ジャールカンド

2021年09月11日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その4 コルカタ、北東部、その他北インド編)



インドのヒップホップを地域別に紹介するこの企画、今回はコルカタとインド北東部、さらにその他北インドのラッパーを特集!

今回紹介する各地域の所在地はこちらの地図でチェック!
IndiaMap(states)
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:India_-_administrative_map.png


地域のくくり方が急に雑になったな… 、と思った方もいるかもしれないが、これまでちょくちょく書いてきたエリアが多いので、まとめて紹介させてもらいます。

コルカタをはじめとするベンガルのアーティストに関しては、昨年から何度も特集しているので、こちらから過去の特集記事をどうぞ。





コルカタを代表するラッパーといえばCizzy.

Cizzy "Middle Class Panchali"


お聴きの通り、非常にセンスの良い出来なのだが、インドでは他地域に話者がほとんどいないベンガル語でラップしているせいか、彼は全国的には無名な存在だ。
コルカタのヒップホップシーンは、ほとんどのラッパーがベンガル語でラップしているがゆえに、ヒンディー語でラップするムンバイやデリーのラッパーのような注目を集めることが少ないのである。

ところが、ここに来てCizzyがインド全体を意識したような英語の楽曲をリリース。
はたして、Cizzyは全国的な成功を手にすることができるのだろうか?

Cizzy "Good Morning, India"



ところで、コルカタが位置する州の名前はウエスト・ベンガル州。
じゃあ東ベンガルはどこにあるのかというと、それはバングラデシュという別の国。
19世紀末、インドを支配していたイギリスは、民族運動がさかんだったベンガル地方を効率的に統治するため、宗教間の対立感情を巧みに利用して、この地域をヒンドゥー教徒が多い西ベンガルとムスリムが多い東ベンガルに分断した。
結果として、ベンガル地方東部はヒンドゥー教がマジョリティを占める世俗国家となったインドと袂を分かち、はるか遠くインドの西に位置するパキスタンの一部として独立することを選んだ。
しかしながら、地理的にも離れているうえに、文化的にも言語的にも差異の大きい東西パキスタンはさまざまな折り合いがつかず、東パキスタンは独立運動の末、1971年にバングラデシュとして再独立を果たすことになった。

というわけで、隣国にはなるが、コルカタと同じベンガル語を話すバングラデシュのラッパーを特集した記事はこちら。


同じベンガル語圏でも、文学的かつ詩的な香りのただようコルカタとは異なり、バングラデシュのラッパーはより政治的かつ社会的な主張をリリックに盛り込んでいるという印象。
東西ベンガルのラップの傾向の違いが、それぞれの国の歴史や政治や文化の違いによるものなのか、はたまた宗教の違いによるものかは分からないが、なかなか興味深いところではある。



首都デリーとコルカタを結ぶ線上には、タージマハールがあるアーグラー、男女交歓像で知られるカジュラーホー、ガンジス河の聖地ヴァーラーナシー、ブッダが悟りを開いたブッダガヤー(ボードガヤー)といった有名な観光地が点在している。
だが、これらの地域(州でいうとウッタル・プラデーシュ、ビハール、ジャールカンドなど)は人口こそ多いものの、経済的には貧しく、端的に言って「後進的」な地域だ。

したがって、ヒップホップのような新しいカルチャー不毛の地なのだが、それでも、突然変異のようなきらめきを放つアーティストが登場することがある。

例えば、先日紹介したビートメーカーのGhzi Purがその一人だ。
地理的に大都市のシーンから隔離されているからだろうか、狂気を煮詰めたようなサウンドは、あまりにも強烈な個性を放っている。
(そういえば、メールインタビューの返事、待たされたままこないな…)



ジャールカンド州には、これまた驚くべきラッパーTre Essがいる。
以下のふたつ目のリンクの記事は彼へのインタビューだが、彼が語ったヒップホップをエクスペリメンタルなジャンルとして定義づける姿勢と、地方都市のアーティストならではの苦悩は強く印象に残っている。






インドのなかでももっとも貧しい州のひとつとして知られるビハール州にも、ユニークなラッパーがいる。
彼の名はShloka.
ヒンドゥー教の伝統的なモチーフを大胆に導入したそのスタイルは、まさにインドのヒップホップ!

 Shlokaというラッパーネームはインドの古い詩の形式の名前から取られている。
インドでは古典音楽とラップの融合は珍しくないが、彼のようなスタイルは唯一無二だ。


そのまま東に進んでウエスト・ベンガル州を越え、さらにバングラデシュを越えると、そこはインド北東部。
「セブン・シスターズ」と呼ばれる7つの小さな州が位置する地域だ。
このエリアには、アーリア系やドラヴィダ系の典型的なインド人ではなく、東アジア、東南アジアっぽい容姿のさまざまな少数民族が暮らしている。
インドのマジョリティとは異なるルーツを持った少数民族であるがゆえに、インド国内では被差別的な立場に置かれることも多い彼らは、自らの誇りをラップを通して訴えている。

北東部は、話者数が少ない地元言語よりも、多くの人に言葉を届けられる英語でラップするアーティストが多い土地でもある。
彼らについてはこの記事で詳しく特集している。


ベンガルール編で紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealも、北東部の人々同様に見た目で差別されてきた経験を持つからだろう、彼らに想いを寄せた曲をいくつも発表している。
上記の記事では、USのラッパーのジョイナー・ルーカスの"I'm Not Racist"を下敷きに北東部出身者への偏見をテーマにした"Are You Indian"、を紹介したが、この曲では北東部ミゾラム州のラッパーG'nieと共演して、「チンキー」という差別語で呼ばれる現実をラップしている。


インドの東の果てまで来てしまったが、今度は西側にぐっと戻って、タール砂漠が広がるラージャスターン州に目を移そう。
褐色の大地に色鮮やかな民族衣装が映えるこの地は、インドのなかでもとくにエキゾチックな魅力にあふれ、観光地としても国内外の人気を集めている土地だが、ポップカルチャーの世界では存在感の薄い地域である。

だが、全国的な知名度こそなくても、この地域にはインドらしい個性があふれるラッパーたちがいる。
砂漠の街のギャングスタ、J19 Squadとラージャスターンのラッパーについては、ぜひこちらの記事からチェックしてみてほしい。




カリフォルニアのチカーノ・ラッパーたちが自慢のローライダーを見せびらかすように、とっておきのラクダを見せびらかすヒップホップミュージックビデオなんて、最高としか言いようがない。



最後に、インド北部、パキスタンとの国境紛争や独立運動に揺れるカシミール地方にも、ラップでメッセージを発信しているラッパーがいた。
世界中の人に言葉が届くようにと英語でラップしているMC KASHがその代表格で、彼が2010年に発表した"I Protest"は、中央政府による弾圧に抗議するこの地方の人々の合言葉となった。
この地方の概要と彼については、この記事で紹介している。



最近では、デリーのAzadi Records所属のAhmerもカシミーリーとしてのリアルをラップしている(彼の場合、言語が英語ではないのでリリックの内容はわからないが、このミュージックビデオのアニメーションからも現地の厳しい状況が想像できる)
 
今回は北インドのいろんな地域のヒップホップを急ぎ足で見てきたが、とにかくいろんな場所でいろんなラッパーがいろんな主張やプライドをリリックに乗せて発信しているのがたまらなく魅力的だし、ぐっとくる。
これでもまだ紹介できていない地域があるのだからインドは奥が深い。

さて、次回はまだ紹介しきれていない南インドを掘ってみます。



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goshimasayama18 at 21:56|PermalinkComments(0)

2018年07月29日

革新者の覚悟!ジャールカンドの天才ラッパー Tre Essのインタビュー!

