インド神話

2019年01月01日

解題 新作落語「ガネーシャ」

改めまして、新年あけましておめでとうございます。
ちょうど1年ほど前、何をトチ狂ったか、インド神話を落語にしてみよう!という訳のわからないアイデアが降って湧いてきて、この「ガネーシャ」を一気に書き上げました。
新作落語「ガネーシャ」へのリンクはこちら

書いてはみたものの、いつもインドのロックだのヒップホップだのと書いているのに急に「新作落語」っていうのもちょっと唐突すぎるよなあ、というあたり前すぎることに気づいたのですが、やはりせっかく考えたものを出さずにいるというのは宿便のような快からぬ感覚があり、「正月に出すんならいいか」というわけのわからぬ理由にかこつけて、1年近くのお蔵入り期間を経てようやくアップしてみた次第です。

落語の筋書きとしても実に拙く、また神話の紹介としても不出来なことこの上ない(この下ないと言うべきか)この「ガネーシャ」ですが、恥ずかしながら出来の悪い子ほど可愛いというような気持ちでいるのもまた確かでして、蛇足どころかムカデにさらに足を加えるような無粋の極みではございますが、噺のはしばしに出てくるインド特有の事柄について、少しばかし解説をしたためましたので、ぜひこちらもお読みいただけましたら幸いでございます。
読んだけどつまらなかった、という方については、別に解説を読んだところで笑えてくるものでもないんですけど、お時間がございましたらどうかお読みください。


七福神:めでたい七福神のうちインド由来の神様は3人。
 大黒天は「マハーカーラ」というシヴァの別名が元になっている。
 この噺でも分かる通りシヴァはけっこうワイルドな神様だけど、大黒天になると福の神ってことになる。
  毘沙門天は「クベーラ」という今のインドではマイナーな神様が原型。
 「クベーラ」は富と財宝の神だったが、これは逆に毘沙門天になると武神になるのが面白い。
  弁財天のルーツは学問と芸術の神「サラスヴァティー」で、インドでも今も広く信仰されている。
  サラスヴァティーが持っているのは、琵琶の原型になったヴィーナというインドの楽器。
 Sarasvati
(画像出展:Wikipedia)

インドの神様の数:日本よりさらにスケールが大きくて、八百万どころか3,300万の神様がいることになっています。もちろん、本当にそんなにいるわけではなくて、「とにかくたくさんいる」ということの比喩表現なんでしょうけど、「ひょっとしたら本当にそれくらいいるかも」と思わせる何かがあります、インドには。

印度・天竺:落語の舞台となった江戸時代後期のインドは、地域にもよるけどイスラーム王朝のムガル帝国かイギリス統治時代だった。日本における天竺のイメージは仏教の故郷だが、当時仏教はすでにインドでは衰退して久しく、現代同様、大多数がヒンドゥー教を信仰していた。
ちなみにインドの仏教王朝といえば11世紀ごろまで栄えていたガンダーラ王朝が有名だが、ガンダーラの所在地は、現在のインド領の北西にあたるパキスタンやアフガニスタンのあたりだ。

クリシュナ:マハーバーラタに登場する英雄神。プレイボーイのイケメンで笛を持った姿で描かれる(確かに牛若丸的要素が強い)。その後、ヴィシュヌ神の化身の一つという扱いになり、現在もインド各地で高い人気を誇る。
Krishna
(画像出展:Wikipedia) 

サラスヴァティー:上記の「七福神」の欄を参照。

シヴァ:破壊と再生を司る神。ナタラージャと呼ばれる踊りの神でもある。

パールヴァティー:シヴァの妻の女神。金色の肌の美人とされる。
ShivaAndParvati
パールヴァティーとシヴァ。三又の鉾があり、首のコブラ、第三の目、ロングヘアーなどの特徴が伺える。頭部には女神ガンガーがガンジス河を口から吹いているのが分かる。手前にあるシヴァのシンボルのリンガ(男根)はインドの寺院でよく見かけられる。
インドの神様についてはまともに説明するとめちゃくちゃ長くなり、またそこまでの知識もないので各自調べて見てください。

