インドのロック
2022年09月09日
いまひとつインド国内で人気のない今風かつ欧米風のポップス・アーティストたち
そんなに意識しているわけではないのだけど、考えてみるとこのブログで取り上げる音楽にはだいたい3パターンくらいあって、
- インドのインディペンデント・シーンで人気があるアーティスト
- いかにもインドらしいサウンドや社会的背景のあるアーティスト
- インドらしからぬ欧米的なサウンドや感性を持ったアーティスト
取り上げる対象がこの分類のどれかひとつにしか当てはまらないケースは少なくて、ほとんどの場合、この3つがユニークな形で組み合わさっている。
とくに記事にしやすいのが1と2の混合タイプで、人気があるアーティストであれば、媒体で取り上げられる回数も多いのでネタを集めやすいし、そこにインドならではの要素が入っていればさらに紹介する価値がある、というわけだ。
ヒップホップにしろロックにしろ電子音楽にしろ、欧米で生まれたカルチャーがインドでどう需要・解釈され、実践されているかというテーマは、インドのアーティストが奏でているサウンドと同じくらい刺激的で面白い。
で、問題は3だ。
最近のインドでは、洗練された欧米風ポップスを奏でるインディーズ・アーティストは本当に多い。
ブログを始めた2017年頃はいちいち「インドにもこんなアーティストがいた!」と記事にしていたものだが、今ではそのあまりの多さに、感動のハードルが大幅に上がってしまっている。
その結果、ブログのネタ帳には、ひたすら3のタイプのアーティストが溜まっていってしまうのである。
インドのリスナーはいまだに映画音楽をはじめとするドメスティックなサウンドを好む傾向が強い。
こうしたアーティストのほとんどが、ごく一部の音楽ファンに評価されるのみで、成功とは程遠い状況にいる。
つまり、彼らは音楽的にはなかなか質が高いのだけど、音以外、記事にするようなネタがほとんどないのだ。
今回は、そんな不憫な、しかしサウンド面ではけっこういい線行ってるアーティストたちをまとめて紹介したい。
まずは、EDMアーティストのShivam Bhatia.
Shivam Bhatia "God In Our Eyes"
今となっては古典的にすら感じられるポップ系EDMサウンドに乗せて、ものすごく直接的にドラッグのことを歌った曲。
歌っているのはSarah Solsticeなる白人女性シンガーで、おそらくはインターネットを介したコラボレーションと思われるが、インド国内のソングライターと欧米のシンガーの共演は、最近ちょくちょく見かける組み合わせだ。
この曲はYouTubeで12万回近く再生されている。
Shivam Bhatiaについて調べてみると、他にSpotifyで90万回以上再生されている曲もあるので、彼のことを無名アーティスト扱いするのはちょっと失礼かもしれないが、このサウンドの無個性さが一層の泡沫感(≒バブルガム・ポップ感)を掻き立てる。
印DM(勝手に命名したインド風EDM)っぽい路線に転向したりすると面白いと思うが、さて、今後どうなるだろう。
Chrmng, x milo, "DOSHTI"
続いての人たちも詳細不明。
Chrming,(カンマまでがアーティスト名)という人とmilo.という人(こちらもたぶんピリオドまでがアーティスト名)のコラボレーションで、全く情報がないのだけど、見た目的におそらくインド北東部の人だろうか。
Chrming,のインスタのアカウント名にバングラデシュの国旗があったので、バングラデシュのアーティストかもしれない。
インドのウェブメディアで国内アーティストと並んで紹介されていたので、おそらくはインドか、少なくとも南アジアとは関連がある人のはずだが、映像監督は韓国の人のようで、よく分からない。
8月27日に公開されたこのミュージックビデオの再生回数はまだ1,000回未満。
YouTubeのクレジットを見ると、撮影監督はエド・シーランで、主演女優はエマ・ワトソンとのこと。
ふざけてんのか。
サウンド的にはアコースティックギターを取り入れたメロウなポップスで、これまたどこかで聴いたことがありそうなスタイルだ。
ここまで無個性な音楽をやってるのだから、せめて誰がやってるのかくらいはっきりさせようぜ、と思わなくもないが、ヴェイパーウェイヴみたいな匿名的なコンセプチュアル・アートなのか。
謎が多い。
次のアーティストは正体がはっきりしている。
ハイデラバードの女性シンガー、PeekayことPranati Khannaが、ムンバイを拠点に活動しているAndrea Tariangと共演したこの"Sunshine On The Street"は、ソウルフルなヴォーカルが印象的なポップソング。
Peekay & Andrea Tariang "Sunshine On The Street"
昼下がりのカフェやFMラジオに映えそうなさわやかな音楽。
今年2月に発表されたこの曲の再生回数は7万回くらいとそれなりだが、インドの人口の多さを考えると、ヒット曲と呼ぶにはちょっと無理がある。
ちなみにAndrea Tariangは、メガラヤ州出身のベテラン・ブルースロック・バンドSoulmateのギタリストの娘だそう。
Unluv "Tera Jadoo"
メロウかつダンサブルな音楽を奏でるUnluvは、やはり情報が少ないアーティストで、インドを拠点に活動しているが、もしかしたらネパール系?のようでもある。
(彼の場合もインスタグラムにネパール国旗と「今はインドを拠点に活動」の記述があった)
この洋楽っぽい音楽性でヒンディー語詞というのは珍しい(部分的に英語)。
公開5ヶ月でYouTubeの再生回数は19,000回ほど。
インドでは英語詞の曲に比べてヒンディーなど現地語の曲のほうが人気が高い傾向があるが、それを考えるともっと評価されても良い曲なのだが。
最後に紹介するのはロック。
ムンバイ在住、弱冠20歳のDev Makes Musicが演奏するのは、ひねくれてないティーン向けっぽい、極めてポップなロックだ。
Dev Makes Music "Concert Tickets"
ところで、冒頭のシーンで左腕の内側に見えるのは、リストカットの跡?タトゥー?
曲を聞く限りは爽快でポップなロックで、ダークな要素はどこにも見当たらないのだけど。
ふと思い出したのが、以前同様の趣旨で書いた記事で取り上げたAnimeshのことで、彼の"Pressure on It"のジャケット(というか今ではサムネイルというべきか)にもリストカットをした腕が描かれていた。
一時停止して見ると、Devの場合はタトゥーでもリストカットでもなさそうで、なんだかよく分からない。
というわけで、やっぱり全体的によく分からない記事になってしまった。
今回書いた彼らの場合、そもそも人気アーティストではないので、インド国内で紹介されている記事なども見当たらず、SNSでの発信がインスタの画像ばっかりだったりすると、ほとんど書ける内容がないのだ。
率直に言って、今回紹介したアーティストたちの音楽は、ポップミュージックとしてのクオリティこそそれなりに高いものの、オリジナリティには欠けているとしか言いようがない。
知名度もそんなになさそうだし、セールスの面で楽観できるアーティストは一人もいないだろう。
だが、それでも、というか、だからこそ、欧米ポップス的目線で見るとバブルガムでコマーシャルな音楽を、彼らは本気で愛して演奏しているに違いない。
今回は全体的にちょっとナメた感じで書いてしまったが、彼らがもうちょっとたくさんの人に聴かれて「けっこういいじゃん」くらいの評価を得てもいいように思う。
実際、けっこういいと思うし。
また折を見てこのタイプのミュージシャンについても書いてみたい。
なにしろたくさんいるから。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 18:10|Permalink│Comments(0)
2022年06月04日
インド最高のメロディーメイカーPrateek Kuhad Electra Recordsから新作をリリース
ジャイプル出身のシンガーソングライターPrateek Kuhadが、アメリカの名門レーベルElektra Recordsから全曲英語のニューアルバム"The Way That Lovers Do"をリリースした。
彼がElektraと契約を結んだというニュースが流れてきたのは今から約1年半前。
個人的にインド最高のメロディーメイカーと信じてやまない彼が、いよいよ世界に知られる日が来るのか、と楽しみにしていた。
ところがその後、PrateekはElektraとの契約のことなんて忘れてしまったかのようにヒンディー語の楽曲を立て続けにリリース。
これがまたすごく良かったので(後述)、すっかりElektraとの契約なんてどうでもよくなってしまったんじゃないか、と思っていた。
まあ欧米の名門レーベルからリリースしないと世界のリスナーに音楽を届けられない時代でもないし、別にいいっちゃいいんだけど…と思っていたら、忘れた頃にこの11曲入りのアルバム発表の情報が飛び込んできた。
結論から言うと、今回も内容は素晴らしいの一言。
"All I Need"
繊細で叙情的なメロディーとハーモニー、シンプルながらも旋律を際立たせるアレンジ。
今作でもPrateekの本領が余すところなく発揮されている。
このアルバムは、米ワシントン州のシアトル郊外にある人里離れたBear Creek Studioで録音されている。
ここはFoo Fightersの"The Colour and the Shape"(1997)やSoundgardenの"Badmotorfinger"らのロックの名盤が録音されたことでも知られる伝説的なスタジオで、調べてみたら本当に山奥の小屋みたいなところだったのでびっくりした。
プロデュースはRyan Hadlock.
