タゴール・ソングス

2022年02月18日

2/13(日)『タゴール・ソングス』出版記念上映&トークの話



2.13フライヤー

前回は映画と本の感想に終始してしまったので、今回は改めて、13日の『タゴール・ソングス』書籍出版記念上映&トークで佐々木監督とお話しした内容を書いてみます。
(内緒にしとこうかとも思ったのだけど、まだまだコロナが落ち着かない中、来場をあきらめた方もいるかもしれないので、こっそりとお伝えします)

まずは、佐々木監督が1月に(映画のほうの)『タゴール・ソングス』をひっさげて参加したダッカ国際映画祭の話題から。
少しだけ書籍版のネタバレをさせてもらうと、佐々木さんが映画を作ることになったきっかけのひとつは、学生時代にボランティアとして参加した山形国際ドキュメンタリー映画祭で、バングラデシュ人の女性監督に「ミカも映画を作ったらいいのに」と言われたことだった。
この場面は本当に素敵なので、ぜひ本を手に取ってお読みいただきたい。
そして、この本の最後の最後、謝辞の締めくくりに「ダッカにて」という言葉があるのだが、これは、バングラデシュ人監督の言葉で映画の道に進んだ彼女が、インド/バングラデシュで撮影した自分の映画を携えて再びバングラデシュを訪れ、映画祭のさなかにこの本を書き終えたことを表している。
本のなかには映画祭の話はまったく出てこないのだけど、なんだかぐっと来るめぐり合わせじゃないですか?

ところが話は感動のエピソードでは終わらない。
このダッカ国際映画祭が、とにかく凄かったらしい。
映画祭が行われた1月中頃は、バングラデシュでもオミクロン株が猛威をふるい、1億6,000万人ほどの人口に対して、連日1万人ほどの新規感染者が報告されているという状況だった。
バングラデシュの脆弱なインフラや過密さを考えれば、感染の実態は報告数をだいぶ上回っている可能性もある。

そんな中行われた映画祭では、オリンピックさながらの「バブル体制」が敷かれ、 自由行動がほとんど取れないという多国籍修学旅行状態(!)だったという。
「国際映画祭」と銘打ってはいるものの、バングラデシュと親和性の高い国からの出品が多く、南アジア各国やイラン、トルコなどの作品が目立っていて(他には一部ヨーロッパの監督も参加)、東アジアからの参加者は佐々木さんたった1人。


バブル体制とはいえ、現地の感染対策は結構適当なところもあったようで、常時マスクを着用している人はまれで、日々、身近なところで感染者発生の報告を聞くなかでの映画祭参加は不安も大きかっただろう。
それでも映画祭は続く。
期間中は、地元のバンドが演奏するパーティーが毎晩のように開催され、演奏に合わせて各国の監督が歌を歌わされる(!)という謎な企画もあったらしい。
ちなみに佐々木監督とは日本を代表して「ふるさと」を歌ったとのこと。
当然地元バンドの面々は日本の曲なんて知っているわけがないので、最初のところを少し歌ってみせて、あとはその場で適当に合わせてくれるというなんともフレキシブルなものだったという。
映像もちょこっと見せてもらったけど、ベンガル語のパーティーソングが歌われている場面では、南アジアの参加者が思いっきり踊り狂っていたりして、自分が想像していた「映画祭のパーティー」とのあまりのギャップに衝撃を受けた。
これ、佐々木監督だから良かったけど、南アジア耐性がない監督が参加してたらどうなっていたんだろう。

南アジア〜西アジアあたりの踊り好き、歌好きっぷりは映画関係者も同様だったようで、ランチの後にイラン人チームがテーブルを叩きながら大声で歌っている映像なんかもあって、いやはや自分の中の「映画祭」感が壊れました。

どうやら私は映画祭というのはヨーロッパ的な文化や習慣に基づいたものだと無意識に思い込んでいたようなのだが、考えてみればアジアで開催してるのに欧米っぽいやり方を踏襲する必要なんてまったくないわけで、ヨーロッパ的映画祭の縮小版をやるくらいなら、思い切ってこれくらいローカル感覚丸出しにしてくれたほうが面白いような気がする。

多国籍修学旅行(現地を代表する大河であるポッダ河にみんなで行ったりしたとのこと)のバスの運転手が大音量で謎のダンスミュージックを流しながら運転している映像も衝撃だった。

念のため書いておくと、佐々木監督は各プログラムにきちんとマスクをして臨み(他の国の人に「よくそんなにマスクしていられるね」と言われたとのこと)、連日行われたPCR検査も全て陰性で、かつ帰国後の隔離期間もきちんと過ごしたうえでの出版記念イベント開催ですので、ご安心を。

あと「海外あるある」だけど、「集合時間に行ってみたら主催者を含めた全員が遅刻していて自分しかいなかった」という話もしみじみと面白かった。
日本人にとって、約束の時間にどれくらい遅れて行けばちょうどいいのかというのは永遠の謎で、待たせてしまったら悪いという気持ちがどうしても先に立ってしまうが、そう考えた時点で負けなのだろう。


佐々木さんのお話のもうひとつの目玉は、『タゴール・ソングス』に登場した人たちのその後について。
これは映画を見た誰もが気になっていたことだろう。
映画の公開は2020年だったが、撮影は2017年から始まっていたそうで、スクリーンに映っている彼らからはじつは4、5年前の姿なのだ。

まずは、映画祭の合間に会うことができたというハルンさん(映画の冒頭に出てきたレコードコレクターで新聞記者の男性)。
映画の中ではタゴール・ソングをはじめとするレコードの収集家として登場した彼は、じつはレコード・マニアではなくオーディオ・マニアだったことが今回判明したそうで、今では副業として数百万円もする高級オーディオ機器の輸入販売を手掛けているという。
今行きたい場所は横浜のオーディオ・ショップとのこと。

ストリートチルドレンだったナイームくんは、音楽の道をあきらめたわけではないものの、今では縫製工場で働いているという。
現状に満足してはおらず、より良いキャリアを模索しているそうだ。

ラッパーのニザームは、その後も活動を続けており、昨年も政治的なテーマの楽曲を何曲かリリースしている。



インド勢のその後も面白い。
女子大生だったオノンナちゃんは、その後大学院に進み、モデルとして活動するかたわら、仲間たちとYouTuber活動も始めたようだ。

もしよかったらチャンネル登録もよろしく。


オミテーシュさんは、映画では触れられなかった困難を抱えつつ(書籍版参照)タゴール・ソングを歌い続けている。


オミテーシュさんのもとでタゴール・ソングを学んでいたプリタさんも歌い続けている。
今回は、英文学の研究者でもある彼女が、『シンデレラ』の映画にも使われたイギリス民謡の子守唄"Lavender's Blue"を歌っている動画を紹介。


オミテーシュさん、プリタさんの動画はこちらのチャンネルからたくさん見ることができる。


軽刈田からは、今回のテーマに合わせて、ベンガルの詩の文化とポピュラーミュージックの繋がりの深さを感じられる2曲を紹介した。

まずは、コルカタを代表するラッパーCizzyによる、ベンガルではタゴールと並び称される詩人であるカジ・ノズルル・イスラム(Kazi Nozrul Islam)をテーマにした楽曲"Nojrool"。


サウンド的にも伝統音楽の影響が感じられる、まさにレペゼン・ベンガルなラッパーだ。
Cizzyをはじめとするベンガルのラッパーについてはこのブログでも何度も紹介しているので、興味がある人はこちらの記事あたりからどうぞ。


彼は映画にこそ登場しないものの、書籍版『タゴール・ソングス』のあるエピソードに少しだけ登場する「コルカタの公園で出会ったラッパーたち」のひとりでもある。

Whale in the Pondは、ベンガルの詩人Pratul Mukherjeeから影響を受けているというバンド。
曰く、「自分たちはラビンドラナートの影響は受けてないな。この街(コルカタ)や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

民謡っぽい素朴なメロディーから美しいコーラスにつながる展開が最高。
彼らについては、こちらの記事でインタビューを交えて紹介している。
「核戦争による世界の終末」をテーマにしたというコンセプトアルバムも興味深い。



まあそんなわけで、盛り沢山の出版記念トークでした!
出版記念上映&トークは、20日の回が残っているので、興味のある方はぜひどうぞ!

