電気グルーヴ
2019年04月01日
電気グルーヴとインド古典音楽をリミックスして石野卓球にリツイートされたムンバイのJ-popファン
今回の記事は少し個人的な内容かもしれない。
今回紹介するのは、プロのミュージシャンではなく、ムンバイに住んでいる私の友人、Stephenだからだ。
大のPerfumeファン、J-PopファンでPerfume India 🇮🇳 | परफ्यूम インド(@prfmindia)という名前でtwitterをやっている彼は、どういうわけかかなり早い段階で私のブログを見つけてくれて、Google翻訳を使ってこのブログを読んでくれていた。
彼はいつも日本の音楽(主にPerfume)について英語でツイートしていて、私はいつもブログに日本語でインドの音楽のことを書いている。
いわば日本とインド、それぞれの国で、正反対に同じようなことをしているのだ。
そんな彼なので、もちろんピエール瀧に何が起きて、日本のレコード会社がそれに対してどう反応したのかも知っている。
なにせ、インドでサービスが開始されたばかりのSpotifyから、彼らの楽曲が全て削除されてしまったのだから。
(ちなみに電気グルーヴの名前はPerfumeと共演したことで知ったらしい)
私も電気グルーヴのファンだったので、今回の逮捕とその後の過剰な自粛に胸を痛めていたのだが、そんなときに彼が電気の初期の名曲「電気ビリビリ」に南インドのリズム「コナッコル」(Konnakol)をかぶせたリミックスをtwitterに投稿してくれた。
I love this beat so I added some Garam Masala to it. This is Konnakol, Classical Indian rap almost. 😄
— Perfume India 🇮🇳 (@prfmindia) March 22, 2019
This is also A~chan's favorite Denki Groove song called Denki Biribiri, I call this version Biribol. 👍 #電気グルーヴ #ピエール瀧 pic.twitter.com/3hJbzL3GiK
コナッコルは南インド古典音楽のラップ的に口でリズムを取る歌唱方法で、とにかくその速くて複雑なリズムがすごい。
似たものに北インドの古典音楽で用いられるボル(Bol)というものもあるので、よってこのmixは名付けて"Denki Biribol".
「このビートが気に入ったから、ガラムマサラをちょっと加えてみた」っていうコメントもイカす!
この曲がPerfumeのあ〜ちゃんのお気に入りっていう彼ならではの情報も面白い(Perfumeのメンバーがこんなヤバい曲が好きっていうのは意外!)が、とにかくアクの強い初期電気の楽曲に、インド古典音楽っていう意外すぎる要素が驚くほどハマっている。
なんというか、このタイミングで外国の電気ファンが、それも彼らがライブを行ったことがあるドイツとかじゃなくて、インドのファンがこういうポストをしてくれたことがすごく温かくて、うれしかった。
それに単純にこのmixがすごく面白くてかっこよかったので、勝手にリツイートしまくっていたら、なんとそれが石野卓球氏の目にとまったらしく、卓球氏が彼のポストをリツイートしてくれたのだ。

瀧の逮捕とそれにともなう活動休止以降、電気ファンにとって唯一の彼らとの接点である卓球氏のtwitterで取り上げてもらえるなんて、私も彼もとてもうれしかった。
このツイートはまたたく間に広まり(2019年3月30日現在7059いいね、1390リツイート)、彼は「Daokoが『いいね』してくれた!うれしくて泣けたよ!」とか、さらにJ-popマニア全開なリアクションをツイートしていた。
というわけで、今回は電気ファンの間でも存在が知られるようになったこのインドいちのJ-popファン(多分)である彼に、日本の音楽のこと、インドの音楽のことをいろいろ聞いてみました!
