フュージョン・ロック

2020年09月22日

ロック好きにお勧めしたいインド風ロック特集!Advaita, Sabculture, Pakshee


今から20年以上前、バックパッカーとして初めてインドを訪れたとき、自分はロック好きの19歳だった。
1ヶ月後、初めての海外一人旅から帰ってきた頃には、すっかりインドにかぶれてしまい、インドとロックが融合したような音楽はないものか、と探し回ったものだった。

ところが、これがなかなか見つからない。
Big Brother and Holding Co.とかJefferson Airplaneみたいに、ヒッピー・ムーブメントの流れでインドっぽい格好をしている60年代のサンフランシスコあたりのバンドはいるんだけど、彼らは別に音がインドっぽいわけではない。
イギリスに目を向ければ、ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカルに弟子入りしたり、ストーンズがシタールを導入したりもしていたけれど、インドという濃すぎる原液の上澄みのような感じがして、あまり夢中になれなかった。
当時(90年台後半)、リアルタイムでは、インドかぶれバンドのクーラ・シェイカーが流行っていて("Tattva"とか"Govinda"とか、いかにもなタイトルの曲をやっていた)、結構好きだったけど、結局のところ彼らも「欧米人から見たインド」の域を超えているようには思えなかったんだな。

ロックのエナジーとインド音楽の深遠を、もっとうまく融合する方法があるんじゃないかと思って、当時の私はどこか満たされない気持ちを抱えていた。

欧米にいなければ、インドにいいロックバンドはいないものか…と思ってみたものの、インターネットも一般的ではなかった当時、インドのロックを探す方法もなく、次のインド渡航時にやっと見つけたと思ったら800ルピー騙し取られた!なんていうこともあった。(こちらを参照)

その後、ネットの普及などによってさまざまな情報が入手できるようになって、本場インドの「いかにもインドっぽいロック」もいろいろ見つけることができた。
インドでは、古典音楽と西洋のロックが融合した音楽を「フュージョン・ロック」と呼ぶ。
日本でフュージョンと言えば、1980年代頃に流行ったジャズとロックが融合したような音楽を指すが、インドでフュージョンと言うと、それは古典音楽と現代音楽の融合のことなのだ。

ところが、このフュージョン・ロックがまたくせもので、インド(南アジア)の要素は異常に濃いのにロックの部分が雑でダサかったり、インドっぽいのは確かなんだけど、独特すぎてロック的感覚からすると違和感が大きかったり、なかなか納得できるものは見当たらないのである。
それも当然で、彼らはべつに日本や欧米のロックファンのために曲を作っているわけではなく、あくまでローカルのリスナー向けに曲を作っているのだ。
当時の私は、本格的インドカレーにボンカレーやククレカレーの味を求めていたようなものだったのだろう。

それでも、フュージョン・ロックを聴き込むうちに、欧米のロックに馴染んだ耳にも、素直にかっこよく思えるバンドを何組か見つけることができた。
というわけで、今回はフュージョン・ロックの中でも、一般的なロックファンにも聴きやすいものを選んでお届けしたいと思います。


まずはじめに紹介したいのが、2004年にデリーで結成されたAdvaita.
バンド名の意味は「不二一元論」。
正直何だかよく分からないが、インドかぶれの心をぐっとつかむ哲学的なバンド名ではある。

サーランギー(北インドの擦弦楽器)の響きに導かれて始まる"Dust"は2012年にリリースされた彼らのセカンド・アルバム"The Silent Sea"のオープニングナンバー。

曲が始まってみれば意外にも普通のロックで、間奏部分で再び導入されるサーランギーも、舌に馴染んだ和風カレーにアクセントとして加えられた本格的インドスパイスといった風情だ。

Bol(古典音楽の口で取るリズム)のイントロが印象的な"Mo Funk"は、うってかわって古典音楽風のヴォーカルだが、そこまで癖が強くないのが聴きやすさのポイントか。

この曲は、18〜19世期の南インドの詩人Muthuswami Dikshitarの宗教詩がもとになっているとのこと。
やはりよく分からないが、「インドっぽい深遠さ」幻想をしっかり満たしてくれていてポイント高い。
謎の荷物を運ぶ男をワンショットで撮影したミュージックビデオは…衝撃の結末!(謎すぎて)

2009年リリースの"Grounded in Space"の収録曲、"Gates of Dawn"は、おごそかなタンプーラのイントロに続いて、Nirvana的なメロディーがインド風サウンドに乗せて歌われる。
(そういえば、Nirvanaというバンド名も「涅槃」を意味するサンスクリット語だ)。


彼らは8人のメンバーからなる大所帯バンドで、ロック・スタイルとヒンドゥスターニー・スタイルの2人のヴォーカリストと、ギター、ドラム、キーボード、ベース、タブラ、サーランギーのプレイヤーがいる。
8人がそれぞれ異なる音楽的バックグラウンドを持っているとのことで、曲によってインド古典にもロックにも自在に変化するサウンドはまさに「不二一元論」というバンド名にふさわしい。
近年はロック色の薄いアンビエント/ニューエイジ的な方向性に進んでしまっているようなのが少し残念だ。


最近のバンドでは、同じくニューデリーのバンドSabcultureがロックとインド音楽の心地よい融合を聴かせてくれている。

彼らは、以前は在籍していたカレッジの学校の名前を取ってHansRaj Projektを名乗っていたが、卒業にともなって改名。
2018年にデビューアルバムをリリースした。

彼らもやはり古典音楽とロックスタイルの2人のヴォーカリストを擁していて、このアコースティックバラード"Cycle Song"では、二人のヴォーカルのコール&レスポンスのようなアレンジが印象的だ。


ここまで聴いてきて分かる通り、フュージョン・ロックは、古典音楽風のヴォーカルが入ると、インドらしさが急増する。
より本格的なフュージョンになるのと同時に、ロックファンには少しとっつきにくくなってしまう気もするのだが、古典音楽のヴォーカルを活かしながらも、タイトなロックサウンドとの絶妙な融合を聴かせてくれるバンドがPaksheeだ。
Paksheeの場合、ロック風と古典風ではなく、二人の異なる古典音楽、つまり、北インドのヒンドゥスターニー音楽(彼は北インドからインド中部で広く話されているヒンディー語で歌う)と、南インドのカルナーティック音楽のヴォーカリスト(彼は南インド・ケーララ州の言語であるマラヤーラム語で歌う)が在籍していて、しかも英語のラップまでこなすというユニークさだ。

ジャズやファンクの要素のあるタイトな演奏も心地よく、彼らはフュージョンの新しいスタイルを確立したと言って良いだろう。
彼らについては、過去に特集記事を書いているので、興味のある方はこちらも参照してほしい。


今回紹介したバンドは、あくまでフュージョン・ロックの導入編。
もっと「濃い」バンドや、大胆すぎて真面目なんだかイロモノなんだか分からないバンドもたくさんいて、それぞれに良さがあるのだが、それは改めて紹介することとして、今日のところはこのへんで!

参考サイト:
https://en.wikipedia.org/wiki/Advaita_(band)
https://dailyjag.com/featured/an-interview-with-advaita-an-emerging-eclectic-fusion-band-from-india/




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goshimasayama18 at 21:43|PermalinkComments(0)

2020年04月15日

コルカタのドリームフォークバンド Whale In The Pondが紡ぐ美しき終末の叙事詩


ここのところ、コルカタやベンガルのミュージシャンを立て続けに紹介してきたので、そろそろ別の地方のミュージシャンを取り上げようと思っていたのだけど、またまたコルカタ出身の素晴らしいバンドを見つけてしまった。
インドの音楽シーンをチェックしていて、一年に一組出会えるかどうかの「本物」に出会ってしまったのだ。
あらかじめ断っておくが、まだまだ発展途上のインドのインディー音楽シーンにも、センスの良いアーティストはそこそこいる。
ただ、欧米の模倣や類型的なミュージシャンも多く、彼らがその音を鳴らすべき必然性と、個性的で独自の世界観を兼ね備えたアーティストとなると、本当に数少ないのが現状なのだ。
そうした魅力をあわせ持ったアーティストを紹介できる喜びは、何にも増して大きい。

さっそく紹介しよう。
彼らの名前はWhale In The Pond.
とある音楽メディアで「ドリーム・フォーク」紹介されていた彼らの音楽を聴いて以来、すっかり夢中になってしまっている。