軽刈田は19日のアンジャリさんの会を見に行ったのだけど、映画もトークも最高でした。
前回も書いたとおり、本と映画、合わせて味わうと何倍にも楽しめるので、ぜひこの機会に!

最終回の20日は作家の安達茉莉子さんが登場します。





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2022年02月15日

インドとかタゴールとか関係なくみんな読んだらいいよ。佐々木美佳『タゴール・ソングス』出版!



2月13日(日)、東中野のポレポレ坐で行われた、佐々木美佳さんの『タゴール・ソングス』出版記念上映&トークでお話ししてきました。

このブログでも以前紹介した通り、『タゴール・ソングス』は、アジア人初のノーベル賞受賞者であり「詩聖」とも称えられるラビンドラナート・タゴールが作ったさまざまな歌とともに生きる人々を追ったドキュメンタリー映画。
今回は、映画を撮った佐々木監督による同名著書の出版記念のイベントだった。

2.13フライヤー
(これがそのフライヤー。調子に乗って文化人風に写っているプロフィール写真を使ってみた)

タゴールの名前を聞いたことがある人でも「タゴール・ソング」を知る人は少ない(っていうか、私も知らなかった)。
タゴールはインドやバングラデシュの国歌を作ったことで有名だが、彼はそれ以外にも2000以上もの歌を作り、それが今なおベンガル(タゴールが生きたインド東部の都市コルカタや、バングラデシュを含む地方)に暮らす人々の生きる支えや心の糧となっているのだ。

…なんて書くと、「ふーん、そうっすか。興味ないや、パス」って人も、多いことと思う。
でも、タゴールとかベンガル地方とか言われてもピンと来ないからといって、この作品をスルーしてしまうのは非常にもったいない。
この作品は、南アジア好きとか、詩が好きな人のためだけのものではまったくない。

ベンガルの地でタゴール・ソングに勇気づけられているのは、読者モデルみたいな今っぽい女子大生だったり、ストリートラッパーだったり、孤児院で育った若者だったり、元革命運動家の老人だったり、どこか影がある英文学研究者だったりと、とにかくいろんなタイプの人たちがいる。
コルカタやバングラデシュで暮らす人々のことを想像したことがある人は少ないと思うが、彼らが考えていることや感じていることは、日本にいるうちらとほぼおんなじである。
孤児院育ちのナイームくんとか、ラッパーのニザームくんとか、途上国特有の「まっすぐさ」みたいな部分がまぶしい人たちもいるが、とにかくみんな、夢や不安や現状への不満、苦い過去、いろんなものを抱えて生きている。

その彼らが、100年も前に作られた歌から、希望とか、慰めとか、理想とか、憧れとか、郷土愛とか、いろんなものを感じながら生きている。
それが、なんかすごくいいのだ。

きっとみんなブルーハーツや中島みゆきや、長渕剛でもあいみょんでもいいのだが、同時代のアーティストの歌に勇気づけられたことがあると思うが、それと同じような感じで、ベンガルの人たちは、タゴール・ソングからパワーをもらっている。

たとえば短いスカートを履いてクラブで踊るのが好きな女子大生のオノンナさんは、「私は崇められたくも、蔑まれたくもない。一人の人間として接してほしい」という歌を聴いて「これこそ私が言いたかったことよ!」と共感したり、同級生に「私だって詩人よ」と言ったりする。
「詩」というと、日本だと「ポエム(笑)」みたいな感じで冷笑的に扱われがちだが、ベンガルでは詩と人間との関係がとにかく素敵なんだな。


まあとにかく、映画『タゴール・ソングス』は機会があったらみんな見たらいい。

私はいつもこのブログに書いているように、ロックやヒップホップや電子音楽みたいな、サブカルチャー/カウンターカルチャー的な要素のある音楽が好きなのだが、ときに音楽そのものよりも、音楽とその音が鳴らされている社会との関係にぐっと来ることがある。
60年代のヒッピー・ムーブメントとか、70年代のパンクロックとか、80年代以降のヒップホップとか、90年代のグランジとか、みんな社会と若者との関係の中から生まれたものだった。
日本ならフォークから始まって、バンドブームとか、日本語ラップとかね。
そこで鳴らされるべき音があって、歌われるべき歌がある。
タゴール・ソングは、社会や個人の変化に合わせて100年間アップデートされ続けているムーブメントだと言っても良いかもしれない。
タゴールの詩には100年の年月に軽く耐えられる強度と普遍性がある。
そのことが何よりもぐっと来る。

音楽的な面でのタゴール・ソングは、素朴ながらもあまり掴みどころがないメロディーで、いわゆるポピュラー音楽とは違って「節がついた詩」といった印象だ。
率直にいうと、ベンガル語がわからない我々が純粋に音楽として聴いたときに、そんなに夢中になれるものではないような気がする。
そのタゴール・ソングを、歌そのものではなく、歌とともに生きる人々を軸に描くことで、誰もがぐっとくる作品に仕上げた佐々木さんのセンスが素晴らしい。

つい熱くなって語り過ぎてしまったが、そうだった、書籍版の『タゴール・ソングス』の話をするんだった。
これがまたすごくいい。
この本は、映画の解説や制作の裏話ではない。

映画ではカメラの後ろ側から視点を提供するという立ち位置に徹していた佐々木監督が、書籍版では、どんなふうにタゴール・ソングに惹かれ、どういうきっかけで映画を作ることになり、どんな縁でオノンナさん(例の女子大生)やナイームくん(ストリートチルドレン上がりの青年)やオミテーシュさん(元革命運動家の老タゴール・ソング歌手)と出会って、関係を築いていったのかがまっすぐな筆致で書かれている。
そしてもちろん、彼らの人生の中にはタゴール・ソングがある。

エピソードの合間に差し込まれる詩がまたいいんだなあ。
もちろん詩そのものが素晴らしいということもあるのだけど、自分のようなふだん詩なんて読まない人間にとっても、こういう人がいて、こんなふうに生きていて、この詩を糧にしているんだよ、という背景があると、すっと詩が自分の中に入ってくる。

それでまた訳がすごくいい。
これまで、タゴールの訳というと、「御身の慈顔を見た故に……」みたいな堅苦しい文語体のイメージが強かったのだけど、まあそれはそれで威厳があって良いんだけど、タゴール・ソングは今もポピュラーカルチャー的にみんなに親しまれているのだから、佐々木さんの平易な訳は、やっぱり絶対的な正解なんだと思う。
(ここで佐々木さんが訳した詩を引用したいけど、しない。この無粋な文章の中に入れたら、せっかくの『タゴール・ソングス』のいい流れの中で初めて触れる機会を奪うことになっちゃって申し訳ないので)

