地域別音楽シーン事情(北東部以外)

2021年08月29日

あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)



mumbairappers



6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。


正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。

というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。


番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。


時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
今でも深刻な格差はまったく解消されていないが、それでもインドは国として、当時からは信じられないほどの発展を遂げた。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。


今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。

Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。

iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)

そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。

"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。


同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。

DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。

Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。

DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。

ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。

とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。

MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。

ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。



この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。

Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。





6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。

Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。

海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。

MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。


ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".

Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。




フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。


インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。



さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。

じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。

Naezy, Rakhis "Kasa Kai"


一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。

その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。


今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。

DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"


インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。


まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。 





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goshimasayama18 at 15:49|PermalinkComments(0)

2021年08月28日

8/28(土) としま未来文化財団「バングラデシュの詩とラップ」

昨日、としま未来文化財団さんによるイベント「バングラデシュの詩とラップ」で『タゴール・ソングス』の佐々木美佳監督とのトークイベントを行ってきました。

このコロナ禍と猛暑にもかかわらず、2回の映画上映会も、その合間に行われたトークイベントも全て満席!
正直、かなりニッチなテーマなので、お客さん集まるかなー、とちょっと心配だったのですが、多くの方にお越しいただき、ありがたい限りでした。

満席となってしまったため、そして何より、感染状況を考慮して、会場にお越しできなかった方々のために、当日紹介した曲をブログでもご案内したいと思います。
当日時間の都合で紹介できなかった曲を含めて大盤振る舞い!

一部、動画がブログ内で再生できない楽曲もあるので、その場合はリンク先のYouTubeでご覧ください。



最初に紹介したのは、『タゴール・ソングス』にも登場したダッカのラッパーNizam Rabby.
ダッカのストリートラッパーである彼は、映画の中でも語っていた通り、タゴールの詩に影響を受け、タゴールのように社会に影響を与えうる表現者になることを目指しているという。
このミュージックビデオは、ダッカのラッパーたちによるマイクリレーの中のNizamのパート。

"#BanglarBagh" Nizam Rabby

いかにもストリートラッパー然とした佇まいの彼は、フリースタイルを得意とするラッパーであると同時に、社会的、政治的かつ詩的な要素のあるリリックを書くアーティストでもある。
彼の新曲が、この"KKK"。


“KKK” Nizam Rabby
佐々木監督によると、この曲は汚職や政治を批判する内容とのこと。

ニューヨークのブロンクスでアメリカの黒人文化として生まれたラップ/ヒップホップは、世界中に広がり、抑圧された立場の人々が社会に対するメッセージを発する手段となった。
バングラデシュも例外ではなく、ラップは韻律のある詩の伝統とも結びつき、ローカルな魅力もたたえた新しい文化としての存在感を放っている。
 


"Gully Boy 1" Tabib Mahmud, Rana

バングラデシュのヒップホップにおいて特筆すべき点はその社会性で、 この曲では少年ラッパーの視点を通して、社会の矛盾を指摘している。
(タイトルの通り、この曲は2019年に公開された映画『ガリーボーイ』に大きな影響を受けている)

この少年ラッパーRana君は、田舎で働く父を残して、母と兄弟とともにダッカに上京し、ストリートで花を売って家計を助けているという。
学校は1年生までしか通っておらず、ヒップホップダンススクールでラップに出会ったそうだ。(『ガリーボーイ』の舞台となったダラヴィのように、貧しい子供たちにヒップホップを通して誇りを持ってもらうためのフリースクールがダッカにもあるのだろう)
そこでRanaはラッパーのMahmud Hasan Tabibに見出され、本格的にラップを習い始めた。
Tabibはダッカのストリートラッパーであると同時に、ダッカ大学でアラビア語専攻の学生であり、詩人でもあった。 
たった1日で、ほぼコンピューターとマイクとヘッドフォンだけで録音されたこの曲は、YouTubeで旋風を巻き起こし、Ranaに1,700ドルの収入をもたらしたという。

RanaとTabibのメッセージは1曲だけで完結するものではなかった。
彼らは次々と"Gully Boy"シリーズの楽曲をリリースしてゆく。



2作目では、ストリートには数多くのRanaと同じ境遇の子どもたちがいるということが語られ、自分の将来のためだけに教育を受ける裕福な若者たちが批判されている。
3作目では、国家予算のほんの一部でも子どもたちのために使うことができれば、状況は改善され、バングラデシュはさらなる豊かな国になるだろうということがラップされる。

あまりにも社会的で大真面目なリリックだが、前半で子どもの視点から現状の問題点が語られ、後半で大学生のTabibからその解決のための方法が説明されるという構成はよく考えられていて面白い。

Tabibはラップを教育に活かそうというビジョンがあるようで、子どもたちが世界の通貨を覚えるためのこんな曲もリリースしている。



"International Currency Rap Song" Tabib Mahmud

学研や進研ゼミの「歌で覚える掛け算九九」みたいなものなのか、最後に教材の宣伝が入るし、なんだか思わず笑ってしまいそうになるが、彼は大真面目だ。
ラップという手段を通して社会や教育をより良くしようという、これ以上なく健全なヒップホップの実践とも言えるだろう。


ここから先は都市別のラッパー紹介コーナー。
ダッカをレペゼンするJalali Setについては、イベントでは"Dhaka City"という曲を紹介したので、ここでは別の曲を紹介したい。

Sura Target "Jalali Set"
ベンガルの伝統音楽っぽい曲をサンプリングし、典型的なストリートラップのスタイルで聴かせるこの曲のYouTube動画には、ムンバイの「元祖ガリーボーイ」の一人DIVINEからも称賛のコメントが寄せられている。

"Bakruddho" Nawshin
(曲は0:30頃から)


(※会場で動画が紹介できなかったアーティストです)
こちらはダッカのフィメール・ラッパー。

バングラデシュでは女性のラッパーっぽいファッションはまだ一般的ではなく、伝統的な衣装で堂々とラップを披露する姿が印象的。
佐々木監督によると、リリックの内容は「バングラデシュで女性に生まれて、恥や困難を感じるのはなぜ」といったものだそうで、社会の保守性や家父長制に疑問を投げかけるもののようだ。
 
ヒップホップはギャング的な要素も含んだストリートカルチャーなので、マチズモ的、ミソジニー的な要素が批判されることもあるが(インドのパーティー的なヒップホップでもそういう批判がある)、一方で、女性の権利や人権を主張するための手段になっている一面もある。
この曲はそのバングラデシュ的な実践と言えるだろう。



続いて、ダッカ郊外のGazipurのラッパーたちによる曲。
 
"City Gazipur" EliN-3X-Manam-MX MK-YeaH Shah AAmin Ale
 
ダッカから30キロほどの場所にある、東京における八王子のような位置づけの街のようだが、ミュージックビデオが結構凝っている。
路地裏をラッパー仲間で練り歩く映像は、やはり映画『ガリーボーイ』の影響を感じさせられるものだ。


"CYPHER CTG"  Enu Syed x Anwar Hossain x Royal Mash x 5sta Kamrul x Phenol

こちらは南東部の都市チッタゴンのラッパーたちによる曲。
チッタゴンは世界中の老朽化した船舶が解体される「船の墓場」(子どもたちを含めた労働者が裸足で有害物質を扱う劣悪な環境が問題視される)やロヒンギャの難民キャンプで知られる港町。
また、チッタゴン語というベンガル語のなかでも個性の強い方言が話されており、少数民族が多く暮らしている地域でもある。
バングラデシュというと、社会問題や貧困ばかりが強調されがちだが、ミュージックビデオを通して、そこに暮らす若者たちのリアルな暮らしに触れることができるのもヒップホップの面白さのひとつだ。

続いては、北東部シレット地方にルーツを持つラッパーたちの曲。
シレットも独自の言語(方言)を持つ地域である。
この地方の出身者は、19世紀のイギリス統治時代から、 船乗りとして多くが海外に移住しており、今でもイギリスや北米に多くのシレット系住民が暮らしている。
また、インドのアッサム州にもシレット語を話す地域があり、この曲では、アメリカ、バングラデシュ、イギリス、インドの4か国のシレット系ラッパーの共演となっている。
 U. Sylhety Cypher C Let, B. Monk, Arin Dez, Mogze, Rhythmsta, Pollob Vai

シレットは海外からの送金もあり、地方都市にもかかわらず、バングラデシュの中でも裕福な街として知られている。
他の地方のラッパーたちが場末のストリートでミュージックビデオを撮影する中、シレットのラッパーは結構豊かな暮らしをしているようでもある。
この曲では、「ベンガル人」ではなく「シレット人」としてのアイデンティティが強調されている。
「ベンガル人をぶっ潰せ」みたいな過激なリリックも入っているそうだが、これは深刻な民族対立というよりはヒップホップ的なイキリのようなものだろう。


