地域別音楽シーン事情(北東部以外)

2021年10月24日

あらためて、インドのヒップホップの話(その5 タミル編 ルーツへの愛着が強すぎるラッパーたち)



TamilRappers

これまで、ムンバイ編デリー&パンジャービー編ベンガルール編コルカタ&その他北インド編と4回に分けてお届けしてきたインドのヒップホップの歴史。
今回は満を持してサウスのヒップホップを紹介!

ここでいう「サウス」は、当然ながらアトランタやマイアミのことではなく、南インドのことで、今回は南インドのなかでもタミルのラッパーたちを特集する。
インド南部のタミルナードゥ州は、あの「スーパースター」ラジニカーント(『ムトゥ 踊るマハラジャ』他多数)の故郷であり、自分たちの文化への強い誇りを持つことでも知られている(まあインドはどこもたいていそうだけど)。
また、同州の公用語タミル語でラップするラッパーたちは、海外でも自身のアイデンティティを守り続けている。


タミル語ラップの歴史は古く、1994年の映画"Kadhalan"の挿入歌であるこの曲は、インドのラップ史の最初期の名曲とされている。

Suresh Peters "Pettai Rap" (from "Kadhalan")

コミカルな曲調ながらもオールドスクールなビートとフロウにセンスを感じるこの曲は、インド映画音楽シーンの神とも言えるA.R.ラフマーンの手によるもの。
ラップしているのは映画のプレイバックシンガーなどで活躍しているSuresh Peters.
この曲を聞けば、いかにもな映画音楽的な曲調で知られるラフマーンが、じつは同時代の西洋ポピュラーミュージックにもかなり造詣が深いことが分かる。
(そういえば、後ラフマーンがミック・ジャガーやレニー・クラヴィッツらと結成したスーパーバンド、Super Heavyもかなりかっこよかった)

実際、タミル系のルーツを持つバンガロールのBrodha Vはこの曲に大きな影響を受けているという。


あのラフマーンがインドのヒップホップシーンにも大きな影響を与えていたとは驚きだが、しかしこの曲はあくまでも例外中の例外で、このあとタミルナードゥ州内でヒップホップが爆発的に流行するということにはならなかった。
タミル語ラップのシーンもまた、その黎明期は海外在住のアーティストたちによって牽引されていた。

タミル人には、イギリス統治時代から、労働者としてマレーシアやシンガポールなどの東南アジア地域に移住した者たちが多い。
その中でも、マレーシアに暮らすタミル人は、貧困のなかで暮らしている人々が多いようで、そうした境遇からもヒップホップカルチャーへの共感が大きく、首都のクアラルンプールは「タミル語ヒップホップの首都」とまで呼ばれているという。


1996年にクアラルンプールで結成されたPoetic Ammoの中心人物Yogi Bが2006年にリリースしたアルバム"Vallavan"はタミル語ラップ黎明期の名盤とされている。
その収録曲"Madai Thiranthu"のミュージックビデオがかなりかっこいいのだが、YouTubeの動画が直接貼り付けられない仕様になっているようなので、リンクを貼っておく。

アフリカ系アメリカ人の文化では、床屋(barber shop)はコミュニティの交流の場としても意味を持ってきたことが知られているが、これはそのマレーシア系タミル人版!
ヒップホップカルチャーの見事なタミル的翻案になっている。


こちらは'00年代からカジャンの街を拠点に活動しているラップグループK-Town ClanのRoshan Jamrockと、同じくマレーシア出身のYoung Ruff(いずれもタミル系)の共演で、その名も"Tamilian Anthem".

Young Ruff "Tamilian Anthem" Produced by Roshan Jamrock



マレーシアからシンガポールに目を移すと、2007年にデビューしたタミル系フィメールラッパーのLady Kashがいる。

Lady Kash "Villupaattu"
この曲は、タミルの伝統的な物語の形式(音楽にあわせて語る)'Villupattu'をタミル人にとってのラップのルーツの一つとして讃えるというコンセプト。
マレーシアのラッパーたち同様に、彼女がタミル人としてのアイデンティティを大事にしていることが分かる。
シンガポールはインド系住民が多いが、その半分以上がタミル人で、あの『ムトゥ 踊るマハラジャ』も、シンガポールのリトルインディアで江戸木純によって「発見」されている。
シンガポールのタミル系ラッパーでは、他にも若手のYung Rajaなどが活躍している。


東南アジア以外では、インドのすぐ南、スリランカにも多くのタミル人が多く暮らしている。
スリランカは人口の約75%をシンハラ人、約15%をタミル人が占めており、民族対立による内戦が2009年まで続いていた。

世界で最も有名なタミル系のラッパーを挙げるとすれば、それは間違い無くスリランカのタミル人をルーツを持つイギリス人のM.I.Aということになるだろう。
スリランカで生まれ、幼い頃にイギリスに移住した彼女のラッパーネームは「軍事行動中に行方不明になった人物」(Missing In Action)を表しており、「タミルの独立を目指す活動のなかで消息不明になった父のことを指している」と説明されることが多いが、実際には行方不明になったのは父親ではなくイトコらしい。

彼女がタミルらしさを強く打ち出したアルバム"Kala"からのこの曲を聴いてもらおう。

M.I.A "Birdflu"

UKの南アジア系音楽シーンに詳しい栗田知宏さんによると、この曲には、タミル語映画Jayam(2003年)の劇中曲 "Thiruvizhannu Vantha" のウルミ(両面太鼓)のビートが用いられており、曲中に入っている子どもの声はタミルの手遊び歌とのこと。
夜のシーンの背景に見られるトラのマークは、スリランカで武装闘争を繰り広げていた「LTTE(タミル・イーラム解放の虎)のロゴ」だという説もあるそうだ。

M.I.Aは2000年にデビューすると、そのラディカルな姿勢と斬新な音楽性で一躍注目を集め、MadonnaやNicki Minajと共演するなど、業界内でも高い評価を得た。
しかしながら、彼女のインド国内への影響は、そこまで大きくはなさそうで、私の知る限りでは、インド国内のミュージシャンから、影響を受けたアーティストとして彼女の名前が上がったり、インド国内の音楽メディアで彼女が大きく取り上げられているのを見た記憶はない。
その理由は、おそらく彼女のルーツがインドではなくスリランカであること、彼女がタミル語ではなく英語でラップし、タミル系コミュニティのスターというより、世界的な人気ラッパーである(つまり、自分たちのための表現者ではない)といったことではないかと思う。

また、彼女がいつもタミル的なサウンドにこだわっているわけではなく、普段は非常に個性的ではあるが、特段南アジア的ではないスタイルで活動していることも、インドでの注目の低さと関係しているかもしれない。(例えば、テルグー系アメリカ人フィメール・ラッパーで、最近活動の拠点をインドに移しているRaja Kumariは、ビジュアルやサウンドで常にインド的な要素を表出している)
もっとも、M.I.Aのデビュー当時の'00年代には私はインド国内のシーンに注目していなかったので、その頃にインドでも大きな話題となっていた可能性はある。
また、インド国内の音楽メディアはどうしてもムンバイやデリーのシーンを中心に取り上げる傾向があるので、もしかしたらタミルナードゥでは彼女は根強い人気があるのかもしれない。

スリランカ本国のタミル系ラッパーでは、Krishan Mahesonが有名だ。
彼は90年代から活躍していたスリランカのラップグループBrown Boogie NationやRude Boy Republic(いずれも英語でラップしていた)らの影響を受けてラッパーとなり、2006年にリリースした"Asian Avenue"は、世界中のタミル人に受け入れられたという。
最近ではインド国内のタミル映画のサウンドトラックでの活躍も目立っているが、正直あまりピンとくる曲を見つけられなかったので、今回は楽曲の紹介を見送る。



…思わず在外タミル系ラッパーの紹介に力が入ってしまったが、とにかくこうした東南アジアやスリランカのアーティストたちが、タミル語ラップ(あるいはタミル系のアイデンティティを表現した英語ラップ)を開拓し、インターネット等を通してタミルナードゥの若者たちにも影響を与えたことは確かだろう。

同じインド人でも、タミルのラッパーたちが思い描く「世界地図」は、たとえばイギリスや北米への移民が多い北インドのパンジャービーたちとは、おそらく全く別のものになるということは、インドのカルチャーを考える上でちょっと頭に入れておきたい。


インド国内、タミルナードゥ州内のラッパーでは、チェンナイを拠点に活動している二人組Hip Hop Tamizhaが古株にあたる。
彼らのユニット名はそのものずばり「タミルのヒップホップ」を意味しており、2015年にリリースしたこの"Club Le Mabbu Le"で注目を集めた。

Hip Hop Tamizha "Club Le Mabbu Le"
率直に言うと結構ダサいのだが、単に欧米や在外タミル人ラッパーの模倣に終わるのではなく、たとえダサかろうと自分たちならではのローカルっぽさをちゃんと混ぜてくれるところが、彼らのいいところかもしれない。
ちなみにこの曲は「女性への敬意を欠く」いう昔のヒップホップにありがちな批判を受けたりもしている。
批判したのは同郷のフィメール・ラッパーSofia Ashraf.
社会問題を鋭く批判するリリックで知られた存在で、以前この記事で特集しているので、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。



Hip Hop Tamizhaは、その名の通りタミルへの誇りが強すぎるラッパーたちで(まあ今回紹介しているアーティストは全員そうだが)、タミル人たちの伝統である「牛追い祭」である「ジャリカットゥ」をテーマにした"Takkaru Takkaru"のミュージックビデオでは、もはやヒップホップであることをほとんど放棄して、タミル映画まんまの映像とサウンドを披露している。
(こちらの記事参照。インド映画や南アジアに興味があるなら、見ておいて損はない)



チェンナイのMC Valluvarは、そこまで人気があるラッパーではないようだが、地元のストリート感覚あふれるこのミュージックビデオは最高で、以前からの個人的なお気に入りの一つ。

MC Valluvar "Thara Local"
とくに後半、道端で唐突に始まるダンスのシーンで、何事かとそれを眺めるオバチャンや子どもたちがリアルですごくいい。


古都マドゥライのラップグループ、その名もMadurai Souljourも郷土愛が溢れまくっていて、ごく短いこのトラックは、彼らの名刺がわりの一曲。
Madurai Souljour "Arimugam"



ところで、タミル文化の面白いところは、メインカルチャーとカウンターカルチャーが渾然一体となっているところだと思っている。
インド最大の話者数を誇る北インドのヒンディー語圏では、ラップやインディーロックのようなカウンターカルチャーを実践する若者たちは、エンターテイメントの主流にして王道であるボリウッドの商業的娯楽映画をちょっとバカにしているようなところがある。
例えば、ミュージシャンがインタビューで「ボリウッド映画の音楽なんてやりたくないね。自分は金のために音楽をやっているんじゃないんだ」みたいに言っているのを目にすることがたびたびあるのだ。

ところが、タミルの場合、映画は彼らの誇りや文化の一部であり、カウンターカルチャーとかインディペンデントのアティテュードとか関係なく、そこに参加することは、表現者にとって最大の名誉だと考えられているようなフシがある。
インド国外のラッパーを含めて、ここまでにこの記事で紹介したラッパーのほぼ全員が、タミル映画のサウンドトラックに参加しているし、M.I.Aでさえも、上述の通り非常にタミル映画っぽいテイストのミュージックビデオを作ったりしている。
もしスーパースター(ご存知の通り、比喩ではなく、オフィシャルな「別名」が「スーパースター」)であるラジニカーントの映画に参加できたりしたら、もうこの上ない僥倖で、たとえ両親がラッパーになることに反対していたとしても、一族の誇りとして泣いて喜んでくれることだろう。

例を挙げるとすれば、タミル人が多く暮らすムンバイの最大のスラム「ダラヴィ」を舞台にした映画"Kaala"(日本公開時の邦題は「カーラ 黒い砦の闘い」。主演はスーパースター!)のサウンドトラックには、実際にダラヴィ出身のタミル系ラップグループDopeadeliczや、マレーシアのYogi BやRoshan Jamrockも参加している。


"Semma Weightu"


Music: Santhosh Narayanan
Singers:  Hariharasudhan, Santhosh Narayanan
Lyrics/Rap Verses: Arunraja Kamaraj, Dopeadelicz, Logan"Katravai Patravai"

