ムンバイ

2019年07月18日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その2

10月18日に公開予定のボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』の日本版予告編がついに解禁となった。 


前回の記事
で、『ガリーボーイ』の舞台になったダラヴィ出身の活躍めざましいヒップホップクルー、Slumgods, Dopeadelicz, 7BantaiZ, Enimiezらを紹介した。
彼ら以外にも、Dog'z, Bombay Mafia, Dharavi Rockerz, M Town Rockerzといったクルーが結成され、ダラヴィのヒップホップはまさに百花繚乱の時代を迎えた。
身体一つで喝采を浴びることができるブレイクダンス、そして高価な楽器や音楽知識がなくてもできるラップは、ダラヴィの住人にうってつけだった。
どんなにお金を持っていても、高い社会的地位にいても、ヒップホップカルチャーにおいては、スキルとセンスを自分で磨いて勝負するしかない。
「持たざるものの芸術」であるヒップホップは、ダラヴィの人々にプライドと自信を与えることができたのだ。
ヒップホップのもう一つの要素であるグラフィティも盛んになり、ダラヴィはまさにヒップホップタウンの様相を呈するようになった。

ヒップホップカルチャーの中で、唯一ダラヴィで発展しなかったのがDJingだろう。
DJという言葉の定義にもよるが、ターンテーブルにアナログレコードを乗せてプレイするクラシックなスタイルのDJ文化は、ついにインドには根付かなかった。
これは、高価な機材が必要だという経済的理由だけでなく、ヒップホップが流行した時代背景にもよるのだろう。
ダラヴィでヒップホップが人気を集め始めたのは2010年前後。
もはやレコードの時代でもCDの時代でもなく、インターネットで音楽を聴く時代になってからのことだった。

DJの代わりに発展したのが、ヒューマン・ビートボックスだ。
ダラヴィのヒップホップシーンを取り上げたこのドキュメンタリーでは、 1:38頃からビートボクサーたちが自慢のスキルを披露している。
(ダラヴィにはビートボクシングのレッスンまであるようだ)
 


やはりビートボックスから始まるVICE Asiaのこのドキュメンタリーでは、「ヒップホップは俺たちのためにあると感じる」と語るムンバイの若者たちのリアルな様子が見られる。
(出演しているラッパー達は、全員がダラヴィ出身ではない)

SlumgodsのPoetic Justiceや、Mumbai's FinestのAceら、初期から活動するムンバイのヒップホップアーティストたちが語るシーンの成り立ちは興味深い。
彼らの影響の源は、50CentやGameといったアメリカのアーティスト、そしてエミネム主演の映画"8Mile"であり、ダラヴィのラッパーたちがインド国内のバングラー系のラップとは全く異なるルーツを持っているということが分かる。
やがて、ラップバトルが行われるようになると、"8Mile"の世界に憧れていた若者たちが集まってくる。(このあたりは、映画『ガリーボーイ』のまんまだ)
だが、彼らはいつまでもアメリカの模倣のままではいなかった。
このドキュメンタリーによると、銃についてラップするようなアメリカのラッパーのワナビーは彼らの間では軽蔑され、リアルであることが評価される健全なシーンが、現在のダラヴィにはあるようだ。
やがて、Mumbai's Finestやその一員だったDivine、そしてNaezyらがムンバイのシーンをより大きなものにしてゆく。
ストリートのリアルを表現する「ガリーラップ」はますます人気になり、今ではコメディアンたちによるGari-Bというパロディまであるというのだから驚かされる。
そして、大きなレーベルや資本の後ろ盾なく、ただ「クールであること」「リアルであること」のみを目的としてヒップホップを続けていた彼らを、ついにボリウッドが発見する。
言うまでもなく、映画"Gully Boy"のことだ。
メインストリームの介入に懐疑的だったダラヴィのラッパーたちも、Zoya Akhtar監督や、主演のRanveer Singhの熱意に打たれ、心を開いてゆく。
この動画のなかでZoya Akhtarが語る「ヒップホップはインドの真実を語る最初の音楽ジャンル」という言葉が意味するところは大きい。
メジャーもインディーも関係なく、アーティストとして、よりリアルな表現を求める感覚が、ダラヴィと映画業界を結びつけたのだ。
同時に、このビデオでは、「ガリーラップ」の表面的なイメージが先行してしまうことへの危機感と、ラップだけでなくトラック(ビート)もさらに洗練され、さらなる優れた音楽が出てくるであろうことが語られている。


「ダラヴィはインドのゲットーさ」というセリフから始まるこの"Dharavi Hustle"は、ダラヴィのヒップホップシーンの多様性を伝える内容だ。
2016年に公開されたこの映像は、シーンが大きな注目を集め始めた時期の貴重な記録である。

「ダラヴィが特別なんじゃない。ここにいる人々が特別なんだ。ここにはたくさんの人種、宗教、文化がある」という言葉のとおり、多様なバックグラウンドの人々がヒップホップというカルチャーのもとに一つになっている様子がここでは見て取れる。
'Namaste, Namaskar, Vanakam, and Salaam Alaikum to all the people'という、いくぶん冗談じみたStony Psykoの挨拶が象徴的だ(NamasteとNamaskarはインドのさまざまな言語で、おもにヒンドゥーの人々が使う挨拶。Vanakamは南部のタミル語。Salaam Alaikumはムスリムの挨拶だ。ちなみにStony Psyko本人はクリスチャン)。
ここでも、アメリカのゲットーと同じような境遇に育ったダラヴィの人々が、ヒップホップのスタイルだけでなく、リアルであるべきという本質的な部分を自分たちのものにしていったことが語られている。


ダラヴィのヒップホップシーンを題材に撮影されたドキュメンタリーは本当にたくさんあって、この"Meet Some of the Rappers Who Inspired the Ranveer Singh's 'Gully Boy'"もまた興味深い内容。

「ヒップホップはヒンドゥーやイスラームやキリスト教のような、ひとつの文化なんだ」という言葉は、ヒップホップが宗教や文化の差異を超えたダラヴィの新しい価値観であり、また生きる指針でもあることを示している。
シーンの黎明期から、リリックに様々な言語が使われていることや、伝統的なリズム('taal')との融合にも触れられており、またダラヴィへの偏見や、口先ばかりで何もしない政治家の様子などもリアルに語られている。
ムスリムやクリスチャンの家庭でラッパーでいることについてのエピソードも興味深く、映画の舞台となったダラヴィがどんな場所か知るのにもぴったりの内容だ。

こちらは『ガリーボーイ』にも審査員役でカメオ出演していた、BBC Asian NetworkのBobby Frictionの番組で紹介されたダラヴィのラッパーたちによるサイファーの様子。

この動画に出演しているDharavi UnitedはDopeadelicz, 7 BantaiZ, Enimiezのメンバーたちによって結成されたユニットで、この名義での楽曲もリリースしている。

ここまで男性ラッパーばかりを紹介してきたが、女性ラッパーもちゃんといる。

このSumithra Shekarはタミル系のダリット(被差別民)のクリスチャンの家に生まれ、親族に反対されながらもラッパーとして活動している。
『ガリーボーイ』に描かれているような葛藤がここにもあるのだ。


いずれにしても、ダラヴィは、ニューヨークのブロンクスや、ロサンゼルスのコンプトンやワッツのように、リアルなヒップホップが息づく町となった。

今回はダラヴィについて特集したが、ムンバイの他のスラムでも、ヒップホップカルチャーは定着してきており、ムンバイのワダラ(Wadala)地区出身のラッパーWaseemも先日デビュー曲を発表したばかり。


彼は、以前このブログで紹介した、ムンバイのラッパーと共演した日本人ダンサー/シンガーのHirokoさんも協力している、この地域で子どもたちにダンスと音楽を教える活動を行っているNGO「光の教室」に通う生徒の一人。
父母が家を出ていってしまい、叔父のもとで育ったという彼は、ラップに出会ったことで人生でやるべきことが分かったという。
「みんなはラップを作るためにスタジオや機材が必要だというけど、僕に必要なのはこれだけさ」とスマートフォンを取り出す彼からは、iPadでレコーディングからミュージックビデオ撮影まで行ったNaezy同様、今ある環境で躊躇せずラップに取り組む心意気を感じる。