バングラデシュのヒップホップを語る上で、アメリカやイギリスに暮らすバングラデシュ系住民の存在は無視することができない。
彼らは、いち早くヒップホップに触れ、現地のコミュニティ向けに楽曲を発表するとともに、本国へヒップホップを紹介する役割をも果たした。
今では、アイデンティティを強調したディアスポラや母国のマーケット向けの楽曲ではなく、移住先のマジョリティ社会に向けた楽曲をリリースしているアーティストもいる。
このAnik Khanの"Man Down"はその典型と言えるだろう。

"Man Down" Anik Khan 

(こちらも本日紹介できなかった曲)
曲調としてはまったく南アジア的ではないし、歌詞の内容にもベンガル的な要素はなさそうだが、この曲ではダッカ生まれNYクイーンズ育ちのAnik Khanが、ロンドン出身のベンガリ・シンガーのNishとDJ LYANとの国境を超えたベンガル人によるコラボレーションが行われている。
(この曲については、先日『ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学 交渉するエスニシティと文化実践』〔青土社〕を出版した文化社会学者の栗田知宏さんに教えていただいた)

英語でラップする海外在住のラッパーでも、ベンガル人としてのアイデンティティを全面に打ち出した曲をリリースしている例もある。
 
"Culture" Sha Vlimpse
ニュージャージーを拠点に活動しているSha Vlimpseは、エミネムの影響を感じさせるフロウが印象的だが、リリックのテーマやミュージックビデオは、自身のルーツへのこだわりを感じさせるものになっている。
バングラデシュのルーツを強調するために、伝統的な表現方法ではなく英語のラップが使われるという文化的な「ねじれ」は、移民2世以降の世代たちのリアリティでもあるのだろう。
 
 
"Matha Ta Fatabo" Bhanga Bangla
Bhanga Banglaはニューヨークのバングラデシュ系ラップグループで、バングラデシュに初めてトラップ(ダークで不穏な雰囲気のビート)を紹介したアーティストとされている。
彼らは在外バングラデシュ系グループだが、バングラデシュ国内のマーケットを意識して楽曲を発表しているようで、結果的に母国に新しいサウンドを紹介する役割を担っていると言えそうだ。

ミュージックビデオは2041年のダッカが舞台で、武力による移民や外国人排斥が現実となったディストピア世界を描いている。
2041年でもカレーを食べていて、女性はサリーを着ているというところに、バングラデシュ人の世界観が感じられて面白い。
彼らにとって、服装や食文化は、海外への移住や数十年先の未来に容易に変わってしまうものでは決してないのだ。

もちろん、ベンガル語のラップはバングラデシュとバングラデシュ系移民だけのものではない。
ベンガル地方の西半分である、インドのウエストベンガル州にも数多くの個性的なラッパーが存在している。



"Middle Class Panchali" Cizzy

ジャジーで落ち着いたビートとラップはいかにもコルカタらしい伝統的なもの。
タイトルのPanchaliとはベンガルの伝統的な民話の表現形式だそうで、韻律などにベンガルの伝統的な要素が見られるとのこと。
ラップでは、バングラデシュはより政治的なテーマが好まれ、ウエストベンガルではより文学的なテーマが好まれる傾向が強いようだ。
こちらはコルカタのフィメール・ラッパー。
"Meye Na" Rialan

女性に対する暴力などの社会問題が軽視される現状を糾弾した曲。
曲のテーマはバングラデシュのフィメール・ラッパーNawshinと共通しているが、ファッション的にはウエストベンガルのほうがぐっと垢抜けているのが印象的。


もうひと組、コルカタのラッパーを紹介したい。
"Nonte Fonte" Oldboy x WhySir

不思議な響きのタイトルは、ベンガル語の子ども向けアニメのタイトルから撮られたようだ。
ミュージックビデオの最後に、インドのウエストベンガルから、バングラデシュや海外のベンガル人に向けて、団結して楽しもうというメッセージが語られている。

国籍や宗教や民族といった伝統的なコミュニティの壁を易々と超えることができるのが、新しいカルチャーであるヒップホップの魅力である。
この曲では、最初に紹介したNizam Rabbyがムンバイの社会派ラッパーと国境を超えたコラボレーションを行っている。

"Brasht" AZAAD FORWARD BLOC ft. NIZAM RABBYジャーナリストの殺害と逮捕、表現の自由の欠如、生命と人権の保護の欠如、政治家の不正、女性に対する暴力などがテーマ。
インドとバングラデシュのラッパーが、国籍を超えてヒップホップというカルチャーと政治・社会への問題意識でつながったコラボレーションだ。


最後に、「ベンガル地方の伝説的な詩人たちのラップバトル」というユニークすぎる設定のミュージックビデオを紹介したい。

"Kazi Nazrul Vs Rabindranath Tagore" Fusion Productions


完全なコメディだが、ベンガルを代表する詩人であるタゴールと、バングラデシュの国民的な詩人カジ・ノズルルが、お互いの作品の一節を引用したりしながらラップバトルするという設定はとにかく面白い。
日本にはここまで広く深く親しまれている詩人はいないように思うし、そもそも文学史上の偉人たちをテーマにラップバトルのミュージックビデオを作ろうという発想も生まれないだろう。

映画『タゴール・ソングス』でも分かるとおり、詩や文学が生活に深く根ざしていることが分かる映像でもある。


佐々木美佳監督は、秋ごろにタゴール・ソングスの撮影をテーマにしたエッセイ的な本を出版する予定だそうで、こちらも期待して待ちましょう!



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goshimasayama18 at 23:12|PermalinkComments(0)

2021年01月24日

インド・ヒップホップ夜明け前(その1)パンジャーブからUKへ、そしてデリーへの逆輸入


ムンバイのストリート・ラッパーをテーマにした映画『ガリー・ボーイ』の公開からもうすぐ2年。
今ではインド全土のあらゆる街にラッパーがいる時代になった。
ここであらためて確認しておきたいのは、インドでラップを最初にメジャーにしたのは、デリーのアーティストたちだったということだ。
とくに、デリー在住のパンジャーブ系シク教徒のアーティストたちが、今日流行しているメインストリームのエンターテインメントラップの確立に大きな役割を果たしたのだ。

今回は、そのあたりの話を書くことにしたいのだが、そのためには少し時代を遡らなければならない。
(何度も書いている話なので、ご存知の方は飛ばしてください)

「シク教」は、男性がターバンを巻くことで知られるインド北西部パンジャーブ地方発祥の宗教だ。
勇猛な戦士として知られるシク教徒たちは、イギリス統治時代に重用され、当時イギリスの植民地だった世界中の土地に渡っていた。
シク教徒の人口はインド全体の2%にも満たないが、彼らが早くから世界に進出していたために、「インド人といえばターバン」という印象が根付いたのだろう。
現在でも、イギリスで暮らす南アジア系住民のうち、シク教徒の割合は3割にものぼる。
1947年、インド・パキスタンがイギリスから分離独立すると、シク教徒たちの故郷であるパンジャーブ地方は、両国に分断されてしまう。
パキスタン側に暮らしていた多くのシク教徒たちは、イスラームを国教とするパキスタンを逃れ、インドの首都デリーに移り住んだ。
こうした理由から、デリーには故郷を失った多くのパンジャーブ系(ヒンドゥー教徒を含む)住民が暮らしている。

ヒップホップは、ニューヨークのブロンクスで、カリブ地域から渡ってきたアフリカ系の黒人たちによって生み出された音楽だが、デリーに住むシク教徒たちも、同じように故郷から切り離された暮らす人々だった。
さらに言うと、パンジャービーたちの性格も、彼らがインド最初のラッパーになる条件を満たしていたのかもしれない。
一般的に、パンジャーブ人は、ノリが良く、パーティーやダンス好きで、物質的な豊かさを誇示する傾向があり、自分たちのカルチャーへの高いプライドを持っていることで知られている。
ステレオタイプで書くことを許してもらえるならば、そもそもがものすごくヒップホップっぽい人たちだったのである。

パンジャーブの人々は、もともと、「バングラー」という強烈なリズムの伝統音楽を持っていた。


パンジャーブの収穫祭ヴァイサキ(Vaisakhi)で演奏されるバングラーは、両面太鼓ドール(Dhol)の強烈なリズムと一弦楽器トゥンビ(Tumbi)の印象的な高音のフレーズ、そしてコブシの効いた歌と両手を上げて踊るスタイルで知られるダンスミュージックだ。

インド独立後も、多くのパンジャーブ人たちが海外に暮らす同胞を頼って海外に渡っていった。
彼らは欧米のダンスミュージックと自分たちのバングラーを融合し、新しい音楽を作り始めていた。
ちょうどブロンクスの黒人たちが、故郷ジャマイカのレゲエのトースティングとポエトリーリーディングやアメリカのソウルのリズムを融合してヒップホップを生み出したように。

80年代のイギリスでは、Heera, Apna Sasngeet, The Sahotas, Malkit Singhといったアーティストたちが、新しいタイプのバングラー・ミュージックを次々に発表し、南アジア系移民のマーケットでヒットを飛ばしていた。


