ドキュメンタリー

2023年09月03日

ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』について長々と語る



ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』の試写を見た。
インドの片田舎でダリト(被差別階級)の女性たちが運営する新聞社「カバル・ラハリヤ」(Khabar Lahariya)。
その記者たちが、過酷すぎる社会をジャーナリズムの力で変えてゆく様子を記録したこの映画は、2021年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門観客賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞など、世界各地で30以上もの映画賞を受賞した。
監督はスシュミト・ゴーシュとリントゥ・トーマスの二人が共同して手がけている。

テーマやタイトルを見て、インドや社会問題に関心がある向けの作品だと思われる方もいるかもしれないが、この映画は、インド的であると同時に、普遍的で深い「問い」を持つ、素晴らしい作品である。
(以下、いつもながらすごく長くなってしまったので、映画鑑賞後に読んだ方がよいかもしれません)



映画の舞台はインド北部のウッタル・プラデーシュ州。
インド最大の人口を誇るこの州には、タージマハルやガンジス川の聖地ヴァーラーナシーなどの著名な観光地があり、日本人旅行者にも馴染み深い場所だ。
しかし同州にはもうひとつの顔がある。
ウッタル・プラデーシュはインド有数の貧困地帯であり、さらに頑迷なヒンドゥー至上主義が強い土地でもあるのだ。

ジャーナリストのほとんどを高位カーストの男性が占めるこの地で、インドで唯一のダリト女性たちによる新聞社「カバル・ラハリヤ」は、2002年に産声を上げた。
ダリトとは、カースト制度の枠外に位置づけられた最下層の被差別民のことである。
記者たちが取材する現実は、ものすごく辛くてやりきれない。
ダリトの女性が男たちに繰り返しレイプされても、警察はまったく捜査に応じてくれない。
閉鎖された炭鉱でマフィアによる違法採掘が行われ、そこで働いていた家族が落盤事故の犠牲になる。
インドの貧困や差別について多少なりとも知っている人にとっては、どこかで聞いたことがあるような話かもしれない。
しかしスクリーンに映される現実は、これまで見聞きした以上に救いがなく感じる。
その理由は、このドキュメンタリーが貧困地域の被差別階級のなかでも、さらに抑圧された立場である女性の目線で描かれているからだろう。
世界最大の民主主義国インドには、2020年代になっても法も正義もない世界があたり前に存在しているのだ。

地方で悲劇が繰り返されても、大都市を拠点とするメディアはいちいち取材に来たりなんかしない。
だから問題は知られることなく放置され、強者と弱者の関係は永遠に変わることがない。
こうした過酷すぎる地方の現実を広く発信するため「カバル・ラハリヤ」の主任記者ミーラは、紙媒体としての新聞発行だけではなく、ウェブでの動画ニュースの配信を決意した。
だが、記者たちの中には、録画や配信に使うスマホに触れるのが初めてだという者も、スマホ操作に必要な英語が不得意な者もいる。
彼女たちは、「英語がわからないから銀行でお金がおろせなかった」とか「最初は村の外に出るのも不安だった」なんて吐露したりもする。
本当に大丈夫なのかと心配になってしまうが、使命感に燃える彼女たちの眼差しは力強い。
ドン・キホーテ的とも言える彼女たちの挑戦は、救いの存在しなかった社会に、ほんの少しずつ、希望と正義をもたらしてゆく。
…というのが、この映画の(ドキュメンタリーではあるけれど)一応のあらすじだ。


彼女たちは決してスーパーヒーローではない。
取材先では唯一の救いとして頼りにされても、家では夫や家族の無理解に苦しんでいる。
権力の闇を報道した報復として、いつか殺されてしまうかもしれないと怯えたりもする。
それでも、彼女たちが志を持って報道を続けているのは、何世代にもわたって続いてきた因習を打ち破る希望をジャーナリズムに見出しているからだろう。
政治家に高級そうなカメラを向ける男性記者たちのなかで、ただ一人スマホを掲げる女性記者の、なんと誇らしげなことか。

日本ではほとんどの人が持つスマホという武器を手に、人生を、社会を変えようと勇敢に行動する彼女たちを通して「じゃあお前はどうするんだ」という問いが私たちに突きつけられる。
私たちはどう生きるか。


彼女たちの前途が必ずしも希望に満ちているわけではない。
本来は苦しむ人々を救うべき政治の世界では、宗教が前景化して、極めて保守的な価値観を肯定するヒンドゥー至上主義が台頭してきている。
映画には、荒唐無稽とも言えるヒンドゥー至上主義者の若者が登場するのだが、記者は、彼をただの愚か者として取り上げたりはしない。
不寛容な彼もまた、貧しさと希望のない社会構造に苦しむ弱者でもあるのだ。
女性たちを抑圧する存在でもあるはずの彼に真摯に取材を重ねてゆくシーンは、この映画のハイライトのひとつだろう。


あんまり褒めすぎるのもなんなので、ネガティブな点も挙げておく。
ドキュメンタリー映画としての「演出」的な部分で、ちょっと不自然なところが散見されるのが、若干気になった。
例えば、記者が被差別カーストの女性に「どうしてこんなに村外れに暮らしているの?」と尋ねて、女性が「私たちは不浄だと考えられているからだ」と答えるシーン。
これは村社会に暮らすインド人だったら、聞くまでもなく分かっているはずのこと。
わざわざ尋ねたりしないだろう。
インドの田舎の保守性を、なじみのない人たちにも分かりやすく伝えるためのシーンなのだろうが、あえて説明的な発言をさせるのではなく、ナレーションや字幕で補うこともできたんじゃないだろうか。
そう感じた分部がいくつかあった。

また、インドでは、この映画の「主人公」である「カバル・ラハリヤ」の女性記者たちが、映画の内容について不満に感じているという、見逃せない報道もあった。
いくつかのウェブサイト(文末参照)によると、その内容は以下のようなものだそうだ。

  • 「カバル・ラハリヤ」は政治や社会問題などの深刻なテーマだけでなく、もっと日常的な話題も扱っている。

  • 「カバル・ラハリヤ」は、特定の政治的スタンスを取っているわけではない。与党だけではなく、全ての政党に対して厳しく責任を追及している。

  • 「カバル・ラハリヤ」は、ダリトの女性のみによって運営されているのではない。構成メンバーには、OBC(Other Backward Classes「その他後進階級」。ダリトのようにカーストの外に位置付けられているわけではないが、支援が必要なため優遇措置の対象となっているコミュニティ)や高位カーストやムスリムの女性たちもいる。


ひとつめの点については、「カバル・ラハリヤ」のYouTubeチャンネルを確認してみたところ、確かに硬派なニュースだけでなく、健康やスマホアプリの使い方など、多様なテーマを扱っているようだ。
記者たちが、自分たちの媒体がある種の「誤解」をされてしまうことを素直に快く思えないという気持ちは分かる。
だが、監督たちの目線で考えれば、限られた時間でテーマを伝えるための編集が必要だということも理解できる。
これは、ノンフィクション映画では避けられないジレンマだろう。

ふたつめの点については、おそらくはリベラルな(というか、反与党よりの)政治姿勢を持つ監督と、特定の主義ではなく「抑圧されるもの」の側に立つというスタンスで活動する記者たちとの考え方の違いによるものだろう。
「カバル・ラハリヤ」にとっては、保守的・ヒンドゥー至上主義的傾向を強める政治状況のなかで、必要以上に悪目立ちしたくないという意図もあるのかもしれない。

みっつめの相違も、分かりやすさを重視する監督たちと、正確さを尊重したい記者たちの立ち位置の違いによるものとみて良いだろう。
映画では「カバル・ラハリヤ」を、「ダリト女性によって運営されている」ではなく「ダリト女性によって立ち上げられた」と紹介しているので、もしかしたら立ち上げ時のメンバーは全てダリト女性で、その後で他のコミュニティの女性たちが加わったということなのかもしれない。
記者たちには、女性であることにはこだわりつつも、地域の問題を「カースト間闘争」という図式でのみ捉えてほしくないという意図があるのだろう。

いずれにしても、映画で紹介されているのは、かなり単純化された構図であり、現実はさらに複雑で、彼女たちは特定の政党やコミュニティに肩入れせずに活動している、ということに留意する必要があるようだ。
(9/5追記:なお、この記事を読んだ映画関係者の方から、上記の見解の相違があってもなお「監督と記者たちの関係は良好」という情報を伺った。草の根に根差した報道に携わる記者たちと、世界に向けて映画という手段で問題を提起する監督との方法論の違いはあっても、本質的に大事にしたいものは共通しているのだろう。それは映画からも大いに伝わってきた)


すでに十分すぎるほど長くなってしまったが、ふだんインドのインディペンデント音楽を扱っているブログとして注目した点をさらに2点ほど。


1点目は、映画のなかで、保守的なヒンドゥーの若者たちが、宗教パレードのシーンで、ヒンドゥーっぽくて、かつハードコアテクノ的なダンスミュージックに合わせて踊り狂っていたこと。
以前から北インドの後進地域に往年のロッテルダムテクノ的な音像の殺伐としたダンスミュージックが存在していることは気になっていた。
最初にこの手の音楽の存在に気がついたのは、2021年のSoi48パーティーにオンライン出演したDJ Tapas MTを聴いた時だった。



彼がプレイするサウンドの歪みまくった暴力的な音像もさることながら、インドからオンラインで参加していたファンたちの傍若無人っぷりがまたすさまじかった。
イベントの進行が1時間くらい押していたのだが、ファンたちは他のDJたちのプレイにはいっさい触れずに「Tapas MTを早く出せ」「このイベントはTapas MTの名前を使って集客している詐欺だ」(日本で知名度ないっつうの)みたいなコメントを書き込みまくっていた。
実害があったわけではないし(その後DJ Tapas MTの強烈なDJセットが披露され、ことなきを得た)、文化の違いとしては面白かったのだが、「遠く離れた異国のイベントで俺たちの地元のDJが出るってよ」みたいな温かさのまったくない、ひたすら殺伐としたファンのノリに衝撃を受けたものだった。

インド的な要素を取り入れたダンスミュージックといえば、かつてのゴアトランスはぐねぐねと曲がったサイケデリックなサウンドを特徴とし、初期においてはヒッピームーブメント発祥のピースフルなノリを持っていた。
だが、この地方のローカルDJが作るひたすら直線的で破壊衝動を鼓舞するようなサウンドは、同じインド的なダンスミュージックとはいえ、かつてのトランスとは真逆の方向性を志向している。
初めてこのサウンドを聴いた時に、これはきっとこの地域のナショナリズム的感情(と、それに基づくムスリム排斥などの暴力的な運動)と何らかの関連があるに違いないと思ったものだが、『燃え上がる女性記者たち』を見て、その予感は確信へと変わった。

