地域別音楽シーン事情(北東部以外)

2022年07月05日

Sidhu Moose Walaはインドの2Pacだったのか? 知られざるパンジャービー・ギャングスタの世界(その2)



前回の記事では、人気バングラー・ラッパーSidhu Moose Wala射殺事件とその犯人像を通して、パンジャーブの社会で暗躍するギャングたちの実態を紹介した。


その後の報道によると、主犯格とされるLawrence Bishnoiとつながりのある元カバディ選手のギャングスタJaggu Bhagwanpuriaの関与が疑われ始めるなど、捜査の手はさらに広がっているようだ。

Sidhu-Moose-Wala2
Sidhu Moose Wala

今回の記事では、パンジャービー・カルチャーとギャングスタ・ラップの関係、そしてパンジャービー・ギャングのルーツにより深く迫ってみたい。



パンジャービーとギャングスタ・ラップ


Sidhu Moose Walaのみならず、パンジャーブにはある種のヒップホップと親和性が高いラッパーやシンガーが多い。
「ある種のヒップホップ」というのは、今となっては前時代的な感もある「金、力、オンナ、クルマ、暴力、パーティー、名声」といった、マチズモ的な価値観を持ったヒップホップのことだ。

これはステレオタイプ的な話でもあるので話半分で聴いてほしいのだが、インドの中でのパンジャーブ人のイメージというのは、「騒がしくてときに毒舌、パーティー好きで踊り好き、酒飲み(ときにドラッグも)、見せびらかすのが好きで、タフでマッチョ」といったものだそうだ。
端的に言うと、パンジャーブ人はもとからヒップホップな感じの人たちだったのである。
(他にも、大食いとか、バターチキン好きとか、乳製品好きとか、南インド嫌いとか、パンジャーブ人にはいろいろな先入観があるようだが、こうした偏見をパンジャーブの人たちがあまり快く思っていないことには留意したい)

また、パンジャーブ人の多くが信仰するシク教では、男性は信仰を守るための戦士だとされている。
これはシク教の教義が成立した時代に、パンジャーブ地方がイスラーム王朝の侵略に晒されていたために生まれたアイデンティティなのだが、この意識ゆえに、今でもシク教徒たちには軍人になるものが多い。
こうした男らしさや強さへの志向が不良性を帯びると、銃への偏愛やギャングスタ的な価値観へと変容するのだろう。

彼らは英国統治時代からその武勇を買われて警察官や軍人として重用され、当時のイギリス領だった海外へと渡っていった。
シク教徒はインド全体の人口の2%以下のマイノリティだが(パンジャーブ州に限れば6割程度)、彼らが早くから海外に進出していたために「インド人といえばターバン 」というイメージが出来上がったのだろう。
独立後も、数多くのシク教徒たちが、よりよい職を求めて、地縁や血縁を頼って外国へと渡っている。
海外に移住してもなお彼らの絆は強く、外国からの送金は、母国に暮らす親族の経済的な支えになっている。

だが、海外に渡れば、パンジャービー/シク教徒はさらなるマイノリティである。
そこでの生活は、夢を追うだけではなく、偏見や差別と戦いながら過酷な労働に耐えるものでもあった。
もともと持っていたマッチョな価値観と移住先の生活の中でのストラグルが、ヒップホップ的なアティテュードと結びついてゆくのは、ごく自然なことだったのかもしれない。

ここでは、ギャングスタ的な要素を多分に含んだパンジャービーたちのミュージックビデオを紹介してみたい。
まずは、この記事の主役であるSidhu Moose Walaから見てみよう。


Sidhu Moose Wala "GOAT"


Sidhuは大学卒業後にカナダのブランプトンという街に渡り、そこでバングラー・ラッパーとしての才能を開花させた。
カナダはとくにパンジャーブ系移民の多い国のひとつだが、このミュージックビデオは、まさにパンジャーブ系国際ギャング団の雰囲気を醸し出している。

そもそも、彼が人気を集めるきっかけとなったこの"So High"からしてこのギャングスタっぷり。


ヒップホップのビートを使い、ヒップホップのファッションに身を包みながらも、シク教徒の誇りであるターバンを巻き、バングラーのスタイルで歌うSidhuは、北アメリカ的ストリートカルチャーとパンジャービーのルーツの最高にクールに融合だった。
この"So High"は、YouTubeでなんと5億再生越えというすさまじい人気を誇っている。
世界中のパンジャービー語の話者数は、約1億2000万人。
パンジャービーたちの中には、ギャング的な価値観を好まない人も多いだろうから、言語的に近いヒンディー語話者数(6億人くらい)を考慮に入れても、彼が圧倒的な支持を受けていたことが分かる。


さっき、パンジャービー・ラップの価値観は「金、力、オンナ、クルマ、暴力、パーティー、名声」と書いたが、同じパンジャービー系でもYo Yo Honey Singhのようなパーティー・ラッパーと比べると、ギャングスタ系のラッパーたちのミュージックビデオは「女」の割合が低く、「暴力」の割合が高い(直接的な暴力描写はなくても、怖そうな人たちがいっぱい出てくる)。
要するに、硬派なスタイルなのだ。
そんなSidhuが"Me and My Girlfriend"というかわいらしいタイトルの曲をリリースしていたので、どんな曲かチェックしてみたら、ガールフレンドはなんと銃でした。


ちなみにギャングスター系のSidhuらが伝統的なバングラーの歌い方を大事にしているのに対して、パーティー系ラッパーはもっとラテンやEDMっぽいスタイルを取ることが多い。
ここでは趣旨から逸れるので詳しくは書かないが、興味がある人はこのあたりの記事を読んでほしい。
(最近はパンジャーブ系パーティー・ラッパーの本格ヒップホップ化という興味深い現象も起きているのだが、それはまた別の機会に)




次に紹介するのは、Sidhu Moose Walaと人気を二分するDiljit Dosanjh.
曲名はSidhuとおなじく"G.O.A.T.".


Sidhuがストリート・ギャング的な雰囲気だったのに対して、こちらはタキシードに身を包んだマフィアの首領の風格。
ただしDiljitはもともとはギャングスタのイメージで売っているラッパーではないので、この曲以外ではオネーチャンがいっぱい出てくるチャラいミュージックビデオも多い。
この曲も2億回再生という人気っぷりだ。



Karan Aujla ft. YG "Gangsta"


バングラー・ラッパーのKaran Aujlaがギャングスタ・ラップの本場であるL.A.のコンプトン出身のラッパーYG(ちなみに彼のステージネームもYoung Gangstaの略)と共演した、その名もズバリ"Gangsta"では、YGが「ギャングスタ、ギャングスタ」と連呼しまくる。
ローライダーだけでは満足できず、戦闘機の前でラップしているのには笑っちゃうが、この力への志向がインフレーションを起こしているところなんかは非常にヒップホップ的でもある。
億超えの再生回数も珍しくないSidhuやDiljitの前では霞むが、この曲も堂々たる2000万再生。
パンジャービー語のバングラーに海外のラッパーによる英語のラップをフィーチャーするというのはここ数年のトレンドの一つで、ラップが入ったレゲエの曲みたいなつもりで聴くと良いのかもしれない。


カリフォルニア出身のパンジャービーBasi The Rapperは、バングラーではなくヒップホップ的なフロウでラップするスタイル。
"So Hood"


おっかないギャングスタ・ラップのミュージックビデオは多いが、こんなに堂々と銃を持ってたむろしているやつらは他では見たことがない。
本当に銃が好きなんだな、としみじみ思うが、Sidhu射殺事件の後にこういう映像を見ると、これが決して単なる演出ではないのだと背筋が寒くなる。
パンジャーブ人ミュージシャンとギャングとのつながりが、ミュージックビデオのフィクション的な表現だけではなく、リアルなものであることは、前回の記事で書いた通りだ。
Sidhu Moose Walaは、超人気歌手であると同時にギャング団の一員であり、過去に対立組織のメンバーの殺害事件に関わっていたとすら言われている。
そしてその報復として殺されたSidhu襲撃を指示した男の一人は、カナダ在住のパンジャーブ人ギャングスタだったという。




国際的パンジャービー・ギャング団の歴史

パンジャービーたちのバングラー・ラップとギャングスタ的価値観の親和性については、ここまでで十分にお分かりいただけたことと思う。
それでは、Sidhu Moose Wala殺害事件でも暗躍していたとされる、パンジャービー国際ギャング団は、いったいいつ、どのように形成されたのだろうか。

70万人ものパンジャーブ系住民(その多くがシク教徒だ)が暮らすカナダでは、パンジャーブ系ギャングはイタリア系マフィア、中国系マフィアについで3番目の規模の犯罪組織だという。
パンジャービー・ギャングを構成しているのは、おもに移民の2世や3世たちだ。
移民たちが社会に馴染めず犯罪に走るというのは世界中のどこにでもある話だが、パンジャーブ系のギャングスタたちは、もともとは現在のような凶悪極まりないマフィア組織ではなく、路上犯罪などを行う「不良集団」程度の存在だったようだ。
彼らがより危険な「ギャング団」となったきっかけは、1984年に当時のインディラ・ガーンディー首相が軍隊を指揮してシク教徒の聖地「黄金寺院」を攻撃した「ブルースター作戦」だったという。
この作戦は、黄金寺院に立てこもった武装した過激派シク教徒を掃討するための行動だったのだが、シク教徒たちの中には、聖地への攻撃を彼らの信仰全体への冒涜だと受け取ったものも多かった。
インディラ・ガーンディーは、同年10月に、この事件の報復としてシク教徒の護衛に暗殺されている。
首相の暗殺というショッキングな事件を受けて、インド国内ではマジョリティであるヒンドゥー教徒の一部が暴動を起こし、シク教徒を迫害した。

こうした一連の動きは、カナダ在住のパンジャービーたちにも衝撃を与え、彼らのなかにシク教徒の独立国家建国を支持する運動が生まれた。
この運動の資金を得るために、彼らは非合法な組織犯罪に手を染めるようになり、これが、パンジャービー・ギャング興隆につながったのだという。
Sidhuもまたシク教徒による国家建国の支持を表明していたが、彼がこうした主義に傾倒したのもパンジャービー・ギャングの思想からの影響だったのかもしれない。

パンジャービー・ギャングたちはドラッグの売買などで富を得るようになり、やがて人種間の対立やコミュニティ内の抗争を銃によって清算する暴力的な組織へと変容していった。
1990年代には、「史上最も有名なパンジャービー・ギャング」Bindy Johalが、以前のボスであったJimmy Dosanjhが仕向けてきた殺し屋を買収して、Jimmyを返り討ちに殺害するという事件が発生。
この事件ののち、テレビ番組でBindyがJimmyのことを「自分で手を下すことができない臆病者」だと罵る姿が放映されると、Jimmyの弟Ron Dosanjhは「もしBindyが今ここにいるなら眉間を撃って殺す」と応酬。
パンジャービー・ギャングたちの抗争はにわかに注目を集めるようになった。
のちにBindy JohalもRon Dosanjhも銃によって命を落とすことになるのだが、Bindyは生前、自らの死を予見するかのように、「生き急ぎ、若く美しく死ぬ(Live fast, die young, have a good looking corpse)」と自らの哲学を語っていたという。
彼らの暴力的で刹那的な生き方と、非合法な手段で稼いで羽振りよく暮らす姿は、移住先の社会に不満を持つ若者たちの憧れの対象になっていった。

パンジャービー・ギャングたちは、ただの荒くれ者ではなかった。
彼らはインドの故郷の村のスポーツ大会のスポンサーになったり、村の寺院に寄付するなど、慈善行為も熱心に行っていたのだ。
海外で「活躍」して故郷に貢献する彼らの男気に、パンジャーブで暮らす若者たちまでも憧れを抱くのは想像に難くない。
Sidhuのようなギャングスタ・バングラー・ラッパーの存在も、ギャングへの憧憬を喚起する要因のひとつになっているのだろう。
こうして、パンジャービー・ギャング団は、遠く太平洋を越えてカナダとインドに蔓延ることとなった。



Sidhu Moose Walaはインドの2Pacだったのか?