今聴くとさすがに垢抜けないが、ベースやリズムマシンを導入したバングラー・ビートは、当時としては新しかったのだろう。

UKのパンジャービーたちの快進撃は止まらない。
90年代に入ると、Bally Sagooが母国のボリウッド映画の音楽を現代的にリミックスし、RDB(Rhythm, Dhol, Bass)が本格的にヒップホップを導入する。
そして、1998年にリリースされたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"は、2002年に在外インド人の枠を超えた世界的な大ヒットを記録するまでになる。




シク教徒は強い結束を持つことでも知られている。
海外の同胞たちが作り上げた最新のバングラー・ビートが、シク教徒が多く暮らすデリーに逆輸入されてくるのは必然だった。

21世期に入ると、Yo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikkaといった今もインドのメジャーシーンで活躍するラッパーたちがデリーで新しい音楽を作り始める。
彼らは、もともとMafia Mundeerという同じクルーに所属していたのだ。

(つづき) 



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2020年12月26日

2020年を振り返る コルカタの音楽シーン特集

先日に続いて、2020年を振り返る記事。
昨年(2019年)は、映画『ガリーボーイ』 の公開もあって、ムンバイのホップシーンに注目した1年だったが、今年(2020年)は佐々木美佳監督の『タゴール・ソングス』や、川内有緒さんの『バウルを探して 完全版』の影響で、ベンガルの文化に惹きつけられた1年だった。

もうすでに耳にタコの人もいるかもしれないが、ベンガルとはインドの西ベンガル州とバングラデシュを合わせた、ベンガル語が話されている地域のこと。
ベンガルmap
(この地図は『タゴール・ソングス』のウェブサイトからお借りしました)

イギリスによる分割統治政策によって多くのムスリムが暮らしていたベンガル地方の東半分は、1947年のインド・パキスタン分離独立時に、イスラームを国教とするパキスタンに帰属する「東パキスタン」となった。
しかし、言語も異なる東西のパキスタンを、大国インドを挟んだ一つの国として統治することにはそもそも無理があった。
西パキスタンとの格差などを原因として、東パキスタンは1971年にバングラデシュとして再び独立を果たすことになるのだが、それはまた別のお話。
(バングラデシュの音楽シーンについても、最近かなりいろいろと分かってきたので、また改めて紹介する機会を持ちたい)
私にとっての2020年は、分離独立前からこの地方の中心都市だった、インドの西ベンガル州の州都コルカタの音楽シーンが、とにかく特徴的で面白いということに気付づいてしまった1年だった。

コルカタのシーンの特徴を2つ挙げるとしたら、「ベンガル地方独特の伝統文化(漂泊の歌い人にして修行者でもあるバウルや、タゴールに代表される詩の文化)の影響」と「イギリス統治時代に首都として栄えた歴史から来る欧米的洗練」ということになる。
さらには、独立運動の中心地であり、また独立後も社会運動が盛んだったこの街の政治性も、アーティストたちに影響を与えているようだ。


まずは、近年インドでの発展が著しいヒップホップから紹介したい。
地元言語のベンガル語でラップされるコルカタのヒップホップの特徴は、落ち着いたセンスの良いトラックと強い郷土愛だ。
コルカタを代表するラッパー、Cizzyの"Middle Class Panchali"聴けば、ムンバイのストリート・ラップ(例えばDivine)とも、デリーのパンジャーブ系エンターテインメント・ラップ(例えばYo Yo Honey Singh)とも違う、コルカタ独自の雰囲気を感じていただけるだろう。

ジャジーなビートにモノクロのスタイリッシュな映像は、まさにコルカタならでは。
タイトルのPanchaliは「民話」のような意味のベンガル語らしい。

CizzyがビートメーカーのSkipster a.k.a. DJ Skipと共演したこの曲"Change Hobe Puro Scene"('The scene will change'という意味)では、インド最古のレコードレーベル"Hindusthani Records"の音源をサンプリングしたビートを使った「温故知新」な一曲。

コルカタのランドマークであるハウラー・ブリッジから始まり、繁華街パークストリート、タゴール、リクシャー(人力車)といったこの街の名物が次から次へと出てくる。

MC Avikの"Shobe Cholche Boss"もコルカタらしい1曲。

コルカタのアーティストのミュージックビデオには、かなりの割合でハウラー・ブリッジが登場するが、サムネイル画像のワイヤーで吊られている橋は、コルカタのもうひとつのランドマーク、ヴィディヤサガル・セトゥ。
ハウラー・ブリッジと同じく、この街を縦断するフーグリー河にかかっている橋だ。
コルカタにはまだまだ優れたヒップホップアーティストがたくさんいるので、チェックしたければ、彼らが所属しているJingata Musicというレーベルをチェックしてみるとよいだろう。



コルカタといえば、歴史のあるセンスの良いロックシーンがあることでも知られている。
その代表的な存在が、ドリームポップ・デュオのParekh & Singh.
イギリスの名門インディーレーベルPeacefrog Recordsと契約している彼らは、インドらしさのまったくない、欧米的洗練を極めたポップな楽曲と映像を特徴としている。

ウェス・アンダーソン的な映像センスと、アメリカのバークリー音楽大学で培われた趣味の良い音楽性は、世界的にも高い評価を得ており、日本では高橋幸宏も彼らを絶賛している。

「ドリームフォーク・バンド」を自称するWhale in the Pondも、インドらしからぬ美しいメロディーとハーモニーを聴かせてくれる。

今年リリースされたコンセプト・アルバム"Dofon"では、地元の伝統音楽(民謡)なども取り入れた、ユニークな世界観を提示している。

過去に目を向けると、コルカタは1960年代から良質なロックバンドを輩出し続けていた。
なかでも70年代に結成されたHighは、インドのロック黎明期の名バンドとして知られている。

この曲はカバー曲だが、彼らはインドで最初のオリジナル・ロック曲"Love is a Mango"を発表したバンドでもある。

同じく70年代に結成された伝説的バンドがこのMohiner Ghoraguli.
ベンガルの詩やバウルなどの伝統とピンク・フロイドのような欧米のロックを融合した音楽性は、インド独自のロックのさきがけとなった。

彼らの活動期間中は知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、共産主義革命運動ナクサライト(のちにインド各地でのテロを引き起こした)の活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。

こうした政治運動・社会運動との関連は、今日のコルカタの音楽シーンにも引き継がれている。
例えばインドで最初のラップメタルバンドと言われるUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRは、ソロアーティストとしてリリースしたこの曲で、農民たちがグローバリゼーションが進む社会の中で貧しい暮らしを強いられ、多くが死を選んでいるという現実を告発している。
タイトルの"Ekla Cholo Re"は「ひとりで進め」という意味のタゴールの代表的な詩から取られている。 


ブラックメタル/グラインドコアバンドのHeathen Beastは、無神論の立場から、宗教が対立し、人々を傷つけあう社会を痛烈に糾弾している。

この曲では、ヒンドゥー教徒たちからラーマ神の出生の地と信じられているアヨーディヤーで、イスラームのモスクがヒンドゥー至上主義者たちによって破壊された事件をテーマとしたもの。
あまりにも過激な表現を行うことから、保守派の襲撃を避けるために覆面バンドとして活動する彼らは、今年リリースされた"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"でもヒンドゥー・ナショナリズムや腐敗した政治に対する激しい批判を繰り広げた。


電子音楽/エレクトロ・ポップのジャンルでもコルカタ出身の才能あるアーティストたちがいる。
今年リリースした"Samurai"で日本のアニメへのオマージュを全面に出したSayantika Ghoshは、郷土愛を歌ったこの"Aami Banglar"では、伝統楽器の伴奏に乗せて、バウルやタゴール、地元の祝祭や、ベンガルのシンボルとも言える赤土の大地を取り上げている。

一見、歴史や伝統には何の興味もなさそうな現代的なアーティストが、地元文化への愛着をストレートに表現しているのもコルカタならではの特徴と言える。

コルカタ音楽シーンの極北とも言えるのが、ノイズ・アーティストのHaved Jabib.
これまで数多くのノイズ作品を発表してきた彼の存在は以前から気になっていたのだが、そのあまりにも前衛的すぎる音楽性から、このブログでの紹介をためらっていた。
今年彼がリリースした"Fuchsia Dreamers"は、ムンバイのノイズ/アンビエントユニットComets in Cardigansとコラボレーションで、混沌とした音像のなかに叙情的な美しさを湛えた、珍しく「音楽的」な作品となった。
これまでに彼がリリースした楽曲のタイトルやアートワークを見る限り、動物愛護や宗教紛争反対などの思想を持ったアーティストのようだが、彼はインターネット上でも自身のプロフィールや影響を受けたアーティストなどを一切公表しておらず、その正体は謎につつまれている。

と、気になったアーティストのほんのさわりだけを紹介してみたが、とにかくユニークで文化的豊穣さを感じさせるコルカタのシーン。
来年以降もどんな作品が登場するのか、ますます楽しみだ。

最後に、これまでに書いたベンガル関連の記事をまとめておきます。













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2020年06月22日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その2)


タゴールソングNight6.20


前回に続いて、先日の「タゴールソングNIGHT」で紹介した楽曲を紹介します。
タゴールソングの現代的アレンジや、ベンガルのヒップホップを紹介した前回に続いて、今回は、バウルに関する曲からスタート!

