Badshah
2022年10月25日
インドの最新ラテン・ポップ事情!
ずいぶん前にも書いたことがあるのだが、不思議なことに、「インド」と「ラテン」の組み合わせってやつは、妙に相性が良い。
掘りが深い顔立ちに、やたらとダンスが好きな国民性、感情表現がストレートなところ、ノリがいいようでいて保守的なところ、根拠不明な自信がありそうなところ、男性は前髪を4センチくらい立てたうえでオールバックにする、みたいな髪型が好きなところ、などなど、例を挙げればキリがない。(思いっきりステレオタイプな表現になってしまっていて申し訳ない)
スペイン(アンダルシア地方)のフラメンコを生み出したとされるロマの人たちのルーツはインドのラージャスターンあたりだというし、そのルーツの一端をスペインに持つカリブ〜北米地域のヒスパニック系音楽とインドが繋がるのも分からなくもない…なんて無理やりなこじつけもできそうだが、本当のところは分からない。
たぶん、当のインド人たちもどうしてそんなにラテン系の音楽が好きなのかわかっていないのだと思う。
とにかく、その相性の良さは実際に聴いて(映像を見て)みれば一発で分かるはず。
というわけで、今回は、インドでもてはやされるラテン風音楽を紹介してみたい。
まずはパンジャービー系パーティーラップの雄Badshahから。
今年4月にリリースした"Voodoo"では、コロンビア出身のレゲトン・シンガーJ Balvinとのコラボレーションを実現。
J Balvinは米国をはじめ世界各地のアーティストとコラボレーションしているが、スペイン語以外では絶対に歌わないという一本筋の通ったシンガーだ。
Badshahが意図的に本格的ラテン風味を取り入れようとしたことが分かる人選である。
Badshah, J Balvin, Tainy "Voodoo"
タイトルの通り、ハイチ発祥のヴードゥー(ゾンビの元ネタになった信仰)をテーマにしたミュージックビデオだが、ヴードゥー的な演出がインドのサドゥー(ヒンドゥーの世捨て人的な修行者)っぽくも見えるのが面白い。
こちらは最近Badshahが関わったまた別の曲。
AJWAVY, Badshah, Anirudh Ravichander, Diljit Dosanjh, Aastha Gill, Dhanush "Desi Bop"
こちらもまた四つ打ちのレゲトン・ポップ的な曲調。
JP THE WAVY(日本のラッパーね)みたいな名前のAJWAVYはインスタ出身のインフルエンサーだそうで、このチャラいダンスポップがばっちりはまっている。
モダン・バングラーの人気シンガーDiljit Dosanjhや、ポップス系シンガーソングライターのAastha Gillなど、共演陣がやたらと豪華だが、これはインドの軽薄系インディーカルチャーが、旧来のメインストリームを飲み込むほどの勢いを持っていることを意味しているのだろう。
冒頭で使われている気だるい雰囲気の曲は、タミル映画界のスターDhanushが歌って大ヒットを記録した2012年の映画 "3" の挿入歌 "Why This Kolaveri Di".
Dhanushの名前もこの楽曲にクレジットされている。
ダンスポップ系ではなく、珍しく生バンドでラテン音楽をやっているのが、ヒンディー・ロックバンドのApricot.
Apricot "Nazrana"
曲は0:48くらいから。
昔、野口五郎がカバーしてたサンタナの曲("Smooth"だっけか)みたいな曲調にラテン風味満載のこのミュージックビデオ。
ケレン味たっぷりのラテン的かっこつけ方がインド人に超似合ってる!
だんだんメキシコとインドの境い目が分からなくなってくる一曲だ。
ムンバイの女性シンガー、Andi Starの"In Love With You"のギター・アレンジも哀愁ポップ系のラテン全開でめちゃくちゃ気持ちいい。
Andi Star "In Love With You"
彼女はまだほぼ無名の存在だが、激甘ポップなメロディを書くことに関しては非凡なセンスを持っているようだ。(この"Last Night"という曲にはやられた!)
これからも注目してゆきたいシンガーだ。
ところで、インドのラテン系音楽はパンジャーブからムンバイあたりにかけて存在しているものとなんとなく思っていた。
パンジャーブの豪放さが陽気なラテンのイメージと重なり、北インドのエンタメの中心地であるムンバイもまた、いい味で軽薄なラテンポップのノリと繋がるイメージがあるからだろう。
ところが、ラテンポップはパンジャーブ/ムンバイのみならず、インド全土にがっつり根付いているようなのだ。
意外なところでは、文化的地方都市の印象が強いコルカタを拠点に活動しているDJ/音楽プロデューサーのREICKことKoushik Mukherjeeも、こんなラテンポップ的な曲をリリースしている。
REICK ft. Jimmy Burny "Good Love"
共演しているJimmy Burnyはブラジル人で、世界中のいろいろなアーティストの曲で客演しているシンガーだ。
おそらくREICKともインターネットを通してつながったものと思われるが、こうした海外のミュージシャンとの共演も、EDMをはじめとする「グローバル」な音楽性のインドのアーティストによく見られる傾向だ。
インドらしさ皆無のミュージックビデオはどこかの映像素材だろうか。
無国籍な雰囲気を出したかったのだろうけど、個人的には、音楽性は無国籍でも、映像はどこかインドっぽいほうが好みではある。
All OK "Mallige Hoova"
ラテン系音楽の波はもちろん南インドにも達していて、この曲はカンナダ語のレゲトン風ナンバー。
ロケ地はシンガポールとのこと。
All OKはカンナダ語圏の人気ラッパーで、9月にリリースしたこの動画のYouTubeでの再生回数は200万回を超えており、他の曲も軒並み数百万から数千万再生されるほどの人気っぷり。
カンナダ語圏はレゲトンと親和性が高いのか、3年ほど前だがこんな曲もあった。
ViRaj Kannadiga ft Ba55ick "Juice Kudithiya"
「(飲んでるのは酒じゃなくて)ジュースですぜー」というコミックソングで、このそこはかとないダサさがたまらない。
何が言いたいのかというと、北も南も、インドは全面的にラテンポップが人気だということなのである。
もしかしたら、特段ラテンなサウンドに惹かれているわけではなく、単にUSヒットチャートの上位にあるようなサウンドを模倣しているだけという可能性もあるが、それにしたってヒスパニックとはまったく異なるルーツを持つ彼らが、ここまでラテンな曲を作っているというのは、やはり何かがあるような気がする。
さっき、パンジャーブ的な豪放さとラテンの陽気なイメージが重なる、と書いたが、ひとまず他の地域やスタイルの音楽は置いておいて、バングラーとレゲトンに注目して見てみると、両者を融合したリミックスや「踊ってみた」系の動画が結構ヒットする。
(バングラーはインド北西部からパキスタンにかけて位置するパンジャーブ地方の伝統音楽/ダンスで、イギリスや北米に移住したパンジャーブ人たちは、この郷土のリズムをヒップホップやダンスミュージックと融合して、今日のインドにおける現代的ダンスポップの礎を築いた…という話は何度も書いているが、一応改めて付記しておく)
結構無理矢理な感じのものもあるが、やはりインド(少なくともパンジャーブ)とラテンはどこか根底的なところで繋がっているんじゃないか、と改めて感じる。
例によってこれといった結論はないのだけど、バングラー的ラテンポップに関しては、パンジャーブ系移民が多いイギリスあたりから、そろそろ世界的に注目される面白いものが出てきてもいいんじゃないか、と思うんだけど、さて、どうだろうか。
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goshimasayama18 at 23:17|Permalink│Comments(0)
2022年08月28日
急速に現代化するインドのヒップホップ インディアン・オールドスクールはどこへ行くのか
たびたび書いていることだが、インドのヒップホップ・シーンが発展したのは2010年代以降。
ムンバイをはじめ各地で同時多発的に発生したインドのストリート・ラップは、同時代のヒップホップよりも90年代USラップの影響が強いのが特徴だった。
よりストリート色が強く、「抑圧されたゲットーの人々の音楽」という色彩が強かった90年代のヒップホップのほうが、都市部のロウワーミドルクラスを中心としたインドのラッパーたちに「刺さる」ものだったのだろう。
音楽的な面では、ラップが始まったばかりのインドで、ビートもフロウもシンプルだった90年代のスタイルのほうが彼らの言語を乗せやすかった、ということもあったかもしれない。
2020年前後から、インドのヒップホップはようやく同時代的な、少なくとも2010年代以降のサウンドが、目立つようになってきた。
マンブルラップ的な手法やオートチューンを駆使して傷ついた心情を表現するMC STANや、トラップ以降のビートに乗せて超絶スキルのラップを吐き出すSeedhe Mautがその筆頭だ。
ここ数年で、インドのヒップホップは世界のシーンが30年かけて歩んだ道を一気に駆け抜けたわけだが、それでは、その急速な変化の中で、骨太なラップを聞かせてくれていたオールドスクールなラッパーたちはどうなったのだろうか?
最近のベテランラッパー(といってもデビュー後のキャリアは10年程度だが)たちの新曲を聴く限り、彼らは自らの矜持を貫き、かたくなにそのスタイルを守り抜いていた。
…なんてことは一切なかった。
2010年代に今のヒップホップ流行の礎を築いた先駆者たちは、面白いくらいに今風のスタイルに変節してしまっていたのだ。
別にそれをいいとか悪いとか言うつもりはないのだが、これはこれでなんだかインドっぽいような気もするので、今回はそんなラッパーたちの過去と現在を紹介してみたいと思います。
まずは、このブログの記念すべき第1回でも紹介したラッパーであるBrodha V.
インドのストリート系ラップ普及の立役者であるムンバイの帝王DIVINE曰く「インドで最も最初にメジャーレーベルと契約したストリートラッパー」であるというベンガルールのラッパーだ。
Brodha V "Aatma Raama"
2012年という、インドのストリート系ヒップホップではかなり早い時期にリリースされたこの曲は、2PacやEminemを思わせるフロウでヒンドゥー教の神ラーマへの帰依を歌う、クリスチャン・ラップならぬヒンドゥー・ラップだ。
インドのラッパーたちは、インド各地の諸言語でラップするようになる前は英語でラップしていた(ちなみにベンガルールの公用語はカンナダ語)。
彼のこなれた英語ラップはインド人の英語力の高さをあらためて感じさせられる。
まあそれはともかく、2012年にしては古いスタイルでラップしていた彼は、今どうなったのか。
2022年8月にリリースしたばかりの曲を聴いてみよう。
Brodha V "Bujjima"
いきなりのオートチューンに3連のフロウ。
今となっては決して最新のスタイルではないが、それでも2012年の"Aatma Raama"から比べると、90年代から一気に20年くらい進んだ感じがする。
Brodha Vはけっこうエンタメ精神に溢れているラッパーで、この曲のミュージックビデオでは裁判所を舞台にジョーカーやハーレイ・クイン風のキャラクターが出てきて、壁にはなぜかノトーリアスB.I.G.らヒップホップスターの写真が飾られている。
なんだか詰め込み過ぎな印象もあるが、それもまたインドらしくて面白い。
続いて紹介するのはコルカタのベンガル語ラップシーンをリードするCizzy.
2019年にリリースされたこの曲では、90年代のNYを思わせるジャジーでクールなラップを披露していた。
Cizzy "Middle Class Panchali"
かっこいいけど、今の音ではまったくないよな。
ちなみにタイトルにあるPanchali(パンチャリ)というのはベンガル語の詩の形式らしく、ミドルクラスの悲哀を歌ったというこの曲のラップはちょっとそのパンチャリっぽい雰囲気になっているらしい。
そのCizzyがやはりこの8月にリリースした曲がこちら。
Cizzy "Blessed"
またオートチューン!