ダラヴィのヒップホップは、今ではバブルとも言えるほどの注目を集めているが、それでもなお尽きない魅力があり、かつ急速な拡大と発展を遂げている。
『ガリーボーイ』人気が一段落したあとに、どんな風景が広がっているのか。
今から非常に楽しみである。

「その1」「その2」を書くにあたって参考にしたサイト:


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goshimasayama18 at 21:37|PermalinkComments(0)

2019年07月01日

"Gully Boy(ガリーボーイ)"日本公開決定に勝手に寄せて



ボリウッド初のヒップホップ映画、"Gully Boy"の日本での公開が正式に決定した。
公開日は10月18日。
邦題はそのままカナ表記で『ガリーボーイ』となる。
この映画は、本国インドでは 2月に公開され、大ヒットを記録。
日本でも同時期に英語字幕での自主上映が行われ、熱狂的な支持を受けて正式公開が待たれていた。

…と、冷静に書いてしまったが、なにを隠そう、私も日本での正式公開を熱烈に待っていた一人だ。 
これまでずっとこの映画のタイトルを、原題の通り"Gully Boy"と書いてきたが、それを「ガリーボーイ」とカタカナ表記で書けるうれしさといったらない。
なんでかっていうと、果たしてこの映画が日本で正式に公開されるかどうか、正直結構不安だったからである。

『ガリーボーイ』は本当に素晴らしい映画だが、これまで日本でヒットしてきたインド映画のように、超人的な主人公が活躍する英雄譚でも、敬虔な信仰を持つ素朴な人たちの心温まるヒューマンドラマでも、恋愛もアクションもコメディーも出世物語も全て詰め込んだ何でもありのマサラ風エンターテインメントでもない。
ボリウッド(ムンバイで作られたヒンディー語映画)とはいえ、日本人が考えるインド映画のイメージとは大きく異なる作品なので、配給会社が二の足を踏んで、日本での公開に至らないのではないかと、心配していたのだ。
配給を決定してくれたTwinさん、どうもありがとう!

そう、率直に言って、『ガリーボーイ』は、既存の「インド映画」の枠の中で見るべき映画ではない。
もちろん生粋のインド映画ファンも必ず楽しめる作品だが、この映画は、できれば今までインド映画を敬遠してきた人にこそ見てほしい。
ヒップホップファンや音楽好きはもちろん、「ヒップホップって、川崎あたりのヤンキーがやってるやつでしょ」っていう程度の認識の人も、見てもらったら、ヒップホップがどう他のジャンルの音楽と違うのか、どんな特別な意味があるものなのかを、感動とともに理解できることと思う。
それから、代わり映えのしない毎日を鬱々と過ごしている人たち(私やあなただ)にも、是非見てもらいたい。
(押しつけがましいメッセージがある映画ではないからご安心を)

貧しい青年のサクセスストーリーや、身分違いの恋といった、インド映画にありがちな要素も確かにある。
だが、この映画は、インド庶民の夢と理想を詰め込んだファンタジーではなく、実在のラッパーとムンバイのヒップホップシーンがモデルとなった、かなりリアルに現代を描いた物語なのだ。
ゾーヤ・アクタル監督は、ムンバイのアンダーグラウンドなヒップホップシーンのリアルさと熱気に感銘を受けてこの映画の制作を決意したというし、大のヒップホップファンであった主演のランヴィール・シンは、「自分はこの役を演じるために生まれてきた」とまで語っている。
この作品は、ムンバイで何か新しいことが起こった瞬間を、映画という形にとじこめたものでもあるのだ。
製作陣と出演者の熱意が込められたストーリーをごく簡単に紹介しよう。
 
主人公のムラドは、ムンバイ最大のスラムである、ダラヴィに暮らす大学生。
アメリカのヒップホップスターに憧れながらも、殺伐とした家庭で希望の持てない日々を過ごしていた。
ある日、大学で行われていたライブで観客を熱狂させる地元のラッパーを見たムラドは、この街にアンダーグラウンドなヒップホップシーンがあることを知る。

インドでは、欧米や日本のように、ヒップホップがエンターテインメントとして大きな存在感を持っているわけではなく、一般的にはまだまだ知られていない。
インド初のリアルなヒップホップ映画でもあると同時に、大衆エンターテインメント映画でもあるこの作品は、まだまだインドでは知名度の低いヒップホップを紹介するため、ラップとはリズムに乗せた詩であること、自分の言葉を自分でラップして初めて意味を持つことなど、ラップの何たるかがさりげなく分かるような構成にもなっている。
ヒップホップに全く興味がない人も置いていかないようになっている良くできた演出だ。

ムラドは書きためていたリリックを持って、ラップバトルの場に向かう。
はじめは自分がラッパーになる気は無く、リリックを渡すだけのつもりだったが、「ヒップホップはリリックを自分でラップしてこそ意味があるもの」と言われ、ラッパーとしての一歩を踏み出すことになる。
彼がYoutubeにアップしたラップは好評を博し、先輩ラッパーや帰国子女のトラックメーカーの助けも得て、ムラドはラッパーとしての道を歩んでゆく。
貧困、音楽活動に反対する父、やきもち妬きの恋人との別れなど、ムラドはさまざまな苦境にさらされるが、やがて、ラッパーとしての名を大きく上げるチャンスに出会うことになる…。

映画のタイトルになっているガリー(Gully)は、ヒンディー語で「路地裏」のような細い通りを意味する言葉である。
登場人物のモデルの一人であり、今ではインドを代表するヒップホップアーティストとなったムンバイのラッパーDivineが「ストリート」の意味合いで使い始めた、インドのヒップホップカルチャーを象徴する言葉で、主人公のムラドは、まさにダラヴィの「ガリー」で生まれ育ったという設定だ。
この映画は、ムンバイの巨大スラムで淀んだ青春を過ごすストリートの若者が、ヒップホップと出会い、希望を見出してゆく物語でもある。

インドの社会は、あまりにも大きな格差が存在する、残酷なまでの「階級社会」だ。
ムンバイのような大都市では、大企業や政治に携わり、海外とのコネクションを持って富を独占する人々と、彼らに仕えることで生計を立てる人々との間に、あまりのも大きな格差がある。
「ガリー」に暮らすムラドは、言うまでもなく後者に属している。
ガリーに暮らす人間が少しでも生活を良くするためには、なんとかして教育を受け、少しでも良い仕事につき、必死で働くしかないが、どんなにがんばっても、富を独占する富裕層の生活には遠く及ばないことは目に見えている。
構造的に希望が持てない立場に追いやられてしまっているのだ。

「ガリー」の人々は、これまで自分たちの言葉を発信する手段を持たず、彼らの言葉を聞くものもいなかった。
だが、ヒップホップという枠組みの中では、ストリートという出自はむしろ本物の証明であり、そこに生きる者のリリックはリアルな言葉として、同じ立場のリスナーに支持されてゆく。
ヒップホップにおいては、虐げられ、搾取される者の言葉が価値を持ち、なおかつその言葉で「成り上がる」ことができるのだ。

ムンバイじゅうのアンダーグラウンドラッパー(ほぼ全員がカメオ出演!)とのラップバトルのシーンの審査員を務めるのは、海外のシーンで活躍する在外インド人のミュージシャンたちだ。

インド人によるヒップホップは、イギリスやアメリカにいる在外インド人によって始められ、本国では耳の早いおしゃれな若者たちによって、支持されてきた。
本来はストリートカルチャーであったヒップホップが、当初はハイソな舶来文化として定着してきたのだ(この図式は他の多くの国でも見られるものだと思う)。
この映画は、これまでアンダーグラウンドなヒップホップシーンを作ってきた富裕層出身者と、「ガリー」出身のムラドとの邂逅の物語でもある。
つまり、インドでヒップホップがリアルなものになる瞬間を描いた作品でもあるということだ。

アメリカの黒人の間で生まれたヒップホップという文化が、全く別の国、それも、貧富の差や与えられるチャンスの差が極端に大きいインドのような国で、どのような意味を持つことができるのか。
ヒップホップという文化の普遍的な価値を知ることができる映画である。