まずは、2017年にリリースされた彼らのデビューEP"Marbles"から、"Autumun Winds"をお聴きいただこう。

「アコースティック版Pink Floyd」とでも呼べるような深みのあるサウンドとハーモニーは、まさにドリーム・フォークの名にふさわしい。

これだけでも非凡な才能をうかがわせるに十分だが、つい先日彼らがリリースしたセカンドアルバム"Dofon"は、これに輪をかけてすばらしかった。
彼らの新作は、前作のようなメロウなフォークサウンドだけでなく、地元の伝統音楽やラテンのリズムまで取り入れた、よりアコースティックかつ多様性にあふれた素晴らしいコンセプト・アルバムなのだ。

アルバムの冒頭を飾る"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、地元の音楽を導入した、どこか別の世界からやってきたような不思議な魅力を持った一曲だ。


インドの古典音楽として有名な北インドのヒンドゥスターニーや南インドのカルナーティックと比べるとぐっと素朴な印象のあるベンガル地方の伝統音楽に、これまた素朴な欧米風のアコースティックなフォークロックを融合したサウンドは、とても個性的であるだけでなく、この上なく美しく、やさしい。

やわらかい音作りが印象的なこのアルバムだが、アルバムタイトルの"Dofon"は、じつはベンガル語で「埋葬」という意味だそうで、このアルバムにはこんな不吉な言葉も添えられている。

'You'd be forgiven for mistaking this sunset as a thing of beauty; It's anything but. Our kind doesn't really deserve an ending like this, not after all we've done. Two suns will rage together in the evening sky, one brighter than the other: the light dispersing through the scattered clouds into a sinister maloon. You couldn't pick a more beautiful day for harbinger of the apocalypse.'

意味が取りにくい文章だが、強いて訳せばこんな趣旨になるだろうか。
「あなたがこの落日を単に美しいものだと誤解したとしてもしかたない。だが、これはそのようなものでは全くないのだ。夕暮れの空に、二つの太陽が猛り狂い、片方はより明るく輝く。その光は雲を散らし、不気味な色を放つ。黙示録の前兆として、こんなに美しい日はどこにもないのだ」

破滅的な響きをもつこれらの言葉は、いったい何を意味するのだろうか。
そして、彼らのユニークで心地よいサウンドはいったいどこから生まれてきたのか。
数々の疑問について、さっそく彼らにインタビューを申し込んで聞いてみた。


−いつ頃バンドを結成したんですか?全員コルカタ出身なのでしょうか?

「Sourjyoはアッサム州のSilcharという街の出身なんだ。彼は2013年にコルカタのJadavpur Universityに英文学を学びにやってきて、そこでShireenと出会った。二人は大学でいくつかの曲を共作して、そこから一緒に演奏するというアイデアが浮かんだんだ。それから、Sofar Kolkataでの最初のライヴのあとにDeepが加わった。1年後にファーストアルバムを出した後にSagnikが仲間に加わったんだ。
だから、Sourjyo以外はコルカタ出身だよ」

彼らから送られてきた資料によると、Whale In The Pondのメンバーは以下の4名。

Sourjyo Sinha: メインヴォーカル、ギター、作詞、作曲
Shireen Ghosh: プロダクション、ミキシング、バッキングヴォーカル、フルート、メロディカ
Sagnik Samaddar: キーボード、マンドリン、バッキングヴォーカル
Deep Phoenix: ギター、ベース、パーカッション、マンドリン、バッキングヴォーカル

メインヴォーカルとソングライターを務めるSourjyoを中心に、多彩なアコースティック楽器を演奏するマルチプレイヤーたちが集まったバンドのようだ。

−なるほど、だから"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"はSilcharで起きたことが歌われているんですね。この曲はベンガル語?それともシレット語(シレット語〔Sylheti〕は、 Sourjyoの故郷Silcharを含むインド北東部、バングラデシュ北部で話されているベンガル語の方言)ですか?

「うん。その通り。これはシレット語だよ。"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"と"Dofon"はシレット語で歌われている」

"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"のYouTube動画に添えられていた文章によると、この曲は、かつてSilcharでシレット語を話す人々の権利が蔑ろにされていたこと、命がけの抗議運動の甲斐あってやがてアッサムでもベンガル語(シレット語はベンガル語の一方言)が公用語に認められたこと、その後この地に広軌の鉄道が引かれ人々が歓迎したこと、その鉄道を引いた政府は他の人々に対して抑圧的な傾向があったが、Silcharの人々は自分たちが弾圧されるわけではないので気にかけなかったことなどが、皮肉を込めて歌われている。

−基本的にアコースティック楽器で演奏するというのがこのバンドのコンセプトなのでしょうか?ドリーム・フォークと呼ばれることもあるみたいだけど、自分たちの音楽をどんなふうにカテゴライズしますか?

「ドリームフォークって言葉は、僕らが思いついたんだ。最初のアルバムはドリームポップ的な美しさをアコースティック楽器で表現したものだったからね。ただ、さまざまなジャンルを試しているから、僕らの音楽をカテゴライズするのは難しいな。'インディーフォーク'で十分だと思うけど。
うん、僕たちはライブではアコースティック楽器をプレイしている。でも僕らが音楽を作るときは、どんなことでもやってみるよ。サウンドに関しては主にShileenが指揮しているんだ。自分たちの可能性を限定したりはしないよ」

−どんなふうに曲を作っているんですか?特定のメンバーが書いているのか、それとも共作しているんですか?

「Sourjyoが曲を書いて、基本的な構成を考えている。残りのメンバーは、それをリアレンジしたり、さらに別の要素を付け加えたりしているんだ。今ではもっと共作っぽくなっているよ。新作ではバンドメンバー全員がプレイしながら作ったからね」

ニューアルバムのタイトルトラック"Dofon"は7分を超える大曲で、メンバー全員が作曲に関わっているそうだ。

−なるほど、だからニューアルバムはさらに多彩な内容になっているんですね。ところで、このアルバムは「この世の終わり」をテーマにしたものだそうですね。このコンセプトについて、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

「ずいぶん長い話になるから、アルバムのビジュアルに取り掛かる前に書き留めた'Dofon'の基本的なコンセプトを送るよ。ビジュアルも合わせて送るね」

事前に読んでいたTelegraph Indiaによるインタビューで、Sourjyoは「"Dofon"は世界の終末をリアルに表現したコンセプトアルバム」と語っていた。
そのコンセプトについて彼らから送られてきた資料は、なんと12ページにも及ぶ詳細なもので、そこには「滅亡の叙事詩」とでも呼べるような、驚くべき内容が書かれていた。
あわせて送られてきた歌詞を読む限り、歌われている内容はむしろ抽象的であり、様々な解釈の余地を残している。
ところが、その背景にはかなり精緻かつ具体的な「破局の物語」が込められているのである。
もし、彼らの音楽を「やさしく、美しいもの」にとどめておきたい人は、このあとに続く文章を読まない方がいいかもしれない。


このアルバムの中の6曲は、すべて一つの大きな物語として繋がっており、端的に言うと、核によるホロコーストによって引き起こされる人類全体の終焉を描いているのだ。
「核による世界の終末」というコンセプトは、東西冷戦終結以降、あまり見なくなったものだが、隣国パキスタンと核保有国同士での緊張状態にあるインドでは、今なお核戦争が最もリアルな「破滅への道」なのだろう。
以下、それぞれの楽曲の趣旨を簡単に紹介する。

2曲めの"The Night's End"と1曲めの"Aaij Bhagle Kalke Amra Nai"は、対になっている曲だという。
"The Night's End"は、戦いが続く荒れ果てた土地で、シェルターを求めて逃げている母親が幼い子どものために歌っている歌である。
母親は死にゆく運命に絶望しながらも、「遠くないうちに夜が明ける」と歌い聞かせているのだ。
"Aaij Bhagle..."は、前述のように、もともとはSilcharでの出来事をテーマにした歌だったが、このアルバムの中では、戦争を起こした最高指導者に追従し、自分のまわり生活だけを考えて暮らしている人々を表現したものになっている。
つまり、この2曲は、同じ状況を二つの異なる側面から描いたものというわけだ。

5拍子のリズムにフルートの音色が美しい"Where Is Your Heart"は、"Aaij Bhagle..."の続編とも言える楽曲だ。
国を率いる最高指導者は、裕福で特権階級の影響力のある人々のことしか気にかけていなかった。
そして、そこではあなた自身も、多かれ少なかれ、富と権力を追求して生きている。
やがて人々はそのことに気がつくのだが、もはや未来を変えるには遅過ぎた…というのがこの曲の内容だ。


"Kite/Loon"は「絶望のバラード」。
この世界に間もなく終末が訪れることを受け入れ、途方に暮れつつも、空想にふけったり、違うことを考えたり、愛する人とともに過ごしている人々について歌われている。