お待たせしました!
以前このブログで紹介したところかなり反響があった、後進地域ジャールカンド州出身の天才ラップアーティスト、Tre Essに送っていた質問の答えが届きました。
(彼について紹介した記事はこちらから)


今回はそのメールインタビューの様子を紹介します!
音楽制作について、地元について、ミュージシャンとしてのキャリアについて、非常に真摯に包み隠さず語ってくれたTre Essに改めて感謝!


ーあなたの音楽はとても独特だけど、今までラッパーとして、あるいはトラックメイカーとして誰に影響を受けてきたか教えてくれる? 

「そうだな、日常的にいつも何かしらの影響は受けているよ。でも、やっとわかったことなんだけど、アーティストとして他の誰かに必要以上に憧れるべきじゃないと思う。そんなふうに憧れることに意味があるのか俺には分からないな。俺が受けた影響は多岐にわたるよ。音楽を始めた頃はドラマーだったから、その頃はLinkin Parkとか、他のメインストリームのロックバンドに影響を受けたよ。じきにヒップホップに出会って、自分の可能性を音楽で解き放ってみたいと感じるようになったんだ。実験的(エクスペリメンタル)って言われるようなことをたくさんバンドでしてみたかった。そういう何でもありって感じがヒップホップの魅力だね!
もしかつて僕がしたみたいに、時間をかけてヒップホップを理解しようとすれば、『ヒップホップ』っていうあいまいなジャンルのもとに、いかにエクスペリメンタルな音楽がたくさんあるか分かるはずさ。
ヒップホップはアートとしての価値が低いって批判する人も多いけど、あらゆる物事には2つの面があるんだよ。分かる?
2018年にヒップホップを作ることは簡単だし、人気はあるけどゴミみたいな音楽もたくさんある。でも今や第三世界のキッズたち(註:自分を含めて、ということだろう)だって、今まで以上にいろんな音楽にアクセスすることができる。最初の頃、俺はすごくオールドスクールだった。その頃はNas, Biggie, Redmanがお気に入りのアーティストだった。でもプロダクションがどんどん良くなってゆく中で、ヒップホップがどれだけ進化したかを理解したんだ。
かつて物事はすごく一面的だった。でもいつまでも古いアーティストばかりにこだわるべきじゃないんだ。それじゃあ影響の源が限られてしまう。今現在のベストなミュージシャンとしては、Vince Staples, Isaiah Rashad, Earl Sweatshirt, Anderson Paak, Big K.R.I.TとかFreddie Gibbsなんかを考えているよ。
でも繰り返すけど、影響は毎日のように受けているんだ。ある日はレッチリだったり、ある日はCharles Bradelyだったり」

と、いきなり熱を込めて回答してくれた。
当方の翻訳力不足で、意味が取りにくいところもあるかもしれないが、大意はつかめると思う。
ここで注目すべきは、彼がヒップホップをエクスペリメンタル(実験的)な要素のある進化しつづける音楽と定義していることだろう。
ジャールカンドのタフな暮らしを綴ったリリックにも特徴があるTre Essだが、ヒップホップの本質としてコトバよりも音楽的革新性を挙げていることに、彼のサウンドクリエイターとしての矜持が伺える。
また、この手の質問に「Eminemに影響を受けてラップを始めたんだ」とか答えるラッパーが多いなかで、表現者として他のアーティストに過剰な憧れを持ち続けることに疑問を持つ姿勢はとても印象的だ。
彼はキャリアの早い段階から、自分自身のことも「エクスペリメンタルな革新を続ける表現者の一人」として位置づけていたのだろう。
続いては、気になる地元のシーンについて。
Tre Essを紹介した記事でも書いた通り、ジャールカンド州はインドの中でも貧しい地域であり、有名ミュージシャンを多く輩出している都市部とは大きく環境が異なる。
都市部を離れれば、インド社会の中で被差別的な立場を強いられてきた先住民族が支配する地域もあり、特有の社会問題もある州だ。

ー正直に言うと、あなたがジャールカンドのラーンチー出身ということにかなり驚いたんだ。なぜかって、インドのコンテンポラリーなミュージシャンはほとんどがデリーとかムンバイみたいな大都市の出身だから。ジャールカンドの音楽シーンについて教えてくれる?

 「そうだな、俺たち3人でラーンチーのシーン全体を作ってるみたいなもんだよ。3人ってのは、俺とThe Mellow Turtleと、"ホンモノ(OG)"のJayant Doraiburuのこと。Mellowは俺が考えるインドで最高のブルースアーティストで、また最高のエレクトロニカアーティストの一人でもある。Jayantは、彼にできない音楽は何もないんじゃないか、っていうくらいの奴だよ。彼は俺が見たことがある楽器は何でも演奏できるし、やれって言えばラップも歌もできる。でも実際のところ、彼は素晴らしいサウンドエンジニアでプロデューサーなんだ。
JayantはVikritっていうバンドをやってて、インドやネパールのメタルシーンで活躍してる。俺たちはお互いに違うタイプのサウンドをカバーしていて、しょっちゅうお互いにインスパイアされているってことが気に入っているのさ。
他にもたくさんのアーティストがジャールカンドにはいるけど、彼らは今ひとつ活気や野心に欠けているんだ。昔はそんな状況がいやだったけど、今じゃ自分たちで変えなきゃいけないと思ってるよ。
俺たちはそういう気づきを広げようと努力していて、無料のギグをしたりいろいろしてるけど、このことに関してはそんなに楽観的ってわけじゃないね。俺はコミュニティーを良くしようとしない人間になるのはまっぴらごめんだから、ただ良いことをして、自分が育ったクソみたいな環境をマシにしようとしてるだけってとこさ」

このブログでも大々的に紹介したThe Mellow Turtleに加えて、ラーンチーのミュージックシーンの第3の男として、The Mellow Turtleのインタビューでも名前が挙がったJayant Doraiburuが出てきた。
Tre Essも語っているように、彼はDream TheaterやSymphony Xに影響を受けたプログレッシブ・メタルバンド、Vikritのドラマーも務めている。
彼らのウェブサイトによると、やっているのはこんな曲
確かに、Tre EssともThe Mellow Turtleともまったく違うヘヴィーメタルを演奏している。
ラップ、ブルース/エレクトロニカ、メタルと全然違うジャンルのアーティストが刺激し合っているというのも、狭い街のシーンならではだろう。
彼らに次ぐアーティストは出てくるのだろうか。

続いては、個人的に初めて出会った彼の曲であり、現在のインドのアンダーグラウンドヒップホップシーンを代表する曲ともいえる" New Religion"について聞いてみた。
Tre Essの名義ながら、コルカタ、ムンバイ、ニューヨークのラッパー総勢7名を客演に迎えた意欲作だ。


ー“New Religion”はマルチリンガル・ラップソングっだけど、どうやってインドやニューヨークのアーティストたちを集めたの?
北インドのリスナーたちは、この曲に出てくる英語とヒンディー語とベンガル語がみんな理解できているってこと?(註:南インドは北インドとはまったく違う言語体系の言葉が話されている)