主人公ムラドのモデルになったラッパーNaezyは、iPadでビートをダウンロードし、そこにラップを乗せ、さらにiPadで近所で撮影したビデオをアップロードして、一躍インドのヒップホップ界の寵児となった。
(その後、この映画のモデルとなったことで一般的にも広く知られるようになり、さらにビッグな存在になった)
スタジオでレコーディングするお金はなくても、専門的な機材もコネクションもなくても、やり方次第で誰もが自分の表現を発信し、世に出ることができる。
たとえスラムで暮らしていても、インターネットというインフラさえあれば、工夫次第でいくらでもチャンスつかむことができる。 
これは、インドだけの物語でも、ヒップホップだけの物語でもなく、インターネット時代の普遍的なサクセス・ストーリーでもある。

「俺の時代がやってきた」とラップする、この映画を象徴する1曲。"Apna Time Aayega"


主人公のモデルとなったNaezyのアンダーグラウンドシーンでの成功を追ったドキュメンタリー。
ヒップホップ人気が沸騰する直前の、ムンバイのアンダーグラウンドシーンの雰囲気が感じられる映像だ。


最後にもう一度紹介する。
10月18日公開の、インドはムンバイの実在のストリートラッパーをモデルにした映画『ガリーボーイ』。
自分はたまたまインド好きの音楽好きということで、この映画に少し早く出会うことができたが、インドとか音楽とかに関係なく、できるだけ多くの人に見てほしい映画である。
あなたもぜひ。


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2019年04月30日

インド女性のエンパワーメントをラップするムンバイのフィーメイル・ラッパーDee MC

ストリートラッパーを扱ったボリウッド映画"Gully Boy"のヒットからも分かるとおり、インドでは近年アンダーグラウンドなヒップホップシーンの成長が著しい。
このヒップホップブームによって、ポピュラー音楽が娯楽映画に付随するものでしかなかったインド社会においても、市井に暮らす人々(とくにストリートの若者)のリアルな声(ラップ)がエンターテインメント産業として成立するということが証明されつつある。
(ここでいう「アンダーグラウンド」は、「非映画音楽」という意味と理解してほしい。結果的にボリウッド映画によってこのブームが広まったというのが皮肉だが)

映画会社がプロのソングライターに作らせた楽曲ではなく、一般の人々が、ラップを通して自分の言葉を広く社会に届けることができる、あわよくば、それを職業とすることができる(少なくともそれを夢見ることができる)ようになったという意味で、インドのエンターテインメント界では、今まさに大変革が起きているというわけだ。 

"Gully Boy"の舞台となったムンバイでは、ヒップホップは既にスラムに暮らす若者や子ども達が自尊心を獲得するための手段として機能している。
ムンバイ最大のスラム地区ダラヴィには、ダンスを通して子どもたちが賞賛を浴びられる場を提供する無料のヒップホップダンススクールが開かれているし、7 BantaiZに代表される多くのラッパーたちがリアルな声を発信し、支持されているのだ。
他の国々同様に、インドでも、ヒップホップは抑圧された都市の人々の声を代弁するものとして、その存在感を日に日に増してきている。

インドで抑圧された存在といえば、女性たちのことを忘れるわけにはいかない。
政治の分野では70年代にはネルーの娘であるインディラ・ガーンディーが中央政府の首相を務め、地方でも南部タミルナードゥ州では元女優のジャヤラリタが何度も州政権の座につくなど、一見すると女性の社会進出が進んでいるようにも見えるインドだが、一般的にはまだまだ「女性は結婚して家庭に入り、子どもを産み育てることを生きがいとすべし」という考え方が強い。
悲惨なレイプ被害や、カーストの掟を破った恋愛の果ての名誉殺人(女性が下位カーストと関係を持ったことによる家族の不名誉を清算するため、当事者の女性を殺害するという悪習)のニュースを聞いたことがある人も多いだろう。
(都市と地方では全く状況が違うので、一括りに考えられない状況ではあるが)

そんな中で、インド人女性として、女性であることの社会的障壁に対して声を上げているヒップホップアーティストがいる。
彼女の名前はDeepa Unnikrishnan.
Dee MCの名前で活動するムンバイで暮らす若干24歳の若手ラッパーだ。
彼女が昨年の'Menstrual Hygiene Day(月経衛生デー)'に合わせてリリースした楽曲"No More Limits".

生理を迎えても、誰もそのことに向き合おうとしないという内容の1番のヴァースに続いて、2番はこんなふうに続く。

That's the first mistake それが最初の間違いよ
Hushing your inner voice that's been trying to debate. 議論すべき内なる声を閉じ込めるなんて
Tell me now is it late? もう遅すぎるっていうの?
To fix what they broke first they got to relate? 壊されたものを治すために、まず説明してくれないと
My body, my problem, nobody can solve them. 私の体、私の問題、誰も解決してはくれない
They tell me not pure enough trying to keep me far from, みんなは私が清浄じゃないから
The kitchen, the temple, the house that they live in. 台所にも寺院にも、住んでる家にも近づくなって言う
Banished from all cause she's naturally bleeding. 生理だから、何にも近づくなって
This is your limit, better be in it too. そういう決まりだと、仕方ない事だと
Traditions don't change now don't be a fool. 伝統は今更変えられない バカな真似はやめろ
Keep it all aside what you're taught in the school. 学校で教わったことは忘れろ
This is not the city we don't play by your rules.  ここはお前のルールが通用する場所じゃない、って
When I was a kid I was locked in a room,  まだ小さかったのに、部屋に閉じ込められた
Can't touch or feel my own people I'm doom.  誰とも触れあえず、ひどい仕打ちだった
Now I wish I had asked them 'why?'  「どうして?」って聞けたらよかったわ
Why treat me different from the scientific views?  どうして私に非科学的な扱いをするの?
All the anxiety, questions unanswerd,  不安にも心配にも答えは返ってこない
Bleeding lady silence she captures.  生理中の女性には沈黙しか返ってこない


とまどいを歌った1番のヴァースはヒンディー語で、それに対する抗議を歌った2番のヴァースは英語でラップされているというのが意味深な気がしないでもない。
清浄と不浄の概念を重要視するヒンドゥー教では、生理や出産は不浄なものとされてきた。
このリリックにあるように、生理中の女性は汚れているとして寺院に入れなかったり、家から隔離されて過ごさなければならないといった伝統があり、そのために地方では女性が隔離小屋で蛇に噛まれるなどして命を落とすという不幸な出来事も起きている。
都市部の開かれた人々からすれば、こうした伝統は過去のものなのだろうし、科学的見地から批判もされているわけだが、それでもなお因襲にとらわれている人々を、このラップは糾弾する内容というわけなのだ。

他の楽曲でも、女性であるがゆえの偏見や制限に抵抗するという彼女のテーマは揺るがない。

 この"Talk My Way", "Taking My Time"の2曲をプロデュースしているKru172は、北インドのチャンディーガルのヒップホップデュオ。
この曲はデリーのラッパーSun Jとの共演。

インドのニュースサイトRediff.comの記事で、彼女は自身の生い立ちを語っている。
Rediff.com "Dee MC: The badass rapper girl"
ケーララ州で生まれ、ムンバイ郊外で育ったDeepaは典型的なマラヤーリー(ケーララ系)の家庭で育った。
父は海外で出稼ぎをしており、彼女の家庭は父が稼ぐ海外からの送金で暮らしていたという。(マラヤーリーはペルシャ湾岸諸国などの海外に出稼ぎに出る人が多い)
5歳から古典舞踊バラタナティヤムをしていた彼女は、大学に入りヒップホップと出会う。
父が家にいないために、誰にも注意されずに家で自由にPCから音楽をダウンロードできる環境が、彼女の音楽への興味を育てていたのだ。
彼女の両親は、Deepaに公認会計士のような手堅い仕事や裕福な家庭との結婚というような平凡な人生を望んでいたが、彼女はどんどんヒップホップにのめり込んでゆく。
初めはダンサーを目指していた彼女は、本格的にヒップホップダンスを志すには遅すぎたと気づいてラッパーに転向。
アメリカのラッパーたちの影響のものとリリックを書き始めた。

だが、ラッパーとしての活動をし始めた彼女に対して、家族は理解を示さなかった。
Gully Boyのヒット以前のインド社会では、古い世代はヒップホップのことを全く知らなかったし、イベントのために夜に外出することも反対されたという。

