在外インド人

2018年11月10日

(100回記念特集)謎のインド人占い師 Yogi Singhに会いたい

約1年前に始めたこのブログも今回の記事で100回目。
というわけで、音楽からは離れるのだけど、インドに関する話題で、個人的にここ数年でもっとも面白いと感じている話を2回に分けて書いてみます。
楽しんでもらえるとよいのだけど。



「彼」のことを初めて知ったのは、辺境ノンフィクション・ライター、高野秀行氏の『辺境の旅はゾウにかぎる』(のちに『辺境中毒!』という名前で集英社から文庫化)という本だった。

ある朝方、バンコクの安宿街カオサンで、高野氏がインド人の占い師に声をかけられたところから、この話は始まる。
「君は占いに興味があるか」
ヒマだった高野氏は、そのインド人の相手をしてみることにした。
「彼」は何事か書いた小さな紙を丸めて高野氏に握らせると「君の好きな花は何か」と尋ねる。
高野氏が「Rose」と答えると、「彼」は握った紙を開いてみろという。
なんとそこには「Rose」の文字が書かれていた。
占い師は、その後も次々と同じ手口で好きな色、好きな数字を的中させると、もし同じように母親の名前を当てることができたら、彼が所属する宗教団体に100ドルを寄付しろという賭けをしかけてきた。
いつの間にか、この賭けの証人役と思われる仲間のインド人もやって来ている。
好きな花や色や数字は、偶然の一致、あるいは潜在意識や統計をもとに的中させた可能性もあるだろう。
だが、日本語の母親の名前は当てられるわけがない。
成り行きと対抗意識から高野氏がその要求を飲むと、占い師はなんと母親の名前をも的中させ、100ドルを巻き上げて消えていったという。
それは1993年のことだったというが、話はここで終わらない。

その後、高野氏が1930年代を舞台にしたミャンマーの小説を読んでいると、なんとそこにインド人の占い師による全く同じ手口の詐欺の話が載っていた。
ターバンを巻いたインド人の男が「旦那、占い、どうですか」と声をかけ、好きな数字などを的中させると、仲間のインド人を連れてきて賭けをしかけ、まんまとシャツを勝ち取っていったという話だ。
この小説が出版されたのは1955年だが、著者は1909年生まれ。
著者が実際に1930年代に体験したことがもとになっている可能性が高いという。
高野氏は、1990年代のタイと1930年代のミャンマーで、インド人による全く同じ手口の詐欺が行われていたという事実に驚きつつも、たとえ詐欺であったとしても、変化の激しい時代に60年以上も続いた手口をこれからも大切にしてほしいものだと結んでいる。

当時、これを読んだ私は、どちらもインドが舞台ではないにもかかわらず「うわあインドっぽいエピソードだなあ」と感じたものだった。
インドはワケがわからないことが起こることに関しては世界有数の国(この話、インドじゃないけど)。
こんなことがあっても全く不思議ではないのだが、その後、いつの間にかこの話も忘れてしまっていた。

次に「彼」と出会ったのはそれから数年後。
新聞を読んでいた時のことだった。
2012年9月20日、東京新聞、夕刊。
「世界の街 海外レポート」という海外特派員によるエッセイ風のコーナーにロンドン担当の小杉さんという方が寄せた文章を、少し長いが引用させていただく。

 多国籍の人が暮らすロンドン。どう見てもアジア人の自分に平然と道を尋ねてくる英国人はざらにいる。八月下旬、支局前の通りで喫煙していると、見知らぬ中年男性が近づいてきた。「また道案内か」と思いきや予想外の言葉を聞いた。
 「あなたに来月、幸運が訪れる」。さらに「あなたは長寿だ。少なくとも八十七歳まで生きる」とも。
 聞けば、インド出身の自称「占い師」。そのまま耳を傾けると、指先ほど小さく折り畳まれた紙切れを手渡された。
 その上で「何のための幸運であってほしいか」「あなたのラッキーナンバーは」 と問われた。男はこちらが返した答えをメモ帳に書き取ると事前に私に渡した紙切れに「フッ」と息を吹き掛けた。
 その紙を広げて驚いた。記してあったのは先ほどの答え。思わずうなった直後、男は言った。
 「あなたの幸せが成就するように祈るから、お金を払わないか」
 なんだ、そういうことか。提示された料金は最大で百ポンド(役一万二千円)。急速に興味を失い、支払いも丁重に断った。
 この話を友人にすると、「占い詐欺でしょ」。だとしたら、自分が目にしたのは単なる手品か。いいカモにされかけたが、最初に言われた幸運とやらが気になって仕方ない。

間違いない。
高野氏の本に書いてあった「彼」だ。
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説、1990年代のバンコク、そこにいた「彼」が2012年のロンドンにも存在している。
こんなことがあるのだろうか。
彼は占い詐欺をしながらあらゆる時代と場所をめぐるタイムトラベラーなのだろうか。