 「ここでフィーチャーした連中のほとんどは友達で、以前共演したことがあったんだ。彼らのうち何人かは初めてコラボレーションしたけど、今後彼らのために何かしらプロデュースすることになってる。
北インドのほとんどの人はヒンディーが理解できるし、英語が理解できる人もいるよ。ベンガル語が理解できるのはもっとベンガル人に限られてくるかな。でも俺にとってそれは大した問題じゃなくて、リスナーには全体のうちちょっとでも伝わればいい。
この曲を気に入っているって言ってくれる人もいるし、俺はフィーチャーした人たちをもっと絞るってことをすべきじゃなかったと思ってる。もしそうしたら完全に良さを失ってしまうんだ。もし言葉が理解できないラッパーがいるとしても、それは君のためにいるんじゃなくて、俺のためにいるんだよ!この曲の全員がそれぞれ異なるグループをレペゼンしているんだ。みんなが別々だと思っているスタイルとか、分けるべきだと思っているジャンルをみんないっしょにして素晴らしいサウンドを作ろうってアイデアなんだよ。
もしこの曲がベンガル語から始まるからって、全体を聴かないで聴くのをやめようって人がいたら、それはそいつらの損失であって俺の損失じゃない。そいつが生きてきた中で最高のインディアン・ヒップホップを聴き逃して嘆くことになるってわけさ」

明確なコンセプトと過剰なまでの自信。
そしてその根底には、新しい試みへの強い意志がある。
例えば既存の欧米のヒップホップとインドの伝統的なサウンドを融合させて、ヒップホップというジャンルをより「拡げて」いるアーティストもいるが、Tre Essはヒップホップを「拡げる」のではなく、「前に進める」という明確な意識を持ったアーティストと言えるだろう。

ー“New Religion”っていうタイトルの意味を教えてくれる?以前インタビューしたヘヴィーメタルのミュージシャン(Third SovereignのVedantのこと。彼へのインタビュー記事はこちら)が、宗教やコミュニティー同士の争いにはうんざりしていて、ヘヴィーメタルこそが新しい宗教みたいなものさ、ってことを言っていたんだ。あなたもヒップホップに関して、同じような意見を持っているの?

 「それはすごく面白いね。俺も似たような意見だよ。俺は音楽全体が新しい宗教だと思ってる。ラップとか、メタルとか、ポップとか、好みはいろいろだろうけど、それは俺が知ったことじゃない。部分的にはそういうアイデアがこの曲のタイトルの背景にあるし、残り半分はみんなのこの曲のパフォーマンスそのものから来てる。
宗教には神々が必要だろ?俺は8人の神の候補者を紹介してるってわけさ。ハハハ。
俺たちをただの若いナルシシストだと思ってる古臭い信心深い連中は腹をたてるだろうけど、俺たちはそういう時代遅れの先入観をからかってるのさ。もし気に入らないってんなら、ふーん、そんならお前が何かやってみせろってことさ」

この既存の価値観に対する強烈な反発!
Brodha Vのように、ヒップホップで成り上がりつつも、ヒンドゥーの神への祈りを忘れないというスタンスや、経験なクリスチャンだというDIVINE、シク教徒であることを全面的に出しているPrabh Deepみたいなアーティストもインドにはいるが、彼はより反権威主義的なスタンスだ。
これは彼がより保守的な地域の出身であることも関係しているのかもしれない。
物質主義、功利主義が浸透している都会であれば伝統的な価値観を見直したくもなるかもしれないが、旧弊な価値観に縛られざるを得ない地域においては、音楽こそが精神の自由をもたらす第一の価値観ということになるのだろう。

 ーThe Mellow Turtleとあなたが共演している曲が本当に気に入ってるんだけど、彼もラーンチー出身だよね。どうやって彼と出会って、共演するようになったの?

「Mellow!俺の唯一の親友さ、ハハハ。俺たちは共通の友達の友だちのJayantを通して出会った。その頃彼は俺たち両方のサウンドエンジニアをやっていたんだ。JayantがMellowの曲を聴かせてくれたから、俺はその曲にいろんなフリースタイルを乗せてみた。そんなにいい出来じゃなかったけど、その時にすでに共同制作の友情が始まってたってわけさ。で、俺たちはそれ以来いろんな優れた曲を作り続けてる」

The Mellow Turtleへのインタビューでも語られていたエピソードだ。
その最初に共演した曲というのがこの"Tangerine".


やがてアルバム"Elephant Ride""Dzong"でも共演し、唯一無二のサウンドを作り上げてゆくのは今までに紹介した通り。
続いて今後の活動について聴いてみた。

ーインドの才能あるミュージシャンのほとんどは、活動拠点をデリーとかムンバイとかバンガロールに移しているよね。あなたもそんなふうに拠点を移したい?それともラーンチーにとどまり続けるつもり?

「ああ、1日だってそのことを考えない日はないよ。いつかは動かなきゃいけないって感じているけど、それがいつかは分からないな。バンガロールには3回ほど行ったことがあるんだけど、大嫌いだったんだよ。俺はああいう街が持ってる雰囲気は好きじゃないんだ。俺はラーンチーもずっと嫌いだった。仕事は早く進まなかったりするし。でもそれが夕暮れ時になるとまったく変わるんだよ。
どんなことかっていうと、例えば友だちと15分か20分ドライブするだけで、みんなが長い時間かけて旅行でもしない限り得られないような静けさを見つけることができる。このへんの自然はすごくきれいなんだ。目に映る全てが美しく、しかもそこにも何一つ人の手で計画されたものなんてないんだ!街の中に、今でも自然のままの森林地帯があるんだよ!俺にとってはそれがいちばん美しいものだよ。
でもすごく皮肉なことに、青々とした森林地帯のうち、どこに銃を構えたナクサライトが潜んでいるか分からないんだよ」

ここまで、ずっと強気で不遜とも言えるラッパー然とした態度を見せてきた彼が、初めてその葛藤を見せた答えだ。
音楽的に成功するための大都会への憧れと、故郷の自然への愛着、アンビバレントな感情。 
だが彼が愛する美しい故郷の自然すらも暴力と無縁ではない。
ナクサライトとは、インドの主に貧困地域で活動する毛沢東主義派のテロリストのことで、以前紹介したジャールカンドゆえの闇を感じる内容だ。


ーあなたのミュージシャンとしてのキャリアのゴールは何?

 「俺は一人でも多くの人々に音楽を届けたい。どれだけ長くかかるかはわからないけど、俺はやらなきゃいけないんだ。他の誰かがやってくれるわけじゃないし、ジャールカンドの音楽シーンは俺が音楽を作るのを止めたら死んでしまう。俺は他の仕事も探しているし、実際に始めてもいる。金をあっちこっちに投資したりもしているし、これからの人生でいつか音楽を止めなきゃいけないかどうかも分からない。でも音楽なしの生活を俺は知らないんだ。将来にことについてそんなに心配はしたくない。だってほとんどの人は思い通りにならないものだから。でも未来のインドのアーティストたちのために、しっかりした基盤を作れたらいいと思ってるよ。彼らが何であれ自分たちの作品以外のことであんまり心配しなくて良いように」

強気な態度で既存の権威に噛みつくラッパー、エクスペリメンタルな要素を取り入れたサウンドクリエイター。
そんな彼の口から「投資」なんて言葉が出てくるところにインドのシーンの特異性を感じる。
Taru Dalmiaのドキュメンタリーでも出てきたテーマだが、インドではヒップホップは「ストリートの音楽」であるが、「大衆の音楽」ではなく「エリートの音楽」というややねじれた存在になっているのだ。
The Mellow Turtleも法律事務所で働くエリートでもある。
でも、彼らがやっていることが決して金持ちの道楽ではなく、極めて真摯に誠実に音楽や表現と向き合っているということは音楽を聴けば分かるはずだ。
自分たちだけでなく、後進のミュージシャンのことまで考えているというのだから推して知るべしだ。

最後にくだらない質問をひとつ。
“Tre Ess”って名前、アメリカン・プロレスのWWEのトリプルHを意識してつけたっていう記事を読んだんだけど、WWEってインドで人気あるの?

