BabaSehgal

2019年06月12日

私的大発見!インドと吉幾三、そして北インド言語と演歌、レゲエの関係とは?

きっかけは、インド人の友人のこのツイートだった。

 
 Perfumeファンの彼が、彼女たちのSpending All My Timeと吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」のマッシュアップを聴いて「これ原曲なに?インドの曲じゃないみたいだけど、すごくインドっぽい」とつぶやいていたのを読んで、思わず感動してしまった。

なんで吉幾三なんか(失礼)で感動しているかというと、私はかねがね、ある種のインドの歌について「まるで吉幾三みたいだ!」と思っていたからなのだ。
例えば、インド最初のラッパーであるBaba Sehgalのこの曲。

思いの外かっこいいイントロに「どこが吉幾三?」と思った方も、歌が始まった瞬間にずっこけたはずだ。
これ、完全に幾三だろう。
現在はすっかり洗練されてきたインドのヒップホップだが、始まった当時は完全に吉幾三だったのだ。
(詳しくはこちらに書いています。「早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他」
インドのヒップホップ史において、最初のラッパーがこのBaba Sehgalだということは、日本の音楽史上最初のラップのヒット曲が吉幾三「俺ら東京さ行くだ」であったことと同じくらい、無かったことにしたい歴史だろう。

吉幾三っぽく聞こえる楽曲はこれだけにとどまらない。
Jay Zによるリミックスが世界的に大ヒットしたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"も、冷静に聴くとかなりの幾三っぷりである。

そう、インドの音楽、とくに、ここに紹介したような90年代頃のラップ調のバングラーに関しては、じつはかなり吉幾三っぽく聞こえるものが多いのである。
私がそれらの音楽を「吉幾三っぽいなあ」と思っていたところに、インド人の友人が吉幾三を聴いて「なんだかインドの音楽みたい」とつぶやいたのだから、これに感動しないわけがないだろう。

バングラーは、インド北西部、パンジャーブ州が発祥の音楽だ。
パンジャーブ州からは、イギリスに移民として渡った人々が多く、伝統音楽だったバングラーはそこで当時最先端のダンスミュージックと融合し、インドに逆輸入されて、インド全体で大人気となった。
我々にとっては吉幾三っぽく聴こえる音楽だが、当時のインドでは、伝統と最先端の理想的な融合だったのだろう。

さて、ここでもうひとつの大発見をしてしまった。
吉幾三といえば演歌歌手だが、インドと演歌といえば、まっ先に思い浮かぶのが、チャダ。

インドの知識がある方はきっともうお気づきだと思うが、ターバン姿が印象的なチャダは、シク教徒だ。
そして、シク教のルーツは、パンジャーブ州。
そう、彼もまた、出身こそニューデリーだが、パンジャーブの人なのである。
チャダことSarbjit Singh Chadhaは、16歳でミカンの栽培技術を学ぶために来日し、日本で耳にした演歌に惚れ込んで演歌歌手になったという。

パンジャーブの音楽と演歌が似ていると発見して驚いていたら、なんとパンジャーブの人間がとっくの昔に演歌歌手になっていた!
パンジャーブと日本、バングラーと演歌。
お互いに何も文化的な影響を及ぼしていないはずなのに、この不思議な相似はいったい何なのだろうか。

外国人演歌歌手としては、米国系黒人であるジェロも有名だが、彼の場合、幼い頃から母方の祖母に演歌を聴かされて育ったというバックグラウンドがある。
それに対して、16歳で来日するまで演歌を聴いたこともなかったはずのチャダが、演歌の独特の歌い回しに魅力を感じ、そしてそれを(北島三郎への師事があったにせよ)完璧にマスターしているということは、やはりパンジャーブの音楽文化と演歌には、相通じる何かがあるのだ。

さらに、Youtubeで関連動画を探していたら、この5月に行われた「マハトマ・ガンディー生誕150周年記念 インド祭in十日町」で吉幾三の「酒よ」を歌うチャダを発見!