ホーリー:春の訪れを祝って色のついた粉や水をぶっかけあう祭り。最近では都市部で音楽フェス化したイベントも見られる。

バラタナティヤム:インドで最古の伝統をもつと言われている南インドの舞踊。

芝浜:芝の魚屋を主人公にした落語。酒好きで借金まみれの主人公が改心して働く人情噺。「また夢になるといけねえ」は、使用人を雇うほどになり借金も返済した大晦日の夜、妻にひさしぶりの酒を勧められたあとに呟く有名なセリフ。
昨年末に見た蜃気楼龍玉師匠のが良かった。

サードゥー:ヒンドゥーの修行者。家と俗世を捨て、最低限のものだけを持って(ほとんど裸の人も!)ほどこしを受けながら放浪して修行する。
悟ったような人も俗物もいて、尊敬されていたり軽蔑されていたりする。
サドゥー


パールヴァティーが怒ったら:パールヴァティーは優しい女神とされているが、別神格としてライオンにまたがり10本の手に武器をの手にした女神ドゥルガー、殺戮を好む戦いの女神カーリーの姿をとることもある。
カーリーは色黒で生首でできたネックレスをし、切り落とした悪鬼アスラの首を手に夫シヴァを踏みつけている姿で描かれる。
カーリー


元犬:人間になった犬が主人公の落語。当代だと隅田川馬石師匠のがかわいくて面白い。

粗忽長屋:行き倒れを見つけた粗忽者が、「同じ長屋の兄弟分に違いない、死んだことを本人に伝えないと」とわけのわからないことを言い出し、言われた本人も信じてしまうシュールでぶっとんだ落語。
当代だと桃月庵白酒師匠のが爆笑。

例に挙げた落語家が偶然だけど全員五街道雲助一門になってしまいました。
次回からはまたいつものブログに戻ります! 


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goshimasayama18 at 22:01|PermalinkComments(0)

お正月記念! 新作落語「ガネーシャ」

新年早々大勢のお運び、ありがたく御礼申し上げます。
どうか一席、お付き合いください。
アタクシなんかの若い頃はと申しますと、自分探しなんて言って海外に放浪の旅に出るような連中が大勢ございました。
タイだのインドだのに貧乏旅行しに行って、髭剃り持って行きゃいいのに無精髭生やしたりして、汚い格好して安宿に泊まって、道ばたで売ってるもの食って腹こわしたりなんかして、何しに旅行に行ってんだかまるで訳が分からない連中でございます。
そんでもって帰ってきて「人生観が変わった」なんて言ったりするんですけど、たいていの連中は2、3ヶ月もするとそんなこと忘れてバイトだ合コンだってまた夢中になるわけですな。
ところがたまにずっとこじらせてる奴がいたりなんかしまして、そういうのが私みたいにこういうブログをやっていたりするわけでございます。

正月ってんで初詣なんかに行かれた方も多いと思うんですが、ここ日本は八百万の神の国なんて申しまして、もういろいろなところに神社仏閣ってものがあるんですなあ。
でもその八百万の神々っていうのがみんな日本の神様かっていうと、そういうわけでもないんですね。
例えば七福神ってえのがございますが、この中で日本生まれの神様というのは恵比寿さまだけなんだそうでございます。
福禄寿とか寿老人っていうのはもともと中国の道教の神様で、大黒天や毘沙門天、弁財天っていうのは遠くインドからやってきた神様なんだそうでございます。

バンドでギター弾いてる甥っ子がいるんですけども、昨日その甥っ子が、
「おじさん、俺、ギターがうまくなるように、初詣で七福神の神様にお祈りしてきたんだよ」って言うんです。
「ギターの上達ってえことは、やっぱり芸能の神様の、琵琶持ってる弁天様にお詣りしてきたのかい?」って聞いたら、
「違うよ。琵琶じゃなくてギターなんだから、弁天様じゃなくて布袋だよ」
なんて言ってました。

