ダラヴィ

2019年09月10日

ダラヴィが舞台のタミル映画"Kaala"の音楽はヒップホップ!そしてアンチ・カーストあれこれ!


先日の『ガリーボーイ』ジャパン・プレミアの興奮も醒めやらぬ10月8日、大型台風が接近する中、キネカ大森で開催中のIndian Movie Week(IMW)に、タミル映画"Kaala"(『カーラ 黒い砦の闘い』という邦題がつけられている)を見に行ってきた。

この映画は、『ガリーボーイ』の舞台にもなったムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に君臨するタミル人のボス「カーラ」が、スラムの再開発計画を進めるナショナリズム政治家と戦う物語だ。
ムンバイが位置するマハーラーシュトラ州はマラーティー語が公用語だが、ダラヴィには南部タミルナードゥ州からの移住者が多く暮らしていて、7万人の人口のうち約3分の1がタミル語を話しているという統計もある。
映画に出てくる政党は、地元の有力政党「シヴ・セーナー」や、ヒンドゥー・ナショナリズム政党と言われるモディ首相の「インド人民党」のような実在の政党がモデルになっているようだ。
シヴ・セーナーはヒンドゥー至上主義だけでなく、マラーティー・ナショナリズム(マハーラーシュートラの人々のナショナリズム)の政党と言われており、実際に南インドからの移住者やムスリムを排斥する傾向にある。
ダラヴィでは人口の3割がムスリムであり(ムンバイ全体では13%)、 6%ほどのクリスチャンも暮らしているから、当然、こうしたナショナリズム的な思潮とは対立することになる。
つまり、この映画はナショナリズムを標榜する支配者(「ピュアなムンバイ」を標榜している)と、多様性のある大衆の対決を描いた、世界的に見てもなかなかにタイムリーなテーマの作品というわけだ。

主演はタミル映画界の「スーパースター」ラジニカーント。
メインの客層が映画の舞台ムンバイから離れたタミルナードゥ州(タミル語を公用語とする)の人々だとはいえ、ここまで現実をリアルに反映した映画を、当代一の人気俳優を主演に制作できるというのはけっこう凄いことだ。
監督はPa Ranjithで、公開は『ガリーボーイ』より8ヶ月ほど早い2018年6月だった。

音楽ブログであるこの「アッチャー・インディア」として注目したいのは、なんといってもこの映画で使われている楽曲だ。
この映画のサウンドトラックには、「ダラヴィのスヌープ」(見た目で分かるはず)ことStony Psykoを擁するヒップホップユニットDopeadeliczが大々的に参加している。

90年代のプリンスを彷彿とさせるファンキーかつド派手な"Semma Weightu"は、いかにもタミル映画らしいケレン味たっぷりの映像とラッパーたちのストリート感覚が不思議と融合。

最初のヴァースのリリックは、主人公を称えるいかにも映画音楽的なものだが、2番では「ナマスカール(ヒンドゥーの挨拶)、サラーム(ムスリムの挨拶)と言葉は違っても…」と宗教を超えた団結を歌った内容で、実際に多宗教が共存するダラヴィのヒップホップシーンを思わせるところがある。

こちらはガリー感覚満載のビデオ"Theruvilakku".
タミル語のリズムに引っ張られているヒップホップビートがヒンディーラップとはまた違う独特な感じ。


いずれにしても、スラム出身のラッパーが文字通りのスーパースターの映画にフィーチャーされるというのはとんでもない大出世と言える。
Dopeadeliczのメンバーは、ミュージカルシーン以外でも、端役としてセリフも与えられており、もしヒップホップに理解のない身内がいたとしても、これで確実に黙らせることができたはずだ。

それにしても、ダラヴィが舞台となった映画のサウンドトラックに、地元のストリートラッパーが起用されたというのは意義深いことだ。
インド社会に、「ヒップホップは社会的メッセージを伝える音楽」そして、「ダラヴィの音楽といえばヒップホップ」という認識が浸透してきているからこそのことだろう。
実際、この映画のなかでも、ヒップホップ的なファッションをした若者が多く描かれており、抗議運動のシーンでもブレイクダンサーが登場するなど、ヒップホップカルチャーの普及を感じさせられる場面が多かった。

ちなみに普段のDopeadeliczのリリックのテーマのひとつは、大手資本の映画が絶対に扱わないであろう「大麻合法化」だったりする。

これはこれでヒップホップとしてはかなりクールな仕上がり。

この"Katravai Patravai"は、タミル版Rage Against The Machineと呼べそうな、ヘヴィロックとラップの融合。

この曲に参加しているYogi Bはマラヤーラム/タミル語でパフォームするマレーシア出身のラッパー(インドからの移民ということだろう)で、共演のRoshan Jamrockなる人物もマレーシアのヒップホップグループK-Town Clanのメンバーのようだ。
タミル系移民のネットワークだと思うが、興味深いコラボレーションではある。


また、この映画では、「ダリット」の権利回復というテーマも扱われている。
「ダリット」とはカースト制度の外側に位置づけられた被差別階級のこと。
ヒンドゥー教古来の価値観では「不可触民」と称されるほどに穢れた存在と見なされ、現在も様々な差別を受けている。
スラムの住民とダリットは必ずしも同一のものではないが、映画の冒頭で、ダリットの一つである洗濯屋カーストの「ドービー」が出てきたり、カーラの家で出された水に対立する政治家が口をつけないシーン(保守的なヒンドゥー教徒は、ダリットが提供した飲食物を穢れていると考えて摂取しない)が出てくるなど、カーストにもとづく階級意識が随所に登場する。
アジテーション演説で、「ジャイ・ビーム!」という掛け声(後述)が出てくるのも象徴的だ。