ちなみにこの地域に同様のスタイルで活動するDJは他にも数多く存在している。







PAシステムの限界を超えたような歪んだ低音と、ひたすら扇情的かつ攻撃的なビート。
鬱屈した地方在住者の感情を発散させるために自然発生的に生まれたサウンドなのだろうが、音としては非常に面白いだけに、排他的な思想と結びついていることがただただ残念である。


インド音楽ブロガー目線で気になった2点目は、音楽担当としてTajdar Junaidの名前があったこと。
Tajdar Junaidは西ベンガル出身のシンガーソングライターで、2013年にアルバム"What Colour is Your Raindrop"をリリース。
コマ撮りアニメを使用した"Ekta Golpo feat. Satyaki Banerjee, Anusheh Anadil, Diptanshu Roy"のミュージックビデオでは、独特な作風で強い印象を残した。


最近名前を聴かないからどうしているのかと思っていたら、東京外大で2022年12月に上映されたインド北東部からデリーへの移民をテーマにした映画『アクニ デリーの香るアパート』の音楽担当としてその名前を見つけてびっくりしたのだった。
それに続いて、今度はこのドキュメンタリー映画で名前を見かけたのでまた驚いたというわけだ。

完全に映画音楽に移ってしまったのではなく、まだまだインディーミュージシャンとしても活動しているようで、1ヶ月ほど前には、ちょっとジプシーとかミュゼットみたいなスタイルで、同郷の伝説的ロックバンドMohineer GhoraguliのカバーをYouTubeにアップしていた。



西ベンガル出身のミュージシャンは、言語や地域的な問題からか、なかなか全インド的な人気を得ることが難しいようだが、彼は硬派な映画音楽にも活動範囲を広げながらしぶとく活動を続けているようだ。
また映画のエンドロールで彼の名前を見ることがあるかもしれない。


いろいろととりとめなく書いてしまったけど、『燃えあがる女性記者たち』、心のどこかに火がつく素晴らしい映画なので、ぜひたくさんの人に見てもらいたい。
上映は9/16から!

https://www.npr.org/sections/goatsandsoda/2022/03/26/1088862907/writing-with-fire-is-up-for-an-oscar-but-its-subjects-say-theyre-misrepresented

https://scroll.in/reel/1020016/khabar-lahariya-says-oscar-nominated-documentary-misrepresents-its-journalistic-work

https://thewire.in/film/writing-with-fire-savarna-caste-khabar-lahariya



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2022年02月18日

2/13(日)『タゴール・ソングス』出版記念上映&トークの話



2.13フライヤー

前回は映画と本の感想に終始してしまったので、今回は改めて、13日の『タゴール・ソングス』書籍出版記念上映&トークで佐々木監督とお話しした内容を書いてみます。
(内緒にしとこうかとも思ったのだけど、まだまだコロナが落ち着かない中、来場をあきらめた方もいるかもしれないので、こっそりとお伝えします)

まずは、佐々木監督が1月に(映画のほうの)『タゴール・ソングス』をひっさげて参加したダッカ国際映画祭の話題から。
少しだけ書籍版のネタバレをさせてもらうと、佐々木さんが映画を作ることになったきっかけのひとつは、学生時代にボランティアとして参加した山形国際ドキュメンタリー映画祭で、バングラデシュ人の女性監督に「ミカも映画を作ったらいいのに」と言われたことだった。
この場面は本当に素敵なので、ぜひ本を手に取ってお読みいただきたい。
そして、この本の最後の最後、謝辞の締めくくりに「ダッカにて」という言葉があるのだが、これは、バングラデシュ人監督の言葉で映画の道に進んだ彼女が、インド/バングラデシュで撮影した自分の映画を携えて再びバングラデシュを訪れ、映画祭のさなかにこの本を書き終えたことを表している。
本のなかには映画祭の話はまったく出てこないのだけど、なんだかぐっと来るめぐり合わせじゃないですか?

ところが話は感動のエピソードでは終わらない。
このダッカ国際映画祭が、とにかく凄かったらしい。
映画祭が行われた1月中頃は、バングラデシュでもオミクロン株が猛威をふるい、1億6,000万人ほどの人口に対して、連日1万人ほどの新規感染者が報告されているという状況だった。
バングラデシュの脆弱なインフラや過密さを考えれば、感染の実態は報告数をだいぶ上回っている可能性もある。

そんな中行われた映画祭では、オリンピックさながらの「バブル体制」が敷かれ、 自由行動がほとんど取れないという多国籍修学旅行状態(!)だったという。
「国際映画祭」と銘打ってはいるものの、バングラデシュと親和性の高い国からの出品が多く、南アジア各国やイラン、トルコなどの作品が目立っていて(他には一部ヨーロッパの監督も参加)、東アジアからの参加者は佐々木さんたった1人。


バブル体制とはいえ、現地の感染対策は結構適当なところもあったようで、常時マスクを着用している人はまれで、日々、身近なところで感染者発生の報告を聞くなかでの映画祭参加は不安も大きかっただろう。
それでも映画祭は続く。
期間中は、地元のバンドが演奏するパーティーが毎晩のように開催され、演奏に合わせて各国の監督が歌を歌わされる(!)という謎な企画もあったらしい。
ちなみに佐々木監督とは日本を代表して「ふるさと」を歌ったとのこと。
当然地元バンドの面々は日本の曲なんて知っているわけがないので、最初のところを少し歌ってみせて、あとはその場で適当に合わせてくれるというなんともフレキシブルなものだったという。
映像もちょこっと見せてもらったけど、ベンガル語のパーティーソングが歌われている場面では、南アジアの参加者が思いっきり踊り狂っていたりして、自分が想像していた「映画祭のパーティー」とのあまりのギャップに衝撃を受けた。
これ、佐々木監督だから良かったけど、南アジア耐性がない監督が参加してたらどうなっていたんだろう。

南アジア〜西アジアあたりの踊り好き、歌好きっぷりは映画関係者も同様だったようで、ランチの後にイラン人チームがテーブルを叩きながら大声で歌っている映像なんかもあって、いやはや自分の中の「映画祭」感が壊れました。

どうやら私は映画祭というのはヨーロッパ的な文化や習慣に基づいたものだと無意識に思い込んでいたようなのだが、考えてみればアジアで開催してるのに欧米っぽいやり方を踏襲する必要なんてまったくないわけで、ヨーロッパ的映画祭の縮小版をやるくらいなら、思い切ってこれくらいローカル感覚丸出しにしてくれたほうが面白いような気がする。

多国籍修学旅行(現地を代表する大河であるポッダ河にみんなで行ったりしたとのこと)のバスの運転手が大音量で謎のダンスミュージックを流しながら運転している映像も衝撃だった。

念のため書いておくと、佐々木監督は各プログラムにきちんとマスクをして臨み(他の国の人に「よくそんなにマスクしていられるね」と言われたとのこと)、連日行われたPCR検査も全て陰性で、かつ帰国後の隔離期間もきちんと過ごしたうえでの出版記念イベント開催ですので、ご安心を。

あと「海外あるある」だけど、「集合時間に行ってみたら主催者を含めた全員が遅刻していて自分しかいなかった」という話もしみじみと面白かった。
日本人にとって、約束の時間にどれくらい遅れて行けばちょうどいいのかというのは永遠の謎で、待たせてしまったら悪いという気持ちがどうしても先に立ってしまうが、そう考えた時点で負けなのだろう。


佐々木さんのお話のもうひとつの目玉は、『タゴール・ソングス』に登場した人たちのその後について。
これは映画を見た誰もが気になっていたことだろう。
映画の公開は2020年だったが、撮影は2017年から始まっていたそうで、スクリーンに映っている彼らからはじつは4、5年前の姿なのだ。

まずは、映画祭の合間に会うことができたというハルンさん(映画の冒頭に出てきたレコードコレクターで新聞記者の男性)。
映画の中ではタゴール・ソングをはじめとするレコードの収集家として登場した彼は、じつはレコード・マニアではなくオーディオ・マニアだったことが今回判明したそうで、今では副業として数百万円もする高級オーディオ機器の輸入販売を手掛けているという。
今行きたい場所は横浜のオーディオ・ショップとのこと。

ストリートチルドレンだったナイームくんは、音楽の道をあきらめたわけではないものの、今では縫製工場で働いているという。
現状に満足してはおらず、より良いキャリアを模索しているそうだ。

ラッパーのニザームは、その後も活動を続けており、昨年も政治的なテーマの楽曲を何曲かリリースしている。



インド勢のその後も面白い。
女子大生だったオノンナちゃんは、その後大学院に進み、モデルとして活動するかたわら、仲間たちとYouTuber活動も始めたようだ。

もしよかったらチャンネル登録もよろしく。


オミテーシュさんは、映画では触れられなかった困難を抱えつつ(書籍版参照)タゴール・ソングを歌い続けている。


オミテーシュさんのもとでタゴール・ソングを学んでいたプリタさんも歌い続けている。
今回は、英文学の研究者でもある彼女が、『シンデレラ』の映画にも使われたイギリス民謡の子守唄"Lavender's Blue"を歌っている動画を紹介。


オミテーシュさん、プリタさんの動画はこちらのチャンネルからたくさん見ることができる。


軽刈田からは、今回のテーマに合わせて、ベンガルの詩の文化とポピュラーミュージックの繋がりの深さを感じられる2曲を紹介した。

まずは、コルカタを代表するラッパーCizzyによる、ベンガルではタゴールと並び称される詩人であるカジ・ノズルル・イスラム(Kazi Nozrul Islam)をテーマにした楽曲"Nojrool"。


サウンド的にも伝統音楽の影響が感じられる、まさにレペゼン・ベンガルなラッパーだ。
Cizzyをはじめとするベンガルのラッパーについてはこのブログでも何度も紹介しているので、興味がある人はこちらの記事あたりからどうぞ。


彼は映画にこそ登場しないものの、書籍版『タゴール・ソングス』のあるエピソードに少しだけ登場する「コルカタの公園で出会ったラッパーたち」のひとりでもある。

Whale in the Pondは、ベンガルの詩人Pratul Mukherjeeから影響を受けているというバンド。
曰く、「自分たちはラビンドラナートの影響は受けてないな。この街(コルカタ)や州では誰もが彼の影響を受けているから、僕らが違う道を選んでいるっていうのはいいことだと思うよ。」

民謡っぽい素朴なメロディーから美しいコーラスにつながる展開が最高。
彼らについては、こちらの記事でインタビューを交えて紹介している。
「核戦争による世界の終末」をテーマにしたというコンセプトアルバムも興味深い。



まあそんなわけで、盛り沢山の出版記念トークでした!
出版記念上映&トークは、20日の回が残っているので、興味のある方はぜひどうぞ!