Music: Santhosh Narayanan
Lyrics :  Kabilan, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
RAP : Yogi B, Arunraja Kamaraj, Roshan Jamrock
(詳しくはこちらの記事から)


タミルのラッパーが映画音楽に参加している例は他にもかなりありそうなのだが、きりがないので今回は割愛。


以前、マサラワーラーの武田尋善さんが「タミル人にとってのラジニカーントはJBみたいな存在」と言っていたのを聞いて、ああなるほどと思ったのだが、黒人の誇りを力強く鼓舞したジェームス・ブラウンのように、ラジニカーントもまた「タミル庶民の誇り」みたいに扱われているフシがある。(ちなみに彼自身はタミル人ではなく、マラータ系)

タミル人のなかには、北インドの言語や人々が幅をきかせているインドの現状に対する反発みたいなものが存在していて、それがメインカルチャーとかカウンターカルチャーとかに関係なく、一枚岩のアイデンティティにつながっているのだろう。


ところで、先ほど紹介した"Kaala"の監督Pa.Ranjithは、2017年にCasteless Collectiveというバンドを結成している。
彼はもともとカースト制度の枠外に位置づけられ、過酷な差別の対象となってきた「ダリット」の出身である。
Casteless Collectiveは、彼がダリットのミュージシャンを集め、その名の通りカースト制度などのあらゆる抑圧を否定するというコンセプトのバンドなのだ。

Casteless Collective "Vada Chennai"

タミルの伝統音楽である'Gaana'とラップやロックなどを融合した彼らの音楽は、サウンド的にはヒップホップとは呼べないかもしれないが、ルーツを大事にしつつもマイノリティを勇気付ける彼らのアティテュードには、かなりヒップホップ的な部分があると言ってもいいだろう。
音楽ジャンルやアートフォームとしてのヒップホップはアメリカで生まれたが、ヒップホップ的な感覚は時代や場所を問わず遍在している。
逆説的に言えば、だからこそ、その感覚を純化させ具体化したヒップホップというジャンルはすごいということになる。


Casteless Collectiveは12人にもなる大所帯バンドだが、その中のラッパーArivuは、同様のテーマのソロ作品を通して、よりヒップホップ的なスタイルの表現も追求している。

Arivu x ofRo "Kallamouni"

このCasteless Collective一派の活動には、これからも注目していきたいところ。
Netflix Indiaでは南インドのヒップホップシーンをテーマにしたドキュメンタリー"Namma Stories"も公開され、「サウス」のヒップホップはこれからますます熱くなりそうだ。


最後に、カナダ在住のタミル系ラッパー(スリランカにルーツを持つ)Shah Vincent De Paulを紹介したい。
彼はタミルの伝統楽器ムリダンガムのリズムとラップの融合という新しい試みに取り組んでいる。

在外タミル人と国内との文化の還流も、今後ますます注目すべきテーマになりそうである。



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goshimasayama18 at 17:20|PermalinkComments(0)

2021年09月11日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その4 コルカタ、北東部、その他北インド編)



インドのヒップホップを地域別に紹介するこの企画、今回はコルカタとインド北東部、さらにその他北インドのラッパーを特集!

今回紹介する各地域の所在地はこちらの地図でチェック!
IndiaMap(states)
(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:India_-_administrative_map.png


地域のくくり方が急に雑になったな… 、と思った方もいるかもしれないが、これまでちょくちょく書いてきたエリアが多いので、まとめて紹介させてもらいます。

コルカタをはじめとするベンガルのアーティストに関しては、昨年から何度も特集しているので、こちらから過去の特集記事をどうぞ。





コルカタを代表するラッパーといえばCizzy.

Cizzy "Middle Class Panchali"


お聴きの通り、非常にセンスの良い出来なのだが、インドでは他地域に話者がほとんどいないベンガル語でラップしているせいか、彼は全国的には無名な存在だ。
コルカタのヒップホップシーンは、ほとんどのラッパーがベンガル語でラップしているがゆえに、ヒンディー語でラップするムンバイやデリーのラッパーのような注目を集めることが少ないのである。

ところが、ここに来てCizzyがインド全体を意識したような英語の楽曲をリリース。
はたして、Cizzyは全国的な成功を手にすることができるのだろうか?

Cizzy "Good Morning, India"



ところで、コルカタが位置する州の名前はウエスト・ベンガル州。
じゃあ東ベンガルはどこにあるのかというと、それはバングラデシュという別の国。
19世紀末、インドを支配していたイギリスは、民族運動がさかんだったベンガル地方を効率的に統治するため、宗教間の対立感情を巧みに利用して、この地域をヒンドゥー教徒が多い西ベンガルとムスリムが多い東ベンガルに分断した。
結果として、ベンガル地方東部はヒンドゥー教がマジョリティを占める世俗国家となったインドと袂を分かち、はるか遠くインドの西に位置するパキスタンの一部として独立することを選んだ。
しかしながら、地理的にも離れているうえに、文化的にも言語的にも差異の大きい東西パキスタンはさまざまな折り合いがつかず、東パキスタンは独立運動の末、1971年にバングラデシュとして再独立を果たすことになった。

というわけで、隣国にはなるが、コルカタと同じベンガル語を話すバングラデシュのラッパーを特集した記事はこちら。


同じベンガル語圏でも、文学的かつ詩的な香りのただようコルカタとは異なり、バングラデシュのラッパーはより政治的かつ社会的な主張をリリックに盛り込んでいるという印象。
東西ベンガルのラップの傾向の違いが、それぞれの国の歴史や政治や文化の違いによるものなのか、はたまた宗教の違いによるものかは分からないが、なかなか興味深いところではある。



首都デリーとコルカタを結ぶ線上には、タージマハールがあるアーグラー、男女交歓像で知られるカジュラーホー、ガンジス河の聖地ヴァーラーナシー、ブッダが悟りを開いたブッダガヤー(ボードガヤー)といった有名な観光地が点在している。
だが、これらの地域(州でいうとウッタル・プラデーシュ、ビハール、ジャールカンドなど)は人口こそ多いものの、経済的には貧しく、端的に言って「後進的」な地域だ。

したがって、ヒップホップのような新しいカルチャー不毛の地なのだが、それでも、突然変異のようなきらめきを放つアーティストが登場することがある。

例えば、先日紹介したビートメーカーのGhzi Purがその一人だ。
地理的に大都市のシーンから隔離されているからだろうか、狂気を煮詰めたようなサウンドは、あまりにも強烈な個性を放っている。
(そういえば、メールインタビューの返事、待たされたままこないな…)



ジャールカンド州には、これまた驚くべきラッパーTre Essがいる。
以下のふたつ目のリンクの記事は彼へのインタビューだが、彼が語ったヒップホップをエクスペリメンタルなジャンルとして定義づける姿勢と、地方都市のアーティストならではの苦悩は強く印象に残っている。






インドのなかでももっとも貧しい州のひとつとして知られるビハール州にも、ユニークなラッパーがいる。
彼の名はShloka.
ヒンドゥー教の伝統的なモチーフを大胆に導入したそのスタイルは、まさにインドのヒップホップ!

 Shlokaというラッパーネームはインドの古い詩の形式の名前から取られている。
インドでは古典音楽とラップの融合は珍しくないが、彼のようなスタイルは唯一無二だ。


そのまま東に進んでウエスト・ベンガル州を越え、さらにバングラデシュを越えると、そこはインド北東部。
「セブン・シスターズ」と呼ばれる7つの小さな州が位置する地域だ。
このエリアには、アーリア系やドラヴィダ系の典型的なインド人ではなく、東アジア、東南アジアっぽい容姿のさまざまな少数民族が暮らしている。
インドのマジョリティとは異なるルーツを持った少数民族であるがゆえに、インド国内では被差別的な立場に置かれることも多い彼らは、自らの誇りをラップを通して訴えている。

北東部は、話者数が少ない地元言語よりも、多くの人に言葉を届けられる英語でラップするアーティストが多い土地でもある。
彼らについてはこの記事で詳しく特集している。


ベンガルール編で紹介した日印ハーフのラッパーBig Dealも、北東部の人々同様に見た目で差別されてきた経験を持つからだろう、彼らに想いを寄せた曲をいくつも発表している。
上記の記事では、USのラッパーのジョイナー・ルーカスの"I'm Not Racist"を下敷きに北東部出身者への偏見をテーマにした"Are You Indian"、を紹介したが、この曲では北東部ミゾラム州のラッパーG'nieと共演して、「チンキー」という差別語で呼ばれる現実をラップしている。


インドの東の果てまで来てしまったが、今度は西側にぐっと戻って、タール砂漠が広がるラージャスターン州に目を移そう。
褐色の大地に色鮮やかな民族衣装が映えるこの地は、インドのなかでもとくにエキゾチックな魅力にあふれ、観光地としても国内外の人気を集めている土地だが、ポップカルチャーの世界では存在感の薄い地域である。

だが、全国的な知名度こそなくても、この地域にはインドらしい個性があふれるラッパーたちがいる。
砂漠の街のギャングスタ、J19 Squadとラージャスターンのラッパーについては、ぜひこちらの記事からチェックしてみてほしい。




カリフォルニアのチカーノ・ラッパーたちが自慢のローライダーを見せびらかすように、とっておきのラクダを見せびらかすヒップホップミュージックビデオなんて、最高としか言いようがない。



最後に、インド北部、パキスタンとの国境紛争や独立運動に揺れるカシミール地方にも、ラップでメッセージを発信しているラッパーがいた。
世界中の人に言葉が届くようにと英語でラップしているMC KASHがその代表格で、彼が2010年に発表した"I Protest"は、中央政府による弾圧に抗議するこの地方の人々の合言葉となった。
この地方の概要と彼については、この記事で紹介している。



最近では、デリーのAzadi Records所属のAhmerもカシミーリーとしてのリアルをラップしている(彼の場合、言語が英語ではないのでリリックの内容はわからないが、このミュージックビデオのアニメーションからも現地の厳しい状況が想像できる)
 
今回は北インドのいろんな地域のヒップホップを急ぎ足で見てきたが、とにかくいろんな場所でいろんなラッパーがいろんな主張やプライドをリリックに乗せて発信しているのがたまらなく魅力的だし、ぐっとくる。
これでもまだ紹介できていない地域があるのだからインドは奥が深い。

さて、次回はまだ紹介しきれていない南インドを掘ってみます。



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goshimasayama18 at 21:56|PermalinkComments(0)

2021年09月05日

あらためて、インドのヒップホップの話(その3 ベンガルール編 洗練された英語ラップとカンナダ・マシンガンラップ)


BangaloreRappers


インドのヒップホップを都市別に紹介するこのシリーズの3回目は、インド南部カルナータカ州の州都ベンガルール。
(日本では 「バンガロール」という旧称のほうがまだなじみがあるが、2014年に州の公用語カンナダ語の呼称である「ベンガルール」に正式に改称された)

デカン高原に位置する都市ベンガルールは、インドでは珍しく年間を通じて安定したおだやかな気候であり、イギリス統治時代には支配階級の英国人たちの保養地として愛された。
かつては「インドの庭園都市」という別名にふさわしい落ち着いた街だったようだが、20世紀末から始まったIT産業の急速な発展は、この街の様子を一変させてしまった。
1990年に400万人ほどだった人口は、今では1,300万人に迫るほどに急増。
世界的なソフトウェア企業のビルが立ち並ぶベンガルールは、ムンバイとデリーに次ぐインド第3の巨大都市となった。 


国際的な大都市にふさわしく、この街のヒップホップシーンには、英語ラップを得意とするラッパーが数多く存在している。

例えば、Eminemによく似たフロウでヒンドゥー教のラーマ神への信仰をラップするBrodha V.
コーラスのメロディーはラーマを称える宗教歌で、アメリカにクリスチャン・ラップがあるように、インドならではのヒンドゥー・ラップになっている。

Brodha V "Aatma Raama"

彼はこのブログでいちばん最初に紹介したラッパーでもある。


Siriは前回紹介したデリーのAzadi Records所属。
ムンバイのDee MCや北東部のMeba Ofiliaと並んで、インドを代表するフィメール・ラッパーだ。

Siri "Live It"



