インドのオールディーズ

2018年12月10日

まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!

4回連続となったインドの楽園、ゴアの音楽シーンを紹介するこの企画も今回で最終回!
欧米のヒッピーたちの聖地として栄えたゴアの音楽シーンは、トランスブームの終焉とドラッグ取り締まりの強化によって衰退するかに見えたが、経済成長を続けるインドの人々の音楽フェスの街として、往時を上回る盛り上がりを見せるようになった、というのが前回までのお話。

これまで紹介してきたゴアのシーンで鳴らされていたのは、いつもトランスにEDMにロックにレゲエという、欧米から来た流行の音楽だった。
それは欧米人からインド人の手に音楽を取り戻した今日でも変わらないし、そもそもゴアのフェスのオーガナイザーだって、地元ではなくムンバイやデリーやバンガロールの人たちだ。
そう、ゴアのシーンは、これまでずっと外部の人間によって作られてきたのだ。

それでは、そもそもゴアにはどんな音楽があったのだろうか。
インドの音楽に興味がある人ならば、インドには北のヒンドゥスターニー、南のカルナーティックという二大古典音楽があり、大衆音楽としては映画音楽が長く人気を博してきたことをご存知だろう。
だが、1961年までの長きにわたりポルトガルの支配下にあったゴアは、そうした文化や伝統とは異なる歴史を歩んできた。
カウンターカルチャーやポップカルチャーのメッカとして有名なゴアだが、そのローカル音楽に関しては、あたかもドーナツの中心の空洞のように、杳として未知のままなのだ。

そんなゴアのローカル音楽を教えてくれたのは、日本の音楽文化に造詣の深いインドの友人だった。
そして、初めて聴いたゴアのローカル音楽は、今までのゴアのイメージをぶち壊すに十分な、とんでもないインパクトのある代物だったのだ!

それではさっそく聴いていただきましょう。
ゴアン・ポップスの名シンガー、Jose Rodで、'Tarvoti'
 
個人が適当に作ったみたいな手作り感あふれるビデオはひとまず置いておくとして…。

なんと、聴いてお分りいただけた通り、これ思いっきり演歌!
大げさなイントロといい、安っぽいストリングスの使い方といい。サビでラテンっぽくなる以外、思いっきり演歌じゃないですか。

偶然この曲だけ演歌っぽいのを持ってきたんだろうと思う人もいるかもしれないが、このJose Rodさん、他の曲もびっくりするほど演歌だ。例えばこの曲'Govai'.
 
目を細めて情感を込めて歌うところも、チープなミュージックビデオも、まさしく演歌そのもの!
日本を遠く離れたインドに、それもインドの中でも独自の文化を誇るゴアに、こんなにも日本の心を感じる音楽があったということに、ただただ驚くほかない。
このJose Rodさんは、1938年生まれの超ベテランシンガー。
当然ながらこれらの音楽がゴアの最新のヒットチューンというわけではなく、まさに日本の演歌のように、懐かしのメロディーということになるのだが、それにしたってこれは演歌に似すぎている。

疑り深いあなたは、たまたまこのJose Rodさんが演歌っぽいシンガーなだけでしょう、と思っているかもしれないが、さにあらず。
他の歌手もまた、驚くべきサウンドを聴かせてくれている。
例えば1970年代に活躍していた女性シンガーのLorna Cordeiroさんの歌を聴いてみましょう。
 
もろにド演歌なイントロに続いて、今度は60年代の歌謡曲のような軽快なサウンドが出てきた!
サザエさんのエンディングテーマのみたいな軽快なフルートの音色と、ラテンっぽいアレンジにホーンセクション。
演歌とは別の方向に懐かしいサウンドは、またしても日本の心を感じさせる。