アルバムの最後の2曲、"Nova"と"Dofon"も、同じテーマ、すなわち、核爆弾が落とされ人類が破滅する瞬間を、2つの側面から描いたものだという。
ラストを飾る"Dofon"の内容は、破滅の瞬間が近づいたとき、特権を持たない平民がシェルターを見つけ、「入れてくれ」とドアを叩くが、誰もその扉を開ける者はおらず、彼はその目で核爆弾が落とされるのを見届ける…というもの。

ラストから2曲目の"Nova"では、視点がシェルターの中に移る。
これは特権階級の人々の、この世の終わりのパーティーソングだ。
もしかしたら生き残れるかもしれないという希望を抱いている彼らもまた、滅亡することになる。
外側からドアを叩く音は、音楽のビートにまぎれて聞こえない。
助けを求める声もまた、音楽にかき消されて誰にも届かない。
ついに爆弾が落ちるのを見たとき、その声は激しい叫びへと変わってゆくが、誰もその叫びを聞く者はいない…。

初めて彼らの音楽を聴いた時、優しさの中にも文学的な深みを感じさせる音像にPink Floydを想起したのだが、このアルバムは、まさに70年代のプログレッシブ・ロックを思わせる詩的かつ壮大なコンセプト・アルバムだったのだ。
この"Dofon"を、まるでデビルマンのような、全く救いようのない「破滅と終末の叙事詩」と呼んでも差し支えないだろう。

Dofon

夕日の前で踊る男を描いたこの印象的なビジュアルは、ベーシストのSagnikの家に飾られていた60年前の絵がもとになっているという。
もともとは月夜の海辺で踊る男を描いていたこの絵は、恍惚の表情を浮かべ、踊りながら海に入り溺死してゆく男の狂気を描いたものだったそうで、彼らが考えていた作品のイメージにぴったりだったことから、背景にアレンジを加えてこのアルバムのカバーに採用されたそうだ。
インタビューに戻ろう。

−思ったよりもずっとディープな内容なんですね…。でも、世界中が厳しい現状にある今、Whale In The Pondの音楽は、ポジティブなだけのポップミュージックよりも、ずっと心を慰めてくれるような気がします。
ところで、かなり色々な音楽の影響を感じさせるサウンドですが、どんな人たちの影響を受けているか教えてもらえますか?

「かなりたくさんのアーティストやサウンドに影響を受けているよ。僕らはみんな好みが違うんだ。"Aaij Bhagle..."と"Dofon"は明確に地元の民謡の影響を受けているし、西洋音楽の影響も入っている。"Where Is Your Heart"はフラメンコから、"Nova"はボサノヴァとEDMの要素がある。
もしアーティストの名前を挙げるんだとしたら…時間がかかるな(笑)。とにかくたくさんのスタイルやサウンドを借りてきているから、僕らの好きな音楽やアーティストを寄せ集めたみたいな感じだよ」

−なるほど。では、好きなアーティストの名前を挙げるとしたら?

「The Beatles, Radiohead, Gorillas, Queen, Tame Impala, 少し名前を挙げるとしたらそんなところだね」

1960年代のビートルズから2010年代のTame Impalaまで、それぞれまったく異なる音楽性のバンドの名前が挙がったが、そのなかに彼らのようなフォークサウンドを特徴とするバンドはひとつも含まれていないというのが面白い。

−ところで、地元の民謡(フォークミュージック)から影響を受けているというお話が興味深かったのですが、それはベンガルの民謡ですか?それともシレットの民謡?

「ベンガル民謡も、シレット民謡も、アッサム民謡もだよ。そういった音楽が、僕らがいたところにはどこにでもあって、聴きながら育ったんだ。ひとつ例を挙げるとしたら'Ganja Khaiya Moghno Hoiya Nase Bhulanath'かな。誰が書いた曲かは知らないし、YouTubeにもいい音源が上がっていないんだけど。もしSilcharに来たなら、どこでも流れている曲だよ。日常文化の一部って感じさ」

いいバージョンが無いということなので、あえてリンクは貼らないが、'Ganja〜'という曲名からも分かる通り、どうやら大麻に関連した内容らしく、こうしたテーマゆえか、DJミックス(かなり民謡っぽいものだが)もたくさん作られている曲のようだ。

−すごく興味深いですね。日本では、これからタゴールに関するドキュメンタリー映画が公開されるところで、ベンガル文化への注目が少しずつ高まってきています。タゴールの詩やバウル・ソングのようなベンガルの文化からの影響はありますか?

「"Dofon"はバウルからいくらか影響を受けているのは確かだね。この曲ではPratul Mukherjeeの影響も受けている。でもラビンドラナート(タゴール)の影響は無いなあ。この街や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

Pratul Mukherjee(Mukhopadhyayとも)は1942年生まれの詩人であり、また同時に歌手でもソングライターでもある人物で、ベンガルで親しまれている大衆歌を多く作った人物だ。
彼がベンガルの文壇(あるいは音楽界)でどのような存在なのかは分からないが、詩人であり、ソングライターでもある(そして自分でも歌う)というマルチな才人ぶりは、タゴールやバウルたちとも重なるところがある。
自分の作った詩にメロディーをつけて歌にするというのは、ベンガルの伝統とも言えるものなのだろうか。
インドのロックバンドの中では極めて詩的な世界観を持つWhale In The Pondは、こうしたベンガルの歌びとたちの系譜の最先端にいると言ってもいいのかもしれない。
ちなみに"Dofon"は、彼の"Dinga Bhashao"という詩曲の影響を受けているそうだ。

−それでは最後の質問。コルカタのミュージックシーンはどんな感じですか?Parekh & Singhや、かつてのHighみたいに、コルカタには素晴らしいバンドがいますよね。地元のバンドでお気に入りはいますか?

「コルカタの音楽シーンはまた盛り上がってきているところだよ。唯一の問題は、インドの音楽シーンはデリーとボンベイに支配されてしまっているってことだね。だからなかなか僕らの言葉を広めることができないんだ。
僕らが気に入っている地元のアーティストの中では、Rivuは素晴らしいプロデューサー/ギタリストだよ。じつのところ、彼の新作"Incident 2019"は"Dofon"と同じような世界観のアルバムなんだ。僕らもちょっと意識したよ。
Paroma & Adilも素晴らしいアーティストだ。
いろんなバンドに参加しているDolinmanは、もともとFiddler's Green(ドイツのアイリッシュパンクバンドではなく、コルカタのフォーク・ジャムバンド)のメンバーで、"Dofon"でマンドリンを演奏して魔法のようなタッチを加えてくれた。
もちろん、Parekh & Singhも素晴らしいね」

インドの音楽シーンはデリーとムンバイに支配されてしまっている、というのは常々私も感じていることだ。
インドの大手音楽系メディアはこの2都市に拠点を置いているところがほとんどで、彼らのように優れたバンドであっても、東部のベンガル語圏や南部で活動しているアーティストは、なかなか紹介される機会に恵まれないのが現状なのだ。
そうした状況のなかで、コルカタのアーティストたちは、商業性やトレンドの追求ではなく、文学的とも言える独自の表現を研ぎ澄ませてゆく傾向があるような印象を受ける。

彼らがイチオシだというRivuは、彼らとはうって変わってエレキギター主体のインストゥルメンタル。
だが、インストにも関わらず、グレタ・トゥンベリのスピーチを導入するなどして、巧みに世界観を表現している。


Paloma and Adilはトリップホップ的なサウンドのアーティストだ。
このディープなサウンドと雰囲気に、この街の他のアーティストとも共通したものを感じてしまうのは偶然ではないだろう。


Fiddler's Greenは、地元のフォークミュージックにカントリーなどの要素を加えたアコースティックなジャムバンドだ。

軽快でここちよいサウンドの素晴らしいフュージョン・フォークバンドである。

コルカタはインドのなかでも、個性的で独自の世界観を持ったアーティストを多く輩出している街なのだ。

今回紹介したWhale In The Pondの"Dofon"は、絶望的なテーマを扱ったアルバムであるが、コロナウイルスの蔓延に世界中がおののいている今だからこそ、聴かれるべき作品であるようにも感じる。
彼らのあたたかいサウンドは、希望のない世界を描きながらも、不思議と癒やしを与えてくれるように思うのだ。
また、彼らはこのアルバムの物語を演劇にすることも計画しているという。
これもまた、いかにもベンガルらしい文化的かつ芸術的な表現へのアプローチだと言えるだろう。

それにしても、イギリス統治時代の中心地であり、そして独自の詩と音楽の文化を持ったベンガルのシーンの奥深さは計り知れない。
まだまだ紹介すべきアーティストが出てきそうだが、ひとまず今回はこのへんで!