軽刈田は19日のアンジャリさんの会を見に行ったのだけど、映画もトークも最高でした。
前回も書いたとおり、本と映画、合わせて味わうと何倍にも楽しめるので、ぜひこの機会に!

最終回の20日は作家の安達茉莉子さんが登場します。





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2022年02月15日

インドとかタゴールとか関係なくみんな読んだらいいよ。佐々木美佳『タゴール・ソングス』出版!



2月13日(日)、東中野のポレポレ坐で行われた、佐々木美佳さんの『タゴール・ソングス』出版記念上映&トークでお話ししてきました。

このブログでも以前紹介した通り、『タゴール・ソングス』は、アジア人初のノーベル賞受賞者であり「詩聖」とも称えられるラビンドラナート・タゴールが作ったさまざまな歌とともに生きる人々を追ったドキュメンタリー映画。
今回は、映画を撮った佐々木監督による同名著書の出版記念のイベントだった。

2.13フライヤー
(これがそのフライヤー。調子に乗って文化人風に写っているプロフィール写真を使ってみた)

タゴールの名前を聞いたことがある人でも「タゴール・ソング」を知る人は少ない(っていうか、私も知らなかった)。
タゴールはインドやバングラデシュの国歌を作ったことで有名だが、彼はそれ以外にも2000以上もの歌を作り、それが今なおベンガル(タゴールが生きたインド東部の都市コルカタや、バングラデシュを含む地方)に暮らす人々の生きる支えや心の糧となっているのだ。

…なんて書くと、「ふーん、そうっすか。興味ないや、パス」って人も、多いことと思う。
でも、タゴールとかベンガル地方とか言われてもピンと来ないからといって、この作品をスルーしてしまうのは非常にもったいない。
この作品は、南アジア好きとか、詩が好きな人のためだけのものではまったくない。

ベンガルの地でタゴール・ソングに勇気づけられているのは、読者モデルみたいな今っぽい女子大生だったり、ストリートラッパーだったり、孤児院で育った若者だったり、元革命運動家の老人だったり、どこか影がある英文学研究者だったりと、とにかくいろんなタイプの人たちがいる。
コルカタやバングラデシュで暮らす人々のことを想像したことがある人は少ないと思うが、彼らが考えていることや感じていることは、日本にいるうちらとほぼおんなじである。
孤児院育ちのナイームくんとか、ラッパーのニザームくんとか、途上国特有の「まっすぐさ」みたいな部分がまぶしい人たちもいるが、とにかくみんな、夢や不安や現状への不満、苦い過去、いろんなものを抱えて生きている。

その彼らが、100年も前に作られた歌から、希望とか、慰めとか、理想とか、憧れとか、郷土愛とか、いろんなものを感じながら生きている。
それが、なんかすごくいいのだ。

きっとみんなブルーハーツや中島みゆきや、長渕剛でもあいみょんでもいいのだが、同時代のアーティストの歌に勇気づけられたことがあると思うが、それと同じような感じで、ベンガルの人たちは、タゴール・ソングからパワーをもらっている。

たとえば短いスカートを履いてクラブで踊るのが好きな女子大生のオノンナさんは、「私は崇められたくも、蔑まれたくもない。一人の人間として接してほしい」という歌を聴いて「これこそ私が言いたかったことよ!」と共感したり、同級生に「私だって詩人よ」と言ったりする。
「詩」というと、日本だと「ポエム(笑)」みたいな感じで冷笑的に扱われがちだが、ベンガルでは詩と人間との関係がとにかく素敵なんだな。


まあとにかく、映画『タゴール・ソングス』は機会があったらみんな見たらいい。

私はいつもこのブログに書いているように、ロックやヒップホップや電子音楽みたいな、サブカルチャー/カウンターカルチャー的な要素のある音楽が好きなのだが、ときに音楽そのものよりも、音楽とその音が鳴らされている社会との関係にぐっと来ることがある。
60年代のヒッピー・ムーブメントとか、70年代のパンクロックとか、80年代以降のヒップホップとか、90年代のグランジとか、みんな社会と若者との関係の中から生まれたものだった。
日本ならフォークから始まって、バンドブームとか、日本語ラップとかね。
そこで鳴らされるべき音があって、歌われるべき歌がある。
タゴール・ソングは、社会や個人の変化に合わせて100年間アップデートされ続けているムーブメントだと言っても良いかもしれない。
タゴールの詩には100年の年月に軽く耐えられる強度と普遍性がある。
そのことが何よりもぐっと来る。

音楽的な面でのタゴール・ソングは、素朴ながらもあまり掴みどころがないメロディーで、いわゆるポピュラー音楽とは違って「節がついた詩」といった印象だ。
率直にいうと、ベンガル語がわからない我々が純粋に音楽として聴いたときに、そんなに夢中になれるものではないような気がする。
そのタゴール・ソングを、歌そのものではなく、歌とともに生きる人々を軸に描くことで、誰もがぐっとくる作品に仕上げた佐々木さんのセンスが素晴らしい。

つい熱くなって語り過ぎてしまったが、そうだった、書籍版の『タゴール・ソングス』の話をするんだった。
これがまたすごくいい。
この本は、映画の解説や制作の裏話ではない。

映画ではカメラの後ろ側から視点を提供するという立ち位置に徹していた佐々木監督が、書籍版では、どんなふうにタゴール・ソングに惹かれ、どういうきっかけで映画を作ることになり、どんな縁でオノンナさん(例の女子大生)やナイームくん(ストリートチルドレン上がりの青年)やオミテーシュさん(元革命運動家の老タゴール・ソング歌手)と出会って、関係を築いていったのかがまっすぐな筆致で書かれている。
そしてもちろん、彼らの人生の中にはタゴール・ソングがある。

エピソードの合間に差し込まれる詩がまたいいんだなあ。
もちろん詩そのものが素晴らしいということもあるのだけど、自分のようなふだん詩なんて読まない人間にとっても、こういう人がいて、こんなふうに生きていて、この詩を糧にしているんだよ、という背景があると、すっと詩が自分の中に入ってくる。

それでまた訳がすごくいい。
これまで、タゴールの訳というと、「御身の慈顔を見た故に……」みたいな堅苦しい文語体のイメージが強かったのだけど、まあそれはそれで威厳があって良いんだけど、タゴール・ソングは今もポピュラーカルチャー的にみんなに親しまれているのだから、佐々木さんの平易な訳は、やっぱり絶対的な正解なんだと思う。
(ここで佐々木さんが訳した詩を引用したいけど、しない。この無粋な文章の中に入れたら、せっかくの『タゴール・ソングス』のいい流れの中で初めて触れる機会を奪うことになっちゃって申し訳ないので)

本は本として独立した作品として成立しているので、映画を見ていない人が読んだってまったく問題もなく楽しめるし、こう言ってはなんだけど、本だけ読んで映画を見なくたって、別にいい。

もちろん、映画を見てから読めば、「あの人にこんな一面があったのか」とか「あのシーンにこんな裏話があったのか」みたいなことが分かってよりいっそう面白いってのは間違いない。
私は逆に、今更時間は逆に戻せないので仕方ないのだけど、「本を読んでから映画を見る」という経験をしてみたかった。
スクリーンに映る彼らを見て「これがあの人か!」とか「これ、あのシーンだ!」とか「こんなことも言っていたのか!」とか、そういう感覚を味わってみたかった。

まあとにかく、映画と本、それぞれが個別の作品として成立していて、両方味わうと、単純に1+1が2になるのではなくて、もっと立体的で、心の中にぐーっと入り込んでくるような、数字で言うと無粋だけど、1+1が5になるくらいの充実感がある。


あと、この本は、装丁がすごくいい。
tagore-shoei

新書くらいの手に収まるサイズで、美しいうえに、しかもお風呂でも読める紙で書かれているらしい。
どこかに連れ出してもいいし、ゆっくり風呂に浸かりながら読むのも最高だ。
発行は、三輪舎さん。

(追記:↑と書いたら、Twitterで装丁をされた矢萩多聞さんから「表紙は防水加工されていますが、本文用紙は普通の紙なのでお風呂で読むと漏れなくヘナヘナになるとおもわれます~。ご注意を!」とのコメントをいただきました。みなさんご注意を!とはいえ、私はそれでもお風呂で本を読むのが好きなのですが、
  • 湯気の影響を直接受ける浴槽の上では読まないで、風呂の蓋の上で読む
  • タオルを2枚用意して、1枚は本を置く用、もう1枚は手や汗を拭く用にする
とすることで、本へのダメージを極力抑えることができます…って、風呂読書好きのみなさんはみなさんご存知のことと思いますが)


2月10日現在の取り扱ってくれる本屋さんはこちら
もちろん、お近くの書店で注文することも可能です。

ああっ。
本当はコロナ禍で13日のイベントに来られなかった人もいるかもしれないと思って、トークの内容を描こうと思っていたのに、『タゴール・ソングス』の感想文で終わってしまった。
イベントの内容は次書きます。




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2021年11月07日

インドからビートルズへの53年越しの回答! "Songs Inspired by The Film the Beatles and India"



ビートルズファンならご存知のとおり、インドは彼らに少なからぬ影響を与えた国でもある。
1960年代、若者たちの間では、ベトナム戦争への反対の機運が高まり、西洋の物質主義的な文化に疑問が持たれ始めていた。
インドの文化は、欧米の既存の価値観に変わるカウンターカルチャーとして注目され、ビートルズのメンバーたちも、1968年にヒンドゥー教の聖地リシケーシュにあるヨガ行者にして精神的指導者のマハリシ・マヘシュ・ヨギのアシュラム(修業場)に滞在して過ごした。

(その経緯と顛末は、このRolling Stone Japanの記事に詳しい)



インドに影響を受けたのはビートルズだけではなかった。
当時、The Rolling Stonesは"Paint It, Black"でシタールを導入しているし、インドの服をヒッピー・ファッションに取り入れるミュージシャンも多かった。
当時、ヨガや東洋的な神秘思想は、LSDなどのドラッグと並んで、新しい感覚を覚醒させ、悟りの境地に至るための手段として見られていたのだ。
その後も、90年代のKula Shakerのようなロックバンドや、ゴアトランスなどのダンスミュージックが、サイケデリックやエキゾチックやスピリチュアルを表現する手段として、インド音楽の要素を導入している。
ただ、その多くが、雰囲気づくりのための表面的な引用にとどまっているのもまた事実。
90年代、インドの旅から帰ってきた私は、彼らのサウンドに以前ほど夢中になれなくなってしまい、今でいうところの「文化の盗用」のようなもやもやした感覚を抱いていた。