「ハハハ、そう、WWEはインドでも大人気だよ。今はもう見ていなくて、MMA(総合格闘技)を見てるけど、以前はずいぶん楽しんだよ」

おお、ここでもやはりインドでWWE大人気説を裏付ける返事が返ってきた。
唐突だが、プロレスにおいて新しい価値観を提唱した人物といえば、日本のマット界ならば前田日明ということになる。
Tre Essのインタビューを終えて、前田日明が80年代にUWFを立ち上げた時に発した言葉「選ばれてあることの恍惚と不安、二つ我にあり」 を思い出した。
(実際は前田自身の言葉ではなく、原典は太宰で、さらにその元ネタはヴェルレーヌなわけだが)
UWFは従来のプロレスとは異なる格闘技的な要素を持った団体で、前田にとってプロレスとは常に過激に進化しつづけるものであり、かつてその姿勢の提唱者だったアントニオ猪木が既存のプロレスの枠の中に収まってしまったことへの強烈なプロテストでもあった。

Tre Essが前田日明なら、当初は革新的だったものの新しい表現を追求しなくなったヒップホップアーティストはアントニオ猪木(その他当時のプロレスラー)にあたる。
保守的、後進的なジャールカンドで革新的なヒップホップを作り続けてゆくことについて、彼もまた恍惚と不安の中にいるのだろう。
今のところ、そうした葛藤や、狭いシーンならではの出会いは、彼の音楽をより魅力的なものにしているように思える。
今後彼は、そしてMellow TurtleやJayantといったラーンチーのミュージシャンたちはどんな音楽を作ってゆくのか。
大都市への進出はあるのか。それとも地元のシーンをさらに発展させてゆくのか。

ジャールカンドのシーンともども、今後も紹介してゆきたいと思います!
それでは!
 
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goshimasayama18 at 17:24|PermalinkComments(0)

2018年07月07日

ジャールカンドでの女性への暴力事件 その深層とは

ヤフーのトップニュースにもなっていたから読んだ人も多いと思うが、ジャールカンド州で起きた人身売買反対活動をしていた女性5人への集団レイプ事件がCNNやAFPによって報じられた。
ちょうどこのブログでもTre EssThe Mellow Turtleといった、後進的なジャールカンド出身ながらも先鋭的な音楽を作っているアーティストを紹介したばかりだったので、珍しく日本にも取り上げられた同地の話題があまりにも救いのないニュースで呆然としてしまった。

こういった犯罪が理由の如何を問わず許し難いものであるということは当然のことではあるけれど、この報道からだと、ほとんどの人はジャールカンドは卑劣で暴力的な人たちが暮らす場所、という印象しか受けないのではないかと思う。
またインドでレイプか、とかね。
残念ながらそれも間違いではないのだけど、今回はこの事件の背景を自分なりに解説することで、インド社会の重層性や暗部を照らし出してみたいと思います。

この事件のあらましはこうだ。
地元警察によると、ジャールカンド州クンティ地区コチャン村で、銃器で武装した男たちが、人身売買に対する啓発活動をしていたカトリック系のNGOの女性たち5人に、集団で性的暴行を行った。
被害者の女性に対して、警察に通報しないよう脅迫する様子のビデオ映像なども見つかったという。
被害にあった女性たちは、女性が貧しさから性産業に身を落とす問題に対して、演劇を通して啓発する活動を行っていた。
犯行には地元部族による反体制運動「パッタルガディ」支持者が関与しているとみられている。
パッタルガディは外部の人間が自分たちの地域に入ったり定住したりすることを認めておらず、また同地区はマオイスト(毛沢東主義者)の温床としても知られている。
ジャールカンドでは先日も少女2人がレイプされ、火をつけられるという事件があったばかり。
(詳細はhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180623-35121325-cnn-inthttp://www.afpbb.com/articles/-/3179684?cx_part=search

どうだろう。
この記事から、とんでもなく後進的な地域で起きた救いようのない暴力犯罪という以上の印象を受けることは難しい。
なんかテロリストみたいな連中も絡んでるし。
しかも、その後の報道では、事件は事前に周到に計画されていたと報じられている。

この事件の背景を探るためには、まずはこの記事の中で使われている「部族」という言葉に注目する必要がある。 
インドで部族(tribe)と言った場合、ほぼ間違いなくそれは「指定部族(scheduled tribe=ST) 」を指していると考えてよい。
指定部族とは、「指定カースト(scheduled caste=SC)」と同じように差別されてきた歴史を持ち、後進的な暮らしを余儀なくされてきた人々で、そうした境遇ゆえに、進学や公共機関への就職において、一定の優遇措置を受けられることを表す政治的な呼称だ。
「カースト制度」は聞いたことがあっても、「指定部族」というのは初めて聞く人も多いことと思う。
なぜ「指定部族」が「指定カースト」とは別にカテゴライズされているのかというと、それは、その成り立ちが全く違うからだ。

「指定カースト」とは、ヒンドゥー社会の中で「死」や「汚れ」を扱うことなどを理由に社会の最下層に位置づけられてきた人々。
カースト序列の外にいるという意味で「アウトカースト」や「不可触民(アンタッチャブル)」と呼ばれることもあるが、それでもヒンドゥー教の概念の中で定義づけられた人々だと言うことができるだろう。

それに対して、「指定部族」は、ヒンドゥーやイスラム等の宗教や伝統とは異なる文化のもとで生きる人々のこと。
端的に言えば、インドの「先住民族」だ。
島国でないインドで「先住民族」と言われても分かりにくいと思うが、インドには、アーリア人がイラン、アフガニスタンからインド・パキスタンに侵入した紀元前1500年以前の言語や伝統のもとで今も暮らしている人々がいる。 
(「先住民」を意味するAdevasi=アーディヴァーシーという言葉で呼ばれることもある)

彼らがどれだけ独自の文化を保持してきたかということについては、この地図を見てもらうとよく分かると思う(出展:英語版Wikipedia)。
Munda-Sprachen

これは、言語学的に「ムンダ語派」とされる言語のインドでの分布を示したもので、この地図の中の東側のサンタリ語、ホー語、ムンダリ語などが話されている地域がほぼジャールカンド州内に位置している。
「ムンダ語派」は、ベトナム語やクメール語(カンボジアの公用語)と同じオーストロアジア語族に属する言語で、北インドの大部分で話されているインド・ヨーロッパ語族系の言語(ヒンディー語、ベンガリ語、パンジャービー語など)とは全く異なるルーツを持つ。

なかなか日本人にはイメージしにくいが、これは同じ言語系統の中にある日本語と琉球語よりもはるかに大きい差異があるということだ。
無理やり日本に例えて言うなら、長野とか岐阜のあたりにまったく異なる言語を話す人々が住んでいる、といった感じだろうか。
アムネスティによると、指定部族とされる人々はインド全体で461部族、総人口の8.2%を占める420万人にものぼるとされている。
国にとって無視できない割合の人々が、「指定部族」とされているというわけだ(割合が少なくても無視して良いわけではないが…)。

彼らは古代インドのバラモン教、仏教の時代も、イスラム王朝の支配下や英国統治下の時代も、独自の言語と文化のもと(もちろん、時代ごとに多数派の影響を受けながら)暮らしてきた人々だ。
彼らがどのような差別に晒されてきたかは、1989年に制定された「指定部族への虐待防止法」を見るとよく分かる。