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2020年04月10日

バウルとインドのポピュラーミュージック

前回の記事では、ベンガルの漂泊の歌い人であるバウルがボブ・ディランに影響を与えたと言われる説の真相を紹介した。


かつては「歌う賎民」のように扱われていたバウルは、タゴールによる再評価やディランへの影響、そして2008年にUNESCOの無形文化遺産に登録されたことにより、ベンガルの伝統文化の担い手として脚光を浴びるようになった。
それに加えて、物質的な社会に背を向けて生きるバウルは、南アジアでも資本主義的な価値観が加速してゆくにつれて、そうした風潮に違和感を感じる人々から、ある種の憧れの対象として見られるようになっていった。

一方で、バウルたちを取り巻く環境も、大きく変わっている。
従来、バウルは「マドゥコリ」と呼ばれる村の家々を回る托鉢によって生活していたが、物価の高騰や人々の価値観の変化によって、こうした伝統的な方法で暮らしてゆくことが困難になってきたのだ。
このような様々な背景から、バウルたちの生き方もまた多様化してゆくことになる。

本来は俗世を捨てて修行と歌と托鉢に生きるべきバウルだが、現在では、出家せずに、ウィークデーは働き、週末のみ師匠のもとに通う「在家」のバウルも増えつつあるという。
なかには、かつてのようなマドゥコリではなく、音楽愛好家の富裕層や観光客を相手に演奏したり、コンサートで歌ったりして収入を得るバウルも現れている。
また、修行生活を送ることなくバウル・ソングを歌う、非バウルのシンガーも出てきているようだ。

そうした者たちについて、「本物のバウルではない」とか「バウルではなくて単なる歌手だ」という意見もあるようだが、このようなバウルの「ポピュラー化」もまた、変わりゆく時代のなかで、今なおバウルという存在が魅力的でありつづけている証拠と見ることができるだろう。


さて、これまで何度もこのブログで紹介してきた通り、インドは、欧米からやってきたポピュラー・ミュージックとローカルの伝統音楽との融合が盛んに行われている国だ。
ロックに古典声楽の歌い回しを取り入れたり、ヒップホップのトラックに伝統的なリズムを引用したり、プログレッシブ・メタルに古典音楽の変拍子を導入したりしているアーティストが数多く存在しているのだ。




バウルの音楽は、本来は商業的で大衆的なポップミュージックとは対極にあるものだが、前述のようなバウルの再評価にともなって、バウル音楽もまたロックやヒップホップとの融合が試みられている。
考えてみれば、既存の価値観にとらわれず、アウトサイダーとして音楽に生きるというバウルの思想は、もともとロックのようなジャンルとの親和性が高いとも言える。
自国の文化に誇りを持つインドやバングラデシュのミュージシャンが、欧米のロックスターに憧れるのと同じようにバウルに憧れを抱くとしても、なんら不自然なことではないのだ。


まずは、バンガロールを拠点に活動するフュージョン・ロックバンドSwarathmaとLakhan Das Baulとの共演を紹介する。
(一部訂正しました。バウルにお詳しい方からコメント欄にてご指摘いただき、このLakhan Das Baulは映画『タゴール・ソングス』に出演していた人物とは別人とのこと。Bong Khepaさん、ありがとうございました!)
曲は、有名なタゴール・ソングの"Ekla Chalo Re"(ひとりで進め)。

前回の記事で、タゴールがバウルからの影響を受けているということに触れたが、今では逆にバウルがタゴールの作った歌を歌うことも珍しくないようだ。
演奏しているSwarathmaがベンガルではなく南部のバンガロール出身のフュージョン・バンド。
インド音楽で「フュージョン」といった場合、それは伝統音楽と西洋の音楽との融合を意味している。
ヒンドゥスターニーやカルナーティックといったかつての宮廷音楽や寺院音楽を取り入れるフュージョン・バンドが多い中、このSwarathmaはインド各地のフォークソング(土着の民謡)とブルースやレゲエとの融合に取り組んでいる異色のバンドである。
その高い音楽性から、Rolling Stone India等の音楽メディアでも頻繁に取り上げられている注目のグループだ。


続いては、1998年に結成されたコルカタのハードロックバンドFossilsが、ディランに影響を与えたバウルとして有名なPurna Das Baulと共演した"Je Jon Premer Bhaab Jane Na"を紹介する。
 
Purna Das Baulの歌声は2:50あたりから。
このPurna Das Baul, アルバート・グロスマンに見出されたことをきっかけに、ディランだけではなく、ボブ・マーリー、ミック・ジャガー、ティナ・ターナー、マヘリア・ジャクソン、ジョーン・バエズらとも共演したことがあるようで「最も国際的なバウル・スター」と呼んでもさしつかえないだろう。
(参考サイト:https://www.getbengal.com/details/purna-das-baul-the-man-who-took-bengals-baul-songs-to-the-global-stage


こちらもコルカタ出身のBolepur Bluezは、「本物」のバウルをヴォーカリストに迎えた「バウル・ロック・フュージョン・バンド」で、オーディション番組'India's Got Talent'でも高い評価を得たという。
初代ヴォーカリストはKartick Das Baul、のちに2代目ヴォーカルとしてRaju Das Baulという人物が加入したようで、「ロックバンドで歌うバウル」が何人もいるということに驚かされる。
この"Hridh Majare Rakhbo"は、ここまで紹介したなかではいちばんヘヴィでロック色の強い仕上がりになっている。



バウル音楽と西洋音楽との融合は、ロックに限らない。
コルカタ出身のラッパーFeyagoは自らのルーツをたどるため、シャンティニケタン(タゴールが大学を作った街として知られる)を訪ね、バウルとのコラボレーションを行なっている。
この取り組みはインドのウェブメディア、'101 India'が制作した"Hip Hop Homeland"というプログラムのウエストベンガル編として行われた企画で、かなり面白いコラボレーションになっている。

「かつてこの街で、チャンドラ・ボースは詩(ポエトリー)を抵抗の手段に使ったんだ。音楽で言えば、ヒップホップさ」とFeyagoはコルカタの歴史とヒップホップの共通点を指摘する。

「苦しみや悩みからの慰めを音楽の中に見出す」というテーマを古いバウル・ソングとヒップホップに見出したFeyagoは、シャンティニケタンのメラ(祭礼)で出会ったTarak Das Baulに、楽曲のコンセプトを語りかける。
「俺たち若者は、自分たちの母語も、バウル音楽も忘れてしまっている。だから新しい世代のビートと、伝統的なバウルのフォークミュージックを融合してみたいんだ」
そうして完成したのが、この'Baul Folk Hip Hop'だ。

ラップのリリックにボブ・ディランが出てくるところも実にベンガル的。
Tarak Das Baulも新しいリズムのうえで、のびのびと歌を披露している。
ちなみに、バウルには'Das Baul'(ダシュ・バウル)という名を持つものが多いが、Dasは「(神の)しもべ」を意味する言葉で、この名を持つバウルが必ずしも親戚関係にあるというわけではない。
カーストとも既存の宗教とも距離を置く彼らは、バウルになるとともにもともと持っていた姓(インドの姓名は、たいていが宗教やカーストと結びついている)を捨て、新しい名を名乗るのだ。
Das Baulはバウルたちが好んでつける名前のひとつである。


今回紹介したような新しいタイプのバウル・ソングを「伝統から外れたもの」として退けることもできるが、変わりゆく時代の中で、バウルの持つ魅力や受け入れられ方が多様化しているからこそ生まれた音楽として、ポジティブに捉えたほうが面白い。
こうした新しい取り組みがあってこそ、本来のバウルの伝統もその価値をいっそう増すはずだ。

それにしても、何百年も前からこのさすらいの歌い人たちを受け入れ、今ではその生き方にロックミュージシャンやラッパーまでも憧れているという、このベンガル文化の懐の広さはいったい何なのだろう。
コルカタやバングラデシュは、ながく貧困や難民のイメージを持たれてきた土地でもある。
だが、彼らが持つ伝統やことばの豊饒さを考えるとき、彼らと我々のいったいどちらが本当に豊かと言えるのか、だんだん分からなくなってくる。
しかも、ベンガルの場合、宮廷や富裕層ではなく、宗教もカーストも超越した放浪のアウトサイダーたちが、豊かな歌とことばの文化を受け継いでいるというところに、底知れぬ奥深さを感じてしまう。