時は流れて2021年。
いつもこのブログで紹介しているように、インドの音楽シーンもずいぶん進化・変貌した。
経済成長とインターネットの発展により、ヒップホップやEDMやロックといった欧米の音楽の受容が進み、今ではインド国内にもこうしたジャンルの優れたアーティストがたくさんいる。
そのなかには、きわめて優れたポピュラーミュージックを作っている人もいるし、西洋の音楽にインドの伝統的な要素を取り入れた独自の「フュージョン」を作り上げている人もいる。
つまり、20世紀にはインドから欧米への一方通行だった音楽的影響は、今では完全に双方向的なものとなっているのだ。

ビートルズのインド滞在に焦点をあてたドキュメンタリー映画"The Beatles and India"の公開にともなってリリースされた、インドのミュージシャンたちによるトリビュートアルバム"Songs Inspired by the Film the Beatles and India"は、いわばインドからビートルズへの、そして、インド音楽の要素をポピュラーミュージックのスパイスとして使ってきた西洋音楽リスナーへの、53年越しの回答なのである。

これが非常に面白く、そして素晴らしかった。
収録曲は以下の通り。


1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka
2. "Mother Nature's Son"  Karsh Kale, Benny Dayal
3. "Gimme Some Truth" Soulmate
4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj
5. "Everybody's Got Something to Hide (Except Me and My Monkey)" Rohan Rajadhyaksha, Warren Mendonsa
6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee
7. "Julia" Dhruv Ghanekar
8. "Child of Nature" Anupam Roy
9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
10. "The Continuing Story of Bungalow Bill" Raaga Trippin
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar
12. "I'm so Tired" Lisa Mishra, Warren Mendonsa
13. "Sexy Sadie" Siddharth Basrur, Neil Mukherjee
14. "Martha My Dear" Nikhil D'Souza
15. "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" Parekh & Singh
16. "Revolution" Vishal Dadlani, Warren Mendonsa
17. "Love You To" Dhruv Ghanekar
18. "Dear Prudence" Karsh Kale, Monica Dogra
19. "India, India" Nikhil D'souza


ビートルズの曲(一部ジョンのソロ作品)としては、ややシブめの選曲で、なかにはよほどのファンでないと知られていないような曲も入っているが、これらはいずれもインドと何らかのつながりのある楽曲たちである。
そして、いつもクソ長いブログを書いている身としては申し訳ないのだけど、インドとロック好きにとっては、語らずにはいられない要素が満載だ。

というわけで、蛇足とは思いながらも、"Songs Inspired by the Beatles and India"から何曲かをピックアップしてレビューさせていただきます!


1. "Tomorrow Never Knows" Kiss Nuka


オリジナルは1966年発表の"Revolver"の最後に収録されている、ジョン・レノンによる曲。
ジョンの「数千人ものチベットの僧侶が経典と唱えているような感じにしたい」という意図のもと、ワンコードで同じメロディーを繰り返したこの曲は、結果的にサイケデリックなクラブ・ミュージック的なサウンドをあまりにも早く完成させた楽曲となった。
その"Tommorow Never Knows"を、インドのアーティストが、コード進行のあるエレクトロニック・ポップとしてカバーしているということに、何よりも面白さを感じる。
このような、インド人アーティストによるビートルズの楽曲の「脱インド化」はこのアルバムの聴きどころの一つだ。
この曲をカバーしているKiss Nukaはデリー出身のエレクトロニックポップアーティスト。
映画音楽のプレイバック・シンガーとしてデビューしたのち、アイドル的な雰囲気のヴォーカルヴループ'Viva!'の一員としての活動を経て、ソロの電子音楽ミュージシャンとなった彼女の経歴は、現代インドの音楽シーンの変遷を体現していると言ってもよいだろう。
ビートルズがこの曲を発表した30年後の90年代には、イギリスのテクノユニットのケミカル・ブラザーズが"Setting Sun"や"Let Forever Be"といった曲でオマージュを捧げたが、そのさらに30年後の2020年代にインドのアーティストがこういうカバーを発表したということがこのバージョンの肝であって、アレンジがあざといとかサウンドがちょっと古臭いとかいうことは重要ではない。
優れたポップミュージックは輪廻する。


2. "Mother Nature's Son"  Karsh Kale, Benny Dayal


このアルバムの序盤最大の目玉といっても過言ではないのがこの曲。
原曲は"The Beatles"(ホワイトアルバム)に収録されたポール・マッカートニーによるマハリシ・マヘシュ・ヨギの影響を受けた曲。
カバーしているのはイギリス出身のインド系電子音楽アーティスト兼タブラ奏者で、クラブミュージックから映画音楽まで幅広く活躍しているKarsh Kaleと、インド古典音楽とR&Bという両方のルーツを持つBenny Dayal.
ビートルズのカバーをするならこれ以上ない組み合わせのこの二人は、これまでもKarshのソロアルバムなどで共演している。
インド的な要素とビートルズ的な要素が徐々に融合してゆく様が美しい。
このアルバムの聴きどころは、「脱インド化」だけではなく、こうした本場のアーティストならではの「インド化」でもあるということは言うまでもない。


4. "Across the Universe" Tejas, Maalavika Manoj


1969年に発売されたアルバム"Let It Be"に収録されている楽曲だが、はジョン・レノンによって67年には書かれていたという。
カバーしているのはムンバイを拠点に活動しているシンガーソングライターTejasとMali(この曲では本名のMaalavika Manoj名義でクレジット)。
インドの思想に傾倒していたジョンによる'Jai Guru Deve Om'という導師(または神)を讃えるサビのフレーズゆえに、このアルバムの収録曲に選ばれたのだろう。
ふだんは洋楽ポップス的な楽曲を発表しているTejasとMaliが、ここではニューエイジ的な音使いが目立つ、いかにもスピリチュアルなアレンジを披露している。
欧米や日本のアーティストがやったらこっぱずかしくなるようなアレンジだが、インド人である彼らがやるとなんだかありがたいような気もする。
これを、インド人が欧米目線のエキゾチシズムに取り込まれたと見るか、インド人である彼らがステレオタイプをしたたかに利用していると見るか。


6. "I will" Shibani Dandekar, Neil Mukherjee



ホワイトアルバム収録のポール・マッカートニーによる佳曲。
インドと関係なさそうなのになぜ選ばれたのかと思ったら、これもリシケーシュ滞在時に書かれた曲だそうだ。
プネー出身のシンガーShibani Dandekar(現在はオーストラリア国籍)とコルカタ出身のギタリストNeil Mukherjeeによるカバーで、バーンスリー(竹笛)とタブラが印象的。
これもいかにもインド的なアレンジだが、センス良く聴こえるのはアコースティックなサウンドと原曲の良さゆえか。
おいしいチャイを出す日あたりの良いカフェでかかっていたら素敵だと思う。


8. "Child of Nature" Anupam Roy

これは知らない曲だと思ったら、ジョン・レノンの名作"Imagine"(1971年)収録の名曲"Jelous Guy"の初期バージョンだそうで、これもやはりリシケーシュ滞在中に書かれた曲とのこと。
のちにオノ・ヨーコへの思いをつづった歌詞に改作されるが、当初の歌詞は、ポールの"Mother Nature's Son"と同様に、マハリシ・マヘシュ・ヨギの説法にインスパイアされて書かれたものだろう。
ビートルズのインド趣味は、ビートルズファンに必ずしも好意的に捉えられているわけではないが、こうした一見インドには無関係な楽曲の制作にも影響を与えていると考えると、やはりマハリシの存在は大きかったのだろうなと感じる。
カバーしているのは、映画音楽でも活躍しているコルカタ出身のシンガーソングライターAnupam Roy.
タブラとバーンスリーを使ったアレンジは、やや安易だが、原曲の良さが映えている。



9. "The Inner Light" Anoushka Shankar, Karsh Kale
 
原曲はビートルズのメンバーでもっともインドに傾倒していたジョージ・ハリスンによる曲で、インドの楽器のみで演奏されており、歌詞は老子の言葉からとられているという、東洋趣味丸出しの楽曲。
それでもジョンもポールもこの曲の美しさを絶賛しており、ビートルズによる「インド音楽」の最高峰と言っても良いだろう。
ジョージのシタールの師匠でもあるラヴィ・シャンカルの娘アヌーシュカとKarsh Kaleによるカバーは、「こういうことがやりたかったんだろ?まかしときな」という声が聴こえてきそうなアレンジだ。

 
11. "Back in the USSR" Karsh Kale, Farhan Akhtar

ホワイト・アルバム収録の原曲は、ポールによるビーチボーイズに対するオマージュというかパロディ。
どうしてこのアルバムに選曲されたのだろうと思ったら、どうやらこの曲もリシケーシュ滞在中に書かれたものだったからだそうだ。
当時のリシケーシュにはビートルズのメンバーのみならず、ビーチボーイズのマイク・ラヴも滞在しており、この曲の歌詞には彼の意見も取り入れられているという。
Karshによるドラムンベース的なアレンジは、'00年代のエイジアン・マッシヴ全盛期風で少々古臭くも感じるが、ここはイギリス人がインドでアメリカのバンドにオマージュを捧げて書いたソビエト連邦に関する曲を、タブラ奏者でエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーでもあるKarsh Kaleとボリウッド一家に生まれたFarhan Akhtar(『ガリーボーイ』の監督ゾーヤー・アクタルの弟)がクラブミュージック風にアレンジしているということの妙を味わうべきだろう。


15. "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" Parekh & Singh

1965年のアルバム『ラバーソウル』収録のシタールの響きが印象的な曲(主にジョンが書いたとされている)を、コルカタ出身で世界的な評価の高いドリームポップデュオ、Parekh &Singhがカバー。
シタールが使われていてたメロディーをギターに置き換えて「脱インド化」し、いつもの彼ららしい上品なポップスに仕上げている。
前述の通り、このアルバムの面白いところは、典型的なビートルズ・ソングをインド的なアレンジでカバーするだけではなく、インドっぽい曲をあえて非インド的なアレンジにしている楽曲も収録されているところ。
都市部で現代的な暮らしをしているインド人ミュージシャンたちにとっては、むしろこうした欧米的なポップスやダンスミュージックのほうが親しみのある音像なのだろう。



