地域別音楽シーン事情(北東部以外)

2020年06月22日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その2)


タゴールソングNight6.20


前回に続いて、先日の「タゴールソングNIGHT」で紹介した楽曲を紹介します。
タゴールソングの現代的アレンジや、ベンガルのヒップホップを紹介した前回に続いて、今回は、バウルに関する曲からスタート!

いろいろなアレンジのバウルソングを紹介する前に、まずは伝統的なバウルソングを聴いてみましょう。
映画にも登場したLakhan Das Baulが歌う"Hridmajhre Rakhbo".

バウルとは、ベンガル地方に何百年も前から存在している放浪の行者であり、歌い人のこと。

タゴールの詩は、バウルの影響を強く受けていると言われており(一説には、タゴールは19世紀の伝説的なバウルであるラロン・シャーと会ったことがあるとも)、かつては賎民のような扱いだったバウルは、今ではUNESCOの世界無形遺産に指定され、ベンガル文化を代表する存在になっている。

欧米のロックミュージシャンがブルースマンに憧れたように、現代ベンガルのミュージシャンがアウトサイダーであるバウルに憧れを持つことは必然だったようで、多くのバンドがバウルをフィーチャーした曲を発表している。

これはコルカタのロックバンドFossilsが、Purna Das Baulをゲストヴォーカルに迎えた曲。

Purna Das Baulはあのボブ・ディランにも影響を与え(後述)、ボブ・マーリーともステージを共にしたことがあるバウル界の大スター。
佐々木監督によると、この"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"は「愛というものを知らない人は、誰かに与えたり受け取ったりすることがない 本物の黄金を手放す人は黄金そのものを知らない」という内容の歌詞だそう。

タゴールが作った学園都市シャンティニケトンがある地区の名前をバンド名に関したBolpur Bluesは、バウルをゲストに迎えるのではなく、もとからバウルのヴォーカリストがいるという異色のバンド。

いったいどういう経緯でバウルがロックバンドに加入したのかはわからないが、どことなく他のメンバーがバウルのヴォーカリストに気を遣っているように見えなくもない…。
これはラロン・フォキルによる『かごの中の見知らぬ鳥』という歌。

そして、前回紹介したように、タゴールソングのDJミックスを作ってしまうほどにダンスが好きなインドやバングラデシュの人々は、当然のようにバウルソングもダンスミュージックにリミックスしてしまいます。
この曲は"Baul Trap Beat"とのこと。

いったい誰がどういう意図で作ったものなのかは不明だけど、なんでもとりあえずダンスミュージックにしてしまおう、という心意気は素晴らしい。


さて、バウルについて紹介するときに、必ずと言っていいほど書かれているのが「バウルはあのボブ・ディランにも影響を与えている」というフレーズ。
その真偽に関してはこの記事を参考にしてもらうとして、ベンガル文化とディランとの関係は決して一方向のものではなく、ベンガル(とくにコルカタ)の人々もディランから大きな影響を受けている。

「ディランに影響を与えたバウル」であるPurna Das Baulは、ディランの代表曲『ミスター・タンブリンマン』("Mr. Tambourine Man")と『風に吹かれて』("Blowin' in the Wind")をバウル・スタイルでカバーしている。


言われなければディランの曲だと分からないほど、すっかりバウルソングになっている。
佐々木監督曰く、『風に吹かれて』は元の歌詞を見事にベンガル語に翻訳してメロディーに乗せているそう。

ディランからの影響は、彼と交流のあったPurna Das Baulだけではなく、多くのミュージシャンに及んでいる。
往年のコルカタのミュージシャンたちが、ディランからの影響を口々に語るこんなドキュメンタリー映画も作られている。Vineet Arora監督によるこのドキュメンタリー"If Not For You - A Bob Dylan Film"はVimeoで全編が無料公開されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

さらには、コルカタの詩人Subodh Sarkarによるディランを讃える詩の朗読なんてものもある(情感たっぷりに朗読しているのは、詩人本人ではなくて女優さん)。

佐々木監督によると、この詩のタイトル"Paraye Paraye Bob Dylan"は「あらゆるところにボブ・ディラン」という意味だそうで、コルカタの文人から見たディランの影響の大きさや彼の功績を称える内容とのこと。
まるでタゴールに匹敵するような扱いだけど、佐々木監督がベンガルの人に聞いたところ「ディラン?ミュージシャンには人気あるんじゃないかなあ」という回答だったそうで、その人気はあくまでも音楽シーンに限定されるよう。

とはいえ、コルカタのシーンにおけるディランの影響は絶大で、こんなディランへのトリビュートソングも歌われている。
「インドのボブ・ディラン」(こんなふうに呼ばれている人が他にも何人かいるのだけど)ことSusmeet Boseの、その名も"Hey Bob Dylan".

コルカタのフォークシンガーKabir Sumonは、『風に吹かれて』をベンガル語でカバーしている。


ベンガル地方は、イギリスからの独立運動の中心地となった社会意識が非常に高い土地柄だ。
コルカタのシンガーたちは、インドの音楽シーンが、格差やカーストなどの社会問題をいっこうに取り上げないことに疑問を感じ、ディランをお手本に自らも社会的なテーマを扱いうようになった。
コルカタに根付いている社会運動の伝統と、イギリス統治時代に首都だった歴史から来る欧米文化への親和性の高さ、そしてタゴール以来の文学的素養を考えれば、この街ののミュージシャンたちが、プロテストフォークの旗手であり、フォークソングを文学の域にまで高めたディランに惹かれるのは必然だったと言えるだろう。


さて、ここからは、タゴールやバウルから離れて、現代ベンガルの音楽シーンの発展を見てゆきます。

イギリス統治時代の首都だったコルカタは、古くから在留イギリス人や上流階級に西洋音楽が親しまれていた土地で、繁華街パークストリートには、ジャズの生演奏を聴かせるレストランがたくさんあったという(今でもパークストリートにはクラブやライブ演奏のある飲食店が多くあります)。
こうしたシーンの中心的な存在だったのは、イギリス人の血を引くアングロ−インディアンと呼ばれるコミュニティのミュージシャンたち。
独立まもない時期から活躍したアングロ−インディアンのジャズシンガーのPam Crainは、「パークストリートの女王」と呼ばれ、長くコルカタのジャズシーンで活躍した。


1960年代に入ると、ビートルズなどの影響で、インドにも「ビートグループ」と言われるバンドが登場する。
彼らはギターを手作りしたり、政治演説用のスピーカーをアンプの代わりにしたり、警察のマーチングバンド用のドラムを使ったりという涙ぐましい努力をして、ロックの演奏に取り組んだ。
コルカタはそうしたシーンの中心地のひとつで、このThe Cavaliersの"Love is a Mango"はインドで最初のオリジナルのロック曲。

シタールの入ったインドらしい響きが印象に残るサウンドだ。

The Cavaliersの中心人物Dilip Balakrishnanは、1970年代に入ってHighを結成し、より洗練されたロックを演奏した。

音だけ聴いてインドのバンドだと気づく人はいないだろう。
高い音楽的才能を持っていたDilipだが、当時のインドではロックのマーケットは小さく、仕事をしながら音楽活動を続けていたものの、1990年にその後のインディーミュージックシーンの隆盛を見ることなく、若くして亡くなっている。

1971年、東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが独立。
これはバングラデシュ独立後最初のロックバンドと言われるUnderground Peace Loversのドキュメンタリーだ。


バングラデシュでは、インド領の西ベンガルと比べてバウル文化の影響がより大きく、「街のバウル」を意味するNagar Baulや、ラロン・フォキルから名前を取ったLalon Bandといったバンドたちが活躍した。

シンガーのJamesがNagar Baul(街のバウル )とともに演奏しているのは、彼らの代表曲"Feelings".
Nagar Baulには2018年に亡くなった名ギタリスト/シンガーのAyub Bachchuも在籍していた。

こちらはLalon Band.



1970年代に入ると、インド領西ベンガル州では、毛沢東主義を掲げ、階級闘争ためには暴力行為もいとわないナクサライトなどの社会運動が活発化する。
こうした風潮に応じて、コルカタのミュージシャンたちも、欧米のバンドの模倣をするだけでなく、よりローカルで社会的なテーマを扱うようになる。
ディランからの影響も、こうした社会的背景のもとで育まれたものだ。
Mohiner Ghoraguliは、Pink Floydのような欧米のバンドのサウンドに、バウル音楽などのベンガル的な要素を取り入れたバンド。

Mohiner Ghoraguliというバンド名はベンガルの詩人ジボナノンド・ダースの作品から取られている。
ちょっと狩人の『あずさ2号』にも似ているこの曲は、「テレビの普及によって世界との距離が近くなる代わりに疎外感が生まれる」という現代文明への批判をテーマにしたもの。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、ナクサライトの活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。
彼が99年に亡くなるまで、Mohiner Ghoraguliは知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。


さて、ここから一気に現代へと飛びます。
コルカタのロックシーンの社会批判精神は今日でも健在!
つい先日リリースになったばかりのコルカタのブラックメタル/グラインドコアバンドHeathen Beastの"Fuck Your Police Brutality"は、激しすぎるサウンドに乗せて警察権力の横暴と、マイノリティーへの暴力を鋭く告発した曲。

彼らのニューアルバムは、一枚まるまる現代インド社会への批判になっていて、近々ブログで特集したいと思います。

最後に紹介したのは、コルカタ音楽シーンの洗練の極みとも言えるドリームポップデュオ、Parekh & Singh.

イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約し、日本でも高橋幸宏にレコメンドされるなど、国際的にも高い評価を得ている彼らは、アメリカのバークリー音楽院出身のエリートミュージシャンだ。
毎回かなりお金のかかっていそうなミュージックビデオを作っている彼らのお金はどこから出てきているのかと思っていたが、事情を知る人の話では「家がとんでもないお金持ち」という真相だそう。

大金持ちといえば、タゴールも大地主の家の息子。
経済的な豊かさを基盤に、安穏と暮らすのではなく、さまざまな文化を消化して詩情豊かな作品を作り上げることもベンガルの伝統なのかもしれない、なんて言ったら、さすがにこじつけかな。

と、こんな感じで当日は3時間にわたってタゴールソングからバウルソング、現代ベンガルに至る音楽とトークの旅をお届けしました。

映画『タゴール・ソング』はポレポレ東中野、仮設の映画館ではまだまだ上映中!
6月27日(土)からは名古屋シネマテークでの上映も始まります。

映画未見の方はぜひご覧ください!


