フュージョン

2021年05月02日

iPadで奏でる古典音楽! 自由すぎるカルナーティック奏者 Mahesh Raghvan

インドでは、ジャズやロックやヒップホップなどの現代音楽と古典音楽との融合が頻繁に行われており、こうした新旧・東西を融合した音楽は、「フュージョン・ミュージック」と呼ばれている。

…なんていう書き出しの記事を、このブログですでに10本近く書いただろうか。






インド人の「あらゆるものを自分たちの音楽に取り込んでしまう」という傾向は、昨日今日に始まったものではない。
例えば、南インドの古典であるカルナーティック音楽ではバイオリンが主要な楽器として使われているし、古典音楽・伝統音楽で広く使われている鍵盤楽器ハルモニウムも、もともとはヨーロッパ発祥の楽器である。
インドの古典音楽に詳しい人なら、それに加えてサックスやギターや大正琴までもが、古典を奏でる楽器として使われていることをご存知だろう。(というか、古典音楽に全く詳しくない私でも知っている)


バイオリンもカルナーティック音楽に使われるとご覧の通り。
フレットのない構造を生かして、ダイナミックに上下する旋律を表現するさまからは、もはや西洋楽器の面影はまったく感じられない…


この床置き式のアコーディオンみたいな楽器がハルモニウム。
ハルモニウムはもはや西洋音楽で使われる機会は消滅してしまい、ほとんど南アジア専用の楽器として使われている。
この演奏はパキスタン〜インドで親しまれているイスラーム神秘主義(スーフィズム)の宗教歌謡カゥワーリー。

 
サックスの倍音豊かな音色は声楽にも近く、思ったよりも違和感なくカルナーティック音楽になっている。

 
さきほどのバイオリンの演奏を見て、フレットがないからああいう演奏ができるんだよな…と思った人もいるかもしれないが、ギターでもこの通り。
ちなみにギターはインド古典音楽で使われる場合は、インド風に「ギタール」と呼ばれるらしい(単にインド訛りの英語なのかもしれないが)。

大正琴は現地では'bulbul tarang'という名前で呼ばれている。
この演奏方法は、日本人の発想ではまず思いつかない。
インド人たちは、初めて触れる楽器と出会うたびに、古典音楽を演奏する方法を考えずにはいられないのだろうか。

おそらくだが、インド古典音楽の根底には、その音楽の本質を表すことさえできれば、定まった様式(使われる楽器や演奏方法)は問わないという哲学があるのだろう。

古今のインド人たちのフュージョンっぷりを見れば、彼らがどんな楽器で古典を奏でようと、もう驚くことはない。
そう思っていた私はまだまだ甘かった。

今回の記事の主役、Mahesh Raghvanを初めて見た時、私が考える「フュージョン」の限界は、インド人には遠く及ばないということを思い知らされた。
カルナーティック音楽をベースとしたフュージョン・ミュージックを演奏する彼がプレイする「楽器」は(それを楽器と呼ぶなら、だが)、なんとiPadなのだ。

18世期に作られたこの古典楽曲の、1:23から始まるソロに注目!
Mahesh RaghvanがプレイしているのはGeoshredというiPadのアプリである。
iPad上に表示された音階をなぞることで、フレットレスの弦楽器と同じように無段階に音程をコントロールすることができるこのアプリを利用して、彼はカルナーティック音楽特有の大きなビブラートや微妙な音階を自在に表現している。

この"ShiRaga2.0"は18〜19世紀の作曲家Tyagarajaの作品をダブステップにアレンジしたという意欲作。
彼らは'Carnatic 2.0'と称して、カルナーティック音楽を現代風にアレンジする取り組みを進めている。
こうした取り組みは、インドではMaheshに限ったことではなく、たとえばロックバンドではPinapple Expressがプログレッシブ・メタルとカルナーティック音楽との融合に取り組んでいる。

Maheshは、純粋な古典音楽を追求するというよりは、あくまでも古典の要素を新しい形で表現するということに興味があるようで、彼のYouTubeチャンネルでは、現代のヒット曲や映画音楽をカルナーティック・スタイルで演奏した動画が何百万回もの再生回数を叩き出している。


「ホグワーツがインドに開校したら…」という設定も面白い『ハリー・ポッター』のインド風カバーは、1,000万回再生にも迫る勢いだ。
 
ホグワーツのインド校にはきっとサイババみたいな見た目の校長がいることだろう。

スターウォーズの『帝国のマーチ』をインド風に演奏すれば、ダースベイダーもボリウッドダンスを踊りそうな雰囲気に。
スターウォーズが黒澤明の時代劇映画影響を受けていることはよく知られているが、もしジョージ・ルーカスがインド映画に影響を受けていたらこんな雰囲気になっていたのだろうか…。

Luis FonsiとDaddy Yankeeの大ヒット曲"Despacito"もタブラやバーンスリーを交えた編成で演奏すればこの通り。
ラテンのリズムとメロディーがここまでインド的なアレンジに合うとは思わなかった。

同じ編成で演奏したMaroon 5の"Girls Like You"も聴きごたえたっぷりだ。

インド古典音楽は国内外にこだわりの強いファンが非常に多いジャンルなので、彼らがMaheshの演奏を聴いてどう感じるのか、気になるところではあるが、YouTubeのコメント欄を見る限り、インドでは好意的に受け止める声ばかりのようだ。

師のもとで一生かけて追求するほどの深さを持ちながら、これだけの自由さとフットワークを持ったインド古典音楽は、現代社会における伝統芸能として、理想的なあり方をしているように思える。

インドの音楽シーンとiPadの関わりといえば、今日のインドのストリートラップブームの火付け役となったNaezy(映画『ガリーボーイ』の主人公ムラドのモデルとなったことでも有名)が、出世作となった楽曲"Aafat!"をiPadのみで作ったことが知られている。(ビートをダウンロードし、マイクを繋いでラップを吹き込み、ビデオクリップを撮影してYouTubeにアップロードするという行為を全てiPadのみで完結し、新しいストリートラップのあり方を提示した)
インドには"Jugaad(ジュガール)"という「今あるもので工夫して、困難を解決する」という発想があるが、インド人とiPadの組み合わせは、音楽界に無限の可能性をもたらしてくれそうだ。



…と、ここまで書いて記事を終わりにしようと思っていたのだが、もうひとつインド古典音楽に合いそうな楽器を思いついてしまった。
それは、1920年にロシアの発明家が作り出した「世界初の電子楽器」テルミンである。
かつてインドが、ソビエトとの経済的なつながりが強かったことを考えれば、テルミンで古典音楽を演奏する人がいてもいいはずだと思ったのだが、ちょっと調べた限りでは、「古典テルミン奏者」は見つけられなかった。

無段階に音程を調整でき、ビブラートも自在なテルミン、インド音楽にぴったりだと思うんだけどなあ。

インド古典音楽界に新風を巻き起こしたいあなた。(誰だよ)
テルミンが狙い目ですよ!
動画をYouTubeにアップすれば、注目されること間違い無し!


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(追記)















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goshimasayama18 at 22:25|PermalinkComments(0)

2021年04月18日

日本人によるヒンディー語のオリジナル・インド古典フュージョン! Hiroko & Ibex "Aatmavishwas -Believe In Yourself-"



前回の記事「日本語で歌うインド人シンガーソングライター」 Drish Tの反響が非常に大きかったのだが、今回は逆方向から同様の衝撃を与えてくれる楽曲を紹介したい。




以前、"Mystic Jounetsu"(『ミスティック情熱』)でコラボレーションしていたムンバイ在住の日本人ダンサー/シンガーHiroko Sarahとムンバイのヒップホップシーンの創成期から活動するラッパーのIbexによる新曲"Aatmavishwas -Believe In Yourself"は、なんと全編がヒンディー語で歌われている。
つまり、今回は「ヒンディー語で歌う日本人シンガーソングライター」の作品というわけだ。
さっそくミュージックビデオを見ていただこう。



前作のIbexによる日本語混じりのラップも衝撃だったが、今回はそれを上回る衝撃!
歌詞のこと、古典音楽の要素をふんだんに取り入れたアレンジのこと、ミュージックビデオのダンスや衣装のこと、気になることがありすぎる!
ということで、コロナウイルス感染者の急増により、再びロックダウン下にあるムンバイのHirokoさんに、インタビューを申し込んでみた。

Hirokoさんとは、最近では昨年11月のインドのヒップホップを紹介しまくるオンラインイベント'STRAIGHT OUTTA INDIA'で共演しているものの、インタビューは昨年5月のロックダウン中にリリースされた楽曲の特集以来。

前回のインタビューもロックダウンの真っ最中だったので、Hirokoさんに「ロックダウンを呼ぶ男」とか言われつつ(笑)、新曲の話題を中心にいろいろと話を伺った。


ー新曲の"Aatmavishwas -Believe In Yourself-"はまた新しい方向性の作品になりましたね!
制作の経緯を教えてください。

「以前からインド・フュージョンの楽曲やヒンディー語の歌の作品を制作したいと思っていたんですが、ようやく形にできました!
なんとなくインストはこんな感じにしたいというイメージがあって、そこからまずボーカルメロディーを作曲しました。実は最初はテンポがゆっくりめのIndian Fusion R&Bのつもりで作曲していたのですが、歌詞を書いたら予想外にパワフルになったので、BPMを上げてアップテンポなダンスナンバーに仕上がりました。
タブラのビートも入れることは決めていたのですが、せっかくだからインド古典音楽の要素を入れてみようと思って、こういう形になりました。
カタックダンサー(古典舞踊のひとつ。Hirokoは今年カタックダンスのB.A. 学士を取得した)としてのインド古典音楽へのリスペクトもあって、今回タブラは現代音楽風にアレンジはせず、古典要素をメインに取り入れることにしたんです」