アメリカのヒップホップで彼女が唯一好きになれなかったのが、女性蔑視(ミソジニー)的な傾向だ。
インドの社会や家庭で女性がおかれた立場とあいまって、女性のエンパワーメントや社会的障壁を壊してゆくことが、彼女のリリックのテーマとなってゆく。

音楽情報サイトRadioandmusic.comのインタビューで彼女が語ったところによると、女性の地位が決して高いとは言えないインド社会であっても、ヒップホップシーンで彼女が女性であるという理由で困難に直面したことは無かったという。

「女性ラッパーだからって困難を感じたことはないわ。でも、この国で女性でいることに関しては、いつも困難に直面していると感じてるの。他の女の子たちが困難に直面しているのと同じようにね。私はずいぶん若い頃、19歳のときにラップを始めた。今じゃもう引っ越したけど、その頃私は(ムンバイ郊外の)Kalyanに住んでいたから、ほとんどのイベントは私の家から離れたところで、夜に行われることになるの。私が感じた困難はそれだけよ。シーンにフィーメイル・ラッパーは多くないわ。だから、私がシーンに参加したとき、みんな『この新しい子は誰?』って感じだったの。私が何か助けてほしいときは、みんなが手伝ってくれた。もちろん、いつだって才能を疑う人はいたけど、それは性別とは関係の無いことよ」
Radioandmusic.com "I didn't face challenges as a female rapper but I have faced challenges, being a female in this country: Dee MC"

因習にとらわれたインド社会よりも、ミソジニー的と思われていたヒップホップシーンのほうがずっとオープンだったのだ。
(これは、インドでヒップホップに興味を持つ層が、外国文化に触れることができるような開かれた環境の者に限られており、教養の程度が高いことも影響しているだろう)
同じインタビューの記事での彼女の言葉をもう少し翻訳して引用したい。

(最初に紹介した"No More Limits"や他の楽曲について)「これはこの時代の人々に目をさましてもらうためのものよ。私の曲には社会的なメッセージがあるの。ヒップホップへの愛を表現した楽しい曲もあるわ。そういう全てをミックスしたものが私の音楽ってことになるわね」

「私はヒップホップというジャンルには人々の心を開く力があると信じている。インドみたいな場所だと、人々がお金を払うエンターテインメントはボリウッドだけでしょ。みんなが求めているのはボリウッドだけだって言われている。この状況がヒップホップで変わることを願っているわ。私たちがいつもラップしているような社会問題については、誰も歌っていない。だから私たちのラップを聞くことで、人々は絆を感じることができるの。これは最初にアメリカで起こったことで、その後で世界中に広まったことよ。インドでももっとシーンは成長してゆくと思うわ」

「ラップを始めた時には、正直言ってそれがキャリアになるなんて考えてなかったわ。単に楽しかったから始めたの。自分自身でもびっくりしているんだけど、もっと早くからラップを始めていた人たちと比べて、自分がどこまでやれるか試してみたかっただけだったの。その様子を見て、応援してくれた人たちがたくさんいたわ。つまり、ヒップホップはビジネスみたいなものではなくて、コミュニティのようなものだったのよ。以前は誰もヒップホップなんて気にかけていなかったけど、その後、過去3〜4年の間に、人々はそれを職業として認識するようになったわ。2年くらい前から収入が得られるようになったの。今後5年くらいの間に、人々はもっとヒップホップを認識するようになるでしょうね」

「最も大事なことの一つは、私がラップで伝えたいのは、この国に存在する偽善についてだということ。誰もがインドは非常に近代的な国家だし、私たちの生活も近代化したと考えている。でも誰もがいまだに根深い偏見と迷信にとらわれていて、女性たちはいつもそのことについて怒りを感じているの。どのトピックも、私が個人的に経験したことに基づいているわ」



彼女だけではなく、インドのヒップホップの中心地ムンバイでは、フィーメイルラッパーたちも増えつつある。
彼女たちは「女の子がラップなんかするもんじゃない」という家族からの偏見とも戦いながらヒップホップアーティストとしてのキャリアを重ねている。


"Gully Boy"のヒットを受けて、続編の制作が決まったとのニュースを読んだが、続編を作るのであれば、今度は女性ラッパーが主人公の映画が見てみたい。
彼女たちはまぎれもない本物のヒップホップ・アーティストだ。
インドのGully Girlたちに、最大限のリスペクトを!



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2019年02月17日

映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)

インドでもここ日本でも大注目の、ムンバイのヒップホップシーンを題材にした映画"Gully Boy"の自主上映会に行ってきました!(Spaceboxさん主催、@キネカ大森)

GullyBoy

あらすじは自分が見るまで知りたくないという人もいると思うので、別の記事にまとめてあります。
他に、ストーリーに関連した見どころやトリビアなんかも書いてあるので、そっちも読んでみたい方はこちらからどうぞ( "Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア)。

じつは、感想を書くにあたって、「たぶんこんな感じだろうな」と思って書きかけていたものがあったのだけど、実際に映画を見てみたら、これがもう本当に素晴らしく、あまりにも感じたことや気づかされたことが多くかったので、事前に書いたものを全て消して今新たにこの文章を書いている。

Ranveer Singh演じる主人公は、ムスリムのラッパー、Murad.
以前も書いたように、この映画は実在のムンバイのラッパー、Divine(クリスチャン)Naezy(ムスリム)を題材にしたもので、MuradはNaezyをモデルにしたキャラクターということになるようだ。
てっきりDivineが主人公だと思っていたので、これにはけっこう驚いた。
どうやら映画の中でMuradの兄貴分にあたるMC Sher(Siddhant Chatruvedi)がDivineをモデルにしたキャラクター(ラップの吹き替えもDivine)にあたるらしい。
(DivineやNaezyについては、こちらの記事をどうぞ「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」) 

とはいえ、二人のキャラクター設定は実際のDivineとNaezyとは違うところが結構あるので、やはりZoya Aktar監督の言うとおり、これは伝記映画というよりも、彼らをモチーフにしたフィクションとして見るべき作品なのだろう。
(映画の冒頭には、きちんと'Original Gully Boys'としてDivineとNaezyの名前が出てくるのだが)

なんといってもこの映画でとにかく印象に残ったのは、Ranveerの演技の素晴らしさ!
予告編やポスターを見る限り、Ranveerの七三分けみたいな髪型や自信なさげな様子が、ラッパー役にしては違和感があるなあと感じていたのだけど、これが実はMuradの内面の繊細さや抑圧された状況を表す演出であって、そんな彼がラップを通して自信と自由と成功を手に入れてゆく過程が、じっくりと丁寧に描かれている。
実際のNaezyを撮影した"Mumbai 70"という短編ドキュメンタリーを見たことがあるが、この中でオフステージのNaezyが見せていたのと同様の繊細さがうまく再現されていた。



まだまだヒップホップが一般的でないインドで、兄貴肌でワイルドなイメージのDivineを主人公にしても共感は得られにくいだろうから、この設定は非常にうまくできているのではないだろうか。
吹き替え無しで臨んだラッパーとしてのパフォーマンスシーンももちろん圧巻で、Ranveerはこの映画でほんとうに良い仕事をしたと思う。

映画全体を見ても、貧しい生まれの青年のラッパーとしてのサクセスストーリーを軸に、恋愛、家族との葛藤、格差、貧しさゆえに手を染める悪事などの要素もうまく盛り込まれていて、単なる音楽映画でも青春映画でもない重厚な作品に仕上がっていた。
また映像がとても美しかったのも印象的だ。

ボリウッドにつきもののミュージカル/ダンスシーンのヒップホップへの翻案は、下手をするとかなりださいものになってしまうのでは、と心配していたのだけど、ミュージックビデオの撮影というとても自然な取り入れられ方をしていて、ストリート感覚とエンタメのバランスの良さに感心させられた。


また、ラップのリリックの内容に社会性が強いものが多かったという点も特筆したい。
いくつか紹介すると、「なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか」というテーマの"Doori"はZoya Akhtar監督の父で、詩人/作詞家/脚本家としても著名なJaved Akhtarの詩をDivineがリライトしたもの。
 

"Azadi"は「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。
Azadiは自由という意味のヒンディー語で、デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

 