いろいろなアレンジのバウルソングを紹介する前に、まずは伝統的なバウルソングを聴いてみましょう。
映画にも登場したLakhan Das Baulが歌う"Hridmajhre Rakhbo".

バウルとは、ベンガル地方に何百年も前から存在している放浪の行者であり、歌い人のこと。

タゴールの詩は、バウルの影響を強く受けていると言われており(一説には、タゴールは19世紀の伝説的なバウルであるラロン・シャーと会ったことがあるとも)、かつては賎民のような扱いだったバウルは、今ではUNESCOの世界無形遺産に指定され、ベンガル文化を代表する存在になっている。

欧米のロックミュージシャンがブルースマンに憧れたように、現代ベンガルのミュージシャンがアウトサイダーであるバウルに憧れを持つことは必然だったようで、多くのバンドがバウルをフィーチャーした曲を発表している。

これはコルカタのロックバンドFossilsが、Purna Das Baulをゲストヴォーカルに迎えた曲。

Purna Das Baulはあのボブ・ディランにも影響を与え(後述)、ボブ・マーリーともステージを共にしたことがあるバウル界の大スター。
佐々木監督によると、この"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"は「愛というものを知らない人は、誰かに与えたり受け取ったりすることがない 本物の黄金を手放す人は黄金そのものを知らない」という内容の歌詞だそう。

タゴールが作った学園都市シャンティニケトンがある地区の名前をバンド名に関したBolpur Bluesは、バウルをゲストに迎えるのではなく、もとからバウルのヴォーカリストがいるという異色のバンド。

いったいどういう経緯でバウルがロックバンドに加入したのかはわからないが、どことなく他のメンバーがバウルのヴォーカリストに気を遣っているように見えなくもない…。
これはラロン・フォキルによる『かごの中の見知らぬ鳥』という歌。

そして、前回紹介したように、タゴールソングのDJミックスを作ってしまうほどにダンスが好きなインドやバングラデシュの人々は、当然のようにバウルソングもダンスミュージックにリミックスしてしまいます。
この曲は"Baul Trap Beat"とのこと。

いったい誰がどういう意図で作ったものなのかは不明だけど、なんでもとりあえずダンスミュージックにしてしまおう、という心意気は素晴らしい。


さて、バウルについて紹介するときに、必ずと言っていいほど書かれているのが「バウルはあのボブ・ディランにも影響を与えている」というフレーズ。
その真偽に関してはこの記事を参考にしてもらうとして、ベンガル文化とディランとの関係は決して一方向のものではなく、ベンガル(とくにコルカタ)の人々もディランから大きな影響を受けている。

「ディランに影響を与えたバウル」であるPurna Das Baulは、ディランの代表曲『ミスター・タンブリンマン』("Mr. Tambourine Man")と『風に吹かれて』("Blowin' in the Wind")をバウル・スタイルでカバーしている。


言われなければディランの曲だと分からないほど、すっかりバウルソングになっている。
佐々木監督曰く、『風に吹かれて』は元の歌詞を見事にベンガル語に翻訳してメロディーに乗せているそう。

ディランからの影響は、彼と交流のあったPurna Das Baulだけではなく、多くのミュージシャンに及んでいる。
往年のコルカタのミュージシャンたちが、ディランからの影響を口々に語るこんなドキュメンタリー映画も作られている。Vineet Arora監督によるこのドキュメンタリー"If Not For You - A Bob Dylan Film"はVimeoで全編が無料公開されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

さらには、コルカタの詩人Subodh Sarkarによるディランを讃える詩の朗読なんてものもある(情感たっぷりに朗読しているのは、詩人本人ではなくて女優さん)。

佐々木監督によると、この詩のタイトル"Paraye Paraye Bob Dylan"は「あらゆるところにボブ・ディラン」という意味だそうで、コルカタの文人から見たディランの影響の大きさや彼の功績を称える内容とのこと。
まるでタゴールに匹敵するような扱いだけど、佐々木監督がベンガルの人に聞いたところ「ディラン?ミュージシャンには人気あるんじゃないかなあ」という回答だったそうで、その人気はあくまでも音楽シーンに限定されるよう。

とはいえ、コルカタのシーンにおけるディランの影響は絶大で、こんなディランへのトリビュートソングも歌われている。
「インドのボブ・ディラン」(こんなふうに呼ばれている人が他にも何人かいるのだけど)ことSusmeet Boseの、その名も"Hey Bob Dylan".

コルカタのフォークシンガーKabir Sumonは、『風に吹かれて』をベンガル語でカバーしている。


ベンガル地方は、イギリスからの独立運動の中心地となった社会意識が非常に高い土地柄だ。
コルカタのシンガーたちは、インドの音楽シーンが、格差やカーストなどの社会問題をいっこうに取り上げないことに疑問を感じ、ディランをお手本に自らも社会的なテーマを扱いうようになった。
コルカタに根付いている社会運動の伝統と、イギリス統治時代に首都だった歴史から来る欧米文化への親和性の高さ、そしてタゴール以来の文学的素養を考えれば、この街ののミュージシャンたちが、プロテストフォークの旗手であり、フォークソングを文学の域にまで高めたディランに惹かれるのは必然だったと言えるだろう。


さて、ここからは、タゴールやバウルから離れて、現代ベンガルの音楽シーンの発展を見てゆきます。

イギリス統治時代の首都だったコルカタは、古くから在留イギリス人や上流階級に西洋音楽が親しまれていた土地で、繁華街パークストリートには、ジャズの生演奏を聴かせるレストランがたくさんあったという(今でもパークストリートにはクラブやライブ演奏のある飲食店が多くあります)。
こうしたシーンの中心的な存在だったのは、イギリス人の血を引くアングロ−インディアンと呼ばれるコミュニティのミュージシャンたち。
独立まもない時期から活躍したアングロ−インディアンのジャズシンガーのPam Crainは、「パークストリートの女王」と呼ばれ、長くコルカタのジャズシーンで活躍した。


1960年代に入ると、ビートルズなどの影響で、インドにも「ビートグループ」と言われるバンドが登場する。
彼らはギターを手作りしたり、政治演説用のスピーカーをアンプの代わりにしたり、警察のマーチングバンド用のドラムを使ったりという涙ぐましい努力をして、ロックの演奏に取り組んだ。
コルカタはそうしたシーンの中心地のひとつで、このThe Cavaliersの"Love is a Mango"はインドで最初のオリジナルのロック曲。

シタールの入ったインドらしい響きが印象に残るサウンドだ。

The Cavaliersの中心人物Dilip Balakrishnanは、1970年代に入ってHighを結成し、より洗練されたロックを演奏した。

音だけ聴いてインドのバンドだと気づく人はいないだろう。
高い音楽的才能を持っていたDilipだが、当時のインドではロックのマーケットは小さく、仕事をしながら音楽活動を続けていたものの、1990年にその後のインディーミュージックシーンの隆盛を見ることなく、若くして亡くなっている。

1971年、東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが独立。
これはバングラデシュ独立後最初のロックバンドと言われるUnderground Peace Loversのドキュメンタリーだ。


バングラデシュでは、インド領の西ベンガルと比べてバウル文化の影響がより大きく、「街のバウル」を意味するNagar Baulや、ラロン・フォキルから名前を取ったLalon Bandといったバンドたちが活躍した。

シンガーのJamesがNagar Baul(街のバウル )とともに演奏しているのは、彼らの代表曲"Feelings".
Nagar Baulには2018年に亡くなった名ギタリスト/シンガーのAyub Bachchuも在籍していた。

こちらはLalon Band.



1970年代に入ると、インド領西ベンガル州では、毛沢東主義を掲げ、階級闘争ためには暴力行為もいとわないナクサライトなどの社会運動が活発化する。
こうした風潮に応じて、コルカタのミュージシャンたちも、欧米のバンドの模倣をするだけでなく、よりローカルで社会的なテーマを扱うようになる。
ディランからの影響も、こうした社会的背景のもとで育まれたものだ。
Mohiner Ghoraguliは、Pink Floydのような欧米のバンドのサウンドに、バウル音楽などのベンガル的な要素を取り入れたバンド。

Mohiner Ghoraguliというバンド名はベンガルの詩人ジボナノンド・ダースの作品から取られている。
ちょっと狩人の『あずさ2号』にも似ているこの曲は、「テレビの普及によって世界との距離が近くなる代わりに疎外感が生まれる」という現代文明への批判をテーマにしたもの。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、ナクサライトの活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。
彼が99年に亡くなるまで、Mohiner Ghoraguliは知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。


さて、ここから一気に現代へと飛びます。
コルカタのロックシーンの社会批判精神は今日でも健在!
つい先日リリースになったばかりのコルカタのブラックメタル/グラインドコアバンドHeathen Beastの"Fuck Your Police Brutality"は、激しすぎるサウンドに乗せて警察権力の横暴と、マイノリティーへの暴力を鋭く告発した曲。

彼らのニューアルバムは、一枚まるまる現代インド社会への批判になっていて、近々ブログで特集したいと思います。

最後に紹介したのは、コルカタ音楽シーンの洗練の極みとも言えるドリームポップデュオ、Parekh & Singh.

イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約し、日本でも高橋幸宏にレコメンドされるなど、国際的にも高い評価を得ている彼らは、アメリカのバークリー音楽院出身のエリートミュージシャンだ。
毎回かなりお金のかかっていそうなミュージックビデオを作っている彼らのお金はどこから出てきているのかと思っていたが、事情を知る人の話では「家がとんでもないお金持ち」という真相だそう。

大金持ちといえば、タゴールも大地主の家の息子。
経済的な豊かさを基盤に、安穏と暮らすのではなく、さまざまな文化を消化して詩情豊かな作品を作り上げることもベンガルの伝統なのかもしれない、なんて言ったら、さすがにこじつけかな。

と、こんな感じで当日は3時間にわたってタゴールソングからバウルソング、現代ベンガルに至る音楽とトークの旅をお届けしました。

映画『タゴール・ソング』はポレポレ東中野、仮設の映画館ではまだまだ上映中!
6月27日(土)からは名古屋シネマテークでの上映も始まります。

映画未見の方はぜひご覧ください!


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goshimasayama18 at 16:02|PermalinkComments(3)

2020年06月21日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その1)

というわけで、6月20日(土)に東中野の「CAFE & SPACE ポレポレ坐」にて、長ーいタイトルの『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』をやってまいりました。

お客さんから、「当日のセットリストを教えて欲しい」という声をたくさんいただき、また遠方だったりでお越しいただけなかった方もいらっしゃるようなので、今回は当日紹介した曲の動画をあらためて紹介します。

まずは映画にも登場したRezwana Chowdhuryの"Majhe Majhe"を聴いて、伝統的なスタイルのタゴールソングを復習。

ちなみにこれはバングラデシュの朝の番組のなかの一幕。
「今日の占いカウントダウン」みたいなノリで、「今日のタゴールソング」のコーナーがあるそうです。

ここからはいよいよ、現代風にアレンジされたさまざまなタゴールソングを紹介してゆきます。
パンフレットでも紹介しているムンバイのYouTuberバンドSanamの"Tumi Robe Nirobe"(『あなたが居る』)

タゴールの詩をラブソングとして解釈して、このインドのお菓子のような甘すぎるアレンジにしたのだろうけれども、これはこれでアリ。
メンバーはいろんなタイプのイケメン。あなたの好みは誰?

続いて、バンガロールのバンド、Swarathmaが、ベンガルの行者であり吟遊詩人でもあるバウルのLakhan Das Baulを加えて演奏した"Ekla Cholo Re"(『ひとりで進め』)。
バウルについてはのちほど詳しく紹介します。

映画の中ではベンガルの人々とタゴールソングの関係にフォーカスされていたけど、ムンバイ、バンガロールとベンガル以外の地域のみなさんも、タゴールソングには並々ならぬ思い入れがあるようです。


続いては、コルカタのロックバンドによる大げさなアレンジの"Ekla Cholo Re".
これは当日紹介しようとして、動画が見当たらなくて紹介できなかったものです。

素朴なタゴールソングのイメージを覆すド派手なアレンジは、大事な試験の前とか、「俺は一人でやるんだ!」と自分を奮い立たせるときなんかにいいんじゃないんでしょうか。

映画"Kahaani"(邦題『女神は二度微笑む』)で使われた、名優Amitabh Bhachchanが歌う"Ekla Cholo Re"は洋楽風のアレンジ。

同じ"Ekla Cholo Re"でもアレンジでさまざまな印象になることが分かります。

続いて、コルカタのメタルバンドThe Winter Shadeによる、さらに大げさなアレンジのタゴールソングを。

いかにもメタルっぽい黒いTシャツ、サングラス、バンダナ(でも髪は短い)、そして大自然の中でどこにも繋がっていないアンプ(しかもマーシャルとかじゃなくて練習用っぽい小さなやつ)、最後まで使われないアコースティックギター、草越しの謎のカット、とツッコミどころ満載だけど、こんなコテコテのメタルバンドからも愛されているタゴールソングってすごい!
ちなみにこの曲のメロディーは、あの『蛍の光』と同じく、スコットランド民謡の"Auld Lang Syne"から取られたもの。
イギリス統治時代に生きていたタゴール(イギリス留学経験もある)は、このメロディーに自らの詩を乗せてみたくなったのでしょう。
佐々木監督曰く、原曲同様に昔を懐かしむ詩が乗せられているとのこと。

続いては、個人的にとてもお気に入りの、素人っぽい大学生風の3人によるウクレレとビートボックスを使ったカバー。

「タゴールソングのカバーやろうよ。君、歌上手いから歌って。俺ウクレレ弾くから。そういえば、あいつビートボックスできたよな。YouTubeにアップしよう。」みたいな会話が聴こえて来そうな雰囲気がたまらない。
タゴールソングがカジュアルに親しまれているいることが分かる1曲。

続いては、タゴールによって作詞作曲されたバングラデシュとインドの国歌を紹介。
こちらは"We Are The World"形式でさまざまな歌手が歌うバングラデシュ国歌『黄金のベンガル』。


再び名優Amitabh Bachchanが登場。
タゴール生家でアカペラで歌われるインド国歌"Jana Gana Mana"は、思わず背筋を伸ばしたくなる。


さらに続くタゴールソングの世界。
ダンス好きなインド人ならではの、タゴールソングのDJ remixなんてものもある。

インドっぽい女性の'DJ〜'っていうかけ声から、DJと言いながらもヒップホップやエレクトロニック系のビートではなく完全にインドのリズムになっているところなど、こちらも愛すべきポイントが盛りだくさん。
佐々木監督からは、「タゴールソングにはダンス用の曲もあり、タゴールダンスというものもある」というお話を伺いました。
YouTubeのコメント欄にはベンガル語のコメントがいっぱい書かれているのだけど、「DJタゴールのアルバムがほしい」「タゴールが生きていたらこのDJにノーベル賞だな」というかなり好意的なものだけでなく、「犬にギーのご飯の味は分からない」(「豚に真珠」のような意味)といった批判的ものもあったとのこと。
いろんな現代的なアレンジで親しまれているタゴールソングですが、なかには「タゴールソングはやっぱり伝統的な歌い方に限る!現代風のアレンジは邪道」と考えている保守的な人もいる。
その一方で、若い人たちが、自分たちなりに親しめる様式にしているというのは、すごく間口が広くて素敵なことなのではないかと思う。



続いて紹介したのは、タゴールにインスパイアされた楽曲たち。
まずはコルカタのラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRが、タゴールソングの代表曲のタイトルを借用した"Ekla Choro Re".
貧困に喘ぎ、自ら死を選ばざるを得ないインドの農村の人々を描いた衝撃的なミュージックビデオは以前こちらの記事で紹介したので、今回はこの曲が話題になったきっかけのテレビ番組でのパフォーマンスをシェアします。


曲が進むにつれ真剣なまなざしになる審査員、最後に「失うものは何もない。団結しよう。束縛を打ち破ろう」とアジテーションするEPRに、独立闘争を戦ったベンガルの英雄たちの姿が重なって見えます。

これは当日紹介できなかった動画。
サイプレス上野みたいな見た目のラッパーによるタゴールへのトリビュートラップ。

自宅なのかな?
これもカジュアル感がたまらない仕上がり。
佐々木監督に聞いたところ、リリックは「タゴール誕生日おめでとう。いつもリスペクトしてるよ。いつもあなたがいる。」という、まるで先輩ラッパーに捧げるかのような内容だそう。


ここから話は現在のベンガルのヒップホップ事情に移ります。
まずはコルカタを代表するラッパー、Cizzyのこの曲"Middle Class Panchali"を紹介。

このジャジーなビートは、バングラーっぽいリズムになりがちなデリーや、パーカッシブなビートが特徴のムンバイのヒップホップとは全く違うコルカタらしい小粋な仕上がり。
ちなみに音楽ジャンルとしての「バングラー」は、カタカナで書くとバングラデシュ(Bangladesh)と同じだが、アルファベットで書くとBhangra.
インド北西部パンジャーブの伝統音楽でベンガルとは何の関係もないのでご注意を。

コルカタのヒップホップシーンのもうひとつの特徴は、とにかくみんな自分の街のことをラップすること!
ムンバイもちょっとそういう傾向あるけど、不思議とデリーのラップではそういうの聴いたことがない。
この曲は、コルカタにあるインド最古のレーベル、Hindusthan Recordsの音源をトラックに使った温故知新なビートがクールなこの曲もリリックはコルカタのカルチャーが満載。(これもイベントでは紹介できなかった)

1:35頃の映像に、タゴールもちょこっと出てくる。

こちらは映画にも出て来たバングラデシュの首都ダッカのラッパー、Nizam Rabby.