ロックやダンスミュージックなどに古典音楽の要素を取り入れた音楽は、インドでは「フュージョン・ミュージック」と呼ばれている。
日本の伝統音楽と現代音楽の融合にも言えることだが、こうした「フュージョン」は、よほどセンスよくやらないと、逆にダサいものになってしまうというリスクを孕んでいる。
とくに、今回はダンスホール的なリズムにヒンディー語の歌とラップ、さらにはタブラのビートまで乗るという盛り沢山の作品だ。


「Ibexにはラップで参加してもらうことを最初から決めていましたが、彼のシグネチャースタイルであるダンスホールのビートを取り入れて、古典のタブラビートと合わせてアレンジしたら面白いなと考えました。
タブラの他に、シンセサイザー音源ですがインドの打弦楽器サントゥールも取り入れています。イントロや私のボーカルパートのインストに入っているこのサントゥールの美メロがお気に入りです。
サントゥール部分は、ムンバイ在住のサントゥール奏者の友人Takahiro Araiくんに聴いてもらい、アドバイスをもらいました。
アドバイスをもらったのは『ラーガ(インド古典音楽の旋律を構築するための規則)に基づいたメロディーにするべきか』というポイントで、『この曲は古典音楽ではなくフュージョンなので、ラーガを気にせず独創的にすればよいのではないか。ラーガを気にするあまり野暮ったい音楽になってしまう可能性もあるし』という結論になりました。
ボーカル、ラップ、ダンスホールのドラムビート、タブラ、サントゥール、ベースと、要素だけ見るとこれでもか!ってくらい色々入ってるんですよね。バランスにはすごく気をつけましたが、これでもか!くらいがインド的なんですよ(笑)」

それぞれのサウンドの良さを最大限に引き出しつつ、お互いがぶつからないように相当意識したそうで、ミックスやマスタリングにはかなりこだわったとのこと。
日本のサウンドエンジニアのAki Ishiyamaさんに何十回とリテイクをしてもらい、ようやくこのサウンドが完成したそうだ。

こちらはアドバイスをくれたというムンバイのTakahiro Araiさんのサントゥール演奏の映像。


インドの古典音楽や古典舞踊は一生をかけてその真髄を追求しなければならないほどに深みのあるものだが、Hirokoさん同様、現地に住んでまでその道を追求する姿勢には尊敬の念を抱かざるを得ない。
それにしても、古典のみならず、ラッパーとの共演やフュージョンにも果敢に取り組むHirokoさんのいい意味での異端っぷりは際立っている。


ーこれまではHirokoさんが日本語で歌ってIbexが英語でラップしていましたが、今回は全てヒンディー語ですよね。Hirokoさんにとってヒンディー語で歌うことは新しいチャレンジだったと思いますが、ヒンディー語での作詞やメロディーに乗せることなど、苦労した点やとくにこだわった点はありますか?

「カタックダンスの師匠とお話しする時はヒンディー語なので、 以前からプライベートレッスンでヒンディー語は学んでいました。以前ライブでボリウッドのヒンディー語ソングのカバーを歌ったことはありますが、自分で作詞したのは初めてでした。
歌詞はまず英語で作詞してから、ヒンディー語に訳しました。ヒンディー語の歌詞をリズムに乗せるのは、あまり難しくなかったです。どの言語でも、歌詞をリズムに乗せるのが楽しくて好きなんです。
こだわった点は、ラップではないけれど、歌詞のほぼ全体で韻を踏むようにしたところです。
インドの人ってたぶん韻を踏むのが好きなんだと思うのですが、インドでは、ラップ以外の歌の歌詞や詩などでも韻を踏んでいるものが多いんです。響きも綺麗ですしね。
苦労したのは発音です。
ヒンディー語は喋るのも難しいですが、メロディーとリズムに乗せながら発音まで意識するのは難しくて、毎日家で歌って録音して、それをIbexやヒンディー語の先生にチェックしてもらって、また直して、を繰り返しました。
日本語だとわりと柔軟性があるというか、『あなた』を『あーなーたー』と歌っても違和感なく、意味が通じますよね?でも、ヒンディー語は微妙な発音の違いで意味が変わったりするので、例えば『सोचते(考える、思う)』の発音は『ソーチテ』で、リズム重視で『ソチーテ』と歌ってしまうとインドの人には違和感があるようで、そこを指摘されました。
その後、歌詞に『सोचते』が入った曲ばかり聴いて研究しました(笑)」


ーサウンドについても、タブラが大胆にフィーチャーされていて、かなり古典テイストを入れてきていますよね。とくにタブラは非常に印象的です。タブラ奏者のGauravにはどんなリクエストをしていたのでしょう?

「Gauravには、とにかく現代アレンジはせず、古典(セミクラシカル)テイストのタブラビートにしてほしいと依頼しました。
あと、基本のリズムはTeen taal(16拍子)でとお願いしました。ドラムのビートがダンスホール・スタイルで変則的に入っているので、Teen Taalの四つ打ち的リズムが合うという確信があったんです。
最初にGauravからあがってきたサンプルが、なぜかKeherwa taal(8拍子)ベースだったのですが、聴いてみたらインストのドラムのビートと似ていて、多分合わせてくれたんだろうなぁと思ったのですが、それだとタブラのビートがかき消されてしまうので、そこはTeen taalにしてとお願いしました。
あと、Ibexのラップがパワフルなので、そこからのトランジションにパワフルなタブラパターンを入れてもらいました。
また、一番のこだわりはイントロのTihaiと、中盤のタブラソロとBolです。ここは思いっきり古典の雰囲気を出して、ミュージックビデオでは私もカタックダンスを踊ろうと考えました」


タブラ奏者はGaurav Chowdhary.
Hirokoさんの『負けないで』のカバーにも参加していたものの、本格的なフュージョン作品への参加は今回が初めてだったという。
低音を支えるダンスホール・レゲエのビートと、高音域を中心に細かいリズムを刻むタブラの音色の立体的な融合がこの曲を際立たせている。

'Tihai'と'Bol'については、少し説明が必要だろう。
Tihaiというのは、北インド古典音楽のリズムのキメの部分で使われる技法で、恥ずかしながら何度聞いてもよく理解できないのだが(なんとなくは分かる)、Hirokoさんいわく「Tihai(ティハイ)は北インド古典音楽で、あるひとまとまりの完結を表すもので、同じコンポジションを三回繰り返してから、サム(一拍目)で終わるもの」とのこと。
「このページの解説がわかりやすくて面白い」とHirokoさんにこのリンクを紹介してもらったのだが、分かったような、分からないような…。
 

'Bol'とは、タブラで用いられる「口で発するリズム」のこと("Aatmavishwas"では2:20からの部分で取り入れられている)。
タブラの音色は全て、'Dha'とか'Na'とか'Tin'といった声で表現することができる。
タブラ奏者は師匠から口頭でリズムを教わって修行し、自分の叩くリズムを全て声でも表現することができるのだ。
Bolで表現したリズムをその通りにタブラで叩くパートはタブラ演奏の見せ場のひとつで、この曲のソロはまさにそうした構成になっている。

タブラとの共演について、ラッパーのIbexに聞いてみた。

ータブラのビートに乗せたラップのフロウがすごくナチュラルに聞こえますが、特に気をつけたとこはありますか?

「そうだな、この(ダンスホールの)スタイルは俺のオリジナルなラップ・フロウで、自分の感覚や気持ちをリリックといっしょにビートに乗せるようにしている。この曲でも同じように、俺のフロウが自分のシグネチャー・スタイルである(ダンスホールの)ビートにばっちりはまったんだ」

ーインドにはダンスホールっぽいフロウでラップするラッパーはほとんどいないと思うのですが、ヒンディー語でダンスホールっぽくラップするのは難しいのでしょうか?

「ダンスホールには独特のヴァイブがあって、インドで次に来る流行になるだろうね。俺はショーン・ポールとかスノーみたいなアーティストを聴いてラップを始めたから、ダンスホール・フロウは自然と出てくるんだ。でもダンスホールやレゲエのフレイヴァーに合わせてヒンディーでトースティング(レゲエ版のラップ)をするラッパーは少ないね。
ダンスホールはヒップホップのラップのフロウに比べて、メロディーの要素が多いから、より難しいのは間違いないと思う。言葉をひねったり、工夫したりしなきゃならないから、より作るのが複雑になるんだ」

ダンスホール・レゲエやレゲトン風のビートは、アンダーグラウンドからメインストリームまで、インドのヒップホップでも広く導入されているが、Ibexの言葉の通り、ダンスホール風のフロウを披露するラッパーは意外にもほとんど見当たらない。
Ibexは2月にリリースした"Mama Sitaphal"でもヒンディー語のダンスホール・ラップを披露していて、こちらもかなりクールな仕上がり。

ヒンディー語は言葉の響きもダンスホールにばっちり合うと思うし(どちらも吉幾三っぽく聞こえるときがある)、ヒンディー・ダンスホールはこれから注目したいジャンルである。

続いて、"Aatmavishwas"アレンジについて、再びHirokoさんに聞いてみた。

ーアレンジもかなり凝っていますよね。とくに、静かなイントロから始まってリズムが入ってくるところとか、ソロでタブラのBolからラップが入ってくるところが印象に残りました。どんなふうに曲の構成を考えたのでしょう?