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goshimasayama18 at 16:02|PermalinkComments(3)

2020年06月21日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その1)

というわけで、6月20日(土)に東中野の「CAFE & SPACE ポレポレ坐」にて、長ーいタイトルの『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』をやってまいりました。

お客さんから、「当日のセットリストを教えて欲しい」という声をたくさんいただき、また遠方だったりでお越しいただけなかった方もいらっしゃるようなので、今回は当日紹介した曲の動画をあらためて紹介します。

まずは映画にも登場したRezwana Chowdhuryの"Majhe Majhe"を聴いて、伝統的なスタイルのタゴールソングを復習。

ちなみにこれはバングラデシュの朝の番組のなかの一幕。
「今日の占いカウントダウン」みたいなノリで、「今日のタゴールソング」のコーナーがあるそうです。

ここからはいよいよ、現代風にアレンジされたさまざまなタゴールソングを紹介してゆきます。
パンフレットでも紹介しているムンバイのYouTuberバンドSanamの"Tumi Robe Nirobe"(『あなたが居る』)

タゴールの詩をラブソングとして解釈して、このインドのお菓子のような甘すぎるアレンジにしたのだろうけれども、これはこれでアリ。
メンバーはいろんなタイプのイケメン。あなたの好みは誰?

続いて、バンガロールのバンド、Swarathmaが、ベンガルの行者であり吟遊詩人でもあるバウルのLakhan Das Baulを加えて演奏した"Ekla Cholo Re"(『ひとりで進め』)。
バウルについてはのちほど詳しく紹介します。

映画の中ではベンガルの人々とタゴールソングの関係にフォーカスされていたけど、ムンバイ、バンガロールとベンガル以外の地域のみなさんも、タゴールソングには並々ならぬ思い入れがあるようです。


続いては、コルカタのロックバンドによる大げさなアレンジの"Ekla Cholo Re".
これは当日紹介しようとして、動画が見当たらなくて紹介できなかったものです。

素朴なタゴールソングのイメージを覆すド派手なアレンジは、大事な試験の前とか、「俺は一人でやるんだ!」と自分を奮い立たせるときなんかにいいんじゃないんでしょうか。

映画"Kahaani"(邦題『女神は二度微笑む』)で使われた、名優Amitabh Bhachchanが歌う"Ekla Cholo Re"は洋楽風のアレンジ。

同じ"Ekla Cholo Re"でもアレンジでさまざまな印象になることが分かります。

続いて、コルカタのメタルバンドThe Winter Shadeによる、さらに大げさなアレンジのタゴールソングを。

いかにもメタルっぽい黒いTシャツ、サングラス、バンダナ(でも髪は短い)、そして大自然の中でどこにも繋がっていないアンプ(しかもマーシャルとかじゃなくて練習用っぽい小さなやつ)、最後まで使われないアコースティックギター、草越しの謎のカット、とツッコミどころ満載だけど、こんなコテコテのメタルバンドからも愛されているタゴールソングってすごい!
ちなみにこの曲のメロディーは、あの『蛍の光』と同じく、スコットランド民謡の"Auld Lang Syne"から取られたもの。
イギリス統治時代に生きていたタゴール(イギリス留学経験もある)は、このメロディーに自らの詩を乗せてみたくなったのでしょう。
佐々木監督曰く、原曲同様に昔を懐かしむ詩が乗せられているとのこと。

続いては、個人的にとてもお気に入りの、素人っぽい大学生風の3人によるウクレレとビートボックスを使ったカバー。

「タゴールソングのカバーやろうよ。君、歌上手いから歌って。俺ウクレレ弾くから。そういえば、あいつビートボックスできたよな。YouTubeにアップしよう。」みたいな会話が聴こえて来そうな雰囲気がたまらない。
タゴールソングがカジュアルに親しまれているいることが分かる1曲。

続いては、タゴールによって作詞作曲されたバングラデシュとインドの国歌を紹介。
こちらは"We Are The World"形式でさまざまな歌手が歌うバングラデシュ国歌『黄金のベンガル』。


再び名優Amitabh Bachchanが登場。
タゴール生家でアカペラで歌われるインド国歌"Jana Gana Mana"は、思わず背筋を伸ばしたくなる。


さらに続くタゴールソングの世界。
ダンス好きなインド人ならではの、タゴールソングのDJ remixなんてものもある。

インドっぽい女性の'DJ〜'っていうかけ声から、DJと言いながらもヒップホップやエレクトロニック系のビートではなく完全にインドのリズムになっているところなど、こちらも愛すべきポイントが盛りだくさん。
佐々木監督からは、「タゴールソングにはダンス用の曲もあり、タゴールダンスというものもある」というお話を伺いました。
YouTubeのコメント欄にはベンガル語のコメントがいっぱい書かれているのだけど、「DJタゴールのアルバムがほしい」「タゴールが生きていたらこのDJにノーベル賞だな」というかなり好意的なものだけでなく、「犬にギーのご飯の味は分からない」(「豚に真珠」のような意味)といった批判的ものもあったとのこと。
いろんな現代的なアレンジで親しまれているタゴールソングですが、なかには「タゴールソングはやっぱり伝統的な歌い方に限る!現代風のアレンジは邪道」と考えている保守的な人もいる。
その一方で、若い人たちが、自分たちなりに親しめる様式にしているというのは、すごく間口が広くて素敵なことなのではないかと思う。



続いて紹介したのは、タゴールにインスパイアされた楽曲たち。
まずはコルカタのラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRが、タゴールソングの代表曲のタイトルを借用した"Ekla Choro Re".
貧困に喘ぎ、自ら死を選ばざるを得ないインドの農村の人々を描いた衝撃的なミュージックビデオは以前こちらの記事で紹介したので、今回はこの曲が話題になったきっかけのテレビ番組でのパフォーマンスをシェアします。


曲が進むにつれ真剣なまなざしになる審査員、最後に「失うものは何もない。団結しよう。束縛を打ち破ろう」とアジテーションするEPRに、独立闘争を戦ったベンガルの英雄たちの姿が重なって見えます。

これは当日紹介できなかった動画。
サイプレス上野みたいな見た目のラッパーによるタゴールへのトリビュートラップ。

自宅なのかな?
これもカジュアル感がたまらない仕上がり。
佐々木監督に聞いたところ、リリックは「タゴール誕生日おめでとう。いつもリスペクトしてるよ。いつもあなたがいる。」という、まるで先輩ラッパーに捧げるかのような内容だそう。


ここから話は現在のベンガルのヒップホップ事情に移ります。
まずはコルカタを代表するラッパー、Cizzyのこの曲"Middle Class Panchali"を紹介。

このジャジーなビートは、バングラーっぽいリズムになりがちなデリーや、パーカッシブなビートが特徴のムンバイのヒップホップとは全く違うコルカタらしい小粋な仕上がり。
ちなみに音楽ジャンルとしての「バングラー」は、カタカナで書くとバングラデシュ(Bangladesh)と同じだが、アルファベットで書くとBhangra.
インド北西部パンジャーブの伝統音楽でベンガルとは何の関係もないのでご注意を。

コルカタのヒップホップシーンのもうひとつの特徴は、とにかくみんな自分の街のことをラップすること!
ムンバイもちょっとそういう傾向あるけど、不思議とデリーのラップではそういうの聴いたことがない。
この曲は、コルカタにあるインド最古のレーベル、Hindusthan Recordsの音源をトラックに使った温故知新なビートがクールなこの曲もリリックはコルカタのカルチャーが満載。(これもイベントでは紹介できなかった)

1:35頃の映像に、タゴールもちょこっと出てくる。

こちらは映画にも出て来たバングラデシュの首都ダッカのラッパー、Nizam Rabby.

バングラデシュのラッパーたちも、バングラデシュのことをラップする傾向がある。
佐々木監督曰く、この曲は1971年の独立を勝ち取った戦士たちのことなども扱われているとのこと。


続いて、インド各地の歌がメドレー形式で歌われる曲の中でも、ベンガルを代表する曲として必ずタゴールソングが出てくるという話題。
米ペンシルバニア大学に通うインド系の学生たちによるアカペラ・グループPenn Masalaが歌うインド各地(各言語)を代表する曲のメドレーでは、他の言語の代表曲がほとんど映画音楽(インドなら当然なのだけど)なのに対して、ベンガルからは"Ekla Cholo Re"が選ばれている。


こちらはインド北東部ナガランド州に暮らすさまざまな部族や、インド主要部から移住して来た人々がメドレー形式で歌う曲"As One".
4:30頃に出てくるベンガル人は、やっぱりタゴールの"Ekla Cholo Re"を歌います。

ベンガルを代表する曲といえばタゴールソング、そのなかでもやっぱり"Ekla Cholo Re"ということになるのかも。

長くなりそうなので、今回はここまで!


「その2」はこちらから!↓



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goshimasayama18 at 20:42|PermalinkComments(2)

2020年05月24日

ゲットーだけがヒップホップじゃない! ムンバイのアーバン・ヒップホップ Sixk


このブログで何度も紹介しているムンバイのヒップホップシーン。
これまで主に紹介してきたのはストリート系のラッパー(スラム出身者などのいわゆるガリーラップ)や、Lo-Fi/Jazzy HipHopなどの音響的に新しい試みをしているアーティストたちだった。



インド最大の都市、ムンバイには、こうしたムーブメントとは別に、ポップミュージックとして洗練されたヒップホップを追求しているアーティストも存在している。

ムンバイの6人組、SIXK(どう発音するのだろう)は、ストリートのリアリティーの追求や音響的な実験ではなく、かつボリウッド的なバングラー/EDM系のラップとも違う、ポップな英語リリックによるヒップホップチューンを発表している。
彼らは2018年に結成され、4人のヴォーカル(MC)とプロデューサー、ドラマーからなるグループだ。
さっそく、彼らの"Dansa"と"Roll Numbers"を聴いていただこう。




"Dansa"のミュージックビデオの一糸乱れぬダンスはボリウッドを思い起こさせる部分もあるが、これは昨今インドでも人気の高まっているK-Popの影響かもしれない。
"Roll Numbers"のYouTubeのコメント欄には、「韓国のラップトリオMFTBYがこの曲にリアクションしてくれた!」というコメントが寄せられていて、K-Popが欧米のポップ・ミュージック同様にインドの憧れの対象となっていることが分かる。