バンクーバーのミュージシャン/ラジオDJのNick Chowliaによると、Sidhu  Moose Walaは「我々の2Pac」だったという。
「我々の」というのは、広く「インドの」という意味ではなく、「パンジャービーにとっての」という意味だろう。

実際にSidhuは11歳のときに初めて2Pacを聴いて以来、ヒップホップやギャングスタ的な生き方に憧れを抱き続けていたのだという。
彼は大学卒業後にカナダに進学し、そこで自らの故郷をレペゼンする'Sidhu Moose Wala'(ムーサの男、Sidhu)という名前で音楽活動を開始した。

2Pacは警官への発砲や敵対するラッパーへの口汚いディスで悪名高いラッパーだが、Sidhuがブランプトンで撮影したこの"Badfella"のミュージックビデオは、2Pacのセンセーショナルさをそのまま引き継いだかのような過激さだ。



暴力的な言動や銃による悲劇的な最期ばかりが注目されがちな2Pacが、じつは人種差別の撤廃や母への感謝をラップする愛情深い人物だった(とも言われている)ように、Sidhuもまた、単なる悪徳の男ではなかった。
彼はカナダでは警察を挑発するミュージックビデオを作りながら、故郷パンジャーブでは慈善活動を熱心に行い、COVID-19の流行時には州警察の啓蒙キャンペーンに協力さえしていた。
彼もまた、パンジャービー・ギャングの流儀に忠実な男だったのだ。

パンジャーブ在住の作家で元ジャーナリストのDaljit Amiは、Sidhuのこうした二面性について「全て一つの人格から来ているものだ」と語っている。
「彼の音楽は、自身の力を誇示するためのものだった。自分の力を主張するために、敵を撃ち殺すこともあれば、チャリティーをすることもある。どちらの場合も、Sidhuは自身の有り余る力を誇示したかった。彼は自身の正義を貫き通す男でいたかったんだ」。


2Pacに憧れたSidhuは、パンジャーブ音楽とトラップ・ビートを融合し、パンジャーブの誇りを過激に表現して2Pacさながらのカリスマ的な人気を得た。
その生き様だけでなく、対立するギャングによって射殺されるという死に様まで2Pacと同じ運命を辿ってしまうとは、皮肉としか言いようがない。

そして死後も、Sidhu Moose Walaは世界中のパンジャービーたちのヒーローとして、彼が憧れた2Pacのように伝説化してゆくのだろう。
海外に暮らすパンジャービーたちにとっては、自らのルーツに対する誇りを喚起し、社会の不条理に対して強烈な異議を申し立てた人物として。
そして母国で暮らすパンジャービーたちにとっては、海外のクールなカウンターカルチャーと彼らのルーツをつなぎ、故郷に名実ともに貢献した人物として。

ボリウッドと裏社会のつながりがたびたび指摘されていることからも分かるように、インドでは、ギャング的な組織の話題は決して珍しくはない。
しかし、遠く海を隔てたカナダとも繋がり、さらにはヒップホップカルチャーともリンクした犯罪集団というのは、いかにもパンジャービーらしいギャングのあり方だと言える。
犯罪組織である彼らをむやみに称賛するつもりはないが、彼らを批判する前に、彼らを生み出した社会の闇にこそ向き合うべきだろう。
彼らの社会的な功罪はともかく、インドの音楽シーンにとっては、Sidhuの死はあまりにも大きな損失だった。
Sidhuという大きすぎる存在を失った今後、パンジャービーたちのギャングスタ・ラップは、今後どう変化してゆくのだろうか。

あらためて、パンジャーブが生んだ偉大な才能の死を悼む。
R.I.P. Sidhu Moose Wala.




参考サイト:
https://theprint.in/opinion/security-code/khalistan-on-the-pacific-how-the-gangs-of-punjab-were-born-in-canada/980176/

https://theprint.in/india/crime-cult-status-young-death-moose-wala-killing-brings-focus-on-punjabs-brutal-gang-feuds/977220/

https://www.ndtv.com/india-news/sidhu-moose-wala-murder-cctv-of-man-who-took-selfie-with-singer-probed-3041951

https://www.indiatoday.in/india/story/goldy-brar-sidhu-moose-wala-killed-punjab-singer-politician-1956263-2022-05-31

https://en.wikipedia.org/wiki/Indo-Canadian_organized_crime

https://www.ndtv.com/india-news/how-a-small-clue-helped-cops-crack-sidhu-moose-wala-murder-case-3075400

https://www.tribuneindia.com/news/punjab/punjab-gang-wars-means-a-bullet-for-a-bullet-399790

https://theprint.in/india/who-is-lawrence-bishnoi-farmers-son-who-threatened-salman-now-in-news-for-moose-wala-killing/982580/

https://www.hindustantimes.com/india-news/shooter-suspected-to-be-linked-to-moose-wala-killing-held-in-pune-report-101655081211967.html

https://www.indiatoday.in/india/story/sidhu-moose-wala-murder-lawrence-bishnoi-tihar-jail-goldy-brar-1963093-2022-06-16

https://www.hindustantimes.com/india-news/sidhu-moose-wala-murder-2-main-shooters-arrested-says-delhi-police-101655722467567.html

https://www.bbc.com/news/world-asia-india-61862038

https://www.cbc.ca/news/entertainment/sidhu-moose-wala-music-industry-1.6476578

https://timesofindia.indiatimes.com/city/delhi/sidhu-moose-wala-murder-punjab-police-arrests-gangster-jagdeep-bhagwanpuria-from-delhi/articleshow/92545276.cms

https://en.wikipedia.org/wiki/Bindy_Johal

https://www.theglobeandmail.com/canada/article-punjabi-canadian-rap-star-sidhu-moose-wala-was-our-tupac/

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/27167


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goshimasayama18 at 20:25|PermalinkComments(0)

2022年06月29日

Sidhu Moose Walaはインドの2Pacだったのか? 知られざるパンジャービー・ギャングスタの世界(その1)



言うまでもないことだが、ひとつの文化やコミュニティについて書くとき、どこに焦点を当てるかによって、読者が受ける印象は全く異なったものになる。
なぜこんなあたりまえのことを最初にことわっているのかというと、これから、先日のSidhu Moose Wala射殺事件以降、インド国内でにわかに注目を集めているパンジャーブ系国際ギャング組織について書こうとしているからだ。
日本ではあまりなじみのないパンジャーブの文化やシク教を扱うにあたって、特異な先入観や暴力的な印象を与えてしまうのは本意ではない。
私の知る限り、インドで出会ったシク教徒はいい人ばかりだったし、ただでさえターバンという分かりやすい特徴があるがゆえに、海外で好奇の目で見られがちな彼らに悪い印象を与える意図は、あたり前だがまったくない。
だが、どんな文化にも善い人もいれば悪い人がいて、慈善家もいれば犯罪者もいるというのもまた真実だ。
「○○人はみんな素朴でやさしい」みたいな見方をするのも、それはそれで理想化したエキゾチシズムの押し付けではないかと思う。
治安が良いとされる日本にも暴力団がいるように、これから書く内容も、パンジャービーたちの社会における、ある一部を照らした真実なのである。
もちろん、それはあくまで一部であって、全部ではないことは言うまでもない。


ギャングスタ・ラップ・イン・インディア?

sidhumoosewala_facebook


5月29日に、人気シンガー/ラッパーのSidhu Moose Walaが彼の故郷に程近いパンジャーブ州マンサ郡で射殺されたという衝撃的なニュースは、インドの音楽シーンを震撼させた。
遠く離れた日本でインドのヒップホップをdigしている自分にとっても、あまりにもショックな出来事だった。




世界中のあらゆる国のヒップホップシーンがそうであるように、インドのヒップホップシーンにも、ある種の「不良性」があるのは確かだ。
他のラッパーを口汚く罵るビーフも盛んだし、いまやインドを代表するラップスターとなったDIVINEは、かつてドラッグの売人だったことを公言している。
デリーのシク教徒ラッパーPrabh Deepは、自らが育った環境にはびこる暴力や犯罪をテーマにしたミュージックビデオを作っているし、ムンバイの多言語ラップグループDopeadeliczのテーマは大麻の解禁だ。
それでもインドのヒップホップシーンは、90年代にアメリカで勃発したヒップホップ東西抗争※のような、リアルなギャングの犯罪とは無縁だと感じていた。
(※各自ググっていただくとして、2PacとNotrious B.I.G.という二人の偉大な才能を射殺という形で失う最悪の結末を迎えた)

例えば、ラージャスターンのラップデュオJ19 Squadは、仲間と銃を打ちまくる過激なミュージックビデオを作っているが、「これってあなたたちのリアルな生活なの?」と尋ねたところ、慎重に言葉を選びながら「俺たちはもっと普通に暮らしているよ。これがフィクションなのか実際に起きうることなのかっていうのは言えないな。俺たちはとても慎ましくて親切だけど、もし誰かが楯突こうっていうんなら、痛い目に合うことになる」と、ギャング的な生活が必ずしもリアルではないことをほのめかしていた。

インドにおけるヒップホップの地域抗争といえば、2019年にケーララ州のラップグループStreet Academics(ケーララの言語であるマラヤーラム語でラップする)がベンガルールでライブをしたときに、地元言語のカンナダ語の曲を求める観客たちによって無理やりステージから降ろされてしまうという事件があった。
しかしこのときも、ライブハウスのスタッフがステージの電気を落としてしまうという、まあまあ陰湿ではあるが、暴力的ではまったくない顛末だったようだ。
そんなわけで、インドのヒップホップシーンは過度の暴力性や銃犯罪とは無縁なものと思っていたのだ。

何度も書いていることだが、インドのラップには2つのルーツがある。
ひとつめは、古くから海外に渡っていたおもにシク教徒のパンジャーブ系移民が、欧米のダンスミュージックと自身の伝統音楽である「バングラー」を融合させて生まれたバングラー・ラップ。
これはインド社会ではラップとして扱われることが多いが、どちらかというとバングラーのコブシの効いた演歌みたいな歌い回しが目立つスタイルの音楽である。
ふたつめは、2010年代以降にインターネット経由で本場アメリカのラップの影響を受けた若者たちによって形成された、より「ヒップホップ的」なラップだ。

Sidhu Moose Walaは前者のバングラー・ラップに属するラッパーだが、彼はバングラーのフロウに本格的なヒップホップのビートを導入した革新的なスタイルで人気を博していた。

後者の「新しい」ヒップホップに関して言えば、そこに属するラッパーたちは、ネット環境が持てる程度には裕福で、英語のラップが理解できるだけの語学力がある層が中心ということになる。
先に名前を挙げたDIVINE, Prabh Deep, Dopeadelicz, J19 Squad, Street Academicsはこちらのシーンに位置づけられる。
端的に言えば、カーストや生まれた場所によるハンディキャップや苦悩はあるにせよ、彼らは決して社会の最底辺の存在というわけではない。
彼らの痛みを軽視するつもりはないが、家すらなく路上で生活する人々や、ヒップホップという存在を知ることすらできない、電気も水道もない地方で暮らす人々と比べれば、「比較的」ましな状況であることは否定できないだろう。
つまり、インドの「ヒップホップ」シーンは、「ストリート・ナレッジ」とは異なる、本来の意味での教養やコンシャスさをもとから備えていたアーティストにより形成されていたと言える。
…はずだった。


ところが、今回のSidhu Moose Wala射殺事件は、30発もの銃弾を打ち込むという手口といい、カナダを拠点とする国際的ギャング団が関わっているという報道といい、本場アメリカのギャングスタ・ラッパー(それも抗争がいちばんヤバかった90年代の)顔負けの凶悪っぷりだ。
現地では、Sidhuは彼が常日頃語っていた「銃によって生き、銃によって死ね(live by the gun and die by the gun)」というアティテュードに殉じたという見方もされているという。

Sidhuが銃に執着していたということは知っていたが、それはあくまでもスタイルというか、表現の仕方としてギャングを模倣していただけだと思っていた。
(ちなみにこの記事の最初のほうに上げた彼の写真は、ことさら銃のイメージを持たせるものを探してきたわけではなく、本人のFacebookのプロフィール写真を拝借してきたものだ)
 

バングラー・ラップのシーンには、2015年頃から勃興した、コンシャスでそれなりに平和的なストリートラップとは別の、何か暴力的な背景が存在しているのだろうか?
いったい、Sidhu Moose Walaのまわりでは何が起きていたのだろうか?