「ありがとうございます!私のメロディーに合わせて、インストのアレンジは日本のアレンジャー PEPE BEATSさんにお願いしましたが、私がMusic Directorとして曲全体の構成を考えました。
まず私のボーカルパート(メインコーラス、ヴァース、ブリッジ)のメロディーを完成し、その後にIbexラップパートを入れ、メリハリをつけるため間にBolとタブラソロ、という感じに構成していきました。タブラ奏者のBolとラップは似ているところもあって、掛け合いは絶対面白いなと思ったので、Bol→タブラソロ→ラップという流れにしました。
静かなサントゥールのイントロから始まって、アップテンポになるところもこだわりましたね。
また、イントロに入っているタブラのTihaiですが、カタックダンスでも曲の最初にあのようにTihaiが入るんです。
インド古典音楽や舞踊界隈の方なら『おっ』と思っていただけるかも」
 
 
ー歌詞の内容についても教えてください。訳を読む限り、かなりポジティブなメッセージですね。

「タイトルの"आत्मविश्वास Aatmavishwas"は'self confidence (自信)'という意味のヒンディー語で、 歌詞は私とIbexの実生活での経験を紡いだものです。
人生で似たような経験をした人や困難な状況にある人達に勇気を与えるパワフルな歌詞になっています。
  
'自分を信じて。
自信をもって、あなたのままでいて。
あいつらが何を言おうがどう思おうが気にしないで。
誰もあなたに強制はできない。
誰もあなたを変えられない。
だってあなたはパーフェクトだから'
(※メインコーラスとヴァース部分より)

実はこの歌詞を書いた時、私はとある人から精神的ハラスメントを受けていて、ストレスから身体を壊して自宅で二週間くらい寝込んでいたんです。
だいぶ身体が回復してきた頃に、いきなりぱーっと歌詞が降ってきて一気に書き上げました。
書き上げたら気分がスッキリして、前へ進むぞー('आगे बढ़ो Move ahead'. このフレーズはこの曲のリリックでも使われている)という気持ちになり、そこからはストレスも無くなっていきました。
私が歌詞を書く時は、なぜか気分が落ちていたり大変な出来事があった時が多くて(笑)、ネガティブな感情を昇華して歌詞を書く感じなんです。」


YouTubeの字幕をONにすると、日本語や英語でも字幕を見ることができるので、ぜひ映像やメロディーといっしょに歌詞も味わってみてほしい。
歌詞はこのサイトでも翻訳つきで読むことができる(https://genius.com/Hiroko-and-ibex-aatmavishwas-believe-in-yourself-lyrics)。
Ibexに、ラップのパートについても聞いてみた。

「この曲は俺たちが2人とも、本当にストレスの多いときに書いたものなんだ。俺はロックダウンの最中にこのリリックを書いた。世界中が最悪の時を過ごしていて、俺は本当に自由になりたかったし、心を開いて自分自身を取り戻す必要があった。この歌詞を書くプロセスを通して、音楽がポジティブさと希望をもたらしてくれたんだ。
このリリックを純粋な形で引き出してくるのは大変だったよ」


サウンドだけでなく、ミュージックビデオもインドらしさを感じさせつつも、非常にクールに仕上がっている。
映像へのこだわりについてHirokoさんに聞いてみた。

ー『ミスティック情熱』のときは、日本のポップカルチャーを想起させるような映像が多かったですが、今回はインドの伝統的な要素が目立ちます。映像で意識したことを教えてください。

「楽曲がインド古典の要素を取り入れていたので、映像もインドの伝統的な雰囲気を入れたいと思いました。
ただ、古典の雰囲気だけではなく、Ibexのラップパートのダンスホール・フレイヴァーや、カタックの衣装から現代風な衣装までの七変化など『どんな私も私だよ!だからありのままを見てね』というコンセプトのもと、色々なイメージの映像を入れつつ、全体的にはまとまった映像作品にすることを意識しました。
北インド風なロケーションが多いですが、実はムンバイのみで撮影しています」

ミュージックビデオで踊っているのは、Ibexの"Mama Sitaphal"にも参加しているムンバイのダンスホール・ダンサーSanikaとAditi.
二人ともダンスホールをルーツに持つダンサーだが、Sanikaは南インドの古典舞踊バラタナティヤムも学んでいるそうで、Ibexのラップ・パートではダンスホール、Hirokoさんのヴォーカル・パートではセミクラシカルと、多彩なダンスを見せてくれている。
カタックダンスのパートはHiroko、ダンスホールのパートはSanika, セミクラシカルのパートはHirokoとSanikaの共作によって振付が行われたという。


ーダンスと音楽や歌詞との関係について教えてください。

「イントロやタブラソロでタブラと一緒に踊っているのは、ピュア・カタックダンスです。
ミュージックビデオのイントロで入っているグングルー(足につける鈴)の音は、撮影中踊っていた私の本物のグングルーの音なんですよ。
また、歌の前半私のヴァースで私と二人のダンサーが踊っているのは、古き良きボリウッド映画のようなセミクラシカル・スタイルのダンスです。
古典舞踊のムドラー(象徴的な手の形やしぐさ)を取り入れつつ、アレンジした振付になっています。
例えば、
『क्योंकि आप एकदम सही हो
(Because you are perfect)
(だってあなたはパーフェクトだから)  』
という部分は、カタックダンスのアビナヤ(表示的な意味を持つ舞踊。詳しくはExcite辞書「インド舞踊」参照。https://www.excite.co.jp/dictionary/ency/content/インド舞踊/)でも使っているムーブメントを取り入れました。
このミュージックビデオでは、シンガーである私とダンサーである私のそれぞれの個性を最大限に活かすことができました」 

リリック同様に、ダンスも古典的なものと現代的なものが有機的に融合しながらそれぞれが意味を持ち、強いメッセージを発信しているのだ。
その撮影はかなりハードなものだった。
 
「撮影はムンバイの自宅から車で約3時間半の郊外にあるセットで行い、朝10時に自宅を出発して午後2時から撮影開始、夜9時半すぎまで撮影しました。その後、ハイウェイ沿いのDhaba(ロードサイドのレストラン)で皆で遅いディナーを食べて、帰宅は深夜2時半でした。
ハードスケジュールでしたが、とっても楽しかったです。
チームの皆のサポートのおかげで、撮影はスムーズに行うことができました。
特に、D.O.P.(撮影監督)のMohitとBTSフォト撮影担当のAkashは休む間もなくずっと撮影してくれていたので、かなり疲れたと思います。ちなみにフォトグラファーのAkashは、インドのラッパー Emiway BantaiやKR$NAのミュージックビデオ撮影にもいつも同行しているんですよ。
撮影日が二週間ずれていたらロックダウンで撮影できなかったので、ぎりぎり良いタイミングで撮影ができてよかったです」

完全なインディペンデントで製作されたにもかかわらず、クオリティの高い映像に驚いたが、EmiwayやKR$NAといったインドを代表する人気ラッパーのミュージックビデオの撮影にも携わるスタッフが関わっていたと聞いて納得。
それにしてもムンバイとデリーという異なる拠点を持ち、かつて激しいビーフを繰り広げていたこの2人が同じスタッフを使っているという情報にはちょっとびっくりした。



印象的な衣装にもかなりこだわったようだ。

「私の衣装は全て自前で、カタックダンスの衣装はステージで着ているものです。もともとダンサーなので衣装やインドジュエリーは色々持っているのですが、今回こだわりポイントとして、ウェスタンスタイルのジャンプスーツにインドジュエリーをコーディネートしてみました。
また、Ibexと私が一緒に登場するシーンでは、事前に打ち合わせして衣装のカラーコーディネーションをしました。
ラッパーのIbexは今回、インドの伝統的なブラッククルターに迷彩柄のスカーフでターバンを巻くという、これまでにない衣装も取り入れています。
ブラッククルターにターバンのIbexとダンスホールダンサー達のシーンはかなりクールな映像になっています。
タブラ奏者のGauravもインドの伝統的なパグリー(ターバンの一種)をかぶっており、ターバン萌えな皆様やインド映画ファンの皆様にも楽しんでいただける映像になっていると思いますよ!」


ー最後に、Hirokoさんの今後の予定を教えて下さい。

「いくつかのミュージックプロジェクトが進行中です。
Hirokoソロ(ヒンディー語)、チーム・ミスティック情熱の新曲(日本語・英語)などなど。
そして、前回の記事で紹介されていたインドで日本語で歌うシンガーソングライター Drish Tちゃんとも『コラボしたいね!』と話しています。
これからも、マルチリンガル・シンガー&ダンサーとして素敵な作品をたくさん作りたいと思います!」


すでにこの"Aatmavishwas"はインド国内のiTunesStoreのダンスミュージックチャートで2位、日本でもチャートインするなど高い評価を得ており、今後の活動にもますます期待が募る。
日本もインドもコロナウイルスが再び猛威を奮い始めており、心配は尽きないが、次回のインタビューはぜひロックダウンのない環境で行えたら…と心から願っている。




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2020年09月22日

ロック好きにお勧めしたいインド風ロック特集!Advaita, Sabculture, Pakshee


今から20年以上前、バックパッカーとして初めてインドを訪れたとき、自分はロック好きの19歳だった。
1ヶ月後、初めての海外一人旅から帰ってきた頃には、すっかりインドにかぶれてしまい、インドとロックが融合したような音楽はないものか、と探し回ったものだった。