こうしたテーマは、じつはストリートの生活やそこに暮らす人々の心のうちを扱うことが多い実際のNaezyやDivineのリリックよりも、かなり具体的で政治的なものだ。
(ムンバイで政治的、社会的なテーマを扱うラッパーとしては、MC MawaliとMC TodfodのデュオであるSwadesiがいる)
インドで最初のストリートヒップホップを題材にした映画(それも大物俳優の出演した大作)が、娯楽的なサクセスストーリーだけではなく、こうしたラップが持つ社会的な意義をもテーマにしたということは、すごく重要なことだと思う。
ボリウッドが、ラップを単なるエンターテインメントでも成り上がりの手段でもなく、持たざるものが声を上げ、社会に対峙するための武器として描いたことはきちんと評価したい。

日本でヒップホップ映画を撮ると、どうしても『サイタマノラッパー』みたいに、「ヒップホップの美学と日本人のメンタリティーの間にあるギャップにフォーカスする」という視点になりがちだけど(それはそれで大好きだが)、映画の中のムンバイのラッパーたちは、自身のおかれた社会的状況や格差や不正義をストレートにラップし、喝采を浴びる。
これは国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、表現者がどれだけ社会の抑圧をリアルに感じているかということが大きく関係しているように思う。

抑圧された人間が、自分の心のうちを自分の言葉(ラップ)で表現することによって、いかに自由とプライドを取り戻せるのか。
ヒップホップでどんな夢が見られるのか。
個人のラップが、一人の人間だけでなく、彼がレペゼンするコミュニティーにとってどんな意味を持ちうるのか。

この映画で提示されたテーマは、インドのみならず、世界中の都市に暮らす人々やヒップホップファンにとってもリアルに感じることができるものだと思う。
つまり、この映画は、DVDになったときに、『バーフバリ』とか『ムトゥ』の隣ではなく、"8 Mile"とか、"Straight Outta Compton"の隣に並べてもまったく構わないということだ。
夢を追うミュージシャンのサクセスストーリー、もしくは実在のアーティストの脚色された伝記という括りで、『アリー スター誕生』とか、『ボヘミアン・ラプソディ』の隣にこの映画のDVDを並べたって構わない。
いや、むしろそうしてほしい。 
この傑作映画は、インド映画好きのためだけの映画ではまったくない。

また、この手のヒップホップがまだまだアンダーグラウンドであるインドの市場を考えてのことだと思うが、ストーリーの中で、ヒップホップ/ラップがどんなものなのかという説明もさりげなくされる構成になっているところにも感心した。
ヒップホップに興味のない人も置いていかないようになっているから、ヒップホップ映画ではなく、単に一人の人間の成長物語としても、社会的な映画として見ることもできるのだ。


個人的な話になるが、現代のインドの音楽に興味を持ったきっかけのひとつが、90年代にインドを旅したときに、「インド社会の中で抑圧された人たちが、アメリカの黒人のように音楽で主張をし始めたら、すごいことになるだろうなあ」という気持ちを抱いたことだった。
今、それがまさに実現していて、こうしてインドのエンターテインメント界の大本山であるボリウッド映画にまでなったということに、なんというかもう感慨無量だ。

インド映画について語る時、「インド社会は現実があまりにも厳しいから、現実にはありえないような夢物語が大衆に好まれる」という趣旨のことが言われがちだが、この映画に関しては夢物語でもなんでもなく、実際にストリートからのし上がったラッパーたちがモデルになっているのだ。
エミネム主演の"8 Mile"に似ている部分もあるが(とくにラップバトルのシーン)、"8 Mile"の背景として、音楽業界の発展したアメリカ社会では、ラッパーとして有名になることによって社会的・経済的な成功が得られるというコンセンサスがあった。
インドの場合、ストリート出身者がラップをしても、それでプロになって暮らしてゆけるなんて、かつては誰も思っていなかった。
"Gully Boy"は、すでに確立された形で夢を叶えた成功物語ではなくて、インドの常識を変えた「最初の一人」を象徴的に描いているというところにも大きな意味があるのだ。

そして、「インドにおけるストリートラッパー(=gully boy)のサクセスストーリー」という映画の物語とは別に、「ストリートラッパーの人生がスター俳優主演でボリウッドで映画化する」というこの映画そのものが、この映画のモデルになったNaezyやDivineにとっての最高のサクセスストーリーになっているわけで、この現実と映画がリアル絡み合った状況がインドのインディーミュージックファンにはもうたまらない。

この映画のテーマ曲"Apna Time Aayega"は「俺の時代がやって来る!」と宣言する楽曲。


この「俺の時代」とは、インドじゅうのアンダーグラウンドラッパーが注目される時代であり、声なき者たちの声をラップという形で社会に広く届けることができる時代であり、また抑圧された境遇に生まれた者がインディーミュージックに夢を持つことができる時代のことなのだ。

学生時代以降、あんまりインドに行けていないけど、ずっとインドを好きでいて良かった。
素直にそう思えた映画だった。
まだインターネットが一般的でない時代の、欧米や東アジアとは完全に別世界だったインドも懐かしいけど、新しいインドもやっぱり最高に面白い。
そのインドの中から、こうして普遍的な魅力をもった音楽映画が出てきたということが、とても感慨深かった。
でもほんと、そんな個人の感慨なんてどうでもいいくらいの歴史的な映画だった!

改めて、日本での一般公開が待たれる素晴らしい映画でした。
今度は日本語字幕でしっかりと見てみたい! 
本当はヒンディーやウルドゥーが分かったら何倍も楽しいのだろうけど。

多少ネタバレがあっても良いからもっと読みたい、という人はあらすじの記事も読んでみてください。


(関連記事「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」

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2019年02月04日

ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開!"Gully Boy"

1年ほど前にこのブログで紹介した、ムンバイを、いやインドを代表するラッパーDivineの半生をモデルにした映画が公開される。
タイトルは"Gully Boy".
GullyBoy

主演はランヴィール・シン(Ranveer Singh)。
マッチョなボディー(マッチョが多いインド人俳優のなかでも群を抜く)と甘いマスクで日本にも根強いファンがいる俳優だ。
インド映画好きにとっては、昨年"Om Shanti Om"等で有名なディーピカー・パドゥコーン(Deepika Padukone)との美男美女カップルの結婚式を覚えている人も多いことと思う。
Deepika_Ranveer_traditional
Deepika_Ranveer_Western
さすがに何着ても似合うね。

共演は英国籍インド人のアリア・バット(Alia Bhatt).
これまでベストセラー小説"2 States" の映画版のヒロインなどを務めており、歌手としても活動している。
監督はゾーヤ・アクタル(Zoya Akhtar).

タイトルの'Gully'という英単語を調べると「小峡谷」や「水路」という訳が出てきて「はて?」となるが、ヒンディーが分かる人に聞いてみたところ、これは実はヒンディー語で、「路地」というような意味とのこと。
さしずめ「ストリート」のニュアンスで捉えたらよいのだと思う(Divineのラップクルーの名前も'Gully Gang'だ)
予告編を見ると、スラムからヒップホップでのし上がってゆくという内容の映画のようだ。


Divineは以前の記事でも書いたとおり、ムンバイの貧しい地区で育ったクリスチャン。
初めは英語でラップしていたが、自分自身をより的確に表現するためにヒンディーでラップするようになったという。
クリスチャンはインド社会のなかでは少数派(人口の2%くらい)であるため、映画では主人公の背景がどのように描かれるのか(あるいは描かれないのか)気になるところだ。
あらためて代表曲を紹介すると、「これがオレのボンベイ(ムンバイの旧名)だぜ!」と宣言する"Yeh Mera Bombay".