LumineersやVance Joyといった新世代のフォーク/アコースティックアーティストを手掛けている気鋭のプロデューサーだ。
ElektraがPrateekにかける期待が伝わってくる。
"Bloom"
この曲なんかはちょっと70年代のアメリカのシンガーソングライターみたいな雰囲気がある。
唯一、物足りなかった点を挙げるとしたら、彼が2年前にリリースしたヒンディー語の"Kasoor"みたいなキャッチーな大衆性がある曲が入っていたらもっと良かったかな、ということだ。
アルバムの出来には大満足しているのだけど、せっかく英語で歌っているのだから、彼の才能が分かりやすく世界中のリスナーに伝わる曲が入っていてほしかったのだ。
そんなふうに思っていたら、今作リリースにあたってのインタビューで、 Prateekがソングライティングについてこう語っているのを見つけた。
「このアルバムは、愛と人のつながりっていう、僕がいつも惹かれている2つのテーマについての本格的なストーリーなんだ。僕はどれだけ人気が出るかを考えて曲を作りたいとは思わない。もし誰かが1、2曲だけでも気に入ってもらえたら、それでいいと思ってる」
さらに、アルバムリリース後のツアーについてはこう語っている。
「ライブミュージシャンは、観客が喜んでくれるものを書く傾向がある。でも僕は意図的にそういうことをするのはやめようと努めた。自分がプレイしたものをやりたいようにやるっていうのが、少なくとも今のところ守ろうと思っている僕の価値観だよ」
(引用出典:https://www.grazia.co.in/lifestyle/culture/prateek-kuhad-on-the-true-meaning-of-authenticity-in-music-9471.html)
どうやら、名門レーベルからリリースするんだから、キャッチーで売れそうな曲を入れたら良かったのに、なんていう俗っぽいことを考えていたのは自分だけだったようだ。
Prateek本人はいたって自然体。
誠実に、自分が作りたい曲を作る。そのことに集中しているからこそ、ピュアで美しい音楽が生まれてくるのだろう。
また別のインタビューによると、彼の転機になったのは、学生時代のニューヨーク大学への留学だったという。
インドの古都ジャイプルから大都市ニューヨークに来たばかりの頃は、環境の違いに塞ぎ込んだこともあったそうが、彼はこの街の自由な環境をすぐに好きになったという。
人との関わりが強く、なにかと干渉されがちなインド社会と比べて、個人が自由に生きられるニューヨークは、彼の価値観を大きく変えたようだ。
彼はこの街で、自分らしく生きる喜びに出会い、音楽の道に真剣に取り組むことを決意したのだという。
(引用出典:https://www.thelineofbestfit.com/features/interviews/prateek-kuhad-on-the-rise)
自分に正直に、生きたいように生きる。
やりたいことを追求して、純粋な音楽作品を作る。
彼のこの哲学は間違いなくニューヨークでの経験から生まれたものなのだろう。
今作からは、これまで2本のミュージックビデオが制作されている。
"Just A Word"
この"Just A Word"の映像は、これまでにKhalidやWiz Khalifaといったトップアーティストのミュージックビデオを手掛けてきたAlex DiMarcoによるもの。
幻想的な柔らかい映像が楽曲にぴったりと合っている。
"Favorite Peeps"
こちらはインドのチーム(インドで活躍するウクライナ人映像作家Dar Gaiを含む)による作品。
パーティーで仲間たちから少し離れて、ちょっとだけ孤独そうに微笑む姿はPrateekの繊細な楽曲のイメージにふさわしい。
ちなみに前述のGraziaのインタビューによると、今作でエレクトロニック的な要素がこれまでよりも前面に出ているのは、制作中に彼がヒップホップやポップをよく聴いていたからとのこと。
エヴァーグリーンなメロディーでありながらも、きちんと現代的な音像でもあるところも本作の魅力のひとつだろう。
今後の予定としては、6月2日からテキサス州ダラスを皮切りに、6月28日のニューヨーク公演まで続く全米ツアー、そして9月以降は、ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、アイルランドを回るヨーロッパツアーが計画されている。
2019年には"Cold / Mess"がオバマ前大統領のフェイバリットに選ばれるなど、すでに一部では注目を集めていたPrateekだが、いよいよ本格的な世界進出となる。
彼の音楽がどんなリアクションで迎えられるのか、今からとても楽しみだ。
最後に、この記事でPrateek Kuhadのことを初めて知った人もいると思うので、彼の素晴らしいヒンディー語の楽曲も紹介しておく。
"Shehron Ke Raaz"
昨年7月、Elektraとの契約後にインディペンデント作品としてリリースされた"Sheron Ke Raaz"のこの美しいメロディー。
インド版"La La Land"的なミュージックビデオも絶品だ。
歌詞は「二人で過ごす特別な時間はこの街の秘密」といった内容。(別に不倫の歌ではない)
"Kasoor"
2020年にロックダウン下で製作されたがゆえにこのスタイルのミュージックビデオにしたのだろうが、楽曲も映像もじつに素晴らしく、個人的にこの"Kasoor"が2020年のベスト作品だと思っている。
こちらの歌詞は「君にすっかりまいってしまった僕、こんなふうになってしまったのは過ちだったのか」といった内容。
インドではバイリンガル(あるいはトリリンガル以上)で楽曲をリリースするアーティストも珍しくはないが、彼のそれぞれの言語の響きを生かしながらも美しい楽曲を作る才能は頭ひとつ抜けている。
日本でももっともっと評価されてほしい存在だ。
以前書いた彼についての記事も貼り付けておく。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 22:20|Permalink│Comments(0)
2022年05月08日
インドのアニメーション・ミュージックビデオ特集!(その2・コマ撮り編)
前回お届けしたインドのアニメーション・ミュージックビデオ特集。
これまでブログで紹介していなかった作品を中心に、5つの動画を紹介したけれど、まだまだ紹介しきれなかった作品がある。
ということで、今回は、インドのインディー音楽シーンのアニメーション・ミュージックビデオ特集第2弾。
「コマ撮りアニメ編」をお届けします!
デリーを拠点にするヒンディー・ロックバンドThe Local Trainの"Gustaakh"は、ネオン輝く近未来都市を舞台にした「怪獣もの」という意表を突く設定。
ハリウッドのSFか日本の特撮を思わせるインドらしからぬセンスだが、映像も非常に凝っていてこれがなかなか面白い。
(そのわりに、曲によっては1,000万から2,000万回再生されている彼らの楽曲のなかでは少なめな72万回再生なのがもったいない…)
2018年にリリースされた彼らのセカンドアルバム"Vaaqif"の収録曲で、ミュージックビデオは映画監督Vijesh RajanのシナリオをMosambi Juice Productionsなるスタジオが制作している。
彼らは毎回映画を思わせる凝ったミュージックビデオを作っているが、この作品も30人以上ものスタッフが関わって作られている。
ちなみに曲のタイトルはヒンディー語/ウルドゥー語で「傲慢」を意味しているようだ。
こちらもニューデリーのシンガーソングライターKamakshi Khannaの"Qareeb"(アラビア語由来の言葉で「近く」を意味しているらしい)は、フェルトを使ったやわらかな雰囲気が印象的なミュージックビデオだ。
ストーリーは、恋愛に拠り所をもとめていた孤独な若い女性が、音楽を通して自分に自信を取り戻すまでを描いたもの。
監督は実写作品も手掛けている映像作家のArsh Grewal.
彼女のインスタグラムを見ると、Parekh & SinghやSanjeeta Bhattacharya, Lifafaらのインディミュージシャンも数多くフォローしており、次なるコラボレーションに期待がかかる。
Kamakshi Khannaは最近リリースしたSanjeeta Bhattacharyaとのコラボレーション"Swimming"も女性たちだけの幻想的な世界観を美しく描いたミュージックビデオが秀逸だった。
コルカタ出身のシンガーソングライターTajdar Junaidの"Ekta Golpo"は、ベンガル民謡っぽい素朴なメロディーをカントリー的なアレンジで歌った曲。
Tajdar JunaidはWhale in the Pondと並んで、コルカタらしい詩的なサウンドのベンガリ・フォークポップを代表するアーティストだ。
楽曲のリリース数は少なく、マイペースに活動しているアーティストのようだが、昨年はムンバイのギタリストBlackstratbluesとのコラボレーションを発表している。
「雲の王国」を舞台にかわいらしい馬たちが繰り広げる民話的ストーリーのアニメーションは、Pigeon and Co.なるプロダクションが手掛けたもの。
こちらも素朴なサウンドに似合う幻想的な作風だ。
前回のアニメーション・ミュージックビデオ特集でも取り上げたTaba Chakeの"Morning Sun"は、身近なものを活かした、カジュアルながらもアイディアが光っている。
インド北東部シッキム州出身の映像作家Tribeny Raiが完全に予算ゼロで作った作品とのこと。
アコースティックかつポップな楽曲とよく合った映像作品に仕上がっている。
インドを代表するメロディーメイカー、Prateek Kuhadの"With You/For You"は、コマ撮りならではの実写を交えた映像が効果的。
ミュージックビデオを手掛けたのは、グラフィックデザイナーのKaran Kumar.
