあなたに影響を与えているというのはうれしいです。影響を受けたアーティストを挙げてもらえますか?

「たくさんのアーティストの影響を受けているけど、例えば、Skrillex, Dr.Dre, Max Martin, Rick Rubin, Benny Blanco, それからボリウッドの作曲家からもインスパイアされているよ。 Ajay AtulとかVishal Shekarとかね。
日本のミュージシャンからもインスピレーションを受けていて、吉田兄弟、和楽器バンド、Baby Metal, RADWIMPS, 竹内まりや、Greeeen, YOASOBI, Daoko, 松原みき、他にもいろんなアーティストのファンだよ」

ーポップからメタルまで、日本の音楽をすごくたくさん知っていますね。どうしてあなたの音楽が多様性に富んでいるのか、分かった気がします。そうして自分のスタイルを見つけた後、DIVINEやNaezyといったムンバイのラッパーたちをプロデュースすることになりますよね。その経緯を教えてください。

「話を続ける前に、2013年から2016年まで、Complex 2というDJデュオをやっていたことを付け加えさせてほしい。同じカレッジのジャーナリズムとサウンドエンジニアリングのコースの友達と組んでいたんだ。あんまり上手くいかなくて、解散して自分のプロジェクトに集中することにしたんだけど。
さっきも言ったように、2016年はいろんなジャンルに挑戦していた。同じカレッジのラッパーたちに出会ったのもこの年だった。Mr. ApeとXenon Phoenixは、僕が最初に会ったラッパーたち。Mr. Apeは僕にオールドスクールなヒップホップのサウンドを教えてくれた。
俺はすごく刺激を受けて、その日のうちに2つのビートを作った。Mr. Apeをそれを聴いて気に入ってくれて、すぐにリリックを書いたんだ。僕たちはOmniphatっていうグループを結成して、2017年にはいくつかのショーでプレイした。その時の曲は結局リリースされていないけどね(笑)

Mr. ApeやXenon Phoenixと共作した経験は、J-Trapの作品にも反映されていると思う。J-Trapのトラックを聴けば、曲の途中にすごくラップしやすい部分があることに気づくはずだよ。
2016年の後半に、アラビアっぽいタイプのビートも作ったんだけど、このビートが僕をDesi HipHopへと誘ってくれた。そのビートは結局リリースされなかったんだけど(笑)」

(Desi HipHopというのは、南アジア系ヒップホップを表す言葉だ。以前は在外南アジア系移民のヒップホップを指す表現だったが、今ではインド国内のヒップホップにもこの言葉が使われている)

「Complex 2としてDJショーを始めた頃に会ったDJたちが、僕が自分の道を見つけるのを手伝ってくれた。Spindoctor, Ruchir Kulkarni, Ashley AlvaresといったDJたちが、僕のDJとしての第一歩をずいぶん助けてくれたよ。プネーにあるカレッジからムンバイに帰ってくると、いつも彼らに会って自分の曲をプレイしていた。2016年の終わりの頃、SpindoctorはDIVINEといっしょにツアーに出ていた。僕が彼とAshley Alvarezのスタジオで会った時、例のアラビアっぽいビートを聴かせて感想を聞いてみたんだけど、そうしたら彼はそれを気に入ってくれて、トラックをDIVINEに送ってくれたんだ。すごく興奮したよ!

ビートを聴いたDIVINEから返信があって、気に入ったけど少し変えてみたいと言われた。ちょうど彼がソニーと契約して、リリースに忙しかった頃だったから、この曲がそこから先に進むことはなかった。僕は何ヶ月か待って、SpindocにDIVINEが使わないなら他の人に使ってもらってもいいかどうか聞いてみた。
Spindocは僕をDJ Proof(Vinayak) に繋いでくれて、彼はそれをNaezyとPrabh Deepに送ってくれた。Naezyはすごく気に入って、そのビートが欲しいって返事をくれたよ。

2017年の2月下旬になって、ADE MUMBAIで初めてDIVINE, Naezy, そしてDJ Proofに会うことができた。DJ Proofは僕をNaezyに紹介してくれて、例のトラックについて話したんだ。その後、Naezyも忙しくなってしまって、そのトラックは忘れられたままになっちゃったんだけど(笑)
今なら、この業界でどれだけ忍耐が必要か分かるけどね。

同じ年のもっと後になって、 Sony Music Indiaに呼ばれて曲を聴かせるよう言われた。僕は例のアラブっぽいビートを聴かせたかったんだけど、まずNaezyに聞いてみた。そしたら彼は、だめだ、自分のために取っておいてくれ、って言うんだ。それで、ソニーとのミーティングのあとに会いに来るよう言われた。

会いに行ったら、彼はそのビートはもっと後で使いたいから、まず彼が今思いついたアイデアのために新しいビートを作ってくれって言われた。彼はUKグライムを聴かせてくれたんだけど、グライムを教えてくれたのは彼が最初だった。彼は、グライムっぽくて、さらにインドの要素も入ったビートをほしがっていたんだ。
それで、"AANE DE"のビートを作った。彼はイギリスでリリックを書いてビデオを撮ったんだけど、初めて聴いたときはぶっとばされたよ!
こうして、僕のDesi HipHopソングがシーンに送り出されたってわけ。たくさんのアーティスト仲間のおかげで、最初のヒップホップのリリースをいきなりNaezyと一緒にやることができたんだ」


「アラブっぽいビートはまだそのままになっていた。Naezyは"AANE DE"の後、1年くらいシーンから離れていたし、僕は"AANE DE"のあとすぐに売れっ子ビートメーカーになったってわけじゃない。僕はタイプビート(有名アーティスト風のビート)を作るよりも、アーティストのためにアイデアを出すようなプロジェクトのほうが気に入っていたからね。
僕はJ-Trapの作品をリリースし続けていて、2018年の秋に、"The Machine"っていうすごくヘヴィなトラップソングをリリースした。
僕はリリースするたびに、みんなに宣伝のメールを送っていたんだ。2016年以来、DIVINEのメールアドレスも知っていたものの、何故かは分からないけど彼には最初のアラブっぽいビート以外は送っていなかった。でも、その時は、どうせ聞いてくれないだろうなと思いながらも、彼にプロモーションを送ってみたんだ。