17. "Love You To" Dhruv Ghanekar


ジョージ・ハリスンがビートルズにはじめてインド伝統音楽の全面的な影響を持ち込んだ曲で、原曲は1966年のアルバム『リボルバー』に収録されている。
オリジナルではシタールやタブラといった楽器のみで演奏されていたこの曲を、ムンバイのギタリストDhruv Ghanekarは、ある程度のインドの要素を残しつつ、ギターやベースやドラムが入ったアレンジで「脱インド化」。
結果的にちょっとツェッペリンっぽく聴こえるのも面白い。



19. "India, India" Nikhil D'souza


これも知らない曲だったが、どうやら晩年(1980年)にジョンが書いた未発表曲で、2010年になってデモ音源がようやくリリースされた曲らしい。
よく知られているように、ジョンはリシケーシュ滞在中にマハリシ・マヘシュ・ヨギの俗物的なふるまいに嫌気がさして訣別し、その後"Sexy Sadie"(このアルバムでもカバーされている)で痛烈に批判している。
ソロ転向後の"God"でも「マントラ(神への賛歌)もギーター(聖典)もヨガも信じない」と、インドの影響を明確に否定しており、私は70年代以降のジョンは、すっかりインド的なものには興味がなくなったものと思っていた。
だが、この曲を聴けば、ジョンが、その後もインドという国に、若干ナイーヴな愛情を持ち続けていたことが分かる。
ラフなデモ音源しか残されていなかったこの曲を、ムンバイのシンガーソングライターNikhil D'Souzaが完成品に仕上げた。
ジョンらしいメロディーが生きた、素敵なアレンジで、インド好きのビートルズファンとしてはうれしくなってしまう。


他にも聴きどころは満載だが、(例えば、ジョン・レノンのソロ作品をパーカッシブなマントラ風に解釈したSoulmateによる"Gimme Some Truth"も、「ジョンってこういうアレンジの曲も書くよね!」と膝を打ちたなる)いつまで経っても終わらなくなってしまうのでこのへんにしておく。

インドのミュージシャンによる欧米ロックのカバーは、70年代にもシタール奏者のAnanda Shankarによるものなどがあったが、いかにもキッチュなエキゾチシズムを売りにしたものだった。
ロックをきちんと理解したアーティストによるロックの名曲をインド的に解釈したカバー・バージョンは、実は私がずっと聴きたかったものでもあった。

(その話はこの記事に詳しく書いてあります)


ビートルズへの53年越しの回答であると同時に、私の23年越しの願望にも答えてくれたこのアルバムを愛聴する日々が、しばらく続きそうだ。




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2020年06月14日

6月20日(土)ポレポレ坐(ポレポレ東中野1階)にて『タゴール・ソングNIGHT』開催!!



タゴールソングNight6.20



というわけで、6月20日(土)ポレポレ東中野1階の「Space & Cafe ポレポレ坐」にて、『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』を開催します。

  • 『みんなで聴こう!!タゴールソングNIGHT タゴールからバウル、ボブ・ディラン、ラップまで ー現代ベンガル音楽の系譜ー』
  • 6月20日(土)17:30 オープン、18:00 スタート(終了は21:00の予定ですが途中入退場自由です)
  • 会場:ポレポレ東中野1階 「Space & Cafe ポレポレ坐」
  • 1ドリンク付き 2000円
  • ご予約はこちらから:
  • https://pole2za.com/event/2020-6-20.html
  • コロナウィルス感染拡大へ対策として、定員を通常の50%の50名とさせていただきます。ご来場時は必ずマスクをご着用くださいますよう、お願いいたします。咳や発熱、その他体調に不安のある方はご来場をお控え下さい。
  • お問い合わせ TEL:03-3227-1445 MAIL:polepoleza@co.email.ne.jp

分かりやすいイベント名にしようとしたら、めちゃくちゃ長い寿限無みたいなタイトルになってしまいました。
タゴールにつながるベンガルの精神が、現代にどのようにに生きているのか、ベンガルの歴史やポップカルチャーに触れながら、いろんな楽曲とともに紹介したいと思っています。
先日のトークでも紹介したようなタゴール・ソングの現代風カバーや、独立後のコルカタやバングラデシュのインディー音楽(映画のために作られた音楽ではなく、その時代の若者たちが自発的に作った音楽)などを流しながら、佐々木監督、大澤プロデューサーと楽しいトークをする予定です。

(先日のイベントの様子はこちら)
 

そして、映画にも出てきたベンガル地方の流浪の行者/吟遊詩人であるバウルとボブ・ディランの関係や、こちらも映画で注目を集めたベンガルのラッパーやクラブミュージックなども紹介する予定。
意外なほど洗練された現代コルカタのアーティストたちをお楽しみに!
もちろん、撮影の裏話や、映画の登場人物の話題なども佐々木監督に話してもらいたいと思っています。
ここでしか聞けないトーク、聴けない音楽は、映画を見てから来ても、見る前に来ても楽しめること間違いなし!
ぜひみなさんお越しください!!

ご予約はこちらから!



ちなみに、このイベントのポスターに使われているタゴールのイラストは、新井薬師前のベンガル料理店「大衆食堂シックダール」のピンキーさんに書いてもらったものです。
とても美味しいベンガル料理が楽しめるお店なので、こちらもぜひどうぞ!


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goshimasayama18 at 21:32|PermalinkComments(0)

2020年06月04日

祝『タゴール・ソングス』劇場公開! 6/7(日)ポレポレ東中野でトークイベントを行います



  • 軽刈田 凡平 × 佐々木 美佳 監督のトークセッション開催!(軽刈田はオンラインで参加)
  • 会場:ポレポレ東中野
  • 日時:6月7日(日)18:00〜の上映終了後(19:45頃から30分くらい)
  • 映画のチケットをご購入いただければ、そのままご参加いただけます。

パンフレットに拙文を寄稿させてもらっている、傑作ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』。
公開直前にコロナウイルス禍で映画館が閉鎖になり、 急遽、オンライン上映の「仮設の映画館」で公開されていたこの映画、6月1日から待ちに待った劇場での公開が始まりました。


『タゴール・ソングス』は、100年前からベンガル(バングラデシュとインド東部の西ベンガル州)の人々に愛されてきた、タゴール作の「うた」がたくさん出てくる作品で、またコルカタやダッカの喧騒や、心地よい風が吹くベンガルの自然に思いっきり浸ってもらうためにも、ぜひとも劇場で見ることをおすすめします。
(私自身、最初に見たのはオンライン試写で、それでも大いに感銘を受けたので、お近くに上映館がない方は、ぜひ「仮設の映画館」でご覧ください)


そして、この素晴らしい作品にまた関わらせてもらう機会をいただきました!
6月7日(日)にポレポレ東中野での18:00〜の上映会の終了後(19:45頃)に、私、軽刈田 凡平と佐々木監督とのトークセッションを行います。
トークだけでなく、タゴールやベンガルにゆかりのある最近の楽曲たち(タゴールのいろんなカバーバージョンやヒップホップなど) の紹介なんかもしてみたいと思っています。

※時間も短いので、基本的にトーク中心で音楽をかけたりはできなさそうなのですが、その分濃いトークをお届けします!

こういう状況なので、劇場での直接のトークはまだできなくて、私は離れた場所からオンラインでの登場になりますが、30分くらいかな、短い時間だけどみなさんの前で佐々木監督とお話できるのを楽しみにしています!

映画未見の方は、絶対に心に残る素晴らしい映画なので、ぜひこの機会にご覧ください。
パンフの文章とは別に、以前書いたレビューはこちらです。


それからパンフレットも超お得です。
監督やタゴール専門家のインタビューや寄稿だけでなく、映画を何度も反芻できる、登場人物たちの言葉(映画全編分!)も収録されているので、映画の背景をより詳しく知るためにも、映画の感動をより確かなものにするためにも最適です。
ぜひ劇場や公式サイトでお求めください。
私が書いたタゴール・ソングと現代インドのインディー音楽シーンに関する文章も、佐々木監督に「激アツ」認定をいただきました。


「もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め 

 もし 誰もが口を閉ざすのなら 
 もし 皆が顔を背けて 恐れるのなら
 それでも君は心開いて 
 本当の言葉を ひとり語れ

 もし君の呼び声に誰も答えなくとも
 ひとりで進め ひとりで進め

 もし皆が引き返すのなら ああ 引き返すのなら
 もし君が険しい道を進む時 誰も振り返らないのなら
 いばらの道を 君は血にまみれた足で踏みしめて進め」
 (『タゴール・ソングス』パンフレットより)

映画に繰り返し登場するこの"Ekla Chalo Re"(『ひとりで進め』)をはじめ、劇中のタゴール・ソングの訳詞も、もちろん収録されています。

映画を見た誰もが感じるであろう、ベンガルの人々の心の豊かさ。
それは、ベンガルのひとたちが持つ、「言葉の豊かさ」でもあるんだな、と最近気がつきました。
もちろん、誰もが本を読んだり、歌を聴いたりして、自分の中の言葉の引き出しを豊かにすることはできる。
でも、タゴールの詩や歌詞をもとに、親子で議論したり、若い世代に伝えようと奮闘したりしているベンガル人たちの言葉の豊かさには到底かなわないな、とも感じてしまいます。
100年前の偉大な文学者の言葉を、ただ高尚でありがたいものとして扱うのではなく、今なお、愛し、口ずさみ、一人ひとりに寄り添ってくれる共有財産としているベンガルの人々が、なんだかうらやましいなあ、と強く感じる今日この頃です。

それではみなさん、6月7日(日)にポレポレ東中野で会いましょう!