この法律では、以下のような行為が「指定部族への虐待行為」として挙げられている。
第2章 第3条 第1項 指定カースト・指定部族に属さない者が、属す者に対し、
1.食用不可のもの、または食すと害のあるものを強制的に食べさせたり飲ませたりする
2.排泄物やごみを投げつけて負傷を負わせたり、死骸や廃棄物を住居やその近隣に放置するなどして嫌がらせをする
3.強制的に衣服を脱がせて裸にして人前を歩かせたり、顔や身体に落書きをするなどして人格を傷つける
4.指定カースト・指定部族の土地を不当に占拠し、耕し、又は所有権を移転させる
6.物乞いを強制したり、他の強制的な労働や負債をカタに労働を強いる
11.指定カースト・指定部族の女性の貞節を傷つける性的攻撃
(ウェブサイト「14年目のインド」から引用させていただきました)
 
このやたらと具体的な条文からは、こうした行為が指定部族に対して継続的に行われてきたことがうかがわれる。 差別や偏見に晒されてきた彼らは、多くが支配階層が近づかないような森林地帯に暮らし、独自の文化を守ってきた。
今回の事件が起きたコチャンという場所も、グーグルマップで見る限り人里離れた森林や畑が広がる地域のようだ。
スクリーンショット 2018-07-01 1.37.57

だがしかし、時代の変化は彼らの安寧な暮らしを許さなかった。
ジャールカンド州は非常に地下資源が豊富な土地でもある。
「部族」の土地に資源が見つかると、採掘のために、多くの人々が大昔から暮らしてきた場所からの立ち退きを余儀なくされた。
立ち退きを主導したのは、大企業や州政府だ。

「指定部族」に与えられた、進学や就職で優遇される「留保制度」も、そもそも教育にアクセスできる環境がなければ意味がない。
差別や抑圧に耐えかねた彼らの一部はその主張を先鋭化させた。
記事の中にある「パッタルガディ」も、そのような極端な主張を持つグループだ。
曰く「ここはもともと我々が暮らしていた土地だ。政府のルールや選挙も我々には関係無い。よそ者は立ち入るな。出て行け」

彼らが毛沢東主義(マオイズム)に共感を寄せるのも、素朴な暮らしを続けてきたにもかかわらず、大企業や資本主義の論理の中で立ち退きや経済的後進性を余儀なくされるようになってしまったことを考えれば納得がいく。
マオイズムは農村をベースにした共同体を目指すものだが、時としてカンボジアのポルポト時代のように、強制労働や処刑が横行する悲劇を生む。
物質的豊かさを目指さず、あえて貧困と抑圧を目指すかのような方向性が加熱してしまいがちなのだ。

なぜそんな思想に共感する人々がいるのか、長らくアタクシは理解できないでいた。
でも、よく考えてみると、農業を主体とした共同体生活というのは、インドの貧しい農民にしてみれば、日常そのもの。
そして、指定部族には、そのささやかな日常生活すら脅かされ、奪われかねない現状がある。
高野秀行も書いていたことだが、マオイズムは農村主義と新自由主義的な都会との対立という軸で考えると分かりやすい。
最低限の豊かさや人間らしく生きる権利を得ること、それを想像することすら許されない環境におかれた指定部族の人々がマオイズムに惹かれるのは至極当然のことと言えるだろう。

インドでは地方の貧困地域を中心に「ナクサライト」と呼ばれる毛沢東主義ゲリラの活動が知られているが、貧しい農民たちがナクサライトの活動に共感を寄せる様子は、ケララ州出身の女性ジャーナリスト、アルンダティ・ロイの「ゲリラと森をゆく(原題:Walking with the comerades)」に詳しい。

また、襲われた女性たちはカトリック系のNGOに所属していたという。
キリスト教コミュニティーは、伝統的にインドの社会の中で差別的な待遇を受けてきた彼らに対する慈善活動を行っている。
カルカッタの路上で誰にも必要とされず亡くなってゆく貧しい人々に愛を注いだマザー・テレサのように、社会の中で虐げられてきた人々の中に神を見出し奉仕するという考え方だからだ。

いっぽうで、その対極に位置づけられるヒンドゥー至上主義の団体の中も、指定部族に対する支援活動をしている人たちがいる。
教育や職業訓練などのさまざまな支援を通して、ヒンドゥー社会の埒外に置かれていた指定部族を支援することによって、彼らを「ヒンドゥーのインド」の枠組みの中に取り込もうという動きだ。
イスラム教や仏教など、他の宗教系団体による支援もまた行われている。

いずれの団体も、抑圧されてきた人々を、宗教的な慈悲の精神に基づいて支援しているということに関して言えば、同じ志を有していると言える。
だが、例えばヒンドゥー系団体の人々からすれば、キリスト教やイスラム系の団体は、「ヒンドゥーの国であるべきインドの国民を分断しようとする輩」ということになるし、キリスト教やイスラム教の人々からすれば、ヒンドゥー系の団体は「排外主義的なナショナリズム団体」ということになる。
互いに反目こそすれ、共同して状況を改善しようとするのは難しい。

そして、こうした活動に興味を持たない大多数の人々や、より功利主義的な価値観に基づいて生きる人たちにとっては、そもそもこうした問題は他人事。
気の毒には思っても危険を顧みずに状況を改善しようなどとは思わない。
さらに、「指定部族」の中にも、今回のように善意の干渉すらも拒絶するほどに硬直化している人々もいるというわけだ。

この問題の解決にどれだけの時間がかかるのか、想像もつかない。
教育や経済的な成長だけで解決されるとも思えないし、そもそも万人が納得出来る「解決策」があるのかどうかも不明だ。

また、ルーツは違えど、このブログでも何度も触れてきた、インド北東部の人々も、多くが「指定部族」とされている。
北東部のミゾラム州やメガラヤ州では、人口の90%以上が指定部族とされているほどだ。
彼らもまた、地元では圧倒的マジョリティーでも、これまでに見てきたようにインド社会全体の中ではさまざまな差別や抑圧に晒されている。

今回扱ったテーマは、前回書いたEDMシーンの記事とはとても同じ国の話とは思えない話。
インドの多様性は、地理的、文化的なものだけでなく、人々が生きる「時代」の多様性でもある。
超近代的な都市生活を送っている人々もいれば、日本でいうと明治時代、いや江戸時代頃の農村と同じような環境や価値観で生きている人々もいる。 
インドがどんな方向に進むにせよ、必ず取り残されてしまう人々がいるというのがインドの多様性の負の側面だ。

せめて、そうした多様性の軋みの中から、音楽という形で生み出されるさまざまな表現を通して、インド社会を今後も見て行きたいと思います。

たまには社会派なアッチャー・インディアでした。 

goshimasayama18 at 00:54|PermalinkComments(0)

2018年06月23日

The Mellow Turtleインタビュー!驚異の音楽性の秘密とは?

