インド本

2019年05月24日

混ぜたがるインド人、分けたがる日本人  古典音楽とポピュラーミュージックの話

『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの[日本体験記]』という本がある(文春文庫)。
M.K.シャルマなる人物が書いた本を、インドに関する著書で有名な山田和氏が翻訳したものだ。
山田氏は、デリーの小さな書店で「日本の思い出」と題されたヒンディー語の私家版と思しき本を見つけて購入し、その後、奇遇にもその本の著者のシャルマ氏と知り合うこととなった。(曰く「9億5000万分の1の偶然」)。
この奇縁から、山田氏がシャルマ氏にヒンディー語から英語への翻訳を依頼し、それを山田氏がさらに日本語に訳して出版されたのが、この本というわけだ。

日本人のインド体験記は数多く出版されているが、インド人による日本体験記は珍しい。
シャルマ氏は、90年代初期の日本に滞在した経験をもとに、持ち前の好奇心と分析力を活かして、日印の文化の相違や、虚飾に走りがちな日本人の姿を、ときにユーモラスに、ときに鋭く指摘している。
全体を通して面白いエピソードには事欠かない本書だが、とくに印象に残っているのは、シャルマ氏が日本人の同僚とインド料理店を訪れた時の顛末だ。

私は料理同士をミックスさせ、捏ねると美味しくなると、何度もアドヴァイスをしたのだが、誰も実行しようとしなかった。混ぜると何を食べているのかわからなくなる、美味そうでない、生理的に受けつけない、というのが彼らの返事だった。
その態度があまりにも頑ななので、私は彼らが「生(き)(本来のままで混じり気のないこと)」と呼んで重視する純粋性、単一性への信仰、つまり「混ぜることを良しとしない価値観」がそこに介在していることに気づいたのである。
インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。

(同書「インド人は混ぜ、日本人は並べる」の章より)

その後、シャルマ氏は「日本食も混ぜた方が美味しくなると思うか」という質問に「そう思う」と本音で答えた結果、「それは犬猫の食べ物」と言われてしまったという。
インド人は様々な要素を混ぜ合わせることを豊穣の象徴として良しとし、日本人はそれぞれの要素の純粋性を尊重するという、食を通した比較文化論である。

なぜ唐突にこんな話をしたかというと、インドの音楽シーンにも、私はこれと全く同じような印象を受けているからだ。
彼ら(インド人)は、とにかくよく混ぜる。
何を混ぜるのか?
それは、彼らの豊かな文化的遺産である古典音楽と、欧米のポピュラーミュージックを混ぜるということである。
それも、奇を衒ったり、ウケを狙っているふうでもなく、まるで「俺たちにとっては普通のことだし、こうしたほうが俺たちらしくてかっこいいだろ」と言うがごとく、インドのミュージシャン達は、ごく自然に、時間も場所も超越して音楽を混ぜてしまうのだ。
日本では「フュージョン」と言うと、ジャズとロックとイージーリスニングの中間のような音楽を指すことが多いが、インドで「フュージョン」と言った場合、それはおもに伝統音楽と現代音楽の融合を意味する。

その一例が、前回紹介した「シタールメタル」だ。
古典音楽一家に生まれ育ったRishabh Seenは、シタールとプログレッシブ・メタルの融合に本気で取り組んでいる。

ヒップホップの世界でも、Bandish ProjektやRaja Kumariが古典音楽のリズムをラップに導入したり、Brodha Vがヒンドゥーの讃歌を取り入れたり、そして多くのラッパーがトラックに伝統音楽をサンプリングしたりと、様々なフュージョンが試みられている。


Bandish ProjektもRaja Kumariも、インド伝統の口で取るリズム(北インドではBol, 南インドではKonnakolという)からラップに展開してゆく楽曲の後半が聴きどころだ。

Eminemっぽいフロウを聴かせるBrodha Vの"Aatma Raama"はサビでラーマ神を讃える歌へとつながってゆく。

 Divineのトラックは、実際はテレビ番組のテーマ曲の一部だそうだが、伝統音楽っぽい笛の音色をBeastie Boysの"Sure Shot"みたいな雰囲気で使っている!
Divineはムンバイを、Big Dealはオディシャ州をそれぞれレペゼンするという内容の曲。トラックもテーマに合わせてルーツ色が強いものを選んでいるのだろうか。

伝統音楽との融合はヒップホップだけの話ではない。
Anand Bhaskar CollectiveやPaksheeといったロックバンドは、ヒンドゥスターニーやカルナーティックの古典声楽を、あたり前のようにロックの伴奏に乗せている。


タミルナードゥ州のプログレッシブメタルバンドAgamは、演奏もヴォーカルもカルナーティック音楽の影響を強く感じる音楽性だ。

例を挙げてゆくときりがないので、そろそろ終わりにするが、エレクトロニック・ミュージックの分野では、Nucleyaがひと昔前のボリウッド風の歌唱をトラップと融合させているし、古典音楽のミュージシャンたちも、ラテンポップスの大ヒット曲"Despacito"を伝統スタイルで見事にカバーしている。(しかも、彼らが使っている楽器のうちひとつはiPadだ!)



まったくなんという発想の自由さなんだろう。
異質なものを混ぜることに対する、驚くべき躊躇の無さだ。

翻って、我が国日本はどうかと考えると、我々日本人は、混ぜない。
最新の流行音楽に雅楽や純邦楽の要素を取り入れるなんてまずないし、ロックバンドが演歌や民謡の歌手をヴォーカリストに採用するなんてこともありそうにない(例外的なものを除いて)。
そう、日本は「分けたがる」のだ。
純邦楽は日本の伝統かもしれないけど、ロックやヒップホップとは絶対に相容れないもの。
民謡や演歌の歌い方は、今日の流行音楽に取り入れたら滑稽なもの。
素材の純粋さを活かす日本文化は、混ぜないで、分けることでそれぞれの良さを際立たせる。

いったいなぜ、日本人とインド人でこんなにも自国の伝統と西洋の流行音楽に対する接し方が違うのか。
なぜインド人は、何のためらいもなく古典音楽と最新の流行音楽を混ぜることができるのか。
その理由は、インドの地理的、歴史的な背景に求めることができるように思う。

よく言われるように、インドは非常に多くの文化や民族が混在している国で、公用語の数だけでも18言語とも22言語とも言われている(実際に話されている言語の数は、その何倍、何十倍になる)。
現在のインドは、もともとひとつの国や文化圏ではなく、異なる文化を持つたくさんの藩王国や民族、部族の集まりだった。
彼らは移動や貿易や侵略を通して、互いに影響を与えあってきた歴史を持つ。
11世紀以降本格的にインドに進入してきたイスラーム王朝もまた、インド文化に大きな影響を与えた。
かつての王侯たちは、異なる信仰の音楽家や芸術家たちをも庇護して文化の発展を支えていたし、イスラームのスーフィズムとヒンドゥーのバクティズムのように、異なる信仰のもとに共通点のある思想が生まれたこともあった。
インドの歴史は多様性のもとに育まれている。
こうした異文化どうしの交流と影響の上に成り立っているのが、インドの芸術であり、音楽なのだ。

また、スペインやポルトガルなどの貿易拠点となったり、イギリス支配下の時代を経験したことの影響も大きいだろう。
インド人は、かなり昔から南アジアの中だけでなく、東(インド)と西(ヨーロッパ) の文化もミックスしてきたのだ。
音楽においても東西文化の融合はかなり早い段階から行われていて、ヨーロッパ発祥のハルモニウム(手漕ぎオルガン)は今ではほとんど北インドやパキスタン音楽でしか使われていないし、南インドでは西洋のバイオリンがそっくりそのまま古典音楽を演奏する楽器として使われている。
 

彼らの音楽的フュージョンは、一朝一夕に成し遂げられたものではないのである。
彼らはスパイス同様、音楽的要素も混ぜることでもっと良くなるという思想を持っているに違いない。
そもそも例に上げているスパイスにしても、インド原産のものばかりではない。
例えば今ではインド料理の基本調味料のひとつとなっている唐辛子は、大航海時代にヨーロッパ人によってインドにもたらされたものだ。
古いものも、新しいものも、自国のものも、他所から来たものも、混ぜ合わせながら、より良いものを作ってきたという歴史。
その上に、今日の豊かで面白いフュージョン音楽文化が花開いている。
長く鎖国が続いた日本の歴史とは非常に対照的である。

日本の音楽シーンでは、ルーツであるはずの文化や伝統と、現代の流行との間に、深い断絶がある。
その断絶の起源が鎖国にあるのか、明治にあるのか、はたまた戦後にあるのかは分からないが、とにかく我々は長唄や民謡とヒップホップを混ぜようとしたりはしない。
というか、そもそも伝統音楽と流行音楽の両方を深く聴いているリスナー自体、ほとんどいないだろう。

日本人は、分ける。
インド人は、混ぜる。

と、ここまで書いて、ふと気がついたことがある。
スパイスや音楽については混ぜることが大好きなインド人も、なかなか混ぜたがらないものがある。
それは、彼らの「生活」そのものだ。
例えば、食。
スパイスについては混ぜることを良しとしている彼らも、食生活そのものに関しては、都市に住む一部の進歩的な人々以外、総じて保守的である。