バングラデシュのラッパーたちも、バングラデシュのことをラップする傾向がある。
佐々木監督曰く、この曲は1971年の独立を勝ち取った戦士たちのことなども扱われているとのこと。


続いて、インド各地の歌がメドレー形式で歌われる曲の中でも、ベンガルを代表する曲として必ずタゴールソングが出てくるという話題。
米ペンシルバニア大学に通うインド系の学生たちによるアカペラ・グループPenn Masalaが歌うインド各地(各言語)を代表する曲のメドレーでは、他の言語の代表曲がほとんど映画音楽(インドなら当然なのだけど)なのに対して、ベンガルからは"Ekla Cholo Re"が選ばれている。


こちらはインド北東部ナガランド州に暮らすさまざまな部族や、インド主要部から移住して来た人々がメドレー形式で歌う曲"As One".
4:30頃に出てくるベンガル人は、やっぱりタゴールの"Ekla Cholo Re"を歌います。

ベンガルを代表する曲といえばタゴールソング、そのなかでもやっぱり"Ekla Cholo Re"ということになるのかも。

長くなりそうなので、今回はここまで!


「その2」はこちらから!↓



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goshimasayama18 at 20:42|PermalinkComments(2)

2020年05月24日

ゲットーだけがヒップホップじゃない! ムンバイのアーバン・ヒップホップ Sixk


このブログで何度も紹介しているムンバイのヒップホップシーン。
これまで主に紹介してきたのはストリート系のラッパー(スラム出身者などのいわゆるガリーラップ)や、Lo-Fi/Jazzy HipHopなどの音響的に新しい試みをしているアーティストたちだった。



インド最大の都市、ムンバイには、こうしたムーブメントとは別に、ポップミュージックとして洗練されたヒップホップを追求しているアーティストも存在している。

ムンバイの6人組、SIXK(どう発音するのだろう)は、ストリートのリアリティーの追求や音響的な実験ではなく、かつボリウッド的なバングラー/EDM系のラップとも違う、ポップな英語リリックによるヒップホップチューンを発表している。
彼らは2018年に結成され、4人のヴォーカル(MC)とプロデューサー、ドラマーからなるグループだ。
さっそく、彼らの"Dansa"と"Roll Numbers"を聴いていただこう。




"Dansa"のミュージックビデオの一糸乱れぬダンスはボリウッドを思い起こさせる部分もあるが、これは昨今インドでも人気の高まっているK-Popの影響かもしれない。
"Roll Numbers"のYouTubeのコメント欄には、「韓国のラップトリオMFTBYがこの曲にリアクションしてくれた!」というコメントが寄せられていて、K-Popが欧米のポップ・ミュージック同様にインドの憧れの対象となっていることが分かる。


音楽メディア'Rolling Stone India'のウェブサイトでは、ここ1〜2年でK-Popが取り上げられる割合がかなり大きくなっており、韓国のアーティストにインドのミュージックビデオを見せて、そのリアクションを動画で公開するといった企画も行われている。(SIXKへのMFTBYのリアクションというのも、おそらくはこの企画のことを指しているのだろう)

お聴きの通り、彼らのサウンドは、ゴツゴツとしたラップではなく、ソウルやポップスの要素も入ったノリが良くキャッチーなものだ。
リリックのテーマも、ストリートのリアルさというよりも、9時から5時の仕事の憂鬱や、内面的な感情を扱っている。
こうしたリリックの通り、インタビューによるとメンバーは定職を持ちながら音楽活動を始めており、今なおCAとして働いているメンバーもいるという。
映画音楽以外の音楽シーンがまだまだ発展途上のインドでは、多くのミュージシャンが「本業」を持ちながら、自分たちの表現したい音楽に取り組んでいる。
彼らは語る。
「俺たちはストリート育ちじゃない。俺たちには人を感動させるようなストーリーがあるわけじゃないんだ。でも俺たちは、機械みたいな決まりきった生活なんて全く望んじゃいないよ。俺たちはかなり恵まれた環境に育っているし、他のアーティストに比べて苦労しているようには見えないかもしれない。それでも、精神的な苦労はかなり大きいし、今だってそうだよ。育ってきた中で身についた習慣を捨て去るっていうのは、すごく勇気がいることだ。安定した生活と仕事を捨てるっていうのはね。」

スラム出身者などの「ガリーラップ」が注目を集めることが多いインドのシーンだが、もちろんラップはゲットー育ちのみに与えられた特権ではない。
ミドルクラスにも上流階級にも悩みや不満があり、表現衝動があるのもまた当然なのだ。

これまでインドで発展してきたボリウッド系ラップやガリーラップ、音響的な美学を追求したアンダーグラウンド・ラップに加えて、さらにこうしたポップな世界観のラッパーたちも登場し、ますます活況を呈してきているインドのヒップホップシーン。
英語リリックという世界基準を満たしていて、さらにローカルな要素が少なく普遍的なテーマを扱っているということもあり、うまくいけば、このジャンルから世界的にブレイクするアーティストが出てくるなんてこともあるかもしれない。

最後に、SIXKのより実験的な楽曲、"Conversation"と"Realisation"を紹介する。
彼らは音楽的な引き出しも多そうで、今後の活躍がますます期待されるヒップホップ・アーティストの最右翼に位置付けられそうだ。







参考:
http://theindianmusicdiaries.com/getting-real-with-sixk-the-hip-hop-crew-from-mumbai/




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2020年03月17日

コルカタ&バングラデシュ ベンガルのラッパー特集!




前回、前々回とコルカタのロックシーン特集をお届けした。
今回は、満を持してヒップホップ特集!
それも、インド領ウエストベンガル州のコルカタだけではなく、バングラデシュを含めたベンガル地方のヒップホップアーティストを紹介します。

ふだんチェックしているインドの音楽メディアでは、どうしてもヒンディー語圏のアーティストが紹介されることが多く、ベンガルの音楽シーンの情報というのはほとんど入ってこない。
とくにヒップホップに関しては、映画『ガリーボーイ』 の舞台にもなったインドのシーンの中心地ムンバイや、インド随一のヒップホップレーベル'Azadi Records'を擁するデリーが全国的に注目されており、ベンガルのラッパーはインド国内でもほとんど取り上げられていない。
多言語国家インドのこの状況は、例えばここ日本で欧米の音楽情報を入手しようとしたときに、アメリカ・イギリス以外の地域や、英語以外の言語で歌うアーティストの情報がなかなか入ってこないのと同じようなものだと考えれば分かりやすいだろう。
ところが、ベンガル語圏は、ロックバンドだけでなく、ヒップホップにおいてもセンスの良いアーティストの宝庫なのだ。

まずは、コルカタを代表するラッパー、Cizzyを紹介。

このジャジーなビートと落ち着いたラップは、パーカッシブなビートにたたみかけるようなラップが特徴のムンバイのガリーラップとは趣を異にする、じつにコルカタらしいサウンドだ。

Cizzyの存在に最初に気がついたのは、ジャールカンドのヒップホップアーティストTre Essによる7人のラッパーのマイクリレー"New Religion"のトップバッターを務めていたのを聴いた時だった。

メディアへの露出こそ少ないベンガリ・ラッパーたちだが、どうやら北インドの言語圏のラッパー同士の交流は行われているようである。

彼のリリックのテーマはコルカタのライフスタイルのようで、この曲のタイトルはそのままずばりの"Kolkata".
ここでは抑制の効いたビートに乗せて、ムンバイのDivineのスタイルに似たアッパーなラップを披露している。
コルカタのシンボルのひとつ、人力車も出てくるミュージックビデオの見所は、デリーやムンバイとは雰囲気の違うコルカタのガリー(裏路地)だ。
イギリス統治時代に作られた街並みなのだろうか。

このCizzyの曲をリリースしているJingata Musicは、コルカタのヒップホップシーンを代表するレーベル。
Jingata MusicのYouTubeチャンネルでは、他にもイキのいいウエストベンガルのラッパーたちをチェックすることができる。

Old BoyとWhy Sirによる"Nonte Fonte"には、ダンサーやラッパーたちが大勢出演したコルカタのシーンの勢いが感じられる楽曲。
 
Mumbai's Finestの"Beast Mode"と比較してみるのも面白いだろう。
ラップのスキルやセンスはともかく、コルカタのほうがちょっと垢抜けない感じなのも微笑ましい。

このOld Boyによる"Case Keyeche"のリリックは『ガリーボーイ』ブームに便乗して出てきたギャングスタ気取りのエセラッパー(誰のことだ?)を揶揄するもののようだ。