吉幾三、バングラー、パンジャーブ、演歌。
これで全てが繋がった!
酒など決して口にしないであろうガンディーが、自身の生誕150年祭で歌われる「酒よ」を聴いてどう思うのか分からないが、インド国旗に描かれた法輪のごとく、とにかくこれでパンジャーブ文化と吉幾三がひとつの円環となったのである。(自分でも何を言っているのかよくわからないが)

ここで改めて注目したいのは、吉幾三とバングラーの、メロディーや発声方法ではなく、歌の節回しだ。
みなさんも、「俺ら東京さ行くだ」の、東北訛りをカリカチュアしたような歌い回しと、バングラーの歌い回しの、微妙に音程を外したり、うわずらせたりする部分がとてもよく似ているということに気がついただろう。
北インドの言語であるヒンディー語やパンジャービー語は、歌ではなく会話でも、その言語の響きそのものが、東北弁や茨城弁っぽく聞こえることがある。
こうした言語固有のイントネーションそのものが、歌われる音楽を田舎くさい(失礼)演歌っぽく聴こえさせているのではないだろうか。

同じ北インドの音楽でも、例えば古典音楽のヒンドゥスターニーの場合、インド独特の音階(ラーガ)や、技巧的な節回しが前面に出るため、決して演歌っぽくは聞こえないのだが、よりシンプルなスタイルであるバングラーとなると、ヒンディー語やパンジャービー語の語感が強く出てしまい、途端に演歌っぽくなってしまうのだ。

ここからは極めて個人的な話になるが、私は10代最後の歳にインドを一人旅して以来、インドという国やその文化に大いに興味を持ってきた。
であるにもかかわらず、他の多くのインド好きたちが惹かれているのに、私がいっこうに魅力を感じられなかったものがある。
それは何かと言うと、映画音楽だ。

例えば、先日、「Aashiqui 2」という映画のDVDを見たのだが、インドでは大変高い評価を得たというその音楽を聴いても、私は「なんか演歌みたいだな」という以上の感想を抱くことができなかった。(ちなみにこの曲です)
 
メロディーラインのせいもあるが、ヒンディー語で西洋音階のシンプルな旋律を歌うと、その歌い回しのせいで、どうしても演歌っぽく聴こえてしまう。
何が言いたいかというと、若い頃ロック好きだった自分が、インドの映画音楽をどうも好きになれないのは、非ロック的な大仰なアレンジのせいだけではなく、どうやらこの「演歌っぽさ」にも理由があったようだということだ。
私なんかの世代のだと(40代)、ロック好きは深層心理に「演歌は旧弊な価値観を象徴する音楽で、自由を標榜するロックとは相容れないダサいもの!」みたいな意識がこびりついている。
その意識が、どことなく演歌っぽいボリウッド(ヒンディー語)映画音楽を敬遠させていたのだ。

ちなみに最近では、ロックなどのジャンルではヒンディー語であっても、英語的なメロディーや言葉の当て方が十分に確立され、演歌らしさを全く感じさせない楽曲がたくさんある。
例えば、ヒンディー語で歌うポストロックバンドAsweekeepsearchingの音楽を聴いて演歌っぽいと思う人はいないはずだ。

ここでさらに話が飛躍するのだが、ヒンディー語やパンジャービー語が持つ東北弁や茨城弁っぽさは、彼らが英語を話す時にも引き継がれる。
北インドの人々が話す英語は、やっぱり東北弁や茨城弁っぽく聞こえるのだ。

で、東北弁や茨城弁ぽい英語がどう聞こえるかというと、なんとジャマイカン訛りっぽくなるのである!
実際は、ジャマイカ人が話すいわゆる「パトワ語」とインド訛りの英語のイントネーションは全く異なるものなのだが、ネイティブ言語の訛りを色濃く残す北インド人の英語は、レゲエに乗せてラップするトースティング(っていうの?レゲエには詳しくないのだけど)に、結果的にそっくりなってしまっているのだ。

例えば、こちらも90年代に大ヒットしたインド系イギリス人のレゲエ歌手、Apache Indianの"Boom Shak-A-Lack".


最近の楽曲では、デリーのレゲエバンド、Reggae RajahsのメンバーGeneral Zoozによる"Industry".


どこまでがレゲエに寄せていて、どこまでがヒンディー訛りなのか分からないこのニュアンス、お分かり頂けるだろうか。

言語の特徴と音楽の話で言えば、もうひとつ気になっているのが、最近のヒンディー語/パンジャービー語のポップスが、現代のラテン音楽、具体的にはレゲトンに近づいてきているということ。
例えばこんな感じに。
パンジャービーの商業的バングララッパー、Yo Yo Honey Singhの"Makhna".

 
さらには、スペイン語を導入したこんな曲もある。Badal feat. Dr.Zeus, Raja Kumari "Vamos".