凡平「Hi Stephen. お願いがあるんだけど、ちょっとインタビューさせてくれる?石野卓球がリツイートしてくれて、大勢の日本人が君の『Denki Biribol』を聴いてくれたことだし、インドにいる日本の音楽のファンとしてぜひ君のことを紹介したいんだ」
Stephen「ハハハ、僕は特別な人間じゃないし、なんか変な感じだけど、ぜひ協力させてもらうよ」
凡平「ありがとう。今じゃ君は日本の電気グルーヴファンにとって特別だよ。それじゃあさっそく最初の質問。そもそもどうしてJ-popを聴くようになったの?」
Stephen「正確に言うのは難しいけど、ほとんどは小さい頃見たアニメを通して知ったって言えるかな。最初の頃聴いたJ-popはアイドル音楽に限られていたけど、後になって他にもいろいろあるのを見つけたんだ」
凡平「日本の若者と同じような感じだね。どんなアニメを見てたの?」
Stephen「最初に知ったのは『ナルト』と『デスノート』。実際のところ、アニメの大ファンってわけじゃないから、すごくたくさん見たわけじゃないけど。『ナルト』『鋼の錬金術師』『Devil May Cry』を少し見てたよ。完全に見たのは2つだけで、『デスノート』と『NHKにようこそ』だね。この2つは大好きだった。実際、『NHKにようこそ』でかなり日本の音楽に興味を持つようになったんだ」
恥ずかしながら、『NHKにようこそ』という作品のタイトルは聞いたことがあったが、英語で"Welcome to NHK"と言われた時にこの作品名の英訳だとすぐに分からず、この時てっきりNHKでアニメを見ていたのだと誤解していた。ちなみにこの作品タイトルの'NHK'は放送局ではなく「日本ひきこもり協会」の略で、青年がひきこもりから立ち直る過程を描いたライトノベルが原作のアニメ。
凡平「NHKの国際放送とかケーブルテレビで見てたの?」
Stephen「いや、うちの地域じゃ見られないから、インターネットで見てたんだ」
凡平「なるほど。インドでも日本のアニメは人気って聞いたけど、インドの人たちもみんなそんな感じでアニメを見ているの?」
Stephen「アニメはインドではびっくりするくらい人気があるよ。アニメファンが集まるためのカフェもあるんだ。ムンバイに'Leaping Window'っていうマンガのライブラリーがあるレストランまであるんだ。さすがにそういう場所は町中でここだけじゃないかな。アニメキャラのタトゥーやなんかをした人を見かけることだってあるよ」
と、思ったより盛り上がっていそうなムンバイのアニメ事情。
これがそのLeaping Windowの様子だ。
日本のマンガ喫茶とは違って、料理もかなり本格的でオシャレなものを提供してくれるお店のようだ。
行ってみたい!

(画像は'Things To Do In Mumbai'のFacebookページから)
Stephen「Cool Japan FestivalやComic Conではコスプレイヤーもたくさん集まるよ。かなり真剣にやってるほとんどプロみたいな人たちもいる。」
ムンバイのCool Japan Festivalのコスプレイヤーたちはこんな感じ。

(画像はCool Japan Festivalの Twitterから)
(関連記事:「特集ナガランドその3 ナガの地で花開く日本文化 ナガランドのオタク・カルチャー事情とは?」「日本とインドのアーティストによる驚愕のコラボレーション "Mystic Jounetsu"って何だ?」)
凡平「J-popに話を戻すと、それからPerfumeを見つけたってこと?」