先日紹介した、ジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき音楽性を誇るギタリスト/シンガー・ソングライターのThe Mellow Turtle.
インドの中でも後進的な地域の出身ながら、時代もジャンルも超越した先進的なハイブリッドサウンドを奏でる彼の音楽遍歴やバックグラウンドはいかなるものなのか?
想像を超える実態が明らかになった驚愕のメールインタビューの模様をお届けします!
その前に、The Mellow Turtleの紹介記事はこちら

—あなたのFacebookページを読むと、ずいぶんいろんなタイプの音楽を聴いてきたみたいだね(註:彼はおすすめとして、Tom Misch, FKJ, Bonobo, B.B.King, Muddy Waters, Alt J, Ratatat, Ska Vengers, The F16sなど、海外、国内を問わず非常に多様なアーティストを挙げている)。 それにブルースロックだったり、ヒップホップだったり、エクスペリメンタルなものだったり、すごくいろいろなスタイルの曲を書いているけど、いったいどんな音楽的影響を受けてきたのか、教えてもらえる


MT
「最近聞いているのはアフリカのマリのブルースだよ。Ali Farka Toure, Songhoy Blues, Vieux Farka Toureとかだな。 大きな影響を受けたアーティストといえば、The Black Keys, Ratatat, Gorillaz, Chet Faker, Glass Animals, Morcheeba, Thievery Corporation, Muddy Waters, Howlin Wolfあたりってことになる。 最近じゃヒンドゥスターニー(北インド)の古典音楽も聴き始めたよ。」 

マリのブルース!そっちから球が飛んでくるとは思わなかった!
他にも、インディーロック、新世代シンガー・ソングライター、ローファイ、伝説的ブルースマンと、古典から現代まで、センス良すぎるラインナップだ。
さらに地元インドの古典音楽まで聴き始めたとは!
ギタリストにもかかわらず、いわゆるギターヒーロー的なテクニカルなプレイヤーを挙げずに、いろいろなジャンルのグッドミュージックを挙げているのも印象的。
本当に音楽そのものが大好きなのだろう。

 

—マリのブルースって、いったいどこで知ったの?

 MTYoutubeで見つけて、そこからインターネットで調べ始めたんだ。Ali Farka ToureRy Cooderのアルバム「Talking Timbuktu」はチェックすべきだよ。すごく美しい音楽だ」

 

 
Ali Farka Toureのソロアルバムはこちら!

 

Ali Farka Toure、不勉強にして初耳だったのだけど、聴いてみてびっくりした。
なぜって、もはやすっかり伝統芸能として形骸化し、息絶えたと思っていたブルースの「精神」が、彼の音楽に生々しく息づいていたから。
アフリカ系アメリカ人によって生まれ、そのままアメリカで死んだと思われていたブルースは、その精神的故郷アフリカで今も生き残っていた。
そしてインドの後進地域のミュージシャンに影響を与え、さらに新しい音楽の母胎となっている。
なんて素晴らしい話なんだろう!


—いつ、どんなふうにギターの演奏を始めたの?

MT
134歳のころにギターを弾き始めた。理由はギターのサウンドにどっぷりはまっちゃってたから。それでギターのレッスンを始めたんだけど、少しの間だけレッスンを受けて、あとはウェブ上のタブ譜を見ながら練習したよ」 


—お気に入りのソングライターやパフォーマー、ギタリストは誰?

MT
「それは難しい質問だな。ソングライターとしては、Ben Howardが大好きだ。ベスト・パフォーマーを挙げるなら、Anderson Paakってことになるね。お気に入りのギタリストってことなら、B.B.Kingがいちばんだよ」 

Ben Howardは先日紹介したAsterix Majorを思わせる叙情的なフォーク系シンガー・ソングライターだ。
The Mellow Turtle、守備範囲広すぎだろう。


Anderson Paakはカリフォルニアのゲットー出身のアーティスト。アメリカの黒人音楽の誕生から現在までを全て詰め込んだようなラッパー/シンガー/ドラマー。
ケンドリック・ラマーらと並んで、現在のヒップホップシーンで高い評価を得ている。


B.B.Kingは言うまでもないブルースの大御所だ。これは彼が映画ブルースブラザーズ2000でも披露していた代表曲の1つ。
 

こうして彼のお気に入りの音楽を並べてみると、音楽性は様々だが、サウンドやスタイルのかっこよさを追求するだけでなく、魂を込めて真摯に表現しているタイプのアーティストが多いことに気がつく。
とくに彼の黒人音楽の好みに関しては、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばざるを得ないジャールカンドの暮らしの中で育まれた感覚が共鳴するアーティストを挙げているようにも感じる。考えすぎだろうか?


—あなたがTre Essと競演している曲がすごく好きなんだけど、彼もラーンチー出身だよね。いつ、どんなふうに出会って、共作を始めるようになったか教えてもらえる?

MT
「ありがとう!友達のJayantElephant RideEPを作っていたときに、SumitTre Essの本名)もJayantのスタジオでソロアルバムをレコーディングしてたんだ。ある日スタジオに顔を出したらJayantが、僕らの曲に合わせてラップをした奴がいるって言うんだ。それをチェックしてみたらすごく良かったから、そのTangerineって曲のラップをそのまま残しておくことにしたんだよ。その後、僕らはスタジオで顔を合わせて、いっしょにレコーディングするようになった。それで今じゃすっかり大親友になったってわけさ。」 

それがこの曲、Tangerine. Tre Essのラップは2:10頃から。
ラップが入ることで、ブルースロック調の曲がより現代的、立体的になっているのがわかる。



—ラーンチーやジャールカンド州のミュージックシーンについて教えてくれる?ジャールカンドじゃどんなところでライブをしているの?ライブハウスみたいなところとか、フェスとかあるの?

MT
「ラーンチーのシーンは本当に退屈だよ。生演奏が聴ける場所なんてないね。へヴィーメタルとカバーバンドのリスナーがいるだけさ。ラーンチーでライブを企画しようとしたことがあったんだ。でも観客は古いヒンディー語とか英語の曲のカバーばっかりリクエストしてきた。ここで新しいタイプの音楽を聴く人を見つけるのは本当に大変だよ」 

音楽好きがほとんどいない街で、偶然出会った全く違うジャンルの才能あふれるミュージシャン2人。
ムンバイやデリーのような音楽シーンが成熟した大都市だったら、出会わずにすれ違うだけだったかもしれない。
音楽の神様はたまにこうして才能のあるもの同士を引き合わせる。
そして、そんな音楽好きがほとんどいない街で、純粋に自分たちの音楽を追求しつづけるThe Mellow TurtleTre Essには、心からのリスペクトを感じる。
でも、本当に今のままでいいの?

 —インドの場合、多くの才能あるミュージシャンがデリーやムンバイやバンガロールみたいな大都市に活動拠点を移しているよね。あなたも活動拠点を大都市に移したいと思う?それともラーンチーにとどまり続けるつもり?


MT「正直言って、まだなんとも言えないよ。理想を言えば、ラーンチーとムンバイと両方で過ごすことができればいいけど。都会の生活はとても厳しいよね。生活にお金もかかるし、交通状況も最悪で(駐:ラッシュアワーや交通渋滞のことか)移動のためにずいぶん時間を無駄にしなきゃならない。でもボンベイみたいな街に住めば、もっとライブの機会は増えるし、音楽業界の先頭に立っている人たちにも会える。僕の音楽を聴いてくれるファンを増やすこともできると思うし。」

 日本でも、いや世界中でも、同じように感じている地方在住のミュージシャンは多いことと思う。上京して一人暮らしするのだってバカにならないお金がかかる。

都会出身のミュージシャンとは、そもそも前提条件から違うってわけだ。
でも、だからこそ、彼のように地方から大都市のシーンとは関係なく面白い音楽が出てきたりもするのだけど。

 

—あなたのアルバムのタイトル『Dzong』(ゾン)とか、曲名の『Dzongka』(ゾンカ)っていうのは、ブータンの言語の『ゾンカ語』のことだよね?もしそうなら、どうしてこのタイトルをつけたのか、意味を教えてもらえる?