音楽メディア'Rolling Stone India'のウェブサイトでは、ここ1〜2年でK-Popが取り上げられる割合がかなり大きくなっており、韓国のアーティストにインドのミュージックビデオを見せて、そのリアクションを動画で公開するといった企画も行われている。(SIXKへのMFTBYのリアクションというのも、おそらくはこの企画のことを指しているのだろう)

お聴きの通り、彼らのサウンドは、ゴツゴツとしたラップではなく、ソウルやポップスの要素も入ったノリが良くキャッチーなものだ。
リリックのテーマも、ストリートのリアルさというよりも、9時から5時の仕事の憂鬱や、内面的な感情を扱っている。
こうしたリリックの通り、インタビューによるとメンバーは定職を持ちながら音楽活動を始めており、今なおCAとして働いているメンバーもいるという。
映画音楽以外の音楽シーンがまだまだ発展途上のインドでは、多くのミュージシャンが「本業」を持ちながら、自分たちの表現したい音楽に取り組んでいる。
彼らは語る。
「俺たちはストリート育ちじゃない。俺たちには人を感動させるようなストーリーがあるわけじゃないんだ。でも俺たちは、機械みたいな決まりきった生活なんて全く望んじゃいないよ。俺たちはかなり恵まれた環境に育っているし、他のアーティストに比べて苦労しているようには見えないかもしれない。それでも、精神的な苦労はかなり大きいし、今だってそうだよ。育ってきた中で身についた習慣を捨て去るっていうのは、すごく勇気がいることだ。安定した生活と仕事を捨てるっていうのはね。」

スラム出身者などの「ガリーラップ」が注目を集めることが多いインドのシーンだが、もちろんラップはゲットー育ちのみに与えられた特権ではない。
ミドルクラスにも上流階級にも悩みや不満があり、表現衝動があるのもまた当然なのだ。

これまでインドで発展してきたボリウッド系ラップやガリーラップ、音響的な美学を追求したアンダーグラウンド・ラップに加えて、さらにこうしたポップな世界観のラッパーたちも登場し、ますます活況を呈してきているインドのヒップホップシーン。
英語リリックという世界基準を満たしていて、さらにローカルな要素が少なく普遍的なテーマを扱っているということもあり、うまくいけば、このジャンルから世界的にブレイクするアーティストが出てくるなんてこともあるかもしれない。

最後に、SIXKのより実験的な楽曲、"Conversation"と"Realisation"を紹介する。
彼らは音楽的な引き出しも多そうで、今後の活躍がますます期待されるヒップホップ・アーティストの最右翼に位置付けられそうだ。







参考:
http://theindianmusicdiaries.com/getting-real-with-sixk-the-hip-hop-crew-from-mumbai/




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2020年03月17日

コルカタ&バングラデシュ ベンガルのラッパー特集!




前回、前々回とコルカタのロックシーン特集をお届けした。
今回は、満を持してヒップホップ特集!
それも、インド領ウエストベンガル州のコルカタだけではなく、バングラデシュを含めたベンガル地方のヒップホップアーティストを紹介します。

ふだんチェックしているインドの音楽メディアでは、どうしてもヒンディー語圏のアーティストが紹介されることが多く、ベンガルの音楽シーンの情報というのはほとんど入ってこない。
とくにヒップホップに関しては、映画『ガリーボーイ』 の舞台にもなったインドのシーンの中心地ムンバイや、インド随一のヒップホップレーベル'Azadi Records'を擁するデリーが全国的に注目されており、ベンガルのラッパーはインド国内でもほとんど取り上げられていない。
多言語国家インドのこの状況は、例えばここ日本で欧米の音楽情報を入手しようとしたときに、アメリカ・イギリス以外の地域や、英語以外の言語で歌うアーティストの情報がなかなか入ってこないのと同じようなものだと考えれば分かりやすいだろう。
ところが、ベンガル語圏は、ロックバンドだけでなく、ヒップホップにおいてもセンスの良いアーティストの宝庫なのだ。

まずは、コルカタを代表するラッパー、Cizzyを紹介。

このジャジーなビートと落ち着いたラップは、パーカッシブなビートにたたみかけるようなラップが特徴のムンバイのガリーラップとは趣を異にする、じつにコルカタらしいサウンドだ。

Cizzyの存在に最初に気がついたのは、ジャールカンドのヒップホップアーティストTre Essによる7人のラッパーのマイクリレー"New Religion"のトップバッターを務めていたのを聴いた時だった。

メディアへの露出こそ少ないベンガリ・ラッパーたちだが、どうやら北インドの言語圏のラッパー同士の交流は行われているようである。

彼のリリックのテーマはコルカタのライフスタイルのようで、この曲のタイトルはそのままずばりの"Kolkata".
ここでは抑制の効いたビートに乗せて、ムンバイのDivineのスタイルに似たアッパーなラップを披露している。
コルカタのシンボルのひとつ、人力車も出てくるミュージックビデオの見所は、デリーやムンバイとは雰囲気の違うコルカタのガリー(裏路地)だ。
イギリス統治時代に作られた街並みなのだろうか。

このCizzyの曲をリリースしているJingata Musicは、コルカタのヒップホップシーンを代表するレーベル。
Jingata MusicのYouTubeチャンネルでは、他にもイキのいいウエストベンガルのラッパーたちをチェックすることができる。

Old BoyとWhy Sirによる"Nonte Fonte"には、ダンサーやラッパーたちが大勢出演したコルカタのシーンの勢いが感じられる楽曲。
 
Mumbai's Finestの"Beast Mode"と比較してみるのも面白いだろう。
ラップのスキルやセンスはともかく、コルカタのほうがちょっと垢抜けない感じなのも微笑ましい。

このOld Boyによる"Case Keyeche"のリリックは『ガリーボーイ』ブームに便乗して出てきたギャングスタ気取りのエセラッパー(誰のことだ?)を揶揄するもののようだ。

そのくせ、彼自身も動画のタイトルに、コラボレーションしているわけでもないDivineやNaezy(いずれも『ガリーボーイ』のモデルになった人気ラッパー)を入れており、そういうオマエも便乗してるじゃん!と突っ込みたくなってしまう。
とはいえ、この曲を聴けば彼が確かなスキルを持ったラッパーであることが分かるだろう。
この曲のビートにはBraveheartsの"Oochie Wally"が使われているが、ベンガル語混じりのラップが乗ると一気にインド的な雰囲気になってしまうのが面白い。

前回の記事で紹介したラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPR Iyerは、有名なタゴール・ソングからタイトルを拝借した"Ekla Cholo Re"(ひとりで進め)という曲を発表している。

この曲は、貧しい生活を余儀なくされ、自殺者が相次いているインドの農民たちがテーマとなっている。
EPR曰く「これは単なる歌ではなく、雄叫び(Warcry)だ。誰にも気にされずに死んでゆく人々のための、戦いの叫びである。」
こうした強い社会意識はインドのラッパー全体に広く見られるものだが、そこにタゴール・ソングの曲名を引用してくるというセンスはベンガルならではのものだ。
トラックを担当しているGJ Stormはコルカタを代表するビートメーカーのひとり。

色鮮やかなクルタに身を包んだMC HeadshotとAvikのデュオによる"Tubri"は、オールドスクールなビートにインドっぽい音色も入ったトラックに乗せて、確かなスキルのラップを聞かせてくれる一曲。


ストリートのリアルを直接的に表現することが多いムンバイのシーンと比較すると、コルカタのシーンはどこか知性や批評性を感じさせるラッパーが多いように感じられる(ムンバイのラッパーに知性がないと言いたいわけではない。念のため)。
かつてのアメリカのヒップホップになぞらえると、ムンバイは西海岸に、コルカタはニューヨークのシーンに似ていると言えるかもしれない。
(面白いことに、それぞれの街の位置もアメリカの西海岸とニューヨークにあたる場所にある)


ベンガルで優秀なラッパーが多いのはコルカタだけではない。
国境を越えたバングラデシュにも、また数多くの優れたラッパーたちがいる。

バングラデシュを代表するラッパーの一人、Nizam Rabbyはドキュメンタリー映画『タゴール・ソング』にもフィーチャーされ、映画の中で郷土の大詩人タゴールへの思いを語っている。

たとえ言葉はわからなくても、彼のラップを聴けば、その高いスキルを感じることができるはずだ。
現代ストリートカルチャーの最先端のラッパーが、100年前の詩人からつながるカルチャーを持っていることこそ、ベンガルのシーンの豊饒さと言うことができるだろう。

Bhanga Banglaは「バングラデシュで最初のトラップアーティスト」という触れ込み。
 
ミュージックビデオに描かれているベンガル風の近未来的ディストピアが面白い。

本場アメリカで活動しているベンガル系ラッパーもいる。
この"Culture"で国旗を振り回してラップしているSha Vlimpseは、ニュージャージー出身のバングラデシュ系ラッパー。
いわゆる狭義の'Desi Hip-Hop'(在外南アジア系アーティストによるディアスポラ市場向けヒップホップ)ということになるが、その中でも彼のリリックのテーマは、「バングラデシュ系としてアメリカで生きること」のようだ。
 
彼のフロウにはエミネムの強い影響が感じられる。
インドでは、バンガロールのラッパーBrodha Vもかなりエミネムっぽいフロウを聞かせているが、南アジア系のラッパーがエミネムから受けた影響の大きさをあらためて感じさせられる。

ベンガルのラッパーの情報は、インドのインディー音楽シーンのメインストリームばかり追いかけているとなかなか入ってこないが、センス、スキルともに高いアーティストが多く、ムンバイともデリーとも異なる雰囲気のシーンが形成されている。
インド領のコルカタとバングラデシュでもまた違った空気があるようで、今後とくに注目してゆきたい地域である。

ベンガルにはまだまだ優れたラッパーたちがいるが、今回紹介するのはひとまずここまで!