そしてダークな雰囲気のフロウとか言葉の区切り方に、彼もまた20年くらいの進化を一気に遂げたことを感じさせる。
Brodha VにしろCizzyにしろ、元のスタイルで十分に個性的でかっこよかったのに、躊躇なくスタイルを変えてくる(それも、むしろ無個性な方向に)フットワークの軽さがすごい。
国籍を問わず、ベテランラッパーが「俺だってこれくらいできるんだぜ」的に新しいスタイルを取り入れた曲をリリースするってのはよくあると思うが、ここまで節操ないのは珍しいんじゃないだろうか。
続いては、ターバン・トラップという謎ジャンル(レーベル?)を代表するビートメーカーのGurbaxが、パンジャービー系のラッパー/シンガーのBurrahとムンバイのストリートラッパーMC Altafと共演した曲を紹介。
Gurbaxはこのブログの初期に紹介したことがあるトラップ系のクリエイター。
意図的にインド的な要素を強く打ち出したそのサウンドは、この国の刺激的な音楽を探していた当時の自分にめちゃくちゃ刺さったのをよく覚えている。
Burrahはまだほとんど無名だが、伝統音楽っぽい歌い回しとラップの両方ができるラッパー/シンガーで、面白いのがかなりローファイ/チルな音作りを志向しているということ。
何かと派手でマッチョな方向に行きがちなパンジャービー系シンガーのなかでは稀有な存在で、今後も注目したい。
フィーチャリングされているMC Altafは映画『ガリーボーイ』の舞台にもなったムンバイのスラム街ダラヴィ出身のラッパー。
2019年にリリースしたこの"Code Mumbai 17"をアトロク(TBSラジオ「アフター6ジャンクション」)で紹介したところ、宇多丸さんのリアクションは「2019年代とは思えない!90年代の音!」というものだった。
ほんとそうだよね。
MC Altaf "Code Mumbai 17"
この動画のトップコメントは、
'Thats the Classic Old school flow and beat 90s vibes... thats what we needed in Indian rap culture

というもの。
なんでインドに90年代のヴァイブスが必要なのかは分からないが、ファンには好意的に受け入れられていることが分かる。
まあとにかく、インド風トラップのGurbaxとローファイ・パンジャービーのBurrah、そしてオールドスクール・ヒップホップのMC Altafが共演するとどうなるのかというと、こうなる。
Gurbax, Burrah "Bliss"feat. MC Altaf
トラップのヘヴィさもオールドスクールの硬派さも鳴りを潜め、ギターのアルペジオとざらついたビートの、完全にローファイ的サウンドになってる。
Burrahの色が強くなってるとも言えるけど、Gurbax、芸の幅が広いな。
MC AltafはBrodha VやCizzyと比べるとそこまでスタイルを変えてきているわけではないが、これまでに彼がリリースしてきたいろんな曲と比べても、ここまでの伝統色とメロウさは異色ではある。
さて、ここまでいわゆるストリート系のラッパーについて紹介してきたが、それじゃあインドにストリートラップが生まれる前から人気だったパーティー系コマーシャル・ラッパーたちはどうなっているのだろう。
彼らは2019年の映画『ガリーボーイ』公開以降、リアルなストリート系ラップの台頭と、自分達が時代遅れになってしまうことへの危惧からか、急速にスタイルをストリート化させ、かえって昔からのファンの反発を招いていた(とくにYo Yo Honey Singh)。
そろそろ彼らのスタイルにも新しい展開があるのではないか、と思ってチェックしてみたら、Honey Singhと並び称されるパンジャービー系パーティーラップの雄、Badshahの新曲がなかなか面白かった。
まずは、過去の曲を聴いてみましょう。
2015年にリリースされた"DJ Waley Babu"は、YouTubeで4億再生もされている大ヒット曲。
Badshah "DJ Waley Babu"
酒、女、パーティー、でかい車。
これぞパンジャービー系パーティーラップの世界観。
1年前にリリースした曲がこれ。
Badshah, Uchana Amit "Baawla ft. Samreen Kaur"
酒、女、パーティーという価値観はそのままに(でかい車の代わりに飛行機になってる!)、ぐっとビートは落ち着いてきた。
それが最新曲ではこうなる。
Badshah "Chamkeela"
逆に一気にエンタメ寄りに振り切ってきた!
Badshahもちょっと前にストリート寄りっぽい、派手さ抑えめの曲をやっていた時期があったのだけど、もとがド派手な彼らがそういうことをやると、単に地味になったみたいな感じになっちゃうんだよな。
そこで今度はもうラップ的な部分を一気に無くしちゃって、超ポップな路線に転換してみたのがこの曲、ということらしい。
「銀行のマネージャー(Badshah本人)と女銀行強盗の恋」というバカみたいなストーリーは頭を空っぽにして楽しめるものだし(もちろん褒め言葉)、いかにもインド映画っぽいミュージックビデオの演出(美女の髪がファサーッ、殴られた男が一回転、等)も最高だ。
今回とくに注目したいのはバックダンサーを従えたダンスシーンで、この展開だといかにもボリウッドぽくなりそうなところを、なんかK-Popっぽく仕上げている!
(竹林が舞台なのも東アジアのイメージ?)
これまでレゲトンとかラテン系の音楽を参照することが多かったパンジャービー系ポップ勢のなかでは、これはかなり新鮮な感覚だ。
K-Popはインドでもかなり人気があるが、これまで音楽的あるいは映像的引用というのはあまりなかったような気がする。
ポップなダンスミュージックという意味では、K-Popも現代パンジャービー音楽とは別のベクトルで機能性をとことんまで追求したジャンルと言えるわけで、この融合はかなり面白いと感じた次第。
進化と変化と多様化を絶え間なく繰り返しているインドのヒップホップシーン。
次はどうなるのかまったく予想がつかず、ますます目が離せない状況になってきた。
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2022年07月20日
辺境ヒップホップ研究会で吠える(黎明期 パーティーラップとストリートラップ)
さる7月17日(日)大阪の国立民族学博物館で行われた「辺境ヒップホップ 研究会」に参加してきました。
この研究会は、『ヒップホップ・モンゴリア』の著者で同博物館准教授の島村一平さんの呼びかけによって行われたもの。
『ヒップホップ・モンゴリア』は大きな衝撃を受けた本だったので、その著者の方に招かれて、以前から「ここ天国じゃん」と思っていた場所(みんぱく)で行われる研究会に参加できるっていうのは、自分にとってこの上ない僥倖。
当日は滲み出るドヤ顔をマスクで隠しつつ、本物の研究者の先生方の中に野良犬ブロガーを混ぜていただいた意気(粋)に応えるべく、俺がインドのヒップホップについて面白いと思う部分をほぼ全部乗せで吠えてまいりました。(というのは嘘で、普通に喋ってきました)
そのときに話した内容を、mottainaiのでダイジェストにしてみなさんにお届けします。
当日時間の都合で紹介できなかった部分も入れます&過去に書いた関連記事のリンクなんかもつけてみました。
研究会では、島村先生のモンゴルのヒップホップの発表と、同志社大学グローバル地域文化学部助教の中野幸男先生の発表もあって、これが超絶面白かったのだけど、この研究会の成果は後日なんらかの形でみなさんにお届けできる予定もあるみたいなので、みなさん期待して待っていてください。
(モンゴルについては『ヒップホップ・モンゴリア』をまず読むべし)
というわけで、以下、私が喋った内容です。
インドのヒップホップについて語るなら、この曲から始めるのが最適だろう、と個人的には思っている。
1975年に英コヴェントリーで生まれたインド系イギリス人Panjabi MCが2003年にリリースしたこの曲は、Jay-Zによってリミックスされ、UKのR&Bチャートで1位、USではビルボードのダンス系チャートで3位になるという世界的ヒットとなった。
インドのヒップホップが、在外インド人たちから始まったということは、覚えておくべきポイントだろう。
この時期、Panjabi MCのルーツであるインド北西部パンジャーブ地方の伝統音楽バングラーとヒップホップを融合した音楽は世界を席巻し、Missy ElliotteやBlack Eyed Peas, Chemical Brothersらが自身の作品にそのテイストを流用している。
後者2つはバングラーというよりは映画音楽だが、とにかく、2000年代前半は、インド風味がポピュラー音楽に使われる時代だった。
(そのさらに前に、1992年にヴァニラ・アイスの"Ice Ice Baby"をパクったBaba Sehgalの"Thanda Thanda Pani"や、1994年にA.R.Rahmanが映画音楽として発表した"Pettai Rap"という曲があるのだが、これらに関してはオーパーツというか、あくまでも単発的な例外として、触れないことにする)
バングラー・ラップは、世界的にはこの時期にだけ注目を集めた一発屋的ジャンルでしかなかったが、インド国内に逆輸入されると、「外来の新しいパーティー・ミュージック」としてEDMやラテンポップと融合して独自の進化を遂げた。
ボリウッド映画のサウンドトラックにもたびたび取り上げられ、今日に至るまで人気ジャンルとなっている。
そのインド産パンジャービー系パーティーラップを代表するアーティストが、Yo Yo Honey SinghとBadshahだ。
2013年にボリウッド映画"Boss"の挿入歌として作成されたこの曲は、YouTubeで1億3,000万再生。
Honey Singhが率いるMafia Mundeerというユニットの一員だったBadshah(しかし喧嘩別れ)が2015年にリリースした"DJ Waley Babu"の再生回数は4億1,000万回を超えている。
金、女、酒、車、パーティー!って感じのとにかく派手な世界観だった彼らは、最近ではストリート系ラップの台頭に影響されたのか、よりリアルっぽさ重視の芸風にシフトしてきているようだ。
当たり前だが、インド人がいつも陽気に踊りまくる音楽(ステレオタイプなボリウッド的な)を聴いているわけではない。
長らく映画音楽の独占状態だったインドだが、2010年代に入るとインターネットが普及しはじめ、これまでインドに存在しなかったタイプの音楽を、ネットさえあれば誰でも聴けるようになった。
そこでヒップホップに出会ったインドの若者たちは、自分たちなりのストリート・ラップを始めるようになる。(不思議なことに、この時代のインドのラッパーたちは、同時代ではなく90年代のUSのラッパーの影響が強い)
ムンバイでは、ストリートラッパーのDIVINEを中心に、ヒンディー語で「路地」を意味するGullyという語を冠した「ガリーラップ」というムーブメントが勃興する。
ガリーラップを代表するアーティストの一人、Naezyは、ムンバイの下町エリアのKurla East地区の出身(かつては、ラッパーとして「盛る」ためか、スラム出身と紹介されることも多かった)。
いずれにしても庶民的な家庭に生まれた彼は、スタジオに入ったりビート制作を依頼したりする余裕はなかったようで、父親に買ってもらったiPadでビートをダウンロードし、iPadにマイクをつないで録音し、iPadを使って近所でミュージックビデオを撮影して、iPadからYouTubeにアップした。
この「身近にあるものを使って音楽を作ってしまおう」という姿勢は、レコードプレイヤー2台を使ってビートメイキングを始めたブロンクスのヒップホップ・オリジネイターにも通じるものだろう。
このミュージックビデオは、映画監督Zoya Akhtarの目に留まり、2019年にはNaezyとDIVINEをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』が制作された。
これが大ヒットを記録して、映画賞も総ナメ。
インドの大衆に、パーティーラップではないストリート発のヒップホップが広く知られることとなった。
映画『ガリーボーイ』では、よりヒップホップ的な成り上がりストーリーを強調するためだろうか、主人公の地元は『スラムドッグ$ミリオネア』と同じスラム街のダラヴィに変えられていた。
実際、ダラヴィはブレイクダンスやビートボックスのフリースクールまで存在するムンバイのヒップホップの一大中心地で、MC AltafやDopeadeliczなど、多くのラッパーを輩出している。
インドのスラム街のヒップホップというと、最下層の人々がラップをやっているように思われるかもしれないが、実態はすこし異なるようだ。
上記の"Yeh Mera Bombay"や"Aafat!"がリリースもしくは制作された2013年当時、インドのインターネット普及率は15%(大都市ムンバイではもっと高かっただろうが)。
DIVINEやNaezyを始めとする初期のストリートラッパーたちは、英語でUSのヒップホップを聴いて理解できていたわけだが、インドでは英語を流暢に操ることができる人々は、人口の10%程度という説もある(これもやはりムンバイではもっと高いはずではあるが)。
つまり、彼らがそれなりに恵まれた環境にいたことは間違いなく、それにある程度の教養を持ち合わせている層だったのだ。
(ガリーボーイの主人公も、スラムの住人とはいえ、スマホを持ち、英語で授業が行われるカレッジに通っていた)
インドでは、都市部であっても住む家すらなく路上で暮らす人々もいるし、地方で電気も水道もインターネットもなく暮らしている人々が大勢いる。
ガリーのラッパーたちが直面する格差や苦悩を軽視するつもりはないが、この時期のインドのヒップホップは、そこまで「持たざる者たちの音楽」ではなかったと言って良いだろう。
インド都市部の貧困の象徴として扱われることが多いダラヴィだが、ムンバイの中では最大ではあるものの、「わりと程度が多く、支援されることが多い」スラムだという話も聞いたことがある。
(繰り返すが、だからといって彼らが感じているであろう疎外感や衛生環境の悪さなどを軽んじる意図はない)
こうしたインターネット経由で経由でUSのラッパーたちから影響を受けたシーンは、ムンバイだけではなく各都市で同時多発的に発生し、様々な言語のシーンが花開くこととなった。
ああっ、まだ最初のほうなのに、もうこんなに長くなってしまった。
ひとまず今回はこのへんにして、全3回くらいで書くことにします。
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この研究会は、『ヒップホップ・モンゴリア』の著者で同博物館准教授の島村一平さんの呼びかけによって行われたもの。
