BobbyCash
2020年03月02日
インディアン・カウボーイ!インド人カントリー歌手Bobby Cashのビリヤニ・ウエスタン!
「インディアン・カウボーイ」という言葉を聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか?
おそらく、ほとんどの人が、頭に羽飾りをつけたアメリカ先住民のカウボーイを想像するのではないかと思う。
ひょっとしたら、1970年代のB級マカロニ・ウエスタンにそんな映画があったかもしれない。
ところが、今回紹介するインディアン・カウボーイの「インディアン」はアメリカ先住民ではない。
このインディアン・カウボーイは正真正銘のインド人。
なんと、インド生まれのカントリー歌手がいるのである。
この一度聞いたら忘れられない異名を持つ男の名前は、ボビー・キャッシュ。
百聞は一見に如かず。
さっそく彼の音楽を聴いてもらおう。
どうだろう。
私はカントリーというジャンルには全く詳しくないが、それでもこのサウンドを聞けば、彼が決してイロモノではない、本格派のカントリー・ミュージシャンであることが分かる。
それに彼のファッションがまた堂に入っている。
テンガロンハットにウエスタン風のシャツ。
あまりインドには売っていなさそうなデザインの衣装は、本場で仕入れたのか、それともインドで仕立てて作ってもらったのだろうか。
この突然変異的なアーティストは、いったいどのように誕生したのだろう。
ボビー・キャッシュことBal Kishoreは、1961年、ヒマラヤをのぞむウッタラカンド州の街、クレメントタウンに生まれた(インドの片田舎にこんな英語の名前の街があったということにも驚いた)。
Kishore一家には、カントリーの本場テネシー州のナッシュビルに移住した叔母がいて、幼い頃から毎月彼らに最新のカントリーのヒット曲を送ってくれていたという。
幼いBalは、叔母が送ってくれる音楽に夢中になった。
やがて、彼らは叔父が作ってくれたギターで姉妹や従兄弟たちと演奏を始めるようになる。
彼の従兄弟は、小さい頃にインドを訪れたビートルズが、ヨガの聖地リシケシュに行くために彼らの住んでいた街を通り過ぎたことをきっかけに、ロックに目覚めたのだそうだ。
彼らがこのかなり早い時代に欧米の音楽に夢中になった理由のひとつに、ナッシュビルの叔母の存在に加えて、Balの曽祖父の代に彼らがクリスチャンに改宗していたということが挙げられるだろう。
やがてBalは、父が彼をBabuと呼んでいたことから、名をBobbyと改め、キショール(Kishore)というファミリーネームを英語風にCashに変えて、英語風にBobby Cashという名前での音楽活動を始める。
みるみるうちにギターの腕を上げたボビーだったが、クレメント・タウンにはプロのミュージシャンとして活躍する場などない。
彼は音楽教室を開いたり、インド軍を相手に演奏したりして活動していた。
カントリーを一緒に演奏する仲間がいなかったことが、プラスに作用することもあった。
彼は、ベースラインをギターで再現する独特のプレイスタイルを編み出したのだ。
彼の生き方もまた、本場のカントリー歌手のようなところがある。
家族想いで律儀な男なのだろう。
ボビーは、1995年に父親が亡くなるまで、故郷のクレメントタウンで過ごしていた。
父の死後、ミュージシャンとしてのキャリアを本格的に追求すべく、彼は初めて首都デリーに出てくる。
だが、首都とはいえ、当時のデリーにも、やはりカントリー音楽の需要などなかった。
私が初めてインドを訪れたのは1997年のことだったが、デリーのカセットテープ屋(当時のインドでは、主要な音楽メディアはCDではなくカセットだった)のオヤジでもロックというジャンルを理解していなかったのを覚えている。
世界的にとっくに流行の過ぎ去った時代遅れのカントリーミュージックとなれば、知らないのはなおさらのことだろう。
仕方なく彼は、ヒンディー語のポップスのアルバムを発表する。
当時台頭してきていた、'Indi-Pop'と呼ばれる非映画音楽のポップミュージックを志したものだったが、ボビーはやはり、カントリー音楽への情熱を捨てきることはできなかった。