Pa Ranjith監督は、ダリット解放運動に非常に熱心であり、2018年にはカースト制度を否定する音楽グループ、その名もCasteless Collectiveを結成するなど、様々なスタイルでメッセージを発信し続けている。

このCasteless Collectiveはチェンナイで結成された19人組。
ガーナというタミルの伝統音楽とラップを融合した音楽性を特徴としており、いつか改めて紹介したいグループだ。

今回紹介した『カーラ』は、タミル映画特有のクドい演出も多く、そのわりにテーマは重いので、万人向けの映画ではないかもしれないが、インドのスラムや格差、階級意識などを知るのには非常に良い作品ではないかと思う。
いつもの過剰とも言えるアクション・シーンや、見得を切るシーンもふんだんに含まれているので、主演のラジニカーントのファンであれば、確実に楽しめる作品ではある。

ダラヴィのヒップホップシーンの宗教的多様性については、こちらの記事も是非読んでみてほしい。



また、『カーラ』の宗教的、社会的背景は、このIMW公式Twitterにとても詳しく解説されているので、興味のある方はこちらもどうぞ。(「タミル映画『カーラ』鑑賞に役立つ予備知識(ネタばれなし)」)

この映画の被差別民に関する描写については、インドの「改宗仏教徒」(ヒンドゥー社会での被差別的な立場から解放されるために仏教に改宗した人々)のリーダーとして活躍する佐々井秀嶺師のもとで、同じ志で活動している高山龍智師のTwitterが非常に参考になった。
曰く、"Katravai Patravai"のミュージックビデオにも出てくる青は改宗仏教徒の象徴の色であり、赤は抑圧された人々の拠り所のひとつである共産主義を象徴する色という意味があるそうだ(ちなみに主人公の息子の名前は「レーニン」)。


それで思い出したのが、ジャマイカン・ミュージックを武器に闘争活動を繰り広げているレゲエ・ミュージシャンのDelhi Sultanate.
彼もまた、オーディエンスへの挨拶に「ジャイ・ビーム!」「ラール・サラーム!」という言葉を取り入れている。

「ジャイ・ビーム」は不可触民抵抗運動の父であるアンベードカル博士を讃える平等主義者の挨拶であり、「ラール・サラーム!」は「赤色万歳」という意味の共産主義にシンパシーを持つ者の挨拶だ。
彼はスラムの出身ではなく、留学できるほどに裕福な家庭に育ったようだが、そうした階層のなかにも、社会格差や不正に対する高い問題意識を持った社会的アーティストがけっこういるというのが、インドの音楽シーンのまた素晴らしいところだ。

『カーラ』の中でもうひとつ印象的なのが、古典文学である「ラーマーヤナ」が、ヒンドゥーナショナリストがスラムの人々を弾圧するときの拠り所として扱われているということ。
タミル映画である『カーラ』では、ラーマーヤナで主人公ラーマ神に倒される悪魔ラーヴァナこそ、抑圧されたスラムの民、被差別民、そして北インドのアーリア人種から見下されがちな南インドのドラヴィダ人の象徴なのではないかというメタファーが登場する。
主人公が、「カーラ」(黒)は労働者の色だと語る場面があるが、ヒンドゥーでは忌むべき色とされる「黒」を、逆説的に抑圧された人々のプライドの象徴として描いているのだ。
 
そこで思い出したのが、タミルナードゥ州の隣に位置するケーララ州のブラックメタルバンド、Willuwandiだ。
彼らは、悪魔崇拝(サタニズム)や反宗教的な思想の音楽であるブラックメタルを演奏しているのだが、オカルト的な音楽性に反して、彼らの歌詞のテーマは、いたって真面目なカースト制度への抗議である。
以前彼らについての記事を書いたとき、なぜこんなに極端な音楽性(サウンドはうるさく、ヴォーカルは絶叫しているので歌詞が聞き取れない)で、政治的かつ社会的なメッセージを発信しているのか、大いに疑問に思ったものだった。
だが、もし彼らが『カーラ』と同じメタファーを込めてブラックメタルを演奏しているのだとすれば、全て合点がいく。
つまり、ブラックメタルの「黒」は抑圧された人々の象徴であり、一見悪趣味な悪魔崇拝は伝統的宗教的価値観の逆転を意味しており、宗教への反発はカースト制度のもととなったヒンドゥーの概念の拒絶を意味している、というわけだ。

この記事で紹介している"Black God"のミュージックビデオの冒頭にも、「インドの真実の歴史は、アーリア人とドラヴィダ人の闘争である」というメッセージが出てくるから、この憶測はあながち間違いではないだろう。

それにしても、まさかタミル映画のスーパースターのタミル映画を見たら、インドのブラックメタルの理解が深まるとは思わなかった。
インド、やはり深すぎる。


今回は(今回も?)盛りだくさんでした!
お読みいただきありがとうございます!
ではまた!