そのくせ、彼自身も動画のタイトルに、コラボレーションしているわけでもないDivineやNaezy(いずれも『ガリーボーイ』のモデルになった人気ラッパー)を入れており、そういうオマエも便乗してるじゃん!と突っ込みたくなってしまう。
とはいえ、この曲を聴けば彼が確かなスキルを持ったラッパーであることが分かるだろう。
この曲のビートにはBraveheartsの"Oochie Wally"が使われているが、ベンガル語混じりのラップが乗ると一気にインド的な雰囲気になってしまうのが面白い。

前回の記事で紹介したラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPR Iyerは、有名なタゴール・ソングからタイトルを拝借した"Ekla Cholo Re"(ひとりで進め)という曲を発表している。

この曲は、貧しい生活を余儀なくされ、自殺者が相次いているインドの農民たちがテーマとなっている。
EPR曰く「これは単なる歌ではなく、雄叫び(Warcry)だ。誰にも気にされずに死んでゆく人々のための、戦いの叫びである。」
こうした強い社会意識はインドのラッパー全体に広く見られるものだが、そこにタゴール・ソングの曲名を引用してくるというセンスはベンガルならではのものだ。
トラックを担当しているGJ Stormはコルカタを代表するビートメーカーのひとり。

色鮮やかなクルタに身を包んだMC HeadshotとAvikのデュオによる"Tubri"は、オールドスクールなビートにインドっぽい音色も入ったトラックに乗せて、確かなスキルのラップを聞かせてくれる一曲。


ストリートのリアルを直接的に表現することが多いムンバイのシーンと比較すると、コルカタのシーンはどこか知性や批評性を感じさせるラッパーが多いように感じられる(ムンバイのラッパーに知性がないと言いたいわけではない。念のため)。
かつてのアメリカのヒップホップになぞらえると、ムンバイは西海岸に、コルカタはニューヨークのシーンに似ていると言えるかもしれない。
(面白いことに、それぞれの街の位置もアメリカの西海岸とニューヨークにあたる場所にある)


ベンガルで優秀なラッパーが多いのはコルカタだけではない。
国境を越えたバングラデシュにも、また数多くの優れたラッパーたちがいる。

バングラデシュを代表するラッパーの一人、Nizam Rabbyはドキュメンタリー映画『タゴール・ソング』にもフィーチャーされ、映画の中で郷土の大詩人タゴールへの思いを語っている。

たとえ言葉はわからなくても、彼のラップを聴けば、その高いスキルを感じることができるはずだ。
現代ストリートカルチャーの最先端のラッパーが、100年前の詩人からつながるカルチャーを持っていることこそ、ベンガルのシーンの豊饒さと言うことができるだろう。

Bhanga Banglaは「バングラデシュで最初のトラップアーティスト」という触れ込み。
 
ミュージックビデオに描かれているベンガル風の近未来的ディストピアが面白い。

本場アメリカで活動しているベンガル系ラッパーもいる。
この"Culture"で国旗を振り回してラップしているSha Vlimpseは、ニュージャージー出身のバングラデシュ系ラッパー。
いわゆる狭義の'Desi Hip-Hop'(在外南アジア系アーティストによるディアスポラ市場向けヒップホップ)ということになるが、その中でも彼のリリックのテーマは、「バングラデシュ系としてアメリカで生きること」のようだ。
 
彼のフロウにはエミネムの強い影響が感じられる。
インドでは、バンガロールのラッパーBrodha Vもかなりエミネムっぽいフロウを聞かせているが、南アジア系のラッパーがエミネムから受けた影響の大きさをあらためて感じさせられる。

ベンガルのラッパーの情報は、インドのインディー音楽シーンのメインストリームばかり追いかけているとなかなか入ってこないが、センス、スキルともに高いアーティストが多く、ムンバイともデリーとも異なる雰囲気のシーンが形成されている。
インド領のコルカタとバングラデシュでもまた違った空気があるようで、今後とくに注目してゆきたい地域である。

ベンガルにはまだまだ優れたラッパーたちがいるが、今回紹介するのはひとまずここまで!


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goshimasayama18 at 22:28|PermalinkComments(0)

2020年03月14日

特集!コルカタのインディーミュージックシーンその2 現在のコルカタのロックバンドたち


前回、60年代〜70年代のコルカタ(カルカッタ)で活躍した驚くべきロックバンド、The Flintstones, Calcutta-16, Great Bear, そしてHighを紹介した。

コルカタは1911年まで英領インドの首都として栄えていた街だ。
イギリスによるインド支配の中心地だったコルカタには、イギリス人男性とインド人女性との間に生まれた子どもたちの子孫である「アングロ・インディアン」と呼ばれる人々のコミュニティーが形成されていた。
彼らの多くがイギリス統治時代に官僚として活躍し、また西洋音楽(ジャズ、ブルース、のちにロックなど)をコルカタ、そしてインド全体にもたらすうえでも大きな役割を果たした。
さしずめ、アングロ・インディアンたちは、1960年代の日本で外国にルーツを持つメンバーを中心に結成され、本格的なロックを演奏していたゴールデン・カップスのような存在だったのだろう。

インドのなかでロックが盛んな地域といえば、ケーララ州やインド北東部といったキリスト教信仰が盛んな場所が挙げられるが、アングロ・インディアンたちもまたクリスチャンだった。
ここでもクリスチャンが西と東の文化をつなぐ役割を果たしていたのである。
(一方で、インドのキリスト教徒たちがヒンドゥー原理主義者たちから「インドの伝統を破壊する」として理不尽な排斥の対象にもなっているということにも留意しておきたい)

1970年代以降も、コルカタは洗練されたロックバンドを多く生み出している。
1975年に結成されたMohiner Ghoraguliは、欧米のロックの模倣だけでなく、ベンガルのフォークやバウルの影響も取り入れた、ベンガル語で歌うバンドだ。
さまざまなスタイルの曲を演奏しているが、この曲は穏やかなメロディーにむせび泣くギターが印象的な、まるでインド版Pink Floydだ。


1998年から2010年まで活動していたInsomuniaは、サイケデリックな要素のあるベンガル語のヘヴィ・ロック。ヴォーカルが弱いが、この時代のインドでこのサウンドを鳴らしたセンスはなかなかのもの。


ベンガル語で歌うバンドとしては、他にもCactus(1992年結成)、Fossils(1998年結成)、 よりフォーク的な曲調のKrosswinds(1990年)らがおり、現地の記事ではロックバンドとして扱われていることも多いが、あまりロック的な音楽性ではないのでここでは割愛する。

ベンガル語のポピュラーソングを聴いて感じるのは、インドの他の言語の歌と比較して、メロディーの「くせ」が少なく、どこか垢抜けているということだ。
例えばヒンディー語やパンジャービー語の歌やラップを我々日本人が聴くと、歌い回しや独特の「こぶし」が茨城弁や東北弁っぽく聴こえることが多い。
(参考記事:「インドの吉幾三」
ところが、ベンガル語の歌やラップには、こうした独特の節回しがほとんど感じられないのだ。
これは、言語のイントネーションの違いによるものかもしれないし、それぞれの言語圏の音楽の伝統の違いによるものかもしれない。
独特のうねるような歌い回しが特徴的なヒンドゥスターニー音楽(北インドの伝統音楽)と比べて、例えばベンガルに伝わるバウルの歌は、歌い声こそ力強いが歌い方はもっとストレートだし、ベンガル人たちの愛唱歌タゴール・ソングも唱歌のようなシンプルなメロディーのものが多い。
つまり、ベンガル人の音楽的なルーツには、いかにもインド的な節回しは存在していないようなのだ。
ひょっとしたら、コルカタにインドらしからぬ音楽性のロックバンドが多い理由のひとつに、こうしたベンガル語やベンガル音楽の「くさみの少なさ」が影響しているのかもしれないと思った次第である。

インドの他の地域同様、コルカタのロックシーンもまた、2000年以降、経済成長やインターネット普及の追い風を受けて加速度的に発展してゆく。
Highの影響を強く受けているというThe Supersonicsは、2006年に結成されたバンドだ。

Highとはうってかわって現代的なサウンドだが、それだけにコルカタのロックの伝統が21世紀まで続いていることを感じさせられる。

2010年結成のUnderground Authorityはインド初のラップメタルバンドと言われている。

Rage Against The Machineを彷彿とさせる社会的メッセージの強い楽曲を演奏している。
この曲は全編英語だが、彼らは英語ラップとヒンディー語のヴォーカルを融合させた曲も多く、また映画のカヴァー曲なども手がけている。

2011年に結成されたThe Ganesh Talkiesもちょっと社会風刺っぽい要素のあるロック。

独立後のウエストベンガル州は、伝統的に共産党政権が長く続いていたことでも知られており、またナクサライトのような過激な運動を行う組織が誕生した地でもある。
こうした社会批判的な視点というのもコルカタのバンドの伝統と言えるのだろうか。
ちなみにインドには'◯◯ Talkies'という名前のバンドがいくつかあるが、いずれも古い映画館から取られた名前のようだ。