ところが、これがなかなか見つからない。
Big Brother and Holding Co.とかJefferson Airplaneみたいに、ヒッピー・ムーブメントの流れでインドっぽい格好をしている60年代のサンフランシスコあたりのバンドはいるんだけど、彼らは別に音がインドっぽいわけではない。
イギリスに目を向ければ、ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカルに弟子入りしたり、ストーンズがシタールを導入したりもしていたけれど、インドという濃すぎる原液の上澄みのような感じがして、あまり夢中になれなかった。
当時(90年台後半)、リアルタイムでは、インドかぶれバンドのクーラ・シェイカーが流行っていて("Tattva"とか"Govinda"とか、いかにもなタイトルの曲をやっていた)、結構好きだったけど、結局のところ彼らも「欧米人から見たインド」の域を超えているようには思えなかったんだな。

ロックのエナジーとインド音楽の深遠を、もっとうまく融合する方法があるんじゃないかと思って、当時の私はどこか満たされない気持ちを抱えていた。

欧米にいなければ、インドにいいロックバンドはいないものか…と思ってみたものの、インターネットも一般的ではなかった当時、インドのロックを探す方法もなく、次のインド渡航時にやっと見つけたと思ったら800ルピー騙し取られた!なんていうこともあった。(こちらを参照)

その後、ネットの普及などによってさまざまな情報が入手できるようになって、本場インドの「いかにもインドっぽいロック」もいろいろ見つけることができた。
インドでは、古典音楽と西洋のロックが融合した音楽を「フュージョン・ロック」と呼ぶ。
日本でフュージョンと言えば、1980年代頃に流行ったジャズとロックが融合したような音楽を指すが、インドでフュージョンと言うと、それは古典音楽と現代音楽の融合のことなのだ。

ところが、このフュージョン・ロックがまたくせもので、インド(南アジア)の要素は異常に濃いのにロックの部分が雑でダサかったり、インドっぽいのは確かなんだけど、独特すぎてロック的感覚からすると違和感が大きかったり、なかなか納得できるものは見当たらないのである。
それも当然で、彼らはべつに日本や欧米のロックファンのために曲を作っているわけではなく、あくまでローカルのリスナー向けに曲を作っているのだ。
当時の私は、本格的インドカレーにボンカレーやククレカレーの味を求めていたようなものだったのだろう。

それでも、フュージョン・ロックを聴き込むうちに、欧米のロックに馴染んだ耳にも、素直にかっこよく思えるバンドを何組か見つけることができた。
というわけで、今回はフュージョン・ロックの中でも、一般的なロックファンにも聴きやすいものを選んでお届けしたいと思います。


まずはじめに紹介したいのが、2004年にデリーで結成されたAdvaita.
バンド名の意味は「不二一元論」。
正直何だかよく分からないが、インドかぶれの心をぐっとつかむ哲学的なバンド名ではある。

サーランギー(北インドの擦弦楽器)の響きに導かれて始まる"Dust"は2012年にリリースされた彼らのセカンド・アルバム"The Silent Sea"のオープニングナンバー。

曲が始まってみれば意外にも普通のロックで、間奏部分で再び導入されるサーランギーも、舌に馴染んだ和風カレーにアクセントとして加えられた本格的インドスパイスといった風情だ。

Bol(古典音楽の口で取るリズム)のイントロが印象的な"Mo Funk"は、うってかわって古典音楽風のヴォーカルだが、そこまで癖が強くないのが聴きやすさのポイントか。

この曲は、18〜19世期の南インドの詩人Muthuswami Dikshitarの宗教詩がもとになっているとのこと。
やはりよく分からないが、「インドっぽい深遠さ」幻想をしっかり満たしてくれていてポイント高い。
謎の荷物を運ぶ男をワンショットで撮影したミュージックビデオは…衝撃の結末!(謎すぎて)

2009年リリースの"Grounded in Space"の収録曲、"Gates of Dawn"は、おごそかなタンプーラのイントロに続いて、Nirvana的なメロディーがインド風サウンドに乗せて歌われる。
(そういえば、Nirvanaというバンド名も「涅槃」を意味するサンスクリット語だ)。


彼らは8人のメンバーからなる大所帯バンドで、ロック・スタイルとヒンドゥスターニー・スタイルの2人のヴォーカリストと、ギター、ドラム、キーボード、ベース、タブラ、サーランギーのプレイヤーがいる。
8人がそれぞれ異なる音楽的バックグラウンドを持っているとのことで、曲によってインド古典にもロックにも自在に変化するサウンドはまさに「不二一元論」というバンド名にふさわしい。
近年はロック色の薄いアンビエント/ニューエイジ的な方向性に進んでしまっているようなのが少し残念だ。


最近のバンドでは、同じくニューデリーのバンドSabcultureがロックとインド音楽の心地よい融合を聴かせてくれている。

彼らは、以前は在籍していたカレッジの学校の名前を取ってHansRaj Projektを名乗っていたが、卒業にともなって改名。
2018年にデビューアルバムをリリースした。

彼らもやはり古典音楽とロックスタイルの2人のヴォーカリストを擁していて、このアコースティックバラード"Cycle Song"では、二人のヴォーカルのコール&レスポンスのようなアレンジが印象的だ。


ここまで聴いてきて分かる通り、フュージョン・ロックは、古典音楽風のヴォーカルが入ると、インドらしさが急増する。
より本格的なフュージョンになるのと同時に、ロックファンには少しとっつきにくくなってしまう気もするのだが、古典音楽のヴォーカルを活かしながらも、タイトなロックサウンドとの絶妙な融合を聴かせてくれるバンドがPaksheeだ。
Paksheeの場合、ロック風と古典風ではなく、二人の異なる古典音楽、つまり、北インドのヒンドゥスターニー音楽(彼は北インドからインド中部で広く話されているヒンディー語で歌う)と、南インドのカルナーティック音楽のヴォーカリスト(彼は南インド・ケーララ州の言語であるマラヤーラム語で歌う)が在籍していて、しかも英語のラップまでこなすというユニークさだ。

ジャズやファンクの要素のあるタイトな演奏も心地よく、彼らはフュージョンの新しいスタイルを確立したと言って良いだろう。
彼らについては、過去に特集記事を書いているので、興味のある方はこちらも参照してほしい。


今回紹介したバンドは、あくまでフュージョン・ロックの導入編。
もっと「濃い」バンドや、大胆すぎて真面目なんだかイロモノなんだか分からないバンドもたくさんいて、それぞれに良さがあるのだが、それは改めて紹介することとして、今日のところはこのへんで!

参考サイト:
https://en.wikipedia.org/wiki/Advaita_(band)
https://dailyjag.com/featured/an-interview-with-advaita-an-emerging-eclectic-fusion-band-from-india/




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goshimasayama18 at 21:43|PermalinkComments(0)

2020年04月10日

バウルとインドのポピュラーミュージック

前回の記事では、ベンガルの漂泊の歌い人であるバウルがボブ・ディランに影響を与えたと言われる説の真相を紹介した。


かつては「歌う賎民」のように扱われていたバウルは、タゴールによる再評価やディランへの影響、そして2008年にUNESCOの無形文化遺産に登録されたことにより、ベンガルの伝統文化の担い手として脚光を浴びるようになった。
それに加えて、物質的な社会に背を向けて生きるバウルは、南アジアでも資本主義的な価値観が加速してゆくにつれて、そうした風潮に違和感を感じる人々から、ある種の憧れの対象として見られるようになっていった。

一方で、バウルたちを取り巻く環境も、大きく変わっている。
従来、バウルは「マドゥコリ」と呼ばれる村の家々を回る托鉢によって生活していたが、物価の高騰や人々の価値観の変化によって、こうした伝統的な方法で暮らしてゆくことが困難になってきたのだ。
このような様々な背景から、バウルたちの生き方もまた多様化してゆくことになる。

本来は俗世を捨てて修行と歌と托鉢に生きるべきバウルだが、現在では、出家せずに、ウィークデーは働き、週末のみ師匠のもとに通う「在家」のバウルも増えつつあるという。
なかには、かつてのようなマドゥコリではなく、音楽愛好家の富裕層や観光客を相手に演奏したり、コンサートで歌ったりして収入を得るバウルも現れている。
また、修行生活を送ることなくバウル・ソングを歌う、非バウルのシンガーも出てきているようだ。

そうした者たちについて、「本物のバウルではない」とか「バウルではなくて単なる歌手だ」という意見もあるようだが、このようなバウルの「ポピュラー化」もまた、変わりゆく時代のなかで、今なおバウルという存在が魅力的でありつづけている証拠と見ることができるだろう。


さて、これまで何度もこのブログで紹介してきた通り、インドは、欧米からやってきたポピュラー・ミュージックとローカルの伝統音楽との融合が盛んに行われている国だ。
ロックに古典声楽の歌い回しを取り入れたり、ヒップホップのトラックに伝統的なリズムを引用したり、プログレッシブ・メタルに古典音楽の変拍子を導入したりしているアーティストが数多く存在しているのだ。




バウルの音楽は、本来は商業的で大衆的なポップミュージックとは対極にあるものだが、前述のようなバウルの再評価にともなって、バウル音楽もまたロックやヒップホップとの融合が試みられている。
考えてみれば、既存の価値観にとらわれず、アウトサイダーとして音楽に生きるというバウルの思想は、もともとロックのようなジャンルとの親和性が高いとも言える。
自国の文化に誇りを持つインドやバングラデシュのミュージシャンが、欧米のロックスターに憧れるのと同じようにバウルに憧れを抱くとしても、なんら不自然なことではないのだ。