MT「ブータンの言葉だと、『Dzong』っていうのは宗教や行政や社会福祉を全て執り行う城のことなんだ。このアルバムを通して、僕は精神的なことや政治的なこと、社会的なことを表現したかった。それから僕は建物としての『Dzong』にすっかり魅了されてるんだ。すごくきれいなんだよ。そういうわけでアルバムに『Dzong』ってタイトルをつけたんだ。

 これが「Dzong」(ゾン)

PunakhaDzongInSpring
Dzongka』っていうのはブータンの言葉を意味している。この曲では、自分たちの独自のサウンドを追求してみたんだ。ブータンが独自の言語や文化を持っているようにね。『Dzong』をレコーディングしているとき、僕とSumitTre Ess)でブータンに行く機会があったんだ。二人ともブータンの文化や雰囲気がすっかり気に入ったんだよ。僕が今までに見た中で一番美しい国だった。」


今度はブータンと来たか!
アメリカや世界中のグッドセンスな音楽のスタイルに乗せて、地元の街のブルース(憂鬱)を歌う。それだけでも十分なのに、隣国の文化からもインスパイアを受けたという彼らの感受性には恐れ入る。時代も地理的な条件もいっさい関係ないみたいだ。

 

-あなたのFacebookのページによると、ソーシャルワーカーや起業家としても活躍しているみたいだね。音楽以外ではどんなことをしているの?

MT
「父の不動産会社で働いていて、プロジェクトの責任者をしているよ。ソーシャルワーカーとしては、今はSt.Michales盲学校のとても才能あるミュージシャンたちのメンターとレコーディングをしているよ。学校で週に2回、ギターも教えているんだ。学校でセッションのための部屋も作ろうとしているんだ」

 不動産会社はともかく、盲学校でのプロジェクトはとても面白そうだ

初期のブルースマンからレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーを経てラウル・ミドンまで、盲目の素晴らしいミュージシャンは数多くいる。
彼の音楽的センスと、インドの土壌から、どんなミュージシャンが出てくるのだろうか。

インタビューを通して感じたのは、彼の音楽全般に対する情熱だ。
地域も時代も超え、あらゆる音楽に興味を持ち、良いものを聴き分ける音楽ファンとしての情熱。
そしてそこから受けた影響を、音楽シーンのない街で世界中のどこにもない自分の音楽として作り、表現する情熱。

また、音楽の普遍性と地域性ということについても考えさせられた。
彼の音楽は、先に述べたような世界中のさまざまな音楽からの影響で成り立っている。
だが、彼の作るサウンドの、ビートの隙間からは、紛れもないインドの地方都市の空気が漂ってくるのもまた事実だ(これは、Tre Essの音楽からも感じることだ)。

ニューヨークの音楽にはニューヨークの、西海岸の音楽には西海岸の空気があるように、彼の作る音楽からは、ジャールカンドの空気感が伝わって来る。
昼の暑さを忘れさせるくらい涼しくなった夜の、排気ガスやどこからともなく漂う煮炊きの匂い、オートリクシャーのエンジンとクラクションの音、暗い街角で行くあてもなく佇む人々の眼差しや息遣いが感じられるような音像だと、私は感じている。

The Mellow Turtle. ジャールカンド州ラーンチーが生んだ稀有な才能。
今後彼がどんな音楽を作り出すのか。
またみなさんに紹介できることを楽しみにしています。



goshimasayama18 at 20:21|PermalinkComments(2)

2018年06月15日

ジャールカンドの突然変異! The Mellow Turtle

前回、ジャールカンド州ラーンチー出身のラッパー、Tre Essを紹介した。
貧しく保守的な地域だと思っていたジャールカンドから本格的なラッパーが出てきたことに大いに驚いたものだが、驚きはこれだけでは終わらなかった。

Tre Essと頻繁に共演している同じくラーンチー出身のギタリスト、The Mellow TurtleことRishabh Lohia .
ブルースをベースにしつつ、トリップホップやエレクトロニカの要素もある楽曲の数々は、これまたジャールカンド離れした驚愕のサウンド!
まずはぜひ聴いてみてください。

昨年リリースされたセカンドアルバム"Dzong"から、"Minor Men"


Tre Essと共演した曲"Lake Dive"

アルバムタイトルの"Dzong"とは、ブータンの言語「ゾンカ語」のことだが、ブータンからは距離のあるジャールカンドで、どういう意味が込められているのだろうか。

ファーストアルバムではよりルーツ的なサウンドを聴かせている!
静止画と字幕、フリー素材だけで作ったみたいなビデオが微笑ましいぞ。
地元の写真なのだろうか。

これは何だろう、ローファイ・ヘヴィー・ブルース・ロックとでも呼ぶべきか。
途中で入ってくるラップがG.Love的な雰囲気も醸し出している。

インド古典を使った"Laced"もセンスが良い!


何なんでしょう。この、古いものも新しいものもセンスよくミックスしたオリジナリティー溢れるサウンドは。
ジャールカンドや周辺地域の後進性については前回の記事でも触れたが、デリーやムンバイといった大都市ではなく、ラーンチーからこのサウンドが生み出されるということは、インドに詳しくない人のために分かりやすく説明すると、東京に例えるとすれば足立区からコーネリアスが出てきたくらいのインパクトがある。

彼のFacebookのページによると、お気に入りのミュージシャンとして、Tom MischやFKJといった、ルーツミュージックを現代的な方法で再構築しているアーティストに加えて、B.B. KingやMuddy Watersのような昔ながらのブルースアーティストを挙げている。
ちなみにインドのアーティストでは、お気に入りとしてこのブログでも取り上げたSka Vengersの名前が挙がっていた。
同ページには、The Mellow Turtleは起業家、社会活動家としての顔も持っていると紹介されていたが、彼もまたSka VengersのTaruのような啓蒙活動をしているのだろうか。
ぜひ本人に聞いてみたいところだ。

これまでこのブログで見てきたインドのミュージシャンは、ロックならロック、ラップならラップとひとつのジャンルからの影響しか表現しないアーティストばかりだった。
中には、インドの伝統音楽や映画音楽など、地元の文化と欧米の音楽との融合を試みているミュージシャンはいたが、彼のように西洋音楽の中の異なるジャンルを、それも時代をまたいでセンスよく融合させるという、言ってみればBeck的なセンスを持ち合わせたミュージシャンというのはインドでは本当に稀有。
いったいどうやってジャールカンドでこのセンスが育まれたのだろう。

Tre EssとThe Mellow Turtle.
ジャールカンドが生んだ突然変異。
ラーンチーにはいったいどんなシーンがあるのか。
彼らの音楽的センスはどのように育まれたのか。
二人にメッセージを送って確かめてみたいと思います。
返事がもらえるといいなあ。 


追記:
The Mellow TurtleとTre Essのコラボレーションで最も気に入っているのがここで聴けるアルバム「Blues off the Ashtray」からの楽曲。
https://soundcloud.com/nrtya/sets/tre-ess-x-the-mellow-turtle
以前聞いて「おおっ!」と思ったものの記事を書いているときに見つけられなかったのだけど、再び発見したので改めて載せておきます。
ブルースとヒップホップ、黒人音楽の始まりと現在地がまさかインドで違和感なく融合するとは。 

goshimasayama18 at 00:19|PermalinkComments(0)

2018年06月11日

インドのヒップホップの「新宗教」って何だ?Tre Ess!

こないだRolling Stone Indiaのウェブサイトを開いたら、いきなり日本語で書かれた「新宗教」っていう文字が目に入ってきてびっくりした。

いったい何事かと思ってみたら、数々の才能あるアーティストが所属するムンバイのレーベル、NRTYAに所属するラッパー/トラックメイカーのTre Essによる新曲「New Religion」を紹介する記事だった。
この曲は、Tre Essがムンバイ、コルカタ、ニューヨークのラッパーと共演した、総勢8名によるマルチリンガル・ラップだ(なぜジャケットに漢字が使われているのかは全くもって不明)。



小慣れた英語のフロウもはまってるし、ところどころにインドの要素を入れつつ最後はギターも入ってヘヴィーロック的な展開を見せるディープなトラックもかっこいい!