本は本として独立した作品として成立しているので、映画を見ていない人が読んだってまったく問題もなく楽しめるし、こう言ってはなんだけど、本だけ読んで映画を見なくたって、別にいい。

もちろん、映画を見てから読めば、「あの人にこんな一面があったのか」とか「あのシーンにこんな裏話があったのか」みたいなことが分かってよりいっそう面白いってのは間違いない。
私は逆に、今更時間は逆に戻せないので仕方ないのだけど、「本を読んでから映画を見る」という経験をしてみたかった。
スクリーンに映る彼らを見て「これがあの人か!」とか「これ、あのシーンだ!」とか「こんなことも言っていたのか!」とか、そういう感覚を味わってみたかった。

まあとにかく、映画と本、それぞれが個別の作品として成立していて、両方味わうと、単純に1+1が2になるのではなくて、もっと立体的で、心の中にぐーっと入り込んでくるような、数字で言うと無粋だけど、1+1が5になるくらいの充実感がある。


あと、この本は、装丁がすごくいい。
tagore-shoei

新書くらいの手に収まるサイズで、美しいうえに、しかもお風呂でも読める紙で書かれているらしい。
どこかに連れ出してもいいし、ゆっくり風呂に浸かりながら読むのも最高だ。
発行は、三輪舎さん。

(追記:↑と書いたら、Twitterで装丁をされた矢萩多聞さんから「表紙は防水加工されていますが、本文用紙は普通の紙なのでお風呂で読むと漏れなくヘナヘナになるとおもわれます~。ご注意を!」とのコメントをいただきました。みなさんご注意を!とはいえ、私はそれでもお風呂で本を読むのが好きなのですが、
  • 湯気の影響を直接受ける浴槽の上では読まないで、風呂の蓋の上で読む
  • タオルを2枚用意して、1枚は本を置く用、もう1枚は手や汗を拭く用にする
とすることで、本へのダメージを極力抑えることができます…って、風呂読書好きのみなさんはみなさんご存知のことと思いますが)


2月10日現在の取り扱ってくれる本屋さんはこちら
もちろん、お近くの書店で注文することも可能です。

ああっ。
本当はコロナ禍で13日のイベントに来られなかった人もいるかもしれないと思って、トークの内容を描こうと思っていたのに、『タゴール・ソングス』の感想文で終わってしまった。
イベントの内容は次書きます。




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2020年06月22日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その2)


タゴールソングNight6.20


前回に続いて、先日の「タゴールソングNIGHT」で紹介した楽曲を紹介します。
タゴールソングの現代的アレンジや、ベンガルのヒップホップを紹介した前回に続いて、今回は、バウルに関する曲からスタート!

いろいろなアレンジのバウルソングを紹介する前に、まずは伝統的なバウルソングを聴いてみましょう。
映画にも登場したLakhan Das Baulが歌う"Hridmajhre Rakhbo".

バウルとは、ベンガル地方に何百年も前から存在している放浪の行者であり、歌い人のこと。

タゴールの詩は、バウルの影響を強く受けていると言われており(一説には、タゴールは19世紀の伝説的なバウルであるラロン・シャーと会ったことがあるとも)、かつては賎民のような扱いだったバウルは、今ではUNESCOの世界無形遺産に指定され、ベンガル文化を代表する存在になっている。

欧米のロックミュージシャンがブルースマンに憧れたように、現代ベンガルのミュージシャンがアウトサイダーであるバウルに憧れを持つことは必然だったようで、多くのバンドがバウルをフィーチャーした曲を発表している。

これはコルカタのロックバンドFossilsが、Purna Das Baulをゲストヴォーカルに迎えた曲。

Purna Das Baulはあのボブ・ディランにも影響を与え(後述)、ボブ・マーリーともステージを共にしたことがあるバウル界の大スター。
佐々木監督によると、この"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"は「愛というものを知らない人は、誰かに与えたり受け取ったりすることがない 本物の黄金を手放す人は黄金そのものを知らない」という内容の歌詞だそう。

タゴールが作った学園都市シャンティニケトンがある地区の名前をバンド名に関したBolpur Bluesは、バウルをゲストに迎えるのではなく、もとからバウルのヴォーカリストがいるという異色のバンド。

いったいどういう経緯でバウルがロックバンドに加入したのかはわからないが、どことなく他のメンバーがバウルのヴォーカリストに気を遣っているように見えなくもない…。
これはラロン・フォキルによる『かごの中の見知らぬ鳥』という歌。

そして、前回紹介したように、タゴールソングのDJミックスを作ってしまうほどにダンスが好きなインドやバングラデシュの人々は、当然のようにバウルソングもダンスミュージックにリミックスしてしまいます。
この曲は"Baul Trap Beat"とのこと。

いったい誰がどういう意図で作ったものなのかは不明だけど、なんでもとりあえずダンスミュージックにしてしまおう、という心意気は素晴らしい。


さて、バウルについて紹介するときに、必ずと言っていいほど書かれているのが「バウルはあのボブ・ディランにも影響を与えている」というフレーズ。
その真偽に関してはこの記事を参考にしてもらうとして、ベンガル文化とディランとの関係は決して一方向のものではなく、ベンガル(とくにコルカタ)の人々もディランから大きな影響を受けている。

「ディランに影響を与えたバウル」であるPurna Das Baulは、ディランの代表曲『ミスター・タンブリンマン』("Mr. Tambourine Man")と『風に吹かれて』("Blowin' in the Wind")をバウル・スタイルでカバーしている。


言われなければディランの曲だと分からないほど、すっかりバウルソングになっている。
佐々木監督曰く、『風に吹かれて』は元の歌詞を見事にベンガル語に翻訳してメロディーに乗せているそう。

ディランからの影響は、彼と交流のあったPurna Das Baulだけではなく、多くのミュージシャンに及んでいる。
往年のコルカタのミュージシャンたちが、ディランからの影響を口々に語るこんなドキュメンタリー映画も作られている。Vineet Arora監督によるこのドキュメンタリー"If Not For You - A Bob Dylan Film"はVimeoで全編が無料公開されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

さらには、コルカタの詩人Subodh Sarkarによるディランを讃える詩の朗読なんてものもある(情感たっぷりに朗読しているのは、詩人本人ではなくて女優さん)。

佐々木監督によると、この詩のタイトル"Paraye Paraye Bob Dylan"は「あらゆるところにボブ・ディラン」という意味だそうで、コルカタの文人から見たディランの影響の大きさや彼の功績を称える内容とのこと。
まるでタゴールに匹敵するような扱いだけど、佐々木監督がベンガルの人に聞いたところ「ディラン?ミュージシャンには人気あるんじゃないかなあ」という回答だったそうで、その人気はあくまでも音楽シーンに限定されるよう。

とはいえ、コルカタのシーンにおけるディランの影響は絶大で、こんなディランへのトリビュートソングも歌われている。
「インドのボブ・ディラン」(こんなふうに呼ばれている人が他にも何人かいるのだけど)ことSusmeet Boseの、その名も"Hey Bob Dylan".