かつてはBodha Vと同じM.W.Aというユニットに所属していたSmokey the Ghostは、わりと売れ線の曲も手がけるBrodha Vとは対照的に、アンダーグラウンド・ラッパーとしての姿勢を堅持している。
彼はかつてマンブル・ラッパーたちを激しくディスったこともあり、90年代スタイルのラップにこだわりを持っているようだ。

Smokey the Ghost & Akrti "YeYeYe"

この"Hip Hop is Indian"は、インド全土のラッパーの名前やヒップホップ・クラシックのタイトルを、北から南まで、コマーシャルからアンダーグラウンドまでリリックに織り込んだ、インドのシーン全体を讃える楽曲だ。

Smokey the Ghost "Hip Hop is Indian"

ちなみに彼が所属していたM.W.Aは、言うまでもなくカリフォルニアの伝説的ラップグループN.W.A(Niggaz with Attitude)から取られたユニット名で、'Machas with Attitude'の略だという。
'Macha'はベンガルールのスラングで、「南部の野郎ども」といった意味だそうだ。



ベンガルールの英語ラッパーには、他の地域にルーツを持つラッパーも多い。
インド東部のオディシャ州出身の日印ハーフのラッパーBig Dealもその一人だ。
この"One Kid"では、彼が生まれ故郷のプリーではその見た目ゆえに差別され、ダージリンの寄宿学校にもなじめず、ベンガルールでラッパーとなってようやく自分の生きる道を見出した半生をそれぞれの街を舞台にラップしている。

Big Deal "One Kid"



インド南西部のケーララ州出身、テキサス育ちのHanumankindもベンガルールを拠点として活動する英語ラッパーだ。

Hanumankind "DAMNSON"


彼はジャパニーズ・カルチャー好きという一面もあり、この曲ではスーパーマリオブラザーズのあの曲に乗せて、Super Saiyan(スーパーサイヤ人)とか「昇竜拳」といった単語が散りばめられたラップを披露している。

Hanumankind "Super Mario"



ベンガルールで英語ラップが盛んな理由を挙げるとすれば、
  1. 世界中から人々が集まり、英語が日常的に話されている国際都市であるということ
  2. ベンガルールが位置するカルナータカ州の言語であるカンナダ語は、インドの中では比較的話者数の少ない言語であるということ(カンナダ語の話者数は4,000万人を超えるが、それでもインドの人口の3.6%に過ぎず、最大言語ヒンディー語の5億人を超える話者数と比べると、かなりローカルな言語である)
  3. 他地域から移り住んできたラッパーも多く、彼らは自身の母語でラップしてもベンガルールで支持を受けることは難しく、またローカル言語のカンナダ語もラップできるほどのスキルも持ち合わせていないと思われること
という3点が考えられる。

もちろん、ここに紹介したラッパーの全員が常に英語ラップをしているわけではなく、Siriは"My Jam"のコーラスでカンナダ語を披露しているし(全曲カンナダ語の曲もリリースしている)、Brodha Vもカンナダ語やヒンディー語でラップすることがある。
またBig Dealはオディシャ出身者としての誇りから母語のオディア語を選んでラップすることもあり、史上初のオディア語ラッパーでもある。



さて、ここまで見てきたような英語ラップのシーンは、じつはベンガルールのヒップホップのごく一面でしかない。
話者数の比較的少ないローカル言語とはいえ、もちろんベンガルールにはカンナダ語のラッパーも存在している。
そして、どういうわけかその多くが、リリックをひたすらたたみかけるマシンガンラップを得意としているのだ。
例えばこんな感じ。


MC BIJJU "GUESS WHO'S BACK"


RAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJU  "LIT"

カンナダ・マシンガンラップの代表格MC BIJJU、そして、この曲で共演しているRAHUL DIT-O、S.I.Dもこれでもかという勢いのマシンガン・ラップ。
冒頭の寸劇で、コマーシャルな曲をやれば金になるが、コンシャス・ラップをしてもほとんど稼ぎにならない現状が皮肉たっぷりに描かれているのも面白い。


ぐっとポップな雰囲気のこの曲でも、フロウは少し落ち着いているものの、どこかしら言葉を詰め込んだようなラップが目立つ。

EmmJee and Gubbi "Hongirana"

ラッパーはGubbi.
南インドの言語(カンナダ語、タミル語、テルグー語、マラヤーラム語)はアルファベット表記したときにひとつの単語がやたらと長くなる印象があるが、おそらくそうした言語の特質上、カンナダ語のラップはマシンガンラップ的なフロウになってしまうのだろう。


変わり種としては、ちょっとレゲエっぽいフロウと、絶妙に垢抜けないミュージックビデオが印象的なこんな曲もある。

Viraj Kannadiga ft.Ba55ck "Juice Kudithiya"

この曲はカンナダ語のレゲトンとして作られたようで、リリックの内容は「これは酒じゃなくてジュースだ」という意味らしい。
カンナダ語ラップといっても、ハードコアな印象のものから、ポップなもの、コミカルなものと多様なスタイルが存在している。


いわゆるストリート発信のヒップホップとは異なるが、北インドにおけるバングラー・ポップ的な、カンナダ語のエンターテインメント的ダンスミュージックというのも人気があるようだ。

Chandan Shetty "Party Freak"

この曲の再生回数が4,000万回だというから、やはりRAHUL DIT-O, S.I.D, MC BIJJUの"LIT"のミュージックビデオのように、インドじゅう(というか世界中)どこに行ってもコンシャスな内容のものよりコマーシャルなものが人気なのは変わらない。

今回紹介した英語ラップのシーンとカンナダ語ラップのシーンは、別に対立しているわけではなく、それぞれのラッパーが共演することもあるし、またラッパーが曲によって言語を使い分けることもある。
IT産業で急速に発展した国際都市という顔と、カルナータカ州の地方都市という2つの顔を持つベンガルールは、これからも面白いラッパーが登場しそうな要注目エリアである。





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2021年09月01日

あらためて、インドのヒップホップの話 (その2 デリー&パンジャービー・ラッパー編 バングラー系パーティー・ラップと不穏で殺伐としたラッパーたち)



DelhiRappersラージュ

例えばラジオ番組とかで、「インドのヒップホップを3曲ほど選曲してほしい」なんて言われると、ついムンバイのラッパーの曲ばかり挙げてしまうことが多い。
ムンバイの曲ばかりになってしまう理由は、やはり映画『ガリーボーイ』をめぐる面白いストーリーが話しやすいのと、抜群にポップで今っぽい曲を作っているEmiway Bantaiの存在が大きい。

とはいえ、州が違えば言葉も文化も違う国インドでは、あらゆる都市に個性の異なるヒップホップシーンがある。
というわけで、今回は首都デリーのヒップホップシーンについてざっと紹介します!

ご覧の通り、デリーという街は北インドのほぼ中央に位置している。
(まずはちょっとお勉強っぽい話が続くが辛抱だ)
DelhiMap
(画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Delhi

ここで注目すべきは、デリーの北西にあるパキスタンと国境を接したパンジャーブ州。
インドとパキスタンの両国にまたがる地域であるパンジャーブは、男性信徒のターバンを巻いた姿で知られるシク教の発祥の地として知られている。
1947年、インドとパキスタンがイギリスからの分離独立を果たすと、パキスタン側に住んでいたシク教徒やヒンドゥー教徒たちは、イスラームの国となるパキスタンを逃れて、インド領内へと大移動を始めた。
同様にインド領内からパキスタンを目指したムスリムも大勢いて、大混乱の中、多くの人々が暴力にさらされ、命が奪われる悲劇が起きた。
それが今日に至る印パ対立の大きな原因の一つになっているのだが、今はその話はしない。
パキスタン側から逃れてきたパンジャーブの人々は、その多くがパンジャーブに比較的近い大都市であるデリーに住むこととなった。
結果として、デリーのシーンは、パンジャービー(パンジャーブ人)の音楽が主流となったのである。

パンジャービーには、北米やイギリスに移住した者も多い。
彼らはヒップホップや欧米のダンスミュージックと彼らの伝統音楽であるバングラー(Bhangra)を融合し、バングラー・ビートと呼ばれるジャンルを作り上げた。
2003年に"Mundian To Bach Ke"を世界的に大ヒットさせたPanjabi MCはその代表格だ。
デリーのパンジャービーたちは、本国に逆輸入されたバングラー・ビートを実践し、インドのヒップホップの第一世代となった。
この世代を代表しているのが、Mafia Mundeerというユニット出身のラッパーたちだ。




キャリアなかばで空中分解してしまったMafia Mundeerの詳細はこれらの記事を参照してもらうことにして、ここでは、その元メンバーたちの楽曲をいくつか紹介することとしたい。

彼らの中心人物だったYo Yo Honey SinghとBadshahは、その後、バングラービートにEDMやラテン音楽を融合したパーティーミュージックで絶大な人気を誇るようになった。


Yo Yo Honey Singh "Loka"


Badshah "DJ Waley Babu"

オレ様キャラのHoney Singhはリリックが女性蔑視的だという批判を浴びることもあり、アルコール依存症になったり、少し前には妻への暴力容疑で逮捕されたりもしていて、悪い意味で古いタイプの本場のラッパーっぽいところがある(USと違って銃が出てこないだけマシだが)。

この二人はヒット曲ともなるとYouTubeの再生回数が余裕で億を超えるほどの大スターだが、その商業主義的な姿勢ゆえに、ガリーラップ世代のヒップホップファンから仮想的として扱われているようなところがある。
(一時期、インドのストリート系のラッパーの動画コメント欄は「Honey Singhなんかよりずっといい」みたいな言葉で溢れていた)

Mafia Mundeerの元メンバーの中でも、より正統派ヒップホップっぽいスタイルで活動しているのがRaftaarとIkkaだ。


Raftaar "Sheikh Chilli"

この曲は前回のムンバイ編で紹介したEmiway BantaiとのBeefのさなかに発表した彼に対する強烈なdissソング。
RaftaarとEmiwayのビーフについては、この記事に詳しく書いている。



IKKA Ft. DIVINE Kaater "Level Up"
Mafia Mundeerの中ではちょっと地味な存在だったIkkaは、今ではDIVINEとともにNASのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属アーティストとなり、本格派ラッパーとしてのキャリアを追求している。

もちろん、デリーにパンジャーブ系以外のラッパーがいないわけではなく、その代表としては'00年代なかばから活動しているベテランラッパーのKR$NAが挙げられる。

KR$NA Ft. RAFTAAR "Saza-E-Maut"
ちなみにこの曲でKrishnaと共演しているRaftaarも、バングラー・ラップのシーン出身ではあるが、もとはと言えばパンジャービーではなく南部ケーララにルーツを持つマラヤーリー系だ。


パンジャービー・シクのラッパーといえばバングラー・ラップというイメージを大きく塗り変えたのが2017年に"Class-Sikh"で鮮烈なデビューを果たしたPrabh Deepだ。
黒いタイトなターバンをストリート・ファッションに合わせ、殺伐としたデリーのストリートライフをラップする彼は、相棒のSez on the Beat(のちに決裂)のディープで不穏なトラックとともにシーンに大きな衝撃を与えた。

Prabh Deep "Suno"


彼が所属するAzadi Recordsは、デリーのみならずインド全土のアンダーグラウンドな実力派のラッパーを擁するレーベルで、デリーでは他にラップデュオのSeedhe Mautが所属している。


Seedhe Maut "Nanchaku" ft MC STAN


この曲はプネー出身の新鋭ラッパーMC STANとのコラボレーション。
彼らは意外なところでは印DM(軽刈田が命名したインド風EDM)のRitvizとも共演している。

Ritviz "Chalo Chalein" feat. Seedhe Maut
インドのインディーミュージックシーンでは、こうしたジャンルを越えたコラボレーションも頻繁に行われるようになってきた。
デリーのレーベルでは、他にはRaftaarが設立したKalamkaarにも注目すべきラッパーが多く所属している。


Prabh Deep以降、パンジャーブ系シク教徒でありながら、バングラーではないヒップホップ的なラップをするラッパーも増えてきている。
例えばこのSikander Kahlon.