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goshimasayama18 at 22:28|PermalinkComments(0)

2020年03月14日

特集!コルカタのインディーミュージックシーンその2 現在のコルカタのロックバンドたち


前回、60年代〜70年代のコルカタ(カルカッタ)で活躍した驚くべきロックバンド、The Flintstones, Calcutta-16, Great Bear, そしてHighを紹介した。

コルカタは1911年まで英領インドの首都として栄えていた街だ。
イギリスによるインド支配の中心地だったコルカタには、イギリス人男性とインド人女性との間に生まれた子どもたちの子孫である「アングロ・インディアン」と呼ばれる人々のコミュニティーが形成されていた。
彼らの多くがイギリス統治時代に官僚として活躍し、また西洋音楽(ジャズ、ブルース、のちにロックなど)をコルカタ、そしてインド全体にもたらすうえでも大きな役割を果たした。
さしずめ、アングロ・インディアンたちは、1960年代の日本で外国にルーツを持つメンバーを中心に結成され、本格的なロックを演奏していたゴールデン・カップスのような存在だったのだろう。

インドのなかでロックが盛んな地域といえば、ケーララ州やインド北東部といったキリスト教信仰が盛んな場所が挙げられるが、アングロ・インディアンたちもまたクリスチャンだった。
ここでもクリスチャンが西と東の文化をつなぐ役割を果たしていたのである。
(一方で、インドのキリスト教徒たちがヒンドゥー原理主義者たちから「インドの伝統を破壊する」として理不尽な排斥の対象にもなっているということにも留意しておきたい)

1970年代以降も、コルカタは洗練されたロックバンドを多く生み出している。
1975年に結成されたMohiner Ghoraguliは、欧米のロックの模倣だけでなく、ベンガルのフォークやバウルの影響も取り入れた、ベンガル語で歌うバンドだ。
さまざまなスタイルの曲を演奏しているが、この曲は穏やかなメロディーにむせび泣くギターが印象的な、まるでインド版Pink Floydだ。


1998年から2010年まで活動していたInsomuniaは、サイケデリックな要素のあるベンガル語のヘヴィ・ロック。ヴォーカルが弱いが、この時代のインドでこのサウンドを鳴らしたセンスはなかなかのもの。


ベンガル語で歌うバンドとしては、他にもCactus(1992年結成)、Fossils(1998年結成)、 よりフォーク的な曲調のKrosswinds(1990年)らがおり、現地の記事ではロックバンドとして扱われていることも多いが、あまりロック的な音楽性ではないのでここでは割愛する。

ベンガル語のポピュラーソングを聴いて感じるのは、インドの他の言語の歌と比較して、メロディーの「くせ」が少なく、どこか垢抜けているということだ。
例えばヒンディー語やパンジャービー語の歌やラップを我々日本人が聴くと、歌い回しや独特の「こぶし」が茨城弁や東北弁っぽく聴こえることが多い。
(参考記事:「インドの吉幾三」
ところが、ベンガル語の歌やラップには、こうした独特の節回しがほとんど感じられないのだ。
これは、言語のイントネーションの違いによるものかもしれないし、それぞれの言語圏の音楽の伝統の違いによるものかもしれない。
独特のうねるような歌い回しが特徴的なヒンドゥスターニー音楽(北インドの伝統音楽)と比べて、例えばベンガルに伝わるバウルの歌は、歌い声こそ力強いが歌い方はもっとストレートだし、ベンガル人たちの愛唱歌タゴール・ソングも唱歌のようなシンプルなメロディーのものが多い。
つまり、ベンガル人の音楽的なルーツには、いかにもインド的な節回しは存在していないようなのだ。
ひょっとしたら、コルカタにインドらしからぬ音楽性のロックバンドが多い理由のひとつに、こうしたベンガル語やベンガル音楽の「くさみの少なさ」が影響しているのかもしれないと思った次第である。

インドの他の地域同様、コルカタのロックシーンもまた、2000年以降、経済成長やインターネット普及の追い風を受けて加速度的に発展してゆく。
Highの影響を強く受けているというThe Supersonicsは、2006年に結成されたバンドだ。

Highとはうってかわって現代的なサウンドだが、それだけにコルカタのロックの伝統が21世紀まで続いていることを感じさせられる。

2010年結成のUnderground Authorityはインド初のラップメタルバンドと言われている。

Rage Against The Machineを彷彿とさせる社会的メッセージの強い楽曲を演奏している。
この曲は全編英語だが、彼らは英語ラップとヒンディー語のヴォーカルを融合させた曲も多く、また映画のカヴァー曲なども手がけている。

2011年に結成されたThe Ganesh Talkiesもちょっと社会風刺っぽい要素のあるロック。

独立後のウエストベンガル州は、伝統的に共産党政権が長く続いていたことでも知られており、またナクサライトのような過激な運動を行う組織が誕生した地でもある。
こうした社会批判的な視点というのもコルカタのバンドの伝統と言えるのだろうか。
ちなみにインドには'◯◯ Talkies'という名前のバンドがいくつかあるが、いずれも古い映画館から取られた名前のようだ。

そしてコルカタの洗練されたロックバンドの究極とも言える存在が、2011年に結成されたこのParekh And Singhだろう。



Parekh & Singhはボストンのバークリー音楽院を卒業したNischay Parekhと、コルカタの名門私立学校La Martiniere Calcuttaでの友人だったJivraj Singhによるドリームポップ・デュオだ。
彼らは、イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約しており、日本の音楽情報サイトでもたびたび紹介されたり、高橋幸宏にリコメンドされたりするなど、国際的な評価を得ている。
毎回ウェス・アンダーソンを思わせるポップな色使いのミュージックビデオを制作することでも知られており、音楽的にもビジュアル的にもインドらしさのまったくない無国籍なセンスの良さを誇っている。
それにしても、いくら世界的にも評価されているバンドだといっても、大人気と言えるほどでもない彼らが、いったいどうやって毎回こんなにお金のかかったビデオを撮ることができるのか、ずっと不思議だったのだが、ある筋から聞いた情報によると、どうやらその秘密は「実家がとんでもないお金持ち」ということらしい。
Parekhの実家は、お手伝いさんが10人以上いる大豪邸だそうだ。
彼らもまた、コルカタの富裕階級の趣味の良さを感じさせてくれるグループなのだ。

2回に分けてコルカタ出身の様々なロックバンドを見てきたが、そこに共通点を見出すとしたら、イギリス統治時代から続く西洋文化の吸収に積極的な「センスの良さ」と、文学的ともいえる深みのある表現と言うことができるだろう。
やはりどのバンドを見ても、ムンバイともデリーとも違う「コルカタらしさ」が感じられるように思えるのは、気のせいではないはずだ。

次回は、ベンガルのラッパーたちを特集してみたいと思います!
乞うご期待!



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goshimasayama18 at 20:32|PermalinkComments(0)

2020年03月08日

特集!コルカタのインディーミュージックシーンその1 驚愕の60〜70年代ロック!

どうやら最近巷では、南インド料理ブームに続いて、ベンガル料理が注目されているようだ。
さらに4月には、ベンガルが誇る世界文学史上の偉人、タゴールをテーマにしたドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』も公開される。
(不肖、軽刈田もこの映画のパンフレットに 文章を書かせてもらっています。今なおベンガルの地で愛唱されている、タゴールの歌とともに生きる人々を綴った素晴らしい作品。必見!)

というわけで、ベンガルブームの波が密かに迫ってきている昨今、インド4大都市の一つであり、ウエストベンガル州の州都であるコルカタのインディー音楽の歴史を特集してみようというのがこの企画。

まずはベンガルという土地についてざっとおさらいをすると、この地図の赤い部分が、インドのウエストベンガル州だ。
WestBengalMap
(出典:Wikipedia)

この地図では空白になっているが、ウエストベンガル州の東側の抉れたように見える部分には、バングラデシュがある。
抉れた先の、ちぎれそうになっている部分は、このブログでも何度も特集してきたインド北東部だ。
インドの東のはずれにあるのに、なぜ「西」ベンガル州なのかというと、ベンガル地方の東半分は、バングラデシュとして別の国になっているからなのである。

コルカタ―かつてのカルカッタ―は、いにしえの王朝が栄えた古都ではない。
かつては小さな村しかなかったこの地域が栄え始めたのは、イギリスの東インド会社が拠点を構えてからのことだった。
1877年には、イギリス領インド帝国の首都に定められ、行政の中心地となったことで、官僚として働くインド人の知識階級が成長した。
コルカタは、タゴールをはじめ、映画監督のサタジット・レイや、宗教家/思想家のスワミ・ヴィヴェーカーナンダのような、伝統を踏まえつつもどこか進取の気性に富んだ人物を多く排出した街という印象があるが、それはこの街が、藩王国時代からの伝統ではなく、イギリス支配以降の「新しい」時代の影響を強く受けているということも関係している。
古いものと新しいもの、東と西の文化が混ざり合う風土があったのだ。
そして、イギリスによるインド統治の中心地だからこそ、支配のなかで自分たちのアイデンティティを捉えなおそうという気風が育ったのだろう。
 
コルカタの歴史は穏やかなものではなかった。
知識階級となったベンガル人たちは、やがてイギリス支配からの独立運動に取り組み始める。 
スバシュ・チャンドラ・ボースや「中村屋のボース」として知られるラース・ビハリ・ボースといった独立運動の英雄は、いずれもベンガルの出身である。 
こうした動きを削ぐため、イギリスは1905年にはベンガルのヒンドゥーとムスリムの団結を避けるべく居住地を分割し、1911年には首都をデリーへ移転した。 
ベンガル出身の2人のボースは、ついにインドの独立を見ることはなく、チャンドラ・ボースは台湾で、R.B.ボースは日本で、いずれも1945年に亡くなっている。

インドとパキスタンがイギリスからの「分離独立」を果たしたのは、その2年後の1947年のことだ。
この独立にともない、ベンガルの地は、インド領ウエストベンガル州と、東パキスタン(のちのバングラデシュ)に分断される。
イギリス領だったころの分割統治が、そのまま2つの国を生んでしまったのだ。
ヒンドゥーがマジョリティを占める世俗主義国家インドと、イスラームを国教とする東パキスタンへの分割は、多くの難民を生み、カルカッタはその後長く路上生活者のあふれる街という印象を持たれることになった。
さらに、分離独立によって、主要産業である綿花やジュートの原料生産地の東ベンガルを失ったコルカタの経済は、その後長く低迷することになる。

だが、イギリス統治時代に育まれた、新しい文化に積極的な気風は、独立後もこの街に生き続けていた。
アングロ-インディアンと呼ばれるイギリス人の血を引くインド人たちのコミュニティーが、西洋文化の受容を続けていたこともその理由の一つだったようだ。 
1960年代には、ビートルズやジミ・ヘンドリックスなどの欧米の新しい音楽の影響を受けた本格的なロックバンドがカルカッタに登場する。
The Cavaliers, The Flintstones, Calcutta-16といったバンドたちは、サウンドだけ聴けばインドのバンドであることを感じさせない、同時代のアメリカやイギリスのバンドのようなロックを演奏している。



The CavaliersのリズムギタリストだったDilip Balakrishnanが、Calcutta-16に合流する形で誕生したGreat Bearは、インドで最初のプログレッシブ・ロックバンドとされている。