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goshimasayama18 at 21:08|PermalinkComments(0)

2019年09月02日

ゾーヤー・アクタル監督来日!ジャパンプレミア直前、映画『ガリーボーイ』3つのキーワード


インド初の本格ヒップホップ映画『ガリーボーイ』のジャパンプレミア上映が、9月5日に新宿ピカデリーでゾーヤー・アクタル監督を迎えて行われる。
『ガリーボーイ』については、たびたびこのブログでも血圧高めの紹介とオススメをしてきたけど、いよいよ公開も近づいて来た今回は、見る前に、知っておくと良い3つのキーワードを説明します。
他の優れた映画と同様に、『ガリーボーイ』も、何も事前知識がなくても楽しめるのだけど、『8mile』を見る前に当時のデトロイトの社会状況を知っておいたほうが深く理解できるのと同じように、『バジュランギおじさんと小さな迷子』を見る前にインドとパキスタン、ヒンドゥーとムスリムの関係を知っておいたほうがより感動できるのと同じように、『ガリーボーイ』もまた、インドのヒップホップシーンや物語の舞台となるムンバイ最大のスラム、ダラヴィのことを知っていたほうがより深く楽しめる!
というわけで、さっそく始めたいと思います。


キーワードその1 "GULLY"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルを聞いて、そもそも「ガリー(Gully)」って何ぞや?(ゾーヤー監督だけに)と思った方も多いはず。
この「ガリー」はヒンディー語で、細い路地のような通りを意味する言葉。
予告編に映るムンバイのスラム街の様子を見れば、その雰囲気がわかってもらえるはずだ。
主人公のムラドが暮らしているのは、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ。
ムラドがカレッジからダラヴィの家に帰るシーンでは、スラム街に入ると急に道幅が狭くなり、まさに「路地」としか呼びようのない狭小住宅の密集地区になっているのが分かる。
インドじゅうからやってきた貧しい移民たちによって形成されたダラヴィは、きちんとした都市計画がされているはずもなく、入り組んだ「ガリー」に並ぶ住居は極めて狭くて、衛生環境も悪い。
「ガリー」は、インドの都市の抑圧された者たちが暮らす場所であり、つまり「ガリーボーイ」は、そうした本来であれば決して誇れない出自であることをレペゼン(代表する、とひとまず訳してよいかな) する名前というわけだ。
アメリカや日本のヒップホップで近いニュアンスの言葉を探すなら、「ストリート」ということになるんだろうけど、幅の広い道を表すストリートに比べて、「ガリー」はごく狭い路地。
街角の道端(ストリート)にたむろしているのではなく、区画すらされていない路地裏に暮らしているのが「ガリーボーイ」ということになる。
つまり『ガリーボーイ』は発展途上国インドの大都市ムンバイの、「ストリート」よりもさらに過酷な環境に暮らす若者が、ラップでのし上がるストーリーというわけである。
この映画は、始まりから終わりまで全てムンバイが舞台になっており、薄暗い「ガリー」から、大富豪のパーティーやお洒落なクラブまで、大都市ムンバイの様々な顔が楽しめるのも魅力のひとつである。

ちなみにインドのヒップホップ界において、「ガリー」という言葉は、ムラドの兄貴分として登場するMC シェールのモデルとなったラッパーのDIVINEが多用したことで普及した言葉だ。
(彼が率いるクルーの名前も'Gully Gang'という)
DIVINEと、ムラドのモデルとなったNaezyが共演したこの"Mere Gully Mein"(「俺の路地で」)は、Naezyのパートを主演のランヴィール・シンが吹き替えて、「ガリーボーイ」のなかでも使われている。

こちらはオリジナルバージョン。
 

こちらが映画版。 

通常、インド映画のミュージカルシーンは専門のプレイバックシンガーによって歌われ、俳優は口パクなのが一般的だが、主演のランヴィールは、インドのヒップホップシーンへの強い共感から、ムラドのラップのパートを全て自分で吹き込んでいる。
相棒のMCシェール役のシッダーント・チャドルヴェーディのラップの吹き替えを行なっているのは、モデルとなったDIVINE本人だ。


キーワードその2 "ASLI"

劇中のサイファー(即興ラップ)のシーンでも効果的に使われているこの曲のタイトルは、"Asli Hip Hop".
この'Asli'は「リアルな、本物の」という意味のヒンディー語だ。
つまり、このAsli Hip Hopは、「インドにリアルなヒップホップを届けるぜ」という意気込みを歌った曲ということになる。
インドで最初のヒップホップ映画なのに、なぜわざわざ「リアルな」と言う必要があるのか。
それは、インドには「リアルでない」ヒップホップがすでにたくさんあるからである。
映画の冒頭で、ムラドの悪友モインが、車のなかで流れる曲を聞きながら「これがお前の好きなヒップホップってやつだろ?」と尋ねる場面がある。
ムラドは「こんなの本物のヒップホップじゃない」と答えるのだが、実はインドでは数年前から、映画音楽などで、商業的なラップミュージックが流行している。
モインは、ラップ・イコール・ヒップホップだと思って尋ねたわけだが、ムラドにとってはラッパーのリアルな自己表現こそがヒップホップと呼べるのであって、商業ベースで作られた音楽は、ラップではあっても決してヒップホップとは呼べない代物なのだ。
ちなみにそのシーンで流れるのがこの曲。
"Goriye" by Kaka Bhaniawala, Arjun Blitz & Desi Ma.
 