こちらもローバジェットながらも、カラフルでポップな色彩が曲調に合っている。
予算があるならあるなりに、無いなら無いなりに、楽曲に合わせた素敵な作品を作ってくるところにインドの映像作家たちの底力を感じる。
アニメーションのミュージックビデオ、じつはまだまだ紹介したい作品がたくさんあるのだけど、きりがないので今回はいったんここまで。
続きはまたいつか書いてみたいと思います。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 16:03|Permalink│Comments(0)
2022年05月05日
インドのアニメーション・ミュージックビデオ特集!(その1)
いつ頃からか、インドのインディペンデント音楽シーンで、面白いアニメのミュージックビデオが作られていることに気づいた。
その傾向は、密になっての撮影が困難となったコロナ禍以降、さらに加速している。
考えてみれば、もともと巨大な映画産業をバックボーンとした映像文化があり、近年ではIT人材でも世界を席巻しているインドで面白いアニメが作られるのは、必然とも言える。
インディーの映像作家の作品ゆえ、ローバジェットで荒削りなものも多いが、同様に限られた予算で音楽を作り、なんとかして印象に残るミュージックビデオを作りたいというインディーミュージシャンたちと意気投合してコラボレーションしているのだろう。ユニークな発想や感覚の作品が多く、どれもまるで短編映画を見るかのように楽しめる。
というわけで、今回はインドのインディー音楽シーンで見つけた、アニメーションのミュージックビデオ特集をお届けします。
Takar Nabam "Good Night"
Rolling Stone Indiaが選んだ2021年のベストミュージックビデオ部門の3位に選ばれたのがこの作品。
インド北東部アルナーチャル・プラデーシュ州出身のシンガーソングライターTakar Nabamの曲に、新進アニメーション作家のHage Nobin(名前と見た目を見る限り、彼もまた北東部出身者のようだ)が映像をつけた。
1954年に、ソ連による宇宙開発実験でスプートニク2号に乗せられて宇宙に打ち上げられ、そのまま命を絶った「はじめて宇宙空間に到達した地球の動物」である犬のライカをテーマにしたストーリーが胸を打つ。
初期ピクサー作品のような質感のCGアニメーションは、無国籍な雰囲気で「インドのアーティストが英語でソ連の犬のことを歌う」というこの曲によく似合っている。
Smoke Screen "Chiku"
マハーラーシュトラ州の学園都市プネーを拠点に活動するロックバンドSmokeScreenとニューデリーのアニメーション作家Ishan Srivastavaのコラボレーション。
カートゥーンのようなかわいらしい映像だが、ストーリーはかなり不憫なもの。
彼らによると「超ダークな喜劇」または「超こっけいな悲劇」というこの作品は、「聖書風であると同時に究極にニヒリスティックなショートムービー」だそうだ。
主人公の男の子は「神の子」を表しているのだろうか、あまりにも衝撃的な結末に開いた口がふさがらない。
Antariksh "Quest"
ニューデリーのギタリスト/ヴォーカリストのVarun Rajputを中心としたヒンディーロックバンドAntarikshの"Quest"は、シタールのソロを取り入れたプログレッシブ・メタル。
インドにはこの手のバンドが多いが、それはプログレッシブ・ロックとインド古典音楽が「リズムの複雑さ」という点で共通しているからなんじゃないか、と常々感じている。
このビデオはラッパーのPrabh Deepの作品も手掛けたことがあるビジュアル・アーティストのPratik Deyが監督を務めている。
インディペンデント制作にしてはかなりしっかりとした体制で作られた作品のようで、コンセプトとヴィジュアライゼーションにはPratikのほかにBalaram JとShreya Menonという人物が名を連ね、さらにバックグラウンド・アーティストとして3人、アニメーション担当として9人がクレジットされている。
時間が止まったディストピア的な世界(しかしそれは現代インドとよく似た世界でもある)を舞台とした物語に、メンバーの演奏シーンや不思議な世界を旅する男の映像が融合され、存在理由を問いかける哲学的な歌詞とあいまって、こちらも非常に印象的な作品。
ギターソロには、元メガデスで日本語が達者なことでも知られるマーティ・フリードマンが参加していて、彼もまたアニメーションで描かれている。
When Chai Met Toast "When We Feel Young"
ここまで、文学的だったり哲学的だったりする作品を紹介してきたが、日常やノスタルジーを上手に描いているアーティストも(アニメーションと音楽の両方に)存在する。
南インド・ケーララ州のバンドWhen Chai Met Toastのフォーク・ポップに、西インド・グジャラート州のAnjali Kamatによる独特のタッチのイラストがよく似合っていて、両者のコラボレーションは相性抜群だ。
彼女のアニメーションはアコースティックなサウンドを志向するアーティストによく取り上げられていて、例えば他にはこんな作品がある。
Taba Chake "Walk With Me"
Taba Chakeは最初に紹介したTakar Nabamと同じ北東部アルナーチャル・プラデーシュ出身のシンガーソングライターで、今ではムンバイを拠点に活動している。
彼もフォーキーなスタイルを特徴としていて、その世界観はAnjali Kamatのアニメーションと良く合う。
スマホが手放せない現代生活も、彼女の手にかかると、どこか優しくてあたたかみのある雰囲気に仕上がるのがさすがだ。
彼女は他にもPrateek Kuhadのリリックビデオなども手掛けていて、インドのインディーポップシーンに欠かせないアーティストになりつつある。
…と、今回はすでに5つもの作品を紹介してしまったので、ここまでにするけれど、ご覧の通り、作風もさまざまな映像作家たちが、インドのミュージシャンの音楽をアニメで彩っている。
インドには他にもまだまだ面白いアニメーションのミュージックビデオが存在しているので、続きは近いうちにまた書きたいと思います!
それでは!
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 13:59|Permalink│Comments(0)
2022年04月27日
突然変異? プログレッシブ・ドリームポップ Coral と Ruhdabeh
インドのインディーミュージックシーンは、その歴史の浅さに反してかなり多様である。
文化の多面性や爆発的な成長の勢いが、そのままシーンに反映されているのだ。
インドには、自分たちの伝統と西洋音楽を巧みに融合した「フュージョン」スタイルのアーティストもいれば、言われなければ南アジアのバンドだと全く気がつかない洋楽的なポップスを演奏しているアーティストもいる。
そのなかには、洋楽風ではあるが欧米にもなかなかいないような、ユニークな音楽をやっている人たちもいる。
今回特集するのは、まさにそういう突然変異的なアーティストたちで、あえてジャンル分けするならば「プログレッシブ・ドリームポップ」と呼べるようなアーティストを2組紹介したい。
まず1組目は、ムンバイを拠点に活動しているThe Second Sightだ。
もともとフォークっぽい音楽を奏でる男女2人組として出発した彼らは、今では4人編成のバンドとなり、それに合わせて音楽性もますます複雑化。
最近ではメディアにオルタナティブ・ソウル/R&B/フォーク/ジャズ・フュージョン・グループという全部盛りラーメンみたいな肩書きで呼ばれる存在となった。
例えば昨年11月に発表した彼らの現時点での最新アルバム"The Coral"収録の"Poison"はこんな感じだ。
浮遊感のあるメロディーやハーモニーはドリームポップっぽいのだけど、途中で複雑なリズムアレンジやドラマチックな展開があるところはプログレッシブ・ロック的。
それでも全体の質感はあくまでフォーク風の心地よさを持っているという、なんとも不思議なサウンドだ。
かと思えば、この"Fragile"ではベルベットのようにスムースなジャズポップを披露する器用っぷり。
変幻自在な音楽性を見せる今作のテーマは、気候変動、同性愛嫌悪(に対するプロテストということだろう)、ソーシャルメディア上の争い、メンタルヘルスと幅広く、メンバー以外にもRANJ(ベンガルールを拠点に活動する女性シンガー)、Warren Mendonsa(Blackstratbluesの名義で活躍するムンバイのギタリスト)、Princeton(ムンバイのラッパー)らが参加している。
個人的には、もうちょっとエッジの立った音色にしたほうが、さらに個性が際立ってかっこいいように思うのだが、いずれにしても彼らが唯一無二の音楽性を持つ面白いアーティストなのは間違いない。
彼らがこれからインド国内で、そして海外で、どんなふうに評価されてゆくのか、非常に楽しみな存在である。
続いて紹介するアーティストはRuhdabeh.
バンドではなく、ソロの女性シンガーだ。
この不思議な響きのアーティスト名は、10〜11世紀に成立したぺルシアの叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する姫(ルーダーベ)の名前のようだが、今でも一般的に使われている名前っぽいので、単にファーストネームをそのまま使って活動しているのかもしれない。
彼女の柔らかくも一筋縄ではいかない音楽センスは、たとえばこの"Of Love"を聴いてもらえばすぐに分かるだろう。
彼女もムンバイを拠点に活動していて、2022年の2月にファーストEP"Dissonance and Peace"をリリースしたばかり。
プロフィールによると、Phoebe Bridgers, The Japanese House, Troye Sivan, Patrick Wilson, dodie, Lizzy McAlpine, AURORA, Billie Eilish, Mitski, Bruno Major, Billie Marten Simon & Garfunkel, Adele, Harry Stylesらの非常に多様なアーティストからの影響を受けているそうで、正直にいうと彼女が名前を挙げたアーティストを半分も知らないが、この夢見心地なサウンドはそれだけ複合的なバックグラウンドから生まれているということなのだろう。
このアルバムの収録曲では、叙情的な美しさをたたえたこのフォークポップもなかなか素晴らしい。
"feels like eternity".