King CrimsonやELPのような構築的なプログレではなく、初期Pink Floydのようなサイケデリック・サウンドは、テクニックよりも雰囲気で聴かせるタイプのようだ。

メンバーの脱退によりGreat Bearが解散したのち、Balakrishnanは、The CavaliersのベーシストLew Hilt、Calcutta-16のドラマーNondon Bagchiらとともに、1974年にHighを結成する。

このHighは、今でも評価の高いコルカタ・ロックシーンの伝説的なバンドだ。
Grateful Dead, The Beatles, Rolling Stones, Pink Floydの影響を受けた彼らは、カバー曲の演奏が中心だった当時のシーンでは珍しく、英語のオリジナル曲をいくつも残している。
 

この"Is It Love", "Place in The Sun"の2曲は彼らのオリジナル曲。
彼らは欧米のバンドのカバーも多く手掛けており、Marshall Tucker Bandの"Can't You See", Allman Brothers Bandの"Wasted Words"などの優れたカバーを披露している。


Highは70〜80年代にインドでは数少ないロックファンの人気を博したようだが、90年に中心人物のBalakrishnanが39歳の若さで亡くなり、その活動を終える。
これだけの質の高いバンドでありながら、彼らはインドのインディー音楽の黄金時代がやってくるずっと前に解散してしまったのだ。
彼らが活動していた時代は、楽器や機材の調達にも苦労し、バンドだけで生活してゆくことなどとてもできなかったようだ(これは今のインドのインディーミュージシャンたちもあまり変わらないかもしれないが)。
これだけの音楽の才能を持ったリーダーのBalakrishnanですら、企業に務めながら音楽活動をしていたという。

それにしても、60年代、70年代のインドに、ここまで洗練されたロックバンドがいたということに、ただただ驚かされる。
これもコルカタという街の持つ独自性が育んだ、素晴らしい文化遺産のひとつと呼ぶことができるだろう。
Highの作品は、2009年にインドのSaReGaMaレーベルから再発売され、翌年には新たなメンバーを加えて、'High Again'という名前で再結成を行ったようだ。

次回はより新しい時代のコルカタのシーンを紹介したい。

参考サイト:
https://www.redbull.com/in-en/a-high-point-in-indian-rock

http://www.sunday-guardian.com/artbeat/high-to-dilip-remembering-the-granddaddies-of-kolkatas-rock-scene-2 

https://www.businesstoday.in/magazine/bt-more/return-of-the-native/story/4765.html

https://www.facebook.com/pg/HIGH.THE.BAND/about/



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goshimasayama18 at 14:11|PermalinkComments(0)

2019年07月18日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その2

10月18日に公開予定のボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』の日本版予告編がついに解禁となった。 


前回の記事
で、『ガリーボーイ』の舞台になったダラヴィ出身の活躍めざましいヒップホップクルー、Slumgods, Dopeadelicz, 7BantaiZ, Enimiezらを紹介した。
彼ら以外にも、Dog'z, Bombay Mafia, Dharavi Rockerz, M Town Rockerzといったクルーが結成され、ダラヴィのヒップホップはまさに百花繚乱の時代を迎えた。
身体一つで喝采を浴びることができるブレイクダンス、そして高価な楽器や音楽知識がなくてもできるラップは、ダラヴィの住人にうってつけだった。
どんなにお金を持っていても、高い社会的地位にいても、ヒップホップカルチャーにおいては、スキルとセンスを自分で磨いて勝負するしかない。
「持たざるものの芸術」であるヒップホップは、ダラヴィの人々にプライドと自信を与えることができたのだ。
ヒップホップのもう一つの要素であるグラフィティも盛んになり、ダラヴィはまさにヒップホップタウンの様相を呈するようになった。

ヒップホップカルチャーの中で、唯一ダラヴィで発展しなかったのがDJingだろう。
DJという言葉の定義にもよるが、ターンテーブルにアナログレコードを乗せてプレイするクラシックなスタイルのDJ文化は、ついにインドには根付かなかった。
これは、高価な機材が必要だという経済的理由だけでなく、ヒップホップが流行した時代背景にもよるのだろう。
ダラヴィでヒップホップが人気を集め始めたのは2010年前後。
もはやレコードの時代でもCDの時代でもなく、インターネットで音楽を聴く時代になってからのことだった。

DJの代わりに発展したのが、ヒューマン・ビートボックスだ。
ダラヴィのヒップホップシーンを取り上げたこのドキュメンタリーでは、 1:38頃からビートボクサーたちが自慢のスキルを披露している。
(ダラヴィにはビートボクシングのレッスンまであるようだ)
 


やはりビートボックスから始まるVICE Asiaのこのドキュメンタリーでは、「ヒップホップは俺たちのためにあると感じる」と語るムンバイの若者たちのリアルな様子が見られる。
(出演しているラッパー達は、全員がダラヴィ出身ではない)

SlumgodsのPoetic Justiceや、Mumbai's FinestのAceら、初期から活動するムンバイのヒップホップアーティストたちが語るシーンの成り立ちは興味深い。
彼らの影響の源は、50CentやGameといったアメリカのアーティスト、そしてエミネム主演の映画"8Mile"であり、ダラヴィのラッパーたちがインド国内のバングラー系のラップとは全く異なるルーツを持っているということが分かる。
やがて、ラップバトルが行われるようになると、"8Mile"の世界に憧れていた若者たちが集まってくる。(このあたりは、映画『ガリーボーイ』のまんまだ)
だが、彼らはいつまでもアメリカの模倣のままではいなかった。
このドキュメンタリーによると、銃についてラップするようなアメリカのラッパーのワナビーは彼らの間では軽蔑され、リアルであることが評価される健全なシーンが、現在のダラヴィにはあるようだ。
やがて、Mumbai's Finestやその一員だったDivine、そしてNaezyらがムンバイのシーンをより大きなものにしてゆく。
ストリートのリアルを表現する「ガリーラップ」はますます人気になり、今ではコメディアンたちによるGari-Bというパロディまであるというのだから驚かされる。
そして、大きなレーベルや資本の後ろ盾なく、ただ「クールであること」「リアルであること」のみを目的としてヒップホップを続けていた彼らを、ついにボリウッドが発見する。
言うまでもなく、映画"Gully Boy"のことだ。
メインストリームの介入に懐疑的だったダラヴィのラッパーたちも、Zoya Akhtar監督や、主演のRanveer Singhの熱意に打たれ、心を開いてゆく。
この動画のなかでZoya Akhtarが語る「ヒップホップはインドの真実を語る最初の音楽ジャンル」という言葉が意味するところは大きい。
メジャーもインディーも関係なく、アーティストとして、よりリアルな表現を求める感覚が、ダラヴィと映画業界を結びつけたのだ。
同時に、このビデオでは、「ガリーラップ」の表面的なイメージが先行してしまうことへの危機感と、ラップだけでなくトラック(ビート)もさらに洗練され、さらなる優れた音楽が出てくるであろうことが語られている。


「ダラヴィはインドのゲットーさ」というセリフから始まるこの"Dharavi Hustle"は、ダラヴィのヒップホップシーンの多様性を伝える内容だ。
2016年に公開されたこの映像は、シーンが大きな注目を集め始めた時期の貴重な記録である。

「ダラヴィが特別なんじゃない。ここにいる人々が特別なんだ。ここにはたくさんの人種、宗教、文化がある」という言葉のとおり、多様なバックグラウンドの人々がヒップホップというカルチャーのもとに一つになっている様子がここでは見て取れる。
'Namaste, Namaskar, Vanakam, and Salaam Alaikum to all the people'という、いくぶん冗談じみたStony Psykoの挨拶が象徴的だ(NamasteとNamaskarはインドのさまざまな言語で、おもにヒンドゥーの人々が使う挨拶。Vanakamは南部のタミル語。Salaam Alaikumはムスリムの挨拶だ。ちなみにStony Psyko本人はクリスチャン)。
ここでも、アメリカのゲットーと同じような境遇に育ったダラヴィの人々が、ヒップホップのスタイルだけでなく、リアルであるべきという本質的な部分を自分たちのものにしていったことが語られている。


ダラヴィのヒップホップシーンを題材に撮影されたドキュメンタリーは本当にたくさんあって、この"Meet Some of the Rappers Who Inspired the Ranveer Singh's 'Gully Boy'"もまた興味深い内容。

「ヒップホップはヒンドゥーやイスラームやキリスト教のような、ひとつの文化なんだ」という言葉は、ヒップホップが宗教や文化の差異を超えたダラヴィの新しい価値観であり、また生きる指針でもあることを示している。
シーンの黎明期から、リリックに様々な言語が使われていることや、伝統的なリズム('taal')との融合にも触れられており、またダラヴィへの偏見や、口先ばかりで何もしない政治家の様子などもリアルに語られている。
ムスリムやクリスチャンの家庭でラッパーでいることについてのエピソードも興味深く、映画の舞台となったダラヴィがどんな場所か知るのにもぴったりの内容だ。

こちらは『ガリーボーイ』にも審査員役でカメオ出演していた、BBC Asian NetworkのBobby Frictionの番組で紹介されたダラヴィのラッパーたちによるサイファーの様子。

この動画に出演しているDharavi UnitedはDopeadelicz, 7 BantaiZ, Enimiezのメンバーたちによって結成されたユニットで、この名義での楽曲もリリースしている。

ここまで男性ラッパーばかりを紹介してきたが、女性ラッパーもちゃんといる。

このSumithra Shekarはタミル系のダリット(被差別民)のクリスチャンの家に生まれ、親族に反対されながらもラッパーとして活動している。
『ガリーボーイ』に描かれているような葛藤がここにもあるのだ。


いずれにしても、ダラヴィは、ニューヨークのブロンクスや、ロサンゼルスのコンプトンやワッツのように、リアルなヒップホップが息づく町となった。

今回はダラヴィについて特集したが、ムンバイの他のスラムでも、ヒップホップカルチャーは定着してきており、ムンバイのワダラ(Wadala)地区出身のラッパーWaseemも先日デビュー曲を発表したばかり。


彼は、以前このブログで紹介した、ムンバイのラッパーと共演した日本人ダンサー/シンガーのHirokoさんも協力している、この地域で子どもたちにダンスと音楽を教える活動を行っているNGO「光の教室」に通う生徒の一人。
父母が家を出ていってしまい、叔父のもとで育ったという彼は、ラップに出会ったことで人生でやるべきことが分かったという。
「みんなはラップを作るためにスタジオや機材が必要だというけど、僕に必要なのはこれだけさ」とスマートフォンを取り出す彼からは、iPadでレコーディングからミュージックビデオ撮影まで行ったNaezy同様、今ある環境で躊躇せずラップに取り組む心意気を感じる。