牛を神聖視するヒンドゥーと、豚を穢れているとするムスリム、さらには人口の3割を占めるというベジタリアンなど、インドには多くの食に関するタブーがある。
それらは個人やコミュニティーのアイデンティティーと強く結びついており、気軽に変えられるものではない。
音楽に関する仕事をしていて、アメリカ留学経験も日本在住経験もあるとても都会的なインド人が、頑なにベジタリアンとしての食生活を守っている例を知っている。
その人は信仰心が強いタイプでは全くないが、生まれた頃からずっと食べていなかった肉を食べるということに、気持ち悪さのような感覚があるという。
(多様性の国インドにはいろんなタイプの人がいるので、あくまで一例。最近では逆にベジタリアン家庭に育っても、鶏肉くらいまでは好んで食べる若者もそれなりにいるようだ)
多くのインド人にとっては、小さな頃から食べ慣れた食生活を守ることが、何よりも安心できることなのだろう。

また、結婚についても同様に、インド人は混ぜたがらない。
ご存知のように、インドでは結婚相手を選ぶときに、自分と同等のコミュニティー(宗教、カースト、職業、経済や教育のレベルなど)から相手を選ぶことが多い。
保守的な地方では、カーストの低い相手との結婚を望む我が子を殺害する「名誉殺人」すら起こっている。(家族の血統が穢れることから名誉を守るという理屈だ)
 
一方、日本人は食のタブーのない人がほとんどだし、海外の珍しくて美味しい料理があると聞けば喜んで飛びつき、さらには日本風にアレンジしたりもする。
食に関して言えば、日本人は混ぜまくっている。
結婚に関しても、仮に「身分違いの恋」みたいなことになっても、せいぜい親や親族の強硬な反対に合うことがあるくらいで、殺されたりすることはまずない。
日々の暮らしに関わる部分では、日本人のほうが混ざることに対する躊躇が少なく、インド人のほうが分けたがっているというわけだ。
国や民族ごとに、人々が何を混ぜたがり、何を分けたがっているのかを考えると、いろいろなことが分かってくるような気もするが、話が大きくなり過ぎたのでこのへんでやめておく。


最後に、冒頭で紹介した山田和氏の「喪失の国、ニッポン〜」をもう一度紹介して終わりにする。
この本は、これまで読んだインド本の中で、確実にトップスリーには入る面白さで、唯一欠点があるとすれば、なんとも景気の悪いタイトルくらいだ。 
主人公のシャルマ氏は、花見の宴席を見て古代アラブの宴を思い起こし、「やっさん」というあだ名の同僚からペルシアの王ハッサンを想像してしまうぶっ飛びっぷりだし、後半では淡い恋のエピソードも楽しめる。 
実は、この本の内容は全て山田氏の創作なのではないかという疑惑もあるようなのだが(正直、私もちょっとそんな気がしている)、もしそうだとしても、それはそれで十分に面白い奇書なので、ご興味のある方はぜひご一読を!



インドのフュージョン音楽については、過去に何度か詳しく書いているので、興味がある方はこちらのリンクから!
混ぜるな危険!(ヘヴィーメタルとインド古典音楽を) インドで生まれた新ジャンル、シタール・メタルとは一体何なのか

「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」

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goshimasayama18 at 21:49|PermalinkComments(0)

2019年03月07日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後半)



(一応前回の続き。前回を読まなくてもとくに問題はないです)

一連のインドによるパキスタン領内への攻撃に対して、ソーシャル・メディア上で支持や祝意を表明している著名人も多い。

南アジアを遠く離れた日本でこうした知らせを聞く限り、核保有国同士の戦争の一歩手前である武力行使への礼賛は、どうしても受け入れがたく感じてしまう。
しかしながら同時に自分の国が度重なるテロに脅かされた経験などない我々に、彼らを批判する資格などないのではないかとも考えさせられる。
自国民を守るべき軍隊が、自国の脅威となるテロの根絶を図るのは当然とも言えるからだ。

では、対国家ではなく対テロならば他国領土への武力行使も容認すべきなのか。
そもそも今回の攻撃対象がテロの拠点だという証拠は本当にあるのか。
もしそうだとしても、多くの人々が、平和を愛する気持ちではなく、報復的な感情や敵意や愛国心にもとづいて歓喜の声を上げている状況を、どう解釈したらいいのだろうか。
もやもやした気持ちはなかなか晴れそうにない。

今回のインドによるパキスタン領内への空爆は、2月14日のカシミールでの爆弾テロへの報復的措置だと言われている。
カシミール問題は非常に根が深く複雑で、歴史を振り返るにしても、どの立場を取るかによっても大きく解釈が変わってくる非常にやっかいなものだが、ごく大まかに言うとこういうことになる。

1947年のインド・パキスタン分離独立時、カシミール地方では、ムスリムが大半を占める住民をヒンドゥーの藩王(マハーラージャ)が統治する体制が取られていた。
この時点で、カシミールには、

1.インド(ヒンドゥーがマジョリティーを占める世俗国家)への帰属
2.パキスタン(イスラーム国家)への帰属
3.独立

の3つの選択肢があった。
しかし、藩王国としての意思が表明される前にパキスタンがこの地域に武力介入して来たため、藩王はインドへの帰属を決意する。
インドも軍隊を派遣し、結果的にカシミールは南部をインド、北西部をパキスタンが実効支配することとなった。
(さらに言うと、このジャンムー・カシミール地域の北東部は中国が実効支配しているのだが、ややこしくなるので、今回は割愛する)

インド領となったジャンムー・カシミール州では、インドへの帰属に反対するムスリムの住民たちによる抗議運動が始まり、それを阻止するインド政府側との抗争で多くの犠牲者が出る悲劇が繰り返された。
過激派による暗殺やテロ行為、そしてそれに対するインド政府の弾圧によって、今日まで多くの一般市民が犠牲となっている。
カシミール情勢の泥沼化は、印パ両国の対立激化や、ヒンドゥー至上主義とイスラーム原理主義の台頭と結びつき、もはやどう転んでも誰かの逆鱗に触れてしまうという、大変な状況になってしまった。

こうした複雑かつデリケートなカシミールの歴史を、分かりやすく読むことができる小説が、インドのジャーナリスト、ヴィクラム・A・チャンドラ(Vikram A. Chandra)の「カシミールから来た暗殺者」(現代:"The Srinagar Conspiracy")だ。
前回紹介した「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(Bajrangi Bhaijaan)が、「宗教と国家のナショナリズムを、個人の絆と人間愛が乗り越えてゆく物語」だとすると、この「カシミールから来た暗殺者」は、「個人の絆や人間愛が、宗教と国家のナショナリズムによって分断され、蹂躙されてゆく物語」だ。

物語は1947年のカシミールから始まる。
印パ分離独立にともない国中が混乱する中、インド領カシミールに暮らすヒンドゥーのカウール家とムスリムのシャー家は、そうした情勢に関係なくお互いに結婚や孫の誕生を祝いあい、家族同然のつきあいを続けていた。
シャー家の人々は、イスラーム国家であるパキスタンに帰属することよりも、世俗国家インドでヒンドゥーの友人たちとも共存できることを喜んでいた。

カシミールをめぐる印パの抗争は続く1960年半ば、両家に相次いで男の子が生まれる。
カウール家に生まれたヴィジャイとシャー家に生まれたハビーブは、兄弟同然に育っていった。
ヴィジャイの夢は父の跡を継いで軍人になること、ハビーブの夢は高級官僚だ。
カシミールの美しい自然の中、ハビーブはカウール家にショールを売りに来る身寄りのないムスリムの少女ヤースミーンに淡い恋心を抱き、3人は友情を育みながら大きくなってゆく。
  
だが、インドとパキスタンとの対立構造の緊張の中で、ムスリムの間では、ヒンドゥーがマジョリティーを占めるインドの支配下にいることへの不満が少しずつ大きくなってゆく。
イスラーム学校に通う友人のひとりが独立運動に傾倒すると、やがてハビーブもその影響を受け、カシミールの独立を目指す組織に加盟する。

はじめのうち、それはあくまで自由と独立を目的とした運動であり、極端なイスラーム原理主義とは距離を置いていたはずだった。
だが、その運動をパキスタンのイスラーム武装組織が支援しはじめると、自由を求める闘争は過激化してゆく。
暗殺や誘拐が横行し、パキスタンで武装訓練を受けたハビーブも反対派の殺害に手を染める。 

過激化した独立運動に対するインド側の取り締まりは、情け容赦がなかった。
数多くの民族問題や独立運動を抱えるインドにとって、カシミールの独立は決して認めることができないものだからだ。
インド政府による独立運動への弾圧。過激派による体制派やヒンドゥー教徒への報復。
無関係の市民も大勢が巻き込まれ、この地上で最も美しい土地のはずだったカシミールの亀裂は、もはや修復不能なものとなってしまう。