ムンバイとはいってもそこは'Gully'出身のDivine.
このビデオには高層ビルもオシャレエリアも出てこず、出てくるのは屋台のオヤジやリクシャードライバーのオッサンばかり。
こんなふうに下町を練り歩いていた彼がボリウッド映画にまでなると思うと非常に感慨深い。

Divineと並んでこの映画のモデルとなったのは、同じくムンバイを代表するラッパーのNaezy.
彼の代表曲"Aafat!".
さびれた埠頭やトラック駐車場といった「大都会でない」ムンバイを映したビデオからは、彼がDivine同様にストリートに出自を持つラッパーであり、同時に確かなスキルを持っているということが分かるだろう。

このビデオではいかにもストリート系なコワモテのイメージだが、彼は敬虔なムスリムでもあり、不良少年からヒップホップで立ち直ったという経験を持つ。
彼の生き様を取り上げたこの短いドキュメンタリー(英語字幕付き)は2014年のムンバイフィルムフェスティバルで最優秀短編映画賞を受賞した。

白いムスリムの衣装に身を包んだ彼からは、ラッパーとしてパフォーマンスしているときとは全く異なる印象を受ける。
彼もまた貧しい地区に生まれ、盗みや暴力行為を繰り返す不良少年だったが、あるとき逮捕されたことをきっかけに誤った道にいることに気づき、部屋に籠ってリリックを書き始め、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせた。
偶然聞いたショーン・ポールに憧れ、英語のラップを覚えてクラスメートや女の子の注目を集めていた彼は、こうした過ちを経て自分の言語で、自分の言葉をラップし始めるようになった。
彼が初めて書いたリリックはこんな感じだ。

たくさんの道が目の前にある / だがお前は多くの誘惑に溺れかけている
初めからやり直せたらと思っているが / 時間は過去に戻してはくれない
もしもまだ完全に溺れてしまっていないなら / しっかりするんだ
神様はお前のために何か考えてくれているはずだから


「これが俺のホームスタジオさ」と彼が見せるのは、父親からプレゼントしてもらったiPadだ。
スラムに暮らす家族のプレゼントがiPadというのにも驚かされるが、このiPadで、彼はビートをダウンロードし、ループさせ、彼のリリックを乗せて、ビデオクリップまで撮影した。
こうしてインターネットにアップした映像が先ほどの"Aafat!"で、1年間で10万ビューもの注目を集めることとなった(今では400万ビューにも達している)。

だが、彼の母親は、不良の道から更生したことを喜びながらも、彼のしていることを「イスラームでは認められていないことよ」とも言う。
「みんなはサングラスが似合っているというけれど、目を隠すためにしているのさ」と語る彼は、細やかな感性を持ち、音楽と家族との間で葛藤する若者でもあるのだ。
こうした繊細な部分が映画ではどのように描かれるのだろうか。

監督のZoya Akhtarは、インドではまだアンダーグラウンドな存在であるヒップホップシーンの熱さと魅力に触発されてこの映画を撮ったとのことで、この映画はDivineとNaezyの伝記ではなく、あくまで二人にインスパイアされた架空の物語だとしている。
彼らと同じムンバイ出身で、大のヒップホップファンで知られる主演のRanveer Singhは、この映画の主人公を演じることを熱望し、「俺はこの映画をやるために生まれてきた」とまで語っている。
インドの娯楽のメインストリームである洗練された映画業界に生きる彼から見て、初期衝動むき出しのムンバイのヒップホップシーンは逆にまぶしく映るのだろう。
映画のモデルとなったDivineは、監督やRanveerのヒップホップへの情熱に対して「(たとえこれが自分とNaezyの伝記でなくても)これは俺たちみんなの物語なんだ。 俺のメッセージがより多くの人たちに届く助けになるのであれば…」と映画への協力を決めた模様。

DivineとNaezyがコラボした、オリジナルの"Mere Gully Mein"

Ranveer Singhらによる"Gully Boy"バージョンの"Mere Gully Mein"

ストリートラッパー達がスラムを練り歩いて撮ったビデオを人気俳優がリメイクする日が来るとは、当時は誰も想像しなかっただろう。
ヒップホップ好きというだけあって、Ranveerのラップのスキルもなかなかのものだ。
ボリウッドスターが出演している注目作ということもあり、2019年の1月に公開されたこのビデオの再生回数は、さっそくオリジナルを超えてしまった(現時点で1,600万回ほど。オリジナルのミュージックビデオは2015年に公開され、約1,400万回)

一方で、この曲をめぐってちょっとしたトラブルも発生している。
このブログでも何度も紹介してきた鬼才トラックメーカーのSez On The Beatは、もともと彼がプロデュースした"Mere Gully Mein"の新しいバージョンが映画の中で無断で使われていたことに対して、Facebook上で抗議を表明した。
彼はこの映画でDivineとNaezyのために書いたオリジナル音源が使われると信じていたとして、インドのヒップホップを大きく変えたこの曲への敬意に欠く映画業界のやり方を非難していた。
しかし彼も映画でヒップホップシーンが取り上げられること自体には肯定的な意見を述べていて、どうやらこの問題は映画の製作者側がSezの名前をクレジットに入れ、しかるべき楽曲使用料を払うということで決着しそうな見通し。

映画のサウンドトラックは全曲がYoutubeで公開されているが、当然ながらほぼ全曲がラップというインド映画のサントラとしては異色の作品となっている。
 
参加しているミュージシャンも、Divineの他にDub Sharma、Midival Punditz、Bandish Projekt、Karsh Kaleとクラブよりの人脈が揃っており、ご覧いただいたとおり主演のRanveerもラップを披露している。
この映画はインドではまだまだストリートカルチャーだったヒップホップが、エンターテインメントのメインストリームに取り入れられる瞬間を切り取った記念碑的な作品と見ることもできるのだ。
 
インドの映画ファン/ヒップホップファンの間では、さっそくこの映画をEminemの自伝的映画"8 mile"と比較する向きもあるとのこと。
トップクラスの俳優を起用したこの映画で、インドでのヒップホップ人気の裾野はますます広がることだろう。
インドから、次はどんな面白いヒップホップーティストが登場するのだろう。

ボヘミアン・ラプソディーをはじめミュージシャンの人生を扱った映画の公開が続いていることもこの映画を後押しするかもしれない。
バーフバリ以降、日本ではインド映画の「絶叫上映」がよく開催されているが、日本人がスクリーンを前にDivineのラップを大音量で聴きながら熱狂する、みたいな日がくるのだろうか。
日本での公開が待たれるところだ。

今回の記事の参考にしたサイトはこちら
NDTB  '"Not A Biopic", Director Zoya Akhtar Explains What Ranveer Singh, Alia Bhatt's Gully Boy Is About'
Entertainment Times 'Ranveer Singh: I was born to do "Gully Boy"'

Filmfare.com 'Rapper Divine reacts to Gully Boy not being a biopic on him'
Rock Street Journal 'Sez On The Beat to get Credits & Royalties for Mere Gully Mein on Gully Boy'


熱いのはラッパーたちだけじゃない。ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ地区のヒップホップダンサーをめぐるドキュメンタリーを紹介した記事はこちらから! 「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」



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goshimasayama18 at 21:10|PermalinkComments(0)

2019年01月05日

インドのインディーズシーンの歴史その10 インダストリアル・メタルバンド Pentagram

インドの音楽専門チャンネル、'VH1 Sound Nation'が選んだ、インドのインディーミュージックシーンの歴史に残る73曲を紹介するこの企画。
久しぶりの今回は記念すべき10回目!
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのは、1994年にムンバイで結成されたバンド、Pentagram.
このリストに入っているのは1996年に発表したデビューアルバム'We Are Not Listening'からの楽曲'Ignorant One'だけど、あいにくスタジオ音源が見つからず、楽曲的にもなんかイマイチだったので、ここは独断で同じアルバムから'The Price Of Bullets'をお送りさせていただきます!


Pentagramはヘヴィロックにエレクトロ/インダストリアル的なアプローチも取り入れたバンドで、Wikipediaによると初期にはSeal、Depeche Mode、Prodigyなどのカバーをしたこともあったという。
この曲では、大胆にラップが導入されており、中間部の古典音楽風のパートもなかなかうまく組み込まれている。
90年代のインドのロック事情を考えると、1996年にこの音楽性は「かなり早い」と言える。
当時からちゃんとファンがいたのか心配になるくらいだ。

より大々的にエレクトロ・ロックを取り入れたのは2002年に発表した2枚目のアルバム'Up'からで、2005年にはイギリスのグラストンベリー・ミュージック・フェスティバルにインドのバンドとしては初の出演を果たすなど、2000年代に入ってからはさらに活躍の幅を広げた。

2006年のアルバム'It's Ok, It's All Good'から、かなりエレクトロ色が強い、'Electric'

同じアルバムから、さらにポップなメロディーの'Voice'
  

2011年のアルバム'Bloodywood'から、ムンバイの有名なお祭り、Ganesh Visarjanで撮影された'Tomorrow's Decided'.
 