Stephen「それを話すにはちょっと長くなるかな。最初に坂本龍一の音楽を見つけて、彼の音楽にはまったのが日本の音楽を好きになった最初のきっかけだよ。彼の"Seven Samurai"っていう曲があるんだけど、それが今まで聴いた曲で一番のお気に入りだよ。彼の曲を聴き続けているうちに、もっと日本の音楽を聞きたいと思うようになって、ある日Youtubeで'Japanese music'だったか、そんな感じで検索してみた。そうしたら、確か'top 100 Japanese songs'みたいなビデオを見つけたんだ。間違ってなければその最初の曲がPerfumeの『ポリリズム』で、それで一気にはまっちゃって、もっと聴かなきゃって思ったんだ。」
凡平「Perfumeは、君にとってどんなふうに特別だったの?」
Stephen「僕の場合いつも音楽こそが第一なんだけど、中田ヤスタカの音楽の作り方がすごく素晴らしくて大好きになったんだ。彼はシンプルなダンスミュージックをより複雑なものにしている。多くの欧米のアーティストは音楽をよりシンプルなものにしたがるけど、彼は反対のことをやっているんだ。
それに加えて、ライブの映像を見て3人のメンバーがまた素晴らしいことを発見したんだよ」
凡平「お気に入りのPerfumeの曲を教えてくれる?」
Stephen「うーん、ハハハ、お気に入りはたくさんあるからなあ。順序はともかく、僕のトップ5を挙げるとしたら、ポリリズム、シークレットシークレット、NIGHT FLIGHT、Have a Stroll、FAKE ITだね」
凡平「じゃあ、Perfume以外で好きなアーティストは?」
Stephen「これもすごく難しいなあ、いつも新しいクールな音楽を見つけているから。常に変わり続けてはいるけど、今現在のトップ5を挙げるとしたら、坂本龍一、YMO、中田ヤスタカのソロとcapsule、天地雅楽、吉田兄弟」
凡平「本当にいろんなジャンルを聴いてるんだね。日本の音楽をインドの音楽とか欧米の音楽、K-popみたいな他のアジアの音楽と比べて、どこが気に入ってくれているの?」
Stephen「J-Popとか日本の音楽は一般的に他の国の音楽よりもユニークなサウンドを持っているよね。日本の音楽シーンは新しいことに挑戦することを全く恐れていないみたいだよね。例えばU-Zhaanみたいなアーティストはタブラ(ご存知、インドの打楽器)でダブステップの曲を作ったりする。僕はそんなことができるなんて想像したこともなかったけど、彼はとてもうまくやっていた。日本のミュージシャンやアーティストは世界中のあらゆる要素を最大限に活用して自分たちの音楽を作る方法を本当によく知っている。日本は音楽を融合させることに関しては最高だよ。だから日本の音楽はすごく魅力的なんだ」
凡平「ありがとう。音楽のフュージョンに関しては、インドも素晴らしいセンスを持っているよね。というわけで、"Denki Biribol"の話。本当に気に入っているんだけど、どんなふうにあのリミックスを作ったの?」
Stephen「ハハハ、じつは電気グルーヴを聴き始めたのはピエール瀧のニュースを聞いてからなんだ。インドで電気グルーヴの音楽を探すのは難しかったよ。インドでもSpotifyのサービスが始まったところだったから、彼らのいくつかのアルバムを楽しむことができたんだ。それで『電気ビリビリ』のビートが本当に気に入ったんだ。
そのビートを聞いているうちにおかしなことを思いついて、そこにコナッコルをかぶせてみようと思ったんだよ(笑)。ちょっとクールで面白いとおもったからね。それでYoutubeでビデオクリップを見つけて、一緒にしてみただけだよ。こんなに多くの人が見たり聴いたりしてくれるなんて全然思わなかったよ(笑)」
ちなみに『電気ビリビリ』とmixしたコナッコルのもとの動画はこちら!
完成品を見ると違和感なく電気meetsインドになっているけど、これを電気ビリビリに合わせようと思った発想は凄い!