やがて政府側の巧みな鎮圧で独立運動が下火になると、国外から来たイスラーム原理主義者が闘争を牛耳るようになる。
カシミールのための闘争は、カシミール人の手を離れ、カシミールのためのものですらなくなってしまう。

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」が理解と理想を描いたものだとしたら、「カシミールから来た暗殺者」に描かれているのは、悲しみと現実だ。
ただただ自由と平和を願っていた人々が不条理な暴力の犠牲になり、抱いていた理想はもはや夢想することもできないほどに遠ざかってゆく。

読むのが辛くなるような部分もあるが、人間ドラマやサスペンス的展開を丁寧に描いたストーリーは緊張感があって飽きさせることがなく、この小説はエンターテインメントとしても優れている。
(インド側いちジャーナリストの視点から描かれた小説であること、この小説の発表が今から20年近く前の2000年だということには留意が必要だろう。カシミールが印パ両国の間で翻弄され続けていることは今も変わらないが)
あまりにもドラマティックな展開に「ボリウッド的すぎる」という批判もあるようだが、それでもこの小説は実際の歴史にそって書かれたものだし、いつ身近な人が犠牲になるかも分からない暮らしは、カシミールの現実そのものなのだ。


そんなカシミールのリアルを、ラップで表現するアーティストがいる。
1990年にジャンムー・カシミール州の州都スリナガルで生まれたRoushan Illahiは、故郷カシミールからその名を取ったMC Kashの名義で、カシミールの現実とそこで暮らす市民の心情を綴った楽曲を発表している。

彼が最初の楽曲をリリースしたのは2010年。
この年、インド軍による民間人の殺害に対する抗議行動が鎮圧される中で、10代の少年たちを含む100名以上の犠牲者が出る惨事が起きた(インド政府はこの暴動はパキスタンの煽動によるものだと主張している)。
MC Kashもまた、この弾圧で自らの友人を失った。
この出来事に触発された彼は、あまりにも理不尽な現実に抗議し、自由を求める気持ちを綴った"I Protest"を発表する。
彼はカシミールの状況についての認識を広めるため、故郷の母語であるカシミーリー語ではなく、より多くの人々に自分の言葉を届けられるよう、英語でラップすることを選んだ。

組織的な暴力のもと、人の命がいとも簡単に奪われる現実のなかで、自由を求めて抗議する、あまりにもヘヴィーな内容のリリック。
この曲の最後に読み上げられるのは、弾圧のなかで命を落としたカシミールの市民たちの名前だ。

この楽曲をリリースしたことで、彼は過激派や分離主義者との関係を疑われ、スタジオにいたところを警察に急襲される。
彼は誰のサポートも受けておらず、自分の意思で活動していると主張したが、スリナガルのほとんどのスタジオは、厄介ごとを恐れて協力を拒否するようになってしまう。
だが、この曲は自由を求める人々のアンセムとなり、"I Protest"の言葉はインド軍の横暴に抗議する人々の合言葉として、ソーシャルメディア上で使われるようになった。
その後も彼は困難にめげず、カシミール市民の魂と日常をラップした数多くの楽曲を発表している。

この"Beneath This Sky"では真実を直視しろと訴え、体制の腐敗を批判する。

全てのシャッターが下ろされ、鉄条網が張られたスリナガルのストリートがリアルだ。
 
ポップカルチャーを扱うメディア'101India'の企画で、同郷のスーフィー・ロックバンドAlifと共演した楽曲"Like A Sufi".
祈りの音楽と自由を求めるラップが相乗効果で胸に迫ってくる。  
スーフィズムはイスラーム神秘主義と訳される、自己を滅却し神との合一を目指す思想。
「バジュランギおじさん」で、パワンたちが訪れた聖者廟で歌われていたのも、カッワーリーというスーフィズムの音楽だ。
聖者崇拝は南アジアのイスラームに独特なもので、他の地域のムスリムからは、唯一神のみを信仰すべきとする本来のイスラームにはそぐわないものとされることもある。
だが聖者廟に祀られた聖者たちは、宗教の枠を超えてヒンドゥー教徒たちにも崇拝されていることも多く、地元の人々にとってはとても大事な存在だ。
「カシミールから来た暗殺者」では、外国から来たイスラーム原理主義者たちが、聖者崇拝の伝統を軽視する様子を通して、闘争がカシミールの人々の手を離れてゆく様子が描かれている。
 
"My Brother" は生まれながらに自由を奪われる不条理を嘆き、金のために魂を売り渡す仲間たちに団結を呼びかける楽曲で、同じくAlifとのコラボレーション。
 

過酷な環境のなか、ヒップホップこそが彼の生活であり、魂であることを綴った"Everyday Hustle"

ヒップホップという音楽が、インドのなかでも他の都市とは段違いに過酷なカシミールにあってさえ希望になりうることが分かる一曲だ。

MC Kashの音楽は、ヒップホップと言ってもダンスミュージックやパーティーミュージックではないし、その内容に反してアジテーション的でもない。
静かで美しいトラックに切実な言葉を紡ぐそのスタイルは、むしろスラム(ポエトリーリーディングの一形態)に近いと言えるかもしれない。

このドキュメンタリーで、MC Kashは、幼い頃から銃口を向けられ、女性はレイプに怯えながら暮らす日常について語っている。
 
あまりにも過酷な環境のなか、彼にとってヒップホップだけが情熱を注げる対象であり、自分を解放できる故郷のような存在でもあり、そして自分が育ったスリナガルのストリートの現状を伝える手段だった。
音楽的には2pacに、思想的にはマルコムXやチェ・ゲバラに影響を受け、自分はカシミールの反逆者たちを代弁する存在だと語る彼は、カシミールの独立によって自由と平和がもたらされることを信じて待ち望んでいることを打ち明ける。

だが、彼はカリスマティックな革命家のような、特別な存在になることを目指しているのではない。
何よりも彼は、自分の音楽を通して、カシミールの人々が、この曲を平和な地で聴くリスナーたちと同じように、尊厳ある幸せな生活を望む普通の人々であることを伝えたいと語っている。
彼もまた、暴力にさらされつづける街で、ヒップホップを愛し、人並みの幸福や自由を望む、一人のごく普通な青年なのだ。


「バジュランギおじさんと、小さな迷子」のような、現実が厳しいからこその理想を描いた映画もまた素晴らしいが、一方で、「カシミールから来た暗殺者」やMC Kashが語る、厳しすぎる現実についてもきちんと目を背けずにいたい。
昨今の印パの衝突で、またしても暴力や政治によって、この美しい土地に暮らす人々に苦しみがもたらされていると思うと本当に胸が痛む。

いつの日か、人々であふれた平和なスリナガルのストリートを歩きながらラップするMC Kashの姿を見ることができるのだろうか。
その日が来ることを、心から願っている。


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2019年03月04日

バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(前編)

(この記事の途中に、映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のラストシーンに関する記述があるので、ラストを知りたくない方は読まないことをおすすめします)

カシミール地方での悲しいニュースが続く。
2月14日に自爆攻撃で41人が死亡。
2月18日に銃撃戦で9人が死亡。

25日にはテロリストの拠点への攻撃として、インド空軍がパキスタン領内に空爆。
インド側は約300名を殺害と主張しているが、パキスタンは被害はごく軽微なものだったと真っ向から対立する内容を発表した。
パキスタンはインドの戦闘機を撃墜してパイロットを捕虜にしたが、対話による解決を望むとして3月1日に解放(パイロットに暴力を振るおうとしていた民間人をパキスタン軍が制止したという報道もあった)。
インドもパキスタン機を撃墜したと発表したがパキスタンはこれを否定。
両国ともに自国民へのメンツの維持と国際社会への正当性のアピールという思惑があり、事実は杳として分からない。
そもそもインド政府の「テロリストの拠点がパキスタン領内にあり、パキスタンはテロ取り締まりを怠っている」という主張をパキスタン側は否定しており、はじめから議論は噛み合っていないのだ。

インド国内ではイスラーム過激派によるテロがたびたび起きているが、インドではその背景にパキスタンがいるという見方が強く、今回の空爆は、まもなく総選挙を控えたインドのモディ首相が強硬姿勢により支持率の挽回を狙って行ったものという見方もされている。
実際にインド国内ではこの空爆を評価する(「憎きパキスタンによくぞやった!」的なものも含めて)声も強いようだ。

2015年のインド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、国家の対立や宗教の違いを乗り越えるヒューマニズムを描いて印パ両国で大ヒットとなったが、ひとたび今回のような事態になると、ナショナリズムが加速し報復感情が高まるのは毎度のこと。
今はことが大きくならないことを願うのみだ。 


ご存知の方も多いと思うが、『バジュランギおじさんと小さな迷子(原題:Bajrangi Bhaijaan)』は、迷子になり国境を越えてデリーにたどり着いたパキスタンの女の子シャーヒダ(彼女は口がきけない)を、敬虔なヒンドゥー教徒のパワン(別名バジュランギ)が両親のもとに送り届ける道中の試練と奇跡を描いた映画だ。