世界的な視点で見たら、とくに新しいことをやっているわけではないかもしれないが、彼らもまたインドのインディー音楽史のなかではインダストリアル・メタルのパイオニアということになる。

それにしても、ここまでインド側(在外インド系アーティストではなく)の紹介してきたミュージシャンはほぼ例外なくヘヴィーロック系。
音楽途上国にさまざまな音楽文化が流入するとき、まずいちばん始めにメタルが入ってくるという話があるが、インドのインディーシーンもそんなふうに発展していったのだと思うとなかなかに感慨深いものがある。

次回の「インドのインディーズシーンの歴史」はまた在外インド系アーティストを紹介します!
それでは、また!


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2018年10月02日

インドのインディーズシーンの歴史その7 現役ベテランロックバンド、Indus Creed!

インドのインディーズシーンの歴史を紐解くこの企画、今回で7回目を迎えました。
インド独立73周年に合わせて73組が紹介されているので、残すところあと66回!
果たしてインドのインディーズシーンの歴史に何人くらいの読者が興味を持っているのか、いまひとつ分からなかったりもするのだけど、始めてしまったものはしょうがない、今回もおつきあいくださいませ。
VH1INDIAによるインドのインディー100曲

今回紹介するのはIndus Creed.
この企画の熱心な読者(いるのか?)はピンと来たと思うけど、第1回目で紹介したVan Halen風のロックソング"Top of the Rock"を演奏していたムンバイのRock Machineが1993年に改名したバンドである。
基本的に1アーティスト1曲のこのリストの中で、改名という裏技を使ってまで2曲が選ばれているということは、それだけインドのロック史で重要なバンドということなのだろう。

今回紹介する曲"Pretty Child"は、前回紹介したTalvin SinghのOK(1998年リリース)から遡ること3年、1995年にリリースされた曲だ。
さっそく聴いてみましょう。


うーん、この曲単体で聴くとどうってことのない曲だけど、少なくとも模倣っぽくは聴こえないし、Rock Machine時代の曲と比べると、後半のタブラを使ったアレンジにインドのバンドとしてのアイデンティティーが出てきているのが分かる。
歌詞も子を思う親心みたいな他愛のないものだが、あまり欧米のロックでは扱わないテーマなので、歌詞の点でもオリジナリティーが出てきたと言えるかもしれない。

同じアルバムに収録されている別の曲、"Trapped".

改名後の彼らが従来の王道ハードロック路線から距離を取っていることが分かる。
そして、ここでも「結構立派なミュージックビデオを撮っているけど、どこで放映されたのか」問題がまた引っかかる。
(MTV Indiaの放送開始は1996年10月)

正直に言うと、前回紹介した在外インド人のTalvin Singhと比較すると、今までになかったような最先端の音楽を作っているわけではないし、同時代の欧米の人気ロックバンドと比べてもこれといって特筆すべきところのない音楽かもしれない。
とはいえ、ひとつの国の音楽シーンのパイオニアとしての価値は、また別のお話。
たとえ地域限定であるにせよ、Indus Creedはインド人にとっての初めての本格的ロックバンドという唯一無二の存在として、今も人気を博しているというわけだ。
はっぴいえんどやキャロルが、世界の最先端だったわけじゃなくても伝説のバンドであり続けているのと同じように。

それでは、また!

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2018年02月17日

レペゼン俺の街! 各地のラッパーと巡るインドの旅

以前、DIVINEさんを紹介したときにもちょっと触れたけど、洋の東西を問わず、ラッパーの人たちっていうのは、レペゼンの精神っていうんですか?仲間を引き連れて、地元を練り歩くビデオを撮るのが大好きなんですなあ。
ヤンキーは地元が好き、みたいなのに通じるものがあるのかもしれない。

その気質はインドでも全く同じ。
州ごとに言語も違えば文化も違う、そんなインドのラッパー達がお国自慢のラップをやらないわけがない!
ということで、インド中のいろんな街でラッパーが地元の街を練り歩いてるビデオをYoutubeで探してみたら、出てくる出てくる。
今回はインド各地の街をラッパーが練り歩くビデオをみながら、いろんな街を巡ってみましょう。
街の名前言われたって違いが分かんねえよ、って人も、こうして比べて見てみれば、それぞれの街の個性を楽しんでいただけると思います)。

まずは地図、載っけときますね。
india_map州都入り


スタートはDIVINEさんの地元、マハーラーシュトラ州のムンバイ(旧ボンベイ)から!
曲の名前も"Yeh mera Bombay" (This is my Bombay)!!


インド西部、アラビア海に面したムンバイは、インド最大の都市にして商業の中心地。 
でもこのビデオは、高層ビルや高級ホテルが立ち並び、ビジネスマンが行き交う大都会ではなく、庶民的っていうか下町っていうか、ギリギリスラムまで行かないくらいの地区で撮影しているところが肝心。
街のオヤジ達(一部カワイコちゃん)が「これが俺たちのボンベイだぜ」ってキメまくる。
街の名前は変わったって、ここは何も変わらない俺たちのボンベイさ」っていうのは以前書いた通り。
満員のバスや電車、お祭りの人間ピラミッド、タージマハルホテルといったムンバイの象徴的な風景も挟み込まれるけど、最新のオフィス街なんかは一切出てこないのが逆に粋ってもんでしょう。
この曲、州の公用語マラーティー語ではなくてヒンディーでラップされているんだけど、それも多文化・他言語都市のムンバイならではと言える。

続いてはムンバイからインド亜大陸を北東に横断して、オディシャ州(旧名オリッサ州)へ。
ここの州都ブバネシュワールにほど近い、プリーという街出身のラッパー、Big Dealで、"Mu Heli Odia"

Big Dealは日本人のお母さんとインド人のお父さんとの間に生まれた日印ハーフのラッパーで、歌詞の最初のほうにもそのことが出てくる。今ではバンガロールを拠点として活躍しているようだ。
いずれきちんと紹介してみたいアーティストのひとりです。
プリーは漁民たちが暮らす小さな街で、映像も小さな漁船の上から始まる。
"Mu Heli Odia"は、この州で話されているオディア語で「俺はオディシャ人だぜ!」といった意味合いらしい。
プリーのオヤジ達が「俺はオディシャ人。オディア語を話すオディア野郎たちさ」とやるのはムンバイのDIVINEとほぼ同じだけど、映像は大都会のムンバイと比べると、ずいぶん鄙びた感じがするよね。
近くにジャガンナート寺院という大きなヒンドゥーの寺院があるせいか、サードゥー(ヒンドゥー行者)がちょくちょく出てくるところも見所。
海、海辺のラクダ、祭礼用の仮面、寺院、飛び立つ海鳥やクジラとローカル色がいっぱい。
俺やったるぜ的なリリックだけど、2:20くらいのところで、「インド中で食べられてるRosagolla(お菓子の名前)って、もとはオディシャのなんだぜ」なんてフレーズが入ってくるところも地元愛を感じる。
この曲は初のオディア語ラップソングということらしいが、オディア人としてのプライドが詰まった1曲なのだ。

では続きましてはプリーからぐーっと南へ下ってチェンナイ(旧名マドラス)へ。
チェンナイのあるタミル・ナードゥ州は、保守的というか真面目な州らしくて、夜更かししないようにナイトクラブのかわりにアフタヌーンクラブというのがあるとか、英語で落語をやる噺家が浮気の小噺をしても全然うけなかったとか、って話もあるところ。
それだけに、ラッパーもあんまりいないようではあるのだけど、見つけました。練り歩きビデオを。
MC Valluvarで「Thara Local」。言語はもちろんタミル語です。

チェンナイは、ムンバイ、デリー、コルカタと並び称されるインド第4の都市のはずなんだけど、撮影された地区の問題か、これまた今まで以上にド下町。
垢抜けない感じのラッパーと、映画音楽かなんかからサンプリングしたと思われるトラックがいい味出してる!
南インドに入って、街行く人々の肌の色がぐっと濃くなり、彫りの深い北インド系とはまた違ったドラヴィダ系の顔立ちになったのがお分かりいただけるだろうか。
最初と最後に出てくる屋外集会所、クリケット、おばちゃんが作るローカルフードに洗濯物干してる路地裏と、溢れ出る地元感がたまんない。
路地を練り歩いてると子供達がついてくるのも素敵だ。なんかかっこいいことやってる近所のあんちゃんって感じなんだろうね。
2分過ぎから急に路地裏ダンス対決が始まるところも、"Straight Outta Madras"っていうTシャツもイカす!