ギターだけに、布袋。
ちょっと古いですかね。
 
…分かってない方が半分くらいいるみたいですけど、続けますね。
先ほど毘沙門天や弁財天っていうのはもともとインドの神様だって話をしましたけれども、インドってえ国も八百万と申しますか、大勢の神様がいる国でございます。
おなじみの長屋の住人がそんなインドに旅行に行って、向こうの寺院を詣でていろんな神様を見て帰ってきたなんていいますと、噺のほうの幕開けでございます。

「こんちわーご隠居」
「おお、八つぁんか。よく来てくれた。久しぶりだね。しばらく見なかったけど、どこか行っていたのかい」
「ええ、ちょっと印度のほうに出かけてやして」
「印度ってえと、天竺か。それはまたずいぶん遠くまで出かけてたんだね」
「ええ、それで、今日はご隠居に印度の土産を持ってきたんすけどね」
「おお、それはどうもありがとう。茶でも入れるから、まあお上がりなさい。
それでいったい何を買ってきてくれたんだい」
「いやね、印度といったらお釈迦様の古里なわけですからね、なんかありがたいご利益があるもんでも買ってこようと思ったんですよ」
「お前にしては気が効くじゃないか」
「印度のお寺の門前に行くってえと、ずらーっと土産物屋が並んでて、いろんな神様仏様の絵やら像やらが売られてたんですけどね、いやあ、印度ってのはずいぶんいろんな神様がいるんですねえ。牛若丸みたいに笛吹いてるやつだとか、弁天様みたいに琵琶持ってるやつだとか」
「それはクリシュナにサラスヴァティのことだな。それで、お前はいったい何を買ってきてくれたんだい?」
「いやね、せっかくだから、ご隠居をびっくりさせようと思って、そのいろいろある神様の像の中で、いちばんおかしな格好したやつを買ってきたんですよ」
「ほう、なんだい」
「見て驚かないでくださいよ、ほら、これ。
ね、すごいでしょ、手が4本生えてて、こーんな太鼓腹で、顔はってえと、こーんなに大きくて、そんで鼻がこーんなに長い、象の顔がついた神様の絵」
「ほーう。これはこれはいいものを買ってきてくれたな」
「ところでご隠居、この変てこな神様、いったいなんなんですかね」
「自分が持ってきた土産のことを渡す相手に聞くやつがいるか。まあいい、せっかくだから聞かせてやろう。この神様はガネーシャといってだな、シヴァ神の息子だ」
「千葉真一の息子ってえと、新田真剣佑、ですか」
「何を言っておるのだ。千葉真一じゃなくて、シヴァ神だ。シヴァっていうのは、印度の破壊と創造の神様だよ」
「へえ、それでその騒々しい神様の息子の頭がどういうわけで象になってるんです」
「まあ少し長い話になるが聞きなさい。シヴァにはパールヴァティーというおかみさんがいた。神様というのもなかなか大変なもので、このシヴァ、おのれの力を高めるために、三七、21年の修行に出ることとした」
「21年!そんなに出かけてたらおかみさんがおばあさんになっちゃいますよ」
「神様にしてみたら、それくらいの時間は大したことじゃないんだよ」
「へえ、ウルトラマンも40000歳だっていいますからね」
「柳家喬太郎の新作落語みたいなことを言っていないで、黙って聞きなさい」

(以下、シヴァ家の物語。地の文はご隠居の語り)
「おーい、パールヴァティ、パールヴァティや、いないのか。パールヴァティやーい。うちの女房、名前が長くっていけねえや。おーい、パー子。パー子やーい」
「あたしならここにいますよ。何だいおまえさん、ひとのことパー子パー子って。うちは林家だってのかい?おまえさんが私のことパー子って呼ぶんなら、私はおまえさんのこと「ぺー」って呼びますよ」
「よしてくれよ。ホーリーじゃあるまいし、ピンク色の服なんか着ちゃいないんだから。それよりな、俺、ちょっくらアメリカまで修行に行ってくることにしたから、留守はよろしくたのむ」
「修行ってまた唐突だねえ。いったいなんの修行なの」
「踊りの稽古」
シヴァってえのは踊りの神様でもあるからな。
「踊りの稽古って、デカン高原の師匠んとこじゃ駄目なのかい」
「師匠んとこじゃバラタナティヤムしか教えてくれねえからよ。そんなんじゃ最近の若い連中は誰も俺のこと信心してくれないんだよ。見たかい、最近の若い連中ときたら映画なんかでも洋風の踊りばっかり踊りやがって。そんなわけでちょっくらニューヨークまでヒップホップ習いに行ってくらあ。そんじゃ」
ってんでシヴァ、飛び出して行ってしまった。
「まったく、あの人ったらいっつも唐突なんだから」