インドは世俗主義を掲げるもののヒンドゥー教徒がマジョリティーであり、一方のパキスタンはイスラーム国家。
さらには解決の糸口の見えないカシミールの領土問題もある。
今回の空爆からも分かる通り、インドとパキスタンは核兵器を向け合う敵国同士であり、両国の国民感情はもともと険悪だ。
国家対立、宗教対立にもとづく偏見や誤解を正直者のパワンがどう乗り越えてゆくのか、というのがこの映画の見所というわけである。

映画を見て、国家や宗教という重いテーマをほのぼのとした娯楽作品に仕上げたカビール・カーン監督の手腕とバランス感覚に舌を巻いた。
南アジアから離れた感想を言わせてもらうなら、隣国との関係で憎しみが高まりつつある今の日本でこそ、もっと見られるべき映画だと感じた。
(そもそも日本だったらこんなリスキーなテーマの娯楽映画は制作することも難しいだろう。商業主義と批判されがちなボリウッドだが、こうしたインド映画人の気骨にはただただリスペクトしかない)

この映画にまつわる文化的、宗教的、神話的背景についてはすでに多くの方が的確な解説をしてくれているので、今回はこの映画のなかでも扱われている「ヒンドゥー・ナショナリズム」について書いてみる。

「ヒンドゥー・ナショナリズム」を非常に簡単に言うと、「インドはヒンドゥーの土地である」という思想と言い換えられる。
そのため、ヒンドゥー・ナショナリズムでは外来の宗教であるイスラームやキリスト教を自国文化を破壊するものとして敵視する傾向がある。
実際に、ヒンドゥー教徒にとって聖なる存在である牛を屠畜したムスリムを襲撃したり、クリスマスやバレンタインデーのようなキリスト教の習慣への反対運動を起こしたり、暴動に乗じてモスクを破壊したり他宗教の信者を虐殺したりするような問題が起きている。
大きすぎる大国インドでは、ナショナリズムにおいてすら国民がひとつにまとまることは難しい。

映画の中でヒンドゥー・ナショナリズムが明確に描かれている場面のひとつが、パワンの少年時代の回想シーンにある。
「父はRSSに所属していた」というシーンがあるが、RSSは正式名称をRashtriya Swayamsenak Sanghと称し、日本語では「民族義勇団」と訳されるヒンドゥー至上主義団体のこと。
イギリス統治下の時代にヒンドゥー精神の発揚を目的として結成されたこの団体は、やがてイスラーム排斥的な傾向を帯び、ヒンドゥーとイスラームの融和を目指したマハートマー・ガーンディーを暗殺するに至る。
一度は活動が非合法化されたRSSだが、その後すぐにそれが撤回されるとヒンドゥー強硬派の支持を集め勢力を拡大してゆく。
今日でもモディ首相が所属する政権与党BJP(Bharatiya Janata Party「インド人民党」と訳される)をはじめとする多くの団体を傘下に持ち、インド全土に強い影響力を維持している。

回想シーンの中で、少年時代のパワンがボーイスカウトのような制服に身を包み、体操のようなことをしているシーンが出てくるが(「やってみたけどうまくいかなかった」とか言っているシーンだ)、これはRSSが朝夕に行なっている「シャーカー(Shakha)」と呼ばれる運動だ。
掛け声に合わせていっせいに動く運動によって子どもたちを含めた構成員の統一感を作り上げるとともに、講話などを通してヒンドゥー至上主義の思想を説くための活動として、インド各地の公園で行われている。
つまり、主人公パワンは、単に「敬虔なヒンドゥー教徒」というだけではなく、ヒンドゥー至上主義的な家庭に生まれ育ったという設定なのだ。

数あるヒンドゥー至上主義団体の中で、ときに暴力行為も起こす反イスラーム色の強い団体に、世界ヒンドゥー協会(VHP)傘下のバジュラング・ダル(Bhajrang Dal)がある。
この「バジュラング」は映画の主人公パワンの別名「バジュランギ」と同じくヒンドゥー教の神ハヌマーンを指しており、バジュラング・ダルは「ハヌマーンの軍隊」を意味している。
猿の神ハヌマーンは、「ラーマーヤナ」の主人公である英雄ラーマ(ヴィシュヌ神の化身のひとつ)への忠誠を尽くす戦士であったことから、ラーマ神への帰依と忠誠を象徴するようになり、転じてヒンドゥー至上主義では外敵(イスラームを指すことが多い)と戦う戦士としてのイメージが与えられるようになった。
1992年にラーマ神の生誕地と言われるウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーでモスクを破壊し(いわゆるアヨーディヤー事件)、今日の宗教間対立の大きな火種を作ったのも、このバジュラング・ダルのメンバーが中心だったとされる。
「バジュランギ」という名前は、敬虔な信仰と表裏一体の排他性・攻撃性を孕んでいるのである。

次にヒンドゥー・ナショナリズムが描かれるのは、パワンがシャーヒダを連れてパキスタン大使館に行くシーンだ。
反パキスタンのデモを行っていたヒンドゥー至上主義者たちが暴徒化し、大使館を襲い始める。
ヒンドゥー至上主義の家庭で育ったパワンが、その暴力性に直面する場面だ。
暴力的なナショナリズムに対して、理屈や主張をふりかざすのではなく、あくまで純真さで対峙しているというのが、この映画の非常に上手いところだと思う。
議論ではなく、万人の感情に訴える方法を用いて描くことで、巧みに批判をかわすことに成功している。

この映画は、インド国内でも大きなうねりとなっているヒンドゥー至上主義に対して疑問を呈し、自重を呼びかけるという、一歩間違えると強い反発を招きかねないテーマを扱っているわけだが、さらに絶妙のバランス感覚だなあと思ったのがラストシーンだ。

パキスタンから国境を超えてインドに戻るパワンを囲む両国の大観衆の前で、奇跡が起きて声が出せるようになったシャーヒダがパワンに向かって叫ぶ言葉は、
「Jai Shri Ram!(ジャイ・シュリー・ラーム=ラーマ神万歳)」
ヒンドゥー教徒の間ではあいさつのように使われる言葉ではあるが、パキスタンのムスリムが口にするものとしてはありえない言葉。
それに対してパワンは「アーダーブ」という手のひらを顔に向けるイスラームの挨拶を返す。
「個人間の結びつきは国家や宗教の対立を超える」というテーマを表現した美しいシーンだ。

両国の国民感情に無関係な日本人の立場からすると、ここでパワンに「Assalamu Alaikum!(アッサラーム・アライクム。ムスリムが使うアラビア語の挨拶だが、本来の意味は「あなたの上に平和を」)」と叫ばせれば尚良かったはずだと思う。
それを言わせずに、アーダーブだけで済ませたところがインドのマジョリティーであるヒンドゥー教徒の感情に配慮したカビール・カーン監督のバランス感覚なのだろう。
そもそも、原題の"Bajrangi Bhaijaan"のBhaijaanというのも、パキスタンのムスリムの言語ウルドゥー語で「兄弟」を意味する呼びかけの言葉(「にいちゃん」とか「兄貴」みたいなものだろう)で、ヒンドゥーの神ハヌマーンの別名であるバジュランギのあとにつくのは違和感のある言葉だ。
要するに、「インド(もしくはヒンドゥー)がパキスタン(もしくはイスラーム)を受け入れる」というより、「パキスタン(もしくはイスラーム)がインド(もしくはヒンドゥー)を受け入れる」という色合いのほうが、少しだけ濃くなっているように感じる部分があるということだ。

「バジュランギおじさん〜」はパキスタンでも人気だったというが、このあたりについてはどうだったんだろうかと気になって調べてみたところ、ネットで(英語で)調べた限りではとくに批判的な記述は見つけられず、パキスタンでも大好評だったという記事ばかりがヒットしてほっと一安心。
というか単に私がいろいろと考えすぎだっただけなのかもしれない。


ヒンドゥー・ナショナリズムに関しては、少し古い本になるが、2002年に中公新書ラクレから出版された中島岳志著『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』がとても分かりやすい。
ナショナリズムというと排他的な意味合いばかりが強調されるが、RSSに代表されるヒンドゥー・ナショナリズム団体は、医療活動や教育活動、障害者や農村の支援なども積極的に行っているという。
RSSは、カルト宗教のような怪しげな存在ではなく、少なくともボリウッド映画の愛すべき主人公の父親が所属していても違和感がないほどに、一般的なものなのだ。

著者によると、意外なことに、RSS内部では、ヒンドゥーの旧弊とされるカーストによる差別は一切ないという。
RSSの内部では、最上位のブラーミンとカーストの枠外に置かれたアウトカースト(不可触民)が同じ場所で同じように過ごし、触れ合っている。
これはヒンドゥーの歴史や差別の苛烈さを知る人にとっては、にわかには信じられないことだろう。
ここでは同じヒンドゥー教徒としての団結が、カーストという小さなコミュニティーの利益よりも重視されることで、カースト差別というヒンドゥー社会最大の問題がいともたやすく解決されてしまっている。
彼らが単に時代遅れな伝統主義者の集まりではないということが分かるだろう。