事件の背景

これまでに分かっているSidhu Moose Wala殺害事件の背景を辿ってみたい。
5月29日、SidhuはSUVを運転しているところを複数の男たちに襲撃され、30発もの銃弾を受けて死亡した。
(彼が受けた銃弾の数は報道によってばらつきがあるが、30発近い銃撃がされたことは間違いないようだ)
おりしもパンジャーブでは、1984年に黄金寺院(シク教の聖地)に立て篭もった過激派シク教徒を政府軍が武力攻撃した「ブルースター作戦」の記念日を控えた警備体制が敷かれており、著名人である彼もまた警護の対象となっていた。
だが、その日に限って警備は手薄だった。
報道によると、犯人グループは、銃撃の少し前にファンを装って車に近づき、Sidhuとセルフィーを撮影していたという。
護衛がなく、車両が防弾仕様でもないことを確認した一味の男は、犯行が行える状況であることを仲間の銃撃犯に連絡。
そして凶行が行われた。

捜査は難航するかに思われたが、犯人が乗り捨てた車の中にあったガソリンスタンドのレシートから、防犯カメラの映像を辿り、犯行グループが特定された。
媒体によって情報が異なるが、これまでに2名ないし3名の犯人が逮捕されているようだ。

この犯行に当初から関わっていると噂されていたのが、現在デリーのティハール刑務所に服役中のLawrence Bishnoiとカナダ在住Goldy Brar.
いずれもパンジャーブ系ギャングとされる男だ。

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Lawrence Bishnoi(黒いフード付きダウンジャケット)とGoldy Brar(赤いバンダナ)

Goldy BrarはSidhuが亡くなってまもなく、Facebookに犯行声明とも取れるコメントを投稿していた。
曰く、昨年パンジャーブで殺害された仲間のVicky Middhukheraと弟のGurlal Brarの復讐として、Sidhuを殺したとのこと。

その犯行を直接指示していたのがLawrence Bishnoiだったようだ。
Bishnoiは当初関与を否定していたものの、今では主犯であることを認めているという報道もある。
刑務所内からどうやって犯行を指示したのかという疑問は残るが、大物ギャングともなれば、いくらでも手段はあるのだろう。

一部報道によると、今回の事件の背景には、Bishnoiのグループと対立するギャング団との抗争があったようだ。
SidhuはLucky Patialという男が率いるBishnoiの対立組織と関係があり、なんと彼のマネージャーにVicky Middhukhera, Gurlal Brarの殺害を指示していた(!)というのだ。
それだけでなく、Sidhuは歌詞でも対立組織を挑発していたというから、まさにアメリカのギャングスタ・ラッパーを地で行くような話だ。(パンジャービー語のリリックは分からないので真偽の程は不明)

Lawrence BishnoiとGoldy Brarの交際は学生時代に始まった。
今では700人を超えるギャング団のボスとされるBishnoiは、農家の息子として生まれ、カレッジ(インドではUniversityの前の過程にあたる短大的なものを指すことが多い)時代は優秀な陸上選手だった。
続いて進学したパンジャーブ大学(Punjab University)では、学生会長まで務めていたというから、目立った学生だったのだろう。
だが、日本では優等生か左翼思想のイメージがあるこのポジションは、ここでは犯罪の道への入り口だったようだ。
彼はパンジャーブ大学の学生会選挙で、友人Brarの対立候補を殺害(!)した罪で逮捕され、2ヶ月後に保釈されている。
保釈後も彼は落選したBrarの復讐のために、当選者の弟に発砲したり、学生会選挙で暴行騒ぎを起こしたりしているようで、パンジャーブの大学生活、いくらなんでも荒れすぎじゃないだろうか…。
やがて大学を離れたBishnoiは、その後もパンジャーブ州内で政治絡みの暴力犯罪を何件か犯している。
彼は政治的にはシク教徒の政党である「アカーリー党」と関係が深いようだが、一方のSidhuは全国政党の「国民会議派」から州議会選挙に出馬したことがある。
彼らの対立には政治が関係しているのかもしれないし、またどの政党も多かれ少なかれ黒に近いグレーの部分があるのかもしれない。

その後Bishnoiは外国製武器所持の疑いで逮捕されるのだが、有罪となって収監された後も、彼の権力はますます強まっていった。
彼は刑務所内から恐喝や有名人への身代金要求などに関わったと言われていて、その中にはあのボリウッドの大スター、Salman Khanも含まれているという。
もはやここまでくるとヒップホップ的なストリートギャングというよりも、ほとんどゴッドファーザーみたいなマフィアの世界である。

長くなってしまったので、今回はここまで。
次回はパンジャービー・ギャングスタラップの世界と国際的パンジャービー・ギャング団の歴史に迫りたい。




参考サイト:
https://theprint.in/opinion/security-code/khalistan-on-the-pacific-how-the-gangs-of-punjab-were-born-in-canada/980176/

https://theprint.in/india/crime-cult-status-young-death-moose-wala-killing-brings-focus-on-punjabs-brutal-gang-feuds/977220/

https://www.ndtv.com/india-news/sidhu-moose-wala-murder-cctv-of-man-who-took-selfie-with-singer-probed-3041951

https://www.indiatoday.in/india/story/goldy-brar-sidhu-moose-wala-killed-punjab-singer-politician-1956263-2022-05-31

https://en.wikipedia.org/wiki/Indo-Canadian_organized_crime

https://www.ndtv.com/india-news/how-a-small-clue-helped-cops-crack-sidhu-moose-wala-murder-case-3075400

https://www.tribuneindia.com/news/punjab/punjab-gang-wars-means-a-bullet-for-a-bullet-399790

https://theprint.in/india/who-is-lawrence-bishnoi-farmers-son-who-threatened-salman-now-in-news-for-moose-wala-killing/982580/

https://www.hindustantimes.com/india-news/shooter-suspected-to-be-linked-to-moose-wala-killing-held-in-pune-report-101655081211967.html

https://www.indiatoday.in/india/story/sidhu-moose-wala-murder-lawrence-bishnoi-tihar-jail-goldy-brar-1963093-2022-06-16

https://www.hindustantimes.com/india-news/sidhu-moose-wala-murder-2-main-shooters-arrested-says-delhi-police-101655722467567.html

https://www.bbc.com/news/world-asia-india-61862038

https://www.cbc.ca/news/entertainment/sidhu-moose-wala-music-industry-1.6476578





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goshimasayama18 at 22:06|PermalinkComments(0)

2022年05月28日

北チェンナイはタミルのブロンクスかニューオーリンズか Casteless Collectiveの熱すぎるリズムそしてメッセージ



「カースト」のことを書くのはいろいろな意味で気が重いのだが、今回は、インドが持つ最大の負の遺産であるカースト制度に真っ向からプロテストを訴えているバンド、その名もCasteless Collectiveを紹介したい。
CastelessCollective


カーストについて語るのは非常にやっかいだ。
カーストがどのような意味を持つかは、その人が暮らしている環境やコミュニティによって大きく異なるからだ。
海外や都市部で「先進的な」暮らしをしているインド人のなかには「カースト差別はすでに過去のもの」という意見を持つ人もいる。
私は1990年代にすでにそういう意見の人に会ったことがあるのだが、その人はインドの印象を良くしたいとかではなく、心からそう思っているふうだった。
彼にとっては、それが「真実」だったのだろう。
だが、インドの田舎や保守的なエリアに生まれた人にとっては、カーストの影響を受けずに育つことは難しい。(その結果が差別意識であれ、問題意識であれ)

日本人には理解が難しい「カースト差別」をごく単純に説明すると、伝統的な世襲制職業コミュニティ(「ジャーティ」と呼ばれる)の「清浄」と「ケガレ」の感覚に基づく差別と言えるだろうか。
カーストの階層のなかでは、司祭階級にルーツを持つバラモン(ブラーミン)がもっとも清浄であるとされ、死(葬儀、と畜など)や汚れ(清掃、洗濯など)を扱う者たちは、カースト枠外の最下層の存在とされてきた。
最下層とされた人々は、ケガレが移るという理由で、カースト内の人々と触れたり、食事をともにしたり、視界に入ることすら禁じられ、長い間、非人間的な差別を受けてきた。(「不可触民」と呼ばれて蔑視されてきた彼らは、今では「抑圧されたもの」を意味する「ダリット」と称されることが多い)

今なお深刻なカースト差別の最悪な形のひとつが「名誉殺人」だ。
これは、低カーストの男性と交際している高位カーストの女性が「一族の名誉を守るため」という理由で親族から殺されてしまうという恐ろしい犯罪で、池亀彩著『インド残酷物語 世界一たくましい民』によると、2014〜16年の3年間で、タミル・ナードゥ州だけで92件もの名誉殺人が起きているという。
その被害者の8割がカースト・ヒンドゥー(ダリット以外のヒンドゥー教徒)の女性で、残りの2割は相手のダリットの男性だ。
これはあくまでも氷山の一角で、同じ時期に発生した名誉殺人の疑いのある不審死まで含めると、タミルナードゥ州内だけでも174件にものぼる。
インド全体で考えれば、この数字は何倍にも膨れ上がるはずだ。
ビリー・ホリデイの『奇妙な果実(A Strange Fruits)』は、リンチを受けて殺され、木に吊るされた黒人のことを歌った曲だが、インドではいまだに同じようなことが行われているのだ。

私がインドの社会や音楽シーンに興味を持ち続ける大きな理由のひとつは、こうした差別や格差に対して、音楽がどんな役割を果たせるか見届けたいという思いがあるからだ。

20世紀前半から、アメリカの黒人たちは、独自の文化をルーツとした素晴らしい音楽を生み出し、差別や過酷な環境に生きる彼ら自身をエンパワーしてきた。
ブルース、ソウル、ファンク、そしてヒップホップ。
1960年代の公民権運動から2010年代のブラック・ライヴス・マターまで、その音楽が社会のなかで大きな役割を担ってきたことは衆知のとおりだ。
泥水から美しい花を咲かせるように、彼らの音楽はその普遍的な魅力で、今日のポピュラーミュージックの礎となってきた。

いまも苛烈な差別が続くインドでも、音楽は社会の中で大きな役割を持つことができるのではないか?
あるいは、過酷な環境のなかから、新たに力と普遍的魅力を持った音楽が生まれてくるのではないか?
カーストに起因する問題が全て音楽で解決すると考えるとしたら、それはあまりにも能天気すぎるが、このブログでも何度も書いているように、実際にインドでもすでに音楽によるエンパワーメントは始まっている。

前置きが長くなったが、今回紹介するCasteless Collectiveはまさにその好例だ。
インド南部、タミルナードゥ州の州都チェンナイで結成されたCasteless Collecriveは、メンバー全員がダリット出身。
このバンドは、同じくダリット出身の映画監督Pa. Ranjitが設立したニーラム文化センター(Neelam Panpaatu Maiyam)に集まる若者たちによって、2017年に結成された。


(Pa.Ranjitがメガホンを取り、タミル映画界のスーパースター、ラジニカーントが主演した映画"Kaala"については、この記事で詳しく紹介している。格差や差別やナショナリズムへの抗議と怒りに満ちた素晴らしい作品だ)


Casteless Collectiveは12〜19人のメンバーで構成されたバンドだ(記事や媒体により人数の表記が異なっている)。
その中には、ドラムやギター、男女のヴォーカルやラッパーといった馴染みのあるパートに加えて、ガーナ(Gaana)と呼ばれるタミルの伝統音楽のミュージシャンたちも含まれている。
Casteless Collectiveは、ファンクやブルースとガーナをかけ合わせたフュージョン・ロックバンドなのだ。


「ガーナ」とは、もともと彼らが拠点とする北チェンナイの葬儀でダリットたちが演奏する音楽だった。
(北インドのヒンディー語などの言語では、'Gaana'は歌全般を意味する言葉だが、少なくとも北チェンナイのタミル語では、Gaanaというとこの葬送にルーツをもつ音楽を指すようだ)


2022.7.6追記:タミル文化に詳しい方から、「ガーナ」は必ずしも葬儀で演奏される音楽でも被差別階級の音楽でもなく、ストリートミュージック全般を指すのではないか、というご指摘をいただいた。私は南インドの文化にはまったく詳しくないので、これはおそらく私に誤解があり、その方の指摘が正しいものと思う。北チェンナイ発祥の「ガーナ」は、その発端には被差別階級や葬儀との関連があったかもしれないが、少なくとも現在はそうしたテーマとは関係なく親しまれている音楽であるようだ。私が書いた内容は、間違いではなくても、例えば、現代のポップミュージックを紹介するときに「R&Bは過酷な黒人差別の中から生まれた音楽だ」と書くくらいに唐突だった可能性がある。ただ、以下のVICE Asiaのインタビューを見れば分かる通り、Casteless Collectiveの音楽を紹介する文脈では、ガーナはやはり被差別の苦しみから生まれた音楽と理解して間違いなさそうなので、こうした現状をふまえた上で記事を読んでもらえるとありがたいです。