凡平「日本の電気グルーヴファンはみんな『Denki Biribol』を気に入ったはずだよ。瀧の逮捕以来、辛い時期だったから、インドからこうして応援してくれるのはうれしかったね。知っての通り、レコード会社が彼らの曲を全部ストリーミングサービスから削除してしまった。我々はみんな、こんなのはやりすぎでおかしいと思っているんだけど、君はどう思う?同じようなことって、インドでも起こりうるの?」
Stephen「音楽の販売やストリーミングをやめるのはアンフェアだと思うね。人々が彼らの音楽を見つけることは許されるべきだよ。例え事件をきっかけに彼らを見つけるんだとしても。僕も今回の事件をきっかけに彼らの音楽を聴き始めたけど、もうこれ以上聴くことができなくなってしまった。別に瀧がしてしまったことや、ドラッグを使うことをサポートしようってわけじゃなくて、ただ音楽を楽しみたいだけなんだからね。インドでもドラッグの問題でつかまった有名人はいたと思うけど、ファンたちは彼らを応援し続けるのか、やめるのか、自分たちで決める自由が許されているよ。」
凡平「日本はまったくおかしな状況になってしまっているよ。ところで、石野卓球がリツイートしてくれて、このポストがどんどん広まっていったのはどんな気持ちだった?Daokoみたいなアーティストを含む多くの日本人が『いいね』をしたんだよ」
Stephen「ハハハ、すごく幸せだったよ。信じられなかったよ。実を言うと、ちょと泣いたね。日本のアーティストたちはインドにファンなんかいないと思ってるんじゃないかと感じてた。だから、ここにもファンがいるんだよって分かってもらえてうれしかったんだ」
凡平「僕ら日本のファンも、インドにもファンがいるって知ることができてうれしかったよ。
それから君のもう一つのremixの"Gully Bully"も気に入ってる。"Denki Biribol"も"Gully Bully"もインド音楽の複合的なリズムがオリジナルの楽曲のデジタルなビートをもっと魅力的にしていると思う。これはどうやって作ったの?」
"Gully Bully"はStephenが作ったPerfumeの"Hurly Burly"と映画Gully Boyでも使われたヒンディー・ラップの名曲"Mere Gully Mein"(「俺のストリートで」の意味)のマッシュアップ。
Tokyo Girl meets Gully Boy. 😄 #prfm #gullyboy pic.twitter.com/6wO7PcnWG8
— Perfume India 🇮🇳 (@prfmindia) February 12, 2019
ミックスしたそれぞれの曲が全く新しい印象になっていてこれまたかっこいい!
ちなみにRemixされた"Mere Gully Mein"の原曲はこんな曲。
Stephen「Perfumeに何かインドの要素をミックスしてみたかったんだよ。音楽的なことはべつに何もしていなくて、"Gully Boy"が大流行していたから、この映画の曲をPerfumeとミックスしたら、インドの人も日本のにとも面白いと思ってくれるんじゃないかと考えたんだ。だから"Mere Gully Mein"を選んで、単なる冗談なんだけど、"Gully"とPerfumeの"Hurly Burly"が似た響きだったから一緒にしてみた。そうしたら、なんとPerfumeの曲に完璧に小節やビートを合わせることができたんだ」
凡平「なるほど。ところでどうやってインドで日本の音楽の情報を得ているの?」
Stephen「おかしな話なんだけど、別にいつも探そうとしているわけではないのに、新しいものに出会ってしまうんだよ(笑)。とくにお気に入りになりそうなアーティストを探すときは、だいたい好きなアーティストのカバーやコラボレーションを探すことが多いかな。それで気がついたらファンになってるんだ。インドでもSpotifyが使えるようになったから、より簡単に探せるようになったよ。」
凡平「インタビューにつきあってくれてありがとう。では最後の質問。ご存知の通り僕はインドの最近の音楽についてブログを書いているんだけど、インドの音楽シーンについてはどう思う?例えばボリウッドとか、インディー音楽とか。」
Stephen「最近のインドの音楽シーンはすごくエキサイティングで、今までで一番いい状況だよ。だから今後についてもすごく楽しみにしている。みんながインドの音楽を思い浮かべる時、それはボリウッドか伝統的な古典音楽だと思う。でも少しずつ、みんながインドの(新しい)サウンドに気付き始めていて、それはいずれ世界中に影響を与える可能性だってあると思うんだ。なにしろフレッシュで新しいものだからね」
凡平「僕もそう思うよ。これからも日本の音楽のサポートをよろしくね!」
Stephenは現在26歳で、10代の頃は家族とともにドバイに暮らしていたそうだ。
その頃はMTVで流れるような音楽を主に聴いており、その後ヘヴィーメタルを聴いていた時期もあったとのこと。
そういう意味では、典型的なインド生まれインド育ちのインド人とは少し異なるバックグラウンドなのかもしれないが、今日のインドでは彼のようにUAEなどの湾岸諸国や欧米で生まれ育って母国に戻ってくる若者も珍しくなく、インド人としてのアイデンティティーと国際的な感覚をあわせ持つ彼らは、インドのユースカルチャーをリードする存在でもある。
彼はプロのミュージシャンではなく、いち音楽ファンに過ぎないから、"Denki Biribol"も"Gully Bully"も技術的には単純なミックスかもしれないが、そのサウンドが新しくて面白いのは否定しようがない事実だ。
インドの音楽シーンでさかんに行われているインド音楽と欧米のポピュラー音楽との融合は、彼のような自由な発想がその源泉となっているのだろう。
こうした「国境なき世代」がこれからどんな音楽を作ってゆくのだろうか(彼のように海外在住経験がなくても、インターネットが発達し英語力も高いインドの都市部では、こういう若者たちがそこかしこにいる)。
そこには何度もこのブログでも紹介しているように、日本のカルチャーが少なからぬ影響を与えることもありそうで、いろいろな意味で非常に楽しみだ。
それでは今日はこのへんで!