以前も書いたとおり、インド国内で洋楽的サウンドの英語ポップスを歌っているアーティストは、ローカル言語で歌うアーティストに比べて苦戦している傾向がある。
英語が得意な人が多いインドでも、やはりポピュラー音楽は母語で聴きたいという人が多いのだろう。(このあたりの事情は、日本とも似ているのかもしれない)
彼女たちのような洋楽的な個性は、むしろ海外のマーケットでこそ評価される可能性を秘めていそうだ。
問題は、こうしたサウンドを好む海外のリスナーが、なかなかインドのアーティストまでチェックしないということで、Ruhdabehなんて、Spotifyの再生回数はまだ1,000回以下だし、YouTubeでの再生回数はたったの数十回だ。
いくらなんでも、ちょっともったいなさすぎる。
世界が彼女たちの存在に気づいた時に、「遅いよ!」と言える日が来るのだろうか。
別にそう言いたくてインドのアーティストを推してるわけじゃないんだけどさ。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 22:48|Permalink│Comments(0)
2022年04月03日
インドで洋楽的音楽をどうやって表現するかという問題
あたりまえすぎる話だが、インドという国は、アメリカやイギリスとは全く異なる文化的背景を持っている。
そんな彼らが欧米で生まれたロックやヒップホップを演奏しようとするとき、「インド人であること」とどうやって向き合っているのだろうか、というのが今回のテーマ。
日本でも、欧米由来のポップミュージックを定着させるために、さまざまな手法が編み出されてきた。
例えば、日本語を英語っぽく発音して歌ったり(矢沢、桑田等)、逆に日本語らしい響きをあえてロックに乗せてみたり(はっぴいえんど等)、普通にロックっぽい服や髪型にしても似合わないので、とことん化粧を濃くして髪の毛を極限まで逆だてることで違和感を逆手に取ってみたり(初期ビジュアル系)といった方法論のことである。
日本と比べてインディペンデント音楽の歴史の浅いインドでは、今まさに、インド的な文化と欧米由来の表現をどう両立させるか、いろんなアーティストがいろんなスタイルを確立している真っ最中。
というわけで、今回は、完全な独断で、彼らの取り組み方を3つに分類して紹介してみます。
分類その1:「オシャレ洋楽追求型」
ひとつめのタイプは、インドらしさと欧米の音楽を無理に折衷しようとしないで、もうとことん洋楽的なセンスを追求してしまおう、というスタイル。
ふだんチャパティーにダール(食事として一般的な豆カレー)をつけて食べている現実をとりあえずなかったことにして、パンにジャムを塗って食べてる欧米とおんなじスタイルでやってみました、という方法論だ。
彼らはたいてい英語で歌っていて、音を聴いただけではインド人だとはまったく分からないようなサウンドを作っている。
インドは英語が準公用語のれっきとした英語圏。
英語で教育を受けている若者たちも多く、やろうと思えばこれができてしまうのがインドの底力でもある。
例えば、毎回超オシャレなミュージックビデオを作るコルカタのParekh & Singh.
Parekh & Singh "I Love You Baby, I Love You Doll"
彼らの顔立ちと最後の農村風景でインドのアーティストであることが分かるが、逆にいうとそれ以外はインドらしい要素はまったくないサウンドと世界観だ。
ムンバイの女性R&BシンガーKayanも、毎回オシャレ洋楽風のサウンドとミュージックビデオを作っている。
Kayan "Cool Kids"
あたり前といえばあたり前だが、この手のサウンドを志向するアーティストはほとんどが都会出身。
おそらくだが、彼らはべつに無理してオシャレぶっているわけではなくて(それもあるかもしれないが)、海外での生活経験があったり、ふだんから欧米的なライフスタイルで生活していたりするために、ごく自然とこうした世界観の作品を作っているのだろう。
クラブミュージック界隈にもこの傾向は強くて、例えば俳優のJim Sarbhを起用したこのApe Echoesあたりは音も映像もかなりセンスよく仕上がっている。
Ape Echoes "Hold Tight"
オシャレとは真逆になるが、ヘヴィメタルもこの傾向が強い。
要はそれだけ様式が確立しているからだと思うのだが、彼らがバイクを疾走させるハイウェイには、間違ってもオートリクシャーとか積荷満載の南アジア的デコトラは走っていない。
Against Evil "Mean Machine"
…と、インド人であることを「なかったこと」にして表現を追求するオシャレ洋楽型のアーティストだが、面白いのは、彼らのなかに、サウンドでは洋楽的な音を追求しながらも、ミュージックビデオではインド的な要素を強く打ち出しているアーティストがいるということだ。
例えば、インドのオシャレ洋楽型アーティストの最右翼に位置づけられるデリーのヴィンテージポップバンド、Peter Cat Recording Co.
Peter Cat Recording Co. "Floated By"
バカラック的なヴィンテージポップを退廃的な雰囲気で演奏する彼らのミュージックビデオは、なぜかインドの伝統的な結婚式だ。
ひょっとしたらインドの伝統とオールディーズ的なポップサウンドは、彼らの中で「ノスタルジー」というキーワードで繋がっているのかもしれない。
ケーララ州出身のフォークポップバンドWhen Chai Met Toastの"Yellow Pepar Daisy"は、「未来から現代を振り返る」という飛び道具的な手法で、懐かしさと現代を結びつけている。
When Chai Met Toast "Yellow Paper Daisy"
無国籍的なアニメを導入したEasy Wanderlingsの"Beneath the Fireworks"でも、サリー姿の女性などインド的な要素が見て取れる。
Easy Wanderlings "Beneath the Fireworks"
この、「音は洋楽、映像はインド」というスタイルは、洋楽的なサウンドとインド人としてのルーツが彼らの中に違和感なく共存しているからこそ実践されているのだろう。
分類その2:「フュージョン型」
次に紹介するスタイルは「フュージョン型」。
洋楽的なサウンドとインドの文化的アイデンティティの融合を図ろうとしているアーティストたちだ。
フュージョンという言葉は、インドの音楽シーンでは伝統音楽と西洋音楽を融合させたスタイルを表す言葉として古くから使われてきた。
現代インドでその代表格を挙げるとするならば、例えば、このブログで常々「印DM」として紹介しているRitvizだ。
Ritviz "Liggi"
EDMにインドっぽい旋律をごく自然に融合させ、ミュージックビデオでも伝統と欧米文化が共存しているインドの今をクールに描くRitvizは、まさに現代のフュージョン・アーティストだ。
ヒップホップでフュージョンスタイルを代表するアーティストといえば、ムンバイのSwadesiをおいて他にない。
彼らは政治的・社会的テーマを常に題材にしながらも、インドの大地に根ざした表現を常に意識しており、さまざまな古典音楽や伝統音楽のリズムとヒップホップの融合を試みてきた。
彼らのSwadesiというアーティスト名は、そもそもインド独立運動の一環として巻き起こった国産品愛用を呼びかける「スワデーシー運動」から取られており、その名前からもインドの社会に根ざしつつ、文化と伝統を大事にするというアティテュードが伝わってくる。
この曲では、古典音楽のパーカッショニストViveick Rajagopalanと共演している。
Viveick Rajagopalan feat. Swadesi "Ta Dhom"
彼らは他にも、イギリス在住のインド系ドラマーSarathy Korwarと共演したり、少数民族ワールリー族のリズムやアートを取り入れて彼らの権利を訴えたり("Warli Revolt")と、常に伝統とヒップホップとの接点でありつづけてきた。
大変悲しいことに、Swadesiのメンバーの一人、MC Tod Fodが24歳の若さで亡くなったというニュースが先日飛び込んできた。(この曲では2:44あたりからラップを披露しているのがTodFodだ)
この曲のリリースは2017年なので、当時、彼はまだ19歳だったということになる。
ヒップホップ黎明期のインドで、あまりにも明確にスタイルを確立していたため、彼はてっきりもっと年上のアーティストなのだと思っていた。
インドは今後のインディペンデント・ミュージック・シーンを担う大きな才能を失った。
改めて彼の冥福を祈りたい。
話を戻す。
エレクトロニカの分野でユニークなフュージョン・サウンドを作り出しているアーティストがLifafa.
彼は「オシャレ洋楽型アーティスト」として紹介したPeter Cat Recording Co.のヴォーカリストでもあり、ふたつのスタイルを股に掛ける非常に面白い存在である。
Lifafa "Wahin Ka Wahin"
イントロや間奏で使われているのは、パンジャーブ地方の民謡"Bhabo Kehndi Eh"のメロディー。
極めて現代的な空気感と伝統を巧みに融合させるセンスはインドならでは。
インドでも世界でも、もっと評価されてほしいアーティストの一人だ。
ロックとインド音楽のフュージョンは、ビートルズの時代から取り組まれてきた古くて新しいテーマだ。
インド人の手にかかると、インドの楽器を導入するだけでなく、ヴォーカル的あるいはリズム的なアプローチが取られることが多くなる。
Pakshee "Raah Piya"
Agam "Mist of Capricorn"
古典音楽への深い理解があって初めて再現できるこのサウンドは、単なるエキゾチシズムでインドの要素を取り入れている欧米のロックミュージシャンには絶対に出せない、本場ならではのスタイルだ。
そして第3の分類は、このフュージョン型の派生系とも言えるスタイル。
分類その3:「ステレオタイプ利用型」
他のあらゆる国でもそうであるように、インドでも、リアルなローカル文化と外国人が求める「インドらしさ」には若干の相違がある。
例えば、よく旅行者が土産物屋で買って着ているような、タイダイ染めにシヴァ神やガネーシャ神が描かれたTシャツを着ているインド人はまずいない。
漢字で「一番」と書かれたTシャツを着ている日本人がいないのと同じことだ。
ところが、タイダイに神様がプリントされたTシャツを作って売っているインド人がいるのと同じように、いかにもステレオタイプなイメージをうまく利用して、海外からの注目を集めているアーティストたちが、少ないながらも存在している。
この方法論に気がついたのは、前回紹介したBloodywoodのミュージックビデオを見ていたときだった。
Bloodywood "Dana Dan"
Bloodywood "Machi Bhasad"
サウンド的にはバングラー的なアゲまくるリズムを違和感なくメタルに融合している彼らだが、よく見るとミュージックビデオはなかなかあざとく作られている。
"Dana Dan"のいかにもナンチャッテインド風の格好をした女性ダンサーとか、"Machi Bhasad"のロケ地はラージャスターンなのに突然パンジャーブのバングラー・ダンサーが出現するところとか、「キャッチーなインドっぽさを出すためには多少の不自然は気にしない」というスタンスがあるように感じられるのだ。
念のため言っておくと、別に彼らのこのしたたかな方法論を批判するつもりはない。
YouTubeのコメント欄を見ると、Bloodywoodのミュージックビデオは外国人による賞賛がほとんど。
他のインドのアーティストのYouYubeのコメント欄が、どんなに洋楽的なスタイルで表現しても、インド人のコメントで溢れているのとは対照的だ。
ステレオタイプは偏見や差別の温床にもなりうるやっかいなものだが、ショービジネスにおいては、分かりやすく個性を打ち出し、注目を集めるための武器にもなり得る。
この方法論を非常に有効に使ったのが、フィメール・ラッパーSofia Ashrafだ。
Sofia Ashraf "Kodaikanal Won't"
彼女はグローバル企業の工場がタミルナードゥ州で引き起こした土壌汚染に対する抗議を世界に知らしめるために、サリー姿でNicki Minajのヒット曲"Anaconda"をカバーするという手法を選んだ(しかもラップとはいい意味でミスマッチな古典舞踊つき)。
ショートカットでタトゥーの入った見た目から判断すると、おそらくSofia Ashrafはサリーよりも洋装でいることが多い現代的(西洋的という意味で)な女性だと思うが、この判断は見事に的中し、このミュージックビデオはNicki Minaj本人がリツイートするなど、大きな注目を集め、抗議活動に大きく寄与した。
おそらく、洋楽っぽいオリジナル曲や、典型的なインド音楽で訴えても、南アジアのローカルな問題が世界の注目を集めることは難しかっただろう。
当時、彼女のラップのスキルはそこまで高くはなかったが、このステレオタイプの利用というアイデアが、成功をもたらしたのだ。
ダンスミュージックの分野では、欧米目線で形成されたインドのサイケデリックなイメージを自ら活用する例も見られる。
ムンバイの電子音楽家OAFFのこのミュージックビデオは、伝統的な絵画を使って全く新しい世界を再構築している。
OAFF x Landslands "Grip"
映像作家はフランス出身のThomas Rebour.