コルカタのフォークシンガーKabir Sumonは、『風に吹かれて』をベンガル語でカバーしている。


ベンガル地方は、イギリスからの独立運動の中心地となった社会意識が非常に高い土地柄だ。
コルカタのシンガーたちは、インドの音楽シーンが、格差やカーストなどの社会問題をいっこうに取り上げないことに疑問を感じ、ディランをお手本に自らも社会的なテーマを扱いうようになった。
コルカタに根付いている社会運動の伝統と、イギリス統治時代に首都だった歴史から来る欧米文化への親和性の高さ、そしてタゴール以来の文学的素養を考えれば、この街ののミュージシャンたちが、プロテストフォークの旗手であり、フォークソングを文学の域にまで高めたディランに惹かれるのは必然だったと言えるだろう。


さて、ここからは、タゴールやバウルから離れて、現代ベンガルの音楽シーンの発展を見てゆきます。

イギリス統治時代の首都だったコルカタは、古くから在留イギリス人や上流階級に西洋音楽が親しまれていた土地で、繁華街パークストリートには、ジャズの生演奏を聴かせるレストランがたくさんあったという(今でもパークストリートにはクラブやライブ演奏のある飲食店が多くあります)。
こうしたシーンの中心的な存在だったのは、イギリス人の血を引くアングロ−インディアンと呼ばれるコミュニティのミュージシャンたち。
独立まもない時期から活躍したアングロ−インディアンのジャズシンガーのPam Crainは、「パークストリートの女王」と呼ばれ、長くコルカタのジャズシーンで活躍した。


1960年代に入ると、ビートルズなどの影響で、インドにも「ビートグループ」と言われるバンドが登場する。
彼らはギターを手作りしたり、政治演説用のスピーカーをアンプの代わりにしたり、警察のマーチングバンド用のドラムを使ったりという涙ぐましい努力をして、ロックの演奏に取り組んだ。
コルカタはそうしたシーンの中心地のひとつで、このThe Cavaliersの"Love is a Mango"はインドで最初のオリジナルのロック曲。

シタールの入ったインドらしい響きが印象に残るサウンドだ。

The Cavaliersの中心人物Dilip Balakrishnanは、1970年代に入ってHighを結成し、より洗練されたロックを演奏した。

音だけ聴いてインドのバンドだと気づく人はいないだろう。
高い音楽的才能を持っていたDilipだが、当時のインドではロックのマーケットは小さく、仕事をしながら音楽活動を続けていたものの、1990年にその後のインディーミュージックシーンの隆盛を見ることなく、若くして亡くなっている。

1971年、東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが独立。
これはバングラデシュ独立後最初のロックバンドと言われるUnderground Peace Loversのドキュメンタリーだ。


バングラデシュでは、インド領の西ベンガルと比べてバウル文化の影響がより大きく、「街のバウル」を意味するNagar Baulや、ラロン・フォキルから名前を取ったLalon Bandといったバンドたちが活躍した。

シンガーのJamesがNagar Baul(街のバウル )とともに演奏しているのは、彼らの代表曲"Feelings".
Nagar Baulには2018年に亡くなった名ギタリスト/シンガーのAyub Bachchuも在籍していた。

こちらはLalon Band.



1970年代に入ると、インド領西ベンガル州では、毛沢東主義を掲げ、階級闘争ためには暴力行為もいとわないナクサライトなどの社会運動が活発化する。
こうした風潮に応じて、コルカタのミュージシャンたちも、欧米のバンドの模倣をするだけでなく、よりローカルで社会的なテーマを扱うようになる。
ディランからの影響も、こうした社会的背景のもとで育まれたものだ。
Mohiner Ghoraguliは、Pink Floydのような欧米のバンドのサウンドに、バウル音楽などのベンガル的な要素を取り入れたバンド。

Mohiner Ghoraguliというバンド名はベンガルの詩人ジボナノンド・ダースの作品から取られている。
ちょっと狩人の『あずさ2号』にも似ているこの曲は、「テレビの普及によって世界との距離が近くなる代わりに疎外感が生まれる」という現代文明への批判をテーマにしたもの。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、ナクサライトの活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。
彼が99年に亡くなるまで、Mohiner Ghoraguliは知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。


さて、ここから一気に現代へと飛びます。
コルカタのロックシーンの社会批判精神は今日でも健在!
つい先日リリースになったばかりのコルカタのブラックメタル/グラインドコアバンドHeathen Beastの"Fuck Your Police Brutality"は、激しすぎるサウンドに乗せて警察権力の横暴と、マイノリティーへの暴力を鋭く告発した曲。

彼らのニューアルバムは、一枚まるまる現代インド社会への批判になっていて、近々ブログで特集したいと思います。

最後に紹介したのは、コルカタ音楽シーンの洗練の極みとも言えるドリームポップデュオ、Parekh & Singh.

イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約し、日本でも高橋幸宏にレコメンドされるなど、国際的にも高い評価を得ている彼らは、アメリカのバークリー音楽院出身のエリートミュージシャンだ。
毎回かなりお金のかかっていそうなミュージックビデオを作っている彼らのお金はどこから出てきているのかと思っていたが、事情を知る人の話では「家がとんでもないお金持ち」という真相だそう。

大金持ちといえば、タゴールも大地主の家の息子。
経済的な豊かさを基盤に、安穏と暮らすのではなく、さまざまな文化を消化して詩情豊かな作品を作り上げることもベンガルの伝統なのかもしれない、なんて言ったら、さすがにこじつけかな。

と、こんな感じで当日は3時間にわたってタゴールソングからバウルソング、現代ベンガルに至る音楽とトークの旅をお届けしました。

映画『タゴール・ソング』はポレポレ東中野、仮設の映画館ではまだまだ上映中!
6月27日(土)からは名古屋シネマテークでの上映も始まります。

映画未見の方はぜひご覧ください!


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goshimasayama18 at 16:02|PermalinkComments(3)

2020年06月21日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その1)

というわけで、6月20日(土)に東中野の「CAFE & SPACE ポレポレ坐」にて、長ーいタイトルの『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』をやってまいりました。

お客さんから、「当日のセットリストを教えて欲しい」という声をたくさんいただき、また遠方だったりでお越しいただけなかった方もいらっしゃるようなので、今回は当日紹介した曲の動画をあらためて紹介します。

まずは映画にも登場したRezwana Chowdhuryの"Majhe Majhe"を聴いて、伝統的なスタイルのタゴールソングを復習。

ちなみにこれはバングラデシュの朝の番組のなかの一幕。
「今日の占いカウントダウン」みたいなノリで、「今日のタゴールソング」のコーナーがあるそうです。

ここからはいよいよ、現代風にアレンジされたさまざまなタゴールソングを紹介してゆきます。
パンフレットでも紹介しているムンバイのYouTuberバンドSanamの"Tumi Robe Nirobe"(『あなたが居る』)

タゴールの詩をラブソングとして解釈して、このインドのお菓子のような甘すぎるアレンジにしたのだろうけれども、これはこれでアリ。
メンバーはいろんなタイプのイケメン。あなたの好みは誰?