ダラヴィのヒップホップは、今ではバブルとも言えるほどの注目を集めているが、それでもなお尽きない魅力があり、かつ急速な拡大と発展を遂げている。
『ガリーボーイ』人気が一段落したあとに、どんな風景が広がっているのか。
今から非常に楽しみである。

「その1」「その2」を書くにあたって参考にしたサイト:


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goshimasayama18 at 21:37|PermalinkComments(0)

2019年07月12日

Real Gully Boys!! ムンバイ最大のスラム ダラヴィのヒップホップシーン その1

10月に公開が決定した、ヒンディー語映画、『ガリーボーイ』。
このボリウッド初のヒップホップ映画の舞台は、ムンバイ最大のスラム、ダラヴィ(Dharavi)だ。
主人公ムラドのモデルとなった実在のラッパーNaezyの出身地は、じつはダラヴィではなくムンバイ東部のクルラ(Kurla)地区。(ここもかなりスラムっぽい土地のようだ)
映画化にあたってダラヴィが舞台に選ばれたのは、ここがあの『スラムドッグ・ミリオネア』で世界的に有名になったスラム地区で、「ガリーボーイ」(路地裏ボーイ)のイメージにぴったりだからという理由だけではない。

ダラヴィは、実際にムンバイの、いや、インドのヒップホップシーンを代表するアンダーグラウンドラッパーを数多く輩出している、ヒップホップが息づく街なのだ。
ここでいう「アンダーグラウンドラップ」とは、マニアックな音楽性のヒップホップという意味ではない。
映画音楽のような主流のエンターテインメントではなく、ストリートに生きる人々が自ら発信しているリアルなヒップホップという意味だ。
(インドのメインストリームヒップホップについてはここでは詳しく紹介しないが、興味があったらYo Yo Honey SinghやBadshahという名前を検索してみると雰囲気がわかるはずだ。)

ダラヴィのヒップホップは、'00年代後半、EminemやNas, 50Centなどのアメリカのラッパーに影響を受けた若者たちによって、いくつかのクルーが結成されたことで始まった。
'00年代後半のインドの音楽シーンは、在外インド人の音楽を逆輸入したバングラー風味のラップがようやく受け入れられてきた頃だ。
(インドのヒップホップの全般的な歴史については、こちらの記事にまとめてある。「Desi Hip HopからGully Rapへ インドのヒップホップの歴史」
当時、インドの音楽シーンでは、ポピュラー音楽といえば国内の映画音楽のことで、ロックやヒップホップなどのジャンルは極めてマイナーだった(今でもあまり変わっていないが)。
そんな時期に、経済的に恵まれていないダラヴィで、インド国内で流行っていたバングラー系ラップを差し置いて、アメリカのヒップホップが注目されていたというのは驚きに値する。

理由のひとつは、インターネットが普及し、海外の音楽に直接触れることができるようになったこと。 
また、教育が普及し、英語のラップのリリックが多少なりとも理解できるようになったことも影響しているだろう。
ダラヴィのラップにバングラーの影響が見られないことに関しては、この地域にバングラーのルーツであるパンジャーブ系の住民が少ないということとも関係がありそうだ。
バングラー系のラップは、どちらかというとパーティーミュージック的な傾向が強く、ストリート志向、社会派志向のダラヴィのラッパーたちとは相容れないものでもあったのだろう。

だが、ダラヴィの若者が(バングラー系ラップでなく)米国のヒップホップに惹かれた最大の理由は、何よりも、ヒップホップの本質である「ゲットーに暮らす被差別的な立場の人々の、反骨精神とプライドが込められた音楽」という部分が、彼らにとって非常にリアルなものであったからに違いない。
ダラヴィに住んでいるというだけで、人々から見下され、警察には疑われる屈辱的な立場。
過密で衛生状態が悪い住環境でのチャンスの少ない過酷な生活。
遠く離れたアメリカで、同じような立場に置かれた人々が起こした「クールな反逆」であるヒップホップに、インド最大の都市ムンバイのスラムに暮らす人々が共感するのは必然だった。
いずれにしても、ダラヴィでは、ヒップホップは'00年代後半から、インドの他の地域に先駆けて、若者たちの間に定着してゆくことになったのだ。

初期から活動しているダラヴィのヒップホップクルーのひとつが、Slumgodsだ。
2008年に結成された彼らは、同年に発表された映画『スラムドッグ・ミリオネア』によって、ダラヴィ=スラムドッグというイメージがつくことに反発し、'dog'の綴りを逆にしてSlumgodsという名前をつけた。
『スラムドッグ・ミリオネア』は、外交官であるエリート作家によって書かれた小説を、イギリス人監督が映画化したものだ。
よそ者によってつけられた「スラム=貧困」のイメージに対する反発は、ダラヴィのヒップホップの根幹にあるものだ。
「俺たちは犬畜生じゃない、神々だ」という、プライドと反骨精神。
Slumgodsの中心人物B-Boy Akkuは、ラップよりもブレイクダンスに重きを置いた活動を展開しており、とくに、スラムの子供達に自信と誇りを持たせるために、無料のダンス教室を開き、ダラヴィでのヒップホップ普及に大きな役割を果たした。

Akkuの活動については、以前この記事に詳しく書いたので、興味のある人はぜひ読んでほしい(「本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編」)。
彼らのように、ギャングスタ的な表現に終始するではなく、ヒップホップというアートフォームを通して、どのように地域に貢献できるかを真剣に考えているアーティストが多いのも、ダラヴィのシーンの特徴と言えるだろう。

Slumgodsと同時期に、OuTLawZ, Sout Dandy Squad, Street Bloodzといったクルーも結成され、さらにはDivineやNaezy, Mumbai's Finestといったムンバイの他の地区のラッパーたちの影響もあって、ダラヴィのヒップホップ人気はさらに高まってゆく。

この頃のクルーは、音源を残さずに解散してしまったものも多かったようだが、ヒップホップは確実にダラヴィに根づいていった。
ムンバイのヒップホップ黎明期のアンセムをいくつか紹介する。

シーンの兄貴的存在、Divineによる地元賛歌"Yeh Mera Bombay". 2013年リリース。


楽曲もビデオも、Naezyが父から貰ったiPadのみを使って制作された"Aafat!". 2014年リリース。


ブレイクダンスにスケボーも入ったMumbai's Finestの"Beast Mode"は、ムンバイのヒップホップ系ストリートカルチャーの勢いを感じられる楽曲。2016年リリース。


こうしたアーティストたちの存在が、ダラヴィのラッパーたちを勇気づけ、後押ししてゆく。

2012年に、元OutLawZのStonyPsykoことTony Sebastianを中心に結成されたDopeadeliczは、マリファナ合法化や、ムンバイ警察の腐敗をテーマにした楽曲を発表している。
"D Rise"
 
ダラヴィのシーンでは、はじめはアメリカのアーティストを模倣して英語でラップするラッパーが多かったが、やがて、「自分たちの言葉でラップする」というヒップホップの本質に立ち返り、ヒンディー語やマラーティー語、タミル語などの言語のラップが増えていった。
本場アメリカっぽく見えることよりも、自分の言葉でラップすることを選んだのだ。

大麻合法化をテーマにした楽曲に、インドの古典音楽の要素を取り入れた"Stay Dope Stay High".
Dopeadeliczもまた、英語から母語でのラップに徐々に舵を切ってゆく。

60年代に欧米のロックバンドがサイケデリックなサウンドとして取り入れたシタールの音色を、同じ文脈でインド人がヒップホップに取り入れている!
1:42からのシタールソロのドープなこと!
3:00からのbol(タブラ奏者が口で刻むリズム)もかっこいい。
ビデオはもろ90年頃のアメリカのヒップホップ。
前作から一気に垢抜けたこのビデオは、ボリウッドの大御所映画監督Shekhar Kapurと、インド音楽シーンの超大物A.R.Rahmanらによって立ち上げられたメディア企業Qyukiのサポートによって制作されたもの。
このQyukiはダラヴィのシーンを手厚く支援しており、前述のSlumgodsの活動もサポートしているようだ。

新曲はMost Wanted Recordsなるレーベルからリリース。

まるで短編映画のようなクオリティだ。

実際、彼らはメインストリームの映画業界からも注目されており、あのタミル映画界のスーパースター、ラジニカーント主演作品"Kaala"のサウンドトラックにも参加している。
(Stony Psykoらは『ガリーボーイ』にもラップバトルのシーンにカメオ出演を果たした)
映画"Kaala"から、"Semma Weightu".

Santhosh Narayananによる派手な楽曲は90年代のプリンスみたいな賑やかさ!
映画はラジニカーント演じるダラヴィのタミル人社会のボスと、再開発のための住民立退きを企てる政治家の抗争の物語。
実際、ダラヴィは住民の半分がタミル系である。


ムンバイのラッパーのリリックには、彼らが普段使っているなまの言葉が使われており、例えば彼らがよく使う'bantai'という言葉は、「ブラザー(bro.)」(血縁上の兄弟ではなく、 友達への呼びかけとしての)のような意味のムンバイ独特のヒンディーのスラングだ。
その'bantai'をアーティスト名に冠した7Bantaizは、ダラヴィ出身のFTII(Film and television Institution Inda)の学生によって2014年に結成された(結成当時の平均年齢は17歳!)。
ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、英語でラップするマルチリンガルな、非常に「ダラヴィらしい」グループだ。

2018年発表の"Yedechaari".