そうしたら、なんと6時間後にDIVINEからインスタのDMが来て、「Yo G! 俺にビートを送ってくれ」って言うんだよ。頭が真っ白になったね(笑)

こうしてDIVINEと一緒に音楽に取り組むようになった。
さっきも言った通り、僕はこれまでそんなにビートを作りためていたわけじゃない。だから彼に、最近どんなタイプのビートが気に入っているのか尋ねてみて、似たタイプのビートを作って送ってみた。
アイデアを何度かやりとりしたあと、彼は僕をRED BULL BC:ONE(ブレイクダンスの大会)のプロジェクトに誘ってくれた。これが彼との最初の仕事だよ。
 

2018年の終わり頃、DIVINEはちょうどGully Gang Entertainment(GGE)っていうレーベルを始めたところで、僕はそこにも誘ってもらったんだ。僕はそれまで、どんなマネジメントとも契約していなかった。音楽を作るのも、ブランディングも、ビジュアルイメージも、プロモーションも、マーケティングもブッキングも、全て自分自身でやってきたから、この契約は僕にとってすごく大きいことだった。それにDIVINEの会社だったしね。

僕がサインした後、GGEは僕のスキルセットを最大限に活かせるよう、理解してくれた。僕はさらに学び続けて、スキルを広げて行ったよ。
僕は目に見えて成長したけど、目に見えないところではチームのサポートがあったんだ。

2018年に、DIVINEにたまたまプロモーションのメールを送って以来、Pusha TとVince Staples("Jungle Mantra")との共演を含めて、彼のトラックを何曲かプロデュースすることができた。信じられないくらいすばらしい道のりだったし、もっともっと先に進みたいって思っているよ」

「長い話になっちゃってごめん。これが、最も詳しい答えってことになるよ。今まで他のブロガーたちにこんなに細かく話したことはないな。
これがフル・ストーリーさ。
まだ語っていないストーリーもたくさんあるんだけどね。
そう、それで、例のアラブぽいビートは、なんといまだにリリースされていないんだよ(笑)」

ーすごく面白かったです。なんだか、才能のあるアーティストが集まってゆく様子が、伝説的なミュージシャンの若い頃の話って感じで。アラブっぽいビートも聴いてみたいです(笑)
その後、デリーのSeedhe Mautとも共演していましたが、マネジメントによる紹介だったんですか?

「いや、そういうわけじゃなくて、共演しているアーティストとは直接連絡しているんだ。アーティストやレーベルとの細かい話はマネジメントが詰めてくれるんだけど。今ではA&Rもいて、他のアーティストとの共演を助けてくれているよ」

ーここまで、あなたのキャリアはとてもうまく行っていますが、パンデミックによる影響はありましたか?あなたのまわりは皆さん無事でしたでしょうか?

「幸いなことに、全てうまく行っているよ。いつも神に感謝している。
驚くべきことに、これまでで最もビッグなプロジェクトは、全部パンデミックの間に起こったことだった。もちろん、もしパンデミックが起こらなければ、もっと大きな規模になっていたと思うし、ショーやイベントだって行えたと思うけど。

Netflixの映画『ザ・ホワイトタイガー』のためのDIVINE, Vince Staples, Pusha Tとの曲("Jungle Mantra")にも取り組めたし、この映画はオスカーにもノミネートされた。
DIVINEのセカンドアルバム"Punya Paap"でも3つの曲をプロデュースしたよ。
2つのロックダウンの間に、これまでで最高の、ソールドアウトになったショーもできた。
だから、不満は何もない。

それに、じつは数ヶ月前にCOVID19にもかかってしまったんだ。でも幸い重症にはならなくて、すぐに良くなったよ。
今が難しい時だってことは分かってる。もっと大変な思いをしている人もいるしね。自分は恵まれていると思うから感謝しているし、できる限り役に立ちたいと思ってる。
パンデミックが始まった頃、僕とDIVINEでプロボノ・ソングを作って、バドワイザーがやっているチャリティーのために収益を寄付したりもした。
アーティストとしては、ショーの部分では影響があったけど、コラボレーションに関しては、たぶんかえって上手くいったんじゃないかな」


プロボノという言葉は最近は日本でも聞くようになったが、自分の得意分野や専門知識を活かして行うボランティア活動のこと。
こうした単語がさらっと出てくるあたり、インドの音楽シーンと社会との関わりの強さを改めて感じる。
彼ら以外にも、インドのヒップホップアーティストでは、Prabh Deep, Ace aka Mumbai, MC Altaf, 7bantaiz, Dopeadelicz, Big Dealといった面々が、パンデミックに対するメッセージソングをリリースしている。

ー三味線奏者の寂空-Jack-とのコラボレーションも楽しみにしています。
彼のバンドもアメリカのレーベルと契約したそうで、二人の共演はすごいものになりそうですね。


「ありがとう。もうすぐJackと僕とで曲を仕上げられるはずだよ」


寂空-Jack-とKaran Kanchanは、すでにこの曲で共演済みだが、この曲では寂空-Jack-が担当しているのは「語り」のみ。
Kanchanのビートと三味線の生演奏のコラボレーションは、どんな化学反応を生むことになるのだろうか。


ー最後の質問です。これまで、このブログでは、あなたの他に、Sez on the Beat, Ritviz, Su Realといったインドのビートメーカーについて紹介してきたのですが、次に書くとしたら、誰がいいでしょう?