そしてコルカタの洗練されたロックバンドの究極とも言える存在が、2011年に結成されたこのParekh And Singhだろう。



Parekh & Singhはボストンのバークリー音楽院を卒業したNischay Parekhと、コルカタの名門私立学校La Martiniere Calcuttaでの友人だったJivraj Singhによるドリームポップ・デュオだ。
彼らは、イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約しており、日本の音楽情報サイトでもたびたび紹介されたり、高橋幸宏にリコメンドされたりするなど、国際的な評価を得ている。
毎回ウェス・アンダーソンを思わせるポップな色使いのミュージックビデオを制作することでも知られており、音楽的にもビジュアル的にもインドらしさのまったくない無国籍なセンスの良さを誇っている。
それにしても、いくら世界的にも評価されているバンドだといっても、大人気と言えるほどでもない彼らが、いったいどうやって毎回こんなにお金のかかったビデオを撮ることができるのか、ずっと不思議だったのだが、ある筋から聞いた情報によると、どうやらその秘密は「実家がとんでもないお金持ち」ということらしい。
Parekhの実家は、お手伝いさんが10人以上いる大豪邸だそうだ。
彼らもまた、コルカタの富裕階級の趣味の良さを感じさせてくれるグループなのだ。

2回に分けてコルカタ出身の様々なロックバンドを見てきたが、そこに共通点を見出すとしたら、イギリス統治時代から続く西洋文化の吸収に積極的な「センスの良さ」と、文学的ともいえる深みのある表現と言うことができるだろう。
やはりどのバンドを見ても、ムンバイともデリーとも違う「コルカタらしさ」が感じられるように思えるのは、気のせいではないはずだ。

次回は、ベンガルのラッパーたちを特集してみたいと思います!
乞うご期待!



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goshimasayama18 at 20:32|PermalinkComments(0)

2020年03月08日

特集!コルカタのインディーミュージックシーンその1 驚愕の60〜70年代ロック!

どうやら最近巷では、南インド料理ブームに続いて、ベンガル料理が注目されているようだ。
さらに4月には、ベンガルが誇る世界文学史上の偉人、タゴールをテーマにしたドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』も公開される。
(不肖、軽刈田もこの映画のパンフレットに 文章を書かせてもらっています。今なおベンガルの地で愛唱されている、タゴールの歌とともに生きる人々を綴った素晴らしい作品。必見!)

というわけで、ベンガルブームの波が密かに迫ってきている昨今、インド4大都市の一つであり、ウエストベンガル州の州都であるコルカタのインディー音楽の歴史を特集してみようというのがこの企画。

まずはベンガルという土地についてざっとおさらいをすると、この地図の赤い部分が、インドのウエストベンガル州だ。
WestBengalMap
(出典:Wikipedia)

この地図では空白になっているが、ウエストベンガル州の東側の抉れたように見える部分には、バングラデシュがある。
抉れた先の、ちぎれそうになっている部分は、このブログでも何度も特集してきたインド北東部だ。
インドの東のはずれにあるのに、なぜ「西」ベンガル州なのかというと、ベンガル地方の東半分は、バングラデシュとして別の国になっているからなのである。

コルカタ―かつてのカルカッタ―は、いにしえの王朝が栄えた古都ではない。
かつては小さな村しかなかったこの地域が栄え始めたのは、イギリスの東インド会社が拠点を構えてからのことだった。
1877年には、イギリス領インド帝国の首都に定められ、行政の中心地となったことで、官僚として働くインド人の知識階級が成長した。
コルカタは、タゴールをはじめ、映画監督のサタジット・レイや、宗教家/思想家のスワミ・ヴィヴェーカーナンダのような、伝統を踏まえつつもどこか進取の気性に富んだ人物を多く排出した街という印象があるが、それはこの街が、藩王国時代からの伝統ではなく、イギリス支配以降の「新しい」時代の影響を強く受けているということも関係している。
古いものと新しいもの、東と西の文化が混ざり合う風土があったのだ。
そして、イギリスによるインド統治の中心地だからこそ、支配のなかで自分たちのアイデンティティを捉えなおそうという気風が育ったのだろう。
 
コルカタの歴史は穏やかなものではなかった。
知識階級となったベンガル人たちは、やがてイギリス支配からの独立運動に取り組み始める。 
スバシュ・チャンドラ・ボースや「中村屋のボース」として知られるラース・ビハリ・ボースといった独立運動の英雄は、いずれもベンガルの出身である。 
こうした動きを削ぐため、イギリスは1905年にはベンガルのヒンドゥーとムスリムの団結を避けるべく居住地を分割し、1911年には首都をデリーへ移転した。 
ベンガル出身の2人のボースは、ついにインドの独立を見ることはなく、チャンドラ・ボースは台湾で、R.B.ボースは日本で、いずれも1945年に亡くなっている。

インドとパキスタンがイギリスからの「分離独立」を果たしたのは、その2年後の1947年のことだ。
この独立にともない、ベンガルの地は、インド領ウエストベンガル州と、東パキスタン(のちのバングラデシュ)に分断される。
イギリス領だったころの分割統治が、そのまま2つの国を生んでしまったのだ。
ヒンドゥーがマジョリティを占める世俗主義国家インドと、イスラームを国教とする東パキスタンへの分割は、多くの難民を生み、カルカッタはその後長く路上生活者のあふれる街という印象を持たれることになった。
さらに、分離独立によって、主要産業である綿花やジュートの原料生産地の東ベンガルを失ったコルカタの経済は、その後長く低迷することになる。

だが、イギリス統治時代に育まれた、新しい文化に積極的な気風は、独立後もこの街に生き続けていた。
アングロ-インディアンと呼ばれるイギリス人の血を引くインド人たちのコミュニティーが、西洋文化の受容を続けていたこともその理由の一つだったようだ。 
1960年代には、ビートルズやジミ・ヘンドリックスなどの欧米の新しい音楽の影響を受けた本格的なロックバンドがカルカッタに登場する。
The Cavaliers, The Flintstones, Calcutta-16といったバンドたちは、サウンドだけ聴けばインドのバンドであることを感じさせない、同時代のアメリカやイギリスのバンドのようなロックを演奏している。



The CavaliersのリズムギタリストだったDilip Balakrishnanが、Calcutta-16に合流する形で誕生したGreat Bearは、インドで最初のプログレッシブ・ロックバンドとされている。

King CrimsonやELPのような構築的なプログレではなく、初期Pink Floydのようなサイケデリック・サウンドは、テクニックよりも雰囲気で聴かせるタイプのようだ。

メンバーの脱退によりGreat Bearが解散したのち、Balakrishnanは、The CavaliersのベーシストLew Hilt、Calcutta-16のドラマーNondon Bagchiらとともに、1974年にHighを結成する。

このHighは、今でも評価の高いコルカタ・ロックシーンの伝説的なバンドだ。
Grateful Dead, The Beatles, Rolling Stones, Pink Floydの影響を受けた彼らは、カバー曲の演奏が中心だった当時のシーンでは珍しく、英語のオリジナル曲をいくつも残している。
 

この"Is It Love", "Place in The Sun"の2曲は彼らのオリジナル曲。
彼らは欧米のバンドのカバーも多く手掛けており、Marshall Tucker Bandの"Can't You See", Allman Brothers Bandの"Wasted Words"などの優れたカバーを披露している。


Highは70〜80年代にインドでは数少ないロックファンの人気を博したようだが、90年に中心人物のBalakrishnanが39歳の若さで亡くなり、その活動を終える。
これだけの質の高いバンドでありながら、彼らはインドのインディー音楽の黄金時代がやってくるずっと前に解散してしまったのだ。
彼らが活動していた時代は、楽器や機材の調達にも苦労し、バンドだけで生活してゆくことなどとてもできなかったようだ(これは今のインドのインディーミュージシャンたちもあまり変わらないかもしれないが)。
これだけの音楽の才能を持ったリーダーのBalakrishnanですら、企業に務めながら音楽活動をしていたという。

それにしても、60年代、70年代のインドに、ここまで洗練されたロックバンドがいたということに、ただただ驚かされる。
これもコルカタという街の持つ独自性が育んだ、素晴らしい文化遺産のひとつと呼ぶことができるだろう。
Highの作品は、2009年にインドのSaReGaMaレーベルから再発売され、翌年には新たなメンバーを加えて、'High Again'という名前で再結成を行ったようだ。

次回はより新しい時代のコルカタのシーンを紹介したい。

参考サイト:
https://www.redbull.com/in-en/a-high-point-in-indian-rock

http://www.sunday-guardian.com/artbeat/high-to-dilip-remembering-the-granddaddies-of-kolkatas-rock-scene-2 

https://www.businesstoday.in/magazine/bt-more/return-of-the-native/story/4765.html

https://www.facebook.com/pg/HIGH.THE.BAND/about/



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