20世期初頭に南インド各地から仕事を求めてチェンナイ北部にやってきたダリットたちが生み出したガーナは、葬送音楽らしからぬ派手なパーカッションとリズミカルな歌が特徴の音楽だ。
1980年代頃からポップスとしても消費されはじめ、今ではポピュラー音楽のメインストリームである映画音楽にも使われるようになった。
まるでニューオーリンズのジャズ葬から生まれたセカンドラインのようなエピソードだ。

このニューオーリンズのような音楽文化を生んだ北チェンナイは、南インド各地から来た貧しい労働者が数多く暮らす地域でもあり、「治安が悪く犯罪が多発」というヒップホップ発祥の地、ニューヨークのブロンクスみたいなイメージを持たれている場所でもある。

(ニューオーリンズで黒人たちの葬送のための音楽として生まれたセカンドラインは、ジャズやファンクのいちジャンルとなり、ポップミュージックにも導入さている。ヒップホップ創成期のブロンクスはカリブ地域から渡った黒人やヒスパニック系の移民が多く暮らす犯罪多発地域だった)

こうした文化的背景のせいか、Casteless Collectiveの音楽は、音楽性のみならず、その精神性においても、アメリカのブラックミュージックのような力強いメッセージを持った非常に面白いフュージョンになっているのだ。
「北チェンナイ」を意味する"Vada Chennai"は、地元をレペゼンしつつ抑圧に対する怒りを訴える、彼らの醍醐味が存分に味わえる曲だ。



本当のチェンナイ北部を知っているのか?
奴らは美しいものを全て破壊し、真実を埋めてしまった
俺たちは奴らに奪われた土地を取り戻す必要がある
さあ、戦おう、第二の独立のために


1947年にイギリスからの独立を果たしてから75年の歳月が過ぎたが、ダリットの人々にとっては、自身の尊厳を取り戻す本当の意味での「独立」はいまだに達成されていないと訴えることからこの曲は始まる。

このいかにもインドらしい(そしてタミルらしい)プロテスト音楽を奏でる彼らのことを手っ取り早く彼らを知るには、Vice Asiaが作ったこのドキュメンタリーが最適だ。


彼らの言葉に耳を傾ければ、その思想と理想が理解できるだろう。

「Casteless Collectiveのサウンドはチェンナイの土壌から生まれた音だ。チェンナイの血と汗なんだ。Casteless Collectiveは、人々が抱えている問題や苦労や必要なものを伝え、平等をもたらすために存在している。大事なのはカーストに関する全ての考えを根絶すること。カーストのない社会にすることだよ。それがCasteless Collectiveなんだ」

インドには、明確に思想を表明しているインディーミュージシャンも少なくないが(例えばSka VengersのTaru Dalmia)、考えてみれば彼らほどその思想を直接的にバンド名に冠したアーティストは他に思いつかない。
彼らのソウルミュージックでもある「ガーナ」について語っている内容も興味深い。

「ガーナは俺たちの心の痛みから生まれる音楽だ。ガーナのミュージシャンたちは長い間搾取されてきた。ガーナは理論的なものじゃないから、学ぶことはできない。フィーリングなんだ」
「ガーナはブルースみたいなものだ。タミルのブルースさ。ヒップホップが持つ痛みと同じようなところから生まれた。ヒップホップとガーナを融合させるのは難しかったけど、メンバーのArivuはラップもできて、ガーナ音楽も歌えたのさ」

やはりというべきか、彼らとガーナの関係は、アフリカ系アメリカ人と黒人音楽の関係になぞらえて理解することができるもののようだ。
ブルースのように、やるせない境遇の憂鬱をぶっとばすためのものであり、ヒップホップのようにそこにメッセージを乗せて伝えることもできる。
彼らがアメリカの音楽に影響を受けていることも確かだろうが、似たような環境で生まれた音楽であるがゆえのシンクロニシティーがあるのだろう。
ちなみにアメリカ合衆国におけるアフリカ系市民の割合は12.6%だそうだが、インドのダリットの割合は16.6%とされている。
とくに地方においては、インターネットや電力へのアクセスすらままならないダリットも多く、根深い社会構造的な問題からそのエンパワーメントは容易ではないが、人口規模を考えれば、彼らの生み出すブルース/ヒップホップ的な音楽がインドで大きなうねりを生み出すことも夢ではないのかもしれない。

今度は、ラッパーであるArivuの言葉に注目してみよう。

「祖父たちがよく話していたよ。俺たちには土地なんてなかったんだ。人の家に表玄関から入ることも許されなかったし、コップから水を飲むことも許されなかった。何千年もそんなことが続いているんだ。俺は大学で勉強して、カーストの抑圧がいかに大きいものかを学んだ。今でも差別は続いている。ここじゃ人々は土地なんてもっていない。手でゴミを拾っている人たちの子供は、同じ仕事をするしかない。カーストは目に見えないかもしれない。居心地の良い場所でこの話を聞いている人は、きっと先祖が土地持ちかなんかで、いろんな人を抑圧してきたんだろうよ。私立の学校やインターナショナル・スクールに行ってる奴らが『カーストなんてもうない』なんて言うのは馬鹿げているよ」

冒頭に書いたように、カーストをめぐる状況はインドでもさまざまだが、チェンナイ北部のダリット出身である彼のこの発言には痛みをともなうリアリティがある。

「俺はストリートのリアルを伝えるアーティストになりたかった。俺は大学に入ってから、詩を書くようになった。歌を通して、自分の痛みを表現したかったんだ。そうしたら友達が『まるでラップみたいだな。続けたらラッパーになれるよ』と言ってくれた。ラップシーンに入ってから、ラップの歴史を知ったよ。抑圧に対する声だということをね。そのことを知ってすごく嬉しかった。よし、ラップを通して俺たちの生活を伝えてみよう、って思った」

ヒップホップというカルチャー、ラップというアートフォームの普遍性を感じるエピソードだ。
彼らのこうした主張は、その楽曲に色濃く反映されている。

"Jaibhim Anthem"は、ダリット解放運動の活動家であり、インド憲法を起草した法学者・政治家でもあるビームラーオ・アンベードカル(1891−1956)を称える歌。


俺の話をちゃんと聞けばわかるはずさ
この国はカーストの偏見に溢れている
俺たちは学校にも入れてもらえないし、寺院も魂を救ってくれない
道路も歩けないし、殺されることだってある
何千年もこんなことが続いてきた
変わったというけれど、だれが保証してくれるんだ?
歴史を振り返ってみれば、誰が俺たちのストーリーを変えてくれたか分かるだろう
ジャイ・ビーム 声を挙げよう カーストなんていらない 喜びの声を



アンベードカルは晩年に50万人のダリットたちを率いて、カースト差別の根源であるヒンドゥー教と訣別し、仏教徒に改修した、インドにおける仏教復興運動の祖でもある。
こうした経緯から平等主義に比重を置くことが多い彼らは、新仏教(Neo-Buddhist)と呼ばれることも多いが、この名称は結局彼らの出自に注目したものだとして、必ずしも歓迎されている呼び方ではない。
「ジャイ・ビーム」の叫びは、現代まで続くダリット解放運動の父であるアンベードカルへの共感とリスペクトを表す合言葉であり、平等や権利を訴える場面で広く使われている。
(前述の映画"Kaala"やSka VengersのTaru Dalmiaを取り上げたドキュメンタリーでもこの言葉を唱えるシーンがある。詳しくはリンク先の記事を参照)

長い間被差別階級に甘んじてきたダリットたちは、公立学校への入学や公務員への就職の際に、一定の枠が与えられている。
こうしたクォータ制度(インドではreservation=留保制度と呼ばれることが多い)に対する彼らのステートメントがこの曲だ。



お前らの先祖は俺たちの先祖を虐げてきた
だから俺たちにクォータ制度が割り当てられているんだろ?
欲しいものをいつも手に入れてきたからって威張るなよ
俺たちは先祖とは違う、俺たちはもうおとなしくしないからな

(冒頭の部分。原語はタミル語)

ヘヴィロック的なサウンドに乗せて歌われるメッセージはまるでボブ・マーリーのような熱いプロテストだ。
留保制度は様々な問題をはらんでいて、この制度で高等教育に進学したダリットの学生が学業についていけずドロップアウトしてしまうこともあり、また上位カーストの学生が逆差別だと抗議の自殺をするなど、けっして万能の解決策ではない。
だが、それでもこの制度がインド社会の歴史的負債とも言える格差是正に大きな役割を果たしてきたことは間違いない。
そうした批判もふまえた上での主張が、この"Quota"だというわけだ。


Arivuはソロのラッパーとしてもバンドと同様のメッセージを発信している。
ビートメーカーのofROとタッグを組んだ"Anti Indian"もまた強烈な一曲。




なんだって?俺がアンチ・インディアンだっていうのか?
なんだって?俺はただタミル人として投票しているだけ
俺はあんたみたいなただの人間さ

なのに俺の夢も希望も潰されてしまった
目を閉じて俺の話を聞いてくれ
おまえは俺の土地を滅ぼし 俺の家を燃やそうとした
おまえは俺たちの森に戦争を持ち込んだ
歴史は偽りに満ちている
おまえは俺を生贄にして 俺の国を滅ぼした 数十万もの人々だ
それでも俺はおまえたちと一緒になった
俺の夢をおまえが叶えてくれることを望んでいた
俺はひとつになることを望んだが おまえは俺たちの分断が続くことを望んでいる
言語や宗教や人種や生まれによる分断のことさ
教育で分断し 見えない線で分断し 肌の色で分断する
俺の土地は自分の血で血まみれだ
この戦いは俺たちの世代でもまだ続いている
おまえに俺の痛みは分からない


"Anti Indian"は、日本で言うと「反日」とか「売国」に近いようなニュアンスの言葉だと考えてよいだろう。
チェンナイに暮らす彼らは、カースト差別とは別に、北インドの南インドの構造的格差の当事者でもある。
インドという国は、伝統的に首都デリーを中心とした北インドのヒンディー語圏のアーリアの人々が支配的であり、彼らとは全く別の言語体系・人種的ルーツを持つドラヴィダ系の南インド人はなにかと低く見られがちだ。
こうした状況のなかで、チェンナイを州都とするタミルナードゥ州は、とくに自らの文化への誇りが強い土地であり、北インド的な価値観の押し付けに対する強い対抗意識を持っている。
だが、タミル的なアイデンティティというのものも一枚岩ではなく、例えばそれはタミルの中の上位カーストの価値観に依拠していることもあるから一筋縄ではいかない。
例えば、カースト・ヒンドゥーのタミル人たちは、自分たちの牛を誇りとして大切にする文化を持っているが(たとえばこの記事を参照「タミルのラッパーのミュージックビデオがほぼインド映画だった話 Hiphop Tamizhaとタミルの牛追い祭り」)、ダリットたちにとって牛は貴重な食材のひとつである。

"Anti Indian"のミュージックビデオで、Arivuはライブの途中で曲を止めて、観客にこう語りかける。

「曲を止めてすまない。ちょっと言いたいことがある。
俺たちがタミル人でもインド人(ここでは北インド出身者のことか)でもマラヤーリー(タミルナードゥ州の西隣ケーララ州にルーツを持つ人々)でも関係ない。俺たちは人間だ。
ただの人間、それだけだ。
最後に残るのは人間愛(humanity)だ。人間であること(humanity)だけが永遠なんだ。
俺たちはひとつだ。人間であるってことは、俺たちを結びつける力なんだ」

このメッセージのあまりの誠実さに、正直、書いていてちょっと背筋が伸びた。
社会的、政治的であることから全く逃げずに、こんなにも真摯な姿勢を貫いているアーティストは世界的に見ても稀有な存在だろう。

Arivuはラッパーとしての技量も非常に高く、この"Kallamouni"の2:10からの凄まじい勢いの鬼気迫るラップを聴いてみてほしい。



Casteless Collectiveのメンバーたちも語っているように、これまで、ダリット自身が主人公となって、自分たちを虐げてきた人々や制度を公然と批判できる音楽は彼らのコミュニティに存在しなかった。
音楽的にも文化的にも自らのルーツを誇りつつ、強烈なプロテストを繰り広げる彼らは、遠く日本から見ていても胸がすくようなすがすがしさと熱さがある。
北チェンナイのダリット・コミュニティから生まれた彼らの音楽が、その熱さと真摯さで、ファンクやヒップホップのように、より多くの人をエンパワーすることも、決して夢ではないと信じている。




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goshimasayama18 at 20:20|PermalinkComments(0)

2021年10月24日

あらためて、インドのヒップホップの話(その5 タミル編 ルーツへの愛着が強すぎるラッパーたち)



TamilRappers

これまで、ムンバイ編デリー&パンジャービー編ベンガルール編コルカタ&その他北インド編と4回に分けてお届けしてきたインドのヒップホップの歴史。
今回は満を持してサウスのヒップホップを紹介!