Sikander Kahlon "100 Bars 2"


その一方で、このSidhu Moose Walaのように、バングラーのスタイルを維持しながら、ヒップホップ的なビートを導入しているアーティストも存在感を増している。

Sidhu Moose Wala "295"



Deep Kalsi Ft. KR$NA x Harjas x Karma "Sher"



Siddu Moose Walaはカリスタン独立派(シク教徒の国をパンジャーブに建国するという考えを支持している)という少々穏やかならぬ思想の持ち主だが、彼の人気はすさまじく、Youtubeでの動画再生回数は軒並み数千万〜数億回に達している。
パンジャービー、バングラーとヒップホップの関係は、一言で説明できるものではなくなってきているのだ。(ちなみにSikander KahlonもSiddu Moose Walaも、デリー出身ではなくパンジャーブ州の出身)



最後に、デリー出身のその他のラッパーをもう何人か紹介したい。

Sun J, Haji Springer "Dilli (Delhi)"

Karma "Beat Do"

パンジャービーの影響以外の点で、デリーのヒップホップシーンの特徴を挙げるとすれば、このどこか暗く殺伐とした雰囲気ということになるだろうか。
デリーのラッパーのミュージックビデオは、なぜか夜に撮影されたものが多く、内容も暴力や犯罪を想起させるものが少なくない。
他の都市と比較して、自分の街への愛着や誇りをアピールした曲が少ないのも気になる要素だ。
デリーの若者は自分たちの街にあんまりポジティブなイメージを持っていないのだろうか。

とはいえ、こうしたダークなラップがまた魅力的なのもまた事実で、独特な個性を持ったデリーのシーンには今後も注目してゆきたい。


(ムンバイ編はこちら)




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goshimasayama18 at 20:27|PermalinkComments(0)

2021年08月29日

あらためて、インドのヒップホップの話(その1 ムンバイ編 インド版ストリートラップ「ガリーラップ」と最大都市の多様なMCたち)



mumbairappers



6月のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(アトロク)に続いて、J-WAVE「ACROSS THE SKY」内のSKY-HIさんによるアジアのヒップホップ特集コーナー「IMASIA」にて、インドのヒップホップについて、2週にわたって語ってきました。
自分が好きな音楽をこうしてみなさんにお話する機会をいただけるというのは、まさに望外の喜びというやつでして、関係者の皆様ならびにいつも素晴らしい音楽を作ってくれているインドのアーティスト各位には、改めて感謝しています。


正直に言うと、自分はもともとロック寄りのリスナーなので、ヒップホップに関する知識は非常に限られているし、偏っている。
SKY-HIさんに収録外のときに「結局いちばんラップが上手いのってJay-Zですよね」とか言われても、「Jay-ZってLinkin Parkと一緒にやってた人だよな…。Jay-Zの代表曲って"NY State of Mind"?それはNasだっけ?」なんて考えてしまい、気の利いた返しもできない。(ちなみにあとで調べたら"NY〜"はやっぱりNasの曲で、Jay-Zの代表曲は"Empire State of Mind"だった)

こんな私がしたり顔でヒップホップを語るというのは、すごくwackなことなのだけど、(wackは「ダサい、偽物」といった意味。ちなみに大してヒップホップ知らないのにこういうヒップホップ的なスラングを使いたがるのもwackなことだとは思う)、幸か不幸か、インドのヒップホップの面白さに気付いている人は日本にはほとんどいない。
だから、誰か他にインドのヒップホップシーンについて熱く語ってくれる人が出てくるまで、しばらくの間、このめちゃくちゃ面白い音楽シーンの魅力を、書いたり語ったりさせていただきたい所存なのである。

文系ロックリスナー出身ゆえ、本場のラッパーとの比較とか、ヒップホップ的クールネスの解説とかはできなくて、話が社会的背景とかアーティストのウンチクに偏りがちなのはご容赦願いたい。
とにかく、このタイミングでインドのヒップホップが日本でも少しずつ注目を集めてきているようなので、ここでいっぺん全体像を書いておきたい、と思った次第。

というわけで、今回は、改めて紹介するインドのヒップホップシーン概要。
インドはめちゃくちゃ広いので、まずはムンバイ編から。


番組でも話した通り、19歳のときに初めて訪れたインドで、下町の働くおじさんたちはまるでブルースマンのように見えた。
みんな口が達者で豪快なのだけど、彼らの顔に刻まれたシワや影を宿した瞳からは、どんなに努力しても這い上がることのできない格差社会への諦めのようなものが感じられた。
路地裏では、子どもたち音割れしているラジカセで音楽をガンガンに流して、笑顔を弾けさせながらキレキレのダンスを踊っていた。
90年代、インドの下町は1970年頃のアメリカの黒人街のようだった。
もし彼らが、歌や楽器を覚えて、ブルースやファンクやソウルみたいな音楽(レゲエでも良さそうだ)を演奏したら、きっと「本物」の音楽が生み出されるのになあ、なんて思ったものだった。
インドで流通している音楽が、安っぽくて甘ったるい映画の主題歌ばかりなのが、なんだかもったいないような気がしたのだ。


時は流れて2010年代。あのソウルフルな思い出から約20年が経過した。
アメリカでも、ソウルやファンクの時代からだいたい20年後の90年代にヒップホップカルチャーが花開いたことを思えば、インドの若者たちの間で、今ヒップホップが人気なのは、必然と言えるのかもしれない。


今日のインドのヒップホップブームの礎となった曲をひとつ挙げるとしたら、やはりこの曲ということになるだろう。

Naezy - "Aafat!"
ムンバイの下町、Kurla West地区に暮らしていたNavedは、USのラッパーに憧れる不良少年だった。
Sean Paulのコピーをして女の子の気を引こうとしていたというから、どこにでもいるヤンチャな少年だったのだろう。
ある日、警察の厄介になった彼は、悪事ばかりの生活に見切りをつけ、本名とcrazyを掛け合わせたNaezyという名前でラッパーとしての活動を始める。
彼は、何日も部屋にこもって書いた自作のリリックを、iPadでダウンロードしたビートに乗せ、iPadに繋いだマイクでコーディングし、iPadで撮影したミュージックビデオを、もちろんiPadからYouTubeにアップした。

iPadで全ての表現を完結してしまったNaezyの「あるもので工夫して間に合わせる」方法論は、インドでは「ジュガール」(Jugaad)と呼ばれている。
この自由な発想は、2台のレコードプレーヤーでビートを作ることを発明したブロンクスのヒップホップ・オリジネイターたちにも通底するものを感じる。
(ちなみにインターネット以前の主要な音楽の流通形態がカセットテープだったインドでは、今日までターンテーブルによる音楽カルチャーが生まれることはなく、代わりにヒューマンビートボックスが普及した)

そもそも、ポピュラー音楽といえば自国の映画音楽ばかりだったインドの若者がヒップホップに出会えたのは、経済成長とインターネットの普及があってこそのことだった。
インドのヒップホップブームは、国内や世界のグローバル化と無関係ではないのである。

"Aafat!"のミュージックビデオは「スラムみたいな地区にすごいラッパーがいる」と話題になり、映画監督ゾーヤー・アクタルの耳にも入ることになる。
興味を持ったアクタル監督は、Naezyをモデルにしたボリウッド初のヒップホップ映画『ガリーボーイ』を撮影し、2019年に大ヒットを記録した。
この映画が、発展途上だったインドのヒップホップシーンの起爆剤となるのだが、それはもう少し後の話。


同時期のムンバイでは、別の下町地区Andheri Eastで育ったDIVINEが、下町の路地を意味するGullyというヒンディー語を、英語の「ストリート」と同じような、身近でクール言葉として使い始め、インドならではのストリートラップを開拓し始めていた。

DIVINE "Yeh Mera Bombay"
『ガリーボーイ』という映画のタイトルも、このDIVINEが提唱したGully=Streetという概念から取られたもので、彼は映画に登場するMCシェールというキャラクターのモデルでもある。

Naezyと共演した"Mere Gully Mein"は『ガリーボーイ』でも主人公たちがスラムでミュージックビデオを撮影する曲としてフィーチャーされている一曲。
DIVINEは日本で言うとZeebraとかOzrosaurusのMacchoみたいなアニキっぽい存在感(声質も似ている)のラッパーで、今日に至るまでインドのヒップホップシーンをリードし続けている。

DIVINE feat. Naezy "Mere Gully Mein"
『ガリーボーイ』の舞台は、NaezyやDIVINEのホームタウンではなく、ムンバイ最大のスラム「ダラヴィ」に置き換えられている。
映画の主人公のムラドはカレッジに通っているし、実際のNaezyもiPadを持っていたし、「インドのスラムの住人って、社会の最底辺なのに結構裕福なんだな」と思った人もいるかもしれないが、それは大きな誤解。
インドではスラム暮らしというのは最底辺ではないのである。

ダラヴィは、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ガリーボーイ』など、数々の作品の舞台になった「有名」なスラムであるがゆえに、各所からの支援があり、他のムンバイのスラムと比べても、比較的「まし」な環境なのだ。
もちろん、それでも過密で不衛生な住環境であることに変わりはないのだが、インドの街には、住む家さえなく路上で暮らしている人たちもたくさんいるし、地方に行けば電気も水道もない環境で暮らしている人たちも何億人もいることを考えると、ダラヴィは決して最底辺の環境ではないのである。

とはいえ、ガリー出身のラッパーたちが、抑圧された環境の若者たちをレペゼンして、同じ境遇の少年あちの希望となっていることは紛れもない事実。
じっさい、映画同様にダラヴィ出身のラッパーたちも活躍している。
偏見にさらされ、抑圧された立場にあるスラム出身の若者たちがアメリカの黒人たちによって生み出されたヒップホップという表現形態を選ぶのは必然だった。
今回は、数多いダラヴィ出身のラッパーから、MC Altafを紹介したい。

MC Altaf "Code Mumbai 17"
MC Altafはダラヴィのヒップホップクルー'Enimiez'の出身。
同郷のクルー'7 bantaiz'のStony Psykoに影響を受けてラッパーの道を志したという。
タイトルの'Code Mumbai 17'(17はヒンディー語でsatrahと発音する)は、ダラヴィのピンコード(郵便番号)を意味している。
ヒップホップの「レペゼン意識」(地元やコミュニティを代表しようというアティテュード)というやつである。
彼はその後、DIVINEらとともにNasのレーベルのインド版であるMass Appeal Indiaの所属となり、ダラヴィやムンバイだけでなく、インドを代表するラッパーになりつつある。

ダラヴィのヒップホップシーンについてはこちらの記事で詳述。
インド南部のタミル系の住民も多いこの地域では、タミル語でラップするラッパーもいて、多言語・他宗教が共生するという、貧しくとも'unity'なヒップホップ環境が存在している。



この街のヒップホップはガリーラップだけではない。
大都市なだけあって、ムンバイのヒップホップシーンは多様性に溢れている。

Tienas "Fake Adidas"
Tienas " A Song To Die"
Tienasは英語ラップを得意としているラッパーで、チル系からノイズ系まで、エクスペリメンタルなビートを使用することも多い。





6人組のクルーSwadesiもアンダーグラウンドな表現にこだわっているユニットのひとつだ。
彼らは伝統音楽とヒップホップを融合したビートに社会的なメッセージ色の強いラップを乗せるスタイルを貫いている。
この"Warli Revolt"では、独特の絵画様式を持つことで知られるワールリー族の伝統的なリズムに乗せて、少数民族が搾取され、抑圧される様子を伝えている。

Swadesi "Warli Revolt"
Sarathy Korwar "Mumbay(feat. MC Mawali)"
SwadesiのMC Mawaliがイギリス在住のパーカッション奏者Sarathy Korwarと共演したこの"Mumbay"では、ジャズと古典音楽を融合した7拍子のビートに合わせて、ムンバイの街の様子をクールに描き出している。

海外に多く暮らしているインド系移民は、経済だけではなくポップカルチャーの面でもインドを支えており、近年ではこのSarathy KorwarとMC Mawaliの例のように、海外在住のインド系アーティストと本国のアーティストの共演も増えてきている。
アメリカ在住のビートメーカーAAKASHはムンバイの地元ラッパーと共演したアルバムを発表。
トラップなどの新しいビートでシーンに新風を吹き込んだ。

MC Altaf, D'Evil "Wazan Hai"(Prod by AAKASH)
ヒップホップ人気の高まりとともに若者の憧れとなっているスニーカーショップで撮影されたミュージックビデオも印象的だ。
はじめはストリート発の社会的ムーブメントとして注目されてきたインドのヒップホップは、今ではファッションやポップカルチャーとしても存在感を高めている。


ポップ寄りのラッパーとして絶大な人気を誇っているのは、『ガリーボーイ』にもカメオ出演していたEmiway Bantaiだ。
彼は'Machayenge'と称するポップなシリーズで絶大な人気を誇っている。
'IMASIA'で紹介したのはシリーズ3作目の"Machayenge 3".