「Nucleyaかな?彼は南インドの文化にすごくインスパイアされたサウンドを作っている。僕の認識だと、日本では南インド映画をたくさんの人が見ているんだってね」

ーNucleyaですね!"Bass Rani"はインドのベース・ミュージックの歴史的アルバムでしたね。南インド映画に関して言えば、『バーフバリ』は日本で多くの熱狂的なファンを生みましたし、先日見たマラヤーラム語映画の『ジャッリカットゥ』も素晴らしかったです。

「それは知らなかったな。チェックしてみるよ」



このインタビューを読めば、順調に見える彼のキャリアが、ただならぬ努力と音楽への献身によるものだということが分かるだろう。
音楽に対する情熱と貪欲な探究心が、多彩なトラックを生み、多くの才能あふれるアーティストとの巡り合わせを呼び寄せたのだ。

インドのヒップホップシーンを代表するビートメーカーが、日本の音楽からも大きな影響を受けているということは多くの人に知ってもらいたいし、彼と日本のアーティストとのコラボレーションもぜひとも聴いてみたい。
 
これからも、Karan Kanchanの活躍から、ますます目が離せなくなりそうだ。


近々、Nucleyaの特集もぜひ書いてみたいと思います!




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2020年06月06日

ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その3) 驚異の「オンライン会議ミュージカル」ほか





先日、「ロックダウン中に発表されたインドの楽曲(その1)」と「その2」という記事を書いたが、その後もいろんなミュージシャンが、この未曾有の状況に音楽を通してメッセージを発信したり、今だからこそできる表現に挑戦したりしている。
今回は、さらなるロックダウンソングス(そんな言葉はないけど)を紹介します!
(面白いものを見つけたら、今後も随時追加してゆくつもり)

まず紹介したいのは、政治的・社会的なトピックを取り上げてきたムンバイのラップグループSwadesiによる"Mahamaari".

パンデミックへの対応に失敗したモディ政権への批判と、それでも政権に従わざるを得ない一般大衆についてラップしたものだという。
MC Mawaliのヴァースには「資本主義こそ本当のパンデミック」というリリックが含まれているようだ。
これまでも積極的に伝統音楽の要素を導入してきた彼ららしく、このトラックでも非常にインド的なメロディーのサビが印象的。

ムンバイのシンガーソングライターTejas Menonは、仲間のミュージシャンたちとロックダウン中ならではのオンライン会議をテーマにした「ロック・オペラ」を発表した。

これはすごいアイデア!
オンライン会議アプリを利用したライブや演劇は聞いたことがあるが、ミュージカルというのは世界的に見ても極めて珍しいんじゃないだろうか。
アーティスト活動をしながら在宅でオフィスワークをしている登場人物たちが、会議中に突然心のうちを発散させるという内容は、定職につきながら音楽活動に励むミュージシャンが多いインドのインディーシーンならではのもの。
この状況ならではのトピックを、若干の批評性をともなうエンターテインメントに昇華させるセンスには唸らされる。
恋人役として出演している美しい女性シンガーは、「その1」でも紹介したMaliだ。

アメリカのペンシルバニア大学出身のインド系アカペラグループ、Penn MasalaはJohn Mayerの"Waiting on the World to Change"と映画『きっと、うまくいく』("3 Idiots")の挿入歌"Give Me Some Sunshine"のカバー曲をオンライン上のコラボレーションで披露。

しばらく見なかったうちになんかメンバーが増えているような気がする…。
(追記:詳しい方に伺ったところ、Penn Masalaはペンシルバニア大学に在籍している学生たちで結成されているため、卒業や入学にともなって、メンバーが脱退・加入する仕組みになっているとのこと。歌の上手い南アジア系の人って、たくさんいるんだなあ)


以前このブログでも取り上げたグジャラート州アーメダーバード出身のポストロックバンドAswekeepsearchingは、アンビエントアルバム"Sleep"を発表。

以前の記事で紹介したアルバム"Zia"に続く"Rooh"がロック色の強い作品だったが、今回はうって変わって静謐な音像の作品となっている。
制作自体はロックダウン以前に行われていたそうだが、家の中で穏やかに過ごすのにぴったりのアルバムとなっている。
音色ひとつひとつの美しさや存在感はあいかわらず素晴らしく、夜ランニングしながらイヤホンで聴いていたら、まったく激しさのない音楽にもかかわらず脳内麻薬が分泌されまくった。

ムンバイのヒップホップシーンの兄貴的存在であるDivineのレーベル'Gully Gang'からは、コロナウイルスの蔓延が報じられたインド最大のスラム、ダラヴィ出身のラッパーたち(MC Altaf, 7Bantaiz, Dopeadelicz)による"Stay Home Stay Safe"がリリースされた。
このタイトルは、奇しくも「その1」で紹介したやはりムンバイのベテランラッパーAceによる楽曲と同じものだが、いずれも同胞たちに向けて率直にメッセージを届けたいという気持ちがそのまま現れた結果なのだろう。
アクチュアルな社会問題に対して、即座に音楽を通したメッセージを発表するインドのラッパーたちの姿勢からは、学ぶべきところが多いように思う。
タミル系が多いダラヴィの住民に向けたメッセージだからか、最後のヴァースをラップするDopeadeliczのStony Psykoはタミル語でラップしており、ムンバイらしいマルチリンガル・ラップとなっている。


ムンバイのヒップホップシーンからもう1曲。
昨年リリースしたファーストアルバム"O"が高い評価を受けたムンバイのラッパーTienasは、早くもセカンドアルバムの"Season Pass"を発表。
彼が「ディストピア的悪夢」と呼ぶ社会的かつ内省的なリリックは、コロナウイルスによるロックダウン下の状況にふさわしい内容のものだ。

この"Fubu"は、歪んだトラックに、オールドスクールっぽいラップが乗るTienasの新しいスタイルを示したもの。
トラックはGhzi Purなる人物によるもので、リリックには、かつてAzadi Recordsに所属していた名トラックメーカーSez on the Beatへの訣別とも取れる'I made it without Sez Beat, Bitch'というラインも含まれている。
直後に'I don't do beef'(争うつもりはない)というリリックが来るが、その真意はいかに。
今作も非常に聞き応えがあり、インドの音楽情報サイトWild Cityでは「Kendrick LamarやVince Staples, Nujabesが好きなら、間違いなく気にいる作品」と評されている。


ムンバイのエレクトロニック系トラックメーカーMalfnktionは、地元民に捧げる曲として"Rani"を発表。

いかにもスマホで取り急ぎ撮影したような縦長画面の動画にDIY感覚を感じる。


世界的にも厳しい状況が続きそうですが、インドの音楽シーンからはまだまだこの時期ならではの面白い作品が出てきそうな予感。
引き続き、注目作を紹介してゆきたいと思います!