『ヒップホップ・モンゴリア』は大きな衝撃を受けた本だったので、その著者の方に招かれて、以前から「ここ天国じゃん」と思っていた場所(みんぱく)で行われる研究会に参加できるっていうのは、自分にとってこの上ない僥倖。
当日は滲み出るドヤ顔をマスクで隠しつつ、本物の研究者の先生方の中に野良犬ブロガーを混ぜていただいた意気(粋)に応えるべく、俺がインドのヒップホップについて面白いと思う部分をほぼ全部乗せで吠えてまいりました。(というのは嘘で、普通に喋ってきました)
そのときに話した内容を、mottainaiのでダイジェストにしてみなさんにお届けします。
当日時間の都合で紹介できなかった部分も入れます&過去に書いた関連記事のリンクなんかもつけてみました。
研究会では、島村先生のモンゴルのヒップホップの発表と、同志社大学グローバル地域文化学部助教の中野幸男先生の発表もあって、これが超絶面白かったのだけど、この研究会の成果は後日なんらかの形でみなさんにお届けできる予定もあるみたいなので、みなさん期待して待っていてください。
(モンゴルについては『ヒップホップ・モンゴリア』をまず読むべし)
というわけで、以下、私が喋った内容です。
インドのヒップホップについて語るなら、この曲から始めるのが最適だろう、と個人的には思っている。
1975年に英コヴェントリーで生まれたインド系イギリス人Panjabi MCが2003年にリリースしたこの曲は、Jay-Zによってリミックスされ、UKのR&Bチャートで1位、USではビルボードのダンス系チャートで3位になるという世界的ヒットとなった。
インドのヒップホップが、在外インド人たちから始まったということは、覚えておくべきポイントだろう。
この時期、Panjabi MCのルーツであるインド北西部パンジャーブ地方の伝統音楽バングラーとヒップホップを融合した音楽は世界を席巻し、Missy ElliotteやBlack Eyed Peas, Chemical Brothersらが自身の作品にそのテイストを流用している。
後者2つはバングラーというよりは映画音楽だが、とにかく、2000年代前半は、インド風味がポピュラー音楽に使われる時代だった。
(そのさらに前に、1992年にヴァニラ・アイスの"Ice Ice Baby"をパクったBaba Sehgalの"Thanda Thanda Pani"や、1994年にA.R.Rahmanが映画音楽として発表した"Pettai Rap"という曲があるのだが、これらに関してはオーパーツというか、あくまでも単発的な例外として、触れないことにする)
バングラー・ラップは、世界的にはこの時期にだけ注目を集めた一発屋的ジャンルでしかなかったが、インド国内に逆輸入されると、「外来の新しいパーティー・ミュージック」としてEDMやラテンポップと融合して独自の進化を遂げた。
ボリウッド映画のサウンドトラックにもたびたび取り上げられ、今日に至るまで人気ジャンルとなっている。
そのインド産パンジャービー系パーティーラップを代表するアーティストが、Yo Yo Honey SinghとBadshahだ。
2013年にボリウッド映画"Boss"の挿入歌として作成されたこの曲は、YouTubeで1億3,000万再生。
Honey Singhが率いるMafia Mundeerというユニットの一員だったBadshah(しかし喧嘩別れ)が2015年にリリースした"DJ Waley Babu"の再生回数は4億1,000万回を超えている。
金、女、酒、車、パーティー!って感じのとにかく派手な世界観だった彼らは、最近ではストリート系ラップの台頭に影響されたのか、よりリアルっぽさ重視の芸風にシフトしてきているようだ。
当たり前だが、インド人がいつも陽気に踊りまくる音楽(ステレオタイプなボリウッド的な)を聴いているわけではない。
長らく映画音楽の独占状態だったインドだが、2010年代に入るとインターネットが普及しはじめ、これまでインドに存在しなかったタイプの音楽を、ネットさえあれば誰でも聴けるようになった。
そこでヒップホップに出会ったインドの若者たちは、自分たちなりのストリート・ラップを始めるようになる。(不思議なことに、この時代のインドのラッパーたちは、同時代ではなく90年代のUSのラッパーの影響が強い)
ムンバイでは、ストリートラッパーのDIVINEを中心に、ヒンディー語で「路地」を意味するGullyという語を冠した「ガリーラップ」というムーブメントが勃興する。
ガリーラップを代表するアーティストの一人、Naezyは、ムンバイの下町エリアのKurla East地区の出身(かつては、ラッパーとして「盛る」ためか、スラム出身と紹介されることも多かった)。
いずれにしても庶民的な家庭に生まれた彼は、スタジオに入ったりビート制作を依頼したりする余裕はなかったようで、父親に買ってもらったiPadでビートをダウンロードし、iPadにマイクをつないで録音し、iPadを使って近所でミュージックビデオを撮影して、iPadからYouTubeにアップした。
この「身近にあるものを使って音楽を作ってしまおう」という姿勢は、レコードプレイヤー2台を使ってビートメイキングを始めたブロンクスのヒップホップ・オリジネイターにも通じるものだろう。
このミュージックビデオは、映画監督Zoya Akhtarの目に留まり、2019年にはNaezyとDIVINEをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』が制作された。
これが大ヒットを記録して、映画賞も総ナメ。
インドの大衆に、パーティーラップではないストリート発のヒップホップが広く知られることとなった。
映画『ガリーボーイ』では、よりヒップホップ的な成り上がりストーリーを強調するためだろうか、主人公の地元は『スラムドッグ$ミリオネア』と同じスラム街のダラヴィに変えられていた。
実際、ダラヴィはブレイクダンスやビートボックスのフリースクールまで存在するムンバイのヒップホップの一大中心地で、MC AltafやDopeadeliczなど、多くのラッパーを輩出している。
インドのスラム街のヒップホップというと、最下層の人々がラップをやっているように思われるかもしれないが、実態はすこし異なるようだ。
上記の"Yeh Mera Bombay"や"Aafat!"がリリースもしくは制作された2013年当時、インドのインターネット普及率は15%(大都市ムンバイではもっと高かっただろうが)。
DIVINEやNaezyを始めとする初期のストリートラッパーたちは、英語でUSのヒップホップを聴いて理解できていたわけだが、インドでは英語を流暢に操ることができる人々は、人口の10%程度という説もある(これもやはりムンバイではもっと高いはずではあるが)。
つまり、彼らがそれなりに恵まれた環境にいたことは間違いなく、それにある程度の教養を持ち合わせている層だったのだ。
(ガリーボーイの主人公も、スラムの住人とはいえ、スマホを持ち、英語で授業が行われるカレッジに通っていた)
インドでは、都市部であっても住む家すらなく路上で暮らす人々もいるし、地方で電気も水道もインターネットもなく暮らしている人々が大勢いる。
ガリーのラッパーたちが直面する格差や苦悩を軽視するつもりはないが、この時期のインドのヒップホップは、そこまで「持たざる者たちの音楽」ではなかったと言って良いだろう。
インド都市部の貧困の象徴として扱われることが多いダラヴィだが、ムンバイの中では最大ではあるものの、「わりと程度が多く、支援されることが多い」スラムだという話も聞いたことがある。
(繰り返すが、だからといって彼らが感じているであろう疎外感や衛生環境の悪さなどを軽んじる意図はない)
こうしたインターネット経由で経由でUSのラッパーたちから影響を受けたシーンは、ムンバイだけではなく各都市で同時多発的に発生し、様々な言語のシーンが花開くこととなった。
ああっ、まだ最初のほうなのに、もうこんなに長くなってしまった。
ひとまず今回はこのへんにして、全3回くらいで書くことにします。
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goshimasayama18 at 22:07|Permalink│Comments(0)
2021年09月01日
あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。
とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!
ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)

(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi)
ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。
パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
Karma "Beat Do"
パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。
とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。
(ムンバイ編はこちら)
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2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。
キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。
彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。
Yo Yo Honey Singh "Loka"
Badshah "DJ Waley Babu"
オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。
この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想敵として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)
Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。
Raftaar "Sheikh Chilli"
この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。
IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。
もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。
KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。
パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。
Prabh Deep "Suno"
彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。
Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN
この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。
Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。
Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.
Sikander Kahlon "100 Bars 2"
その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。
Sidhu Moose Wala "295"
Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"
Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)
最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。
Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。
キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。
彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。
Yo Yo Honey Singh "Loka"
Badshah "DJ Waley Babu"
オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。
この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想敵として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)
Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。
Raftaar "Sheikh Chilli"
この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。
IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。
もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。
KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。
パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。
Prabh Deep "Suno"
彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。
Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN
この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。
Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。
Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.