続いて、バンガロールのバンド、Swarathmaが、ベンガルの行者であり吟遊詩人でもあるバウルのLakhan Das Baulを加えて演奏した"Ekla Cholo Re"(『ひとりで進め』)。
バウルについてはのちほど詳しく紹介します。

映画の中ではベンガルの人々とタゴールソングの関係にフォーカスされていたけど、ムンバイ、バンガロールとベンガル以外の地域のみなさんも、タゴールソングには並々ならぬ思い入れがあるようです。


続いては、コルカタのロックバンドによる大げさなアレンジの"Ekla Cholo Re".
これは当日紹介しようとして、動画が見当たらなくて紹介できなかったものです。

素朴なタゴールソングのイメージを覆すド派手なアレンジは、大事な試験の前とか、「俺は一人でやるんだ!」と自分を奮い立たせるときなんかにいいんじゃないんでしょうか。

映画"Kahaani"(邦題『女神は二度微笑む』)で使われた、名優Amitabh Bhachchanが歌う"Ekla Cholo Re"は洋楽風のアレンジ。

同じ"Ekla Cholo Re"でもアレンジでさまざまな印象になることが分かります。

続いて、コルカタのメタルバンドThe Winter Shadeによる、さらに大げさなアレンジのタゴールソングを。

いかにもメタルっぽい黒いTシャツ、サングラス、バンダナ(でも髪は短い)、そして大自然の中でどこにも繋がっていないアンプ(しかもマーシャルとかじゃなくて練習用っぽい小さなやつ)、最後まで使われないアコースティックギター、草越しの謎のカット、とツッコミどころ満載だけど、こんなコテコテのメタルバンドからも愛されているタゴールソングってすごい!
ちなみにこの曲のメロディーは、あの『蛍の光』と同じく、スコットランド民謡の"Auld Lang Syne"から取られたもの。
イギリス統治時代に生きていたタゴール(イギリス留学経験もある)は、このメロディーに自らの詩を乗せてみたくなったのでしょう。
佐々木監督曰く、原曲同様に昔を懐かしむ詩が乗せられているとのこと。

続いては、個人的にとてもお気に入りの、素人っぽい大学生風の3人によるウクレレとビートボックスを使ったカバー。

「タゴールソングのカバーやろうよ。君、歌上手いから歌って。俺ウクレレ弾くから。そういえば、あいつビートボックスできたよな。YouTubeにアップしよう。」みたいな会話が聴こえて来そうな雰囲気がたまらない。
タゴールソングがカジュアルに親しまれているいることが分かる1曲。

続いては、タゴールによって作詞作曲されたバングラデシュとインドの国歌を紹介。
こちらは"We Are The World"形式でさまざまな歌手が歌うバングラデシュ国歌『黄金のベンガル』。


再び名優Amitabh Bachchanが登場。
タゴール生家でアカペラで歌われるインド国歌"Jana Gana Mana"は、思わず背筋を伸ばしたくなる。


さらに続くタゴールソングの世界。
ダンス好きなインド人ならではの、タゴールソングのDJ remixなんてものもある。

インドっぽい女性の'DJ〜'っていうかけ声から、DJと言いながらもヒップホップやエレクトロニック系のビートではなく完全にインドのリズムになっているところなど、こちらも愛すべきポイントが盛りだくさん。
佐々木監督からは、「タゴールソングにはダンス用の曲もあり、タゴールダンスというものもある」というお話を伺いました。
YouTubeのコメント欄にはベンガル語のコメントがいっぱい書かれているのだけど、「DJタゴールのアルバムがほしい」「タゴールが生きていたらこのDJにノーベル賞だな」というかなり好意的なものだけでなく、「犬にギーのご飯の味は分からない」(「豚に真珠」のような意味)といった批判的ものもあったとのこと。
いろんな現代的なアレンジで親しまれているタゴールソングですが、なかには「タゴールソングはやっぱり伝統的な歌い方に限る!現代風のアレンジは邪道」と考えている保守的な人もいる。
その一方で、若い人たちが、自分たちなりに親しめる様式にしているというのは、すごく間口が広くて素敵なことなのではないかと思う。



続いて紹介したのは、タゴールにインスパイアされた楽曲たち。
まずはコルカタのラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRが、タゴールソングの代表曲のタイトルを借用した"Ekla Choro Re".
貧困に喘ぎ、自ら死を選ばざるを得ないインドの農村の人々を描いた衝撃的なミュージックビデオは以前こちらの記事で紹介したので、今回はこの曲が話題になったきっかけのテレビ番組でのパフォーマンスをシェアします。


曲が進むにつれ真剣なまなざしになる審査員、最後に「失うものは何もない。団結しよう。束縛を打ち破ろう」とアジテーションするEPRに、独立闘争を戦ったベンガルの英雄たちの姿が重なって見えます。

これは当日紹介できなかった動画。
サイプレス上野みたいな見た目のラッパーによるタゴールへのトリビュートラップ。

自宅なのかな?
これもカジュアル感がたまらない仕上がり。
佐々木監督に聞いたところ、リリックは「タゴール誕生日おめでとう。いつもリスペクトしてるよ。いつもあなたがいる。」という、まるで先輩ラッパーに捧げるかのような内容だそう。


ここから話は現在のベンガルのヒップホップ事情に移ります。
まずはコルカタを代表するラッパー、Cizzyのこの曲"Middle Class Panchali"を紹介。

このジャジーなビートは、バングラーっぽいリズムになりがちなデリーや、パーカッシブなビートが特徴のムンバイのヒップホップとは全く違うコルカタらしい小粋な仕上がり。
ちなみに音楽ジャンルとしての「バングラー」は、カタカナで書くとバングラデシュ(Bangladesh)と同じだが、アルファベットで書くとBhangra.
インド北西部パンジャーブの伝統音楽でベンガルとは何の関係もないのでご注意を。

コルカタのヒップホップシーンのもうひとつの特徴は、とにかくみんな自分の街のことをラップすること!
ムンバイもちょっとそういう傾向あるけど、不思議とデリーのラップではそういうの聴いたことがない。
この曲は、コルカタにあるインド最古のレーベル、Hindusthan Recordsの音源をトラックに使った温故知新なビートがクールなこの曲もリリックはコルカタのカルチャーが満載。(これもイベントでは紹介できなかった)

1:35頃の映像に、タゴールもちょこっと出てくる。

こちらは映画にも出て来たバングラデシュの首都ダッカのラッパー、Nizam Rabby.

バングラデシュのラッパーたちも、バングラデシュのことをラップする傾向がある。
佐々木監督曰く、この曲は1971年の独立を勝ち取った戦士たちのことなども扱われているとのこと。


続いて、インド各地の歌がメドレー形式で歌われる曲の中でも、ベンガルを代表する曲として必ずタゴールソングが出てくるという話題。
米ペンシルバニア大学に通うインド系の学生たちによるアカペラ・グループPenn Masalaが歌うインド各地(各言語)を代表する曲のメドレーでは、他の言語の代表曲がほとんど映画音楽(インドなら当然なのだけど)なのに対して、ベンガルからは"Ekla Cholo Re"が選ばれている。


こちらはインド北東部ナガランド州に暮らすさまざまな部族や、インド主要部から移住して来た人々がメドレー形式で歌う曲"As One".
4:30頃に出てくるベンガル人は、やっぱりタゴールの"Ekla Cholo Re"を歌います。

ベンガルを代表する曲といえばタゴールソング、そのなかでもやっぱり"Ekla Cholo Re"ということになるのかも。

長くなりそうなので、今回はここまで!


「その2」はこちらから!↓



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goshimasayama18 at 20:42|PermalinkComments(2)

2020年06月14日

6月20日(土)ポレポレ坐(ポレポレ東中野1階)にて『タゴール・ソングNIGHT』開催!!