2009年に若くして亡くなったKaka Bhaniawalaのリミックスで、典型的なインドのパーティーラップだ。
この"Goriye"はホーンやパーカッションも小粋に、シーンの意図に反して、かなりかっこよく仕上がっているので、若干こうした意図が伝わりづらくなってしまっているのだが…。
派手なラブソングであるこの曲と、ムラドたちのリアルな生活を綴ったラップとを、ぜひ聴きくらべてみてほしい。

ちなみに実際のインドの音楽シーンで、ガリー系のラッパーからよくディスられている商業的なラップミュージックはこんな感じ。
 
"Goriye"を歌っていたKaka Bhaniawala同様、インド北西部パンジャーブ系のシンガー/ラッパーであるYo Yo Honey SinghやBadshahは、パンジャーブ州の伝統的リズムのバングラーにヒップホップやEDMを融合して人気を得ているのだが、その派手なスタイルは、なにかとリアルさを売りにしているラッパーの目の敵にされている。

ヒップホップとして「'Asli'(リアル)であること」は、『ガリーボーイ』のなかでも終始重要なテーマとして位置づけられている。
映画を見終われば、ラッパーに憧れる青年だったムラドが初めて本物のラッパーのMCシェールに出会うシーンから、クライマックスのラップバトルまで、「リアル」というキーワードがこの作品を貫いているということが分かるはずだ。
まだ本物のヒップホップが一般レベルで(つまり、商業的ボリウッド娯楽映画の観客には)根付いていないインドにおいて、『ガリーボーイ』がヒップホップを単なるパーティーミュージックや経済的成功の手段として描くのではなく、「リアル」なものとして描いたことは特筆に値する。


キーワードその3 "AZADI"
3つめのキーワードは、"Azadi".
「自由」を意味するヒンディー語だ。
この"Azadi"という言葉はデリーを拠点にしているインドの新進ヒップホップレーベルの名前にもなっており、 『ガリーボーイ』のなかでも同名の楽曲が使用されている。
「自由」はロックやヒップホップといった現代音楽の核心的なテーマであり、さらに言えばあらゆる音楽や芸術の根源となるものだ。

カーストや出自による差別がいまだに存在するインドの、さらにスラム街という、自由から程遠い場所に暮らすムラドが、いったいどうやって「自由」を獲得するのか。
もちろん、それはこの映画の主題である「ヒップホップ」によるわけだが、そのために大きな役割を果たすのが「インターネット」である。
1990年代以降の経済自由化、2000年以降のインターネットの普及にともなって、インドの社会は大きく転換した。
ヒップホップをはじめとするインディーミュージックがインドで本格的に発展するのは2010年以降だが、これはインターネットを通じて世界中の音楽をリアルタイムで聴くことができるようになり、また自分の作った音楽を世界中の発信できるようになったことの影響が非常に大きい。
映画の中でも、ムラドは恋人のサフィーナからプレゼントされたiPadを使ってラップをインターネットにアップロードし、成功のきっかけをつかむのだが、このエピソードはモデルとなったラッパー、Naezyの実話がもとになっている。
Naezyもまた、スラムと呼んでもいいような下町Kurla地区の出身の不良少年だったが、プレゼントされたiPadを使ってビートをダウンロードし、ラップを乗せ、ミュージックビデオまで撮影してインターネット上に公開したことで高い評価を得て、一躍人気ラッパーとなった。

予告編でも言われているように「使用人の子は使用人」として生きざるを得ないインド社会において、インターネットは自身のラップを発表するための手段として機能しており、高く評価されれば出自や階級のくびきから逃れられるという、希望の象徴になっている。
そういう意味では、この『ガリーボーイ』は、伝統社会と現代性を同時に描いた、極めて今日的な物語なのである。
スラムの若者や子どもたちが、ダンスやラップによって得る自尊心は、まさに精神の自由=Azadiそのものであり、これは映画の中だけの絵空事ではなく、実際のムンバイのスラムの状況がもとになっている。
この映画は、ヒップホップがスラムの希望となる瞬間を象徴的に描いた物語でもあるのだ。
(参考記事:「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編
      「Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1

ちなみに、映画のなかで使われた楽曲"Azadi"は、飢えや差別や不平等からの自由を訴える楽曲。

サウンドトラックではDub SharmaとDIVINEによる共演となっているが、もともとは2016年にDub Sharmaがソロで発表していた楽曲で、さらにその元となったのは、デリーの名門大学ジャワハルラール・ネルー大学の学生デモのシュプレヒコールである。
(この情報はGully Boyの楽曲の翻訳に取り組んでいる餡子さんに教えていただいた。詳細はこちらから。餡子さんは、現在インド/イスラーム研究者の麻田豊先生と現在さらなる的確な翻訳に取り掛かっている)
ストーリーに大きな関わりを持つ楽曲ではないが、ゾーヤー・アクタル監督はこうした社会性の強いラップをサウンドトラックに入れることで、ヒップホップという音楽の持つ社会的側面を伝えようとしているのだろう。


というわけで、Gully, Asli, Azadiという3つのキーワードで、映画『ガリーボーイ』を紹介してみた。
お気付きの方もいるかもしれないけど、ヒップホップ映画ということで、Gully, Asli, Azadiと韻を踏んでみました。

この"Gully Boy"、今までのインド映画とは一味違う、音楽ファンやヒップホップファン、ハリウッド映画や欧米のミニシアター系作品好きにも確実に楽しんでもらえる映画だ。
私も非常に思い入れのある映画なので、一人でも多くのみなさんに見てもらえたらうれしいです。

そして!
映画公開に合わせて、あのサラーム海上さんと、ムンバイのラッパーと楽曲を発表したこともあるカタック・ダンサーのHiroko Sarahさんと、この私、軽刈田 凡平で、公開記念イベントを行います。
映画に使われた楽曲やいろんな曲をかけながら、映画の背景となったインドのヒップホップシーンを紹介する予定!
詳細はこちらから!


みなさんのご来場、お待ちしています!