中島氏は、実際にRSSの人々と寝食をともにして、ヒンドゥー・ナショナリズムに惹かれる若者たちのなまの姿を目の当たりにする。
あの「シャーカー」にも実際に参加し、その様子を書いているが、号令にあわせて一斉に動くシャーカーが最も上手にできたのは、他でもない中島氏だったという。
ふつうの日本の学校教育を受けてきただけの著者が、「回れ右」のような号令のもとに全体行動を行うシャーカーを、ナショナリズム団体に所属するインド人の誰よりも完璧にできたという記述には、大いに考えさせられるものがあった。

RSSのメンバーは、予想に反して人当たりがよく、外国人である著者に好奇心旺盛な、純粋な若者たちだったという。
物質主義文明が広がり、腐敗が進むインド社会の中で、倫理や規範を求めて宗教的伝統を見つめ直そうとする若者たちにとって、RSSが精神的な受け皿となっているのである。

ところが、真面目で精神性を大事にし、公式声明ではムスリムも仲間だと言う彼らは、ひとたびイスラームとの間の緊張が高まると(たとえそれが3.11同時多発テロやバーミヤンの大仏破壊のような国外のニュースであっても)、ムスリムを敵視し、デモ行進でインドからの追放を訴え、暴力すら辞さないほどの激しさを見せる。
若者たちの倫理や宗教的規範を求める気持ちが、排外的な愛国心に回収されてしまっているのだ。
ラーマーヤナのような古典が異教排斥のシンボルとして流用され、イスラームやキリスト教といった外来の宗教は、伝統を破壊する脅威として標的となる。
友好的で純粋だった若者たちは、全てのムスリムはテロリストだというような極論を、日常のフラストレーションとともに吐き出してゆく。

ヒンドゥー・ナショナリズムでは、本来は普遍的であるべき思想が、インドの土地を守るためのものへの矮小化され、宗教的善行は国家への奉仕に置き換えられてしまっている。
インドという国に魅力を感じたことがある人間にとって、ヒンドゥーの文化と信仰は多かれ少なかれ興味と敬意の対象だったはずだ。
貧しい人々の素朴な信仰心から、その歴史の背後にある深淵な哲学まで、インドを訪れた多くの人がヒンドゥーという伝統に惹きつけられてきた。
「私自身の生き方に、さまざまな形で影響を与えてきたヒンドゥーの信仰が、このような形で他者に対する暴力に繋がることが、私には悲しくてしかたがなかった」 という著者の言葉に、私を含めた多くの人々のヒンドゥー・ナショナリズムに対する気持ちが簡潔に表されている。

ヒンドゥー至上主義団体の構成員の多くが、過度な功利主義に疑問を抱く純粋な若者たちだということからも分かる通り、ナショナリズムの暴力性は純粋な信仰と地続きのものだ。
一見過激なナショナリズム団体が、多くの慈善事業を行っていることもその証拠だろう。
(一方でここ日本で昨今高まりつつあるナショナリズムにそうした人間性があるだろうかと思うと暗澹たる気持ちになるが)
本来はヒューマニズムに基づいたものであるはずの信仰心が、テロリズムへの恐怖や他者への無理解、そして政治的な意図によって、排他性や暴力性を帯びてしまっているのだ。

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』にはヒンドゥーやイスラームの「祈り」の場面がたくさん出てくるが、宗教や国籍が違っても、彼らが祈っている内容は憎しみや破滅ではなく、幸福や安心であるはずだ。
この映画では、主人公のキャラクターを「愛すべき愚か者」(パワンは嘘をつくことすらできない)とすることで、ごく自然に「頭(先入観や偏見)ではなく、心に基づいて行動すること」の大切さを伝えることに成功している。
この映画は「本来の信仰」が「宗教や国家のナショナリズム」を超克する物語であり、印パ両国だけでないあらゆる人々にとって、普遍的なメッセージを有している。

おっと、例によって今回も語りすぎてしまった。
長くなりすぎたので、続きはまた次回! 


今回ブログを書くにあたって特に参考になったWebの記事はこちら。
インドのニュースサイトKafina Online:"Of Hanuman, Pakistan and Bhaijaan: Prabhat Kumar"(2015年8月23日) 

後編はこちらからどうぞ:バジュランギおじさん/ヒンドゥー・ナショナリズム/カシミール問題とラッパーMC Kash(後編)

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凡平自選の2018年度のおすすめ記事はこちらからどうぞ! 


goshimasayama18 at 00:04|PermalinkComments(4)

2018年11月13日

(100回記念企画)謎のインド人占い師 Yogi Singhの正体

前回のあらすじ:
1930年代を舞台にしたミャンマーの小説。
1990年代のバンコク、カオサン。
2010年代のロンドン。
あらゆる場所に出没する謎のインド人占い師の情報が、さまざまな国の本や新聞、そしてインターネットで報告されていた。
調べてみると、「彼」は他にもカナダやオーストラリアやマレーシアなど、世界中のあらゆる場所に出没しているようだ。
「彼」の手口は、手品のようなトリックを使って人の心の中を的中させては、金品を巻き上げるというもの。
時代や場所が変わっても、全く同じ手口が報告されていた。
シク教徒のようなターバンを巻いたいでたちで現れ、ときに「ヨギ・シン(Yogi Singh)」と名乗る「彼」。
まるでタイムトラベラーのような「彼」はいったい何者なのか。
複数のインド人に聞いても、その正体を知るものはいなかった。
「彼」の存在に気づいた世界中の人々が不思議に思っているが、誰もその答えは分からない。
私はシク教徒のなかに、そのような占いを生業にする集団がいるのではないかと考えたが…。


(続き)
「彼」の正体はひょんなことからあっけなく判明した。
大谷幸三氏の『インド通』という本(白水社)に、その正体が書かれていたのだ。
ノンフィクション作家で漫画原作者でもある大谷氏は、1960年代から70回以上もインドに通い、元マハラジャから軍の要人まで多彩な知己のいる、まさにインド通。
この本の「クトゥブの予言者」という章に、「彼」の正体と思われる答えが書かれていた。

このエピソードもまた、思い出話から始まる。
それは彼が2度目にインドを訪れた時の話。舞台はデリーだ。
大谷氏が郊外の遺跡「クトゥブ・ミーナール」を訪れた時のこと。
クトゥブ・ミーナールは、いまでは観光客で賑わう遺跡だが、当時は人気もまばらな場所だった。
そこで、大谷氏は予言者だという白髭に長髪姿の老人に声をかけられた。
老人は唐突に大谷氏の家の庭にある松の木の本数を的中させ驚かせると、こう不吉な予言を言い残した。
「お前は人生のうちに、三十二度インドへ帰ってくるであろう。このインドの天と地の間で、お前は名声と富を得るだろう。そして、三十二度目のインドで死ぬであろう」 

この謎の預言者が「彼」なのではない。
話は続く。

インドに魅せられた大谷氏は、予言通りにその後何度もインドを訪れることになる。
そこで出会ったインドの友人たちにあの占い師のことを伝えると、彼らは皆本気で心配した。
あの預言者はお金を要求しなかった。
金銭に執着しない聖者のような占い師は、詐欺師まがいではなく本物の予言者である可能性が高いからだ。
ある友人がその占い師の消息を探すと、彼はもう亡くなっているらしいことが判明する。
これは悪い知らせだ。
死んだ占い師の予言を覆すことはできない。
友人たちは、大谷氏に、一回のインド滞在をできるだけ長くして、三十一回目にインドを訪れたら二度と戻ってくるなと真剣に忠告した。
少なくとも当時のインド社会では、力のあるものによる予言は、極めてリアルなものと考えられていたのだ。

そんな中、ただ一人この予言を信じず、真っ向から否定する友人がいた。
彼の名前はハリ・シン。
占い師の家系に生まれた、シク教徒だ。
彼は、全ての占いは欺瞞であると言って憚らなかった。

彼のこの態度は、家族の生業と自分の運命に対する、複雑な気持ちによるものだった。
彼の父は高名な占い師だった。
それなのに、なぜ家族は裕福になれなかったのか。
未来を知る能力があるのに、なぜ幸せな未来を手に入れられなかったのか。
自分の境遇へのやるせない思いが、「占い」への疑念や憤りへと変わっていったのだ。
彼は、酒に酔うと、小さい頃に仕込まれた、相手が心に浮かべた数字や色を当てるトリックを、簡単なまやかしだと言って披露しては悪態をついた。
(しかし、この本に書かれているトリックでは、相手の母親や恋人のような固有名詞を当てることはほぼ不可能で、依然として謎は残るのだが)

インドでは辻占は低い身分の仕事とされる。
さきほど「金銭に執着しない占い師は詐欺師まがいではなく本物の予言者」と書いたが、これは「お金のために占いを行う辻占は詐欺師同然」ということの裏返しだ。
ハリ・シンの出自は、彼にとって誇らしいものではなく、憎むべきものだった。
彼は小さい頃に家を出て、占いではなく物売りをして生計を立てていたが、それでは食べてゆくことができず、皮肉にも彼もまた占い師になる道を選ぶことになる。
「逃れようとしても逃れられないのがジャーティだ」とブラーミン(バラモン)の男は言ったそうだ。