さて一人で留守番をすることになったパールヴァティ、何をするにも一人じゃあ手が足りないし話し相手もいない。女の一人暮らしは物騒だってんで、風呂に入ったときに自分の体から出た垢で子どもをこしらえることにした。
垢から子どもを作るっていうのは変に聞こえるかもしれないが、パールヴァティはシヴァのおかみさん。女神様だからそんなことは朝飯前だ。
自分の垢をこねてこねて、かわいい男の子赤ん坊を作り出した。
八つぁん「これが本当の垢ちゃんってやつですね」
余計なことは言わなくてよい。
「まあ、かわいい男の子。名前は何にしようかしら。そうだ、ガネーシャがいいわね。ガネ坊、これからあんたのことガネ坊って呼ぶわよ」
「ぼくのこと作ってくれてありがとう、おっかさん」
さすが神様の子ども、生まれてすぐに口を聞いた。

八つぁん「ガネーシャ様ってえのは、生まれた時は象の頭じゃなかったんですかい?」
そうだ。かわいい男の子だった。
このガネ坊、シヴァがいない間にどんどん大きくなっていった。
さすがは神様の子どもだ。たいそう賢く育っていった。
それから大きくなるってえと、若いうちから商売の才覚もあったようで、ずいぶんな人気者になった。
ただ、甘いもの好きなのだけが欠点で、たいそう腹の出た若者に育っていったんじゃ。

そうこうしているうちに三七21年が経って、シヴァがニューヨークから帰ってきた。すっかり本場のダンサー気取りで、髪はコーンロウに編み込んで、アディダスのジャージにぶっとい金のネックレス。馬鹿でかいラジカセをかついで帰ってきたんだ。

八つぁん:「ずいぶん古いタイプのヒップホップですね」
なにしろずいぶん昔の神話だからな。
シヴァが久しぶりに自分の家に帰ってきたってえと、
「ただいまー。おーい、帰ったぞー。ただいまー」
家の前にいたのはあのガネ坊だ。
「どなたですか」
「どなたですかってことがあるかい。ここは俺んちだ。誰だおめえは。」
「俺んちって言ったっておじさん。ここはおいらとおっかさんが二人で住んでる家だ。おじさんみたいないい年こいたラッパーかぶれが来るとこじゃないよ」
「何をぬかしやがる、恵比寿様みたいな腹しやがってこん畜生」
「だいたいおじさん、そんなサイズの合わないジャージ着て、そんな頭して、ラッパーじゃなくてラジカセ盗んできたサードゥー崩れの乞食だろう。なんもやらないよ」
「なんだとこの野郎。この髪型はコーンロウってんだ。だまってきいてりゃ言いたいこといいやがって。俺を誰だと思ってやがる。この家の主人のシヴァ様だぞ」
「おっかさんに聞いたけどシヴァさまってのはそんなだらしない格好してないよ。そんな安っぽいネックレスじゃなくて首にはコブラ巻いてて、頭っからガンジス河のみずがぴゅーって出てて、三つ又の鉾持ってるはずだよ」
「首のコブラはだな、ニューヨークじゃ流行らないからゴールドのチェーンに変えちまった。頭のガンジス河はアメリカに持ってっちまったらインドが干上がっちまうから、ヒマラヤのほうに置いてきた。三つ又の鉾はだな、空港でぶっそうだからって取り上げられちまったんだよ」
「そんな適当なこと言って、だまされないよ。おじさんはどう見たって偽物だよ。このラッパーかぶれの乞食野郎、とっとと失せろ!」