ロンドンでこの不思議な出来事があったということは、インターネットで英語で検索したら何か情報が得られるかもしれない。
そう思って、「Indian fortune teller」とGoogleに打ち込んでみると、出てくる出てくる。

「彼」が現れたのは、なんとミャンマー、バンコク、ロンドンだけではなかった。
シドニー、メルボルン、シンガポール、トロント、香港、マレーシア、カンボジア、そしてもちろん、ニューデリー。
「私も同じ手口に合ったことがある!」「私も!」と世界中のあらゆる場所で「彼」の出現が報告されていた。
よくよく読んでみると、その手口には、ほとんどの場合共通点がある。

・"You have a lucky face"などと声をかけてくること。
・丸めた紙を手に握らせ、好きな花、好きな数字、恋人の名前などを尋ねるということ。答えた後にその紙を開くと答えが的中していること。
・慈善団体への寄付を装い、金品を要求すること。
・多くの場合、ターバンを巻いたシク教徒風の格好をしていること。

また、「彼」が「ヨギ・シン(Yogi Singh)」 と名乗ることが多いということも分かった。
だが「ヨギ」 はヨガ行者などの「師」を表す言葉で、「シン(Singh) 」はシク教徒の男性全員が名乗る名前。
これだけで世界中で報告されている「彼」が同一人物であるとか、同じ一族であるということを判断するのは早計だ。
ではいったい「彼」は何者なのか。
こうした報告をインターネット上でまとめていた男性の一人は、「時間さえあれば彼らのことを調べて本にするのに」と書いていたが、私もまったくの同感だった。
彼らとの遭遇が報告された土地に東京が含まれていないのがとても残念だった。

もし叶うなら「彼」に会ってみたい。
しかし、例えば「彼」に会うためだけに休みを工面してメルボルンあたりに1週間くらい滞在しても、会える保証は全くないし、インド系コミュニティーで彼らのことを聞いて回ったりした場合、もし「彼」が良からぬ組織に関わっていたりしたら、身に危険が及ぶかもしれない。
シク教徒の本場であるパンジャーブ系の人を含めて、何人かのインド人に「彼」の噂を聞いたことがないか尋ねてみたが、誰も知っている人はいなかった。
ただ、彼らが一様に、不思議がるふうでもなく「あいにく自分は知らないけど、まあそんなこともあるだろうね」という反応だったのがとても印象に残っている。
やっぱり、インド人も認める「インドならあり得る話」のようだ。
いずれにしても、インドでも有名な話ではないということが分かった。
インターネットで世界中が繋がる時代になって、初めて顕在化したグローバルな都市伝説。
とにかく「彼」の正体が知りたくてしょうがなかった。

現実的に考えて、1930年代から2012年という幅のある期間での報告がされているということからも、「彼」が同一人物であるという可能性はないだろう。(タイムトラベラー説も魅力的ではあるが)
また、「彼」がこれだけ世界中の多くの街で報告されているということは、彼らが少人数の近しい親族(例えば親子や兄弟) だけで構成されているということも考えにくい。
決して大金を稼げる商売ではないであろう辻占で、これだけ世界中を漫遊するみたいなことはできないだろうからだ。

これはきっと「ジャーティ」だ。
シク教徒のなかに、この手の占いを生業とする「ジャーティ」の人々がいるに違いない。
「ジャーティ」とは、カースト制度の基礎となる職業や地縁などをもとにした排他的な共同体の単位のこと。
よく「インドでは結婚は親が決めた同じコミュニティーの人としなければならない」とか「インドには村全員がコブラ使いの村がある」という話を聞くことがあるが、これらはみな「ジャーティ」を指している。
「結婚は同じ(もしくは同等の)ジャーティの人とするもの」「コブラ使いのジャーティの村」というわけだ。
「ジャーティ」はヒンドゥー教の概念で、建前としてはシク教やイスラム教には無いものとされているが、実際は彼らの間にも同じような、職業や地縁をもとにしたコミュニティーは存在している。
都会ではもはや「ジャーティ」に基づく職業選択は過去のものとなっているが、今でも「ジャーティ」を結婚などの局面で尊重すべきと考えている人たちは多い(とくに古い世代に多い)。

これだけ世界中の多くの街で「彼」が報告されているということは、シク教徒のなかに、占いを生業として、同じトリックを身につけた同一のジャーティ集団がいるに違いない。
シク教の故郷、パンジャーブ州には、詐欺占い師ばかりが暮らす村があったりするのだろうか。
インドでも知る人の少ない彼らが、何らかのネットワークを使って世界中に進出し、同じトリックで稼いでいるということか。
自分の所属する宗教団体への献金を装うことも多いということは、もしかしたら秘密結社やカルト宗教?
シク教徒のなかには、パンジャーブ州のインドからの独立を目指す過激な一団もいる。
もしかしたら、そうしたグループと関わりのある人たちによる、占いを口実にした資金集めということもあるかもしれない。
謎は深まるばかりだ。