タゴールソングNight6.20



というわけで、6月20日(土)ポレポレ東中野1階の「Space & Cafe ポレポレ坐」にて、『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』を開催します。

  • 『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』
  • 6月20日(土)17:30 オープン、18:00 スタート(終了は21:00の予定ですが途中入退場自由です)
  • 会場:ポレポレ東中野1階 「Space & Cafe ポレポレ坐」
  • 1ドリンク付き 2000円
  • ご予約はこちらから:
  • https://pole2za.com/event/2020-6-20.html
  • コロナウィルス感染拡大へ対策として、定員を通常の50%の50名とさせていただきます。ご来場時は必ずマスクをご着用くださいますよう、お願いいたします。咳や発熱、その他体調に不安のある方はご来場をお控え下さい。
  • お問い合わせ TEL:03-3227-1445 MAIL:polepoleza@co.email.ne.jp

分かりやすいイベント名にしようとしたら、めちゃくちゃ長い寿限無みたいなタイトルになってしまいました。
タゴールにつながるベンガルの精神が、現代にどのようにに生きているのか、ベンガルの歴史やポップカルチャーに触れながら、いろんな楽曲とともに紹介したいと思っています。
先日のトークでも紹介したようなタゴール・ソングの現代風カバーや、独立後のコルカタやバングラデシュのインディー音楽(映画のために作られた音楽ではなく、その時代の若者たちが自発的に作った音楽)などを流しながら、佐々木監督、大澤プロデューサーと楽しいトークをする予定です。

(先日のイベントの様子はこちら)
 

そして、映画にも出てきたベンガル地方の流浪の行者/吟遊詩人であるバウルとボブ・ディランの関係や、こちらも映画で注目を集めたベンガルのラッパーやクラブミュージックなども紹介する予定。
意外なほど洗練された現代コルカタのアーティストたちをお楽しみに!
もちろん、撮影の裏話や、映画の登場人物の話題なども佐々木監督に話してもらいたいと思っています。
ここでしか聞けないトーク、聴けない音楽は、映画を見てから来ても、見る前に来ても楽しめること間違いなし!
ぜひみなさんお越しください!!

ご予約はこちらから!



ちなみに、このイベントのポスターに使われているタゴールのイラストは、新井薬師前のベンガル料理店「大衆食堂シックダール」のピンキーさんに書いてもらったものです。
とても美味しいベンガル料理が楽しめるお店なので、こちらもぜひどうぞ!


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goshimasayama18 at 21:32|PermalinkComments(0)

2020年06月07日

6/7(日)『タゴール・ソングス』オンライントークご報告!

というわけで、先ほどポレポレ東中野さんで『タゴール・ソングス』佐々木監督とのトークイベントを行ってきました。
このご時世なので私、軽刈田はオンラインで画面上に登場してお話させてもらいました。
(まさか自分の人生で、映画館のスクリーンに映されることがあるとは思わなかった…)

トークのなかで紹介した曲の動画をご案内します。
まずは、タゴール・ソングのさまざまなカバーバージョンから。

最初に紹介するのは、ムンバイの4人組ポップロックバンド、Sanamが演奏する"Tumi Robe Nirobe".
この曲は、『タゴール・ソングス』の中では『あなたが居る』という翻訳で歌われている曲ですが、インドの極甘イケメン風バンドが演奏するとこんなふうになります。

SanamはYouTubeにアップした動画がきっかけで人気を得たという現代的なバンドですが、オリジナル曲だけでなく、懐メロのカバーにも積極的に取り組んでいます。
インド人の懐メロといえば、それは当然、往年の名作映画を彩った劇中歌。
そうした名曲を現代風にアップデートした彼らのカバーバージョンは、YouTubeで大人気となり、中には1億回を超える再生回数のものもあります。
そんな彼らは、映画音楽だけでなく、こうしてタゴール・ソングもカバーしているのです。
このことからも、大文学者タゴールが作った曲が、インドのエンターテインメントの王道である映画の名曲と同じように親しまれているということがよく分かります。
この"Tumi Robe Nirobe"は4,000万回を超える再生回数を叩き出して、まるで現代のヒットソングのよう。
彼らは他にも"Boro Asha Kore Easechi"や"Noy Noy Modhur Khela"といったタゴール・ソングをカバーしています。
興味のある方はYouTubeで検索してみてください。


続いて紹介したのは、バンガロールのフュージョンロックバンドSwarathmaが、ベンガルの放浪詩人「バウル」と共演した"Ekla Cholo Re".

「バウル」とは、ベンガル地方(インドの西ベンガル州およびバングラデシュ)に何百年も前から存在している行者とも詩人とも言える人たちのことです。
ヒンドゥーやイスラームの信仰を超えた存在である彼らは、タゴールにも大きな影響を与えていると言われていますが、ここでは逆にそのバウルがタゴール作の歌"Ekla Chalo Re"(映画の中でも何度も登場している『ひとりで進め』)を歌っています。
歌っているのはLakhan Das Baul.
映画にも同名のバウルが登場しますが、このLakhanは映画に出てきたのとは別の人物です。

ここまで紹介した2組は、ベンガルではなく、それぞれインド西部のムンバイと南部のバンガロールのバンド(Lakhan Das Baulはベンガルのバウルですが)、つまり、ベンガル語を母語としない人たちです。
映画では、タゴールがベンガルの人々にいかに身近に愛されているかが綴られていましたが、ベンガル以外の人々にとっても、タゴールは深く敬愛されているのでしょう。
アカペラ・グループのPenn Masalaが、インドの各言語を代表する名曲をメドレーにした動画があるのですが、その動画でも、ほとんどの言語の曲が映画音楽だったのに対して、ベンガル語からはタゴール・ソング(この"Ekla Chalo Re")が選ばれていました。

(グジャラーティー、ヒンディーに続いてベンガル語で歌われる2曲めが"Ekla Chalo Re".一瞬ですが)


同じ"Ekla Cholo Re"をコルカタのロックバンドOporinotoが壮大なアレンジでカバーしているのがこちら。

同じ『ひとりで歩け』でもアレンジ次第でいろんな印象になるということが分かります。
タゴール・ソングは、このように様々な現代的なアレンジがされている一方で、正統派の歌い方というものがはっきりと確立されている音楽でもあります。
映画の中で、オミテーシュさんとプリタさんの師弟が歌っているのが正統派のタゴール・ソングです。
ベンガルには、新しいアレンジが施されたタゴール・ソングは邪道と考え、正統派の歌のみを愛してやまないリスナーもたくさんいます。
このへんは、歌舞伎や落語のような日本の古典芸能にも近い感覚かもしれません。

ところで、これを言ってはおしまいなんですが、ベンガル語が全くわからない我々にとって、ここまで紹介してきたカバーバージョンは、あまり魅力的に響かなかったのではないでしょうか。
それはなぜかと言うと、「歌詞がわからないから」ということに尽きると思います。
そもそもロックのアレンジと、4拍子ではなく、とらえどころのないタゴール・ソングのメロディーの相性があんまりよくないということもあるのですが、その最大の原因は、タゴール・ソングのなによりの魅力である歌詞が伝わってこない事でしょう。
何が歌われているか分からないと、タゴール・ソングの良さは、ほとんど伝わらないのではないでしょうか。
仮に、タゴール・ソングのCDを買ってきて、歌詞の対訳を読みながら聴いたとしても、歌われているのがどの部分の歌詞なのかが分からないと、やっぱり良さはあまり伝わらないはずです。
その点、歌にあわせて字幕を出すことのできる「映画」という表現方法は、我々のようにベンガル語が分からない人々にタゴール・ソングを紹介するのにはぴったりです。
歌を聴きながら歌詞を読むことで、たとえば「ひとりで歩け」という歌詞が、メロディーによって、寂しげに聞こえたり、奮い立たせるように聞こえたりすることが分かります。
そういう意味でも、映画という形でタゴール・ソングを紹介してくれた佐々木監督の発想は素晴らしかったと言えるでしょう。