インド的な映像をあえて外国のアーティストに制作させて、新しい感覚を生み出しているのが面白い。
例を挙げればまだいくらでも紹介できそうなのだけど、きりがないので今回はこのくらいにしておく。
何が言いたいのかというと、グローバリゼーションが進んだ結果、世界が画一化してつまらなくなるのかというと、必ずしもそういうわけではなくて、結局やっぱりそれぞれの地域から、ユニークで面白いものが生まれてくるんだなあ、ということ。
いつも書いているようにインドの音楽シーンは爆発的な発展の真っ最中で、これからもますます面白い作品が期待できそうだ。
もちろん、どのスタイルのアーティストでも、積極的に紹介していくつもりです。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 23:06|Permalink│Comments(0)
2022年03月21日
驚愕のバングラー・メタル Bloodywoodを知っているか?
先日紹介したMC STAN同様、このBloodywoodについても紹介するのが遅くなりすぎたと言わざるを得ない。
彼らはすでに、ここ日本でもその筋ではそれなりの知名度を持っているからだ。
「その筋」とはどの筋かと言うと、「コアなヘヴィメタルファン」のことだ。
彼らのバンド名で検索すると、すでに日本語で紹介されているネットの記事がいくつもヒットする。
彼らが先月発表したニューアルバム"Rakshak"の評判が、また非常に良い。
さっそく収録曲を聴いてみよう。
"Machi Bhased"
"Dana Dan"
ひと目見てインドのバンドだと分かる強烈な個性を打ち出しつつ、ラップメタルとして非常にキャッチーかつかっこよく仕上がっているのがお分かりだろう。
彼らの音楽の最大の特徴は、インド北西部パンジャーブ地方の伝統的舞踊音楽「バングラー」を大胆に導入していること。
インドの伝統音楽とメタルの融合は、じつは多くの先例があるのだが(例えばPineapple Express)、これまでは、古典音楽の複雑なリズムをプログレッシヴメタルと組み合わせるスタイルが主流で、素朴なダンスミュージックであるバングラーの導入はありそうでなかった切り口だ。
ブラジルのSepulturaは、90年代にグルーヴメタルに母国の伝統音楽のリズムを取り入れて度肝を抜いたが、Bloodywoodの手法はそのインド版と呼ぶことができる。
ジャンルとしては、彼らのサウンドはメタルに民族的な伝統音楽を融合した「インド風フォークメタル」ということになるだろう。
Bloodywoodが結成されたのは2016年。
当初はギタリストのKaran KatiyarとヴォーカルのJayant Bhadulaによるデュオで、その名の通りボリウッドのヒット曲や洋楽の有名曲をカバーするパロディ・バンドだった。
ヘヴィメタル、とくにデスメタルのようなエクストリームなメタル・ミュージックは、その激しすぎる音楽性から、いわゆるネタ的な音楽としても人気が高い。
ポップなヒット曲をひたすらヘヴィにカバーする動画は、YouTubeの音楽動画の鉄板コンテンツだ。
おもしろカバー曲を中心に当初はYouTuber的な活動を繰り広げていた2人だったが、彼らの動画は思いのほか人気を集め、Karan Katiyarは企業の顧問弁護士という安定したキャリアを捨てて、音楽活動に専念する道を選ぶ。
2017年にはファーストアルバム"Anti-Pop Vol.1"をリリース。
このアルバムは全曲カバーアルバムで構成されていて、収録曲は、例えばRick Astleyの"Never Gonna Give You Up"のメタルカバー。
もはやオリジナルの面影はほとんどないが、これはこれでメタルとしては非常にかっこよく仕上がっている。
こちらは日本でもネタ的な動画でよく使われるDaler Mehndiの"Tunak Tunak Tun"のメタルバージョンで、ブラジルのコミックメタルバンド、Bonde de Metaleiroとの共演による濃すぎるカバーだ。
ちなみに原曲はこちら。
原曲の時点ですでに相当濃い。
バンドの転機となったのは、ラッパーのRaoul Kerrの加入だ。
彼はこの"Ari Ari"での共演をきっかけに、のちにバンドの正式メンバーとなる。
オリジナルはデンマーク人とインド人によるプロジェクトThe Bombay Rockersの2003年による曲だそうで、デンマークとインドではまあまあ有名な曲らしい。
彼らは他のインドのメタルバンドが避けてきた「ステレオタイプなインドっぽさ」を躊躇なく取り入れて、目新しさと面白さで世界中の耳目を集めてゆく。
ひたすらにコワモテなヘヴィメタルは、歌って踊るカラフルなインドのボリウッド的大衆文化とは全く相容れない。
インドのメタルバンドは、「ネタ的」に消費されかねないインドっぽい要素を排除することが多いのだが、Bloodywoodは、そうしたミスマッチ感覚をあえて強調することで、これまでどこにもなかった唯一無二のサウンドと世界観を作り出すことに成功した。
(ヒンドゥー神話をテーマにしたヴェーディック・メタルというジャンルもあることはあるのだが)
この意外性のある方法論を発見することができたのは、注目されてナンボのYouTuberという出自を持っているからこそだろう。
この頃からバンドはコミカルなパロディ的カバーではなく、シリアスなテーマを扱ったオリジナル曲をリリースするようになる。
ネタっぽかったプロジェクトがユニークさを評価されてマジなバンドになったという例は、日本で言うと、Babymetalに近い売れ方と言えるかもしれない。
この曲では、これまでの曲とはうってかわって、「心の病と鬱」という極めてシリアスなテーマを扱っている。
この"Endurant"はいじめ問題をテーマにした曲。
あいかわらず分かりやすくインド的な要素を導入しているが、ヘヴィミュージックとしての完成度の高さによって、ネタっぽさのないメタル・サウンドに仕上がっている。
彼らはLinkin Park, Rage Against the Machine, System of a Down, Limp Bizkitらに影響を受けているとのこと。
まあとにかく、ラップメタルの影響とこれまでのネタっぽいカバー曲のアレンジを融合して、かれらはこれまでどこにもなかったインド的ラップメタルサウンドを研ぎ澄ませることに成功たのだ。
2019年にはヘヴィメタル界最大のフェスであるドイツのWacken Open Airに出演。
それに続くヨーロッパツアー"Raj Against the Machine Tour"(言うまでもなく彼らの音楽的影響のひとつであるRage Against the Machineのパロディーで、Rajは「統治体制」を表すヒンディー語)も好評を得たという。
コロナ後もBloodywoodの勢いはとどまることを知らず、イギリスのMetal Hammer誌が選出する「2022年に注目すべき新人12バンド」にも選ばれている。
今回リリースした"Rakshak"は、カバー曲を排して全曲オリジナルで構成されており、コミカルなカバーバンドのイメージからの完全な脱却を図っている。
これまでもこのブログで紹介してきた通り、インドは隠れたヘヴィメタル大国で、優れたバンドが数多くいるのだが、世界的な人気を集めるようなバンドはこれまで登場してきていない。
こうした状況をBloodywoodが打ち破ることができるのか。
2022年の夏からは、いくつかのメタル系フェスへの出演を含むヨーロッパツアーが予定されている。
今後の彼らの世界での活躍に注目したい。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 21:12|Permalink│Comments(2)
2022年03月10日
SXSW2022に出演するインドのアーティストを紹介!