Emiway Bantai "Machayenge 3"
このミュージックビデオだけ見ると、ポップで軟派なラッパーのようにも見えるが、この曲でもその片鱗が窺える通り、彼はラップが相当に上手い。
彼はそのスキルとセンスを活かして、多くの人気ラッパーにビーフを挑み、その容赦ないスタイルで名を上げたところで、こうしたポップな曲をリリースして人気を確固たるものとした。




フィメール・ラッパーについても触れておこう。
ムンバイ在住のマラヤーリー系(南部ケーララ州系)フィメール・ラッパーDee MCは、今なお抑圧されがちな女性の立場を代弁するラッパーとして、シーンで活躍している。


インドのヒップホップも、一部のラッパーたちのリリックがミソジニー的であるとの批判を浴びることがあるが、彼女曰く、ムンバイのヒップホップシーンで女性であることを理由に困難を感じたことはないとのこと。
こうした健全さはムンバイのシーンの美しさと言えるだろう。



さて、ここで最初に紹介したNaezyとDIVINEに話を戻してみたい。

じつはNaezyは、『ガリーボーイ』公開前後のいちばんオイシイ時期、音楽活動を休止していた。
彼は敬虔なムスリムでもあるのだが、iPadをくれた父に、「ヒップホップはイスラーム的ではない」と止められていたからだ。
その後、晴れて「ラップもイスラームの伝統である詩と通じるもの」と父の理解が得られ、活動を再開したNaezyは、今でもムンバイのストリートラッパーとして活動を続けている。

Naezy, Rakhis "Kasa Kai"


一方のDIVINEは、映画『ガリーボーイ』 のヒットの勢いを借りて、精力的に活動を続けていた。
その結果、一躍人気者となった彼は、もはやインディペンデントなストリートラッパーで居続けることはできなくなってしまった。
皮肉にも、映画の成功によって、ガリーラッパーというアイデンティティを手放さざるを得なくなってしまったのだ。

その後のDIVINEの音楽的葛藤についてはこの記事に書いている。


今回は、ストリートの少年だった彼がヒップホップで成り上がったストーリーをミュージックビデオにしたこの曲を紹介したい。

DIVINE "RIDER Feat. Lisa Mishra"


インド最大の都市であり、エンターテインメントの中心地であるがゆえに、とにかく多様で層が厚いムンバイのヒップホップシーン。
ラッパーだけでなく、ビートメーカーに焦点を当てた記事も紹介しておきます。


まだまだ紹介しきれていないアーティストもいるのだけど、本日はここまで。
ムンバイ以外のシーンについては、日を改めて書かせてもらいます。 





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goshimasayama18 at 15:49|PermalinkComments(0)

2021年08月28日

8/28(土) としま未来文化財団「バングラデシュの詩とラップ」

昨日、としま未来文化財団さんによるイベント「バングラデシュの詩とラップ」で『タゴール・ソングス』の佐々木美佳監督とのトークイベントを行ってきました。

このコロナ禍と猛暑にもかかわらず、2回の映画上映会も、その合間に行われたトークイベントも全て満席!
正直、かなりニッチなテーマなので、お客さん集まるかなー、とちょっと心配だったのですが、多くの方にお越しいただき、ありがたい限りでした。

満席となってしまったため、そして何より、感染状況を考慮して、会場にお越しできなかった方々のために、当日紹介した曲をブログでもご案内したいと思います。
当日時間の都合で紹介できなかった曲を含めて大盤振る舞い!

一部、動画がブログ内で再生できない楽曲もあるので、その場合はリンク先のYouTubeでご覧ください。



最初に紹介したのは、『タゴール・ソングス』にも登場したダッカのラッパーNizam Rabby.
ダッカのストリートラッパーである彼は、映画の中でも語っていた通り、タゴールの詩に影響を受け、タゴールのように社会に影響を与えうる表現者になることを目指しているという。
このミュージックビデオは、ダッカのラッパーたちによるマイクリレーの中のNizamのパート。

"#BanglarBagh" Nizam Rabby

いかにもストリートラッパー然とした佇まいの彼は、フリースタイルを得意とするラッパーであると同時に、社会的、政治的かつ詩的な要素のあるリリックを書くアーティストでもある。
彼の新曲が、この"KKK"。


“KKK” Nizam Rabby
佐々木監督によると、この曲は汚職や政治を批判する内容とのこと。

ニューヨークのブロンクスでアメリカの黒人文化として生まれたラップ/ヒップホップは、世界中に広がり、抑圧された立場の人々が社会に対するメッセージを発する手段となった。
バングラデシュも例外ではなく、ラップは韻律のある詩の伝統とも結びつき、ローカルな魅力もたたえた新しい文化としての存在感を放っている。
 


"Gully Boy 1" Tabib Mahmud, Rana

バングラデシュのヒップホップにおいて特筆すべき点はその社会性で、 この曲では少年ラッパーの視点を通して、社会の矛盾を指摘している。
(タイトルの通り、この曲は2019年に公開された映画『ガリーボーイ』に大きな影響を受けている)

この少年ラッパーRana君は、田舎で働く父を残して、母と兄弟とともにダッカに上京し、ストリートで花を売って家計を助けているという。
学校は1年生までしか通っておらず、ヒップホップダンススクールでラップに出会ったそうだ。(『ガリーボーイ』の舞台となったダラヴィのように、貧しい子供たちにヒップホップを通して誇りを持ってもらうためのフリースクールがダッカにもあるのだろう)
そこでRanaはラッパーのMahmud Hasan Tabibに見出され、本格的にラップを習い始めた。
Tabibはダッカのストリートラッパーであると同時に、ダッカ大学でアラビア語専攻の学生であり、詩人でもあった。 
たった1日で、ほぼコンピューターとマイクとヘッドフォンだけで録音されたこの曲は、YouTubeで旋風を巻き起こし、Ranaに1,700ドルの収入をもたらしたという。

RanaとTabibのメッセージは1曲だけで完結するものではなかった。
彼らは次々と"Gully Boy"シリーズの楽曲をリリースしてゆく。



2作目では、ストリートには数多くのRanaと同じ境遇の子どもたちがいるということが語られ、自分の将来のためだけに教育を受ける裕福な若者たちが批判されている。
3作目では、国家予算のほんの一部でも子どもたちのために使うことができれば、状況は改善され、バングラデシュはさらなる豊かな国になるだろうということがラップされる。

あまりにも社会的で大真面目なリリックだが、前半で子どもの視点から現状の問題点が語られ、後半で大学生のTabibからその解決のための方法が説明されるという構成はよく考えられていて面白い。

Tabibはラップを教育に活かそうというビジョンがあるようで、子どもたちが世界の通貨を覚えるためのこんな曲もリリースしている。



"International Currency Rap Song" Tabib Mahmud

学研や進研ゼミの「歌で覚える掛け算九九」みたいなものなのか、最後に教材の宣伝が入るし、なんだか思わず笑ってしまいそうになるが、彼は大真面目だ。
ラップという手段を通して社会や教育をより良くしようという、これ以上なく健全なヒップホップの実践とも言えるだろう。


ここから先は都市別のラッパー紹介コーナー。
ダッカをレペゼンするJalali Setについては、イベントでは"Dhaka City"という曲を紹介したので、ここでは別の曲を紹介したい。

Sura Target "Jalali Set"
ベンガルの伝統音楽っぽい曲をサンプリングし、典型的なストリートラップのスタイルで聴かせるこの曲のYouTube動画には、ムンバイの「元祖ガリーボーイ」の一人DIVINEからも称賛のコメントが寄せられている。

"Bakruddho" Nawshin
(曲は0:30頃から)


(※会場で動画が紹介できなかったアーティストです)
こちらはダッカのフィメール・ラッパー。

バングラデシュでは女性のラッパーっぽいファッションはまだ一般的ではなく、伝統的な衣装で堂々とラップを披露する姿が印象的。
佐々木監督によると、リリックの内容は「バングラデシュで女性に生まれて、恥や困難を感じるのはなぜ」といったものだそうで、社会の保守性や家父長制に疑問を投げかけるもののようだ。
 
ヒップホップはギャング的な要素も含んだストリートカルチャーなので、マチズモ的、ミソジニー的な要素が批判されることもあるが(インドのパーティー的なヒップホップでもそういう批判がある)、一方で、女性の権利や人権を主張するための手段になっている一面もある。
この曲はそのバングラデシュ的な実践と言えるだろう。



続いて、ダッカ郊外のGazipurのラッパーたちによる曲。
 
"City Gazipur" EliN-3X-Manam-MX MK-YeaH Shah AAmin Ale
 
ダッカから30キロほどの場所にある、東京における八王子のような位置づけの街のようだが、ミュージックビデオが結構凝っている。
路地裏をラッパー仲間で練り歩く映像は、やはり映画『ガリーボーイ』の影響を感じさせられるものだ。


"CYPHER CTG"  Enu Syed x Anwar Hossain x Royal Mash x 5sta Kamrul x Phenol

こちらは南東部の都市チッタゴンのラッパーたちによる曲。
チッタゴンは世界中の老朽化した船舶が解体される「船の墓場」(子どもたちを含めた労働者が裸足で有害物質を扱う劣悪な環境が問題視される)やロヒンギャの難民キャンプで知られる港町。
また、チッタゴン語というベンガル語のなかでも個性の強い方言が話されており、少数民族が多く暮らしている地域でもある。
バングラデシュというと、社会問題や貧困ばかりが強調されがちだが、ミュージックビデオを通して、そこに暮らす若者たちのリアルな暮らしに触れることができるのもヒップホップの面白さのひとつだ。

続いては、北東部シレット地方にルーツを持つラッパーたちの曲。
シレットも独自の言語(方言)を持つ地域である。
この地方の出身者は、19世紀のイギリス統治時代から、 船乗りとして多くが海外に移住しており、今でもイギリスや北米に多くのシレット系住民が暮らしている。
また、インドのアッサム州にもシレット語を話す地域があり、この曲では、アメリカ、バングラデシュ、イギリス、インドの4か国のシレット系ラッパーの共演となっている。
 U. Sylhety Cypher C Let, B. Monk, Arin Dez, Mogze, Rhythmsta, Pollob Vai

シレットは海外からの送金もあり、地方都市にもかかわらず、バングラデシュの中でも裕福な街として知られている。
他の地方のラッパーたちが場末のストリートでミュージックビデオを撮影する中、シレットのラッパーは結構豊かな暮らしをしているようでもある。
この曲では、「ベンガル人」ではなく「シレット人」としてのアイデンティティが強調されている。
「ベンガル人をぶっ潰せ」みたいな過激なリリックも入っているそうだが、これは深刻な民族対立というよりはヒップホップ的なイキリのようなものだろう。


バングラデシュのヒップホップを語る上で、アメリカやイギリスに暮らすバングラデシュ系住民の存在は無視することができない。
彼らは、いち早くヒップホップに触れ、現地のコミュニティ向けに楽曲を発表するとともに、本国へヒップホップを紹介する役割をも果たした。
今では、アイデンティティを強調したディアスポラや母国のマーケット向けの楽曲ではなく、移住先のマジョリティ社会に向けた楽曲をリリースしているアーティストもいる。
このAnik Khanの"Man Down"はその典型と言えるだろう。

"Man Down" Anik Khan 

(こちらも本日紹介できなかった曲)
曲調としてはまったく南アジア的ではないし、歌詞の内容にもベンガル的な要素はなさそうだが、この曲ではダッカ生まれNYクイーンズ育ちのAnik Khanが、ロンドン出身のベンガリ・シンガーのNishとDJ LYANとの国境を超えたベンガル人によるコラボレーションが行われている。
(この曲については、先日『ブリティッシュ・エイジアン音楽の社会学 交渉するエスニシティと文化実践』〔青土社〕を出版した文化社会学者の栗田知宏さんに教えていただいた)