数枚のアルバムを発表した彼は、デリーの5つ星ホテル、オベロイで演奏するなどして、なんとかミュージシャンとしての活動を続けていた。
だが、そんな彼にも転機が訪れる。
オーストラリア人の映像プロデューサーが、オベロイで演奏している彼を見て、地元のカントリー音楽フェスに招待し、その様子を撮影することにしたのだ。
2003年1月、ボビーがオーストラリアのニューサウスウェールズで行われたTamworth Country Music Festivalに出演したのは、41歳になってからのことだった。
果たして、本格的カントリーミュージックを演奏するインド人のニュースは、またたく間に話題となった。
この時の様子は、地元のテレビ局によって"The Indian Cowboy...One in a Billion"というドキュメンタリー番組として放送されている。
ボビーの幸運は続く。
彼の演奏を聴いたオーストラリアの裕福な農家が、アルバム制作の話を持ちかけたのだ。
こうして、彼は2004年に、オーストラリアのレーベルから、最初のカントリーアルバム、"Cowboy at Heart"をリリースする。
"Cowboy at Heart"、なんともいいタイトルではないか。
アメリカから遠く離れたインドに生まれ、西部のカウボーイとして生きているわけではないけれど、カントリーミュージックを愛する俺の心はカウボーイなのさ。
そんなボビーの心意気が伝わってくるようなタイトルのこのアルバムは、オーストラリアのカントリー音楽チャートに入っただけでなく、本場アメリカでも高く評価され、ナッシュビルのカントリーミュージック協会のベスト海外アーティストにもノミネートされた。
受賞こそ逃したものの、ブロードウェイでのパフォーマンスはスタンディングオベーションで称えられたという。
その後、彼は家族と故郷クレメントタウンで暮らしながらも、カントリーミュージシャンとしてはオーストラリアを拠点に活動し、何枚かのアルバムを発表している。
それにしても、世界的にメインストリームであるEDMやヒップホップのミュージシャンがインドにもいるのは分かるけど、カントリーのような、アメリカの伝統芸能とも言えるジャンルにも優れたインド人ミュージシャンがいるということには驚かされる。
ボビー・キャッシュの音楽を初めて聴いたときのアメリカ人やオーストラリア人の驚きは、きっとチャダやジェロの演歌を聴いた時の日本人と同じようなものだっただろう。
カントリーはなんとなく保守的な人たちが聴く音楽という印象を持っていたが、
彼がヒンディー語で発表した楽曲のなかには聴くべきものが少ないが、なかにはタブラとカントリースタイルのギターが融合したこんな楽曲もある。
この歌はどうやらヒンディー語のゴスペルのようだ。
カントリー調の歌声にタブラを合わせた驚くべき音楽性は、マカロニ・ウエスタンならぬビリヤニ・ウエスタン!
彼のことを扱ったドキュメンタリー番組のタイトル"Indian Cowboy...One in a Billion"同様、インディアン・カウボーイはインド広しと言えども、10億に一人の存在だろう。
インターネットの普及でさまざまな音楽に触れる機会が爆発的に増えてきたインドで、これからも、びっくりするようなジャンル(例えば、タンゴとかケルト音楽とか)で素晴らしい才能が出てくることが、ひょっとしたら、あるのかもしれない。
最後に、ボビー・キャッシュが演奏するエルビス・プレスリーの名曲をお届けして、今回の記事を終わりにしたい。
追記:
ちなみに彼のことを教えてくれたのは、以前このブログでもインタビューをお届けした、ムンバイ在住のPerfumeファンのインド人、Stephenです。ありがとう!
それからコルカタには、こんな本格的なブルース・バンドがいます。
いやはやインドは広い!
さらに追記:この原稿を書いた後に思いついた「ビリヤニ・ウエスタン」という呼び方が気に入ったので、タイトルと本文をちょっと変えてみました。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
凡平自選の2018年のおすすめ記事はこちらからどうぞ!
凡平自選の2019年のおすすめ記事はこちらから!
ジャンル別記事一覧!
goshimasayama18 at 19:56|Permalink│Comments(0)