「この野郎、喧嘩売ってんのか」
「喧嘩売ったっておじさん買う金もないだろう。ほら、1ルピー恵んでやるから帰った帰った」
「この野郎、ぶっ殺されてえか」
「やれるものならやってみなよ。この乞食じじい」
「何を」
と言うが早いか、短気なシヴァ、刀を抜いてガネ坊の首を一刀のもとに切り落とした。

おい八つぁん、八つぁん。聞いてるのか。
あきれたね、人に話をさせておいて、欠伸なんかして。眠くなってきたんならちょいとそこに横になって構わないから、昼寝でもしたらどうだ。
八つぁん:「よそう。夢になっちゃいけねえ」
何を言っているんだ
八つぁん:「これがほんとのシヴァ浜」
またくだらないことを言って
八つぁん:「ふあー。それで、シヴァの野郎、ガネ坊の首ちょん切っちゃって、どうなったんですか」

(再びシヴァの物語)
「ただいまー。おーい。パールヴァティやーい」
「あらあなたお帰りなさい。ま!どうしたのそんな部屋着みたいな格好でサードゥーみたいな頭にして。ニューヨークでいけない薬でもやりすぎたのかい」
「これだから田舎者はいけねえや。向こうじゃこれが流行ってるんだよ」
「あんた、そこでガネ坊に合わなかったかい?」
「ガネ坊って、誰のことだ」
「あんたが出かけてからこさえたあたしの子どもだよ。賢くって評判なんだから」
「子どもっておめえ、誰とこさえたんだ」
「変なこと考えるんじゃないよ。あたしが自分の垢から作ったんだよ。あたしの子どもってことはあんたの子ども。あたしたち二人の子どもだよ」
「それで、ガネ坊ってのはどんな子どもなんだい」
「とっても賢くて、いろんなところに奉公に行かせたんだけど、商売の才能もとってもあるみたいなのよ。まるまる太ってとってもかわいいんだから。さっきまで家の前にいたはずだけど」
「…いけねえ!」
さあ、自分が叩っ切ったのが自分とパールヴァティの子どもと知ったシヴァは真っ青だ。パールヴァティはガネ坊を呼びに表に飛び出していった。
「ガネ坊、ガネ坊。おとっつぁんが帰ってきたわよー。(ガラガラガラ)
そこには首がちょん切れたガネ坊のかばねがある。
キャー!あんた、これ一体、どうなってるの、ガネ坊が、ガネ坊が!」
「パー子、すまねえ。本当にすまねえ。おいら、自分の子どもだなんて知らずに、妙なやつが家からでてきて『ここはお前の家じゃねえ』なんて言うから、知らねえで叩っ切っちまった」
「あんた一体どうしてくれるんだい。幸いまだ心臓は動いてるよ。なんでもいいから、はやく頭をくっつけて、ガネ坊を生き返らせておくれ」
「生き返らせてくれって言ったって、そりゃいくら何でも無理だよ」
「あんた、あたしの子どもをこんな風にして、私を怒らせたらどうなるか分かってるのかい?またいつぞやみたいに踏んづけてやる!」
「分かった分かった。どうにかするから。えーと、えーと。そうだ、通りがかったやつの頭をちょん切って、ガネ坊の体にくっつければいいんだ。
…って言ったって、そのへん歩いてるカタギの首ちょん切ったら俺がお縄だしなあ。ぶっ殺しても良さそうな墨入ったヤクザもんなんてそうそう歩いてないし、ガネ坊の顔がヤクザもんになっちまっても困るしなあ。
あ、犬が来た!犬の首切ってくっつけようか。あーでも犬の脳みそじゃさすがにまずいよなあ。元犬みたいになっちまう。
あ、向こうから来たのは象だ!象なら賢いし、愛嬌もあるし、いいんじゃねえか。
よし、ちょうどこっちに来た。御免!」
ってえと、バサッと象の首を一刀の元に切り落とした。
さあシヴァ、切り落とした象の首をえいやっと持ち上げると、まだ暖かいガネ坊の体にくっつけた。
「えいっ…!生き返れ!そらっ…!」
するとさすがは神様。シヴァの祈りが通じて、象の頭になっちまったガネ坊が目を開けたんだよ。
「あれ?ここは?うーん…
あ!乞食のおじさん!人の首、切りやがったな!」
「すまねえガネ坊、許しておくれ。俺はお前のおとっつぁんだよ。修行に出かけててお前が生まれたことなんてさっぱり知らなかった。お前の首は切り落としちまったけど、立派な象の頭をつけておいてやったから」
「まだふざけたこと言ってやがる」
「本当だよガネ坊。この人はあんたのおとっつぁん。ちょっとおかしなところもあるけど、正真正銘のシヴァさまだよ」