米テキサス州オースティンで、3月11日から10日間にわたって開催されるサウス・バイ・サウスウエスト。
'SXSW'の略称でも有名なこのイベントは、音楽・映画・ネットメディア・ゲームといったカルチャーの巨大見本市で、今後のトレンドを占う重要な場となっている。
SXSWでは、これまでにNorah Jones, The White Stripes, Franz Ferdinandといったアーティストが発掘されており、またTwitterやSpotifyといったオンラインサービスが最初に注目を集めたイベントとしても知られている。
(ちなみに日本のアーティストでは、X JAPAN, Perfume, CHAI, 東京スカパラダイスオーケストラらが過去に出演している)
このネクストカルチャーの一大ショーケースに、今年インドから出演するアーティストたちがいる。
そのうちのひと組が、このブログでも何度も紹介しているプネー出身のドリームポップバンド、Easy Wanderlingsだ。
彼らは昨年リリースした新曲"Enemy"でも、エヴァーグリーンなポップセンスを存分に見せつけてくれた。
SanyことSanyanth Narothのメロディーメイカーとしての才能はもっと評価されるべきだと以前から思っていたので、こうしたブレイクの機会は非常にうれしい。
ニューデリーからは、エレクトロニック系シンガーソングライターのKavya TrehanとKomorebi, アコースティックなスタイルで活動するシンガーソングライターのHanita Bhambriが出演する。
3人とも、インドのインディペンデント・シーンでは以前から評価の高かったアーティストだ。
他には、ムンバイのシンガー・ソングライターKayanと、チェンナイのロックバンドF16sのシンガーJBABE(Josh Fernandez)が出演する。
いずれも都会的なサウンドを特徴とするアーティストが選ばれていて、「哲学やヨーガやカースト制度で知られる悠久の国インド」ではなく、「優秀なエンジニアやグローバル企業のトップを数多く輩出している国際的で発展著しいインド」を感じさせるラインナップではある。
ヒンディー語で歌っているKomorebi以外は、音だけ聴いている限りでは誰もインドのアーティストだとは気づかないだろう。
(実際は、Hanita Bhambriもヒンディー語で歌うことがあるし、Komorebiは英語で歌うこともある)
こうしたインドのグローバルな面(というか欧米カルチャー的な部分)が注目されること自体は、ステレオタイプを壊すという意味でいいことだと思うのだけれども、率直に言って、SXSWみたいなイベントには、もっと「インドっぽさ」を前面に出したアーティストが参加したほうが絶対に面白いんじゃないだろうか。
SXSWでは、期間中に音楽部門だけでも2000近いパフォーマンスが行なわれる。
今回インドから参加するアーティストたちがいずれも質の高い音楽を作っていることは言うまでもないが、世界中の気鋭が集まるなかで「センスは良いが強烈な個性に欠ける洋楽的サウンド」が注目を集めるのは並大抵のことではない。
まして、世界のポピュラーミュージックシーンの辺境の地である南アジアからの参加となればなおさらだ。
それだったら、むしろRitvizとかPrabh DeepとかLifafaみたいな、もっと強烈にインドっぽくて、それでいて今の世界的な音楽シーンとも共振しているアーティストを紹介した方が、結果的にインドのインディペンデント音楽シーンのポテンシャルを印象づけることができるんじゃないかと思う。
Ritvizをはじめとする"印DM"勢ももっと世界で聴かれてほしい。
インドのヒップホップシーンは多士済々だが、言葉が通じないSXSWで最大限にアピールすることを考えると、サウンドのユニークさと声の良さからPrabh Deepかな、と思う。
Lifafaの所属するPeter Cat Recording Co.もセンスの良いバンドだが、インドらしさと唯一無二のサウンドセンスという点ではソロ作だろう。
SXSWの出演ミュージシャンは、自薦によってエントリーして、審査を経て選ばれることになっている。
ふと思ったのだが、もしかしたら、ここで挙げたような、インドっぽくてなおかつ質の高い音楽をやってるミュージシャンは、はじめからSXSWのような海外マーケット向けのプロモーションには興味がないのかもしれない。
なぜかというと、彼らは海外よりもインド国内をマーケットとして想定しているフシがあるからだ。
インドでは、インディーミュージックであっても、英語よりもヒンディー語などのローカル言語で歌われている曲のほうが人気を集めやすい。
こうした傾向は、YouTubeの再生回数からも見て取れて、たとえば英語とローカル言語の両方で楽曲をリリースしているアーティストだと、ほとんどの場合、ローカル言語の曲の方が再生回数が多くなっている。
国内のアーティストが好きなリスナーは、英語よりも母語の曲を好んでいるというわけだ。
一方で、英語で歌われる曲は、インド国内ではそこまで求められていないという現実がある。
もちろんインドにも洋楽志向のリスナーはいるが、彼らは欧米のアーティストばかりチェックしていて国内のシーンにはあまり注目していないし、洋楽と比べてドメスティックな音楽を低く見る傾向があるようだ。
こうした状況は、日本とも少し似たところがあるかもしれない。
このように、インドの洋楽志向のアーティストを取り巻く環境はなかなかに厳しいものがあるのだが、だからこそ、このブログで、彼らが日本で注目されるきっかけを作れたらいいなと密かに思っている。
いずれにしても、世界中のポップミュージックのリスナーが無意識に持っている「英語ポップスは欧米のもの」というバリアーをいかに壊すことができるかが、インドの(洋楽的)インディーミュージシャンが世界に飛躍するための大きな課題なのだ。
なんだか話がとっちらかってきたけれど、そんなことを考えながらいつもインドのアーティストを紹介している次第です。
オースティンで少しでもインドのアーティストたちが爪痕を残してくれることを期待しています。
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 19:35|Permalink│Comments(0)
2022年02月26日
インドのアーティストたちによるカバー曲 番外編!
「カバー曲を通じて音楽の楽しみ方を提案するサイト」"eyeshadow"に、インドのミュージシャンが洋楽の有名曲など(1曲はボリウッドの人気曲)をカバーした10曲を選んで書かせてもらいました。
音楽業界のそうそうたる顔ぶれのみなさんに混じって声をかけていただき、うれしい限りです。
常々、「インドのインディペンデント・シーンが面白い」ってなことを言っているわけですが、そもそも自分以外でここに注目している人はほぼ皆無なわけで、なかなか興味を持ってもらうことが難しいジャンルなのは百も承知。
インドのインディーミュージックの面白さは、単にサウンド面だけではなく「欧米発のポピュラー音楽やポップカルチャーが、インドという磁場でどう変容するのか(あるいはしないのか)、それがローカル社会でどんな意味を持ち、どう受け入れられるのか」という部分にあると感じているのだけど、そういう目線で考えると、「インドのアーティストがどんな曲をどう解釈してカバーするのか」というのは、すごく意味深いアプローチの仕方だなあと思った次第です。
どうしてこれまで気がつかなかったんだろう。
ともかく、10曲選ぶにあたり、けっこう面白いのに選に漏れてしまった楽曲がいくつかあるので、今回はそういう楽曲たちを紹介します。
Thanda Thanda Pani "Baba Sehgal"
QueenとDavid Bowieが共演した"Under Pressure"をまんまサンプリングしたVanilla Iceの"Ice Ice Baby"を、さらにそのままパクった曲。
タイトルは'Cold Cold Water' という意味で(つまりほぼ意味はない)、歌っているのは「インドで最初のラッパー」Baba Sehgal.
今ではすっかりひとつのカルチャーとして定着しつつあるインドのヒップホップだが、その最初の一歩はこのしょうもない曲だったということはきちんと押さえておきたい。
それにしても、この曲のリリースが1992年というのは早い。
在外南アジア人によるヒップホップムーブメントであるDesi HipHopの象徴的存在だったBohemiaのデビュー(2002年)より10年もさきがけているし、ムンバイのストリートヒップホップ「ガリーラップ(gully rap)」誕生と比べると25年近く早いということになる。
この曲はインドのポピュラーミュージック史におけるオーパーツみたいな存在なのだ。
ちなみに日本だとm.c.A.Tの"Bomb a Head"が1993年で、EAST END×YURIの"DA.YO.NE"が1994年だから、それよりも早いということになる。
(ただし、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は1984年で、やはり日本のヒップホップ受容よりも10年早い。Baba Sehgalも吉幾三的な存在だった可能性も否めない)
こちらは以前書いた関連記事です。
Su Real "Pakis in Paris"
言うまでもなくJay-ZとKanye Westによる"Niggas in Paris"のカバー。
デリー出身のDJ/ビートメーカーSu Realによる2016年のアルバム"Twerkistan"(名盤!)の収録曲で、ベンガルールのCharles Dickinsonなるラッパーがゲスト参加している。
Su Realはベースミュージックやダンスホールレゲエに南アジアの要素を導入したスタイルで活動しているアーティスト。
このブログの第1回目の記事で紹介した記念すべき存在でもある(これがその時の記事。当初は落語っぽい口調でインドの音楽を紹介するという謎のコンセプトだった)。
以前からインドのドメスティックな市場以外でも評価されて良い才能だと思っているのだけど、最近では国内のラップシーンの隆盛に合わせてラッパーのためのビート作りに活動の軸足を移しているようでもあり、なんだかちょっとやきもきしている。
ところで、Pakiという言葉は、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも出てきた通り、パキスタン人(あるいは、広く南アジア系)への蔑称でもあると思うのだけど、この言葉をパキスタンと対立関係にあるインド人が使うのは問題ないのだろうか。
黒人がniggaという言葉を使うのと同じニュアンスで、インド人が南アジア系であることを逆説的に誇る言葉として使っても差し支えないものなのか、ちょっと気になるところではある。
High "Wasted Words"
インド東部、ベンガル地方の都市コルカタは、イギリス統治時代の支配拠点だったこともあり、古くから西洋文化の受容が進んでいた街でもあった(その反発が、結果的にインド独立運動の起爆剤にもなるのだが)。
コルカタでは、イギリス人の血を引く「アングロ・インディアン」と呼ばれるコミュニティを中心としたロックバンドが1960年代から存在していたが、やがて彼らの多くが海外に渡ってしまい、そうした伝統も今ではすっかり途絶えてしまったようだ。
彼らが活動していた時代は、楽器や機材の調達もままならず、自分たちで機材を作ったり、選挙活動用のスピーカーを使ったり、工夫を重ねて演奏を続けていたようだ。
これはそうしたバンドのひとつ、HighによるAllman Brothers Bandのカバー曲。
Highの中心人物Dilip Balakrishnanは、The Cavaliers, Great Bearといったインディアン・ロックのパイオニア的バンドを経てHighを結成したが、その音楽活動は経済的成功には程遠く、インドのインディペンデント音楽の隆盛を見ないまま、1990年に39歳の若さでこの世を去った。
彼の死から20年が経過した2010年代以降、コルカタには新しい世代によるロックやヒップホップのシーンが生まれ、今ではParekh & Singh, Whale in the Pond, Cizzyといった才能あるアーティストが活躍している。