Sikander Kahlon "100 Bars 2"
その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。
Sidhu Moose Wala "295"
Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"
Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)
最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。
Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"
Karma "Beat Do"
パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。
とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。
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goshimasayama18 at 20:27|Permalink│Comments(0)
2021年02月09日
インド・ヒップホップ夜明け前(その3)Mafia Mundeerの物語・後編
(シリーズ第1回)
(シリーズ第2回)
デリーの地でヒップホップ・ユニットMafia Mundeerとして活動を始めたYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka, Lil Goluの5人。
彼らの活動形態は、Mafia Mundeerの名義でユニットとして活動するのではなく、メンバー同士がときに共演しながら、ソロとして個々の名義で楽曲をリリースするというものだった。
当時のMafia Mundeerで中心的な役割を担っていたのは、イギリスへの音楽留学経験を持ち、野心にあふれていたYo Yo Honey Singhだったと考えて間違いないだろう。
2010年を過ぎた頃から、Honey Singhがまずスターダムへの階段を登り始める。
流行に目ざといボリウッドが、最新の映画音楽として国産のヒップホップに目をつけたのだ。
時代の空気と彼の強烈な上昇志向が見事に噛み合い、彼は立て続けに人気映画の楽曲を手掛けて急速に知名度を上げてゆく。
2012年、ディーピカー・パードゥコーン主演の映画"Cocktail"に"Angreji Beat"を提供。
2013年には、アクシャイ・クマール主演の"Boss"に"Party All Night"を、そして日本でも公開されたシャー・ルク・カーン主演の"Chennai Express"に、タミルのスーパースター、ラジニカーント(映画には出演していない)に捧げた"Lungi Dance"を提供した。
アメリカや日本のヒップホップを基準に聴くと、どの曲も絶妙にダサく感じられるかもしれないが、インドの一般大衆が考える都会の退廃的なナイトライフのイメージに、Honey Singhがぴったりハマったのだろう。
アメリカ的なヒップホップを追求するのではなく、在外パンジャーブ人のバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを国内向けに翻案した彼の音楽は、インド的ラップの大衆化に大きな役割を果たした。
ヒップホップにありがちな、リリックが女性への暴力を肯定的に描いているという批判もあったが(とくに、デリーの女子大生がフリースタイルラップでHoney Singhを痛烈に批判した"Open Letter To Honey Singh"は大きな話題となった)、彼の快進撃は止まらなかった。
前述の3作品はいずれもヒンディー語映画(いわゆるボリウッド作品)だが、よりローカルなパンジャービー語映画では、2012年に"Mizra"への出演を果たし、2013年の"Tu Mera 22 Main Tera 22"では主役の一人に抜擢されるなど、Honey Singhは銀幕にも進出する。
映画音楽のみならず、ソロ作品やプロデュースでもHoney Singhはヒットを連発した。
2011年にソロ作"Brown Rang"をヒットさせると、2012年にはパンジャービー系イギリス人シンガーJaz Dhamiやパンジャービー系カナダ人のJazzy Bとのコラボレーションをリリースして成功を収めた。
だが、良いことばかりは続かない。
急速な成功による他のメンバーとの格差が、彼と仲間との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
Honey SinghがMafia Mundeerの中心的存在であり、最も早く、最も大きな成功を手にしたことは疑うべくも無いのだが、彼の成功は、実際は彼の力だけによるものではなかった。
実は、この時期のHoney Singhのヒット曲"Brown Rang"はBadshahによって、"Dope Shope"は、Raftaarによって書かれたものだったのだ。
しかし、Honey Singhは、これらの楽曲の本来のソングライターに適切なクレジットを与えなかった。
"Brown Rang"を書いたBadshahは、どうせ大して売れないだろうと考えていたが、予想に反して曲は大ヒット。
クレジットを要求したBadshahをHoney Singhがはねつけたことで、彼らの関係は修復できないほどに悪化してしまった。
また、Raftaarに対しては、彼がレコーディングした曲にHoney Singhがヴォーカルをオーバーダビングして自分の曲にしてしまったという。
こうしたトラブルから、まずRaftaarが、次にBadshahがMafia Mundeerを脱退する。
Honey SinghはMafia Mundeerの新しいメンバーとして、AlfaazとJ-Starを加入させるが、以降、Mafia Mundeerというユニット名を聞くことはめっきり少なくなった。
それでも傍若無人にポピュラー音楽シーンの最前線を突っ走っていたHoney Singhは、2014年に突然シーンから姿を消してしまう。
後に分かったことだが、彼はこのとき、重度のアルコール依存症と双極性障害に悩まされていたのだ。
リハビリのためのシーンからの離脱は18カ月にも及んだ。
Honey Singhが不在の間に、今度はBadshahがソロアーティストとしての成功をつかむ。
2015年の"DJ Waley Babu"が人気を博し、さらにボリウッドにも進出を果たす。
映画"Humpty Sharma Ki Dulhan"で使用された"Saturday Saturday"や、大ヒットした"Kapoor & Sons"でフィーチャーされた"Kar Gayi Chull"が高く評価され、新しいスターとしての地位を不動のものにしたのだ。
Honey Singhは、自分が不在の間に成功を収めたかつての仲間を素直に祝福することができなかった。
リハビリからの復帰作となる主演映画"Zorawar"の記者会見で、彼は「ロールスロイスを運転したことはあるか?ロールスロイスはタタの'ナノ'とは違う」と、自身を超高級車のロールスロイスに、Badshahを「世界一安い車」と言われたインド製の車に例えてこき下ろしてしまう。
ソーシャルメディア上でもお互いに激しい批判を繰り広げた彼らは、2012年以降、いまだに口も聞いていないと言われている。
そのHoney Singhの復帰第一作の映画"Zorawar"の挿入歌"Superman".
この時期、BadshahもHoney SinghもEDMバングラーとでも呼べるようなスタイルを標榜していた。
Honey SinghとBadshahに少し遅れて、Raftaarも人気を獲得してゆく。
彼は2013年にリリースした"WTF Mixtape"でよりヒップホップ的な方法論を提示し、コアなファンの支持を集めることに成功。
さらには、90年代から活躍するイギリスのバングラーユニットRDBのManj Musikとの共演など、独自路線を歩んでゆく。
"WTF Mixtape"からの"FU - (For You)".Manj Musikをフィーチャーして2014年に発表された"Swag Mera Desi"のリリックには、Honey Singhを批判したラインが含まれているとも言われている。
だが、Honey Singhは、Raftaarの成功も快く思わなかったようだ。
かつて自らがMafia Mundeerに誘ったRaftaarのことを「そんなやつは知らない」「一度しか会ったことがない」と切り捨ててしまう。
しかしRaftaarは抗争の加熱を望んでいなかったようで、多少の皮肉を込めつつも、Honey Singhを憎んでいるわけでは無いことを表明している。
「おそらく彼は急な成功でエゴが強くなりすぎて、自分がどこから来たのか、誰も彼を信じていなかった時に誰がそばにいたのかを忘れてしまったのだろう」
「俺に取ってMafia Mundeerはすごく思い出深いし、今でも彼をブラザーだと思っているよ」
「俺は他人の成功で不安になったりはしないね。音楽は愛やブラザーフッドやポジティヴィティの普遍的な源なんだ。憎しみや嫉妬の余地なんて無いんだよ」
RaftaarとHoney Singhの再共演はいまだに実現していないが、今ではお互いに激しく罵り合う状況ではなくなったようだ。
時期は不明だが、IkkaもおそらくはRaftaarやBadshahの脱退と近い時期に、Mafia Mundeerを離脱したようだ。
その後のIkkaは、いくつかの映画音楽などにも参加し、高いスキルを示していたものの、Honey SinghやBadshah、Raftaarほどにはセールス面での高い評価を得てはいなかった。
ところが、2019年にアメリカのラッパーNasのレーベル'Mass Appeal'のインド版として立ち上げられたMass Appeal Indiaの所属アーティストとして起用されると、レーベルメイトとなったムンバイのストリートラップの帝王DIVINEとの共演(前回の記事で紹介)や、旧友Raftaarとの久しぶりのコラボレーションなどで、本格派ラッパーとしての実力を見せつけた。
2020年にはMass Appeal Indiaからファーストアルバム"I"をリリースし、その評価を確実なものにしつつある。
その後の彼らの活躍についても触れておこう。
Honey Singhはバングラーラップとラテンポップを融合したような音楽性で大衆的な人気を維持し、今では「インドの音楽シーンで最も稼ぐ男」とまで言われている。
現時点での最新曲"Saiyaan Ji"は最近Honey Singhとの共演の多い女性シンガーNeha Kakkarをフィーチャーした現代的バングラーポップ。
この曲のリリックにもLil Goluの名前がクレジットされている。
BadshahもHoney Singh同様に、EDM/ラテン的なバングラーラップのスタイルで活動していたが、最近ではより本格的(つまり、アメリカ的)なヒップホップが徐々にインドにも根付いてきたことを意識してか、本来のヒップホップ的なビートの曲に取り組んだり、逆によりインド的な要素の強い曲をリリースしたりしている。
このミュージックビデオはデリーの近郊都市グルグラム(旧称グルガオン)出身のラッパーFotty Sevenが2020年にリリースした"Boht Tej"にゲスト参加したときのもの。
ビートにはなんと日本の『荒城の月』のメロディーが取り入れられている。
女性シンガーPayal Devと共演したこの"Genda Phool"はベンガル語の民謡を大胆にアレンジしたもので、スリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデスを起用したミュージックビデオは2020年3月にリリースされて以来、すでに7億回以上YouTubeで再生されている(2020年に世界で4番目に視聴されたミュージックビデオでもある)。
これまでの「酒・パーティー・女」的な世界観から離れて、ヒンドゥーの祭礼ドゥルガー・プージャー(とくにインド東部ベンガル地方で祝われる)をモチーフにしているのも興味深い。
「かつて両親に楽をさせるために、魂を売ってコマーシャルな曲をラップしたこともある。でも今ではそういう曲とは関連づけられたくないんだ」
こう語るRaftaarは、商業的な路線からは距離を置いて活動しているようだ。
コマーシャルなシーンの出身であることから、Emiway Bantaiらストリート系のラッパーからのディスも受けたが、デリーのベテランラッパーKR$NAと共演したり、自身のマラヤーリーとしてのルーツを扱ったアルバム"Mr. Nair"(Nairは彼の本名)をリリースしたりするなど、堅実な活動を続けている。
現時点での最新の楽曲"Black Sheep".
最近では仲間のラッパーたちと運営するKalamkaarレーベルがフランスの大手ディストリビューターと契約を結んだというニュースもあり、さらなる活躍が期待できそうだ。
Ikkaの現時点での最新のリリースは、フィーメイル・ラッパーRashmeet Kaurの楽曲にDeep Kalsiとともにゲスト参加したこの楽曲(全員パンジャービーのシンガー/ラッパー)
レゲエっぽいビートに乗せたバングラーポップのR&B風の解釈は、インドのポピュラー音楽のまた新しい可能性を期待させてくれる。
正直にいうと、Mafia Mundeerの元メンバーたち、とくにHoney SinghやBadshahに対しては、その商業的すぎる音楽性から、私もあまりいい印象を持ってなかった。
バングラー・ラップは垢抜けない音楽だと感じていたのだ。
だが、インドの音楽シーンを知ってゆくうちに、パンジャービーにとってのバングラーは、アメリカの黒人にとってのソウル・ミュージックのようなものであり、その現代的解釈は、商業主義の追求というよりも、ごく自然なものであると考えるようになった。
自らのルーツを意識しつつも、新しい音楽をためらわずに導入し、露悪的なまでに自由でワイルドに活動したという点で、彼らはまさしくパーティーミュージックとしてのヒップホップのインド的解釈を成し遂げたと言ってよいだろう。
本格的な成功とほぼ同時に解散してしまったことで、今ではMafia Mundeerという名前を聞くことも少なくなってしまったが、4人の個性的な人気ラッパーの母体となったこのユニットは、インドの現代ポピュラーミュージックを語るうえで、決して無視できない存在なのだ。
ちなみにMafia Mundeerのもう一人のオリジナルメンバーであるLil Goluは、Honey Singhと楽曲を共作したりしている一方、IkkaをまじえてRaftaarとの再会を果たした様子。
Ikkaの"I"にも参加しており、元メンバー同士の抗争からは距離を置いて、全員と良好な関係を築きつつ活動を継続しているようだ。
いつの日か、彼らが再び何者でもなかったころの絆を取り戻して、その成功に至るストーリーをボリウッド映画にでもしてくれたらよいのに、と思っている。
その夢が実現するのはまだまだ先になりそうだが、それまでに彼らがどんな音楽を聴かせてくれるのか、激変するインドのヒップホップシーンでのパイオニアたちの活動に、これからも注目したい。
(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer
http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958