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goshimasayama18 at 20:24|PermalinkComments(0)

2019年07月12日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1

10月に公開が決定した、ヒンディー語映画、『ガリーボーイ』。
このボリウッド初のヒップホップ映画の舞台は、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ(Dharavi)だ。
主人公ムラドのモデルとなった実在のラッパーNaezyの出身地は、じつはダラヴィではなくムンバイ東部のクルラ(Kurla)地区。(ここもかなりスラムっぽい土地のようだ)
映画化にあたってダラヴィが舞台に選ばれたのは、ここがあの『スラムドッグ・ミリオネア』で世界的に有名になったスラム地区で、「ガリーボーイ」(路地裏ボーイ)のイメージにぴったりだからという理由だけではない。

ダラヴィは、実際にムンバイの、いや、インドのヒップホップシーンを代表するアンダーグラウンドラッパーを数多く輩出している、ヒップホップが息づく街なのだ。
ここでいう「アンダーグラウンドラップ」とは、マニアックな音楽性のヒップホップという意味ではない。
映画音楽のような主流のエンターテインメントではなく、ストリートに生きる人々が自ら発信しているリアルなヒップホップという意味だ。
(インドのメインストリームヒップホップについてはここでは詳しく紹介しないが、興味があったらYo Yo Honey SinghやBadshahという名前を検索してみると雰囲気がわかるはずだ。)

ダラヴィのヒップホップは、'00年代後半、EminemやNas, 50Centなどのアメリカのラッパーに影響を受けた若者たちによって、いくつかのクルーが結成されたことで始まった。
'00年代後半のインドの音楽シーンは、在外インド人の音楽を逆輸入したバングラー風味のラップがようやく受け入れられてきた頃だ。
(インドのヒップホップの全般的な歴史については、こちらの記事にまとめてある。「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」
当時、インドの音楽シーンでは、ポピュラー音楽といえば国内の映画音楽のことで、ロックやヒップホップなどのジャンルは極めてマイナーだった(今でもあまり変わっていないが)。
そんな時期に、経済的に恵まれていないダラヴィで、インド国内で流行っていたバングラー系ラップを差し置いて、アメリカのヒップホップが注目されていたというのは驚きに値する。

理由のひとつは、インターネットが普及し、海外の音楽に直接触れることができるようになったこと。 
また、教育が普及し、英語のラップのリリックが多少なりとも理解できるようになったことも影響しているだろう。
ダラヴィのラップにバングラーの影響が見られないことに関しては、この地域にバングラーのルーツであるパンジャーブ系の住民が少ないということとも関係がありそうだ。
バングラー系のラップは、どちらかというとパーティーミュージック的な傾向が強く、ストリート志向、社会派志向のダラヴィのラッパーたちとは相容れないものでもあったのだろう。

だが、ダラヴィの若者が(バングラー系ラップでなく)米国のヒップホップに惹かれた最大の理由は、何よりも、ヒップホップの本質である「ゲットーに暮らす被差別的な立場の人々の、反骨精神とプライドが込められた音楽」という部分が、彼らにとって非常にリアルなものであったからに違いない。
ダラヴィに住んでいるというだけで、人々から見下され、警察には疑われる屈辱的な立場。
過密で衛生状態が悪い住環境でのチャンスの少ない過酷な生活。
遠く離れたアメリカで、同じような立場に置かれた人々が起こした「クールな反逆」であるヒップホップに、インド最大の都市ムンバイのスラムに暮らす人々が共感するのは必然だった。
いずれにしても、ダラヴィでは、ヒップホップは'00年代後半から、インドの他の地域に先駆けて、若者たちの間に定着してゆくことになったのだ。

初期から活動しているダラヴィのヒップホップクルーのひとつが、Slumgodsだ。
2008年に結成された彼らは、同年に発表された映画『スラムドッグ・ミリオネア』によって、ダラヴィ=スラムドッグというイメージがつくことに反発し、'dog'の綴りを逆にしてSlumgodsという名前をつけた。
『スラムドッグ・ミリオネア』は、外交官であるエリート作家によって書かれた小説を、イギリス人監督が映画化したものだ。
よそ者によってつけられた「スラム=貧困」のイメージに対する反発は、ダラヴィのヒップホップの根幹にあるものだ。
「俺たちは犬畜生じゃない、神々だ」という、プライドと反骨精神。
Slumgodsの中心人物B-Boy Akkuは、ラップよりもブレイクダンスに重きを置いた活動を展開しており、とくに、スラムの子供達に自信と誇りを持たせるために、無料のダンス教室を開き、ダラヴィでのヒップホップ普及に大きな役割を果たした。

Akkuの活動については、以前この記事に詳しく書いたので、興味のある人はぜひ読んでほしい(「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」)。
彼らのように、ギャングスタ的な表現に終始するではなく、ヒップホップというアートフォームを通して、どのように地域に貢献できるかを真剣に考えているアーティストが多いのも、ダラヴィのシーンの特徴と言えるだろう。

Slumgodsと同時期に、OuTLawZ, Sout Dandy Squad, Street Bloodzといったクルーも結成され、さらにはDivineやNaezy, Mumbai's Finestといったムンバイの他の地区のラッパーたちの影響もあって、ダラヴィのヒップホップ人気はさらに高まってゆく。

この頃のクルーは、音源を残さずに解散してしまったものも多かったようだが、ヒップホップは確実にダラヴィに根づいていった。
ムンバイのヒップホップ黎明期のアンセムをいくつか紹介する。