Against Evil "Ace of Spades"
言わずと知れた暴走ロックンロールバンドMotorheadの名曲を、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州出身の正統派ヘヴィメタルバンドAgainst Evilがカバーしたのがこちら。
今のインドのインディーミュージックについて書くなら、メタルシーンについても触れないわけにはいけないなあ、と思っていたのだけど、eyeshadowさんの記事には結局、Pineapple Expressの"Dil Se"をセレクトした。
彼らのバカテク&古典音楽混じりの音楽性と、ボリウッドのカバーという面白さのほうを優先してしまったのだが、メタルファンによるメタルファンのためのメタルカバーといった趣のこちらもカッコいい。
高めのマイクスタンド、ジャック・ダニエルズなどの小道具からも彼らのMotorhead愛が伝わってくる。
テクニカルなプログレ系や激しさを追求したデスメタル系に偏りがちなインドのメタルシーンにおいて、珍しく直球なスタイルがシブくてイカす。
Godless "Angel of Death"
Slayerによるスラッシュメタルを代表する名曲を、ハイデラバードのデスメタルバンドGodlessがカバー。
GodlessはRolling Stone Indiaが選出する2021年のベストアルバムTop10の6位にランクインしたこともある実力派バンド。
その時の記事にも書いたのだが、宗教対立のニュースも多いインドで、ヒンドゥーとムスリムのメンバーが'Godless'、すなわち神の不在を名乗って仲良く反宗教的な音楽を演奏するということに、どこかユートピアめいたものを感じてしまう。
この曲に関しては説明は不要だろう。
原曲が持つ激しさや暴力性をとことん煮詰めたようなパフォーマンスは圧巻の一言。
Sanoli Chowdhury "Love Will Tear Us Apart"
過去の様々な音楽をアーカイブ的に聴くことが可能になった2010年代以降にシーンが発展したからだろうか、インドのインディペンデント音楽シーンでは、あらゆる時代や地域の音楽に影響を受けたアーティストが存在している。
Joy Divisionのイアン・カーティスの遺作となったこの曲を、ベンガルールの女性シンガーSanoli Chowdhuryがトリップホップ的なメロウなアレンジでカバー。
90年代以降の影響が強いインドのインディーズ・シーンにおいて、都市生活の憂鬱を80年代UKロックの影響を受けたスタイルで表現するタイプのアーティストも少しずつ目立つようになってきた。
例えばこのDohnraj.
今後、注目してゆきたい傾向である。
Voctronica "Evolution of A. R. Rahman"
映画音楽が圧倒的メインストリームとして君臨しているインドにおいて、いわゆる懐メロや有名曲をカバーしようと思ったら、やっぱり映画音楽を選ぶことになる。
その時代のもっとも大衆的なサウンドで作られてきた映画音楽を、Lo-Fiミックスなどの手法で現代的に再構築する動きもあり、いつもながらインドでは過去と現代、ローカルとグローバルが非常に面白い混ざり方をしているなあと思った次第。
これはムンバイのアカペラグループVoctronicaがインド映画音楽の巨匠A.R.ラフマーンの曲をカバーしたもの。
メンバーの一人Aditi RameshはジャズやR&B、ソロシンガーとしても活躍している。
というわけで、インドのアーティストによるカバー曲をいろいろと紹介してみました。
eyeshadowさんの記事もぜひお読みください!
--------------------------------------
音楽業界のそうそうたる顔ぶれのみなさんに混じって声をかけていただき、うれしい限りです。
常々、「インドのインディペンデント・シーンが面白い」ってなことを言っているわけですが、そもそも自分以外でここに注目している人はほぼ皆無なわけで、なかなか興味を持ってもらうことが難しいジャンルなのは百も承知。
インドのインディーミュージックの面白さは、単にサウンド面だけではなく「欧米発のポピュラー音楽やポップカルチャーが、インドという磁場でどう変容するのか(あるいはしないのか)、それがローカル社会でどんな意味を持ち、どう受け入れられるのか」という部分にあると感じているのだけど、そういう目線で考えると、「インドのアーティストがどんな曲をどう解釈してカバーするのか」というのは、すごく意味深いアプローチの仕方だなあと思った次第です。
どうしてこれまで気がつかなかったんだろう。
ともかく、10曲選ぶにあたり、けっこう面白いのに選に漏れてしまった楽曲がいくつかあるので、今回はそういう楽曲たちを紹介します。
Thanda Thanda Pani "Baba Sehgal"
QueenとDavid Bowieが共演した"Under Pressure"をまんまサンプリングしたVanilla Iceの"Ice Ice Baby"を、さらにそのままパクった曲。
タイトルは'Cold Cold Water' という意味で(つまりほぼ意味はない)、歌っているのは「インドで最初のラッパー」Baba Sehgal.
今ではすっかりひとつのカルチャーとして定着しつつあるインドのヒップホップだが、その最初の一歩はこのしょうもない曲だったということはきちんと押さえておきたい。
それにしても、この曲のリリースが1992年というのは早い。
在外南アジア人によるヒップホップムーブメントであるDesi HipHopの象徴的存在だったBohemiaのデビュー(2002年)より10年もさきがけているし、ムンバイのストリートヒップホップ「ガリーラップ(gully rap)」誕生と比べると25年近く早いということになる。
この曲はインドのポピュラーミュージック史におけるオーパーツみたいな存在なのだ。
ちなみに日本だとm.c.A.Tの"Bomb a Head"が1993年で、EAST END×YURIの"DA.YO.NE"が1994年だから、それよりも早いということになる。
(ただし、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は1984年で、やはり日本のヒップホップ受容よりも10年早い。Baba Sehgalも吉幾三的な存在だった可能性も否めない)
こちらは以前書いた関連記事です。
Su Real "Pakis in Paris"
言うまでもなくJay-ZとKanye Westによる"Niggas in Paris"のカバー。
デリー出身のDJ/ビートメーカーSu Realによる2016年のアルバム"Twerkistan"(名盤!)の収録曲で、ベンガルールのCharles Dickinsonなるラッパーがゲスト参加している。
Su Realはベースミュージックやダンスホールレゲエに南アジアの要素を導入したスタイルで活動しているアーティスト。
このブログの第1回目の記事で紹介した記念すべき存在でもある(これがその時の記事。当初は落語っぽい口調でインドの音楽を紹介するという謎のコンセプトだった)。
以前からインドのドメスティックな市場以外でも評価されて良い才能だと思っているのだけど、最近では国内のラップシーンの隆盛に合わせてラッパーのためのビート作りに活動の軸足を移しているようでもあり、なんだかちょっとやきもきしている。
ところで、Pakiという言葉は、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも出てきた通り、パキスタン人(あるいは、広く南アジア系)への蔑称でもあると思うのだけど、この言葉をパキスタンと対立関係にあるインド人が使うのは問題ないのだろうか。
黒人がniggaという言葉を使うのと同じニュアンスで、インド人が南アジア系であることを逆説的に誇る言葉として使っても差し支えないものなのか、ちょっと気になるところではある。
High "Wasted Words"
インド東部、ベンガル地方の都市コルカタは、イギリス統治時代の支配拠点だったこともあり、古くから西洋文化の受容が進んでいた街でもあった(その反発が、結果的にインド独立運動の起爆剤にもなるのだが)。
コルカタでは、イギリス人の血を引く「アングロ・インディアン」と呼ばれるコミュニティを中心としたロックバンドが1960年代から存在していたが、やがて彼らの多くが海外に渡ってしまい、そうした伝統も今ではすっかり途絶えてしまったようだ。
彼らが活動していた時代は、楽器や機材の調達もままならず、自分たちで機材を作ったり、選挙活動用のスピーカーを使ったり、工夫を重ねて演奏を続けていたようだ。
これはそうしたバンドのひとつ、HighによるAllman Brothers Bandのカバー曲。
Highの中心人物Dilip Balakrishnanは、The Cavaliers, Great Bearといったインディアン・ロックのパイオニア的バンドを経てHighを結成したが、その音楽活動は経済的成功には程遠く、インドのインディペンデント音楽の隆盛を見ないまま、1990年に39歳の若さでこの世を去った。
彼の死から20年が経過した2010年代以降、コルカタには新しい世代によるロックやヒップホップのシーンが生まれ、今ではParekh & Singh, Whale in the Pond, Cizzyといった才能あるアーティストが活躍している。
Against Evil "Ace of Spades"
言わずと知れた暴走ロックンロールバンドMotorheadの名曲を、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州出身の正統派ヘヴィメタルバンドAgainst Evilがカバーしたのがこちら。
今のインドのインディーミュージックについて書くなら、メタルシーンについても触れないわけにはいけないなあ、と思っていたのだけど、eyeshadowさんの記事には結局、Pineapple Expressの"Dil Se"をセレクトした。
彼らのバカテク&古典音楽混じりの音楽性と、ボリウッドのカバーという面白さのほうを優先してしまったのだが、メタルファンによるメタルファンのためのメタルカバーといった趣のこちらもカッコいい。
高めのマイクスタンド、ジャック・ダニエルズなどの小道具からも彼らのMotorhead愛が伝わってくる。
テクニカルなプログレ系や激しさを追求したデスメタル系に偏りがちなインドのメタルシーンにおいて、珍しく直球なスタイルがシブくてイカす。
Godless "Angel of Death"
Slayerによるスラッシュメタルを代表する名曲を、ハイデラバードのデスメタルバンドGodlessがカバー。
GodlessはRolling Stone Indiaが選出する2021年のベストアルバムTop10の6位にランクインしたこともある実力派バンド。
その時の記事にも書いたのだが、宗教対立のニュースも多いインドで、ヒンドゥーとムスリムのメンバーが'Godless'、すなわち神の不在を名乗って仲良く反宗教的な音楽を演奏するということに、どこかユートピアめいたものを感じてしまう。
この曲に関しては説明は不要だろう。
原曲が持つ激しさや暴力性をとことん煮詰めたようなパフォーマンスは圧巻の一言。
Sanoli Chowdhury "Love Will Tear Us Apart"
過去の様々な音楽をアーカイブ的に聴くことが可能になった2010年代以降にシーンが発展したからだろうか、インドのインディペンデント音楽シーンでは、あらゆる時代や地域の音楽に影響を受けたアーティストが存在している。
Joy Divisionのイアン・カーティスの遺作となったこの曲を、ベンガルールの女性シンガーSanoli Chowdhuryがトリップホップ的なメロウなアレンジでカバー。
90年代以降の影響が強いインドのインディーズ・シーンにおいて、都市生活の憂鬱を80年代UKロックの影響を受けたスタイルで表現するタイプのアーティストも少しずつ目立つようになってきた。
例えばこのDohnraj.