https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html
https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms
https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html
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(シリーズ第2回)
デリーの地でヒップホップ・ユニットMafia Mundeerとして活動を始めたYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka, Lil Goluの5人。
彼らの活動形態は、Mafia Mundeerの名義でユニットとして活動するのではなく、メンバー同士がときに共演しながら、ソロとして個々の名義で楽曲をリリースするというものだった。
当時のMafia Mundeerで中心的な役割を担っていたのは、イギリスへの音楽留学経験を持ち、野心にあふれていたYo Yo Honey Singhだったと考えて間違いないだろう。
2010年を過ぎた頃から、Honey Singhがまずスターダムへの階段を登り始める。
流行に目ざといボリウッドが、最新の映画音楽として国産のヒップホップに目をつけたのだ。
時代の空気と彼の強烈な上昇志向が見事に噛み合い、彼は立て続けに人気映画の楽曲を手掛けて急速に知名度を上げてゆく。
2012年、ディーピカー・パードゥコーン主演の映画"Cocktail"に"Angreji Beat"を提供。
2013年には、アクシャイ・クマール主演の"Boss"に"Party All Night"を、そして日本でも公開されたシャー・ルク・カーン主演の"Chennai Express"に、タミルのスーパースター、ラジニカーント(映画には出演していない)に捧げた"Lungi Dance"を提供した。
アメリカや日本のヒップホップを基準に聴くと、どの曲も絶妙にダサく感じられるかもしれないが、インドの一般大衆が考える都会の退廃的なナイトライフのイメージに、Honey Singhがぴったりハマったのだろう。
アメリカ的なヒップホップを追求するのではなく、在外パンジャーブ人のバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを国内向けに翻案した彼の音楽は、インド的ラップの大衆化に大きな役割を果たした。
ヒップホップにありがちな、リリックが女性への暴力を肯定的に描いているという批判もあったが(とくに、デリーの女子大生がフリースタイルラップでHoney Singhを痛烈に批判した"Open Letter To Honey Singh"は大きな話題となった)、彼の快進撃は止まらなかった。
前述の3作品はいずれもヒンディー語映画(いわゆるボリウッド作品)だが、よりローカルなパンジャービー語映画では、2012年に"Mizra"への出演を果たし、2013年の"Tu Mera 22 Main Tera 22"では主役の一人に抜擢されるなど、Honey Singhは銀幕にも進出する。
映画音楽のみならず、ソロ作品やプロデュースでもHoney Singhはヒットを連発した。
2011年にソロ作"Brown Rang"をヒットさせると、2012年にはパンジャービー系イギリス人シンガーJaz Dhamiやパンジャービー系カナダ人のJazzy Bとのコラボレーションをリリースして成功を収めた。
だが、良いことばかりは続かない。
急速な成功による他のメンバーとの格差が、彼と仲間との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
Honey SinghがMafia Mundeerの中心的存在であり、最も早く、最も大きな成功を手にしたことは疑うべくも無いのだが、彼の成功は、実際は彼の力だけによるものではなかった。
実は、この時期のHoney Singhのヒット曲"Brown Rang"はBadshahによって、"Dope Shope"は、Raftaarによって書かれたものだったのだ。
しかし、Honey Singhは、これらの楽曲の本来のソングライターに適切なクレジットを与えなかった。
"Brown Rang"を書いたBadshahは、どうせ大して売れないだろうと考えていたが、予想に反して曲は大ヒット。
クレジットを要求したBadshahをHoney Singhがはねつけたことで、彼らの関係は修復できないほどに悪化してしまった。
また、Raftaarに対しては、彼がレコーディングした曲にHoney Singhがヴォーカルをオーバーダビングして自分の曲にしてしまったという。
こうしたトラブルから、まずRaftaarが、次にBadshahがMafia Mundeerを脱退する。
Honey SinghはMafia Mundeerの新しいメンバーとして、AlfaazとJ-Starを加入させるが、以降、Mafia Mundeerというユニット名を聞くことはめっきり少なくなった。
それでも傍若無人にポピュラー音楽シーンの最前線を突っ走っていたHoney Singhは、2014年に突然シーンから姿を消してしまう。
後に分かったことだが、彼はこのとき、重度のアルコール依存症と双極性障害に悩まされていたのだ。
リハビリのためのシーンからの離脱は18カ月にも及んだ。
Honey Singhが不在の間に、今度はBadshahがソロアーティストとしての成功をつかむ。
2015年の"DJ Waley Babu"が人気を博し、さらにボリウッドにも進出を果たす。
映画"Humpty Sharma Ki Dulhan"で使用された"Saturday Saturday"や、大ヒットした"Kapoor & Sons"でフィーチャーされた"Kar Gayi Chull"が高く評価され、新しいスターとしての地位を不動のものにしたのだ。
Honey Singhは、自分が不在の間に成功を収めたかつての仲間を素直に祝福することができなかった。
リハビリからの復帰作となる主演映画"Zorawar"の記者会見で、彼は「ロールスロイスを運転したことはあるか?ロールスロイスはタタの'ナノ'とは違う」と、自身を超高級車のロールスロイスに、Badshahを「世界一安い車」と言われたインド製の車に例えてこき下ろしてしまう。
ソーシャルメディア上でもお互いに激しい批判を繰り広げた彼らは、2012年以降、いまだに口も聞いていないと言われている。
そのHoney Singhの復帰第一作の映画"Zorawar"の挿入歌"Superman".
この時期、BadshahもHoney SinghもEDMバングラーとでも呼べるようなスタイルを標榜していた。
Honey SinghとBadshahに少し遅れて、Raftaarも人気を獲得してゆく。
彼は2013年にリリースした"WTF Mixtape"でよりヒップホップ的な方法論を提示し、コアなファンの支持を集めることに成功。
さらには、90年代から活躍するイギリスのバングラーユニットRDBのManj Musikとの共演など、独自路線を歩んでゆく。
"WTF Mixtape"からの"FU - (For You)".Manj Musikをフィーチャーして2014年に発表された"Swag Mera Desi"のリリックには、Honey Singhを批判したラインが含まれているとも言われている。
だが、Honey Singhは、Raftaarの成功も快く思わなかったようだ。
かつて自らがMafia Mundeerに誘ったRaftaarのことを「そんなやつは知らない」「一度しか会ったことがない」と切り捨ててしまう。
しかしRaftaarは抗争の加熱を望んでいなかったようで、多少の皮肉を込めつつも、Honey Singhを憎んでいるわけでは無いことを表明している。
「おそらく彼は急な成功でエゴが強くなりすぎて、自分がどこから来たのか、誰も彼を信じていなかった時に誰がそばにいたのかを忘れてしまったのだろう」
「俺に取ってMafia Mundeerはすごく思い出深いし、今でも彼をブラザーだと思っているよ」
「俺は他人の成功で不安になったりはしないね。音楽は愛やブラザーフッドやポジティヴィティの普遍的な源なんだ。憎しみや嫉妬の余地なんて無いんだよ」
RaftaarとHoney Singhの再共演はいまだに実現していないが、今ではお互いに激しく罵り合う状況ではなくなったようだ。
時期は不明だが、IkkaもおそらくはRaftaarやBadshahの脱退と近い時期に、Mafia Mundeerを離脱したようだ。
その後のIkkaは、いくつかの映画音楽などにも参加し、高いスキルを示していたものの、Honey SinghやBadshah、Raftaarほどにはセールス面での高い評価を得てはいなかった。
ところが、2019年にアメリカのラッパーNasのレーベル'Mass Appeal'のインド版として立ち上げられたMass Appeal Indiaの所属アーティストとして起用されると、レーベルメイトとなったムンバイのストリートラップの帝王DIVINEとの共演(前回の記事で紹介)や、旧友Raftaarとの久しぶりのコラボレーションなどで、本格派ラッパーとしての実力を見せつけた。
2020年にはMass Appeal Indiaからファーストアルバム"I"をリリースし、その評価を確実なものにしつつある。
その後の彼らの活躍についても触れておこう。
Honey Singhはバングラーラップとラテンポップを融合したような音楽性で大衆的な人気を維持し、今では「インドの音楽シーンで最も稼ぐ男」とまで言われている。
現時点での最新曲"Saiyaan Ji"は最近Honey Singhとの共演の多い女性シンガーNeha Kakkarをフィーチャーした現代的バングラーポップ。
この曲のリリックにもLil Goluの名前がクレジットされている。
BadshahもHoney Singh同様に、EDM/ラテン的なバングラーラップのスタイルで活動していたが、最近ではより本格的(つまり、アメリカ的)なヒップホップが徐々にインドにも根付いてきたことを意識してか、本来のヒップホップ的なビートの曲に取り組んだり、逆によりインド的な要素の強い曲をリリースしたりしている。
このミュージックビデオはデリーの近郊都市グルグラム(旧称グルガオン)出身のラッパーFotty Sevenが2020年にリリースした"Boht Tej"にゲスト参加したときのもの。
ビートにはなんと日本の『荒城の月』のメロディーが取り入れられている。
女性シンガーPayal Devと共演したこの"Genda Phool"はベンガル語の民謡を大胆にアレンジしたもので、スリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデスを起用したミュージックビデオは2020年3月にリリースされて以来、すでに7億回以上YouTubeで再生されている(2020年に世界で4番目に視聴されたミュージックビデオでもある)。
これまでの「酒・パーティー・女」的な世界観から離れて、ヒンドゥーの祭礼ドゥルガー・プージャー(とくにインド東部ベンガル地方で祝われる)をモチーフにしているのも興味深い。
「かつて両親に楽をさせるために、魂を売ってコマーシャルな曲をラップしたこともある。でも今ではそういう曲とは関連づけられたくないんだ」
こう語るRaftaarは、商業的な路線からは距離を置いて活動しているようだ。
コマーシャルなシーンの出身であることから、Emiway Bantaiらストリート系のラッパーからのディスも受けたが、デリーのベテランラッパーKR$NAと共演したり、自身のマラヤーリーとしてのルーツを扱ったアルバム"Mr. Nair"(Nairは彼の本名)をリリースしたりするなど、堅実な活動を続けている。
現時点での最新の楽曲"Black Sheep".
最近では仲間のラッパーたちと運営するKalamkaarレーベルがフランスの大手ディストリビューターと契約を結んだというニュースもあり、さらなる活躍が期待できそうだ。
Ikkaの現時点での最新のリリースは、フィーメイル・ラッパーRashmeet Kaurの楽曲にDeep Kalsiとともにゲスト参加したこの楽曲(全員パンジャービーのシンガー/ラッパー)
レゲエっぽいビートに乗せたバングラーポップのR&B風の解釈は、インドのポピュラー音楽のまた新しい可能性を期待させてくれる。
正直にいうと、Mafia Mundeerの元メンバーたち、とくにHoney SinghやBadshahに対しては、その商業的すぎる音楽性から、私もあまりいい印象を持ってなかった。
バングラー・ラップは垢抜けない音楽だと感じていたのだ。
だが、インドの音楽シーンを知ってゆくうちに、パンジャービーにとってのバングラーは、アメリカの黒人にとってのソウル・ミュージックのようなものであり、その現代的解釈は、商業主義の追求というよりも、ごく自然なものであると考えるようになった。
自らのルーツを意識しつつも、新しい音楽をためらわずに導入し、露悪的なまでに自由でワイルドに活動したという点で、彼らはまさしくパーティーミュージックとしてのヒップホップのインド的解釈を成し遂げたと言ってよいだろう。
本格的な成功とほぼ同時に解散してしまったことで、今ではMafia Mundeerという名前を聞くことも少なくなってしまったが、4人の個性的な人気ラッパーの母体となったこのユニットは、インドの現代ポピュラーミュージックを語るうえで、決して無視できない存在なのだ。
ちなみにMafia Mundeerのもう一人のオリジナルメンバーであるLil Goluは、Honey Singhと楽曲を共作したりしている一方、IkkaをまじえてRaftaarとの再会を果たした様子。
Ikkaの"I"にも参加しており、元メンバー同士の抗争からは距離を置いて、全員と良好な関係を築きつつ活動を継続しているようだ。
いつの日か、彼らが再び何者でもなかったころの絆を取り戻して、その成功に至るストーリーをボリウッド映画にでもしてくれたらよいのに、と思っている。
その夢が実現するのはまだまだ先になりそうだが、それまでに彼らがどんな音楽を聴かせてくれるのか、激変するインドのヒップホップシーンでのパイオニアたちの活動に、これからも注目したい。
(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer
http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958
https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html
https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms
https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html
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goshimasayama18 at 19:26|Permalink│Comments(0)
2021年01月31日
インド・ヒップホップ夜明け前(その2)Mafia Mundeerの物語・前編
(前回の記事)
今日のインドのメジャーヒップホップシーンを築いた立役者であるYo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikka.