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goshimasayama18 at 00:49|Permalink│Comments(0)
2019年03月27日
ヒンドゥー・ナショナリズムとインドの音楽シーン
先日、映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」の話題と絡めてヒンドゥー・ナショナリズムの話を書いた。(「バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)」)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。
A-ZA-DI!! (Freedom)
ヒンドゥー・ナショナリズムは、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想で、この思想のもとに教育や貧困支援などの慈善活動が行われている反面、ヒンドゥーの伝統に反するもの(例えば外来の宗教であるイスラームやキリスト教)をときに暴力的に排除しようとする側面があるとして問題視されている。
こうした運動は現代インドで無視できないほどの力を持っており、よく言われる例では現在の政権与党であるモディ首相の所属するBJP(インド人民党)は、ヒンドゥー・ナショナリズム団体RSS(民族義勇団)を母体とする政党だったりもする。
このブログで紹介しているようなロックやヒップホップ、エレクトロニックなどの音楽シーンでは、これらのジャンルがもともと自由や反権威を志向するものだということもあって、一般的にこうしたヒンドゥー至上主義的な動きに反対する傾向が強い。
その最もラディカルな例が以前紹介したデリーのレゲエバンドSka VengersのDelhi SultanateことTaru DalmiaのユニットBFR Soundsystemだろう。
彼はジャマイカン・ミュージックを闘争のための音楽と位置づけ、レゲエ未開の地インドでサウンドシステムを通してヒンドゥー・ナショナリズムや抑圧的な体制からの自由を訴えるという、なかばドン・キホーテ的な活動を繰り広げている。
(詳細は「Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス」参照)
Ska Vengersの痛烈なモディ批判ソング"Modi, A Message for you".
Taruはこの曲を発表したことで殺害予告を受けたこともあるそうだが、命の危険を冒してまで、彼らは音楽を通してメッセージを発信しているのだ。
ヒンドゥー・ナショナリズムについては、地域や所属するコミュニティーや個人の考え方によって、まったく捉えられ方が異なる。
たとえばムンバイのような先進的な大都市に暮らす人に話を聞くと、度を越したナショナリズム的な傾向があるのはごく一部であって、ほとんどの人は全くそんなこと考えずに生活しているよ、なんて言われたりもする。
(ムンバイはムンバイで、シヴ・セーナーという地域ナショナリズム政党が強い土地柄であるにもかかわらず、だ)
こんなふうに聞くと、なーんだ、ヒンドゥー・ナショナリズムなんて言っても、実際は一部の偏屈な連中が騒いでいるだけなんじゃないの?と言いたくなってしまうが、地方では、ナショナリズム的な傾向と伝統的な価値観が合わさって、なかなかに厳しい状況のようなのだ。
昨年8月に書かれたインドのカルチャー系ウェブサイトHomegrownの記事では、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の街ジャーンシーの信じられない状況が報告されている。
(Homegrown "Communal ‘Hate Songs’ Top The Playlists Of DJs In Jhansi"
さらにそのもとになった記事は、ThePrint "The Hindu & Muslim DJs behind India’s hate soundtrack")