シーンの兄貴的存在、Divineによる地元賛歌"Yeh Mera Bombay". 2013年リリース。


楽曲もビデオも、Naezyが父から貰ったiPadのみを使って制作された"Aafat!". 2014年リリース。


ブレイクダンスにスケボーも入ったMumbai's Finestの"Beast Mode"は、ムンバイのヒップホップ系ストリートカルチャーの勢いを感じられる楽曲。2016年リリース。


こうしたアーティストたちの存在が、ダラヴィのラッパーたちを勇気づけ、後押ししてゆく。

2012年に、元OutLawZのStonyPsykoことTony Sebastianを中心に結成されたDopeadeliczは、マリファナ合法化や、ムンバイ警察の腐敗をテーマにした楽曲を発表している。
"D Rise"
 
ダラヴィのシーンでは、はじめはアメリカのアーティストを模倣して英語でラップするラッパーが多かったが、やがて、「自分たちの言葉でラップする」というヒップホップの本質に立ち返り、ヒンディー語やマラーティー語、タミル語などの言語のラップが増えていった。
本場アメリカっぽく見えることよりも、自分の言葉でラップすることを選んだのだ。

大麻合法化をテーマにした楽曲に、インドの古典音楽の要素を取り入れた"Stay Dope Stay High".
Dopeadeliczもまた、英語から母語でのラップに徐々に舵を切ってゆく。

60年代に欧米のロックバンドがサイケデリックなサウンドとして取り入れたシタールの音色を、同じ文脈でインド人がヒップホップに取り入れている!
1:42からのシタールソロのドープなこと!
3:00からのbol(タブラ奏者が口で刻むリズム)もかっこいい。
ビデオはもろ90年頃のアメリカのヒップホップ。
前作から一気に垢抜けたこのビデオは、ボリウッドの大御所映画監督Shekhar Kapurと、インド音楽シーンの超大物A.R.Rahmanらによって立ち上げられたメディア企業Qyukiのサポートによって制作されたもの。
このQyukiはダラヴィのシーンを手厚く支援しており、前述のSlumgodsの活動もサポートしているようだ。

新曲はMost Wanted Recordsなるレーベルからリリース。

まるで短編映画のようなクオリティだ。

実際、彼らはメインストリームの映画業界からも注目されており、あのタミル映画界のスーパースター、ラジニカーント主演作品"Kaala"のサウンドトラックにも参加している。
(Stony Psykoらは『ガリーボーイ』にもラップバトルのシーンにカメオ出演を果たした)
映画"Kaala"から、"Semma Weightu".

Santhosh Narayananによる派手な楽曲は90年代のプリンスみたいな賑やかさ!
映画はラジニカーント演じるダラヴィのタミル人社会のボスと、再開発のための住民立退きを企てる政治家の抗争の物語。
実際、ダラヴィは住民の半分がタミル系である。


ムンバイのラッパーのリリックには、彼らが普段使っているなまの言葉が使われており、例えば彼らがよく使う'bantai'という言葉は、「ブラザー(bro.)」(血縁上の兄弟ではなく、 友達への呼びかけとしての)のような意味のムンバイ独特のヒンディーのスラングだ。
その'bantai'をアーティスト名に冠した7Bantaizは、ダラヴィ出身のFTII(Film and television Institution Inda)の学生によって2014年に結成された(結成当時の平均年齢は17歳!)。
ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、英語でラップするマルチリンガルな、非常に「ダラヴィらしい」グループだ。

2018年発表の"Yedechaari".


同年発表の"Achanak Bhayanak"

いずれも強烈にダラヴィのストリートのヴァイブが伝わってくる楽曲だ。
彼らもまた、『ガリーボーイ』にカメオ出演している。


ダラヴィの若手ラッパーで、今もっとも勢いがあるのが、2015年に結成されたクルー、EnimiezのMC Altafだろう。
Enimiezは、MC Altaf, MC R1, MC Standleyの3人組で、体制への不満を訴える'Rage Rap'を標榜している。
ラップの言語はヒンディー語とカンナダ語。
メンバーの本名を見ると、どうやらそれぞれがムスリム、ヒンドゥー、クリスチャンと異なる信仰を持っているようで、言語(ルーツとなる地域)だけでなく、宗教の垣根も超えたユニットのようだ。
様々なコミュニティーが音楽によって繋がり、ヒップホップという新しい価値観のもとにシーンが形成されているというのも、ダラヴィの特徴と言えるだろう。

MC Altafは若干18歳の若手ラッパー。
Nasに憧れ、DopeadeliczのStony Psykoのライブパフォーマンスに衝撃を受けてヒップホップの道を志したという、『ガリーボーイ』を地でゆくような経歴の持ち主だ。
『ガリーボーイ』のなかでもパフォーマンスシーンがフィーチャーされており、その縁でミュージックビデオには主演のランヴィール・シンがカメオ出演している。
ニューヨーク出身でムンバイを拠点に活躍しているJay Killa(J Dillaではない)と共演した"Wassup".
ランヴィールのほかにも、Dopeadeliczや7BantaiZのメンバーも登場している(彼らはリップシンクで、実際にラップしているのは全てAltafとJay Killa)。


"Mumbai 17"はダラヴィのピンコード。
ダラヴィの街の雰囲気を強く感じられるトラックだ。

どうでもいいことだが、「クリケットの国」であるインド人のベースボールシャツ姿は非常に珍しい。
この曲のマスタリングは、なんとロンドンのアビーロード・スタジオで行われている。

同じくムンバイのラッパーD'Evilと共演した"Wazan Hai"はヒップホップファッションとともに人気が高まっているスニーカーショップで撮影されたもの。


こうしたアーティストたちの活躍により、今では「ダラヴィといえば貧困」ではなく、「ダラヴィといえばヒップホップ」というように、インドの中でもイメージが変わって来ているという。
「ラップやダンスによる成功」は、ダラヴィの若者や子どもたちが夢見ることができる実現可能な夢であり、何人もの先駆者たちによって、ヒップホップはインドでも、ゲットー(スラム)の住人たちの希望となったのだ。

今回は個別のアーティストやクルーに焦点をあてて紹介してみましたが、次回はシーンの全体像を見てゆきます!
今回はここまで!