インド以外での知名度は高いとは言えない彼らだが、その人気は我々の想像を大きく上回っている。
Yo Yo Honey SinghとBadshahは、パンジャーブの伝統のリズムであるバングラーとヒップホップを融合し、さらにラテンやEDMの要素を取り入れたド派手な音楽性が大いに受け、YouTubeでの動画再生回数はともに20億回をゆうに超えている。
Raftaarは、よりヒップホップ的な表現を追求してシーンの支持を集め、やはり億単位の動画再生回数を誇っている。
Ikkaは、知名度こそ他の3人には劣るが、確かなスキルを評価されて、アメリカの超有名ラッパーNasのレーベルのインド部門であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、さらなる活躍が期待されている。
この曲で、IkkaはMass Appeal Indiaのレーベルメイトでもあるムンバイのヒップホップシーンの帝王DIVINEとの共演を果たした。
このインドのメジャーヒップホップ界の大スターたちは、いずれもかつてMafia Mundeerというユニットに所属していた。
しかし、この「インドのメジャーヒップホップ梁山泊」的なグループについて、今我々が得られる情報は、決して多くはない。
その理由が、Mafia Mundeerが本格的にスターダムにのし上がる前に解散してしまったからなのか、それとも彼らにとってあまり振り返りたくない過去だからなのかは分からないが…。
いずれにしても、彼らこそが現在までつながるインドのメインストリーム・ヒップホップのスタイルを定着させた最大の功労者であることに、疑いの余地はない。
このMafia Mundeerの中心人物は、彼らの中で最年長のこの男だった。
Hirdesh Singh - 1983年3月15日、パンジャーブ州、ホシアルプル(Hoshiarpur)生まれ。
ステージネーム、Yo Yo Honey Singh.
彼はラッパーとしてのキャリアをスタートさせる前にロンドンの音楽学校Trinity Schoolに留学していたというから、かなり裕福な家庭の出身だったのだろう。
時代的に考えて、留学先のイギリスでは、2000年台前半の最も勢いがあったころのバングラー・ビートやデシ・ヒップホップを体験したはずだ。
前回の記事で書いたとおり、イギリスに渡ったパンジャーブ系移民は、90年代以降、彼らの伝統音楽バングラー(Bhangra)を最新のダンスミュージックと融合させ、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
デシ・ヒップホップ(Desi HipHop)とは、インド系(南アジア系)移民によるヒップホップを指す言葉で、移民にパンジャーブ系の人々が多かったこともあり、デシ・ヒップホップにはバングラーの要素が頻繁に取り入れられていた。(現在では、デシ・ヒップホップという言葉は、インド、パキスタン、バングラデシュなどの国内も含めた、南アジア系ヒップホップ全般を指して使われることもある)
デリーに戻ってきたHirdeshは、同じような音楽を愛する友人と、Mafia Mundeerを結成する。
その友人の名は、Aditya Prateek Singh Sisodia.
1985年、11月19日生まれ。
ハリヤーナー系の父と、パンジャーブ系の母の間にデリーで生まれた彼のステージネームは、Badshah.
'Badshah'とはペルシア語由来の「皇帝」を意味する言葉だが、おそらく英語の'Bad'が入っていることからラッパーらしい名前として選んだのだろう。
彼もまた、名門バナーラス・ヒンドゥー大学とパンジャーブ工科大学を卒業したエリートである。
数年後、Honey Singhは、同じくヒップホップを愛する"Black Wall Street Desis"という3人組のクルーに出会い、彼らにMafia Mundeer加入を呼びかけた。
彼らのリーダー格は、RaftaarことDilin Nair.
1988年11月17日生まれ。
バングラーなどのパンジャービー音楽との関わりが深いインドのメインストリーム・ヒップホップ界において、彼はパンジャーブのルーツをいっさい持たないケーララ出身のマラヤーリー(ヒンディー語やパンジャーブ語とはまったく異なる言語形態のケーララの言語マラヤーラム語を母語とする人)だ。
とはいえ、彼は学生時代を北インドのハリヤーナー州の寮でデリーやパンジャーブ州から来た仲間と過ごしていたそうで、インタビューで「自分にとってマラヤーリーなのは名字だけ」と語るほど北インド文化に馴染んでいるようだ。
もともとダンサーとしてコンテストに入賞するなど活躍していたが、やがてラッパーに転向したという経歴の持ち主でもある。
Raftaarの仲間の一人は、IkkaことAnkit Singh Patyal.
1986年11月16日生。
彼はパンジャーブの北に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州の出身で、当時はYoung Amilというステージネームを名乗っていた。
もう一人の仲間は、Lil Golu.
彼は、自身が表に出るよりも、プロデューサー的な役割を担うことが多かったようで、Yo Yo Honey Singhの"Blue Eyes", "Stardom", "One Thousand Miles"といった曲を共作している。
マハーラーシュトラ州ムンバイ出身のラージプート(ラージャスターンにルーツを持つコミュニティ)一家の出身とされており、彼のみ1990年代生まれのようだ。
Black Wall Street Desisは、自分たちでリリックを書き、曲を作ってポケットマネーでレコーディングをしたりしていたという。
多くの地名が出てきたので、ここでインドの地図を貼り付けておく。

(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Tourism_in_India_by_state)
Ikkaの故郷ヒマーチャル・プラデーシュや、Badshahの父の故郷でRaftaarが学生時代を過ごしたハリヤーナーがパンジャーブ州に隣接しているのに対し、Lil Goluが生まれたムンバイや、Raftaarのルーツであるケーララが地理的にもかなり離れた場所であることが見て取れる。
多様なバックグラウンドを持つMafia Mundeerのメンバーを結びつけたのは、ヒップホップと、そしてやはりもう一つのルーツとしてのバングラー/パンジャーブ音楽だったのだろう。
さまざまな情報を総合すると、Yo Yo Honey SinghとBadshahが出会ったのが2006年、Raftaar, Ikka, Lil Goluが加入したのが2008年のことだったようだ。
インドではまだヒップホップのリスナーもパフォーマーも少ないこの時代、デリーの街角で、5人の若者が、彼らなりのヒップホップを追求し始めた。
もちろん、まだ彼らは誰も、将来「インドのミュージックビジネスで最も稼ぐ男」と呼ばれることも、憧れのNasのレーベルと契約するようになることも想像すらしていなかったはずだ。
彼らのごく初期の楽曲を改めて聴いてみたい。
この曲ではHoney Singhはミュージックビデオには参加しているもののラップはしておらず、Bill Singhというアーティストの作品にプロデューサーとして関わったもののようだ。
もしかしたらHoney Singhがイギリス留学中に関わったものかもしれない。
音楽性はオールドスクールなバングラーとラップのフュージョン。
後ろでDJをしながら踊っているのが若き日のHoney Singhだ。
Honey SinghとBadshahが共演した"Begani Naar"は、Wikipediaによると2006年の楽曲らしい。
この時代の彼らの活動については謎が多く、楽曲のリリース年すら情報が錯綜していてウェブサイトによって異なる記述が見られる。
BadshahがCool Equal名義でRishi Singhと共演した"Soda Whiskey"は2010年の楽曲。
この頃からボリウッドのパーティーソング的な世界観に近づいてきているのが分かる。
Honey Singhが作ったトラックにBadshahのラップを乗せた"Main Aagaya"は2013年にリリースされた曲。
RaftaarとHoney Singhが共演したこの曲は、正確なタイトルすら定かではないが2010年ごろのリリースのようだ。
オールドスクールなフロウにバングラー独特のトゥンビの音色が重なってくるいかにも初期バングラー・ラップらしい楽曲。
面白いのは、彼らはつるんではいても決してMafia Mundeer名義での楽曲は発表せず、仲間同士でのコラボレーションでも名前を併記してのリリースとしていることだ。
少し後の時代にインド版ストリートラップである「ガリーラップ」のブームを巻き起こしたムンバイのDIVINEのGully Gangも同様の活動形態を取っている。
2012年にIkkaがパンジャーブ系シンガーのJSL Singhと共演した"Main Hoon Ikka".
いずれの曲もまだ拙さが目立つが、この先、彼らは加速度的に成功への道を歩んでゆく。
そして、ヒップホップへの情熱で結ばれた彼らの友情にも綻びが生まれてゆくのだが、今日はここまで!
(つづき)
(参考サイト)
https://www.shoutlo.com/articles/top-facts-about-mafia-mundeer
http://www.desihiphop.com/mafia-mundeer-underground-raftaar-yo-yo-honey-singh-badshah-lil-golu-ikka/451958
https://www.hindustantimes.com/chandigarh/punjab-is-not-on-the-cards-anymore/story-Wqt6M1lpsARdwVk3TaSSCM.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-might-call-him-a-nano-but-raftaar-still-thinks-he-is-his-bro/story-IKDAVHj7O14CAziUC8KLBK.html
https://www.hindustantimes.com/music/honey-singh-if-my-music-is-rolls-royce-badshah-is-nano/story-lWlU4baLG2poyzpOTZfDqK.html
https://timesofindia.indiatimes.com/city/kolkata/honey-badshah-and-i-still-love-each-other-raftaar/articleshow/58679645.cms
https://www.republicworld.com/entertainment-news/music/read-more-about-raftaars-first-rap-group-black-wall-street-desis.html
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goshimasayama18 at 17:52|Permalink│Comments(0)
2020年10月10日
バングラー・ポップの現在地!最新のパンジャーブ音楽シーンをチェックする
毎回インドの音楽シーンを紹介しているこのブログで、インドで絶大な人気を誇っているにも関わらず、あえて触れてこなかったジャンルがある。
それは、パンジャーブ州発祥の音楽「バングラー(Bhangra)」だ。
(一般的には「バングラ」とカナ表記されることが多いが、それだとバングラデシュと紛らわしいし、より原語に近い「バングラー」という表記で行きます)
バングラーは、1990年代以降、ヒップホップやエレクトロニック系の音楽と融合して様々に進化しており、インドの音楽シーンを語るうえで決して無視できないジャンルなのだが、あまりにもメインストリームすぎて、インディー音楽を中心に扱っているこのブログでは、正直に言うとちょっと扱いに困っていたのだ。
現代インドにおけるバングラーの位置づけを説明するためには、少し時代をさかのぼる必要がある。
インド北西部に位置するパンジャーブ州は、ターバンを巻いた姿で知られるシク教徒が数多く暮らす土地だ。

インドがイギリスに支配されていた時代、シク教徒は労働者や警官として重用され、世界中のイギリス植民地に渡って行った。(この時代の香港が舞台のジャッキー・チェン主演の映画『プロジェクトA』にターバン姿の警察官が出てくるのはそのためだ。)
パンジャーブ州の人口は約3,000万人で、インドの全人口のたったの2.2%に過ぎない。
シク教徒の人口も、全人口の1.7%でしかないのだが、こうした背景から、旧宗主国のイギリスでは、140万人にもおよぶインド系住民のうち、じつに45%をパンジャービーが占めており、その3分の2をシク教徒なのである。
つまり、パンジャーブやシクの人々は、欧米に暮らす移民との密接なコネクションを持っているのだ。
ここでようやく音楽の話が出てくるのだが、「バングラー」はもともと、パンジャーブの収穫祭で踊られていた伝統音楽だった。
海外に渡ったパンジャーブ系移民の2世、3世たちは、シンプルだが強烈なビートを持つ「バングラー」を、現地の最新のダンスミュージックと融合するようになる。
こうして生まれた新しいバングラーは、「バングラー・ビート」と呼ばれ、南アジア系ディアスポラの若者の間で絶大な人気を得た。
その人気はやがて南アジア系以外にも飛び火し、1998年にパンジャーブ系イギリス人シンガー/ラッパーのPanjabi MCがリリースした"Mundian To Bach Ke"は、Jay-Zによってリミックスされ、2003年に世界的な大ヒットを記録した。
現代的なベースやリズムが導入されているが、この曲の骨子は正真正銘のバングラー。
印象的な高音部のフレーズを奏でている弦楽器はトゥンビ(Tumbi)、祭囃子のようなシャッフルを刻んでいる打楽器はドール(Dhol)という伝統楽器だ。
バングラーの直線的なリズムは、ヒップホップやエレクトロニック系の西洋音楽との融合がしやすかったのも幸いした。
「バングラー・ビート」はインドに逆輸入されると、新しい音楽に目ざといボリウッド映画にも導入され、国内でも人気を博すようになる。
私が初めてインドを訪れた90年代後半には、"Punjabi Non-Stop Remix"みたいなタイトルのバングラービートのカセットテープ(当時のインドの主要音楽メディアはカセットテープだった)がたくさん売られていたのを覚えている。
だいたいがド派手なターバン姿の髭のオッサンがニンマリと笑っているデザインのジャケットだった。
例えばこんな感じのやつ。
世界的なバングラー・ブームはすぐに収束してしまったが、インド国内や海外のディアスポラでは、バングラー系の音楽(より歌モノっぽいパンジャービー・ポップスを含む)は、今でもポピュラー音楽のメインストリームを占めている。
(映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公がパンジャービー・ラップを聴いて「こんなものはヒップホップじゃない」と吐き捨てるシーンがあるのは、こういった背景によるものだ。)
前置きが長くなったが、そんなわけで、インドのインディー音楽に興味がある私としては、商業主義丸出しで、かつ流行遅れのイメージのあるバングラー系音楽には、あまり興味を持っていなかったのである。
我々日本人にとってさらに致命的なのは、バングラーの歌い回しが「吉幾三っぽい」ということだ。
先ほどの"Mundian To Bach Ke"でもお分かりいただけたと思うが、バングラーのこぶしの効いた歌い回しはまるで演歌のようで、かつパンジャービー語の独特のイントネーションは東北弁を彷彿とさせる。
演歌+東北弁ということは、つまり吉幾三である。
演歌ファンと東北出身の方には大変申し訳ないのだが、そんなわけで、インディーロックやヒップホップ好きの感覚からすると、バングラーはどこか垢抜けないのだ。
(ちなみにパンジャーブ人から見ても、演歌は親しみを感じる音楽のようで、インド出身の演歌歌手として一世を風靡した「チャダ」はパンジャーブ系のシク教徒である。彼はミカン作りを学びにきた日本で演歌に出会い、惚れ込んで歌手になったという。)
そんなバングラーについて考え直すきっかけになったのは、パンジャーブ州の州都チャンディーガル出身のヒップホップユニット、Kru172だった。
彼らはラッパーとしてだけではなく、ビートメーカーとしても活躍しており、パンジャーブを遠く離れたムンバイのフィーメイルラッパー、Dee MCにもビートを提供している。
そんなヒップホップシーンで大活躍中の彼らが、なんと昨年"Back In The Dayz"というタイトルのバングラーのアルバムをリリースしていたのである。
アルバムのイントロ(Desi-HipHop創成期から活躍しているUKのパンジャービー系フィーメイルラッパーHard Kaurによる語り!)に続いて始まるのは、正真正銘のバングラー・サウンド!