さて、最後はチェンナイからぐーっと北北西に移動して、タール砂漠の州、ラージャスタンへ。
地図に記載のあるジャイプルのもっと西、旧市街の街並みが美しい青色に塗られていることでも有名な「ブルーシティ」ことジョードプルのラッパー集団、J19 Squadで、"Mharo Jodhpur"。聴いてみてください。

男らしいラージャスターニー語のラップと、16世紀頃に建てられた青い街並みが非常にいい感じだ。
ワルってことのアピールなのか、砂漠の街なのにみんな革ジャンを着ているが、暑くないのだろうかと若干心配ではある。
あとどうでもいいけど、インドのミュージックビデオって、空撮が好きだよね。
ドローンあるから使おうぜ!ってノリなんだろうか。
ヒゲの先をツンと上に向けた男達がたくさん出てくるが、これは戦士として名高いこの地方特有の身だしなみ。途中で出てくる先のとがった靴や、色鮮やかなターバンもラージャスタン独特のものだ。 
あとこれまた地元の食べ物が出てくるけど、世界中どこでも郷土のうまいものってのは自慢なんだろうね。
ここで出てくるのは、地元スタイルのカレーとカチョリという揚げ菓子で、あくまでも庶民的なのがストリート感ってとこでしょうか。
青い旧市街の真ん中の小高い丘の上にそびえるのは、いまでは美術館になっている古城メヘラーンガル砦。
最後の方にはこの地方のマハラジャが住んでいたウメイド・バワン・パレス(今では高級ホテルになっている)も出てきて、これまたお国自慢色満載!

というわけで、今回は大都会から海辺や砂漠の街まで、ヒップホップで巡ってみました。

こうして見てみてつくづく思うのは、インドの人たちはラップを黒人文化のコピーではなくて、完全に自分たちのものにしちゃってるんだなあってこと。
ヒップホップのビデオに地元の普通のおばちゃんとかそのへんの子どもを出そうってのは、日本人の感覚だと「あえて」的な考え方でもしない限り、なかなか出ない発想だろう。
日本語ラップの黎明期なんかだと、みんな東京にニューヨークみたいな「ヤバいストリート」っぽいイメージを重ねて、そっちに寄せた表現をしていたように思う。
もちろん、当時とはラップの国際化の度合いが全然違うっちゃ違うのだけれども、なんというか、インド人は、自分たちが黒人文化に寄っていくのではなくて、ラップのほうを無理やり自分たち側に構わず引き寄せちゃっている感じがする。 
そしてそれが結果的にものすごく面白い表現になっている。 
これだけ多様な言語や文化を持つインドの、どこに行ってもちゃんとその傾向があるってのが、なんつうかソウルを感じるじゃございませんか。

日本であえて似たテイストを探すなら、この曲かなー。


また他の街で練り歩きラップを見つけたら紹介します!
それでは今日はこのへんで。 

goshimasayama18 at 18:20|PermalinkComments(0)

2018年01月12日

Yeh mera Bombay, not Mumbai!

さて、今日は、前回ムンバイのラッパー、Divineの曲「Yeh mera Bombay」(This is my Bombay)を紹介したときに考えたことを少し書きたいと思います。

なぜYeh mera MumbaiではなくYeh mera Bombayなのか?って考えたときに、ひょっとしたら音の響き以上の理由があるかもしれない、と思ったのがことの発端。

もっかい聞いてみましょう。



曲の最後(2:15あたりから)に、ムンバイでなくボンベイと呼ぶことを説明するかのように、英語で「I love my city. You could change the name. But you know what it is. Same old Bombay」という語りが入ることに注目。


前回書いたように、ボンベイは1995年にムンバイに改称された。

この頃から、ムンバイでは、通りの名前から駅の名前にいたるまで、イギリス植民地時代の名称がインド固有の名称にどんどん改称されていて、植民地時代の名称を一掃する運動が進められている。

そんなわけで、久しぶりにムンバイに行く人のために、新旧の通りの名前一覧のサイトもあったりする。



海辺の大通り「マリン・ドライブ」みたいな、かなり有名な通りの名前でも、構うこたねえって感じでインド由来の名前にがんがん変えられていて、ムンバイの玄関口の駅の名前も、1996年には「ヴィクトリア・ターミナス」から、かつてこの地方を支配していたマラータ王国の創始者の名を冠した「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス」に改称され、さらに2107年にはチャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ターミナス駅に改められている。

「マハーラージ」は「偉大な王」を意味する尊称なのだけど、いくらなんでもここまでしなくてもいいんじゃないか、という意見が地元でも囁かれていたりもする。


これが世界遺産にも登録されているその駅舎(wikipediaから)。
CHATRAPATI_SHIVAJI_MAHARAJ_TERMINUS



植民地時代の呼称から地元の言語への変更はインド中で行われていて、カルカッタはコルカタに、マドラスはチェンナイに、ITで有名なバンガロールはベンガルールに改名された。

この動きは一見良いことのように思えるけれども、ムンバイの場合、この地名改名運動を主導しているのがナショナリズム政党であるシヴ・セーナーだというのがややこしいところ。

インドのナショナリズムは、一般的にはヒンドゥー・ナショナリズムと呼ばれるもので、いわゆる「ヒンドゥー至上主義」。

簡単に説明すると、母なる大地インドはヒンドゥー教徒のものだという考えで、イスラム教を敵視し、キリスト教は堕落した西洋の文明をインドにもたらす害悪、と考える排外主義的な側面が強い。

(以前紹介したSu Realの記事でも少し触れた通り)

ところが、このシヴ・セーナーのややこしいところは、ヒンドゥー至上主義だけではなくてマラータ至上主義という側面が非常に強いこと。

これは、ムンバイを含むマハーラーシュートラ州、その中でもマラーティー語を話す人たちのナショナリズムで、攻撃の矛先は他州から移住してくる人たちにも向けられる。

ムンバイでは、このシヴ・セーナーと対抗すべく、中央で政権を握るBJP(インド人民党。これもヒンドゥー・ナショナリズム色が非常に強い政党とされている)も州のマジョリティーであるマラータ人の歓心を買うために、植民地時代の地名を改名しているというから、きりがない。

しかも、改名するにしても、その地域になんの関係もない女神の名前とかに慣れ親しんだ地名が変えられることもしばしば。

当然、こういう動きに批判的な意見もあって、「こんなバカバカしいことやめようぜ」という記事もあったりする。

現代インド文学の大作家、ロヒントン・ミストリーの小説「かくも長き旅」でも、パールシー(ゾロアスター教徒)である主人公とクリスチャンの友人が、シヴ・セーナーによってムンバイの地名がどんどん変えられてしまうことに対して、「故郷が無くなってしまうようだ」と嘆く場面が出てくるのだが、ナショナリズムの埒外にいる人間にとっては、かなり居心地の悪い状況なのだろう。

前回書いたように、DIVINEもクリスチャンで、マラーティーではなくヒンディー語が第一言語のようだ。

彼がムンバイではなくてボンベイをその曲名に選んだことには、スラムの生活改善よりも人気取りの地名変更ばかり行っている政府へのプロテストの気持ちが込められているのかもしれないと思った次第。



ふと思い出したけど、2010年から活動しているムンバイのヒップホップ/レゲエユニットのBombay Bassmentもムンバイではなくてボンベイをその名に選んでいる。



彼らはケニア出身のBobを中心メンバーとした面白いユニットで、いずれ紹介したいと思います。

インドの地名(駅名)改名についてはこの記事も詳しい。

BJPの主な支持基盤が、ビジネスマン、マールワーリー(ラージャスタン、グジャラートあたりをルーツに持つ商人カーストで経済的な力が強い)、ジャイナ教徒だなんて知らなかった。

それでは今日はこのへんで!

goshimasayama18 at 22:17|PermalinkComments(0)