これはタゴール・ソングではありませんが、"Ekla Cholo Re"というタイトルを借用したラップの曲。
映画の中にもバングラデシュのラッパーが出てきましたが、南アジアではここ最近ヒップホップの人気が非常に高まっており、どこの街にもラッパーがいて、その街のリアルな様子をラップしています。
これはUndergrount AuthorityというコルカタのラップメタルバンドのヴォーカリストであるEPRというラッパーのソロ作品で、厳しい生活を余儀なくされ、死を選ぶしか道のない農村の人々の辛さを訴えた曲です。


こちらもタゴールとは直接関係ありませんが、Purna Das Baulというバウルがボブ・ディランをカバーした楽曲で、"Mr. Tambourine Man".

 このPurna Das Baulはディランと親交があり、彼の音楽にも大きな影響を与えた人物です。
バウルはタゴールとボブ・ディランという二人のノーベル文学賞受賞者に影響を与えているということになるのです。



と、まあこんな感じでポップミュージックの視点から、タゴール・ソングとベンガルの音楽をほんの少し紹介させてもらいました。
本日は、30分という限られた時間のなかで、トークのみでのご案内でしたが、実際にみなさんを前に佐々木監督とトークしながらミュージックビデオをごらんいただくイベントの開催が決まりました!

6月20日(土)ポレポレ東中野1階の「space & cafe ポレポレ坐」にて、夕方〜夜にかけて開催予定です。
正式に決まり次第、改めてご案内します!

というわけで、本日はお越しいただいた方も、お読みいただいた方も、ありがとうございましたー!



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goshimasayama18 at 23:25|PermalinkComments(0)

2020年06月04日

祝『タゴール・ソングス』劇場公開! 6/7(日)ポレポレ東中野でトークイベントを行います



  • 軽刈田 凡平 × 佐々木 美佳 監督のトークセッション開催!(軽刈田はオンラインで参加)
  • 会場:ポレポレ東中野
  • 日時:6月7日(日)18:00〜の上映終了後(19:45頃から30分くらい)
  • 映画のチケットをご購入いただければ、そのままご参加いただけます。

パンフレットに拙文を寄稿させてもらっている、傑作ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』。
公開直前にコロナウイルス禍で映画館が閉鎖になり、 急遽、オンライン上映の「仮設の映画館」で公開されていたこの映画、6月1日から待ちに待った劇場での公開が始まりました。


『タゴール・ソングス』は、100年前からベンガル(バングラデシュとインド東部の西ベンガル州)の人々に愛されてきた、タゴール作の「うた」がたくさん出てくる作品で、またコルカタやダッカの喧騒や、心地よい風が吹くベンガルの自然に思いっきり浸ってもらうためにも、ぜひとも劇場で見ることをおすすめします。
(私自身、最初に見たのはオンライン試写で、それでも大いに感銘を受けたので、お近くに上映館がない方は、ぜひ「仮設の映画館」でご覧ください)


そして、この素晴らしい作品にまた関わらせてもらう機会をいただきました!
6月7日(日)にポレポレ東中野での18:00〜の上映会の終了後(19:45頃)に、私、軽刈田 凡平と佐々木監督とのトークセッションを行います。
トークだけでなく、タゴールやベンガルにゆかりのある最近の楽曲たち(タゴールのいろんなカバーバージョンやヒップホップなど) の紹介なんかもしてみたいと思っています。

※時間も短いので、基本的にトーク中心で音楽をかけたりはできなさそうなのですが、その分濃いトークをお届けします!

こういう状況なので、劇場での直接のトークはまだできなくて、私は離れた場所からオンラインでの登場になりますが、30分くらいかな、短い時間だけどみなさんの前で佐々木監督とお話できるのを楽しみにしています!

映画未見の方は、絶対に心に残る素晴らしい映画なので、ぜひこの機会にご覧ください。
パンフの文章とは別に、以前書いたレビューはこちらです。


それからパンフレットも超お得です。
監督やタゴール専門家のインタビューや寄稿だけでなく、映画を何度も反芻できる、登場人物たちの言葉(映画全編分!)も収録されているので、映画の背景をより詳しく知るためにも、映画の感動をより確かなものにするためにも最適です。
ぜひ劇場や公式サイトでお求めください。
私が書いたタゴール・ソングと現代インドのインディー音楽シーンに関する文章も、佐々木監督に「激アツ」認定をいただきました。


「もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め 

 もし 誰もが口を閉ざすのなら 
 もし 皆が顔を背けて 恐れるのなら
 それでも君は心開いて 
 本当の言葉を ひとり語れ

 もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め

 もし皆が引き返すのなら ああ 引き返すのなら
 もし君が険しい道を進む時 誰も振り返らないのなら
 いばらの道を 君は血にまみれた足で踏みしめて進め」
 (『タゴール・ソングス』パンフレットより)

映画に繰り返し登場するこの"Ekla Chalo Re"(『ひとりで進め』)をはじめ、劇中のタゴール・ソングの訳詞も、もちろん収録されています。

映画を見た誰もが感じるであろう、ベンガルの人々の心の豊かさ。
それは、ベンガルのひとたちが持つ、「言葉の豊かさ」でもあるんだな、と最近気がつきました。
もちろん、誰もが本を読んだり、歌を聴いたりして、自分の中の言葉の引き出しを豊かにすることはできる。
でも、タゴールの詩や歌詞をもとに、親子で議論したり、若い世代に伝えようと奮闘したりしているベンガル人たちの言葉の豊かさには到底かなわないな、とも感じてしまいます。
100年前の偉大な文学者の言葉を、ただ高尚でありがたいものとして扱うのではなく、今なお、愛し、口ずさみ、一人ひとりに寄り添ってくれる共有財産としているベンガルの人々が、なんだかうらやましいなあ、と強く感じる今日この頃です。

それではみなさん、6月7日(日)にポレポレ東中野で会いましょう!