静かに期待感をあおるクラブミュージック風のイントロに、トゥンビのサウンドがパンジャーブの風を運んでくる。
ところが、いざ本編が始まってみると、この歌い回し、このリズム、ヒップホップらしさのかけらもない、ど真ん中のバングラー・ポップだ!
コアなヒップホップヘッズと思われていた彼らが、こんなアルバムを出すなんて!
イントロの語りからも、アルバムタイトルからも、この作品は彼らがかつて聴いていた音楽への懐かしさを込めて作ったものであることがわかる。
そう、パンジャーブの人々にとって、バングラーは商業主義のメインストリームでも、垢抜けないダサい音楽でもなく、今でも「自分たちの音楽」なのだ。
というわけで、自分の勝手な先入観を恥じつつ、現代のバングラー・シーン、パンジャービー・ポップシーンがどうなっているのか、調べてみました!
YouTubeやSpotifyで調べてみたところ、現代のバングラーには、いまだに旧態依然としたものもあれば、垢抜けすぎてもはやどこにもバングラーの要素が無いものまでいろいろなタイプな曲があったのだが、今回は、適度に垢抜けつつも、バングラーっぽさ、パンジャービーっぽさを残したものを中心に紹介する。
まずは、パンジャーブのシンガーソングライターのSukh-E Muzical Doctorzが昨年リリースした"Wah Wai Wahh"という曲を聴いてもらおう。
インドらしさを全く感じさせないクールなギターのイントロに、いかにもパンジャービーなヴォーカルが入ると空気が一変する。
曲が進むにつれて、現代風にアレンジされたバングラーのリズムや、トゥンビ風のフレーズが加わるたびに少しずつパンジャーブ成分が強くなってゆくが、曲全体の感触はあくまでスムース。
濃くてアクの強いバングラーのイメージを覆すさわやかなパンジャービー・ポップだ。
(パンジャービー系のミュージックビデオは、色彩やダンスなど、出演者の「圧」が非常に強いことが多いので、映像に引っ張られそうになったら目を閉じて聴いてみることをおすすめする)
Sukh-E Muzical Doctorz(単にSukh-Eの名前でも活動している)は、現代パンジャービー/バングラーを代表するアーティストの一人で、この"Bamb"ではパンジャーブ出身の大人気ラッパーBadshahをフィーチャーしている。
Badshahはバングラー・ビート系の音楽出身のラッパーで、EDMなどを導入したスタイルで全国区の人気を誇るラッパーだ。(いわゆるストリート系のヒップホップ・アーティストとは異なるメインストリームのラッパー)
リズムやフレーズなど、どことなくラテン系ポップスにも似た雰囲気を持った曲。
以前も書いたことがあるが、インドのポピュラーミュージックのラテン化は非常に興味深い現象だ。
続いては、The Doorbeen Ft. Raginiによる2018年のリリース、"Lamberghini".
この曲は、なんとYouTubeで4億回以上の再生回数を叩き出している。
The Doorbeenは、デリーとパンジャーブ州のちょうど中間あたりに位置するハリヤーナー州Karnal出身のパンジャービー・ポップデュオ。
この曲はインドの結婚式のダンスパーティーの定番ソングとなったそうで、ランヴィール・シンとディーピカー・パードゥコーンのボリウッド大スターカップルもこの曲に合わせて踊ったという。
女性ヴォーカルの独特の歌い回しがかろうじてパンジャービーっぽさを残してはいるものの、EDMポップ的なリズム、洋楽的な男性ヴォーカル、そしてラップといった要素は非常に現代的。
土着的な要素を残しつつ、モダンな要素を非常にうまく導入している最近のパンジャービー・ポップの特徴がよくわかる1曲。
タイトルはもちろんミュージックビデオにも出てくるあのイタリア製のスポーツカーのこと。
ランボルギーニはアメリカのヒップホップのリリックにもよく登場することが知られている。
「スーパーカー」の代表格として、富を象徴する扱いなのだが、パンジャービー・ポップにもヒップホップ・カルチャーの影響があったのかどうか、興味深いところである。
EDMとパンジャービー・ポップの融合がうまいアーティストといえば、Guru Randhawa.
彼は映画音楽を手がけることが多いまさにメジャーシーンのど真ん中の存在。
この曲は映画"Street Dancer"でフィーチャーされていたものだ。
彼は他にも『ヒンディー・ミディアム』や『サーホー』といった日本でも公開されたヒンディー語映画の曲を手掛けていたので、インド映画ファンで耳にしたことがある人も多いはずだ。
ここまで、非常に欧米ポップス寄りの曲を紹介してきたが、もっとプリミティブなバングラーらしさを残した曲もある。
例えばDiljit Dosanjhの"Muchh"は、ドールのビートとハルモニウムが古典的な要素を強く感じさせるが、リズムの感触は非常に現代的。
最初に紹介したPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"と聴き比べてみてほしい。
このミュージックビデオからも、USのヒップホップ的な成金志向が見て取れる。
それにしてもガタイのいいシク教徒の男性はスーツ姿が映える。
ターバンとのコーディネートもかっこいい。
今回紹介したミュージックビデオは、いずれもYouTubeで6,000万ビューを超える再生回数を叩き出しており、バングラー/パンジャービー・ポップのメインストリームっぷりを改めて思い知らされた。
また、このジャンルのミュージシャンにとって、ボリウッド映画に採用されるということがひとつのゴールになっているようで、The Doorbeenについて書かれた記事では、わざわざ「彼らはまだボリウッドのオファーを受けていないが…」という但し書きがされていたのも印象に残った。
(その後、彼らの"Lamberghini"は、その後2020年に公開された映画"Jai Mummy Di"の挿入歌として、本家と同じ綴りの"Lamborghini"というタイトルで、若干のアレンジを加えた形で使われ、無事ボリウッドデビューを果たしている。映画版の楽曲はMeet Brothersという別のパンジャーブ系プロデューサーの曲としてクレジットされているのが気になっているのだが…)
バングラー/パンジャービー系のミュージックビデオが、アメリカのヒップホップ同様に、「経済的成功」を重要なテーマにしているということも非常に興味深い。
(ミュージックビデオでやたらとパーティーをしていることも共通している)
インドの大ベストセラー作家、Chetan Bhagatの"2 States"(映画化もされている)はパンジャーブ人男性とタミル人女性の国内異文化ラブストーリーだが、この自伝的小説によると、パンジャーブ人は、金銭的な成功を誇示したり、パーティーで騒ぐことが大好きなようで、教養の深さや控えめな態度を好むタミル系ブラーミン(バラモン)とは対称的なカルチャーの持ち主として描かれている。
そう考えると、インド国産ヒップホップの第一世代であるYo Yo Honey Singhらのパンジャーブ系ラッパーたちが、アフリカ系アメリカ人の拝金主義的な部分をほぼそのままトレースしたことも納得できる。
そうした姿勢は、インド国内でも、より社会的なテーマを扱う第二世代以降のラッパーたちによって批判されるわけだが、それは音楽カルチャーの違いではなく、むしろ民族文化の違いよるところが大きかったのかもしれない。
今回改めてバングラー/パンジャービー・ポップを聴いてみて、さまざまな音楽を吸収する貪欲と柔軟さ、それでも芯の部分を残すかたくなさ、そしてどこまでもポジティブなヴァイブを再認識することとなった。
いつも書いているように、こうしたジャンルとは距離を置いたインドのインディー音楽も急成長を遂げているのだが、メインストリームもまた揺るぎない進歩を続けている。
メジャーとインディペンデント、インドのそれぞれのシーンの面白さは本当に尽きることがない。
インド国内の現代的なバングラーやパンジャービー・ポップがチェックしたければ、Speed Records, Geet MP3, 10 on 10 Records, White Hill Musicといったレーベルをチェックすると最新のサウンドが聴けるはずだ。
参考記事:
https://mumbaimirror.indiatimes.com/others/sunday-read/love-and-lamberghini/articleshow/67402308.cms
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それは、パンジャーブ州発祥の音楽「バングラー(Bhangra)」だ。
(一般的には「バングラ」とカナ表記されることが多いが、それだとバングラデシュと紛らわしいし、より原語に近い「バングラー」という表記で行きます)
バングラーは、1990年代以降、ヒップホップやエレクトロニック系の音楽と融合して様々に進化しており、インドの音楽シーンを語るうえで決して無視できないジャンルなのだが、あまりにもメインストリームすぎて、インディー音楽を中心に扱っているこのブログでは、正直に言うとちょっと扱いに困っていたのだ。
現代インドにおけるバングラーの位置づけを説明するためには、少し時代をさかのぼる必要がある。
インド北西部に位置するパンジャーブ州は、ターバンを巻いた姿で知られるシク教徒が数多く暮らす土地だ。

インドがイギリスに支配されていた時代、シク教徒は労働者や警官として重用され、世界中のイギリス植民地に渡って行った。(この時代の香港が舞台のジャッキー・チェン主演の映画『プロジェクトA』にターバン姿の警察官が出てくるのはそのためだ。)
1947年にインド・パキスタンがイギリスから分離独立した後も、血縁や地縁を頼って多くのパンジャービー(パンジャーブ人)たちがイギリス、カナダ、アメリカ西海岸などに渡り、海外のパンジャーブ系コミュニティは拡大の一途を辿った。
パンジャーブ州の人口は約3,000万人で、インドの全人口のたったの2.2%に過ぎない。
シク教徒の人口も、全人口の1.7%でしかないのだが、こうした背景から、旧宗主国のイギリスでは、140万人にもおよぶインド系住民のうち、じつに45%をパンジャービーが占めており、その3分の2をシク教徒なのである。
つまり、パンジャーブやシクの人々は、欧米に暮らす移民との密接なコネクションを持っているのだ。
ここでようやく音楽の話が出てくるのだが、「バングラー」はもともと、パンジャーブの収穫祭で踊られていた伝統音楽だった。
海外に渡ったパンジャーブ系移民の2世、3世たちは、シンプルだが強烈なビートを持つ「バングラー」を、現地の最新のダンスミュージックと融合するようになる。
こうして生まれた新しいバングラーは、「バングラー・ビート」と呼ばれ、南アジア系ディアスポラの若者の間で絶大な人気を得た。
その人気はやがて南アジア系以外にも飛び火し、1998年にパンジャーブ系イギリス人シンガー/ラッパーのPanjabi MCがリリースした"Mundian To Bach Ke"は、Jay-Zによってリミックスされ、2003年に世界的な大ヒットを記録した。
現代的なベースやリズムが導入されているが、この曲の骨子は正真正銘のバングラー。
印象的な高音部のフレーズを奏でている弦楽器はトゥンビ(Tumbi)、祭囃子のようなシャッフルを刻んでいる打楽器はドール(Dhol)という伝統楽器だ。
バングラーの直線的なリズムは、ヒップホップやエレクトロニック系の西洋音楽との融合がしやすかったのも幸いした。