まずは、バンガロールを拠点に活動するフュージョン・ロックバンドSwarathmaとLakhan Das Baulとの共演を紹介する。
(一部訂正しました。バウルにお詳しい方からコメント欄にてご指摘いただき、このLakhan Das Baulは映画『タゴール・ソングス』に出演していた人物とは別人とのこと。Bong Khepaさん、ありがとうございました!)
曲は、有名なタゴール・ソングの"Ekla Chalo Re"(ひとりで進め)。

前回の記事で、タゴールがバウルからの影響を受けているということに触れたが、今では逆にバウルがタゴールの作った歌を歌うことも珍しくないようだ。
演奏しているSwarathmaがベンガルではなく南部のバンガロール出身のフュージョン・バンド。
インド音楽で「フュージョン」といった場合、それは伝統音楽と西洋の音楽との融合を意味している。
ヒンドゥスターニーやカルナーティックといったかつての宮廷音楽や寺院音楽を取り入れるフュージョン・バンドが多い中、このSwarathmaはインド各地のフォークソング(土着の民謡)とブルースやレゲエとの融合に取り組んでいる異色のバンドである。
その高い音楽性から、Rolling Stone India等の音楽メディアでも頻繁に取り上げられている注目のグループだ。


続いては、1998年に結成されたコルカタのハードロックバンドFossilsが、ディランに影響を与えたバウルとして有名なPurna Das Baulと共演した"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"を紹介する。
 
Purna Das Baulの歌声は2:50あたりから。
このPurna Das Baul, アルバート・グロスマンに見出されたことをきっかけに、ディランだけではなく、ボブ・マーリー、ミック・ジャガー、ティナ・ターナー、マヘリア・ジャクソン、ジョーン・バエズらとも共演したことがあるようで「最も国際的なバウル・スター」と呼んでもさしつかえないだろう。
(参考サイト:https://www.getbengal.com/details/purna-das-baul-the-man-who-took-bengals-baul-songs-to-the-global-stage


こちらもコルカタ出身のBolepur Bluezは、「本物」のバウルをヴォーカリストに迎えた「バウル・ロック・フュージョン・バンド」で、オーディション番組'India's Got Talent'でも高い評価を得たという。
初代ヴォーカリストはKartick Das Baul、のちに2代目ヴォーカルとしてRaju Das Baulという人物が加入したようで、「ロックバンドで歌うバウル」が何人もいるということに驚かされる。
この"Hridh Majare Rakhbo"は、ここまで紹介したなかではいちばんヘヴィでロック色の強い仕上がりになっている。



バウル音楽と西洋音楽との融合は、ロックに限らない。
コルカタ出身のラッパーFeyagoは自らのルーツをたどるため、シャンティニケタン(タゴールが大学を作った街として知られる)を訪ね、バウルとのコラボレーションを行なっている。
この取り組みはインドのウェブメディア、'101 India'が制作した"Hip Hop Homeland"というプログラムのウエストベンガル編として行われた企画で、かなり面白いコラボレーションになっている。

「かつてこの街で、チャンドラ・ボースは詩(ポエトリー)を抵抗の手段に使ったんだ。音楽で言えば、ヒップホップさ」とFeyagoはコルカタの歴史とヒップホップの共通点を指摘する。

「苦しみや悩みからの慰めを音楽の中に見出す」というテーマを古いバウル・ソングとヒップホップに見出したFeyagoは、シャンティニケタンのメラ(祭礼)で出会ったTarak Das Baulに、楽曲のコンセプトを語りかける。
「俺たち若者は、自分たちの母語も、バウル音楽も忘れてしまっている。だから新しい世代のビートと、伝統的なバウルのフォークミュージックを融合してみたいんだ」
そうして完成したのが、この'Baul Folk Hip Hop'だ。

ラップのリリックにボブ・ディランが出てくるところも実にベンガル的。
Tarak Das Baulも新しいリズムのうえで、のびのびと歌を披露している。
ちなみに、バウルには'Das Baul'(ダシュ・バウル)という名を持つものが多いが、Dasは「(神の)しもべ」を意味する言葉で、この名を持つバウルが必ずしも親戚関係にあるというわけではない。
カーストとも既存の宗教とも距離を置く彼らは、バウルになるとともにもともと持っていた姓(インドの姓名は、たいていが宗教やカーストと結びついている)を捨て、新しい名を名乗るのだ。
Das Baulはバウルたちが好んでつける名前のひとつである。


今回紹介したような新しいタイプのバウル・ソングを「伝統から外れたもの」として退けることもできるが、変わりゆく時代の中で、バウルの持つ魅力や受け入れられ方が多様化しているからこそ生まれた音楽として、ポジティブに捉えたほうが面白い。
こうした新しい取り組みがあってこそ、本来のバウルの伝統もその価値をいっそう増すはずだ。

それにしても、何百年も前からこのさすらいの歌い人たちを受け入れ、今ではその生き方にロックミュージシャンやラッパーまでも憧れているという、このベンガル文化の懐の広さはいったい何なのだろう。
コルカタやバングラデシュは、ながく貧困や難民のイメージを持たれてきた土地でもある。
だが、彼らが持つ伝統やことばの豊饒さを考えるとき、彼らと我々のいったいどちらが本当に豊かと言えるのか、だんだん分からなくなってくる。
しかも、ベンガルの場合、宮廷や富裕層ではなく、宗教もカーストも超越した放浪のアウトサイダーたちが、豊かな歌とことばの文化を受け継いでいるというところに、底知れぬ奥深さを感じてしまう。

ここのところベンガル料理が注目され始めているようだけど(とても美味しい!)、ベンガルの豊かさは料理のみにあらず。
バウルたちやタゴールが培ってきたベンガルの歌とことばの文化から、いまの我々が得られるものは、あまりにも大きいように感じている。


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goshimasayama18 at 00:58|PermalinkComments(3)

2019年08月19日

Sarathy Korwarの"More Arriving"はとんでもない傑作なのかもしれない

イギリス在住のタブラプレイヤー/ジャズパーカッショニストのSarathy Korwarのセカンドアルバム"More Arriving"が素晴らしい。
すでに先日の記事でも、このアルバムからムンバイの先鋭的ヒップホップグループSwadesiが参加した楽曲"Mumbay"を紹介させてもらったが、改めてアルバム全体を聴いて、その強烈な内容に衝撃を受けた。

タイトルで、とんでもない作品「かもしれない」と書いたのは、内容に対する疑問ではない。
内容は文句なしに素晴らしいのだが、このジャンル不明の大傑作が、世界的にはニッチな存在となっている(世界中の南アジア系住民以外にはなかなか届かない)'Desi Music'の枠を超えた、現代ジャズの名盤として歴史に名を残す可能性があるのではないか、という気持ちを込めたものだ。
個人的には、この作品はKamasi Wahingtonあたりと同等の評価を受けるに値する内容のものだと考えている。

改めて、ここで"Mumbay"を紹介する。


アメリカで生まれ、インド(アーメダーバードとチェンナイ)で育ったSarathy Korwarは、10代からタブラの練習を始め、ほどなくコルトレーンらのスピリチュアル・ジャズにも興味を持つようになった。
その後もタブラの修行とジャズの追求を続け、進学のために移ったプネーでドラムを始めると、セッションミュージシャンとして音楽の道を目指すようになる。
その後、より本格的にタブラを追求するためにイギリスに渡り、SOAS(東洋アフリカ研究学院)のSanju Sahaiに師事。
ジャズミュージシャンとしてのキャリアも続け、2016年にクラブ・ミュージックの名門レーベルNinja Tuneからファーストアルバム"Day To Day"をリリースした。

彼の音楽性をごく簡単に説明すれば、「ジャズとインド古典音楽の融合」ということになるだろう。
これまでもジャズとインド音楽の融合は、東西のさまざまなアーティストが試みているが(例えばジョン・マクラフリンとザキール・フセインらによるプロジェクト'Shakti'や、ドキュメンタリー映画"Song of Lahore"にもなったパキスタンのSachal Jazz Ensembleなど)、いずれもが異なる音楽的要素を混合することによる、純粋な音響的な表現の追求にとどまるものだった。
つまり、実験的で純音楽的な試みではあっても、その時代の最先端のロックやヒップホップのような、同時代的なものではなかったということだ。
Sarathy Korwarのファースト・アルバムも、こうした枠のなかの作品のひとつとして捉えられるものだった。 
(もちろん、それでもここに挙げたアルバムが普遍的な音楽作品として十分に素晴らしいことは言うまでもない。また、それぞれのプロジェクトには社会的・時代的な必然性があったというのも事実だが、少なくとも同時代へのメッセージ性を強く持ったものではなかった)


ところが、The Leaf Label(これまでに、Four TetやAsa-Chang&巡礼の作品を取り扱っているヨークシャーのレーベル)からリリースされた彼のセカンドアルバム"More Arriving"は、こうした作品群とは全く違う次元のものだった。
Sarathyは、このアルバムに、SwadesiやPrabh Deepらの発展著しいインドのヒップホップ勢を参加させることで、インドの古典音楽とジャズという、「あまりにも様式として完成されてしまっているが故に、決して現代的にはなり得ない音楽ジャンル」に、極めて今日的な緊張感と魅力を付与することに成功した