同年発表の"Achanak Bhayanak"

いずれも強烈にダラヴィのストリートのヴァイブが伝わってくる楽曲だ。
彼らもまた、『ガリーボーイ』にカメオ出演している。


ダラヴィの若手ラッパーで、今もっとも勢いがあるのが、2015年に結成されたクルー、EnimiezのMC Altafだろう。
Enimiezは、MC Altaf, MC R1, MC Standleyの3人組で、体制への不満を訴える'Rage Rap'を標榜している。
ラップの言語はヒンディー語とカンナダ語。
メンバーの本名を見ると、どうやらそれぞれがムスリム、ヒンドゥー、クリスチャンと異なる信仰を持っているようで、言語(ルーツとなる地域)だけでなく、宗教の垣根も超えたユニットのようだ。
様々なコミュニティーが音楽によって繋がり、ヒップホップという新しい価値観のもとにシーンが形成されているというのも、ダラヴィの特徴と言えるだろう。

MC Altafは若干18歳の若手ラッパー。
Nasに憧れ、DopeadeliczのStony Psykoのライブパフォーマンスに衝撃を受けてヒップホップの道を志したという、『ガリーボーイ』を地でゆくような経歴の持ち主だ。
『ガリーボーイ』のなかでもパフォーマンスシーンがフィーチャーされており、その縁でミュージックビデオには主演のランヴィール・シンがカメオ出演している。
ニューヨーク出身でムンバイを拠点に活躍しているJay Killa(J Dillaではない)と共演した"Wassup".
ランヴィールのほかにも、Dopeadeliczや7BantaiZのメンバーも登場している(彼らはリップシンクで、実際にラップしているのは全てAltafとJay Killa)。


"Mumbai 17"はダラヴィのピンコード。
ダラヴィの街の雰囲気を強く感じられるトラックだ。

どうでもいいことだが、「クリケットの国」であるインド人のベースボールシャツ姿は非常に珍しい。
この曲のマスタリングは、なんとロンドンのアビーロード・スタジオで行われている。

同じくムンバイのラッパーD'Evilと共演した"Wazan Hai"はヒップホップファッションとともに人気が高まっているスニーカーショップで撮影されたもの。


こうしたアーティストたちの活躍により、今では「ダラヴィといえば貧困」ではなく、「ダラヴィといえばヒップホップ」というように、インドの中でもイメージが変わって来ているという。
「ラップやダンスによる成功」は、ダラヴィの若者や子どもたちが夢見ることができる実現可能な夢であり、何人もの先駆者たちによって、ヒップホップはインドでも、ゲットー(スラム)の住人たちの希望となったのだ。

今回は個別のアーティストやクルーに焦点をあてて紹介してみましたが、次回はシーンの全体像を見てゆきます!
今回はここまで!



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goshimasayama18 at 21:53|PermalinkComments(0)

2019年04月30日

インド女性のエンパワーメントをラップするムンバイのフィーメイル・ラッパーDee MC

ストリートラッパーを扱ったボリウッド映画"Gully Boy"のヒットからも分かるとおり、インドでは近年アンダーグラウンドなヒップホップシーンの成長が著しい。
このヒップホップブームによって、ポピュラー音楽が娯楽映画に付随するものでしかなかったインド社会においても、市井に暮らす人々(とくにストリートの若者)のリアルな声(ラップ)がエンターテインメント産業として成立するということが証明されつつある。
(ここでいう「アンダーグラウンド」は、「非映画音楽」という意味と理解してほしい。結果的にボリウッド映画によってこのブームが広まったというのが皮肉だが)

映画会社がプロのソングライターに作らせた楽曲ではなく、一般の人々が、ラップを通して自分の言葉を広く社会に届けることができる、あわよくば、それを職業とすることができる(少なくともそれを夢見ることができる)ようになったという意味で、インドのエンターテインメント界では、今まさに大変革が起きているというわけだ。 

"Gully Boy"の舞台となったムンバイでは、ヒップホップは既にスラムに暮らす若者や子ども達が自尊心を獲得するための手段として機能している。
ムンバイ最大のスラム地区ダラヴィには、ダンスを通して子どもたちが賞賛を浴びられる場を提供する無料のヒップホップダンススクールが開かれているし、7 BantaiZに代表される多くのラッパーたちがリアルな声を発信し、支持されているのだ。
他の国々同様に、インドでも、ヒップホップは抑圧された都市の人々の声を代弁するものとして、その存在感を日に日に増してきている。

インドで抑圧された存在といえば、女性たちのことを忘れるわけにはいかない。
政治の分野では70年代にはネルーの娘であるインディラ・ガーンディーが中央政府の首相を務め、地方でも南部タミルナードゥ州では元女優のジャヤラリタが何度も州政権の座につくなど、一見すると女性の社会進出が進んでいるようにも見えるインドだが、一般的にはまだまだ「女性は結婚して家庭に入り、子どもを産み育てることを生きがいとすべし」という考え方が強い。
悲惨なレイプ被害や、カーストの掟を破った恋愛の果ての名誉殺人(女性が下位カーストと関係を持ったことによる家族の不名誉を清算するため、当事者の女性を殺害するという悪習)のニュースを聞いたことがある人も多いだろう。
(都市と地方では全く状況が違うので、一括りに考えられない状況ではあるが)

そんな中で、インド人女性として、女性であることの社会的障壁に対して声を上げているヒップホップアーティストがいる。
彼女の名前はDeepa Unnikrishnan.
Dee MCの名前で活動するムンバイで暮らす若干24歳の若手ラッパーだ。
彼女が昨年の'Menstrual Hygiene Day(月経衛生デー)'に合わせてリリースした楽曲"No More Limits".

生理を迎えても、誰もそのことに向き合おうとしないという内容の1番のヴァースに続いて、2番はこんなふうに続く。

That's the first mistake それが最初の間違いよ
Hushing your inner voice that's been trying to debate. 議論すべき内なる声を閉じ込めるなんて
Tell me now is it late? もう遅すぎるっていうの?
To fix what they broke first they got to relate? 壊されたものを治すために、まず説明してくれないと
My body, my problem, nobody can solve them. 私の体、私の問題、誰も解決してはくれない
They tell me not pure enough trying to keep me far from, みんなは私が清浄じゃないから
The kitchen, the temple, the house that they live in. 台所にも寺院にも、住んでる家にも近づくなって言う
Banished from all cause she's naturally bleeding. 生理だから、何にも近づくなって
This is your limit, better be in it too. そういう決まりだと、仕方ない事だと
Traditions don't change now don't be a fool. 伝統は今更変えられない バカな真似はやめろ
Keep it all aside what you're taught in the school. 学校で教わったことは忘れろ
This is not the city we don't play by your rules.  ここはお前のルールが通用する場所じゃない、って
When I was a kid I was locked in a room,  まだ小さかったのに、部屋に閉じ込められた
Can't touch or feel my own people I'm doom.  誰とも触れあえず、ひどい仕打ちだった
Now I wish I had asked them 'why?'  「どうして?」って聞けたらよかったわ
Why treat me different from the scientific views?  どうして私に非科学的な扱いをするの?
All the anxiety, questions unanswerd,  不安にも心配にも答えは返ってこない
Bleeding lady silence she captures.  生理中の女性には沈黙しか返ってこない


とまどいを歌った1番のヴァースはヒンディー語で、それに対する抗議を歌った2番のヴァースは英語でラップされているというのが意味深な気がしないでもない。
清浄と不浄の概念を重要視するヒンドゥー教では、生理や出産は不浄なものとされてきた。
このリリックにあるように、生理中の女性は汚れているとして寺院に入れなかったり、家から隔離されて過ごさなければならないといった伝統があり、そのために地方では女性が隔離小屋で蛇に噛まれるなどして命を落とすという不幸な出来事も起きている。
都市部の開かれた人々からすれば、こうした伝統は過去のものなのだろうし、科学的見地から批判もされているわけだが、それでもなお因襲にとらわれている人々を、このラップは糾弾する内容というわけなのだ。

他の楽曲でも、女性であるがゆえの偏見や制限に抵抗するという彼女のテーマは揺るがない。

 この"Talk My Way", "Taking My Time"の2曲をプロデュースしているKru172は、北インドのチャンディーガルのヒップホップデュオ。
この曲はデリーのラッパーSun Jとの共演。

インドのニュースサイトRediff.comの記事で、彼女は自身の生い立ちを語っている。
Rediff.com "Dee MC: The badass rapper girl"
ケーララ州で生まれ、ムンバイ郊外で育ったDeepaは典型的なマラヤーリー(ケーララ系)の家庭で育った。
父は海外で出稼ぎをしており、彼女の家庭は父が稼ぐ海外からの送金で暮らしていたという。(マラヤーリーはペルシャ湾岸諸国などの海外に出稼ぎに出る人が多い)
5歳から古典舞踊バラタナティヤムをしていた彼女は、大学に入りヒップホップと出会う。
父が家にいないために、誰にも注意されずに家で自由にPCから音楽をダウンロードできる環境が、彼女の音楽への興味を育てていたのだ。
彼女の両親は、Deepaに公認会計士のような手堅い仕事や裕福な家庭との結婚というような平凡な人生を望んでいたが、彼女はどんどんヒップホップにのめり込んでゆく。
初めはダンサーを目指していた彼女は、本格的にヒップホップダンスを志すには遅すぎたと気づいてラッパーに転向。
アメリカのラッパーたちの影響のものとリリックを書き始めた。

だが、ラッパーとしての活動をし始めた彼女に対して、家族は理解を示さなかった。
Gully Boyのヒット以前のインド社会では、古い世代はヒップホップのことを全く知らなかったし、イベントのために夜に外出することも反対されたという。

アメリカのヒップホップで彼女が唯一好きになれなかったのが、女性蔑視(ミソジニー)的な傾向だ。
インドの社会や家庭で女性がおかれた立場とあいまって、女性のエンパワーメントや社会的障壁を壊してゆくことが、彼女のリリックのテーマとなってゆく。

音楽情報サイトRadioandmusic.comのインタビューで彼女が語ったところによると、女性の地位が決して高いとは言えないインド社会であっても、ヒップホップシーンで彼女が女性であるという理由で困難に直面したことは無かったという。

「女性ラッパーだからって困難を感じたことはないわ。でも、この国で女性でいることに関しては、いつも困難に直面していると感じてるの。他の女の子たちが困難に直面しているのと同じようにね。私はずいぶん若い頃、19歳のときにラップを始めた。今じゃもう引っ越したけど、その頃私は(ムンバイ郊外の)Kalyanに住んでいたから、ほとんどのイベントは私の家から離れたところで、夜に行われることになるの。私が感じた困難はそれだけよ。シーンにフィーメイル・ラッパーは多くないわ。だから、私がシーンに参加したとき、みんな『この新しい子は誰?』って感じだったの。私が何か助けてほしいときは、みんなが手伝ってくれた。もちろん、いつだって才能を疑う人はいたけど、それは性別とは関係の無いことよ」
Radioandmusic.com "I didn't face challenges as a female rapper but I have faced challenges, being a female in this country: Dee MC"