ここのところベンガル料理が注目され始めているようだけど(とても美味しい!)、ベンガルの豊かさは料理のみにあらず。
バウルたちやタゴールが培ってきたベンガルの歌とことばの文化から、いまの我々が得られるものは、あまりにも大きいように感じている。


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goshimasayama18 at 00:58|PermalinkComments(3)

2019年05月19日

混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか


突然だが、みなさんは「インド音楽」と聞いて何を想像するだろうか。
今日では歌って踊る映画音楽が広く知られているが、インド映画が広く知られるようになる前であれば、インドの音楽といえば、古典楽器シタールの調べを思い浮かべる人が多かったはずである。
悠久の時間を感じさせるゆるやかなリズムの上を、異国情緒たっぷりの音色がたゆたうような旋律を奏でる。
そんなシタールの響きは、当時の人々がインドに抱いていた神秘的なイメージにぴったりだった。
(実際はインドの古典音楽は結構激しかったりするんだけど)

シタールは、古参のロックファンにとっては、60年代にジョージ・ハリスンやブライアン・ジョーンズがバンドサウンドにサイケデリックな響きを導入するために演奏した楽器としても有名だ。

1967年のモントレー・ポップでのラヴィ・シャンカルの演奏を聴けば、インド古典音楽(これはヒンドゥスターニー音楽)がロックファンをも魅了するダイナミズムと美しさ、そして即興の妙を持っていることが分かるだろう。

モントレー・ポップ・フェスティバルから五十余年。
いつもこのブログに書いているように、インドの音楽シーンも激変した。
そして今、かつてロックファンを虜にしたシタールの音色を、あろうことかロックのなかでも最も激しくうるさい音楽であるヘヴィーメタルと融合したバンドが登場したのである。
それも、1バンドだけではなく、複数のバンドがほぼ同時に出てきたというから驚かされる。
というわけで、今回は、インドだけが成し得た究極のキメラ・ミュージック、「シタール・メタル」を紹介します。

まず最初に紹介するバンドはMute The Saint.
古典音楽一家に生まれたシタール奏者Rishabh Seenを中心とするプロジェクトである。
2016年にリリースされたファーストアルバムから、"Sound of Scars".(曲は45秒あたりから)
 
ものすごいインパクト。
 速弾きから始まり、リフを弾いているあたりまでは、ギター風のフレーズを単にシタールで弾いているだけのような印象を受けるが、シタール特有の大きなベンディングやビブラートが入った旋律を演奏し始めると、曲の雰囲気は激変する。
硬質なメタルサウンドのうえで波打つようなシタールの響きが、唯一無二な音世界を作り上げているのが分かるだろう。
直線的なギターの音色と大きな波を描くシタールの対比も面白い。
この1曲だけで、シタールという楽器の特性と可能性を十分すぎるほどに理解できるはずだ。 

インド人のリズム隊とアメリカ人のギタリストに声をかけて制作されたこのアルバムは、なんとメンバーが一度も顔を合わせずに作られたという。
それぞれの場所で演奏するメンバー4人を映したこの"The Fall Of Sirius"では、より古典音楽色の強いシタールを聴かせてくれている。


Rishabh Seenは、もともと大好きだったMeshuggahやAnimals As Leadersといったテクニカルなメタルバンドの曲をシタールでカバーして、インターネット上で注目を集めていた。

Rishabhは、ムンバイのシンフォニック・デスメタルバンドDemonic Resurrectionによるヴィシュヌ神の転生をテーマにしたアルバム"Dashavatar"でもシタールを披露している。
インド広しと言えども、ヘヴィーメタルに合わせてシタールを弾くことに関しては間違いなく彼が第一人者だろう。
「メタルdeクッキング!メキシコ料理編(しかも健康に良い) Demonic Resurrection!」この記事で紹介している"Matsya"のシタールがRishabによるものだ。余談だがDemonic ResurrectionのヴォーカリストDemonstealerは料理番組の司会者兼料理人も務めている変わり種。興味がある方はご一読を)

そんなRishabが、満を持して自分のやりたい音楽、すなわちシタールとヘヴィーメタルの融合のために始めたプロジェクトが、このMute The Saintということになる。
彼らについては、日本の音楽サイト"Marunouchi Muzik Magazine"が非常に丁寧に紹介とインタビューを行なっているので、詳しく知りたい方はぜひこちらを参照してほしい。
Marunouchi Muzik Magazine 'NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【MUTE THE SAINT : MUTE THE SAINT】'
彼が「音楽的にはメロディック、リズム的にはダイナミック」と指摘するインド古典音楽とプログレッシブ・メタルの共通点は、インドでプログレッシブ系のロック(ポストロックやマスロックなどを含めて)が盛んな理由を読み解く鍵といえるかもしれない。
例えば、ソロの応酬や変拍子のキメ、深遠な精神性など、インドの古典音楽とプログレッシブ・ロックには、意外にも共通する特徴がいくつもあるのだ。
余談だが、このMarunouchi Muzik Magazineはヘヴィーミュージックを中心に多くのアーティストを紹介しており、以前当ブログでも紹介したプログレッシブメタル/インド古典音楽/ジャズ/EDMを融合した超絶バンドPineapple Expressにもインタビューを行うなど、インド方面にもかなり目配りが効いた内容になっている。
この手の音楽が好きな方はぜひチェックしてみるとよいだろう。

Rishabhが現在取り組んでいるバンドの名前は、その名もずばりSitar Metal.
音源のリリースこそまだしていないが、アメリカの技巧派インストゥルメンタル・ロックバンドPolyphiaのインド公演のサポートを務めるなど、早くも注目を集めている。

「リミットレスなインドの楽器シタールをフロントに据え、ヒンドゥスターニー音楽とヘヴィーメタルの融合を目指す世界初のバンド」というコンセプトのもと、今回は遠隔地のミュージシャンたちによるプロジェクトではなく、ライブパフォーマンスも行うバンドとして活動をしてゆくようだ。

古典音楽のエリートがここまでヘヴィーメタルに入れ込むというのはかなり突飛な印象を受けるが、Talvin SinghやKarsh Kaleといったタブラ奏者たちが「究極のリズム音楽」であるドラムンベース的なアプローチでエレクトロニカに挑戦したことを考えれば、シタール奏者が「究極の弦楽器音楽」であるヘヴィーメタルに取り組むというのも十分に理解できるような気がしないでもない。
(ここでいう「究極」は「音数が多い」という意味と理解してください。ちなみにRishabhはそのTalvin Singhとの共演を行うなど、メタル界にとどまらないジャンルレスな活躍をしている)
Sitar Metalは2019年にはアルバムリリースも予定されており、今年もっとも活躍が楽しみなアーティストのひとつだ。


もうひとつ紹介するバンドはParatra.
Samron Jude(2003年結成のムンバイの重鎮スラッシュメタルバンドSystemHouse 33のギタリスト)によって2012年に結成された、シタール奏者Akshat Deoraとの二人組ユニットである。
シタールの音色だけでなくエレクトロニック的なサウンドも取り入れた、これまた唯一無二な音楽を演奏している。
 
Akshatのプレイスタイルは、エキゾチックな音階を弾いてはいるものの、Rishabh Seenとは異なりファンキーなリズムを感じさせるより現代的な印象のものだ。

彼らが2017年にリリースしたアルバム"Genesis"(vol.1とvol.2の同時リリース)では、同じ楽曲をエレクトロニック・バージョンとメタル・バージョンでそれぞれ発表するという非常に面白い試みをしている。
エレクトロニック・バージョンのほうは、欧米の音楽シーンでサイケデリックを表す記号として長年いいように使われて来たインドからの、なんというかお礼参りみたいな印象を受ける音楽だ。

ビデオ・ドラッグ(古すぎるか)みたいな映像と合わせて彼らのサウンドを聴いていると、オールドスクールな感じのトリップ感覚が味わえて、なかなかに気持ちがいい。

彼らはメタルバンドであるにも関わらず、アジア最大(そして世界で3番目!)のエレクトロニック・ミュージックのフェスであるプネーのSunburn Festivalへの出演経験もあり、古典とメタルだけでなく、ダンスミュージックとの間にある壁も軽々と乗り越えている。

DJブースにはシタール奏者とヘヴィーメタルギタリスト、さらに脇には生ドラムという、なんだかもうわけが分からない状況だが、観客は大盛り上がりだ。

昨年はシッキム州出身の実力派ハードロックヴォーカリストGirish Pradhanをフィーチャーしたヨーロッパツアー(ノルウェーのゴシックメタルバンドSireniaのサポートとして)も行なっており、一部では世界的な注目を集めているようだ。