このアルバムで、Sarathyは 2019年のセンスでジャズを解体再構築している。
いや、というよりも、むしろ2019年のセンスでジャズ本来の精神を解放しているといったほうが良いかもしれない。
つまり、都会の不穏さと快楽を音楽に閉じ込めるとともに、音そのもので、抑圧的な社会からの魂の自由を表現しているのだ。
それも、タブラプレイヤーでもあるインド系ジャズパーカッショニストだけができるやり方で。

とくに、冒頭の"Mumbay"から"Coolie"(デリーのラッパーPrabh Deepとレゲエシンガー&DJのDelhi Sultanateが参加)、そして"Bol"(アメリカ在住のカルナーティック・フュージョンのシンガーAditya Prakashと、インド系イギリス人でポエトリー・スラムのアーティストZia Ahmedが参加)に繋がる流れは素晴らしい。
"Bol"では、インドの伝統音楽が、ほぼそのままの形を保ちながら、すべて生音であるにもかかわらず、恐ろしいほど現代的に表現されている。
しかも、ここまでヘヴィに、緊張感を保ったままでだ。

"Bol"というタイトルは「発言」や「会話」という意味。
歌詞にもビデオにも、今日の英国社会での南アジア系住民へのステレオタイプな偏見に対する皮肉を含んだメッセージが込められている。
この動画は4分程度のシングル・バージョンだが、9分以上あるアルバム・バージョンはさらに素晴らしい。


アルバム全体もYoutubeで公開されているので、紹介しておく。
コンセプトや構成がしっかりしたアルバムなので、ぜひ通しで聴いてもらいたい。

"More Arriving"には、他にもムンバイのラッパーのTRAP POJU(a.k.a. Poetik Justis)やカルカッタの女性古典(ヒンドゥスターニー)シンガーのMirande, さらには在外インド人作家のDeepak Unnikrishnanなど、多彩なメンバーが参加している。

最後に、このアルバムへのSarathyのコメントやレーベルからの紹介文と、各メディアによる評価を紹介したい。

「このアルバムには、たくさんのラッパーや詩人などが参加していて、南アジアの様々な声をフィーチャーすることを目指しているんだ。それは単一のものではなく、ブラウン(南アジア系の人々)の多様なストーリーやナラティブによって成り立っているっていうことを強調しておくよ。"More Arriving"というタイトルは、人々の移動(ムーブメント)を表している。この言い回しは、恐怖や、望まざる競争、歓迎せざる気持ちなどがより多くやってくるという今日の状況を取り巻くものなんだ。」
(Sarathy Korwarのウェブサイトhttp://www.sarathykorwar.comより)

「我々は分断の時代を生きている。多文化主義(multiculturalism)は人種間の緊張と密接な関係があり、政治家は人々の耳に複雑なメッセージを届けることすらできないほどに無力だ。別な視点を持つべき時がやってきた。
このアルバムで、Sarahty Korwarは彼自身の鮮やかで多元的な表現を、世界に向けて撃ち放った。これは必ずしも調和(unity)のレコードではない。分断したイギリス社会でインド人として生きるKorwarの経験を率直に反映したものだ。イギリスとインドで2年半にわたってレコーディングされ、ムンバイとニューデリーの新しいラップシーンと、彼自身のインド古典音楽とジャズの楽器が取り入れられている。これは、対立から生まれた、対立の時代のためのレコードだ。」

(The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMより)

「稀有な才能… 彼のリズムの激しさ、魅惑的なビジョンは、インドとジャズの融合の歴史に新しいスピンを加えた。★★★★★」(MOJO)

「絶対的な瞬間。民族的アイデンティティーを扱った、サイケデリックで、強烈なジャズのオデッセイ。素晴らしい。★★★★」(Guardian)

「2019年を定義するアルバムのうちのひとつ。Sarathyのニューアルバムはここ1年でもっともエキサイティングなもの…カゥワーリーからモダンジャズ、ムンバイ・ヒップホップ、インド古典音楽にいたるまでのワイルドな相乗効果だ。だがこれは、まさに今イギリスで起こっていることに関するレコードでもある」(Pete Paphides, Needle Mythology podcast)

「素晴らしい… アドレナリンに溢れ、パーカッションに導かれた、意識(consciousness)を高めるスリリングな冒険」(Electronic Music)

「アジア系ラッパーや詩人をフィーチャーしたインド音楽とジャズのスリリングな融合であり、いいかげんなステレオタイプや、東西文化のナラティブを変える必要性などのテーマに取り組んでいる。これは分断の時代のタイムリーなサウンドトラックだ」(Songlines)

「Korwarは、公民権を剥奪された人々の声という、ジャズの政治的でラディカルな歴史を取り入れ、それを現代イギリスにおけるインド人ディアスポラの体験に応用している」(The Vinyl Factory)

(以上、各媒体からのコメントは、The Leaf Labelのウェブサイトhttp://www.theleaflabel.com/en/news/view/653/DMから引用)


近年、独自の発展を続けてきた在外インド系アーティストと、急速に進化しているインド国内のアーティストの共演が盛んに行われているが、またしても、国境も、ジャンルも超えた名盤が誕生した。
"Sarathy Korwar"の"More Arriving"は、インド系ディアスポラとインド本国から誕生した、極めて普遍的かつ現代的な、もっと聴かれるべき、もっと評価されるべき作品だ。

インドの作品にしては珍しく、フィジカルでのリリース(CD、レコード)もされるようなので、ぜひ実際に手に取って聴いてみたいアルバムである。


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goshimasayama18 at 15:31|PermalinkComments(0)

2019年05月24日

混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話

『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。

日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。

私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。

(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)

その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。

なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。

その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。

ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。


Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。

Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。

 Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。

伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。


タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。

例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)



まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。

翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。

いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。

よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。

また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
 

彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。

日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。

日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。

と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。

牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。

また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
 
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。


最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。 
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。 
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!



インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか

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2019年05月19日

混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか


突然だが、みなさんは「インド音楽」と聞いて何を想像するだろうか。
今日では歌って踊る映画音楽が広く知られているが、インド映画が広く知られるようになる前であれば、インドの音楽といえば、古典楽器シタールの調べを思い浮かべる人が多かったはずである。
悠久の時間を感じさせるゆるやかなリズムの上を、異国情緒たっぷりの音色がたゆたうような旋律を奏でる。
そんなシタールの響きは、当時の人々がインドに抱いていた神秘的なイメージにぴったりだった。
(実際はインドの古典音楽は結構激しかったりするんだけど)

シタールは、古参のロックファンにとっては、60年代にジョージ・ハリスンやブライアン・ジョーンズがバンドサウンドにサイケデリックな響きを導入するために演奏した楽器としても有名だ。

1967年のモントレー・ポップでのラヴィ・シャンカルの演奏を聴けば、インド古典音楽(これはヒンドゥスターニー音楽)がロックファンをも魅了するダイナミズムと美しさ、そして即興の妙を持っていることが分かるだろう。

モントレー・ポップ・フェスティバルから五十余年。
いつもこのブログに書いているように、インドの音楽シーンも激変した。
そして今、かつてロックファンを虜にしたシタールの音色を、あろうことかロックのなかでも最も激しくうるさい音楽であるヘヴィーメタルと融合したバンドが登場したのである。
それも、1バンドだけではなく、複数のバンドがほぼ同時に出てきたというから驚かされる。
というわけで、今回は、インドだけが成し得た究極のキメラ・ミュージック、「シタール・メタル」を紹介します。

まず最初に紹介するバンドはMute The Saint.
古典音楽一家に生まれたシタール奏者Rishabh Seenを中心とするプロジェクトである。
2016年にリリースされたファーストアルバムから、"Sound of Scars".(曲は45秒あたりから)
 
ものすごいインパクト。
 速弾きから始まり、リフを弾いているあたりまでは、ギター風のフレーズを単にシタールで弾いているだけのような印象を受けるが、シタール特有の大きなベンディングやビブラートが入った旋律を演奏し始めると、曲の雰囲気は激変する。
硬質なメタルサウンドのうえで波打つようなシタールの響きが、唯一無二な音世界を作り上げているのが分かるだろう。
直線的なギターの音色と大きな波を描くシタールの対比も面白い。
この1曲だけで、シタールという楽器の特性と可能性を十分すぎるほどに理解できるはずだ。 

インド人のリズム隊とアメリカ人のギタリストに声をかけて制作されたこのアルバムは、なんとメンバーが一度も顔を合わせずに作られたという。
それぞれの場所で演奏するメンバー4人を映したこの"The Fall Of Sirius"では、より古典音楽色の強いシタールを聴かせてくれている。


Rishabh Seenは、もともと大好きだったMeshuggahやAnimals As Leadersといったテクニカルなメタルバンドの曲をシタールでカバーして、インターネット上で注目を集めていた。

Rishabhは、ムンバイのシンフォニック・デスメタルバンドDemonic Resurrectionによるヴィシュヌ神の転生をテーマにしたアルバム"Dashavatar"でもシタールを披露している。
インド広しと言えども、ヘヴィーメタルに合わせてシタールを弾くことに関しては間違いなく彼が第一人者だろう。
「メタルdeクッキング!メキシコ料理編(しかも健康に良い) Demonic Resurrection!」この記事で紹介している"Matsya"のシタールがRishabによるものだ。余談だがDemonic ResurrectionのヴォーカリストDemonstealerは料理番組の司会者兼料理人も務めている変わり種。興味がある方はご一読を)