ここでいう「サウス」は、当然ながらアトランタやマイアミのことではなく、南インドのことで、今回は南インドのなかでもタミルのラッパーたちを特集する。
インド南部のタミルナードゥ州は、あの「スーパースター」ラジニカーント(『ムトゥ 踊るマハラジャ』他多数)の故郷であり、自分たちの文化への強い誇りを持つことでも知られている(まあインドはどこもたいていそうだけど)。
また、同州の公用語タミル語でラップするラッパーたちは、海外でも自身のアイデンティティを守り続けている。


タミル語ラップの歴史は古く、1994年の映画"Kadhalan"の挿入歌であるこの曲は、インドのラップ史の最初期の名曲とされている。

Suresh Peters "Pettai Rap" (from "Kadhalan")

コミカルな曲調ながらもオールドスクールなビートとフロウにセンスを感じるこの曲は、インド映画音楽シーンの神とも言えるA.R.ラフマーンの手によるもの。
ラップしているのは映画のプレイバックシンガーなどで活躍しているSuresh Peters.
この曲を聞けば、いかにもな映画音楽的な曲調で知られるラフマーンが、じつは同時代の西洋ポピュラーミュージックにもかなり造詣が深いことが分かる。
(そういえば、後ラフマーンがミック・ジャガーやレニー・クラヴィッツらと結成したスーパーバンド、Super Heavyもかなりかっこよかった)

実際、タミル系のルーツを持つバンガロールのBrodha Vはこの曲に大きな影響を受けているという。


あのラフマーンがインドのヒップホップシーンにも大きな影響を与えていたとは驚きだが、しかしこの曲はあくまでも例外中の例外で、このあとタミルナードゥ州内でヒップホップが爆発的に流行するということにはならなかった。
タミル語ラップのシーンもまた、その黎明期は海外在住のアーティストたちによって牽引されていた。

タミル人には、イギリス統治時代から、労働者としてマレーシアやシンガポールなどの東南アジア地域に移住した者たちが多い。
その中でも、マレーシアに暮らすタミル人は、貧困のなかで暮らしている人々が多いようで、そうした境遇からもヒップホップカルチャーへの共感が大きく、首都のクアラルンプールは「タミル語ヒップホップの首都」とまで呼ばれているという。


1996年にクアラルンプールで結成されたPoetic Ammoの中心人物Yogi Bが2006年にリリースしたアルバム"Vallavan"はタミル語ラップ黎明期の名盤とされている。
その収録曲"Madai Thiranthu"のミュージックビデオがかなりかっこいいのだが、YouTubeの動画が直接貼り付けられない仕様になっているようなので、リンクを貼っておく。

アフリカ系アメリカ人の文化では、床屋(barber shop)はコミュニティの交流の場としても意味を持ってきたことが知られているが、これはそのマレーシア系タミル人版!
ヒップホップカルチャーの見事なタミル的翻案になっている。


こちらは'00年代からカジャンの街を拠点に活動しているラップグループK-Town ClanのRoshan Jamrockと、同じくマレーシア出身のYoung Ruff(いずれもタミル系)の共演で、その名も"Tamilian Anthem".

Young Ruff "Tamilian Anthem" Produced by Roshan Jamrock



マレーシアからシンガポールに目を移すと、2007年にデビューしたタミル系フィメールラッパーのLady Kashがいる。

Lady Kash "Villupaattu"
この曲は、タミルの伝統的な物語の形式(音楽にあわせて語る)'Villupattu'をタミル人にとってのラップのルーツの一つとして讃えるというコンセプト。
マレーシアのラッパーたち同様に、彼女がタミル人としてのアイデンティティを大事にしていることが分かる。
シンガポールはインド系住民が多いが、その半分以上がタミル人で、あの『ムトゥ 踊るマハラジャ』も、シンガポールのリトルインディアで江戸木純によって「発見」されている。
シンガポールのタミル系ラッパーでは、他にも若手のYung Rajaなどが活躍している。


東南アジア以外では、インドのすぐ南、スリランカにも多くのタミル人が多く暮らしている。
スリランカは人口の約75%をシンハラ人、約15%をタミル人が占めており、民族対立による内戦が2009年まで続いていた。

世界で最も有名なタミル系のラッパーを挙げるとすれば、それは間違い無くスリランカのタミル人をルーツを持つイギリス人のM.I.Aということになるだろう。
スリランカで生まれ、幼い頃にイギリスに移住した彼女のラッパーネームは「軍事行動中に行方不明になった人物」(Missing In Action)を表しており、「タミルの独立を目指す活動のなかで消息不明になった父のことを指している」と説明されることが多いが、実際には行方不明になったのは父親ではなくイトコらしい。

彼女がタミルらしさを強く打ち出したアルバム"Kala"からのこの曲を聴いてもらおう。

M.I.A "Birdflu"

UKの南アジア系音楽シーンに詳しい栗田知宏さんによると、この曲には、タミル語映画Jayam(2003年)の劇中曲 "Thiruvizhannu Vantha" のウルミ(両面太鼓)のビートが用いられており、曲中に入っている子どもの声はタミルの手遊び歌とのこと。
夜のシーンの背景に見られるトラのマークは、スリランカで武装闘争を繰り広げていた「LTTE(タミル・イーラム解放の虎)のロゴ」だという説もあるそうだ。

M.I.Aは2000年にデビューすると、そのラディカルな姿勢と斬新な音楽性で一躍注目を集め、MadonnaやNicki Minajと共演するなど、業界内でも高い評価を得た。
しかしながら、彼女のインド国内への影響は、そこまで大きくはなさそうで、私の知る限りでは、インド国内のミュージシャンから、影響を受けたアーティストとして彼女の名前が上がったり、インド国内の音楽メディアで彼女が大きく取り上げられているのを見た記憶はない。
その理由は、おそらく彼女のルーツがインドではなくスリランカであること、彼女がタミル語ではなく英語でラップし、タミル系コミュニティのスターというより、世界的な人気ラッパーである(つまり、自分たちのための表現者ではない)といったことではないかと思う。

また、彼女がいつもタミル的なサウンドにこだわっているわけではなく、普段は非常に個性的ではあるが、特段南アジア的ではないスタイルで活動していることも、インドでの注目の低さと関係しているかもしれない。(例えば、テルグー系アメリカ人フィメール・ラッパーで、最近活動の拠点をインドに移しているRaja Kumariは、ビジュアルやサウンドで常にインド的な要素を表出している)
もっとも、M.I.Aのデビュー当時の'00年代には私はインド国内のシーンに注目していなかったので、その頃にインドでも大きな話題となっていた可能性はある。
また、インド国内の音楽メディアはどうしてもムンバイやデリーのシーンを中心に取り上げる傾向があるので、もしかしたらタミルナードゥでは彼女は根強い人気があるのかもしれない。

スリランカ本国のタミル系ラッパーでは、Krishan Mahesonが有名だ。
彼は90年代から活躍していたスリランカのラップグループBrown Boogie NationやRude Boy Republic(いずれも英語でラップしていた)らの影響を受けてラッパーとなり、2006年にリリースした"Asian Avenue"は、世界中のタミル人に受け入れられたという。
最近ではインド国内のタミル映画のサウンドトラックでの活躍も目立っているが、正直あまりピンとくる曲を見つけられなかったので、今回は楽曲の紹介を見送る。



…思わず在外タミル系ラッパーの紹介に力が入ってしまったが、とにかくこうした東南アジアやスリランカのアーティストたちが、タミル語ラップ(あるいはタミル系のアイデンティティを表現した英語ラップ)を開拓し、インターネット等を通してタミルナードゥの若者たちにも影響を与えたことは確かだろう。

同じインド人でも、タミルのラッパーたちが思い描く「世界地図」は、たとえばイギリスや北米への移民が多い北インドのパンジャービーたちとは、おそらく全く別のものになるということは、インドのカルチャーを考える上でちょっと頭に入れておきたい。


インド国内、タミルナードゥ州内のラッパーでは、チェンナイを拠点に活動している二人組Hip Hop Tamizhaが古株にあたる。
彼らのユニット名はそのものずばり「タミルのヒップホップ」を意味しており、2015年にリリースしたこの"Club Le Mabbu Le"で注目を集めた。

Hip Hop Tamizha "Club Le Mabbu Le"
率直に言うと結構ダサいのだが、単に欧米や在外タミル人ラッパーの模倣に終わるのではなく、たとえダサかろうと自分たちならではのローカルっぽさをちゃんと混ぜてくれるところが、彼らのいいところかもしれない。
ちなみにこの曲は「女性への敬意を欠く」いう昔のヒップホップにありがちな批判を受けたりもしている。
批判したのは同郷のフィメール・ラッパーSofia Ashraf.
社会問題を鋭く批判するリリックで知られた存在で、以前この記事で特集しているので、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。



Hip Hop Tamizhaは、その名の通りタミルへの誇りが強すぎるラッパーたちで(まあ今回紹介しているアーティストは全員そうだが)、タミル人たちの伝統である「牛追い祭」である「ジャリカットゥ」をテーマにした"Takkaru Takkaru"のミュージックビデオでは、もはやヒップホップであることをほとんど放棄して、タミル映画まんまの映像とサウンドを披露している。
(こちらの記事参照。インド映画や南アジアに興味があるなら、見ておいて損はない)



チェンナイのMC Valluvarは、そこまで人気があるラッパーではないようだが、地元のストリート感覚あふれるこのミュージックビデオは最高で、以前からの個人的なお気に入りの一つ。

MC Valluvar "Thara Local"
とくに後半、道端で唐突に始まるダンスのシーンで、何事かとそれを眺めるオバチャンや子どもたちがリアルですごくいい。


古都マドゥライのラップグループ、その名もMadurai Souljourも郷土愛が溢れまくっていて、ごく短いこのトラックは、彼らの名刺がわりの一曲。
Madurai Souljour "Arimugam"



ところで、タミル文化の面白いところは、メインカルチャーとカウンターカルチャーが渾然一体となっているところだと思っている。
インド最大の話者数を誇る北インドのヒンディー語圏では、ラップやインディーロックのようなカウンターカルチャーを実践する若者たちは、エンターテイメントの主流にして王道であるボリウッドの商業的娯楽映画をちょっとバカにしているようなところがある。
例えば、ミュージシャンがインタビューで「ボリウッド映画の音楽なんてやりたくないね。自分は金のために音楽をやっているんじゃないんだ」みたいに言っているのを目にすることがたびたびあるのだ。

ところが、タミルの場合、映画は彼らの誇りや文化の一部であり、カウンターカルチャーとかインディペンデントのアティテュードとか関係なく、そこに参加することは、表現者にとって最大の名誉だと考えられているようなフシがある。
インド国外のラッパーを含めて、ここまでにこの記事で紹介したラッパーのほぼ全員が、タミル映画のサウンドトラックに参加しているし、M.I.Aでさえも、上述の通り非常にタミル映画っぽいテイストのミュージックビデオを作ったりしている。
もしスーパースター(ご存知の通り、比喩ではなく、オフィシャルな「別名」が「スーパースター」)であるラジニカーントの映画に参加できたりしたら、もうこの上ない僥倖で、たとえ両親がラッパーになることに反対していたとしても、一族の誇りとして泣いて喜んでくれることだろう。

例を挙げるとすれば、タミル人が多く暮らすムンバイの最大のスラム「ダラヴィ」を舞台にした映画"Kaala"(日本公開時の邦題は「カーラ 黒い砦の闘い」。主演はスーパースター!)のサウンドトラックには、実際にダラヴィ出身のタミル系ラップグループDopeadeliczや、マレーシアのYogi BやRoshan Jamrockも参加している。


"Semma Weightu"


Music: Santhosh Narayanan
Singers:  Hariharasudhan, Santhosh Narayanan
Lyrics/Rap Verses: Arunraja Kamaraj, Dopeadelicz, Logan"Katravai Patravai"