というわけで、見事息を吹き返したガネーシャ。頭は象の形になったものの、今まで通り秀才で商売の才能もあり、今でも学問と商売の神様として崇められているってえ話だ。
これがお前が買ってきてくれたガネーシャの神話ってわけだ。

「でもご隠居、それちょっとおかしくないですか?
シヴァはガネーシャの体に、象の頭をくっつけたんですよねえ?」
「そうだ。」
「そしたら、脳みそはガネーシャじゃなくて象なんだから、神様なのは体だけで、考えてることは象ってことになるんじゃないですかねえ」
「そんなこと言ってもしょうがないだろう。こういう神話なんだから」
「だっておかしいじゃないですか。普通、首と胴体がちょん切られたらですよ、誰だって首のほうが大事だと思うでしょう。将門公だって、切られた首が恨めしやーって飛んでったってんですから。首切られて胴体のほうに心が残ってるなんて話、聞いたことがない」
「まあそれはそうだが、これは印度のお話だから日本とはちょっと違うんだろう」
「まだそのへんに人間のガネーシャの首と、象の体が転がってるわけですよねえ。あっしが思うに、シヴァの野郎、せっかくだから人間の首と象の体もくっつけたんじゃないですかねえ。
 そんで、ガネ坊のやつ、『あれ?何だ?体が象になってる。向こうにいるのは象の頭で、体はおいらだ。入れ替わってる!しかもあいつの方がガネーシャってことは、俺はいったい誰なんだろう?』って、『君の名は』か『粗忽長屋』みたいなことになっちまったんじゃないですかねえ」
「なに馬鹿なことを言っているのだ」
「そんでこう言ったんじゃないですかね。いくら頭がもとのままでも、体が象じゃあ、しょうがねえしゃ」
「くだらないことを言うでない。でもお土産買ってきてくれてありがとうよ。ガネーシャさまは新しいことを始めるときにお祈りをするとご利益があると言われている。一年の始まりにはぴったりじゃ」
「へえ、そいつは良かった。それにしてもご隠居、よくこんな日本じゃあ見たこともないような神様のこと知ってますね」
「それがそうでもない。このガネーシャはここ日本でも祀られておる」
「へえ!そうなんですか?それは知りませんでした」
「浅草に、待乳山聖天さまというお寺があるだろう。あのお寺に祀られている聖天さまというのは、インドから伝わってきたこのガネーシャのことなんじゃよ。もっとも、ここ日本では、ヒンドゥー教ではなく仏教の神様ということになっているがな」
「さすがご隠居、なんでも知っているんですね。でも、遠く離れたここ日本でもお祀りされてるって聞いたら、インドのガネーシャさまもうれしいでしょうね」
「そうだな。ガネーシャも鼻が高いだろうな」
「それは違いますご隠居。ガネーシャは鼻が高いんじゃなくて、鼻が長いんでさ」

聖天


(ガネーシャの象頭の由来の神話は諸説あり、その中の一つをもとに適当に創作したものです。悪しからず。解説はこちら)




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goshimasayama18 at 16:00|PermalinkComments(0)

2018年01月20日

「バーフバリ」の何に驚いたかっていうと…


なにかと話題になっているバーフバリ2部作の完結編「王の凱旋」。

上映館もだいぶ少なくなってきたようではあるけど、まずは前編の「伝説誕生」で「おおっ!」と思った話をひとつ。

 