そんなRishabが、満を持して自分のやりたい音楽、すなわちシタールとヘヴィーメタルの融合のために始めたプロジェクトが、このMute The Saintということになる。
彼らについては、日本の音楽サイト"Marunouchi Muzik Magazine"が非常に丁寧に紹介とインタビューを行なっているので、詳しく知りたい方はぜひこちらを参照してほしい。
Marunouchi Muzik Magazine 'NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MUTE THE SAINT : MUTE THE SAINT】'
彼が「音楽的にはメロディック、リズム的にはダイナミック」と指摘するインド古典音楽とプログレッシブ・メタルの共通点は、インドでプログレッシブ系のロック(ポストロックやマスロックなどを含めて)が盛んな理由を読み解く鍵といえるかもしれない。
例えば、ソロの応酬や変拍子のキメ、深遠な精神性など、インドの古典音楽とプログレッシブ・ロックには、意外にも共通する特徴がいくつもあるのだ。
余談だが、このMarunouchi Muzik Magazineはヘヴィーミュージックを中心に多くのアーティストを紹介しており、以前当ブログでも紹介したプログレッシブメタル/インド古典音楽/ジャズ/EDMを融合した超絶バンドPineapple Expressにもインタビューを行うなど、インド方面にもかなり目配りが効いた内容になっている。
この手の音楽が好きな方はぜひチェックしてみるとよいだろう。

Rishabhが現在取り組んでいるバンドの名前は、その名もずばりSitar Metal.
音源のリリースこそまだしていないが、アメリカの技巧派インストゥルメンタル・ロックバンドPolyphiaのインド公演のサポートを務めるなど、早くも注目を集めている。

「リミットレスなインドの楽器シタールをフロントに据え、ヒンドゥスターニー音楽とヘヴィーメタルの融合を目指す世界初のバンド」というコンセプトのもと、今回は遠隔地のミュージシャンたちによるプロジェクトではなく、ライブパフォーマンスも行うバンドとして活動をしてゆくようだ。

古典音楽のエリートがここまでヘヴィーメタルに入れ込むというのはかなり突飛な印象を受けるが、Talvin SinghやKarsh Kaleといったタブラ奏者たちが「究極のリズム音楽」であるドラムンベース的なアプローチでエレクトロニカに挑戦したことを考えれば、シタール奏者が「究極の弦楽器音楽」であるヘヴィーメタルに取り組むというのも十分に理解できるような気がしないでもない。
(ここでいう「究極」は「音数が多い」という意味と理解してください。ちなみにRishabhはそのTalvin Singhとの共演を行うなど、メタル界にとどまらないジャンルレスな活躍をしている)
Sitar Metalは2019年にはアルバムリリースも予定されており、今年もっとも活躍が楽しみなアーティストのひとつだ。


もうひとつ紹介するバンドはParatra.
Samron Jude(2003年結成のムンバイの重鎮スラッシュメタルバンドSystemHouse 33のギタリスト)によって2012年に結成された、シタール奏者Akshat Deoraとの二人組ユニットである。
シタールの音色だけでなくエレクトロニック的なサウンドも取り入れた、これまた唯一無二な音楽を演奏している。
 
Akshatのプレイスタイルは、エキゾチックな音階を弾いてはいるものの、Rishabh Seenとは異なりファンキーなリズムを感じさせるより現代的な印象のものだ。

彼らが2017年にリリースしたアルバム"Genesis"(vol.1とvol.2の同時リリース)では、同じ楽曲をエレクトロニック・バージョンとメタル・バージョンでそれぞれ発表するという非常に面白い試みをしている。
エレクトロニック・バージョンのほうは、欧米の音楽シーンでサイケデリックを表す記号として長年いいように使われて来たインドからの、なんというかお礼参りみたいな印象を受ける音楽だ。

ビデオ・ドラッグ(古すぎるか)みたいな映像と合わせて彼らのサウンドを聴いていると、オールドスクールな感じのトリップ感覚が味わえて、なかなかに気持ちがいい。

彼らはメタルバンドであるにも関わらず、アジア最大(そして世界で3番目!)のエレクトロニック・ミュージックのフェスであるプネーのSunburn Festivalへの出演経験もあり、古典とメタルだけでなく、ダンスミュージックとの間にある壁も軽々と乗り越えている。

DJブースにはシタール奏者とヘヴィーメタルギタリスト、さらに脇には生ドラムという、なんだかもうわけが分からない状況だが、観客は大盛り上がりだ。

昨年はシッキム州出身の実力派ハードロックヴォーカリストGirish Pradhanをフィーチャーしたヨーロッパツアー(ノルウェーのゴシックメタルバンドSireniaのサポートとして)も行なっており、一部では世界的な注目を集めているようだ。

タイプこそ異なるが、唯一無二であることに関しては甲乙つけがたいインドのシタール・メタルバンド2組。
いずれもが、古典音楽とさまざまな音楽のフュージョンを躊躇なく行ってきたインドが生んだ新たなる傑作と呼ぶにふさわしく、ぜひとも日本でもその雄姿を見てみたいものである。
フェスとかで来日したら盛り上がると思うんだけどなあ。


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2018年08月29日

フュージョン音楽界の新星! Pakshee

「フュージョン」といえば、前世紀頃の日本では、ジャズとロックの融合的な音楽ジャンルを指していたものだが、インド音楽で「フュージョン」という場合、それは「古典と現代」が融合した音楽ジャンルのことを指す。

今回紹介するデリーのバンド、Paksheeは、北インドのヒンドゥスターニーと南インドのカルナーティックという異なるスタイルの古典声楽をベースに持つふたりのヴォーカリストと、ソウル、ファンク、ジャズの要素の強いバンドメンバーとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれるインド・フュージョンロック界の新星だ。
まだスタジオ音源のリリースは2曲に過ぎないが、そのサウンドからは限りない可能性を感じさせてくれる。

まずは、彼らのデビュー曲、"Raah Piya" を紹介しよう。
Rolling Stone India誌が選んだ2017年のインドのミュージックビデオ・ベスト10の第5位にランクインしたビデオでもある。

タイトなリズムに浮遊感のあるヴォーカルが心地良い。
古典風に歌ってたと思ったら、ジャジーなピアノソロに続いてラップが入ってぐっと曲調が変わり、さらに最後のヴァースでヴォーカリスト2人がメインのパートとインプロヴィゼーションに分かれて掛け合いを始める頃には、あなたにもインドのフュージョン・ロックの魅力が最大限に感じられるはずだ。
インド声楽は慣れないと少しつかみどころがなく感じるかもしれないが、はまってくると独特のヴォーカリゼーションがとても心地よく感じるようになってくる。

続いて、彼らの2本目のビデオ"Kosh".
楽曲もビデオもさらに洗練されてきた!

今度はギターのアルペジオやリズムがちょっとラテンっぽい感じも感じさせる楽曲だ。
スムースな曲調が一転するのが3:20頃からの間奏で、ギターのノイズをバックに緊張感あふれる怒涛のリズムに突入する。
ここからさらにジャズ色の濃いピアノソロを経てヴォーカルに戻ってくる展開は圧巻だ。

"Kosh"のビデオを制作したのはデリーの映像作家Mohit Kapil.
「なぜ愛すのか、誰を愛すのか、どう愛すのか」というテーマで作成された映像は、困難の中にいる人々を扱った3つの独立したストーリーから成り立っている。
仕事と育児に追われるシングルマザー、作品を作りのための意思疎通がうまくいかないダンサーと写真家、衰えや痴呆と否応なしに向き合わされる老夫婦。
それぞれが日常の苦しみのなかから喜びや希望を見出してゆく過程は、計算し尽くされた美しい色調や構成とあいまって、短編映画のような印象を残す。

このPaksheeでユニークなのは、2人いるヴォーカリストのうち、一人はヒンディー語で、もう一人はマラヤラム語(南部ケララ州の言語)で歌っているということ。
全く異なる言語体系の両方の言語が達者な人はインドでもそう多くないはずだが、こうした言語の使い分け方にも何かしらの意図がありそうで、ぜひ彼らに聞いてみたいところだ。

この曲では、2つの言語で、
「いったい誰がミツバチのために花を蜜で満たすのか。誰が花を咲かせるのか」
「蝶は繭から孵るとき、いったいどうやって育ったのか。誰が育て、羽に色をつけたのか」

といった、生命をめぐる哲学的とも言える歌詞が歌われている。
("Kosh"はヒンディー語で「繭」や「宝のありか(金庫)」という意味とのこと)

Paksheeのサウンドは、楽器は西洋風、歌はインド風という比較的わかりやすいフュージョンだが、ジャズやロック的なインストゥルメンタルと古典音楽風のヴォーカルが不可分に一体化していて、先日紹介したPineapple Express同様に、フュージョンロックの新世代と呼ぶにふさわしい音像を作り上げている。

インドの要素の入ったロック」は昔から欧米のアーティストも多く作っているけど、この本格的な古典ヴォーカルを生かしたサウンドは本場インドならでは。
演奏力も高く、大きな可能性を秘めている彼らが、インドの市場でどのように受け入れられるのか、はたまた海外でも高く評価される日が来るのか、非常に楽しみだ。
まあどっちにしろ、世間の評価に関係なく私は高く評価しますよ。ええ。

それでは今日はこのへんで! 