今後、注目してゆきたい傾向である。
Voctronica "Evolution of A. R. Rahman"
映画音楽が圧倒的メインストリームとして君臨しているインドにおいて、いわゆる懐メロや有名曲をカバーしようと思ったら、やっぱり映画音楽を選ぶことになる。
その時代のもっとも大衆的なサウンドで作られてきた映画音楽を、Lo-Fiミックスなどの手法で現代的に再構築する動きもあり、いつもながらインドでは過去と現代、ローカルとグローバルが非常に面白い混ざり方をしているなあと思った次第。
これはムンバイのアカペラグループVoctronicaがインド映画音楽の巨匠A.R.ラフマーンの曲をカバーしたもの。
メンバーの一人Aditi RameshはジャズやR&B、ソロシンガーとしても活躍している。
というわけで、インドのアーティストによるカバー曲をいろいろと紹介してみました。
eyeshadowさんの記事もぜひお読みください!
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 14:37|Permalink│Comments(0)
2022年02月06日
現代インドで80年代UKロックを鳴らす男 Dohnraj
前回、インドのシューゲイズ・アーティスト特集という誰に向けているのか分からない記事を書いてしまったのだが(なぜか反響が大きかった)、今回もまた、時空が歪んでしまったかのようなアーティストを紹介したい。
今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
--------------------------------------
今回の主役は、デリーを拠点に活躍するロック・アーティストDohnraj.
彼は2020年代のインドで、どう聴いても80年代のUKロックにしか聴こえないサウンドを鳴らしているという、稀有なアーティストだ。
"Make a Life Feel Special"
この独特のしゃくりあげるようなヴォーカル、熱さよりもクールネスを感じさせるバッキング、そしてシニカルな雰囲気!
ある程度の年齢のロックファンなら、「あの頃こんなバンドいたなぁ〜」と懐かしい気分に浸ってしまうことだろう。
Dohnrajの音楽は、完全に80年代のUKロックサウンドなのだが、特定のアーティストのコピーというわけではなく、部分的にAztec Cameraっぽかったり、Cureっぽかったり、The Smithっぽかったり、いろいろな要素が感じられる。(演奏に関しては、ちょっとThe Policeっぽいかなとも思う)
つまり彼は、誰かの曲をカバーしているのではなく、洒脱で虚無的でどこかひねくれた、80年代UKロックの空気感をカバーしているのだ。
"You're Fine"
この曲はちょっとデヴィッド・ボウイ風。
先ほどの曲とタイプは違うが、やはりどう聴いても80年代のUKサウンドだ。
いつも書いているように、インドのインディペンデント音楽シーンが活気を帯びてきたのは2010年代に入ってからのこと。
インドでは、古くからポピュラー音楽は映画音楽の独占状態であり、他には古典音楽や宗教音楽くらいしか音楽の選択肢がない状況が長く続いていた。
20世紀のインドでは、それ以外のジャンルの音楽は、そもそも流通のルートすらほとんどなかったのだ。
若者たちがロックを演奏したりラップしたりするようになるには、世界中の音楽を気軽に聴くことができ、そして自分の音楽を簡単に発信できるインターネットの普及を待たねばならなかった。
つまり、Dohnrajが元ネタにしている80年代には、インドではUKロックのような音楽は、ほとんど聴かれていなかったのだ。
ごく一部の富裕層の若者がロックを演奏していたのは確かだが(例えばケーララの13ADや、ムンバイのRock Machineなどのハードロック勢)、それは極めて例外的な話で、当日インドにインディーズ・シーンと呼べるようなものはなかったし、欧米のポピュラー音楽のリスナーすら珍しかったはずだ。
インドには存在しない過去を模倣する男、Dohnrajとはいったい何者なのだろうか?
現地メディアが彼のことを特集した記事によると、DohnrajことDhanraj Karalは、周囲に馴染めず、友達の少ない少年だったという。
小さい頃からマイケル・ジャクソンの音楽に夢中だった彼は、ある日耳にしたジョン・レノンの"God"を聴いて衝撃を受ける。
「彼は人生と苦しみについて歌っていたんだ。真実と誠実さについてのメッセージだよ」
"God"はビートルズを脱退したレノンが、「神は苦痛を図るための概念に過ぎない。もうキリストもディランもプレスリーも、ビートルズさえも信じない。ただヨーコと自分だけを信じる」と歌った曲だ。
この曲には、ジョンが「もう信じない」ものがたくさん出てくるのだが、「信じないものリスト」の中には、当時の欧米の世相を反映して、ブッダやマントラ(真言)やギーター(ヒンドゥー教の聖典)やヨガといったインド発祥の言葉も出てくる。
もちろんレノンは、60年代のカウンターカルチャーから生まれた東洋思想ブームについて歌っているわけだが、こうした概念が信仰とともに根付いているインドで暮らすDhanraj少年にとって、この「信仰との決別宣言」は、価値観をひっくり返す啓示のように感じられたのかもしれない。
きっとこの時、ロックはインド社会で生きづらさを感じていたDhanraj少年の生きる指針となったのだろう。
彼は音楽の道を志し、アメリカに留学してCalifornia College of Musicで学んだ後、デリーを拠点に活動を開始した。
今回紹介する曲は、いずれも昨年11月にリリースした彼のファーストアルバム"Beauty and Bullshit"に収録されているものだ。
彼は影響を受けたアーティストとして、初期プリンス、Talking Heads、The Cure、そしてベルリン時代のデヴィッド・ボウイを挙げている。
アメリカに留学したのなら、いくらでも最新の音楽に触れる機会もあっただろうに、自らの表現手段として、80年代のサウンドを選んだというのが興味深い。
これまで紹介した曲は80'sのUKロックの印象が強かったが、これらの曲の聴けば、確かに彼がプリンスの影響を受けていることが分かる。
"Our Paths are Different"
"Gimme Some Money! & Don't Ask for Anything in Return"
Dohnrajの音楽を「ノスタルジーばかりでオリジナリティが無い」と批判することもできるだろう。
インドで生まれた彼が80年代のUKサウンドを奏でる必然性はまるでないし、偏執的なまでのサウンドへのこだわりは、どこか現実逃避のようにも感じられる。
だが、先日インドのナード/オタク・カルチャーについての記事を書いたときにも思ったことだが、「現実逃避」は、ときにクリエイティブな行為にもなり得る。
国も時代も違う音楽にそこまで夢中になれるということ自体が、音楽というものの普遍性を示しているとも言えるのだ。
思えば自分も、学生時代の一時期、ジャニス・ジョプリンとか、60年代の洋楽ロックばかり聴いていた。
当時の自分にとっては、同時代の音楽以上のリアリティが感じられたからだ。
おそらくDohnrajにとって、80年代のロックサウンドこそが自己を投影するのにもっともふさわしいスタイルなのだろう。
Rolling Stone Indiaの年間ランキングを見れば分かるとおり、インドのインディペンデント音楽シーンは、先進国のトレンドとは関係なく、様々なジャンルのアーティストが評価されている。
Dohnrajもまた高い評価にふさわしいアーティストだと思うし、インド国内のみならず80’sサウンドを愛好する世界中の音楽ファンに聴かれるべき存在だろう。
というわけで、ひとまず彼のことを日本のみなさんに伝えたくてこの記事を書いた次第。
ジョン・レノンから始まって、80'sサウンドにたどり着いた彼は、これから先、どんな音楽を作ってくれるのだろう。
参考サイト:
https://www.news9live.com/art-culture/dhanraj-karal-dohnraj-beauty-and-bullshit-album-review-export-quality-records
https://ahummingheart.com/reviews/dohnraj-debut-beauty-bt-sits-loud-and-comfortable-in-a-fairly-untouched-space-in-indian-music/
--------------------------------------
「軽刈田 凡平(かるかった ぼんべい)のアッチャーインディア 読んだり聞いたり考えたり」
更新情報や小ネタはTwitter, Facebookで!
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
Twitter:
https://twitter.com/Calcutta_Bombay
Facebook:
https://www.facebook.com/軽刈田凡平のアッチャーインディア-読んだり聴いたり考えたり
goshimasayama18 at 20:39|Permalink│Comments(0)