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goshimasayama18 at 12:00|PermalinkComments(0)

2019年09月20日

『ガリーボーイ』がきっかけで生まれた傑作!新進プロデューサーAAKASHが作るインドのヒップホップの新潮流!



ムンバイのヒップホップシーンから、また新しい傑作アルバムが登場した。
プロデューサーのAAKASHが先日自身の名義でリリースしたデビュー作"Over Seas"は、MC Altaf, Dopeadelicz, Ace(Mumbai's Finest), Dee MCといったムンバイのヒップホップシーンを代表するラッパーたちをフィーチャーした意欲作だ。
これまでのインドのヒップホップとは異なるトラップ以降のトレンドを意識したサウンドは、グローバルな同時代性を感じさせる内容となっている。

AAKASH(本名:Aakash Ravikrishnan)は、クウェートで生まれ、米国インディアナ州の大学で音楽やパフォーミングアーツを学んだ、典型的なNRI(在外インド人)だ。
マルチプレイヤーでもあり、アメリカのドキュメンタリー番組のサウンドエンジニアとしてエミー賞(テレビ界の最高峰の賞)を受賞したことがあるというから、本場米国仕込みの実力派と呼べるだろう。
昨年アメリカからムンバイに移住してきた彼が最初にコラボレーションしたのは、まだ10代の若手ラッパーMC Altafと31歳の(ムンバイのシーンでは)ベテランのD'Evilだ。



ミュージックビデオの舞台は、インドでもヒップホップ・ブームと並行して人気が高まっているスニーカーショップ。
この"Wazan Hai"を皮切りに、AAKASHは次々とムンバイのラッパーたちとのコラボレーションを進めていった。

トラックもメロディックなフロウもインドらしからぬ"Obsession/Bliss"は14歳からラッパーとして活躍しているPoetik Justisとのコラボレーション。

ミュージックビデオはなぜか中国語の字幕付きだ。

米国からムンバイに移住してきたAAKASHは、映画『ガリーボーイ』を見て当地のヒップホップシーンのむき出しのパワーに触発され、インスタグラムを通じて地元のラッパーたちにコンタクトを取ったという。
『ガリーボーイ』にも、スラムのラッパーの才能に引き寄せられるアメリカ帰りのトラックメーカーが登場するが、それと全く同じようなエピソードだ。
そもそも『ガリーボーイ』自体が、ボリウッドの名門一家に生まれ、ニューヨークで映画製作を学んだゾーヤー・アクタル監督がムンバイのヒップホップシーンの熱気に魅了されて製作された映画である。
ムンバイのヒップホップシーンはものすごい求心力で世界中に拡散したインド系の才能を惹きつけているのだ。

ストリートヒップホップは、巨大なショービジネスの中で作られた映画音楽や高度に様式化された古典音楽とは違い、都市部の若者たちから自発的に誕生した、インドでは全く新しいタイプの音楽だ。
欧米では60年代のロック以降あたりまえだった「労働者階級が自分たちのリアルな気持ちを吐き出すことができる音楽」が、インドでは2010年代に入ってようやく誕生したわけだ。
欧米文化に慣れ親しんだ国際的なアーティストが、インドのヒップホップ誕生をもろ手を上げて歓迎するのは、むしろ当然のことなのだ。

Rolling Stone Indiaの特集記事でのAAKASHの言葉が、在外アーティストから見たインドのシーンを端的に表わしている。
「インドのヒップホップは現代のL.A.やアトランタやシカゴのヒップホップとは対照的に、よりオールドスクールでリアルなヒップホップの影響を受けているね」

MC Altafとのコラボレーションについてはこう語っている。
「彼は俺の音楽をチェックした後に、D'Evilとのレコーディングのために俺のホームスタジオまで来てくれたんだ。俺たちはいろんなビートを試してみたんだけど、その中のひとつを選んでその日のうちに仕上げたよ。それが"Wazan Hai"になった。この曲が、ムンバイで最高のヒップホップアーティストたちをフィーチャーした"Over Seas"というアルバムを作るきっかけになったんだ。これは、彼らにフレッシュな2019年や2020年のサウンドを提供して、世界にプロモートするためのアルバムだよ」

ヒップホップ(ラップ)は言葉の音楽だが、トラック/ビートもまた重要な要素である。
とくに世界的な市場で評価されるためには、サウンド的にも新しくクールであることが求められる。
これまで、インドのヒップホップは、オールドスクールヒップホップやインドの音楽文化の影響のもとでガラパゴス的な発展を遂げてきた。
このアルバムは、高いスキルとリアルなスピリットを持ったムンバイのラッパーたちに、現代的な最新のビートをぶつけてみるという、非常に野心的な試みでもあるのだ。

インドのローカル言語でラップされるこのアルバムは、先日紹介した英語ラッパーたちの作品と比べると、馴染みがない響きに少し戸惑うかもしれない。
だが、気にすることはない。
AAKASH自身もこう言っている。
「俺はヒンディー語で育ったわけじゃないから、ヒンディー語が本当に分からないんだ。だからレコーディングが終わって、彼らにヴァースの意味を聞くまで、誰が何を言っているのか全く分からなかったんだよ」
彼もまた、リリックの中身は分からなくても、シーンの熱気とラップのスキルやフロウのセンスに魅せられた一人なのだ。

AAKASHは、アメリカでヒップホップだけでなくメタル、ポップ、ジャズ、ロックなど様々な音楽の影響を受けており、この"Over Seas"にはジャズ、R&B、クラシックギター、フォーク、ボサノヴァの要素が込められているという。