続いては、1966年のゴアでのヒット映画、'Nirmon'のテーマ曲'Claudia'という曲。
 
今度は、少しハワイアンっぽいというか南国風のアレンジだが、これまた60年代あたりの日本の歌謡曲を思わせる。

これらの音楽は、ゴア地方で話されている言語「コンカニ語」で歌われている。
コンカニ語のネイティブ・スピーカーは230万人程度で、ヒンディー語やタミル語のようなインドのメジャーな言語と比較すると、話者数はかなり少ない言語ということになる。
だが、いったいどうしてこのコンカニ語の楽曲が、演歌や日本の歌謡曲のようなサウンドを持つことになったのだろうか。

「インドと演歌」と聞いてまっさきに思いつくのはチャダ。

1970年代から活躍するチャダだが、彼はその見た目からも分かる通り、パンジャーブ系のシク教徒(出身はデリー)だ。
彼の演歌との出会いは来日してからだというし、彼の地元はゴアとはあまりに遠い。
ここではあまり関係がなさそうだ。

では、コンカニ・ポップスと演歌の共通点はどこにあるのだろうか。
思うに、その理由のひとつは、ゴアがポルトガル領であったことにあるのではないか。
インドのなかにあって、キリスト教の影響が強く、インド文化(ヒンドゥー文化、イスラーム文化)の影響が薄いのがゴアの特徴だ。

なぜかは分からないが
(インド)ー(インド文化)+(ヨーロッパ文化)=ほぼ演歌
という方程式が成り立つようなのだ。
これはもう本当に不思議というほかない。

そういえば、ポルトガルの大衆伝統音楽である「ファド」も、演歌と似ていると言われることの多い音楽だ。

要するに、ゴアの人々が、インド音楽ではなく、西洋音楽の伝統のもと、素朴な情感を湛えた音楽を作ったら、ファド以上に演歌によく似たものになってしまった、ということなのだろうか。

ゴアは港町。
港町といえば演歌にもよく登場する舞台だが、港町が持つ哀愁や、海の男たちの悲しみが、人種を超えた潜在意識にある演歌のスイッチを入れてしまうのかもしれない、と言ったらこじつけが過ぎるか。

コンカニ・ポップスに日本の心を感じてしまうもうひとつの秘密は、楽曲のアレンジにある。
さきほど紹介したコンカニ・ポップスに特徴的なのは、インドよりもむしろラテンやハワイアンを思わせるアレンジだ。
ラテンとハワイアンといえば、60年代の日本の歌謡曲でも流行した音楽である。
こうした日本の懐メロと共通するサウンドの傾向を持っていることも、コンカニ・ポップスに「日本の心」を感じてしまう一因であるように感じる。
あるいは、単にこの時代の世界的なトレンドだったのかもしれないが。

とはいえ、1960年代の他の国の音楽を聴いても、異国情緒こそ感じても、こんなにド演歌な、超ドメスティックな懐かしさを感じることはない。
日本から遠く離れたインドの、それもゴアという一地方にだけ、こんなにも演歌ライクな音楽があったということに、何か音楽の神様の悪戯のようなものを感じないでもない。
さっぱりわけのわからない悪戯だけれども。

今度ゴアに行ったら、最新の音楽が流れるクラブやフェスだけでなく、こんな懐かしいメロディーが流れる酒場にもふらりと立ち寄ってみたい。
(キリスト教文化の強いゴアはインドでは珍しく飲酒に寛容な土地柄だ)
そんなおっさんめいた感傷に浸らせてくれる、コンカニ・ポップス。
今回はゴアのまた知られざる一面を紹介してみました。
また行きたいなあ、ゴア。

今回の記事を書くにあたって、古いコンカニポップスの情報について、ムンバイ在住の友人に多大な協力をしてもらった。
彼は私とは反対に、日本の音楽シーンに興味を持っているインド人で、とくにPerfumeの大ファンでもある。
彼はツイッターの@prfmindiaのアカウントで、PerfumeやJ-Pop、日印の文化について発信している。
興味があったらぜひフォローしてみて!

それでは!

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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 02:02|PermalinkComments(0)