タイプこそ異なるが、唯一無二であることに関しては甲乙つけがたいインドのシタール・メタルバンド2組。
いずれもが、古典音楽とさまざまな音楽のフュージョンを躊躇なく行ってきたインドが生んだ新たなる傑作と呼ぶにふさわしく、ぜひとも日本でもその雄姿を見てみたいものである。
フェスとかで来日したら盛り上がると思うんだけどなあ。


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goshimasayama18 at 20:35|PermalinkComments(0)

2018年08月29日

フュージョン音楽界の新星! Pakshee

「フュージョン」といえば、前世紀頃の日本では、ジャズとロックの融合的な音楽ジャンルを指していたものだが、インド音楽で「フュージョン」という場合、それは「古典と現代」が融合した音楽ジャンルのことを指す。

今回紹介するデリーのバンド、Paksheeは、北インドのヒンドゥスターニーと南インドのカルナーティックという異なるスタイルの古典声楽をベースに持つふたりのヴォーカリストと、ソウル、ファンク、ジャズの要素の強いバンドメンバーとの絶妙のアンサンブルを聴かせてくれるインド・フュージョンロック界の新星だ。
まだスタジオ音源のリリースは2曲に過ぎないが、そのサウンドからは限りない可能性を感じさせてくれる。

まずは、彼らのデビュー曲、"Raah Piya" を紹介しよう。
Rolling Stone India誌が選んだ2017年のインドのミュージックビデオ・ベスト10の第5位にランクインしたビデオでもある。

タイトなリズムに浮遊感のあるヴォーカルが心地良い。
古典風に歌ってたと思ったら、ジャジーなピアノソロに続いてラップが入ってぐっと曲調が変わり、さらに最後のヴァースでヴォーカリスト2人がメインのパートとインプロヴィゼーションに分かれて掛け合いを始める頃には、あなたにもインドのフュージョン・ロックの魅力が最大限に感じられるはずだ。
インド声楽は慣れないと少しつかみどころがなく感じるかもしれないが、はまってくると独特のヴォーカリゼーションがとても心地よく感じるようになってくる。

続いて、彼らの2本目のビデオ"Kosh".
楽曲もビデオもさらに洗練されてきた!

今度はギターのアルペジオやリズムがちょっとラテンっぽい感じも感じさせる楽曲だ。
スムースな曲調が一転するのが3:20頃からの間奏で、ギターのノイズをバックに緊張感あふれる怒涛のリズムに突入する。
ここからさらにジャズ色の濃いピアノソロを経てヴォーカルに戻ってくる展開は圧巻だ。

"Kosh"のビデオを制作したのはデリーの映像作家Mohit Kapil.
「なぜ愛すのか、誰を愛すのか、どう愛すのか」というテーマで作成された映像は、困難の中にいる人々を扱った3つの独立したストーリーから成り立っている。
仕事と育児に追われるシングルマザー、作品を作りのための意思疎通がうまくいかないダンサーと写真家、衰えや痴呆と否応なしに向き合わされる老夫婦。
それぞれが日常の苦しみのなかから喜びや希望を見出してゆく過程は、計算し尽くされた美しい色調や構成とあいまって、短編映画のような印象を残す。

このPaksheeでユニークなのは、2人いるヴォーカリストのうち、一人はヒンディー語で、もう一人はマラヤラム語(南部ケララ州の言語)で歌っているということ。
全く異なる言語体系の両方の言語が達者な人はインドでもそう多くないはずだが、こうした言語の使い分け方にも何かしらの意図がありそうで、ぜひ彼らに聞いてみたいところだ。

この曲では、2つの言語で、
「いったい誰がミツバチのために花を蜜で満たすのか。誰が花を咲かせるのか」
「蝶は繭から孵るとき、いったいどうやって育ったのか。誰が育て、羽に色をつけたのか」

といった、生命をめぐる哲学的とも言える歌詞が歌われている。
("Kosh"はヒンディー語で「繭」や「宝のありか(金庫)」という意味とのこと)

Paksheeのサウンドは、楽器は西洋風、歌はインド風という比較的わかりやすいフュージョンだが、ジャズやロック的なインストゥルメンタルと古典音楽風のヴォーカルが不可分に一体化していて、先日紹介したPineapple Express同様に、フュージョンロックの新世代と呼ぶにふさわしい音像を作り上げている。

インドの要素の入ったロック」は昔から欧米のアーティストも多く作っているけど、この本格的な古典ヴォーカルを生かしたサウンドは本場インドならでは。
演奏力も高く、大きな可能性を秘めている彼らが、インドの市場でどのように受け入れられるのか、はたまた海外でも高く評価される日が来るのか、非常に楽しみだ。
まあどっちにしろ、世間の評価に関係なく私は高く評価しますよ。ええ。

それでは今日はこのへんで! 

goshimasayama18 at 01:00|PermalinkComments(0)

2018年08月12日

プログレッシブ・古典ミクスチャー・メタル? Pineapple Express!

どうもこんにちは。
軽刈田 凡平です。
さて、今回紹介しますのは、バンガロールのとにかく面白いバンド、Pineapple Express.
彼らは今年4月にデビューEPを発売したばかりの新人バンドなんですが、このブログの読者の方から、ぜひ彼らのことをレビューをしてほしい!とのリクエストをいただきました。
どなたかは知らぬが、おぬし、やるな。

Pineapple ExpressはDream TheaterやPeripheryのようなヘヴィー寄りのプログレッシブ・ロックやマスロックを基本としつつ、エレクトロニカからインド南部の古典音楽カルナーティック、ジャズまでを融合した、一言では形容不能な音楽性のバンド。
百聞は一見に如かず(聴くだけだけど)、まず聴いてみてください。彼らの4曲入りデビューEP、"Uplift".

01 - Cloud 8.9 0:00
02 - As I Dissolve 2:58
03 - The Mad Song 7:50
04 - Uplift 14:00

どうでしょう。
プログレッシブ・メタル的な複雑な変拍子を取り入れながらも、メタル特有のヘヴィーさやダークさだけではなく、EDMや民族音楽的なグルーヴ感や祝祭感をともなったごった煮サウンドは、形容不能かつ唯一無二。
結果的にちょっとSystem of a Downみたいに聴こえるところもあるし、トランスコアみたいに聴こえるところもある。
Pineapple Expressは中心メンバーでキーボード奏者のYogeendra Hariprasadを中心に結成された、なんと8人組。
バンド名の由来は、おそらくは2008年にアメリカ映画のタイトルにもなった極上のマリファナのことと思われる。

メンバーは、「ブレイン、キーボード、プロダクション」とクレジットされているYogeendraに加えて、
Arjun MPN(フルート)、
Bhagav Sarma(ギター)、
Gopi Shravan(ドラムス)、
Jimmy Francis John(ヴォーカル。Shubhamというバンドでも歌っている)、
Karthik Chennoji Rao(ヴォーカル。元MotherjaneのギタリストBhaiju Dharmajanのバンドメンバーでもある)、
Ritwik Bhattacharya(ギター)、
Shravan Sridhar(バイオリン。Anand Bhaskar Collectiveも兼任ということらしいが、あれ?以前ABCのことを記事に書いたときから違う人になってる)の8人。

8人もいるのにベースがいなかったり、ボーカルが2人もいたりするのが気になるが、2013年に結成された当初はトリオ編成だったところに、 Yogheendraの追求する音楽を実現するためのメンバー交代を繰り返した結果、この8人組になったということらしい。

1曲めの"Cloud 8.9"はプログレ的な変拍子、カルナーティック的なヴォーカリゼーション、ダンスミュージック的な祝祭感に、軽やかに彩りを添えるバイオリンやフルートと、彼らの全てが詰め込まれた挨拶代わりにぴったりの曲。
2曲めの"As I Dissolve"はぐっと変わって明快なアメリカンヘヴィロック的な曲調となる。
この曲では古典風のヴォーカルは影を潜めているが、彼ら(どっち?)が普通に歌わせてもかなり上手いヴォーカリストことが分かる。アウトロでEDMからカルナーティックへとさりげなくも目まぐるしく変わる展開もニクい。
3曲めはその名も"The Mad Song". 分厚いコーラス、ラップ的なブリッジ、さらにはジャズっぽいソロまでを詰め込んだ凄まじい曲で、このアルバムのハイライトだ。
途中で彼らの地元州の言語、カンナダ語のパートも出てくる。
こうして聴くとプログレ的な変拍子とカルナーティック的なリズムのキメがじつはかなり親和性の高いものだということに改めて気づかされる。
考えてみればインド人はジャズやプログレが生まれるずっと前からこうやってリズムで遊んでいたわけで、そりゃプログレとかマスロックとかポストロックみたいな複雑な音楽性のバンドがインドに多いのも頷けるってわけだ。
4曲めのタイトルトラック"Uplift"はフォーキーなメロディーが徐々に激しさと狂気を増してゆくような展開。