Sid J & Bonz N Ribzをフィーチャーしたこの"Udh Chale"はBlink182のようなポップなパンクバンドの要素を取り入れているそうだ。
 

ダラヴィのラッパーDopeadeliczをフィーチャーしたトラップナンバー"Bounce"は、ヘヴィーなサウンドと緊張感で聴かせる一曲。


"Aadatein"は、いつもは歯切れのよいラップを聴かせるDee MCのメランコリックな新境地だ。


インドのヒップホップシーンには、この一年だけでも、才能豊かで、シーンを刷新するようなアーティストがあまりにも多く登場している。
もちろん今回紹介したAAKASHもその中の一人だ。
アンダーグラウンドで発展してきたヒップホップシーンは、『ガリーボーイ』という起爆装置によって、ものすごい勢いで進化と多様化を進めており、一年後がどうなっているか、全く想像がつかないほどだ。

AAKASHの次のアルバムはすでに完成しており、"Homecoming"というタイトルのジャズ・ヒップホップだという。
リリースは彼が米国に帰国した後になるそうだ。

今度はどんな新しいサウンドを聴かせてくれるのか、今から非常に楽しみである。


参考記事:
Rolling Stone India "Aakash Delivers a Cutting-Edge Debut Hip-Hop LP ‘Over Seas’"
The Indian Music Diaries "AAKASH Moved to Mumbai, and Made One of the Most Groundbreaking Indian Hip-Hop Albums"


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(2019.9.23加筆)

ムンバイ在住の友人がAAKASHに近しい人物から聞いた話によると、彼のインドへの帰国はトランプ大統領の排外的な移民政策によるものだったという。
まさかトランプの政策がインドのヒップホップシーンに影響を及ぼすとは思わなかった。
アメリカの移民排斥によって、最新のヒップホップサウンドがインドに持ち込まれることになったのだ。
これがまさにグローバリゼーションというやつだなあ、と非常に感慨深く感じた次第。
状況は不明だが、AAKASHは既報の通り再びアメリカに戻ることも考えているようだ。


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goshimasayama18 at 23:10|PermalinkComments(0)

2019年09月07日

『ガリーボーイ』ジャパン・プレミア!&隠れた名シーン解説

かねてからお伝えしていた通り、9月5日に新宿ピカデリーで、ゾーヤー・アクタル監督と脚本のリーマー・カーグティーを迎えて、『ガリーボーイ』のジャパン・プレミア上映が行われた。

当日は580席のスクリーン1が大方埋まる盛況。
客層はヒップホップファンというよりはインド映画ファンが中心。
もっと音楽ファンにも注目してほしいのはやまやまだが、公開されれば遠からずそうなるだろう。

『ガリーボーイ』は、これまでに日本で大ヒットしたインド映画、すなわち、マサラ風エンターテインメントの『ムトゥ』や、神話的英雄譚の『バーフバリ』とは明らかに毛色が違う「ムンバイのリアルなヒップホップ映画」ということで、開始前の客席は、いつもとは異なる期待感と、静かな熱気に満ちていた(ように見えた。自分自身が静かな熱気に満ちていたので、まわりのことはあんまり分からないけど)。

そしていよいよ暗転、上映開始。
内容についてはこれまで何度も書いてきたので省くが、いとうせいこう氏監修の字幕は、日本語でも韻を踏んでいる部分もあり、映画字幕の文字数制限のなかでリリックの本質を伝える、非常に雰囲気のあるものだった。
試写会で見たときは、いとう氏の監修前の字幕だったのだが、さすがに良い仕事をしているなあ、と感心。
公開までに字幕はさらにブラッシュアップされるらしい。

そして上映終了後は、いよいよゾーヤー・アクタル監督と、脚本のリーマー・カーグティー氏が登場。
舞台挨拶で印象に残ったのは、Naezyとのエピソードだ。
監督曰く、Naezyが21歳のときに撮ったミュージックビデオを見て強い印象を受け、友人を介して会いに行ったところ、ちょっと挨拶するだけのはずが、3時間も話し込んでしまったとのこと。

監督が見たというミュージックビデオは、「iPadで撮影されたもの」と言っていたから、間違いなくこの"Aafat!"だろう。
NaezyがiPadでビートをダウンロードし、ラップを吹き込み、そして映像も撮影したというごく初期の作品だ。

シンプルなビートだけにNaezyのスキルの高さが感じられる。
インタビューでは言及がなかったが、実はゾーヤー監督自身もアメリカのヒップホップのファンだったらしい。
Naezyについて「フロウも歌詞も素晴らしい」と語っていたが、地元インドから、本場アメリカにも匹敵するスキルとアティテュードのラッパーが登場したという感激が、この映画を作る原動力になったのだろう。

初めて会ったときのNaezyはシャイで、ボリウッドのビッグネームである監督たちに緊張して、部屋の隅に引っ込んでしまうような人物だったという。
こうした一見不器用で情熱を内に秘めたNaezyの性格は、ムラドのキャラクターをかたち作るうえでも、影響があったに違いない。
その後、Naezyのライブでオープニングアクトを務めていたDIVINEとも知り合い、『ガリーボーイ』の制作に至るのだが、二人をモデルに映画を作ることを伝えた時も、Naezyは自分の半生が映画になることよりも、ヒップホップというカルチャーが広まることについて喜んでいたそうだ。
(DIVINEは、『ガリーボーイ』のMCシェールのモデルとなった人物)

また、エグゼクティブ・プロデューサーとしてNasが名を連ねている理由は(実際は名誉職だと思うが)、ムンバイのラッパーたちがこぞって影響を受けたアーティストとして名前をあげたのが、Nasと2Pacであったためだという(2Pacは故人)。
インドのラッパーがいちばん影響を受けているのはEminemだと思っていたので、これはちょっと意外だった。

キャスティングについての質問の回答も興味深かった。
ランヴィールを主役にした理由としては、生粋のムンバイ育ちでスラングにも詳しく、また彼がヒップホップの大ファンで、密かにラップをしていることを監督が知っていたからとのこと。
実際、ムラドについてはほとんどランヴィールを想定してシナリオを書いたようで、 ランヴィールも自身でラップを吹き込み「俺はこの役をやるために生まれてきた」とまで言っていたのだから、最高のはまり役と言えるだろう。
この映画の撮影現場は、40人もの実際のラッパーがいる環境だったそうだが、ランヴィールは彼らともすっかり打ち解けていた様子で、撮影中から彼らのSNSに頻繁に登場していた。
ムンバイで行われた公開記念コンサートでは、ランヴィールとMCシェール役のシッダーント・チャトゥルヴェーディが「オリジナル・ガリーボーイズ」のDIVINE, Naezyと息のあったパフォーマンスを見せている。