つづく


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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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2018年09月24日

インドのインディーズシーンの歴史その6 フュージョン・エレクトロニカの先駆け Talvin Singh

VH1INDIAによるインドのインディー100曲
VH1 Sound Nationが選んだインドのインディーズミュージックを作ったアーティスト72組を時代順に巡る旅の第6弾。
ここまで、インドの国内のアーティストが海外の流行の模倣から、少しずつオリジナリティーを獲得してゆく過程と、海外在住のインド系アーティストが欧米の音楽にインドのサウンドやリズムを取り入れることで、世界的な人気を獲得してゆくさまを見てきた。

今回紹介するのは、再び海外のインド系アーティスト、Talvin Singhが1998年に発売したアルバム「OK」。
彼がここで表現しているサウンドは、今日まで行われてきたインドのルーツと流行のサウンドが融合されてきた数多くの試みの中でも、ひとつの到達点とも言えるものだ。

Talvin Singhは、前々回にお届けしたのApache Indianに続いて、90年代の音楽シーンに馴染んでいた人には懐かしい名前のはず。
当時、インドにはまっていた学生だった私は「インド好きなの?Talvin Singh聴いた?超かっこいいよ」とこの曲が入っているアルバムを先輩に教えてもらった記憶がある。

Talvin Singhは1970年にロンドンで生まれたインド系イギリス人。
イギリス国籍とはいえ、文化的ルーツを大事にする家庭に育ったようで、幼少期からタブラに親しみ、16歳でパンジャーブ派のタブラを学びにインドに2年間の留学をした。
古典音楽を本格的に学んだTalvinだが、しかし彼はそのまま古典音楽の世界の中で生きることを選ばなかった。
彼は当時イギリスやカナダの南アジア系移民の間で勃興してきていた、電子音楽と伝統音楽をミクスチャーしたジャンル、「エイジアン・アンダーグラウンド」のシーンの中で、めきめきと頭角を現してゆく。
1991年にはニューウェーブバンドのSiouxsie and The Bansheesのメンバーとして"Kiss Them for Me"のレコーディングとその後のツアーに参加。

93年にはBjorkのアルバム「Debut」にパーカッショニストとして参加するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を始める。

90年代も後半に入る頃になると、パンク/ダブ/レゲエのジャンルではAsian Dub Foundationらの台頭もあり、インド系サウンドは「どこか垢抜けないダンスミュージック」から、一躍時代の最先端に躍り出ることになった。
当時インドをバックパッカーとして旅していた私は、電気などのインフラの整備もままならず、抜け目がないけどまだまだ朴訥としたインド国内のインド人と、垢抜けたサウンドを奏でる在外インド系移民たちがどうしても繋がらず、呆然としてしまったのを覚えている。
(今日では、インド国内と在外アーティストのサウンドの差は、こと電子音楽に関して言えばほぼ完全に縮まったと言える)

そんな時代背景のなか、Talvinが98年に発売した記念碑的なソロデビューアルバムが「OK」だ。
例のランキングで紹介されているのはそのタイトルトラック。
前置きが長くなりましたが、聴いてみましょう。 

聴いていただいて分かる通り、謎の沖縄テイストのある楽曲で、コーラスはなんとネーネーズ!
当時聴いたときには、アルバム全体の無国籍感の中でさして気にも留めていなかったのだけど、まさかインドのインディー音楽の歴史を辿るなかで日本の、それも沖縄のアーティストに出会うことになるとは思わなかった。
この曲ではアジアごった煮的なお祭り風サウンドを聴かせているが、アルバム全体はかなり二枚目風な質感に仕上がっていて、例えば2曲めの"Butterfly"はこんな感じ。

こうやって聴くと、タブラの細かくタイトなリズムがドラムンベースに、浮遊感のあるバーンスリー(横笛)とシタールがトリップホップにそれぞれ似た質感を持っており、Talvin Singhのインド由来のサウンドが90年代のクラブカルチャーが持っていた空気感に激しく呼応していたということが改めて分かる。

在英インド系移民によって、インドの伝統音楽と時代の最先端のサウンドが、ちょうど90年代後半に出会うことになったというわけだ。
もちろん、単なる時代のせいというだけではなく、そこにTalvin Singh個人の類稀なセンスが働いていたことは言うまでもない。

その後のTalvin.
2011年にシタール奏者のNiladri Kumarと発表した"Together"では、インド古典音楽にダブ的な手法を取り入れることで近未来的な質感を与えることに成功している。
 

日本のタブラ奏者、Asa-Chang&巡礼による「12節」のRemixを手掛けたりもしている。
 

インドのインディーズ音楽史を紐解くこのシリーズ、第6回目にしていきなり時代の最先端に躍り出てしまったが、果たしてこの先どうなるのか?
乞うご期待を!

 

goshimasayama18 at 18:49|PermalinkComments(0)