たった4曲ながらも、彼らの才能の豊かさと表現の多彩さ、演奏能力の確かさを証明するのに十分以上な出来のデビュー作と言える。

デビューEP発売前に出演していたケララ州のミュージックチャンネルでのライブがこちら。

よりEDM/ファンク的な"Money"という曲。
メンバー全員のギークっぽいいでたちが原石感丸出しだが、奏でる音楽はすでに素晴らしく完成されている。

日本でも公開されたボリウッド映画(武井壮も出てる)「ミルカ」ののテーマ曲のカバー、"Zinda"はライブでも大盛り上がり。



Yogheendraはこのバンド以外にも少なくとも2つのプロジェクトをやっていて、そのひとつがこのThe Yummy Lab.
インド音楽とキーボードオリエンテッドなプログレ的ロックサウンドの融合を目指す方向性のようだ。

演奏しているのは"Minnale"という映画の曲で、古典楽器ヴィーナの音色がどことなくジェフ・ベックのギターの音色のようにも聴こえる。

もうひとつのプロジェクトが"Space Is All We Have"というバンド。

このバンドはメンバー全員で曲を共作しているようで、Pineapple Expressとは違いインド音楽の要素のないヘヴィーロックを演奏している。


Pineapple Expressのヴォーカリスト、Jimmy Francis Johnと二人で演奏しているこの曲では、変拍子やテクニックを封印して、叙情的で美しいピアノを披露している。

どうだろう、とにかく溢れ出る才能と音楽を持て余しているかのようじゃないですか。
Yogeendra曰く、インドの古典音楽とプログレッシブ・ロックを融合させることは、意識しているというよりごく自然に出来てしまうことだそうで、また一人、インドのミュージックシーンにアンファン・テリーブル(恐るべき子供)が現れた、と言うことができそうだ。

今後の予定としては、スラッシュメタルバンドのChaosやロックンロールバンドのRocazaurus等、ケララシーンのバンドと同州コチのイベントで共演することが決定している模様。
kochirocks

Pineapple Expressが、少なくともインド国内での成功を収めるのは時間の問題だろう。
彼らのユニークな音楽性からして、インド以外の地域でももっと注目されても良いように思うが、プログレッシブ・メタル、インド伝統音楽、エレクトロニカというあまりにも対極な音楽性を融合したバンドを、果たして世界の音楽シーンは適切に受け止めることができるだろうか。
この点に関しては、試されているのは彼らではなくて、むしろ我々リスナーであるように感じる。
海外のフェスに出たりなんかすれば、一気に盛り上がって知名度も上がるんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。

Pineapple ExpressとYogheendraがこれからどんな作品を作り出すのか、インドや世界はそれにどんなリアクションを示すのか。
それに何より、この極めてユニークな音楽性のルーツをぜひ直接聞いてみたい。
これからもPinepple Express、注目してゆきたいと思います!
それでは! 

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「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 23:38|PermalinkComments(2)

2018年02月11日

欧米の「インド風ロック」と「インドのロック」の違い

さて、インドといえば60年代からロックに多大な影響を与えてきた国。
90年代、インドとロックが大好きな若者だったアタクシは、よく「インドに影響を受けたロック」を聴いていたものでございます。
でも、欧米人が演奏する「インド風ロック」は、本場のインドを知ってしまった身からすると、どこかやっぱり物足りなかった。

時は流れて2018年。
ここでも紹介しているように、インドにもロックバンド がたくさんいる時代になった。
その中にはインド音楽の要素が入ったバンドもたくさんいる。
ボンカレーしかなかった街にインド人が作る本格インドカレーのお店ができたようなものだ。
本場のインド風ロック!最高ではないか。
実際、素晴らしいバンドがたくさんいる。

で、インドのバンドをいろいろ聴いてみてあることに気がついた。

それはどういうことかというと、

「欧米のバンドがやっているインド風ロック」と「インドのバンドのインド風ロック」って、全然違う!

ということ。

それを今日はアタクシなりに説明したいと思います。
まあとにかく聴いてみてください。
まずは欧米のやつから行きますよ。「知ってるよ」って人は飛ばしてくれても大丈夫です。

やっぱりまずはビートルズから。
ジョンの曲でシタールが印象的なNorwegian Wood.

とりあえず手軽にインドっぽくするならシタール入れとくか、って感じだね。

同じくジョンで、サイケデリックなTommorow Never Knows.

ずっと同じ音程が続くドローン的な音を入れるのもインドっぽさを出すポイントの一つですな。
当時からインド風の要素とサイケデリックって、セットで出てくることが多かったよね。
ヨガとか瞑想とかドラッグとかで知覚の扉を開く、みたいな。

次。ビートルズでインドといえばジョージ。
シタールのラヴィ・シャンカールに弟子入りしたりもしてたよね。

おお、かなり本格的!ってか本格的すぎて普通のビートルズファンはこの曲好きじゃないと思う。
ドローン音にシタール、バイオリン的な楽器の漂うようなメロディーがヴォーカルとユニゾンと、インド要素満載!

ビートルズときたらストーンズ。「黒くぬれ!」(原題:Paint it, Black) 

全編にブライアン・ジョーンズのシタールだぜ!メロディーもそれっぽい感じにしてみたぜ!適当だけどな!俺たち不良だけどよ、インドっぽくしてみたぜ!って雰囲気だろうか。

時代は一気に90年代へ。久しぶりに出てきたインドかぶれバンド、Kula Shakerで "Tattva"をお聴きください。

Tattvaはサンスクリット語で「真理」とかそんな意味の言葉だったと思う。
同じフレーズを繰り返すマントラ的なAメロでインド的な要素を出した後で、ぐっとポップなBメロに続くところの解放感が素敵。
彼らのインドかぶれっぷりったるや相当なもので、実際にヒンドゥーの宗教歌のカヴァーとかもやっていたりする。


こうやって並べてみると、インドに影響を受けたロックって……もっとあるかと思ったけど、あんまりなかったな…。
60年代と90年代しか無いし、90年代はクーラシェイカーだけだし。
ヒッピームーブメントの頃からインド風ファッションを取り入れるミュージシャンも多かったから、実態以上にロックへのインドの影響って、大きく感じられるのかもしれない。
あと偶然だけど並べたバンドが全部イギリスのバンドだった。
ロックに豪快さとパーティーと反骨精神を求めるアメリカ人は、内省的なインド的要素と相性が良くないのかもしれないね。

はい、それじゃあ次は本場インドのバンドがインド音楽を取り入れた曲ってのを聴いてみてください!

以前紹介したことがあるAnand Bhaskar CollectiveさんのMalhar.

なんかイギリスのバンドと全然違うよね。とにかくこの歌!
演奏のコード感は逆にちょっとイギリスのツェッペリンっぽい感じもあるかな。

続いてはRolling Stone Indiaが選ぶ2017年のTop10ミュージックビデオにも選ばれていたニューデリーのバンド。
PakseeのRaah Piya.

これも全然違うぞ。
演奏部分はむしろファンク的にグルーヴしていて、でもまたしてもヴォーカルがどうしようもなくインド!
途中で唐突にラップするところもイカす。

どんどん行きましょう。インド風ロックというより、ロック風インド!AgamでMist of Capricorn(Manavyalakincharadate)。カッコの中の単語、南インドの言葉だと思うけど、長え!