因習にとらわれたインド社会よりも、ミソジニー的と思われていたヒップホップシーンのほうがずっとオープンだったのだ。
(これは、インドでヒップホップに興味を持つ層が、外国文化に触れることができるような開かれた環境の者に限られており、教養の程度が高いことも影響しているだろう)
同じインタビューの記事での彼女の言葉をもう少し翻訳して引用したい。

(最初に紹介した"No More Limits"や他の楽曲について)「これはこの時代の人々に目をさましてもらうためのものよ。私の曲には社会的なメッセージがあるの。ヒップホップへの愛を表現した楽しい曲もあるわ。そういう全てをミックスしたものが私の音楽ってことになるわね」

「私はヒップホップというジャンルには人々の心を開く力があると信じている。インドみたいな場所だと、人々がお金を払うエンターテインメントはボリウッドだけでしょ。みんなが求めているのはボリウッドだけだって言われている。この状況がヒップホップで変わることを願っているわ。私たちがいつもラップしているような社会問題については、誰も歌っていない。だから私たちのラップを聞くことで、人々は絆を感じることができるの。これは最初にアメリカで起こったことで、その後で世界中に広まったことよ。インドでももっとシーンは成長してゆくと思うわ」

「ラップを始めた時には、正直言ってそれがキャリアになるなんて考えてなかったわ。単に楽しかったから始めたの。自分自身でもびっくりしているんだけど、もっと早くからラップを始めていた人たちと比べて、自分がどこまでやれるか試してみたかっただけだったの。その様子を見て、応援してくれた人たちがたくさんいたわ。つまり、ヒップホップはビジネスみたいなものではなくて、コミュニティのようなものだったのよ。以前は誰もヒップホップなんて気にかけていなかったけど、その後、過去3〜4年の間に、人々はそれを職業として認識するようになったわ。2年くらい前から収入が得られるようになったの。今後5年くらいの間に、人々はもっとヒップホップを認識するようになるでしょうね」

「最も大事なことの一つは、私がラップで伝えたいのは、この国に存在する偽善についてだということ。誰もがインドは非常に近代的な国家だし、私たちの生活も近代化したと考えている。でも誰もがいまだに根深い偏見と迷信にとらわれていて、女性たちはいつもそのことについて怒りを感じているの。どのトピックも、私が個人的に経験したことに基づいているわ」



彼女だけではなく、インドのヒップホップの中心地ムンバイでは、フィーメイルラッパーたちも増えつつある。
彼女たちは「女の子がラップなんかするもんじゃない」という家族からの偏見とも戦いながらヒップホップアーティストとしてのキャリアを重ねている。


"Gully Boy"のヒットを受けて、続編の制作が決まったとのニュースを読んだが、続編を作るのであれば、今度は女性ラッパーが主人公の映画が見てみたい。
彼女たちはまぎれもない本物のヒップホップ・アーティストだ。
インドのGully Girlたちに、最大限のリスペクトを!



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goshimasayama18 at 15:10|PermalinkComments(0)

2018年12月10日

まるで日本! 演歌?歌謡曲? 驚愕のゴアのローカルミュージック!

4回連続となったインドの楽園、ゴアの音楽シーンを紹介するこの企画も今回で最終回!
欧米のヒッピーたちの聖地として栄えたゴアの音楽シーンは、トランスブームの終焉とドラッグ取り締まりの強化によって衰退するかに見えたが、経済成長を続けるインドの人々の音楽フェスの街として、往時を上回る盛り上がりを見せるようになった、というのが前回までのお話。

これまで紹介してきたゴアのシーンで鳴らされていたのは、いつもトランスにEDMにロックにレゲエという、欧米から来た流行の音楽だった。
それは欧米人からインド人の手に音楽を取り戻した今日でも変わらないし、そもそもゴアのフェスのオーガナイザーだって、地元ではなくムンバイやデリーやバンガロールの人たちだ。
そう、ゴアのシーンは、これまでずっと外部の人間によって作られてきたのだ。

それでは、そもそもゴアにはどんな音楽があったのだろうか。
インドの音楽に興味がある人ならば、インドには北のヒンドゥスターニー、南のカルナーティックという二大古典音楽があり、大衆音楽としては映画音楽が長く人気を博してきたことをご存知だろう。
だが、1961年までの長きにわたりポルトガルの支配下にあったゴアは、そうした文化や伝統とは異なる歴史を歩んできた。
カウンターカルチャーやポップカルチャーのメッカとして有名なゴアだが、そのローカル音楽に関しては、あたかもドーナツの中心の空洞のように、杳として未知のままなのだ。

そんなゴアのローカル音楽を教えてくれたのは、日本の音楽文化に造詣の深いインドの友人だった。
そして、初めて聴いたゴアのローカル音楽は、今までのゴアのイメージをぶち壊すに十分な、とんでもないインパクトのある代物だったのだ!

それではさっそく聴いていただきましょう。
ゴアン・ポップスの名シンガー、Jose Rodで、'Tarvoti'
 
個人が適当に作ったみたいな手作り感あふれるビデオはひとまず置いておくとして…。

なんと、聴いてお分りいただけた通り、これ思いっきり演歌!
大げさなイントロといい、安っぽいストリングスの使い方といい。サビでラテンっぽくなる以外、思いっきり演歌じゃないですか。

偶然この曲だけ演歌っぽいのを持ってきたんだろうと思う人もいるかもしれないが、このJose Rodさん、他の曲もびっくりするほど演歌だ。例えばこの曲'Govai'.
 
目を細めて情感を込めて歌うところも、チープなミュージックビデオも、まさしく演歌そのもの!
日本を遠く離れたインドに、それもインドの中でも独自の文化を誇るゴアに、こんなにも日本の心を感じる音楽があったということに、ただただ驚くほかない。
このJose Rodさんは、1938年生まれの超ベテランシンガー。
当然ながらこれらの音楽がゴアの最新のヒットチューンというわけではなく、まさに日本の演歌のように、懐かしのメロディーということになるのだが、それにしたってこれは演歌に似すぎている。

疑り深いあなたは、たまたまこのJose Rodさんが演歌っぽいシンガーなだけでしょう、と思っているかもしれないが、さにあらず。
他の歌手もまた、驚くべきサウンドを聴かせてくれている。
例えば1970年代に活躍していた女性シンガーのLorna Cordeiroさんの歌を聴いてみましょう。
 
もろにド演歌なイントロに続いて、今度は60年代の歌謡曲のような軽快なサウンドが出てきた!
サザエさんのエンディングテーマのみたいな軽快なフルートの音色と、ラテンっぽいアレンジにホーンセクション。
演歌とは別の方向に懐かしいサウンドは、またしても日本の心を感じさせる。

続いては、1966年のゴアでのヒット映画、'Nirmon'のテーマ曲'Claudia'という曲。
 
今度は、少しハワイアンっぽいというか南国風のアレンジだが、これまた60年代あたりの日本の歌謡曲を思わせる。

これらの音楽は、ゴア地方で話されている言語「コンカニ語」で歌われている。
コンカニ語のネイティブ・スピーカーは230万人程度で、ヒンディー語やタミル語のようなインドのメジャーな言語と比較すると、話者数はかなり少ない言語ということになる。
だが、いったいどうしてこのコンカニ語の楽曲が、演歌や日本の歌謡曲のようなサウンドを持つことになったのだろうか。

「インドと演歌」と聞いてまっさきに思いつくのはチャダ。

1970年代から活躍するチャダだが、彼はその見た目からも分かる通り、パンジャーブ系のシク教徒(出身はデリー)だ。
彼の演歌との出会いは来日してからだというし、彼の地元はゴアとはあまりに遠い。
ここではあまり関係がなさそうだ。

では、コンカニ・ポップスと演歌の共通点はどこにあるのだろうか。
思うに、その理由のひとつは、ゴアがポルトガル領であったことにあるのではないか。
インドのなかにあって、キリスト教の影響が強く、インド文化(ヒンドゥー文化、イスラーム文化)の影響が薄いのがゴアの特徴だ。

なぜかは分からないが
(インド)ー(インド文化)+(ヨーロッパ文化)=ほぼ演歌
という方程式が成り立つようなのだ。
これはもう本当に不思議というほかない。

そういえば、ポルトガルの大衆伝統音楽である「ファド」も、演歌と似ていると言われることの多い音楽だ。

要するに、ゴアの人々が、インド音楽ではなく、西洋音楽の伝統のもと、素朴な情感を湛えた音楽を作ったら、ファド以上に演歌によく似たものになってしまった、ということなのだろうか。

ゴアは港町。
港町といえば演歌にもよく登場する舞台だが、港町が持つ哀愁や、海の男たちの悲しみが、人種を超えた潜在意識にある演歌のスイッチを入れてしまうのかもしれない、と言ったらこじつけが過ぎるか。

コンカニ・ポップスに日本の心を感じてしまうもうひとつの秘密は、楽曲のアレンジにある。
さきほど紹介したコンカニ・ポップスに特徴的なのは、インドよりもむしろラテンやハワイアンを思わせるアレンジだ。
ラテンとハワイアンといえば、60年代の日本の歌謡曲でも流行した音楽である。
こうした日本の懐メロと共通するサウンドの傾向を持っていることも、コンカニ・ポップスに「日本の心」を感じてしまう一因であるように感じる。
あるいは、単にこの時代の世界的なトレンドだったのかもしれないが。

とはいえ、1960年代の他の国の音楽を聴いても、異国情緒こそ感じても、こんなにド演歌な、超ドメスティックな懐かしさを感じることはない。
日本から遠く離れたインドの、それもゴアという一地方にだけ、こんなにも演歌ライクな音楽があったということに、何か音楽の神様の悪戯のようなものを感じないでもない。
さっぱりわけのわからない悪戯だけれども。

今度ゴアに行ったら、最新の音楽が流れるクラブやフェスだけでなく、こんな懐かしいメロディーが流れる酒場にもふらりと立ち寄ってみたい。
(キリスト教文化の強いゴアはインドでは珍しく飲酒に寛容な土地柄だ)
そんなおっさんめいた感傷に浸らせてくれる、コンカニ・ポップス。
今回はゴアのまた知られざる一面を紹介してみました。
また行きたいなあ、ゴア。

今回の記事を書くにあたって、古いコンカニポップスの情報について、ムンバイ在住の友人に多大な協力をしてもらった。
彼は私とは反対に、日本の音楽シーンに興味を持っているインド人で、とくにPerfumeの大ファンでもある。
彼はツイッターの@prfmindiaのアカウントで、PerfumeやJ-Pop、日印の文化について発信している。
興味があったらぜひフォローしてみて!

それでは!

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