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goshimasayama18 at 21:53|PermalinkComments(0)

2019年02月17日

映画"Gully Boy"のレビューと感想(ネタバレなし)

インドでもここ日本でも大注目の、ムンバイのヒップホップシーンを題材にした映画"Gully Boy"の自主上映会に行ってきました!(Spaceboxさん主催、@キネカ大森)

GullyBoy

あらすじは自分が見るまで知りたくないという人もいると思うので、別の記事にまとめてあります。
他に、ストーリーに関連した見どころやトリビアなんかも書いてあるので、そっちも読んでみたい方はこちらからどうぞ( "Gully Boy"あらすじ、見どころ、楽曲紹介&トリビア)。

じつは、感想を書くにあたって、「たぶんこんな感じだろうな」と思って書きかけていたものがあったのだけど、実際に映画を見てみたら、これがもう本当に素晴らしく、あまりにも感じたことや気づかされたことが多くかったので、事前に書いたものを全て消して今新たにこの文章を書いている。

Ranveer Singh演じる主人公は、ムスリムのラッパー、Murad.
以前も書いたように、この映画は実在のムンバイのラッパー、Divine(クリスチャン)Naezy(ムスリム)を題材にしたもので、MuradはNaezyをモデルにしたキャラクターということになるようだ。
てっきりDivineが主人公だと思っていたので、これにはけっこう驚いた。
どうやら映画の中でMuradの兄貴分にあたるMC Sher(Siddhant Chatruvedi)がDivineをモデルにしたキャラクター(ラップの吹き替えもDivine)にあたるらしい。
(DivineやNaezyについては、こちらの記事をどうぞ「ムンバイのヒップホップシーンをテーマにした映画が公開"Gully Boy"」) 

とはいえ、二人のキャラクター設定は実際のDivineとNaezyとは違うところが結構あるので、やはりZoya Aktar監督の言うとおり、これは伝記映画というよりも、彼らをモチーフにしたフィクションとして見るべき作品なのだろう。
(映画の冒頭には、きちんと'Original Gully Boys'としてDivineとNaezyの名前が出てくるのだが)

なんといってもこの映画でとにかく印象に残ったのは、Ranveerの演技の素晴らしさ!
予告編やポスターを見る限り、Ranveerの七三分けみたいな髪型や自信なさげな様子が、ラッパー役にしては違和感があるなあと感じていたのだけど、これが実はMuradの内面の繊細さや抑圧された状況を表す演出であって、そんな彼がラップを通して自信と自由と成功を手に入れてゆく過程が、じっくりと丁寧に描かれている。
実際のNaezyを撮影した"Mumbai 70"という短編ドキュメンタリーを見たことがあるが、この中でオフステージのNaezyが見せていたのと同様の繊細さがうまく再現されていた。



まだまだヒップホップが一般的でないインドで、兄貴肌でワイルドなイメージのDivineを主人公にしても共感は得られにくいだろうから、この設定は非常にうまくできているのではないだろうか。
吹き替え無しで臨んだラッパーとしてのパフォーマンスシーンももちろん圧巻で、Ranveerはこの映画でほんとうに良い仕事をしたと思う。

映画全体を見ても、貧しい生まれの青年のラッパーとしてのサクセスストーリーを軸に、恋愛、家族との葛藤、格差、貧しさゆえに手を染める悪事などの要素もうまく盛り込まれていて、単なる音楽映画でも青春映画でもない重厚な作品に仕上がっていた。
また映像がとても美しかったのも印象的だ。

ボリウッドにつきもののミュージカル/ダンスシーンのヒップホップへの翻案は、下手をするとかなりださいものになってしまうのでは、と心配していたのだけど、ミュージックビデオの撮影というとても自然な取り入れられ方をしていて、ストリート感覚とエンタメのバランスの良さに感心させられた。


また、ラップのリリックの内容に社会性が強いものが多かったという点も特筆したい。
いくつか紹介すると、「なぜこうも上手くいかないのか、なぜ富めるものと貧しいものがいるのか」というテーマの"Doori"はZoya Akhtar監督の父で、詩人/作詞家/脚本家としても著名なJaved Akhtarの詩をDivineがリライトしたもの。
 

"Azadi"は「飢え、差別、不正義、政治の腐敗、格差からの自由を!」というテーマの曲。
Azadiは自由という意味のヒンディー語で、デリーの人気ヒップホップレーベルの名前にもなっている単語だ。
この曲の"A-Za-di!"というコーラスはデモ行進のシュプレヒコールを思わせるもので、この映画がヒップホップを社会運動的な側面を持つものとして描いていることがよくわかる楽曲。
パフォーマンスはDivineとDub Sharma.