「バングラー・ビート」はインドに逆輸入されると、新しい音楽に目ざといボリウッド映画にも導入され、国内でも人気を博すようになる。
私が初めてインドを訪れた90年代後半には、"Punjabi Non-Stop Remix"みたいなタイトルのバングラービートのカセットテープ(当時のインドの主要音楽メディアはカセットテープだった)がたくさん売られていたのを覚えている。
だいたいがド派手なターバン姿の髭のオッサンがニンマリと笑っているデザインのジャケットだった。
例えばこんな感じのやつ。
世界的なバングラー・ブームはすぐに収束してしまったが、インド国内や海外のディアスポラでは、バングラー系の音楽(より歌モノっぽいパンジャービー・ポップスを含む)は、今でもポピュラー音楽のメインストリームを占めている。
(映画『ガリーボーイ』の冒頭で、主人公がパンジャービー・ラップを聴いて「こんなものはヒップホップじゃない」と吐き捨てるシーンがあるのは、こういった背景によるものだ。)
前置きが長くなったが、そんなわけで、インドのインディー音楽に興味がある私としては、商業主義丸出しで、かつ流行遅れのイメージのあるバングラー系音楽には、あまり興味を持っていなかったのである。
我々日本人にとってさらに致命的なのは、バングラーの歌い回しが「吉幾三っぽい」ということだ。
先ほどの"Mundian To Bach Ke"でもお分かりいただけたと思うが、バングラーのこぶしの効いた歌い回しはまるで演歌のようで、かつパンジャービー語の独特のイントネーションは東北弁を彷彿とさせる。
演歌+東北弁ということは、つまり吉幾三である。
演歌ファンと東北出身の方には大変申し訳ないのだが、そんなわけで、インディーロックやヒップホップ好きの感覚からすると、バングラーはどこか垢抜けないのだ。
(ちなみにパンジャーブ人から見ても、演歌は親しみを感じる音楽のようで、インド出身の演歌歌手として一世を風靡した「チャダ」はパンジャーブ系のシク教徒である。彼はミカン作りを学びにきた日本で演歌に出会い、惚れ込んで歌手になったという。)
そんなバングラーについて考え直すきっかけになったのは、パンジャーブ州の州都チャンディーガル出身のヒップホップユニット、Kru172だった。
彼らはラッパーとしてだけではなく、ビートメーカーとしても活躍しており、パンジャーブを遠く離れたムンバイのフィーメイルラッパー、Dee MCにもビートを提供している。
そんなヒップホップシーンで大活躍中の彼らが、なんと昨年"Back In The Dayz"というタイトルのバングラーのアルバムをリリースしていたのである。
アルバムのイントロ(Desi-HipHop創成期から活躍しているUKのパンジャービー系フィーメイルラッパーHard Kaurによる語り!)に続いて始まるのは、正真正銘のバングラー・サウンド!
静かに期待感をあおるクラブミュージック風のイントロに、トゥンビのサウンドがパンジャーブの風を運んでくる。
ところが、いざ本編が始まってみると、この歌い回し、このリズム、ヒップホップらしさのかけらもない、ど真ん中のバングラー・ポップだ!
コアなヒップホップヘッズと思われていた彼らが、こんなアルバムを出すなんて!
イントロの語りからも、アルバムタイトルからも、この作品は彼らがかつて聴いていた音楽への懐かしさを込めて作ったものであることがわかる。
そう、パンジャーブの人々にとって、バングラーは商業主義のメインストリームでも、垢抜けないダサい音楽でもなく、今でも「自分たちの音楽」なのだ。
というわけで、自分の勝手な先入観を恥じつつ、現代のバングラー・シーン、パンジャービー・ポップシーンがどうなっているのか、調べてみました!
YouTubeやSpotifyで調べてみたところ、現代のバングラーには、いまだに旧態依然としたものもあれば、垢抜けすぎてもはやどこにもバングラーの要素が無いものまでいろいろなタイプな曲があったのだが、今回は、適度に垢抜けつつも、バングラーっぽさ、パンジャービーっぽさを残したものを中心に紹介する。
まずは、パンジャーブのシンガーソングライターのSukh-E Muzical Doctorzが昨年リリースした"Wah Wai Wahh"という曲を聴いてもらおう。
インドらしさを全く感じさせないクールなギターのイントロに、いかにもパンジャービーなヴォーカルが入ると空気が一変する。
曲が進むにつれて、現代風にアレンジされたバングラーのリズムや、トゥンビ風のフレーズが加わるたびに少しずつパンジャーブ成分が強くなってゆくが、曲全体の感触はあくまでスムース。
濃くてアクの強いバングラーのイメージを覆すさわやかなパンジャービー・ポップだ。
(パンジャービー系のミュージックビデオは、色彩やダンスなど、出演者の「圧」が非常に強いことが多いので、映像に引っ張られそうになったら目を閉じて聴いてみることをおすすめする)
Sukh-E Muzical Doctorz(単にSukh-Eの名前でも活動している)は、現代パンジャービー/バングラーを代表するアーティストの一人で、この"Bamb"ではパンジャーブ出身の大人気ラッパーBadshahをフィーチャーしている。
Badshahはバングラー・ビート系の音楽出身のラッパーで、EDMなどを導入したスタイルで全国区の人気を誇るラッパーだ。(いわゆるストリート系のヒップホップ・アーティストとは異なるメインストリームのラッパー)
リズムやフレーズなど、どことなくラテン系ポップスにも似た雰囲気を持った曲。
以前も書いたことがあるが、インドのポピュラーミュージックのラテン化は非常に興味深い現象だ。
続いては、The Doorbeen Ft. Raginiによる2018年のリリース、"Lamberghini".
この曲は、なんとYouTubeで4億回以上の再生回数を叩き出している。
The Doorbeenは、デリーとパンジャーブ州のちょうど中間あたりに位置するハリヤーナー州Karnal出身のパンジャービー・ポップデュオ。
この曲はインドの結婚式のダンスパーティーの定番ソングとなったそうで、ランヴィール・シンとディーピカー・パードゥコーンのボリウッド大スターカップルもこの曲に合わせて踊ったという。
女性ヴォーカルの独特の歌い回しがかろうじてパンジャービーっぽさを残してはいるものの、EDMポップ的なリズム、洋楽的な男性ヴォーカル、そしてラップといった要素は非常に現代的。
土着的な要素を残しつつ、モダンな要素を非常にうまく導入している最近のパンジャービー・ポップの特徴がよくわかる1曲。
タイトルはもちろんミュージックビデオにも出てくるあのイタリア製のスポーツカーのこと。
ランボルギーニはアメリカのヒップホップのリリックにもよく登場することが知られている。
「スーパーカー」の代表格として、富を象徴する扱いなのだが、パンジャービー・ポップにもヒップホップ・カルチャーの影響があったのかどうか、興味深いところである。
EDMとパンジャービー・ポップの融合がうまいアーティストといえば、Guru Randhawa.
彼は映画音楽を手がけることが多いまさにメジャーシーンのど真ん中の存在。
この曲は映画"Street Dancer"でフィーチャーされていたものだ。
彼は他にも『ヒンディー・ミディアム』や『サーホー』といった日本でも公開されたヒンディー語映画の曲を手掛けていたので、インド映画ファンで耳にしたことがある人も多いはずだ。
ここまで、非常に欧米ポップス寄りの曲を紹介してきたが、もっとプリミティブなバングラーらしさを残した曲もある。
例えばDiljit Dosanjhの"Muchh"は、ドールのビートとハルモニウムが古典的な要素を強く感じさせるが、リズムの感触は非常に現代的。
最初に紹介したPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"と聴き比べてみてほしい。
このミュージックビデオからも、USのヒップホップ的な成金志向が見て取れる。
それにしてもガタイのいいシク教徒の男性はスーツ姿が映える。
ターバンとのコーディネートもかっこいい。
今回紹介したミュージックビデオは、いずれもYouTubeで6,000万ビューを超える再生回数を叩き出しており、バングラー/パンジャービー・ポップのメインストリームっぷりを改めて思い知らされた。
また、このジャンルのミュージシャンにとって、ボリウッド映画に採用されるということがひとつのゴールになっているようで、The Doorbeenについて書かれた記事では、わざわざ「彼らはまだボリウッドのオファーを受けていないが…」という但し書きがされていたのも印象に残った。
(その後、彼らの"Lamberghini"は、その後2020年に公開された映画"Jai Mummy Di"の挿入歌として、本家と同じ綴りの"Lamborghini"というタイトルで、若干のアレンジを加えた形で使われ、無事ボリウッドデビューを果たしている。映画版の楽曲はMeet Brothersという別のパンジャーブ系プロデューサーの曲としてクレジットされているのが気になっているのだが…)
バングラー/パンジャービー系のミュージックビデオが、アメリカのヒップホップ同様に、「経済的成功」を重要なテーマにしているということも非常に興味深い。
(ミュージックビデオでやたらとパーティーをしていることも共通している)
インドの大ベストセラー作家、Chetan Bhagatの"2 States"(映画化もされている)はパンジャーブ人男性とタミル人女性の国内異文化ラブストーリーだが、この自伝的小説によると、パンジャーブ人は、金銭的な成功を誇示したり、パーティーで騒ぐことが大好きなようで、教養の深さや控えめな態度を好むタミル系ブラーミン(バラモン)とは対称的なカルチャーの持ち主として描かれている。
そう考えると、インド国産ヒップホップの第一世代であるYo Yo Honey Singhらのパンジャーブ系ラッパーたちが、アフリカ系アメリカ人の拝金主義的な部分をほぼそのままトレースしたことも納得できる。
そうした姿勢は、インド国内でも、より社会的なテーマを扱う第二世代以降のラッパーたちによって批判されるわけだが、それは音楽カルチャーの違いではなく、むしろ民族文化の違いよるところが大きかったのかもしれない。
今回改めてバングラー/パンジャービー・ポップを聴いてみて、さまざまな音楽を吸収する貪欲と柔軟さ、それでも芯の部分を残すかたくなさ、そしてどこまでもポジティブなヴァイブを再認識することとなった。
いつも書いているように、こうしたジャンルとは距離を置いたインドのインディー音楽も急成長を遂げているのだが、メインストリームもまた揺るぎない進歩を続けている。
メジャーとインディペンデント、インドのそれぞれのシーンの面白さは本当に尽きることがない。
インド国内の現代的なバングラーやパンジャービー・ポップがチェックしたければ、Speed Records, Geet MP3, 10 on 10 Records, White Hill Musicといったレーベルをチェックすると最新のサウンドが聴けるはずだ。
参考記事:
https://mumbaimirror.indiatimes.com/others/sunday-read/love-and-lamberghini/articleshow/67402308.cms
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