また、ランヴィールは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたダラヴィ出身のラッパーMC Altafのミュージック・ビデオにも(画面の中から、ほんの少しだけだが)出演。 

国民的人気俳優が、インドでもよほどのローカル・ヒップホップファンでなければ知らないアンダーグラウンドラッパーのビデオに出演するのは、極めて異例のことだ。
ボリウッドの大スターと、ストリート・ラッパーという、エンターテインメント界の対極に位置するものたちが、ヒップホップという共通項で対等につながったのだ。

そう、『ガリーボーイ』の美しいところは、監督もランヴィールもシッダーントも、ヒップホップというカルチャーへの理解とリスペクトが深く、ヒップホップを深く、正しく伝えようという姿勢がぶれていないことだ。
これはボリウッド映画では珍しいことで、例えばロックをモチーフにしたインド映画はこれまでに何本かあるが、いずれもロックとは名ばかりで、単なるワイルドなイメージの材料として扱っているものがほとんどだった。
それに対して、『ガリーボーイ』は、製作者側からヒップホップへの愛に満ちている。

この作品に、裕福な家庭に育ち、アメリカの名門音楽大学バークリーに留学していたトラックメイカーの、スカイというキャラクターが出てくる。
スカイは、富裕層であるにもかかわらず、偏見を持たず、優れた才能の持ち主であれば、貧富や出自に関係なく賞賛し、厳しいスラムの現実を表現するラッパーたちをむしろリスペクトする姿勢の持ち主だ。
彼女は、インドの保守的な階級意識から自由であり、貧富の差などの社会問題への高い意識を持った存在として描かれている。
このスカイと同じような目線が、『ガリーボーイ』という映画全体を貫いている。
超ビッグなエンターテインメント産業であるボリウッドから、ムンバイのスラムで生まれたガリーラップへのリスペクトの気持ちが、どうしようもなく溢れているのだ。

今回のジャパンプレミアで『ガリーボーイ』を見た方に、2回目に鑑賞する時にぜひ注目してほしいシーンがある。 (映画の本筋に関係のない話だが、見るまで前情報を何も知りたくないという方はここでお引き返しを)

この映画には多くのラッパーがカメオ出演しているが、映画のなかに名前が出てこないラッパーたちも、極めて意味深い登場の仕方をしている。
映画を見た方は、後半のラップバトル第一回戦のシーンで、審査員席に座っていた身なりのいい3人の男女に気づいただろう。
彼らは、いずれもが、在外インド人社会の音楽シーンで活躍し、インドの音楽のトレンドにも影響を与えてきた成功者である。

ゴージャスな女性は、カリフォルニア出身の女性ラッパー、Raja Kumari.
本場の高いスキルを持ち、ソングライターとしてグラミー賞にノミネートされた経験もある彼女は、インド古典音楽のリズムをラップに導入したり、伝統的な装束をストリートファッションに落とし込んで着こなすなど、インドのルーツを意識したスタイルで活動している(Divineとも数曲で共演している)。

ターバンを巻いた男性はイギリス出身のシンガーManj Musik.
1997年にデビューした英国製バングラー音楽グループRDBの一員で、'Desi Music'と呼ばれる在外インド人のルーツに根ざした新しい音楽に、大きく貢献してきたミュージシャンだ。

もう一人の男性は、イギリス出身のBobby Friction.
BBC Asian Networkなどの司会者として活躍している人物で、在外インド系音楽を広く紹介し、シーンの発展に寄与してきた。

インド系音楽カルチャーの第一人者であり、富裕な海外在住の成功者としてインド国内にも影響を与えてきた彼らが、インドのストリートから生まれてきた音楽を、同じミュージシャンとしてリスペクトする。
貧富も出自も国籍も関係なく、同じルーツを持つ者同士で優れた音楽を認め合う。
ヒップホップで重要なのは、スキルと、リアルであることだけだからだ。
従来のインド映画であれば、審査員席には映画音楽界のビッグネームが座っていたはずだが、『ガリーボーイ』では、この3人が並んでいることに意味がある。
彼らが何者であるかは細かく明かされなくても(映画の進行上、必ずしも必要でないからだろう)このシーンには、製作者側のこうした意図が隠されているはずだ。

また、クライマックスのシーンにも仕掛けがある。
ステージの司会を務め、観客を盛り上げているのは、名前こそ出てこないが、リアル・ガリーボーイの一人で、ムンバイのヒップホップシーンの兄貴分的存在(そしてもちろんMCシェールのモデル)DIVINE本人である。
そして、ステージに上がるムラドが、DIVINEにある言葉をかける。
意識して見なければ、司会者に挨拶しているように見えるごく自然なシーンだが、このシーンには、ヒップホップをこよなく愛するランヴィールからガリーラップの創始者DIVINEへの、そして、ボリウッド一家に生まれたゾーヤー・アクタル監督から、ストリートで生まれたヒップホップカルチャーへの、心からの気持ちが込められているのだ。
正直言って、このシーンだけで感動をおさえることができなかった。

今回のジャパン・プレミアでは、最後にシッダーント、スカイ役のカルキ・ケクラン、そしてランヴィールからの日本のファンへのビデオメッセージが披露されるなど、非常に充実した内容だった。
SNSでの評判も非常に高く、正式公開に向けての期待はますます高まるばかりだ。

10月18日の公開に先駆けて行われる、10月15日のイベントもお見逃しなく!
日本におけるワールドミュージックの第一人者サラーム海上さん、ムンバイの在住のダンサー/シンガーで現地のラッパーとも共演経験のあるHiroko Sarahさん、そして私軽刈田が、映画の背景となったインドのヒップホップについて、思いっきり熱く語りまくります!
詳細はこちらのリンクから!