 

こうしたテーマは、じつはストリートの生活やそこに暮らす人々の心のうちを扱うことが多い実際のNaezyやDivineのリリックよりも、かなり具体的で政治的なものだ。
(ムンバイで政治的、社会的なテーマを扱うラッパーとしては、MC MawaliとMC TodfodのデュオであるSwadesiがいる)
インドで最初のストリートヒップホップを題材にした映画(それも大物俳優の出演した大作)が、娯楽的なサクセスストーリーだけではなく、こうしたラップが持つ社会的な意義をもテーマにしたということは、すごく重要なことだと思う。
ボリウッドが、ラップを単なるエンターテインメントでも成り上がりの手段でもなく、持たざるものが声を上げ、社会に対峙するための武器として描いたことはきちんと評価したい。

日本でヒップホップ映画を撮ると、どうしても『サイタマノラッパー』みたいに、「ヒップホップの美学と日本人のメンタリティーの間にあるギャップにフォーカスする」という視点になりがちだけど(それはそれで大好きだが)、映画の中のムンバイのラッパーたちは、自身のおかれた社会的状況や格差や不正義をストレートにラップし、喝采を浴びる。
これは国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、表現者がどれだけ社会の抑圧をリアルに感じているかということが大きく関係しているように思う。

抑圧された人間が、自分の心のうちを自分の言葉(ラップ)で表現することによって、いかに自由とプライドを取り戻せるのか。
ヒップホップでどんな夢が見られるのか。
個人のラップが、一人の人間だけでなく、彼がレペゼンするコミュニティーにとってどんな意味を持ちうるのか。

この映画で提示されたテーマは、インドのみならず、世界中の都市に暮らす人々やヒップホップファンにとってもリアルに感じることができるものだと思う。
つまり、この映画は、DVDになったときに、『バーフバリ』とか『ムトゥ』の隣ではなく、"8 Mile"とか、"Straight Outta Compton"の隣に並べてもまったく構わないということだ。
夢を追うミュージシャンのサクセスストーリー、もしくは実在のアーティストの脚色された伝記という括りで、『アリー スター誕生』とか、『ボヘミアン・ラプソディ』の隣にこの映画のDVDを並べたって構わない。
いや、むしろそうしてほしい。 
この傑作映画は、インド映画好きのためだけの映画ではまったくない。

また、この手のヒップホップがまだまだアンダーグラウンドであるインドの市場を考えてのことだと思うが、ストーリーの中で、ヒップホップ/ラップがどんなものなのかという説明もさりげなくされる構成になっているところにも感心した。
ヒップホップに興味のない人も置いていかないようになっているから、ヒップホップ映画ではなく、単に一人の人間の成長物語としても、社会的な映画として見ることもできるのだ。


個人的な話になるが、現代のインドの音楽に興味を持ったきっかけのひとつが、90年代にインドを旅したときに、「インド社会の中で抑圧された人たちが、アメリカの黒人のように音楽で主張をし始めたら、すごいことになるだろうなあ」という気持ちを抱いたことだった。
今、それがまさに実現していて、こうしてインドのエンターテインメント界の大本山であるボリウッド映画にまでなったということに、なんというかもう感慨無量だ。

インド映画について語る時、「インド社会は現実があまりにも厳しいから、現実にはありえないような夢物語が大衆に好まれる」という趣旨のことが言われがちだが、この映画に関しては夢物語でもなんでもなく、実際にストリートからのし上がったラッパーたちがモデルになっているのだ。
エミネム主演の"8 Mile"に似ている部分もあるが(とくにラップバトルのシーン)、"8 Mile"の背景として、音楽業界の発展したアメリカ社会では、ラッパーとして有名になることによって社会的・経済的な成功が得られるというコンセンサスがあった。
インドの場合、ストリート出身者がラップをしても、それでプロになって暮らしてゆけるなんて、かつては誰も思っていなかった。
"Gully Boy"は、すでに確立された形で夢を叶えた成功物語ではなくて、インドの常識を変えた「最初の一人」を象徴的に描いているというところにも大きな意味があるのだ。

そして、「インドにおけるストリートラッパー(=gully boy)のサクセスストーリー」という映画の物語とは別に、「ストリートラッパーの人生がスター俳優主演でボリウッドで映画化する」というこの映画そのものが、この映画のモデルになったNaezyやDivineにとっての最高のサクセスストーリーになっているわけで、この現実と映画がリアル絡み合った状況がインドのインディーミュージックファンにはもうたまらない。

この映画のテーマ曲"Apna Time Aayega"は「俺の時代がやって来る!」と宣言する楽曲。


この「俺の時代」とは、インドじゅうのアンダーグラウンドラッパーが注目される時代であり、声なき者たちの声をラップという形で社会に広く届けることができる時代であり、また抑圧された境遇に生まれた者がインディーミュージックに夢を持つことができる時代のことなのだ。

学生時代以降、あんまりインドに行けていないけど、ずっとインドを好きでいて良かった。
素直にそう思えた映画だった。
まだインターネットが一般的でない時代の、欧米や東アジアとは完全に別世界だったインドも懐かしいけど、新しいインドもやっぱり最高に面白い。
そのインドの中から、こうして普遍的な魅力をもった音楽映画が出てきたということが、とても感慨深かった。
でもほんと、そんな個人の感慨なんてどうでもいいくらいの歴史的な映画だった!

改めて、日本での一般公開が待たれる素晴らしい映画でした。
今度は日本語字幕でしっかりと見てみたい! 
本当はヒンディーやウルドゥーが分かったら何倍も楽しいのだろうけど。

多少ネタバレがあっても良いからもっと読みたい、という人はあらすじの記事も読んでみてください。


(関連記事「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」

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