Music: Santhosh Narayanan
Lyrics :  Kabilan, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
RAP : Yogi B, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
(詳しくはこちらの記事から)


タミルのラッパーが映画音楽に参加している例は他にもかなりありそうなのだが、きりがないので今回は割愛。


以前、マサラワーラーの武田尋善さんが「タミル人にとってのラジニカーントはJBみたいな存在」と言っていたのを聞いて、ああなるほどと思ったのだが、黒人の誇りを力強く鼓舞したジェームス・ブラウンのように、ラジニカーントもまた「タミル庶民の誇り」みたいに扱われているフシがある。(ちなみに彼自身はタミル人ではなく、マラータ系)

タミル人のなかには、北インドの言語や人々が幅をきかせているインドの現状に対する反発みたいなものが存在していて、それがメインカルチャーとかカウンターカルチャーとかに関係なく、一枚岩のアイデンティティにつながっているのだろう。


ところで、先ほど紹介した"Kaala"の監督Pa.Ranjithは、2017年にCasteless Collectiveというバンドを結成している。
彼はもともとカースト制度の枠外に位置づけられ、過酷な差別の対象となってきた「ダリット」の出身である。
Casteless Collectiveは、彼がダリットのミュージシャンを集め、その名の通りカースト制度などのあらゆる抑圧を否定するというコンセプトのバンドなのだ。

Casteless Collective "Vada Chennai"

タミルの伝統音楽である'Gaana'とラップやロックなどを融合した彼らの音楽は、サウンド的にはヒップホップとは呼べないかもしれないが、ルーツを大事にしつつもマイノリティを勇気付ける彼らのアティテュードには、かなりヒップホップ的な部分があると言ってもいいだろう。
音楽ジャンルやアートフォームとしてのヒップホップはアメリカで生まれたが、ヒップホップ的な感覚は時代や場所を問わず遍在している。
逆説的に言えば、だからこそ、その感覚を純化させ具体化したヒップホップというジャンルはすごいということになる。


Casteless Collectiveは12人にもなる大所帯バンドだが、その中のラッパーArivuは、同様のテーマのソロ作品を通して、よりヒップホップ的なスタイルの表現も追求している。

Arivu x ofRo "Kallamouni"

このCasteless Collective一派の活動には、これからも注目していきたいところ。
Netflix Indiaでは南インドのヒップホップシーンをテーマにしたドキュメンタリー"Namma Stories"も公開され、「サウス」のヒップホップはこれからますます熱くなりそうだ。


最後に、カナダ在住のタミル系ラッパー(スリランカにルーツを持つ)Shah Vincent De Paulを紹介したい。
彼はタミルの伝統楽器ムリダンガムのリズムとラップの融合という新しい試みに取り組んでいる。

在外タミル人と国内との文化の還流も、今後ますます注目すべきテーマになりそうである。



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goshimasayama18 at 17:20|PermalinkComments(0)

2021年09月11日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その4 コルカタ、北東部、その他北インド編)



インドのヒップホップを地域別に紹介するこの企画、今回はコルカタとインド北東部、さらにその他北インドのラッパーを特集!

今回紹介する各地域の所在地はこちらの地図でチェック!
IndiaMap(states)
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:India_-_administrative_map.png


地域のくくり方が急に雑になったな… 、と思った方もいるかもしれないが、これまでちょくちょく書いてきたエリアが多いので、まとめて紹介させてもらいます。

コルカタをはじめとするベンガルのアーティストに関しては、昨年から何度も特集しているので、こちらから過去の特集記事をどうぞ。





コルカタを代表するラッパーといえばCizzy.

Cizzy "Middle Class Panchali"


お聴きの通り、非常にセンスの良い出来なのだが、インドでは他地域に話者がほとんどいないベンガル語でラップしているせいか、彼は全国的には無名な存在だ。
コルカタのヒップホップシーンは、ほとんどのラッパーがベンガル語でラップしているがゆえに、ヒンディー語でラップするムンバイやデリーのラッパーのような注目を集めることが少ないのである。

ところが、ここに来てCizzyがインド全体を意識したような英語の楽曲をリリース。
はたして、Cizzyは全国的な成功を手にすることができるのだろうか?

Cizzy "Good Morning, India"



ところで、コルカタが位置する州の名前はウエスト・ベンガル州。
じゃあ東ベンガルはどこにあるのかというと、それはバングラデシュという別の国。
19世紀末、インドを支配していたイギリスは、民族運動がさかんだったベンガル地方を効率的に統治するため、宗教間の対立感情を巧みに利用して、この地域をヒンドゥー教徒が多い西ベンガルとムスリムが多い東ベンガルに分断した。
結果として、ベンガル地方東部はヒンドゥー教がマジョリティを占める世俗国家となったインドと袂を分かち、はるか遠くインドの西に位置するパキスタンの一部として独立することを選んだ。
しかしながら、地理的にも離れているうえに、文化的にも言語的にも差異の大きい東西パキスタンはさまざまな折り合いがつかず、東パキスタンは独立運動の末、1971年にバングラデシュとして再独立を果たすことになった。

というわけで、隣国にはなるが、コルカタと同じベンガル語を話すバングラデシュのラッパーを特集した記事はこちら。


同じベンガル語圏でも、文学的かつ詩的な香りのただようコルカタとは異なり、バングラデシュのラッパーはより政治的かつ社会的な主張をリリックに盛り込んでいるという印象。
東西ベンガルのラップの傾向の違いが、それぞれの国の歴史や政治や文化の違いによるものなのか、はたまた宗教の違いによるものかは分からないが、なかなか興味深いところではある。



首都デリーとコルカタを結ぶ線上には、タージマハールがあるアーグラー、男女交歓像で知られるカジュラーホー、ガンジス河の聖地ヴァーラーナシー、ブッダが悟りを開いたブッダガヤー(ボードガヤー)といった有名な観光地が点在している。
だが、これらの地域(州でいうとウッタル・プラデーシュ、ビハール、ジャールカンドなど)は人口こそ多いものの、経済的には貧しく、端的に言って「後進的」な地域だ。

したがって、ヒップホップのような新しいカルチャー不毛の地なのだが、それでも、突然変異のようなきらめきを放つアーティストが登場することがある。

例えば、先日紹介したビートメーカーのGhzi Purがその一人だ。
地理的に大都市のシーンから隔離されているからだろうか、狂気を煮詰めたようなサウンドは、あまりにも強烈な個性を放っている。
(そういえば、メールインタビューの返事、待たされたままこないな…)



ジャールカンド州には、これまた驚くべきラッパーTre Essがいる。
以下のふたつ目のリンクの記事は彼へのインタビューだが、彼が語ったヒップホップをエクスペリメンタルなジャンルとして定義づける姿勢と、地方都市のアーティストならではの苦悩は強く印象に残っている。






インドのなかでももっとも貧しい州のひとつとして知られるビハール州にも、ユニークなラッパーがいる。
彼の名はShloka.
ヒンドゥー教の伝統的なモチーフを大胆に導入したそのスタイルは、まさにインドのヒップホップ!

 Shlokaというラッパーネームはインドの古い詩の形式の名前から取られている。
インドでは古典音楽とラップの融合は珍しくないが、彼のようなスタイルは唯一無二だ。


そのまま東に進んでウエスト・ベンガル州を越え、さらにバングラデシュを越えると、そこはインド北東部。
「セブン・シスターズ」と呼ばれる7つの小さな州が位置する地域だ。
このエリアには、アーリア系やドラヴィダ系の典型的なインド人ではなく、東アジア、東南アジアっぽい容姿のさまざまな少数民族が暮らしている。
インドのマジョリティとは異なるルーツを持った少数民族であるがゆえに、インド国内では被差別的な立場に置かれることも多い彼らは、自らの誇りをラップを通して訴えている。

北東部は、話者数が少ない地元言語よりも、多くの人に言葉を届けられる英語でラップするアーティストが多い土地でもある。
彼らについてはこの記事で詳しく特集している。


ベンガルール編で紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealも、北東部の人々同様に見た目で差別されてきた経験を持つからだろう、彼らに想いを寄せた曲をいくつも発表している。
上記の記事では、USのラッパーのジョイナー・ルーカスの"I'm Not Racist"を下敷きに北東部出身者への偏見をテーマにした"Are You Indian"、を紹介したが、この曲では北東部ミゾラム州のラッパーG'nieと共演して、「チンキー」という差別語で呼ばれる現実をラップしている。


インドの東の果てまで来てしまったが、今度は西側にぐっと戻って、タール砂漠が広がるラージャスターン州に目を移そう。
褐色の大地に色鮮やかな民族衣装が映えるこの地は、インドのなかでもとくにエキゾチックな魅力にあふれ、観光地としても国内外の人気を集めている土地だが、ポップカルチャーの世界では存在感の薄い地域である。

だが、全国的な知名度こそなくても、この地域にはインドらしい個性があふれるラッパーたちがいる。
砂漠の街のギャングスタ、J19 Squadとラージャスターンのラッパーについては、ぜひこちらの記事からチェックしてみてほしい。




カリフォルニアのチカーノ・ラッパーたちが自慢のローライダーを見せびらかすように、とっておきのラクダを見せびらかすヒップホップミュージックビデオなんて、最高としか言いようがない。



最後に、インド北部、パキスタンとの国境紛争や独立運動に揺れるカシミール地方にも、ラップでメッセージを発信しているラッパーがいた。
世界中の人に言葉が届くようにと英語でラップしているMC KASHがその代表格で、彼が2010年に発表した"I Protest"は、中央政府による弾圧に抗議するこの地方の人々の合言葉となった。
この地方の概要と彼については、この記事で紹介している。



最近では、デリーのAzadi Records所属のAhmerもカシミーリーとしてのリアルをラップしている(彼の場合、言語が英語ではないのでリリックの内容はわからないが、このミュージックビデオのアニメーションからも現地の厳しい状況が想像できる)
 
今回は北インドのいろんな地域のヒップホップを急ぎ足で見てきたが、とにかくいろんな場所でいろんなラッパーがいろんな主張やプライドをリリックに乗せて発信しているのがたまらなく魅力的だし、ぐっとくる。
これでもまだ紹介できていない地域があるのだからインドは奥が深い。

さて、次回はまだ紹介しきれていない南インドを掘ってみます。



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goshimasayama18 at 21:56|PermalinkComments(0)

2021年09月05日

あらためて、インドのヒップホップの話(その3 ベンガルール編 洗練された英語ラップとカンナダ・マシンガンラップ)


BangaloreRappers


インドのヒップホップを都市別に紹介するこのシリーズの3回目は、インド南部カルナータカ州の州都ベンガルール。
(日本では 「バンガロール」という旧称のほうがまだなじみがあるが、2014年に州の公用語カンナダ語の呼称である「ベンガルール」に正式に改称された)

デカン高原に位置する都市ベンガルールは、インドでは珍しく年間を通じて安定したおだやかな気候であり、イギリス統治時代には支配階級の英国人たちの保養地として愛された。
かつては「インドの庭園都市」という別名にふさわしい落ち着いた街だったようだが、20世紀末から始まったIT産業の急速な発展は、この街の様子を一変させてしまった。
1990年に400万人ほどだった人口は、今では1,300万人に迫るほどに急増。
世界的なソフトウェア企業のビルが立ち並ぶベンガルールは、ムンバイとデリーに次ぐインド第3の巨大都市となった。 


国際的な大都市にふさわしく、この街のヒップホップシーンには、英語ラップを得意とするラッパーが数多く存在している。

例えば、Eminemによく似たフロウでヒンドゥー教のラーマ神への信仰をラップするBrodha V.
コーラスのメロディーはラーマを称える宗教歌で、アメリカにクリスチャン・ラップがあるように、インドならではのヒンドゥー・ラップになっている。

Brodha V "Aatma Raama"

彼はこのブログでいちばん最初に紹介したラッパーでもある。


Siriは前回紹介したデリーのAzadi Records所属。
ムンバイのDee MCや北東部のMeba Ofiliaと並んで、インドを代表するフィメール・ラッパーだ。

Siri "Live It"



かつてはBodha Vと同じM.W.Aというユニットに所属していたSmokey the Ghostは、わりと売れ線の曲も手がけるBrodha Vとは対照的に、アンダーグラウンド・ラッパーとしての姿勢を堅持している。
彼はかつてマンブル・ラッパーたちを激しくディスったこともあり、90年代スタイルのラップにこだわりを持っているようだ。