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goshimasayama18 at 12:26|PermalinkComments(0)

2020年03月23日

『タゴール・ソングス』が描く「うた」と人間の理想的な関係

2020年4月18日(土)からポレポレ東中野で公開される映画『タゴール・ソングス』のパンフレットに少し感想文のようなものを書かせてもらっている。

 

というわけで、パンフの内容と若干重複するところもあるのだけど、ここであらためて映画『タゴール・ソングス』について書いてみたい。

そもそもの話になるが、タゴールという名前を聞いたことがある人でも、「タゴール・ソング」を知らないという人は多いのではないだろうか。(私もそうだった)
1861年、当時イギリス領インドの首都だったコルカタに生まれたタゴールは、数多くの詩や小説、戯曲を書き、詩集『ギタンジャリ』で、アジア人で初のノーベル賞(文学賞)を受賞した。
日本では詩人のイメージが強いタゴールだが、じつはその生涯で2,000曲を超える楽曲を作った「ソングライター」でもあった。
そのタゴールによって作られた「うた」がタゴール・ソングだ。
ヒンディー語では「ラビンドラ・サンギート」、彼の故郷の言葉であるベンガル語では「ロビンドロ・ションギト」という。
タゴール・ソングは今でもベンガルの地で愛唱されており、タゴールの歌とともに生きる人々を綴ったドキュメンタリー映画が、この『タゴール・ソングス』なのだ。

と、さも知った風なことを書いたけれども、これらは全てこの映画を見てから覚えたこと。
正直に言うと、最初にパンフレットの原稿の話をもらった時は、困ったなあと思ったものだった。
タゴールのことは名前くらいしか知らなかったし、100年前の大文学者である彼は、いつも私が追いかけている現代のラッパーやミュージシャンとはあまりにもかけ離れた存在だ。
はっきり言って、何も書ける気がしない。
ところが、気乗りしないまま軽い気持ちで試写を見てみたら、私はすっかりこの映画に夢中になってしまった。
そこに「うた」と人間との理想的な関係が描かれていたからだ。

誰にでも、大切な「うた」というものがあるだろう。
励ましてくれたり、慰めてくれたり、ときに生きる指針を示してくれるような「うた」。
あるいは、それはもっと暗い、やるせない孤独や憂鬱を肯定してくれるような「うた」かもしれない。
多くの人にとって、それは思春期に出会った、自分とほぼ同時代に作られた「うた」なのではないだろうか。
「歌は世に連れ世は歌に連れ」とはよく言ったもので、世の中が変われば人の心も変わるし、時代が変われば新しい歌が必要になる。
だから、ポピュラーミュージックにはその時代や社会で歌われる理由が必ずあるし、そうやって音楽は発展してきた。

ところが、ベンガルでは、現代の音楽だけではなく、100年も前に作られた「タゴール・ソング」が、今もなお個人の魂に寄り添ってくれる「うた」であり続けているのだ。
まるで、ポピュラー・ミュージックのように。
別に懐古的な老人や、伝統主義者たちだけではない。
ストリートのラッパーや、EDMやデスメタルも聴く音楽ファン、スラム育ちの青年、今風の女子大生まで、誰もがタゴールの「うた」に寄り添われて生きている。
念のために言うと、ここで「ベンガル」と書いているのは、コルカタを含むインド領ウエストベンガル州と、ベンガル地方の東部すなわちバングラデシュの両方のこと、つまりベンガル全域のことである。

別にベンガルに限らなくても、インド人は(南アジア人は、と言ってもよい)伝統をとても大事にしている人々だ。
このブログでもいつも紹介しているように、インドの若手ミュージシャンは、古典音楽の楽器や歌唱法をロックに取り入れたり、伝統音楽をサンプリングしてヒップホップのトラックを作ったりもしている。
ミュージシャンに限らなくても、南アジアには信仰を大事にしている人が多いから、そういう人たちは何百年、何千年前の言葉を日々祈りのなかで唱えていたりもする。
だが、この映画を見る限り、タゴール・ソングは、そういった「俺たちの誇るルーツ」とか「信仰」とは全く違うもののように思える。
なんというか、タゴール・ソングは、もっと普遍的で、かつ個人的な「うた」なのだ。

タゴール・ソングのテーマはさまざまだ。
『カントリーロード』や『ふるさと』みたいなものもあれば、ブルーハーツの『月の爆撃機』みたいなものもある。
ゲーテの詩みたいなものもあれば、黒人霊歌みたいなものもあるし、最近のアメリカあたりの女性シンガーみたいに「女性を自立した個人として扱ってほしい」と歌うものまである。

いずれにしても、100年も前の歌が、単なる伝統としてではなく、極めてリアルなものとして、現代を生きるベンガルの人々に語りかけているのだ。
映画に出てくる人々の年齢や宗教、階層や立場が極めて多様であるということからも、タゴール・ソングが持つ普遍性が分かる。
タゴール・ソングは、コミュニティや世代の違いを超えて、ベンガルの人々にとって特別な存在なのである。
いったいタゴール・ソングの何が特別なのだろうか。

ここまで書いてこう言うのもなんだが、私はタゴール・ソングの音楽としての素晴らしさについては、じつは今でもよく分かっていない。
メロディーは決してキャッチーではなく、つかみどころがない。
それに唱歌のようにシンプルに歌われるタゴール・ソングは、インドの古典音楽ヒンドゥスターニーやカルナーティックのように、ヴォーカリストの超人的な技量を味わうものでもないようだ。
シンプルな4拍子やワルツではなく、歌詞に合わせて拍が変わったりするから、リズムも取りにくい。
要するに、言葉を超えて伝わりやすい要素が、ほとんどない音楽なのだ。

これは、きっとまず初めに伝えるべき「ことば」があり、その「ことば」を活かすための抑揚として、メロディーが作られているからだろう。
おそらくだが、タゴール・ソングの本当の良さを理解するには、ベンガル語を正しく理解し、その表現や響きの美しさを感じられるようになることが必要なのではないか。
大詩人タゴールが作った「うた」は、きっと何よりも「ことば」を大事にした「うた」なのだ。
(「ソング」というよりも、「詩」に近いんじゃないか、ということで、私はさっきから「歌」ではなくひらがなで「うた」と書いている)

こんなふうに書くと、タゴール・ソングはベンガル語を解さない我々にとって、音楽的な魅力に乏しい「うた」のように思えてしまうかもしれないが、じつはこのことは、この映画の魅力にほとんど影響を及ぼさない。

歌を作る人は、自分の作品がいつまでも人々の心に影響を与えるものであってほしいと願うことだろう。
そして、歌を聴く人もまた、歌に自分の心にぴったりとはまる「ことば」を求めているはずだ。
そんな音楽と人間の理想的な関係が、100年前の「うた」と現代を生きる人々の間に存在している。
この奇跡のような事実を扱っているというだけで、この映画の面白さはもう半分以上決まったようなものである。
この面白さの前では、メロディーの「つかみどころの無さ」は、ほとんどどうでもいい要素なのだ。
『タゴール・ソングス』に出てくる人たちは、プロの音楽家も一般人も、それぞれがタゴールとの間に特別な関係を築いている。
その誰もが愛おしくて、彼らがときに誇らしげに、ときに自分を慰めるかのように歌うタゴール・ソングは、その歌い手の表情や佇まいを含めて、例えようもなく魅力的である。

もう一つ付け加えると、ベンガル人たちと「詩」の距離の近さもたまらなく素敵だ。
女子大生が会話の中で唐突に「私も詩人よ」なんて言い出したりしても、誰にも変に思われたりせず、自然と「無理するなって。君の詩、読んだことないけど」なんて返される。
そんなベンガル人たちと「ことば」との距離感は、とても好ましいもののように思える。
詩を全然読まない自分が言うのもなんだけど、本当は詩ってもっとこんなふうに身近にあるべきものなんだろうなあ。
いつから「ポエム(笑)」みたいになっちゃったんだろうか。

この映画を見れば、100年も前の「うた」とともに生きることができるベンガルの人々が、きっとうらやましく思えるはずだ。
それに、100年前の「うた」や「ことば」を糧に生きている彼らが、なんだかとてもかっこよくも見える。
さて、そうした「うた」も「ことば」も持たない我々は、どうやって生きてゆこうか。
映画『タゴール・ソングス』は、遠いベンガルの人々を見ていたはずなのに、そんなことを思わされる作品である。





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