この街では、なんとDJたちがヒンドゥー至上主義や反ムスリム、反リベラル的なリリックの楽曲を作り、大勢の人々が繰り出すラーマ神やガネーシャ神の祭礼の際に大音量でプレイして、住民たちが大盛り上がりで踊っているという。
「シヴァ神がカイラーシュ山からメッセージを送り、サフラン色(ヒンドゥー至上主義を象徴する色)の旗がパキスタンにもはためく」とか「インドに暮らしたければ"Jai Sri Ram"を唱えろ」とか「アヨーディヤーのバブリー・マスジッドを破壊した跡地にラーマ寺院を建てよう」なんていう狂信的で偏見に満ちた曲が流されているというのだ。
"Jai Sri Ram"というヒンドゥーの祈りの言葉は、映画「バジュランギおじさん」では印パ/ヒンドゥーとムスリムの相互理解の象徴として使われていたことを覚えている人も多いだろう。
その言葉が、ここではムスリムに対する踏み絵のような使われ方をしている。
アヨーディヤーというのはイスラーム教の歴史あるモスク、バブリー・マスジッドを狂信的なヒンドゥー教徒が破壊するという事件が起きた街の名前だ。
この事件は現代インドの宗教対立の大きな火種となっており、このリリックはムスリムに対する明白な挑発だ。(Ska vengersを紹介した記事でも少し触れている)
なんだか悲しい話だが、この問題を扱ったこの短いドキュメンタリー映像(6分弱)を見る限り、こうしたヘイト的な曲に合わせてダンスする人々の様子は、憎しみに燃えているというよりもむしろ無邪気に楽しんでいるようで、それがまた余計にやりきれない気持ちにさせられる。
これらのヘイトソングを作成しているDJ達(記事やビデオではDJと呼ばれているが、いわゆるトラックメイカーのことようだ)は、インタビューで「個人的にはムスリムのことを憎んではいない。でも求められた曲を作ることが俺たちの仕事で、こういう曲のほうが金になるんだ」と語っている。
彼らにこういう楽曲を発注して、行き過ぎたナショナリズムを煽動している黒幕がいるのだ。
DJたちもさすがに「モスクの前なんかでこういう曲をプレイするのは問題だね」という意識はあるようだが、保守的な田舎町で音楽で生計を立ててゆくために、てっとり早く金になるヘイト的な楽曲を作ることへのためらいは見られない。
偏見に満ちた思想が音楽を愛するアーティスト自身の主張ではないということに少しだけ救われるが、宗教的な祭礼において、祝福や神への献身よりもヘイトのほうに需要があるというのは、部外者ながらどう考えてもおかしいと感じざるを得ない。
このジャーンシー、私も20年ほど前に、バスの乗り継ぎのために降り立ったことがあるが、そのときはのどかでごく普通の小さな地方都市という以上の印象は感じなかった。
ところが、記事によるとこの地域はリンチや暴動、カーストやコミュニティーの違いによる暴力沙汰などが頻発しているとのことで、インドの保守的なエリアの暗部がさまざまな形で噴出しているようなのである。
地域や貧富による多様性と格差がすさまじいインドでは、ムンバイのような大都市の常識が地方ではまったく通じない。
インドの田舎には古き良き暮らしや伝統が残っている反面、旧弊な偏見が残り、コミュニティー同士が時代の変化のなかで対立を激化させているという部分もあるのだ。
上記のThe Printの記事によると、実際にウエストベンガル州やビハール州では、こうしたヘイトソングがモスクの近くでプレイされたことをきっかけとする衝突が発生しているという。
ふだんこのブログで紹介している都市部の開かれた音楽カルチャーと比較すると、とても信じられない話だが、残念ながらこれもまたインドの音楽シーンの一側面ということになるのだろう。
こうした排他的ヒンドゥー・ナショナリズムの音楽シーンへの影響は、じつは地方都市だけに限ったことではない。
マハーラーシュトラ州のプネーは多くの大学が集まる学園都市で、多数の有名外国人アーティストがライブを行うなど文化的に開かれた印象の土地だが、2018年にはヒンドゥー・ナショナリストたちがここで行われたSunburn Festival(以前紹介したアジア最大のエレクトロニック系音楽フェスだ)をテロの標的としたという疑いで逮捕されている。