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goshimasayama18 at 12:26|PermalinkComments(0)

2020年03月23日

『タゴール・ソングス』が描く「うた」と人間の理想的な関係

2020年4月18日(土)からポレポレ東中野で公開される映画『タゴール・ソングス』のパンフレットに少し感想文のようなものを書かせてもらっている。

 

というわけで、パンフの内容と若干重複するところもあるのだけど、ここであらためて映画『タゴール・ソングス』について書いてみたい。

そもそもの話になるが、タゴールという名前を聞いたことがある人でも、「タゴール・ソング」を知らないという人は多いのではないだろうか。(私もそうだった)
1861年、当時イギリス領インドの首都だったコルカタに生まれたタゴールは、数多くの詩や小説、戯曲を書き、詩集『ギタンジャリ』で、アジア人で初のノーベル賞(文学賞)を受賞した。
日本では詩人のイメージが強いタゴールだが、じつはその生涯で2,000曲を超える楽曲を作った「ソングライター」でもあった。
そのタゴールによって作られた「うた」がタゴール・ソングだ。
ヒンディー語では「ラビンドラ・サンギート」、彼の故郷の言葉であるベンガル語では「ロビンドロ・ションギト」という。
タゴール・ソングは今でもベンガルの地で愛唱されており、タゴールの歌とともに生きる人々を綴ったドキュメンタリー映画が、この『タゴール・ソングス』なのだ。

と、さも知った風なことを書いたけれども、これらは全てこの映画を見てから覚えたこと。
正直に言うと、最初にパンフレットの原稿の話をもらった時は、困ったなあと思ったものだった。
タゴールのことは名前くらいしか知らなかったし、100年前の大文学者である彼は、いつも私が追いかけている現代のラッパーやミュージシャンとはあまりにもかけ離れた存在だ。
はっきり言って、何も書ける気がしない。
ところが、気乗りしないまま軽い気持ちで試写を見てみたら、私はすっかりこの映画に夢中になってしまった。
そこに「うた」と人間との理想的な関係が描かれていたからだ。

誰にでも、大切な「うた」というものがあるだろう。
励ましてくれたり、慰めてくれたり、ときに生きる指針を示してくれるような「うた」。
あるいは、それはもっと暗い、やるせない孤独や憂鬱を肯定してくれるような「うた」かもしれない。
多くの人にとって、それは思春期に出会った、自分とほぼ同時代に作られた「うた」なのではないだろうか。
「歌は世に連れ世は歌に連れ」とはよく言ったもので、世の中が変われば人の心も変わるし、時代が変われば新しい歌が必要になる。
だから、ポピュラーミュージックにはその時代や社会で歌われる理由が必ずあるし、そうやって音楽は発展してきた。

ところが、ベンガルでは、現代の音楽だけではなく、100年も前に作られた「タゴール・ソング」が、今もなお個人の魂に寄り添ってくれる「うた」であり続けているのだ。
まるで、ポピュラー・ミュージックのように。
別に懐古的な老人や、伝統主義者たちだけではない。
ストリートのラッパーや、EDMやデスメタルも聴く音楽ファン、スラム育ちの青年、今風の女子大生まで、誰もがタゴールの「うた」に寄り添われて生きている。
念のために言うと、ここで「ベンガル」と書いているのは、コルカタを含むインド領ウエストベンガル州と、ベンガル地方の東部すなわちバングラデシュの両方のこと、つまりベンガル全域のことである。

別にベンガルに限らなくても、インド人は(南アジア人は、と言ってもよい)伝統をとても大事にしている人々だ。
このブログでもいつも紹介しているように、インドの若手ミュージシャンは、古典音楽の楽器や歌唱法をロックに取り入れたり、伝統音楽をサンプリングしてヒップホップのトラックを作ったりもしている。
ミュージシャンに限らなくても、南アジアには信仰を大事にしている人が多いから、そういう人たちは何百年、何千年前の言葉を日々祈りのなかで唱えていたりもする。
だが、この映画を見る限り、タゴール・ソングは、そういった「俺たちの誇るルーツ」とか「信仰」とは全く違うもののように思える。
なんというか、タゴール・ソングは、もっと普遍的で、かつ個人的な「うた」なのだ。

タゴール・ソングのテーマはさまざまだ。
『カントリーロード』や『ふるさと』みたいなものもあれば、ブルーハーツの『月の爆撃機』みたいなものもある。
ゲーテの詩みたいなものもあれば、黒人霊歌みたいなものもあるし、最近のアメリカあたりの女性シンガーみたいに「女性を自立した個人として扱ってほしい」と歌うものまである。

いずれにしても、100年も前の歌が、単なる伝統としてではなく、極めてリアルなものとして、現代を生きるベンガルの人々に語りかけているのだ。
映画に出てくる人々の年齢や宗教、階層や立場が極めて多様であるということからも、タゴール・ソングが持つ普遍性が分かる。
タゴール・ソングは、コミュニティや世代の違いを超えて、ベンガルの人々にとって特別な存在なのである。
いったいタゴール・ソングの何が特別なのだろうか。

ここまで書いてこう言うのもなんだが、私はタゴール・ソングの音楽としての素晴らしさについては、じつは今でもよく分かっていない。
メロディーは決してキャッチーではなく、つかみどころがない。
それに唱歌のようにシンプルに歌われるタゴール・ソングは、インドの古典音楽ヒンドゥスターニーやカルナーティックのように、ヴォーカリストの超人的な技量を味わうものでもないようだ。
シンプルな4拍子やワルツではなく、歌詞に合わせて拍が変わったりするから、リズムも取りにくい。
要するに、言葉を超えて伝わりやすい要素が、ほとんどない音楽なのだ。

これは、きっとまず初めに伝えるべき「ことば」があり、その「ことば」を活かすための抑揚として、メロディーが作られているからだろう。
おそらくだが、タゴール・ソングの本当の良さを理解するには、ベンガル語を正しく理解し、その表現や響きの美しさを感じられるようになることが必要なのではないか。
大詩人タゴールが作った「うた」は、きっと何よりも「ことば」を大事にした「うた」なのだ。
(「ソング」というよりも、「詩」に近いんじゃないか、ということで、私はさっきから「歌」ではなくひらがなで「うた」と書いている)

こんなふうに書くと、タゴール・ソングはベンガル語を解さない我々にとって、音楽的な魅力に乏しい「うた」のように思えてしまうかもしれないが、じつはこのことは、この映画の魅力にほとんど影響を及ぼさない。

歌を作る人は、自分の作品がいつまでも人々の心に影響を与えるものであってほしいと願うことだろう。
そして、歌を聴く人もまた、歌に自分の心にぴったりとはまる「ことば」を求めているはずだ。
そんな音楽と人間の理想的な関係が、100年前の「うた」と現代を生きる人々の間に存在している。
この奇跡のような事実を扱っているというだけで、この映画の面白さはもう半分以上決まったようなものである。
この面白さの前では、メロディーの「つかみどころの無さ」は、ほとんどどうでもいい要素なのだ。
『タゴール・ソングス』に出てくる人たちは、プロの音楽家も一般人も、それぞれがタゴールとの間に特別な関係を築いている。
その誰もが愛おしくて、彼らがときに誇らしげに、ときに自分を慰めるかのように歌うタゴール・ソングは、その歌い手の表情や佇まいを含めて、例えようもなく魅力的である。

もう一つ付け加えると、ベンガル人たちと「詩」の距離の近さもたまらなく素敵だ。
女子大生が会話の中で唐突に「私も詩人よ」なんて言い出したりしても、誰にも変に思われたりせず、自然と「無理するなって。君の詩、読んだことないけど」なんて返される。
そんなベンガル人たちと「ことば」との距離感は、とても好ましいもののように思える。
詩を全然読まない自分が言うのもなんだけど、本当は詩ってもっとこんなふうに身近にあるべきものなんだろうなあ。
いつから「ポエム(笑)」みたいになっちゃったんだろうか。

この映画を見れば、100年も前の「うた」とともに生きることができるベンガルの人々が、きっとうらやましく思えるはずだ。
それに、100年前の「うた」や「ことば」を糧に生きている彼らが、なんだかとてもかっこよくも見える。
さて、そうした「うた」も「ことば」も持たない我々は、どうやって生きてゆこうか。
映画『タゴール・ソングス』は、遠いベンガルの人々を見ていたはずなのに、そんなことを思わされる作品である。





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2020年03月02日

インディアン・カウボーイ!インド人カントリー歌手Bobby Cashのビリヤニ・ウエスタン!


「インディアン・カウボーイ」という言葉を聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか?
おそらく、ほとんどの人が、頭に羽飾りをつけたアメリカ先住民のカウボーイを想像するのではないかと思う。
ひょっとしたら、1970年代のB級マカロニ・ウエスタンにそんな映画があったかもしれない。
ところが、今回紹介するインディアン・カウボーイの「インディアン」はアメリカ先住民ではない。
このインディアン・カウボーイは正真正銘のインド人。
なんと、インド生まれのカントリー歌手がいるのである。

この一度聞いたら忘れられない異名を持つ男の名前は、ボビー・キャッシュ。
百聞は一見に如かず。
さっそく彼の音楽を聴いてもらおう。



どうだろう。
私はカントリーというジャンルには全く詳しくないが、それでもこのサウンドを聞けば、彼が決してイロモノではない、本格派のカントリー・ミュージシャンであることが分かる。
それに彼のファッションがまた堂に入っている。
テンガロンハットにウエスタン風のシャツ。
あまりインドには売っていなさそうなデザインの衣装は、本場で仕入れたのか、それともインドで仕立てて作ってもらったのだろうか。

この突然変異的なアーティストは、いったいどのように誕生したのだろう。
ボビー・キャッシュことBal Kishoreは、1961年、ヒマラヤをのぞむウッタラカンド州の街、クレメントタウンに生まれた(インドの片田舎にこんな英語の名前の街があったということにも驚いた)。
Kishore一家には、カントリーの本場テネシー州のナッシュビルに移住した叔母がいて、幼い頃から毎月彼らに最新のカントリーのヒット曲を送ってくれていたという。
幼いBalは、叔母が送ってくれる音楽に夢中になった。
やがて、彼らは叔父が作ってくれたギターで姉妹や従兄弟たちと演奏を始めるようになる。
彼の従兄弟は、小さい頃にインドを訪れたビートルズが、ヨガの聖地リシケシュに行くために彼らの住んでいた街を通り過ぎたことをきっかけに、ロックに目覚めたのだそうだ。
彼らがこのかなり早い時代に欧米の音楽に夢中になった理由のひとつに、ナッシュビルの叔母の存在に加えて、Balの曽祖父の代に彼らがクリスチャンに改宗していたということが挙げられるだろう。
やがてBalは、父が彼をBabuと呼んでいたことから、名をBobbyと改め、キショール(Kishore)というファミリーネームを英語風にCashに変えて、英語風にBobby Cashという名前での音楽活動を始める。
みるみるうちにギターの腕を上げたボビーだったが、クレメント・タウンにはプロのミュージシャンとして活躍する場などない。
彼は音楽教室を開いたり、インド軍を相手に演奏したりして活動していた。
カントリーを一緒に演奏する仲間がいなかったことが、プラスに作用することもあった。
彼は、ベースラインをギターで再現する独特のプレイスタイルを編み出したのだ。

彼の生き方もまた、本場のカントリー歌手のようなところがある。
家族想いで律儀な男なのだろう。
ボビーは、1995年に父親が亡くなるまで、故郷のクレメントタウンで過ごしていた。
父の死後、ミュージシャンとしてのキャリアを本格的に追求すべく、彼は初めて首都デリーに出てくる。