音楽やスタイルにおける現代インドとラテン系の相似については、かつてこちらの記事に書いたので、興味のある方はぜひご一読を。(「ソカ、レゲトン…、ラテン化するインドポップス」

レゲトンはスペイン語圏であるプエルトリコ発祥の音楽だが、ヒンディー語話者の英語の訛り方は、じつはスペイン語話者の訛りと瓜二つなんである。
「-er」や「-ar」で終わる単語の'r'をはっきりと発音するとか、sの子音から始まる単語を話すときに、頭にエがついてしまう(例えばスクール'school'がエスクール'eschool'になってしまう)など、特徴的なところがことごとく似ているのだ。
同じ傾向の英語の訛りを持つ二つの言語圏が、同じようなスタイルの音楽を好む傾向がある。
これは単なる偶然なのだろうか。

さて、レゲエやラテンに少し脱線したが、ここまでヒンディー語/パンジャービー語圏のバングラーが吉幾三的な演歌にそっくりという話を書いてきた。
これも以前書いたネタだが、もうちょっと歌謡曲テイストの演歌にそっくりなのが、ゴアの古いポップスだ。
「まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!」


ゴアで話されているコンカニ語も、ヒンディー語やパンジャービー語と同じインド・アーリア語派の言語。
ひょっとしたら、北インド系の言語を話す地方に、まだ知らぬ演歌っぽい音楽が他にもあるのかもしれない。
もし時間とお金が無限にあるなら、インド中を放浪しながら地元の人に演歌を聞かせて、「これに似た音楽を知らないか」と尋ねて回るのも面白そうだ。
きっとまだ見ぬ「演歌っぽいインド音楽」が見つけられるに違いない。
(いったいそれに何の意味があるのか自分でも分からないが)

というわけで、今回は、音楽史的もしくは 言語学的な裏付けの一切ない、北インド諸語と演歌やレゲエの類似点についてのたわごとをお届けしました。



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goshimasayama18 at 22:58|PermalinkComments(0)

2019年03月01日

早すぎたインド系ラッパーたち アジアのPublic Enemyとインドの吉幾三、他

先日の記事で、南アジア系移民たちによるDesi hiphopを起点としたインドのヒップホップシーンの歴史について書いてみたが、Desi hiphop以前にも南アジア系のラッパーがいなかったわけではない。

まずイギリスに目を向けると、パキスタン系イギリス人Aki Nawazを中心に1991年に結成されたFun-Da-Mentalというグループがいる。
彼らは1992年に"Janaam", "Gandhi's Revenge"の2枚のシングルをリリースしてシーンに登場した。
Desi hiphopの第一人者といわれるBohemiaのデビューが2002年だから、彼よりも10年も早かったということになる。

中心人物のAkiは、Fun-Da-Mental結成以前、のちのゴシックロックバンドThe Cult(念のため書くと、イアン・アストベリーのあのThe Cultだ!) の前身Southern Death Cultのドラマーを務めていたというから、Queenのフレディ・マーキュリーのように、南アジア系移民の中でも若い頃からロックに親しんだ暮らしを送っていたのだろう。
しかし、その後の活動は、南アジア系のルーツから距離を置いてブリティッシュ・ハードロックの道に進んだフレディとは大きく異なっている。

Fun-Da-Mentalは、アメリカの急進的な黒人運動ブラック・パンサーの影響を受けた反人種差別や、イスラームの擁護、反アメリカ主義をテーマにラップする非常に政治的・社会的なバンドで、そうした姿勢から、アメリカの政治的ヒップホップユニットになぞらえて、'Asian Public Enemy'とも呼ばれた。

1994年のファーストアルバムのタイトルトラック"Seize the Time".

今聴くとちょっととっちらかった印象だが、伝統音楽のサンプリングという後年の南アジア系ヒップホップのスタイルがこの時点ですでに確立されていることが分かる。

1998年にリリースされたアルバム"Erotic Terrorism"からの"Ja Sha Taan"はカッワーリーとヒップホップとロックの融合!貴重なライブ映像を見つけた。
 

彼らに続くUKの南アジア系政治的ラップ・バンドとしては、よりダンサブルで音楽的ミクスチャーを進めたAsian Dub Foundation(1995年デビュー)が日本でも人気だが、だんだんヒップホップから離れてくるので今回は割愛。
この系統のアーティストは、その強すぎる政治性からか、その後大きな潮流とはなっていないようだが、南アジア系の音楽と社会運動が結びついた初期の例としても大きな意味があるように思う。


さて、本国インドはどうかというと、こちらもまた強烈なアーティストがいる。
Fun-Da-Mentalよりもさらに早い1990年にデビューしたBaba Sehgal(本名Harjeet Singh Sehgal)は、ウッタル・プラデーシュ州ラクナウ出身の「インドで最初のラッパー」とも「最初のヒンディー・ラッパー」とも言われるアーティストだ。
インド本国でバングラー系ラップが流行しだすのが2010年頃からであることを考えると、いかに彼が早かったかが分かるだろう。