エンヤっぽい感じで始まったと思ったら、歌い回しからエレキギターのフレーズまで、あらゆるところがインドだ。

…と、こんなふうに、イギリスのバンドとインドのバンド、インドっぽいロックをやるにしても、全然違った感じの出来になるのだから不思議。
インドっぽさの解釈、インドっぽさをどこで出すかがまるで違う。

イギリスのバンドとインドのバンド、それぞれがどの部分でインドっぽさを出そうとしているのか、まとめてみるとこんな感じになると思う。

 イギリスのバンドの中のインドっぽい要素
 ・シタールやタブラといった楽器の「音色」
 ・ずっと同じ音程が続くドローンノート
 ・マントラ的に繰り返したり、エスニックな旋律だったりするそれっぽいメロディーライン
 ・でも歌の発声自体はインドっぽくはなく、普通の英語のポップスやロックと同じように歌われる。

 イギリスのバンドがやるときのインドっぽい要素 
 ・とにかく歌い回し!
 南インドのカルナーティックや北インドのヒンドゥスターニー音楽に由来する独特に揺れて上下する音程。
 ・同様にギターやバイオリンといったリード楽器も、インド的な「音程の取り方、運び方」をする。
 ・でも演奏の核になるリズムや伴奏部分は、むしろ普通のロックだったりファンクだったりする(タブラやシタールといった記号的なインド楽器が使われることはない)。

と、こんな感じだ。
要は、イギリスのバンドが楽器の「音色」や「ドローン音」「メロディーライン」でインドを表現しているのに対して、インドのバンドは歌やリード楽器の「歌い回し・フレージング」でインド的な要素を出している。 

アタクシ、古典音楽には全然詳しくないのだけど、 どうもインドの古典音楽というのは、声楽がすべての基本となっていて、楽器の演奏も声楽を模したものとして表現されるという話を聞いたことがある。
ところが、そのインド古典声楽の歌い方は、ロックとも、西洋のいかなる音楽とも違う。
欧米人のロックミュージシャンがインド声楽を理解し、体得して表現するのは大変だ。
そもそも、それをやってしまうと、ロックの歌い方ではなくなってしまうし、そこまでインド音楽を本格的にやりたいわけでもないのだろう。

そこで、イギリスのバンドは、ロック的な楽曲に、声楽ではなく、インドの楽器の音色や、エスニックなメロディーラインを取り入れることでことでインドっぽさを演出することにした。
ありあわせの材料で作ったなんちゃってエスニック風料理に、インドのスパイスをふりかけてみました、みたいな感じと言えるかな。

いっぽう、インドのバンドたちは、ロックを演奏するのだから、基本編成はギター、ベース、ドラムス、キーボードといった王道の楽器で固めつつ、インドの要素を取り入れるために、インド音楽のすべての基本であるヴォーカルをまず取り入れることにした。
エレキギターなどのロックの楽器で本格的な古典音楽のフレーズを弾いて、さらにインドらしさを演出している人たちもいる。
(古典音楽の楽器でインドっぽいフレーズを弾いてしまうと、それはまんま古典音楽になってしまうので、インド人はやらないのだろう)
洋風の器に、本場のインド料理を盛りつけてみました、ってところかな。

とまあ、最近のインドの音楽をいろいろ聴いているうちに、こんなふうな違いを発見したって次第です。
だから何だよ、って言われても困るのだけどね。 

goshimasayama18 at 12:30|PermalinkComments(0)

2017年12月31日

オルタナ・ミーツ・インド Anand Bhaskar Collective

ここまで、インドのエレクトロニカ、インドのヒップホップと紹介して来たけど、今回は満を持してインドのロック!

年の瀬の大晦日にいったい誰が読んでいるのか分からないブログの更新をしている俺はいったい何をしているんだ、と思わなくもないが、気にせず進めよう。

そもそもインドといえばロック不毛の地。
今更な話をするとロックとインドの関係はかなり深くて、インドの音楽や思想は60年代の昔にはビートルズやヒッピームーブメント、90年代にはクーラシェイカーからサイケデリックトランスまで、西洋音楽に多大な影響を与えてきた。
にもかかわらず、インドのロックバンドが世界的に大きく活躍するってことはこれまでになかった。
その理由はと考えると、


・インドのヒット曲といえば、とにかく映画の挿入曲。インド古典にダンスミュージックが融合された独特の様式のものが主流で、ロックのマーケットがなかった。

・ロックに必要な楽器がインドでは非常に高価なものだった。 エレキギター、エレキベース、アンプ、ドラムセットいった楽器は、そもそもインド国内にはほとんど流通していなくて、仮にロック好きがいたとしても演奏のための楽器を購入することは難しかった。 とくに、貧富の差がそのまま階級や教養の差に直結していた時代には、裕福な層が志向する音楽はロックではなく、インドや西洋の古典(クラシック)が主だった。

・ロックの主なリスナー層になりうる「社会に漠然とした不満や不安を持った中産階級のモラトリアム期の若者」みたいな存在があまり存在していなかった。いわゆるカーストによる世襲制のもとでは、「自分は何者になるのか」みたいなことを感じながら過ごす時期なんてないだろうし。

と、あくまで私の予想ではあるんですが、こんなところじゃないかと思う。 ところが、

・経済成長により、きちんとした教育を受けて大企業に就職すれば誰もが裕福になれる社会になってきたこと

・その結果として、ロックのマーケットとなりうる「モラトリアム」を過ごす若者が増えてきたこと

・インターネットの普及で欧米の音楽や情報へのアクセスや用意になったこと

・いわゆる中産階級の拡大によって、楽器などが購入できる層が増えてきたこと

なんていう要因で、ロックはインドでも少しずつポピュラーになってきた。
そんなわけで、インドでも人気を得つつあるロックだけれども、まだまだロックはインフラが揃った都市部のある程度裕福で教養もある層の音楽であって、それ以上にポピュラーな存在にはなっていない、というのが今のインドの状況なようだ。

前置きが長くなった。
本日紹介するのは、Anand Bhaskar Collective.
通称ABCもしくはThe Collectiveと呼ばれてるらしい。
英語詞で英米寄りのサウンドを出しているバンドも多いなかで、ヒンディー語詞のインド風味あふれる独特のロックを奏でているバンドだ。
まずはこの曲を聴いてください。


素晴らしいでしょう。
欧米人がインド音楽の影響のもとに演奏したロックというのはたくさんあるけど、それとも違う独特のサウンド。

ヴォーカルのAnandさんの、古典声楽で培ったのであろう深いヴォーカルと、サウンドガーデンを思わせる90年代風のオルタナサウンドがとても印象的。
 

この曲のタイトルのHey Ramっていうのは、「おお!神よ!」と訳したら良いのかな。

Ramは先日紹介したBrodha Vの'Aatma Raama'と同じラーマヤーナの主人公の王子、ラーマ神のことで、「Hey Ram」というフレーズは凶弾に倒れたマハートマー・ガーンディーの最後の言葉としても知られている。

ヒンディー語は分からないけれど、どうやらインドのコミュナル紛争(簡単にいうと宗教に基づくコミュニティー同士の紛争。ヒンドゥーとイスラムの対立とか)について歌っているようで、「おお神よ、なぜ人は傷つけ合うのか」みたいなことを歌っているものと思われます。

この曲は2014年にリリースされたアルバム「Samsara」からの曲で、Samsaraは「輪廻」という意味。

ロックのアルバムタイトルが「輪廻」っていうのも凄い。

 

バンドのメンバーは。

Anand Bhaskar (vocals)

Chandan Raina (guitar)

Ajay Jayanthi (violin)

Neelkanth Patel (bass)

Shishir Thakur (a.k.a. Tao) (drums),

もともと、ヴォーカルのAnand Bhaskarのソロプロジェクトとして始まったところに、志を同じくするメンバーが加入してこの体制になったとのこと。

ロックバンドとしてはバイオリンがメンバーにいるのが珍しいけど、このAjayのバイオリンがAnandのヴォーカルと並んでサウンドにインド風味を出すのに大きく貢献している。
フレットがなくて音程が自由に変化できるバイオリンは、じつは南インド音楽ではよく使われる、インドでも非常にポピュラーな楽器だ。

彼らは影響を受けたミュージシャンとしてAlter Bridge, Creed, Audioslave, Pearl Jam, Soundgardenといったオルタナティブ、グランジのバンドを挙げている。 

続いてお届けするのはよりインド古典色の強いこの曲。

 

 
 

インド声楽特有のビブラートがこんなにオルタナロックサウンドにはまるとは思わなかった!

Anandの歌い回しは、結果的にだけどパール・ジャムのエディ・ヴェダーあたりの独特のよれる感じの歌い回しにも遠からずといった印象。

バイオリンのAjayも本領発揮してるね。

 

続いてこの曲。

 

 

イントロがもうちょっとメタル寄りっていうか、00年代以降のヘヴィーロックみたいなアレンジになってて、この曲はインド古典色よりロック色が強い感じ。

 

このAnand Bhaskar Collective、かなり大きな会場でもライブを行っているようで、曲も歌も演奏も素晴らしいということで紹介してみました。

そのうちインドのメタルなんかも紹介してみたいと思います。

今日はこのへんで!



goshimasayama18 at 15:18|PermalinkComments(0)