だが、首都とはいえ、当時のデリーにも、やはりカントリー音楽の需要などなかった。
私が初めてインドを訪れたのは1997年のことだったが、デリーのカセットテープ屋(当時のインドでは、主要な音楽メディアはCDではなくカセットだった)のオヤジでもロックというジャンルを理解していなかったのを覚えている。
世界的にとっくに流行の過ぎ去った時代遅れのカントリーミュージックとなれば、知らないのはなおさらのことだろう。
仕方なく彼は、ヒンディー語のポップスのアルバムを発表する。

当時台頭してきていた、'Indi-Pop'と呼ばれる非映画音楽のポップミュージックを志したものだったが、ボビーはやはり、カントリー音楽への情熱を捨てきることはできなかった。

数枚のアルバムを発表した彼は、デリーの5つ星ホテル、オベロイで演奏するなどして、なんとかミュージシャンとしての活動を続けていた。
だが、そんな彼にも転機が訪れる。
オーストラリア人の映像プロデューサーが、オベロイで演奏している彼を見て、地元のカントリー音楽フェスに招待し、その様子を撮影することにしたのだ。
2003年1月、ボビーがオーストラリアのニューサウスウェールズで行われたTamworth Country Music Festivalに出演したのは、41歳になってからのことだった。

果たして、本格的カントリーミュージックを演奏するインド人のニュースは、またたく間に話題となった。
この時の様子は、地元のテレビ局によって"The Indian Cowboy...One in a Billion"というドキュメンタリー番組として放送されている。


ボビーの幸運は続く。
彼の演奏を聴いたオーストラリアの裕福な農家が、アルバム制作の話を持ちかけたのだ。
こうして、彼は2004年に、オーストラリアのレーベルから、最初のカントリーアルバム、"Cowboy at Heart"をリリースする。
"Cowboy at Heart"、なんともいいタイトルではないか。
アメリカから遠く離れたインドに生まれ、西部のカウボーイとして生きているわけではないけれど、カントリーミュージックを愛する俺の心はカウボーイなのさ。
そんなボビーの心意気が伝わってくるようなタイトルのこのアルバムは、オーストラリアのカントリー音楽チャートに入っただけでなく、本場アメリカでも高く評価され、ナッシュビルのカントリーミュージック協会のベスト海外アーティストにもノミネートされた。
受賞こそ逃したものの、ブロードウェイでのパフォーマンスはスタンディングオベーションで称えられたという。

その後、彼は家族と故郷クレメントタウンで暮らしながらも、カントリーミュージシャンとしてはオーストラリアを拠点に活動し、何枚かのアルバムを発表している。

それにしても、世界的にメインストリームであるEDMやヒップホップのミュージシャンがインドにもいるのは分かるけど、カントリーのような、アメリカの伝統芸能とも言えるジャンルにも優れたインド人ミュージシャンがいるということには驚かされる。
ボビー・キャッシュの音楽を初めて聴いたときのアメリカ人やオーストラリア人の驚きは、きっとチャダやジェロの演歌を聴いた時の日本人と同じようなものだっただろう。
カントリーはなんとなく保守的な人たちが聴く音楽という印象を持っていたが、

彼がヒンディー語で発表した楽曲のなかには聴くべきものが少ないが、なかにはタブラとカントリースタイルのギターが融合したこんな楽曲もある。
この歌はどうやらヒンディー語のゴスペルのようだ。

カントリー調の歌声にタブラを合わせた驚くべき音楽性は、マカロニ・ウエスタンならぬビリヤニ・ウエスタン!

彼のことを扱ったドキュメンタリー番組のタイトル"Indian Cowboy...One in a Billion"同様、インディアン・カウボーイはインド広しと言えども、10億に一人の存在だろう。
インターネットの普及でさまざまな音楽に触れる機会が爆発的に増えてきたインドで、これからも、びっくりするようなジャンル(例えば、タンゴとかケルト音楽とか)で素晴らしい才能が出てくることが、ひょっとしたら、あるのかもしれない。

最後に、ボビー・キャッシュが演奏するエルビス・プレスリーの名曲をお届けして、今回の記事を終わりにしたい。



追記:
ちなみに彼のことを教えてくれたのは、以前このブログでもインタビューをお届けした、ムンバイ在住のPerfumeファンのインド人、Stephenです。ありがとう!


それからコルカタには、こんな本格的なブルース・バンドがいます。
いやはやインドは広い!



さらに追記:この原稿を書いた後に思いついた「ビリヤニ・ウエスタン」という呼び方が気に入ったので、タイトルと本文をちょっと変えてみました。

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goshimasayama18 at 19:56|PermalinkComments(0)

2018年06月03日

Ska Vengersの中心人物、Taru Dalmiaのレゲエ・レジスタンス

前回の記事で、デリーのスカ・バンドSka Vengersを紹介した。
彼らがレゲエやスカを単なるゴキゲンな音楽としてではなく、抑圧や専制に対する闘争の手段として捉え、 ヒンドゥー・ナショナリズムやインド社会の不正義と戦う姿勢を示していることは記事の通りだ。

Ska Vnegersの中心人物、Delhi SultanateことTaru Dalmiaは、バンド以外でもBFR(Bass Foundation Roots) Sound Systemという名義でジャマイカン・ミュージックを通した自由への抑圧に対する抗議行動を行っている。
アル・ジャジーラが製作した"India's Reggae Resistance: Defending Dissent Under Modi" はそんな彼の活動を追いかけたドキュメンタリーだ。



モディ政権後、ヒンドゥー原理主義が力を持ち言論の自由が脅かされつつあるインドで、Taruは音楽を通した闘争を始めるべく、クラウドファンディングで集めた資金でサウンドシステムを作り上げることにした。抗議活動の場で自由を求めるレゲエ・サウンドを鳴らすために。

サウンドシステムとは、ジャマイカで生まれた移動式の巨大なスピーカーとDJブースのこと。
クラブのような音楽を楽しむための場所がなかった時代に、音楽にあわせてラップや語りや歌を乗せるスタイルで、人々を踊らせ、音楽によるひとときの自由を提供するための手段として生まれた(やがて海を渡ってヒップホップやレイヴ・カルチャー誕生の揺籃ともなったのは、また別のお話)。

Taruにとってジャマイカン・ミュージックは自由のための闘争の手段。
「レゲエの本質に戻ってみると、サウンドシステムに行き着く。サウンドシステムは単なる積み重ねたスピーカーじゃない。音楽や自由を自分たちの手に取り戻し、ストリートに届ける手段なんだ」
彼の広い庭に巨大なスピーカーが組み上がる。
まったく歴史的、文化的背景の違うインドで、ジャマイカと同じようにレゲエを闘争の手段にしようとしている彼こそ、ヒンドゥー原理主義者ならぬレゲエ原理主義者なんじゃないか、という気がしないでもないが、彼はいたって真剣だ。

最初の活動の場は、デリーの名門大学JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)。
言論の自由を求める活動の中心地であり、Taruの出身大学でもある。
「同志よ!ジャイ・ビーム!ラール・サラーム!ジャマイカの奴隷農園の革命の歌を演奏する!」
「ジャイ・ビーム」とはインド憲法の起草者で、最下層の被差別階級出身の活動家、ビームラーオ・アンベードカルを讃える言葉。
カーストに基づく差別からの脱却のため、被差別階級の人々と集団で仏教に改宗した彼を讃えるこのフレーズは、改宗仏教徒など、旧弊な社会秩序に異を唱える人々の合言葉だ。
「ラール・サラーム(赤色万歳)」は、共産主義のシンボルカラーを讃える反資本主義者たちの合言葉。
Taruの言葉に活動家たちから歓声が上がるが、音楽をかけても人々は踊らない。
彼の思想には共鳴しても、レゲエなんて聴いたことがない彼らは、初めて耳にするリズムにどうして良いか分からずじっと座っているばかりだ。

すっかり盛り上がりに欠けたまま、やがて大学当局者に音を止めるように言われ、しぶしぶDJを止めるTaru.
すると当局の介入によって演奏を止められたことに抗議して、学生たちから自由を求めるコール&レスポンスが始まる。
皮肉なことに、音楽が止められたことで、抗議運動は初めて盛り上がりを見せたのだった。
やはりインドでレゲエを使った社会運動は無理があるのか。

それでもTaruはあきらめない。
次なる活動の場は幾多の大学を抱える街、プネーのFTII (Film and Television Institute of India)。
抗議行動をオーガナイズする学生組織とのミーティングで、Taruはこんなことを言われる。
「初めてレゲエを聞いたけど、僕たちの文化の中では共感を得にくいんじゃないかな。なんというか、エリートの音楽っていう感じがする。英語だし、ラップだから」
「欧米から来た音楽だからって、みんなエリートの音楽ってわけじゃない。ブロークンな英語で歌われている音楽なんだ」
Taruは反論するが、こう言われてしまう。
「僕たち活動家が理解できないっていうのに、どうやって一般の人々がそれを理解できるんだい?」
Taruの理想と現実の乖離を率直に指摘する言葉だ。

地元の人々に受け入れられるために、彼らの言語であるヒンディーやマラーティーをレゲエのリズムに乗せることにした。
レゲエをインドでの社会運動において意味あるものとするために、彼らの工夫は続く。
地元の社会派ラッパー、Swadesiにも声をかけた。
ジャマイカの大衆のための音楽が、少しずつインドの大衆のためのものに変わってゆく…。

憲法記念日。プネーで行われる野外コンサートの当日。
主宰者側はカシミール問題(パキスタンとの間の、ヒンドゥーとイスラムの宗教問題を含んだ領土問題)のようなデリケートな話題を持ち出し、当局に集会を潰されることを心配していた。
言論の自由を求める集まりであるにもかかわらず、だ。
「世界最大の民主主義国」インドの自由は微妙なバランスの上に成り立っている。

集まった人々に、Taruはこう語りかける。
「独立したはずのインドでも、最近じゃこんな雰囲気だ。でも、いつの日か正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになろう。俺たちは団結している。もし体制側のスパイがいたとしたっていい。一緒に踊ろう」
Taruがプレイするジャマイカのリズムに、地元の活動家たちがスローガンの言葉を乗せて行く。
地元の言語を使ったラップや、苦労した選曲の甲斐あってか、デリーのときとは違って観客も大いに盛り上がっている。

最後の曲の前に、Taruは「俺たちが求めるものは?」と観客に問いかけた。
即座に「自由(Azadi)!」との答えが返ってくる。
RSS(ヒンドゥー至上主義組織)からの、モディ政権からの、ヒンドゥーナショナリズムからの、企業のルールからの自由。コール&レスポンスは熱気を帯びてくる。
最後の曲は60年代のジャマイカン・ナンバー、Toots & Maytalsの"54 46 Was My Number".
警察の横暴を批判するスカ・ソングだ。