ハリ・シンは、インディラ・ガンディー首相暗殺事件に端を発するインド国内でのシク教徒弾圧を避け、子ども達の教育費や結婚資金を稼ぐため、オランダに渡ることを選んだ。
外国で占い師として稼いだお金を、インドに仕送りとして送るのだ。
字も書けないというハリ・シンが、占い師という職業でどうやって就労ビザを取ったのか、いまひとつよく分からないが、そこはインドのこと、裏金や人脈でどうにかなったのだろう。

もうお分かりだろう。
ハリ・シンもまた、世界中で例の占いをして日銭を稼ぐ、「彼」らのひとりだったのだ。
オランダにもまたひとり「ヨギ・シン」がいたということだ。

ミャンマー、タイ、オーストラリア、イギリス、カナダ、インドネシア。
世界中で「詐欺師に注意!」「不思議!わたしの街にも同じような人がいた!」と報告されている「彼」。
その一人は、自らの家業を憎みつつも、家族のために異国の地で辻占を続け、その稼ぎを故郷に仕送りをする男、ハリ・シンだった。
世界中のヨギ・シンに、きっとこんなふうにそれぞれの物語があるのだろう。
海外で必死で稼いだお金で、「彼」は娘たちの持参金を払い、立派な結婚式を挙げる。
息子たちに質の高い教育を受けさせ、優秀な大学に通わせる。
占い師ではなく、もっと別の「立派な」仕事に就かせるために。
そして、ヨギ・シンの子どもたちはエンジニアに、企業のマーケティング担当者に、どこかのいい家のお嫁さんになる。
医者や弁護士になる人もいるかもしれない。
ヨギ・シンの子どもたちは、もう誰もヨギ・シンにはならない。
誰よりも、ヨギ・シン自身がそれを望んでいるはずだ。
たとえ、成功した子どもたちに、家族代々の仕事を古臭いまやかしだと思われるとしても。

インドにおいて、正統な伝統に基づく占いは、社会や生活に深く溶け込んでいる。
どんなに時代が変化しても、インドから伝統的な占い師がいなくなることはないだろう。
ただ、世界中で報告されている「ヨギ・シン」スタイルの占い師に関してはどうだろう。
彼らの子どもたちが誰も後をつがなかったとき、この守るべき伝統とも考えられていない占い師たちは、歴史の波間に消えていってしまうのだろうか。
このまま「彼」の存在は、知る人ぞ知る、しかし世界中に知っている人がいる、マイナーな都市伝説のひとつになってゆくのだろうか。

2050年の「ヨギ・シン」を想像してみる。
先進国で誰にも相手にされなくなった「彼」は、ようやく経済成長の波に乗ることができたアフリカの小国に辿り着く。
いかにも成金といった風情の身なりのいい男に、ターバンを巻いたインド人が声をかける。
「あなたの好きな花を当ててみせよう」
誰も知らないが、実は彼こそは最後のヨギ・シンだった。
一族の結束はいまだに固いが、この占いのトリックができるのは彼が最後の一人だ。
仲間たちはみな、エンジニアやビジネスマンになり、少数の占い師の伝統を守っている者たちもコンピュータを駆使した新しい方法で占いを行っている。
「彼」もまた子どもたちを大学に行かせるために異国の地で辻占をしているが、子どもたちには後を継がせないつもりだ。
「彼」自身も知らないまま、ひとつの伝統と歴史がもうじき幕を降ろす。

あるいは、「彼」はデリーの郊外あたりに作られたテーマパーク「20世紀インド村」みたいなところで、「ガマの油売り」よろしく伝統芸能のひとつとしてその手口を披露しているかもしれない。
若者たちが物珍しげに眺めている後ろで、年老いたインド人は懐かしそうに彼を見つめている。
パフォーマンスを終えた「彼」に、「ずっと探していたんだ」と話しかける日本人がいたら、それはきっと私に違いない。

話を大谷氏の本に戻すと、このエピソードはまだ終わらない。
あの不気味な予言のことだ。
時は流れ、大谷氏に三十二回目のインド訪問がやってくる。
そこで虎狩りの取材に出かけた大谷氏はあの不吉な予言を思わせる、信じられない目に合うことになる。
詳細は省くが、この章では例のヨギ・シンの辻占以外にも、インドの占い事情が詳らかに紹介されていて、非常に興味深い内容だった。
インド社会のなかで、占いという超自然的な力がどんなふうに生きているのかを知りたい方には、ご一読をお勧めする。

子どもたちも皆結婚し、初老になったハリ・シンは、今となってはもう父を罵ることもなく、こう言っているという。
占い師は自分で自分を占うと、力を失うんだ、と。
彼は、思うようにならなかった運命を、諦めとともに受け入れたのか。
それとも、家族を養う糧を与えてくれた代々の家業を、誇りを持って認めることができたのだろうか。

それにしても、これはいったい何だったんだろう。
たまたま読んだ本と新聞で見つけた「彼」は、インターネットで世界中が繋がった時代ならではの都市伝説の主人公になっていた。
その「彼」の正体は、秘密結社ともカルト宗教とも関係のない、伝統的な生業を武器にグローバル社会の中で稼ぐことを選んだ、インドの伝統社会に基づく「ジャーティ」の構成員たちだった。

これが私がヨギ・シンについて知っていることのすべて。
日本から一歩も出ないまま、インドに関する不思議を見つけ、そしてその答えが分かってしまうというのも、時代なのかな、と思う。

「彼」の正体を知ってしまった今、もし「彼」に出会うことがあったら、いったいどんな言葉をかけられるだろうか。
「彼」に占ってほしいことは見つかるだろうか。
それでもやっぱり、会ってみたいとは思うけれども。 
(世界中での「彼 」の出没情報は、「Indian fortune teller」もしくは「Sikh fortune teller」で検索すると数多くヒットする。ご興味のある方はお試しを)


2019年11月18日追記:
この記事を書いてから1年、まさかここ日本を舞台に続編が書けるとは思ってもいなかった。
予想外の展開を見せる続編はこちらから。


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goshimasayama18 at 00:04|PermalinkComments(27)

2018年09月20日

STUDIO VOICE Vol.413 いまアジアから生まれる音楽 (少しだけ執筆)

ども、軽刈田 凡平(かるかった・ぼんべい)です。
本日発売のSTUDIO VOICE Vol.413「いまアジアから生まれる音楽」特集号にインドのオススメフェス、クラブ、注目レーベル情報を提供させてもらいました。(pp.171-179)
StudioVoice413
今号のSTUDIO VOICEは、タイトルの通り1冊まるごと現在のアジアの音楽特集。
アジア各国のシーンのいちばんとんがったところがいったいどうなっているのかという記事が満載で、これが全ページどこを読んでも面白い大充実の内容。
音楽好きだったら、この1冊を片手にいろんな音楽を検索して過ごすだけで、1ヶ月くらいは充実した生活が送れるんじゃないかと思います。

なんだかんだいっても世界中のトレンドをリードする欧米とは、物理的にも文化的にも距離のあるアジアのシーン。
そこで活躍するアーティストたちは大きく分けて2つのタイプの大別される。

最近アジアでもすっかり珍しくなくなったのが、欧米との地理的・文化的な距離に関係なく、我が道を行きながら最先端の音楽を作り続けるタイプのアーティストたち。 
彼らは口を揃えてこう言う。
地理的な情報格差がほとんどなくなったこの時代に「アジアの音楽」なんて括ることにいったいどんな意味があるのかい?と。

一方で、アジアならではの独自の文化や社会に否応なしに(あるいは、なかば選択的に)どっぷりと浸かり、その中で伝統と現代をミクスチュアして、世界中のどこにもない音楽をクリエイトしてゆくアーティストたち。

今回の特集の中では、インドに関する記事では田口悟史さんという方が最近拠点をバンガロールからムンバイに移したエレクトロニカ・アーティストのMonsoonsirenに取材した記事がとても秀逸。
いま挙げた2つの例では前者にカテゴライズされるはずの彼は、最先端の音楽を奏でながらも、地元のシーンや伝統的なコミュニティーからは隔絶して暮らす、ある種孤独なアーティストでもある。
海外旅行をすれば楽しいが、それでも彼にとって外国はしょせん異国であって、ホームと感じるのはインドであるという事実。

彼の抱える断絶と帰属意識はそのまま21世紀のインドやアジアの(いや、ひょっとしたら世界中の)アーティストの一典型として捉えることができるものだろう。
このブログで取り上げたアーティストでは、大都市ではなく後進地帯のアーティストではあるがラッパーのTre Essなんかにも通じる感覚があるように思う。

もちろん、こうしたアーティストこそがインドやアジアの典型的な代表格かといえばそういうわけでもなく、逆に地元愛どっぷりのラージャスタンのラッパーJ19 Squadのようなアーティストたちまで、ジャンルごとに多様なスタンスとスタイルのアーティストがいて、インドの(アジアの)シーンを形作っているというわけだ。
また地域ごとに異なる固有の歴史や欧米の文化との距離感が、シーンごとの面白さを形成している。
そして大事なのは、どのシーンもまだまだ熱くて発展途上だということ。

今回のSTUDIO VOICEでは他にもインドのデスメタルに注目した記事なんかもあり、なかなか好事家の少ないインドの音楽シーンに関して、自分と似たようなところに着目している人がいると分かったのもうれしかった。

みなさんもぜひご一読を! 