英語でラップする海外在住のラッパーでも、ベンガル人としてのアイデンティティを全面に打ち出した曲をリリースしている例もある。
 
"Culture" Sha Vlimpse
ニュージャージーを拠点に活動しているSha Vlimpseは、エミネムの影響を感じさせるフロウが印象的だが、リリックのテーマやミュージックビデオは、自身のルーツへのこだわりを感じさせるものになっている。
バングラデシュのルーツを強調するために、伝統的な表現方法ではなく英語のラップが使われるという文化的な「ねじれ」は、移民2世以降の世代たちのリアリティでもあるのだろう。
 
 
"Matha Ta Fatabo" Bhanga Bangla
Bhanga Banglaはニューヨークのバングラデシュ系ラップグループで、バングラデシュに初めてトラップ(ダークで不穏な雰囲気のビート)を紹介したアーティストとされている。
彼らは在外バングラデシュ系グループだが、バングラデシュ国内のマーケットを意識して楽曲を発表しているようで、結果的に母国に新しいサウンドを紹介する役割を担っていると言えそうだ。

ミュージックビデオは2041年のダッカが舞台で、武力による移民や外国人排斥が現実となったディストピア世界を描いている。
2041年でもカレーを食べていて、女性はサリーを着ているというところに、バングラデシュ人の世界観が感じられて面白い。
彼らにとって、服装や食文化は、海外への移住や数十年先の未来に容易に変わってしまうものでは決してないのだ。

もちろん、ベンガル語のラップはバングラデシュとバングラデシュ系移民だけのものではない。
ベンガル地方の西半分である、インドのウエストベンガル州にも数多くの個性的なラッパーが存在している。



"Middle Class Panchali" Cizzy

ジャジーで落ち着いたビートとラップはいかにもコルカタらしい伝統的なもの。
タイトルのPanchaliとはベンガルの伝統的な民話の表現形式だそうで、韻律などにベンガルの伝統的な要素が見られるとのこと。
ラップでは、バングラデシュはより政治的なテーマが好まれ、ウエストベンガルではより文学的なテーマが好まれる傾向が強いようだ。
こちらはコルカタのフィメール・ラッパー。
"Meye Na" Rialan

女性に対する暴力などの社会問題が軽視される現状を糾弾した曲。
曲のテーマはバングラデシュのフィメール・ラッパーNawshinと共通しているが、ファッション的にはウエストベンガルのほうがぐっと垢抜けているのが印象的。


もうひと組、コルカタのラッパーを紹介したい。
"Nonte Fonte" Oldboy x WhySir

不思議な響きのタイトルは、ベンガル語の子ども向けアニメのタイトルから撮られたようだ。
ミュージックビデオの最後に、インドのウエストベンガルから、バングラデシュや海外のベンガル人に向けて、団結して楽しもうというメッセージが語られている。

国籍や宗教や民族といった伝統的なコミュニティの壁を易々と超えることができるのが、新しいカルチャーであるヒップホップの魅力である。
この曲では、最初に紹介したNizam Rabbyがムンバイの社会派ラッパーと国境を超えたコラボレーションを行っている。

"Brasht" AZAAD FORWARD BLOC ft. NIZAM RABBYジャーナリストの殺害と逮捕、表現の自由の欠如、生命と人権の保護の欠如、政治家の不正、女性に対する暴力などがテーマ。
インドとバングラデシュのラッパーが、国籍を超えてヒップホップというカルチャーと政治・社会への問題意識でつながったコラボレーションだ。


最後に、「ベンガル地方の伝説的な詩人たちのラップバトル」というユニークすぎる設定のミュージックビデオを紹介したい。

"Kazi Nazrul Vs Rabindranath Tagore" Fusion Productions


完全なコメディだが、ベンガルを代表する詩人であるタゴールと、バングラデシュの国民的な詩人カジ・ノズルルが、お互いの作品の一節を引用したりしながらラップバトルするという設定はとにかく面白い。
日本にはここまで広く深く親しまれている詩人はいないように思うし、そもそも文学史上の偉人たちをテーマにラップバトルのミュージックビデオを作ろうという発想も生まれないだろう。

映画『タゴール・ソングス』でも分かるとおり、詩や文学が生活に深く根ざしていることが分かる映像でもある。


佐々木美佳監督は、秋ごろにタゴール・ソングスの撮影をテーマにしたエッセイ的な本を出版する予定だそうで、こちらも期待して待ちましょう!



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2021年01月24日

インド・ヒップホップ夜明け前(その1)パンジャーブからUKへ、そしてデリーへの逆輸入


ムンバイのストリート・ラッパーをテーマにした映画『ガリー・ボーイ』の公開からもうすぐ2年。
今ではインド全土のあらゆる街にラッパーがいる時代になった。
ここであらためて確認しておきたいのは、インドでラップを最初にメジャーにしたのは、デリーのアーティストたちだったということだ。
とくに、デリー在住のパンジャーブ系シク教徒のアーティストたちが、今日流行しているメインストリームのエンターテインメントラップの確立に大きな役割を果たしたのだ。

今回は、そのあたりの話を書くことにしたいのだが、そのためには少し時代を遡らなければならない。
(何度も書いている話なので、ご存知の方は飛ばしてください)

「シク教」は、男性がターバンを巻くことで知られるインド北西部パンジャーブ地方発祥の宗教だ。
勇猛な戦士として知られるシク教徒たちは、イギリス統治時代に重用され、当時イギリスの植民地だった世界中の土地に渡っていた。
シク教徒の人口はインド全体の2%にも満たないが、彼らが早くから世界に進出していたために、「インド人といえばターバン」という印象が根付いたのだろう。
現在でも、イギリスで暮らす南アジア系住民のうち、シク教徒の割合は3割にものぼる。
1947年、インド・パキスタンがイギリスから分離独立すると、シク教徒たちの故郷であるパンジャーブ地方は、両国に分断されてしまう。
パキスタン側に暮らしていた多くのシク教徒たちは、イスラームを国教とするパキスタンを逃れ、インドの首都デリーに移り住んだ。
こうした理由から、デリーには故郷を失った多くのパンジャーブ系(ヒンドゥー教徒を含む)住民が暮らしている。

ヒップホップは、ニューヨークのブロンクスで、カリブ地域から渡ってきたアフリカ系の黒人たちによって生み出された音楽だが、デリーに住むシク教徒たちも、同じように故郷から切り離された暮らす人々だった。
さらに言うと、パンジャービーたちの性格も、彼らがインド最初のラッパーになる条件を満たしていたのかもしれない。
一般的に、パンジャーブ人は、ノリが良く、パーティーやダンス好きで、物質的な豊かさを誇示する傾向があり、自分たちのカルチャーへの高いプライドを持っていることで知られている。
ステレオタイプで書くことを許してもらえるならば、そもそもがものすごくヒップホップっぽい人たちだったのである。

パンジャーブの人々は、もともと、「バングラー」という強烈なリズムの伝統音楽を持っていた。


パンジャーブの収穫祭ヴァイサキ(Vaisakhi)で演奏されるバングラーは、両面太鼓ドール(Dhol)の強烈なリズムと一弦楽器トゥンビ(Tumbi)の印象的な高音のフレーズ、そしてコブシの効いた歌と両手を上げて踊るスタイルで知られるダンスミュージックだ。

インド独立後も、多くのパンジャーブ人たちが海外に暮らす同胞を頼って海外に渡っていった。
彼らは欧米のダンスミュージックと自分たちのバングラーを融合し、新しい音楽を作り始めていた。
ちょうどブロンクスの黒人たちが、故郷ジャマイカのレゲエのトースティングとポエトリーリーディングやアメリカのソウルのリズムを融合してヒップホップを生み出したように。

80年代のイギリスでは、Heera, Apna Sasngeet, The Sahotas, Malkit Singhといったアーティストたちが、新しいタイプのバングラー・ミュージックを次々に発表し、南アジア系移民のマーケットでヒットを飛ばしていた。


今聴くとさすがに垢抜けないが、ベースやリズムマシンを導入したバングラー・ビートは、当時としては新しかったのだろう。

UKのパンジャービーたちの快進撃は止まらない。
90年代に入ると、Bally Sagooが母国のボリウッド映画の音楽を現代的にリミックスし、RDB(Rhythm, Dhol, Bass)が本格的にヒップホップを導入する。
そして、1998年にリリースされたPanjabi MCの"Mundian To Bach Ke"は、2002年に在外インド人の枠を超えた世界的な大ヒットを記録するまでになる。




シク教徒は強い結束を持つことでも知られている。
海外の同胞たちが作り上げた最新のバングラー・ビートが、シク教徒が多く暮らすデリーに逆輸入されてくるのは必然だった。

21世期に入ると、Yo Yo Honey Singh, Badshah, Raftaar, Ikkaといった今もインドのメジャーシーンで活躍するラッパーたちがデリーで新しい音楽を作り始める。
彼らは、もともとMafia Mundeerという同じクルーに所属していたのだ。

(つづき) 



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goshimasayama18 at 20:15|PermalinkComments(0)

2020年12月26日

2020年を振り返る コルカタの音楽シーン特集

先日に続いて、2020年を振り返る記事。
昨年(2019年)は、映画『ガリーボーイ』 の公開もあって、ムンバイの、とくにヒップホップシーンに注目した1年だったが、今年(2020年)は佐々木美佳監督の『タゴール・ソングス』や、川内有緒さんの『バウルを探して 完全版』の影響で、ベンガルの文化に惹きつけられた1年だった。

もうすでに耳にタコの人もいるかもしれないが、ベンガルとはインドの西ベンガル州とバングラデシュを合わせた、ベンガル語が話されている地域のこと。
ベンガルmap
(この地図は『タゴール・ソングス』のウェブサイトからお借りしました)

イギリスによる分割統治政策によって多くのムスリムが暮らしていたベンガル地方の東半分は、1947年のインド・パキスタン分離独立時に、イスラームを国教とするパキスタンに帰属する「東パキスタン」となった。
しかし、言語も異なる東西のパキスタンを、大国インドを挟んだ一つの国として統治することにはそもそも無理があった。
西パキスタンとの格差などを原因として、東パキスタンは1971年にバングラデシュとして再び独立を果たすことになるのだが、それはまた別のお話。
(バングラデシュの音楽シーンについても、最近かなりいろいろと分かってきたので、また改めて紹介する機会を持ちたい)
私にとっての2020年は、分離独立前からこの地方の中心都市だった、インドの西ベンガル州の州都コルカタの音楽シーンが、とにかく特徴的で面白いということに気付づいてしまった1年だった。

コルカタのシーンの特徴を2つ挙げるとしたら、「ベンガル地方独特の伝統文化(漂泊の歌い人にして修行者でもあるバウルや、タゴールに代表される詩の文化)の影響」と「イギリス統治時代に首都として栄えた歴史から来る欧米的洗練」ということになる。
さらには、独立運動の中心地であり、また独立後も社会運動が盛んだったこの街の政治性も、アーティストたちに影響を与えているようだ。


まずは、近年インドでの発展が著しいヒップホップから紹介したい。
地元言語のベンガル語でラップされるコルカタのヒップホップの特徴は、落ち着いたセンスの良いトラックと強い郷土愛だ。
コルカタを代表するラッパー、Cizzyの"Middle Class Panchali"聴けば、ムンバイのストリート・ラップ(例えばDivine)とも、デリーのパンジャーブ系エンターテインメント・ラップ(例えばYo Yo Honey Singh)とも違う、コルカタ独自の雰囲気を感じていただけるだろう。

ジャジーなビートにモノクロのスタイリッシュな映像は、まさにコルカタならでは。
タイトルのPanchaliは「民話」のような意味のベンガル語らしい。

CizzyがビートメーカーのSkipster a.k.a. DJ Skipと共演したこの曲"Change Hobe Puro Scene"('The scene will change'という意味)では、インド最古のレコードレーベル"Hindusthani Records"の音源をサンプリングしたビートを使った「温故知新」な一曲。