(審査員の一人としてカメオ出演しているRaja Kumariについては、こちらの記事で詳しく紹介している。彼女の音楽もとても面白いので、興味があったらぜひ読んでみてほしい。「逆輸入フィーメイル・ラッパーその1 Raja Kumari」「Raja Kumariがレペゼンするインド人としてのルーツ、そしてインド人女性であるということ」)
また、在外インド人の部分で、便宜的に「在外インド系」と書いたが、これはパキスタン系、バングラデシュ系など、南アジアの他の国にルーツを持つ人々も含んだ表現だと捉えてください。


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2019年07月12日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1

10月に公開が決定した、ヒンディー語映画、『ガリーボーイ』。
このボリウッド初のヒップホップ映画の舞台は、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ(Dharavi)だ。
主人公ムラドのモデルとなった実在のラッパーNaezyの出身地は、じつはダラヴィではなくムンバイ東部のクルラ(Kurla)地区。(ここもかなりスラムっぽい土地のようだ)
映画化にあたってダラヴィが舞台に選ばれたのは、ここがあの『スラムドッグ・ミリオネア』で世界的に有名になったスラム地区で、「ガリーボーイ」(路地裏ボーイ)のイメージにぴったりだからという理由だけではない。

ダラヴィは、実際にムンバイの、いや、インドのヒップホップシーンを代表するアンダーグラウンドラッパーを数多く輩出している、ヒップホップが息づく街なのだ。
ここでいう「アンダーグラウンドラップ」とは、マニアックな音楽性のヒップホップという意味ではない。
映画音楽のような主流のエンターテインメントではなく、ストリートに生きる人々が自ら発信しているリアルなヒップホップという意味だ。
(インドのメインストリームヒップホップについてはここでは詳しく紹介しないが、興味があったらYo Yo Honey SinghやBadshahという名前を検索してみると雰囲気がわかるはずだ。)

ダラヴィのヒップホップは、'00年代後半、EminemやNas, 50Centなどのアメリカのラッパーに影響を受けた若者たちによって、いくつかのクルーが結成されたことで始まった。
'00年代後半のインドの音楽シーンは、在外インド人の音楽を逆輸入したバングラー風味のラップがようやく受け入れられてきた頃だ。
(インドのヒップホップの全般的な歴史については、こちらの記事にまとめてある。「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」
当時、インドの音楽シーンでは、ポピュラー音楽といえば国内の映画音楽のことで、ロックやヒップホップなどのジャンルは極めてマイナーだった(今でもあまり変わっていないが)。
そんな時期に、経済的に恵まれていないダラヴィで、インド国内で流行っていたバングラー系ラップを差し置いて、アメリカのヒップホップが注目されていたというのは驚きに値する。

理由のひとつは、インターネットが普及し、海外の音楽に直接触れることができるようになったこと。 
また、教育が普及し、英語のラップのリリックが多少なりとも理解できるようになったことも影響しているだろう。
ダラヴィのラップにバングラーの影響が見られないことに関しては、この地域にバングラーのルーツであるパンジャーブ系の住民が少ないということとも関係がありそうだ。
バングラー系のラップは、どちらかというとパーティーミュージック的な傾向が強く、ストリート志向、社会派志向のダラヴィのラッパーたちとは相容れないものでもあったのだろう。

だが、ダラヴィの若者が(バングラー系ラップでなく)米国のヒップホップに惹かれた最大の理由は、何よりも、ヒップホップの本質である「ゲットーに暮らす被差別的な立場の人々の、反骨精神とプライドが込められた音楽」という部分が、彼らにとって非常にリアルなものであったからに違いない。
ダラヴィに住んでいるというだけで、人々から見下され、警察には疑われる屈辱的な立場。
過密で衛生状態が悪い住環境でのチャンスの少ない過酷な生活。
遠く離れたアメリカで、同じような立場に置かれた人々が起こした「クールな反逆」であるヒップホップに、インド最大の都市ムンバイのスラムに暮らす人々が共感するのは必然だった。
いずれにしても、ダラヴィでは、ヒップホップは'00年代後半から、インドの他の地域に先駆けて、若者たちの間に定着してゆくことになったのだ。

初期から活動しているダラヴィのヒップホップクルーのひとつが、Slumgodsだ。
2008年に結成された彼らは、同年に発表された映画『スラムドッグ・ミリオネア』によって、ダラヴィ=スラムドッグというイメージがつくことに反発し、'dog'の綴りを逆にしてSlumgodsという名前をつけた。
『スラムドッグ・ミリオネア』は、外交官であるエリート作家によって書かれた小説を、イギリス人監督が映画化したものだ。
よそ者によってつけられた「スラム=貧困」のイメージに対する反発は、ダラヴィのヒップホップの根幹にあるものだ。
「俺たちは犬畜生じゃない、神々だ」という、プライドと反骨精神。
Slumgodsの中心人物B-Boy Akkuは、ラップよりもブレイクダンスに重きを置いた活動を展開しており、とくに、スラムの子供達に自信と誇りを持たせるために、無料のダンス教室を開き、ダラヴィでのヒップホップ普及に大きな役割を果たした。

Akkuの活動については、以前この記事に詳しく書いたので、興味のある人はぜひ読んでほしい(「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」)。
彼らのように、ギャングスタ的な表現に終始するではなく、ヒップホップというアートフォームを通して、どのように地域に貢献できるかを真剣に考えているアーティストが多いのも、ダラヴィのシーンの特徴と言えるだろう。

Slumgodsと同時期に、OuTLawZ, Sout Dandy Squad, Street Bloodzといったクルーも結成され、さらにはDivineやNaezy, Mumbai's Finestといったムンバイの他の地区のラッパーたちの影響もあって、ダラヴィのヒップホップ人気はさらに高まってゆく。

この頃のクルーは、音源を残さずに解散してしまったものも多かったようだが、ヒップホップは確実にダラヴィに根づいていった。
ムンバイのヒップホップ黎明期のアンセムをいくつか紹介する。