(The New Indian Express "Suspected right-wing activists wanted to target Sunburn Festival in Pune: ATS")
この件で逮捕されたヒンドゥー右翼団体'Sanatan Sanstha'のメンバー5人は、ヒンドゥー教の伝統に反するという理由で、EDM系のフェスティバルであるSunburn Festivalや、大ヒット映画"Padmaavat"の上映館に爆発物を仕掛けることを計画していたという。
2018年のSunburn Festivalの様子
"Padmaavat"予告編。主演は"Gully Boy"のRanveer Singhで、彼の奥さんDeepika Padukoneも出演し、大ヒットを記録した映画だ。
こうして並べてみると、もう何がヒンドゥー至上主義者の逆鱗に触れるのか、全くもって分からなくなってくる。
"Padmaavat"に関して言うと、歴史映画のなかでのキャラクターや宗教の描き方についてヒンドゥー、イスラームそれぞれの宗教団体から抗議を受け、撮影の妨害なども行われていたということのようだ。
こうしたタイプの映画への反対運動は頻繁に行われていて、州によっては特定の映画の上映が禁止されてしまうといったことも起きている。
Sunburn Festivalに関しては言わずもがなで、享楽的なEDMに合わせて踊る人々は伝統を重んじるヒンドゥー至上主義者たちにとっては堕落以外の何ものでもないと映るのだろう。
資本主義・物質主義的な価値観の急速な浸透(インドは90年代初めごろまで社会主義的な経済政策をとっていた)に対する反発は、ヒンドゥー・ナショナリズム隆盛の原因のひとつだが、その矛先はこうして新しいタイプの音楽の流行にも向けられるようになった。
今更こんなことを大上段に構えて言うのもなんだが、音楽や芸術は人間の精神の自由を象徴するものだ。
音楽に合わせて肉体と精神を解放して生を祝福するという行為は、有史以前から人類が行ってきたことのはずなのに、自らの価値観に合わないからという理由でそれを(ときに暴力的に)潰そうとする人々がいる。
音楽が好きな人なら、「特定の価値観を持つ人たちが、音楽表現の場を、音楽を楽しむ場を、奪うなんてことがあってはならない」ということに同意してくれるだろう。
だが、我々もインドの過激な伝統主義者たちのニュースを人ごとだとは言っていられない。
ここ日本でも、アーティストの表現をサポートすべきレコード会社が、特定のアーティストが「容疑者」となったことで、彼が関わった作品の配信を停止したり、CDを店頭から回収したりなんていう馬鹿馬鹿しいことがあったばかりだ。
脅迫に屈したわけでもないのに、事なかれ主義の自粛こそが正義だと考え、とても音楽文化を扱う企業とは思えないような判断をしているということに、大げさに言えば危機感を覚える。
坂本龍一も言っていたが、いったい誰のための、何のための自粛なんだろうか。
しかも、同じ会社がオーバードーズで死んだジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックス、明らかにドラッグの影響を受けている(コカイン所持で逮捕されたこともある)ジョージ・クリントンの作品は平気で扱っているというから開いた口がふさがらない。
自粛したければ、個々のリスナーが聴かないことを選べば良いだけだ。
話が大幅に逸れたけど、いろいろと考えせられるインドと、そして日本の状況について書かせてもらいました。
それぞれが、それぞれの好きな音楽を楽しむ。そんな当たり前のことができる世の中が日本に無いっていうのが情けないね。
インドじゃ命懸けで表現に向き合っているアーティストもいるというのに。
A-ZA-DI!! (Freedom)
それではまた。
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goshimasayama18 at 21:52|Permalink│Comments(0)