彼の言葉に、サウンドに、集まった人々は心のままに踊り始める。
このシーンは圧巻だ。
インド人は総じて踊りが得意だが、スカのリズムに合わせて魂を解放して踊る彼らは、とても初めてジャマイカの音楽を聴いたようには見えない。
まるで生まれた時からスカやレゲエを聴いて育ったジャマイカンたちのように見える。
音楽が、レゲエミュージックが、束の間であっても変革を求めるインドの人々に精神の自由をもたらした瞬間だ。

この映像は、インドにおけるレベルミュージック(反抗の音楽)としてのレゲエのスタート地点であり、現時点での到達地点の記録でもある。 

名門大学出身で大きな庭のある家に住んでいる彼が、ジャマイカのゲットーで生まれた音楽を、全く文化の異なるインドで大衆革命の手段としようとすることに、いささかのドン・キホーテ的な滑稽さを感じるのも事実だ。
今後、レゲエがインドでのこうした活動の中で大きな意味を持つかと考えると、正直に言うとかなり難しいんじゃないかと思う。(この映像を見る限りだと、もっとインドの大衆の理解を得やすい音楽や伝達方法があるように感じる)

でもレゲエやパンクやヒップホップに夢中になったことがある人だったら、音楽とは単なる心地よいサウンドではなく、人々の意識や社会構造に大きく働きかけるものであることを知っているはず。
そして、サウンドそのものよりも、そうしたスピリットの部分にこそ、音楽の本質があることを分かっているはずだ。
音楽好きとしては、音楽の力を信じて愚直に活動を続ける彼に、なんというかこう、ぐっとくるのを禁じ得ない。
ヒップホップに比べると、まだまだインドではマイナーな感があるレゲエミュージックシーンだが、今後こうした社会的な意味のあるジャンルとして根づいてゆくのかどうか、これからもTaruの活動に注目してゆきたい。

goshimasayama18 at 17:59|PermalinkComments(2)

2018年04月21日

本物がここにある。スラム街のヒップホップシーン ダンス編

これまで、Brodha VDIVINEBig DealJ19 Squadといったインドのヒップホップアーティストを紹介してきた。
インドのヒップホップシーンはここ数年爆発的に拡大・多様化していて、ストリート寄りのスタイルの彼らとは別に、Yo Yo Honey SinghやBadshahのように、ボリウッド的メインストリームで活躍するラッパーもいるし(Youtubeの再生回数は彼らの方がずっと多い)、BK(Borkung Hrangkhawl)UNBのようなインド北東部における差別問題を訴える社会派のラッパーもいる。
インドの古典のリズムとの融合も行われていて、各地に各言語のシーンがある

以前も書いたように、インドのヒップホップって、アメリカの黒人文化に憧れて寄せていくのではなく、自分たちの側にヒップホップをぐいっと引き寄せて、完全に自分たちのものしてしまっているような雰囲気がある。
いわゆる「ストリート」の描き方も、アメリカのゲットーを模したフィクショナルな場所としてではなく、オバチャンがローカルフードを売り、好奇心旺盛な子ども達が駆け回り、洗濯物が干してあるインドの「路地」。
インドのラッパーたちは、スタイルやファッションとしてのヒップホップではなく、自分たちが本当に語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて発信するという、ヒップホップカルチャーの本質を直感的に理解しているかのようだ。
なぜそれができているのかというと、ひとつには彼らが英語を解することが挙げられるだろう。
インドは、英語を公用語とする国では世界で最大の人口を誇る(実際に流暢に英語を話すのは1億〜3億人くらいと言われている)。
英語を解する彼らが米国のヒップホップに接したときに、ファッションやサウンドよりも、まずそこで語られている内容に耳が向けられたとしても不思議ではない。
そしてもうひとつ、インドには彼らが声を上げるべき社会的問題が山積しているということ。
貧富の差、差別、コミュニティーの対立、暴力、汚職。挙げていけばきりがない。
インドの若者たちがヒップホップに触れたとき、アメリカのゲットーの黒人たちのように、自分たちが語るべき言葉を自分たちのリズムに乗せて、ラップという形で表現しようと思うのは至極当然のことと言えるだろう。

でも、インドにヒップホップが急速に根付いた理由はきっとそれだけではない、というのが今回の内容。

さて、ここまで、「ヒップホップ」という言葉を、音楽ジャンルの「ラップ」とほぼ同義のものとしてこの文章を書いてきた。
でも「ヒップホップ」という言葉の本来の定義では、ヒップホップはMC(ラップ)、ブレイクダンス、DJ、グラフィティーの4つの要素を合わせた概念だという。
今回はその中のダンスのお話。
インドに行ったことがある人ならご存知の通り、インド人はみんなダンスが大好き。
各地方の古典舞踊をやっている人たちもたくさんいるけど、あのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオにも影響を与えたと言われるインド映画のダンスのような、モダンなスタイルのダンスも大人気で、道ばたの子ども達がラジカセから流れる映画音楽に合わせて上手に踊っているのを見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
(ちなみに、いやいや逆にインドの映画がマイケル・ジャクソンのミュージックビデオに影響を受けたんだよ、という説もある)

今回は、イギリスの大手メディア「ガーディアン」が、あの「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなったムンバイ最大のスラム街、ダラヴィで撮影したヒップホップのドキュメンタリー映像を紹介します。
タイトルは、Slumdogならぬ"Slumgods of Mumbai".
これがもうホンモノで、実に見応えがある。
まるでヒップホップ黎明期のニューヨークのゲットーのようだ(よく知らないけど)。



スラム街の中で誰に見せるともなくダンスする少年達。
束の間の楽しみなのか、やるせない境遇を踊ることで忘れたいのか。
ダラヴィに暮らす少年ヴィクラムに、母親はしっかり勉強して立派な職に就くよう語りかける。
教育こそが立派な未来を切り拓くのだと。
自分たちはきちんとした教育を受けることができなかったから、両親は息子の教育に全てを捧げて暮らしている。

だがヴィクラムには母親に内緒で出かける場所があった。
B BOY AKKUことAKASHの教える無料のダンス教室だ。
彼はここで同世代の少年たちとブレイクダンスを習うことが喜びだった。
でもヴィクラムは教育熱心な母親にダンス教室に通っていることを伝えることができない。
両親が必死に働いたお金を自分の教育のためにつぎ込んでくれていることを知っているからだ。

で、このダンス教室の様子が素晴らしいんだよ。
子ども達が自分の内側から湧き上がってくる衝動が、そのままダンスという形で吹き出しているかのようだ。
人生/生活、即ダンス。
踊る子どもたちの顔は喜びにあふれている。
でも、ヴィクラムは親に怒られないように、レッスンの途中で家路につかなければならない。
それを残念そうに見つめるAKKU.

誰もが金のために必死で働くダラヴィで、AKKUは、ダンスを通して子ども達に、生きてゆくうえで何よりも大切な、人としての「誇り」を教えようとしていた。
大勢の人たちの前で踊り、喝采を浴びることで、スラムの子ども達が自分に誇りを持つことができる。

だが、周囲の大人たちは適齢期のAKKUに結婚することを勧めていた。
結婚して夫婦の分の稼ぎを得てこそ、責任感のある人間になれると。
しかし二人分の稼ぎを得るには、ダンス教室を続けることは難しい。
AKKUは自分のダンス教室を通して、子ども達に誇りを感じてもらうこと、ヒップホップカルチャーの一翼を担うことこそが自分の役割だと感じていた。
自分がダンス教室をやめてしまえば、誰が子どもたちに誇りを教えるのか。
ヒップホップは彼自身の誇りでもあり、彼もまた葛藤の中にいる…。

AKKUは、ヴィクラムの両親の理解を得るべく、彼が内緒でダンス教室に来ていることを伝えに行くのだった。
だが、両親の理解はなかなか得られない。
ダンスよりも勉強こそがヴィクラムをよりよい未来に導くはずだと。
自分のダンス教室は無料だ、金のためにやっているわけではないと反論するAKKU.
さまざまな葛藤をかかえたまま、AKKUのヴィクラムへのダンスレッスンが続いていく。

そして迎えたある夜、薄暗い照明のダンス教室の中、ヴィクラムの両親も招待されたスラムのB BOYたちのダンス大会が始まった。
次々にダンスを披露する少年たち。
家では見せたことがないほど活き活きと踊るヴィクラムの姿に、両親もやがて満面の笑顔を見せる。
そう、我が子が一生懸命に打ち込む姿を喜ばない親はいない。
そして、コンテストの結果は…。

この物語のラストで、AKKUはヴィクラムに、あるプレゼントを渡す…。
いつも両親に「ミルクを買いに行く」と嘘をついてダンス教室に来ていたヴィクラムに、勉強して成功を収めるということとはまた別の、希望と誇りが託される場面だ。

このドキュメンタリーを見れば、音楽やダンスが抑圧された人々にとってどんな意味を持つことができるかを改めて感じることができる。
世界中の多くの場所と同様に、ここダラヴィでも、音楽やダンスが、日々の辛さを忘れ、喜びを感じさせてくれるという以上のものになっていることが分かる。
そして音楽やダンスがもたらす希望は、言葉や文化を異にする我々にも、普遍的な魅力を持って迫ってくる。

人はパンのみにて生きるにあらず。
貧しくとも、人はお金のためだけに生きているわけではない。
これはダンスやスラムについてではなく、人間の尊厳についてのドキュメンタリーだ。
ヒップホップは、ただの音楽やダンスではなく、本来はそうした人間の尊厳を取り戻すための営為なのだということに改めて気付かされる。
もちろんヒップホップを発明したのはアメリカの黒人たちだけど、ヒップホップというフォーマットは国籍や文化に関係なく、あらゆる抑圧された人たちが(抑圧されていない人でさえも!)共有できる文化遺産であるということを改めて感じた。

ダラヴィの生活は夢が簡単に叶う環境ではないだろう。
AKKUが今もダンス教室に通っているのか、彼らのうち何人が今もダンスを続けているのか、煌びやかなムンバイのクラブシーンで活躍できるようになったB BOYはいるのか、それは分からない。
でもこのドキュメンタリーからは、きっと何か感じるものがあるはず。

たったの13分で英語字幕もあるので是非みんな見てみて! 


追記: Youtubeで確認したところ、AKKUは今でもダンスを、ダンス教室を続けているようだ。
昨年行われたTEDxでのAKKUのプレゼンテーションを見たら、最後にダンス教室の生徒たちも出ていたけど、ヴィクラムの姿は確認できなかった。
成長して見分けがつかなくなってしまっただけなのか、ダンスをやめてしまったのか、たまたまここにいなかっただけなのか… 


goshimasayama18 at 00:15|PermalinkComments(0)