マイクリレーの順番は、
Cizzy(コルカタ、ベンガル語)
Tienas(ムンバイ、英語)
Kav E(ムンバイ、英語)
Tre Ess( ラーンチー、英語)
Gravity( ムンバイ、ヒンディー語)
Jay Kila(ニューヨークのインド系ラッパー、英語)
Nihal Shatty and the Accountant(ムンバイ、英語)
最後にまたTre Ess、と続く。

Gravityのパートでヒンディー語になったところで、タブラの音が入ってサウンドもインドっぽくなるところなんかもなかなか小粋にできている。
ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教、仏教など多くの宗教を抱えるインドで「新宗教」とはどういうことかと思ったが、その真意はリリックからははっきりしない。
リリックの内容は、英語のパートを見る限りだと不穏で暴力的な都市での生活を語ったもののようで、宗教っぽい部分といえば、TienasとTre Essのパートで"I'm a god"というフレーズが使われているくらいか。
推測するに、「神に祈っても救われないこの世の中で、ヒップホップの価値観こそが俺たちの新しい宗教なのさ」といったところだろうか。

そういえば、キリスト教が盛んなインド北東部のデスメタルバンド、Third Sovereignも、彼らの音楽にブラックメタルのような反キリスト教的な要素があるのかという質問に対して、「俺たちは、反宗教というより、宗教同士、コミュニティー同士の対立にうんざりしているんだ。ヘヴィーメタルはそれ自身がひとつの宗教みたいな感じだ。違いや対立にこだわるんじゃなくて、音楽は個人のバックグラウンドに関係なく夢中になることができる。ブラックメタルのアーティストは宗教の垣根を越えた表現として音楽を演奏しているんだ」と語っていた。
この曲についても、ジャンルは違えど同じような意味合いがあるのかもしれない。

さて、もう1つこの曲でびっくりしたのは、この流暢な英語ラップと完成度の高いトラックを披露しているTre Essが、ムンバイやデリーのような大都市ではなく、ジャールカンド州のラーンチーの出身だということ。
ジャールカンドといってもピンと来ない人が多いと思うが、地理的には下の地図の赤い部分にあたり、コルカタがあるウエスト・ベンガル州の西、仏教の聖地ブッダガヤがあるビハール州の南、タージマハルで有名なアーグラーやヒンドゥーの聖地ヴァラナシがあるウッタル・プラデーシュ州の南東に位置している。
ジャールカンドは2000年にビハール州から独立して生まれた新しい州で、先に述べた周辺の州と比べると、これといった大都市や観光地があるわけではないため、インドに行ったことがある人でも、訪れたことがある人はあまりいないのではないかと思う。

ジャールカンド
で、なぜそのジャールカンド州出身だとそんなにびっくりするのかというと、ジャールカンドはインドに33ある州と連邦直轄領のうち、住民一人当たりGDPが下から5番目の、極めて貧しい州だからということに尽きる(ジャールカンドのGDPは2015-16年のデータでUS$960)。
隣接するビハール州が住民一人当たりGDPのワースト1(US$520)、ウッタル・プラデーシュ州がワースト2(US$740)で、このあたりは人口こそ多いものの、インド主要部の中でもとくに貧しく後進的な地域とされている。(人口に関していうと、この3州は合計で約3.5億人を擁し、インド全体の3割弱を占める地域ではある)
首都デリーの一人当たり年間GDPはUS$4,500だから、その格差の程がお分かり頂けると思う。

また、ジャールカンドは人口の3割ほどを「指定部族」が占める。
指定部族とは、ヒンドゥーやイスラムとは異なる伝統を持ち、歴史的に被差別的な立場を強いられてきた人々であり、ビハール州からの独立にも、そうした背景が関係していると聞く。

先日のレゲエ活動家Taru Dalmiaの記事でも書いた通り、英語のラップはインドの一般大衆からすると、まだまだエリート・ミュージックという印象を持たれるジャンル。
失礼ながら、こんな後進的なイメージの州から、ここまで洗練されたヒップホップ(歌詞はリアルなストリートライフだとしても)が出てきたら、そりゃあ驚くってものでしょう。
ちなみに以前行った「全インド州別ヘヴィーメタル状況調査」でも、ジャールカンドにはメタルバンドは一組も存在していないという結果が出ている。おそらくは貧困や保守性を原因として、ラップだけでなく現代的な西洋音楽全般が普及していない様子が伺える。

そんなジャールカンド出身のTre Ess、「New Religion」だけが他のミュージシャンの助けもあって奇跡的な出来なのかと思ったら、そんなことは全然なく、他の曲もやはり驚愕の出来。

Tre Ess "Bycicle Thieves"(ft. Gravity) 

こちらもムンバイのGravityとの共演だが、ジャジーで夜の空気感を感じさせるトラックのクールさといったら!

Tre Ess "Through the Window"

こちらも生演奏の不穏な感じのトラック(インドのヒップホップにありがちな、アゲる方向に持っていかないところが逆に重い!)に、ジャールカンドの荒んだ暮らしが綴られている。
リリックはYoutubeから見ると確認できるんだけど、

Everybody and their momma is a rebel in Jharkhand
  誰もが、母親でさえもがジャールカンドでは反逆者
Several consequences / For your lil princess, born in war trenches 
  戦場みたいな所で生まれたあんたの娘の成り行きさ

というラインから始まって、

Your worst nightmare is cuter than my dreams お前の最悪の悪夢も俺の夢よりずっとマシさ
Don't ever fuck with boys from RNC! ラーンチーの男達を怒らせるんじゃないぜ
I Told you, Don't fuck with boys from RNC! 言っただろ、ラーンチーの男達を怒らせるな
I could show you 14 years old killers from the local basti! 地元のスラムじゃ14歳の殺し屋だっているんだ

と終わる(bastiはヒンディー語で貧しい人々が住む過密地域という意味らしい)。

…少し話がそれるが、アタクシがインドの最近の音楽を熱心に聴き始めた最初のきっかけは、ヒップホップだった。
インドの特定のアーティストという意味ではない。
これだけインターネットが発達して、簡単な機材とスマホでもあれば、誰もが自分の表現を世の中に訴えることができる時代。
様々な差別や貧富の差、不条理で非合理なことに満ちているインドにこそ、ラップという形でリアルな自己表現をするアーティストが必ずいるんじゃないかと思って、いろんな音楽を掘り始めた。
その後、いろんな意味で面白い音楽にたくさん出会えたということはこのブログでいつも書いている通り。
そのなかでも、これは久しぶりのめっけもの感がある。

Tre Ess レペゼン・ジャールカンド。
このサウンド、このリリック。
これは本物かもしれない。

ウェブ上の記事によると、Tre Essはお気に入りとして、Vince Staplesのようなラッパーに加え、フューチャー・ソウルのHiatus Kaiyoteや、ジャズ/ファンク寄りのSnarky Puppy、ダブ・ステップ的シンガーソングライターのJames Blakeなど、ジャンルにこだわらない(というかジャンル分けが非常にしづらい)アーティストを挙げており、やはりジャールカンドらしからぬセンスを感じる。

あ、ちなみにTre Essの名前の由来は、本名の頭文字が全てSから始まるというころで、アメリカのプロレス団体WWEのTriple Hにあやかってつけたものだそうだ。
これもまた「インド人WWE好き説」を裏付けるエピソードのひとつと言えそうだ。

そしてジャールカンド州ラーンチー出身の驚くべき才能はこのTre Ess だけじゃない!
その話はまた改めて! 


goshimasayama18 at 21:41|PermalinkComments(0)