コルカタのランドマークであるハウラー・ブリッジから始まり、繁華街パークストリート、タゴール、リクシャー(人力車)といったこの街の名物が次から次へと出てくる。

MC Avikの"Shobe Cholche Boss"もコルカタらしい1曲。

コルカタのアーティストのミュージックビデオには、かなりの割合でハウラー・ブリッジが登場するが、サムネイル画像のワイヤーで吊られている橋は、コルカタのもうひとつのランドマーク、ヴィディヤサガル・セトゥ。
ハウラー・ブリッジと同じく、この街を縦断するフーグリー河にかかっている橋だ。
コルカタにはまだまだ優れたヒップホップアーティストがたくさんいるので、チェックしたければ、彼らが所属しているJingata Musicというレーベルをチェックしてみるとよいだろう。



コルカタといえば、歴史のあるセンスの良いロックシーンがあることでも知られている。
その代表的な存在が、ドリームポップ・デュオのParekh & Singh.
イギリスの名門インディーレーベルPeacefrog Recordsと契約している彼らは、インドらしさのまったくない、欧米的洗練を極めたポップな楽曲と映像を特徴としている。

ウェス・アンダーソン的な映像センスと、アメリカのバークリー音楽大学出身の音楽性は、世界的にも高い評価を得ており、日本では高橋幸宏も彼らを絶賛している。

「ドリームフォーク・バンド」を自称するWhale in the Pondも、インドらしからぬ美しいメロディーとハーモニーを聴かせてくれる。

今年リリースされたコンセプト・アルバム"Dofon"では、地元の伝統音楽(民謡)なども取り入れた、ユニークな世界観を提示している。

過去に目を向けると、コルカタは1960年代から良質なロックバンドを輩出し続けていた。
なかでも70年代に結成されたHighは、インドのロック黎明期の名バンドとして知られている。

この曲はカバー曲だが、彼らはインドで最初のオリジナル・ロック曲"Love is a Mango"を発表したバンドでもある。

同じく70年代に結成された伝説的バンドがこのMohiner Ghoraguli.
ベンガルの詩やバウルなどの伝統とピンク・フロイドのような欧米のロックを融合した音楽性は、インド独自のロックのさきがけとなった。

彼らの活動期間中は知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、共産主義革命運動ナクサライト(のちにインド各地でのテロを引き起こした)の活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。

こうした政治運動・社会運動との関連は、今日のコルカタの音楽シーンにも引き継がれている。
例えばインドで最初のラップメタルバンドと言われるUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRは、ソロアーティストとしてリリースしたこの曲で、農民たちがグローバリゼーションが進む社会の中で貧しい暮らしを強いられ、多くが死を選んでいるという現実を告発している。
タイトルの"Ekla Cholo Re"は「ひとりで進め」という意味のタゴールの代表的な詩から取られている。 


ブラックメタル/グラインドコアバンドのHeathen Beastは、無神論の立場から、宗教が対立し、人々を傷つけあう社会を痛烈に糾弾している。

この曲では、ラーマ神の出生地と言われるアヨーディヤーに建てられていたイスラームのモスクをヒンドゥー至上主義者たちが破壊した事件を扱っている。
今年リリースされた"The Revolution Will Not Be Televised, But Heard"でも、ヒンドゥー・ナショナリズムや腐敗した政治に対する激しい批判を繰り広げた。


電子音楽/エレクトロ・ポップのジャンルでもコルカタ出身の才能あるアーティストたちがいる。
今年リリースした"Samurai"で日本のアニメへのオマージュを全面に出したSayantika Ghoshは、郷土愛を歌ったこの"Aami Banglar"では、伝統楽器の伴奏に乗せて、バウルやタゴール、地元の祝祭や、ベンガルのシンボルとも言える赤土の大地を取り上げている。

一見、歴史や伝統には何の興味もなさそうな現代的なアーティストが、地元文化への愛着をストレートに表現しているのもコルカタならではの特徴と言える。

コルカタ音楽シーンの極北とも言えるのが、ノイズ・アーティストのHaved Jabib.
これまで数多くのノイズ作品を発表してきた彼の存在は以前から気になっていたのだが、そのあまりにも前衛的すぎる音楽性から、このブログでの紹介をためらっていた。
今年彼がリリースした"Fuchsia Dreamers"は、ムンバイのノイズ/アンビエントユニットComets in Cardigansとコラボレーションで、混沌とした音像のなかに叙情的な美しさを湛えた、珍しく「音楽的」な作品となった。
これまでに彼がリリースした楽曲のタイトルやアートワークを見る限り、動物愛護や宗教紛争反対などの思想を持ったアーティストのようだが、彼はインターネット上でも自身のプロフィールや影響を受けたアーティストなどを一切公表しておらず、その正体は謎につつまれている。

と、気になったアーティストのほんのさわりだけを紹介してみたが、とにかくユニークで文化的豊穣さを感じさせるコルカタのシーン。
来年以降もどんな作品が登場するのか、ますます楽しみだ。

最後に、これまでに書いたベンガル関連の記事をまとめておきます。













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goshimasayama18 at 15:54|PermalinkComments(0)

2020年06月22日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その2)


タゴールソングNight6.20


前回に続いて、先日の「タゴールソングNIGHT」で紹介した楽曲を紹介します。
タゴールソングの現代的アレンジや、ベンガルのヒップホップを紹介した前回に続いて、今回は、バウルに関する曲からスタート!

いろいろなアレンジのバウルソングを紹介する前に、まずは伝統的なバウルソングを聴いてみましょう。
映画にも登場したLakhan Das Baulが歌う"Hridmajhre Rakhbo".

バウルとは、ベンガル地方に何百年も前から存在している放浪の行者であり、歌い人のこと。

タゴールの詩は、バウルの影響を強く受けていると言われており(一説には、タゴールは19世紀の伝説的なバウルであるラロン・シャーと会ったことがあるとも)、かつては賎民のような扱いだったバウルは、今ではUNESCOの世界無形遺産に指定され、ベンガル文化を代表する存在になっている。

欧米のロックミュージシャンがブルースマンに憧れたように、現代ベンガルのミュージシャンがアウトサイダーであるバウルに憧れを持つことは必然だったようで、多くのバンドがバウルをフィーチャーした曲を発表している。

これはコルカタのロックバンドFossilsが、Purna Das Baulをゲストヴォーカルに迎えた曲。

Purna Das Baulはあのボブ・ディランにも影響を与え(後述)、ボブ・マーリーともステージを共にしたことがあるバウル界の大スター。
佐々木監督によると、この"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"は「愛というものを知らない人は、誰かに与えたり受け取ったりすることがない 本物の黄金を手放す人は黄金そのものを知らない」という内容の歌詞だそう。

タゴールが作った学園都市シャンティニケトンがある地区の名前をバンド名に関したBolpur Bluesは、バウルをゲストに迎えるのではなく、もとからバウルのヴォーカリストがいるという異色のバンド。

いったいどういう経緯でバウルがロックバンドに加入したのかはわからないが、どことなく他のメンバーがバウルのヴォーカリストに気を遣っているように見えなくもない…。
これはラロン・フォキルによる『かごの中の見知らぬ鳥』という歌。

そして、前回紹介したように、タゴールソングのDJミックスを作ってしまうほどにダンスが好きなインドやバングラデシュの人々は、当然のようにバウルソングもダンスミュージックにリミックスしてしまいます。
この曲は"Baul Trap Beat"とのこと。

いったい誰がどういう意図で作ったものなのかは不明だけど、なんでもとりあえずダンスミュージックにしてしまおう、という心意気は素晴らしい。


さて、バウルについて紹介するときに、必ずと言っていいほど書かれているのが「バウルはあのボブ・ディランにも影響を与えている」というフレーズ。
その真偽に関してはこの記事を参考にしてもらうとして、ベンガル文化とディランとの関係は決して一方向のものではなく、ベンガル(とくにコルカタ)の人々もディランから大きな影響を受けている。

「ディランに影響を与えたバウル」であるPurna Das Baulは、ディランの代表曲『ミスター・タンブリンマン』("Mr. Tambourine Man")と『風に吹かれて』("Blowin' in the Wind")をバウル・スタイルでカバーしている。


言われなければディランの曲だと分からないほど、すっかりバウルソングになっている。
佐々木監督曰く、『風に吹かれて』は元の歌詞を見事にベンガル語に翻訳してメロディーに乗せているそう。

ディランからの影響は、彼と交流のあったPurna Das Baulだけではなく、多くのミュージシャンに及んでいる。
往年のコルカタのミュージシャンたちが、ディランからの影響を口々に語るこんなドキュメンタリー映画も作られている。Vineet Arora監督によるこのドキュメンタリー"If Not For You - A Bob Dylan Film"はVimeoで全編が無料公開されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。

さらには、コルカタの詩人Subodh Sarkarによるディランを讃える詩の朗読なんてものもある(情感たっぷりに朗読しているのは、詩人本人ではなくて女優さん)。

佐々木監督によると、この詩のタイトル"Paraye Paraye Bob Dylan"は「あらゆるところにボブ・ディラン」という意味だそうで、コルカタの文人から見たディランの影響の大きさや彼の功績を称える内容とのこと。
まるでタゴールに匹敵するような扱いだけど、佐々木監督がベンガルの人に聞いたところ「ディラン?ミュージシャンには人気あるんじゃないかなあ」という回答だったそうで、その人気はあくまでも音楽シーンに限定されるよう。

とはいえ、コルカタのシーンにおけるディランの影響は絶大で、こんなディランへのトリビュートソングも歌われている。
「インドのボブ・ディラン」(こんなふうに呼ばれている人が他にも何人かいるのだけど)ことSusmeet Boseの、その名も"Hey Bob Dylan".

コルカタのフォークシンガーKabir Sumonは、『風に吹かれて』をベンガル語でカバーしている。


ベンガル地方は、イギリスからの独立運動の中心地となった社会意識が非常に高い土地柄だ。
コルカタのシンガーたちは、インドの音楽シーンが、格差やカーストなどの社会問題をいっこうに取り上げないことに疑問を感じ、ディランをお手本に自らも社会的なテーマを扱いうようになった。
コルカタに根付いている社会運動の伝統と、イギリス統治時代に首都だった歴史から来る欧米文化への親和性の高さ、そしてタゴール以来の文学的素養を考えれば、この街ののミュージシャンたちが、プロテストフォークの旗手であり、フォークソングを文学の域にまで高めたディランに惹かれるのは必然だったと言えるだろう。


さて、ここからは、タゴールやバウルから離れて、現代ベンガルの音楽シーンの発展を見てゆきます。

イギリス統治時代の首都だったコルカタは、古くから在留イギリス人や上流階級に西洋音楽が親しまれていた土地で、繁華街パークストリートには、ジャズの生演奏を聴かせるレストランがたくさんあったという(今でもパークストリートにはクラブやライブ演奏のある飲食店が多くあります)。
こうしたシーンの中心的な存在だったのは、イギリス人の血を引くアングロ−インディアンと呼ばれるコミュニティのミュージシャンたち。
独立まもない時期から活躍したアングロ−インディアンのジャズシンガーのPam Crainは、「パークストリートの女王」と呼ばれ、長くコルカタのジャズシーンで活躍した。


1960年代に入ると、ビートルズなどの影響で、インドにも「ビートグループ」と言われるバンドが登場する。
彼らはギターを手作りしたり、政治演説用のスピーカーをアンプの代わりにしたり、警察のマーチングバンド用のドラムを使ったりという涙ぐましい努力をして、ロックの演奏に取り組んだ。
コルカタはそうしたシーンの中心地のひとつで、このThe Cavaliersの"Love is a Mango"はインドで最初のオリジナルのロック曲。

シタールの入ったインドらしい響きが印象に残るサウンドだ。

The Cavaliersの中心人物Dilip Balakrishnanは、1970年代に入ってHighを結成し、より洗練されたロックを演奏した。

音だけ聴いてインドのバンドだと気づく人はいないだろう。
高い音楽的才能を持っていたDilipだが、当時のインドではロックのマーケットは小さく、仕事をしながら音楽活動を続けていたものの、1990年にその後のインディーミュージックシーンの隆盛を見ることなく、若くして亡くなっている。

1971年、東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが独立。
これはバングラデシュ独立後最初のロックバンドと言われるUnderground Peace Loversのドキュメンタリーだ。


バングラデシュでは、インド領の西ベンガルと比べてバウル文化の影響がより大きく、「街のバウル」を意味するNagar Baulや、ラロン・フォキルから名前を取ったLalon Bandといったバンドたちが活躍した。

シンガーのJamesがNagar Baul(街のバウル )とともに演奏しているのは、彼らの代表曲"Feelings".
Nagar Baulには2018年に亡くなった名ギタリスト/シンガーのAyub Bachchuも在籍していた。

こちらはLalon Band.