この映画、そもそも日本ではマイナーなテルグー語映画だっていうこととか、ハリウッドばりのVFXとか戦闘シーンとか、長すぎる回想シーンとか、気になるポイントはたくさんあって、いろいろ書きたいところなんだけど、個人的にいちばんびっくりしたのは主人公シヴドゥがヒロインのアヴァンティカに一目惚れしてアプローチをかけるこのシーン。

 

川べりに横になり、戦いで傷ついた手を清流の水にひたす女戦士アヴァンティカ。その傷を癒すかのように美しい小魚たちが寄ってくる。そこにシヴドゥが水の中をにやにやしながら泳いでやって来る。シヴドゥは魚たちに混じって、ペンでアヴァンティカの手に美しい模様を描く。アヴァンティカは自分の手に水中で模様を描かれたことをまったく気づかない。

その夜、アヴァンティカは自らが属する軍のアジトで王妃救出作戦に立候補。しかし、彼女の手の美しい模様を見たリーダーは、そんな色気づいてる奴には任せられんとこれを却下する。

ここで初めて模様に気がついたアヴァンティカ。誰だ、こんな余計なことした奴は。やった奴、ぶっ殺す。翌日、アヴァンティカは木の上から件の川に向かって弓矢を構えて不届き者が現れるのを待つ。すると、またしても彼女の背後に全く気づかれずに回り込んだシヴドゥは、竹筒からきれいな色の小さなヘビを出して彼女の腕につたわせる。ヘビは腕から弓をつたって矢にからみつき、首をもたげてアヴァンティカをじっと見つめる。ヘビに気を取られるアヴァンティカ。その隙にシヴドゥはまたしても気づかれぬように彼女の肩に美しい模様を描くのだった…。

我に返ったアヴァンティカは振り返るが、そこにはもうシヴドゥはいない。肩の模様に気がついたアヴァンティカは、描いたものに対する怒りを新たにするのだった…。

 

…何ですかこれ?どうゆうことですか?ちょっと分からなかったんですけど。

手とか肩に絵描かれて気づかないなんてことあるかよ。

水の中で描けるインクはどんな素材なのか。あとあのかわいいヘビ、いつの間に言うこと聞くように仕込んだんだ。

…といった無粋な突っ込みは止めにしよう。

 

だってこれ、神話的表現ってやつなんでしょう。

大昔から伝わる神話だから、こういうありえないようなエピソードも入っているんでしょう。

 

と思ってたら、違った。

この「バーフバリ」は「インドに昔から伝わる伝説の映画化」ではなくて、神話風の世界を舞台にした、言ってみれば「新作の神話」。

つまり、この場面も昔話みたいなやつの映像化ってわけじゃなくて、現代の監督やスタッフが考えて撮ったシーンだった…。

「果敢な女戦士に気づかれないように愛の表現を伝える一枚上手の主人公と、それに反発するヒロイン」っていうシーンを表したいんだったら、いろんな方法があると思う。

でも、これだけ最新のVFXを駆使した映像を撮る洗練されたスタッフたちが、これがベストって考えて、撮ったってことでしょう。

これはいったいどういうことなのか。

 この映画、当然ながら、決してキワモノ的人気を博したわけではなくて、正真正銘のインドの大ヒット映画。

南インド映画にしては珍しく北インドを含めたインド全域でヒットしたって話だし、海外でも非常に良好な興行成績だったと聞く。

ということは、ITやら医者やらで活躍している在外インテリインド人たちも含めて、あらゆる地域、階層のインド人にとって、このシーン違和感なく受け入れられたということ。


きっとインド文化の中で生まれ育たないと分からない、DNAレベルでの詩的かつ神話的な何かが、このシーンにはあるような気がする。

どれだけIT産業が発展しても、どれだけ在外インド人たちが国際的に活躍しても、遺伝子に組み込まれた神話的なセンス。

次回は、そんな神話感がどうしようもなく迸っている音楽の話を書こうと思います。

それでは!



goshimasayama18 at 23:55|PermalinkComments(0)