彼は在英インド系レゲエ・アーティストのApache Indianの影響で音楽活動を開始したというが、後進的というか保守的なウッタル・プラデーシュでどうやって海外の音楽に触れたのかとか、機材の使い方や音楽の作り方をどう学んだのかとか、そのキャリアの初期にはよくわからない部分が多い。
そもそも、Apache Indianに影響を受けて音楽を始めたと言っているのに、そのApache Indianと同じ年にデビューしているのも解せない。
名前を見ると彼もまたパンジャーブ系のようなので(Apache Indianもだ)、移民と本国とをつなぐパンジャーブ・コネクションがあって、彼に誰よりも早く最先端の音楽をもたらしたのだろうか。

とにかく、彼は大学卒業後、デリーで電気技師として働きながら本格的に音楽活動を始めた。
1990年にリリースした"Dilruba"、1991年にリリースした"Alibaba"が思うようにヒットしなかった彼は、一念発起してムンバイに拠点を移すと、1992年にリリースしたサードアルバムの"Thanda Thanda Pani"が大ヒット。
一躍スターとなった彼だが、当時はまだ電話のない家に住んでいたため、隣の通りのパーン(インドの噛みタバコ)ショップが連絡先で、電話が来ると店の子供が彼を呼びに来ていたという。
(もとの記事では"Gully"という言葉が使われていた。そういう意味では、彼は最初のHiphop Gully Boyと呼べるかもしれない。いずれにしてもインドのヒップホップはムンバイのGullyで生まれたのだ)

"Thanda Thanda Pani"から、'Cool Cool Water'という意味のタイトルトラック。

Queen & David Bowieの"Under Pressure"をサンプリングしたVanila Iceの"Ice Ice Baby"をさらにパクったというなんだかすごい楽曲。
このアルバムの売上枚数については、記事によって3万枚から50万枚までかなり開きがあるが、とにかく当時の大ヒットとなったことは間違いないようだ。

同じアルバムから"Dil Dhadke".

当時のインドにしてはえらくかっこいいトラックが始まったと思ったら、曲が始まった途端に吉幾三みたいな感じでずっこける。

いろんな記事を読むと、どうも彼は今のインドのオシャレな音楽ファンからは、古いというかダサいというか、あまり好意的に受け止められていないようで、このブログで連載している「インドのインディー音楽史」にも入っていないし、まさに日本のラップ史における吉幾三の「おら東京さ行くだ」的な存在なのかもしれない。

その後、映画音楽を含めた何枚かのアルバムをリリースした後にヒンディー語圏の音楽シーンから姿を消した彼は、南インド(テルグ語)映画のプレイバックシンガーに活動の場を移した。

すっかり過去の人となっていた彼は、2015年に自身のYoutubeチャンネルを開設してカムバックすると、この"Going To The Gym"が久しぶりのヒットとなり、フェスティバル等にも出演するようになる。

ちょっと松平健にも似ているような気がするが、ちょうどマツケンサンバのように、彼の音楽をキッチュなものとして楽しめる土壌がインドにできてきた、といったところだろうか。

(Baba Sehgalの半生については主にこれらのサイトを参考にしました。
http://www.vervemagazine.in/people/mapping-the-unique-trajectory-of-baba-sehgals-success
https://www.indiatoday.in/magazine/society-the-arts/story/19921130-thanda-thanda-pani-hots-up-the-hindi-rap-scene-767167-2012-12-21

 
映画音楽の分野では、A.R.Rahmanが1994年のタミル語映画"Kadhalan"のために作った"Pettai Rap"あたりがインドで最初のラップ・ソングということになりそうだ。

こちらもインド音楽の要素を取り入れたオールドスクール風の曲で、これはこれで結構かっこよく、さすがRahmanといった出来栄え。
バンガロールのラッパー、Brodha Vが初めて聴いたラップとして挙げているこの曲は、世界初のタミル語ラップでもあるかもしれない。
まさか当時はインド各地にストリートラップシーンができ、ボリウッドスター主演のヒップホップ映画が大ヒットする時代が来るとは誰も思っていなかったことだろう。

インドではちょうど昨日、世界最大手の音楽ストリーミングサービスSpotifyが使用できるようになり、音楽メディアはその話題で持ちきりだ。
よりいっそう世界の音楽にアクセスしやすくなったインド。
きっともう5年、10年したらシーンの様相もまたすっかり変わっているのだろうなあ。
ますます楽しみになってきた。

それでは今回はこのへんで!


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