シーンの兄貴的存在、Divineによる地元賛歌"Yeh Mera Bombay". 2013年リリース。


楽曲もビデオも、Naezyが父から貰ったiPadのみを使って制作された"Aafat!". 2014年リリース。


ブレイクダンスにスケボーも入ったMumbai's Finestの"Beast Mode"は、ムンバイのヒップホップ系ストリートカルチャーの勢いを感じられる楽曲。2016年リリース。


こうしたアーティストたちの存在が、ダラヴィのラッパーたちを勇気づけ、後押ししてゆく。

2012年に、元OutLawZのStonyPsykoことTony Sebastianを中心に結成されたDopeadeliczは、マリファナ合法化や、ムンバイ警察の腐敗をテーマにした楽曲を発表している。
"D Rise"
 
ダラヴィのシーンでは、はじめはアメリカのアーティストを模倣して英語でラップするラッパーが多かったが、やがて、「自分たちの言葉でラップする」というヒップホップの本質に立ち返り、ヒンディー語やマラーティー語、タミル語などの言語のラップが増えていった。
本場アメリカっぽく見えることよりも、自分の言葉でラップすることを選んだのだ。

大麻合法化をテーマにした楽曲に、インドの古典音楽の要素を取り入れた"Stay Dope Stay High".
Dopeadeliczもまた、英語から母語でのラップに徐々に舵を切ってゆく。

60年代に欧米のロックバンドがサイケデリックなサウンドとして取り入れたシタールの音色を、同じ文脈でインド人がヒップホップに取り入れている!
1:42からのシタールソロのドープなこと!
3:00からのbol(タブラ奏者が口で刻むリズム)もかっこいい。
ビデオはもろ90年頃のアメリカのヒップホップ。
前作から一気に垢抜けたこのビデオは、ボリウッドの大御所映画監督Shekhar Kapurと、インド音楽シーンの超大物A.R.Rahmanらによって立ち上げられたメディア企業Qyukiのサポートによって制作されたもの。
このQyukiはダラヴィのシーンを手厚く支援しており、前述のSlumgodsの活動もサポートしているようだ。

新曲はMost Wanted Recordsなるレーベルからリリース。

まるで短編映画のようなクオリティだ。

実際、彼らはメインストリームの映画業界からも注目されており、あのタミル映画界のスーパースター、ラジニカーント主演作品"Kaala"のサウンドトラックにも参加している。
(Stony Psykoらは『ガリーボーイ』にもラップバトルのシーンにカメオ出演を果たした)
映画"Kaala"から、"Semma Weightu".

Santhosh Narayananによる派手な楽曲は90年代のプリンスみたいな賑やかさ!
映画はラジニカーント演じるダラヴィのタミル人社会のボスと、再開発のための住民立退きを企てる政治家の抗争の物語。
実際、ダラヴィは住民の半分がタミル系である。


ムンバイのラッパーのリリックには、彼らが普段使っているなまの言葉が使われており、例えば彼らがよく使う'bantai'という言葉は、「ブラザー(bro.)」(血縁上の兄弟ではなく、 友達への呼びかけとしての)のような意味のムンバイ独特のヒンディーのスラングだ。
その'bantai'をアーティスト名に冠した7Bantaizは、ダラヴィ出身のFTII(Film and television Institution Inda)の学生によって2014年に結成された(結成当時の平均年齢は17歳!)。
ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、英語でラップするマルチリンガルな、非常に「ダラヴィらしい」グループだ。

2018年発表の"Yedechaari".


同年発表の"Achanak Bhayanak"

いずれも強烈にダラヴィのストリートのヴァイブが伝わってくる楽曲だ。
彼らもまた、『ガリーボーイ』にカメオ出演している。


ダラヴィの若手ラッパーで、今もっとも勢いがあるのが、2015年に結成されたクルー、EnimiezのMC Altafだろう。
Enimiezは、MC Altaf, MC R1, MC Standleyの3人組で、体制への不満を訴える'Rage Rap'を標榜している。
ラップの言語はヒンディー語とカンナダ語。
メンバーの本名を見ると、どうやらそれぞれがムスリム、ヒンドゥー、クリスチャンと異なる信仰を持っているようで、言語(ルーツとなる地域)だけでなく、宗教の垣根も超えたユニットのようだ。
様々なコミュニティーが音楽によって繋がり、ヒップホップという新しい価値観のもとにシーンが形成されているというのも、ダラヴィの特徴と言えるだろう。

MC Altafは若干18歳の若手ラッパー。
Nasに憧れ、DopeadeliczのStony Psykoのライブパフォーマンスに衝撃を受けてヒップホップの道を志したという、『ガリーボーイ』を地でゆくような経歴の持ち主だ。
『ガリーボーイ』のなかでもパフォーマンスシーンがフィーチャーされており、その縁でミュージックビデオには主演のランヴィール・シンがカメオ出演している。
ニューヨーク出身でムンバイを拠点に活躍しているJay Killa(J Dillaではない)と共演した"Wassup".
ランヴィールのほかにも、Dopeadeliczや7BantaiZのメンバーも登場している(彼らはリップシンクで、実際にラップしているのは全てAltafとJay Killa)。


"Mumbai 17"はダラヴィのピンコード。
ダラヴィの街の雰囲気を強く感じられるトラックだ。

どうでもいいことだが、「クリケットの国」であるインド人のベースボールシャツ姿は非常に珍しい。
この曲のマスタリングは、なんとロンドンのアビーロード・スタジオで行われている。

同じくムンバイのラッパーD'Evilと共演した"Wazan Hai"はヒップホップファッションとともに人気が高まっているスニーカーショップで撮影されたもの。


こうしたアーティストたちの活躍により、今では「ダラヴィといえば貧困」ではなく、「ダラヴィといえばヒップホップ」というように、インドの中でもイメージが変わって来ているという。
「ラップやダンスによる成功」は、ダラヴィの若者や子どもたちが夢見ることができる実現可能な夢であり、何人もの先駆者たちによって、ヒップホップはインドでも、ゲットー(スラム)の住人たちの希望となったのだ。

今回は個別のアーティストやクルーに焦点をあてて紹介してみましたが、次回はシーンの全体像を見てゆきます!
今回はここまで!



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goshimasayama18 at 21:53|PermalinkComments(0)