1970年代に入ると、インド領西ベンガル州では、毛沢東主義を掲げ、階級闘争ためには暴力行為もいとわないナクサライトなどの社会運動が活発化する。
こうした風潮に応じて、コルカタのミュージシャンたちも、欧米のバンドの模倣をするだけでなく、よりローカルで社会的なテーマを扱うようになる。
ディランからの影響も、こうした社会的背景のもとで育まれたものだ。
Mohiner Ghoraguliは、Pink Floydのような欧米のバンドのサウンドに、バウル音楽などのベンガル的な要素を取り入れたバンド。

Mohiner Ghoraguliというバンド名はベンガルの詩人ジボナノンド・ダースの作品から取られている。
ちょっと狩人の『あずさ2号』にも似ているこの曲は、「テレビの普及によって世界との距離が近くなる代わりに疎外感が生まれる」という現代文明への批判をテーマにしたもの。
中心人物のGautam Chattopadhyayは、ナクサライトの活動に関わったことで2年間州外追放措置を受けたこともあるという硬骨漢だ。
彼が99年に亡くなるまで、Mohiner Ghoraguliは知る人ぞ知るバンドだったが、2006年にボリウッド映画"Gangster"でこの曲がヒンディー語カバーされたことによって再注目されるようになった。


さて、ここから一気に現代へと飛びます。
コルカタのロックシーンの社会批判精神は今日でも健在!
つい先日リリースになったばかりのコルカタのブラックメタル/グラインドコアバンドHeathen Beastの"Fuck Your Police Brutality"は、激しすぎるサウンドに乗せて警察権力の横暴と、マイノリティーへの暴力を鋭く告発した曲。

彼らのニューアルバムは、一枚まるまる現代インド社会への批判になっていて、近々ブログで特集したいと思います。

最後に紹介したのは、コルカタ音楽シーンの洗練の極みとも言えるドリームポップデュオ、Parekh & Singh.

イギリスの名門インディーレーベルPeacefrogと契約し、日本でも高橋幸宏にレコメンドされるなど、国際的にも高い評価を得ている彼らは、アメリカのバークリー音楽院出身のエリートミュージシャンだ。
毎回かなりお金のかかっていそうなミュージックビデオを作っている彼らのお金はどこから出てきているのかと思っていたが、事情を知る人の話では「家がとんでもないお金持ち」という真相だそう。

大金持ちといえば、タゴールも大地主の家の息子。
経済的な豊かさを基盤に、安穏と暮らすのではなく、さまざまな文化を消化して詩情豊かな作品を作り上げることもベンガルの伝統なのかもしれない、なんて言ったら、さすがにこじつけかな。

と、こんな感じで当日は3時間にわたってタゴールソングからバウルソング、現代ベンガルに至る音楽とトークの旅をお届けしました。

映画『タゴール・ソング』はポレポレ東中野、仮設の映画館ではまだまだ上映中!
6月27日(土)からは名古屋シネマテークでの上映も始まります。

映画未見の方はぜひご覧ください!


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2020年06月21日

6/20(土)タゴールソングNIGHT ご報告!!(その1)

というわけで、6月20日(土)に東中野の「CAFE & SPACE ポレポレ坐」にて、長ーいタイトルの『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』をやってまいりました。

お客さんから、「当日のセットリストを教えて欲しい」という声をたくさんいただき、また遠方だったりでお越しいただけなかった方もいらっしゃるようなので、今回は当日紹介した曲の動画をあらためて紹介します。

まずは映画にも登場したRezwana Chowdhuryの"Majhe Majhe"を聴いて、伝統的なスタイルのタゴールソングを復習。

ちなみにこれはバングラデシュの朝の番組のなかの一幕。
「今日の占いカウントダウン」みたいなノリで、「今日のタゴールソング」のコーナーがあるそうです。

ここからはいよいよ、現代風にアレンジされたさまざまなタゴールソングを紹介してゆきます。
パンフレットでも紹介しているムンバイのYouTuberバンドSanamの"Tumi Robe Nirobe"(『あなたが居る』)

タゴールの詩をラブソングとして解釈して、このインドのお菓子のような甘すぎるアレンジにしたのだろうけれども、これはこれでアリ。
メンバーはいろんなタイプのイケメン。あなたの好みは誰?

続いて、バンガロールのバンド、Swarathmaが、ベンガルの行者であり吟遊詩人でもあるバウルのLakhan Das Baulを加えて演奏した"Ekla Cholo Re"(『ひとりで進め』)。
バウルについてはのちほど詳しく紹介します。

映画の中ではベンガルの人々とタゴールソングの関係にフォーカスされていたけど、ムンバイ、バンガロールとベンガル以外の地域のみなさんも、タゴールソングには並々ならぬ思い入れがあるようです。


続いては、コルカタのロックバンドによる大げさなアレンジの"Ekla Cholo Re".
これは当日紹介しようとして、動画が見当たらなくて紹介できなかったものです。

素朴なタゴールソングのイメージを覆すド派手なアレンジは、大事な試験の前とか、「俺は一人でやるんだ!」と自分を奮い立たせるときなんかにいいんじゃないんでしょうか。

映画"Kahaani"(邦題『女神は二度微笑む』)で使われた、名優Amitabh Bhachchanが歌う"Ekla Cholo Re"は洋楽風のアレンジ。

同じ"Ekla Cholo Re"でもアレンジでさまざまな印象になることが分かります。

続いて、コルカタのメタルバンドThe Winter Shadeによる、さらに大げさなアレンジのタゴールソングを。

いかにもメタルっぽい黒いTシャツ、サングラス、バンダナ(でも髪は短い)、そして大自然の中でどこにも繋がっていないアンプ(しかもマーシャルとかじゃなくて練習用っぽい小さなやつ)、最後まで使われないアコースティックギター、草越しの謎のカット、とツッコミどころ満載だけど、こんなコテコテのメタルバンドからも愛されているタゴールソングってすごい!
ちなみにこの曲のメロディーは、あの『蛍の光』と同じく、スコットランド民謡の"Auld Lang Syne"から取られたもの。
イギリス統治時代に生きていたタゴール(イギリス留学経験もある)は、このメロディーに自らの詩を乗せてみたくなったのでしょう。
佐々木監督曰く、原曲同様に昔を懐かしむ詩が乗せられているとのこと。

続いては、個人的にとてもお気に入りの、素人っぽい大学生風の3人によるウクレレとビートボックスを使ったカバー。

「タゴールソングのカバーやろうよ。君、歌上手いから歌って。俺ウクレレ弾くから。そういえば、あいつビートボックスできたよな。YouTubeにアップしよう。」みたいな会話が聴こえて来そうな雰囲気がたまらない。
タゴールソングがカジュアルに親しまれているいることが分かる1曲。

続いては、タゴールによって作詞作曲されたバングラデシュとインドの国歌を紹介。
こちらは"We Are The World"形式でさまざまな歌手が歌うバングラデシュ国歌『黄金のベンガル』。


再び名優Amitabh Bachchanが登場。
タゴール生家でアカペラで歌われるインド国歌"Jana Gana Mana"は、思わず背筋を伸ばしたくなる。


さらに続くタゴールソングの世界。
ダンス好きなインド人ならではの、タゴールソングのDJ remixなんてものもある。

インドっぽい女性の'DJ〜'っていうかけ声から、DJと言いながらもヒップホップやエレクトロニック系のビートではなく完全にインドのリズムになっているところなど、こちらも愛すべきポイントが盛りだくさん。
佐々木監督からは、「タゴールソングにはダンス用の曲もあり、タゴールダンスというものもある」というお話を伺いました。
YouTubeのコメント欄にはベンガル語のコメントがいっぱい書かれているのだけど、「DJタゴールのアルバムがほしい」「タゴールが生きていたらこのDJにノーベル賞だな」というかなり好意的なものだけでなく、「犬にギーのご飯の味は分からない」(「豚に真珠」のような意味)といった批判的ものもあったとのこと。
いろんな現代的なアレンジで親しまれているタゴールソングですが、なかには「タゴールソングはやっぱり伝統的な歌い方に限る!現代風のアレンジは邪道」と考えている保守的な人もいる。
その一方で、若い人たちが、自分たちなりに親しめる様式にしているというのは、すごく間口が広くて素敵なことなのではないかと思う。



続いて紹介したのは、タゴールにインスパイアされた楽曲たち。
まずはコルカタのラップメタルバンドUnderground AuthorityのヴォーカリストEPRが、タゴールソングの代表曲のタイトルを借用した"Ekla Choro Re".
貧困に喘ぎ、自ら死を選ばざるを得ないインドの農村の人々を描いた衝撃的なミュージックビデオは以前こちらの記事で紹介したので、今回はこの曲が話題になったきっかけのテレビ番組でのパフォーマンスをシェアします。


曲が進むにつれ真剣なまなざしになる審査員、最後に「失うものは何もない。団結しよう。束縛を打ち破ろう」とアジテーションするEPRに、独立闘争を戦ったベンガルの英雄たちの姿が重なって見えます。

これは当日紹介できなかった動画。
サイプレス上野みたいな見た目のラッパーによるタゴールへのトリビュートラップ。

自宅なのかな?
これもカジュアル感がたまらない仕上がり。
佐々木監督に聞いたところ、リリックは「タゴール誕生日おめでとう。いつもリスペクトしてるよ。いつもあなたがいる。」という、まるで先輩ラッパーに捧げるかのような内容だそう。


ここから話は現在のベンガルのヒップホップ事情に移ります。
まずはコルカタを代表するラッパー、Cizzyのこの曲"Middle Class Panchali"を紹介。

このジャジーなビートは、バングラーっぽいリズムになりがちなデリーや、パーカッシブなビートが特徴のムンバイのヒップホップとは全く違うコルカタらしい小粋な仕上がり。
ちなみに音楽ジャンルとしての「バングラー」は、カタカナで書くとバングラデシュ(Bangladesh)と同じだが、アルファベットで書くとBhangra.
インド北西部パンジャーブの伝統音楽でベンガルとは何の関係もないのでご注意を。

コルカタのヒップホップシーンのもうひとつの特徴は、とにかくみんな自分の街のことをラップすること!
ムンバイもちょっとそういう傾向あるけど、不思議とデリーのラップではそういうの聴いたことがない。
この曲は、コルカタにあるインド最古のレーベル、Hindusthan Recordsの音源をトラックに使った温故知新なビートがクールなこの曲もリリックはコルカタのカルチャーが満載。(これもイベントでは紹介できなかった)

1:35頃の映像に、タゴールもちょこっと出てくる。

こちらは映画にも出て来たバングラデシュの首都ダッカのラッパー、Nizam Rabby.

バングラデシュのラッパーたちも、バングラデシュのことをラップする傾向がある。
佐々木監督曰く、この曲は1971年の独立を勝ち取った戦士たちのことなども扱われているとのこと。


続いて、インド各地の歌がメドレー形式で歌われる曲の中でも、ベンガルを代表する曲として必ずタゴールソングが出てくるという話題。
米ペンシルバニア大学に通うインド系の学生たちによるアカペラ・グループPenn Masalaが歌うインド各地(各言語)を代表する曲のメドレーでは、他の言語の代表曲がほとんど映画音楽(インドなら当然なのだけど)なのに対して、ベンガルからは"Ekla Cholo Re"が選ばれている。


こちらはインド北東部ナガランド州に暮らすさまざまな部族や、インド主要部から移住して来た人々がメドレー形式で歌う曲"As One".
4:30頃に出てくるベンガル人は、やっぱりタゴールの"Ekla Cholo Re"を歌います。

ベンガルを代表する曲といえばタゴールソング、そのなかでもやっぱり"Ekla Cholo Re"ということになるのかも。

長くなりそうなので、今回はここまで!


「その2」はこちらから!↓



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goshimasayama18 at 20:42|PermalinkComments(2)