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goshimasayama18 at 22:54|PermalinkComments(0)

2018年03月13日

チェンナイが舞台の芥川賞小説「百年泥」!

こないだの芥川賞受賞作のひとつ、石井遊佳の「百年泥」。
現地在住の作家によるチェンナイが舞台の小説と聞いて以来、ずっと気になっていたんだけど、やっと読むことができたので、今日もまた音楽から離れてこの「百年泥」について書いてみます。

百年泥


読んでみた感想を一言で言うと「強烈にインド!」
これに尽きる。 

いろんなところで紹介されている通り、100年ぶりの大洪水による川の氾濫後のチェンナイが舞台の作品で、現在と過去、現実と超現実が入り混じる不思議な小説、と言ってしまえばそれまでなんだけど、なんだか意味がよくわからないし、それじゃあ大して読みたくもならないよね。
なので、アタクシなりに「インド眼」から読んでみた「百年泥」を紹介させていただきます。

この小説、確かに訳のわからない要素は多いんだけど、インドに接したときに日本人が驚き、拒否反応を示したり強く惹かれたりする、インド特有の「わけの分からなさ」を文学の形に昇華したもの、として捉えると、すごくすんなりと読める。

過剰にフレンドリーで、目ヂカラが強く、話好きで理屈っぽく、小ずるいところもあるかと思えばピュアでびっくりするほど優しいインド人。
知的で理性的で現実的かと思えば、ものすごく稚拙な言い訳もするし、異性に興味津々だけど奥手なインド人。
カーストや迷信といった因習に囚われ、そこからの自由を希求しつつも、でもコミュニティーや伝統や家族を大事にするインド人。
こういう要素が複雑にこんがらがっていて、またそのこんがらがり方が地域や階層や個人によって全く違ったりするインド人。

こんなふうに書いても掬いきれない、何と書いて良いかの検討もつかないような、インド人の思考と行動の根源にある、わけの分からない部分。
その「わけの分からなさ」は、歴史や伝統を理由に説明できるほどに単純ではなくて、考えれば考えるほど分からず、しまいに考えることがバカバカしくなったりもするのだけれども、そのわけの分からなさ自体は確かに気のせいでなく存在していて、そしてそれがインドの強烈な魅力だったりもする。

このわけの分からなさを表現しようとしたら、そのわけの分からなさを言語化して整然と説明するだけではだめだ。
あるいは、「わけが分からないですよね」と書いてしまってもだめで、説明してしまったらわけの分からなさはわけの分からなさではなくなってしまうし、「わけが分からない」の一言で済ませてしまっては、こう、なんというか独特のもやもやしたものが永遠に問いかけられ続けているような感じが断絶されてしまう。

このわけの分からなさを描くためには、作家自身も渾身の力でわけの分からないものを作り出し、それをえいやっとインドにぶち込む必要がある。

多少のネタバレになってしまうけれども、何の説明もなく、ストーリーの本筋に関係のなく出てくる、権力を持つものは翼を身につけて空を飛ぶことができるとか、大阪の招き猫とチェンナイのガネーシャ像が全て交換されているといった設定。
インドを表すために、よくこんなに絶妙の「わけの分からなさ」を思いついたなあ、と心から感心してしまいました。

このわけの分からない設定があることによって、インドはよりインドに、チェンナイはよりチェンナイに、そのリアリティーを増している。
そんなわけの分からないインドで否応なしに向き合わざるを得ない自己、文化や言語を超えて理解し合えたと思ったらやっぱり理解を超えていたりもするインド人との関係、でも自分もその社会の中で生きていかざるを得ないことの諦めと喜びのようなもの、そういう主観による部分が、はっきりとは書かれていないけど、確かに感じられるということもこの小説の魅力だ。

物語の終盤、登場人物の一人の意外な過去が明らかになり、物語は予想外に感動的な方向に進みそうになるが、単純に感動で塗りつぶすことを良しとしないのは文学も(現実の)インドも同じこと。
そして、洪水によって橋の上に堆積した「百年泥」の意味するところが示唆される。
自分や近しい人やそうでない人の過去、あるいは選ばれなかった選択。
こうした時間や人間の関係性の結果として自分がいて今の世界がある。
洪水で川底から打ち上げられた、異臭を放つ大量の泥。
そこから掘り出される、わけの分からない、あるはずのないものたち。
アタクシは、それこそが、インドを「わけの分からない国」たらしめている原因なのだと読みました。
そしてそれが、インドが強烈に「生きる」ということを実感させる国である理由でもある。

ついでに、アタクシとしては、そのチェンナイの大洪水が先日インタビューしたThird Sovereignのインドツアーが延期になった原因でもあるということに、薄いけれどもしかし不思議な縁を感じもしましたよ。

はい、…何を書いているかよく分からないですよね。
 力不足ですみません。
アタクシのような凡人がこういう作品について書くとこうなる。
とにかく石井遊佳さんのこの「百年泥」、インドを過剰に美化もせず、笑いものにもせず、思索ごっこにも陥らず、でも文学として描き切った素晴らしい小説!

インド云々を抜きにしても素晴らしい作品で、インドと言われても何のことやらという人は、別にどこでもない場所の話として読んだって構わない。
立派な賞を取るくらいの作品だから、もちろん普遍的な魅力がある。
小説を読みながら自分や誰かの過去にも思いを馳せてみるなんて、なかなか素敵な時間の過ごし方じゃありませんか。チャイか珈琲でも飲みながらなんて、いかがでございやしょうか。
ぜひ読んでみておくんなまし。

goshimasayama18 at 21:49|PermalinkComments(0)

2018年01月06日

インド少数民族アート・ミーツ・ブルース!!「Brer Rabbit Retold」

「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」@板橋区立美術館に行ってきた。

この企画展は、チェンナイにあるタラブックスという出版社による、インド先住民族(アーディヴァーシーと呼ばれる)の絵画を用いた絵本の原画を中心に展示したもの。

はて、ユーラシア大陸のど真ん中のインドで先住民族とはなんぞ?と思う向きも多いと思うのですが、彼らはインドにアーリア系民族、ドラヴィダ系民族が来る前から暮らしていた人々で、今でもインド各地に独自の文化を保って暮らしている。

つまり、数千年〜数万年前から自分たちの独自性を維持して暮らしている人たちというわけだ。

その中でも、とくに独自の伝統絵画で有名なゴンド、ミティラー、ワールリーなどの部族の絵描きたちに、インドや世界の民話や伝承をモチーフにイラストを描いてもらったものが展示の中心になっている。

こう言ってはなんですが、はて、こんなニッチというかマイナーな企画に人が集まるのかいな、と思って行ってみたら、どうも複数のメディアに取り上げられたみたいで、会場は大盛況、チケット買うにも大行列!

 KIMG3997

 こんな自虐的なノボリがあったけど、いやいやどうして大混雑。

都営三田線の終点、西高島平から徒歩15分という、23区内で最果ての地みたいなところなのに。

 

KIMG3996

これはどうでもいいけど会場の近くの公園にて。

犬を連れこんで良いのか、ダメなのか、字が消えちゃっててわからない。

 
KIMG3998
 

会場内は撮影ほぼ全面OKだったのだけど、あっしは写真センスゼロかつ骨董品レベルの携帯では綺麗に撮れるはずもなく、作品の様子はタラブックスのサイトなどでご覧ください。「tarabooks」で画像検索などしてみるのもオススメです。

(日本語サイトはこちら


 

インドの少数民族とかインドの文化とかそういう予備知識を抜きにして、とにかく単純に美しくて力強い絵がたくさん楽しめました!

会場の盛況も、インド好きとか美術好きが集まってるってことじゃなくて、作品の普遍的な魅力によるものなんでしょう。

 
他にも、インドの手書きの映画ポスターとかマッチ箱とか、そういう今までアートと見なされていなかったものを取り上げたりもしている。
KIMG4009
 最近 政界に進出すると話題のスーパースター、ラジニもこの泥臭さ。
描かれている人が見切れてる人質っぽい人以外、みんな斧とか鞭とかナイフとか持ってるのも凄い。
 

展示されている作品は、アーディヴァーシーの伝統的な作品をそのまま持ってきたわけではなくて、現代的なセンスを持ったタラブックスの人たちとのワークショップによって、より西洋的にアーティスティックなスタイルで作られたもの。
いわば伝統ミーツ現代。 

このブログのテーマの一つは、「面白いものは境界線上で起きている!」ということなんだけど、どこか共通するものを感じる、とても面白い美術展でした。

 

さて、ここはインドの今の音楽を紹介するブログなので、関連する音楽ネタをひとつ。

西インドに伝わる礼拝用の布「マタニパチェディ」の作家と、アフリカ系アメリカ人の吟遊詩人アーサー・フラワーズによる共作の絵本「新釈ブレア・ラビット」という作品も展示されていたのですが、その絵本にあわせて、フラワーズがインド人ミュージシャンたちの演奏をバックに朗読した映像がこちら


これがまた凄くいい!