Smokey the Ghost & Akrti "YeYeYe"

この"Hip Hop is Indian"は、インド全土のラッパーの名前やヒップホップ・クラシックのタイトルを、北から南まで、コマーシャルからアンダーグラウンドまでリリックに織り込んだ、インドのシーン全体を讃える楽曲だ。

Smokey the Ghost "Hip Hop is Indian"

ちなみに彼が所属していたM.W.Aは、言うまでもなくカリフォルニアの伝説的ラップグループN.W.A(Niggaz with Attitude)から取られたユニット名で、'Machas with Attitude'の略だという。
'Macha'はベンガルールのスラングで、「南部の野郎ども」といった意味だそうだ。



ベンガルールで活躍している英語ラッパーには、他の地域にルーツを持つラッパーも多い。
インド東部のオディシャ州出身の日印ハーフのラッパーBig Dealもその一人だ。
この"One Kid"では、彼が生まれ故郷のプリーではその見た目ゆえに差別され、ダージリンの寄宿学校にもなじめず、ベンガルールでラッパーとなってようやく自分の生きる道を見出した半生をそれぞれの街を舞台にラップしている。

Big Deal "One Kid"



インド南西部のケーララ州出身、テキサス育ちのHanumankindもベンガルールを拠点として活動する英語ラッパーだ。

Hanumankind "DAMNSON"


彼はジャパニーズ・カルチャー好きという一面もあり、この曲ではスーパーマリオブラザーズのあの曲に乗せて、Super Saiyan(スーパーサイヤ人)とか「昇竜拳」といった単語が散りばめられたラップを披露している。

Hanumankind "Super Mario"



ベンガルールで英語ラップが盛んな理由を挙げるとすれば、
  1. 世界中から人々が集まり、英語が日常的に話されている国際都市であるということ
  2. ベンガルールが位置するカルナータカ州の言語であるカンナダ語は、インドの中では比較的話者数の少ない言語であるということ(カンナダ語の話者数は4,000万人を超えるが、それでもインドの人口の3.6%に過ぎず、最大言語ヒンディー語の5億人を超える話者数と比べると、かなりローカルな言語である)
  3. 他地域から移り住んできたラッパーも多く、彼らは自身の母語でラップしてもベンガルールで支持を受けることは難しく、またローカル言語のカンナダ語もラップできるほどのスキルも持ち合わせていないと思われること
という3点が考えられる。

もちろん、ここに紹介したラッパーの全員が常に英語ラップをしているわけではなく、Siriは"My Jam"のコーラスでカンナダ語を披露しているし(全曲カンナダ語の曲もリリースしている)、Brodha Vもカンナダ語やヒンディー語でラップすることがある。
またBig Dealはオディシャ出身者としての誇りから母語のオディア語を選んでラップすることもあり、史上初のオディア語ラッパーでもある。



さて、ここまで見てきたような英語ラップのシーンは、じつはベンガルールのヒップホップのごく一面でしかない。
話者数の比較的少ないローカル言語とはいえ、もちろんベンガルールにはカンナダ語のラッパーも存在している。
そして、どういうわけかその多くが、リリックをひたすらたたみかけるマシンガンラップを得意としているのだ。
例えばこんな感じ。


MC BIJJU "GUESS WHO'S BACK"


RAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJU  "LIT"

カンナダ・マシンガンラップの代表格MC BIJJU、そして、この曲で共演しているRAHUL DIT-O、S.I.Dもこれでもかという勢いのマシンガン・ラップ。
冒頭の寸劇で、コマーシャルな曲をやれば金になるが、コンシャス・ラップをしてもほとんど稼ぎにならない現状が皮肉たっぷりに描かれているのも面白い。


ぐっとポップな雰囲気のこの曲でも、フロウは少し落ち着いているものの、どこかしら言葉を詰め込んだようなラップが目立つ。

EmmJee and Gubbi "Hongirana"

ラッパーはGubbi.
南インドの言語(カンナダ語、タミル語、テルグー語、マラヤーラム語)はアルファベット表記したときにひとつの単語がやたらと長くなる印象があるが、おそらくそうした言語の特質上、カンナダ語のラップはマシンガンラップ的なフロウになってしまうのだろう。


変わり種としては、ちょっとレゲエっぽいフロウと、絶妙に垢抜けないミュージックビデオが印象的なこんな曲もある。

Viraj Kannadiga ft.Ba55ck "Juice Kudithiya"

この曲はカンナダ語のレゲトンとして作られたようで、リリックの内容は「これは酒じゃなくてジュースだ」という意味らしい。
カンナダ語ラップといっても、ハードコアな印象のものから、ポップなもの、コミカルなものと多様なスタイルが存在している。


いわゆるストリート発信のヒップホップとは異なるが、北インドにおけるバングラー・ポップ的な、カンナダ語のエンターテインメント的ダンスミュージックというのも人気があるようだ。

Chandan Shetty "Party Freak"

この曲の再生回数が4,000万回だというから、やはりRAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJUの"LIT"のミュージックビデオのように、インドじゅう(というか世界中)どこに行ってもコンシャスな内容のものよりコマーシャルなものが人気なのは変わらない。

今回紹介した英語ラップのシーンとカンナダ語ラップのシーンは、別に対立しているわけではなく、それぞれのラッパーが共演することもあるし、またラッパーが曲によって言語を使い分けることもある。
IT産業で急速に発展した国際都市という顔と、カルナータカ州の地方都市という2つの顔を持つベンガルールは、これからも面白いラッパーが登場しそうな要注目エリアである。





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2021年09月01日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)



DelhiRappersラージュ

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。

とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!

ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)
DelhiMap
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi

ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。

パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。




キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。

彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。


Yo Yo Honey Singh "Loka"


Badshah "DJ Waley Babu"

オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。

この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想敵として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)

Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。


Raftaar "Sheikh Chilli"

この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。



IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。

もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。

KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。


パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。

Prabh Deep "Suno"


彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。


Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN


この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。

Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。


Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.

Sikander Kahlon "100 Bars 2"


その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。

Sidhu Moose Wala "295"



Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"



Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)



最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。

Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"

Karma "Beat Do"

パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。

とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。


(ムンバイ編はこちら)




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2021年08月29日

あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)



mumbairappers



6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。


正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。

というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。


番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。


時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
今でも深刻な格差はまったく解消されていないが、それでもインドは国として、当時からは信じられないほどの発展を遂げた。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。


今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。

Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。

iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)

そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。

"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。


同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。

DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。

Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。

DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。

ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。

とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。

MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。

ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。



この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。

Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。





6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。

Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。

海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。

MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。


ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".

Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。




フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。


インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。



さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。

じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。

Naezy, Rakhis "Kasa Kai"


一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。

その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。


今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。

DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"


インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。


まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。 





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goshimasayama18 at 15:49|PermalinkComments(0)

2021年08月28日

8/28(土) としま未来文化財団「バングラデシュの詩とラップ」

昨日、としま未来文化財団さんによるイベント「バングラデシュの詩とラップ」で『タゴール・ソングス』の佐々木美佳監督とのトークイベントを行ってきました。

このコロナ禍と猛暑にもかかわらず、2回の映画上映会も、その合間に行われたトークイベントも全て満席!
正直、かなりニッチなテーマなので、お客さん集まるかなー、とちょっと心配だったのですが、多くの方にお越しいただき、ありがたい限りでした。

満席となってしまったため、そして何より、感染状況を考慮して、会場にお越しできなかった方々のために、当日紹介した曲をブログでもご案内したいと思います。
当日時間の都合で紹介できなかった曲を含めて大盤振る舞い!

一部、動画がブログ内で再生できない楽曲もあるので、その場合はリンク先のYouTubeでご覧ください。



最初に紹介したのは、『タゴール・ソングス』にも登場したダッカのラッパーNizam Rabby.
ダッカのストリートラッパーである彼は、映画の中でも語っていた通り、タゴールの詩に影響を受け、タゴールのように社会に影響を与えうる表現者になることを目指しているという。
このミュージックビデオは、ダッカのラッパーたちによるマイクリレーの中のNizamのパート。

"#BanglarBagh" Nizam Rabby

いかにもストリートラッパー然とした佇まいの彼は、フリースタイルを得意とするラッパーであると同時に、社会的、政治的かつ詩的な要素のあるリリックを書くアーティストでもある。
彼の新曲が、この"KKK"。


“KKK” Nizam Rabby
佐々木監督によると、この曲は汚職や政治を批判する内容とのこと。

ニューヨークのブロンクスでアメリカの黒人文化として生まれたラップ/ヒップホップは、世界中に広がり、抑圧された立場の人々が社会に対するメッセージを発する手段となった。
バングラデシュも例外ではなく、ラップは韻律のある詩の伝統とも結びつき、ローカルな魅力もたたえた新しい文化としての存在感を放っている。
 


"Gully Boy 1" Tabib Mahmud, Rana

バングラデシュのヒップホップにおいて特筆すべき点はその社会性で、 この曲では少年ラッパーの視点を通して、社会の矛盾を指摘している。
(タイトルの通り、この曲は2019年に公開された映画『ガリーボーイ』に大きな影響を受けている)

この少年ラッパーRana君は、田舎で働く父を残して、母と兄弟とともにダッカに上京し、ストリートで花を売って家計を助けているという。
学校は1年生までしか通っておらず、ヒップホップダンススクールでラップに出会ったそうだ。(『ガリーボーイ』の舞台となったダラヴィのように、貧しい子供たちにヒップホップを通して誇りを持ってもらうためのフリースクールがダッカにもあるのだろう)
そこでRanaはラッパーのMahmud Hasan Tabibに見出され、本格的にラップを習い始めた。
Tabibはダッカのストリートラッパーであると同時に、ダッカ大学でアラビア語専攻の学生であり、詩人でもあった。 
たった1日で、ほぼコンピューターとマイクとヘッドフォンだけで録音されたこの曲は、YouTubeで旋風を巻き起こし、Ranaに1,700ドルの収入をもたらしたという。

RanaとTabibのメッセージは1曲だけで完結するものではなかった。
彼らは次々と"Gully Boy"シリーズの楽曲をリリースしてゆく。



2作目では、ストリートには数多くのRanaと同じ境遇の子どもたちがいるということが語られ、自分の将来のためだけに教育を受ける裕福な若者たちが批判されている。
3作目では、国家予算のほんの一部でも子どもたちのために使うことができれば、状況は改善され、バングラデシュはさらなる豊かな国になるだろうということがラップされる。

あまりにも社会的で大真面目なリリックだが、前半で子どもの視点から現状の問題点が語られ、後半で大学生のTabibからその解決のための方法が説明されるという構成はよく考えられていて面白い。

Tabibはラップを教育に活かそうというビジョンがあるようで、子どもたちが世界の通貨を覚えるためのこんな曲もリリースしている。



"International Currency Rap Song" Tabib Mahmud

学研や進研ゼミの「歌で覚える掛け算九九」みたいなものなのか、最後に教材の宣伝が入るし、なんだか思わず笑ってしまいそうになるが、彼は大真面目だ。
ラップという手段を通して社会や教育をより良くしようという、これ以上なく健全なヒップホップの実践とも言えるだろう。


ここから先は都市別のラッパー紹介コーナー。
ダッカをレペゼンするJalali Setについては、イベントでは"Dhaka City"という曲を紹介したので、ここでは別の曲を紹介したい。

Sura Target "Jalali Set"
ベンガルの伝統音楽っぽい曲をサンプリングし、典型的なストリートラップのスタイルで聴かせるこの曲のYouTube動画には、ムンバイの「元祖ガリーボーイ」の一人DIVINEからも称賛のコメントが寄せられている。

"Bakruddho" Nawshin
(曲は0:30頃から)


(※会場で動画が紹介できなかったアーティストです)
こちらはダッカのフィメール・ラッパー。

バングラデシュでは女性のラッパーっぽいファッションはまだ一般的ではなく、伝統的な衣装で堂々とラップを披露する姿が印象的。
佐々木監督によると、リリックの内容は「バングラデシュで女性に生まれて、恥や困難を感じるのはなぜ」といったものだそうで、社会の保守性や家父長制に疑問を投げかけるもののようだ。
 
ヒップホップはギャング的な要素も含んだストリートカルチャーなので、マチズモ的、ミソジニー的な要素が批判されることもあるが(インドのパーティー的なヒップホップでもそういう批判がある)、一方で、女性の権利や人権を主張するための手段になっている一面もある。
この曲はそのバングラデシュ的な実践と言えるだろう。