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2018年04月25日

原点、っていうか20年前の思い出。シッキムにて。

インドによく通ってた20年ほど前、今となっては前世紀末の話。

当時はデリーやコルカタやムンバイといった大都市でも、街角から流れてくるのはインド映画の音楽や宗教歌ばかり。

ロックやヒップホップなんて洋楽も国産のも全然聴こえてこなかったし、カセットテープ屋さん(当時、インドの主流音楽メディアはCDではなくカセットだった)に行ってもほとんど映画音楽や古典音楽しか並んでいなかった。

当時、アタクシはインドとロックが三度のメシより好きな若者だったので、インド感たっぷりのインドのロックバンドってのがあったら聴きたいなあ、と思っていたものだった。
その頃、ラヴィ・シャンカルの甥のアナンダ・シャンカルがロックの名曲をシタールでカバーしたアルバムがCDで再発されていたのだけど、B級趣味の企画盤っぽくてあんまり好みじゃなかったし。
前にも書いたけど、デリーのカセット屋で「インドのロックをくれ」と言ったら、出てきたのはジュリアナ東京みたいな音楽だった。
 インドのロック好きの人たちが本気でやっているロックバンドは無いものか、と探していたけどどこにも見つからなかったし、そもそも見つけ方が分からなかった。仕方なく、イギリスのインドかぶれバンドのクーラシェイカーあたりを「なんか現地のノリと違うんだよなあ」とか思いながら聴いていたものだった。

これはインド北東部、シッキム州を訪れたときのお話。

シッキムはネパール国境の東にちょこんとあるごく小さな州で、1975年まで「シッキム王国」という独立国だった歴史を持つ。
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シッキム州の場所

シッキムの住民はネパール系やチベット系の、日本人と似た、いわゆる「平たい顔族」の人たちが多い。
どこを開いてもアーリア系やドラヴィダ系の濃い顔ばかりの「地球の歩き方 インド」の中で、薄い顔の人たちが民族衣装を着て微笑んでいるシッキムのページに、どことなく安心感と懐かしさを感じたものだった。

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シッキムの人々

シッキムの州都ガントクから乗り合いバスで山あいのルムテクという村に向かったときのこと。

ルムテクはチベット仏教の大きな僧院が有名(っていうかそれしかない)な小さな村で、オフシーズンだったせいか、1軒だけある宿にも英語が分かる人がおらず、「ここ泊まる。食事する」と身振り手振りでなんとかチェックインを済ませた。

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ルムテクのゴンパ(僧院)

ルムテクは素朴な雰囲気の村で、とてもリラックスして過ごすことができた。

僧院も素晴らしく、おおぜいの少年僧たちがめいめいに暗唱するお経は、伽藍の高い天井に反響して、不思議な音楽的な響きが感じられた。

さて、翌日。

他に見る場所もないので、ガントクに帰るバス乗り場に行くと、もうその日のバスは全て出た後だという。
途方に暮れていると、こぎれいな車に乗ったインド人男性がやって来て、「これからガントクに行くんだけど、よかったら一緒に乗っていかないか」と誘ってくれた。

「観光客に向こうから声をかけてくる奴はほぼ悪者」というインドの大原則があるのだけど、このあたりは素朴な人たちばっかりだったし、オフシーズンのこんな小さな村に観光客相手の詐欺師もいないだろうと判断して、ありがたく乗せてもらうことにした。

彼の名前はパサンサン。カリンポンという街で自営業をしているという。
ドライバーが運転する車の後部座席で、パサンサンとの会話は大いに盛り上がった。

何故か。それは彼がインドで初めて出会ったロック好きだったから。

「ディープパープルがデリーに来た時には3日かけて見に行ったんだ。スティーヴ・モーズは凄いね。リッチーのプレイを再現するだけじゃなくて、自分のフレーズも弾けるんだ」「ブータンに行った時に、旅行で来ていたミック・ジャガーに会ったことがあるんだよ」なんて話がまさかこんなところで聞けるとは!


最初ちょっと警戒したことも忘れ、すっかり打ち解けた私に、彼は「ローリング・ストーンズのYou Can’t Always Get What You Wantをインド風にカバーしたこともあるんだ」と言うと、おもむろに歌い出した。

 

「まずイントロはシタールから入るんだ」

“I saw her today at the reception

A glass of wine in her hand

 

「ここでタブラが入ってくる」
タブラ の音色を真似ながら、パサンサンは歌い続ける。

“I knew she would meet her connection

At her feet was a footloose man

 

「ここでギターが入って、サビだ」

“You can’t always get what you want

 

これには本当にびっくりした。
なぜって、これこそがまさに当時の自分が聴きたかったインドのロックそのものだったから!

すっかり意気投合したパサンサンは、その日1日、ガントクの街を案内してくれた。

晩御飯はパサンサンの奢りでビールを飲みながらまたロック談義。

当時の日記によると、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ストーンズ、ザ・フー、ジェスロ・タル、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、スコーピオンズ、テン・イヤーズ・アフター、ゴダイゴなんかの話をしたとある。

インターネットも一般的になる前、西洋の音楽の音源もほとんど流通していないインドで、彼はどうやってこんなに(当時から見ても)昔のバンドの知識を得たんだろう。

その日は二人ともガントクに泊まって、次の日一緒にカリンポンを案内してくれることになった。ロックをインド風にカバーした音源も聴かせてくれるという。

 

ホテルに帰る前、パサンサンが言った。

「今日ドライバーに給料を支払わないといけないんだけど、今日は銀行が休みなんだ。800ルピー貸してくれないか?」


おっと。

これはインドでは絶対にお金を貸してはいけない場面。貸したら絶対に返ってこない。
ガイドブックにも、大学教授を名乗る身なりのいい家族連れにお金を騙し取られたとか、そういう体験談がわんさと載っている。 

でも。アタクシは思った。

あんな小さな村でたまたま会って、ここまで趣味が一致して意気投合した男が、さらに詐欺師だなんて、いくらなんでもそんな偶然は無いんじゃないだろうか。

それに800ルピーは当時の日本円で2,000円くらい。

インドでは大金とはいえ、ドライバーを雇えるくらいの男がかすめ取ろうとする金額ではないだろう。

翌日に返してもらうことを約束し、その日はパサンサンが紹介してくれた、ふざけた名前の「ホテル・パンダ」に宿泊。酔いも手伝って心地よい眠りについた。

 

翌日。

約束していた朝9時にホテルのフロントに行くと、パサンサンはまだ来ていない。まあ、インド人だしな…と思いながら10分、20分、30分。

さすがにおかしいと思ってパサンサンが宿泊していた部屋をノックしてみたが返事がない。

よく見ると、鍵は外からかかっている。

やばい!と思ってホテルのフロントで聞くと、「その男ならもうとっくにチェックアウトしたよ」とのこと。

 

やられた!

信じた俺がバカだった!

800ルピーも惜しいけど、彼がカリンポンで聴かせると約束してくれた、インド風にカバーしたロックの名曲の数々が聴けなくなってしまったことが何よりも残念だった。

 

ホテルの前で困った顔をしていると、映画俳優のようにハンサムな向かいのオーディオ屋の兄ちゃんが「どうした?」と声をかけてきた。

「昨日ここに泊まってたロック好きのパサンサンって男を知ってるか?」

と聞くと、「おー、君もロック好きなのか!」と大音量でボンジョビやドアーズやエルヴィス(すごい組み合わせ!)をかけながらロックの話をしてくる。

音が大きすぎて通りの人はみんなこっちを不快そうに見てくるし、そもそも会話がままならないくらいのヴォリュームだ。

「で、昨日俺が800ルピー貸したパサンサンって男、知ってる?」

「いや、知らない。よく知らない人にお金を貸したらいけないよ」

知らないんなら早く言ってくれよ!

それにシッキム、どうしてこんなにロック好きが多いんだよ!

 

情けないやら悔しいやらで、その日は一日中、前日にパサンサンに案内された場所を巡りながら彼の消息を探したけど、結局何も分からないまま。

彼を探すことはあきらめて、次の目的地のネパールに向かうことにした。

 

それ以降、インドの旅の中であんなにロックが好きな男に会うことは無かった。

ゴアにはトランスのCDを売るインド人がいたし、ネパールのポカラでは、欧米人ツーリスト向けに当時流行ってたオアシスの曲をカバーしているバンドを見かけたけど、どちらも「仕事としてやってる」って感じで、心からの音楽好きであるようには見えなかった。

 

欧米のロックをインド風にカバーした音楽なんてものも聴く機会は無かった。

当時そんなことをやっていたのはパサンサンとその仲間くらいだったんだろうか。

インターネットが発達した時代になり、インドでもロックバンドが増えてきていて、遠く離れた日本でも彼らの音楽が容易に聴けるようになった。

それでも、あの日パサンサンから聞いたようなアプローチで洋楽のロックを演奏しているバンドにはいまだにお目にかかったことがない。

今でも、彼の音源が聴いてみたいと思う。

そして、あのとき感じた「インドのロックが聴いてみたい」という気持ちが、このブログを書くきっかけのずっと根っこのほうにあるのかな、とも少しだけ思う。


それにしてもパサンサン、晩飯もホテル代も出してくれて、1日潰してまで800ルピー騙し取るって、彼の暮らしぶりを考えたらずいぶんわりに合わないペテンだったと思うけど、あれは本当になんだったんだろう。
思うに、彼も最初は純粋にロック談義を楽しんでいたのだろうけど、途中で間抜けな日本人が完全に気心を許してるのを感じて、「これくらいの金なら掠め取ってもいいかな」と考えたんじゃないだろうか。

次回あたりで、この20年前からロックが盛んな(?)シッキム州出身のロックンロールバンド、先日紹介したGirish and the Chroniclesのインタビューがお届けできそうです。

本日はこのへんで。

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