このアーサー・フラワーズさん、吟遊詩人と紹介されているけれども、もうほとんどブルースマンで、その語りからして完全にブルース!

ジャズとインド音楽の融合ってのはいくつか見たことがあるけど、ブルース・ミーツ・インドというのは新しい!

そしてこんなにはまるとは思わなかった!

アニメーション化されたイラストもすごく美しい。

このブレア・ラビットのブレアというのは「brother」の変形で、悩みを抱えるウサギが「笑いの国」を求めて旅に出かけるストーリー。

じつはディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンもこの話がもとになっている。

https://ameblo.jp/love-light-godbreath/entry-10661877559.html

今回はフラワーズさんも自分なりにアレンジして語っているみたいですね。

アフリカン・アメリカンの伝承である民話やブルースと、同じように苦難の歴史を重ねてきたであろうアーディヴァーシー(アーディヴァーシーたちは被差別的な立場に置かれ、貧しい暮らしをしているものがほとんど。行政上はScheduled Tribe=指定部族と呼ばれ、カースト外の指定カースト=Scheduled Casteと合わせてSC/STとして保護の対象になっている。)の美しい融合の紹介でした。

 

この板橋区立美術館の企画展は201818日まで!

終わる直前に紹介するなって話ですが、行く価値ありすぎ!

ちなみにアーディヴァーシーの美術については、バックパッカー界の大御所、蔵前仁一の「わけいっても、わけいっても、インド」で紀行もかねて詳しく楽しく知ることができます。
KIMG4021
 

それでは今日はこの辺で!



goshimasayama18 at 23:43|PermalinkComments(0)

2018年01月03日

インドと落語!インドの下町は江戸の長屋か

新年明けましておめでとうございます。
新年ってことでなんかめでたい感じの話題で書きたいな、と思ったので、今回のテーマは「インドと落語」!

唐突で申し訳ない。
あたくし、実は落語も好きなんですが、インドへの旅の経験とインドの小説をいくつか読んでみた結果、インドの生活ってどうやら相当落語っぽいところがあるぞ、と気がついた次第なのです。
というわけで、お年玉代わりにみなさんにこの発見を勝手にお裾分けさせてもらいます。
いらねえよ、とか言わないでおつきあいくださいませ。

まずは、インドの社会そのものが相当落語っぽいぞ、という話から。
インドの場合、そもそも貧しい庶民は長屋暮らしなわけで、そこに落語に欠かせない大家と店子の関係ってのがある。
インドの小説なんかを読むってえと、インドの大家はたいがい落語の「大工調べ」みたいな、義理も人情もない容赦ない悪役タイプと決まってるみたいなんですが。

それから貧富の差から奉公人制度(召使い、サーバントといったほうが良いのかな。最近じゃサーバントという言葉も前近代的ということであまりインドでも使わないようでもあるが)というのも今に至るまで残っていて、これまた落語的な社会制度が今日でも生きていると言える。

さらに、歴史的に生活の基盤となってきた「ジャーティ」(世襲的な生業による共同体。共同体ごとに貴賎の差もあり、いわゆる実質的な「カースト」)ってえのに基づいた「家業」があって、子が親のあとを継いで、徒弟制があって…というのも、今となってはだいぶ変わってきているけど、落語の世界(江戸〜明治)を思わせるところがあるってわけです。

あとはインドというのが一つの国でありながら、地理的、文化的に非常に広大だというのも、古い時代を彷彿とさせるところがある。
デリーとムンバイじゃ言葉も文化もだいぶ違って、江戸と上方みたいなものなのかもしれないし、いまでも大都会を離れると田舎はとことん田舎ってのも落語っぽい。
日本だと、違う街から出てきたら全然勝手がわからないとか、絵に描いたような「いなか者」ってもうフィクションに近いような気がするけど、インドだとまだまだリアリティーがある。

役人がいばってるのも封建社会の江戸時代っぽいような気もするし、道端のチャイ屋さんに若い衆がたむろしてたり、おかみさんたちが井戸端会議してたり、なんかあるとすぐ大勢寄ってたかって議論が始まったりするところとかも、いちいち落語っぽいよなあーと思うわけであります。
神頼みもみんな好きだしね。

あとインドって、街中の店だと定価制度じゃなくて、交渉して値段決めるでしょ。あのへんもすごく落語っぽいと思う。
落語でいうと例えば「壺算」。
水甕を買いに行くのに、高く売りつけられないように買い物上手の仲間を連れて行って甕屋と価格交渉するって筋なんだけど「大勢並ぶ甕屋の中でうちを選んでくれたんですから、勉強して3円50銭でいかがでしょう」ってところから始まるやり取りなんか、ものすごくインド的。
交渉して値切るのもそうだし、インドも、古い街だと生地屋なら生地屋、金物屋なら金物屋、って、同じ商売の店がまとまって並んでる。
ああ、あれって江戸と同じなんだなあって思う。
モノが水瓶ってのも、インドの田舎だとまだまだ現役だしね。

他の噺でも、例えば「猫の皿」のなんとかして値打ち物の皿を手に入れようっていうやり取りとか、「時そば」のしょうもないペテンとか、「インドっぽいなあ〜」って感じてしまう。
こんなふうに、インドは現代日本と比べて、ずいぶんと落語的っていうか、江戸的な世界だなあって思うんです。
古典落語って、今の日本だと、ある程度時代背景とか当時の社会のことを知らないと理解が難しい部分があったりするけど、インドだったらほとんど説明不要で通じるんじゃないかしら。
それだけ古い時代が残ってるとも言えるわけだけど。

英語で落語ができる噺家さんは何人かいるんだけど、インドでやるんだったら「進歩・教養・上流」の象徴である英語よりも、地元の言葉のヒンディー語とかベンガル語とかでやったらすごくはまりそう。
次に、インドの小説の中に出てくるエピソードで、「落語っぽいなあ」と感じたところをいくつかご紹介。(ちょっと長くなりますがご勘弁を)

例えばロヒントン・ミストリーの「A Fine Balance」(超名作なのに残念ながら未邦訳)は、仕立屋として暮らす未亡人のところに、彼女の友人の息子である学生(彼らはパールシーと呼ばれるゾロアスター教徒)と、故あって故郷から逃げてきたヒンドゥーの叔父・甥の二人組が住み込みの職人として働くっていう話。
この学生と甥っ子が、同世代同士、打ち解けて仲良くなってゆくところなんか、落語の若旦那と奉公人(出入りの商人も可)のやりとりみたいな面白みがある。
女主人(未亡人)の不在中に、2人で端切れでできた生理用品を「何だろこれ?」って投げあって大騒ぎして遊んでたら、気づかないうちに女主人が帰って大目玉を食らう、なんてシーンは、すごく落語的。

他にも、
「それを固くするために手でこする。それを中に入れるためになめる。何をしようとしてるか分かるかい」
「何って、そりゃセックスだろ」
「針に糸を入れるとこだよ」 なんていう小咄も出てくる。

スラムドッグ$ミリオネアの原作、ヴィカス・スワループの「ぼくと1ルピーの神様」(原題:Q&A)の中の武勲をたてた法螺吹き話をする元軍人のシーク教徒のじいさんの話なんかも落語っぽい。
悲劇的なエピソードではあるのだけど、長屋の仲間に「戦争の英雄だった」って話してたのが全部ホラだった、っていうしょうもない感じも非常に落語を感じる。
そもそも「ぼくと1ルピーの神様」自体が人情噺みたいなストーリーだし。

アラヴィンド・アディガの「グローバリズム出づる処の殺人者より」(原題:A White Tiger)っていう小説でも、主人公の貧しい運転手が、奉公先の奥さんが酒に酔って起こしたひき逃げ事故の身代わりに出頭することになって、
「刑務所に入ったらきっと他の受刑者にオカマを掘られるよなあ。そうだ、俺HIV持ちです、って言えばオカマ掘られないで済むかもしれない。でもそんなこと言ったらそういうのに慣れてると思われて余計オカマ掘られちゃうかもしれないなあ」
なんて悩むシーンが出てくるんだけど、この救いようの無さの中にどうしようもなく可笑しみが出てきてしまうあたりも、すごく落語っぽさを感じた。

面白いのが、ここで挙げた落語を感じる小説って、全部、貧しい層が主人公の話だったり、昔の話だったりすること。
イギリス出身でアメリカ国籍のインド系作家で、世界的に高い評価を得ているジュンパ・ラヒリとか、インド国内で大人気の、都会の中の上くらいの階級のトレンディドラマ的小説を書いているChetan Bhagatの小説なんかだと、いくら舞台がインドでも落語っぽい部分って見当たらないんだよなあ。

って、こんな発見を面白いって思ってるのは自分一人のような気もしないでも無いのですが、まあいいや、これにて新年の挨拶に代えさせて頂きたく候。
なんの画像もリンクもないのもさみしいので、写真はずいぶん若いころにインドのジャマー・マスジッドで撮った1枚。

今年もよろしくおねげえしやす。 
デリーにて若い頃
 


goshimasayama18 at 15:20|PermalinkComments(0)