続いて、ダッカ郊外のGazipurのラッパーたちによる曲。
 
"City Gazipur" EliN-3X-Manam-MX MK-YeaH Shah AAmin Ale
 
ダッカから30キロほどの場所にある、東京における八王子のような位置づけの街のようだが、ミュージックビデオが結構凝っている。
路地裏をラッパー仲間で練り歩く映像は、やはり映画『ガリーボーイ』の影響を感じさせられるものだ。


"CYPHER CTG"  Enu Syed x Anwar Hossain x Royal Mash x 5sta Kamrul x Phenol

こちらは南東部の都市チッタゴンのラッパーたちによる曲。
チッタゴンは世界中の老朽化した船舶が解体される「船の墓場」(子どもたちを含めた労働者が裸足で有害物質を扱う劣悪な環境が問題視される)やロヒンギャの難民キャンプで知られる港町。
また、チッタゴン語というベンガル語のなかでも個性の強い方言が話されており、少数民族が多く暮らしている地域でもある。
バングラデシュというと、社会問題や貧困ばかりが強調されがちだが、ミュージックビデオを通して、そこに暮らす若者たちのリアルな暮らしに触れることができるのもヒップホップの面白さのひとつだ。

続いては、北東部シレット地方にルーツを持つラッパーたちの曲。
シレットも独自の言語(方言)を持つ地域である。
この地方の出身者は、19世紀のイギリス統治時代から、 船乗りとして多くが海外に移住しており、今でもイギリスや北米に多くのシレット系住民が暮らしている。
また、インドのアッサム州にもシレット語を話す地域があり、この曲では、アメリカ、バングラデシュ、イギリス、インドの4か国のシレット系ラッパーの共演となっている。
 U. Sylhety Cypher C Let, B. Monk, Arin Dez, Mogze, Rhythmsta, Pollob Vai

シレットは海外からの送金もあり、地方都市にもかかわらず、バングラデシュの中でも裕福な街として知られている。
他の地方のラッパーたちが場末のストリートでミュージックビデオを撮影する中、シレットのラッパーは結構豊かな暮らしをしているようでもある。
この曲では、「ベンガル人」ではなく「シレット人」としてのアイデンティティが強調されている。
「ベンガル人をぶっ潰せ」みたいな過激なリリックも入っているそうだが、これは深刻な民族対立というよりはヒップホップ的なイキリのようなものだろう。


バングラデシュのヒップホップを語る上で、アメリカやイギリスに暮らすバングラデシュ系住民の存在は無視することができない。
彼らは、いち早くヒップホップに触れ、現地のコミュニティ向けに楽曲を発表するとともに、本国へヒップホップを紹介する役割をも果たした。
今では、アイデンティティを強調したディアスポラや母国のマーケット向けの楽曲ではなく、移住先のマジョリティ社会に向けた楽曲をリリースしているアーティストもいる。
このAnik Khanの"Man Down"はその典型と言えるだろう。

"Man Down" Anik Khan 

(こちらも本日紹介できなかった曲)
曲調としてはまったく南アジア的ではないし、歌詞の内容にもベンガル的な要素はなさそうだが、この曲ではダッカ生まれNYクイーンズ育ちのAnik Khanが、ロンドン出身のベンガリ・シンガーのNishとDJ LYANとの国境を超えたベンガル人によるコラボレーションが行われている。
(この曲については、先日『ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学 交渉するエスニシティと文化実践』〔青土社〕を出版した文化社会学者の栗田知宏さんに教えていただいた)

英語でラップする海外在住のラッパーでも、ベンガル人としてのアイデンティティを全面に打ち出した曲をリリースしている例もある。
 
"Culture" Sha Vlimpse
ニュージャージーを拠点に活動しているSha Vlimpseは、エミネムの影響を感じさせるフロウが印象的だが、リリックのテーマやミュージックビデオは、自身のルーツへのこだわりを感じさせるものになっている。
バングラデシュのルーツを強調するために、伝統的な表現方法ではなく英語のラップが使われるという文化的な「ねじれ」は、移民2世以降の世代たちのリアリティでもあるのだろう。
 
 
"Matha Ta Fatabo" Bhanga Bangla
Bhanga Banglaはニューヨークのバングラデシュ系ラップグループで、バングラデシュに初めてトラップ(ダークで不穏な雰囲気のビート)を紹介したアーティストとされている。
彼らは在外バングラデシュ系グループだが、バングラデシュ国内のマーケットを意識して楽曲を発表しているようで、結果的に母国に新しいサウンドを紹介する役割を担っていると言えそうだ。

ミュージックビデオは2041年のダッカが舞台で、武力による移民や外国人排斥が現実となったディストピア世界を描いている。
2041年でもカレーを食べていて、女性はサリーを着ているというところに、バングラデシュ人の世界観が感じられて面白い。
彼らにとって、服装や食文化は、海外への移住や数十年先の未来に容易に変わってしまうものでは決してないのだ。

もちろん、ベンガル語のラップはバングラデシュとバングラデシュ系移民だけのものではない。
ベンガル地方の西半分である、インドのウエストベンガル州にも数多くの個性的なラッパーが存在している。



"Middle Class Panchali" Cizzy

ジャジーで落ち着いたビートとラップはいかにもコルカタらしい伝統的なもの。
タイトルのPanchaliとはベンガルの伝統的な民話の表現形式だそうで、韻律などにベンガルの伝統的な要素が見られるとのこと。
ラップでは、バングラデシュはより政治的なテーマが好まれ、ウエストベンガルではより文学的なテーマが好まれる傾向が強いようだ。
こちらはコルカタのフィメール・ラッパー。
"Meye Na" Rialan

女性に対する暴力などの社会問題が軽視される現状を糾弾した曲。
曲のテーマはバングラデシュのフィメール・ラッパーNawshinと共通しているが、ファッション的にはウエストベンガルのほうがぐっと垢抜けているのが印象的。


もうひと組、コルカタのラッパーを紹介したい。
"Nonte Fonte" Oldboy x WhySir

不思議な響きのタイトルは、ベンガル語の子ども向けアニメのタイトルから撮られたようだ。
ミュージックビデオの最後に、インドのウエストベンガルから、バングラデシュや海外のベンガル人に向けて、団結して楽しもうというメッセージが語られている。

国籍や宗教や民族といった伝統的なコミュニティの壁を易々と超えることができるのが、新しいカルチャーであるヒップホップの魅力である。
この曲では、最初に紹介したNizam Rabbyがムンバイの社会派ラッパーと国境を超えたコラボレーションを行っている。

"Brasht" AZAAD FORWARD BLOC ft. NIZAM RABBYジャーナリストの殺害と逮捕、表現の自由の欠如、生命と人権の保護の欠如、政治家の不正、女性に対する暴力などがテーマ。
インドとバングラデシュのラッパーが、国籍を超えてヒップホップというカルチャーと政治・社会への問題意識でつながったコラボレーションだ。


最後に、「ベンガル地方の伝説的な詩人たちのラップバトル」というユニークすぎる設定のミュージックビデオを紹介したい。

"Kazi Nazrul Vs Rabindranath Tagore" Fusion Productions


完全なコメディだが、ベンガルを代表する詩人であるタゴールと、バングラデシュの国民的な詩人カジ・ノズルルが、お互いの作品の一節を引用したりしながらラップバトルするという設定はとにかく面白い。
日本にはここまで広く深く親しまれている詩人はいないように思うし、そもそも文学史上の偉人たちをテーマにラップバトルのミュージックビデオを作ろうという発想も生まれないだろう。

映画『タゴール・ソングス』でも分かるとおり、詩や文学が生活に深く根ざしていることが分かる映像でもある。


佐々木美佳監督は、秋ごろにタゴール・ソングスの撮影をテーマにしたエッセイ的な本を出版する予定だそうで、こちらも期待して待ちましょう!



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goshimasayama18 at 23:12|PermalinkComments(0)

2021年01月24日

インド・ヒップホップ夜明け前(その1)パンジャーブからUKへ、そしてデリーへの逆輸入


ムンバイのストリート・ラッパーをテーマにした映画『ガリー・ボーイ』の公開からもうすぐ2年。
今ではインド全土のあらゆる街にラッパーがいる時代になった。
ここであらためて確認しておきたいのは、インドでラップを最初にメジャーにしたのは、デリーのアーティストたちだったということだ。
とくに、デリー在住のパンジャーブ系シク教徒のアーティストたちが、今日流行しているメインストリームのエンターテインメントラップの確立に大きな役割を果たしたのだ。

今回は、そのあたりの話を書くことにしたいのだが、そのためには少し時代を遡らなければならない。
(何度も書いている話なので、ご存知の方は飛ばしてください)

「シク教」は、男性がターバンを巻くことで知られるインド北西部パンジャーブ地方発祥の宗教だ。
勇猛な戦士として知られるシク教徒たちは、イギリス統治時代に重用され、当時イギリスの植民地だった世界中の土地に渡っていた。
シク教徒の人口はインド全体の2%にも満たないが、彼らが早くから世界に進出していたために、「インド人といえばターバン」という印象が根付いたのだろう。
現在でも、イギリスで暮らす南アジア系住民のうち、シク教徒の割合は3割にものぼる。
1947年、インド・パキスタンがイギリスから分離独立すると、シク教徒たちの故郷であるパンジャーブ地方は、両国に分断されてしまう。
パキスタン側に暮らしていた多くのシク教徒たちは、イスラームを国教とするパキスタンを逃れ、インドの首都デリーに移り住んだ。
こうした理由から、デリーには故郷を失った多くのパンジャーブ系(ヒンドゥー教徒を含む)住民が暮らしている。

ヒップホップは、ニューヨークのブロンクスで、カリブ地域から渡ってきたアフリカ系の黒人たちによって生み出された音楽だが、デリーに住むシク教徒たちも、同じように故郷から切り離された暮らす人々だった。
さらに言うと、パンジャービーたちの性格も、彼らがインド最初のラッパーになる条件を満たしていたのかもしれない。
一般的に、パンジャーブ人は、ノリが良く、パーティーやダンス好きで、物質的な豊かさを誇示する傾向があり、自分たちのカルチャーへの高いプライドを持っていることで知られている。
ステレオタイプで書くことを許してもらえるならば、そもそもがものすごくヒップホップっぽい人たちだったのである。

パンジャーブの人々は、もともと、「バングラー」という強烈なリズムの伝統音楽を持っていた。


パンジャーブの収穫祭ヴァイサキ(Vaisakhi)で演奏されるバングラーは、両面太鼓ドール(Dhol)の強烈なリズムと一弦楽器トゥンビ(Tumbi)の印象的な高音のフレーズ、そしてコブシの効いた歌と両手を上げて踊るスタイルで知られるダンスミュージックだ。

インド独立後も、多くのパンジャーブ人たちが海外に暮らす同胞を頼って海外に渡っていった。
彼らは欧米のダンスミュージックと自分たちのバングラーを融合し、新しい音楽を作り始めていた。
ちょうどブロンクスの黒人たちが、故郷ジャマイカのレゲエのトースティングとポエトリーリーディングやアメリカのソウルのリズムを融合してヒップホップを生み出したように。

80年代のイギリスでは、Heera, Apna Sasngeet, The Sahotas, Malkit Singhといったアーティストたちが、新しいタイプのバングラー・ミュージックを次々に発表し、南アジア系移民のマーケットでヒットを飛ばしていた。


今聴くとさすがに垢抜けないが、ベースやリズムマシンを導入したバングラー・ビートは、当時としては新しかったのだろう。

UKのパンジャービーたちの快進撃は止まらない。
90年代に入ると、Bally Sagooが母国のボリウッド映画の音楽を現代的にリミックスし、RDB(Rhythm, Dhol, Bass)が本格的にヒップホップを導入する。
そして、1998年にリリースされたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"は、2002年に在外インド人の枠を超えた世界的な大ヒットを記録するまでになる。




シク教徒は強い結束を持つことでも知られている。
海外の同胞たちが作り上げた最新のバングラー・ビートが、シク教徒が多く暮らすデリーに逆輸入されてくるのは必然だった。

21世期に入ると、Yo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikkaといった今もインドのメジャーシーンで活躍するラッパーたちがデリーで新しい音楽を作り始める。
彼らは、もともとMafia Mundeerという同じクルーに所属していたのだ。

(つづき) 



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